Interview file
(株) 半導体テクノロジーズ
渡辺久恒氏
東京大学・荒川泰彦氏
産業技術総合研究所
飯島澄男氏
信州大学・遠藤守信氏
神奈川科学技術アカデミー
藤嶋昭氏
京都大学・平尾一之氏
東京女子医科大学
岡野光夫氏
東北大学・江刺正喜氏
(株)日立製作所
外村彰氏
産業技術総合研究所
中西準子氏


Q.量子ドット・量子コンピュータについて概説をお願いいたします。

A.半導体というものは自由に電子が動き回ってそれによって機能が発生します。重力のない宇宙空間を「電子」という子供が自由に飛び回っているような状態を想像して下さい。これが普通の半導体の世界における電子の振る舞いです。これに対して、子供が重力のある運動場で、地面にへばりついたような形で動き回っている状態を想像して下さい。ここに落とし穴を作るとしましょう。しかも、たくさん。落とし穴1つに子供1人が落ちるとすると、子供がたくさんいても、みんな同じ状態にすることができます。また、落とし穴の形や深さによって、子供たちを完全に制御することができます。これが量子ドットの概念です。

 もう少し詳しく説明しましょう。普通の半導体、すなわちバルク半導体では、電子が3次元的に自由に飛び回っています。もし電子の大きさと同じ程度の厚さの半導体薄膜に、この電子を閉じ込めると、電子は2次元平面内にのみ自由に動き回ることができます。すなわち自由度が2になったわけです。この状態だと、電子はまだ色々乱雑な振る舞いをしているとはいえ、バルク半導体の世界に比べれば、多少落ち着いた状態です。さらにこれに対して量子ドットは、電子を落とし穴に閉じ込め、運動の自由度を完全に奪い、ゼロにするものです。落とし穴の高さが、いわゆる量子ポテンシャルに対応します。

 さらに専門的に説明します。バルク半導体を自由に動き回っている電子の振る舞いは、粒子的な性質を用いて、トンネル効果以外のことは定性的にほぼ説明できますが、先程のように量子ドット、即ち立体的に囲うと、電子は3次元的に波動的な性質を示します。つまり、電子を量子力学的な波動として扱う必要が出てきます。囲う箱、先程は落とし穴と表現しましたが、箱の形状を変えると波の性質やエネルギーが変わります。先程は落とし穴の高さと言いましたが、管楽器が形状によって音色が変わるのに似ています。

 通常の半導体では、電子は自由に動き回っていますので、このようなことはできません。しかも、量子力学の基本的な性質として、「電子がお互いにぶつかる可能性があるときは、同じエネルギーの電子はいない」ということが挙げられます。しかし、量子ドットに入っている場合は、子供同士が一緒なることはないので、全て同じエネルギーになることができます。専門的には「フェルミ粒子の束縛から解放されている」と表現します。まとめますと、半導体の中の10nmという極めて小さな箱の中で、電子の性質を完全に制御できる、これが量子ドットです。ちなみに、我々は提案当初「量子箱」と呼んでいたのですが、実際には、箱状を作ることは難しくピラミッド状、半球状、いろいろな形状になることがわかったので、現在ではドット(量子ドット)と広く呼ばれています。もう少し専門的なお話をさせて下さい。量子ドットは、原子核にとらわれている電子と同じことを実現しているのですが、大きさは10nm程度なので原子より大きく、原子でいうと30個くらいに相当します。例えば、ガリウム砒素の原子列を作って、このまわりをアルミニウムガリウム砒素の原子列で囲います。すると電子はガリウム砒素の近くにいることを好む性質がありますので、ガリウム砒素のほうに電子が寄せられるわけです。こうやって量子ドットが実現されます。

 また、1つの量子ドットだけを扱うと、1つ1つの電子だけを制御することができます。この電子を光に変換するとひとつの光子を出すこともできます。
 

Q.簡単に御説明頂いても、非常に難しいですね(笑)これが何かの発明に結びつくものなのですか?

