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Q.ナノテクノロジーというと、必ずカーボンナノチューブと飯島先生の名前が出ますよね。 A.私もナノテクノロジーには詳しくないですが(笑)。カーボンナノチューブは、高い可能性を秘めた材料だと考えています。ただ、ナノテクノロジーといえばカーボンナノチューブ、という意見は、ちょっと危ない。あまりに煽り立てて、例えば「15年経って、何も出来てないじゃないか」ということになりかねないと危惧しています。私はあまりはしゃがないで、じっくり腰を据えてしっかりやろうという戦略でやっています。小心者ですから(笑)。 Q.カーボンナノチューブを発見したときは、感動されましたか。 A.長いこと研究をやっていると、これはいけるという、「にやっ」とするような事が何回かあります。人には見せませんけどね(笑)。私にはこれが今までに3回ありました。カーボンナノチューブはこのなかの3回目というわけです。1つは、電子顕微鏡で原子を最初に見たとき。電子顕微鏡でずっとナノ材料を評価してきたのですが、70年代のはじめにいよいよ原子が見えるというレベルになって、誰が最初に見るかという競争になったのです。私は当時、大学院を出たばかりの駆け出しだったのですが、幸運にもこの原子を最初に見たんです。いままでも見えた例はあったのですが、せいぜい分解能が10Åで、ぼやっとしか見えなかった。ところが、私は粒々をばっちり写真に写すことができて、結晶中の原子の粒がはっきりみえたのです。 Q.電子顕微鏡はカスタマイズしているのですか? A.ただメーカーから顕微鏡を買って使うだけなら誰でもできますので、皆さん他の人と差別化するためにいろいろ工夫をするわけです。装置を改造してみたり、あるいは自分のテクニックを高めるとかね。Q.そういうテクニックがあるのですか? A.そりゃあありますよ。写真屋さんがただシャッター押せばいいだけじゃないのと同じです。いろいろやって、一般の装置で「最大限の効果」を出す。これが実験屋の面白いところです。だから、ぶきっちょでコーディネーションの悪い人は顕微鏡の仕事には向いてないかな(笑)。それから2つ目は、金の微粒子を動画で観測したときです。顕微鏡の装置としての進歩がなくなった1980年代です。電子顕微鏡は通常静止画なのですが、私は原子レベルで動画として観察する方法を開発し、金の微粒子がコロコロとアメーバのように動くところを撮りました。金は安定した材料なので構造が不安定になることは予想していなかった。ナノ材料の面白い点は、小さくするといろいろ不思議な現象が起こるところ。結晶構造の不安定化が起こるわけです。この研究によって、仁科記念賞をもらいました。 私は「カーボンナノチューブの飯島」といわれると非常に心外でね(笑)。カーボンナノチューブは発見されて、たかだか15年。私はそれよりずっと前から20年以上も顕微鏡の仕事をしているわけで、それを積み重ねてカーボンナノチューブに至ったわけです。物事は突然現れるわけではなく、長い歴史の中で少しずつ積み重ねられるものです。電子顕微鏡が1932年に発明され、原子を見る研究がずっと続けられてきて、私がちょうどいい年代にいたので原子を見ることができたわけです。 それから、今度はナノクラスターの面白い物理現象の話に移っていって、金の微粒子の研究に行き着きました。我々基礎科学者としては、そういう面白いものを見つけて世間に知らせるというのが使命ですからね。ただ、金が動いたってこれが何の役に立つかは分からないのですけどね(笑)。 それから、この研究が終わって新しい材料を探しているときに、C60(フラーレン)などいろいろなものが発見されて、そのなかからカーボンナノチューブが出てきました。これが3番目です。電子顕微鏡があったからこそ、見つけられた成果です。勝手な言い方をすれば、電子顕微鏡をしっかりマスターしている研究者でなければ、カーボンナノチューブを発見するチャンスはゼロです。完全にゼロ。電子顕微鏡でしか見えない。ですから、その意味ではラッキーであるけれど、当然我々が見つけなければならないものであったわけです。 