第5回構造改革特区に関する意見交換会 議事概要

1. 日時

平成15年2月6日(木)15:00〜17:40

2. 場所

永田町合同庁舎総合規制改革会議大会議室

3. 出席者
(委員等)

八代主査、鈴木委員、福井専門委員

(事務局)

河野審議官、千代参事官、宮川室長 他

(内閣官房構造改革特区推進室)

檜木参事官 他

(関係省庁)

略 (下記議事次第参照)


議事次第


議事概要

厚生労働省との意見交換

(青柳参事官)規制改革については、総合規制改革会議で昨年12月12日に御答申いただきました「第2次答申」に基づき、着実に実施しているところ。例えば、昨年の第2次答申の際におしかりを受けた保険者によるレセプトの審査につきましても、昨年の12月25日に関係の通知を出し改善を図り、その際に個人情報の保護ということも徹底を図ったところ。昨年の12月の時点からさほど時間が経っていないこともあり、基本的にはその間の事情は変わっていないと思っている。そのため、本日お示しした回答も多くが第2次答申でお示しいただいた方向で着実にこれを進めるという内容になっており、年度末に予定されている3か年計画の再改定に向けて引き続き少しでも実効を挙げていこうと思っている。
 なお、本日の特区WGの問題意識との関係で言うと、第2次答申で方向が出たものはそれでいいが、特区でそれを先行・前倒しできないかという問題意識をお持ちでないかと推察できるが、その点で一言申し上げたい。
 一点目は、医療福祉の分野は、規制改革の影響が特区の域内にとどまらず他の地域に波及するというのが多い。二点目に、特に安全性という面で問題がないのであれば、逆に特区に限定するということは、特区外の患者を始めとする利用者に対し不均衡が生じるという意味で、もし安全性に問題がないのであれば全国で行うべきではないか。3点目として、安全性に問題があるのであれば、特区内で先行して実施するということは、言葉は悪いが、人体実験をするかのようなものになりかねないという懸念がある。
 いずれにしても、こういった問題が少なからず存在するため、実施するなら全国で実施せざるを得ないことを御賢察願いたい。

(その後、厚生労働省より資料に沿って概要説明。)

(八代主査)今の御発言は特区というものを全く評価されていない。特区というものは、あくまでも全国的な規制改革に先行して、今ある様々な規制の問題点を解決するための一つの手段である。厚生労働省が所管する医療・福祉に関する現状の制度が、仮に最善であって、これ以上改善の余地が全くないのであれば特区をやるのは不適当というのはそのとおりであるが、現実には多くの問題点が指摘されている。改善の余地があるにもかかわらず、それを必ず全国でやらなければならないというのは、結局のところ改善を遅らせることにしかならないのではないか。また、現に医療技術や新薬の技術は日進月歩であり、その成果を取り入れるためには、全国一律ではなく、特定の病院で専門家が治験などの手段で試してみて、それがうまくいけば全国の病院で使うということをされている。なぜ、医療制度自体についても同じことができないのか。慎重な代替措置を通じた上で、医者が特区の中の病院で新しい医療制度を試してみるということは、より良い医療サービスを国民に提供するための有力な手段であり、なぜこれを全面的に否定しなければならないかということは全く理解できない。
 また、絶対安全なる医療というものは存在せず、ある程度リスクを負わなければどのような治療も行えないのではないか。例えば、救急救命士の業務範囲の問題についても、医者でなければ一切チューブを入れてはいけないということがいいか悪いかということは先見的には決められない。病院に行くまでに患者が死ぬかもしれないリスクと、患者が救急救命士にチューブを入れてもらうことにより被害を受けるリスクの双方を考慮しなければならない。その時に、どういう制度を作るべきかは試行錯誤の過程が必要となる。それを人体実験というのであれば、今の制度のままに放置しておくことも、求められている新しい医療制度を試すことを拒否するいう意味での不作為の人体実験をしていると言えるのではないか。特区というのは医療・福祉も決して例外ではないということの御認識を共有させていただきたい。

(鈴木委員)医療業務への労働者派遣の容認についてであるが、私が答申をまとめるに際して、まずは社会福祉施設で実施し、ステップ・バイ・ステップで医療機関にやらせて欲しいという議論はなかった。医療機関への派遣について「検討」としたものである。もっとはっきり言うと、医師・看護婦という専門職が派遣労働に最も適しているが、医師・看護婦の医療機関への派遣ということからスタートすると抵抗があるので、まず医師・看護師以外のコメディカルからという貴省の意向をくんで、どの職種から始めるかと言う意味で「検討」としたまでのことである。このことは、第1次答申で言っている。やるかやらないかの検討だという理解では、特区の議論でもそもそも論になって議論が進まない。その点をまず明らかにしてもらいたい。

(八代主査)全体の規制改革とは別に、特区でそれを先行でやることで、全体としての規制改革の議論に役立てるということは何ら矛盾しないため、第2次答申の議論とは切り離して議論いただきたい。そもそも、なぜ医療関係者の派遣というのが医療では認められないのかというのが全く分からない。例えば、チーム医療だからだめであるということであるが、派遣というのは元々専門的な国家資格を有する人については最も適した分野と考えられており、その人たちがなぜ必ず常用労働者でなければならないのか全く根拠が分からない。

(中島課長)今後について言えば、当面社会福祉施設等において第一段階やらせていただいて、その状況を見て、平成16年度中に結論を出すという理解の下で検討していきたいと考えている。次に、専門性を資格で担保しているから派遣に適しているのではないかということについては、確かにそうした考え方もあると思うが、医療が特定の有資格者だけで完結するものではない、つまり医者一人だけで完結しないという性質があり、またその結果が生命・人体にかかわるということで、その他の専門職種と趣が違うと思われる。

(八代主査)まさに完結しないからこそ派遣が必要なのではないか。例えば、中小の病院では、必要な専門的な医師を全員そろえることはできない。このため、派遣を使うことでチーム医療が完結するのではないのか。

(中島課長)これまでの我が国の医療機関というのはそういう形ではなくて、個々の医療機関がスタッフをそろえた上で医療機関として成立してやっている。

(八代主査)中小の病院で本当にそうしたことが言えるのか。例えば、中小の病院では必ず麻酔医を持っているのか。

(中島課長)もちろん応援を頼むことはある。

(八代主査)その応援の一形態として派遣を使ってなぜいけないのか。

(中島課長)応援と派遣は違うものであると考えている。派遣は、派遣元が誰を派遣するかを決めて、派遣してもらう側は人選ができない点が、応援と違う。

(八代主査)応援してもらう側は本当に人選しているのか。誰でもいいから来て欲しいという状況ではないのか。

(中島課長)そんなことはないと思う。応援してもらう側もこうした状況なのでこうした人をということを言って応援してもらうという、基本的な信頼関係があると思う。

(八代主査)そんな良い状況なら別に派遣を使わなければいいのであって、そうしたいい状況にない病院もたくさんあるはず。そうした場合の一つのオプションとして、派遣を認めるという方が、全く誰も来ないよりもいいのではないか。話を聞いていると、非常に理想的な状況を想定して派遣を認めないとおっしゃっているが、今の病院はそんな理想的な状況ではないのではないか。当直医が1人しかいないといった報道もあり、極端な人手不足の中でそれを少しでも改善するために派遣制度を認めないといえるほどの公益性がどこにあるのか。

(青柳参事官)第2次答申の際にも議論があったと思うが、現時点で特定の職種に人手不足があるという御指摘は否定するものではない。その職種をどのように確保するかは我々が責任を持って対策を講じなければならないことについても認識のずれはないと思う。その際、派遣というオプションに頼らなくても確保できるのであれば頼らなくなくてもいいというのが我々の認識である。

(八代主査)現に頼らなくてもいいほど医師がいるのか。中小の病院では常勤のいろんなタイプの医師がいないので、応援を頼んでいると聞いている。派遣というのは、応援をシステマティックにするための一つの手段である。それに依存しなくてもいいのであれば結構だが、なぜ一律それを禁止しなければいけないのか。

(青柳参事官)先ほど申し上げたとおり、そもそもスタッフをそろえてから医療をやるというのが、基本的な方針であり、スタッフをそろわないところで幅広い医療をやってもらうために派遣を行うというのは、物事の順序がひっくり返っていると思う。

