内閣府 Cabinet Office, Government of Japan

内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  北方対策本部  >  北方領土問題~今~  >  全ページまとめ

北方領土問題~今~


バッジ紹介 北方領土イメージキャラクターのエリカちゃん 北方領土エリカちゃんfacebook 北方領土エリカちゃんtwitter


1.北方領土とは何か?

 1945年(昭和20年)、日本が、ポツダム宣言を受諾し降伏する意図を明らかにしたあとになって、ソ連は、一度も外国の領土になったことのない我が国の固有の領土である北方四島に侵攻しました。その後、ソ連は一方的にソ連領に「編入」し、全ての日本人を強制退去させました。ソ連が崩壊してロシアとなった現在も、ロシアは北方四島を法的根拠なく占拠し続けています。

(1)「北方領土」とはどの島々のことか?

どの島々のことか? 地図

北方領土は、北海道本島の北東洋上に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島の島々です。

(2)何故、「北方領土は日本固有の領土である」といえるのか?

「北方領土は日本固有の領土である」といえるのか? 地図1

江戸幕府の時代、1799年から1800年にかけて北方領土のほか、千島、樺太を含む蝦夷地を直轄地として日本人が開拓しました。1855年には日本とロシアとの間で平和的・友好的な形で日魯通好条約が調印され、その条約は、それまでに自然に成立していた択捉島とウルップ島との間の国境を、そのまま確認しました。

「北方領土は日本固有の領土である」といえるのか? 地図2

樺太千島交換条約:1875年(明治8年)、我が国は「千島列島」(シュムシュ島からウルップ島までの18の島々)をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄することを決定しました。この結果、千島列島全島が日本の領土になりました。

「北方領土は日本固有の領土である」といえるのか? 地図3

 日露戦争の結果、1905年(明治38年)、ポーツマス条約により、樺太の北緯50度より南の部分が日本の領土となりました。
 1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦しました。第二次世界大戦直後、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日の間に北方四島のすべてを占領しました。当時、四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までにすべての日本人を強制退去させました。

※サンフランシスコ平和条約(1951年)で、日本は南樺太と、千島列島を放棄しましたが、この条約にいう「千島列島」には北方領土は含まれていません。ソ連はこの条約に署名せず、条約の当事国となっていません。

2.返還交渉の経緯を整理します。

1945年
  8月9日
ソ連の対日参戦
 ソ連は、当時まだ有効だった日ソ中立条約を無視して、対日参戦し ました。
  8月14日 日本のポツダム宣言受諾
 日本が降伏の意図を明確に表明しました。
  8月28日~
     9月5日
ソ連による北方四島侵攻・占領
 ソ連軍が千島列島及び北方四島を武力により占領しました。
1951年9月 サンフランシスコ平和条約
 日本は千島列島と南樺太に対する全ての権利、権限及び請求権を放棄しました(「千島列島」に北方四島は含まれません)。
ソ連はこの条約に署名しなかったため、条約当事国となりませんでした。
1955年6月 日ソ間交渉開始
 両国の間で個別の平和条約を結ぶための交渉が開始されました。
1956年10月 日ソ共同宣言
 両国は「日ソ共同宣言」に署名しました。
1 平和条約締結に関する交渉を続けることに合意した上で、国交を回復させました。
2 ソ連は、歯舞群島及び色丹島については、平和条約締結後、日本に引き渡すことに同意しました。

(日ソ共同宣言 第9項)
 両国は、平和条約の締結について、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を続けることに同意する。
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本に引き渡すことに
同意する。 ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるも
のとする。
1960年 日米安保条約の改定
 ソ連側は、1960年の日米安保条約の改定を受け、1956年の日ソ共同宣言の領土に関する条項を一方的に否定しました。
1972年 日ソ外相会談
 大平正芳外相から、国際司法裁判所の判決を仰ぐ可能性を示唆。グロムイコ外相は即座にこれを拒否しました。
1991年 4月 日ソ共同声明
 ソ連の元首としては、初めてゴルバチョフ大統領が来日。海部俊樹総理と会談し、「日ソ共同声明」に署名。

   「声明」中では、
1 北方四島が平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが、初めて文書の形で確認されました。
2 この後、日本は、北方四島の日本への帰属が確認されれば、実際の返還の時期及び態様、条件については柔軟に対応するとの
  方針を採用しました。