Q.最近は、日本のお家芸だった顕微鏡技術で海外も力を付けているといわれています。これを取り戻すために、何かヒントはございますか? A.電子顕微鏡は1932年に生まれてずっと開発されているわけですが、さらにその延長でもっと行かなければならないという発想もあります。しかし、電子顕微鏡については、大体の研究は終わってしまいました。いまは、次のテクニックで勝負というところです。例えば新しいところでは、電子顕微鏡は1つのスチールの写真だけで動きまで見えません。生物のなかの細胞が生きている状態で動画を見る技術がどんどん開発されています。タンパクに蛍光材料をつけて光るところを見るような技術などです。 Q.日本の研究は、オリジナリティという面ではなかなか評価されませんよね。電子顕微鏡などは、かなり日本が優れていますが。 A.これはとても重要なことだと思うのですが、日本の文化に貢献するようなものを沢山残さなければならないと考えています。湯川秀樹の業績などは、実際に社会に役にたったわけではないですが、我々日本人の内面的な文化となったと思います。例えばイギリスなどは、科学の歴史としては本当に圧倒的で、何十人ものノーベル賞学者を輩出しているわけです。そうすると、こっちは丸腰で何もないので、いいトランジスタをつくったくらいでは馬鹿にされますよね。これは日本オリジナルだというものを、我々科学者はどんどん出さなければならないんです。私はNECの研究所とも繋がりがありますが、例えばIBMとNECの社長が対談して、何かの拍子でお互いの手の内を見せたとき、全部が相手の真似では、初めから見下げられちゃう。うちはノーベル賞受賞者が何人いるけど、そっちはゼロとかね。そういうところに出てやりあうにはそれなりのポテンシャルがないと、引け目を感じるんじゃないかな。例えば文部科学大臣が海外の大臣と会ったとき、お互いに手の内を見せ合ったら、そっちはいろいろ商売しているけど手の内は何もないじゃないかと言われたら、これは面白くないよね。 Q.カーボンナノチューブのご研究の話に戻りますが、カーボンナノチューブ、カーボンナノホーンは社会でどう役立っていくのでしょうか。 A.どちらも、社会への普及はまだまだというところです。研究開発レベルで言えばまだまだ入口です。材料自身の面白さはあるのですが、面白いことと役に立つことはちょっと違いますよね。そういう意味では私の周りではまだまだ基礎研究レベルという段階です。ただ、研究開発のために国のお金をたくさん使っているので、是が非でも産業化は実現しなくてはいけない。私などは産業技術総合研究所の大きなグループで、何億円も使っているので、真剣勝負でやっています。そこでは、いろいろと実際の出口のターゲットがありますね。 例えば、今年度からはじまったCNTを使ったスーパーキャパシタ。これは今既に使われているのですがもっと性能のよいものをつくる。具体的には、今までと違ってリチウム電池とキャパシタの中間にある蓄電池が注目されています。21世紀には、完全に電気だけで走る水素燃料電池自動車が登場します。追い越すときの加速で、ガソリン車ならばガソリンを沢山供給すればいいのですが、電気では容量が足らない。今までのリチウムイオン電池では足りなくて、補助的にある程度電気を蓄えておいて一気に出すみたいなことにスーパーキャパシタを使うわけです。この材料としてカーボンナノチューブが面白そうだということで、いま、国家プロジェクトが始まっています。スーパーキャパシタは、いかにしてコンパクトにするかが重要となっていますが、ボリュームが小さくてなおかつ表面が沢山ある材料がカーボンナノチューブなのです。 Q.カーボンナノチューブを半導体に利用する話もありますが。 A.トランジスタとしてはシリコンよりはるかにいい性能であることが実証されています。ただ、原理的にはできますが、シリコンチップのように小さなところに何百万個も作れるかというとそれは違う次元の話です。どうやればいいのか暗中模索というところでしょうか。可能性はあるのですけど。シリコンに変わるCNTデバイスという意味では、まだまだ先は分かりませんね。 