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障がい者制度改革推進会議 差別禁止部会(第14回)
議事録

○棟居部会長 定刻になりましたので、これより第14回「障がい者制度改革推進会議差別禁止部会」を開催させていただきます。
差別禁止部会は、傍聴希望の方に所定の手続きを経て公開しております。また、会議の模様はインターネットを通じても幅広く情報提供いたします。なお、御発言に際してのお願いとして、発言を求めるときはまず挙手いただき、指名を受けた後、御自身のお名前を述べられてから、可能な限りゆっくりと御発言いただくようお願いします。
本日の会議は18時までを予定しております。
それでは、東室長から、委員、オブザーバー及び専門協力員の出席状況と資料説明をお願いします。
○東室長 こんにちは。担当室の東です。
本日出欠状況でありますけれども、本日は永野専門協力員と引馬専門協力員が御欠席、大谷委員と遠藤オブザーバーが1時間ほど遅れて御出席、その他の委員、オブザーバー、専門協力員は御出席です。
本日の議事は、日常生活と題して、商品、役務、不動産における差別禁止について議論を行いたいと思っております。15分の休憩を2回取ることとして、3つのコーナーに分けて議事を進行いたします。
まず初めに、第1コーナーは60分ほど予定しておりまして、資料1「商品の購入、役務の提供、不動産の利用について、担当室メモ」の項目の中にありますけれども、まずは「1、相手方の範囲」、次に「2、何が差別か」ということについて議論いたしたいと思っております。最初に10分ほど私の方から説明させていただきまして、その後、50分ほどで質疑と議論を行います。
第2コーナーも60分で、「3、何が例外か」「4、契約自由との関係でどのように考えるか」といったことについて最初に10分ほど私の方から説明させていただき、その後、50分ほど質疑と議論といったことになります。
第3コーナーも60分で、同じく資料1の「5、約款との関係」「6、合理的配慮について」「7、不動産に特有の問題はあるか」といった項目立てで議論を行います。同じように最初に10分ほど私の方から説明させていただきまして、その後50分ほどで質疑、議論といったことになります。
最後に今後の予定等についてお知らせをいたす予定です。
以上が今日の予定です。
次に資料の確認をいたしたいと思います。
まず資料1があるかと思いますが、これは今日の議論について担当室の方で議論の整理のためにつくったメモであります。番号が1~7までありまして、最後の方は約款の例示という形で終わっております。先ほど言いましたけれども、今日はこの順序で、議論を行っていただければと思っています。
続きまして、委員提出資料というものがあります。池原、大谷、竹下委員、3人連名のものとして、今日の議題の分野を抜粋した「障害を理由とする差別を禁止する法律」日弁連法案概要といったものが出されております。
続きまして、その資料の4ページからは、川島委員に提出していただきました法案、骨格試案といった形で、総論のほかに今日の分野についても書かれたものがございます。
続きまして、参考資料1でございます。参考資料1は、関係条例・法令の抜粋ということで挙げておりますけれども、まず関係条例としては、今日の議論の分野に関わる3つの差別禁止条例を挙げております。
次に契約自由の原則を制限する法令ということで、大まかに言えば2つのものを出しております。1つは契約締結の自由を制限して、一定の供給義務とか運送引受義務とか、依頼に応ずる義務などについて触れた法律を挙げております。
2番目としましては、契約内容の自由を制限するものということで、特に消費者契約法などによって消費者を保護する観点から、契約内容について規制を要したものが挙げられております。
これらを見ていただくと、契約の自由というところで議論があるかと思いますけれども、既存の法律においても私的自治で全く好きなように決めるといった形にはなっていない、そういう規制があるということの参考資料ということです。
参考資料2ですが、これは内閣府の委託調査によってつくられたもののうち、今日の議論する分野における差別の事例、もしくは合理的配慮に関するような事例を抜出しております。
最後に参考資料3でありますけれども、これは判例であります。4つほど挙げておりますけれども、入店拒否、これは浴場と宝石店の事例なのですが、ここに入ることを拒否した事例について裁判になっておりまして、いずれも違法だという結論のものであります。
あと2つはゴルフクラブの加入の拒否といったことで、これは違法と合法と2つの例が挙がっております。後で私的自治のところで、特に小規模の閉鎖的なメンバーズクラブの問題を御議論するときの参考資料ということで挙げさせていただいております。
以上、お手元にあるかどうか御確認ください。
以上です。ありがとうございます。
○棟居部会長 ありがとうございました。
それでは、議事に入らせていただきます。第1のコーナーは60分で、第1に相手方の範囲、第2に何が差別か。ちなみに合理的配慮については別項に委ねるということで、一応合理的配慮を除く、そもそも何が差別かというのが2番目の論点でございます。この2点につきまして、最初に東室長から資料1に基づき10分程度で御説明をいただきます。
○東室長 担当室の東です。
まずはこの分野について議論する場合の入り口の問題として、相手方の範囲を議論していただければと思っております。
商品の購入、役務の提供、不動産の利用につきましては、ある意味ぎりぎり言えば全くの個人から商品の提供を受けるといったこともあるわけですけれども、どの範囲で法的な規制を及ぼすかということを議論する必要があるかと思っています。
例えば韓国でできました差別禁止法では、2の下の方で書いておりますけれども、財・用役等の提供者はという形で、余り限定するような形にはなっていない、そういった法制もあります。しかしながら、これは現在廃案になっておりますけれども、154回国会に提出された人権擁護法案を見ますと、業としてというような形で書いてあります。ですから、事業者に限るといった書きぶりもあろうかと思います。
有償の場合に限定するといった書きぶりもあると思います。同じ人権擁護法案ですが、業としての後に対価を得てというような形で相手方を特定するというものもあります。
また、先ほど委員提出資料の中で日弁連の法案概要がありますけれども、その中では公共的または商業的な性格を有する行政事業者、団体、個人といった切り口で限定するといったような書きぶりであるかと思います。
ここには書いておりませんけれども、特に行政サービスといったものをこの中で同じように書くのか、もしくは別建てで書くのかという議論もあり得るかと思っています。同じようにここには出しておりませんけれども、差別禁止部会の第4回で韓国の障害者差別禁止法制について崔さんから資料提供をいただいておりますけれども、行政サービスにつきましては、韓国の差別禁止法では司法行政手続及びサービスと参政権というくくりの中で行政サービスは別個のものとして書かれているわけです。こういったことも念頭に置かれて、相手方の範囲というものを議論していただければと思っております。
次に、それを前提にして何が差別かといったことについての議論になりますけれども、類型的には商品とか役務の提供を拒んだり、不当な条件を付したりといったことが問題になるかと思いますが、日弁連の法案概要では、例えばサービス提供者が障害を理由としてサービスの提供を拒否もしくは制限し、またはサービスの提供について不利益な取扱いを行うことといったものが差別と規定されております。
また、先ほど言いましたように韓国の差別禁止法では、財・用役等の提供者は障害者に対して障害を理由に、障害者ではない人に提供することと実質的に同等でない水準の便益をもたらす物、サービス、利益、便宜等を提供してはならないと。もしくは、2項でありますけれども、障害者が該当の財・用役等を利用することにより利益を得る機会を剥奪してはならないといったことが書かれております。
あと1つ条例がありますけれども、2ページを見ていただくと、例えば千葉県の条例によりますと、ここでは商品またはサービスの提供と不動産の取引は分けて書いてありますが、商品またはサービスを提供する場合においては、障害を理由として商品またはサービスの提供を拒否し、もしくは制限し、またはこれに条件を課し、その他不利益な取扱いをすることといったような規定がございます。
これらを踏まえまして御議論いただきたいと思います。なお、何が差別かという中では、合理的配慮につきましては後の方で議論しますので、それ以外の差別のことについて議論を願いたいと思っています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございます。
それでは、質疑及び議論に入らせていただきます。時間は50分を予定しております。2つの別々の論点をお挙げになりましたので、まず相手方の範囲、2番目に何が差別か。これを一応区別して議論していただければスムーズに行くかと思います。特に相手方の範囲という、こちらで一区切りをつけてから何が差別かという非常に大きな問題の方に移る。勢い、どうしても何が差別かに行ってしまいがちと思うのですけれども、この時間、第1コーナーの初めの辺りでは是非相手方の範囲ということで、お手元の資料1、一番最初の「1、相手方の範囲」で示されましたような幾つかの考え、これを念頭に御議論いただければと思います。
ということで、早速で恐縮ですが、日弁連法案概要ということで、委員提出資料で御協力いただいております池原委員、大谷委員、今日、大谷委員は少し遅れられるということですが、竹下副部会長、お三方のお名前が挙がっておりまして、この日弁連案、公共的または商業的な性格を有する行政というのは別建てにするか、これはまた別の問題ですので横に置いておくとしまして、韓国のような無限定というわけでもない、しかし、人権擁護法案で書かれておったような業としてというくくりでもないということかなと、少し違うニュアンスをお出しになろうとしたのかなと思うのですけれども、池原委員、このコンメンタールというか、解説をあるいは竹下副部会長。
○竹下副部会長 池原委員の方で。
○棟居部会長 では、池原委員、済みませんがお願いします。
○池原委員 済みません、補足していただけると助かりますけれども、日弁連案の法案の概要というものは、実のところかなり歴史的な性格を持っているもので、もともと日弁連は2000年に差別禁止法が必要だということを提言して、法案の形態で発表されたのが2007年ですけれども、この段階でなかなかほかの法制度とか条例とかを全部吟味した上で条項を固めていっているわけではないので、必ずしも業として表現規定ぶりが適当でないとか、あるいは無限定がいいのか悪いのかということについて、それほど明確な認識をしていなかったのかもしれないと思います。
ただ、全く議論の土台がないということでも今日の議論としては方向性が見えなくなるということも考えて、いろいろな御批判や御意見をいただくという前提でこの案を3人の委員として提出させていただいているわけです。
ざっと見ていただきますと、かなり詳細な条項になっていますけれども、対象としてはこの日弁連案の「第7 サービス」のところで、「次の各号に掲げる(法人その他の団体を含む。以下『サービス提供者』という。)」というのを相手方として特定して、その言わばサービス提供者というのはどういう者かというと、(1)~(8)までに掲げているわけです。
簡単に見ていただきますと、ホテルとか旅館などの宿泊施設の関係、あるいは銀行、保険会社などの金融業、娯楽またはレクリエーションのための施設等と食堂、レストラン、喫茶店などの飲食関係の施設、5番目が公共職業安定所その他の職業安定機関など、6番目が保健医療サービス、福祉サービスの提供者、7番が前各号に掲げるもののほか、不特定かつ多数の者が利用する施設を設置して営業を営む者となっていまして、8番が前各号に掲げるもののほかに公共的または商業的なサービスを提供する国、地方公共団体、個人または事業者ということで、(7)と(8)でほぼ結果的には網羅的というか、実際上無限定に近い広い規定の仕方になっているかと思いますが、(1)~(6)までに大体提供者の特定ということと同時に、どんなサービスを提供する場面があるのかということをかなり具体的なイメージ化をしているような規定ぶりになっていると見ていただけるといいかなと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
私、先ほど韓国の差別禁止法は無限定であると、相手方を限定していないということに対しまして、我が国で人権保護法案として出されたものには業として対価を得てというある種の絞り込みがなされておったと。日弁連案というものは、どこかしら中間におられるのだろうということで今聞いたのですけれども、これはいろいろ歴史的な経緯で必ずしも整理された形での中間案という出し方ではないのだとおっしゃったかと思います。
この(1)~(5)までで「営む者」とことごとく付いておるのですが、これは「業として」とか、「反復・継続」とか、そういう一定の絞りというのはここで入ってくると。それとの連動で(8)の公共的または商業的サービスというものについても1回きりの偶発的な、例えばネットオークションに1回出したとかそういうのは違うという御理解をされておるのでしょうか。
○池原委員 池原です。
これは手元に議論のときの手控えがなくて全くの記憶と現在この文言を読んでどうかということですが、一回的で行っているものということを含んでいるという趣旨ではなくて、業として反復・継続して行うという理解が恐らくこの言葉から考えられることではないかなと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。竹下副部会長。
○竹下副部会長 後でいいです。
○棟居部会長 では、話のとっかかりと思いまして、あえて日弁連案にまず振らせていただいて、どうもありがとうございました。
それでは、川島委員の提出された御資料にも具体的な記述がなされておるところですか。こちらから当てさせていただいてよろしいですか。川島委員、ベストタイミングではないかもしれないけれども、今の論点をお願いします。
○川島委員 私は10ページ目に、第13条で物品・役務、14条で不動産・交通と分けていますけれども、次に掲げる者は、その供給する物品または役務について、何人に対しても障害を理由とする差別をしてはならないという形で、1~18号までは、正直時間がなくて網羅的というよりは具体例をざっと挙げてしまったということで、もう少し整理してちゃんと内容的にいろいろ分けられるとは思うのですが、結局19号のところで業として対価を得てということで人権擁護法案と同じような形で、一応は人権擁護法案の考え方に則しているとは思っております。
以上です。
○棟居部会長 室長、お願いします。
○東室長 網羅的ではないかもしれませんけれども、行政が提供する福祉サービスといった観点から見ると、例えば障害福祉サービスなどは社会福祉法に規定する社会福祉事業の運営主体及び社会福祉事業に従事する者ということで、関連はしていますけれども、ここで対象とされているのは行政自体ではないですね。ということは、行政サービスについては別個に書かれるという前提でまとめられたのですか。
○川島委員 隣の11ページをごらんいただきますと、第16条で「公務」と書きまして、公務のところで、次に掲げる者は、その権限事項または所掌事務について、何人に対しても障害を理由とする差別をしてはならないということで、こちらで一応行政サービス、つまりは国の公務遂行機関の差別禁止という形で分けております。
○棟居部会長 ありがとうございました。室長、よろしいですか。
○東室長 はい。ありがとうございます。
○棟居部会長 川島案については、これをベースに御自由に発言されたいというかなりまだ試作品的な段階という受け止めをさせていただいてよろしいですね。日弁連案については1つの形を成しておると私は位置づけさせていただきたいと思うのです。
そこで非常に素朴な疑問ということで振らせていただくと、韓国のようになぜ「何人も」というのか、無限定という格好をとらずに、「業として」とか、「営む者」とか、あるいは「反復・継続」とか、そうしたところで線を引こうというのは、現実にはそうした商売である程度の規模でやっている方しか対応できないだろうという現実論以外に何か理屈でこういう線引きが出てくるのかどうかという。理屈というか、直感的に違うだろう、そこはどこから出てくるのでしょうか。
例えば合理的配慮と言われても、1回きりのずぶの素人の取引でそんなことを言われても、到底お金も追いつかないし、そもそも何が合理的かもわからないという事情でも、一括して業としてというくくりをしておこうということなのか、それとも何か商売をするとか営むとかというときには、相手を選ばないと宣言してしまっているのではないかといった契約理論に関わるのかもしれません。これは後で山本委員に実は少しお話をお願いしているのですけれども、そういう無意識のうちにも理論的な何か線引きがあるのですか。
これはいい悪い以前に、そもそも何なのだろうというのが私の非常に素朴な疑問のです。どなたでも。
山崎委員、お願いします。
○山崎委員 済みません、遅れて来て失礼しました。山崎です。
今の室長さんの資料1に基づく御説明と部会長さんのお話にもちょっと関わるのですが、確認なのですけれども、資料1の性格は、商品の購入、役務の提供、不動産の利用についてに限定していろんな参考になり得るものをピックアップしているという趣旨ですね。
○東室長 はい。
○山崎委員 ですから、今の部会長さんのお話をちょっと広めますと、旧人権擁護法案の第3条は、ここに掲げてあるもの以外の項目も差別禁止事由として掲げていますので、これはあくまでも商品の購入、役務の提供等に限って関わるものを列挙されたという理解でよろしいのですね。
○東室長 はい。
○山崎委員 わかりました。ありがとうございます。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。御意見、御発言。
浅倉委員、お願いします。
○浅倉委員 浅倉です。
私も今の問題提起をされた部分が実はよくわかっていなかった部分です。業として対価を得てという限定を付けますと、例えば具体例を出すと、被災地でボランティアをしているとき、つまり配食サービスをしていますというときに、障害者だけにサービスをしないというような差別が行われた場合、そこから除かれてしまうのではないか、そういうのをどう考えるのかということが1つです。
