基調講演2「高齢社会フォーラム・イン東京」

「全員参加型社会を目指して」

樋口 恵子
高齢社会をよくする女性の会 理事長

樋口 恵子氏の写真

 皆様、おはようございます。

 堀田先生のお話の後を受けるというのは誠にやりにくいことでございますけれど、基本的なことはみんなおっしゃってくださいましたので、私は、さらにそれをブレークダウンといいましょうか、少々下世話に落としながら話を進めたいと思います。

 おっしゃったとおり、今ようやく日本の地域が動き始めたなという気がしています。これは国の側も、御紹介のありましたような様々な政策を打ち出しておりますが、日本中の地域も、早い遅いはございますし、私の言うところの「草の根封建親父」はまだまだ健在で、なかなか絶滅危惧種にはなりません。これからまだ猖獗を極めそうなところもございますけれど、一方で男女共同参画型男子という方もちゃんと出てきております。未来をつかむのは、このように地域の中で男女共同参画もよくわかり、しかも地域の中にどんな多様な人々がいるかがよくわかり、1人も置き去りにしない地域の未来を構築しようとする人々が確実に増えてきております。

○家庭内の老々介護

 これは私は、人間の性善説に立つというよりも、人間正直なものでございまして、窮すれば通ずということだと思います。本当に困り果てた状況だということが、やっと今年になってから幾つか出された数字や調査で、前々からわかっていたことなんですよ。例えば増田寛也さんたちが発表なさいましたが、全国の1,500余りの自治体のうち523はいずれ消滅の可能性があると。なぜか。20歳から35歳までの女性がいなくなるからだとか、それから、最近出された国民生活基礎調査。これは定例的になされているものですが、最近のショックは、在宅で介護をしている人の過半数が65歳以上である。これは介護をされている人じゃないんですよ。介護をしている人が65歳以上でありまして、つまり、老老介護が日本ではむしろ当たり前になってしまった。

 そして、細かく見ますと、要介護者のいる世帯というのもまたショッキングでありました。今までの常識ならば、例えば3世代世帯ならば要介護の方がいても何とかやっていけるだろう。そうじゃないんです。3世代世帯に要介護者が多いだろうという常識からすると、3世代世帯は少しも多くありません。むしろ夫婦2人世帯のほうが介護をしているぐらいです。そして、驚くべきことはたった1人世帯の中に要介護者がいる。さすがに重度者は少ないようですが、要介護認定を受けて、たった1人で自分の家に生きている。

 あるいは、80代を過ぎますと、さすがに50代ぐらいの子供が見ている例が増えるんですけれど、要介護者が70代いっぱいまでは介護者も70代です。つまり、老老夫婦で見ていらっしゃるわけで、その典型的な例というのは、これは去年から話題になっておりますけれど、当時85歳、要介護1の妻がちょっとまどろんだ間に、当時91歳、要介護4の認知症の御夫君が外へ出られまして、その結果、轢死ですね、JRの構内で引かれて死んだ。

 私、ただいま82歳。80代の大台に乗り、おかげさまで元気です。でも認知症の夫の世話に24時間責任を持てるか、答えは「ノー」です。高裁までの判決は、当時、85歳、要介護認定を受けている老妻に、360万の賠償責任を科しているのであります。最高裁へ上告しておりますから、私たちはこの行方を今、目を凝らして注目いたしております。

 今日もきっとお連れ合いをデイサービスに預けて、そして、迎えの時間を誰かに頼んでこの場に駆けつけてくださった方もいらっしゃると思います。介護なさっている御家族の御苦労は想像に余るものがあると思いますし、もっと介護している家族に向けた政策が私は絶対に必要だと思っております。

 つい先だっても、私もその前夜祭みたいなところには参加させていただきましたけれど、別に高齢者に限らず、要介護認定に限らず、障害を持ったお子さんを含めてケアをしている家族に対する様々なサポートを求めるネットワークができ上がったりしております。その中でも、高齢者という視点から見る限り、家族、とくに同居家族だけで介護できないということは、今申し上げた数字でおわかりいただいていると思うのです。

