栄典制度の在り方に関する懇談会第7回議事録

日時

平成13年9月5日(水)10:00~12:00

場所

内閣総理大臣官邸大客間

議事次第

  1. 開会
  2. 最終報告に向けての検討
  3. 閉会

議事内容

吉川座長  それでは、定刻になりましたので、ただいまから第7回目の「栄典制度の在り方に関する懇談会」を開催させていただきます。委員の皆様におかれましては、御多忙のところをお集まりいただきましてありがとうございます。
本日は全員出席という予定でしたが、今井委員が急遽所用により御欠席されるということでございます。
前回は、5月にとりまとめました「論点の整理」に対する国民からの意見募集と有識者アンケート調査の結果を受けまして、意見交換を行ったところであります。
本日は、この秋に予定しております最終報告のとりまとめに向けての検討を行うことにさせていただきたいと思います。
それでは議事に入りますが、今申し上げましたように、いよいよ報告書をとりまとめるという段階になりました。そこで、できるだけすべての項目について落ちがないように、具体的な方向性について議論したいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
お手元に「報告書の骨子(案)」をお配りしております。本日は、この資料を基に議論を進めるということにいたします。この骨子(案)は一種の目次でございますので、これを更に詰めて報告書として最終的な案をまとめたいという一つの出発点であると御理解いただきたいと思います。それでは、資料に沿って、賞勲局長からこれまでの議論のとりまとめについて説明をいただきたいと思います。

内閣府賞勲局長  それでは、資料に沿って御説明をしたいと思います。これは、座長からもお話がありましたように、骨子ということで、まだ文章化されたものではございません。今日の御意見を踏まえまして、文章化をしていきたいと考えております。
それでは、まず「はじめに」でございますが、ここには、懇談会の審議の経緯、それから見直しの重要性、その他いろいろ議論されたことをまとめてはいかがかと思います。
次に内容に入りまして、まず第1章の「栄典の意義」でございますが、これにつきましては、懇談会の中での御意見、有識者アンケート調査及び国民からの意見募集の結果のいずれも栄典については意義があるというようなことで一致しておりますので、それをとりまとめてはいかがかと思っております。我が国の栄典制度には長い歴史と伝統があり、日本の文化としての意義がある。栄典は各国共通の制度であり、外交儀礼としても必要がある。栄誉の体系として国家に必須のものであり、また、天皇と国民を結ぶ重要な役割を果たしている。金銭では評価できない功労に対する国の評価であり、また報いである。社会への価値判断の提示の意味がある。それから、制度が定着しており、国民の励みになっているというような意義があるため、栄典制度は残すべきであるということをおまとめいただくのかと思います。

次に、「第2章 我が国の栄典制度の今後の在り方」ということで、改革の方向を書いていただこうと思っております。
まず、第1節を「基本的な考え方」といたしております。
「(1)歴史ある勲章等の活用について」は、栄典制度、特に勲章につきましては、その国の歴史と文化を象徴しており、各国におきましても歴史の長い勲章の方が尊ばれているというようなことでございます。例えば、レジオン・ド・ヌール勲章につきましては、1802年にナポレオンが制定をしており、その後、レジオン・ド・ヌール法典ができておりますが、そのときも、勲章については手をつけず、その根拠を新しく法律で定めたという形をとっております。このような経緯から見ますと、我が国におきましても、明治時代に創設された歴史のある勲章をそのまま活用すべきであって、新たな勲章を創設するのは不適切ではないかということ、その基本的な制度を維持した上で運用を改めることが必要であろうということではないかと思います。
「(2)栄典制度と各種の表彰制度との関係」につきましては、叙勲、褒章などの栄典制度は、国の機関や地方公共団体における各種の表彰といろいろ関連するというようなことで、このような制度が有機的なつながりを持って、総体として機能することが必要であろうということでございます。
「(3)栄典制度をめぐる環境の変化について」は、かつて公的部門が担っていた役割が民間部門へ移行しているとか、国際社会における貢献等が拡大しているといったことであり、そういう環境の変化に留意しながら栄典制度を運用することが必要であろうということでございます。
第1節ではこのほか、政治家、公務員など特定の分野を制度的に対象から除外することは不適切であって、全分野を対象とすべきであるというような議論もございましたので、ここで触れてはいかがかと思います。

「第2節 叙勲制度の在り方」は叙勲についての考え方でございます。
まず、「1 等級」でございますが、功績の大きさに応じた等級区分は必要であろうということでございました。なお、ここで「等級」という言葉を使っておりますが、数字の問題については後にまた出てまいります。勲何等などという数字による表示につきましては、有識者アンケートの結果等を見ましても、やはり個別の名称で表示した方が良いという意見の方が多いということなどにかんがみまして、数字による等級の表示を改め、勲章の形により各々の勲章に名称を付けるということで表示をいたしたいということでございます。それから、現在の等級区分はやや煩雑であるということで、簡素化を考えるべきということ。簡素化する場合におきましても、従来対象となっていたものを切り捨てるべきではないということ、また、人目につきにくい分野などを積極的に取り上げるようにという御指摘もございますので、下に厚い運用を行うことが必要ということから、現行の6等級までは残すべきといった御議論であったかと思います。
「2 官と民の取扱い」につきましては、まず、官には警察官、自衛官等が含まれており、数におきましては、そういう意味で官が民の2倍といったような議論が出るわけでございますが、そういう数値による官民の比率の設定は適当ではないという御議論であったかと思います。官と民とを問わず、功績のある人は適切に評価されると。また、同一分野におきましては、功績の大きさが同じであれば同じ評価がされるということが官民のバランスということであったかと思います。 一方、上位勲等におきまして、若干官と民の数の相違が目立つということがありますので、上位勲等における不均衡に留意すべきであるという御指摘をいただいたものと思います。
次に、「3 功績の質的相違に応じた勲章の運用について」という項目がございます。勲章制度ができましたときには、明治25年に叙勲内則という勲章の出し方についての内部の規定ができました。これを見ますと、旭日章及び宝冠章は、勲功顕著なるものに叙するということでございます。一方、第4条では、瑞宝章は勲功又は積年勲労あるものに叙するとされております。したがいまして、大原則といたしましては、公務員・官吏として年功を積んだ者については瑞宝章を、特に功績が大きな者については旭日章を授与するというような扱いになっておりました。以上のことにかんがみまして、この考え方に戻りますと、長年にわたり積み重ねられました公務等への貢献を顕彰するものと、従事した期間の長さというよりも功績の内容に着目して表彰するものとでは、功績に質的な違いがあるということで、同じ見方で一律に評価することには無理があるのではないかというようなことでございました。この点については、意見募集等におきましても、分野別の勲章を考えるべきだというような御指摘等がございます。そういう意味もございまして、勲章の使い分けを功績の分野に適用してはいかがかというものであります。
したがって、功績の質的相違に応じまして勲章を別々に運用し、長年勤め上げたことに対する功績に対しては瑞宝章、期間を考えずに功績をもって評価するというものについては旭日章を運用してはいかがかということでございます。
「4 功績の評価の在り方」につきましては、特に民間分野の評価に当たりまして、恣意的な評価を排除するためには可能な限り客観的な指標によるべきであるけれども、同時に功績内容の実質的な評価に更に努めなさいという御議論であったかと思います。
産業分野の功績評価に当たりましては、産業活動自体が国を富ませ活力を維持することにつながることから、企業の社会に対する貢献として評価されるべきであるという御意見が出ておりました。
全国団体の長あるいは大企業の長の功績評価において、在任期間が功績に直結するような画一的な評価は見直すべきであって、在任期間中における功績の内容に即した評価を行うべきだということ、地方における社会への貢献をより重視すべきであることを、ここで強調してはいかがかと思います。
その他、国際社会における貢献、あるいは人道的活動を積極的に位置付けて評価の対象とすることが必要であるということなど、これらを踏まえまして、等級の簡素化の検討と併せまして、新たな功績評価の基準を検討すべきであるということではないかと思います。
「5 勲章の男女別の扱いについて」でございますが、栄典の授与は性に対して中立であるべきという原則に立って制度の運用を見直すべきであるということで、具体的に申しますと、旭日章を女性にも使うということを、ここではっきりさせてはいかがかと思います。宝冠章につきましては、特別な場合に運用することとしてはいかがかと考えております。具体的に申しますと、外国との相互儀礼叙勲、例えば、国王のお后様あるいは大統領の御夫人等には宝冠章を使うことも考えてよろしいのではないかと考えております。
「6 受章者数」の問題でございますが、民間の分野、特に人目につきにくい分野などで活躍している人を積極的に対象としなさいという御提言がかなり出てきておりましたので、この分野の受章者の増加に努めるべきであるということ。
それから、警察官、自衛官等の危険性の高い業務に精励した方につきましては、候補者が大変多い一方で、春秋叙勲の中に入れますと、かなり数が限られるということで、現在受章者の平均年齢がかなり高くなっております。そういうことから、春秋叙勲とは別枠の叙勲の機会をつくるということにいたしまして、受賞者の増を図り、受章者の年齢の引き下げに努めるという議論でございました。
「7 候補者の選考、審査」でございますが、人目につきにくい分野の功績者を掘り起こして増やすということになりますと、役所の側から見ましてもなかなかこういう功績者がいるということが分かりにくいということもございますので、このような方々につきまして、一般の方々から、例えば市町村や都道府県を経由して、あるいは各省庁に直接というのもあるかもしれませんが、推薦するようなシステムを考えてはいかがかというものです。また、各都道府県ごとに、例えば一定の枠を設定しまして、それらの方々を推薦できるような格好にしてはいかがかと思っておりまして、そういうシステムを検討してはどうかということを盛り込んではいかがかと考えております。
また、功績評価の基準や基本的な制度の運用につきまして、各界の有識者から幅広く意見を聞く機会をつくるべきだという御意見がございました。これにつきましては、現在も「栄典に関する有識者会議」がございますが、これを更に強化すべきだということになろうかと考えております。ただし、個別の審査につきましては、国の機関により行われるべきであり、最終的な決定は政府の責任において行うべきであるということでございますので、民間の委員による審査会等で審査を行うことは不適当ではないかということでございます。
「8 受章の年齢について」でございますが、生涯の功績がある程度固まった時期をとらえて表彰し、できれば1回で済ますということが適当ということではないかと思いますので、一般は70歳以上、危険業務従事者等については55歳以上という現行の年齢を維持してはいかがかと思います。
この他、勲章の着用の機会を増やすべきという御意見もございました。ただ、勲章をそのまま付けろというのも簡単には言えないという感じもいたしますので、ここでは、公的な儀式等で略綬の着用を奨励するなど、勲章の受章者であるということを示すようなことを勧奨してはいかがかと考えております。
等級の簡素化など各勲章の運用の変更に併せまして、勲章そのものは変えなくても、例えば綬の色合いを多少変えるようにする、つまり、綬の色につきましては規定上は赤とか淡藍とか簡単に書いてありますので、少し色合いを変えて、基準の変わった前と後ということが分かるようにしてはいかがかと考えております。
また、現在、勲二等瑞宝章には副章がございませんが、旭日章と運用を分けますと、やはり同じような格好でなければまずかろうということで、旭日章と同様に副章を付けてスタイルを統一してはいかがかと思います。なお、現在、勲三等瑞宝章につきましては、女性は中綬ではなくリボンで左胸に付けるようになっておりますが、これも男女形を合わせるということで中綬にしてはいかがかと考えております。

