内閣府 Cabinet Office, Government of Japan

内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  北方対策本部  >  北方領土問題~今~  >  6.島民の皆さんの声

6.島民の皆さんの声

島民の皆さんの声 四島地図

 当時、北方四島に住んでいた約17,000人の日本人のうち、約半数は自ら脱出しましたが、それ以外の島民は、1947年(昭和22年)から48年にかけて、四島から強制退去させられ、サハリンでの抑留を経て、日本に送還されました。

・昭和19年に、4才で島を出ているので、島の記憶はないが先輩達の話から、島の生活の苦労などを知り、親の生活をしのんでいる。
もっと柔軟な交渉をして(ロシアとも仲良くして)交流を深め、話し合いのできる体制を作ってほしい。

・南千島が歴史的に明確に証明できる根拠をしっかりと確立し、世界に向けて、固有の領土であることを示して欲しい。

・「北方四島は日本の領土」、齢70過ぎた今、「日本の心の古里を返して早く」と祈ります。

・北方領土が私達の古里だった事を忘れないでいて下さい。

・北方領土、我が日本の領土、どの様にお考えでしょうか。北方領土周辺の海は世界の三大漁場魚の宝庫。我が国の領土なのですから、どんどん訪問して領土解決に力をそそいで下さい。(二世)

・10才の時島を追われ70年。私も早や80才。残された時は、後少し、生きて居る内に返る日を首長くして待って居る。いつまで待てば返ってくる。

・一日でも早く返還してほしいです。

・自分が生きている間に、島を返して下さい。

・もうガマンできない。半歩でも一歩でもいい。先に明かりが見える知らせがほしい。希望の持てる交渉を切に希望する。(二世)

・戦後70年もたちましたが、いまだにソ連政府は四島を返してくれそうもありませんが、一日でも早く返して頂くように日本政府も強力に交渉して元島民の私達が元気なうちに返して頂きたいと念じております。

・「母亡くなる前に 返せ 北方領土」(二世)

・北方領土問題は、長年、関わっても解決せず。私達2世も、20~30代から、現在では50~60代と年齢が高くなり、運動の方法も転換させていかなければならないと考えています。(二世)

・北方四島ロシア人とのビザ無し交流が始まり23年、対話集会やホームビジット交流などで、相互理解深まれど平和条約一向に進まず歯がゆさ増すばかり。(二世)

・70年の時は長いですが、元島民にとってはみじかい時であり、自由に行き来が出来ず苦しい時だったと思います。
国同士の難しい問題ですが、もっともっと話し合いをし続け、お互いの気持ちを理解し合う事が大切。国(日本)のトップがもっと真剣に行動を具体的に取って我々に見せて欲しい。(二世)

・解決にはお互いにゆずる心が解決の糸口は見つかると思う。決断は国が考えればよい。元島民も従うと思う。未解決のままが一番むなしい。

(千島歯舞諸島居住者連盟ホームページ(http://www.chishima.or.jp/index.htm):一言メッセージより抜粋)



コラム 「北方四島に住むこととなった経緯」

 北方四島の開拓を目指して、移住、入植してきた人達の出身地は、歯舞群島、色丹島については北陸地方、国後島や択捉島については、東北や関東地方などの人が多いと言われています。

 北方四島に渡った者が多かった富山県民を例にあげます。
明治の終わりごろになると、富山県では漁業不振と高波や火災による災害で漁業の生活は困窮し、新しい漁場の場を求めてすでに根室、千島、羅臼方面で漁業経営者になっていた富山県出身者を頼って、大勢の方が進出されたそうです。
 島の住民のほとんどは、コンブ漁を中心に生活していましたが、コンブ漁の仕事は厳しく大変なもので、朝は5時ごろから始まり、時には子供達も手伝い、夜は月が空高く昇るまで働いたとのことです。最盛期にはたくさんのコンブが捕れ、全国に運ばれたそうです。
 冬は海が雪と氷で一面がおおわれ、コンブ漁ができない上、大変寒いので、冬は富山に帰って、春になって島へ戻る人たちもいたそうです。
 大正になると、歯舞群島や色丹島に定住する漁民も増え、「越中村」と呼ばれる村もでき、また、国後島、択捉島のほか、千島列島や樺太近海のサケ・マス漁に進出する人たちも数多く現れたそうです。
内閣府 Cabinet Office, Government of Japan〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1
電話番号 03-5253-2111(大代表)