平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集 高校生・一般部門優秀賞

「出会い・巡り会い」

花谷 静(堺市)

 障害を持つ人との初めての出会いは、私が小学一年生の時でした。同じクラスにいたYちゃんです。Yちゃんは、言葉が話せなくて時々よだれが出ていました。そして授業時間は、今で言う支援学級に通級していました。

 小学生の私は、おっとりしていて、クラスメイトからは、意地悪を言われたり、よくからかわれる、そんな子供でした。

 休み時間に、Yちゃんとおしゃべりをしたりして遊んでいると「Yちゃんにばい菌がうつるからしゃべらんといて」と言われたこともありました。

 そんなある日、クラスメイト数人でYちゃんの家に遊びに行く事がありました。団地の狭い家でしたが、小学生が数人、Yちゃんの家に集まり、私もその中の一人でした。

 その時の事で印象に残っているのは、Yちゃんのお母さんが「Yちゃん良かったね。沢山お友達が遊びに来てくれて良かったね。」とYちゃんに話かけていた事です。

 その学級は、一年生から二年生まで持ち上がりでしたが、担任だけT先生にかわりました。

 ある日、相変わらず鈍臭い私に対して、いつもの意地悪を言う女の子達が言いました。

「Yちゃんですらできるのに、そんなこともできないのか?」と。

 側でその様子を見ていたT先生は、すかさず「“Yちゃんですら”とはどういうこと。」と、少し強い口調で言いました。「Yちゃんですら」という言葉が、同級生であるYちゃんを見下している表現であることを、先生は注意したのでした。私は、その言葉が頭から離れず、ずっと心に残っていました。

 三年生になってYちゃんとはクラスが離れ、四年生になると同時に私は転校し、その後一度もYちゃんに会うことはありませんでした。

 年月が経ち、大人になった私は、結婚をし、出産をしました。普通の妊娠生活を送り、安産で長男を産みました。

 しかし、長男は二才を過ぎても言葉が通じにくく、ちっともじっとできなくて、少しでも目を離すと、どこかへ行ってしまいました。

 仕事の都合で預けた託児所では、手に追えないとのことで、保健センターを通じて、公立の保育園へと転園することになりました。

 その時に、初めて我が子が他の二才児と違うことに気づきました。保育園では、加配の保育士がつきました。それでも私の中に、自分の子供に障害があるという認識はありませんでした。

 しかし年令が上がるにつれ、更に他の子供との違いはあきらかになり、四才の時に初めて病院を受診し、知的障害を伴う自閉症と診断されました。

 その時の気持ちは、言葉では表せない程のショックでした。初めての子育てで戸惑いながらも一生懸命に育児をし、何より最大限の愛情を持って接してきました。「どうして私の子供が」そんな想いと同時に涙が溢れてきました。

 そんな気持ちから立ち直ることができたのは、長男の笑顔でした。障害があると診断された日からも、それ以前と何も変わらない長男の笑顔。どんな将来が待っているのかはわからないけれど、今、ここにいる私の子供は、昨日も今日も明日も、変わらず私の側にいて、可愛い笑顔を見せてくれる。障害があってもなくても、その笑顔と同じだけ、私も変わらず長男を愛していることにに気づき、障害も一緒に長男の全てを受け入れる決心をしたのでした。

 やがて、長男も就学の時期を迎えました。悩みましたが、地域の小学校に入学することに決めました。

 入学式の時は、体育館に長男の泣き声が響きました。そして、式の後、先生に手を繋がれて退場してきた長男を見て、Yちゃんの事を思い出しました。あの頃、Yちゃんは、今の長男のように、不安な気持ちの中で、入学式を迎えたんだろうな。

 長男が小学二年生の時に、人権教育の一つとして、長男の障害について、学年全員の前で話をする機会を与えていただきました。

 皆、しっかり話を聴いてくれて、その後に一人一人からお手紙をもらいました。

 長男を通じ、初めて知った自閉症のこと、長男の、皆と少し違う行動の理由の理解、そして思いやりの言葉が綴られていました。

 私は、この機会を、小学二年生の時に与えていただけた事を、とても良かったと思っています。それから卒業するまで、沢山の友達に支えられながら、楽しく通学することができたからです。

 長男を、健常児と交ざる地域の小学校に入学させた時から、私が小学二年の時に、T先生が教えて下さったあの出来事が、常に頭の片隅にありました。

 自分の子供が、あの頃のYちゃんと同じように支援学級に通い、沢山の友達に囲まれて学校生活を送っている。その関わりの中に、あの日のYちゃんのお母さんの気持ちが見えた時もありました。

 長男の二年生の終業式の朝、初めてわかった事がありました。いつも温かく見守ってくれた長男の担任の先生は、私の担任だったT先生本人だったのです。あり得ない話ではありませんが、この巡り合わせに、お互いとても驚き、私は、全ての出会いに意味がある事を感じずにはいられませんでした。

 長男は、この春、支援学校の高等部を卒業し、企業への就職を目指して支援センターで訓練を受けてがんばっています。

 沢山の出会いと、支援をして頂く方々にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。

 そして、健常と言われる人と、障害者と言われる人の間に、常に優しい風が流れることを願ってやみません。