次に、第3節の「褒章制度の在り方」でございます。
まず、「1 基本的な考え方」でございますが、褒章条例の書き方を見ますと、良い功績があった場合にはすぐ表彰するというのが大原則であると思います。これに立ち戻りまして、年齢にとらわれることなく、良い事績があったらすぐに表彰するということにして、年齢の制限を取り払うということかと考えております。そのため、対象を見直しまして、長年何かをやったということで表彰する分野につきましては勲章の方へ移行すべきということになろうかと考えております。
各褒章の活用の仕方でございますが、まず黄綬褒章につきましては、その道一筋というようなことでよく表現しておりますが、これは伝統の技能とか技術を後世に伝えるというようなことに意味があるものと思います。そういうことから考えますと、技術の認定等がありましたときに、年齢にかかわらず表彰してはいかがか。あるいは、技能オリンピックなどがございますが、こういうところで良い成績を上げた方を対象としてもよろしいのではないかと考えております。 紫綬褒章につきましては、現在、50歳以上ぐらいを目安にしておりますが、特に学問分野の発明・発見等につきましては、その年齢まで待っておりますとかなり陳腐化するということもございますので、発明・発見等があったらすぐに表彰するという御議論であったかと思います。また、スポーツの分野等におきましても、現在、オリンピックの金メダリストなどには賜杯を出しておりますが、賜杯よりはむしろ紫綬褒章で表彰した方がよいのではないかという議論もございます。芸術分野につきましても、優れた業績があったということが認定されたときにすぐ出すという形に改めてはいかがかと思います。  藍綬褒章につきましては、現在、公同の事務と言われておりますが、保護司や民生・児童委員など役所の周辺で業務に従事していらっしゃる方のほか、大企業の社長・副社長、業界団体の役員、地方の首長、議会議員等に出しているという経緯がございます。大企業の社長・副社長、業界団体の役員等につきましては、どちらかと言うと、褒章の考え方の方が勲章よりも厳しいところがありまして、褒章をもらう方々はかなり高い勲等の勲章をもらう可能性のある方々となっております。そういうことですので、むしろ勲章の方に移行した方がよろしいのではないか。地方の議員も同じでございますが、大体65歳で褒章を受けまして、70歳を超えると勲章を期待するという形になっており、これはちょっと行き過ぎではないかという議論もありますので、これらについての見直しを行うというものであります。企業の方々に出すといたしますと、むしろ、新規創業で新しく企業をつくったというような方々、あるいは赤字で苦しんでいた会社を建て直した方々とか、経営のやり方を革新して他の企業の参考になった方々に対して出すようにしてはいかがかというものであります。
次に、人命救助の紅綬褒章でございますが、現在、「自己の危難を顧みず人命を救助したる者」ということになっておりまして、「自己の危難を顧みず」というところをかなり重く見たり、また、「救助したる」ということで、救助に失敗すると出ないというようなことがございますが、この辺りの要件をちょっと緩和して出しやすくするということにしてはどうかというところであります。
緑綬褒章につきましては、現在、「孝子順孫節婦義僕の類」と書いてありまして、ちょっと時代に合わないというようなこともあり、ほとんど出ておりません。ただ、現代における徳のある行為というのは何かと言いますと、報酬を期待せずにボランティアで活動することではないかと思いますので、様々な分野におけるボランティア活動で功績を上げた方を対象としてはいかがかと考えております。具体的には、阪神大震災等で活躍した方が結構いらっしゃいますが、こういう方々の中で特に顕著な方を表彰するということにしてはいかがかと思います。
紺綬褒章につきましては、特定の団体、あるいは地方公共団体に寄付した方を対象としておりますが、多額納税者を対象に含めてはいかがかという御意見がございました。ただ、有識者アンケート調査等の結果では、多額納税者を対象とすることについてはあまり評価は高くなかったと思っております。むしろ、額が少なくても納税義務をきっちりと果たしたという方々はいらっしゃるわけで、特にサラリーマンは大体100 %捕捉されて払っているというようなことがございますので、多額納税者だけを表彰する理由がちょっと乏しいかということもございます。確かこれはヒアリングでも出てきた意見かと思いますので、御検討いただければと思います。 そのほか、文化勲章につきましては、かなり高齢の方の受章が多くなっておりますので、もう少し早い時期に受章するように努めるべきだという御議論であったかと思います。特に、芸術家の方につきましては、現役という意識が強いということもありまして、なかなか若い時期に出てこないということがあろうかと思います。
叙位の制度につきましては、1400年の歴史を有する我が国固有の制度で、現在は、国家・公共に対して功績のある人が死亡した際に、生涯の功績を称え追悼の意を表するものとして意義があり、社会経済情勢の変化に応じた運用に努めるべきであるということでございます。

「第6節 その他」につきましては、周辺の問題でございます。国民から意見募集を行いました際に、PKOの業務等外国で危険な業務に携わったときに何か出せないかというようなことがございました。現在、賞勲局の所掌には勲章、褒章のほかに記章がございますので、PKOあるいは国際的な災害救助活動などに参加した者に対して記章を授与することについても検討してはいかがかと思っております。ただ、対象をどうすべきか等いろいろお考えもあろうかと思いますので、御検討いただければと思います。
それから、国民栄誉賞、内閣総理大臣顕彰等のいろいろな表彰制度がございますが、懇談会でも褒め方にはいろいろなものがあった方が良いという御意見が多うごさいましたので、これらにつきましては現在のまま運用するということでいかがかと思います。

第7節の「法制面の問題」でございますが、栄典の法制化につきましては、今回の見直しは現行制度の根幹を維持した上での運用の改善を図るものであるということから、現行の枠組みの中で対応可能ではないかと考えられますが、一方で、国の基本に関わる制度であるため法律をつくるべきだというような御意見もございますので、この点につきましても御議論をいただければと思っております。
「終わりに」では、報告を基に速やかに結論を出されることを期待するというようなことでまとめていただいてはいかがかと考えております。

以上でございます。

吉川座長  ありがとうございました。それでは、今日はいろいろと御意見を伺おうと思うのですが、十分議論したことでもありますので、順番を追ってというよりは、むしろお気付きの点を御指摘いただき、更に深めていくというやり方で御自由に御意見をいただきたいと思います。
今の局長の御説明を伺っておりまして、かなり方向性は固まってきたような気がいたします。歴史的な実績として重要な点は確認しながら、一方でかなり踏み込んでいろいろなことを変えようという提案である。例えば、評価については客観的なデータ、実績をどうやって見るのかなど非常に難しい問題が様々あろうかと思うのですが、そういった意味で、かなり踏み込んだ内容になると思います。更に御議論が必要なところは、今日、是非詰めておきたいと思いますので、どなたからでも御発言いただきたいと思います。

 第2節2の「官と民の取扱い」のところですが、官には警察官、自衛官等が含まれるので、官・民の比率の設定は適当ではないという議論はもちろんそのとおりだと思うのですが、一方で、上位勲等における官と民の不均衡に留意すべきという議論があります。この両者はどういう関係になるのでしょうか。

内閣府賞勲局長  トータルの数からいきますと、自衛官、警察官を除けば官・民に余り差がないということは確かなのですが、二等、三等について言いますと、例えば今回の秋の叙勲の推薦を見ましても、民間の方が少ないという実情がございまして、これは物差しの切り方にもちょっと問題があるのかなという感じがいたします。四等以下につきましてはかなり民間の方もいらっしゃるのですが、二等、三等が少し少ないということがありますので、この辺りの物差しの切り方をちょっと考えなければいけないだろうというところでございます。

 そうすると、その物差しの切り方を考えるというところから、3の「功績の質的相違に応じた勲章の運用について」や4の「功績評価の在り方」の話につながっていくというふうに読めますね。分かりました。

内閣府賞勲局長  補足させていただきますと、功績の質的相違に応じた勲章の運用については、先ほど御説明しましたように、功績によるものが旭日章、年功によるものが瑞宝章と2つに分けられまして、おのおの6階級ということになります。現在は半格ずらして12階級でございますので、階段の数からいくと半分になるということで、これはかなりの簡素化になるかと一応は思っているわけでございます。