もう一つは、今、山崎委員がおっしゃったことなのですが、商品の購入、役務の提供、不動産の利用に関わって、役務の提供を拒むとかその提供にあたって不当な条件を付す、ということ以外に、ハラスメントに関わるような問題が生じた場合もまた、差別にあたるのではないでしょうか。役務を提供することに関わって非常に相手の感情を傷つけたり、尊厳を侵害したり、そういうことが生じた場合には、「提供を拒む」とか「条件を付す」ことには該当しないのですが、やはり差別といえるような仕組みを作るべきではないでしょうか。
○棟居部会長 室長、お願いします。
○東室長 その点、日弁連では公共性みたいなくくりもあるので、単なるボランティアというよりも公共的な形でボランティア活動をしています。それで含み得るかどうかという形の議論になろうかなという感じもします。
今、言われたハラスメントの例は、例えば参考資料2の2ページを見てもらうと、接客するときに差別的な言動をするといったような事例が挙がっておりまして、例えば本人がいるのに本人ではなく介助者に向かって話しかけたりとか、聞こえる家族はいないのかと言って本人に直接対応しようとしない態度とか、子ども扱いにするとか、こういったものを、ほかにも書いてありますけれども、こういうのが具体的な事例としてはありますので、そこら辺も念頭に置いて議論していただければと思っています。
○棟居部会長 今おっしゃったのは参考資料2の2ページの下の方の5.のところですか。
○東室長 はい。
○棟居部会長 ありがとうございました。日弁連案について今ちょっと御言及がありまして、池原委員、お願いできますでしょうか。公共性という点についてです。
○池原委員 済みません、公共性というのは1つのメルクマールになるかなと私も思っていまして、日弁連の議論のときに、日弁連で出していながら記憶があいまいだとたびたび言って申し訳ないのですけれども、必ずしもそこをどれぐらい明確に認識したかどうかという事実はともかくとして、基本的には振り返ってみても公共性とか、私が思っているのが言葉として適当なのかどうかよくわかりませんけれども、ある種の社会的接触関係の中で起こってくる差別事象だと思うのです。全くパーソナルなものではなくて、法的に規制の対象にしているのは社会現象としての差別なので、それは言わば社会的接触関係というある種の何かの場面がなければいけなくて、全く一回的にパーソナルに起こってくる事象まで法規制をしようとか、個人の生き方とか信念の中身に立ち入って何かをしようという法律ではないと思うのです。
個人的に急に振ってしまって申し訳ないのですけれども、昔私は川内さんからADAについて、基本的にオープン・トゥー・パブリックという1つの次元でADAは差別の問題を取り扱っているという、オープン・トゥー・パブリックというのは、日本的に考えるとどういうものなのかなというのを1回教えていただいたり、議論したような記憶があるのですけれども、もし御教示いただければお願いしたいと思うのです。
○棟居部会長 川内委員、お願いします。
○川内委員 川内です。
私が申し上げたのは、多分それこそずっと昔なので記憶がないのですけれども、建築物のアクセシビリティの規定がかかってくる建築物というのはどういうものかというような場合のところでお話ししたと思います。
個人の住宅とかというのはADAでは基本的にはカバーしていません。共同住宅もADAではない別の法律でカバーしていますけれども、それも4戸以上という住戸が集まったものでないとカバーしないとか、そういうふうに公共的なというか、パブリックに対して関わりのあるものに対してアクセシビリティの規定がかかるのだというお話をしたと思います。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
山本委員、どうぞ。
○山本委員 山本です。
問題点の整理のために少し発言をしたいと思います。先ほどから出ている言葉として「業として」あるいは「公共的な」という言葉がありますが、その意味を少し明らかにした上で議論する必要があるのではないかと思います。
「業として」に関して言いますと、一体そこで何が意図されているのかということが問題になります。これは民法及び特に消費者契約法で議論になった点なのですが、消費者契約法では、事業者と消費者の間で契約が行われたときに消費者契約法が適用されるという仕組みになっています。そこで事業者といいますのは、事業として又は事業のために契約をする者ですが、そこで考えているのは、同じ行為を反復・継続して行うという意味であって、営利のために行っているかどうかは関係がないとされています。これは、同一の行為を反復・継続して行うのであれば、消費者よりも情報・交渉力の点で優位に立つだろうという考えの下に、そのような者については民法とは異なる特別な規制を行う必要があるというように説明されています。
問題は、ここで先ほどから出ている「業として」というのが今言いましたような事業者と同じ意味で理解されているのか、つまり同一の行為を反復・継続して行えばそれで足りるのかということです。もしそうだとしますと、先ほど出てきた被災地でのボランティア活動も、恐らく同一の行為を反復・継続して行うということから、事業者に当たるとされる可能性があるだろうと思います。
ですので、営利まで含めて考えるのかどうかということとは少し区別して議論する必要があるように思います。
そうすると、次に問題になるのが、なぜ差別禁止法の対象に含まれるのかという問題です。同一の行為を反復・継続して行えば、このような差別禁止法の対象になって規制がかかってくる。それはなぜかということが勿論問われますし、更に営利がやはり必要だという考えをとりますと、営利を目的として事業を行っていればなぜ特別な規制がかかるのかということが問われてくることになります。
同じことは公共性についても言えることでして、公共性というものをどう理解するか、そしてその意味での公共性を持つ者であれば、なぜ特別な規制がかかってくるのかということが問題になってきます。少なくともこのような整理をして議論を進める必要があるのではないかと思った次第です。
○棟居部会長 ありがとうございました。ごめんなさい、山本委員に確認だけさせてください。今、ボランティアの場合、あるいは契約とかはあるのですか。単に事実行為だけでも反復・継続だということで事業者という理解でよろしいですか。
○山本委員 契約を締結した場合に消費者契約法が適用される可能性があるということでして、消費者契約法は契約がある場合に初めて規制がかかってくるものです。ただ、差別禁止法では、契約のみを対象にするのか、そうではないのか。そうでない場合については、もし事業者等で足りるとするならば、それで規制がかかってくることになります。
○棟居部会長 その場合のポイントは、反復・継続性だということですか。
○山本委員 はい。少なくとも民事法の世界で言われている事業者の意味は、営利を目的とするかどうかに関わりなく、同一の行為を反復・継続して行うというところにポイントがあります。
○棟居部会長 ありがとうございました。したがって、なぜ反復・継続した場合にことさらというか、特に対象として相手方の範囲の中に入れてとらえなければいけないか、偶発的、一回的なものとなぜそこで線を引くのかという宿題が残っている。その答えも後でおっしゃっていただけるのだろうと思いますけれども、とりあえず一度ここは切って、あるいはその関連で勿論構いません。
お待たせしました、太田委員、お願いします。
○太田委員 山本委員に質問なのですが、今、山本委員のお話で少しわかる部分とまだすべて理解できていない部分があるのですが、例えばあるコミュニティにある組織が、あるオーガニゼーションがチャリティで子どもたちにプレゼントをするというときに、ある一定の障害者にはそのプレゼントをあげない、障害のない人たちにプレゼントをあげるというときに、私は差別だと思うのですが、それは先ほど東室長は浅倉委員の質問に公共性の中でくくられるのではないのかというような答えがあったのですが、コミュニティの中であるオーガニゼーションが子どもたちにプレゼントをするとき、障害者だけにそれを行わないというときには、どういうくくりができると思いますか。
○棟居部会長 ごめんなさい、確認的に太田委員にお聞きしますけれども、要するに公共性という基準を使うと、あるコミュニティの中である団体が子どもたちにチャリティでプレゼントを渡すときに障害者を差別する。こういうのは公共性という物差しでうまく答えが出てくるのかと、そういう御質問ですか。
○太田委員 そうです。
○棟居部会長 難しい質問ですけれども、これは名前の出ました東室長がお答えになりますか。
○東室長 別に私がこういう考え方もあるのではなかろうかということで先ほど言っただけですけれども、直接的な答えにならなくて申し訳ないのですが、今、「公共性」とか「業として」という2つのキーワードを根拠にして、初めて差別禁止ということが言えるといった、そんな議論の流れになっているようなのですが、私は全く違う考え方もあるのだろうと思っています。
その考え方としては、あり得る考え方だろうと思うのですが、憲法の価値というのは自由と平等であり、自由、平等はどちらとも等しいものとしてあると思うのです。自由権というのは、国家権力が個人の自由な活動に関与するなという形で私的自治を重んじるという中から契約の自由というのは出てくるのだろうと思うのですが、片や平等という価値もあるわけで、そこからは、差別というのはそもそもだれがやっても許されないという考えが出てくることになります。ただ、それが原則なのだけれども、すべてを現実の社会の中で対象にするのは政策的にも妥当でないという観点から、一定の範囲に限定しようかといった形で事業とか公共性とかというもので一定範囲に区切る。本来原則的に言うとすべての人を対象とすべきだが、政策的に限定する場合の手法として事業者とか利益性とか公共性とかといったものがあるのではないかという形の議論もあり得ると思うのです。
ですから、太田委員のこれまでの発言から見ると、本来的には原則すべて禁止なのだけれども、例外的にも認めざるを得ないのかもしれないねというような感じが私はするのです。そのところが本質的に2つの考え方がぶつかっているのかなと、そういう中で太田委員みたいな発言が出てくるのかなと理解しているわけですけれども、どうでしょうか。
○太田委員 山本委員の見解を聞いてみたいのです。
○棟居部会長 交通整理にもしならなかったら無視していただいて構わないのですが、太田委員はかなり閉鎖的というか、1つのまとまった団体の中での差別を例として先ほど出されたのですね。あるコミュニティとおっしゃいましたね。
○太田委員 コミュニティというか、例えば千代田区の中である団体が子どもたちにプレゼントをする。
○東室長 私的団体ではない一定の地域のことですね。
○棟居部会長 わかりました。地域のことでした。どうも失礼しました。
では、山本委員、お願いします。
○山本委員 公共性の問題は少し置いておくとしまして、先ほど言いましたように事業者を一定の行為を反復・継続して行う者と考えますと、ボランティア団体も、一定の行為を反復・継続して行っているならば、事業者に当たると思います。事業者を差別禁止法の対象にするならば、そのような事業者とされる者が行う行為も差別禁止法の対象なりますが、その上で、この資料1にもありますように、有償の場合に限定するかどうかなど、ほかの問題も関係してくると思いますので、事業者に相手方を限定するという問題に限って言えば、先ほどのボランティア団体も含まれるということになるだけです。今挙げられた例は、そこからすぐに答えは出てこないと思います。
○棟居部会長 では、竹下副部会長、どうぞ。
○竹下副部会長 竹下です。
私の考えは未だ整理できていないので混ぜこぜになりますが、まず1つは事業者ということと公共性を有するサービスというところですけれども、多分これは厳格に使われているかどうかはともかく、ここで言おうとしているのは不特定多数の顧客を相手として継続性のある事業をもって公共性と呼んでいる可能性が強いと思うのです。それはなぜかというと、公共性と呼んでいるときに、それはある特定の何らかの特別のニーズを持った、あるいはグループ間における事業をもって差別禁止法の対象にすることは必要かどうかはともかく、ここでは問題にしないという意味からとらえているのではないかというのが1つあると思うのです。
もう一つ、気になるのは、有償性の問題は置きましても、仮に一回限りのサービス提供であるとしても、その場合には2つの意味でここに対象にする必要はないのだろうと思うのです。
1つは、1回限りのサービス提供の場合は、不特定多数の人を対象にすることもあり得るかもしれないけれども、それは例外的であって、普通は極めて限られた時間と空間と、主観的にも限定された範囲のものが1回限りの事業の特徴でしょうし、更に言えば、そうしたサービス提供に対しては、抽象的な意味での差別禁止はあり得るとしても、規制ないしは強制という意味での義務化という点での差別禁止を求めること自身、現実性がないということから来ていると思うので、そういう整理をすることは間違いなのでしょうか。私はそれでいいように思っていたのです。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。公共性という言葉について、不特定多数プラス継続性という理解を日弁連案のときもそういう理解があったという御指摘をいただいたかと思います。
池原委員、お待たせしました。
○池原委員 若干問題提起的なことで私自身もまだ考えはまとまっていないのですけれども、先ほど山本委員の御説明でなるほどと思ったところがありまして、というのは、消費者契約法でなぜ業という概念を入れたかというと、業はもともと継続・反復性というのが中身なのだけれども、それは要するに継続・反復的に一定の行為を行う者というのは、一回的に契約をする消費者に比べて当然情報量とか専門性が高まっていって、結局契約における力関係が完全に崩れる、要するに平等な契約関係にならないのでという観点で、特に消費者を保護する必要性があるという御説明でした。
そうなると、全く同じ業というのを差別禁止法に入れていくのが適当なのかどうかということが1つはあって、そこで私がやや飛躍して思ったのは、そうすると、差別禁止法、特に障害のある人たちに対する差別禁止法という特殊分野を法制化することの意味というのは何かというと、社会の中に障害のある人とそれ以外の人との間に大きな力のバランスの差があって、一般的に差別事象というのは起こりやすいということがある。だから、そういうふうに考えると、ちょっと露骨な言い方をすれば、障害のある人と障害のない多数派との間に社会関係にもともとアンバランスがあって、そこを是正するということが1つの差別禁止法の、言わば法的なてこみたいなものになると考えるとすると、一方では、業とか公共性ということで主体を限定するよりも、韓国法のように主体については特別限定をしないで、ただ行為の部分でそれでも余り限定されたことにはならないですけれども、財とか用役等の提供という行為場面である程度限定が加われば、本来からすると主体の側、つまり提供者側を業とか公共性ということで限定しない方が法の目的とか理念にかなうのではないかなと思ったので、少し皆さんにお考えいただけるといいかなと思います。
○棟居部会長 すると、今、池原委員おっしゃってくださいましたのは、これは考え方としては韓国法のような基本的に無限定というのが自然で、日弁連案は公共的とか商業的という1つの限定を加えたけれども、これは少し差別禁止法という趣旨とは違う消費者契約法的な別の観点が入ってしまっているかなという御指摘ということなのでしょうか。
○池原委員 池原です。
これは個人の委員として勝手に思いつきで申し上げたことですけれども、言わばこの社会一般の中に存在している障害のある人に対する差別事象というのは何なのだろうかと考えると、そこに基本的な社会関係における力のバランス、アンバランスさが生じているのは、言ってみれば障害を持っている人と障害を持っていない多数の社会の構成員との間で起こっているので、そこに業とか公共性とか、ましてや営利性というような、余り関連性の少ないファクターを入れ込んでいくということは結局焦点がずれてしまうのではないか。
だから、そういう意味では、もし絞り込むとすれば、主体で絞るよりは行為とか一定のサービスとか役務が提供される次元とか場面とか、そういうところで絞る方が法制度上は法目的にかなっているような気がしたので申し上げたわけです。
○棟居部会長 ありがとうございました。
予定では15時10分まであと20分ですが、もう一つ、何が差別かという大きなものが残っておりますので、そろそろ相手方の範囲については一応収めていただければと思っておるところであります。
では、山本委員、お願いします。
○山本委員 山本です。
まとめというよりは問題提起になってしまうだけかもしれませんが、なぜこの差別禁止法の適用対象にすることが正当化できるかという部会長が最初に立てられた問題について考えるための手がかりだけを申し上げたいと思います。
次の次のところでも申し上げたい点ですが、この問題について差別禁止法が適用されると、相手方は契約をしなければならないことになる。つまり、場合によっては自分の財産を相手に与える必要も出てくる。それがなぜ正当化されるかということが、ここでの一番難しい問題だろうと思います。
平等取扱義務を課す1つの理由は、公共性について言いますと、まさに竹下副部会長がおっしゃられましたように、一定の不特定多数、不特定だけでもあるいは多数だけでもいいかもしれませんが、そのような相手に一定の行為を継続して行うという決意をして行為に出た者は、そのような行為をする以上、障害者も含めて等しく扱わなければならないという拘束をかけられても仕方がない。要は、自分でそういう公共的な目的で行動すると宣言した以上、それと矛盾するような差別行為をしてはいけないということから正当化するというのが、ほかでもあるかもしれませんが、考えられる1つの可能性です。
先ほど申し上げた事業者に限って差別禁止法の対象にするということをもし正当化するならば、これは労働法でもそういう議論があると伺ったことがあるのですが、使用者になぜ平等取扱い義務が課せられるかという問題について、企業は事業所内で一定の就業規則等の規範を立てる。したがって、ルールを立ててルールに従って行動する者は、そのルールを等しくそこにいる人たちに適用するようにしなければならない。一定の基準に従って行為すると決めた者は、その基準に従って差別をせずにその基準を適用する義務を課せられても仕方がないという考え方がみられるということです。
これによると、一定の行為を反復・継続して行う者は、何のルールもなく行動するはずがない。一定のルールに従って行動するのだろう。そのような者は、等しい者を等しく扱わなければならない。合理的な、あるいは正当な理由がない限り、障害者を差別して契約しない、あるいは不当な条件を課すことは許されないとされても仕方がない。このような説明の仕方が理論的には考えられるわけですが、勿論これに限られるわけではありません。あくまでも考えるためのご参考として申し上げた次第です。
