優秀賞 【小学生部門】 村田 亜聡

入院生活で得たこと

 

大阪市立高殿小学校 六年
むらた あさと
村田 亜聡 (大阪市)

ぼくは、二年生の時にいじめられてPTSDになり、それ以来学校に行けなくなりました。周りに配りょしてもらったり、支援してもらったり、理解してもらわなければ、ふつうに生活が出来なくなるなんて思ってもみないことでした。いつ、だれが障がいを持っても、おかしくないという事を知りました。

学校に行けなくなった三年目の日、ぼくは夢か現実かわからなくなって、気づいたら家の二階のベランダから飛び降りて救急車で運ばれました。いじめられた経験から、子供が怖いぼくは、入院生活を上手くやっていけるか心配だったけど、入院先で知り合った友達は、みんな違う理由で入院しているのに、自然と仲良くなって楽しい毎日を過ごす事ができました。みんなPTSDの事は知らないしぼくも友達の病気の事は詳しく知らないし、友達の中にはもともと障がいを持って生まれてきた子もいれば事故でそうなってしまった子もいました。ぼくたちにとっては、たまたま、友達に障がいがあったというだけで、みんながんばっているという風にしか思いませんでした。みんな、思うようにいかない事もあるので、違う理由でイライラすることもあったけど、なんだかその気持ちが自然と理解できて、そっとしてあげようというふんいきになりました。友達が困っている時は、心配して、一緒に楽しく過ごせるように力になれる事はなんでもしました。障がいについて理解するより、その子の気持ちを理解しようと自然にみんな動いていました。ぼくも、こうふんしすぎたり、悪夢を見て毎晩ベッドから落ちたりするので、同室の友達は、その度、ナースコールを押してくれました。あまりにも毎日続くので、友達は、ぼくのお母さんから理由を聞いて、お母さんがいない時には、看護師さんに理由を伝えてくれたりもしました。いじめられた時の話も自然と出来たし、苦しい事も話したりもしました。人がつらい気持ちを話している時は、だれもわかったふりはしなかったし、理解しようと耳を傾けていました。お母さんから後で聞いた話ですが、ぼくを集中治療室から小児科病棟にうつす時いじめられてPTSDになって、学校に長い間行けていない事やぼくの抱えている問題を看護師さん達は理解し、足の骨折の治りょうだけでなく、この入院生活がぼくにとって成功体験になるように、どの子と同室にすべきか等、いろいろ考えてくれたそうで、おかげで、ぼくは、自分の事を受け入れてくれる子がいる事を知り、自信がつきました。

ぼくは、学校に復学する事も病気を治す事もあきらめていません。ぼくが学校に行くという事は、配りょや支えんが必要なので、周囲にぼくの事を理解してもらわないといけませんが、くじけずに頑張ろうと思います。入院中はその子だけを見ていたので、その子の病気や障がいなんて全く気にもならなかったけど、ぼくも友達も退院すれば、周囲に配りょをしてもらって、支援をしてもらいながら生活をしていく事になります。障がいや病気ばかりを見て、心ない事を言う人もいるかもしれません。ぼくだけでなく、友達もみんな社会の中で、自分の障がいや病気を受け入れて、頑張っているんだと思うとぼくも負けていられないと思っています。学校でも、入院中と同じように、病気や障がいは関係なくまず、その子自身を好きになって、大事に想って、一緒の時間をどうすれば楽しく過ごせるのかを考えて、どうにもならない時は、周りの大人に頼って、安心して過ごせたらいいのになと思いました。障がいや病気なんて関係なく、共に生きていける世の中になるために、ぼくもがんばっていきたいと思いました。