(八代主査)今の考えこそひっくり返っているのであって、現に全てのスタッフを抱えている病院がどれだけあるのか。麻酔医は複数の病院を掛け持ちしていると聞いているが、その点を認識していないのか。

(榮畑課長)派遣の問題は、派遣元の選択にかかるわけで、派遣を受ける側が人を選べないことが問題と認識している。

(八代主査)派遣元が専門的な資格をもつ人を派遣するのが派遣の仕組みであって、きちっとした派遣元を選べばいいのである。今おっしゃっている派遣は全ての派遣元がいい加減であることを前提にされているのではないか。

(榮畑課長)チーム医療でやっているので、チームに適する人を固有名詞付きで選べないと問題が生じるおそれがある。

(八代主査)今の応援の仕組みでは選べるのか。病院では、医師も一方的に医局から送られて自分で選択できないと聞いている。どちらにしても、そうした理想的な状況であれば派遣は使わなくてもいいが、中小の病院ではそうでないところがいっぱいあるという状況があるので、派遣制度というオプションを認めてもいいのではないか。おっしゃっていることは、そんな状況に全くないので、派遣を認める必要性はないというロジックか。

(榮畑課長)将来とも派遣の議論がないということではない。我々も昨年12月の答申を真摯に受け止めているところ。

(八代主査)そういう悠長なことを言っている場合ではないのではないか。医師の不足は現実の問題ではないのか。現に医療過誤とかの問題が起こっている中で、その原因の一つに人員の不足ということはないのか。

(榮畑課長)医療過誤、医療安全対策をどうするかということと派遣の問題は別の問題ではないか。派遣のあるなしにかかわらず医療過誤対策をやっていかなければならないと認識している。

(八代主査)もちろんそうであるが、その中の一つの対策として中小の病院が専門家を得られるような仕組みを作るということが、なぜ将来の問題であって現在の問題でないとおっしゃるのか。

(榮畑課長)専門家を得られるような仕組みを作らなければならないとは思っているが、派遣は人を選べないということを考えると、派遣を第一優先順位を考えるよりは、この人をと選べる現在の制度の方がいいのではないか。

(福井専門委員)派遣を第一優先順位とすべきという主張をしているのではなく、派遣を一つのオプションに加えたらという前提であるので、その点御理解いただきたい。派遣元を信頼して、こういうチーム医療するのでこれに適した人を送って欲しい、固有名詞にはこだわらないという病院がある時に、それでもそのニーズに対しても派遣をすることは禁止するのか。そういうことを希望する医療機関にまで禁止する合理性はどこにあるのか。

(榮畑課長)派遣ではチームを構成できないということである。結局、指揮をとる医師と派遣された医師との間の円滑な意思の疎通が必要である。

(八代主査)なぜ、派遣会社が十分質を保証した医師を送ってきてもチーム医療ができないのか。

(中島課長)もちろん最初に来たときには状況が分からないことは事実であるが、複数回来ることでチームワークが養われるものである。派遣では、医師を選べないから、毎回違う人が来ることにより、初任によるトラブルが起こるリスクを毎回負うことになりかねないということが問題であると思われる。

(福井専門委員)医療チームというのは顔を見知って以心伝心でなければならないという御趣旨に聞こえるが、そんなことはないのではないか。チームを組むということは、一定の専門技術を分かちあえるという連携がとれるということ。その連携がとれるという性能発注を派遣元に対して行い、それを信頼ある派遣元が保証したときにそれでもチームが組めないというところは頼まなければいい。しかし、それでチームが組めるというところに、派遣はけしからんという合理性が分からないので、再度お教えいただきたい。

(中島課長)自動車のようにスペックですべて決まるわけではなく、スペックが保証されていることに加え、コミュニケーションなどが必要である。一定程度積み重なった状態でチームとしての力が出るのであって、スペックが保証されているからいいということにはならない。その慣れた状態での安全というのが今の医療機関において通常期待されているレベルであるから、それから考えると派遣は問題があるのではないか。

(福井専門委員)今比べるべきは、どこからも医師が来てくれないかもしれない中小の病院に、医師が全然来てくれないよりも、一定の性能水準を満たす人が来てくれる方がまだましでないかという道をなぜ閉ざさないといけないのか。

(八代主査)今回の第2次答申では、社会福祉施設でOKということであるが、社会福祉施設ではチーム医療を行わないということか。

(中島課長)社会福祉施設で提供される医療は限定されているので、そこではいいのではないかということ。

(八代主査)それは一種の実験をしているということか。

(中島課長)これまでの形態から言えば新しい試みをするということになる。

(八代主査)では同じ試みをなぜ特区でやってはいけないのか。例えば、小規模のチーム医療のところからといったように。

(青柳参事官)そもそも社会福祉施設は生命・身体に直ちに危険の及ぶ医療行為はできないということであるから、実験といっても自ずと程度に違いがある。

(八代主査)チーム医療というのは常用雇用者しかだめということで、およそ試すことすらしないということであるか。

(榮畑課長)先ほどから申し上げているとおり、先の第2次答申にあるとおり、「派遣について検討し、結論を得るべきである」ということで、真摯に受け止めてやっていかなければならないと思っている。

(鈴木委員)その点について、派遣制度そもそもの是非について再度議論をやろうということか。このことは、先ほど申し上げたとおり第1次答申において解決済みであり、せいぜい検討することと言えば、どこから始めようかということであるはずだが、根本から検討を始めるということか。

(榮畑課長)もちろんこれまで積み重ねられた議論は真摯に受け止めて、それを念頭に置きながら議論していかなければならないと思っている。

(鈴木委員)それでは、今までおっしゃっていたそもそも論の議論は特区だからということでされていたものと理解していいのか。

(榮畑課長)全国単位の規制改革については、昨年の第2次答申を受けて真剣に検討しようと思っている。

(福井専門委員)総論に関連して、安全に関して人体実験ができないとおっしゃったが、安全に関して厚生労働省が所管されている分野が他の特区対象となっている分野の安全性とは違うということか。例えば、農業分野の株式会社参入についても、農業は食の安全に密接に関係するものであり、また、環境規制、土地利用規制にしても、安全という観点からすれば医療に勝るとも劣らないものである。それらの分野と医療とどう違うのか。

(青柳参事官)端的に言えば、人体に対する侵襲性の違いは歴然としていると思う。つまり、人体を直接むしばんでいるという作用が、同じ安全性という言葉で一括りにはできないのではないかと思う。

(福井専門委員)大気汚染や水質汚濁は人体をむしばまないのか。

(青柳参事官)環境というのは、長い間人体に蓄積して人体をむしばむことはあると思うが、医療の場合は、その行為そのものが、例えば薬の副作用という形で端的に示されるように、命が助かるか副作用が生じるかという意味での直裁的な危険性があるという点で同列で論じるのはいかがなものか。

(福井専門委員)断絶しているという意味か。

(青柳参事官)連続性はどこかにあるかもしれないが、基本的には質の違うものと認識している。

(福井専門委員)例えば、環境汚染で人体をむしばまれた人はそれを直すために医療にかかるのではないか。同じことを別の形でやるということではないか。また、食の安全について農業の株式会社参入ということがあるが、株式会社が食の安全を確保できるかということもあり、もし体をむしばまれる人がいたら医療にかかるわけであるが。

(青柳参事官)食の安全と一言で言っても、食品衛生法に定める食品の提供や販売についても株式会社にもできるということで、その限りにおいては株式会社に委ねられているということだと思う。

(福井専門委員)何らかの意味で連続していることは認めていただけると思うが、例えば医療になると安全性の観点から一切だめだと聞こえるが、その医療と他の分野との違いがやはりよく分からない。

(青柳参事官)直接体に働きかけるという点では、間接的に摂取するものとは違う。

(福井専門委員)先ほど原爆医療に関してアメリカでは日本の医師を単純には医療に携わらせないとおっしゃったが、そのアメリカの措置は正しいという認識なのか。

(青柳参事官)各国が非常にリジットな医療制度を設けており、それぞれの国の政策判断を尊重すべきではないかと思う。我が国では、外国の医師が日本でも医療できる例外を設けており、一概に外国人医師に日本で医療をさせていないわけではないということを御理解いただきたい。