 褒章のところで、例えば民間会社の社長について勲章の方へ移行するという議論がございますね。それは叙勲の数の枠を増やす方向を意味するのでしょうか。逆に言うと、褒章の数を少なくするということを意味するのでしょうか。

内閣府賞勲局長  藍綬褒章をもらっておられた方々は、大体今でも叙勲されておりますので、そういう意味からいきまと、数が増えるわけではない。むしろ、褒章をもらわれる方の方が数が少なかったのです。したがって、叙勲の数を増やさなくても、その方々は当然今までの枠の中にも入っていたという理解かと思います。地方の首長や地方議会議員、大企業の社長など褒章をもらうランクの方は、大体皆さん勲章の枠に既に入っていらっしゃいます二重にならないようにするということでございます。

 数から言うと、ちょっと褒章が減るということを意味するのでしょうか。

内閣府賞勲局長  その分野は減りますけれども、逆にトータルを減らさないとすれば、例えば保護司などはかなり待っている方が多いというところもありますので、そういう方々に少し積極的にお出ししたらという気がしております。

 褒章が減るということにつながらないかという心配があったことと、ボランティアなど今まで評価されなかった分野にも光を当てるということをうたうならば、私は褒章制度というのは大変良い制度だと思いますし、国が認めておあげになることは大変良いことではないかと思いますので、考え方を整理していただきたいと思います。

内閣府賞勲局長  良い功績があったときにすぐ表彰するという形にしますと、現在のように50歳以上あるいは55歳、65歳以上で考えているときとでは、やはり対象の取り方が変わってくると思います。したがって、数の予測が難しいということがありまして、数についてはそういう意味で書かなかったところでございます。減らすつもりはございません。

吉川座長  表現の問題であって、勲章に移そうということだけが表に出ますと褒章の数が減るような印象を与えるので、減らないということが分かるような書きぶりにする必要がありますね。

 一方で、ボランティアなど新たな分野に差し上げましょうと言っている以上は、そうした方がよろしいかと思います。

吉川座長  むしろ褒章を盛んにするのだというような方向性を、1の「基本的な考え方」の中に入れておいた方がいいですね。

 褒章というものの内容を少し変えながら、しかし制度としては積極的に活用していくということが、官民のうち民の分野を評価することにも実質的につながることになるのではないかと思うのです。
もう一つ、第2章第1節(1)のところで、新たな勲章の創設は不適当ではないかという御説明がありましたが、ここではそのような言い方をしなくてもよろしいのではないかと思うのです。私たちとしては、不適当だというふうに切って捨てるのではなくて、あくまでこれまでの歴史ある勲章の活用をするのだと、だから基本的な制度を維持した上で運用を改めるのだということを言っているのですから、我々の意見は、新たな勲章の創設は必要がないと判断したというところまでではないかと思うのです。

内閣府賞勲局長  それでは、「新たな勲章を創設するのではなく、明治時代に創設された歴史ある勲章等を活用すべきである」というような表現にさせていただきたいと思います。

吉川座長  むしろ、後半を主張したいわけですよね。新しいものをつくっては駄目ということではなく、今あるものを活用しようということを言っているのですね。

 不適切であるというところまでは議論もしていませんね。

吉川座長  そうですね。それではそのようなニュアンスでよろしいですね。

 藍綬褒章のところで、先ほどの局長の御説明では、大企業の社長・副社長、地方首長等は勲章の方へ移行するということでしたが、結論的に言えば、むしろ、褒章については大企業の社長・副社長等も含めてとにかく広く出すべきではないかと思います。せっかく今度の見直しを行うのですから、叙勲制度も褒章制度も含めて、確信犯的にこういうものは要らぬとおっしゃる方を除けば素直に受けていただくという趣旨からすると、むしろ褒章については新しい対象を含めて広げていただくということで良いのではないかと私は思います。ちょっとこだわるようですけれども、やはり私は依然として、これは運用ではありますけれども、勲一等からこの場合勲六等まで、旭日章、瑞宝章を含めて、地方よりは全国、あるいは団体も大きい方が小さいよりは良いという運用の中で、ある仕事については上限は切られてしまっていると、そのことは非常に問題ではないかと思うのです。懇談会の最初に意見を申し上げましたけれども、そのこと自体は必ずしもはっきり変えるというふうには言われてない。私はやはり、職に貴賤がないということと、はっきり言って職によって天井が決まっているということ自体が非常に問題だと思いますし、先ほどの褒章の話に関係しますが、まず間違いなしに、藍綬褒章から外れた人たちの中には、勲二等であるか勲三等であるか、その辺りについて潔しとしない人がたくさん出てきて、褒章からも外れ、簡素化はされているけれども、何で俺のところは勲二等なのだ、勲三等のあそこは何だと、そういう種類の話は依然として残ると思うのです。ですから、そういう点から言っても褒章の方は広いままで残しておいた方がいいと思うのです。今度簡素化された後でも、やはり潔しとしないという人が残るのは仕方がないことですが、やはりそういう人たちにも藍綬は素直に受けていただくということは残した方が良いと私は思います。
それから、今までの運用の中で、例えば大学教授でも国公立と私立とでは差があるとか、市町村長さんと校長さんとでは差があるとか、こういうのはどう考えてもやはりちょっとおかしいのではないかという気がしますし、そういう点から言いますと、第2章第1節の「基本的な考え方」の(3)では、公的部門が担っていた役割、パブリックというのは官ばかりではなくて民間も担うのだということはもちろん非常に重要なことですけれども、栄典制度をめぐる環境の変化の中で、もっと基本的な社会の価値観の変化というような表現を記述して、それを栄典制度も受けるのだというニュアンスにしていただきたい。ここでおっしゃっていることは、まさにそういうことだと私は思うのです。やはり、中央から地方とか、量から質とか、何かそういうような価値観の変化があり、もう大きいから良いことだという時代ではないのです。やはり依然として、大きいことは良いことだという考え方がある中で、客観的に評価をするときになかなか難しいということは率直に言って認めます。全国ベースの経団連の会長よりも、どこどこの地方団体の長の方を高く評価するときに、何を基準にするのか。これは非常に難しいことは認めますけれども、しかし、あえてそれにチャレンジするのだということであり、そのためにニュートラルなグループで評価したりするわけですから、やはりその結果を経て、今までのそれぞれのポジションで頭が決まっているということを変えるということを、どこかではっきり見えるように言う必要があるのではないか。もう少しはっきり出すことが必要ではないかというふうに思います。

 今の御意見についてお伺いしたいのですが、要するに、褒章についても勲章についても基本的に可能性を残しておいて、そして物差しの方を変えていくのだということを強調するということでしょうか。したがって、わざわざ褒章から排除するというふうな規定を置くのはかえっておかしいと、そういう御意見と見てよろしいでしょうか。

 今の話のポイントはもともと叙勲の方に絡んで申し上げていたことでしたが、叙勲の方も結果的には、団体の長、大企業の長とは言いながら、実際には大部分が勲二等か勲三等なのです。勲一等は無限につくるわけにはいかないですから、非常に少ない。やはり、勲二等、勲三等で受けるよりは、藍綬褒章の方がみんな一緒なので、そちらは素直に受けられるという気持ちは今でもあるのです。そこを切ってしまって、後は勲二等か勲三等で我慢して下さいという話になると、何となく吹っ切れないところが残る。その点は、やはり配慮した方が良いと私は思います。

 今みたいに金融などいろいろなものが破綻してきたり、倒産したりして、公的資金をどんどん出しても大企業が失敗するということがある。誰が責任を取るのだという問題がアンケートにも出ていましたね。ですから、ずっと良かったけれども、最後失敗したというような場合の褒章の在り方ですね、これは今まさにいろいろな体制が変わるときに、現行のままの状態がもう通用しなくなっているというところがありますね。ですから、そういうものの評価というのはどこでチェックするのか。今までは良かったけれども、今後は年を重ねるだけでは評価が難しいということです。いろいろなことが変わってきていると思いますし、構造改革をやったりして、いろいろなことの再編をやられるのですけれども、栄典の精神そのものの基盤は変える必要はないと思います。けれども、時代の趨勢によって、いろいろなものが変わってきている。長ければ長いほど栄枯盛衰があって、これはなかなか難しいと思うのです。漠然とうまくいかないというような場合もあって、それを最後のフィニッシュでどう評価するのか。今、そういう面が非常に多いのではないでしょうか。着々と発展している途上時代ならばいいのですけれども、ピークを過ぎて下がっているときに、企業の場合はそれをどう評価するのか。官の場合もどうするのか。これはちょっとギャップが出てくると思いますね。官の場合は勤続年数でいきますから、評価は狂わないのですけれども、民の場合、アンバランスだと言ってここを出た場合に、大変な状態になります。これからしばらく続くと思いますね。失敗した場合、誰が責任を取るのかということになります。今度は褒章どころか責任の問題になってきて、大変な逆評価ということが考えられますので、これはやはりチェックというものがしばらくは必要なのではないかと思います。今までどおりの価値判断では通らないというところが考えられると思いますけれども、どうでしょうか。そういう企業の場合ですね。

 規模には関係なく企業には明らかに業績のアップダウンがありますし、非常に評価されてIT時代の花だと言われた企業が途端に翌年には雇用収縮で失業問題を抱えるということもあります。そういう社会に対する影響を考えるかということがあると思うのです。叙勲などの対象になる人たちというのは、今までよりは少し年齢が若いとは言いながら、ある程度評価が固まっている。たまたまA社の社長さんとして、あるいは会長さんとしてその評価の対象になったときに、例えば過去にこの会社にはこういうことがあったのではないかというようなことをマイナスにすべきかどうかとか、逆にいただいた後で、問題を起こしたときには勲章を返上すべきということになるのかといったことがあります。パブリックのポジションとは言いながら、やはり個人でしょうから、そこは多分御本人の判断になるのだろうと思います。叙勲ではありませんけれども、私がたまたま知っているアメリカのある大学などでは、卒業生で社会に出て非常に功績のあった人を学校の誇りとして顕彰しているようなところがあります。ところが、今おっしゃったように、企業の経営に失敗したなどということがあると、その人は100 人の代表的な卒業生の写真などから明らかに外れるということです。一度叙勲を受けた方が、その後起きたことは俺の責任ではなくてあいつの責任だという形で通すか、やはりそうは言いながら、パブリックな面で叙勲を受けているわけなので、自分の功績のベースになった企業がその後こういうことになったということであれば、やはり個人の気持ちの問題としてお返しをしたいということもあるかも知れません。そういうケースは今までにもあったのかも知れませんけれども、どうでしょうか。