(日ソ共同声明 第4項)
 これまでに行われた共同作業、特に最高レベルでの交渉により、一連の概念的な考え方、すなわち、平和条約が、領土問題の解決
を含む最終的な戦後処理の文書であるべきこと、友好的な基盤の上に日ソ関係の長期的な展望を開くべきこと及び相手側の安全保
障を害すべきでないことを確認するに至った。

1991年 海部俊樹総理とゴルバチョフ大統領の会談の様子
1993年10月 東京宣言
 エリツィン大統領が来日し、細川護熙総理と会談。「東京宣言」に署名。

   「宣言」中では、
1 領土問題を、北方四島の島名を列挙した上で、その帰属に関する問題と位置づけられました。

2 四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化しました。

3 領土問題を、(1)歴史的・法的事実に立脚し、(2)両国間で合意の上作成された諸文書、及び(3)法と正義の原則を基礎として
  解決する、との明確な交渉指針を示しました。

4 ソ連時代の約束が、日ロ間で引き続き適用されることを確認しました。

(東京宣言 第2項)
 日本国総理大臣及びロシア連邦大統領は、両国関係における困難な過去の遺産は克服されなければならないとの認識に共有し、
択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題について真剣な交渉を行った。双方は、この問題を歴史的・法的事実に
立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決することにより平和条約を早期に締結するよ
う交渉を継続し、もって、両国間の関係を完全に正常化すべきことに合意する。この関連で、日本国政府及びロシア連邦政府は、ロシ
ア連邦がソ連邦と国家としての継続性を有する同一の国家であり、日本国とソ連邦との間のすべての条約その他の国際約束は日
本国とロシア連邦との間で引き続き適用されることを確認する。
1993年 「日露関係に関する東京宣言」に署名する細川総理とエリツィン大統領の様子
1997年11月 クラスノヤルスク合意
 橋本龍太郎総理とエリツィン大統領の間で、「東京宣言に基づき2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことを合意。
1998年 4月 川奈合意
 エリツィン大統領が訪日し、静岡県伊東市川奈で橋本総理と会談。
「平和条約が東京宣言第2項に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けて日露の友好協力に関する
原則等を盛り込むべきこと。」で一致。
2001年 3月 イルクーツク声明
 ロシア・イルクーツクにおいて、森喜朗総理とプーチン大統領が会談し、「イルクーツク声明」に署名。

   「声明」中では、
1 1956年の日ソ共同宣言が、交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを文書で確認しました。

2 その上で、1993年の東京宣言に基づき、四島の帰属の問題を解決することにより、平和条約を締結すべきことを再確認しました。
2001年 ロシア・イルクーツクでの日露首脳会談の様子
2003年 1月 日露行動計画
 モスクワにおいて、小泉純一郎総理とプーチン大統領が会談し、日露行動計画を採択しました。
同計画及び共同声明において、北方領土問題では、過去の諸合意を基に四島の帰属の問題を解決して平和条約を可能な限り早期
に締結し、もって両国間の関係を完全に正常化すべきであるとの決意を確認しました。
2013年 4月 日露パートナーシップ共同声明
 モスクワにおいて、安倍総理とプーチン大統領が会談し、日露パートナーシップ共同声明に採択しました。

  「声明」中では、
1 第二次世界大戦後67年を経て日露間で平和条約が締結されていない状態は異常であることで一致しました。
2 両首脳の議論に付すため、平和条約問題の双方に受入れ可能な解決策を作成する交渉を加速化させるとの指示を自国の外務
  省に対し共同で与えることで合意しました。
2016年 5月 日露首脳会談
 ロシア・ソチにおいて、安倍総理とプーチン大統領が日露首脳会談を行いました。

1 双方に受入れ可能な解決策の作成に向け、「新しいアプローチ」で、交渉を精力的に進めていくとの認識を共有しました。
2 プーチン大統領から経済分野をはじめ幅広い分野での協力への関心が示され、安倍総理から、日露経済交流の促進に向け作業を
  行っていることを紹介し,8項目からなる協力プランを提示しました。

8項目:(1)健康寿命の伸長,(2)快適・清潔で住みやすく,活動しやすい都市作り,(3)中小企業交流・協力の抜本的拡大,(4)エネルギー,
(5)ロシアの産業多様化・生産性向上,(6)極東の産業振興・輸出基地化,(7)先端技術協力,(8)人的交流の抜本的拡大
2016年5月 日露首脳会談の様子
(写真提供:内閣広報室)
2016年 9月 日露首脳会談
 ロシア・ウラジオストクにおいて、安倍総理とプーチン大統領が日露首脳会談を行いました。

