第2分科会「高齢社会フォーラム・イン東京」

「シニアの就業/就活・起業の推進」

 平成24年からの3年間で、戦後生まれのいわゆる「団塊の世代」が65歳に達し、65歳以上の方が毎年100万人以上増加する見込みです。今後の高齢社会においては、シニアが社会の有力な担い手であり、生涯現役社会の実現に向け、シニアの就業拡大と起業・仕事づくりについて考えます。

コーディネーター
仁木 賢
高齢者活躍支援協議会事務局長、高齢社企画室長
■パネリスト
長嶋 俊三
前高齢・障害者雇用支援機構、元「エルダー」編集長
水野 嘉女
無料職業紹介所みなと*しごと55所長
渡辺 豊博
グラウンドワーク三島代表
第2分科会の様子

〔はじめに/分科会の趣旨説明〕

仁木:第2分科会コーディネーターの仁木でございます。さて、午前中の示唆に富んだいくつかの報告によって、私たちは日本社会の高齢化、少子化の深刻な様相を実感しましたが、その中でも興味深い数字がたくさん示されました。一つはこの5年間に65歳以上の人口が360万人増加をしたということ、また、一世帯当たりの構成人員が2.46人となったという報告もありました。つまり、3世代同居などという家族構成は夢の世界となったわけです。さらに、15歳から64歳までの生産年齢人口がこの5年間で300万人以上低下している数字を直視すれば、労働力としてのシニアの活用がいかに求められているかということが浮かび上がり、豊かな人生を過ごすためには「働く」という形の社会参加がキーワードになってきます。そういう観点から今日はシニアの就業、就活さらには起業ということを皆さんといっしょに考えてみたいと思います。このテーマに基づき、3人のパネリストからそれぞれ関わってこられた分野からご発言を頂き、後ほど会場の皆さんと一緒に意見交換する中で、今日のテーマを深めていきたいと考えます。

 それでは、シニア就業誌『エルダー』の元編集長、長嶋俊三さんに口火を切って頂きましょう。長嶋さんがこれまで携わってこられた高齢・障害者雇用支援機構という行政の立場からとらえた高齢者の就業の問題、あるいは長年現場を取材する中で見えてきた高齢者の働く現状などについて、どうぞお話下さい。

〔各パネリストからの報告〕

◆長嶋 俊三(前高齢・障害者雇用支援機構、元「エルダー」編集長)

○第2の就活・起業をどうする

 高齢・障害者雇用支援機構をこの6月に退職しまして、言わば素浪人ですから今日のこのテーマでお話するのにふさわしいかなと思っています。私は、今ご紹介がありましたように雑誌『エルダー』で長い間、現場を飛び回ってきました。その中で感じたことは中小企業が高齢者雇用の問題も含めて変わりつつあるということです。技術的に高いレベルの会社が淘汰されて残っており、世界から注目されているのは大企業よりむしろ中小企業でしょう。

 東京三鷹市にある社員70名ほどの会社の技術を求めて、海外から研修にやってくる、ということが実際に起きています。つまりロボットではなし得ない精巧な手作りの技術に世界の関心が高まっているわけです。今日のテーマである高齢者の就活ということを考えますと、まず企業の将来像というものを見ていく必要があります。

 昔のように大企業から中小企業へ再就職、という構図は描けなくなっています。リーマンショック以後企業は変わったといわれますが、ではどのように変わったのか、その方向を見定めながら、第2の就活ということを考えていきたいと思います。

○成熟社会に入った日本

 この6月、厚労省の「今後の高年齢者雇用に関する研究会」(座長:清家篤慶大塾長)では、65歳定年制は時期尚早という結論を出しました。これはおそらく産業界から要請があり、そう結論せざるを得なかったからだと思われます。しかし、厚労省や、私が最近までおりました高齢・障害者雇用支援機構の高齢事業本部の中では、あくまでも70歳まで働ける社会づくりを目標としてきました。といいますか、最近では70歳を超えても働ける社会づくりということがいわれています。

 では、実際に高齢者雇用はどうなっているのでしょうか。現在の65歳以上の人口は全体の23%を占めています。21%で超高齢社会といわれますから、23%の日本はまさに超高齢社会です。そして先ほど仁木さんも触れましたが、15歳から64歳までの生産年齢人口は、現在の8,100万人から2025年には7,100万人、2050年には4,900万人と1千万、2千万単位で減少していくと見られています。特に来年からは団塊の世代が65歳に入っていくことで、約800万の団塊世代が生産年齢人口からどんどん外れていきます。このように高齢化と労働力の減少が同時進行していく社会を私たちはどう見ればよいのでしょうか。思うに私は、日本社会は経済も含めて成熟社会に入ったととらえています。人口はもうこれ以上増えないという行き詰まり状態の中で成熟化していきますと、今までのように成長を中心に考えてきた経済から、分配論というものを考えざるを得ない経済へと移行していくだろうと判断しています。そして、もう成長というものは見込めない、いわゆるゼロ成長の社会になるであろうと私は思っています。

○日本の大企業に求めること

 そういう中にあって、どうして大企業は変わらないかというのが私の大きな疑問です。といいますのは、大企業は依然として大量生産型の薄利多売方式で今でも生産を続けているわけですが、この大量生産型方式で一番問題となってくるのは人件費、コストです。大企業はとにかくコストを追求して、中国やベトナムなどアジアに安い人件費を求めて進出していく状態が続いています。日本の国民所得は外国と比較して決して低いわけではありませんが、生活に豊かさを感じられないというのは賃金が安いからですよね。では、どうして賃金が安いのか、これは過剰な設備投資ということに尽きます。ヨーロッパの人たちは皮肉を交えて「日本はロボットに給料を払っているのか」といいます。必要のないところまでもロボットを導入して、人の賃金をなかなか引き上げようとしない。そういうこともひっくるめて、私はこの国は成熟社会に入ったと考えています。

