栄典制度の在り方に関する懇談会第1回議事録

日時

平成12年10月5日(木)  10:30~12:05

場所

内閣総理大臣官邸大客間

議事次第

  1. 開会
  2. 出席者紹介
  3. 内閣総理大臣あいさつ
  4. 座長あいさつ
  5. 懇談会の運営について
  6. 栄典制度の概要について
  7. 意見交換
  8. 閉会

議事内容

総理府次長  それでは、ただいまから第1回目の「栄典制度の在り方に関する懇談会」を開催させていただきます。
委員の皆様方におかれましては、御多忙のところお集まりいただきまして誠にありがとうございます。
私、総理府次長の安藤でございます。本懇談会の座長が決まりますまでの間、進行を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。
それでは、本日御出席いただいております委員の皆様方を御紹介させていただきます。委員の名簿につきましては、お配りしております資料1の別紙にございますので、御参照いただきたいと存じます。

まず、今井延子先生でございます。
金平輝子先生でございます。
工藤敦夫先生でございます。
平山郁夫先生でございます。
藤森昭一先生でございます。
御厨貴先生でございます。
柳谷謙介先生でございます。
吉川弘之先生でございます。
なお、本日は所用により欠席されておりますが、小林陽太郎先生と山口昇先生にも本懇談会に御参加いただいております。
政府側出席者は、森内閣総理大臣。
中川内閣官房長官。
安倍内閣官房副長官。
上野内閣官房副長官。
古川内閣官房副長官。
中原総理府総括政務次官。
私、安藤総理府次長。
佐藤総理府賞勲局長でございます。

それでは、懇談会の開催に当たりまして、森内閣総理大臣からごあいさつをお願いいたします。

森総理  改めまして、おはようございます。
「栄典制度の在り方に関する懇談会」の第1回会合の開催に当たりまして、一言ごあいさつを申し上げます。
まずは、皆様方には、御多忙にもかかわらず本懇談会への参加をお引き受けいただき、厚く御礼を申し上げる次第でございます。
さて、我が国の栄典制度は、明治以来125年の長い歴史と伝統を有し、既に広く国民の間に定着しているものと考えておりますが、21世紀を迎えるに当たりまして、社会経済の変化に対応したものとすることが必要であると考えております。
栄典制度の在り方につきましては、国民的に大変重要な課題でありますので、政府として、広く国民各界各層の意見をよく聴取し、十分に議論を尽くしながら検討を進めてまいることが必要であると考えております。
このような観点から、この度、有識者の皆さんにお集まりをいただき、栄典制度の在り方について御議論をお願いすることになりました。
栄典制度は長い歴史と伝統を有するものであり、また、叙勲制度は他の栄典・表彰制度とも関連いたしておりまして、さらに、国際的な役割をも有しております。
このような栄典制度の性格をも踏まえながら、21世紀の我が国にふさわしい栄典制度の在り方について、幅広い視点から御議論をいただきたいと存じます。
私といたしましても、本懇談会の御議論も踏まえ、適切に対応してまいりたいと考えております。
なお、本懇談会の開催に当たりましては、吉川弘之先生に座長をお願いいたしたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
皆様方の忌憚のない活発な御議論を是非ともお願いいたしまして、簡単でございますが、私のあいさつとさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

(報道関係者退室)

総理府次長  それでは、吉川先生、恐縮でございますが、座長席の方にお移りいただきたいと存じます。

(吉川委員、座長席へ移動)

総理府次長  それでは、続きまして、ただいま総理から座長の御指名がございました吉川先生からごあいさつをお願い申し上げます。なお、以後の進行につきましては、吉川座長にお願い申し上げます。よろしくお願いいたします。

吉川座長  吉川弘之でございます。御指名をいただきましたので、座長として、司会進行役を務めさせていただきたいと思います。
今、総理のお話にもございましたように、この栄典制度の在り方という非常に重要な、国民的に関心も非常に高く、最近は様々な御発言も方々であるように感じますけれども、そういう重要な問題を議論する懇談会ということでございます。私、大変責任が重いものと感じておりますけれども、御期待に応えられるよう努力してまいりたいと思いますので、皆様方の御協力を是非お願いしたいと思います。
それから、本懇談会に私も可能な限り出席するというつもりでいるわけですが、万一、やむを得ない場合で欠席という場合のために、あらかじめ座長代理を指名させていただきたいと思いますが、工藤敦夫先生にお願いしたいと思いますが、よろしいでしょうか。

(「はい」と声あり)

吉川座長  それでは、よろしくお願いいたします。
ここで、所用がございまして、森総理、中川官房長官、安倍副長官、上野副長官は御退席をなさいます。

(森総理大臣、中川官房長官、安倍副長官、上野副長官退室)

吉川座長  それでは、これから議事に入りますけれども、その前に資料の確認をさせていただきますので、賞勲局長からお願いいたします。

総理府賞勲局長  お手元に議事次第、その下に資料を5点配付してございます。議事次第の下の方に資料の一覧が書いてございますが、それを見ながら御確認をいただければと思います。
資料1が「栄典制度の在り方に関する懇談会の開催について」というペーパーでございます。
資料2は「今後のスケジュールについて(案)」。
資料3は「栄典制度の在り方に関する懇談会運営要領(案)」でございます。
資料4は「栄典制度の概要・見直しの経緯等について」。
資料5といたしまして「各方面における指摘事項の整理」となっております。
よろしゅうございますでしょうか。

吉川座長  それでは、議事に入りますが、まず初めに本懇談会の開催要領、それから今後のスケジュール、本懇談会の運営要領等、今後の具体的な進め方についての説明をまずいただきたいと思います。賞勲局長お願いします。

賞勲局長  資料の1、2、3をごらんいただきたいと思います。
資料の1につきましては、懇談会の設置についての決定でございます。
「開催要領」の中の特に(2)でございますが、「懇談会には、必要に応じ、他の関係者の出席を求め、意見を聴取することができる」ということが書いてございます。必要に応じまして、ヒアリング等を実施したいと思っております。
資料2でございますが、今後のスケジュールでございます。
おおむね1年間で意見をまとめていただければと考えております。
開催につきましては、2月に1回程度を想定してこの日程を書いてございます。3回目、「各界からのヒアリング」というのを入れておりますが、これは懇談会の中で御議論いただきまして、いつが良いか、御決定いただければと思っております。
来年の春、5月を一応考えておりますが、中間的なとりまとめを出した上で、国民の方々の御意見をちょうだいする機会を設けてはいかがかと思っております。
それを踏まえまして、最終報告につきましては、10月ごろを目途にということで考えております。
資料3でございますが、運営要領と書いてございます。これはこの懇談会の進め方でございます。座長に司会進行をお願いするということと、懇談会は非公開ということを考えております。
ただし、懇談会の議事要旨につきましては、速やかに作成し、公表したいと思っております。
また、議事録もでき次第公表と考えておりますが、発言者の氏名につきましては、伏せた形で、どなたが発言したかというのは明瞭にしない形で出したいと考えております。
その他、何事か、必要な事項が出ましたら、その都度座長にお決めいただいてはいかがかと思っております。
よろしくお願いいたします。

吉川座長  ありがとうございました。何か御質問、御意見ございますか。
それでは、今局長の方から説明がありましたような形で、この懇談会を進めさせていただきたいと思います。
今日は最初でございますので、賞勲局長から栄典制度の概要、それから見直しの経緯、各方面における指摘事項等について、まず御説明をいただきたいと思います。

賞勲局長  それでは、栄典制度の概要、見直しの経緯等について資料4、5を利用して説明申し上げます。
まず資料4をお開きいただきたいと思いますが、1ページをごらんいただきたいと思います。