○日本の家庭内介護の現状

では、どうするか。家族以外の人が助け合う以外に他はないのです。どの辺の人が助け合うか。これは、私は、様々な意味で職場、企業というところの御協力も大変大きいと思っております。例えば、今注目を浴びているのが、80代、90代の親の介護のために職を辞めざるを得ない50代40代の男女が急激に増えております。この人たちが職を失うとたくさんの問題が生じます。まずその人の未来がなくなります。親の年金があるうちはいいけれど、親が亡くなってしまうと自分の年金はない、退職金はない、60になって再就職も難しいというわけで、介護した子世代の未来が失われます。

 企業は、熟練したスキルを持った、研修費をかけて育てた中堅社員を失います。何よりも今、個人所得税を一番払っている層は誰かというと、まずは安定した企業に勤めている中高年の管理職層が、逃げも隠れもできず源泉徴収で所得税を担っている。この人たちが大量に辞めていくとき、日本の福祉予算もまた削られていくでしょう。三方一両損という言葉があるけれど、まさに本人と、企業と、社会保険も含めて税金・国家社会と、三方大損の介護離職であります。

 これは、やはり地域だけではどうにもしようがありません。国の政策はもちろん、企業、経営者、会社自身が、労働組合も一緒になって、みんなで働き続けられる柔軟な雇用形態を作っていく。社会保障からできるだけ1人もはじき出されないシステムを作っていく。となりますと、会社、経営者の責任もまた重大であります。

 ところで現在の産業の特徴と言えばその一つはまさにグローバリゼーションでしょうし、あらゆる意味での高速化でありましょうけれど、ケアというのは、むしろ日本の経済、世界の経済が発展してきている幾つかのキーワードとは実は反対のところにいるんです。

○地産地消の介護ケア

 スピードというのは、要介護者のところへ辿り着くスピードは必要ですけれど、介護というものは介護される人のスピードに合わせながら行わなければなりませんから、私は、今までの介護保険の改定はやむを得ないこともあったと思うんですが、やたら効率化して、時間を短くしろ、時間を短くしろだけでいいのだろうかと思っています。

 立ち上がるといったって大変なんですからね。昔は、私もすっと足だけで立てました。このごろは手を使って立ちます。手と足の力は両方ぐらい使って立ち上がって、歩き出してみれば若い人と同じかしれないけれど、ここにたどり着くまでの動作が違うのです。私は、これから介護に様々なビジネスも含めていろいろな主体が参加していくとき、高齢者の持つゆったりとしたスピードは、高速化、効率化によって利益を上げるということと反対の極にあるわけですね。これは実は幼い子供もそうなんですけれど、高齢者の持つ時間の尺度をどうすれば全員参加型の社会の中に組み込めるか、一つの課題です。

 グローバリゼーションの一つの側面は、モノも労働力も安く調達し、高く売れるところへ持ってくる。しかし、ケアというものだけは、宅急便もきかなきゃ、輸入も──これから外国人労働者の問題がまた一つありますから、こうなると労働力の移動ということも考えられますけれども、基本的には地産地消なんです。

 これは、高齢社会にかかわる世界中の学者、研究者、関係者が、英語で「Aging in place」、住み慣れた場所で年をとっていく。なるべく住み慣れたところに住んで老いていこうとする。まさに地域がテーマですね。

 そして、ケアというものは飛行機に乗ってわざわざケアに来ることはない。実は、今遠距離介護といって、遠くから見守ったり通ったりの子供さんもたくさん増えておりますけれど、基本的にケアは身近なところ。徒歩圏とまで言わないけれど、車なら10分、自転車で2~30分、そういうところで駆けつけるのが効率的でもある。例えば方言の強い地域へ行きましたら、方言で話が通じる範囲というのが、やはり地産地消のケアが提供されることだろうと思っております。