(八代主査)ほとんどさせていないに等しいのではないか。今ある臨床修練制度は途上国の医師に日本の技術を教える仕組みであり、日本の患者が先進国のよりよい医療技術に触れるというものとは本質的に趣旨が違う。アメリカでさせないから日本でもさせないというのは、厚生労働省の立場であるが、アメリカのいい医療を受けたいという患者のニーズに対してどう答えるのか。

(榮畑課長)前回の特区の要望においても、神戸市が外国人医師を認めて欲しいという話があり、何度も議論した結果、現行の臨床修練制度の下で、外国人の持っておられる技術を日本の医師に提供することも含めできるという整理をしたところ。

(八代主査)それでは不十分であるから、新しい要望が来たのではないか。ある意味で法律の趣旨をゆがめて、適用拡大ということで認めたのであろうが、本来は堂々とアメリカに行かなくても、日本でアメリカの優れた技術を持った医師の治療を受けたいということがあるが、どうしてそうした患者のニーズは認められないのか。

(中島課長)特定の外国人医師を招聘する場合、その医師が一定の技術水準にあるのかというのを確かめないといけないわけであり、そうした中で臨床修練制度を設けている。

(福井専門委員)能力、経験等の一定の基準を設けてそれを満たせば医療ができるとすればいいのではないか。臨床修練制度の中ではなく、普通に外国人医師が診断するのではなぜまずいのか。

(榮畑課長)その人の技量等を精査する仕組みがないと、外国で免許があるというだけで日本でも医療ができるというわけにはいかない。その審査の仕組みとして臨床修練制度というものがある。

(八代主査)臨床修練制度は、日本の医師が責任を持ってその指導の下で途上国の医師が医療を行うというものであるが、それでは責任の持ち方に問題がある。例えば、日本の医師が持っていない技術を有する米国の医師が来て手術をする時に、その責任は日本の医師が持つことになるのではないか。

(中島課長)現行の臨床修練制度では、指導医の責任になる。

(八代主査)このケースでは指導医は実際上責任がとれない。だから、厚生労働省が認定した米国の優れた医師に対し医療行為を認めることがどうしてできないのか。

(福井専門委員)臨床修練制度は、指導医が外国人医師よりも優れた医療技術を持っているということが前提にあるのではないか。日本人が指導できないような優れた技術を持った外国人医師がいるのに、日本では医療をさせない合理性がどこにあるのか。指導できないような高度医療技術を持った外国人に対し、未熟な指導医が責任を持つということはあり得ないのではないか。にもかかわらず、責任を持つということは、高度な医療を指導する指導医が日本人であるということはその制度の想定外なのではないか。

(中島課長)今回の措置は今までの解釈を拡張していることは事実である。

(福井専門委員)なぜ指導医が責任をとれない高度医療を個別に認めて、直接その人の責任でできることとすることを禁止する必要があるのか。

(中島課長)設けるべきではないといっているわけではない。

(八代主査)だから特区でやることを検討して欲しい。

(榮畑課長)責任の話であるが、刑法に触れる行為をした場合には、責任は外国人医師にも及ぶことになる。

(福井専門委員)指導医について、指導責任として民事上免れることにはならないのではないか。

(榮畑課長)民事上は、事故があった場合は医療機関の責任となる。

(福井専門委員)最後は誰が負担するのか。

(中島課長)事故に応じて責任が変わってくる。

(福井専門委員)指導医が指導する立場でかかわる以上、指導医が一切免責になるわけではないはずである。そこが問題であって、指導医が責任を持てないような高度な医療が行われる場合、その人自身の責任でもって執刀できるという制度があってもいいのではないか。

(青柳参事官)ある外国人がどこにでも行って医療を行っていいというわけではなく、ある医療機関で診療を行うことがセットになっている制度であり、医療機関は臨床修練する外国人に誰を指導医につけるかを含め医療機関として責任をとる必要がある。このため、仮に民事の賠償責任があれば医療機関に責任がある。これはどんなに技術の高い人が来ても医療機関の責任を免れない。それを免れるような形での受け入れをしろと言われても方法がないのではないかと思う。

(福井専門委員)医療機関に雇われる場合は雇用関係があるのでそうだと思うが、例えば、個人の資格として手術をすることができないわけであるが、なぜそれがあってはいけないのか。

(青柳参事官)臨床修練制度においては、病院が、外国人医師を受け入れて、例えば言葉やコミュニケーションや生活のバックアップをできるような組織でないと実効が挙がらないであろうということが念頭にあり、それを含めた全体の医療機関の責任を前提に外国人を受け入れているものである。

(福井専門委員)途上国向けの研修という現行の臨床修練制度と日本の技術にはない先進的なものを受けさせるのでは種類の違うものであり、これらを一緒にして、制度として何とかなっているということにはならないのではないか。

(青柳参事官)いずれにしても、そうしたことが可能な医療設備や機能を持った病院かということをチェックしないといけない。優れた外国人医師が複数の病院を回る制度ではない。

(福井専門委員)個別に医師の技量等を審査すれば認める余地があるのではないのか。もう一つ、日本に住んでいる患者が渡米するケースがある。その一方で、アメリカに住んでいる日本人がアメリカ人医師に診療を受けるケースがある。なぜ同じ日本人で線を引かなければいけないのか。

(中島課長)基本的には、日本で医療を受ける以上は日本の医療水準というものを保証する必要があるためである。

(福井専門委員)患者自身にアメリカ人医師に来てもらい医療を受けたいというニーズがあり、外国人医師の技術水準が確認できる場合、それでも外国人医師による医療を認めない合理的根拠は何か。

(青柳参事官)技術水準を確認できると言われるが、誰がどういう責任において確認できるかという前提がそもそも成り立たないのではないか。

(福井専門委員)厚生労働省がされている医師免許が一定の水準として認めているというのと同じレベルということ。

(青柳参事官)例えば、アメリカで医師免許を持っている人が日本の医療を熟知していることにはならない以上、つまり、アメリカで医療をすることは支障ないが、アメリカの医師免許を持っているからといって日本でスルーパスで医療が行えるということにはならないというのが免許の性格であると思う。

(福井専門委員)医療技術以外にどういう支障があるのか。

(青柳参事官)例えば、言葉の問題、コミュニケーションギャップの問題、一定の手術をした後の制度的な受け入れの問題など総体的な対応ができるよう、病院単位で受け入れをしているというのが現状である。

(福井専門委員)それであれば、コミュニケーションに支障のない英語のできる医師団をつけて、その後のケアも予め聞いて何が必要かということを医師団も熟知できれば何が問題があるのか。

(榮畑課長)それをまさに臨床修練制度の枠組みでやっている。

(福井専門委員)臨床修練制度は途上国向けで責任も医療機関にしか負えないものであり、それではかみ合わないのではないか。

(八代主査)途上国から医師を受け入れるということを前提にできた制度であり、たとえアメリカから医師を受け入れたからといって日本人が指導するという仕組みになっていることが問題である。

(榮畑課長)臨床修練制度は弾力的に使える制度であり、途上国から医師を受け入れる場合は医療技術等に関し指導しなければならないが、先進的な技術を持つ医師を受け入れた場合は福井先生が言われたようなケースを考えていただければいい。

(八代主査)ルーズな制度だから今の仕組みのままでもできるということか。次に、ホームヘルパー等による医行為の容認についてであるが、これも患者側の立場が全く欠落している。介護サービスの利用者は、少なくとも家族ができることはホームヘルパーにもやってもらいたいと思っているが、それがなぜいけないのか。また、これに限らないことであるが、医療行為の定義がない。医療行為は医師がやるものであり、例えば、爪を切ることすら医療行為と定義されるおそれがある。ホームヘルパーにとっては、これをやったら医師法で罰せられるのではないかというリスクにおびえながら常に業務を行っているわけで、この状態を何とかできないのか。ホームヘルパーのできる医療の範囲を明確にするということを特区でまずして欲しいという要望になぜ応えることができないのか。

(中島課長)現在、ALS患者に対する痰の吸引というのが非常に差し迫った問題であるため、これについてまず検討しているところ。医師がやるから医行為ということではなく、医師がやらないと危険であるというものについて医行為として考えている。

(八代主査)そういう抽象的な話ではなく、具体的にこれは医行為だと言っていただかないと非常に不都合があるということ。例えば、爪切りは医行為ではないと言って欲しいということ。

