第1分科会「高齢社会フォーラム・イン東京」

「就業・起業する」

退職後の生活設計や生きがい就労等を合わせて就業・起業について語り合う分科会。

コーディネーター
仁木 賢
(高齢者活躍支援協議会事務局長)
■パネリスト
上田 研二
(高齢社会長)
河内 哲郎
(高齢・障害・求職者雇用支援機構雇用推進研究部次長)
大山 宏
(全国シルバー人材センター事業協会業務部長)

仁木氏、上田氏の写真 河内氏、大山氏の写真

仁木:第1分科会のコーディネーターを務める仁木でございます。この分科会ではシニア世代の生きがいや就労・起業をテーマに語り合っていきたいと思います。

 今日はこの分科会に60人近くの方にお集まりいただきました。お集まりいただいた方を年代別にみますと、20代の方が2人、30代が3人、40代が7人、50代が7人と合わせて19人の方が60歳未満です。つまり、60歳以上の方が40人近くいらっしゃるということになります。最も若い方は22歳、最高齢の方は86歳です。

 『高齢社会白書』によると、65歳以降は、就労している方の割合が大きく下がっているということです。65歳以降の方にとって、働くことが難しい世の中なのかなという感じがいたします。しかし、実際には約4割の方は、働けるうちは何歳まででも働きたいという考えをもっています。今日はパネリストのみなさんと意見交換をしながら、シニア世代が就労するため、起業するためのきっかけ作りができればと考えております。

 本日は3人のパネリストをお招きしています。はじめに独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構雇用推進・研究部次長の河内哲郎さんに口火を切っていただきたいと思います。河内さん、よろしくお願いします。

パネリスト 河内哲郎氏のお話

河内:独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構の河内と申します。昨年10月、同じ独立行政法人の雇用能力開発機構と統合して組織が大きくなり、組織の名称も長くなりました。私が高齢化問題に関わるようになったのは昭和55年のことで、その頃は総勢8人という組織でした。現在は、非常勤を含めますと約7,000人という組織になりましたから、隔世の感があります。

 私が所属している部署は、「雇用推進・研究部」といいます。「雇用推進」の部門では、全国で500人ほどの専門家に委嘱している「高年齢者雇用アドバイザー」が、約3万6,000の企業を訪問して、高齢者雇用を進めるにあたっての情報提供、賃金の決め方、高齢者が働きやすい職場づくりなどについて、企業の経営者や人事・労務担当者の相談にのり、アドバイスを差し上げています。

 一方、「研究」の部門では、高年齢者雇用アドバイザーや企業の人事・労務担当者が活用できるようなツールづくりをするなど、研究開発を中心に行っています。

 この分科会は、就労と起業がテーマということですが、当機構は企業に対して、労働者ができるだけ長い間、65歳まで、あるいは70歳まで、さらには年齢に関わりなく働くことができるようにしてくださいとお願いする仕事をしていますので、日ごろの仕事のなかで感じていることなどを中心にお話ししたいと思います。

○40年前に高齢化した日本

 私は現在59歳です。あと1年半で定年を迎えます。昔、『待ってました定年』(加藤 仁 著)という本がありました。私の場合は、「待っているぞ、定年!」という気持ちで働いていまして、定年に到達することを楽しみにしている部分もあります。

 日本の高齢化率は1970年に7%に到達しました。その年に「高齢化社会」に突入したわけです。翌年の1971年から、政府としての高齢者雇用対策が始まりました。もう40年前のことになるわけです。当時は、定年を55歳から60歳に引き上げることを当面の課題として、高齢者雇用対策がスタートしたわけです。その後、おおむね15年という時間をかけて、60歳定年制が実現しました。そして現在、各企業には、高年齢者雇用安定法によって、65歳までの雇用確保措置を講じることが義務付けられています。

 ちなみに、現在、希望者全員が65歳まで働くことができるようになることを趣旨とした高年齢者雇用安定法の改正法案が通常国会に提出されています。まだ審議には入っていませんが、予定では2013年4月から希望者全員が65歳まで働くことができるよう、改正法が施行される見込みです。