○棟居部会長 ありがとうございました。最後の方に言われたことについては、反復・継続が一定のルールだという難しいことを言われましたけれども、要するに1人、2人を相手にしておる場合ではなくて、100人も200人も後から来る。つまり、100回も200回も結局は差別を繰り返しているということですね。お前はだめだ、お前はだめだとその都度言わば言っているようなもので、どうしてあの人らがよくて自分はだめなのかというと、100回も200回もお前はだめだと、なぜならば障害者だからだと。反復・継続イコール差別かける継続回数というと、これははなはだしいではないかという、今通俗的な理解はそういうことと同じかなと思ったりしました。これはあくまでまだ議論の定説はないというところで、いろいろもんでいただいたということでございます。ありがとうございました。
一応予定では、あと15分ほどということで、この第1コーナー、2番目の何が差別かと。ただし、合理的配慮についてはまた別にやりますということで、狭い意味での何が差別かという点について議論と思いますが、あるいは先ほど太田委員、手をお挙げになろうとされたのですか。この何が差別かに移ってよろしいですか。皆さんよろしいでしょうか。太田委員もよろしいですか。ありがとうございます。済みません。
では、何が差別か、これは川島委員に振ったらよろしいですか。お願いします。
○川島委員 私からは1点質問として、資料1の日弁連案の2の最初の○のところに(1)と(2)で、(1)が今議論になっている差別なのですけれども、サービスの提供を拒否もしくは制限し、またはサービスの提供について不利益な取扱いを行うことと書いてあります。お聞きしたいのですが、サービスの提供について不利益な取扱いということはかなり広い内容を含むので、サービスの提供を拒否したり制限したりすることは不利益扱いの中に入ってくるのではないかなと思えるのですけれども、これは1つの質問として。その上で私としては、障害のある人が簡単に証明しやすいような書きぶりにした方がいいのではないかということを思っておりまして、その条件として2点指摘したいことがあります。
第1は、委員提出資料の6ページをごらんいただきたいのですが、合理的配慮以外の差別行為として不均等待遇というものを第3条1項に書いてありますが、2項で定義として不均等待遇というのは障害を理由とするだけではなくて、障害に関連する事柄も理由にした行為とか基準が実質的不利をもたらすものと書いています。では、実質的不利とは何だろうということなのですけれども、これは7ページ目の第7項、本条に定める実質的不利は、次のいずれかの状態を言うというところです。これは平等な機会を実質的に享受し得ない状態。2が人間の尊厳、人格が害される状態、3が社会参加が実質的に妨げられる状態で、8ページ、4が自己決定が実質的に妨げられる状態。ここで言う「実質的」とは何でしょうかというと、次の第8項に、前項に定める「実質的」とは、軽微またはささいな程度を超えた状態を意味します。
実質的にハラスメントというのは第7項2号で尊厳・人格というところでカバーできますし、つまり、実質的不利を自分が、障害を理由として、もしくは障害に関連する事柄を理由として受けたのだということを一応証明できればいいわけなのです。このように広くとらえれば、取扱いの際に条件を課されたりとか、取扱いを拒否されたりとか、そういったものを全部含めることができるのではないかと思っております。
以上、質問と私の見解でした。
○棟居部会長 ありがとうございました。人間の尊厳と人格が害されると7項でありますけれども、不均等待遇というのはそういう個人の尊厳とか人間の尊厳とかという価値的なものよりももう少し数量的なバランス、アンバランスという中立的な言葉かなと思っていたのです。どうぞ。
○川島委員 私の理解ですと、障害差別禁止法というのは諸外国の例を見ても、等しい者を等しく扱えというだけのものではなくて、民主主義社会で共有されている価値を実現する、その共有している価値というのはここで挙げた人間の尊厳とか日本国憲法の価値でもあると思うのですけれども、これを実現するために障害差別禁止法は存在するのだという理解をしております。
○棟居部会長 どこまで実現するかということだろうと思うのですけれども、本論に戻させてもらいます。つまり、何が差別かと。担当室整理メモの方に戻させていただきますけれども、商品や役務の提供を拒むとありますが、これは私のこれまでの理解をさらけ出すようで申し訳ないけれども、差別禁止法というのは決して結果を保障するものではなくて、例えば契約できるとか入店できるとか、サービスの提供を受けられるという、結果そのものを保障するものではなくて、その結果が受けられるチャンスを平等に享受できるという、そこまでの平等のラインに並ぶ、機会の平等ということを実質的に保障しようというのが根本的な理念だろうと思っておったのですけれども、商品や役務の提供というのは障害のない人ならば当然に受けるから障害があるだけの理由で受けられないのはおかしいということで結果も付いてくるという理解でよろしいですか。つまり、本体はあくまで機会の平等という、室長にお伺いというのも整理不足だと言われてしまうかもしれない。
○東室長 そこは皆さんで整理していただければ思っているところですけれども、この分野に限って言いますと、機会の平等というだけでは、要するに契約を拒否、あなたは障害があるから例えば喫茶店に入るのは困りますという場合に、入る機会はあると言われても実際に入れなければ困るわけで、入る機会が保障されるというのはどういうことなのか。入ることと入る機会はどういうふうに違うのか、同じなのかよくわからないところもありますが、そこら辺は議論していただければと思います。
○棟居部会長 済みません、混乱させる意図は勿論私の立場的にもないのですけれども、例えば順番に並んでおったと。そうすると、障害のある人だけ飛ばされる。これは私の言う機会が実質的に平等ということからしたら、来た順番に入るというのが実質的な平等なのです。それを飛ばすというところでこれは差別なのです。ですから、その差別をやめさせれば勿論入店できます。だけれども、それは初めから入店することに対する権利があるとかというのではなくて、平等に、つまり店を閉めたりとか今日は休みだといったらしようがないわけで、だけれども、ほかの人が入れるのにどうしてだめなんだというそこの話だろうと。結果の話と行ったり来たりというか同じ議論をすると、結局福祉施策ですねとか、ある種のアファーマティブ・アクションではないのですかという誤解を生んでしまうのではないかというのが私の小さな懸念なのです。これは勝手な整理かもしれません。済みません。
川島委員、どうぞ。
○川島委員 1点だけなのですけれども、確かに伝統的な差別概念だったらいいのですけれども、今は議論しないということですので問題提起だけですが、やはり合理的配慮というものがあるので、しかも実質的な機会の平等を実現するというのは、まさしく平等を害するというのは人間の尊厳を害することです。自律を認めるということは結果の平等を認めるのではなくて機会の平等を認めるのだと、個人の自己決定、自律のチャンスを等しくするのだ、そういう意味でここに挙げた価値というのは、結果の平等を実現するのではなくて、機会の平等を実質化するために挙げたという理解でおります。
○棟居部会長 ありがとうございました。このコーナーの大きなテーマとして何が差別かに今は行っておるのですけれども、私が最初に要らぬことを言い過ぎたかもわかりません。どなたかお手が挙がっておったように思います。
太田委員、お願いします。
○太田委員 室長の商品や役務の提供の拒否というのは、差別だと思うのです。それで、2番目の提供に当たっての不当な条件を課すこととか、今、議論になっている不利益というのは、極めて難しい問題だと思うのです。
例えば車いすの人間が電車に乗ろうとして先方の駅に連絡をする事情があるので、1本2本電車を待ってほしいというのは常日頃あることなのです。個人的にはもっと早く行かせしてほしいと思うのですが、日常的にあることなのです。
その段階で不利となって救済機関に訴えられる対象になるのかと。3本目か、4本目か、5本目か、それとも普通の電車ではなくて特急の場合だけなのかとか、そういうことを考えたときに、どこまでが許容できる不利な条件なのかということが私にはまだ理解できていない部分があるので、法律的な立場からどなたか教えていただければと思います。
○棟居部会長 室長、お願いします。
○東室長 2番目で不当な条件を付すこととあります。「不当な」という言葉を書いてしまいましたけれども、そんなに意味があって書いたわけではありません。通常、不当なというような書きぶりで書くことが多かったためにこう書いてしまったわけで、他と違った条件を付するといった書きぶりだってあると思うのです。だから、私がここに書いているから不当な条件を課すこと以外の書きぶりがないということでは決してありません。議論のたたき台みたいな形で書いたという御理解でお願いしたいと思います。
その上での話なのですけれども、今、言われたようなことはよくある話で、私も特に今、近い駅と近い駅で電車に乗るときに、要するに向こうの迎えの駅員さんが間に合わないので何本も待たされるとかということはあります。ただ、あれはある意味直接差別的な話の問題ではなくて、一定の配慮をする場合のやり方というところの問題かなと思うのです。
だから、乗るなら、3本待ちなさいとか4本待ちなさいとかということは、乗ることの制限ではなくて乗せるための一定の配慮の在り方として何本か遅らすといったことが妥当なのかといった問題だろうと思うのですがそこら辺はどうなのでしょうか。
○棟居部会長 川内委員、お願いします。
○川内委員 川内です。
現行法律ではプラットホームの段差とか隙間というのはできるだけ小さくしろというのがあるわけです。ただ、現実的にはそういうふうにやっている鉄道というのはほとんどない。そうすると、現在の段差がある中ではそういうふうに降りる駅のアレンジができないと乗せられないとかというのは当然あるわけですけれども、一方でそういう環境整備をしないということ自体が差別を生んでいるのだという見方もできると思うのです。
ですから、余り現状がこうだからそれはしようがないのだという考え方で見てしまうと、環境整備を進める力が全然出てこないというところがあると思います。ですから、そういう扱いをしてはいけないのだぞというような差別禁止のやり方もありますし、そういう扱いをしなければならないような環境をつくってはいけないぞという意味での差別禁止というやり方もあるだろうとは思います。それが1点です。
話を変えて申し訳ないのですが、私が接する中でよく言われるのは、情報障害の方、視覚障害とか聴覚障害のある方々がいろんなサービスを受けるときに、そもそもその情報が得られないというのがあります。後の不動産などでよく出てくるのですが、入居の拒否とか何とかというのは目に見える差別ですけれども、そもそも視覚障害のある方にはどんな間取りかわからないとか、不動産の情報は視覚に訴えるものがほとんどです。視覚に障害のある人にとっては全く得られる情報が限られているということがあります。
補助犬法でいろんなサービスを提供されるところに補助犬を連れて入る場合に拒否してはならないということがありますけれども、一方で、犬とかの毛にアレルギーを持っている人にとっては、そういう補助犬が入るところについては、自分にとっては発作が起きるところなので入れないということがあります。ですから、そういうのはどう考えればいいのだろうか。よく海外で言われるのは、化学物質過敏症です。お化粧とか香水の濃い人の周りに行くと発作が起きてしまうとかという場合に、それを差別という言い方がいいのかどうかわからないけれども、例えば先ほどの補助犬はOKですよということは、補助犬の毛のアレルギーのある人にとっては自分は拒否されているということになるだろうし、そういうふうなかなり複合的な問題も出てきて難しいのだろうなとは思っています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。予定の時間をもう過ぎておるのですけれども、確認ですが、参考資料2はいろんな事例が挙がっておりますけれども、これは内閣府の比較的最近の調査ですね。そもそも契約を拒否だというのもありますけれども、先ほど室長の論点メモでお話になりました不当な条件を付すという商品や役務の提供をそもそも拒んでおる場合だけではなくて、不当な条件を付すというのもこの調査では出ておると思うのですけれども、これの目につくところをぽんぽんと委員の先生方に御指摘いただいて、それで一旦このコーナーを切らせていただければと思うのですが、いかがですか。
竹下副部会長、お願いします。
○竹下副部会長 川島さんから日弁連の大綱案に対する質問があったと思うのですが、それについては池原さんから答えてくれますか。それとも私が答えた方がいいのかな。
○池原委員 どうぞ。
○竹下副部会長 まずそれが1点でございます。先ほど川島委員から日弁連の大綱案の中の、制限し、またはサービスの提供について不利益な取扱いを行うという点ですが、これは端的には飛行機などで障害者が単独で搭乗しようとしたときに付き添いと一緒でなければ乗せないという例があるわけです。一番わかりやすい例はそれです。
もう一つは、後で出た情報提供のところで1つ気になるのは、ここで常に問題にしているのは、受け入れる義務またはサービス提供に限定されているわけですが、著作権の場合には特殊な形態をとるわけで、権利制限という形で平等実現を図ろうとしていることも触れておく必要があると思うのです。
これは情報のところでは大事でして、すなわち著作権というのは体系上は権利者の保護と著作物の公共性維持という2つの利益を守るとされているわけですが、その調和の中で古くは視覚障害者のために点字翻訳権を認めている37条が有名なのですが、ごく最近の著作権の改正で更に大きく前進してきており、情報障害者に対する著作物の利用について、これを機会に実現させる目的で同一保持権などの権利を制限する、リライトの権利などをも認めるなどは典型的な権利制限規定なのですけれども、そういう形で情報障害者のアクセス権が実現されてきていることも少し触れておきたいと思いました。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
川島委員、一言お願いします。
○川島委員 ありがとうございます。私が少しもう一度確認したいのですけれども、竹下副部会長がおっしゃられた不利益な取扱いという概念は、私の中ではすごく広いのです。ですので、その前に書いてあるサービスの提供を拒否もしくは制限するというのも、不利益な取扱いに入ってしまうのではないかと思うのです。
つまり、そういう理解はおかしいのかどうかということを教えていただきたいと思います。
○棟居部会長 不利益な取扱いは単に条件を付けるだけではなくてもっと広いのではないかという、これは池原委員の記憶を探っていただくとどういうことでしたか。
○池原委員 これは考えなければいけないことは、総論のときにも議論しましたけれども、不利益な取扱いということだけで必要十分なのかということがあって、というのは不利益性が証明されなくても例えば区別されているとか、例えばAというサービスは提供できないけれども、Bだったらいいですよというような、本来は分離教育的な部分で議論されていたところですが、できれば我々としては不利益でなくてもそもそも区別すること自体も差別性を帯びるのではないかということも含めて、総論との対応で言うと、拒否とか制限とか、その他の不利益な取扱いというようなややぼかした言い方がいいのかなと思っていると思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。時間をオーバーしております。先ほど参考資料2を紹介してくださいと申しましたが、もうこれは関連するお話が出ておったと思います。
室長、どうぞ。
○東室長 条件付け、例えば保護者同伴でなければだめだとか、障害者の場合は少しお金がかかるからよけいに出せとか、そういう条件付けというのはいっぱいありますね。見ていただければわかるかと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。それでは、以上で第1コーナーを終らせいただきます。再開は15分休憩をはさみまして、私の時計で18分ぐらいにもうなっておりますので、33分ぐらいをめどに再開とさせていただきます。

(休憩)

○棟居部会長 第2のコーナーは60分で、先ほどからの続き番号ですが、3番、何が例外か、4番、契約自由との関係でどのように考えるかについて議論をしたいと思います。
最初に東室長から論点等について、資料1に基づき、10分程度で御説明をいただきます。なお、本日、第2の契約自由に関係いたしまして、特に山本委員に御発言をお願いいたしております。山本委員、後ほどよろしくお願いします。
それでは、室長、お願いします。
○東室長 担当室の東です。
何が例外かというところの問題です。例えば千葉県の条例を見てみますと、商品またはサービスを提供する場合において、障害者のある人に対してサービスの本質を著しく損なうこととなる場合、その他の合理的な理由なくというような形で、その部分が例外的な規定となっております。
それにつきまして、例えば千葉県の条例の解釈指針ではこういう例が挙がっております。障害特性からクラシックコンサートの最中に会場で大声を上げてしまった場合、当該サービスの提供に不可欠な静謐さを壊さないように当該サービスの提供を拒否しても合理的な理由があるとして、不利益取扱いとは解されないとされております。熊本県の条例の解説書案でも似たような事例が挙がっております。
それとか、生命または身体の保護のためやむを得ない場合なども例外事由として書かれることがあります。
千葉県条例の解釈指針では、遊園地の遊具に乗車中に本人の体調が急変した場合、本人の生命、身体の保護のために当該サービスの提供を中止しても合理的な理由があるとされております。
その他、日弁連の案でも似たような規定があります。先ほど説明しました委員提出資料の2ページ目、上の方の欄になりますけれども、次の各号のいずれかに該当する場合には適用しないとありまして、<1>としては、人の生命、身体、財産の保護のため、やむを得ない必要がある場合。この場合に、人の生命とありますので、障害者本人も該当するかもしれませんけれども、他人である場合にも入るのかなということが考えられます。<2>としては、他の方法ではサービスを提供できない場合。<3>としては、サービスの基本的性質を著しく損なうこととなる場合。このようなことが例外として書かれているわけです。
しかしながら、生命、身体の安全という抽象的な理由でサービスの利用を拒絶される場合が実例としてもかなりあります。ですので、過大にこの例外が適用されると実際上はかなり制限される場合が増えるという問題もありますので、ここら辺りの例外事由をどういうふうに考えるか、具体的にどういう文言が適切かといった辺りの議論をお願いしたいと思っております。