(中島課長)例えば、爪を切る行為全てを医行為でないというわけにはいかず、個別個別で判断してきたところ。爪を切るといってもつめの周囲に感染症が起こっている場合、つめを切る行為自体が治療と定義され医行為になるわけである。だから、単に爪切りという言葉ではそういうところまで入ってしまうので、個別個別で対応している。

(八代主査)感染症のおそれがある周辺での爪切りは医行為であるとはっきり書き分ければいいではないか。

(中島課長)わかりやすい書きぶりができればいいが、これまで議論があったようであるがうまく書き分けられていない。

(八代主査)それは行政の不作為ではないか。医行為として行っていいこととそうではないことを文書で明確にすべきではないか。しかもそれを全国ベースでいきなりやると、想定もしなかったことが起こる危険があるので、まず特区でやってみてその成果を見て全国ベースでやるべきではないのか。

(榮畑課長)これまで、こうした行為はしてもいいかということを聞かれた場合、逐次回答しているが、その努力は引き続きする必要があるが、それをやるなら全国的にやるべきだと思う。

(八代主査)もちろん全国で直ちにやってもらえるならそれに越したことはない。あと、厚生労働省に一々お伺いをたてたら教えてやるというのが、裁量行政そのものではないか。本来ホームページで公開するものである。

(榮畑課長)様々な個々の医行為の中で線を引くことはなかなかできず、御指摘のあるものについては一つ一つ整理していく。

(福井専門委員)限界事例を完全に書き分けることは難しいが、明らかにこれは大丈夫というものぐらいはすぐに示せるのではないか。

(榮畑課長)既にやっている。

(八代主査)どういう形でそれを示しているのか。

(榮畑課長)個々の行為が医行為になるかどうかについて聞かれた場合には教えている。

(福井専門委員)これまで回答されたものが残っているのであれば、それをさしあたりホームページで公開すればいいのではないか。

(中島課長)警察において捜査上聞かれたような事例を除き、公開できる。

(福井専門委員)警察の照会についても、特定の人名や事件名を除いて、○○の行為が医行為であるということで一般化して公開すればいいではないか。

(八代主査)特区が嫌なら全国でやっていただきたいと思う。

(八代主査)次に、株式会社による医療分野への参入について、先ほども説明があったように、もうけ主義の医療をやってはいけないということで厚生労働省は禁止されているが、こうした精神論と実際の行為にギャップがあるのではないか。つまり、医療法でいう営利主義が配当行為に矮小化されており、配当すれば営利行為であり、配当しなければ非営利行為といった雑な営利性の定義となっている。そうではなく、もっと行為で営利性を定義して欲しい。例えば、医師の応召義務が医療の公共性を示す一番いい典型例であるが、こういう場合が応召義務違反であるといった具体例があるのか。こうした行為規制をさしおいて、単に配当してはいけないということで医療の非営利性が担保できるという楽観論がどこから来ているのか、教えていただきたい。
 また、医療法人も資金調達をすることが必要であるが、銀行借り入れをした時には利子を払わないといけないが、赤字の法人は利子を払うために過剰診療等のインセンティブが働きやすい。他方、配当は赤字の場合は払わなくてもよく、その点ではこちらの方が医療の公共性の面に見合っているとも言える。配当という直接金融はだめで、銀行借り入れという間接金融はいいという理屈は何なのか。
 さらに、患者の利益や医療の公共性というのは誰が判断するのか。現状の規制は厚生労働省が一方的に判断しているが、患者が株式会社の病院に行きたいと言っているのになぜそれを排除するのか。情報公開、医療評価が進み、もう患者が病院を選ぶことはできるのではないか。

(榮畑課長)株式会社における医療機関経営を認めれば過剰診療や収益性の高い医療分野への集中により医療費負担の増大や医療の質の低下を招くおそれがある。

(八代主査)今の医療法人は過剰診療や収益性の高い分野に集中していないのか。例えば、小児医療を切り捨てるなどしていないのか。

(榮畑課長)株式会社の本質は、利潤を追求することにある。

(八代主査)医療法人は利潤を追求していないのか。

(榮畑課長)利益の追求は、医療法人の本質ではない。

(八代主査)医療法人は個人の財産で病院を作っているものであり、内部留保して医療機械を購入したり新しい病院を作ったりしているのではないか。

(榮畑課長)医療機関に充当されているということであればいい。

(八代主査)であれば、株式会社も利益を医療機関の経営にあてればいいということになるのか。

(榮畑課長)そうはならない。医療法人は全て再投資に回るが、株式会社は利益の一部を配当に回す。

(八代主査)配当は資金調達のコストである。医療法人も銀行借り入れをすれば利子を払ってその分再投資できない。株式でも銀行借り入れでも、同じ医療外流出するのではないか。

(榮畑課長)株式会社は本質的に配当するものであり、その点銀行借り入れと株式は違う。

(鈴木委員)一昨年の医師会の資料でも、配当は社外流出であると言っていた。医療法人の場合に比べ、株式会社の場合は配当分だけコスト高になると言っているが、そういうことならば医療法人について利子は経費に参入するべきだ。そんなことも分かっていないのか。

(渡延課長)資金調達の手段といっても、直接金融と間接金融が択一的なものではない。株式会社であってもそれを併用している場合が多く、むしろ間接金融によって調達している場合が多い。利子と配当の関係であるが、利子は費用として計上して、それを除いて剰余がでてくる。かつ出ていく条件は借り入れた時に決まっている。一方、配当は剰余の中から行い、剰余が大きければ配当も大きくなるもの。

(福井専門委員)話を戻すが、医療外にお金が流出するのがよくないというテーゼをお持ちだが、配当も利子も会計原則が何であろうが、とにかく流出している。その機能は、お金を調達したことの対価である点について何も変わらない。その点について、何の違いがあるのかが分からない。

(榮畑課長)配当も利子も医療外流出しているわけであるが、借金を前提として医療法人制度のあり方を考えるのか、配当を前提としている株式会社制度を考えるのかというのでは土俵が違うのではないのか。

(八代主査)配当と利子はどちらも医療外に流出しているという点は同じとお答えいただいたことを記録に残した上で、他に御意見は。

(鈴木主査)検討していると言われており、私も研究会に参加した。私の感触としては、どう考えてもNOという回答を出すための仕組みとしか思えなかったのだが。研究会から回答が出てきたらどう利用されるつもりか。

(渡延課長)鈴木先生がお見えになって以降、大いに議論しているわけであるが、株式参入について、賛成、反対、検証できないため今の時点どちらとも言えないという意見様々あるが、その過程の中で、株式会社のメリットとして言われている、資金調達の多様化、効率的な経営等について、株式会社だけで解決できるもの、株式会社でも解決できるが他の方途によっても解決できるものといった整理ができるのではないかという議論もあった。医療法人制度については、医療を永続的・安定的に行うための法人のシステムとして特別に作られているものであるから、この中で対応できるものについては是非まとめてやっていきたい。

(八代主査)むしろそういう問題のたて方がおかしい。株式会社を入れるかどうかは消費者の選択であり、株式会社を入れてはこうした不利益が生じるため絶対だめだということを貴省が立証すべき。当方としては、あくまでも消費者の選択肢を広げて欲しいということ。病院関係者の研究会で検討されたところで、本質的な解決にはならない。そうした研究会とは別に、この問題については解決して欲しい。

(鈴木委員)誤解のないように言うが、医療法人を止めて全て株式会社にしろと言っているわけではない。また、医療法人のうち株式会社にしても意味がないのがあることも分かっている。ただ、株式会社にしてメリットがあって、デメリットがない場合には門戸を開いて欲しいということであって、そのメリット、デメリットを議論しようとしているのである。

(福井専門委員)前のヒアリングの議論で、現在ある62の株式会社で営利法人であることで何の問題も発生していないという御答弁があったと思うが、今も変わりないか。

(榮畑課長)何の問題も発生していないといったつもりはないが、株式会社立病院で何か医療安全上の問題があったとは聞いていないと言ったと思う。

(福井専門委員)それでは、本日の資料に書いてある過剰診療や収益性の高い医療分野への集中といった現象は起こっているのか。

(榮畑課長)成り立ちの違うものを同じ土俵で議論するのはおかしいのではないか。

(福井専門委員)再度質問する。

(榮畑課長)現在それを判断する材料を持ち合わせていない。

(福井専門委員)調べてもいないのか。

(榮畑課長)新たに株式会社立病院を認めていこうというのは、病院で収益を得ようとするものを認めることであり、現在ある従業員の福利厚生を目的とし収益を目的としていない今ある株式会社立病院と比べても意味がない。