 今回の法改正の背景には、2013年4月から厚生年金の報酬比例分の支給開始年齢が61歳に引き上げられることがあります。60歳で定年退職して、しかも再雇用されなかった人が無年金になってしまう可能性があるからです。こうした事態を避けるために、定年退職の年齢と年金の支給開始年齢とが接続するようにしましょうというわけです。

 高年齢者雇用安定法に基づく、60歳以降の雇用には、「定年を廃止する」「定年を引き上げる」「定年後に65歳まで雇用する」という三つの雇用確保措置があります。現状をみますと、「定年制がない会社」が約3%、「定年を65歳以降に引き上げている会社」が15%前後、8割以上は継続雇用制度を導入しています。また、希望すれば全員が65歳まで働くことができる企業の割合は47%ですが、希望すれば70歳まで働ける企業となると17%にとどまっているというのが現状です。

 ところで、平成23年度に定年を迎えた人は約43万人いたそうです。そのうち32万人が継続雇用されました。一方で、「継続雇用を希望しなかった人」が約10万人います。一番問題なのは、「継続雇用を希望したけれども、再雇用されなかった人」ですで、約7,000人います。全体の1.8%です。今回の高年齢者雇用安定法の改正が目指している、「継続雇用の基準を設けないようにしましょう」というのは、この7,000人を念頭においた措置だということになります。

○70代で現役は、珍しくない

 さて、私たちが、実際に企業を訪問していると、意外と多くの70代の社員が働いていることがわかります。ある大手運送会社では400人以上の70代の社員が働いていますし、ある大手空調機器メーカーでは約180人、ある銀行では約120人と、それぞれ70歳を超えた社員が活躍しています。高齢者雇用で有名な会社に株式会社前川製作所があります。同社では、数年前まで90代の技術者が働いていたそうです(この人は、現在は退職)。

 みなさんの中には、70代で働くのは稀なケースだとお考えになる人が多いかもしれませんが、余人を持って代えがたい人材であり、それほど珍しいケースではないことがわかると思います。

 それではどのくらいの人が70代で働いているのでしょうか。厚生労働省の調査によると、70代前半の男性では、10人のうち3人が働いています。これが70代後半になりますと5人のうち一人になります。意外と働いていますね、70代は。たくさんの企業を訪問してきた私の経験からしても、多くの70代が働いていることを実感しています。

○団塊の世代の動向

 よく言われますが、高齢社会をリードしているのは、団塊の世代です。今年から、団塊の世代が65歳に到達し始めます。670万人といわれるこの世代が、これからどのように動くのか、各方面から注目されています。

 当機構でも毎年、団塊の世代を対象とした調査を行っています。その結果によると、団塊の世代の中で働いている人は約7割います。彼らがなぜ働くのかといいますと、「将来、あるいは現在の生活のために働く」という人が約6割、「自分の経験や能力を活かしたい」「健康のために働く」という人がそれぞれ約3割います。私の知り合いがこの結果を聞いて、「健康のために働くというが、会社は健康づくりのための場ではない」と言っていました。しかし、こうした意識の人が少なくないのが現実です。

 ちなみに、働くことで健康になり、健康になることでさらに働くことができるというサイクルを「アクティブエイジングサイクル」と言うそうです。こうしたサイクルが回るようになることが、働く人にとっては大切だといわれています。

 団塊の世代調査に戻りますが、団塊の世代には「70歳を超えても働けるうちは働きたい」という人が、4人のうち3人もいます。この結果から考えると、65歳までの雇用確保措置ばかりではなく、年齢に関わりなく働ける企業がより多く必要になることがわかると思います。

 また、団塊の世代の中には、「自ら起業したい」という人があまりいないことも特徴のひとつです。では、どのように働きたいのかというと、「いまの会社でいまの仕事を続けたい」という人が多い。団塊の世代は、それほど多様化していないという感を強くしました。

○70歳雇用は、自然体の取組みの結果

 70歳まで働ける企業の実現は国の政策課題ですが、企業の人事担当者に対して「70歳まで働ける企業をつくる必要があるか」を尋ねたところ、必要だとする割合が65%強ありました。