 安倍総理から、平和条約締結問題については、ソチでの会談を踏まえ、我々首脳同士でしっかりフォローしたい旨述べました。
その後、両首脳二人の間で、時間をかけて、真剣な中にも打ち解けた雰囲気の中で、「新しいアプローチ」に基づく交渉を具体的に
進めていく道筋が見えてくるような議論が行われました。
2016年9月 日露首脳会談の様子
(写真提供:内閣広報室)
2016年11月 日露首脳会談
 ペルー・リマにおいて、安倍総理とプーチン大統領が日露首脳会談を行いました。

1 安倍総理から、ウラジオストクの会談で時間をかけて真剣に話し合った結果を受けて,この2か月半の間、更に考えを深めて
  きたと述べました。
2 プーチン大統領から、両国外務省間で平和条約締結交渉が継続していることへの言及がありました。この問題については、その後、
  両首脳だけの間で意見交換が行われました。
2016年11月 日露首脳会談の様子
(写真提供:内閣広報室)
2016年12月 日露首脳会談
 山口県長門市及び東京において、安倍総理とプーチン大統領が日露首脳会談を行いました。

1 両首脳二人の間で、ソチ、ウラジオストク、リマでの会談を踏まえ、元島民の方々の故郷への自由な訪問、四島における日露両国
  の特別な制度の下での共同経済活動、平和条約問題について率直かつ非常に突っ込んだ議論を行いました。元島民の方々から
  託された手紙をプーチン大統領に直接伝達しました。
2 議論の結果、平和条約問題を解決する両首脳自身の真摯な決意を表明するとともに、四島において共同経済活動を行うための特
  別な制度に関する協議の開始に合意しました。北方四島の未来像を描き、その中から解決策を探し出す未来志向の発想の「新しい
  アプローチ」に基づき、平和条約締結交渉の枠の中で今後協議。また、元島民の方々が自由に墓参・故郷訪問したいとの切実な願
  いを叶えるため、人道上の理由に立脚して、あり得べき案を迅速に検討することで合意しました。
2016年12月 日露首脳会談の様子
(写真提供:内閣広報室)
2017年4月 日露首脳会談
 ロシア・モスクワにおいて、安倍総理とプーチン大統領が日露首脳会談を行いました。

昨年12月の首脳間の合意事項の具体的な進展として、以下の3点で一致しました。
(1)航空機を利用した元島民による特別墓参の実現(6月中にも実施)。
(2)共同経済活動に関する四島への官民現地調査団を派遣(5月中にも実施)。
(3)本年8月末の歯舞群島への墓参の際に追加的な出入域ポイントを設置。

こうした取組を積み重ね、四島における協力で様々な成果を出していく姿を日本人と現在四島に住んでいるロシア人が実感する
ことは、平和条約の問題の解決の意義への理解に繋がるものであり、平和条約締結に向けたプロセスの一環です。
2017年4月 日露首脳会談の様子
(写真提供:内閣広報室)
2017年7月 日露首脳会談
 ドイツ・ハンブルクにおいて、安倍総理とプーチン大統領が日露首脳会談を行いました。

本年4月のモスクワでの首脳会談における合意事項が着実に実現していることを確認し、歓迎しました。昨年12月の合意事項の
実現に向けた着実な取組みを通じて両国の信頼を深めることが、平和条約の締結につながるとの共通認識の下で議論しました。

(1)北方四島における共同経済活動
ア 6月末に派遣された官民調査団による現地調査が極めて有意義であり、今後の検討の加速につながることを確認しました。
イ 8月下旬にモスクワで外務次官級の協議を開催することで一致しました。現地調査の結果も踏まえ、9月の首脳会談に
向けて、今後必要となる法的枠組みの議論も含めて、プロジェクトの具体化に向けた議論を進めます。

(2)元島民による北方四島への往来の円滑化
ア 6月に天候を理由に実現しなかった航空機を利用した特別墓参について、双方が実現に向け十分な準備を行ったことを評価しました。
9月の適切な時期に実現すべく調整していくことで一致しました。
イ 閉じられた区域へのアクセスについても議論しました。
2017年7月 日露首脳会談の様子
(写真提供:内閣広報室)
2017年9月 日露首脳会談
 ロシア・ウラジオストクにおいて、安倍総理とプーチン大統領が日露首脳会談を行いました。