次に、4番として契約自由との関係でどのように考えるのか。先ほど山本委員からも関連した御発言があったように思いますけれども、特に閉鎖的なメンバーズクラブなどでサービスが提供されているといった場合に、会員自体になれるかどうかといった問題があります。アメリカの差別禁止法であるADAでは、適用されない団体として私的なメンバーズクラブなどが挙がっておりますし、川島先生の今日の提出資料にも11ページのところに触れられたところでもあります。しかし、どうしてそういうことになるのか、そういうふうにすべきなのか、すべきではないのか、そこら辺の基本的な考え方といったものをここで議論していただければと思います。
その際に、そもそも最初から適用除外にするのか、一定の一般的な例外規定の中で対象とするといったことができるのかできないか、そこら辺も検討していただければと思っています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
それでは、先ほどお願いしましたように、山本委員に特にこの2番目の契約自由につきまして御説明をお願いしております。どうもよろしくお願いします。
○山本委員 山本です。
それでは、お話をさせていただきます。少し前提をお話ししないとわからないことが多いかと思いますので、若干講義調になってしまいますけれども、お許しいただければと思います。
まず、ここで問題になっていますのは、私人間において契約によって差別行為が行われる場合です。ここでは一体何が問題なのかという話から始める必要があります。
差別行為が行われますと、差別される側では、平等に扱われる権利というものがあるとするならば、その権利が害される、あるいは場合によっては人格権が害されるということが問題となります。
しかし、契約の場合は相手方があるわけでして、相手方に権利がないのかといいますと、勿論あります。それが、ここで私的自治あるいは契約の自由と言っているものです。そして、それと同時に、契約の対象が例えば物のような財産ですと、契約をしなければならないことになりますと、その財産を自分の意思に関わりなく相手に渡さなければならないことになる。あるいは、契約の対象が役務、サービス行為ですと、そのような行為を自分の意思に関わりなくしなければならなくなる。そのような意味での権利の制約が更に問題になってきます。以上が前提です。
次の問題は、私的自治や契約自由というものがどのようなものかということです。一般に私的自治といいますと、団体の中での自治とか自律というようなイメージがありますが、民法で言う私的自治は、そのような意味も含んでいますけれども、もっと広く意思の自由、意思の自律というものとしてとらえられています。このようなものが、民法では基本的な自由として認められています。
更に言いますと、これは棟居部会長のご専門になっていくのですけれども、憲法の中でも13条に幸福追求権が認められていますが、これは、何が幸福かということを他人が決めるのではなくて自分が決めてそれを追求する権利であるとしますと、自分の生活に関わることは自分で決めて行うという自由がある。それが私的自治だというとらえ方もできなくはありません。そう考えますと、私的自治は憲法にさかのぼる基本的な自由であるということができます。
この私的自治と契約自由は似ているのですけれども、少し違います。というのは、契約の自由は、契約制度を前提にした自由だからです。契約するしかないかという点は、私的自治と似たところがあるのですが、契約をしてしまいますと、それに拘束されます。契約を守らないと、相手方から訴えられて最終的には履行を強制させられることになります。契約には、そのような制度的な側面があります。その意味で、私的自治そのものとは違うところがあります。しかし、もし契約を守ってくれませんと、いくら自分の生活を自分の意思に従って形成する自由、つまり私的自治があるといいましても、絵に描いた餅になってしまいます。契約を守ってくれませんと、こうしようと思っていたことなどはできなくなってしまいますので、このような契約の拘束力を含めて、契約制度は、先ほどの幸福追求権を保障するために必要な制度である。その意味で、そのような契約制度を使う自由、つまり契約自由も、憲法にまでさかのぼるような基本的な自由だと理解していただく必要があると私は考えています。
その上で、ここでは一体何が問題になるかということですが、契約によって差別行為が行われている場合について、私自身の考え方は別として、従来の法律学でどのように理解されてきたかといいますと、ここでは平等権、つまり基本的人権が問題になっているように見えます。そこで、憲法で平等権が保障されているのだから、それがそのままこの契約の問題についても適用されると理解する考え方もありますが、一般にはそうは考えられていません。憲法上の基本権は、国と個人の間の関係に妥当するものであって、国は個人の基本権、平等権を含めた基本権を侵害してはいけない。しかし、私人と私人の間では、基本権がそのまま妥当するわけではないという考え方が、憲法学では取られてきました。
では、どうなるかといいますと、私人間で問題が生じたときには、あくでも民法などの法律が適用される。民法で契約に関して言いますと、契約に関してさまざまな規定がありますが、それが適用される。憲法の規定が直接適用されるわけではないと考えられています。
その上でどうするかといいますと、そのような民法の規定を解釈したり適用したりするときに、憲法の精神や趣旨を考慮しなければならない。これは憲法を間接的に適用するという意味で、間接適用説と呼ばれています。
具体的には、契約については、民法90条という非常に重要な規定があります。これは、公序良俗に反する契約等は無効とするという規定です。その「公序良俗」が何かということを考えるときに、憲法上の基本的人権の価値や精神を考慮して公序良俗に反するかどうかを判断する。あるいは、民法には、709条という不法行為にもとづく損害賠償責任に関する規定があります。権利または法律上保護される利益が故意または過失によって侵害されたときは、それによって生じた損害の賠償を請求できるとされています。この権利または法律上保護される利益が侵害されたといえるかどうかを解釈するときに、憲法の趣旨や精神を考慮して判断する必要があるというのが、判例を含めた一般的な考え方です。
ただ、憲法の趣旨や精神を考慮して、では公序良俗をどう解釈するのかと言われましても、法律の専門家でもよくわからないところがあります。これをどう考えるかという点についてはさまざまな考え方がありますが、実は私よりもっと前に棟居部会長が分厚い本を書いておられるのですけれども、その考え方を御紹介しておきます。恐らく今後の議論の中でも何度か出てくるだろうと思います。
先ほど言いましたように、憲法上の基本権は国と個人の間で認められる権利であって、私人間では認められないというものだというのが一般的な考え方です。そうすると、私人間で、例えばXという人がYという人によって基本権に当たるものを侵害されているときに、Xは何も言えないということになりそうですが、それはおかしいのではないか。憲法によって基本的人権が保障されているのだから、国はこのXの基本的人権、つまり基本権が侵害されているのを黙って見ていてはいけないはずではないのか。このように、基本権が侵害されているときには、国はそれを保護しなければならないという考え方があります。これを国の基本権保護義務と言います。
国はこのような保護義務を負っているわけですから、この保護義務を果たすためにどうしないといけないかといいますと、民法の規定を適用するときに必要な保護が受けられるように解釈・適用しなければならない。先ほどの間接適用説は、このように基本権保護義務からうまく基礎づけることができるではないかという考え方が有力に主張されています。支配的とはいえませんが、しかし、非常に有力な考え方になっています。
ただ、そのようにして国が保護すれば、契約には相手方がいるわけですので、相手方の権利が国によって制約される可能性が出てきます。国と個人の間では、国は基本権を侵害してはいけないというのが基本原則ですので、保護することによってこの制約が大きくなり過ぎますと、国は過剰な制約を課してはいけないという限界を逸脱する可能性が出てきます。したがって、ここでは、X側の保護が少なすぎてはけないということと、Yに対して過重な制約を課してはいけないということが問題になってくる。その意味で、双方の権利や価値を衡量して判断しなければならないというのが基本的な枠組みになります。間接適用説という考え方の下で実際に行われているのも、実はこの2つの側面ではないかと思います。
大きな話になって本当に申し訳ありませんが、これが差別禁止の場面でどう問題になって来るかといいますと、X、この部会で言いますと障害者に当たりますが、そのXがYとの契約によって差別を受けているという場面で、このXの平等取扱いを求める権利を保護すべきかどうか、保護するとしてどのように保護すべきかということが問題となります。
このときに、何もせずに、そのままXが保護が受けられないのはなぜ問題かといいますと、契約ができない、ないしは不利な契約しかできないことによって、このXの基本権が著しく侵害されているときは、国はXに保護を与えなければならないということから導かれると考えるわけです。
では、どのような場合がそうかというと、もし平等に取り扱われていれば得られたはずの利益が得られない、その程度が大きいときには、保護を与えなければならないということが考えられます。例えば、その財産やサービスが生活していく上で非常に重要な不可欠の財であるときは、保護を与えやすくなってきますし、逆に必ずしもそのようなものではないときには、保護を与えられない可能性が高くなってきます。あるいは、この物でなければならないというわけではなく、ほかにも幾らでも代替手段があるようなときには、保護が受けられない可能性が出てきますが、代替手段がない、これでないとどうしようもないというときには、保護を与えなければならないということが出てきやすくなってきます。
ただ、仮にそれで保護の必要性があるとしても、保護を与えると、今度は相手方もそのような契約をしなければならないことになりますので、それが果たして正当化できるかということが次の問題となります。これが、3番目の例外事由の問題や、4番目の契約自由との関係でどう考えるかという問題でして、ようやくこの問題にまでたどり着いたわけですけれども、ここでも、Xに当たる障害者を保護することによって相手方Yに生じる不利益がどの程度かということが問題にならざるを得ません。
例えば、商品や役務の本質を損なう場合は例外だというのは、提供しようとしている商品や役務を変えないといけないような制約を課すことは、相手方の権利に対する過剰な制約であり、認められないということで正当化できるのではないかと考えられます。
一般的には、先ほど言いましたように、契約をするかしないかを決める自由は基本権にさかのぼる重要なものでして、それは尊重されなければなりません。だからこそ、その例外はどうしても限定的にならざるを得ないということが出てきます。しかし、それにもかかわらず例外を基礎づける正当化理由の1つとして考えられるのが、今言ったようなものです。
あるいは、答えはなくて、問題提起だけなのですけれども、例えばこの対価では見合わないような給付、商品やサービスをしなければならなくなる場合に、本当にそのような契約を強制することができるかというのは、非常に難しい問題です。特に費用が高くなってくるときに、価格を上げることによってほかの人たちに転嫁できるときにはまだいいのかもしれませんが、その転嫁が非常に難しいときには、結局そのサービスをやめざるをえなくなっていく可能性もある。これが、非常に難しい問題としてあると思います。
しかし、いかに大変であったとしても、障害者自身あるいは他の人の生命や身体、重要な財産も含めた権利を害することになってしまうような場合については、やはりだめだということが出てくるかもしれません。それが2ページ目の下にある「やむを得ない事由」のところで問題になることなのかもしれません。
それ以外に、契約を強制されるYの側が持っている権利が契約するかしないかという自由だけではなく、非常に重要な実質的権利にあたるものである場合は、それも考慮されることになります。難しいのは、閉鎖的なメンバーズクラブとの関係でして、だれと交流するかという、親密になる相手を選んで親密な関係を形成するという自由も幸福追求権の1つに属する重要なものだと考えられますので、親密な関係の形成を強制することはなかなかできない。このように、閉鎖的なメンバーズクラブは、そのような基本的な権利に基づくものであって、それに対して、閉鎖的になるな、自分とも交流せよと求めることが、しかもそれを国が強制することができるかということが、非常に難しい問題として出てきます。
ゴルフクラブについては、これまで、差別に当たると認めたものと認めていないものの両方の裁判例があります。これは考え方の分かれるところでして、そのような親密な関係を形成する自由を尊重する必要があるというものと、そうではなくて、今日ではゴルフクラブはみんなゴルフをするようになっていてパブリックな性格を持っているので、もっとオープンになるべきであるという考え方から責任を認めものと、両方に分かれるところですけれども、この辺りが一番難しい限界事例にあたるところかもしれません。
済みません。大変長くなりましたが、以上のとおりです。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。私、この第2コーナーで第3番目の何が例外かと第4番目の契約自由と、この2つのうちの特に後の契約自由についてということで山本委員にお願いしましたが、実はこれは結び付いているのだということまで言っていただきましたので、皆さんの議論をとりあえず順番として何が例外かということから始めるのが順番かもしれませんけれども、今、結び付いているということ、しかも保護義務論という大きな枠組みの中でおっしゃっていただいたので、順番に限定を付けるというのは逆に今のお話ともそぐわないということなのだろうと思います。
1点だけ確認したいのですけれども、いつも質問で申し訳ない。ただ、私個人にとっては山本先生に質問できる機会はほとんどありませんので1点だけお願いしますと、山本先生のイメージされている、今非常に広まっていますけれども、言わば三角形です。つまり、Xさんという障害者、Yという差別をしてくる別の企業なり団体なり個人と、言わば相対のというか、勿論、力関係はいろいろですけれども、社会的な存在としてお互いに水平的な、対等の関係ではないですか。契約当事者としては両方イコールだと。しかし、国というのが図式的に言うと上にいて、国が天辺におってXさんとYさんと、三角形になっている。そして、国がXとYの間の差別的な紛争、こういう取扱いに対して、Xを保護しろという形で介入してくる。しかも、単に国の側の思いやりで介入するのではなくて、それが一定義務づけられるという場合がある。Xという障害者の側から言うと、単に横を向いて権利主張をYに対してするだけではなくて国を呼び込む、そういう内容が権利の中に入ってくるということなりますね。
しかし、国というのは非常に強大な力を勿論持っているわけですから、国が間に入ってくるというのは、下手をするとやりすぎるということにもなり得るので、そうすると、その場合にはY、つまり差別をしておるとされる側との関係で言うと、国は過剰な規制をしてはだめですよと、つまり、Xという障害者を助けなければいけないけれども、他方でYという存在に対して過剰な規制を仕掛けてはいけないと。変な例えだけれども、水戸黄門とか桃太郎侍とか、ああいう善玉悪玉の例は答えが決まっていてよくないかもしれません。しかし、いずれにせよもめておると。間に偉い人というかお上が入っていく、あるいはお上に相当するだれかが入ってくる。その場合に、水戸黄門で言うと助さん、格さん、もういいでしょうと、要はそれぐらいにしておけというのが過剰になってはだめだ、これ以上やるなという、ある種のバランス論ですね。山本委員は三角形を描かれて、そこでのバランスが大事だとおっしゃったという理解でよろしいということのようです。
私の質問は、契約を強制するというのもこのバランス上、場合によってはありなのでしょうか。併せてどうぞ。
○山本委員 先ほど合せて申し上げればよかったのですが、今指摘していただきましたので補足したいと思います。
X、つまり障害者を保護するとしても、保護する手段がYにとって過剰なものになってはいけないというのが、先ほどの基本的な枠組みです。保護する手段としては、契約の場合は幾つかありますけれども、大きく分けて2つ考えられます。
一つは、契約を強制する。つまり、必ず契約しなさいというように、契約を強制するというものです。これは、締約強制と言ったりします。
もう一つは、契約を必ずする必要はないけれども、損害賠償はしなさいというものです。
契約の締結を強制するという第一の可能性は、Yにとっては非常に強力な強制方法になります。これを認めますと、Yの権利・自由にとって重大な制約になると考えられます。これを正当化することはかなり難しいと考えるのが、法律家の通常の感覚ではないかと思います。可能性としては、例えば問題になっている商品やサービスが生活していく上で必要不可欠であって、しかもYがある種独占的な地位を持っていて、このYと契約しないとその商品やサービスが得られないというときには、締約強制がされても仕方がない。ガスや水道や電気というのはその最たるものですけれども、そういったものについては、締約強制まで認めないと保護したことにならないということが言えると思います。
しかし、それ以外について締約強制まで認められるかというと、過剰になる可能性が高い。そうすると、損害賠償が、次の保護手段として考えられます。ただ、損害賠償についても、少し技術的なことを言いますと、その内容は大きく分けて2つあります。
一つは、契約できなかったのだけれども、実際に契約していればこれだけの利益を得られただろう。その利益が実際には契約できなかったので得られない。この契約していたら得られたであろう利益を賠償しなさいというもので、これを履行利益と言います。履行していれば得られたであろう利益ということです。
もう一つは、契約すればこれだけの利益が得られるというのではなくて、少なくとも元の状態に戻してほしい。契約できると信じて、例えばいろいろな費用をかけたとか、いろいろな手間をかけたとか、あるいは自分の財産を相手に渡してしまっているときに、それを元へ戻すというタイプの賠償が考えられます。これは、信頼利益の賠償とか原状回復的損害賠償とかと言ったりします。