A.LSIの世界では電子を「粒」として考えていますが、ナノ構造の世界では電子の「波」の性質が見えてきます。これを応用すると、半導体、レーザー、光素子、それから量子コンピュータ等に応用できます。まさに我々が量子力学の教科書で習った事実、教義が実現され、しかも役に立つわけです。

Q.産業化の可能性はどのあたりまで見えていますでしょうか。

A.量子ドットレーザーは、富士通と三井ベンチャーキャピタルが出資したベンチャー企業で、2年での事業化を計画中です。恐らくこの2〜3年の間に、小規模ネットワークである光ローカルエリアネットワークで用いられる半導体レーザーは、全て量子ドットレーザーになると思います。我々は1982年に量子ドットの概念を発表して量子ドットレーザーの可能性を示したのですが、実現までに四半世紀かかって、いよいよイノベーションとして結実しようとしているわけです。

Q.実際にはどのように使われるのでしょうか。

A.先ほど少し申しましたように、ビル内のコンピュータを結ぶローカルエリアネットワークで、高速光通信手段としてレーザーを使います。ユーザーレベルで10Gbpsという高速なネットワークの光源に量子ドットレーザーが使われるわけです。
 実際に用いられるためには、まず安価でなければなりません。通常、半導体レーザーには温度安定化器が必要なのですが、量子ドットレーザーは温度変化があっても安定しているので安定器が不要となり、非常にローコストになります。このローコストをウリに市場を獲得するというストーリーです。量子ドット技術はハイテクなのにローコスト。ハイテクがローコストをもたらし、社会に普及するということがポイントです。

 今後、もう少し性能の高いレーザーをつくります。そうすれば近い将来に、世界中のあらゆる信号の光源が量子ドットレーザーに置き換わる時代がきます。さらに、DVDなどに用いられる青色レーザーも量子ドットレーザーに置き換わるでしょう。この場合のポイントは省エネルギーです。同じエネルギーでより高速で雑音が低いレーザー光を生み出すことができるわけです。

 ちなみに、なぜベンチャー企業で行っているかというと、大きな理由の1つに、意思決定の速さが大きな会社と小さな会社で全く異なることが挙げられます。昔は新しい製品を出すためには、基礎研究、開発、試験・応用を経て市場に出るといった、直線的なイメージでした。しかし、現在はスピードが要求される時代ですので、市場を見ながら開発途中のものを研究開発に戻す必要もでてきます。前者をリニアチェーン、後者をコンカレントチェーンあるいはノンリニアチェーン等とよびますが、そういうときに意思決定が非常に重要となるのです。今回はスピードを重視してベンチャー企業で取り組んでいます。

 それから光増幅器。いまは主に光ファイバー増幅器が使われていますが、これが量子ドット増幅器にきっと置き換わると思います。大きさは1/5くらいになって、性能も格段に上がります。 その後の展開が、銀行の専用回線などで可能性がある量子暗号です。単一の光子を制御して情報を伝達するもので、こうするとセキュリティが非常に高く保たれます。これは、受け手と送り手の間で1つの光子だけ送るため、盗聴されると、受け手に届きません。そうすると盗聴されたことが分かる。盗聴されたかどうか分かることが重要なのです。また、ちょっと難しくなりますが、信号は減衰する可能性があるので、ある距離で中継します。これを量子中継といいます、その時に、同じ性質の光子を同時に2つ出すことが必要になります。これを「もつれ光子対」といいますが、これも量子ドットを使うと容易に実現できるのです。つまり、量子をつかった暗号通信が遠い将来実現します。銀行などがシステムを高く買ってくれれば、もっと近いかも知れませんが(笑)。

 さらに、単電子のメモリが実現します。これもちょっと難しい話ですが、究極的には1ビット1電子のメモリができるわけです。ただ、LSIは大変保守的ですので、まったく違う原理の技術を導入することには、もう少し時間がかかるかも知れません。 また量子ドットは、ちょっと工夫することで体の中に入れることもできます。量子ドットは特定の波長・エネルギーに対して反応しますので、例えば、がん細胞のところで外からの光に反応するような機能にすれば、がんの早期発見もできるのです。ただ、体内に新しい技術で作られたものを入れるのですから、安全性について十分な検証を行うことが前提です。また、太陽電池にも用いられるかもしれません。

Q.量子コンピュータの話もよく聞きますが、これはどのぐらい近い将来に実現するのでしょうか?