両首脳は、北方四島における共同経済活動に関し、昨年12月の首脳間の合意事項に基づく具体的な進展として、早期に
取り組むプロジェクトとして以下5件の候補を特定しました。
今後、双方の立場を害さない法的枠組みを検討し、できるものから実施していくことで一致しました。
また、これら以外のプロジェクトの可能性も引き続き協議していくこととしました。
(1)海産物の共同増養殖プロジェクト
(2)温室野菜栽培プロジェクト
(3)島の特性に応じたツアーの開発
(4)風力発電の導入
(5)ゴミの減容対策

両首脳は、5件のプロジェクト候補の検討のため、10月初めを目途に追加的な現地調査を行うこと、各プロジェクトの
具体的検討と全てのプロジェクトに共通して必要となる人の移動の枠組みに関する検討を加速することで一致しました。
これらの検討を進めるため、今後、局長級作業部会を設けることとなりました。

また、海上交通の安全確保の観点から、双方の法的立場を害さない形で、貝殻島灯台の改修プロジェクトを検討することとしました。

両首脳は、元島民の方々のための人道的措置として、アクセスが閉ざされていた国後島の瀬石周辺への墓参が8月に実現した
こと、8月末の歯舞群島墓参の際に臨時の追加的な出入域ポイントが設置されて元島民の方々の身体的負担が大きく軽減された
ことを高く評価しました。

両首脳は、9月下旬を目途に航空機を利用した特別墓参を実施することを確認しました。

安倍総理から、元島民の方々のより自由な往来に向けた協議継続を働きかけました。
2017年9月 日露首脳会談の様子
(写真提供:内閣広報室)
2017年11月 日露首脳会談
 ベトナム・ダナンにおいて、安倍総理とプーチン大統領が日露首脳会談を行いました。

両首脳は、北方四島における共同経済活動について、第2回現地調査で有意義な結果が得られたことを歓迎しました。
双方の法的立場を害さない形で、来春に向けてプロジェクトを具体化するための検討を加速させ、プロジェクトの内容に
関する作業部会及び人の移動に関する作業部会を年内に開催し、次官級協議を年明け早々にも開催することで一致しました。

また、元島民の方々のための人道的措置として、航空機による特別墓参を始め、来年以降も元島民の方々がより自由な往来を
できるよう、更なる改善策を取っていくことで一致し、早期に次官級で協議することとなりました。

テタテ会談では、平和条約締結問題について相当突っ込んだやりとりが行われました。
2017年11月 日露首脳会談の様子
(写真提供:内閣広報室)


3.最近の動きを紹介します。

鶴保大臣の当日の様子

平成29年4月14日、都道府県推進委員全国会議(独立行政法人北方領土問題対策協会主催)が開催され、鶴保北方対策担当大臣が出席しました。

高校生による表敬の様子

平成29年3月23日(木)、安倍総理大臣と鶴保北方対策担当大臣は総理大臣官邸で、第31回「北方領土を考える」高校生弁論大会で最優秀賞及び優秀賞を受賞した高校生による表敬を受けました。

安倍総理大臣と鶴保大臣の当日の様子

平成29年2月7日、安倍総理大臣及び鶴保大臣等は、「平成29年北方領土返還要求全国大会」に出席しました。

12月22日 元島民の方々と懇談の様子
(写真提供:内閣広報室)

平成28年12月22日、安倍総理大臣は、北方領土元島民の方々と懇談を行いました。

12月12日 元島民の方々と懇談の様子
(写真提供:内閣広報室)

平成28年12月12日、安倍総理大臣は、北方領土元島民の方々と懇談を行いました。

12月1日 政府要請の様子

平成28年12月1日、安倍総理大臣等は、北方領土問題の早期解決について政府要請を受けました。

北方領土返還要求中央アピール行動の様子

平成28年12月1日、鶴保大臣等は、北方領土隣接地域振興対策根室管内市町連絡協議会(北隣協)が主催する「北方領土返還要求中央アピール行動」に参加しました。

10月31日 政府要請の様子
(写真提供:内閣広報室)

平成28年10月31日、安倍総理大臣等は、北方領土返還促進に関する政府要請を受けました。

北方領土返還要求運動推進功労者の様子

平成28年10月25日、鶴保大臣は、北方領土返還要求運動推進功労者を表彰しました。



4.北方対策担当大臣の北方領土視察

・北方領土問題は、国政上重要な課題であるため、平成13年1月6日に日本の政府機構が全面的に再編された際に、北方対策を担当する特命担当大臣が設置されました。本年8月3日、江崎鐵磨衆議院議員が第20代の特命担当大臣に任命されました。
・毎年8月と2月は「北方領土返還運動全国強調月間」、2月7日は「北方領土の日」であり、全国各地で、集会、講演会等の国民運動を展開しています。