 私が小学生だった昭和30年代は高度成長の波に乗って、とにかく大量生産型、薄利多売方式でものがどんどん作られました。あれから半世紀経っても企業は相も変わらず同じことをやっています。企業のトップは変わりますが、やっていることは昭和30年代と何も変わっていない。依然として安い賃金を求め、外に出て行っているわけです。これでは世界で勝ち目はないというのが正直な気持ちです。

 こういう時代の真っただ中にあって、私たちは今改めて「働く」ということを考えてみるときを迎えたのではではないでしょうか。若い人の就職も含めて、高齢者がこの国で「働く」ということを真正面から考えるときではないかと。

○ヨコ型ネットワーク社会を目指して

 さて、企業がいかに変わらないか長々話しましたが、高齢者雇用という点から見ると、少しずつ変化しています。平成22年の調査では、希望者全員65歳まで働ける企業は41.8%となっています。これが70歳まで働ける企業ということになりますと、ぐっと減りまして16%です。この問題は年金支給開始年齢とリンクしていますが、欧米では70歳近くまで年金支給開始年齢が伸びてきています。日本と欧米との違いは15歳から64歳までの生産年齢人口と65歳以上の人口の関係です。日本では生産年齢人口の2人で1人の高齢者を支える計算になりますが、欧米では1対3です。3人で1人を支える欧米式にしようとするならば、日本では生産年齢人口を現在の64歳から69歳までとしなければならなくなってきます。このように年金支給開始年齢と関連して、日本でも様々な議論が今起こりつつあります。

 先ほどお話した「経済ゼロ成長時代」に、「高齢・少子化」「労働力減少」そして「高齢者の能力活用」という条件を加味したとき、これまでの「タテ型ピラミッド社会」から脱却して「ヨコ型のネットワーク社会」への移行が求められていると私は考えます。

○3.11の試練をバネに

 私たちはこの春、3.11という未曽有の体験をしましたが、「ヨコ型ネットワーク社会」という視点に立てば、あの震災以降見えてきたものが確かにあります。例えば漁業においては、被災しなかった地域の漁師が、自分たちの船を被災地に貸し出しました。ここから漁業復興の再建システムが始まりましたし、製造業界でも他県企業から製造機器の貸与の申し入れがありました。これらは例の一つに過ぎず、いろんな形で「ヨコ型ネットワーク社会」に向かって歩き出したのではないかと私は思います。大変不幸な出来事であったけれど、長い目で将来を展望していけば、必ずプラスになることを信じたい。

 また、節電の関係もあるのでしょうが、在宅勤務など多様な働き方が浮き彫りにされました。高齢者雇用においても多様な勤務形態を模索してきましたが、これまでは一部の企業だけのものでした。社会システムとして多様な働き方が定着していくことに期待したいものです。そしてもう一つ、高齢者雇用では今後大きな問題となる自治体での雇用創出ということです。例えば四国の善通寺市のように自治体が高齢者の団体に仕事を出して株式会社方式でやっていくというような例もありますが、ごくわずかに限られています。

 それが3.11以降自治体における雇用の創出が始まりました。公的な部門で高齢者の雇用が生まれることはこれからの社会にとって重要なことだと思われます。

○就活にチャレンジするために人脈を生かそう

 そろそろ現実的な話に移りたいと思います。では、第2の就活を具体的にどう進めていくかということですが、まだまだ課題は多いと思います。近い将来、65歳定年制で70歳まで再雇用という形も出てくると思いますが、定年制になるということは、非正規で人が増えていくしかないことですから、結果として、70歳くらいまで働きたいと思っている人たちの労働市場を狭めてしまうのではないでしょうか。

 また、中小企業にあっては、淘汰される中で技術のレベルが上がっていますから、より高い能力が求められることになります。そこで私は、再就職をスタートするに当たり、まず自己分析から始めることをお勧めします。その方法として4項目の自己分析をレジュメに挙げておきました。1つ目は、自分の仕事能力をできるだけ書き出してみるということです。次に、仕事以外の自分の能力はなにか考えてみましょう。さらにこれは重要なことですが、自分の持っている人脈を書き出しましょう。4つ目に、自分の性格を書き出します。協調性はあるかだとか、怒りっぽいかなど自分の性格と向き合いましょう。さらにもう1つ、それまでの職業キャリアの中で何が一番楽しかったかを思い出してみてください。年をとってからつまらない仕事をするのは苦痛ですから、短期間であっても楽しかったことを引っ張り出し、再就職するにしても、何か楽しみを見いだせる仕事を求めていきたいものです。

 再就職にとって大切なものは、昔も今も人脈でしょう。雇用動向調査を見ましても「縁故」の方が「職安」よりも高い割合で再就職に結びついています。

 私の実家は床屋をやっていましたが、当時の床屋はハローワーク的な役割を担っていました。京浜工業地帯のはずれにあり、近くの町工場の人がみんなやってきました。床屋というコミュ二ティから、再就職の道が開けたこともあったようです。まさにヒューマンスキルとでもいいましょうか。地域にコミュ二ティを創出し、人と人のつながりを大切にしていきたいものです。