○戦後の長寿、人生100年時代

 20世紀から21世紀にかけて何が変わったかといえば、これはP.パーキンスズというハーバード大学の人口学者の言葉でありますが、何よりも先進国を中心に長寿の獲得が、この半世紀、1世紀の中で起こった最大のことであって、彼の言によりますと、戦争が終わって平和が訪れて、経済が民生に回るようになって、先進国から始まる長寿の普遍的獲得──つまり、平均寿命が上がるということですね。大多数が長生きになる。これぐらい世の中を変える要素はないだろう、と。

 今、長寿の普遍化が先進国から中進国に及んでおります。長い目で見れば、地球丸ごと長寿化、地球丸ごと高齢社会の途上におりまして、先進国に関してはもはやほとんどが人生90年時代。私は何でも先走るのが好きでございますから、政府が「人生90年」と言うとき、私は「人生100年時代」と言っております。

 1人1人が別に100まで生きなくていいのです。だけど、既に日本の国に100歳を超えた方が54,000人を超えているということを思うと、「人生100年社会」と少し糊代を持たせておいたほうがこの社会の構築はいいのではなかろうかと思って、私は、人生100年社会の教祖になるべく日々邁進しているわけでございます。ただ、私は大病しているものですから自分自身はとてもそうはいかないと思うけど、100年生きても安心な社会を作っていく必要があると思っています。

○父親の育児参加「イクメン」の現状

 これからは、近くの他人が助け合わなかったらもたない社会、窮すれば通ずですよ。理想を高遠に描いて到達する社会じゃない。もう困り果てちゃって、このごろみんな変わり始めたということが現状だと思います。それに阪神や東日本の大災害大悲劇のあとを受けて、日本人は助け合いの必要を身にしみて知りました。その中の一つに多様性の尊重、人間の平等があります。

 私のような女性問題から入ってきた人間からいいますと、それ見ろ、言わんこっちゃないということ。これで話を終えたいぐらいなんですよ。50年前から女性が言い続けてきたことをやっておいてくれれば、もうちょっと楽になっていたのにと言いたいことが山ほどありますね。

 男性と女性をもっと平等に扱え。女しか子供は生めないのだから。子供を生む女を会社の邪魔者扱いしないで、結婚したら退職しろなどと言って職場から追いやらないで、雇用機会均等法のような法をもうちょっと早く作り、そして、育児休業ももうちょっと早く作る。

 今もなお、日本のお父さんぐらい育児にかかわっていない男はいないです。長時間の労働のせいであって、個々のお父さんのせいだとは全く思っておりません。通勤時間は長い。私は、定年後のお父さんが疲れ果ててしまうのも、まして、働き盛りのお父さんが育児にかかわる時間が少ないことを個人的に責めようとは全く思いませんが、結果としてこれは何年経っても変わっていません。

 今度、安倍さんが盛んに女性活躍──少し前までは、保守系の方々は、育児休業なんて女だけがとればよい、育児休業を男が取るなんて気味が悪い、と言っていた人さえいるのです。それが今や、イクメン推奨ですよ。

 今度、丸の内に三菱系の企業を中心に「丸の内イクメン部」というのができたんです。明治安田生命の社員が事務局になって、別に共働きの有無は問いません、父親がしっかり育児に参加しようという人が、明治安田生命だけで60人出たそうです。これをもっと丸の内界隈の近隣企業に──こっちもご近所ですよ、職場の地域社会に広めまして、8月1日、「丸の内イクメン部結成パーティ」というのを明治安田生命の中でやるそうです。申し込めばこういう方は誰でも参加できると思いますから、応援団として是非加わってください。

 この「丸の内イクメン部」は、実は企業の中のサークル活動なんです。キックオフを8月1日にして、続いて11月には私が勤める東京家政大学と協働して丸の内イクメン部フェスティバルを開くことが決まりました。