(福井専門委員)調べる意思があるのか。

(榮畑課長)調べる意思はない。

(福井専門委員)成り立ちが違うとどうして比べる必要がないのか。

(榮畑課長)現在ある病院は収益を目的としてやっている病院ではなく、親会社の福利厚生目的でやっているので、土俵が違う。

(福井専門委員)これらの病院は一般開放していないのか。

(榮畑課長)一般開放している。しかし、そういう目的でやっているので、親会社から出資、経費の補填等を受けて運営しているものであり、そもそも違う。

(福井専門委員)一般開放はどのぐらいの比率でやっているのか。

(榮畑課長)まちまちであるが、高い割合で行っているところもある。

(福井専門委員)高くやっているところは、企業の福祉病院的な意味合いとは違う機能を果たしているのではないか。

(榮畑課長)そういうところでも、親会社からの出資など、有形、無形の支援を受けている。

(福井専門委員)有形、無形の支援を受けていたらなぜ比べてはいけないのか。

(渡延課長)先ほど鈴木委員からお話があったように、選択肢としての株式会社であり、かつ医療法人が全部だめというわけではなく上々相当の大きいところを想定し株式会社の持つガバナンス機能等をフルに発揮できるものを一つの選択肢として御提示になっているものと理解している。その際の議論の材料として、現在我が国では実例はない、では外国ではどうかということでは、ベースとなるファイナンスの仕組みが違い、にわかに比較できない。また、62の株式会社についても比較しがたい。

(福井専門委員)株式会社についておよそ参入を認めたら、過剰診療や収益性の高い医療分野への集中により医療費負担が増えると言われるが、親会社から何らかの援助を受けている者は別物だということか。病院経営を主目的としなければ株式会社でもかまわないのか。

(八代主査)これだけ厳しい規制をやり、問題となりながら、何ら実証的な根拠もなく抽象的な理由だけで規制することで本当にいいのか。だからこそ、特区でやろうということであって、特区においてもやるまでもなくだめだという実証的な根拠もなく、株式会社は金儲けをし、医療法人はそうではないという抽象的な議論をするのは行政の不作為としか言いようがないのではないか。

(鈴木主査)私は全ての医療法人を株式会社にしろと言っているのではない。全てを株式会社にすると、中小診療所などにとって逆にマイナスになるおそれがあることも十分理解している。その上で、特区において、株式会社での経営にふさわしいものが株式会社で経営すると言ってきた場合にも、厚生労働省は近づけない聖域というのか、伺いたい。

(福井専門委員)62病院は配当していないということはないのではないか。

(榮畑課長)配当については親会社が一本で配当しているのであり、病院独自で配当しているものはない。

(福井専門委員)親会社が配当する病院であれば今後も株式会社でかまわないということか。

(榮畑課長)ここで申し上げているのは、福利厚生目的で従来やってきている病院を認めてきているということ。

(福井専門委員)どうして今株式会社が同じような形態で参入したら何か弊害があるのか。また、原理的に親会社が支援していれば、なぜおっしゃっている弊害が発生しないことになるのか。さらに、元々の由来が福利厚生目的であった株式会社が今は親会社の従業員以外の人を診療してもなぜおっしゃる弊害が発生しないのか。これらについてつじつまの合う説明を後で紙でいただけないか。

(榮畑課長)提出する。

(八代主査)次に、保険診療と保険外診療の併用について、保険外診療の併用を認めると医療費が増えるということだが、これは保険外診療を認めると追加的な保険診療が誘発されるということで、医療費が増えるという論理と考えていいのか。

(武田室長)今自由診療でやっているもの、全額自己負担でやっているものを特定療養費制度で認めるとすれば、一部保険が入るので、見た目そもそも保険を払っていなかったものが対象になるコスト増が生じる。一方、それによってもっと受けやすくなることによる先生御指摘の内容もあろうかと思う。

(八代主査)混合診療を認めることは、負担ができる人とできない人の格差ができ、不公平だとおっしゃってきたと思うが、今説明を受けたことは全く逆で、大金持ちだけが質の高いサービスを受けられる、もしそれを特定療養費などの形で一部保険適用を受けたとしたら所得の低い人でもいい治療を受けられるが、これは医療費が増えることになるから、いくら公平性があってもできないということでいいのか。

(武田室長)国民が必要な医療は保険でカバーし、保健証一枚でだれでも受けることができるという考え方を基本としており、現在必要な医療は保険診療でカバーしているはずである。

(八代主査)実際そうでないから多くの人が自由診療を求めている。現に保健医療費の制約があるので、なかなか新しい技術の医療サービスを選べないのである。医療費が大変なことは分かるが、その制約の中で質の高い医療を奨励することがなぜいけないのか。また、厚生労働省が全て決めるのが問題で、現場の医師や患者が、保険診療の範囲を超えてよりよい医療を求めることはいけないのか。全ての医療は公的保険でやらないといけないとすると、医療の技術が進歩すれば医療保険はパンクしてしまう。

(武田室長)自由診療は質が高いかどうかは議論が分かれるところであると思うが、新しい技術を国民が利用できるようにすることは我々も考えているところであり、その一つとして、特定療養費制度を作り、大学病院などが新技術を入れる場合この部分だけは保険でということはしている。この特定療養費制度、特に高度先進医療制度に関しては、見直しの議論を始めているところである。新しい技術を入れることによる医療費の増加は国民医療を保障する上で、ある程度あり得ることだと思っている。一方、財政状況が厳しいということもあり、まだ技術が成熟していないものについては御本人に負担いただいている。
 これらのことは、厚生労働省が医療の専門家に御審議いただき決めている。

(八代主査)高度先進医療だけでなく普通の医療についても、現場の医師は、保険診療の枠に厳格に当てはまらないと全て自由診療となってしまうことで困っている。もっと現場の医者に診療行為選択の自由度を与えてもいいのではないのか。

(武田室長)保険診療の世界には、御指摘のような回数や日数を制限しているものがある。これらはあくまで一定の公的財源を使う以上は無尽蔵に使うことはできないという理由からである。

(八代主査)それは認めているが、なぜわずかに保険診療から出た部分のみを患者が負担することがいけないのか。

(武田室長)この特定療養費制度を創設した時には、あくまで患者が選択できるものに限定的に認めていこうとしており、医療の内容にわたるものについて患者選択で差額を認めるのは難しい。

(八代主査)患者の同意の上で、医者の選択であってもいけないのか。それを無制限に認めるというわけではなく、特区の中でしかも特定の質の高い病院のみ認めるというもの。仮に病院が過剰診療等をしたら許可を剥奪するなどの厳しい条件の下でもっと弾力的に医療を行ってはいけないのか。特区がだめなら全国でやってもらってもかまわないが。

(武田室長)医療保険制度は全国一律でやっており、また、財源的にもいろんな保険料財源と公的財源が組み合わされており、その地域だけの財源というわけではないので、本当に対応するということになれば全国でやっていきたい。内容については、本当に患者選択に委ねて適当かどうか一つ一つ議論していくことが必要だろう。

(八代主査)個別の医療行為の選択を質の高い病院の裁量にある程度任せてはいけないのか。

(武田室長)個々の病院に委ねるということが現在の保険の考え方に合わないと思われる。

(八代主査)保険は一律でいいが、保険診療の上に自己負担により患者が同意の上で医療を受けることがなぜいけないのか。医者というのは専門職であり、能力の差がある。質の高い信用行為を行なえる医者が保険診療とは違うやり方でよりよい診療をしたいときに、なぜ保険外診療の併用ができないのか。

(武田室長)保険であるからには一定のルールが必要であり、本当に患者にとって必要なことであれば、むしろ保険者全体に適用することが必要なのではないかと思う。

(八代主査)患者には多様性があり、全国で適用できないケースもある。例外的なケースをいっている。

(福井専門委員)個別の事情に委ねて何の支障が生じるのか。全部厚生労働省が決めなければならないわけではないのではないか。高度な医療機関の裁量に委ねた方がいい場合もあるのではないか。