 それでは、70歳までの雇用を実現するために何が必要かを、企業の人事担当者に尋ねたところ、約40%の企業が、「フルタイムの勤務ばかりではなく、希望する時間に働けるような多様な就業形態」が必要だと考えています。さらに「健康管理を徹底することが必要」とする企業が37%くらい、「高齢者に適した仕事を創り出す」という会社が35%程度ありました。

 それから、なぜ70歳の人を雇用しているのかを尋ねたところ、「やめてもらう必要がないから働いてもらっている」という答えが多く、中小企業では「人手が足りないから働いてもらっている」という答えが目立ちました。あれをしなければならない、これをしなければならないといったことではなく、ごく自然に「いてもらっている」という企業が多いですね。何か特別な取組みが必要ということではなく、「自然体の取組み」であることが特徴のひとつだといえるかもしれません。

○70歳まで働ける企業事例集を作成

 当機構では、毎年、全国の70歳まで働ける企業100社を集めた冊子『70歳いきいき企業100選』を作成しています(高齢・障害・求職者雇用支援機構のホームページからダウンロードが可能)。この冊子を見た人から、「70歳まで働ける企業がこんなにあるのですか」という声をよく聞きます。70歳まで働ける企業は、「無いようで有る」というのが実感なのでしょう。

 先ほどの話と重なりますが、『100選』に掲載した企業の担当者に、70歳まで働いてもらうために何か特別な工夫を凝らしているのですかと尋ねると、「特別なことはやっていません」という答えが返ってくることが多いですね。自然体で70歳までの雇用を実現している企業が多いのです。あえて構えることがないのが70歳雇用の本質ではないかと私は思います。そして、一番の問題は、「70歳までは働けないのではないか」とか「どうして70歳まで働かなければならないのか」というような「心の壁」です。この「心の壁」をどのように破るのかも重要ではないでしょうか。

 人の意識は仕組みをつくることによって大きく変わるということもあります。高年齢者雇用安定法の改正によって、高齢者雇用を推進する仕組みを改めることも大切になると思います。これで私の話を終わります。

パネリスト 大山 宏氏のお話

大山:全国シルバー人材センター事業協会の大山です。

 みなさんは、シルバー人材センター(以下、「センター」)というと、駅前の駐輪場で自転車の整理をしている高齢者とか、公園で草刈や清掃をしている高齢者の姿が思い浮かぶのではないでしょうか。

 現在、どのくらいのセンターが全国にあるのかと言いますと、1,294のセンターがあります。センターは市町村ごとに設立することになっています。全国の8割程度の市町村には設立されていますが、設立されていない市町村もあります。ちなみに、センターの数が最も多かった時期は平成15年です。その後の市町村合併によって、センターも整理・統合されました。現在の会員数は76万3,000人(平成23年度末)、契約高は3,000億円超となっています。これだけの金額のサービスを利用者に提供しているということです。

 センターの契約の中味、つまり仕事を紹介しましょう。地方公共団体から発注されるものでは、公園の清掃など地域環境を守る仕事がメインで、変わったところでは遺跡の発掘などもあります。一方、企業と一般家庭から発注される仕事には、家庭のふすまやしょうじの張替え、スーパーマーケットのカートの整理や品出しなどがあります。就労の場は、非常に多様であり、福祉や介護などもありますし、高齢者向けの買い物サービスなどもあります。シルバーセンター型の起業というものもあり、一例をあげれば、会員が集まって英会話教室を運営しているセンターもあります。

○シルバー人材センター、設立の経緯

 もともとセンターは、地方自治体で進めてきた事業です。先鞭を付けたのは東京都で、昭和48年のことでした。東京に東京都高齢者就労対策協議会が設置され、そこで「高齢者事業団構想」が生まれました。昭和50年には、江戸川区に最初のセンターが設置されました。その後、地方でセンターの設置が進み、昭和55年に国による国庫補助が始まります。そのころの事業規模は、全国で92団体、会員数が5万人、契約金額が42億円といった状況でした。

 昭和61年に高年齢者雇用安定法が施行され、センターは法的に裏付けられた存在となりました。このとき同時に、60歳定年制が努力義務として打ち出されました。つまり、センターができたころは55歳定年制が主流であり、60歳定年制はようやく努力義務となったばかりだったのです。