 その日は、専業主婦も、共働きも、お母さんは全員解放。二人っ子であろうと、三人子であろうと、お父さんがみんな連れてキャンパスに集まる。そして、栄養学の先生にお料理を習い、児童学の先生に育児相談を受け持ってもらい、学生たちにボランティアで出てもらい、そして父親たちが大いに語り合おうではないか。

 考えてみれば、母親たちは、それでも何かといえば子育ての大変さを同情され、地域でもお母さんの集まりなどはたくさんできております。しかし、育休をとったお父さんたちの孤独は、やってみた人でなければわからない。子供の手をとって地域の公園に出てみれば、お母さんたちが大勢で笑いさざめいていて、父と子を遠巻きにして見て、「あの人、リストラされたの」なんて具合。半分冗談、半分本気で、「樋口さん、『パパ育休中』というマークを作って、背中にゼッケンか何かを貼るようなのができないものですかね」と言われたぐらいでありました。今、父親の少数派がやっと集まれる力を持ってきております。これも世の中の一つの正義としてしっかりと発言し、集い合い、語り合い、新しい文化を生み出そうという人が出てきております。一つの動きが他の地域に及び、連携の幅が広がり連鎖していく。今ようやくそんな動きが出てきました。

○女性の社会進出と生涯独身率

 というわけで、私は、人生100年社会で、もうちょっと女を働きやすくしていれば、こんなに結婚が減ることもないし、結婚がある水準を保てばここまで少子化することもないし、そして、仕事と家庭が両立するような状況を作っておけば、もう少し少子化の影響も少なかったのにと。それ見ろ、言わんこっちゃないということが山ほどございます。

 介護だって、もうちょっと早く社会化の手が差し伸べられていたら。親の介護のために嫁さんが仕事を辞めるという状況が長く続けば、若い世代は結婚することをためらう。長男からオファーされた縁談を断る女性、あるいは、1人娘だからといって縁談を断る長男の親がまさに我々の世代でした。

 私たち80代のつくった子供たちが今50代でございます。これまた最近の統計によれば、50歳の生涯独身率が、男性は何と5人に1人。驚くべき数字です。女性も9人に1人。

 我が子の世代に結婚に夢を持たせ得なかった我々の世代の責任ということを私は痛感しております。ですから、次の世代のことを考えない高齢者は、先ほどの堀田先生の言葉で言うならば、私はやはり恥ずかしいと思うべきだと思います。たまたまということもあるかもしれませんけれど、高連協の2人代表である堀田先生と私は、「にっぽん子育て応援団」という団体の4人いる共同団長(若い世代が2人)の2人でございます。

○誇るべき日本の社会保障制度

 私は、自分の老後、つまり自分の一生いっぱいの未来を見ておけばいいなと60代ぐらいのころは思っていました。だんだん年をとってみますと、やっぱり我々世代は日本を豊かにしてきた、平和を保ってきた。これはすばらしい。

 それから、戦後の苦しい時代の中に、これは胸を張っていいですよ、国民年金と被用者年金はちょっと格差がありますけれど、何はともあれ、国民全員参加の年金制度を作った。そしてアメリカのオバマさんが逆立ちしたってかなわない、国民全体をカバーする医療保険制度を作ってきた。

 しかも約15年前、不況のどん底の中に、まだ世界でも珍しい、これまた全員参加型の介護保険を作ってきた。これは、はっきり言って我々世代の功績であります。介護保険制度も負担が増えることは百も承知の上で、何度世論調査をやっても、国民たちは全員で介護の社会化の方向を目指してきた。この国民性は私は誇りにしていいと思うのです。