この2つのうち、1つ目の履行利益の賠償は、結局契約を締結したのと同じ状態を実現するものですので、この履行利益賠償を認めますと、先ほどの締約強制を認めたのと価値的には変わらないことになります。ですので、過剰な介入になるという判断がされやすくなると考えられます。それに対して、少なくとも元へ戻してほしいという賠償は、これを否定されますと何の保護も得られないことになってしますので、これは認められる可能性が高いというのが、一応の方向性です。
○棟居部会長 慰謝料とか人格権侵害とか、これはまた別にお考えということですか。
○山本委員 勿論、別の問題です。
○棟居部会長 わかりました。ありがとうございました。
以上、これだけ御説明をいただいたので山本委員への御質問ということを1つ軸に考えていけばいいのではないか。つまり、保護義務というお話もありました。非常に抽象的な言葉です。それは実際にはXとYのバランスを取っていくと、非常にそれは難しい話です。
ですから、何も法律がといいますか、差別禁止法とかそういうのがない中で、その公序良俗、民法90条、709条以下の不法行為の違法性とか、言わばアバウトな概念を奇貨としてという変な言葉がありますけれども、逆にアバウトだからチャンスなのだと見立てて、そこに憲法の人権価値をどんどん落とし込んでいくという、これが先ほど御紹介ありました間接適用という憲法の人権をどうやってX、Yの間に生かしていくのかというテクニックなのですけれども、我々はそういう民事事件を扱う裁判官として保護義務を念頭に置くのではなくて、もうこれは立法につなげようということでこうやっておるわけですから、もし差別禁止法というものが実現した暁には、これは保護義務を形にしたということになるはずだし、またそうあるべきものですね。
ですから、先ほどの山本委員のお話でまず我々が共有しなければいけないのは、これはもう非常に難しい連立方程式というか、絶妙のバランスをこの制度自体が要求される。つまり、X、障害者を保護しなければいけない、他方では、過剰な規制になってはいけない。この2つのかなり悩ましい命題、だから楽ではないわけですけれども、これをどうやって裁判官に丸投げをするのではなくしてある程度の枠組みをこうやって特別の立法で実現していくのか。
結局、今、我々は何をずっと議論してきたかというのを1つ問いの形でまとめていただいたのではないかなと、保護義務という観点からこの立法作業を考えていくべきなのだなと私としては思いました。
ですから、これは中立的な概念でもあるわけで、保護義務だから契約強制だとか、そういう何か特定の方向性を持たした言葉ではないというのも先ほどおっしゃったと思います。
どうも私、一番前の学生みたいな気分で手ばかり自分で挙げておったようですが、どうぞどこからでも御質問。
竹下副部会長、お願いします。
○竹下副部会長 今の議論についていけているかどうかわかりませんが、私自身の理解と質問にまたがることですが、間接適用というか、あるいは民法90条ないし709条の充填として平等原則を入れていくと言うのはわかるのですけれども、もっと理解できていないというのは2つあって、1つは憲法29条というのはなぜ出てこないのかなと。すなわち、憲法29条というのは私的財産の絶対性をまずうたいながらも、公共の福祉による制限というものを認めているのは憲法29条だと思うのです。その公共の福祉による制限という中に平等の実現であったり、人格権の保障という観点から、憲法29条の適用というものを考えられないのかどうかの質問が1件目です。
もう一つは、確かに基本権の保護義務は聞いていてわかるのですけれども、同時に先ほどの憲法29条との関係も含めて、もっと単刀直入に契約の相手方の利益がその分制限されることを率直に認めて、それ自身が公共の福祉による制約として理解することで私は日本における差別禁止の体系が憲法上も認められることになるのかなと思っていたのですが、違うのでしょうか。
以上です。
○棟居部会長 山本委員、お願いします。
○山本委員 私よりも棟居部会長にお答えいただくべき問題ではないかと思いますが、まず前提を明らかにしなければなりません。先ほど申し上げましたように、憲法には基本的人権に関する規定がたくさん定められています。29条もその一つですが、これは支配的な考え方によりますと、先ほど言いましたように、国と個人の間に妥当する権利であって、国は例えば財産権を侵害してはいけない、公共の福祉に反しない限り介入してはいけないというように考えられていると思います。これに対して、今、問題になっていますのは、先ほど言いましたXとYの関係ですので、これがそのまま適用されるわけではない。つまり、XとYの問題については、憲法29条も直接適用されないというのが、先ほどの前提です。
その上で、先ほどの話でなぜ憲法29条は出てこなかったかということですが、実は規定は挙げなかっただけで、最初の方で申し上げています。というのは、もし基本権保護義務の履行として、国が契約を強制したり、契約しないときに損害賠償責任を課したりすると、相手方Yの権利・自由として何が問題になるかというところで、契約するかしないかという自由が制約される可能性があるということを言いましたが、それと同時に、その契約の対象が例えば財産や所有権ですと、自分の財産や所有権を自分の意思によらずに相手方に提供しなければ損害賠償責任を課せられる等の制約が課せられることになりますので、憲法29条が保障している財産権がXとYとの間で問題になってくるということも申し上げました。これは勿論、直接適用するのではなく、国がXの基本権を保護しないといけないけれども、保護しすぎると今度はYの契約自由や財産権を過剰に制約してしまうことになるので、それは許されないということですが、そのようなかたちでつながっていきますので、規定としては申し上げませんでしたが、当然問題となると思います。
その上で、公共の福祉による制約をどう見るかですが、これはもう棟居部会長にお任せしたいところです。公共の福祉をどう理解するかについては、憲法学でもずっと争いのあるところで、先ほど申し上げた基本権保護義務の考え方は、公共の福祉による制約の意味内容を一部明らかにしたという意味を持つのかもしれませんが、しかし、ここから先はもうお任せしたいところです。よろしくお願いします。
○棟居部会長 ありがとうございます。公共の福祉という言葉を憲法が使っておるということで、場合によっては我々といいますか、憲法学者あるいは民法学その他の法学の学問に携わる者が、この公共の福祉という言葉をどう扱うか扱いあぐねておるといいますか、ある意味では非常に多くのものをそこに入れるし、他方では読み込み過ぎを戒めるということで行ったり来たりをやっておるわけで、山本委員の論文をこの場で言及はふさわしくないかもしれませんが、読むときにキーワードが幾つかありまして、先ほどの保護義務というのもそうなのですが、リベラリズムという言葉も頻繁に使われるわけです。
何をリベラルとお考えになっているかというのを今ここで蒸し返す気は全然ないのですけれども、時間があればそれは聞かせてもらったらいいですけれども、そんな時間はありませんので、ただ、一方的な、一刀両断的な何か答えが決まっているという、そうではないのだというニュアンスだろうと私は漠然と理解しているのです。つまり、多元的にそれぞれが自分の花を咲かせるというか、自分の幸福を追求するというときに、XもYもそれぞれが両立すれば一番いいし、国家が介入して一方だけが勝つ、10-0、0-10ということにはならないという、リベラルというときにそういう多元的というような価値をそれぞれが競争したりけんかをしながら両立していくというものがあって、ただ、差別をする側に価値などあるのかと当然に反発を覚えるわけですけれども、これは別にことさらに差別をしようというのではなくて、商売でその方がいいと思ってやっておるのだということが一応の理由でしょうから、するとYの側、差別をしておる側には営業の自由があるのではないかとか、そちらにも契約の自由があるではないかとか、そちらはそちらである種の自己決定に支えられておるのではないかと、すると両すくみなのではないか、そこにどうバランスを取っていくのかという話になるわけで、公共の福祉というマジックワードが実際には複雑に絡み合ういろんな人たちの価値とか利益とか夢とか、そういうものの複合体なのだととらえていくと、そうは単純ではないということかなと横の竹下副部会長の昔勉強された知識かなり古いのではないかということをちょっと申し上げたような格好で、一応私なりにここでの説明責任を果たしたことにさせてもらいます。
どうもごめんなさい。時間的な配分を今申し上げますと、今、4時13分ぐらいですが、あと20分ほどこのコーナーは予定しております。
では、室長先に。それで松井委員、お願いします。
○東室長 憲法、民法の基礎的で、大きな観点からのお話をしていただいたと思います。そういう利益考慮の中で、それでどうするのだという話になるわけですけれども、諸外国の立法例ないしは日弁連の要綱案とか、日本の国の中においても一定成文化されている条例などがありますけれども、そういう個々的な書きぶりは別として、こういった形の法制度を国内法でつくるといったことについては、基本的にはその方向は当然あり得るとお考えなのですが、それともやはりそれは無理ではないかなとお考えなのか、そこの方向性についての御意見を伺いたいのです。
○棟居部会長 山本委員、お願いします。
○山本委員 これは私自身の理解で、この部会の最初の方で差別禁止法の目的等について議論した際に申し上げたかもしれませんが、考え方としては幾つかあり得るわけですけれども、1つは、先ほども申し上げましたように、障害者には障害を理由とした差別を受けない権利がある、平等取扱いに対する権利というものを承認するという考え方です。これは、現在そのようなものとして実際に憲法には書かれていないけれども、憲法上の権利に当たるものとして承認されると考えるというものです。
もう1つは、それと同時でもよいのですけれども、先ほど川島委員の案の中にも出てきましたが、人間の尊厳や人格権に当たるものは侵害されてはならない。そして、障害を理由として差別を受けることは、この人間の尊厳あるいは人格権を侵害するという側面を持っているという考え方です。
これは、少なくとも現在でも日本国憲法の中で個人の尊重という考え方が示されていますし、あるいは先ほどの幸福追求権もそれと関わってくるかもしれませんが、そのようなものとして憲法上の権利として保障されていると考えるとしますと、いずれにしても、先ほどの基本権保護義務が国家に認められるならば、私人と私人の間でこのような基本的人権に当たるような権利が侵害されているときは、国はそれを少なくとも最低限保護しなければならない。現在は、そのような保護のための特別な法律がありませんので、先ほど申し上げましたような民法の90条や709条という規定などを通じて保護しているだけですけれども、これで十分に保護を果たしているかというと、果たしていないかもしれないとしますと、立法によってこの保護義務を果たさないといけない。立法しないままずっと放置するのは、立法不作為で違憲と言うかどうかは別として、いずれにしてもこのままの状態をずっと続けるのは問題があることになると考えています。
○東室長 ありがとうございます。
○棟居部会長 どうもお待たせしました。松井委員、お願いします。
○松井委員 ありがとうございます。松井です。
これは法律論ではないかもわかりませんけれども、先ほど山本委員から保護をする権利を守るためにYに強制する場合に、その費用が転嫁できない場合についてはサービスをやめるかもしれないというご指摘がありましたが、合理的配慮もそうですけれども、その費用について国が介入する限りは、やはりある程度国が当然負担しなければいけないだろうと思います。だから、YとXだけの間の関係ではなくて、国がどこまでそれを負担するのかということの政策的判断と言うのは当然あるべきだと思いますので、そこを考えないと、過剰にYの責任になりかねないというか、そういう意味でYが対応しやすいような財政負担というか、そこも含めて考える必要があるのではないかということを申し上げたいと思います。ありがとうございました。
○棟居部会長 ありがとうございます。一般の民事裁判ですと裁判官にそういう政策形成の権限も何もありませんので、限られた条件の中で、逆に事件の特徴に目を付けて、例えば家族の面前でことさらに罵倒したとか、そういう人格権侵害の部分をとらえて慰謝料を100万とか、小樽の温泉の事件などはそうですけれども、そういうある種の個別の事案ごとのYの側、差別をしたとされる側のある種の落ち度をとらえる格好で慰謝料という形での解決を図ってきたと。しかし、そういう個別事例の積み上げでは限界があるので差別禁止法のようなスキームという問題になってくる。
しかし、すると、裁判官が個別事案を解決するのとはまた違う政策的な1つYの側、差別をしているとされる側もそれを解消しやすいような、一歩前に出やすいような、何かスキームの提供、国は単に介入するだけではなくて、むしろ枠組みの提供が必要ではないかという御指摘だったと思います。それも勿論我々、課題としてこういう導入口を与えれば、例えば以前文科省の方がヒアリングで「基礎的な条件整備」といったような言葉遣いがありましたね。そうしたことを1つここでもとらえていけば、先ほどの山本委員の狭い三角形の下に少し土台みたいなものが加わってくる。その全体が我々の課題だととらえれば、今の松井委員の御指摘も受け止めたことになりますでしょうか。ありがとうございました。いかがでしょうか。
山崎委員、お願いします。
○山崎委員 山崎です。
ほとんど私が伺いたいと思っていたことがほぼ解消されているのでいいかなと思っていたのですが、先ほど来、部会長と山本委員さんが非常に緻密な法律学的議論を大変興味深く拝聴していました。
ただ、この部会は傍聴の方も含めて、CSテレビをご覧になっている方もいらっしゃるので、緻密な議論がどういう位置づけなのかというのをだんだん見にくくなっている方もいらっしゃるのではないか。もしかしたら私もその一人なので、そういう意味で、部会長に御質問というか確認です。非常に当たり前のことで恐縮ですが、冒頭に先ほどからXとYがあって、その上に国があるという三角形の構造になっているのだという御指摘が部会長からあって、その後で桃太郎侍とか水戸黄門とかという話が出てきて、ちょっとどういう話に行くのかなと若干不安になりまして、そうこうするうちにまた部会長の方から裁判官の手を煩わせずに、というお言葉が出てきたので少し戻ったかなという気がしております。
要するに「裁判官の手を煩わせずに」というのは、新しい法をつくるということは新しい裁判規範、裁判官向けに書くガイドラインをつくっていくということなので、裁判官が恣意的な適用をするとか、これが果たして障害に当たるのかどうなのかという判断に幅があってはいけないという趣旨の議論をずっとしてきているのだろうと私は理解しています。
今日のところは商品の購入、役務の提供、不動産の利用ということに焦点を当てて、二通りあって、韓国型といいますか韓国の差別禁止法型の、あるいは日弁連さんもそうかもしれませんが、行為を中心に規律していくつくり方と、相手方の範囲とか何が差別かとか、こういう絞り方2つあるのだというのが今日の全般の議論だったと思いす。そういうことも含めて要するに、裁判規範としてきちんと当てはめる準司法ないし司法の場面で、解釈に幅ができないように、なおかつ現時点で立法事実といいますか、当事者の方々が困ってらっしゃることが社会的に前向きに解消するような形の法をいかにつくっていくか、多分そういうことを今議論されているのだろうと思うのです。そういう意味で部会長が冒頭におっしゃっていた、国の役割というのは、きちんとした緻密な裁判規範をどのようにつくっていくかという文脈の中でおっしゃっていたと私は理解したのですが、こうした理解でよろしいでしょうか。
○棟居部会長 勿論です。至りませんで、失礼しました。
なお、先ほど山崎委員御発言のちょっと前には、単に裁判規範というわけではなくて、国はむしろ一定の施策を講じることによって予防的に解消していくといいますか、そうした御示唆も松井委員からいただいたと理解しております。どうもありがとうございました。
池原委員、お願いします。
○池原委員 2つほど感想というか質問というか申し上げたいのですが、1つは契約強制ということはかなり相手方にとって厳しい権利制限になるので、言わば意思に基づかずに自分の財産が人に移転していったりとか、一定の義務が行為をしなければいけないという責任を課されることになるので、確かに大きいといえば大きいのですけれども、ただ、現代社会の日常生活における財とかサービスというものは、非常に大雑把に考えると、必ずしも契約の相手方の個性に着目していなくて、要するにだれが買ってくれてもいいし、だれが契約してくれてもいいという契約の種類が比較的多いだろう。サービスの内容とか財の中身も定型化されたり類型化されているものが多くて、そういうものについては例えばファミリーレストランでオムライスを食べるなどというのは極めて定型化されているわけで、そういうものについて契約強制を課したとしても、特段相手方にとって大きい不利益を課すわけでもないし、逆にそれについて履行利益の損害賠償を請求したところで、では食べられたとすれば800円ですとか、うちは割と安いオムライスなので500円ですなどという話になると、ほとんど訴訟をやる価値もないし、そういう行為自体を是正していくという効果も期待できないので、やはり契約強制ということについても相当程度考えないといけないのではないかと印象としては思いました。
もう一つは、これは多分考えていることはほとんど同じなのかなと思ったのですけれども、議論するモデルとしてXとYと国という整理の仕方というのが、ともするととても個別的な契約の場面をイメージしやすいのですけれども、多分この問題というのは社会構造自体にアンバランスがある。だから、正三角形が水平な机の上に乗っかっているのではなくて、机自体がそもそも傾いていて、そこにいびつな三角形が乗っかっているというのが基本的な構造だと思うのです。
つまり、障害のある人の方が明らかに不利な立場に置かれている。そこに私的自治とか契約自由の原則という形式的な原理を当てはめてしまうと、言わば非常にバランスの悪い契約現象が起こってしまうので、そこを構造的に変えていかなければいけないというのが多分差別禁止法の役割だと思うのです。
ですので、ある表現の仕方からすると、そもそも私的自治の妥当性というのは、私の浅い理解だと、つまり、近代市民的な社会であれば、XもYもある場面では有利だったり不利だったりするけれども、必ずそれは別の機会には有利だったり不利だったりするという互換性があるけれども、そこの障害のある人の生活している私たちの社会というのは互換性がなくて、障害のある人は一生涯にわたって不利な立場に置かれるし、どんな契約でも不利な立場に置かれてしまうという構造的な問題が存在していて、そこにそもそも私的自治とか契約自由ということをダイレクトに当てはめられないのではないか。むしろ歪んでいる社会に契約自由とか私的自治が本来予定していたような適正な機能を回復させるというか、果させるために、言わば障害のある人の場を底上げしていかなければいけない。