(武田室長)特区の提案でも、個別の議論というものよりは、そもそも特定療養費制度によらず個別に患者からお金を取らせてくれという提案が多いものであるので、それについては個別に特定療養費の中で対応していくことが可能かどうかを検討するのが筋であると思う。

(八代主査)特定療養費で認められたら、その品目の範囲ではどこの病院でも使えるわけであるが、我々は、そうではなく、質のいい病院に限定にして個別の品目に限定せずあらゆる医療サービスを対象とする方がいいのではないかと考えている。その方が医療の質の向上に資するのではないか。そのように品目で切るのではなく、病院の質で切ることについてはどのように考えているのか。

(武田室長)特定療養費制度において、なかには対象医療機関を限っているものもある。高度先進医療などがそうであるが、その要件を緩めていこうと考えている。質の高い病院という判断は何を基準にするかが難しい。

(八代主査)その点を解決しないと、全ての医療機関を平等に扱わざるを得ず、医療の質の向上はない。

(青柳参事官)医療保険制度を前提で考える限り、各医療機関が均質のサービスを提供できるという前提に立たないといけない。その一方で、医療技術の高度化への対応について、高度先進医療に代表される特定療養費制度を作ってきた。これがベストでないという議論があろうかと思うが、医療保険制度と医療技術を両立させる仕組みと御理解いただきたいと思う。

(八代主査)高度医療技術の進歩という狭い面だけでなく、医療サービスの多様性という点で、公的保険をベースにしつつ、もう少し弾力的に対応するというのが保険外診療との併用ということである。

(青柳参事官)そもそも医療技術のかなりの部分が個々の医師の裁量に委ねられているのが実態。特定の薬であるとか特定の施術を限定しているというのは、経験則に定まった標準的な治療との乖離が大きいものや、医療経済的にみて問題の大きいものに例外的に限定されていると御理解していただいた方がいいと思う。

(福井専門委員)一律に規制しなくても、患者が納得して自由診療でやるとなれば、医療経済の論拠はなくなる。また、患者の納得についても一定の類型といった枠をはめるとおっしゃるような心配もなくなると思う。また、保険診療の均質を保障しているとおっしゃったが、それはミニマムであり、それに上ずみする分は患者と医師の信頼関係の下で裁量があってしかるべきだと思う。

(青柳参事官)医療自体情報の非対称性を持っているがために、本当に適当な医療かどうかを誰がどう判断するのかという問題がつきまとっている。

(八代主査)信頼できる医師のいる高度の病院に限って認めればいいのではないか。

(青柳参事官)それをどう担保できるかどうかが問題であるが、今の特定療養費制度で高度先進医療という誰でも納得できる仕組みの中で対応している。

(八代主査)それを高度先進医療だけでなく、一般の医療についてもお願いしたいということ。

(青柳参事官)基本的には個々の医師がどういう治療計画でやるのかというのは、多くは医師の裁量が任されており、投薬の回数等が限定されているものは、むしろ例外的だと受け止めていただいた方がいいと思う。

(福井専門委員)例えば、ピロリ菌の除去について、患者の自己決定に任されているわけである。その度合いをもっとフレキシビリティを持たせればいいということにすぎない。

(青柳参事官)今まさに福井先生がおっしゃったように、医療現場は患者と医師のコミュニケーションの下個々の医療が行われているわけであり、保険で縛っているものは、よほどはみ出さないもの以外はそれそれの選択で動いていると御理解いただきたい。

(福井専門委員)保険を越えたものはオプションとしてそれを併せて認めて何が悪いのか。一律、保険か保険外かの二者択一を迫るのはおかしいのではないか。

(青柳参事官)選択を認めてルールを定めているものが特定療養費制度であり、それを全てに認めると、医療費のコストの問題に跳ね返ってきたり、情報の非対称性の問題が生じる。

(八代主査)いずれにしても、おっしゃるような画一的な皆保険だけに限定していれば、医者の技術向上のインセンティブはゼロだと思うが、この問題についてどう考えるか。

(武田室長)均質な医療を保障するという原則の上で、例えば、今回の診療報酬改定において、手術の回数の多いところと少ないところで点数に差を設けるなどの変化を付けることで対応してきている。

(鈴木主査)混合診療については、特定療養費制度の拡大で第二次答申で御了解いただいたというのは間違い。特定療養費制度の拡大はそれはそれとして結構だが、もう一つの道として、ボトムアップの道が必要だし、将来的にはボトムアップにウエイトをつけたいと思っている。もう一つ聞きたいが、法律ではなく通達を乱発して規制するのはいかがなものか。

(八代主査)次の幼保一元化について、これは非常に要望が強く、幼稚園と保育園とは所管が違うが機能はほとんど同じになっているので、もっと徹底的にやっていくべきではないか。全国的には連携を強化する方向でとのことであったが、特区ではさらにその先も行い、その結果を踏まえ全国的に拾うかどうか検討するべきではないか。

(福井専門委員)幼保一元化の資料について、調理室の共同利用を認める方向とあるが、何と何の共同利用ということか。

(高井課長)まず、両方の機能が同じになっているという御指摘については、私は、時間的にも教育だけではないという点についても大きく機能は違うと思うが、一方で現場でのニーズもあるので弾力的に対応していきたい。調理室については、学校の調理施設と保育所の調理室を共同利用することを考えている。

(福井専門委員)保育園の敷地の中にない調理室ということか。

(高井課長)そうではなくて学校の中の余裕教室に保育所を設置するということであるから、保育所の敷地の中にあるものを利用するということ。

(福井専門委員)例えば、近所に老人ホームの調理室があるとか、共同給食センターがある場合はどうなのか。

(高井課長)社会福祉施設については、同一の敷地内である場合は認めているので、同列で論じられる範囲内については今回検討する。

(福井専門委員)同一の敷地でないとだめなのか。

(高井課長)そこは同一敷地とは書いてなかったと思うが、同一の法人が行う場合に、一定のルール、基準が書いてあるので、それと同列で論じられるものについては範囲を広げようということ。

(福井専門委員)同列というのは、距離的に近いということか。

(高井課長)併設する場合ということなので、原則同一敷地内である。

(福井専門委員)前回のヒアリングでは、栄養価が大事であるとおっしゃるので、それだったら栄養価の基準さえ決めておけば、別に集中調理センターから運んできても構わないのではないかという議論をしたが、それについてはどうお考えか。

(高井課長)前回は栄養面、衛生面の話をした。

(福井専門委員)そこは分けて、まず栄養面の話について、栄養面の論拠については今のような議論についてはどうお考えか。

(高井課長)栄養面はいかなる場合も担保されていなければいけない。

(福井専門委員)「栄養面のために、絶対に同一敷地内に存在する必要がある」ということではないのですね。

(高井課長)同一敷地内にあるのは、栄養面、衛生面の両方の観点からです。

(福井専門委員)同一敷地内になくても栄養面や衛生面を確保することは可能であり、現にほかの土地の学校給食センターから学校に給食を運んできているものも文部科学省の所管では多くあり、できないという技術的な問題はないと思う。それは論拠にならないという理解でいいか。

(高井課長)栄養面は大丈夫だと思う。

(福井専門委員)残る論点は、前回の御回答によれば「食事は単にお腹をいっぱいにするという行為ではなく、調理の過程を理解するものであり、これを理解しないと大人になってもきちんとした家庭を作ることができない」という見解は今も変わらないのか。

(高井課長)食事を通じて子供の健やかな育成を図るという点を強調したと思うが、その他に・・・。

(福井専門委員)前回は調理室を見せるということが、ちゃんとした大人になる条件だと言っていたが、そこは変わっていないか。

(高井課長)そこは変わっていない。

(福井専門委員)調理室の調理現場を見せるような通達を出されているのか。

(高井課長)そうしたものはない。

(福井専門委員)私の調査によれば、調理室には入らせない保育園の方が多い。それはどうお考えか。

(高井課長)入ったら衛生面で問題があるから入らせていないということだと思う。それは外から見えるようにしたり、調理した人が食事を持ってきていろいろと話をしたり、においが入ってくるようにしている。