 ちなみに、現在でも法定定年年齢は60歳であり、公的年金の支給開始年齢との接続を図るために、国は65歳までの雇用確保措置を企業に義務づけています。

 このように見てきますと、センターの存在は、定年制の問題を抜きに考えることはできません。同時に、センターの事業は、年金をベースとした「生きがい就労」のための制度です。ですから、現在でもセンターの会員資格は「60歳以降」になっています。

 先ほど、河内次長から企業における65歳までの雇用確保措置の定着状況が紹介されました。実は、以前は、センターの会員にも60代前半層がかなりいたのですが、65歳までの雇用確保措置の進展とともに、センターの会員の中心が65歳以降になりました。このため、会員の平均年齢はどんどん上がり、現在、会員の平均年齢は71歳です。平均年齢が上昇しますと、会員向きの仕事をみつけるのも、大変になってきました。

○センターでの働き方、そして収入

 センターの現状を説明してまいりましたが、ひとつ皆さんに申し上げておかなければならないことがあります。それは、センターでの働き方には制限があるということです。

 センターの仕事は、「臨時的」かつ「短期」で、「軽易」な仕事がメインになります。「臨・短・軽」が特徴といえます。これは、高齢者の特徴に沿った仕事という言い方もできると思います。

 それから、みなさんの関心が高いと思われる収入の問題ですが、センターでは年金をベースにした「生きがい就労」を目指していましたから、もともと多くの収入を目指さないというコンセプトでした。ですから、平均すると月に4~5万円の収入が伴う働き方が基本になります。年収に直すと、45万円~50万円程度です。

 国民年金のみ受給している人、あるいは無年金の人にとっては、センターで「生きがい就労」をするというわけにはいかないのですが、センターから得る収入だけで生活するというのは現実的には難しいでしょう。ちなみに、私どもがとっている統計では「生活のためにセンターで働いている」人の割合は21%になっていますが、実際には3分の1程度の人が生活のために働いているのではないかと推察しています。

 これがセンターの事業にとり、問題になっています。ある程度、多様な働き方ができなければ、解決できない問題ではないかと思います。収入にまつわる問題が、会員数停滞につながっているのかもしれません。

○社会運動体としてのセンター

 設立当初から言われていますが、センターは単に「働く」ための組織ではなく、「社会運動体」としての側面もあります。地域社会に貢献するという意味で、ボランティア活動を行ったり、会員相互の同好会、互助会的な活動をしたりすることもあります。先ほど申し上げたように、会員が集まって、会員が持っている資格を生かして事業を起こすという「シルバー型の起業」も行っています。

 それから「自主・自立、共働・共助」というのがセンターの理念です。おそらく、これからの高齢社会においても、高齢者が社会を担っていくという意味では、センターの理念は深まり、進化していくのではないかと考えています。そして、老人福祉法第2条、第3条の内容をもとに、高齢者が福祉の受け手から社会の担い手に転換していくための手助けをすることが、センターの役割になるのではないかと思います。

 センターの組織は、社団法人の形をとっているところが、今年度中には、ほぼ「公益社団法人」に移行するのではないかと考えています。そういう意味では、民主的に構成された自治的協同組織ということができます。

 センターは、高齢者の就労の機会を広げる活動を社会的な使命として行っていますが、それ以外に、さまざまなボランティア活動や地域への貢献活動を行っています。たとえば、介護保険の周辺業務として、高齢者の病院までの付き添いを行っています。また、有償ボランティアに近い形で行っている、電球の交換、ゴミ出し、買い物サービスなどは、高齢者の見守りにもなっています。環境保全事業や農業支援も行っています。過疎地では、センターが農業支援をしないと農業が維持できないところもあります。

 センターの会員の医療費と一般の元気な高齢者の医療費を比較したのですが、会員の医療費のほうが、年間で約6万円下回っていました。センターの会員となって就労することが、医療費の削減にもつながっているのではないかという報告をして、私の話を終わらせていただきます。