内閣府賞勲局長  基本的には、民間の会社の場合、例えば現在ですと公的資金を導入されている銀行の方については推薦は出てきておりません。叙勲を受けられるときには、もう既に現職からほとんど引いて経営には直接携わっていない方もいらっしゃるわけなのですが、一つには、実際に経営を傾けた責任のある方は推薦を受けないだろうということがあり、もう一つには、それが問題になっているときに、昔の方であってもこの方に勲章が出ると一般の人が妙な顔をするのではないかというようなときには、ちょっと時期を改めていただくというようなことも考えたりはしております。
それから、先ほど公務員の話がございましたが、公務員も年数で評価はするのですが、行政的な失敗で例えば経済がつまずいたとか、やはりそういうような問題はあるのではないだろうかと、この頃各省に問いかけをしております。やはり行政上の失敗というものがあるのではないかと思います。そして、結果的に誰かの責任というものがあるのではないだろうかということも問いかけをしております。結果的に全員に勲章が出ているというのでは、やはり世間では通らないのではないだろうかというような問題意識もございまして、そういう問いかけもしております。

古川官房副長官  それから、役所で大きな不祥事が起きた場合は、数年間は自粛してもらって、普通ならばそこの幹部で70才を過ぎて推薦される人についても、一切の幹部は全責任を取るということで、推薦をやめるというような配慮はしております。

叙勲であるか、褒章であるか、あるいは全体に絡むかどうかは別にして、これは一つの非常に重要な要素だと私は思いますけれども、社会的な環境の変化ということの中で、むしろ変化をさせていかなければならない一つの要素が、一般にもよく言われるわけですけれども、次のようなことなのです。企業の世界でベンチャーが絡んでいますね。日本では一回失敗すると、もうそれで烙印を押されてしまって、セカンドチャンスがないということになります。しかしながら、犯罪を犯したなどというのは別なのですけれども、企業、あるいは行政でも、善意でベストを尽くしてなおかつ失敗するということはあり得るわけです。やはり、それがかなり長い間一つの瑕疵として付きまとうと、もちろん何でもいいよというのは問題がありますけれども、例えば褒章などの場合出てくる可能性があるのではないかという気もするのですが、やはりそういうところはなるべくフリーにしていく。そういうリスクはあり得るし、そのリスクは誰がやっても、結果似たようなことであるのか。これはもう明らかにその人の判断です。質的な評価は難しいのですけれども、一つの失敗がいつまでも付きまとうということがないように、褒章、叙勲などでも、やはりそういうことからかなり思い切って踏み出しているぞということ、なるほどそこで評価されれば、いつまでも失敗が付きまとうことはないということは、難しいことだとは思いますけれども、評価のやり方の中で、新しさの一つとして出てくることなのです。

吉川座長  価値観が変化したのか、それとも資料に書いてあるように環境の変化なのか、私にはその辺りはよく分かりませんが、それはどちらとしても、明らかに評価基準というのは変わらなければいけないというようなことを、一方ではメッセージとして出しているわけです。難しいことにチャレンジせよ、リスクを持つものは行動が許されるというような、そういう時代に変わろうとしているということが明らかにあって、またそれなしには日本は駄目だということの了解もできてきているわけです。
今のお話のように、不祥事は問題外で駄目ですけれども、いわゆるチャレンジしたがゆえに失敗したというのは、行ったから失敗したわけで、しなければ失敗しないわけです。そういった失敗というのをどう評価するかですね。例えば、ビル・ゲイツはもし日本人だったら多分勲章をもらっても良いと思うのだけども、これで独禁法違反になってしまったら法律違反ですから、それではもらえなくなるのかというと、そうではなくて、やはりああいう新しい産業を興したという功績が独禁法違反にぶつかっても残るわけですよね。
ですから、そういう意味では勲章の対象になる。こういうことは今後はっきりしていかないと、小さな傷によってゼロになってしまうということではないのだということをメッセージとして出さないと、一方でチャレンジしろ、チャレンジしろなんて言っていることと矛盾するわけです。そこを具体的にどういうふうに表彰するかということについては、なかなか難しいのだけれども。

内閣府賞勲局長  今の点で、例えば独禁法違反ですと、一定の年数が経てば現状でもOKしているのです。ただ、問題は会社を傾けたというような方々とか、かなり経営が危なくなって大リストラをしなければいけなくなったというようなときの経営者について、それこそ経営者としての職責の議論が出てくると思うのです。

 社会的影響ですね。個人的研究等であれば、そういう体制の問題でチャレンジして失敗したというのは、これは何回でも再生がききますけれども、社会的に大きな影響を与えるという場合は、迷惑という点では、これはなかなか難しいですよね。

吉川座長  しかし、社会的影響ということを考えても、官における失敗と民における失敗とでは意味が全然違いますからね。分かりやすく言えば、民は失敗してもいいと、官は失敗したら駄目と。官というのはどちらかと言うと積分値で決まってくるような仕事をしているわけであり、民というのはいろいろなトライアルをしているわけですから、やはり積分よりは功績の大きさの方でプラスの方で評価するとか、そういう尺度の違いでしょうか。

 確かに時世が変わっていきますから、ずっと上り坂のときならば見えないのですけれども、維持するどころか、全く変わる体制になり得る。そのときの大混乱というのが予想されますね。

 それと、やはり先ほどから出ています官、公務の方です。これも昔ですと、よく言われるように、官は匿名性の中でやってきて、したがって長年にわたって積み重ねられた貢献ということになるのですけれども、しかし、これだけ行政が非常に大きく変わろうとしている時期ですから、やはり公務をやられた方の中でも、そこで何をやられたのか、そういういわゆる実績というのは当然あるはずで、そういうものを反映していくような物差しはやはり同時に入れるべきだろうという感じがします。現在の御説明ですと、あくまでも、長年にわたり積み重ねた公務へさっと瑞宝章という感じですが、そうではなくて、やはりそこに個人の能力あるいは実績というものが当然反映されるべきだろうし、その辺りを少し入れていただけたらという感じがいたします。

 今の「官と民の取扱い」の話については、基本的には今までの意見の集約として適当である感じがしています。また、上位勲等における官と民の不均衡に留意すべきということについても、確かにそのとおりだと思うのです。ただ、これについては、官と民のアンバランスだけではなくて、官の中にもこういうことがあるのではないでしょうか。例えば、上位勲等における中央と地方の不均衡ですとか、あるいは所属している団体の大と小の不均衡ですとか、そういうことがあると思うのです。
したがって、上位勲等における不均衡については、第2節2のみならず4の「功績評価の在り方」でもできれば触れていただきたいなと思います。単なる官と民の違いだけではなく、この功績というものを大いに評価しようというふうになっていますので、ここで触れていただければありがたいなと思います。
もう一つは、これに伴いますが、今後物差しの見直しが行われていくと思うのですけれども、事務的にお進めになる場合に、是非そういう点を頭に置いていただきたいなとお願いをしておきたいと思います。例えば、同じ官でも国の場合と地方の市町村の場合では、かなりバランスが異なり等級の上でもランクが決まっている。そのポストによるランク付けが今までずっと続いてきたきらいが強いので、やはり今度功績評価をやろうじゃないかということになりますと、その物差しをお考えになるときに、是非一つその辺りを評価できるようなものをお考えいただければと思っております。
後は、随時表彰については私は大いに大賛成でありまして、ここでかなり民の方々が出てこられるのではないかと思いますので、この報告書の中にせっかくこうして取りまとめますので、後の各論として事務的にどうすればいいのかということを是非お考えいただければありがたいと、お願いをしておきたいと思います。

 今、官の中にも格差があるというお話がありましたが、それは民の中にもあるのではないかというふうに思うのです。第2章第2節の「功績評価の在り方」のところでは、民間分野の評価に当たっては功績内容の実質的な評価に努めるべきとか、産業分野の功績評価に当たっては、産業活動自体が、国を富ませ活力を維持することにつながることから、企業の社会に対する貢献として評価されるべきといった御説明がありましたが、企業の社会に対する貢献と言いましても、産業と言えば第1次産業もありますから、農業とか漁業とか林業とか、そういうものも国の富ませ活力を維持することにつながるのは当然であります。その中で、「企業の社会に対する貢献」として評価されるという評価の仕方は、やはり第2次産業中心のような評価の仕方ではないかというふうに思うので、産業全体がもっと公正に評価されるような、そういう考え方をしなければいけないのではないかというふうに思います。
もう一つ、藍綬褒章の問題については、先ほど御指摘もありましたが、一つの問題点としては、生存者叙勲が停止されていた期間に、本来勲章で評価すべきものを、やむを得なかった面もあるかもしれませんけれども、藍綬褒章の趣旨をかなり幅広く、逸脱してはいけませんけれども、活用してやったというところから褒章と勲章の混乱というのが起こっている。だから、私は、そこは何かの形で正さなければならないというふうに思います。

 私は存じませんでしたので、本当に藍綬褒章と勲章がこんがらがっているなと思うのですが、今の経過の御説明でよく分かりましたが、どういう方向にすれば、そこのところをもう一回、完全に元へ戻すということはあり得ないとしても、整理がつきますでしょうか。やはり、藍綬褒章をもらって何年かするとまた勲章と、ここのところが一番問題だと思います。