○高齢者雇用の明日

 先日テレビで東海地方のバネを製造する会社で働く職人を紹介していましたが、この方は世界から注目されるバネづくりの名人というだけではなく、常時若い人を仕込むメンターとしての役割も担っておられました。メンターとは特定の領域において、知識、経験、スキルが豊富で、役割モデルを示しながら、指導や助言を行う人のことをいいますが、この方のように高齢者がメンターとしての役割も果たしながら自分自身のスキルアップを絶えず図っていく。そういう人たちが再就職すれば、企業にとっても大変プラスになることをテレビは描き出していました。

 しかし、スキルアップを目指し、高齢者が何か大きな資格を取ったとしても、営業力が必要となりますし、自分の能力開発にコストをかけることはリスクも伴いますから、やはりこれは公的な機関が受け皿となるべきでしょう。再就職にプラスになる資格能力アップ、ということでレジュメに挙げましたので、活用してください。例えば、雇用保険給付を活用することもできます。高年齢雇用継続給付は再就職をした人を対象とし、賃金が低下した被保険者に給付金が支給されるというものです。また、教育訓練給付制度というのもありますし、公共職業訓練を活用するという方法もあります。ただ、私は現在の公的な教育訓練というものはあくまでも大量生産型の訓練にほかならないと思っています。もっとレベルの高いものを求めるならば、大学を引っ張り込む必要があるでしょう。事実、大学と提携して能力開発を行っている企業もあります。例えばスウェーデンでは、ストックホルム大学が能力再生プログラムというものを持っています。日本もいずれはその方向を目指すべきでしょう。

 時間がきましたので先を急ぎますが、高齢者の再就職というよりも、これからは起業といいますか、個人で物事を考え、創業していくことに高齢者自身が目を向けていく時ではないでしょうか。高い技術のある方はその技術を存分に発揮し、仮に技術が何もなくても、最近は家事代行であるとか、育児の手伝いなど、高齢者が働ける仕事は多岐にわたっています。今、「育爺」という言葉があるらしく、おじいさんが孫のつもりで子育てを支援するという会社もできています。高齢社会の中で自分たちのできる範囲において仕事を作っていく、こういうことがこれからのテーマになっていくのかなと思っています。

 最後になりますが、高齢者の起業に当たっては、日本商工会議所や中小企業金庫など支援機関がありますので、大いに活用してください。ただ、再就職するに当たり、私が最も大切だと思うことは、「賃金」について根本的に考えてみる、ということです。賃金の根本を考えることは働く根本を考えることになります。そこから日本の社会づくりが始まるのだ、と私は信じます。

 今日は具体的な話というよりは何か理屈をこねたような話に終始してしまいましたが、以上で終わらせていただきます。

仁木:長嶋さん、ありがとうございました。この社会が5年後どうなっていくのか、たいへん興味深くうかがいました。また、人脈づくりの必要性、あるいは再就職のさまざまな支援制度などについても語っていただきました。

 続きまして、無料職業紹介所「みなと*しごと55」所長の水野嘉女さんに、高齢者の求人、求職の最前線で活動を続ける立場から、高齢者の再就職の現状をお話いただきます。

 その前に会場の皆さんにお尋ねします。「アクティブシニア就業支援センター」という名前を聞いたことのある方、ちょっと挙手願いますか。<会場から2、3名が挙手>

 はい、ありがとうございました。この「アクティブシニア就業支援センター」は都内に14ヵ所ありまして、そのうちの港区アクティブシニア就業支援センターが「みなと*しごと55」として2009年から運営されています。ハローワークよりもきめ細やかな支援をしていただけるそうで、就活を目指す高齢者の強い味方です。では水野さん、どうぞ。

◆水野 嘉女(無料職業紹介所みなと*しごと55所長)

○職業紹介現場からの提言

 今の皆さんの反応でよくお分かりのように、ほとんどの方が「アクティブシニア就業支援センター」をご存じないようです。パンフレットを持参しましたので、あとでご覧になってください。

 さて、私は1988年から23年あまり、長寿社会文化協会という社団法人で仕事をしてきました。23年前から今日の高齢者社会の到来を視野におき、その時が来たらどうすればよいのか、みんなで考えていこうという趣旨で作られた社団法人です。社団法人といっても今でいえばNPOに近いものですが、高齢社会を迎えたとき、自分たちが、お金や時間や力をどのように使って、地域づくりを進めていくかということを基本理念として活動してきました。

 今日は永年の活動を踏まえつつ、2009年2月から運営している「みなと*しごと55」に就職相談に来られる方たちから見えてくる高齢者の就活事情の一端をお話しできればと思います。

○「みなと*しごと55」の開所までを振り返る

 長寿社会文化協会の活動の始まりは、子育てが終わった女性の再就職を支援するためのヘルパー研修でした。ヘルパー研修とはいっても、その頃はまだ厚生省(当時)の基準もなく、今でいうヘルパー3級ぐらいのようなことをみんなで工夫して学習を進めました。その受講生たちが研修終了後、せっかく学んだことを何らかの形で地域に生かしたいと、しだいに活動の幅が広がっていきました。有償で家事援助や介護を担おうというサークルも生まれました。それと前後して、やがて定年を迎える男性たちの高齢期の生き方についても学習を始めました。

 また、介護保険の導入によってヘルパーが必要とされることを見越して、1998年頃からヘルパーの通信教育も始めました。ヘルパー研修のときに必要を感じて高齢者の疑似体験ができる「浦島太郎」を開発、これには企業の協力がありました。

 無料職業紹介所のようなことも私たちのテーマの中にあったのですが、なにしろ運営資金が乏しく実現できずにいたとき、2008年6月、港区がアクティブシニア就業支援センターを立ち上げることになり、その事業運営団体を公募、何と運よく私たちの団体が選ばれました。その年の12月から翌年1月にかけて準備を進め、2009年2月に無料職業紹介所「みなと*しごと55」がオープンしました。