まず「栄典制度の沿革」について書いてございますが、我が国の勲章制度でございますが、(1)のまん中辺、明治8年の4月と書いてございますが、この4月に8階級の旭日章が最初に制定をされております。
その後(2)の方に出てまいりますが、明治9年に大勲位というものを設け、21年に宝冠章、それから、旭日大綬章の上級勲章といたしまして、旭日桐花章、それから8等級の瑞宝章、大勲位の菊花章頸飾を増設ということが書いてございますが、ここで大体現在の勲章の骨格が固まっております。
その後、昭和12年に至りまして単一級の文化勲章が制定されておりますが、それで大体固まったという形でございます。
したがいまして、旭日章ができてから、現在までで125 年の歴史があるということでございます。

2ページを御覧いただきたいと思いますが、「(3)戦後の勲章制度の推移」という項目が書いてございます。戦後、日本国憲法が施行される際に、戦前の官吏・軍人を中心とした栄典制度については、新憲法にふさわしいものになるかどうかということがございまして、昭和21年5月3日でございますが、閣議決定によりまして、官吏等に対する叙位、叙勲につきましては、新憲法が制定されまして、栄典制度の確立を見るまで、外国人に対する叙勲及び文化勲章を除きまして、生存者に対するものは一時停止という決定をいたしております。
なお、死亡者に対する叙勲はまだ残っておるということでございます。
それから、その次のポツのところに書いてございますが、昭和28年に、生存者でありましても、緊急に叙勲をすることを要する者につきまして、一部再開するという決定をいたしております。これは西日本を中心とした各地に風水害が発生いたしまして、救難、防災、復旧に挺身した方が多数に上ったということで、栄典制度の活用の必要が痛感されたものによるものでございます。
下段でございますが「栄典制度の検討」という項目がございます。憲法施行後に新しい憲法に合致したような栄典制度を検討するということで、昭和22年の片山内閣以後、いろいろ検討が進められてまいりました。3回国会に栄典法案を提出した経緯がございます。
まず第1には、昭和23年でございますが、芦田内閣の際に、国会に栄典法案を提出いたしております。

次のページでございますが、吉田内閣におきましても、昭和27年に国会に栄典法案を提出いたしております。
それから、昭和31年、鳩山内閣におきましても、栄典法案を国会に提出をいたしたという経緯がございますが、この3回とも、いずれも審議未了等で廃案となっております。
その後、石橋内閣、岸内閣等では、勲章の制度は現行のままにして、これを生存者に対しても運用することについて、研究を始めたという経緯がございます。

4ページでございますが、「生存者叙勲の再開」という項目で書いてございますけれども、昭和38年、第二次池田内閣のときでございますが、閣議決定で一時停止をしておったわけでございますけれども、閣議決定をもちまして、この生存者叙勲を再開するという決定をいたしております。
この際、従来、官吏・軍人が中心であったものを、民間を含めまして、各界を対象とするということで、その対象とするための基準と申しますか、昭和39年4月21日でございますが、叙勲基準という形で閣議決定をいたしております。
これはおおざっぱな概要を申し上げますと、各界の分野で功績のあった方に対しては6等を運用する。顕著な功績のあった方に対しては4等、著しく顕著な功績のあった方には2等。それから、国会の大臣をなされた方とか、そういう方については、1等から検討するというおおざっぱな内容でございますが、そういうような内容を定めました叙勲基準を閣議決定いたしております。
その直後でございますが、昭和39年4月29日に第1回の生存者叙勲を発令いたしております。以来、毎年春は4月29日、秋は11月3日ということで発令をされておる経緯でございます。

今日は叙勲を中心に御説明するということで、褒章の関係はちょっと飛ばさせていただきまして、6ページをごらんいただきたいと思います。
ここで戦前と戦後の叙勲制度につきまして、おおざっぱな比較をいたしております。特に(2)の「叙勲の対象」を見ていただきたいと思いますが、戦前におきましては、主として軍人・官吏が中心でございます。民間人にも叙勲の道は開かれておりましたけれども、実際に叙勲された方は非常に少数でございました。
それに対しまして、戦後におきましては、国家公共のため功労のあった方を広く表彰するということで、先ほど申し上げましたように叙勲基準を閣議決定しているわけでございます。

それから「叙勲の発令方法」というのが(3)に書いてございますが、戦前におきましては、特に官吏・軍人が中心であったということで、定例叙勲というものが主でございました。これは叙勲内則という規定がございますが、これで最初に叙勲をするときの在職年限、それから昇進するに当たりまして、必要な在職年限が規定をされておりまして、武官文官を問わずに、一定の年数に達した方々を毎月叙勲をしておったという経緯でございます。

それに対しまして、戦後に至りましては、春秋叙勲を中心といたしております。原則として70歳以上で、功績が固まったところで1回で評価をするという形に変わったわけでございます。
そのほか死亡叙勲その他がございますが、主体は春秋叙勲とお考えいただきたいと思います。

それから、旭日章と瑞宝章の関係が書いてございます。
明治8年勲等勲章といたしまして旭日章が設けられた後に、瑞宝章が21年にできているわけでございますが、そのときの瑞宝章制定の趣旨に書いてあることでございますが、軍時、あるいは平時とありましても、特に功労顕著な方に対しては、旭日章を出すと。それに至らない方、あるいは年数で評価する方に対しては、瑞宝章を授与するということで運用したいということが書かれております。 現在はどうなっておるかと言いますと、同一等級におきましては、旭日章が瑞宝章よりも優位ということで、旭日と瑞宝を半格ずらして運用していると。旭1の次が瑞1、その次が旭2、瑞2という格好になるわけでございます。したがいまして、旭日と瑞宝と8級ずつあるわけでございますが、半格ずらした関係で16階級を運用しているという形になります。

7ページをごらんいただきたいと思いますが、そこに「栄典の法的根拠」が書いてございます。
現在、日本国憲法の第7条でございますが、天皇は内閣の助言と承認により、国民のために左の国事行為を行うという規定がございまして、その7号に栄典を授与することという規定がございます。 その次のところに、参考として「主な栄典関係法規」というのがございますが、旭日章を定めた明治8年の規定というものは太政官布告でございます。その後のいろいろ製式を定めたりというものは、勅令で定められているということでございまして、勲章の形を決めたりということなので、新憲法下におきましても、特に個人の権利義務に関するものではないということで、法律事項ではないという整理を一応されておりまして、日本国憲法施行後でありましても、これにつきましては、政令に相当する効力を持つものとして有効であるという解釈になっております。その説明が注のところに書いてございますが、これは省略をいたします。

それから、8ページでございますが、「叙勲・褒章制度の概要」という項目でございます。勲章の種類という項目がございます。勲章の種類につきましては、大勲位菊花章というものがございますが、主として一般の方に出るのは旭日章、宝冠章、瑞宝章でございます。旭日章につきましては、勲一等旭日桐花大綬章というのが別格としてございますが、勲一等旭日桐花大綬章以下、勲八等まで、個別に旭日大綬章、旭日重光章というような、個別の名称のついた勲章が8階級ある形になっております。
それに対しまして宝冠章は勲一等宝冠章から勲八等宝冠章まで、ただ宝冠章という名前だけで、数字だけで序列が付けてあります。
それから、瑞宝章につきましても、一等から八等という形になっておりますが、個別の名称はついておりません。
それから、文化勲章というのは単一級ということで設けられておるわけでございます。
実際の運用におきましては、旭日章と宝冠章につきましては、旭日章を男に運用し、宝冠章を女性に運用するということになっておりますが、同格と考えております。瑞宝章をそれより半格落ちるものとして運用しているという形に相なっております。