内閣府賞勲局長  重複が目立ちますのは地方議会の議員かなと思います。昔は地方議会はほとんどボランティア的だったということもありまして、それで藍綬褒章が出たと聞いておるのですが、現在の藍綬褒章の運用は65歳ぐらいで出すというようなことになるものですから、大体は勤めあげて藍綬褒章をもらって引退するとすぐ勲章が出るというのが、地方の議会議員とか首長の今の運用なのです。ここら辺りはできれば今言われたように整理をする必要があるのではないかと思います。民間企業の方には、確かに勲等のない藍綬褒章の方を好まれてる方もいらっしゃって、そういうところは確かにあるのですが、そこをどうしたらいいかなと思います。

 同じ企業で、ベンチャー企業みたいに小さくても、画期的な発明などをして、長続きはしないのですけれども、その原理が普遍的にずっと応用されて、広く工業に活用されている。その起爆役みたいになった人に対しては、素晴らしい発明をしたという褒章ですね。ですから、規模の大小ではなく、小さくても素晴らしい業績を瞬間的に上げるという場合には、質をどうカウントするのかがなかなか難しい問題です。企業の場合、大企業でコンスタントにずっと社会的に貢献する場合もあれば、今まではそれをどういうふうに吸い上げてきたのか存じませんが、中小企業などでかなり良い発明もありますね。

内閣府賞勲局長  企業の発明につきましては、発明した本人については紫綬褒章が出て、一方そういう発明を育成した会社につきましては、育成した当人である社長あるいはその担当の役員だったりした人が、藍綬褒章の対象となったりもするわけです。それが一つございます。  それとは別に、大企業を率いていたということで、いわゆる通産系の方から褒章が出ているという形もあります。ですから、発明による藍綬もあるし、大企業を率いて経済活動を活発にしていたということでの藍綬もある。それから、業界団体の役員を長くやったからということでの藍綬褒章もあるということでございます。

  私が現職時代に関わったのは、主として外国との関わりにおける叙勲の部分でした。第1章の「栄典の意義」のところは、これはこれで良いと思います。中に「外交儀礼としても必要」という項目がございますが、その中には外国人、あるいは海外に居る日本人、日系人の叙勲のようなことも全体としては含んでいると思いますので、ここのところはどうこうという気はありません。また、第2節4に「国際社会における貢献や人道的活動を功績評価の対象とすることについて」とありますが、今でも全くしていないわけではないと思うのです。むしろ、日本が国際社会にますます関わりを持つし、活躍する人も増えたから、質・量ともにこの部分をもっと充実するという趣旨だろうと思うのです。今までしてないものを、これからしようというのではないと読んで良いと思いますけれども、そういう意味でこの1項が置かれたと思います。
これからこの部分がどういう形で充実されるか、そうすることがこの制度全体の一層の発展につながるという観点があるのだろうと思います。これは実施細則その他でこれから出ることだと思いますけれども、例えば7の「候補者の選考、審査」というところに関して、推薦を受けていく中で、海外における叙勲のうち、元首とか公賓のいわゆる儀礼叙勲はありますが、それ以外のいろいろ功績のある外国人に対しての叙勲が現在の程度でちょうど良いのか、もう少し広げることが適当なのかという点は、やはり一度その問題に絞ってしかるべき形で議論があっても良いのではないかと思います。
また、海外における日本人、日系人についても、同じときに南米に移住した家族の中で、その家族あるいはその子孫たちで日本国籍を持っている人、つまり結婚か就職か企業を興すか何かの理由で向こうの国籍を持った人との2つに分かれており、それを両方併せて海外における日本人、日系人と総称しているわけですけれども、そういう人に対する推薦があります。これについては、各総領事館でその地域の日系人社会の人を推薦してもらうというような制度がありますが、どうもそこの日系人協会の会長を1度やらないとなれないとか、枠が1人になっているからせっかく2人いるけれども1人に絞らざるを得ないとか、かなり制約的だという声があり、日本で日系人大会を開きますと時々聞く話なのです。そうすると、推薦の範囲あるいは仕方の基準を、時と場合によっては、今までは1人だったけれども2人、3人でも良いとするとか。
もう一つは、これは前にも述べたのですが、同じぐらいの功績を果たした人について、ややもすると向こうの籍を持っていた方が外国人叙勲の対象としていただきやすいけれども、日本の国籍を持っていると今のような制約が強過ぎるのではないかということがある。私は実態は知りませんから、そういうことを言う人がいるという意味で申し上げているのですけれども、同じ家族でも一人は日本国籍、もう一人の弟の方は向こうの国籍というようなこともあるようですから、その辺りのところは、もう少し国際面における叙勲の面を充実させるというのであれば、一度担当者の間で議論していただいて、もし内規のようなものを整備、検討されて充実されるというのであれば、そもそも国際貢献を充実しようというのが大原則として今度決まれば、それが実施されるような形で何らかの仕組みを考えていただいたら良いのではないかと思います。
人目につきにくい人を救おうというのが日本国内の叙勲についても出ていますけれども、海外において活躍する人たちというのは、それ以上に人目につきにくい人たちが多いものですから、それを拾っていくというのは、なかなかその気にならないと、その社会、その国、あるいはその分野では大変評価されていても、だれも気が付かないまま終わってしまうことがあるという声もありますので、これから拾っていこうという趣旨の中に、なるべく海外のことも考えていただいたら良いのではないかと思います。
これは質問なのですけれども、褒章制度は、海外の人と言いますか、外国人はどうなのか、また、日系人とか日本人で海外の人でもいただく例はかなりあるのですか、それともあまりないのですか。

 中国の先生の例なのですけれども、中国で一時期は外交部にいて、参事官クラスまでされたらしいのです。ですから、外交官としては参事官で、その後は文化人として日本の俳句の翻訳をされたり、日本文化を随分紹介されたりした第一流の人なのですね。これを叙勲しようということで出したら、外交部参事官という地位にこだわって、勲三等であるとされた。そうしたら、自分より評価の低い人が勲二等になって、自分は勲三等であるということで、これを拒否されたのです。官における地位を評価されて、履歴を出されたと。ですから、推薦されるときに、一流の文化人であり、日本のことをよく紹介したとするなら勲二等でも大変な評価で通ると思うのですけれども、これを海外の場合どこが審査しているのでしょうか。もらってほしいのですけれども受け取らないのです。後輩が自分より評価が低いのに勲二等で、自分の方が更に低くされているという矛盾がありまして、周辺の人から何とかならないのかということを言われるのですけれども、そのままになっていますね。

内閣府賞勲局長  最初の質問からですが、例えば紅綬褒章の人命救助などは、日本国内で人命救助をしたなら対象となっていると思います。一方、例えば紫綬褒章などにつきましては、基本的には日本国民を対象にしていると思います。あるいは、日本の企業に属して発明したりしたら出るかも知れませんが、そういう例は少ないと思います。

 私はここで、褒章を海外の人に広くやったらどうかと言っているわけではなく、事実関係を知りたかったのと、全体として勲章もしくは褒章に値する人については、こういう時代ですから、国際的な視点も含めてバランスの取れたことが行われるべきであろうというのが報告書の全体の考えであるとすれば、今までのことはともかくとして、今後は褒章についても、例えば海外からの推薦とかいうことがあり得るのか、それとも、外国人が日本で救助した場合はいいのかも知れませんけれども、およそ外国における行動とか貢献とかいうものは褒章の対象にはならないと割切ってしまうのか、その辺りのところを問題提起として伺いたかったのです。

内閣府賞勲局長  日本に対する功績というのがあったかなかったかという話になると思います。過去の例からいきますと、例えば学校の振興をしたということで藍綬褒章の対象となったり、在日でやはり紫綬褒章を受けたりした方はいらっしゃるようです。また、例えば人命救助でも外国で日本人を救助したというようなことになると出しても良いのかも知れません。そういうことがあり得るとは思うのですが、その他の部分については褒章はちょっと出しにくいかも知れません。
外国人叙勲も、最終的に審査するのは私たちなのですけれども、日本国内のものよりも評価が難しいというところは確かにございます。

 絶対価値ではないですからね。

吉川座長  ここで整理をしたいのですが、いろいろなお話が出ておりますけれども、大きく分けると、特にこの人目につかないということに象徴されるように、環境の変化、価値観の変化なども含めて、今まで対象にならなかったものも対象にしようという対象に関する問題、あるいは、官・民が一番大きな問題ですけれども対象間の重さ・軽さといった問題が一つある。
もう一つは、同じ対象の中でも、どういう基準、物差しを持ってくるかということがあるわけです。これについては、私は、やはり物差しそのものについて、具体的にこの報告書ではあまり触れられないのではないかという気がします。それは、やはりある意味では、この報告書としては、そういうものを検討し、選出基準をもうちょっと見直せというようなことは、別の委員会でもつくってそれぞれ専門ごとにやるというような考えがあってもいいと思うのです。そういうことが必要なのかなという気もいたします。そういうサジェスチョンをここでするということは可能ですね。
ただ、はっきりしておかなければいけないのは第一の方であって、例えば官と民についてはどう考えるのか、これはもうちょっと詰めておいた方が良い気がいたしますので、今日もう少し時間を使って議論したいと思います。先ほどのお話に戻るのですけれども、官の中にも個人の功績があるはずだというお話ですね。第2節3の「功績の質的相違に応じた勲章の運用について」のところで、一刀両断で官は瑞宝と決めてしまうのは行き過ぎだという御指摘があったのですけれども、その上の2には、実は「官・民を問わず、功績のある人は適切に評価」という言葉が入っているのです。ここのところは一見矛盾するような感じになるのですが、どういふうに読むかですね。ここは局長からお願いします。