(福井専門委員)シースルーな調理室でなければいけないという基準になっているのか。

(高井課長)そうはなっていないが、そういう風に工夫してやっているところが多い。

(福井専門委員)工夫は自由でよい。見えるように、あるいは、においがかげるようになっているから同じ敷地内になければいけないとおっしゃるから、それだったら、法令なり通達なりで、見えるように、におうように、調理師さんが出てきて栄養価の説明をしたり直に子供と触れ合うということをなぜ指導されないのか。

(高井課長)現に調理室があることによって自ずとそこで調理されて教育されている。

(福井専門委員)私は子どもが調理室を見ていない例を聞いているからいうのであって、おっしゃる論法ではそうした保育園はけしからんということであり、どうして厳しく取り締まらないのか。私の子供が通う保育園では調理室に近づくなと明確に指導している。そういうのは許せない保育園ということになるのではないか。

(高井課長)調理室に近づくなという訳ではなく、調理室に入ると衛生上問題があるから入るなということはあると思う。近づくなとは言っていないと思う。

(福井専門委員)もしそれが事実であって、確信のある理論に基づくものであるならば、ちゃんと見えるようにしろとか、においとか、調理師のおばさんとの触れ合いとか、しかるべき文書にして、通達なり規則なりで指導しないと一貫性がないと思う。

(八代主査)なぜそれを強調するかというと、今最大の問題は認可保育所が不足しているということにある。この認可保育所のひとつの制約要因として調理室を必ず置かなければならないという規制がある。調理室の制約がなければもっとたくさんの保育所が作れるという場合に、調理室も大事だが、認可保育所に入れない子供の方がよほど大事ではないかということ。そういう点で取り上げているのであり、御検討いただきたい。

(福井専門委員)本当に調理室がそれほど重要であるならばちゃんと指導する姿勢を示して頂きたい。姿勢を示すのがあまりにも恥ずかしいと、躊躇するのであれば、本当に調理室の設置が必要なのかという原点に立ち戻って、本当は意味がないと心の中では半分くらい考えているだろうが、それであれば、きちんと改善して頂きたい。

(高井課長)持ち帰って検討する。ただ一言言わせて頂きますが、自分は100%大事だと思っており、半分くらい疑っているわけではない。

(福井専門委員)それなら規則なり、通達なりで、調理室がシースルーであること、においがかげること、調理師が出てきて指導することが必要であることを、明文にして世の中に問うて頂きたい。世の中がどういう反応をするかということを試されたらよい。こういう密室の議論ではなく。

(高井課長)この議論も公開で、インターネットで議事録が載るのではないか。

(福井専門委員)保母さんは知らないし、インターネットで見ないではないか。明確に各保育園の全ての保母さん、園長先生、調理師さんに伝わるように公文書で流すべき。そういう議論が世に出て、まともに通ると本気でお考えならばという留保付きだが。

農林水産省との意見交換

(八代主査)農業を営む株式会社にとり農地は必要不可欠な生産手段である。是非とも責任をもって農業を営もうとしている株式会社が農地を取得し、所有することができるような仕組みを導入して頂きたい。

(佐藤構造改善課長)今般の構造改革特別区域法に基づき、既に大幅な規制緩和措置を講じたところであり、この制度は来る4月から動き出すことになる。このため、現時点で、しかるべき検証、評価も行われていないのにもかかわらず、株式会社による所有権の取得を認めるのは時期尚早に過ぎるのではないか。

(八代主査)それでは、今後、具体的にどのような評価を想定しているのか。

(佐藤構造改善課長)いくつかの企業において農業経営を開始する動きがある旨、聞いているところ、そうした動きを、今後、十分に見極めていく必要あり。

(八代主査)評価の基準をどう考えているのか。

(佐藤構造改善課長)少なくとも所有権を認めた場合にどのような弊害が出てくるのか、十分考慮しておく必要がある。

(八代主査)特区として認められている地域はもともと休耕地が多く、荒廃が進んでいることから、これ以上、現状より悪化するというケースは殆ど想定されないのではないか。悪くても、結局、元の状態に戻るだけではないか。

(佐藤構造改善課長)経営陣が変わった結果、耕作放棄という事態になり、何も手当てがなされない、また、場合によっては産業廃棄物等の問題が生じたり、というケースが想定される。

(八代主査)耕作放棄は、現に、むしろ、高齢化した自作農の方に生じているのではないか。何故に株式会社の方が耕作放棄に係るリスクが高いと言えるのか。

(佐藤構造改善課長)農業経営自体の収益性が低く、その低さの故、株主への利益還元という観点から、儲からないものは止めようというケースが出てくる。

(八代主査)零細な自作農と近代的で多額の資金を有している株式会社との間では、元々生産効率性が違うのだから、株式会社においてはたとえ配当を出したとしても十分な生産性を確保できる能力はある筈である。さもなければ、敢えて参入してこないわけであり、御指摘のような懸念は当たらないのではないか。むしろ、自作農とのイコールフッティングという観点から、株式会社に対する農地取得を認めることは、当然ではないか。

(福井専門委員)そもそも株式会社が低収益であるとおっしゃるのであれば、今回やったこと自体の自己否定にもつながりうるのではないか。

(佐藤構造改善課長)所有権ということになると、権限が強い上に、不可逆的な場面が生じてくる。現行制度の下では、これに対する対応が困難になってしまう。市町村の賃貸方式だから何かあった時に容易に原状回復ができると言うことで制度化した。

(福井専門委員)耕作放棄と転用について申し上げれば、高齢者で後継ぎがいないようなところでは、独り株式会社のみがアプリ・オリにダメだと断言することは出来ないはず。それが心配であれば過疎地の農地についても一定の規律が必要になることを考えるべき。かかる観点からすれば、株式会社の土地所有だけはアウトというのは全く合理性を欠く。いずれにせよ、今、荒廃している土地を使用して行うのであれば失敗しても影響はない。

(佐藤構造改善課長)特区だけで全ての問題が解決されるとは思っていない。現在、農業経営基盤強化促進法案について与党と調整中であるが、現時点で考えているのは、特定遊休農地については所有者に届出を義務付けることとし、届出を行わない場合には過料を徴収するという仕組みである。

(福井専門委員)それを株式会社にも同様に適用すれば同じ効果が得られるのではないか。

(佐藤構造改善課長)あくまで届出を求めるものであるに過ぎず、耕作放棄して、いずれ何らかの転用のときまで待つというようなケースについては、一定の限界があり、やはり今後の運用状況を十分フォローしていく必要がある。

(福井専門委員)一定の限界があるのであれば、そもそもやっても無意味である。限界があるとおっしゃるのであれば、実効性が上がるようにした上で、株式会社も対象に追加すればよいのではないか。これにより、一律に株式会社を排除する必要はなくなるのではないか。

(佐藤構造改善課長)法制的な面と実態的な面の双方からのアプローチが必要であると考えている。規制改革推進3ヵ年計画の趣旨も踏まえ、今回の基盤法の改正で企業からの出資割合を一定の条件の下に拡大し、農業生産法人による多様な経営展開を図ることとしている。

(福井専門委員)それはそれで結構だが、ここの論点は「所有」で何が問題なのかということである。やはり、所有が認められ、企業マインドを有する主体が参入してくることにより、新たな人材や資本が投入されるような状況を創出すべきである。転用や中止を懸念しているのであれば、土地利用規制を課すのが一つ、もう一つは買戻し権の付与という手法、このいずれか又は双方により対処すべし。

(八代主査)問題は農地法等の本来の転用に関する規制が守られていないということ、だから、それを強化すべしという点は、本体の規制改革でも求めているところ。ポイントは、株式会社も自作農も等しく厳格に規制する一方で、参入は等しく認めて貰いたい、ということ。自作農に対しては農地の転用を規制できないから、せめて株式会社だけは締め出しておこうという非常に非効率、不合理な規制になる理由は一体どこにあるのか。

(佐藤構造改善課長)制度論的に、これ以上の規制ができるのか、と言う点については憲法問題との関係もあり、極めて難しい問題であると認識している。買戻しについても誰が買い戻しをするのか。一旦、所有権を取得しているわけだから、買戻しには売買代金の支払いが必要になる。その財産的な基盤をどう手当てするのか、という法制面での問題、経済面での問題を十分考える必要がある。転用についても、個人と株式会社は法制面においては何ら区別をしていない。これまで資本力の相違に着目しつつ、農地規制が行われてきたという経緯もあり、この点については容易に結論が得られないのが実情である。