北方対策担当大臣は、就任後、必ず根室地域を訪問し、納沙布岬から北方領土を視察するとともに、元島民や地元の皆さんの声を伺って北方四島返還に向け諸課題の解決に役立てています。

※江崎大臣の「崎」は正しくは立つさき

江崎鐵磨大臣(平29.8.3~)
江崎鐵磨大臣

(納沙布岬から北方領土を視察)

鶴保庸介大臣(平28.8.3~平29.8.3)
鶴保庸介大臣

(納沙布岬から北方領土を視察)

島尻安伊子大臣(平27.10.7~平28.8.3)
島尻安伊子大臣

(根室市長の案内のもと、北方領土を視察)

山口俊一大臣(平26.9.3~平27.10.7)
山口俊一大臣

(納沙布岬にて元島民から歓迎を受ける)



5.北方領土の写真を紹介します。

(国後島の写真)


古釜布の海岸線

材木岩

材木岩手前の海岸

ローソク岩


国後島の街並み

爺々岳

羅臼山

古釜布商店街

(訪問時の写真)


古釜布湾

表敬訪問

古釜布墓地

住民交流会(人形作り)

スポーツ交流(1)

スポーツ交流(2)

ホームビジット

意見交換会

(択捉島の写真)


内岡港

散布山

紗那の街並み

乙今牛沖

トッカリモイ沖

アルトル浜沖

フシココタンの風景

紗那商店街

(訪問時の写真)


内岡港

表敬訪問(スポーツ文化会館)

紗那墓地

住民交流会(陶芸)

住民交流会(庭園作り)

文化交流(操り人形)

ホームビジット

意見交換会

(色丹島の写真)


穴間湾

穴間の街並み

斜古丹の街並み

イネモシリ沖

穴間商店街

マタコタン

能登呂海岸

相見崎沖

(訪問時の写真)


穴間湾

表敬訪問

稲茂尻墓地

斜古丹墓地

住民交流会(コンサート)

住民交流会(ヨーヨー)

ホームビジット

意見交換会

(北方四島に生息する動物)


エトピリカ

ヒグマ

モモジロコウモリ

イルカ

(北方四島に咲く花)


チシマフウロ

ハクサンチドリ

エゾコザクラ

ヒオウギアヤメ

ハマオトコヨモギ

千島桜

スミレ

ユキワリコザクラ

戦前の北方四島(写真提供:千島歯舞諸島居住者連盟)


国後島 作喜小学校の大運動会

国後島 泊村祭典

捉島 紗那村尋常高等小学校の運動会


択捉島 紗那 警察署から旗行列をする児童


色丹島 色丹小学校の運動会

勇留島 金刀比羅神社祭の模様

志発島 稲荷神社大祭

多楽島 小学校大運動会


6.島民の皆さんの声

島民の皆さんの声 四島地図

 当時、北方四島に住んでいた約17,000人の日本人のうち、約半数は自ら脱出しましたが、それ以外の島民は、1947年(昭和22年)から48年にかけて、四島から強制退去させられ、サハリンでの抑留を経て、日本に送還されました。

・昭和19年に、4才で島を出ているので、島の記憶はないが先輩達の話から、島の生活の苦労などを知り、親の生活をしのんでいる。
もっと柔軟な交渉をして(ロシアとも仲良くして)交流を深め、話し合いのできる体制を作ってほしい。

・南千島が歴史的に明確に証明できる根拠をしっかりと確立し、世界に向けて、固有の領土であることを示して欲しい。

・「北方四島は日本の領土」、齢70過ぎた今、「日本の心の古里を返して早く」と祈ります。

・北方領土が私達の古里だった事を忘れないでいて下さい。

・北方領土、我が日本の領土、どの様にお考えでしょうか。北方領土周辺の海は世界の三大漁場魚の宝庫。我が国の領土なのですから、どんどん訪問して領土解決に力をそそいで下さい。(二世)