A.難しいところですが、「25年以内には不可能だが、50年以内には可能」とよく言われています。まあ、50年でしたら自分が現役でないから、責任を持たなくていいというのもあるけれど(笑)。
 冗談はともかく、量子コンピュータが市場にでてくる時代がいつ到来するかというのは、今の段階では予想できません。これは技術的に実現が難しいという点もありますが、何の役に立つのか分からないという点が大きいのです。また、今の一般的なコンピュータもどんどん発達していますので、経済的に優位性が成り立たないと世にはでませんよね。

 量子コンピュータの特長を活かしたアプリケーションは、素因数分解を極めて短い時間で行うアプリケーション等、3つ程が1994年に提案されていますが、それ以来新しいものは提案されていません。もう1つか2つ、いいものが提案されないと、世の中に役に立つかどうかが判明しないかも知れません。まあ、あと25年ありますから(笑)、必ずや出てくるでしょうし、出てきたときにすぐに実用化に向かうように、基礎研究を充実させておく必要があります。我々はそれを目指して研究しているのです。

 また、量子コンピュータの研究過程において、量子暗号通信とか、量子中継システムなど、さまざまな派生的な概念がでていますが、まずはこのあたりから具体的なアプリケーションを実現していくのがいいでしょう。

Q.もともとこのようなご研究をされるようになったきっかけは?

 A.父親は名古屋大学の物理の教授、姉は医学部に進学と、家族には理系が多かったのですが、私は高校1年までは文科系で、法律の分野へ進もうと思っていました。自然科学は新しい事柄が発見されて、それに応じて理論をつくっていく世界です。でも、法律は自然科学と異なって、それ自体が自己完結的に論理を構築できますよね。これにとても惹かれたのです。もちろんその後法律がそんな絶対的なものではないといることはわかりましたが。でも、実際は国語より数学や物理の出来がちょっと良かったのです。高校2年のある日、自動車の走行実験などを紹介するTV番組をみて、理系も面白そうだなと思い、転じることにしました。今考えれば理系に転じるきっかけが欲しかっただけかもしれません。また、我々の高校では、理系文系がそれほど厳密に分かれてなくて、履修科目などで困ることもありませんでした。

 そういう意味ではきっかけは大変重要です。人生の転機になるようなきっかけはいつどこにあるのかは分かりませんが、我々がいろいろ発信しているとどこかできっかけが生まれるものです。

Q.大学ではどのような勉強をされていましたでしょうか?

A.生理的なものは苦手だったので医学系は考えず、東京大学の理科1類に進みました(注1)。教養課程の2年で専門を決めるのですが、そのときは、物理か、電気か、物理工学、数理工学か、いろいろ悩んでいました。かなりぎりぎりまで迷ったのですが、社会科学的なことにも興味があったこともあり、電子工学に進学しました。当時の電気電子工学はなんとなく秀才が行くイメージもありましたし(笑)。まあ、電気はカッコ良かったということですね。今の電気電子工学と当時の電気工学は、イメージが違うかも知れません。

 もう1つ、僕は物理にも興味を持っていたのですが、物理学で有名な、仁科先生、ボーア、ディラック、こういった偉大な先生は電気工学の出身でした。だから、電気工学に進学した後も物理をやりたくなったらそういう方向に行けばいいと考えていました。

Q.その頃は既にスーパーコンピュータ、あるいはそれに類するようなものはあったのでしょうか。

A.まだまだそんなものはありませんでしたね。大学1年のころは、記憶媒体として紙テープを使っていたような時代です。大学院ではカードリーダでプログラムを読み込んでいましたね。電話機にカプラーをつけるTSS(Time Sharing System)を使い始めたのが、大学博士2年くらいでしょうか。

Q.大学院生だった頃は、コンピュータが日進月歩の時代だったかと思いますが、このころから世間の役に立つようなご研究を目指されていたのでしょうか。

A.そうですね。この頃は情報通信の時代で、まさに時代はコンピュータ、通信、半導体という雰囲気で、今思えば本当にいい時代でした。その頃はまだ情報理論なども新しいものだったのですが、僕は大学院で情報通信を専攻しました。だから僕の博士論文は通信理論なんです。受け手と送り手との間で最も効率良く情報を送るにはどうすればいいか、といったテーマを、特に光通信路を対象にして研究しました。専門的にいえば、信号にその統計的性質が依存する雑音を有する信号空間と、情報源とどのように整合性をとるかということを、数学でいえば関数空間の中で議論していました。また、拡張デュオバイナリ符号という新しい符号も発明しました。1980年前後は特に光通信に関する技術、光ファイバー、半導体レーザー等が出始め、関連することも勉強していました。ただ、あの当時は数学的なコンセプトやフォームレーションに興味があり、具体的な数値にはあまり興味がありませんでした。