○アクティブシニア就業支援センターのこと

 少し話を戻して、アクティブシニア就業支援センターについてお話しますと、2002年に東京都が都内の区や市町村に呼びかけ開設されました。現在都内に14カ所あり、港区は14番目です。来年の2月には大田区が15番目として取り組みを始めます。それぞれ名称が異なり、運営母体も違いますが、業務内容はおおむね55歳以上で仕事を探している人たちを対象に、求職・求人の相談や無料職業紹介など、ハローワークと同じような仕事をしています。

 就業支援の仕組みとしては、東京都から委託を受けた「東京しごと財団」がハローワークと連携、私たちにさまざまな情報を届けてくれます。この事業が始まって10年になろうとしていますがなかなか知名度が上がらないのは、先ほど長嶋さんがお話になられたような大企業、中小企業に勤めていた方のその後の就業支援をメインにしていないことと関係しているかもしれません。

○「みなと*しごと55」を訪ねる人たち

 では、どういう方々が「みなと*しごと55」の事務所を訪ねてくださるかというと、私たちの事務所は都営住宅の一角を借りているのですが、同じ都営に暮らす人たちが数多く仕事を求めてこられます。ただ、年金は国民年金のみ、また、これまで続けてきた仕事がいわゆるホワイトカラーではないため、スキルアップなどということも難しいような、就職条件としては大変厳しい人たちというのが現実です。

 それでも具体的に登録された方の数字を見ていきますと2009年2月に開設以来、今年の6月末までの登録者数は3,200人に上ります。男女比では、男性の方が少し多く、そのうちやはりこの6月末までに就職された方は、男性367人、女性346人の、合わせて713人になります。就職した人の職種を見てみますと、お手元の小さなパンフには経理事務、企画営業などとありますが、これはごく一部の人に限られ、実際は食堂の雑務(ホール、洗い場、調理補助など)や駐車場、駐輪場の管理、あるいは清掃、警備などが主な就職先になります。おおむね55歳以上の方に職業紹介をしていますが、70歳を超える方々もたくさん仕事を求めに来られます。東京しごと財団を通じハローワークからの求人情報をもらっていますが、70歳というのを聞いただけで即、断ってくる企業がまだまだ多いのが実情です。

○あきらめないで

 ハローワークの情報だけに頼っているのではなく、私たちも求人の開拓に歩いています。港区は大企業も多いのですが、区内の労働人口はかなり若く、高齢者が入る余地はなかなかありません。もちろん若い人も就職難にあえいでおり、ハローワークが朝から混雑し、仕事検索の自分の番がなかなか回ってこない、という声も聞こえてきます。高齢者が長時間そこで順番を待つのは苦痛を伴うため、やむなく私たちのところに相談に来て、仕事が決まった方もいます。私たちのところは運営母体が社団法人ですが、他は社会福祉協議会やシルバー人材センターが母体となっているため、お役所と一体化している、と思われがちなことから敬遠されているのかもしれません。もっと気軽にきていただきたいといろんなところで話をさせてもらっています。

 それでも、アクティブシニア就業支援センター14ヵ所を合わせるとこれまで2,334人の方が就職されました。大いに利用していただいて、あきらめることなく再就職の道を切り開いていってほしいものです。そのためにもまずはアクティブシニア就業支援センターの知名度を上げたい、というのが願いです。

○働く喜び

 再就職された方のお話をさせていただきますと、ある74歳の男性は、現在週3日から4日、2時間の清掃の仕事に就きました。この方は大学時代には駅伝で活躍された方ですが、大好きなゴルフの体力づくりも兼ねて、清掃という仕事を選びました。また、永年、営業畑にいた50代半ばの男性は、会社が倒産したため営業の仕事を探しに相談に来ましたが、なかなか私たちのところには営業の求人は来ません。たまたまあっても、書類選考で落とされてしまいます。やむを得ずその人は警備の仕事につきましたが、それはそれでけっこう楽しいとのことです。同じ会社の人で事務職を希望された女性も結局清掃の仕事になりましたが、仕事ぶりを気に入られて今では仕事先のご自宅の家政婦の仕事を任されています。

 ある省庁の役人であった人もいまして、この方は自転車の駐輪場の管理の仕事に就きました。この方は会社の中に仕事の手順などのマニュアルがなかったため、自分で作り上げて会社に提出、今はかなり重要な立場にいるようです。同じ駐輪場の管理をしている方に、元中華料理店のオーナーがいます。この方はたまたま面接会をしているときに通りかかって、そのまま駐輪場の仕事に就きました。私のところの営業の人間が時々様子を見に行きますと、とてもいきいきと働いているとのことです。あるいはやはり駐輪場の管理の仕事ですが、最近まで議員秘書の仕事をされていた男性もいます。この人は仕事が終わったあと、ボランティアでそれまでの仕事関係の活動をされ、充実した日々を送っているようです。このように、以前の仕事とかけ離れてしまっても、仕事に対する前向きな気持ちがあれば、働く喜びが生まれてくるのだと思います。

○地域貢献を目指して

 それでは最近の高齢者の採用事情はどうなっているのでしょうか。再就職支援セミナーには企業の採用担当者にも参加してもらっています。やはり多いのは、清掃を含むマンション管理です。あるマンション管理会社は、年金を併用しながら長く働いてもらいたい、との意向ですし、マンションの代行管理の会社には60歳以上の方が1,000人以上働いています。また、浜松町にある家事援助の会社では代表が30代の若い人ですが、50代、60代の人にも働く場をと、採用してもらっています。小さな会社ですと例えば経理などスキルがあると、70歳を過ぎても採用されることもあります。

