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障がい者制度改革推進会議 差別禁止部会(第21回)
議事録

○ 棟居部会長 定刻になりましたので、これより第21回「障がい者制度改革推進会議差別禁止部会」を開催させていただきます。
差別禁止部会は傍聴希望の方に、所定の手続を経て公開しております。また、会議の模様はインターネットを通じても幅広く情報提供いたします。
なお、御発言に際してのお願いとして、発言を求めるときはまず挙手いただき、指名を受けた後、御自身のお名前を述べられてから可能な限りゆっくりと御発言いただくよう、お願いいたします。
本日の会議は18時までを予定しております。
それでは、東室長から委員、オブザーバー及び専門協力員の出席状況と資料説明をお願いします。
○東室長 こんにちは。担当室の東です。
まず、本日の出欠状況でありますが、本日は永野専門協力員が御欠席であります。
現在、大谷委員、引馬専門協力員、竹下委員がおられませんが、交通事情等で遅れていますけれども、着かれると思います。
また、山崎委員が途中退席ということであります。
その他の委員、オブザーバー、専門協力員の皆さんは御出席です。
ところで、第1回の政策委員会が7月23日の月曜日に開催されることになりました。したがいまして、今回が障がい者制度改革推進会議の下での部会としては最後の部会となります。
今日のテーマでありますけれども、本日は障害を理由とする差別の禁止に関する法律の制定等に関する差別禁止部会の意見ということで、部会三役の原案1といったものに基づいて御議論をしていただくことになります。
部会の意見のまとめ方につきましては、前回の議論を踏まえまして、その結果として基本的には2つの視点を考えております。
1つは各項目にわたって、基本的な考え方や部会での議論を明らかにするといった点です。
2点目としては、特になぜそうなのかといった根拠とか理由について、一般市民の皆様にもわかりやすいといった点を重視してまとめる。そういった観点につきましては後で部会長の方からも御説明があると思いますけれども、そういう観点から部会三役の方でごらんのような形でまとめていただいております。
なお、今後のスケジュールはメールでもお知らせしておりますが、次のとおりです。
まず7月27日金曜日が総論2ということで、国等の責務、その他としてハラスメント、欠格条項、複合差別、救済の在り方といったものをテーマとしてやる予定です。
8月17日は各論1ということで、雇用、就労、司法手続、政治参加、公共的施設及び交通施設、最後に情報といった分野について意見をまとめたいと思っております。
8月31日は各論2であります。教育、商品、役務、不動産の利用、医療、資格取得、婚姻、妊娠、出産、養育等の分野であります。
そういった議論を前提に、9月14日の金曜日にまとめができ上がればなと思っておりますが、万が一のために予備日として9月28日をとっているところです。
以上がスケジュールですが、本日は同じように15分の休憩を2回とることとして、3つのコーナーに分けて進行していきます。
第1のコーナーは60分で「はじめに」「第1、理念」「第2、目的」「第3、障害の定義」について検討をお願いいたします。最初に部会長の方から10分程度で御報告いただき、その後、質疑及び討論ということになります。
第2コーナーも60分ほどを予定しておりまして「第4、差別の定義」の「1、禁止されるべき差別の形態」と「2、不均等待遇」について御検討をお願いします。これにつきましても部会長の方から10分程度御報告いただき、その後、討論といったことになります。
第3コーナーも時間配分としては60分ほどを予定しております。「第4、差別の定義」の「3、合理的配慮の不提供」について御検討お願いいたします。これにつきましても同様で、部会長の方から10分ほど御報告いただいて、議論というふうに予定しております。
次に、資料の確認でございますが、資料1は「『障害を理由とする差別の禁止に関する法律の制定等』に関する差別禁止部会の意見(部会三役の原案1)」。
委員提出資料として浅倉委員、池原委員、大谷委員3名提出の「障害者差別禁止法要綱(案)」がございます。
また、皆様方には太田委員より今日お持ちですが、当日資料として障害者権利条約日英対訳とコメントという冊子が配られております。
以上、お手元にございますでしょうか。御確認ください。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございます。
それでは、議事に入らせていただきます。第1コーナーは60分で「はじめに」「第1、理念」「第2、目的」「第3、障害の定義」について私から10分程度、もっと短くなるかと思いますけれども、簡単に御報告をさせていただきます。