9ページの褒章の種類でございますが、これは割愛させていただきます。

10ページ、「叙勲と褒章の比較」だけ申し上げておきますと、叙勲につきましては、「国家または公共に対する功労を総合評価」するということで、70歳を超えたときに一回で評価するということから、すべての功績を総合的に勘案して勲等を決めるということになっております。
それに対しまして、褒章の方は、特定の分野につきまして、特定の功績があったときに評価するということで、これは同じ褒章が何回も出ることがあり得るということになります。
それから「対象者」でございますが、叙勲につきましては、すべて国家・公共に功労のある方を民間人、公務員問わず対象といたすということでございますが、褒章につきましては、主として民間人を対象といたしております。紫綬褒章だけは、研究業績等につきまして、公務員も対象にいたしておりますが、黄綬褒章、藍綬褒章につきましては、原則民間の方を対象といたしております。
「対象年齢」も、叙勲につきましては70歳以上、人目につきにくい分野、あるいは、労苦の多い分野につきましては55歳以上という特例がございますが、褒章につきましては、55歳以上を現在は運用しております。紫綬につきまして、50歳以上というものがあるわけでございます。

11ページでございますが、どういう叙勲の仕方があるかということでございます。
(1)に春秋叙勲とありますが、一般に広く国民の目に触れるのはこの春秋叙勲ということで、春は4月29日、秋は11月3日ということで、現在は各回おおむね4,500 名ということになっておりまして、年間約9,000名が対象になっております。
下の方には勲等別の数字等が出ておりますが、これは割愛させていただきます。

次の12ページに、「死亡・緊急叙勲」、「高齢者叙勲」というのがございますが、死亡叙勲と申しますのは、春秋叙勲の対象となるべき方でありますが、叙勲されないうちに亡くなったという方、例えば70歳前で亡くなられた方等も対象になるわけですが、そういうような方々に随時実施するということでございます。
緊急叙勲と言いますのは、特に功労のある方が、とにかく急いで表彰する必要がある場合ということでございます。実は3日にオリンピックの金メダリストに官邸で賜杯の伝達がされておりますが、これも緊急叙勲の一種でございまして、昭和35年のローマ・オリンピック以来、金メダリストに対しましては、二等相当の銀杯でございますが、お出しするという慣例になっております。
「高齢者叙勲」と申しますのは、春秋叙勲の方が毎回4,500 名という数字に制限がある関係で、なかなか優先順位がという方で、なかなか受章できない方が出てまいりますが、そういう方々に対しましては、年齢88歳に達したときに、すべてお出ししようということで、昭和48年以降始まっておるわけでございますが、毎月1回、1日付で発令をいたしておるところでございます。
死亡叙勲、高齢者叙勲を合わせまして、これも春秋叙勲と似たような数でございますが、大体1万人くらいが出ておるかと思います。

13ページは外国人の関係が出ております。これは割愛をさせていただきます。

14ページでございますが、文化勲章の関係でございます。これは昭和12年で勅令で文化勲章令というのが出ておりまして、文化や芸術の発達に関し、勲績卓絶な方という方を対象といたしまして、11月3日に発令をいたしております。
この文化勲章につきましては、文部大臣が文化勲章の推薦の関係の手続をやっておりまして、文化功労者選考審査会というものが置かれておるわけでございますが、この方々の意見を聴取した上で、文化功労者の中から選考するという形になっております。 この関係は各界からの指摘の中でも出てまいりますので、ごらんいただければと思います。

15ページには褒章の話が出ておりますが、これは割愛して、16ページをごらんいただきたいと思います。

これは参考といたしまして、外国の勲章制度をおおざっぱにまとめてございますが、諸外国の主な勲章と等級ということで、例えば英国でありますと、一般の方に広く出る勲章といたしましては、最優秀英帝国勲章というのがありますが、これは5等級でできております。英国の場合にはほかにいろいろ勲章がありまして、例えばガーター勲章でありますとか、シスル勲章、バス勲章というものがありまして、単一級であったり、3等級であったりというものがあるわけでございます。
フランスが一番有名でございますが、レジョン・ド・ヌール勲章、国家功績勲章という2種類がございまして、これをおのおの5等級でございます。
ドイツ連邦共和国につきましては、共和国功績勲章というのがありまして、ここには8等級と書いてありますが、中身はおおざっぱに分けますと、大綬章、中綬章、小綬章の3等級の中を多少割っているという形で8等級になっているかと思います。
イタリアにつきましては、共和国功績勲章、これも5等級でございます。
ベルギー等につきましても、5等級等々のものがありますが、ヨーロッパにつきましては、近代の勲章制度、ナポレオンがレジョン・ド・ヌールをつくったのが中心でございまして、5等級というのが非常に多いかと思います。

17ページ以降には、外国の勲章につきまして、若干詳細な説明をいたしておりますが、今日は割愛をさせていただきます。

21ページをごらんいただきたいと思います。
栄典制度の中には叙勲のほかに叙位というものがございます。この叙位につきましては、約千四百年の歴史があるということとで、推古11年、西暦の603年でございますが、人材登用の道を立てるために、聖徳太子によって、隋の制度にならって創設された冠位十二階の制というのがございますが、これがもともとの起源だと言われております。
現在、行われております制度につきましては、大正15年、位階令というのが勅令で出ておりますが、正一位から従八位までの16階になっております。これが現在も運用されているという形でございます。
戦後21年5月の閣議決定によりまして、こちらの方も生存者に対する叙位が停止されておりまして、死亡の際にのみ従前の制度を適用して叙位の取り扱いがされておるということでございまして、現在もこちらの方は、死亡者に対してのみ叙位がされているという形でございます。

23ページには、国民栄誉賞というものの資料が入れてございます。
例えば自民党のプロジェクト・チームにおきましては、国民栄誉賞については、勲章の制度の中に取り入れるべきだという御議論があるので、参考として入れてございます。
国民栄誉賞につきましては、広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な功績のあった方を表彰するということで、これは総理大臣からの表彰でございますが、国民的な盛り上がりが非常にあるというときにお出しするということで運用されておりまして、次のページに今までもらった方のリストが入っております。
王選手から始まりまして、黒澤明監督まで、14名の方が受章されております。

25ページの「内閣総理大臣表彰(顕彰)」も、総理大臣が国家社会に顕著な功績があった方々を表彰するという制度でございまして、26ページに受賞者が載っておりますが、いろいろな方が出ておられます。
この2つの表彰制度は、これを勲章に取り入れるかどうかということが若干問題になろうか思っております。

それから、資料編というのがございまして、これはいろいろ統計数字等がございます。その中で1つだけ御紹介いたしますと、13ページをお開きいただきたいと思います。各界からの指摘の中で官民の数のアンバランスというのがよく言われておるわけでございますが、円クラフが掲げてございます。左の上の一番黒い色にしているあるところが民間でございますが、民間が約31%ということで、その下に「公選職」というのがございます。これは国会議員の方々、あるいは知事、市長、都道府県議会の議員さん等々でございまして、選挙で選ばれる方でございますが、これが1割弱というところでございます。その残りが一般の公務員ということでございますが、私どものような一般の公務員が18%くらい。判事・検事さんが2%、教育・医療職が15%、公安職等ということで、警察等々でございますが、18%という形でございます。こういう形で公務員と申しましても、教育・医療、公安職が多いということでございます。そういう状況にございます。

それから、栄典の見直しにつきまして与党の方の動きということが、次のところでございますが、ちょっとごらんいただきたいと思います。与党におきます栄典制度の見直しでございますが、これは昨年の12月に自民党の内閣部会に栄典制度の検討プロジェクト・チームというものが設置されまして、いろいろ検討が始まったわけでございまして、12年4月13日に自民党のプロジェクト・チームが報告書を取りまとめております。
この中身は次の資料に入っておりますが、それを受けまして、4月27日から与党3党で与党のプロジェクト・チームというのを開いてございますが、現在検討中ということで具体的な中身はまだ出ておりません。

