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若いころは、鹿踊りがとても上手だったじいちゃん。ついこの間まで、私や弟に鹿踊りを一生けん命教えてくれていたじいちゃん。
ところが、ある日、自転車で転んでいたじいちゃんを近所の人が見つけ、家まで運んできた。やたらとニコニコしているじいちゃんの表情を見て、私はほっとした。(きっと、ばあちゃんにみてもらって、照れくさいんだろうな。)しかし、実は、そうではなかった。
「じいちゃん・・・・・・。あだったみたい。」
と、ばあちゃんとお母さんが話していた。
「えっ。あだったって、何にあだったの・・・。」
そんな私の質問に答えるひまもなく、バタバタとじいちゃんの入院が決まったのだ。
あの時、じいちゃんは笑っていたのではなく顔の筋肉がけいれんを起していたということは、入院してからわかった。じいちゃんは、体の右半分の自由をうばわれたのだ。
あれ以来、じいちゃんの手助けをするために、家族全員が病院へ足を運ぶようになった。家族の暮らしはがらっと変わり、食事の時も暗いふんいきになった。弟などは、
「お父さんが帰ってくるまで食べない。」
と、だだをこねては、さびしそうな顔をしながら寝てしまうこともあった。また、食事のしたくや山のような後片づけがあると、(お姉ちゃんだって私だって、忙しくて大変なんだから。)と、不満をお母さんにぶつけてしまいそうな日もあった。でも、みんなががんばっているんだからと、私も自分に言い聞かせた。
そのかいがあって、じいちゃんがやっと退院できる日が来た。しかし、私の心には、うれしさと同時に、不安があった。1人で自分のことができないじいちゃんを他人に見られるのが恥ずかしかったからだ。食事の時、せきをするたびにご飯つぶをとばし、食べようとしてはテーブルにこぼしてしまうじいちゃんに、イライラする気持ちが強くなってきた。(もうすぐ運動会だけど、昼食の時間は、食べるところを見られたくないな。)と思っていても、もちろんそんなことは言えなかった。なぜならば、いやな顔をする私とは逆に、じいちゃんは、リハビリに一生けん命だったからだ。そんな姿に、私はじいちゃんのことを心から応援したくなっていった。(そうだ。家族全員が大事にしている鹿踊りを、運動会の発表の場で見てもらおう。)
私が一生けん命がんばる姿こそが、じいちゃんへのはげましになると、私は考えたのだ。
そしていよいよ本番の日。私は、じいちゃんに教えてもらった鹿踊りを精いっぱい踊った。とんで、まわって、楽しく踊った。
あたたかい目で私たちの踊りを見ているじいちゃん。踊りながら、私は、じいちゃんのことが恥ずかしいという気持ちなんか、どこかにふっとんでいった。
(これからは、じいちゃんが右手でできないことを、私がかわりにやってあげよう。)
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