○婚姻率の低下と少子化

 ですけれど、我々世代は一方で負の遺産も残してきております。一つが家庭生活を楽しくしなかった。夫と妻が睦み合うような文化をしっかりと根付かせてこなかった。つまり、若い世代が結婚に夢を持てない。今、少子化の理由の一つは、もちろん女が働き続けられないからではありますけど、それよりも、そもそも婚姻率の低下の方が要因としては6:4か7:3ぐらいで大きいです。もちろん、婚姻は人の自由であります。まして出産は、特に出産する側の女性の自己決定権に基づいている。これは厳然たる人権でありまして、無理やり子供を生ませるような政策には絶対加担してはなりませんが、できることは雰囲気の醸成です。

 私の子供も50代で、まるで絵に描いたように独身でございます。ですから、未来を考えるとき、このごろ、こう思うようになりました。うちの娘や息子たちが独身で少子化しちゃっているのは、善悪の判断は別として、やっぱりその原因を作ったのは、卵が先か、鶏が先かではなくて、先に生まれた者の責任だということは絶対わかっているんです。物にさえ製造物責任法というのがあるじゃないですか。だったら、この時代を作った私たちが時代の教訓として、せめて償いにこれからどういうことをしたらいいか。

 私は、婚姻率がこんなに低くなるというのは、ある時代だけの物事の変化の狭間の中で起こった一時的な現象と思いたいけれど、それを一時的な現象にするために、若い人たちが仕事や子育てに夢を持てる社会に、少なくとも高齢者たるものは、次の世代、これから生まれてくる世代のことも考え、地域全体のことを考えて社会に参加することが必要ではないか、それをしなかったら恥ずかしいのではないかと思っております。

○全員参加型の福祉社会

 さて、そう言っているうちに、本当に動きが少しずつ見えてきました。堀田先生がおっしゃった市川の例、様々な例、たくさんあるのですけれど、私も実例を用意してまいりましたので、お話ししたいと思います。

 参加の仕方は、参加する主体は企業もあれば、NPOもあれば、個人もあれば、もちろんそこに行政、あるいは社会福祉協議会のような半分公の団体、いろいろあるでしょうけれど、本当に全員参加なんです。これから「全員参加」という言葉をもっと広めませんか。

 私は初め、「総力戦」と言ったんですよ。そうしたら、戦争中みたいだからやめてくれと言われてしまった。私は総力戦でいいと思うんですよ。これは未曽有の挑戦ですもの。これだけ高齢者、ケアを要する人がいる社会をどう支えていくか。戦争中の総力戦は敵を殺すため、相手を滅ぼすための総力戦です。今、私たちが、この超高齢社会の中で地域を中心とした新しい社会を構築し、新しい未来を構築しようというのは、自分も他者も生かそうとする、命を支える総力戦です。命をつぶす総力戦と、命を支える総力戦と、言葉は同じでも、言っている意味は全く違うんですけれど。

 でも、そういう意味での「総力戦」ということも広めていっていいと思うし、もうちょっと角度を変えて言うと、「全員参加型」ということになります。それは参加するアクターが、それこそ幼い子供でもボランティアはできるんです。私は、アメリカという国の政策には賛成できないところもあるけれど、1人1人の子供に、利己主義だけでなくて利他主義──他者を尊重し、他者のために尽くすという教育は、日本の小学校でたまにやる社会参加型体験学習というよりもっと日常化していてすごいと思うことがあります。確かにアメリカは、スウェーデンのような社会福祉国家ではありません。だけど、キリスト教精神に根差してということだと思いますけど、社会全体が福祉型社会になっているという意味では、日本もまだ見倣う点はあるだろうと思っております。

○世田谷区の地域社会変動

 二つの例を御紹介したいと思います。わざわざ取材したわけではございませんで、たまたま向こうから飛び込んできた情報でございます。ということは、草の根地域社会の地殻変動が起こりつつある状態があるから、私がぼうっと生きていても話が飛び込んでくるのだろうと思います。

 一つは東京世田谷区の例であります。きっと「何を言っているんだ、俺の地域ではもっとやっているよ」という方がいっぱいいらっしゃるだろうと思いますし、もしいらっしゃいましたら、そういう芽を当たり前のことと思わず、新しい動きとして、やっぱり評価して、育てて、参加していただきたいと思っております。