Q.NASAでは宇宙エレベータの研究をまじめにやっていると聞きましたが。 A.アイディアはいいと思います。私も発表のスライドに使ったことはありますしね(笑)。しかし、実際にはそんなに現実的な話ではない。理論的には可能ですが、安くつくることは大変だと思います。例えばスーパーキャパシタの場合には、活性炭などの材料で既に工業化されているものに対する代替材料としてカーボンナノチューブ、カーボンナノホーンがありますが、活性炭が1000円/kgに対して、カーボンナノチューブは100万円かかる。これを一生懸命安価にする技術を開発しなければならないわけです。 Q.キャパシタや半導体のほかにカーボンナノチューブを使って実現しようとしている技術はあるのですか? A. いくつかあります。代表的なところでは、導電性フィルム、MEMSスイッチ、フラットパネルディスプレイ、などでしょうか。ディスプレイに関しては、非常用ディスプレイをノリタケカンパニーでやっています。電源がなくなった場合のディスプレイで、ここにカーボンナノチューブを使っています。電気がなくなるからバッテリーで貯めるのですが、バッテリーは昼に太陽電池で貯めてこれをつかうわけです。 また長期的には導電性ポリマーが挙げられます。タッチパネルはITOという酸化物で導電性の膜なのですが、CNTを表面に張った透明高分子膜に替えても、同じような性能が出ます。そうすると長期的には柔軟性のあるディスプレイ、ウェアブルコンピュータとして使えます。くしゃくしゃにしても使えるようなディスプレイに利用できるのではないかと考えています。カーボンナノチューブは曲げても電気が流れますからね。 Q.MEMSスイッチというのはナノチューブで小さいものができることですか? A.MEMSスイッチは要するにカンチレバーという究極に小さいスイッチをつくるものです。今はシリコンのリソグラフィのテクニックで細いレバーでスイッチをつくっているのですが、これをCNTで置き換えようというものです。スイッチの大きさが数十nmとかね。実現すれば、例えば医療用のカプセルの電気回路、すぐにでも使えるものとしてはプラスチックの帯電防止用コーティング膜があります。 Q.先生の個人的なお話もいただければと思います。ご出身の場所と、なぜ理系の研究者を目指したのかをお聞かせくださいますか。 A.出身は埼玉県越谷です。中学からは越境して東京の学校に通いました。高校は都立上野高校だったのですが、なぜかうちのクラスは90%が理工系で、理工系に行く雰囲気がありました。私はある意味でこれがやりたいなんていうものはなくて、消去法で残ったのがこれだったという(笑)。実にいい加減な人生設計ですね。出たとこ勝負でした。 Q.大学は通信学科とお聞きしておりますが。 A.通信学科でしたが、もう、ドロップアウトでしたね。あまり勉強はせず山登りとかオーケストラとかに熱中していました。大学3年でどうもこの分野は私に向かないと思って、やめて物理へ行こうかと思って受験勉強を始めました。それで東北大に行ったわけです。 Q.工学から物理に転向することは珍しくなかったですか? A.それほど少なくもなかったと思いますが、よく先生にばかにされていましたね。お前の考え方は工学的だって(笑)。 Q.物理のなかではどういう分野だったんですか? A.そんなに物理のバックグラウンドもなくて、大学院の試験が通っても、どの研究室にどの先生がいるかも分からなかった状況でした。そうしたら面接で、飯島さんはあんたここだね、って誰も行かないところに(笑)。そこが電子顕微鏡でした。自分が特に希望したわけではなかった。そうしたらそこがピッタリでね。それからは、もうまっしぐらです。 私には3人の恩師がいるんです。学部のときの理学部基礎科学の先生。東北大の電子顕微鏡の先生。それからドクターのあとアリゾナに行ったときの先生。アリゾナに行ったいきさつも、偶然でした。本当は研究室の助教授が行く予定だったのですが、助教授はシカゴ大から帰ったばかりですぐには行けないということで、私が行きました。そうしたら行き先でやったことが高分解能の仕事で非常に面白かったんです。もう1人は応用物理の重鎮の上田良二先生です。 