パネリスト 上田研二氏のお話

上田:株式会社高齢社の上田と申します。私はパーキンソン病を患っていまして、声が上手くでません。お聞き苦しいと思いますがご勘弁ください。

 昨日、自宅の近くを散歩していました。自動販売機の前に集まってビールを飲んでいる高齢者のグループがいましたが、以前よりも人数が増えたように感じました。みなさん、家に居場所がなくて、外で集まってビールを飲んでいたのかもしれませんね。

 私は1938年3月に愛媛県八幡浜市で生まれました。高校を卒業して、すぐにガスメーターの検針員として東京ガスに入社しました。東京ガスでは、入社して2年すると、事務職へ職種転換するための試験を受けることができます。その試験を、私が一人だけ欠席しました。ひどく怒られましたが、欠席した理由を問われ、「1回で合格した人がいないから、受けるだけ無駄です」と答えたら、さらにひどく怒られてしまいました。

 このように、私は決してまじめな社員だったわけではありません。しかし、25歳のときに心を入れ替えまして、いまでは仕事一筋にやっています。

 仕事の上での大きな経験としては、1990年代のことになりますが、ある給湯器メーカーの経営が思わしくなくなったときに、営業本部長として出向して立て直しにあたり、ある協力会社の経営が傾いたときに、自ら手を挙げて出向して再建したりしたことがあります。こうした経験が、その後、高齢社を設立するきっかけになったと思います。

 東京ガスを定年退職した後、2000年1月に株式会社高齢社を設立しました。2003年に代表取締役社長に、2010年に会長となりました。一般社団法人高齢者活躍支援協議会の理事長も務めていますが、ここでは高齢社のビジネスモデルを日本全国に、できれば世界に広げようと考えています。

○人本主義の経営を目指して

 ここで少し高齢社のことを紹介しましょう。高齢社は60歳以上を対象とした人材派遣事業、有料職業紹介事業、請負事業を行っています。なかでも人材派遣が事業の中心です。

 起業した発端を挙げれば、次の3点になります。

<1> アメリカンスタイルの株主第一主義は間違っていると思っていたので、定年後は自分なりの経営哲学(=人本主義)に基づく会社を設立したいと考えていたこと。

<2> 少子高齢化社会がやってくれば、技術継承、労働力不足などへの対応のため、必ず過去の豊富な経験を持つ高齢者の活用が必要になると思っていたこと。

<3> 定年を迎えた人たちに、「働く場」「生きがい」を提供したいという思いがあり、ワークシェアリング・年金併用型で働いてもらうことが高齢者にとって最高の方法と考えたこと。

 社員を第一に考える会社をつくる、それが人本主義の経営です。

 それから、今後10年の間に、労働力人口が500万人も減るといわれています。高齢者の雇用を進めれば若者の仕事が奪われるのではないかとの議論がありますが、私はそのようなことは絶対に無いと考えています。技能継承の問題がありますから、経験豊富な高齢者の活躍する場面が必ずあるのです。それに、500万人という数字は大変な数です。これを補うには、「ジョロウガイロボット」しかないと私は思います。ジョロウガイロボットというのは、ジョは女性、ロウは高齢者、ガイは外国人、ロボットはそのまま。女性と高齢者と外国人とロボットを活用しなければ、労働力人口の減少はカバーできないと思います。

 シニア世代に、働く場と生きがいを提供するということですが、定年退職すると、はじめの半年くらいはみんな喜んでいるのですが、そのうち飽きてしまう。家にいづらくなるのです。奥さんが外出するたびに、「どこへ行く」「誰と行く」「いつ帰る」「俺の夕食はどうしてくれる」と聞いて、夫婦の仲が悪くなるそうです。仕方なく犬の散歩に行くのですが、時間だけはあるので何度も行くものだから、「犬も嫌がる5回の散歩」と言われるようになります。先ほどお話した、自動販売機の前でビールを飲んでいた高齢者も、やることがない定年退職者だったのかもしれません。

○知名度のアップに邁進

 設立した以上、会社はそれなりの収益を出す必要がありますね。私も、経営者としていろいろと努力しました。まず「高齢社」という知名度を上げようと、ビジネス雑誌のなかでも影響力のある『日経ビジネス』に取り上げてもらいたいと考えていました。そんな時期にあるお店で日経新聞の記者の方と親しくなり、日経ビジネスの担当者を紹介してもらうことができました。