 たまたまある集会で、私より少し若い友人から資料をもらいました。世田谷区というのは、御承知のように人口80万ですか。面積もたしか香川県より広いとか言われる大きな区ではあります。それにしても、全区内に150数か所というのは大変なことだと思います。150か所以上の「お休み処」というのができているんです。特に高齢者や子連れの人は大歓迎ということで、そこへ寄って、ほかのサービスはございませんが、飲料水の機械が置いてあって、冷たい水だけは無料で提供される。ベンチがある。クールシェアと呼ばれる施設もあります。「ちょっと立ち寄って涼んでいらっしゃい」。これは、実は高齢者にとっては大変ありがたいことなんです。

 私は、5年前に、命にかかわると言ってもおかしくない血管系の大手術をいたしまして、以来、心肺機能が同じ年齢の女の方に比べますと6割か7割しかございません。早く息切れがするということです。平地を歩いている分にはかなり歩いても息切れはしませんが、長距離歩くと息が上がります。階段というのは私の天敵でございましてね。膝も痛いんですよ。こうやって立っていたり、歩いたりする分にはいいんですけど、階段は上がるときは息が切れ、下がるときは膝が痛む。ですから、エレベーター、エスカレーターをきょろきょろと探します。

 「われ八十路 常の歩みはなりがたく 駅路八丁椅子二つ欲し」。私の近況です。私の家は最寄りの駅から800メートルあります。徒歩10分以内で行ける住宅地はいい買い物だと思って、40代の前半に、ここを終の住処にしようと思って買った住宅であります。今、800メートルの道が一息で歩ききれません。大体2か所ベンチがあったらいいなと思います。しかし、ベンチを置くと、我が方の4メートル道路はもう車の通行に不自由すると思います。

○在宅介護、巡回の現状と問題点

 ですから、私は、これは堀田先生ともしかしたら意見が違うかもしれないんですけれど、在宅介護の勧めはごもっともではありますが、24時間介護・巡回というと、車が家の前にとまれないと困る。うちの前の、ぎりぎり塀まで行って、4メートル道路とは言っているけど、本当は4メートルないです。これが杉並区のごく普通の、むしろ閑静な、中流よりはちょいと上と言われる住宅地の現状です。1台小型の車がとまったらもうすれ違えません。そうすると、巡回で来ても、自転車やバイクならいいけれど、医療器具を積んだ医師の車はどこへ置いたらいいのだろうか。そういうところまで考えて24時間巡回というのは進めてほしいと思っております。

 地域の中で介護と医療が連携して、支えていこうという基本的なことは大賛成なんですけれど、看護師さん1人が自転車だけで真夜中を往復せよというのは、これまた酷なことであり、さて、そういう人材がいるかどうか。私は、小さな施設も含めて、中学校区の地域包括支援センターのテリトリーの中でグループホーム的にやっていくということが大事ではないかと思っております。

○保健所主導の世田谷区「クールシェア」

 世田谷区の話に戻ります。「お休み処」は世田谷区の行政、保健所が主管しております。151か所の内訳はといいますと、まず区の中の地区センターは当然入りますね。それから、特別養護老人ホーム、それも割合と人の集いやすい町中にある特養、ここまでは当たり前ですね。

 それから、非常に多いのが調剤薬局です。ドラッグストアも。やっぱり薬屋さんは医薬分業になっていることが多いですね。水のタンクと、それから紙コップが置いてございますが、誰でも入っていただこう、そこでしばらくの間涼をとって水分補給をしていただいてまた歩き出そうという考えで、調剤薬局が151のうち3分の1ぐらい占めています。