Q.アリゾナの後帰国されてからは、どうされたのですか? A.上田先生に誘われて、新技術事業団(現・JST)に参加しました。私は新技術事業団の創造科学技術推進事業の第一回のメンバーだったんですよ。当時、新技術事業団は科学技術庁の傘下で、ほかに金材研とか無機材研も科学技術庁の傘下だったのですが、そんな新しいところには誰も行かない。そこで西澤先生と林先生(アルバック)、緒方先生(上智大)など4つの研究が始まって、それに誘われたわけです。 結果論ですが、チャンスはやっぱり自分で見つけている気がします。学部変更の決断のときで岐路に立ったのですが、結果的にはよかった。いい先生にもめぐり合えました。それからアリゾナに行ったことも、環境が変わって新しい機会ができた。JSTに帰ったときも5年だったのでそれが終わると放りだされたわけです。それぞれ、背水の陣で挑んでいます。真剣勝負です。1人ならまだいいのですが、家族がいましたから。 Q.NECは? A.NECはその後です。結局、あちこちまわって産官学全ての組織を経験しました。そういう意味では経験豊富ですが、それは無駄でなくプラスに働いています。ラッキーでしたが、自ら動いたからこそ、こういった機会にめぐり合ったのだと思います。 Q.いろんな立場に所属されたご感想はいかがでしょう。 A.第一線の研究は何たるかを経験しましたね。アリゾナでは世界で始めて原子を見たということで世界中から人が来た。研究環境としては最高ですよね。12年もいたんですけれど。ただし、重要なのは、トップの座というのは永遠に続くわけではないことです。時代がかわって、この分野も斜陽になってしまいました。あそこで12年間いて、いよいよ移住するということになったら、また人生は変わっていたはずです。 Q.NECに行かれたときにはおいくつですかね? A.42歳かな。新入社員と一緒に社員寮に入りました(笑) Q.NECでの研究は? A.NECは2億円の電子顕微鏡を買ってくれるということで入りました。私は顕微鏡がないと仕事ができない。新技術事業団のプロジェクトは5年で終わったので、そこで作った顕微鏡も泣く泣く手放して、どこへ行こうかということになった。東北大へ戻るチャンスもあったのですが、やめました。なぜかというと2億円の顕微鏡を買ってくれない(笑)。買ってくれるところを探したらそれがNECだったわけです。ですからそれで本来の仕事は違うところにあったのですが、そのおかげでカーボンナノチューブはここで見つかったんです。 Q.人によっては42歳で東北大の研究者のポストがあれば魅力的と思うのではないでしょうか。 A.そのところは国の関係者にぜひとも考えていただきたいですね。どういうことかというと、アメリカの研究者には活性がある。その1つの原因に、よく動く。移動すると祝福されるわけです。給料も上がる。日本は移動することはマイナスなんですね。今はまたちょっと変わってきましたが、動くと損する仕組みです。具体的には社会保険が中断する。私なんか年金などちょっとだけしかないです。だけれど、研究者は動けばいいに決まっているんですよ。あまりちょろちょろ動いているとまた言われますけどね(笑)。 Q.最後になりました。若い方にメッセージをお願いします。 A.好奇心を持って、待つより自ら動く。やりたいものは何でもやってみる。だめだったら撤退すればいいんですよ。何事も挑戦して自分の可能性をみる。NECの基礎研究所にいくと、みな大学でオールAみたいな人が沢山いる。でもつぶれる人も沢山いる。たぶん出来る人なのだけれど、入ったところで能力が活用できない。それは会社にとっても、自分にとっても損です。動けば、自分にあったところが必ず見つけられますよ。 Q.先生の場合も、どんどん動いていらっしゃいますね。ご苦労もあったかと思いますが。 A.まあ本人は好きでやっているからいいのですけれど。でも、家族は大変です。もちろん反対されましたけどね。でも行っちゃう(笑)。 本日はお忙しいところ有難うございました。 |
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