自民党のプロジェクト・チームがどういうものをまとめられたかということでございますが、次のページをごらんいただきたいと思います。
大体1ページに主だったところは書いてあるわけでございますが、勲章につきまして、等級を19階級あるものを13に簡素化しろということが書かれております。この19階級と言いますのは、菊花章につきまして、大綬章と頸飾、これを2つと数えておられると思います。それから、旭日の桐花章を入れて3つ。それから旭日章の8階級と瑞宝章の8階級、これを合わせて16階級と計算されて19と言っておられると思います。それを13にと言っておられますのが、おのおのの旭日章と瑞宝章を5階級に減らせという御趣旨かと思いますが、そういうふうに等級を減らして少し簡素化をしたらいいということが一つ。
(2)で出ておりますが、勲一等などの数字による等級の表示をやめるということを言われております。
例えばデザインによる表示になさいということでございますが、先ほどちょっと勲章の種類のところで申し上げましたように、旭日章につきましては、おのおのにつきまして、勲章の形から名前が付いておるのでございますが、宝冠章と瑞宝章については、数字による表示しかないということがございます。
それから、(3)でございますが、宝冠章、これはプロジェクト・チームの中でもいろいろ御議論ございまして、男女共同参画の時代に女性専用の勲章というのが必要かどうかということで、同じものを渡すべきではないかという御議論がございました。自民党の中では、女性の礼装に適するデザインであるということで、現行どおりで良いのじゃないかなという結論にはなっておりますが、そういう御指摘がございました。
それから、勲章について官民格差の是正ということで「後述5」と書いてありますが、これは、1つは先ほど申しました数の問題でございまして、官と民の受章者の割合を1対1にすべきであると。それから、各等級の割合も1対1にしろという、その方向で検討しろという御指摘が入っております。
(5)にありますが、受章者の配偶者に対して何らかの顕彰制度を設けるべきであると。奥様同伴で拝謁等に出るわけでございますが、奥様の方に何か差し上げるべきではないかという御指摘がございました。

あと、褒章等についての御指摘がございますが、2ページ目に大きな3でございますけれども、新しい勲章をつくるべきだという御指摘が大きなものとして出ております。
これは、社会の各分野で顕著な功績を上げて広く国民の尊敬の対象となっている方を顕彰するために、文化勲章に匹敵する格の高い勲章として社会勲章ないし社会功績章というものをつくるべきだということでございますが、有識者による選考委員会を設けて選考し、年間数十名程度出すような形でやったらどうかという御指摘が1つ入っております。
そのほか、選考方法等にきまして、民間の選考委員会を設ける等の指摘がございますが、主だったところを申し上げたところでございます。

最後に、資料5をごらんいただきたいと思いますが、今まで各方面で指摘を受けましたものを、私どもでおおさっぱにまとめたものを1枚にまとめたものでございます。
まず第1に出てくるのは、栄典というものが要るのか要らないのか。勲章制度というのは不要じゃないかという御指摘がかなり出ております。したがって、栄典の意義についての検討が要るかということでございます。
叙勲制度の基本の問題で、官と民との叙勲の在り方、これ官と民と同じものを出しているわけでございますが、それがいいのかどうかということでございます。
特に等級の必要性というのを次に書いてございますが、民間については等級が特に要らないという御指摘もありますので、そういうことでございます。等級がもしあったとしたときに、自民党の申されるように、5階級が良いのか、もう少し多くても良いのかということと、数字による表示がふさわしいかということが1つございます。
それから、宝冠章につきまして、女性専用の勲章というものが今後もあっていいのかどうかということ。
それから、新たな勲章が必要かどうか。これは従来の勲章との関係もありますし、褒章との関係もございます。それを考えなければいかぬかということでございます。
それから叙勲の対象につきまして、現在、すべての分野を対象といたしておりますが、自民党の中でも国会議員は出す必要はないとか、公務員は当然給料をもらってやっているのだから要らないという御議論もちょっと出ておりました。

受章者数につきましては、現在、年間、春秋で言えば9,000名でございますが、これが多いか少ないかという議論が出ております。
また、官民の数の問題も1つ入ります。
それから、年齢が今は70歳が原則でございますが、年齢によりまして、老害を助長しているという御指摘があるということでございます。
春秋でまとめるものばかりでいいのか、もっと適宜に出すものがあってもいいのではないかということが1つありまして、例えば自民党の中でも例えば警察官の現場の方々の等級については、手厚くやってあげなさいという指摘がございますと同時に、官の数を抑制しなさいというのがありますので、ここら辺、特に御労苦の多いものにつきましては、本来55歳以上で出せるということになっておりますので、春秋まで待たずに出して良いのかということも1つあろうかと思います。
選考方法につきましては、民間の審査員を入れるという御指摘があったり、あるいは各省庁の推薦基準に適合しないけれども、全体として見ると立派な表彰すべき人がいるじゃないかということで、そういう人を救う方法を考えろということがあったり、そのようなことをよく言われております。
それから、官民の格差ということでは、例えば学校の先生などでは、国立と私立で大分差があるという御指摘があるということがございます。
それから、勲等のバランスと言いますのは、国家公務員と地方公務員でかなり差があるということとか、各地域でいえば、町長さんに六等しか出ていないのに、そこの小中高校の先生に五等が出ているということで、地域の中のバランスが悪いという御指摘もございます。
それから、褒章との関係で、叙勲と褒章、同じようなものを対象としているので、重複しているのじゃないかという御趣旨とか、例えば緑綬褒章、徳行卓絶な方に出すものでございますが、これを運用したらどうかというような御指摘等がございます。
それも今、年齢、先ほど申しましたように、50歳以上を対象としておりますが、もっと若いときに出したらいいだろうという御指摘がございます。

それから、文化勲章につきまして、これは実は文化功労者の中から選んでいるせいもあるわけでございますが、結構高齢化しておると。特に80歳を超えた方が多いということもありまして、選び方をもう少し考えたらどうなのだということが指摘を受けております。
それから、叙勲と褒章に関連する制度といたしまして、位階については、これが要るか要らないかということが御議論になっておりますが、自民党の中では非常に長い歴史のあるものであるし、亡くなった方に対する追悼の意味もあるので、これはそのままでいいだろうということは言われておりますが、御指摘が多くございます。
それから、国民栄誉賞等の総理大臣の表彰を栄典の中に取り入れるのがいいのか、総理大臣のところに残した方がいいのかというのがございます。

その他ということで、法制面の問題を考えておりますが、先ほど申し上げたように、太政官布告、それから勅令で今定まっておる中身が多いものでございますので、これを法律にすべきだという御議論が出ております。ここら辺、法律が本当に必要か、あるいは政令レベルでいいのかというようなことがあろうかと思います。
また、過去の受章者との関係というのが書いてございますが、勲等を減らしますと、従来六等とか七等を受けておられた方が、新たな基準でいきますと五等になるということになりますと、従来の方が不満を持ったりするということがあってはならぬということで、この関係をまず整理する必要があるだろうという御指摘があるということでございます。

以上、駆け足で申しわけございませんが、資料の御説明です。

吉川座長  どうもありがとうございました。
以上、局長から賞勲の歴史、経緯、更に今までの指摘事項と言いますか、論点というものについて大変簡明にわかりやすくお話しをいただいたと思います。
今日は最初の会合ですので、委員の先生のいろいろなお考えを伺っておいた方がよかろうと思います。
栄典について、どういうお考えをお持ちなのかとか、あるいは今日の局長のお話に質問ということもあろうかと思うのですが、そんなことで御一方ずつ御発言をいただきまして、それから時間がありましたら、自由討論という形で進めさせていただきますので、よろしくお願いしたいと思います。