内閣府賞勲局長  瑞宝章は年数のある人には出すという大前提にはなっているのですが、ただ出すとしても一定のポストを勤めたら自動的に勲章が出るのではなくて、やはり、行政としてマイナスの効果があったというような方でしたら、本来は推薦すべきではないのだと思うのですけれども、そこら辺りを特に各省との間ではっきりさせなければいけないだろうということが一つございます。
民間につきましては、当然功績のある人が出てくるという前提ですが、ただ先ほど出ましたように、大企業の社長でありましても、その企業を傾けた人というのは推薦されるべきではないかなと、あるいは、それを建て直した人については今度は並みの人より高く評価すべきかなというような感じがあると思うのです。そういうようなところが一つあろうかと思っております。
ですから、瑞宝章につきましても、単純に年数さえあれば全部出していいかと言いますと、先ほどの御議論のように、行政上の失敗があったかなかったかという辺りもやはり見なければならないのかなという気はしております。

 ランクが同じ次官でもそういう例はあるのですか。

内閣府賞勲局長  現在は次官退官後のものも含めてやっていたりするものですから、かなりあるのです。ただ、例えば退官後の公社公団を重く見ているなどといったところがあるものですから、そこは改めなければならない。

古川官房副長官  次官だけのときに、年数を2年やったか1年やったかというのはありますけれども、3年以上やる次官というのはまずいませんから、1年も2年もあまり変わらない。
それから、次官であった間に功績が具体的にあったかなかったかというのは、これは非常に大事なことなのですが、組織としてやっていますので、例えばある次官のときに大きな問題が起きてその解決をしたと言っても、それは次官が解決したということではないのです。上に大臣もいますし。ですから、官としてはそういう個別の評価はしないということです。ただし、次官になるということは、それぞれ人望があり、今までの功績を積み上げてなるということではあります。次官の在任期間に、Aさんが結果として社会的に非常に大きな功績を組織として上げたから、これはいい次官だった、一方こちらはそういう問題があまりなくて、大過なく2年過ごしたのであまり大したことないとかという評価はできません。
ただ、我々は、例えば私は副長官を6年7か月やっておりますが、能力とかそういったことを個別に言えといったらかなり格差はあります。けれども、次官としてはやはりそういう差を付け難く、しかも組織としてやっているというのが鉄則ですし、あまり「私がやった」ということを役人は言ってはならぬという議論もあり、国民に対する中立公正の立場でのサービスということでございますから、民間の場合とはちょっと違う。

吉川座長  では、この点は実は矛盾はないということで、文書上の表現の問題かと思います。
次の問題は、先ほどの委員の御指摘ですけども、企業というふうに書くと第二次産業ばっかりではないか、それ以外にいろいろな産業があるではないかということですが、これはどういうふうにしましょうか。国を富ませる活力というのは、これはもう当然他の産業にもあるわけですね。

内閣府賞勲局長  先ほどおっしゃられたように、産業の社会に対する貢献というようなことで言うのがよろしいでしょうか。あらゆる産業という意味ですね。

吉川座長  それが分かるように書いた方が良いと思うのです。今、第2次産業は非常に脚光を浴びていますけれども、それだけでは駄目なわけですから、そこはやはりちゃんと書くべきだと思います。
もう一つ、御指摘のありました外国の問題はどうしましょうか。第2節4には「国際社会における貢献や」というふうに書いてあるのですが、どこまで書き込むかということ。

内閣府賞勲局長  ここの表現は、どちらかと言うと日本人を中心に書いてあり、外国人のことはあまり積極的には書いてないところですので、そこを加えるとすれば、外国人叙勲等も積極的に活用すべきというようなことを1項目入れるかという感じになろうかと思います。

 私が述べたのはむしろ、長く海外に住み、あるいは移住してその地域に骨をうずめるような人で、その社会ではかなり評価されて、非常に誇りになっているような人が、なかなか日本国に貢献したということにはならず、先ほど局長が言われたように、日本に貢献したか否かという基準ではかると、それなりの芸術能力を持った人は日本にはざらにいるとか、その地域では大変良いことをされたけれどもそういうことは日本国内でもたくさん行われているというようなことで、比較をしますとなかなか上がってこないのです。ただ、国際社会の中における日本とか、日本人に対する外国の信頼とか、友人がたくさん増えるという価値観を今まで以上に重く考えるならば、その地域で誰が見てもあの人というような人であった場合には、その貢献した範囲は社会の限られた地域とか限られた分野であってももう少し拾っていいのではないかという声が、日系人大会を毎年やっていますけれどもそういうところですぐ出る。特にそういうところでは、あの人はもらっているけれども私はとうとうもらえなかったというのがやはりかなり大きな問題なものですから、あまりそのときに日本における同等のものと比べるという観念にとらわれると、パスしたくなってしまうようなことがあります。それはそれでいいと割り切る手もあるのです。勲章というのは、ともかく日本国内が主だと。でも、これからもう少し外向きに考える時代がだんだん来るのであれば、もちろん野放図にやれるという意味ではなくて、常識的に考えていいのであれば、かつ全体の数を少し広げる余地があるのであれば、そういうものを少なくとも推薦ができる、あるいはそれを拾ってまめに検討するような仕組みというのを、一度考えていただいたらいいのではないかというふうに申し上げているわけです。

古川官房副長官  今のお話で、私も非常に感ずるところがあります。外国人の叙勲というのは大使館から上がってくるわけですが、毎年言っているのですが、国によっていつもたくさん上がってくるところと、全く上がってこない、もう何年も上がってこないというところがある。外国人の方で、日本との関わり合いで相当功績を持った方もいらっしゃるけれども上がってこない。しかし、ある国はたくさん上がってくる。賞勲局は上がってきたものを審査する。
そこで二つ問題があるのは、確かに外務省も言っていますが、そこの活動をできるだけ吸い上げて、外国人が日本に対して行ういろいろな文化活動、日本との関わり合いの中での活動など、そういったものをできるだけ上げてくるということが一つ。
もう一つは、やはり我々もちょっと反省して、何らかの物差しを少し検討してみる必要があるのかなと思います。そして、賞勲局はそういった各国から上がってきたものを、公平に一つの物差しで判断していく。現在ではものすごいアンバランスがあるのです。いつも出てこない国もある。アメリカとかフランスとかはいつも出てきますけれどもね。

 私もそういう意識を昔に持ったことがあるのですが、多分一つには、勲章というのが非常に喜ばれる国と、みんな一視同仁だというような国で勲章制度がなかったりして、又はあってもあまり人々が重視しないような国の場合は向こうも欲しがらない、そういうような国とがあると思うのです。王国など非常に勲章が盛んな国、非常に勲章が欲しいというムードが強い国と、そうでない国とがあると思うのです。
だから、それでもいいから何でも上げろというのは無理でしょうけれども、しかし場合によっては、毎年やっていないから今年もやらないというような惰性になって流れているのであれば、そこは掘り起こす余地もあるのではないかというふうに思います。

吉川座長  これについてはむしろ、「人目につかない」というカテゴリーの中に「国際」というのを一つ入れておくというような考え方があろうかと思います。 官民の問題はこういう記述にします。
もう一つ、先ほど御指摘がありましたが、官の中にも格差があるという話ですね。これも是非指摘しておく必要があると思います。
次に民の中の話ですが、これは今日いろいろ御議論いただいたのですが、結局最後には尺度の話になってしまって、そこまではなかなか細かくは言えないと思うのですが、何か質的なところで、先ほど褒章の問題との関連もありましたけれども、どういうふうに分かりやすく表現していくのでしょうか。民を浮上させるというのは一つ大きな観点だと思うのです。これは、社会的な変化とか、言わば国民の価値観の変化というようなことで、当然浮上してくるし、大きな流れとしてある。しかし一方、そういう中でも、大企業とか規模とかそういうものではないとか、そういうことに触れていくと、やはりやや尺度の話に入ってきますね。

 私もよく全部調査したわけではないのですが、思い付くようなところを言いますと、例えば、先ほど、特に小さい企業などでも技術的に優れているものがあるというお話がありましたが、実際にかなり小さい、規模から言えば中小企業という範疇の中の企業でも、最近よくいろいろな雑誌でも出ておりますが、技術的に世界的にも結構長い期間非常に高い評価を得続けて、例えばこの分野はこの技術なしにはできないというようなものについての評価の問題があると思います。
それから、産業の社会に対する貢献という意味では、雇用も含めて少しはアップ・アンド・ダウンが一時あったかもしれないけれども、それでも継続的にある地域を基盤にして、しかし評価については地域だけではなくて全国的にも技術的な部分をもって受けている企業がある。ただ、雇用などの点から言えば、主としてその地域に限られている。例えば、岡山県にある優れた企業がありますが、そのような企業をどう評価するか。やはり全国企業と評価するのか、あるいは地方企業と評価するのか。一般的な基準から言うと、その経営者が受けるかどうかは別にしても、勲一等などというのは出てこないと思うのです。しかし、実際にあの企業がやってきたことは、非常に高い評価を受けています。
例えば、京都のある企業も同様です。これは、従来から言えば、やはり勲二等とか勲三等とかいうところで止まるものなのです。しかし、やはり明らかに技術の高度性、ユニーク性があり、あるいは地域性があるかもしれないけれども雇用という点でも継続的に評価を受けた。ある分野では、世界的に幾つか基準をつくれば、一般的に言う全国ベースの企業ではなくても、非常に高い評価を受けて当然だというふうに思われる企業は随分ありますし、逆に、規模から言えば非常に大きいけれども、本当に密度の問題とか貢献の問題から言ったら分からないものもある。本当にくどいようですけれども、これは大変にチャレンジングなことで、結果が出たときに、「何であそこで私が」とか、「全国ベースから言ったらもっと」というような議論は出るとは思いますけれども、やはりこれからそういう議論をして、中立的な機関でやるのか、あるいは第三者を入れた機関でやるのか、そういうところでいろいろな意見を反映しながら選んでいくというプロセスで、ある期間は試行錯誤する必要がある。しかしながら、そういうところが対象になって出てくるということは、非常に重要なことなのではないかという気がいたします。