 その時は、「特集・老活経営」の中のひとつの事例として高齢社を取り上げる企画だったようですが、日経ビジネスの編集部で「高齢社の取組みは面白い」ということになり「高齢社だけの特集」として大きく取り上げてもらうことになりました。これがきっかけで、当社の知名度が大きくアップしました。そして、ここ3、4年は、取材を受ける機会がかなり多くなっています。

○ユニークな入社資格と経営理念

 当社の場合、登録社員の入社資格は60歳以上75歳未満の人に限定しています。これは入社資格であって、上限年齢ではありません。定年制はありませんので、意欲と能力のある人は何歳まででも働くことができます。

 ただし、本社スタッフは60歳未満でも入社が可能で、昨年は新規学卒者も採用しました。定年は63歳です。すべて正社員です。

 また、高齢社の経営理念は以下のとおりです。

<1> 定年を迎えても気力・体力・知力のある方々に、「働く場」「生きがい」を提供

<2> 社員≧顧客≧株主の<人本主義>を徹底する

<3> 豊富な経験を活かし、顧客には「低コスト・高品質・柔軟な対応力」を武器に優れたサービスを提供していく

<4> 「知恵と汗と社徳」重視の企業風土を醸成する

 どんな会社にも必ず「社徳」があるはずです。私は、社徳を汚すような商売は絶対にやってはいけないと考えています。ですから、世間で知られた大企業であっても、社徳が無い会社とは一切付き合わないようにしています。取引の申し出があったとしても、こちらからお断りします。それだけ社徳を重視しています。

 それから、経営方針として、「経営内容のオープン化」を掲げています。人事以外にマル秘はありません。なぜそれだけオープンにするのかと聞かれますが、「見せる弊害」「見せない弊害」を比べると、見せない弊害のほうが大きいからです。社員が最高の監査役だからです。

 それかから、登録社員の就労率は70%を目標としています。しかし、現在はかなり数字が落ちてしまって、反省しています。これは、私が出たがりでテレビにも出るものですから、テレビに出るたびに反響があって、登録社員が増える。優秀な人が来るとどうしても登録してもらいたくなるのです。結果として、就労率が下がりましたので、何とかしたいと考えているところです。

 最後に私の好きな言葉を紹介して終わりにさせていただきます。

 「過去から現在を見たときの今は、自分にとって一番歳をとった時でありますが、現在から未来を見据えたときの今は、自分にとって一番若い時であります。それ故、今日一日を常に大切にし、いつまでも青春の心を持ち続け、これからも自分のおかれた立場で精一杯光り輝き、社会に貢献できる人間でありたいと願っています。」

質疑応答

仁木:まず大山さんにお尋ねしたいのですが、先ほどの説明でセンターの仕組みはだいたいわかりましたが、センターの会員になるにはどうすればよいのでしょうか。また、センターの会員になった場合、就労率はどのくらいでしょうか。

大山:センターごとに、それぞれ入会説明会を開いています。センターによっては、毎週のように開催しているところもあります。お近くのセンターにお問い合わせのうえ、参加してみてください。会員になるには会費が必要になりますが、金額はセンターによって異なります。就労率については、これもセンターによって違いがありますが、おおよそ80%です。そして、働き方は請負の形がほとんどで、9割以上を占めています。

仁木:上田会長にお尋ねしますが、高齢社では、ワークシェアリングを行っているとのことですが、これはどのようなものなのでしょうか。また、最近、新たな事業を始めたと聞きましたが、そのことについてもお聞かせください。

上田:高齢社では一人分の仕事を二人で担当するということで、いわゆる「ワークシェアリング」を実行しています。たとえば、一人が「月・水・金」、もう一人が「火・木・土」というシフトで同じ仕事をすることで、一人分の仕事を二人で分け合います。一人が旅行などに行く場合には、もう一人が1週間通して働くことで、長期の休みをとることも可能になります。