 個人的には全く興味がないと言っては失礼ですけれども、私の周りではもらった方というのが、土地改良、消防団、農協の組合長、学校の校長先生といった方がいらっしゃいます。その都度お祝いというものを派手にやっていらっしゃるようなので、大変だなという感覚でしか見てなかったのですが、直接出席したこともないので、そのときの雰囲気等よくわかりませんけれども、大分大勢の方を呼んでお祝いをしている感じです。
確かに同じ職を長く務められて御苦労されたということもわかりますし、そういう章をいただけるという、地元にそういう方々が多くいらっしゃるというのも、非常に良いことかなという程度のことしか考えていませんでした。
こういう会に参加させていただいて、やっと勉強するというのが現状なのですけれども、もっと年齢に余り70歳ということにこだわらず、その都度それなりの功績を認められた方に上げられるような状況になったら良いのじゃないかなとか、あと、推薦というか、どういった推薦の仕方をしているかというのもわかりませんでしたので、深く考えたことはありませんでしたけれども、長く同じ職をまっとうされ功績を上げられたという感覚でしか物を見ていませんでしたので、できればもっと現実的にいろんなところで御苦労されている方を選べる体制というか、選考方法というか、そこら辺をもう少し考えていただければなと思っています。
今のところそんなところです。

 私は栄典制度と申しますと、そこに制度があるというふうに考えておりまして、栄典制度そのものをそんなに深く考えたことはありませんでした。しかし、これまで仕事の関係で叙位とか叙勲というものについての仕事に、直接ではないのですけれども、携わったことがございまして、その際に、これをお受けになる方、推薦する、受けるというふうな過程を見ておりまして、叙勲に対する国民の考え方とか思いというものが非常に様々あるということをいつも考えておりました。そして、私はそれを今思い起こすと、栄典制度というものは日本の文化の1つになっているなという感じがいたします。
したがいまして、今回見直すという1つの前提があるわけなので、私も見直すべきところがいろいろあるかと思いますけれども、しかし、長い間に培われてきた制度と一緒に、先ほど申しました文化と言われるような人々の思いみたいなものがつくり上げられていますので、余り軽々にやってもいけないかということで、私自身、まだどういうふうにスタンスを置くべきか、ちょっと考えあぐんではおります。それが、私がこの懇談会に参加する1つの自分の態度ということでございます。
また、具体的なことはここで勉強させていただきながら、いろいろと考えたいと思いますが、あえて言うならば、この制度が官民格差ということもございますが、地方分権ということを考えますと、やはり国家に対する貢献ということだけでなく、社会に対する貢献パブリックということを考えると、もう少し地方というものも考えていいのかなと思います。これは対象の問題であり、手続の問題であると思いますが、まだ詳しくはわかりません。
もう一点、具体的なことでは、何となく若い人に励みになるようなものが、この制度には何もないなという気がします。
先ほどの国民栄誉賞とか、スポーツ賞の関係ではございますけれども、勿論、それは大変大事な分野ですが、いろいろと今、若い人々がさまよっているような状況の中で、何かそういう若い人の励みになるようなものがあるのか、若い人たちが、何を言っているのだ、そんなもの要らぬとおっしゃるのか、そこもよくわかりませんが、ちょっとそういうことを考えておりますということだけで今日は勘弁してください。

 私は栄典制度それ自体というのは、やはり残すべきであるという基本的なところがございます。それは金銭で評価されないような国家、社会に対する貢献というものが一つ。
もう一つは、外国との交際儀礼と言いますか、そういう観点もあるだろうという気はしております。
ただ、その中で言われている官民格差といったもの、私具体的によくは存じませんが、国公私立の先生の間の格差であるとか、そういう是正すべき点は非常にあるのじゃないかなというのを感じております。
もう一つ、個人に対してはありますけれども、社会に対する貢献ということを考えると、団体に対しての何らかのものがあっても良いのじゃないか。外国辺りどういうふうになっているのか、今後勉強させていただきたいと思っています。
それから、男女差別とか言われていますが、宝冠章などがすぐ取り上げられるのですが、一方ではデザインが非常に女性に合ったと、こういうことも言われるのです。デザインを言われると私は何も言えないのですが、実際につけられるのは皇族を除いては現実の場としてほとんどないということを考えると、それが大きなものなのかなと。皇族の場合には確かに非常に多くの場があるだろうと思います。
そういう意味では略綬というものを考えられれば、そこでデザインの問題は回避できるのじゃないかという、略綬の活用というのを考えてはどうか。
同時に、さっきもちょっと話が出ておりましたが、配偶者というのも、やはり略綬に似たような形でやれば、これは何らかの評価ができるのではないかなと。
更に、等級は確かに多過ぎるので少なくした方が良いとか、あるいは勲一等とかいう呼称は改めた方が良いとか、その辺は外国との比較なり、あるいは言葉で置き替えられる適当なものがあれば、それは考えてもいいのかなという気はいたしますけれども、以上のようなことを現在漠然と考えております。今後皆様の御意見を伺いながら、また意見を申し上げたいと思います。

 栄典制度は原則的には皆さんの言われるとおり、日本の文化の一つで、大変伝統のあるものですから、名称や制度そのものは持続して、日本の文化の誇りの一つであるということで考えております。
ただし、官民格差を言われておりますが、これは少し民の方も考えられたらいいんじゃいなかと思います。
それから、いろいろな褒章制度を、栄典、勲章の方へ繰り込んだらという意見もここありますけれども、例えば今、総理大臣がおやりになる国民栄誉賞だとか、そういったものも現行でよろしいのじゃないかと思うのです。
そういう意味で、勲一等から八等までちょっと多過ぎるのではないかといろいろ御指摘がありますように、今まで取られた方のことを考えて、名前は余り変えない方がよろしいのじゃないかという感じもいたします。
一番の指摘は官民格差の、陰の力になっている功労されている民の方を増やすべきだというのは御指摘のとおり大変賛成でございます。
以上です。