 最後にお話ししたいことは、地域貢献とつながった高齢者の就職ということです。長寿社会文化協会も活動に参加して、緊急雇用就業応援全国ネットワークハンズという集合体を作っています。これは地域で自分たちができることを始めたいという人を応援するもので、連合が助成金を出しています。実際に取り組みが成功しているFA大阪、ホットライン長野、群馬のよろず屋与之介などをモデルに、長野県飯田市、愛知県知多市、東京三鷹市で新たな活動が始まっています。三鷹市では、わくわくサポート三鷹に参加していた男性たちが中心になってNPO法人「シニアジョブクラブ」を作りました。仕事が来ないのではないかと心配したそうですが、少しずつ仕事が増えている、とのことです。

 高齢者が自分たちにあった仕事を見つけていくことは、なかなか困難を伴いますが、長年の経験をもとに、地域で自分のできることからはじめていくことも、これからは前向きに考えていくべきでしょう。私からは、以上です。

仁木:はい、水野さんありがとうございました。実際に仕事に就かれた一人ひとりについて、温かく見守っておられることがよく分かりました。開設以来3,200人の登録があっても、実際に就職された人は22%という数字からは、高齢者の就職の厳しい状況が見えてきましたが、今までの仕事や肩書にこだわらず、裃(かみしも)を脱いで新しい仕事を楽しんでいくというスタンスが、就活の道を開くようです。

 今日のお話で分かりましたように、ハローワークよりも親身になって相談に乗り、就職を紹介してくれるアクティブシニア就業支援センターの存在を、ご参加の皆さんもぜひ周りの方に知らせてください。

 それでは、3人目のパネリスト、都留文科大学教授であり、グラウンドワーク三島の代表渡辺豊博さんをご紹介します。昭和48年に静岡県庁に就職してから35年間、農業基盤整備事業の計画実施に携わって来られた渡辺さんは地元では「三島のジャンボさん」という愛称で大変有名な方です。

 グラウンドワークとは初めて耳にされる方もおられるでしょうが、市民・NPO・行政・企業がパートナーシップを組み、環境再生とまちづくりに取り組む地域総参加の新たな活動のことで、1980年代に英国で始まりました。その先進的な取り組みを日本に初めて導入したのが渡辺さんです。私も先日5日間のインターンシップに参加し、講義を聞いてまいりましたが、起業することの大切さや、新しいNPOの概念など目からうろこのお話の連続でした。おりしも昨日から7月20日までAコースのインターンシップが開かれていますが、すべて無料で参加できるプログラムとなっています。

 また、渡辺さんは東日本大震災の被災地の子どもたちの心のケアの活動にも積極的に取り組み、すでに400人を超える子どもたちを伊豆長岡の温泉に招きました。三島と被災地を往復した距離は1万2千キロに達したそうです。時間があればそのことにも触れていただければと思っています。グラウンドワークという新しい取り組みを知ってもらおうと、時間も長めにお願いしました。では渡辺さん、よろしくどうぞ。

◆渡辺 豊博(グラウンドワーク三島代表)

○これからの働き方

 グラウンドワーク三島の理事で事務局長をやっております渡辺です。今、仁木さんからお話がありましたが、グラウンドワーク・インターンシップのAコースが昨日からはじまり、全国から195名の参加がありました。夏休みに入ったコースでは若者が多いのですが、今回は60歳以上の方が7割を占めています。ちなみに今までの参加者の中での最高齢は89歳の方でした。

 さきほど参加費が無料といわれましたが、国の緊急雇用対策ということで予算をいただいています。この8月、9月で1,400名を仕上げ、全体で2,400名に学んでもらうことに

 なっています。受講者は、いろんなNPOで体験をし、課題をもとにレポートを提出します。旅費も宿泊費も無料で、OJTに行く場合には3万円(被災地は6万円)が支給されますので、みなさんもどうぞ活用してください。三島は水もきれいで、うなぎもおいしい。

 興味のある方はぜひ三島においでください。

○平行移動の生き方

 フォーラムは3回目の参加になりますが、参加のたびに、多くの高齢者が自分のもう1つの舞台を探している意欲を強く感じます。高齢者が働くのはもう当たり前のことで、第2、第3の人生を充実させていこうという意欲がかえって元気のもとになるのではないかと私は思っています。後ほど、起業された高齢者の方の例をいくつかご紹介しますが、

 会場にも一人いらっしゃるので機会があったらぜひ発言してください。

 さて、私は先ほどご紹介いただいたように静岡県庁に35年おりました。一応農学博士でして、農業土木の技術を持っています。資格をたくさん持っているのは、とにかく好き放題にやってきましたので、いつクビになってもいいように、という思いからでした。幸い自由を重んじる気風がありましてなんとか勤めてこられましたが。石川前知事は4期16年勤め上げた方ですが、あるとき知事からこういわれました「平行移動の生き方を考えてその見本になってほしい」と。平行移動、つまり役人とNPOですね。私がボランティア活動を始めたのが35歳のときでしたから平行移動の生き方を25年続けてきました。4年前から大学教授をやっていますが、ある意味公務員ですから、今も相変わらず同じ生き方を続けています。

 多いときには9つのNPO法人務局長をやっていました。1億を超える資金を運用し、東京、山梨、三島に事務所をおいて13名の職員を雇用、県庁と同じくらいの給料を払っていました。資金を集め、管理し、運用し、消費し、また集める。そういうことをやってきました。NPOの仲間は異業種の仲間が多かったので学ぶことがたくさんありました。

