平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集 高校生・一般部門最優秀賞

ゆかちゃんとチィ

川村 恵子(鳥取県)

 私の妹は、療育手帳を持つ知的障がい者である。一歳半に高熱を出し、髄膜炎に罹った脳への後遺症であるらしい。妹の障がいを簡単に言えば、知能は二歳、身体は三十八歳で介助が必要な大人である。このアンバランスさが妹にとっての障害であり、社会における生きづらさなのだろうと思う。

 私は決して優しい、いい姉ではない。お互いに幼かった頃は一緒に遊んだり、出かけたりしたが、私が周囲の視線を気にして、妹と一緒に歩くことを避けた時期もある。妹の事は隠したわけでもないが、誰かにわざわざに話さなくてもよいことであった。いちばん近くにいる向き合いたい家族なのに、距離を置いていた自分がいる。いつも真っ直ぐに一生懸命に生きている。そんな妹「ゆかちゃん」を母は「天使みたいな子だよ」と言う。

 やがて私は結婚して、妹と離れて暮らすようになった。新しい家族もできた。もうすぐ四歳になる息子は、自分のことを「チィ」と言うので私もそう呼んでいる。息子が産まれる時、妹は母と一緒に病院の分娩室に来た。母が居るところには必ず妹がいる。痛がり苦しむ私のそばで、妹はわけのわからないことを言っていたが、それが彼女なりの私への応援だったのかもしれない。我が子が生まれ、ふと思ったことがある。私は妹の障がいをこの子に何と伝えればよいのだろうか。息子にとって叔母にあたるゆかちゃんを息子は『何かちょっと普通と違う、ヘンな人だ。』と思う時が来るのだろうか。その時、私は息子に何と言うのだろうか。これまで妹と知らずしらずのうちに距離があった私は、妹ともっと近くで関わりたいと思った。息子の誕生と同時に、妹がいる家の隣に住み、物理的な距離はもちろん、心の距離を縮めたかった。関わると言っても、妹と一歳にもならない息子と私が、ただ毎日を一緒に暮らすだけ。手のかかる子どもが二人いるみたいだった。息子をベビーカーに乗せ、ゆかちゃんはその横でベビーカーにつかまってボチボチとゆっくり歩く。妹と並んで歩くのも久しぶりだった。息子が六か月を過ぎた頃から、自分にひとつも声をかけない妹を息子は不思議そうに見ていた。妹が近付くと怖がり、私の後ろに隠れたこともあった。人見知りにしては長い。妹を見ると「怖い」と言うようにもなった。私は「怖くないよ。ゆかちゃんは優しいよ。」と繰り返し息子に言った。それからもずっと妹と息子と私は一緒に過ごした。妹の新たな一面も見られるようになった。息子が泣けば、妹はおむつを持ってきて、換えようとしていた。上手く換えられない。息子は泣く。ずいぶん手間はかかったが、こうした二人のやりとりを何度も重ね、大切に見守り続けた。いつも息子は、ゆかちゃんをじーっと見ていた。妹がお風呂で介助される姿も『大人なのに、なぜ一人で出来ないのだろう?』と言っているかのように、じーっと、じっと見ていた。息子が三歳になり、言葉を話し始めた頃のある日、「新幹線に乗りたいね。」と話をしていたら、「チィは誰と行くの?」と尋ねると、「チィはね、トントンとタンタンとばあばんと、ゆかちゃん。」

 「ゆかちゃん」息子が初めて妹の名前を口にした瞬間だった。息子は「ゆかちゃん」の存在を避けずに受け容れている!彼の発達段階でゆっくりと時間をかけて「ゆかちゃん」の存在を受け容れたことが私は嬉しかった。

「ゆかちゃんはね、ゆっくり歩くからね、チィもゆっくり歩くの。」と息子は続けて言った。

これは、障がいに対する同情ではない。三歳の息子が障がいを理解し、障がいのある妹に寄り添う言葉が自然に発せられたのだと思った。息子に人への優しさが育っていることもまた、嬉しかった。四歳を前にした今では、息子が言う。「ゆかちゃん、お茶はちょっとずつ飲んでよ。(水筒のお茶を)ぜーんぶ飲んだらいけんで。」と。いつも自分が言われて

いるのに、妹のことを気にかけ、接する姿はお兄さんみたいだ。そうか。ゆかちゃんの内側は二歳のままならば、チィはもうゆかちゃんより年上のお兄さんになったんだね。

 「障がいのある人とのふれあい」それは特別に何かをしなくても、日常の中にあった。褒めると、にこっと笑う。怒ると「もうやめて。」と言うかのように見つめられた。ぎゅっと抱きつかれたときは、『怖い思いをしたのだろう。』とハッとして気付く。日常の暮らしにはそうした一瞬がある。そうした瞬間的な心の重なりを「ふれあい」と呼ぶのかもしれない。些細なしぐさや視線、表情を見過ごさずに受け止められる自分でいたい。一瞬の「ふれあい」は弱いかもしれないが、積み重ねていけば、もっと強い絆になるだろう。

 鳥取県が取り組む「あいサポート運動」は、障がいの特性を理解することから始まり、障がいのある人とない人が共に生きる社会をつくるための取り組みである。決して「してあげる」という押し付けではない。私は、息子の姿から障がい、そして障がいのある人をありのままに受け容れる姿勢とその過程を学んだ。障がいを理解させるために、言葉の説明なんて要らなかった。まだ言葉も発しない幼い息子が障がいを理解できたのに、人はなぜ心にバリアを張るのだろう。障がい者の姉である私は、いつからなぜ妹と距離を置くようになっていたのだろう。私の心の中で絡まっていた糸がすぅっと解けていく気がした。

 これから先に息子が成長していく途中で、妹への見方が変わったり、妹と接する距離が変わることがあるかもしれない。その時が来れば、息子はもう覚えていないかもしれないが、ゆかちゃんとチィが互いに優しく接していた日々のこと、息子が初めて「ゆかちゃん」と言った時のやりとりをしっかりと息子に伝えようと思う。そして、母が私に言ったように、私も「ゆかちゃんは、天使みたいな大人だよ。」と言うのかもしれない。