 考えていることを2、3申し上げます。
栄典制度というのは、国が国民の国家公共に対する功績というものを評価して、これに名誉を与えるという制度であって、これは各国を見ましても、どこにも広く存在していることですし、日本においても明治以来ある意味では定着しておるわけでありますから、これは維持すべきものであると考えております。
また、この場合に、その評価というのは人を評価するわけではなくて、その人の功績を評価するという点が往々にして誤解を生んでおって、人にランクを付けるというふうに言われる甚だ心外な話でありまして、人の功績を評価するわけでありますから、評価である以上そこに差が生じるのは当然だと思います。
ただ、その差というものを勲章等に表す場合に勲一等、二等というふうに言うか、あるいはほかの名称をもってするか、あるいは間隔をどのようにするか、このようなものにつきましては、もう少し国民の考え方もよく判断しながら動かしてもいいのではないか。こんなふうに思います。
特に文化勲章等になりますと、これは無等級でございますが、これは当然のことながら、勲章そのものが文化の発達に関し、勲績卓絶なる者のというわけでありますが、これは最高であって順位のつけようがないというわけであります。これがほかの分野で新しい勲章をつくろうという御議論があるときには、十分頭に置かなければいけないことではないだろうかと思います。
それから、官民格差の問題、あるいは男女の格差の問題がいろいろ議論されております。多くの人の議論を聞きましても、もともと勲章は官中心に創設されてきた経緯及びその発展の歴史を考えてみますと、ある程度そういう過去の実態を反映していることであって、これはある意味ではやむを得ない形であったかと思うのですが、しかし、その差をこの際是正をしていこうと、これまた当然のことで、新しい時代における栄典制度が健全に発展していくというためには必要なことであると思っております。
ただ、方法でございますが、官民格差をなくそうということからして、例えば官が1だとすると、民も1だと。それから、等級についても、各等級、官が1、民が1というふうにやるべきだと、こういう考え方を私は取るべきではない。そういうことをやるのではなくて、やはり同じ分野等におきまして、同じような功績がある。先ほど公立の大学の先生とか、あるいは私立の先生の間に差があるというお話がありましたけれども、そういうような点において、やはり官民を問わず、功績というものが等しければ、その間に官民の差を付けるべきでないと私は思うのです。それが公正なやり方ではないか。それを数の上から1対1にすべしというのはかなり乱暴なことであって、それはかえって栄典という制度の公正な発展を妨げるものではないかと思います。
男女につきましても同様なことがございまして、現在70歳以上の方が受章の対象になっておりますからことから考えますと、その時代の女性の社会的な活動の範囲というものは、ある程度差があったわけでありますから、それが今の叙勲にある程度反映しているわけでありますから、そのことをまず直ちに1対1にすべしという数字の目標を持って作業の目的にしていくということは、官民格差と同じように適正なことではないと。
今、だんだん女性がいろんな面が活躍してこられているわけでありますから、1対1ということではなしに、今に逆転して女性が2、男性が1ということになる可能性だってあるわけだから、人数で押さえていくということは、わかりやすいと言えばわかりやすいのですけれども、勲章のような制度の健全な発展ということについて考えていくと、私は、これは非常に慎重な考慮を要するのではないか、こんなふうに思います。
もう一つは、各種の褒章、それから国民栄誉賞とか総理顕彰とかいろんな制度がございます。これらは勲章の中に取り入れるべきだという御議論があると思いますが、それは取り入れられるものもあると思います。勲功というものはさまざまな目で見られますから、次元の違うものが様々ありますから、そういうところへ入れておかしくないものもあると思います。
ただ、国民栄誉賞創設のときの議論を考えてみますと、あれはやはり勲章というふうな非常にかっちりした制度の中では取り入れないような功績、これを国民に非常になじみの深い分野、例えば歌謡曲であるとか、スポーツであるとか、そういう非常になじみあるポビュラーな分野において、国民に非常に人気のある、そういうことで前人未踏のような業績、こういうものを総理が機動的に表彰しようということから出たものでございます。規定の判断基準というものをごらんいただきますとわかりますけれども、まさに人気投票のような形でこれをやっていこうというわけでありますから、基本的に言えばそれは勲章、国家による評価とは違う。やはり政治の長、行政の長である総理が機動的に、弾力的に実行していく、こういうものがなくてはならないであろうと思います。
だから、それと勲章とひとつにするとか、同一にするということは制度としては、私はおかしいと、こんなふうに思っております。
とりあえず以上でございます。

 私は一番年齢的にも若い方でありまして、実感から言って勲章というのは豪く遠いという感じがあります。ただ、10年ほど前にある雑誌に私は栄典制度について、やや政治史的なエッセイを書いたことがございまして、そのとき以来思っているのは、国というのは、人を誉めるものだろうと思うわけです。今の恐らく勲章というものは、国家というものと、それを生きてきたその人のそれなりの、それぞれの人生を重ね合わせるというところにポイントがございまして、したがって栄誉の体系というのは、これは国家があれば必ずあるものですから、そもそも廃止するとか何とかいう問題ではなくて、どういうふうに誉め方を変えていくのかというところに恐らくポイントがあるのだろうという気がするわけです。
とりわけ、今の象徴天皇制の下では、天皇の国事行為として、一番天皇を意識し、国家を意識できる、そういうところでもありますから、私は全体としてこのシステムは維持していくべきだろうと思います。
ただし、日本の常でありまして、これは昭和39年に再開をされてから、かなり細かい、これは日本の場合は非常にポイント制とか、どこの分野に入れるとかいろいろ細かいことを言いまして、かなりその評価基準がよくわからなくなってきているというところがあるのと同時に、先ほど何人の方から御指摘がありましたように、受け止める側が国家による人間ないし、特に経済界の場合には、会社や業界の格付けとしてそれが作用してしまっている面があるのは、これはやむを得ないのです。もうそういうふうになっている。そこをどういうふうに変えていくかということなのだろうと思うのです。
それから、成熟社会になってきて、一方でこうしたものについて普通の賞や表彰制度も実に今は多くなっておりますから、そういう点でたくさんの誉め方ができているということと同時に、現在社会は非常にスピードが速いものですから、価値観というが、なかなか国の認める価値観というのは一体何なのかというところが、よくわからなくなってきているというところがあると思うのです。
だから、人生の長い功績があって、その最後の一点で評価するという部分と、先ほどちょっと若い人にもという話がありましたけれども、短期的なもので、ポイント、ポイントで評価するというその両方を、多分どこかで見ていかなければいけないということだろうということだろうと思います。
同時に、先ほどもありましたけれども、人数を何対何にするとかというのはわからない議論ではありませんけれども余り人工的にいろいろいじくりますと、そもそも勲章とかいうものには、ある種のありがたみとか、神秘性みたいなものがあった方がよろしい面があって、判断を全部裸にしてしまうと、どこどこの者は必ずどこどこの勲章になるということになると、これはもらう方のありがたみは全くなくなってしまうわけだから、その辺は恐らく按配なのだろうなという感じがいたします。
もう一つ、これは今日の議論の範囲外に出ることなのでしょうけれども、やはり勲章をいただいてもそれを着けるチャンスがないという、この日本社会の大いなる矛盾でありまして、皇族以外には着けていくところがないとすれば、結局身内の勲章をいただいた、叙勲のお祝いの会をやったときに着けていくか、見せるかという程度でありまして、これはやはり勲章の言わば活用というものを少し考える必要が、これはここで考えるという意味ではありませんが、全体社会としては考える必要があるのないのかという感じがしております。
では、勲章を若い方の人がどう思うかというのは、これから恐らく御議論になると思うのですが、若いと言わず、私、団塊の世代の下ですけれども、団塊の世代の諸君にとっても勲章と言われても全然とぴんとこない。そんなものはなくても良いのではというのは、これは官民問わず働いている人たちは、みんな申します。
ただ、そこが面白いところなのですけれども、この制度を始めたときもそうですけれども、もらえる年になると若干人間というのはどうも考えが変わるようでありまして、団塊の世代が2018年くらいにその適齢期に達するのですけれども、彼らがその前後やはりもらわないで良いと言うかどうかというのは、この制度の恐らく次の曲がり角かなという感じがしているという次第でございまして、大変余計なことを申しましたけれども、以上でございます。