 お役所仕事はどうしても会議が中心になりますから、仲間たちと体を動かすのはとても楽しかったです。余談になりますが、私も最後には企画部技監として300人ほどの部下がいましたが、会議は30分、それも会議室で立って行うよう命じてきました。本当に思いのままに好き放題やらせてもらいました。

○もう一人の自分の可能性を見つけること

 私の県庁時代の同期生もみんな定年を迎えました。私は大学に67歳までいられるので、もっとがんばるつもりですが、部長職までやっていた人が次の仕事がみつかりません。現在の知事のもとでは次の就職先の紹介はありませんから、自分で見つけなければなりませんが、部長職までいって上ばかり向いて歩くようになってしまったのでしょうか。自分で何をすればいいのかよく分からないという状態で、就職がとても難しくなっています。「ジャンボはいいよな、好きなことやって、いきいきしていて」とうらやましがられています。「それはそうでしょう、私は25年も前から地域を這いずり回って地域の人の声に耳を傾け、感性や温度にも心を配ってきたのですから。生活者として下を向いて歩きながら、もう一つの生き方をしてきたのですから」と、定年になってやっと言い返せそうな気がします。

 大切だと思うのは、50代くらいからそろそろもう一人の自分の可能性を見つけるトレーニングに入ることではないでしょうか。しかし、今の企業はあえてそういうことを奨励しないですね。それどころか、社会に放り出してしまうことばかり考えているような気がします。企業の社会的責任として、現職時代から個人の多様な能力を引き出すような教育の機会を与えるべきでしょう。そういう努力が欠けていると思います。

 今回研修を受けた人の中に、ある大手の自動車会社の研究部長の方がいます。定年まであと2年あるそうで、今回は有給を使っての参加とのことでした。ドイツに留学して車のミッションを作った経歴の持ち主ですが、一杯飲んで話したとき、彼はこう切り出しました。「渡辺さん、2年後に定年になったらボランティアをやりたいのですが、いくらぐらいあればいいの」って。少なくとも10年はボランティアをやりたいから、それにはいくらあればいいかと。すでに貯金されている額を聞いて仰天しましたが、とにかくすごく真剣におっしゃるので、その熱い気持ちは伝わってきましたが、まだこの方は、ボランティア、あるいはNPOを無償の提供としてしかとらえていないなあ、と思いました。

○市民・行政・企業

 私はこの数年間で50回ほどイギリスに出かけています。最初に行ったのは1981年で、これはサッチャーが台頭した年です。そのとき、彼女は最初に「パートナーシップ」といいました。これはとても格好よく聞こえますね。みんなで仲良くやって、みんなに利益を回そうというわけですから。ところが彼女のいうパートナーシップは、そうではありませんでした。もう1つ、3分の1の原則と呼んでいますが、これは社会全体をおむすび山のようなものだと考えたとき、市民と行政と企業が公益的・社会的サービスを提供する1つのセクターということになるのですが、サッチャーはこれを3分の1ずつに割り振ってしまおうとダイナミックに訴えたわけです。ではそれまではどうなっていたかというと、労働党がやったのは手当と補償でした。なんだか最近日本でも聞いたような気がしますが。手当と補償を充実させた結果、どうなったかというと、働かない人が国民の3割を超えました。このままでは国が危ない、というときに、サッチャーが出てきました。そして何をやったかというと、公務員の大リストラ、アウトソーシングなどでした。そして、市民は自立しなさい、企業は社会参加しなさい、という仕組みを作っていくわけです。

 しかし、すっかり依存体質になっている市民に、自立しなさい、といっても、すぐに変わるものではありません。心根を変えていく必要がありますが、それはなかなか難しいことです。ですからその仲介役として、真ん中の部分に英国グラウンドワーク連合体を置きました。グラウンドワークは地域に入っていって壊れかけたコミュ二ティをもう一度作り上げていきました。市民の心を変えるのに一役買ったわけです。そして企業の貢献を調整して全体で有機的なパワーが出る機関を作ったというのが、グラウンドワークの特徴です。

 さて、三島は水の町でしたが、次第に汚れていきました。なぜならば、市民はごみを捨て、雑排水を流し、企業は地下水をどんどん汲みあげ利益還元しました。行政は言い訳ばかりで、地下水の問題は国の問題だと逃げ、下水道につなぐ話は、基本的人権の問題だからと知らぬ顔です。これは私が言うのだから、説得力があるでしょう。

 市民、企業、行政これらの機能がきちんと社会的な仕組みとして用意されていたら、社会は円滑な方向へ動くこと、あるいは地域の再生や振興も実績を上げられる、ということを実証したい、という気持ちが私をイギリスに学ばせたのかもしれません。三島という地域にイギリス型の調整中間機関機能があれば、環境問題や街づくりにもうまくいくことを実証したいと、20年前にグラウンドワークを導入しました。

○源兵衛川の再生

 とにかく実証しないと理解してもらえないという思いでやってきましたが、そのモデルケースが源兵衛川の再生です。今日もインターンシップに参加の皆さん全員に歩いてもらったところ、驚愕の声が上がったと電話で報告を受けました。パンフレットの写真をご覧になってください。昭和35、6年には湧水が豊富な川が、東京オリンピックの頃から30年間はヘドロの川でした。特に冬になるとまったく水が消え、ヘドロが入り、雑排水が流れ込み、悪臭を放ち、ごみが捨てられ、油が浮き、動植物は絶滅という悲惨な状態でした。平成元年から2年かけて再生計画づくりをし、平成2年から8年の活動でヘドロの川が清流に生まれ変わりました。