 それから高齢社の新たな事業ですが、この4月から家事代行サービスを始めました。なぜこの事業を始めたかと言いますと、女性向けの派遣の仕事が圧倒的に少ないからです。仕事がないのであれば、新たな仕事をつくろうということで、特別な資格がなくてもできる仕事として家事代行サービスを考えました。ただ派遣するのではなくて、社内の研修によって付加価値をつけてもらいます。月に50時間程度働いてもらうことができれば、5万円程度の収入にはなるでしょう。現在、150人くらいの女性に家事代行サービスに登録してもらっています。先月は80人以上に働いてもらいました。もう少し規模を大きくして、シニア世代の女性に活躍していただきたいと考えています。高齢社でビジネスモデルをつくり、そのノウハウを他に提供することで、高齢の女性が活躍できる場を広げることができるのではないかという考えもあります。

仁木:河内さんにお尋ねしますが、70歳まで働くことができる人には、どのような特徴があるのでしょうか。

河内:当機構でもいろいろと調べてみていますが、周囲の人間関係に気を配ることができる人、自分のやっていることがよく見える人、自我を余り出しすぎない人、以上三つの行動が取れる人は、職場によくなじむようですね。基本的に、70歳、80歳まで働くことができる人は、基本的にコミュニケーション能力が優れている人だと思います。自分を周囲にどのようにうまくなじませることができるかが、長く働くためのポイントだと思います。

 それから、70歳まで元気に働いている人の特徴としては、50歳までに運動習慣を身に付けているということがあるようです。運動習慣といっても大げさに考えることはなく、1日30分、額に少し汗をかく程度の運動を週に2回実行すればよいのです。みなさんも、ぜひやってみてください。

質問者:大山さんにお尋ねします。先ほど、センターの会員の平均年齢が上がっているという説明がありましたが、今後、センターが生き残るにはどのような課題があるとお考えでしょうか。

大山:センターの歴史も30年を超えまして、センターの事業をめぐる社会的な環境もずいぶん変わってきたと思います。これから会員の年齢も上がるでしょうし、年齢の高い会員にどのようにして就業の機会を提供するかが課題になると思います。センターでは、これまで「生きがい就労」というコンセプトで事業を進めてきました。福祉的な就労ですから、一定の制約もあります。また、補助金をいただいていますから、民業との競合を避ける必要もあります。ホワイトカラー層向けの就業も足りません。女性会員も足りません。これからは、センターでも地域社会の再生や活性化にも役立つような活動も必要ではないかと考えています。

質問者:センターでは、ホワイトカラー向けの就労が進まないと言われています。実際にどのような理由が考えられますか。

大山:各センターで就業先を開拓していますが、会員の職歴がきちんとしたデータベースになっていないため、就業先開拓のための営業自体ができていないということもあります。このような特技や知識を身につけた人がいますということを示して、就業開拓をするということができていないのです。

 また、センターの職員のキャリアカウンセリングの能力を高めていく必要があるのではないかと思います。センターとしても会員の経験が活かせるような、また会員の経験を取り込んだ事業展開を考える必要があるのではないかと考えています。

質問者:少子高齢化が進展するなかで、高齢者が仕事を見つけるのは大切ですが、同時に高齢者が若者の仕事を奪うという問題もあると思います。高齢者と若者がウイン・ウインの関係になければならないはずですが、何か工夫をしていることはありますか。

大山:センターのなかには、親が買い物をしている時の一時託児からスタートして、子育て支援に発展したところもあります。センターの事業が結果として、現役世代の支援になっているのです。また、育児相談のための親子教室や放課後の児童の預かり、先生の免許をもった会員が勉強を教えているようなセンターもあります。センターの事業が若者の就労に影響があるのではないかとのご指摘ですが、私もハローワークにいた経験がありますが、実際には仕事はあるのに、結果として若者が仕事に就けないというのは、「仕事のマッチングの問題」ではないかと思います。

 その一方で、民業圧迫によって若者の仕事を奪っているという指摘があります。私たちは、そのようなご指摘があればきちんと話し合いの場を持つというスタンスです。そして、民業圧迫が事実であれば、高齢者は若者に仕事を譲るべきだと思います。

仁木:それでは予定した時間が参りました。まだ議論は尽きませんが、第一分科会はこのあたりで終了いたします。本日は、ありがとうございました。