 企業の大きさで評価を上げるということもさることながら、同じような企業で会長とか代表をしていて、自分は会社経営等から外れて、委員の皆様方のようにこういうところへ来て、公共に供するというにはそのような意味での立場がないと代表になれないのですから、そういう評価というのが今まで民の方であったわけです。代表して、個人の利益を外れて、私心をなくして国に貢献するという立場をとっておられるわけですね。それが評価されて、今まで高い勲等を受けていたのではないでしょうか。  また、会社経営で非常に成績を上げたり、発明したりというのは褒章になります。会社経営は国のためというより会社の利益のためですから、成績を上げるのは当たり前で、それが付随して社会に貢献するということは、目的がちょっと違いますから、1ランク勲等が下がるということですが、しかし実力から言えば、代表した人よりこちらの方が力があったのにという比較はあると思います。

吉川座長  そこが一番のポイントだと思うのです。民間では、成功するから当然代表者になる。その代表者が公的な貢献をすることで授与の対象になってくるという構造だったのですけれども、それを少し変えようという御提案ですね。むしろ、企業自身がまた公共性を持っているという解釈ですね。

 そういうことですね。今まではそういう代表の立場、経団連とか、同友会とか、日経連とかいう公的な立場を優先させたのではないでしょうか。

吉川座長  それはもちろん大事なのですけれども、それに加えて、企業の中にどっぷりつかっているけれども、それ自身が一種の社会貢献なのですね。

 発明だの何だので、大変な貢献をしているわけです。このバランスの評価をどうするかということは新しいことであって、不公平になりますので、それを選抜するときは難しいでしょうけれども、評価しなければならないということですね。

吉川座長  尺度はこれから検討するにしても、それは非常に大きな注目事項だという指摘になるでしょう。それが勲何等になるべきかということについては今回は言及しないにしても、やはり社会変化に伴って、そういう見方の変化が質的に起こっているということは明確にあるということ。これもまたうまく表現する必要がありますね。

 ですから、必ずしも経団連の会長などにならなくても、上位の勲等を占められるということです。

 むしろ、今例に挙がった幾つかの企業がやっておられることというのは、これは決して一義的な時代の流れとか、あるいは風潮とか、最近流行っている、それに合っているというのではなくて、やはり範囲は地域かもしれないけれども、むしろ本来この叙勲制度等が対象にしようと思っていた、基本的にはやはり時代の変化とは関係なしに、継続している企業あるいは産業の社会に対する貢献とか、そういう範疇で堂々とスクリーンに掛けられたら残ってくるようなものなのです。しかし、たまたまそれが全国ベースではなくて地域ベースだとか、限られているところをもう少し組み合わせていくことなのだと思うのです。

吉川座長  かなりよくお話がまとまってきたような気がします。 あと残っていることで、多額納税者についてはどうでしょうか。紺綬褒章の寄付の対象者として多額納税者を検討してはどうかというのがあるのですが。

内閣府賞勲局長  問題になるとしますと、寄付で褒章をもらうというのが良いのか悪いのかというのがまず基本の一つにあります。
紺綬褒章については、まず、現在500万円で出しているということがあり、それが高いか低いかという話が一つあります。それから、紺綬褒章の寄付の対象となっているのが、例えば地方公共団体、それから賞勲局に申請があって認定した団体ということになっているのですが、その範囲が、例えば税法上の指定法人とは違い、こちらの方が狭いということがありますので、そういう所を全部入れたらどうかという話も一つあると思います。
また、多額納税者のような方を入れるか入れないかの問題があります。先ほど申し上げましたけれども、納税義務をきちっと果たしたという範囲からいきますと、納税額の大小には関係ないということがあり、そういう意味からいくと、多額納税者だけを対象とするのもちょっとおかしいかという議論もあり得るので、場合によりますと、そういうものを全部含めまして、もう少し検討しようというようなことを言っていただくということもあり得るかと思っています。

 税務署から褒章を出させたらどうでしょうか。

 国税庁長官表彰などそういうものもあるのではないでしょうか。 結局、この問題については、今の紺綬表彰の対象となる寄付の金額等についてはいろいろあると思いますけれども、基本的にはやはり善意の寄付者というものだと思うのです。別に反対給付を国に求めてやるというのではなく、社会のために貢献しようということでやるものですから、多年にわたって高額の納税をするということは大きいものであると思いますけれども、これはやはり同視するというわけにはいかないのではないかと思います。
今、局長が言われたように、検討課題としてはあり得ると思います。

吉川座長  そうですね。ちょっと質が違う別の議論をしないと。

 善意の寄付というのは、金額の多寡とは違った問題です。

吉川座長  もう一つ、第6節の「その他」に記章というものが出てくるわけですが、今までどういうものに出ているのでしょうか。

 新しくそういう制度をつくらなければいけませんよね。

内閣府賞勲局長  戦前ですと、特定の事変に参加したとか、あるいは特定の大きな行事に参加したときに記章、記念章を出していたことがありますので、そういうものを検討してもよろしいかと思うのですが、対象その他もいろいろ考えられますので、こういうものも検討したらどうかというようなことを言っていただくかどうかだと思います。

吉川座長  これは、行事がどうということではなく、参加したという事実で出てくるわけなのですね。ちょっと質が違うのですね。

 他の勲章とか褒章とかいうものでは対象にならないからこれもつくるというのですか、それとも、ものによっては他の栄典にもあずかり得るのでしょうか。青年協力隊ではないけれども、いろいろな似たような国際的な活動をやりますしね。これだけは限定的なものと考えているわけですね。

内閣府賞勲局長  例えば、自衛隊の人がPKOなどで海外に行った場合に、現在ですと褒章などの対象になりませんし、勲章ですと本当に年を取らなければ出てこないものですから、参加した直後に御苦労様でしたということで記章を出すということがあり得るのかなという議論がございます。

 そうすると、割と広い概念なのですね。国際的な災害救助活動、例えば難民救助の仕事でアフリカなどに行くような人とか、そういうものも対象になるわけですか。

内閣府賞勲局長  今のところ、国が派遣する、例えば国際緊急援助隊やあるいはPKOがありますが、そういうものが考えられるのですが、その対象をどこまで広げるかですね。

 ああいうところでは、国が派遣する援助隊、それからNGO、全くのボランティアで行く人、あるいはほかの国のそういう事業に参加している日本人など、一緒になって大変な苦労をしているわけです。だから、それはなるべく均等に扱った方が多分いいのではないかという気がするものですから、余り限定的にしてしまうと、それに外れた人はどうだという話にすぐなるのではないかと思って伺ったのですけれども。

内閣府賞勲局長  完全にボランティアで行った人については、緑綬褒章のようなものの対象になり得るかどうかということが一つあると思います。むしろ、公務員についてはそちらの対象にならないということになりますので、特に職務で行った人とか、そういうものが対象としてあり得るかと思っております。

吉川座長  そうすると、これもバランスの問題ですね。そういう検討対象だということぐらいですね。

 公務員的な立場の人が参加した場合に記章の対象になるかどうかということですね。

吉川座長  必ずしも明快な指摘はできないということですね。これはちょっと調査も必要ですね。

内閣府賞勲局長  どういうものがあるのかも考えないといけないですね。

 その分野は、これから随分広くなると思います。その場合、労災の対象になるかならないかとか、身分保障の問題とか、自衛隊でもそれが昇級につながるかどうかとか、いろいろな未知の問題があるのだろうと思いますので、その中でこれはとらえていただいた方がいいと思います。

吉川座長  あと、たびたび話題には出ながらあまり議論できなかったのが、第4節以降の「文化勲章の在り方」と「叙位制度の在り方」、それから「法制面の問題」です。これは大変難しい問題だと思いますが、何か御意見がございましたらお願いします。

 文化勲章については、去年は受章した翌日に亡くなったという大変悲しいことがありましたけれども、できるだけまだ余力があるときに認めて、それで活躍していただくというのがよろしいのではないかと思います。でき上がったというより、そういう方もいると思うのです。自然科学の方が早いですね。

 何歳以上というふうに決まっているわけではないのでしょうか。

内閣府賞勲局長  年齢はそれほど限定があるわけではないのですが、文化功労者に選ばれた方の中から選ぶというようなシステムになっていて、その文化功労者の選考に当たりましては、文部科学大臣のところに文化功労者の選考分科会というのが置かれまして、その分科会の委員の先生方が独自に推薦をするのです。

 まず文化功労者を出して、特に芸術関係はやはり公平にすることですね。運動をしたりすることに何かやるというのではなく、本当に公平に第三者が選ぶということですね。

吉川座長  文化功労者のうちから何人かという比率は分かるのですか。

 大体5、6人ということですね。

吉川座長  何%ぐらいなのですか。

内閣府賞勲局長  文化功労者が年に15名選ばれます。それに対して、文化勲章の受章者は年に5名選ばれます。ただ、何年か経つものですから、必ずしも3分の1ではないのです。

 各分野から1人なのです。

吉川座長  分野ごとになっていますからね。

 自然科学ですとか、多岐にわたっています。文学などではなかなか当たらない方が亡くなってしまいますね。

吉川座長  今の仕組みから考えると、急に若くするのは難しいですね。

 難しいですね。飛び越すことになりますからね。

 一般の受け取り方としましても、勲章一般でなくて、等級も何もなく、とにかく勲功卓絶となりますから、それに対する権威というものは非常に重く受け止めると思います。したがって、年齢をある程度下げていくということは考えられてもいいかもしれませんが、しかし年齢を下げることとか、受章者の数を増やすことには、やはりある程度の限界がどうしてもあるのではないかと思います。
文化勲章を受章された方が、公的な活躍をするということは良いことですから、本当はやはりもう少し若くしていただいて、社会的活躍を期待するということですね。