 大学を出て故郷に戻ってきたとき、川がずいぶん汚れてしまったことは感じましたが、その川を守るために自分の時間を使うことは考えられませんでした。35歳になったころ、そろそろ生活も落ち着いてきて、故郷再生の役に立ちたいと思うようになりました。そのためには何か新しい仕組みを作らなければ物事が進まないということでグラウンドワークというものをイギリスに学びました。そしてこの機能をわれわれでやっていこうと、現在20の団体が入っています。あくまでネットワークなので個々の団体に干渉しないというスタンスでやってきました。ただ個々の団体ではやりきれないことがあった場合、みんなが集まってきて力を出し合い、総力戦で一体化しようということでは一致しています。会計、通帳管理、通信の発行などはすべてグラウンドワーク三島が引き受けていますが、共存共栄の20団体で、力をわせれば大ホールを一杯にすることもできます。

○人が最大の資源である

 行政、企業、NPO・社会的企業についてもうひとつの見方を示します。行政は何をしているかというと公共的なサービスの提供で、その原資は言わずと知れた税金です。しかしお金がない。もう永久的に増税するしか方策はないでしょうね。GNPが500兆円、借金は1,000兆円で、割れば200%です。世界と比較してみると日本の次がギリシャ、イタリアが140%台です。以下ポルトガル、スペイン、アメリカ、イギリスと続きます。日本はさらに借金をしようとしているわけですから、このままいくと格付けがさがり、利率が高くなるのではないかと心配しています。

 では企業はどうか。これは私益的なサービスを提供するしかないわけですから原資は料金です。お金を持っている人しか相手にしません。ただ心配なのは、グローバルな面です。例えば浜岡原発が停止しました。そのことにコメントするつもりはありませんが、現実的なお話をしたいと思います。すぐそばに県が造成して自動車工場を誘致しましたが、原発停止で撤退により、3,000人が職を失いました。また、130社の自動車関係の部品を扱う会社もすべて海外に戻っていき、8,000人が職を失うことになりました。そして浜岡で働いていた3,000人も来年の3月末までに解雇されます。合わせて14,000人の失業者が出ますが、電力会社と国はお互いに責任転嫁して補償もままなりません。どうすればよいのでしょうか。もう少し浜岡原発の話をしますと、私は2年間エネルギー対策課長をしていたので50回以上浜岡に通いました。4,500本のプラト二ウムの処理ができなくて困っているとのことで、こちらもとても心配しています。

 ちょっと話がそれましたが、行政、企業ともに大きな問題をはらんでいます。これからはNPOの関係で人間的なサービスがもっと要求されてくると思います。そしてそれを担う主体者がNPO・社会的企業になるというわけです。ですからここにビジネスのチャンスがあると私は見ています。これまでNPOは無償がベースでした。しかしこれからは有償という方向に向かわざるを得ないのではないかと思っています。そこで一番大切なのは何かというと私は人間の経験値だと思います。そういう意味で、高齢者の皆さんの豊かな人生経験が大いに生かされるべきだと考えます。

○経営するNPO

 はっきり申し上げて私は、経験値豊かな皆さんにNPOで大儲けしてもらいたいのです。どうしてNPOでみんな貧乏になっていくのでしょうか。ビジネスチャンスがあるじゃないですか。なぜ多くの人が精神的にも肉体的にもボロボロになっていくのでしょうか。数だけはどんどん増えて今は40,000団体くらいあるかと思いますが、多くの人が、「お金がない」「人が来ない」と嘆いています。それならお金を作ろうよ、魅力あるNPOにしようよと私は言いたい。地域に根を張って、ユーザーがもう一度あのサービスを受けたいと思うような質の高いものを提供していけば、会員も増えるし、ビジネスチャンスの機会も生まれます。試されるのはリーダーのマネジメントの力だと思います。

 これからのNPOは儲けるという一つの大きな命題に向かってビジネスとマネジメントの力をつけて市民会社にしていく、という意識を持たなければなりません。もちろん立派な活動というか、運動を展開していくのは当然ですが。組織の変遷でよく言われるのは、NPOの領域は運動体です。ですからごみを拾い、木を植え、森を作ります。例えば木を植えたらどうなりますか。下刈りをしなければなりませんね。木を植えるときには300人集まったけれど、夏の暑い時期に下刈りをやろうということになると、最初は30人、次が20人と次第に減って最後は誰も来ない。妻も来ない。そんな状況を、運動をやっているのだから仕方ない、と思っているのだとしたら、これは無償の趣味的領域ですね。こんなことを続けていても、いつかみんな疲れ果てるだけです。

 私が皆さんに言いたいのは、ずるくなってもらいたい、ということです。ずるくというか、戦略的に物事を進めていただきたいのです。みなさんの豊富な経験値がNPOに生かされれば、儲かるNPOになると思います。

○起業のすすめ

 高齢者のみなさんは、これまで自分の生活を豊かにしていこうと必死で頑張ってこられました。その結果海外旅行を楽しまれてもそれはそれでいいですが、これからは大いに社会に還元していただきたい。若い人材に投資してください。そういう社長さんになりませんか。

 今、NPOは、組織体を作って信用度を上げ、体力もついてなんとなく頑張っているという状況が一般的だと思うのですが、これをどう事業体の会社に持っていくか、そこが問われています。マネージメントで大切なものは人ですよね。そしてお金、モノ、管理とリスクです。皆さんも今やっていることを冷静に見直して、どうやればお金が生み出せるか、また、お金を生み出すために必要な資源は何か考えていただきたい。そしてそのためにはどれくらいかかるか、つまり出ていくお金ですね。これをしっかりつかんだ上で、助成金が活用できるかどうか、仲間から出資金を募るとかいろいろな方法を考えてみましょう。初期費用が分かれば、一人くらいなら雇えるなということになるかもしれません。そしてすぐには無理でも、3年目には収入のカーブが支出のカーブを上回るかもしれません