・10才の時島を追われ70年。私も早や80才。残された時は、後少し、生きて居る内に返る日を首長くして待って居る。いつまで待てば返ってくる。

・一日でも早く返還してほしいです。

・自分が生きている間に、島を返して下さい。

・もうガマンできない。半歩でも一歩でもいい。先に明かりが見える知らせがほしい。希望の持てる交渉を切に希望する。(二世)

・戦後70年もたちましたが、いまだにソ連政府は四島を返してくれそうもありませんが、一日でも早く返して頂くように日本政府も強力に交渉して元島民の私達が元気なうちに返して頂きたいと念じております。

・「母亡くなる前に 返せ 北方領土」(二世)

・北方領土問題は、長年、関わっても解決せず。私達2世も、20~30代から、現在では50~60代と年齢が高くなり、運動の方法も転換させていかなければならないと考えています。(二世)

・北方四島ロシア人とのビザ無し交流が始まり23年、対話集会やホームビジット交流などで、相互理解深まれど平和条約一向に進まず歯がゆさ増すばかり。(二世)

・70年の時は長いですが、元島民にとってはみじかい時であり、自由に行き来が出来ず苦しい時だったと思います。
国同士の難しい問題ですが、もっともっと話し合いをし続け、お互いの気持ちを理解し合う事が大切。国(日本)のトップがもっと真剣に行動を具体的に取って我々に見せて欲しい。(二世)

・解決にはお互いにゆずる心が解決の糸口は見つかると思う。決断は国が考えればよい。元島民も従うと思う。未解決のままが一番むなしい。

(千島歯舞諸島居住者連盟ホームページ(http://www.chishima.or.jp/index.htm):一言メッセージより抜粋)



コラム 「北方四島に住むこととなった経緯」

 北方四島の開拓を目指して、移住、入植してきた人達の出身地は、歯舞群島、色丹島については北陸地方、国後島や択捉島については、東北や関東地方などの人が多いと言われています。

 北方四島に渡った者が多かった富山県民を例にあげます。
明治の終わりごろになると、富山県では漁業不振と高波や火災による災害で漁業の生活は困窮し、新しい漁場の場を求めてすでに根室、千島、羅臼方面で漁業経営者になっていた富山県出身者を頼って、大勢の方が進出されたそうです。
 島の住民のほとんどは、コンブ漁を中心に生活していましたが、コンブ漁の仕事は厳しく大変なもので、朝は5時ごろから始まり、時には子供達も手伝い、夜は月が空高く昇るまで働いたとのことです。最盛期にはたくさんのコンブが捕れ、全国に運ばれたそうです。
 冬は海が雪と氷で一面がおおわれ、コンブ漁ができない上、大変寒いので、冬は富山に帰って、春になって島へ戻る人たちもいたそうです。
 大正になると、歯舞群島や色丹島に定住する漁民も増え、「越中村」と呼ばれる村もでき、また、国後島、択捉島のほか、千島列島や樺太近海のサケ・マス漁に進出する人たちも数多く現れたそうです。

7.北方領土をめぐるご質問にお答えします。

Q1 「北方四島」とはどこに位置し、何という島々ですか?面積や高度は、どのくらいですか?

 北方四島とは、北海道北東の洋上に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島及び択捉(えとろふ)島の島々を指します。四島の総面積は5,003平方㎞です。都道府県で見ると、これに一番近い面積を持つのは、千葉県(5,158平方㎞)、福岡県(4,986平方㎞)です。四島のうち、一番大きな面積をもつ島は択捉島で、3,167平方㎞です。これは総面積の63%になります。国後島には爺爺岳(標高1,772m)が、択捉島には西単冠山(標高1,629m)等があり、山がちな地形ですが、色丹島や歯舞群島は比較的なだらかな形状をしています。

「北方四島」島々の地図
北方四島の面積
Q2 根室半島の岬から最も近い島は、どこで、その距離はどのくらいですか?
本土から北方四島までの距離

北方四島の中で最も近い島は歯舞群島の一つである貝殻島で、納沙布岬からの距離は3.7㎞です。

Q3 北方四島に行ってはいけないのですか?