 それから整骨院の待合室、お風呂屋さん、公衆浴場は必ず休むところがありますね。公衆浴場の待合室。括弧してあって、「ただし、入浴なさる方は有料です」。当たり前でしょうと思いましたけれど、ただ、入浴しなくても、そこで休んで水を飲んで、涼をとっていい。それから例えば三軒茶屋商店街ですと、商店街のどこか一角に三軒茶屋商店会事務所が必ずありますよね。そういう商店会の事務所。ですから、結局、協賛団体は、薬剤師会、それから整骨院みたいな団体、地域の商店会が非常に大きな役割を果たしております。

 このごろ、自助・公助・共助、いろいろ言いますけれど、そのうちに、もちろんビジネスの範囲内で、儲けをなくしてやろうとは言わないでしょうけれど、自分たちの成長にもつながるという自覚を持って、自助・公助・共助さらに「商助」という言葉が、その分野の研究者の中ではよく使われるようになりました。ビジネスもまた地域社会の一員として、場所を空けてクーラーに当たらせてあげて、あとお水をあげる。場所はもともと確保されておりますから。

 というわけで、7、8、9月はクールシェア。これが本当に日本全国に行き渡れば、熱中症で死ぬお年寄りは大分減るんじゃないでしょうか。冬の方は、12、1、2月でウォームシェアといっているそうです。こちらはもう「えりも岬」の世界。汗で火だるまのようになった若い親子がちょっと休んでいく。そして、そこで会話も生まれる、交流も生まれる。そういう場所を街中に作っていくということはとても大事なことだと思います。人の顔がある。そこへ行けばちょっとした会話が生まれる。ついでに涼める、暖まれる。

○地域自助による省エネ効果

 もう一つの効果が、実は省エネ効果なんです。私たち高連協では、吉田専務理事はよく御存じだと思いますけれど、構成団体の中に環境関係の団体もありましたので、省エネがずっとクローズアップされてくるとき、高齢者たちも環境問題に何か役立つことをしたいという気運が盛り上がりました。しかしその節「高齢者っていうのは、1人暮らしが多いから、他の世帯に比べてエネルギーを使っているんですよね」なんて言われてしゅんとなりました。

 孤立とか孤独とか言われるけど、人間はやっぱり1人でいる権利もあるんです。ですから、孤独死、孤立死なんていうことが悪いように言われ過ぎると、上野千鶴子さんのように、「そもそもおひとりさまが1人で死んで何が悪い。悪いことのように孤独死、孤立死と言ってくれるな」と。

 私は、孤立死が問題なんじゃなくて、死んでから長い間発見されないということは、その人の孤立した人生、孤立死が問題なんじゃなくて、そこに至る孤立生が問題なのであって、人を孤立させない生活のある地域をつくらなきゃという意味だと思います。死よりもそこに至る生のあり方を考えたい。本当におひとり死は当たり前になりますよ、1人暮らしの人がこれだけ増えるのですから。高齢者のいる世帯のうち、すでに2割がおひとりさまですから。全年齢で言えば27%を占めているのですから。そのかわり、おひとりで亡くなっても後が困らないように、いちいち死体検案書を書かなくても済むように、みんなが地域のかかりつけ医が持てるように、そして、その瞬間に立ち会わずとも、一日二日顔が見えないと、「あら、誰さん、どうしたのかしら」とのぞいて発見してくれるような生がある地域を。

 私は、孤独というのは、人間存在として時には自分で耐えなければならない。この耐える責任は若くとも、年を老いてもあると思うのです。しかし、孤立というのは、本人の責任ではなくて孤立させる社会のほうに責任があると思っています。私たちは、人々のプライバシーを守りながら、人を孤立させない社会を作っていきたいと思っております。

 これから甲子園野球が始まります。このごろは政府も省エネのために冷房を節約しようと誰も言わなくなりました。冷房を適当に使いましょう。お年寄りに熱中症で死なれちゃかなわないからでしょう。しかし、全世帯の27%ということになった1人暮らしの人が、全員この暑い最中に、1人にしては広過ぎるリビングに冷房をがんがんかけて、大型画面に1人向かって高校野球を見ているという風景もあまりうれしいものではないじゃないですか。