 受章時に、陛下から頂くときに、予行演習をやるのですけれども、まっすぐ行っていただいてまっすぐ下がるのですが、お年で下がれないです。腰が曲がったりしていて、後ろを見ないである距離を下がるというのは難しい。

 今の文化功労者はどなたが、どういうシステムでおやりになるのですか。

内閣府賞勲局長  文化功労者の選考分科会の委員に選ばれた方が、大体お一人二名ずつを推薦されるのです。

 その選考分科会というのは、どこにあるのですか。

内閣府賞勲局長  文部科学大臣の下にあります。そこに、各分野の代表者を委員に選びまして、その方々がおのおの独自に2名ずつ推薦されまして、その中から15名を選ぶということになります。

 そこでは、特にきちんとした選考基準があるわけではないのですか。

内閣府賞勲局長  文化、学術の面が功績の大きい方ということですね。

 出てくるような人ですから、業績はみんな分かっているわけです。これまた比較が難しい。

 実際には、毎年15人ぐらいの文化功労者が選ばれて、その中から5、6人の文化勲章受章者ですから、非常に功績の高い方がたくさんおられて、実際にはもう待っておられる方がたくさんおられるということで、どうしても年齢の高い方になるのですね。 表現は良くないけれども、本当に在庫一掃ではないけれども、そういう方々に何らかの形で対処しないと、若返りというのはなかなか難しいですね。やはり、今まで受けておられない方で、確かに高い人もたくさんいらっしゃるわけでしょうから。

内閣府賞勲局長  ただ、先ほど委員がおっしゃったように、やはり価値の高い勲章であるということから、そう増やすわけにもいかないだろうということがございます。

吉川座長  年功序列的なものを排除するというのは一つありますね。年が上でも若い方が功績があるということもありますし、大体今は年齢でいっているような気がするのですね。

内閣府賞勲局長  特に学者では若い方が出やすいのですけれども、芸術の分野でも例えば森英恵さんですとか、70歳前後で受けられた方は割といらっしゃるのですが、分野によって長老から推薦する方々が多いところは、やはり年配の方が文化功労者になって、更に年になってから出るという感じがあります。

吉川座長  これは日本の文化に根付いていて、なかなか難しいですね。

 一般の世論としてはあるのですけれども、実情は飛び越せないということがあり、たまにあっても難しいということなのでしょうね。

 基本的には急に変わることは難しいとしても、やはり文化功労者そのものが例えば15名から20名ぐらいに増えるとか、また文化勲章受章者は、かつて7名、8名とありますから、急に20名になってはあれですけれども、5名が7、8名になるとか、そういう中で増える部分で少しでも若い方が入っていくことではないでしょうか。やはり、今まで5名ということで対象外になっている方々の中で差し上げなければならない方もいらっしゃいますし、また大変高齢の方もおられますが、やはり文化勲章そのものの性格から言えばやむを得ない。ちょっと広げる中で若い方も入れていくということでしょうか。

内閣府賞勲局長  おおむね5名ということになっておりますので、多少増えているときもあります。

 最近は忠実にずっと5名ですね。

内閣府賞勲局長  ノーベル賞受章に伴い6名になったりというときは若干あります。

吉川座長  それでは、基本的には期待感というのでしょうか、低い方が良いということはもちろんないですけれども、受章者の社会的活躍を期待するというような観点から、やはりもう少し若返った方が良いという期待感を持っていますね。

 今では御高齢でもお元気になって、現役が伸びていますから。

吉川座長  それから、第5節の叙位についてはあまり議論しなかったわけですけれども、特段の御意見がなければ、あまり変化する提案はしないということですね。

 1400年の歴史もあるし、それは結構だと思うのですが、昔はもちろん生前もらっていたわけです。今は亡くならなければもらわないということは、ちょっと制度の運用が変わっている。生きているときに頂くのから、遺族が喜ぶというものになるわけです。しかし、叙位制度には歴史があるから、今のようなやり方で続けるのが良いというのが、大体の世の中のコンセンサスなのでしょうか。
と言いますのは、私は学徒出陣で海軍から帰ってきたら突然従八位というのをもらってそれっきりなのですが、つまり生きているときに二十歳でもらったのですけれども、恐らくその後はもう生きている方はどなたももらってないのではないかと思うのですが、それでも続けるということは、大方の皆さんの印象というのは、1400年の歴史があるからということになるわけでしょうか。

内閣府大臣官房人事課長  現在は、勲章をもらわれた後亡くなられたときに哀悼の意を込めて贈っているということでございまして、大体年一万二千件ぐらい出ておりまして、そういう意味で定着をしております。ただ、叙勲制度の見直しと連携いたしまして、叙位の場合は、過去の経緯からいたしまして、勲章以上に民と比べまして官の数がどうしても多くなっておりますので、その辺りをやはり見直して、官・民のバランスということを考えていくという運用の見直しというのは必要だというふうに考えております。制度としては、今申しましたようにかなり定着をしておるものでございますので、残していくべきものではないかというふうに考えております。

 意見募集の中でも、叙勲についてはいろいろな御意見がありましたけれども、叙位そのものについては、死後にしても官高民低でおかしいとか、そういう御意見というのほとんどないのですね。

内閣府賞勲局長  確かにあまりございません。今ちょっと話が出ましたように、叙位の出ているのが官が圧倒的に多いということがございまして、逆に申請してこられないということもあると思うのですが、そういう意味であまり民間の方の念頭にはないのかもしれません。

 申請制度なのですか。

内閣府賞勲局長  推薦をするところがなければいけないのです。

吉川座長  御本人は推薦できないわけですからね。

内閣府賞勲局長  ですから、団体なり役所の方が推薦してくるわけです。

 民間は意識があまりないということですか。

 そうですね。よく分からないですね。

吉川座長   むしろ、よく知られていないとか、民間の方は忘れてしまっているとかいうようなところに問題があるのかもしれませんね。
これは、したがってあまり議論できなかったということですけれども、問題があるとすればそういったバランスのところですね。これはやはり周知の問題だということですね。

 これは賞勲局が担当しているのですか。

内閣府賞勲局長  位は内閣府の人事課になります。

 戦後7、8年経ってからでしょうか、独立を回復した後か何かに、いわゆる学徒の者も含めて軍人の皆さんに位が出された。

 例えば勲一等だったら三位ぐらいですね。

 それ以外は、戦後についてはないわけですね。

内閣府賞勲局長  生存者につきましては、勲章と一緒に生存者に対する叙位が停止され、生存者の叙勲を再開したときも叙位だけは死没に限ってということになりました。

 これはそういう伝統ですから、別に意見がなければずっとやられるのでしょうね。

吉川座長  ですから、これは変更の提案はとりあえずしないということですね。
第7節の「法制面の問題」についてもあまり議論がなかったのですが、今はどういう議論があるのですか。

内閣府賞勲局長  以前に御説明しました与党のプロジェクトチームでは、法制化に努めるということが書かれておるわけなのですが、現行の枠組みを使用して勲章の名称を変える、それから、実際の運用を変更するということになりますと、本当に法律事項かという話になり、国民の権利義務に関するものではないだろうということからいきますと、純然たる法律事項ではなかろうと思います。
新しい勲章を創設するとなりますと、やはり法律にすべきなのかもしれませんが、現行のものを利用してやるということからいきますと、現行の根拠規定の修正で済むのではないだろうかというのが私どもの考えです。

吉川座長  当懇談会としては現行の枠組みの中で対応可能という線でよろしいですね。

 

自衛官と警察官の別枠の叙勲というのがございますね。この別枠の叙勲という言葉は、今回初めて出るのでございますね。
「受章者数」のところで別枠の問題が出ておりますけれども、やはり姿形が見えないと思うのです。春秋叙勲とは別枠の叙勲として実施するということですが、私たちはこの会議に参加していますので、またいろいろなヒアリングもしていますので、この意味はよく分かるのですけれども、別枠とはどういうふうなことかということについて、ちょっと説明が必要ではないかと思います。

吉川座長  これは時期の問題なのでしょうか、数の問題なのでしょうか。

 数の問題なのか、単に時期の問題なのか、もっと言えばほかの内容にも別枠の基準が適用になるのかということがありますので、言葉が新しいかどうかは知りませんけれども、別枠というものそのものを新しく提案することになるので、少し姿形が分かるような表現をしておかないといけないかなというふうに思いました。

内閣府賞勲局長  ここは補足をもう少し書き込むことにします。
春秋叙勲ですと、今のところ大体1回につき4,500という数がありますので、この分野の方を増やそうと思いましてもそこだけ突出しますので、それもできないということがありますので、春秋叙勲から外したということです。

 これは、「受章者数」のところに書かれておりますので、受章者の数の増加に努めるべきということと連動しているわけですね。

内閣府賞勲局長  どういうやり方をするのかにつきましては、もう少し補足させていただきます。

吉川座長  ではここはもう少し詳しく説明をします。
さて、今後の予定につきましては、今度は文章にした報告書案を次回の懇談会の前にお配りいたしまして、十分御意見をお考えいただいた上、最終回を開いてここで決定するというふうにさせていただきます。今の予定では、10月29日の月曜日の夕方ということで、皆さん御出席できる御予定ということですので、そこでとりまとめを行うということになります。
報告書の案につきましては、当然私の方で原案をつくるということになりますけれども、それを今申し上げたように事前にお配りし、それについてまた御意見をいただくわけですね。そして、それを入れたものが懇談会に出てくるというふうにできるだけさせていただきます。希望的な観測ですが、ここではもう最後は確認だけするという形でいければと思います。 なお、今日も記者に対するブリーフィングを行い、私の方から説明をしておきますので、よろしくお願いしたいと思います。

それでは、今日は終わりにいたします。どうもありがとうございました。

(以上)