 私が一番年上かもしれないのですけれども、私は1948年に24歳で外務省の国家公務員になりまして、1994年の70歳のときに国際協力事業団の総裁を退くまで約四十数年、ひたすら公務に努めたものでございます。その後、1996年に72歳のときに、勲一等瑞宝章をいただいたものでございます。今のお話ですけれども、これは佩用する機会はあるかというと、ないわけで、私の先輩に聞きますと、唯一これを佩用する機会があったのは、今の天皇の即位の大礼のときであったと。そのときには佩用してくるようにと、略綬でもいいが、できれば佩用してくるようにという通達があったので、そのときには、それまでにいただいていた方が、着け方がわからなくて大騒ぎしたらしいですが、着けられた。多分本式に佩用するのはそのくらいしかないというのが現状でございます。ほかの国がどうかということは知りませんけれども、略綬の話もありましたので、これはこれからの1つの御検討の課題かと思います。
私自身は、現役時代に勲章にある程度関わったのは外国人叙勲、これは儀礼叙勲もあれば、さまざまな相互叙勲ということもありまして、その場に立ち合ったことで大変喜ばれたという経験と、もう一つは、海外にいる日本人、日系人、南米等に長年おられた方に勲章を差し上げると。それも日本国籍を維持している方と、向こうの国籍を取った方との間で若干、格差があるとかいろんな難しい問題がありました。これは、1つは先ほどの国際性という御指摘があったとの関連で言うと、海外にいる日本人、あるいはかつて日本人で今は向こうの国籍を持った方の功績をどう見るとか、なかなか日本と比較して、例えば芸術面で、現地で活躍している人が日本での芸術家と比較するということになると難しいのですけれども、現地における評価は現地の政府に任せば良いという考えもあるそうですが、そこら辺はもう少し考える余地のあるテーマではないかと思っております。
私は、先ほども皆さん御指摘があることですけれども、私も今度のこの懇談会は非常に時宜に適したものであると思っております。特に叙勲の話が中心でございますから、それに限って申しましても、やはりこの叙勲制度というのは公務員であるとか、あるいは民間であるかを問わず、その人がその一生の全部、もしくは大部分というか中心部分を、ひたすら公益のため、公務のため、また別な言葉で言えば国家のため、社会のため、民族のため、あるいは人類のため、世界のためということになるのでしょうが、そういうことにひたすら尽くした。言わば私益の追求は基本的にやらなくて、一生を過ごした、それを生きがいとして、誇りとしてきた人、そういう人たちに対して国家がその労を評価し、報い、栄誉を与え、本人のみならず家族一同もそれを非常に感謝しているというための制度、これは日本だけではなくて、基本的にそういうものだと私は考えておる次第でございます。少なくとも先進民主主義国家は、独裁国家は少し違うと思いますけれども、同じような制度、公その他の分野とか、国家に対する功績とか貢献とか、公益に対する功労ということがそれぞれの国の賞勲制度には出ておるようですが、同じ考えではないかと思います。したがって、私は、公務員であるとか、官民格差がさっきから出ていますけれども、官であるかどうかということよりも、その人が現実に、ある時期はずっと私益の追求をやってきて、功なり名を遂げてから若干公的なことをやったという人よりは、生涯、社会人になってから、少なくとも中心部分においては私益の追求は考えないで公益に尽くしたという人が、それが結果的に公務員が多いのか、近年は民間人にもそういう人が多いのかということは、また今回の議論の1つの問題ですが、そういうことで考えるべきじゃないかと思っています。
断っておきますけれども、私益の追求が悪いと言っているのじゃございませんで、これは立派な社会人、企業家として活躍された立派な方がおられ、その方がその後いろいろな点で、社会に貢献されていることは私もよく承知しているわけですけれども、勲章というものを考えるときには、今、私が申し上げたことが基本にあるのではないか。これは日本だけではなくて、一般的にそうではないかと考えております。
私はこの懇談会を今回やるのは、時宜に適したと思っておりますことに関連して、2つだけ申したいと思います。
1つは、時代が変わってきたというさっきからの御指摘のとおりでございまして、公のためというのも、いわゆる民の立場にある方々も、いろんな形で国家・社会・人類のために公的活動をされる、あるいはそれに専念される例が増えてきているということは紛れもない事実でございまして、今後ますます増えるだろうと。もし今の制度、あるいは今の選考の仕方の中でそういうものがどうしても漏れてしまうのであれば、そこはきっちりと制度を整備して、私も、さっきお話に出ましたけれども、何対何にすればいいということはおかしいと思いますので、やはり本当にそういう対象に足り得る人が漏れていないかどうか。時代が変わったことを踏まえて、この時期に一度点検することは結構じゃないかと思います。
私の周辺でも、例えば国際協力活動とか途上国援助活動とか、青年協力隊、これは若い人ですけれども、シニア・ボランティアということで、相当高齢の人がそれまでの経験を生かして途上国で活躍されている例とか、御指摘があるように教育面、文化面、あるいは芸術等の分野で、公のために非常に尽くされる方というのが増えていることも事実であります。さっき出ましたように、私学の先生との問題もその中に含まれる議論かと思いますので、そういう点においてこの制度に不備があるならば、この際、整備して公正な基準による選考が行われるということには、賛成したいと思います。
もう一つの点は、これは差し障りがあるかもしれませんけれども、現在、国家公務員と言いますか、地方公務員も含めて公務員に対する公務員バッシング、あるいは官僚たたきと言われている風潮を私は非常に憂えるものでございます。もとより公務員の中に、一握りの者の中に破廉恥な行動等によって社会的な批判を受ける人が出たことは残念でもあり、こういう人についてこれを憎む気持ちは、人後に落ちないつもりでございますけれども、私は99%、あるいは99.9%と言っても良いかと思いますけれども、公務員はそういうこととは無縁にひたすら公益のため、公務のために専念していると言って間違いはないと思います。ですから、間違ったことをした人、する恐れのある制度等は厳正に改めることには大賛成でございますけれども、だからと言って、これからは、公務員は悪いやつらだから、勲章はなるべく減らす。そこで浮いた分は民に回すという考え方は、一握りの人たち、ジャーナリズムを含めて、そういう声を新聞、雑誌等で見たことについては、私は正直申し上げまして、非常に遺憾に思っている次第でございます。
中には、公務員は月給をもらって公務に就いているのだから、勲章をやるには及ばずという極論まで出たのは実は驚いた次第で、非常に無責任な議論だと私は思っております。今、霞ヶ関にある無力感、挫折感、失望感、沈滞ムードというのは、私は非常に心配な現状であるかと思います。いろんな理由があるし、身から出たさびという面がないとは言いませんけれども、国家制度、行政制度というものがきちんと整備されている、そこで働く人が本当に生きがいを感じ、それを名誉とし、私的な利益でなくて、公益のために一生働くという体制が整っている国でなければ、本当に国家の百年の計というのは欲し難いと思いますし、多分、東西古今の歴史から見ても、そういう部分が何らかの理由で非常に弱められたり、歪められたりした国家は、本当の国家として発展できないとさえ言えるのじゃないかと思います。私は願わくは、いろんな答申がこれから準備されて出てくると思いますけれども、それが、国家公務員、公務員だけに限って非常に申しわけありませんけれども、それらの人たちが、また官僚バッシングの1つで、また減らされるとか、制約を受けるということになるような、つまり失望感を更に増すような感触の答申にならないことを望みたいと思います。逆に、栄典制度というものの中において、公のために尽くした人は官であれ民であれ、きちっと評価されるという、むしろ公務に携わる人に勇気、元気を与えるような中身の答申になることを願ってやまない次第でございます。
以上でございます。ありがとうございました。

吉川座長  ありがとうございました。
先生方、大変本質的でもあり、また、多角的な御意見をいただいたように思うのですが、私も立場上どういうふうにまとめるのかと考えていたのですけれども、5月に中間報告を出す、そして1年後にまとめるということでありますけれども、今、先生方からお話がありました問題に言及することになるのだと思うのです。例えば格差を是正すると言っても、それは是正しますよというだけでなくて、その背後にどういう考え方があるか、これは時代が変遷してきたので見直すということですから、どういう点が問題でありという、あるいは先ほど来、栄典制度というのは一つの文化だということがあったのですが、どういう意味で文化なのかということも再認識をする必要が、この懇談会としては必要なのかと思います。
先ほど、国家があれば誉めるというお話もありましたが、そういう意味での国家とは一体何なのかという、そこまで発展していくと大変大きな問題ですが、栄典制度という範囲の中で、国家というものがどういうふうな働きをするのかということにつきましても、歴史が長いだけにいろいろな人が、いろいろなふうに考えているということもあって、多様な考え方は勿論良いのだけれども、しかし、ある種の問題が見えるような記述というものが、この報告書には必要なのかという気がいたします。