 マネージメント力を発揮してそのカーブを描いてみましょう。何が言いたいかというと持続的な活動ということです。持続的な活動は信用につながり、信用は商売になります。そして、持続を担保するためには有償の仕組みを作り上げることが大切だということです。

○社会的企業へ

 私のところも国から助成金をもらって取り組みを続けてきましたが、来年にはゼロになってしまいますから、私も次の手を考え、実は会社を起こそうと考えています。それは社会的企業です。企業と社会的企業の違いは利益です。企業は利益を株主に分配しますが、社会的企業は株主プラス社会に還元します。

 例えばフォルクスワーゲンがバングラデッシュで売っている車というのはすごいです。

 エンジンが引き出せるようになっていて、これが発電機になります。また横にすれば船のエンジンとして使え、縦にしてポンプをつければ縦軸水中ポンプになります。バングラデッシュは水がたまるのでこれを吐き出すのにポンプはとても役立ちます。また、密閉性に優れているので水陸両用仕様になっています。これだけの機能を付けて、ほかと同じ値段でバングラデッシュでは売っています。差益分は株主への配当を減らして、後進国への社会還元ということにしています。これこそ社会的企業の代表例ですが、これに比べ、日本の企業はどうですか。原発が怖いと3,000人クビ、不景気だからと8,000人クビ、この国はどこへ行こうとしているのでしょうか。日本の企業はもっと社会的責任をもたないと世界で戦えませんよ。

 イギリスは社会貢献庁があるぐらいですから、社会貢献しない会社は株式の評価が上がりません。英国グラウンドワーク連合体は年間320億円の予算で2,200人が働いており、トップの年収は4,000万円です。40あるトラストの所長で1,400万円くらいです。イギリスで中間労働層といわれるNPOの領域で働いている人は700万人で、みんな有給です。半分は女性で、25%が若者、25%が高齢者、事務局長などの要職はほとんどが女性です。驚いたのは小さな町のトラストの副所長があのシェル石油の副社長だったことを知ったときです。まだ63才、次期社長候補だった人が年間300万円で喜々として働いています。ワインの好きな人で、よく一緒に飲みますが、私がどうしてそんな大企業から転職したのかと聞きますと、3億円には変えられない喜びがあるとのことで、その答えにまた驚いてしまいます。社会貢献に対する考え方の違いでしょうか。

○さあ、一歩前へ

 このイギリスのような社会をみなさんと一緒に作りたいと始めたのが、グラウンドワーク・インターンシップです。これは3つで成り立っていまして、一つは現場体験型の研修です。2つめはマネージメントを勉強してもらいます。具体的な合意形成の仕方や行政へのアプローチのかけ方などを学びます。3番目は、ビジネスの力をつけてもらうためにビジネスプランを出してもらい、よりブラッシュアップして実現が可能かどうか検討するワークショップです。そのあとOJTで勉強していただきます。また、ビジネスプランを応募してもらい、起業支援対象者に選ばれますと、起業支援金を提供します。実際その支援金をもとに創業された方も本日参加してくださっています。これまでの支援対象者の40%は高齢者で、最高齢は73歳の旭川の女性グループです。彼女たちは自分たちの野菜を道の駅で売っていたのですが、最近は売れ残ってしまう、どうしようかと思いあぐねて研修に参加されたのですが、結局残った野菜を「おかあさんの漬物」として売り出すことで成功しました。地元でネットワークがあるので少しずつ稼ぎ始めています。そのための知恵も実にユニークで、ただ脱帽です。

 三島にもすごい人がいまして、この人は農家から規格外や傷ついた野菜をもらってそれを売っています。農家の方は捨てることが嫌ですから、全部持っていってくれることで、かえって喜ばれているそうです。1年間でかなりの収益を上げています。私が「ずるくなれ」といったのはそういうことなんですね。豊かな経験からあらゆる知恵を絞り出してビジネスにつなげていこうと。グループでなくてもいいです。自分一人でまず始めてみませんか。高齢者には限りない可能性があると私は思っています。もう一人の自分の舞台を自分で作りましょう。できることからどんどんやっていただきたい。そのことを最後に申し上げて私の話を終わります。

仁木:ありがとうございました。人の心をつかむ話というものはこういうものかと、私の心も鷲づかみにされたままじっと伺いました。本来なら質疑応答の時間を20分ほどとるところですが、渡辺先生のお話を少しでも長く聞いていただこうと時間ぎりぎりまで話していただきました。質問・ご意見の予定があった方はどうぞご容赦ください。

 私は今67歳でして、平均寿命ということでいいますと私の容量はあと12年というところでしょうか。時間に換算しますと10万5千時間です。この10万5千という時間を丁寧に使って、自分のもう一つの舞台をどのようにつくっていくか、自分の立場やスキル、感性を見極めながらしっかり考えていこうと思いました。

 今日は3人の方に「シニアの就業/就活・起業の推進」ということでそれぞれお話いただきました。大変難しいことではありますが、今日のお話を参考に、皆さんがこのようなテーマに積極的に取り組んでいただければと切に願います。高齢者の無限の可能性を信じていこうではありませんか。もう一度3人の先生方に感謝申し上げお開きとします。長時間にわたるご聴講ありがとうございました。