でも底上げをするというのは、要するに不平等だったものを平等に戻すと言うだけの話なので、別に特別な優遇をしてあげるということではないのですけれども、そんなようなもう少し立体的な構造を考えないと、ある意味で二次元的にとらえてしまうと適当ではないのではないかと思いました。
○棟居部会長 ありがとうございました。非常に大きなことをおっしゃいました。ごめんなさい、野沢委員に先に御発言いただいて、その後、太田委員に行きたいと思います。順番はよろしいですか。
では、野沢委員お願いします。
○野沢委員 法律論は私には難しすぎて、本質からちょっとずれるかもしれませんけれども、何が例外かなのかというところで気になったことがあるので、感想ですけれども、申し上げたいと思います。
よくクラシックコンサートなどで大声を上げてしまうというのは、割と知的障害、自閉症とかという人に多くて、たいてい一般のコンサートには行けないのです。しかし、ここで障害特性から(大声を上げる)と簡単に決めつけてしまっていいのかどうかと思っているのです。というのは、もう少しわかりやすいことを言うと、例えば幼稚園とか保育園とか学校、下足場でざわざわしていると。発達障害の子などは感覚過敏があってとても苦手なので、ほかの子にかみついてしまったりする。そうすると、ほかのお母さんたちからあんな乱暴な子はやめさせてくれというようなことで利用を制限されるなどということが割とあるのです。
では、なぜその子はかみついてしまうのかというと、それは障害があるからだとは思いますけれども、でも、障害のせいだけなのかどうかです。感覚過敏があるということ、そういうのは苦手なのだということをうまく伝えられないコミュニケーションの特性もある。どうすれば解決できるかわからないという想像性の困難があるとか、そういう障害特性があるからかみついてしまうわけで、でも本当にそれだけなのかといったらそうではないと思うのです。それはざわざわ騒がしい環境というものがそこになければ決してかみつかないはずだし、的確な支援というものがそこにあればかみつくには至らないはず。では、ざわざわ騒がしい環境というのはその子のせいなのかといったらそうではないと思います。的確な支援がないことはその子のせいなのかといったら、そうではないと思います。なのに、その障害特性のせいだけにされているのではないかなという気がしているのです。
この場合も大声を上げてしまうというのは果たして本当にその人の障害特性と決めつけてしまっていいのかどうかというのが1つある。それと生命、または身体の保護のため、これもよくあって、歯医者さんの治療が苦手な人は多いです。健康診断で血液を取られるときは大暴れしてしまって、何人かで押さえつけてやられたりする。そういうのもうまくできないとそれもしてもらえない。あるいは床屋さんが苦手な自閉症の子はとても多いです。うちの子などもそうでしたけれども、やはりどこへ行っても無理ですと言われてしまうのです。しようがないから押さえつけてやるわけですけれども、そうすると、こちらは安全を確保するためにはさみが目に入ってしまったりすると危ないからしようがないと思ってやっていますけれども、でも本人にとっては、それは怖い上に押さえつけられるからよけい怖くなって、どんどんまた問題行動ということが誘発されてきて、こういう雪だるま式に「問題行動」が膨れ上がってきてしまうわけです。
ただ、最近というか、前からそうかもしれませんけれども、そういうのがよくわかってうまくコミュニケーションをとって相手に安心させられることができるスキルを持った床屋さんや歯医者さんというのは結構出てきているのです。どうすれば安心させられるかというのも少しずつスタンダードなものができつつある。そういうものがあるのにもかかわらず、そういうものを身につけていない歯医者さんや床屋さんや健康診断の方々がそういう暴れる子は無理ですということで健康診断や歯の治療や髪の毛を切るということがしてもらえないということは、果たして例外と簡単に処理してしまっていいのかどうかというのを私は気になっているのです。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。確認ですけれども、例外の方が話が薄かったので今、実例でもって補っていただいて本当に助かっておるのですけれども、今おっしゃった最後のぼちぼちそういうスキルを持つ床屋さんなど出てきているという、これは逆に言うと市場原理が機能しているという、つまりうちではこういうお子さんはだめですと言って古いタイプのというか、初めから排除してしまう店が多い中で、それならばやってやろうではないかと、そういう客がいるではないかということで、そこに入ってくる床屋さんがおるとすれば、これは差別について経済の法則に任していたらそういうばかな業者は淘汰されるというようなことと俗論ですけれども、どこまでそうなのかという検証も必要ですけれども、そういう人もいます。
そうした普通のリバウンドだとすれば、あえて法で介入しなくてもうまくいくではないかというような、法にも結論付けられるのではないかと思うのですが、その点いかがでしょうか。
○野沢委員 わからないですけれども、お医者さんの場合には、例えば自閉症の子どもを持っている千葉の旭中央病院の大屋滋さんというお医者さんが、どうすれば自閉の子どもや自閉症の人をうまく治療できるかというようなものを研究して、スタンダードなものを少しでもつくろうとして広めているという例があります。床屋さんでうまくいっている人は、しようがないから私が宣伝して回って、お客さんは来るのですけれども、やはり自閉で手がかかる子ばかり来てしまうものですからかえって迷惑をかけているというようなことで、どこまで市場原理の方に寄与していけるのかわからない。
○棟居部会長 なるほど。例えば代わりに国なりが一定の認証のマークのようなものを付けて、ここはしっかりしているなと、ではうちの子どももちょっと行儀が悪いけれども、ちゃんと扱ってくれるのではないかといってほかに大勢親が連れてくるようになるとうまく機能するということもあるかもしれません。どうもありがとうございました。
太田委員がまず第1順位ですね。それで伊東副部会長にいきます。お待たせしました。太田さん、どうぞ。
○太田委員 今、野沢委員が提起された例外規定の延長線上の話ですが、自閉症の方々だけではないと思うのです。それは、こういう話を聞いたことがあります。クラシックコンサートに車いすの人で人工呼吸器を付けている人が鑑賞に行った。隣の席の人が劇場の人にうるさいから出ていってほしいという訴えをして、結論的には人口呼吸器の車いすの人は劇場から出されてしまったというような話を聞いています。
商品の本質を損なう場合については例外が認められる。理論上はよくわかるのですが、こういう事例を聞くと、人工呼吸を付けた車いすの人は、クラシックコンサートに未来永劫、生涯にわたって行くことができないのかと。障害者は生涯にわたって不利益な立場に置かれている構造にあると言われていましたが、そういう問題も着目しないといけないのではないかと思います。
商品の本質というのは、提供する側と提供される側のどういう認識を持ってその商品を見ているかにかかっているわけで、必ずしも固定化されたものではないと思います。少なくとも例外規定を設けるのはやむを得ないかもしれませんが、具体的な例示は極力抑えていただきたい。救済員会とか裁判で本質が問われるようしていただきたいと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。例外ということについて、余りぽんぽんと典型的にこれも例外、あれも例外とすべきではないと、個別にということですね。わかりました。
大谷委員、お願いします。今、例外の話、先ほど契約自由、どちらでも結構です。
○大谷委員 済みません、私が言う場所を間違えているのかもしれませんけれども、せっかく野沢委員が出してくれているケースで1つの考え方の道筋を私たちは踏まえた方がいいかなということで、この場で発言させていただきます。
例外をきっと考えるときに、こういう場合は一般的に例外に当たるだろう、除外事由という形になるだろうと思うのですけれども、ただし、そのことに関して合理的な配慮をすればそれは権利が実現できるというような場合には、当事者から合理的配慮の要求をされた場合には、それを提供する義務が当事者に発生する。そして、合理的配慮が提供できるかどうか、それが規律上できるにもかかわらず欠如した場合にはやはり差別の問題になるという順序かなと理解しているのです。
とすると、先ほどの歯医者さんやお医者さんなどにも大体一般に生命、身体、安全を言われるけれども、看護婦さんがこういうふうな声掛けをしてくれれば大丈夫、もしくはそのときにちょっと違うお客さんに対して静かにしてもらうようにとか、この音に関しては苦手だからこの音は発生しないように注意さえすれば、彼、彼女は非常に落ち着くというような、それも1つの配慮だと思うのですけれども、その配慮を要求する、にもかかわらずそれをしない場合には差別だということになると思うのです。
その系列だと思うので、合理的配慮の話は後だということなのできっと除外しているのかもしれませんけれども、ここだけでぽんと終わってしまうと、私たちの部会がそのことに関しては何となく一般的な差別ではない除外事由だという形で、それを前提としてしまっているような形だと問題かなと思ったので発言しました。
○棟居部会長 それは先ほど太田さんもそういうことをおっしゃっていると思います。個別にとおっしゃいました。
室長、お願いします。
○東室長 議論の整理のために分けて書いているのですが、やはり例外が認められるためには「合理的配慮を尽くしてもなお」という点が考慮されなければならないという議論が出てくるのです。ところが、これまでの合理的配慮という考え方がない時代の差別、別に法律があるわけではないのですけれども、一般的な考え方の中では、合理的配慮を考えない形でしか例外を規定しなかった、考えなかったという、そういう経緯があったと思うので、合理的配慮と例外というのは必ずセットで考えていくということが求められるのではなかろうかというようなことは後で議論していただきたいなとは思っていたところなのです。済みません。
○棟居部会長 ありがとうございました。予定の時間を大分オーバーしておりまして、私の不手際なのですが、ここで第2コーナーを終らせていただければ。ごめんなさい、伊東副部会長、どうぞ。
○伊東副部会長 伊東です。
法律関係の委員からの御見識をいただきありがたいと思っております。しかし、法律論だけでは差別禁止法ができることにならないのではないかということを思っております。
今日のお話でも、既存の法律との整合性に最初からこだわっていると、差別禁止法ができるのかなという懸念を感じます。
なぜかというと、いままでの法律が逆に障害者差別を生んできたという状況もあると思いますし、差別を救済するようなことにはなっていなかったということです。人権の視点、社会正義の視点から差別禁止を考えていただくことを是非お願いしたいと思います。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。不手際で、また今日は特に次はどなたかという記憶が非常に鈍いものですから、大変失礼いたしました。
それでは、ここで第2コーナーを終らせていただきます。これより15分の休憩を取らせていただきます。今、45分ですので、5時に再開ということになります。よろしくお願いします。

(休憩)

○棟居部会長 手元の時計で15分が経過しておりますので、再開させていただきます。
第3コーナーにつきまして、当初しておった時間は60分でございましたが、御案内のように押しております関係で、もっと短くならざるを得ません。45分といったところであろうと思います。
そこで、取り上げるテーマは3つ残っております。5番目、約款との関係、6番目、合理的配慮について、7番目、不動産に特有の問題があるかについてであります。初めに東室長から論点等について資料1に基づいて10分程度で御説明をお願いします。
○東室長 5番目の約款との関係です。これは論理的な議論ということもあるでしょうけれども、現実として、障害者を最初から排除したり、契約関係の中に入った後で障害等が出てきた場合にその利用を中止したり、合理的な配慮と言えるかどうかわかりませんけれども、特別の出費の費用を徴収するといったような約款があります。そういうものをどう考えるかということで議論していただきたいと思います。
約款というのは、正式に法律学辞典のように正確にそのまましゃべる自信は全くないのですが、一般的に言うと、取引が定型化されたような場合については、あらかじめ契約の内容をモデル化して定型化して、それをもって契約の内容とするような場合です。しかも、重要な物品のやりとりにつきましては、法が一定の内容の規制を行ったり監督を行うというような形で約款が認可されて初めて効力が生じるといったようなものもあります。
そういうことを前提に約款を3つぐらいのパターンに分けたものが後ろの方に約款の例ということで挙げております。例えば障害があることを拒否事由に挙げるものとしては、例えばスポーツクラブの会則で刺青、いろいろ書いてありますけれども、精神病疾患者というような形で入会資格がないといったことが書いてあったり、ホテルの宿泊約款では、心神耗弱などが言葉としてはあります。留学等の斡旋事業者の約款では、参加条件に関して参加者は心身ともに健康な成人で、ビザの申請条件を満たし、ビザの取得に問題のない方であること。障害という名前は入っていませんが、ここに引っ掛かる可能性もあるということが言えます。
また、途中で障害が生じる場合には契約を打ち切るといったようなことをあらかじめ書いているものもあります。賃貸借契約書のパターンであったり、これは介護老人保健施設の入所利用約款ですが、心身状態等が著しく悪化しというような形で書いてあります。
サービスの提供に伴って費用を負担させる例としては、旅行会社の旅行条件書という中には、そのような規定がございます。
以上の実例を踏まえて、こういう約款についてどう考えるかという議論をしていただきたいと思います。
次に、合理的配慮、先ほども出ましたけれども、どのような合理的配慮が必要か、また例外はどういう場合かということで、これは一般的な議論、総則的な議論をしておりますので、ここでは具体的な事例を出していただいてからイメージを共通化できればと思っているところです。
商品に関する合理的配慮というのは情報の提供が話題に上ると思うのです。しかし、それ以外に商品の売買という観点から何かあるのかどうか、事例があれば出していただきたいと思います。役務の提供、サービスに関しては合理的配慮はそれに伴っていろいろなパターンがあるという気がするのですが、ここでもこういう事例があるということを示していただければありがたいかなと思っています。
日弁連の案では、かなり詳細な例示規定が置いてありますが、こういう例示規定を必要とするかどうかということも御検討いただければと思っております。
更に7番に不動産に特有の問題はあるかということで書いております。不動産の売買については物品の提供といった辺りで包括して考えられるかと思いますけれども、特に問題になるのは賃貸借の場合が想定されます。賃貸借の場合は、役務の提供といった部分にも該当しないのではなかろうかと思いますので、そういう意味では別建てで規定する必要があるどうか、そこら辺の御議論をお願いしたいと思っています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。それでは、質疑及び議論に入らせていただきます。時間につきましては40分ほどということになります。お願いします。
なお、論点の順番につきましては、約款というのが最初に来ておりますが、合理的配慮の方はかなり議論が当然に出ると思いますので、約款の方で余り御発言がないようでしたら、合理的配慮に行かせていただく。ありがとうございます。
西村委員、お願いします。
○西村委員 ありがとうございます。西村です。
実は、約款との関係だけではなくて、合理的配慮もそのことに含めてということで意見を言わせていただきたいと思います。また、先ほど来の議論の中での予防措置とか、構造的問題とかも含めてこの約款との関係と合理的配慮については考えた方がよいと思っています。
というのは、先ほど出てきた事例の中で、例えば交通機関を利用するときに、乗せるけれども、待たされると。そのときの問題が何なのか、あるいはコンサートにおける問題はどうなのかということでのお話がありましたが、私どもが経験してきた事例等々で1つあったのが、まず旅行会社の約款がここに載っていますけれども、北海道では障害者の世界大会もやったりとかという経験がありまして、旅行会社がさまざまな障害のある方たちを受け入れるに当たって、独自の努力をしてきています。例えばアナウンスメントに当たっては、口頭だけでなくボードを用意して、集合時間が何時とか、集合場所がここであるとか、そういうある意味では合理的配慮になるのかもしれませんけれども、お客さんに対する接遇に当たりまして、事前の改善措置といいますか、予防的措置といいますか、そういうことを組み込む事例がございます。
また、先ほどの駅舎の話等々で言えば、実際、東京都内の公共交通機関につきましては、全く駅への連絡を要さない交通機関も相当数ございます。そういった交通機関につきましては、駅に行くときから乗車して降りて駅を出るまで、ほぼアクセシビリティということで駅員に対する対応を求めることも全くないところがございます。そういう意味では、構造的にあるいはさまざまな対応につきましては、それが約款なりその社の中での取組みということで位置づけることが、いわゆる障害があることによって制限や制約を受けることがない1つの担保になると思っています。
合理的配慮はそれがなければ障害者が利用できない、逆に言えばそうしたことを事前に用意しておくことで、川島委員の案文の中にも出ていますけれども、そうしたことが必要あると思います。
障害者差別禁止法は、その事業者に対して、あるいは差別をすると言われた人たちに対して罰することではなく、障害者が制限や制約を受けないことを目標にするのであればそうしたことを考える必要があると思いますし、基本法の改正の中では障害の特性についてはその機能障害によってさまざまな制限や制約を受けている状態、それも含めての障害の特性であるとしていますので、そういったところからの視点がここでは求められると思います。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。時間はありませんけれども、今、約款と合理的配慮、私は先ほど区別しましたけれども、あえて西村委員は両者複合しておると。特に合理的配慮を言わば約款という形で定型化して組み込んで、ここまではします、それはいい面もあります。だけれども、これ以上はしませんよという形であるラインを引いている、それは違うのではないか。むしろ都内の一部の公共交通機関の駅で見られるように、一切そういう個別の対応を必要としない。