(八代主査)その「資本力の相違」という点について、詳細に御説明頂きたい。

(佐藤構造改善課長)昭和40年代の列島改造のときにも投機が大きな問題になった。

(八代主査)このデフレの時代に、列島改造の時期を引き合いに出すのはいかがなものか。

(福井専門委員)そもそも列島改造の時期には、株式会社のみならず、個人地主の投機も激しかった。会社のみならず、個人も土地投機に明け暮れていたのが実情である。土地投機は絶対的に法人の方が多いという統計は存在しない。会社だけが投機するというのはテストされえないドグマであり、そのような議論はお止めになったほうがよい。会社だろうが、個人であろうが一律にキッチリ規制する。買戻しをめぐる問題については、自治体として、特区に手を上げてきている以上は、本当に農業生産を維持したいという覚悟を持ち合わせているということだろう。ついては、農業生産の維持のために、その責任を最後まで果たして買い戻しをするということも十分ありうるわけであり、これに対して最初からストップをかけてしまう必要はない。必要とあらば、買戻しの価額を引き下げるというぺナルティを課することも可能である。規制に関連し、資本の差というのは理解できないし、株式会社異質論に基づきこれを排除することについては、検証された命題がない以上、そろそろ放棄した上で、個人も株式会社も同様の取扱いにすればよい。一定の条件をつけるのはかまわないが、本当に株式会社が土地投機や農地としての使用中止をするのか、一度実験すればよい。しかも、その実験場所は休耕地で現状より少しでも良くなれば「儲けもの」とでもいうべき荒廃した地域とした上で、御指摘のような事態が本当に生じうるのか、テストしてみたらよい。誰も迷惑しないだろう。

(佐藤構造改善課長)決して株式会社が必ず不正なことをやると申し上げているわけではない。株主構成の変化に伴い、営利追求の姿勢がより鮮明になり、農業を止めてしまうという懸念はあることから、株式会社に対する一定の制限が設けられているのが実情である。株式会社が社会的に不正行為をすると問題視しているわけではない。

(福井専門委員)耕作放棄等について個人よりも株式会社の方が程度が高いことを示す検証されたデータはあるのか。単なる認識を前提に区別することには合理性がないのではないか。

(佐藤構造改善課長)株式が転々流通するから株主構成が変わってしまうことは念頭に置いて頂く必要がある。

(福井専門委員)だからこそ、土地利用規制の導入、買戻し権の設定が必要不可欠になってくるのではないか。

(佐藤構造改善課長)しかしながら、その部分が本当に、実行上、うまく行くことになるのか、疑問である。

(福井専門委員)うまく行くのか疑問であるとは言え、元々荒廃しているのだから、それ以上悪化することはない。

(佐藤構造改善課長)不可逆性を考慮する必要はある。元々荒廃しているからというのは乱暴ではないか。

(福井専門委員)特区だから、失敗してうまく行かないということが普遍的に明らかになれば、爾後、やらなければよい。このような観点から、特区においては実験が可能なわけだから、その実験をしたらどうか、という点を指摘しているのだ。
 また、株式会社に農業を認めること自体が罷りならぬとする、一昔前の原理的な議論から全く変わっていない。今般、改革に向けてせっかく第一歩を踏み出されるのであれば、もっと明確に方針を切り替えた方がよいのではないか。懸念があるというのであれば、現に荒廃しているところに限定して試行してみればよい。しかも、その場合には、土地を買い戻す必要性が生じた場合にはペナルティが発生するような「買戻し権」を設定する、厳しい土地利用規制を受認するという内諾を得た上で規制を課するという手法もありうる。そのような選択肢もありうるのに、何故にそこまで拒むのか、理解に苦しむ。

(佐藤構造改善課長)一つお尋ねしておきたい。賃借権でも十分対応可能なのに、何故に「リスク」を冒してまで「所有権」にこだわる必要があるのか。

(八代主査)その「リスク」について、そもそもどういうリスクがあるのか、と言う点を訊いている次第である。

(福井専門委員)弊害があれば教えて頂きたい、というのが出発点である。所有権が認められていないというのは土地利用を行う上での極めて重要な規制であり、利用形態の多様性を制限する措置なので、それは回復した方がよい。通常の土地利用は殆ど借地ではなく、所有で行われている。これには理由がある。民法の法制もさることながら、自分の所有であれば、自分の計画に基づき、自由な収益、自由な効用が得られる。借地については、返せばよいという意味においてキャピタルロスが生じないものの、一定の制約が伴うものであることは明らかである。このような点を考慮すれば、農地に限って、しかも株式会社に対象を限定して、所有を許容せず、というのは現在の我が国における土地利用秩序の重大な例外であると言わざるを得ない。その例外がどうしても必要であるというのであればその根拠を、そして具体的な弊害をキッチリ実証的に示して頂く必要があるということである。そして弊害を防止するための措置が存在することも明示的に申し上げているのだから、これを実施した場合においてさらなる弊害が生じるとおっしゃるのあれば、それを具体的にお示し頂きたい。

(佐藤構造改善課長)当該措置が法制面、実態面でなかなか実質的に機能しえないから、問題であると申し上げている。現時点においても、関連制度が存在し、現行以上に転用規制を強化することは困難である。

(福井専門委員)そこまでおっしゃるのであれば、規制の問題はさて置くとして、買戻し権についてはどうか。これであれば民事の契約により可能になるのではないか。

(佐藤構造改善課長)民事の契約であれば誰が買い戻すことになるのか。市町村としても財政的に対応は困難。

(八代主査)特区の責任者が買い戻すことになる。いずれにせよ、担保措置が講じられれば差し支えないということか。

(佐藤構造改善課長)担保措置ができれば、所有権をめぐる法制的な問題はクリアーになるものと考える。

(福井専門委員)そもそも論で邪魔をせずに、具体的な支障が存在しないような特区については、是非、新たな障害を設けないで頂きたい。問題は株式会社による農業経営が出来るのか否かではなく、所有を認めた場合において何か具体の支障が生じうるのか、生じうるとすれば何か、そしてそれが著しく公益に反するというのであれば、それについて議論しよう、ということである。そしてこの点については、一定の条件が満たされれば支障がないということが明らかになったものと考える。いずれにせよ、その点について異論があれば御指摘頂きたい。

(八代主査)弊害を生ぜしめないようにするための一定の担保措置を講じることができれば、所有権を認めてもよい、という御判断であると解してよいか。

(佐藤構造改善課長)それが本当にできるのであれば、そのような論理的帰結になると思われるが、実際問題としては、なかなか難しいのではないか。

(八代主査)それを特区の中でやればどうかということ。全国的にやれと言っているのではない。それこそ「水かけ論」になるので、とりあえず、担保措置が出来れば差し支えない、という御趣旨である旨、理解したということを申し上げておく。いずれにせよ、これが本当に出来るかどうかは別問題であり、出来なければこの話はご破算になるということではあるが。
 それからもう一つ重要な問題がある。農地保有の下限面積の件である。これは株式会社には限らない話であるが、道は2ヘクタール、都府県は50アールという基準があるので、市民農園のようなものが出来にくいという問題がある。本件については、以前意見交換したときに、関係法律案と併せて検討するということになっていたが、本件をめぐる現在の状況についておうかがいしたい。

(佐藤農村政策課長)―資料「構造改革特区の第2次答申に対する農林水産省の回答」に基づき説明―

(八代主査)措置内容にある省令はいつできるのか。

(佐藤農村政策課長)3月中には内容を確定させたいと考えている。

(八代主査)その内容については、特区推進室と協議されるということでよいか。

(佐藤農村政策課長)しかり。引き続き、農山村地域における土地利用に関する課題を整理しているので、これを踏まえてこの省令の内容についても検討しており、現在作業中である。

(八代主査)いつから施行していただけるのか。4月からか。

(佐藤農村政策課長)出来れば来年度の早い時期から。

(特区推進室)当室から検討依頼していたのは、面積要件の引き下げについて、そのレベルを全国一律に設定するのか、あるいは、地域の実情を踏まえて柔軟に設定できるようにするのか、という点である。出来るだけ速やかに検討の内容をお知らせ頂きたい。

(八代主査)この類の案件については、最初から自治体に任せておけばよいという気もするが、検討を進めて頂いているのであれば、速やかに対応して頂きたい。

以上


内閣府 総合規制改革会議