 我が国固有の領土である北方領土には,現在もロシアが法的根拠なく占拠しています。こうした状況の中で、第三国の民間人が当該地域で経済活動を行うことを含め、北方領土においてあたかもロシア側の「管轄権」に服したかのごとき行為を行うこと、または、ロシア政府にビザを申請するなどあたかも北方領土に対するロシアの「管轄権」を前提としたかのごとき行為を行うことは、北方領土問題に対する我が国の立場と相容れず、容認できません。
 したがって、日本国政府は、広く日本国民に対して、1989年(平成元年)の閣議了解で、北方領土問題の解決までの間、ロシアの不法占拠の下で北方領土に入域することを行わないよう要請しています。
 ただし、特例的に日露両国間で設定された枠組みによる訪問、交流等は行われています。(Q9参照)


Q4 「北方四島が我が国固有の領土である」という根拠は何ですか?
「北方四島が我が国固有の領土である」という根拠 地図1

日露両国は、今から160年以上前の1855年2月7日に、日魯通好条約を結び、両国の国境を択捉島と、その北に位置するウルップ島の間と定めました。つまり択捉島までは日本の領土としました。

「北方四島が我が国固有の領土である」という根拠 地図2

1875年には、両国は樺太千島交換条約を結び、我が国はロシアに対して樺太全島を譲り渡す代わりに、千島列島最北部のシュムシュ島からウルップ島までの18島をロシアから譲り受けました。これにより、我が国の領土は、択捉島までの北方4島はだけでなく、ウルップ島から北の千島列島まで拡大しました。

 日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。
 それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降、北方四島が他国の領土となったことはありません。
 しかし、第二次世界大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した直後の同年8月28日から9月5日の間に北方四島のすべてを占領しました。当時、四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降今日に至るまで、ソ連、ロシアにより,法的根拠のない形で占拠が続いています。


Q5 第二次大戦終戦時に、北方四島に居た日本人は、どうなったのですか?

 当時、北方四島には約1万7千人の日本人が住んでいました。1948年までに、この全員が、ソ連により強制的に、北海道以南の日本に引き揚げさせられました。


Q6 1956年の日ソ共同宣言とはどのようなものですか?

 ソ連がサンフランシスコ平和条約への署名を拒否したため、我が国はソ連との間で平和条約交渉を別途行うこととなり、1956年、ソ連との間では日ソ共同宣言を締結して、戦争状態を終了させ、外交関係を再開しました。日ソ共同宣言は、両国の立法府での承認を受けて批准された法的拘束力を有する条約です。
 同宣言において、両国は、正常な外交関係が回復された後、平和条約の交渉を継続することとなっており、またソ連は、平和条約の締結後に歯舞群島及び色丹島を我が国に引き渡すこととなっています。


Q7 1956年当時、なぜ平和条約が締結されずに、「日ソ共同宣言」という名称の条約が締結されたのですか?

 1956年当時、日ソ両国は平和条約を締結すべく交渉を行っていましたが、我が国が一貫して返還を主張した北方四島のうち国後島及び択捉島の帰属の問題について合意が達成できなかったため、とりあえず共同宣言を締結して外交関係を回復し、平和条約交渉を継続することとして、領土問題の解決を将来にゆだねたからです。



Q8 1993年の「東京宣言」とはどのようなものですか?

 ソ連崩壊後の1993年10月、訪日したロシアのエリツィン大統領と細川護熙総理との間で署名された文書のことです。この宣言は、北方四島の歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の島名を列挙して、「北方領土問題とは、その帰属に関する問題である」と位置付けるとともに、この問題を歴史的・法的事実に立脚し、両国間で合意の上作成された諸文書、法と正義の原則を基礎として解決するという明確な交渉指針を示しています。その後、日露間においては、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという東京宣言の方針が繰り返し確認されてきています。


Q9 現在、北方四島への訪問、北方四島に住んでいる人達との交流等は行われているのですか?

 現在、我が国政府は、日本国民の皆さんに対して、ロシア側の出入域手続に従うことを始め、ロシアの求めに従う形で北方四島に入域しないよう要請しています。しかし、特例的に日露両国間で設定された以下の四つの枠組みによる訪問、交流等は行われています。

(1)北方墓参
 1964年から、元島民及びその親族による北方四島の墓地への墓参が行われています。2015年末までにのべ4,405人が訪問しました。

(2)四島交流
 1992年4月から、相互理解の増進を図り、領土問題の解決に寄与することを目的として、我が国国民と北方四島の住民との間で相互訪問が行われています。2015年末までにのべ21,298人が参加しました。

(3)自由訪問
 1999年9月から、元島民及びその家族による北方四島にある元居住地等への訪問が行われています。2015年末までにのべ3,810人が参加しました。

(4)人道支援
 北方四島の患者の受入れ等、真に人道的に必要な場合には、北方四島在住のロシア人への支援が行われています。


Q10 北方領土の日は何故定められたのですか?また、何故2月7日が選ばれたのですか?