つまり、エレベーター等の設備が充実しておって、何の連絡も必要なしに普通にアクセスする、駅に入って電車に乗り、そして駅を去ることが可能な、そういう予防的構造的な措置という、そちらの方をむしろ重視すべきであると。決して合理的配慮を何か約款で定型化して、事前にこういう条件を示しておるのだから従いなさいという、そちらの構造化ではなくて、もっと事前に問題の本質を解決するような、言わばハード面の構造化を考えるべきだという御指摘と受け止めました。ありがとうございました。
ということで、約款と合理的配慮を組み合わせた議論も早速していただいておるところでございます。以下、順番は問いません。
大谷委員、どうぞ。
○大谷委員 大谷です。
野沢さんが先に帰られてしまうというようなことをちらっと今お見かけしましたので、おられるときに具体的にどういうふうに考えたらいいのか、またどういうようなシステムもしくは約款的なものがあり得るのか御意見を伺っておきたいなと思ったことがあります。
この位置づけに関して、私が第1部にいなかったものですから、確認していないのですけれども、参考資料2として出されている差別事例等の調査がありまして、そこでいろいろ差別が具体的にこういうようなものがあるということで収集されているようなのですけれども、気になるのは、いわゆる契約行為に当たっての知的障害、発達障害の人も含めた意思決定支援なのです。これを合理的配慮として具体的にどういうふうなことを用意しておくべきかどうかということなのです。
例えばこの中でも差別の例として、知的障害がわかったら何か高いものを買わされたとか、逆に相手にしてくれなかったとか、わかりやすく説明してくれたら金融機関でももっと契約ができたはずなのに、その工夫がされなかったというようなことがケースとして出されているのです。ですから、意思決定支援、要するに合理的配慮として、例えば知的障害の人にわかりやすく契約内容を説明し、契約内容に彼らの求めた方向での支援をしていく。わかりやすくというところまでは何となく配慮かなと思うのだけれども、決定支援というか、何を求めているのかというようなサービスを提供する方側がそれをしておくというようなことも一般的にこれから想定されるのではないかと思うのですが、野沢委員がもしそういうケースで知的障害の方でどんなふうなものが必要であり、それが具体的に類型化されるのか、もしくは類型化しない方がいいのかどうかも含めて、御意見があったら伺っておきたいと思いました。
○棟居部会長 野沢委員、お願いします。
○野沢委員 とても難しい御質問をいただきまして、知的障害や発達障害の方たちのコミュニケーション支援、その根っこには意思決定の支援があるわけですけれども、個人的な体験しか私は話すことはできませんが、すごく難しいところなのです。育成会というところで知的障害の人のための新聞というのをもう20年近くつくっているのです。それは本人たちにも入ってもらって、文字情報でのやり取りができる人たちに入ってもらって、彼らにどういう文章ならわかるのかみたいなことをやっているのですが、なかなかスタンダードなものはできない。でも、それでも幾つかいろんな決まりみたいなものは幾つかできてくるのです。それは例えば二重否定を使わないとか、1つの文節を短くするだとか、漢字は必要最低限にするだとか、単純な構造にしておくとか、比喩は使わないとかいろんなルールがあるわけです。
それともう一つ、発達障害の方たちの場合には、絵記号だとかイラストだとか、そういう視覚的に構造化されたコミュニケーションツールを用いると、非常に見通しがききやすくて本人たちのコミュニケーションがスムーズに行くというのはかなり国内外で積み上げられてきた知見がありますので、そういうものを取り入れた、知的障害の人向けではないのですけれども、マクドナルドとか、そういう一般のお店などでもそういう構造化されたものというのはアメリカの辺りで拝見されていますけれども、積み上げられてきたようなものもありますし、全部が全部決定的なものというのは言えませんし、個別によって相当違うと思うのですけれども、それでもある程度通用するものというのはいろんな形で今研究成果、実践によるものというのはできてきているので、せめてそのぐらいは使っていただいたら随分違うのではないかということを思っております。
○棟居部会長 今のは、要するに合理的配慮という個別の話以前に、もうできることはやっておくという研究が進んでいる、それを実践しているところもあるという御指摘ですね。
松井委員にいってよろしいでしょうか。ほかにどなたかおられませんね。
松井委員、お願いします。
○松井委員 ありがとうございます。松井です。
先ほどの大谷委員からの発言にも関連するのですけれども、意思決定支援ということでは、成年後見制度が実は非常に問題があると思うのです。そういう意味では、今後、差別禁止法をめぐって個別法との関連をどうするかという問題が出てきますけれども、これも池原委員が専門かもわかりませんが、そこの見直しをきちんとすべきではないかと思います。その点についてこれから議論するわけにはいけないと思いますけれども、将来の議論の中に含めていただきたいと思いますので。
○棟居部会長 ありがとうございました。ほかに御発言はいかがでしょうか。
今、池原委員のお名前が挙がりましたが、その点は後日ということではあるのですが、よろしいですか。
太田委員、お願いします。
○太田委員 太田です。
合理的配慮との関係は大変重要ではありますが、この約款の例を見ると、例の記述は偏見に基づく約款ですよね。私の知り合いも専門のクラブに行っていました。そこのスポーツクラブのところに精神障害の方は入会できませんとか、堂々と書いてあるクラブがあったそうで、合理的配慮というのも大事ですが、偏見に基づく約款というものは、何が何でもなくしていく必要があると思います。そこに合理的な理由が何も見出せないと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
川島委員、お願いします。
○川島委員 ありがとうございます。約款の部分につきまして、私の理解は、委員提出資料の6ページにあります、第3条2項が不均等待遇の定義なのですが、これが約款との関係で適用されると思っています。この第2項では、障害または障害に関連する事由に基づく行為または基準が、と書いてあります。これが障害のある人に実質的不利をもたらす場合に不均等待遇、つまり、差別になる。行為または基準とありまして、基準とは何かというと、第3項に、基準というのはかなり広く、制度とか慣行とか慣習とか観念とか規定とか、すべてを含むと。つまり、約款が実質的に障害のある人に不利をもたらす。相手側が目的が正当でその達成する手段が適切であることを証明しない限り、その約款は違法な差別になり得ると考えております。
次に、合理的配慮につきましては、7ページ、第3条5項、合理的配慮というのが基本的には3つの側面から成る。第5項1号が物事の決め方ややり方の変更です。2項が建物等の物理的形状の変更、3項が補助手段の提供になります。4番で特に情報について、これはイギリスの経験なのですけれども、情報というのが基本的重要性を持つので、1項と3項については特に情報というものが提供されなければならないことを明記する。合理的配慮の例外事項を第6項に書きまして、これはサービス、役務、商品とかにかかわらず、基本的にすべてに妥当すると思っているのですが、4つ挙げられると思います。
1番目は事柄の本質を変更すること、2番目が財政上その他の過剰な負担を伴うこと、3番目が第三者に著しい損害を与えること。4番目が重要だと思うのですけれども、障害の存在を知り得なかった状態、この場合は著しい困難に入ると考えておりまして、合理的配慮については一応こういうような例示規定を設ける必要があるとは思っております。
○棟居部会長 ありがとうございました。今、川島委員が御自身の案の該当箇所について合理的配慮、具体的な考え方をお示しになりましたが、それとの比較という意味も込めまして、日弁連案については合理的配慮で特に非常に具体的にいろいろ挙がっておるという点が先ほど御説明のあった室長のメモでも、日弁連法案概要では詳細な規定がある例示規定が必要であるかどうか、こういう問題提起を投げかけられておるわけです。
つまり、川島委員のようにある意味アバウトなというのか、それ自体また解釈を要する概念を並べていくやり方ではなくて、日弁連の方は相当マニュアルに近い、よかれ悪しかれ相当明確な書きぶりなのですけれども、ここまでの必要があるのかということについて、大谷委員、お答えになりますか。あるいは池原委員、あるいは室長からこの問題意識をもう少し敷衍していただいた方がいいですか。
○大谷委員 竹下先生、よろしいですか。
○東室長 総論的な議論ですべてが収まれば川島先生の御意見で別にいいと思うのです。ただ、やはり各論においてここはこう書いておかないとわからないとかという部分は例示規定という形で盛り込む必要があるのだろうと私は個人的には思うのですが、その点はどう考えられるか。やはり総則の部分は一般的、抽象的な形で書かざるを得ない。それをどう補充するかという観点から最低限、これだけはというような形で御議論いただければと思っているところです。
○棟居部会長 今の敷衍を踏まえましていかがでしょう。大谷委員あるいは池原委員、お答えになれますか。それとも竹下副部会長。
では、竹下副部会長、お願いします。
○竹下副部会長 竹下です。
結論から言えば、各項目ごとに規定を設けることは、少なくともこの差別禁止法の要綱をつくる段階では必要だろうと思うのです。
その理由は2つあって、どうしても差別規定というものが抽象化されてしまうと行動規範といいますか、社会的な規範として果たすべき目標との関係でよくないのではないかというのと、もう一つは、個別ごとに国民に対してイメージを提示するというのでしょうか、わかりやすくするという点から必要だろうと思っているのです。その各項目ごとに規定が設けられた最後の段階で、それを並べてみるといいますか、通して見たときにそれを一般化できる、あるいは統一化できるようになれば、立法化の作業に結びつくのではないのかなと思うのですが、いかがでしょうか。
○棟居部会長 ありがとうございました。何か補足をされますか。
川内委員、お願いします。
○川内委員 私の分野だと法律があって当然施行令とか規則があって、その下にガイドラインというものがあるわけです。実際にガイドラインというのは法的な規制力はないわけですけれども、実際には多くの方が、具体的にどう設計していけばいいかわからないので、ガイドラインが実質的なやるレベルというか、整備のレベルとして使われているわけですけれども、法律本体に入れるのか、どのレベルで入れていくのかというのは1つ議論の余地があるだろうと思います。
もう一つは、いろいろ社会の変化によって例示が妥当でなくなる場合があります。ですから、バリアフリー新法では法律制定の5年後に検討を加えるということも入れてしまっているのです。そういう見直し規定を入れるというのも1つの考え方かもしれません。ただ、ADAのようにつくられてから随分長い間改正ができなかったというのは、見直しをすることによって、反対勢力によってADAが後戻りするのではないかという懸念があって改正できなかったという理由があったと聞いていますので、見直し規定というのを安易に入れていいのかどうかというのは疑問はありますけれども、もしもより世の中の事情に合わせたものにするならば、見直し規定というのはあると思います。
例えば先ほどのコンサートホールに行くときに大声を出す人がいるとか、呼吸器がうるさいとかという話がありましたけれども、現在では赤ん坊を連れてコンサートを聞きたいというお母さんたちがいて、その方たちのために防音室の付いた小部屋を別につくっていまして、そこで鑑賞してもらうということがあるのです。そうすると、先ほどの千葉県の条例のような例えばこういう例だというのは逆に足を引っ張ることになってしまうのです。ですから、時代時代によっていろいろなやり方が出てくるわけですから、それを反映できるような形にしておくべきだろうと思います。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
山本委員、お願いします。
○山本委員 こういう問題があるということの指摘と、更に質問をしたいと思います。
合理的配慮義務については、前の部会でも話題になったかと思いますが、合理的配慮義務があるとして、その義務が履行されていないときにどのような効果を認めるかということが更に問題になると思います。合理的配慮義務があるにもかかわらず、その義務を履行していないときに、損害賠償を求めるというのはまだわかりやすいのですが、履行請求あるいは履行強制まで含めて、そういったものが認められるかどうかはもう一つの問題だと思います。
日弁連の案の中で言いますと、1ページ目の2の合理的配慮義務が幾つかありますが、例えば(3)で、サービス提供するに当たり、障害のある人がサービスを利用することを容易にするための補助機器及び人的援助を提供することというのがあります。こういうものを提供せよという請求ができるのか。提供しないときに自分で補助機器や人的援助に当たるものを調達して、その費用を請求することができるのか。そこまでお考えなのかどうかというのが質問です。
これは抽象的に書かれていますけれども、川島委員のお考えについても当てはまる質問ではないかと思います。少なくともこのような論点があるということは、問題提起しておきたいと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。日弁連の今の合理的配慮、1~5まで並んでおりますけれども、これは今の山本委員の御理解というか、普通に読めばそうなのでしょうけれども、例えば3ということについて障害者の方から逆に求めていくということですね。これはどれかを施設というか事業者なりのサービス提供者の側がどれかを選べると、つまり、あなたに介助員を連れてきてもらってもいいし、しかし、我々の方で手助けもしますよという、それをこちらで選ばせてもらうというふうにサービス提供者の側で選べるという話というわけではないのですか。
大谷委員、お願いします。
○大谷委員 大谷です。
とにかく合理的配慮に関してはいろんなバリエーションがあるだろうと。調整と変更というからには、障害のある人が要求し、提供する側がこれを提供するといった形で合致すればいいけれども、合致できない場合には調整していくということになるだろうと思う。ただし、最終的に権利条約が言っているのは、それがないときは差別だということを踏まえて、それがない、できないと言ったときの効果を私たちも履行義務まで要求できるのか、それとも金銭補償になるのかということに関しては非常に難しい問題があると。特に我が国の救済体系からすると、直ちに履行義務まで課すと言うことに関しては、特別な法律がない限りは正直難しい。
先回、私が紹介させていただいた仮の義務づけ訴訟でやっと行政行為になって初めて仮の義務づけを課すことができるといったところで、ある種応諾義務、合理的配慮のある種の履行義務が課せられるといった形で、やっとそこが行政行為に関して出てきた。いわんや、私的契約においていきなり履行要求をするということは、我々法律実務家も正直申し上げてなかなか実現は難しいかなと思っております。ただし、それがないことは差別だということを認識した上でその差別の解消に向けて社会がどのようなものを用意していくかということを検討していくというスタンスに立つべきだということで形をつくっていこうと思っています。
○棟居部会長 室長、お願いします。
○東室長 その前に、例えばこの差別禁止法の中で一定の要件を付した上で、例えば履行を義務づけないと権利保全という観点で極めて問題があるというような場合には、裁判所の判断でそういう命令をできるといったような規定はそもそもつくれるのか、つくれないのか、山本先生、そこら辺はどうなのでしょうか。
○棟居部会長 どうされますか。では、先に竹下副部会長。日弁連はまだそこまで用意してないですか。多分ここでまた応答が繰り返されると思いますので、副部会長、お願いします。
○竹下副部会長 先ほどの山本先生の質問に対する答えが大谷先生の答えで足りているのかどうかよくわかりませんが、私は単刀直入に言えば、日弁連がこれを議論したときには、障害者の側からの請求が成り立つ構成を議論した記憶があるのです。
それは2つ理由がありまして、これらの裁判例では一番典型的な例で言いますと、例えばバリアフリー化しろ、あるいはエレベーターを設置しろという裁判を提起した場合に、ことごとく裁判所から示される判断は、それを求める根拠規定がないということです。あるいは、合理的配慮の関係で言いますと、私の担当した事件でもあるのですが、例えば児童扶養手当が当該受給対象者である聴覚障害者に届く形で情報提供されていないではないかということが問題になった事件についても、大阪高裁、最高裁は、それらについて周知徹底を義務づける規定が存在しないということを理由にして棄却しているわけです。
そういう言わば裁判例の流れを踏まえた場合、少なくとも差別を社会から排除するための障害者の側からの積極的な行動を基礎づける規定というものが必要ではないかという議論があったことが1つだと思うのです。
もう一つは、ではそれが直ちに裁判によって求めることができるかということについては確かに疑問があると思うのです。例えば非常に表現が不適切かどうかわかりませんが、京都駅にエレベーターを付けろというだけでは裁判としても成り立たない可能性があるわけです。そうではなくて、そうした請求を受けとめるべき第三者機関あるいは調整機関というものが存在し、そうした第三者機関によって対応する。場合によっては現行の民事訴訟の下で、仮に訴訟として提起されたときに付調停としたうえで、その内容からして調停事項になじむものとして調停という形で、あるいは第三者機関による調整という形での解決を図るという、言わば法的な構造はあり得るのではないかと思っています。
以上です。
○棟居部会長 山本委員、コメントをもしお願いできれば。
○山本委員 問題がどう難しいのかという説明だけかもしれません。立法によって履行請求まで強制する規定を定めることができないかというと、できるとは思いますが、そこで考えないといけないのが、先ほど申し上げたことと少し重なることですけれども、まだ契約を締結していない、これから締結する段階での配慮を求めていくケースは特にそうなのですけれども、契約の締結を強制するのと同じような意味を持ってくるという側面があるということです。つまり、一定の合理的配慮、法的に言えば贈与をせよという請求を契約をまだしていないにもかかわらず強制していくことになりますので、そのような負担を先ほどのXとYで言うとYに課すことが本当に過剰な制約になっていないかどうかということが問われると思います。