 ところで、この頃はアメリカのベル研(注2)、IBMが圧倒的に強かった。日本のエレクトロニクスはいわゆるキャッチアップの時代だったわけです。よって、ある意味で目標がはっきりしていた時代でした。今、日本はトップランナーにいるから、何をやればいいのかわからないところがあるのではないかと思いますね。

Q.大学院時代には半導体の研究は行っていなくて、その後にやり始めたとのことですが、そのいきさつは何だったのでしょうか。

A. 通信理論で博士号を取得した後、東大の教員にならないか、という話がありました。ただ、情報通信分野からデバイス分野へ移ることが条件だったので、移ることにしたのです。今の僕が人事責任者ならこのような危ない人事は絶対にやりませんけど(笑)。これを決めていただいた当時の先生方の英断に大変感謝しています。ちょうど通信理論ももういいかなと思っていた頃だったので(笑)。また、レーザーに興味もありました。

Q.その頃は情報化社会に向けて世界中が走っている頃ですよね。

A.ええ。ただ、当時は電電公社というものがあって、情報化社会は純粋に「通信」に特化したイメージでした。今は通信とコンピュータが融合していますが、当時は「コンピュータは別のもの」という捉え方でしたね。

Q.その頃は産学連携ということはあったのでしょうか?

A.殆どないですね。というのも、当時の大学は閉じた世界でした。今の様子からすると理解できないかも知れませんが、学生運動が盛んなころで、産学連携、企業活動そのものが、悪と考えられた時代でした。企業は利益追求のために大衆を圧迫する悪という位置づけだったのです。ですから産学協同などと言ったらたたかれるわけです。まあ、学生はそのあと企業にいくわけですから、よく考えるとおかしな話なのかも知れませんが(笑)。こんな理由で産学連携はほとんどなかったのですが、全くなかったわけではありません。例えば、田中昭二先生は、大学の先生の立場で半導体の分野で産業界を引っ張っておられましたね。

 1980〜90年代になると、状況が一変し、産学連携が盛んになってきました。ただ、90年代までの産学連携は、お互いの間に川があって、ボールを投げあうようなものでした。ボールを投げてもいつ返ってくるかわからない。投げたボールが対岸でどのようにされているかわからない。このような、比較的他人行儀なものでした。これに対して現在我々がやっている産学連携は、川に橋をつくって、行ったり来たりするようなものです。ビジョンや場所を共有しているのです。例えば我々がナノ構造の結晶を成長させたら、先方がそれをもとにデバイスを作る、というように、お互いの内情をわかった上で相談しながら推進しています。これを可能にしたのは、私と、企業のトップマネージメント及び現場の研究者との相互信頼であると思います。

 特に我々はナノ技術のベースについては強いのですが、産業への出口をつくるためには、産学連携が不可欠です。応用し、展開する力はやはり企業が強い。この関係をシームレスにつくることが大事だと思っています。今年から東大の中に量子コンピュータや量子情報通信を含めた将来の情報ネットワークの基盤技術を産学連携で進める機構を作りました。キャンパスのなかにはNECや富士通、シャープ等の企業のラボをつくって、お互いの研究員が常駐し一緒に釜の飯を食べています。

 15年くらい前は企業も元気が良く基礎研究所を持っていました。ところが5年くらい前から不景気の影響で基礎研究にあまり注力しなくなってしまった。加えて、多くの企業で株主に対する答えが必要となり、事業展開の考え方がだいぶ変わってきました。すぐに数字になるものを求められるためどうしても基礎研究所的な活動は縮小してしまうわけです。企業がこのように変化する一方で、大学はあまり変わっていないので、大学と企業にギャップができてしまった。そこで大学が応用研究の視点をもって、企業との強い連携を持つことが大事になったわけです。開いたギャップを埋めるために、大学が伸びるイメージです。

 また、量子コンピュータはまだ基礎研究段階ですので、企業間の連携も可能です。基礎研究は国や大学を中心とし、それに企業も参加して基盤力を創成する、こういうスタイルとして行っています。