 どうぞまだ涼しいうちにお出かけになって、日盛りの何時間をみんなと一緒に大画面のテレビを見ながら、お水ぐらいしかございませんけど、お弁当を持っていらっしゃるのは結構でございますよ。そして、少し日が傾いてからお帰りくださいませというような地域のたまり場が、地域に広がったら、どんなに心丈夫か。そしてこれは、区が全部整備しろなんていったらとても予算がつかなかったと思います。既に既存の商店会とか、薬剤師会とか、そういう人たちがみんな自分の持てるものを提供して始まっている。

 さらにそれを一歩進めると、これはまだ数が少ないです、十数件しかありませんが、これも世田谷で、NPOが仲立ちになっております。大金持ちというのはなかなかそういうことをしないんですが、中金持ちというのは結構行動力があるんですね。つまり、自分の自宅などを提供して、地域の人に使ってもらう。寄付するわけではないけれど集会所とか料理教室とか、オーナーの趣味に秀でた自宅の地域開放を行っています。近くに住む友人たちが活動を手伝っています。そういう地域の資源。100万円現金で寄附しろと言われたらたじろぐ人も、今ある自分の不動産を自分1代だけでも使ってくださいというなら提供できる人がいて、そこの仲立ちする責任者のNPOがいて、補助金はもらえないでしょうけど、労力だけじゃなくて、ささやかな経済力やささやかな資産を提供し、自分の趣味も生かそうという人が、世田谷区だからといえばそうかもしれませんけど、出てきている。これはやっぱり地域の地殻変動ではありませんか。

○人生100年世代の中高年者によるリスタート

 もう一つ。さっきの産学共同ではありませんけれど、今度は地域、行政と大学との協働という動きがあり、全国にたくさん生まれています。はっきり言って少子化対策です。18歳だけを対象にしたら多くの大学は潰れます。今ほど大学が地域に扉を広げようとしている時代はないと思います。私がこの4月から女性未来研究所長に就任した東京家政大学の例を御紹介させてください。狭山キャンパスに「看護学部」と障害がある子供さんを支える「子ども学部」が新設されたのをきっかけに、「かせいの森のおうち」という認可保育園を作りました。地域のお年寄りのためのデイサービスセンターも近い将来計画中です。それだけでなくて、高齢者向けに1年コースの学習機関を作り、できるだけ地域の就労につなげていく。国家資格、業界資格に積極的に結びつける。介護をはじめ、農業、園芸──これは園芸士とか資格がとれるようにする。ですから、御自分の子育ての終わったお母様方、定年後のお父様方に地域を支える労働力として役立つ道を、ということですね。こうした大学は、今、全国に創出されています。

基調講演2の写真

 スウェーデンでは、これは前回もお話ししたかもしれませんけれども、今、50歳を一つの区切りとして、多様化する流れの中の一つとして、50歳で一旦退職し、1年ないし2年大学に入り直す。別の専門のコースを学んで、そしてまた50代前半で第二の職業をスタートするということが、政策として動き出しているそうでございます。

 私は、高齢者の就職というのは、多様性が大原則だと思います。この道一筋何十年の人もあっていい、途中で立ち止まって学び直してやっていくのもいい。人生100年というのは個人の時間が長く、その間の時代の変化は激しい世の中でございます。多様性を前提としながら、人生100年、生涯役立ちて生きるということが私たち国民の大まかな合意になる社会を目指して、私たち中高年者は特に初代ですから辛いこともたくさんございますけれど、頑張っていこうではありませんか。

 私は「三(さん)出(で)主義」と言っております。①出かけるところ、②出会う人々がいる、③出来ることがある。三出主義を言葉でかえれば、「きょういく」「きょうよう」と言うそうであります。「今日行くところあり」「今日用あり」。今日用があってここに出かけてきてくださった方の御健康を祝して終わりたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。