既に契約が締結された中での問題は、それよりは少し小さい問題になるかもしれませんけれども、本質的には同じ問題ではないかと思います。
○棟居部会長 なお、私、大分以前ですけれども、そういう合理的配慮不作為請求権みたいなものがなかなかなじまないのではないかなと思いまして、合理的配慮をしなければ差別であるという、結局差別ということで公表されたり損害賠償請求をされたり、それが嫌であれば合理的配慮に乗るしかない、こういうふうに割と現行法に組み込んでいく方法はないかという、そういう頭出しをしたのですけれども、あの時点では極めて評判などは詳しくなかったという記憶を持っております。どうも大変お待たせしました。松井委員、お願いします。
○松井委員 ありがとうございます。
ベーシックなことに戻ってしまうかわかりませんけれども、合理的配慮はAさん、Bさん、Cさんにとって別々のものが必要なので、Aさんにとっての合理的配慮は一体何なのか。また過度の負担についても、何が過度の負担なのかという判断についても、個別にやらなければいけないわけですけれども、その意味では最終的には裁判所に行くわけでしょうけれども、いわゆる第三者機関、川島委員が障害者権利委員会というのを提案されていますが、そういう裁判所あるいは第三者機関より更に簡易な方法が必要かもわかりません。そういうことも含めて将来これをどう履行するのかということについては議論をしていただきたいと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
浅倉委員、お手が挙がりました。お願いします。
○浅倉委員 重複すると思うのですが、発言させていただきます。例えば労働法の方で、男女雇用均等法をつくるときに救済機関をどうするかという議論をしたことがありました。そのときに山本先生が先ほどからお話になっている締約強制ができるのかどうかも議論になりました。差別は違法である、ということになったとしても、入口の場合の募集・採用のところでの差別をした場合に、労働法の理論では、不法行為に該当し、損害賠償までは請求することができるという理論が成り立つと思います。ただし、損害賠償を超えて、裁判になったときに採用をするように履行強制できるのか、すなわち締約強制できるのかというところについては、学説も否定的でありました。
ただし、現状の制度の中では労働委員会という制度があります。すなわち行政委員会なのですけれども、労働委員会が出す救済命令には、特定の履行強制もありうると言われています。すなわち労働委員会命令が出す不当労働行為の救済命令には、使用者に対する何らかの作為命令が含まれます。したがって、男女雇用機会均等法を議論するときに私たちは行政委員会としての救済命令を出せるような制度が必要だという議論をしておりました。現実にはこれが実現しなかったのは残念だと思っています。
現状では、行政委員会という仕組みではなく、労働法上は、多くの場合、個別紛争解決として行政機関による紛争の相談、助言、指導、あっせんなどが行われています。とくに均等法やパートタイム労働法では、それぞれの法律が定めるところによって、「勧告」までなされる、ということになっています。また、当事者が必要と認めるときには、「調停」が行われます。障害者差別禁止法においても、労働関係について、どこまで「強制」ができるかというのは、他の労働関係の差別問題の救済と関連してきますので、労働法全体のシステムと照らし合わせながら、一度議論していただければと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。不手際で残り5分少々になっておりますが、不動産に特有の問題があるやなしやという最後の論点につきましてお願いできればと思います。特有の問題があるのかということですから、これはこれまでの議論の中に吸収できるのではないかという見立てで室長は論点として挙げておると思うのですけれども、しかし、別の立て方をする例が多いというのですか。
室長、お願いします。
○東室長 賃貸という形の部分が役務提供というものに含んでいると考えられればそれはそれでいいと思うのですが、それができるかどうかというところを確認していただければと思います。
○棟居部会長 川内委員、お願いします。
○川内委員 今の室長の疑問とは違うのかもしれませんが、原状復帰というのが不動産の場合には必ず議論としてあります。例えば多くの賃貸住宅というのは車いす用にできていないわけで、車いす使用者が使えるようにするために改造させてくださいということがあります。改造費用は自腹でやりますと。やって済んだ後、契約解除して出ていくときに、元に戻してくださいというのがあって、それをだれの費用でやるのかとか、あるいは元に戻さなければいけないのかというのは常に賃貸契約のときには出てきます。
○棟居部会長 ありがとうございました。先ほど私、事前には室長からそういう論点も伺っておりました。
山本委員、どうぞ。
○山本委員 手を挙げていましたのは、まさに今指摘された問題が不動産の賃貸借の場合では特有の問題としてあるということです。
原状に回復する義務は、賃貸借契約では一般的にある義務です。それ以外にここで問題になり得るのは、今も出ていましたけれども、改造について承諾を求めたときに、賃貸人は必ず承諾をしなければならないのかという問題です。費用をどうするかということも勿論ありますけれども、承諾を拒絶する自由があるのかないのかということが、論点としてまずあります。
もう一つは、承諾を要するか要しないかは別として、改造が行われて、そして契約が終了したときに、今おっしゃられたように、原状に回復する義務があるのかないのかということと同時に、現在の賃貸借に関する民法のルールですと、終わったときに賃借物の価値が高まっていた場合は、貸主はそれで利益を得ることになりますので、借主は貸主に有益費を償還請求できると定められています。それは、有益費としてかけた費用をそのまま返還請求できるかというと、必ずしもそうではなくて、価値が現在残っているという要件もありますけれども、ともかく、そのような形で有益費償還請求権が民法には定められています。
これによりますと、手すりなど、改造されていて、価値が高まっているので、この有益費として償還請求できるかという論点も考えられます。これは、私が知っている限りではこれまで議論されていないのではないかと思いますけれども、今回そういう問題があることに気づかされました。
○棟居部会長 ありがとうございました。
池原委員、お願いします。
○池原委員 あともう一点ですけれども、不動産に関して、不動産というくくりで書いているわけですけれども、考えてみるとここに表れているのは基本的には地域生活をする権利とかなり密接に関係があって、つまり、差別禁止法との関係では、不動産と言っても、住居、地域に住む場所ということに大きいファクターがあると思うのです。だから、通常の役務とか財貨も勿論地域生活をしていくために必要性は高いのだけれども、住居がなければそもそも地域生活ができないので、そういう意味で差別禁止法であえて不動産というのをくくり出していくとすると、権利条約の19条辺りの関係が思想的な背景にあると考えてくくり出していった方がいいのではないかと思います。
○棟居部会長 それはつまり不動産と言っても、事務所とかとは違ってまさに家だと、住む場所だと、その地域のメンバーになるというニュアンスでおっしゃっているのですか。
○池原委員 基本的にはそうかと思います。
○棟居部会長 伊藤委員、お手が挙がっていました。失礼しました。
○伊藤委員 感覚的な話になってしまいますが、不動産については、提供拒否以外に、粗悪物件を提供するというようなことが想定されないかと思っています。賃貸の契約をするに当たって、業者から説明を受けて同意をしていくなど手続がかなり細かくあると思っていまして、そういう点ではほかの役務と違うところがあるのではないかと思っています。ただ、差別事例の参考資料2を見ますと、デパートや商店で商品を買うときに差別的に取り扱うという話がありますし、どこまで差を付けられるかとは思いますが、やはり引越しをして生活拠点を移転させるという点も踏まえれば、やはり大きい違いがあるのではないかというようにも考えました。
この点について更に重要なのは、先ほど話がありましたけれども、やはり決定支援の実効ある仕組みだと思っています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。ほぼ時間が尽きかけております。川内委員と浅倉委員ですね。
○川内委員 時間がなくて済みません。今、借りられるか借りられないかという決定の話もありましたけれども、そもそも選択肢がないというのがその前にあるのです。例えばホテルなどだと、最近だと全客室数の2%ぐらいアクセシブルな部屋を設けるとか、そういう目安があるわけですけれども、住宅の場合にはそういうのがないわけです。一般的には共用部分についてのアクセシビリティの要求はあるのですけれども、個別住戸のドアの中はもう規定はないとなります。
そうすると、車いすを使う方がたとえ少々中を改造しても、使えない例はたくさんあって、私の知っている方でも賃貸住宅に入っている車いすを使っている方で自分の家のお風呂を使ったことがないという人は結構たくさんいます。そういうふうな中で、例えば部屋数の何%はアクセシブルな部屋にしなさいとかということの要求が法的にできるのかどうかというのは1つ。
車いすを使っている人間としてはそういうのをやっていただかないと選択肢そのものがなくなっている中で借りるとか借りないとか、ちょこっと入り口の段差を改造するという話しかできなくて、結局トイレとかお風呂は満足に使えないというような賃貸住宅がいっぱいあるわけです。その辺の問題が根本的にあると思います。
○棟居部会長 今の問題は例えば大規模な地震が起きたりして出なければいけないというときに、1人では車いすを幾ら押しても動きようがないというような安全にも関わってきますね。それは一定規模以上はそういう安全というくくりでどうにかなりそうに個人としては思いました。
失礼しました。浅倉委員、お待たせしました。
○浅倉委員 時間がないのに申し訳ありません。
資料の日弁連案の3ページの一番上を見ているのですが、適用除外として小規模居住用建物というのが出てきます。3の適用除外ですので差別の定義の適用除外なので、これが除外されると考える理由は何か、というのが1つの質問です。
さらに、議論がまた戻ってしまって申し訳ないのですが、今日の議論の4番目のところで契約自由との関係で、閉鎖的なメンバーズクラブというのを対象外にするか、例外規定と対象にするかという議論があります。これは、どちらかというと例外的なものとして除外しているように読めるのです。たしかに先ほどからゴルフクラブ等をめぐる判例でも、この点が判断されてきたように思います。しかし、この部会でのさきほどからの議論の中では、スポーツクラブのような会員制のクラブでも、当然利用可能でなければいけないし、それを拒否することは差別に当たるという議論がありました。私も、いくら閉鎖的なメンバーを特定するものであっても、利用権としては差別してはいけないのではないかと考えています。改めてこの点を補充させていただきます。
○棟居部会長 私、よけいなことですが、ゴルフクラブについては結社の自由というのを持ち出すという、かなりそれこそ憲法上のまさに閉鎖する権利があるではないかという、これはかなり大きな壁になっているかと思います。
日弁連案について、大谷委員あるいは池原委員、今の疑問点に。
○池原委員 池原です。適切な答弁ができなくて申し訳ないのですけれども、多分これは例の言わばサービス提供とかの主体の問題で業としてとか、そういうことが今日の最初の論点でありましたけれども、恐らく非常に小規模であって1世帯にだけしか貸しておられないような大家さんであると、ある意味では過度の負担になったりするのかなという方向性で多分考えたものではないかと思いますが、御指摘いただくと適切なのかどうか、今、振り返ってみるとやや疑問があるように思います。
○棟居部会長 大谷委員、よろしいですか。
○大谷委員 済みません、弁解がましくて、2007年につくったときには余り深く考えないで、ちょっと小さいからかわいそうかなぐらいな感じだったのかなと、思い出せないのですけれども、問題があるかなと思います。
その次の生命、身体、財産の保護のため、やむを得ない必要がある場合、これも適用除外の中に例示するというのも不適切な表現だったかなと今思えば思いますので、それらも2007年の限界を踏まえて、私たちもこれを見直さなければいけないのではないかなと思いました。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。時間が尽きました。合理的配慮については特に今後何度もまた戻れると思います。ということで、以上で第3コーナーを終わります。本日の議事はこれで終了いたしました。最後に東室長から次回の予定等について御報告をお願いします。
○東室長 東です。今日はどうも御苦労様でした。次回は、第15回になります。3月9日14~18時までの予定であります。
日常生活の中の医療という分野で議論いただきたいと思います。中間的な議論の整理といいますか、その部分についても時間を割く予定でおります。
16回が3月16日で同じ時間帯でありますが、ここでは議論の中間的な整理をするということです。
以上が今後の予定でありますけれども、1点だけお願いがあります。余り強くは言えないのですが、情報保障という観点から、委員の皆様から提出していただく資料、意見等はできれば1週間前に出していただければと思います。点字とかという関係でお願いしたいわけです。
ということを言うと、では、担当室から送ってくる資料はなんだと、いつ送ってくるのだという御批判があるかなとは思っておりますので、こちらも一生懸命頑張りますので、その点よろしくお願いしたいと思っております。
以上でございます。ありがとうございました。
○棟居部会長 ありがとうございました。本日の差別禁止部会の概要につきまして、この後、記者会見において、私と伊東副部会長、竹下副部会長、東室長から説明させていただきます。
川内委員、お願いします。
○川内委員 今日の議論は今日の議論として、今までずっと議論をやってきて、私個人かもしれませんけれども、先が見えないというのがあるのです。すごく項目が広くて議論しなければいけないことはたくさんあるし、例えば障害の定義とか合理的配慮とか非常に基本的なところもまだ固まっているようには全然思えない。毎回毎回こうやって議論、いろんな意見が出てくる、それを聞いているけれども、それぞれの毎回の議論の中で、ではこれは法律案の中に入れていきましょうとかということも固まらないわけですね。項目出し、今、頭出しをやっていてこれだけすごい手間なのに、これを実際の条文というかある形にはめていこうとすると、また逐条的にいろいろと問題が出てくるだろうと思います。
そうすると、いつそれをやる作業ができるのかというのを今これだけの手間、丁寧にやってらっしゃるのはわかりますが、まるでその見当がつかないのです。室長の頭の中にはこういうスケジュールでというのがあるのだろうと思うのですが、それが私たちに見えないというのがとても不安というか、これでどこまでいくのだろう。特にもう一つの総合福祉部会の方がかなり混乱を来していますけれども、そういうふうなことにならないのかどうかというのがあるのです。
個人的にはもう既に起草ワーキンググループみたいなものをつくってそれぞれの毎回の議論でできたことに対して、ある型の中にはめていくような作業を並行していかないと、今のやり方だと本当に間に合うのかという感じがしています。
○棟居部会長 室長、お願いします。
○東室長 おっしゃるとおりだと思います。ただ、例えば今日の議論で言いますと、一番基本的な日本の法制度の枠組みの中でどう位置づけられるかという議論はどこかでしておかなければならない。その上で、具体的にどういう形にしていくかというところをやっていかなければなりませんが、4月は残った各論がもう少しこういう形で議論が必要だと思っています。その上であくまでもイメージでしかないのですが、5、6、7ぐらいはかなりこれまでの議論を整理した形が見えていくような形で議論をしていく必要があると思っています。8月ぐらいにはあるべき差別禁止法についての骨格提言みたいなものをまとめるということを考えると、1か月とかに1回とかという話ではなくて、極端に言えば月に4回になるかもしれませんけれども、状況を見ながら考えていきたいとは思っているところです。
○棟居部会長 法案について具体的なアンケート取りというのはもうないですか。以前、意見を聴取しましたね。差別の類型について幾つ設けるかとか。
○東室長 アンケート取りというか、そういう皆さんの意見をまとめていただく作業をこの部会の中でやっていく必要がありますので、そのためにかなり時間を食うと思うのです。今、この中に専門部会的なものを作ってというやり方もあるのではないかみたいな御発言をいただきましたので、いろいろと工夫しながら皆さん方からもこういうやり方がいいのではないかという御提案があればそれも踏まえながらやっていきたいと思っています。
4月からは政策委員会という形で衣替えするということもありますので、新たなステージで頑張っていきたいなと思っていますので、よろしくお願いします。そういうようなところでいいでしょうか。済みません。
○棟居部会長 もう時間が来ておりますが、太田委員、どうぞ。
○太田委員 以前、室長は3月に中間まとめをするとおっしゃっていたような気がするのですが、中間まとめはされるのでしょうか。
○東室長 東です。今も予定で申しましたけれども、議論の中間的な整理をするということで1.5期日ぐらいを時間的には割く予定です。まだ具体的に結論部分までまとめるといった作業は恐らく不可能だと思うのです。何かを決めてここはこうしましょうということではありません。勿論、決まったところもあると思いますけれども、その前提としてどういう議論があったとかというところをまとめていくという作業しかできないと思っています。ですから、中間まとめという私の表現が誤解を与えたかもしれませんけれども、まずは一旦ここで議論を整理して、4月の政策委員会に引き継ぐという意味でやりたいということです。よろしゅうございましょうか。
○太田委員 3月に整理をされるということですね。
○東室長 整理をしていきたいと思っています。
○棟居部会長 それでは、ありがとうございました。時間が来ましたので、これで終わらせていただきます。どうも本日はありがとうございました。

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