Q.榊先生と量子ドットの概念を発表されたころのお話をお聞かせ下さい。

A.デバイス方面に転向した1980年、私は光ファイバーをやろうか、半導体レーザーをやろうか迷っていました。光ファイバーは電磁気学で理解できるので、比較的古典的な学問で理解できるものでした。そこで、どうせ専門を変えるならば量子に関することをやりたいと思いました。量子力学でレーザーということで、半導体レーザーを志望することとなったわけです。

 当時を振り返りますと、1976年には室温レーザーが、1978年頃には1.3ミクロンの波長の半導体レーザーが開発され、非常に活発な頃でした。ただ、東京工業大学の末松安晴先生のグループなどで既に数多くの研究が活発に行われていたので、同じことをやっていてはとてもかなわないと思っていました。ちょうどそのときHEMT(注3)が出て、私はナノ界面技術にとても興味を持ちました。そのような中で、超薄膜をつかった量子井戸レーザーが米国などで少しずつでてきました。私はこれに興味を持ちこの新しいレーザーの分野に進むことにしました。

 当時、通信用半導体レーザー半導体レーザーでは、発振しきい値電流が室温以上で急激に増え始めるという温度依存性の問題がありました。一方、同じ頃、米国から量子井戸レーザーを用いると、電子の運動の乱雑さをある程度抑制できるまもしれないという論文が出ました。これが大きなヒントになりましたね。これなどを参考にしながら榊先生と議論を進めるうちに、さらに電子の運動を制御してやれば、温度依存性を抑えることができるのではないかという考えに到達しました。ここで、半導体量子ドット・量子箱の概念、及び量子ドットレーザーが生まれたわけです。

 「破壊的技術」と呼ばれる技術がありますが、これはまさに破壊的技術にあたります。私は、ちょうど分野を変えたところで、「どうせゼロだから、チャレンジングなことをやろう」と思ったわけです。ある程度進んだところではもっと面白いところをやろうと思ったわけです。自分自身が面白いと思う、ここが重要でした。

 もう1つ大きいのは、27歳のときの経験です。東大が私を定年制(パーマネント)の講師として採用してくれて、学生は一人もいないものの研究室を持たせてくれたのです。今は任期制度が広く導入されて、一定の期間内に成果をあげなければなりませんが、私は長期的に見て頂けたので、危ないことにも挑戦できました。ダメだったら一生講師でもいいや、と思って開き直っていましたね(笑)。

Q.いまのように、3年内に成果を挙げるようなことはなかったのでしょうか。

A.対外的に挙げなければならないという義務はなかったですね。ただ、もし3年で何も出ていなかったら、さすがにまずかったでしょうね(笑)。僕自身にとってはプレッシャーになっていましたが、研究は楽しかったし、苦しいとは思いませんでした。

 講師として赴任し、1年後に特に立派な成果がないにもかかわらず助教授にしてくれました。当時の電気系の分野では可能性があると思われる若い研究者を積極的に登用して、育てる、そういう考え方がありましたね。良い時代でした。現在では、いい意味でも悪い意味でも研究者に短時間で成果を求める考え方が幅を利かせていますが、全く違うこと、リスクのあることに挑戦する人が減ってしまうかも知れませんね。

 それから1984年から2年間、米国のカリフォルニア工科大学の、いわゆるカルテックですね、ヤリフ先生の研究室に滞在したことも非常に大きなステップでした。1982年の量子ドットの論文は先駆的過ぎて当時殆ど見向きもされませんでしたが、カルテックで研究を始めて数ヶ月に執筆した量子井戸レーザーのダイナミックスに関する論文は、当時すぐに評判が高くなり、僕を一躍世界で有名にしてくれました。1982年の論文は、90年代に入ってようやく本格的に注目されるようになりましたね。先駆的な論文はしばらく時間が経ってから注目され始める、ということの例でしょうか。

Q.最後に、若い方にメッセージがありましたら。

A.やはり科学に取り組むことに誇りを持つこと。人間の知的活動の典型的なものが科学技術だと思います。それに取り組むことに対して誇りを持つことが大事です。その取り組みに対して自分の価値を持つことが大事だと思います。

(注1) 東京大学は教養課程では理科1類〜3類、文科1類〜3類に分かれて入学し、3年進学時に専門分野を選択する。
(注2) アメリカの通信会社AT&Tのベル研究所のこと。トランジスタの発明やUNIXの開発など多くの研究業績を世に送り出している。
(注3) 富士通の開発した、薄膜構造を使ったトランジスタ。

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