もう一つ、これは何人かの方から御指摘がありましたが、この表彰制度が何をしているかということが、逆に若者を含む一般の人々のある種の社会の価値基準を提供しているという面は勿論あるわけで、そこを非常に大事に考えなければいけないという面もあります。これはやはり日本がいずれにしても一種の成熟国家に向かっていくのだと思うのですが、そういう中の一つの重要なポイントになってくるわけで、ある意味で今まで以上にこの栄典制度というのは戦後の急速な変化、高度成長などという時代よりは、これからはもっと落ち着いた社会になるのだとすれば、この栄典制度の意味というのは、もっと共通理解というものを社会につくっておくことが必要なのかなと思いますが、そういったことを踏まえて、できればだれにもわかるような報告書であり、しかも、その考え方に基づいてだれもが納得するような改革をすると、こういうことが多分目標にしたらいいのじゃないかと思うのですが、今日の先生方のお話伺って、そう簡単ではないが、しかし、まとまるのじゃないかという良い予感を持ちましたので、活発な御意見をこれからいただきたいのです。
今日はもう残り時間が少なくなったので、今後の進め方等について御意見ございましたら、御指摘いただきたいと思います。

 長年勤めた国家公務員、官の方の国家に対する貢献ということの評価で栄典を受けるという立場と、文化の方は、指摘にもありましたように、年を取って、長年の評価というより、学問・芸術の場合、自然科学の方がわかりやすいのですが、例えばノーベル賞を取ったとか、大変な発明、発見、業績を上げたというのは、年齢に関係なく、そういうとき文化勲章でも出すべきである。今後ますます活躍していただきたい。
芸術の方でも、この中にありましたけれども、文化功労者の中から出すと、80歳過ぎて、これから活躍というときにはもうくたびれてなかなか難しいという場合がありますから、長年努めた功績というものと、文化を築いていく、あるいは学問の貢献というのとちょっと質が違うのじゃないかと思うのです。
また、そこに人気のあるいろいろな方が、さっきもお話が出ましたけれども、国民栄誉賞でいいじゃないか。そういう文化、芸術の質、そういうものが文化遺産になるのかどうか。芸術だと文化遺産になっていくと思うのです、残っていきますから。しかし、人気というのは時代が過ぎて、直接接した人がいなくなると消え去るわけです。話として残るだけで実体がないわけです。本当の文化というのは、これが全人類に貢献していく。例えばギリシアは2,500 年経っても、芸術や哲学や科学というのは、全人類に貢献を与え続けています。それと同じように、そういうもののちょっと質が違うというところがありますので、選別を分けていかれたら良いのじゃないかと思うのですけれども、文化関係は年齢に関係なく、認めていただきたいというのが一つ。まあ、ある程度の基準はあるでしょうけれども、栄誉をいただいて、それを刺激としてますます国家、社会に活躍するということでありたいように希望します。

吉川座長  御指摘のように、先ほど局長からのお話にも、栄誉にもいろいろあるということですね。ですから、今回ここで討議する話は逆に言えば輪郭をはっきりさせないと議論が非常に混乱するような気がしまして、これは常時、御指摘のように気を付けながら議論を進めたいと思います。

 私が申し上げましたことの中で申し上げたつもりですけれども、今、先生のお話がありましたように、国家公共というものに対する功績というのをどう客観的に把握するか。この問題が基本であって、それが等しいのに、それが共通であるにもかかわらず、官と民で差があるとか、男性と女性で差があるということは、私はおかしいと思うから、そこは要するに功績の見方というものをきちっとしていって、おのずからバランスが取れるという形に持っていくべきものじゃないか。数の方が先行するというのはおかしいということでございます。
それから、功績の見方というのは、なかなか質の違うものがありまして、例えば同じお酒の銘柄をやるという話ではなしに、全く質の違うX線と音楽を比べるという式の次元の違うものがありますから、そういうものを考えてみますときに、当然のことながら、それに対応する知恵として出てきている褒章問題とか、国民栄誉賞の問題、それから総理顕彰とかいうものが周辺にあるわけです。それは、それなりの意味を持って存在しているのだと思います。
栄典となると、今の勲章と褒章ということになりますが、それをすべて、今の功績を全部勲章とか褒章まで入れた中で評価しようとしてもいけないわけで、おのずから別個の枠外にあるものがあって、しかも、それは、それなりにやはり定着をして国民からも尊重されているという点がありますから、これも頭に入れるべきではないか。私はそんなふうに思います。

吉川座長  それは混同しないということなのですね。

 だから、誉め方に多様性があると思うのです。いろんな誉め方があって、その中で、勲章で認めるのは大体この範囲という輪郭を設けて、それ以外の誉め方は決してなくすという必要はないわけで、いろいろなあれがあっていいと。私はこれからの社会はそれで収まっていくのだと思うのです。
それから、基準を出す場合も絶対的基準というのは恐らくないでしょうから、こんなところかと。現段階では、こんなところかというところに集約すれば良いのかなと、そんな気がしております。

 意見というところまでいかないのですけれども、私も誉め方というのは大変難しいと思うのです。
もう一つ、国家公共に対すると申しますけれども、例えば宗教家というよりも、それを前提にして非常に一生懸命に何かなさっている方がありますけれども、これはほとんどの場合、いろんな勲章からは外れるわけです。私もそれで良いのだと実は思っていたのですけれども、今皆様のお話を聞いておりますと、功績ということを中心にすると、例えばその人の宗教信条に関わらずということもあるのかなと思いましたので、今はまだ皆様のお話を聞きながら思ったことだけをお話しいたします。それ以上のことは私もまだまとまりません。

吉川座長  大変難しい問題が予想されますね。

 これまでは私は、これは別と思っておりましたけれども。

吉川座長  大変なあれだと思います。是非そういう今まで何気なくと言うか、歴史的にそうなってしまったことも、この際ちょっとここでどんどん議論した方がよろしいでしょうね。

 栄典というのは、何となくそこにもあると思います。最初に申しましたが、それ以上考えても、みんなの考え方でこれまでできてきたものが、一つの固まりになってこの制度が維持されてきたと思いましたけれども、やはり時代やいろいろな背景が違うということで見直すということについてはやむを得ないし、当然であるかなと思います。

吉川座長  この懇談会としては、あるということは認める。ないという状況は一切考えない。これは歴史としてある。しかし、時代が変わったという意味では、中身自身については、タブーは設けずに、すべて一応議論してみるという方向でよろしいですね。ですから、お気づきになったことはどんどん御発言いただいて、それをもう一回再整理していく。

 環境を守るというのは、学問的に自然科学で研究して成果を上げる人もあれば、社会活動として上げる場合もありますね。この社会活動が抜けている場合がありますから、地道な、学問の方の行為じゃないてすけれども、やっている方はいますね。そういうものをどうする。どこのジャンルに入れていくかということは言えますね。
これは宗教家の場合でも、宗教活動ではなく、人権やいろいろなところで貢献しているという場合、どこへ入れるのか。

 たまたまその方のバックに宗教があるという形で。

吉川座長  確かにそういう意味では、御指摘になったことは非常に重要で、こういう章なども縦割になっているのですね。この領域からこの人が出てくる。

 推薦母体がない。それを第三者でどうするか。これは新しいジャンルの話ですね。

吉川座長  時代が変わるというのは、ジャンルが動くということですね。

 横断的になっていますから、外れると手を出さないです。

吉川座長  ありがとうございました。時間が来てしまいましたので、今日はこれで終えたいと思うのですが、第2回目の会合は11月の後半ということで考えております。具体的な日程は後ほど連絡させていただきたいと思います。
それから、今後の議論を進めるに当たりまして、今日、賞勲局の方から説明がありました。幾つかの資料が提供されましたけれども、こういう資料が欲しいというような御希望がありましたら、局の方まで御連絡いただければいただけるということになっております。
これは御報告というか、今日の懇談会の概要につきましては、この回の後、私から記者に対するブリーフィングを行うということなっておりますので、忠実に報告したいと思っておりますから、よろしく御理解いただきたいと思います。

(以上)