 北方領土返還要求運動は、北方領土に隣接する北海道・根室地域から全国に展開していきましたが、北海道をはじめ運動を熱心に進めている民間の各団体から、「北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、運動の全国的な盛り上がりを図るためには『北方領土の日』を設けるべきである」、という声があがってきました。また、昭和55年(1980年)11月には、衆・参両院において全会一致で「北方領土の日」の設定を含む、北方領土問題の解決促進に関する決議が行われたのを始め、全国の地方関係団体等においても相次いで同様の決議が行われました。
 このような各方面からの強い要望を受け、政府はさらに広く関係各層の意見を聞いた上で、昭和56年(1981年)1月6日の閣議了解により、2月7日を「北方領土の日」として設定しました。
 なお、2月7日は、1855年日魯通好条約が調印された日であります。


Q11 現在、北方四島に住んでいるロシア人はどのくらいいますか?

 北方四島のうち人が住む島は択捉島、国後島、色丹島の3島で歯舞群島に居住者はおりません。各島の居住者は、2015年1月1日現在、択捉島:5,906人、国後島:7,916人、色丹島:3,006人となります。(連邦国家統計庁サハリン州局資料による)


Q12 現在、北方四島の周辺ではどのような漁業が行われていますか?
北方四島周辺の漁業

 北方四島周辺水域は豊かな水産資源に恵まれた好漁場です。
 我が国とロシアとの間では、漁業に関する政府間協定及び民間協定があり、日本の漁業者の北方四島周辺における漁業は、これらの枠組の下で行われています。北方四島周辺の12海里水域では、スケトウダラ、ホッケ、タコ等の漁業が行われ、その外側の200海里水域においてはサンマ等の漁業が行われています。この他、歯舞群島の一部である貝殻島周辺でコンブ等が漁獲されています。
 一方、ロシアの漁業者はさけ・ます漁業等を行っていることが知られています。



(北方領土返還運動推進バッジの紹介)

千島桜バッジ

「千島桜バッジ」

 北方領土返還要求運動の新たな展開を図るため、返還要求運動の統一的なシンボルとして、誰もが親しみやすく身近に感じる「花」を選び、北方領土啓発資材等に「花」をモチーフにしたイラストを使用して、北方領土問題の一層の啓発を図るとともに世論の結集に努めることを目的に広く道内から公募されました。
 応募の中から、千島という名前が直接北方領土を連想させ、「北方領土返還要求運動のシンボルの花」として、最もふさわしい花として北方四島に分布している「千島桜」が選ばれました。

ブラウンリボンバッジ

「ブラウンリボンバッジ」

 北朝鮮の拉致問題のシンボルマークとして市民権を得ているブルーリボンと同じ形の色違いのバッジです。
色は北方四島の「土地」の色であるベージュがかったブラウン(土色)で、「人の拉致」に対し北方領土問題は「土地の拉致」として、主権と尊厳を侵されている2つの大きな国際問題であるとの関心を相乗効果的に持ってもらいたいと思います。



(北方領土イメージキャラクター概要)

 エリカちゃんとお友達を紹介します。




(映画「ジョバンニの島」の紹介)

ジョバンニの島
【作品】
平成26年2月、一般社団法人日本音楽事業者協会創立50周年記念作品として公開。この映画は、北方領土の元島民であり、今も「語り部」として活躍されている得能宏氏(色丹島出身。千島連盟援護問題等専門委員)の経験を踏まえた、色丹島が舞台のアニメーション映画

【ストーリー】
北方四島のひとつ色丹島にソ連軍が進駐。二度と故郷に帰ることが出来なくなった人たちの悲しみ、父との再会を想い続ける幼い兄弟。過酷な運命に翻弄されながらも誇り高く生きる人々を描いた物語。(主人公の少年「純平」のモデルが得能宏氏)

ジョバンニの島 場面1
ジョバンニの島 場面2
ジョバンニの島 場面3
ジョバンニの島 ポスター
平成28年度からの対応
内閣府及び(独)北方領土問題対策協会では、都道府県民会議等での一般向け上映会の際のDVD使用料の負担を拡大するとともに、教育者会議での青少年を対象として学校単位で開催する非営利上映会についても、同様にDVD使用料を負担することなどとしています。


内閣府 Cabinet Office, Government of Japan〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1
電話番号 03-5253-2111(大代表)