お手元の資料1をごらんください。なお、冒頭忘れないうちに一言申し上げさせていただきますが、部会三役で条文案というものを示さないのかといった御意見あるいは御疑問があるかもわかりません。というのは、委員の先生方が例えば浅倉先生、池原先生、大谷先生、3名連名で提出資料として提出いただいておるものは、障害者差別禁止法要綱(案)ということで、まさに条文の体裁で御提出をいただいておるからであります。また、従前より川島委員の方から詳細な条文案もちょうだいしておるところであります。
ということで、部会三役が条文案を示さないのか。自信がないのではないかとか、ようつくらないのではないかとか、勿論それも法律のプロフェッショナルである竹下先生にお任せすれば、きれいなものに仕上がるかもしれませんが、むしろ我々としましてはそういう条文という形よりも、まず理念といいますか、基本的な考え方をお示しをしたい。つまり、ここではあくまで差別禁止部会としての意見の集約を図って提言につなげていく。これがこの数回の作業ということになります。
ですから条文案をたたき台として、それをあれこれといじくるという言い方はよくないかもしれませんが、細かい、しかも法律ができた後の解釈のような話になっていく、そうした検討よりも、残されたわずかの時間を使いまして、むしろここでの、これは20回に及ぶ議論を重ねてきておるわけでございますので、今までの我々の議論の言わば集成、最大公約数的な集約をわかりやすい言葉で図っていきたいと思っているわけであります。
その意味で、今までここで皆さん方の意見を整理し、あるいは混乱を助長しながらいろいろ拝見して私なりに勉強したもの、かつ、世間の皆さんや国会議員の先生方に訴えていくときのわかりやすさ、シンプルさ、単純さ、こういうものを最優先にこの三役で1つの意見書的なもののたたき台を出させていただいている。そういうことで本日の資料1というものを出させていただいているわけであります。
ですから、これはここの委員の皆さんがいろいろ条文案をお持ちである、提出をされている、あるいはこれから出そうとされている。いろいろおありでしょう。しかし、私が特にお願いをしたいのは、常に今ここで資料1としてお示ししているようなスタイルのわかりやすく基本的な考えを説いていくという、一旦そのレベルに降りて考えをお示しいただきたいということです。つまり、条文案をいただけるのは大変ありがたいんですけれども、同時に、では理念は何ですか、目的は何ですかと言うときに、条文という技術的なスタイルではなくて、もっと普通の言葉で説明を補充いただきたい。それを大いに期待しているということを、まず率直な私の希望として申し上げさせていただきました。
それともう一点、これは大変ある意味虫のいい、厚かましいお願いかもしれません。しかし、これも希望を語るという意味では今がよろしいと思いますので申し上げますと、提言を出すに当たり、できればこの場でのコンセンサスをとりたい。これは当たり前なんですけれども、つまり全員一致という格好で、これなら我々が共通の理念として提供できる。国会議員や世間の皆さんに提言できる。全員一致でできるというところに持っていきたいと思っています。
勿論、それは部会三役案といったものをとにかく承諾してくださいと言って押し付けるということではありません。そうではなくて、ここは書き過ぎではないか、違う考えもあるのではないかというところはどんどん御指摘をいただいて、いろんな考えが決して1つに絞らずに残るような格好。しかし、何か意見が割れているということではなくて、もっと根幹の部分の共通する、違うけれども、基本には共通のものがあるという、そこをむしろ前面に出していきたいという意味で、共通のまさに全員が一致できるところでの、そのレベルでの意見書という形で提言をしたいというふうに、これは私個人の夢ですけれども、願っています。
今日の後の議論の展開で、これはとても無理だ、何かおかしな夢を見ておったんだなということになるかもしれませんが、しかし、私はさまざまな機会に、例えば先週も参議院の議員会館でアメリカのテキサス大学のスコッチ先生の講演を聞く機会がありました。そしてスコッチ先生がおっしゃったのは、決してアメリカのADAで全部解決したのではないと。その後20年長い長い闘いが続いているとおっしゃったわけです。決して立法化で終わりではないんだというふうに、極めてクールにある意味おっしゃった。つまり、あなたたちは法律制定を目指して頑張っているだろうけれども、その後の闘い、努力は永久に続くんだというような励ましというのか、余りにもリアルな見通しを私はスコッチ先生に伝えていただいた。その上で頑張れということをおっしゃったと私個人は理解しました。
ということで、今、何が言いたいかといいますと、条文がゴールではないんです。その向こうに、条文化した後にさまざまな運用レベルでまた困難があるわけで、その都度、そもそもこの法律はどういう精神だったのか。そういうわかりやすい言葉で後々のいろんな運用の局面で我々の提言が引き合いに出されるような、非常に大きなことを今、申し上げているわけですけれども、それをむしろこの場で意識すべきではないか。我々の役割はそこではないかというふうに思っています。
以上、前置きが非常に長くなって申し訳ございません。時間管理をする私がサッカーで言うと審判の役割で笛を吹いておればよかった。足がついていくのも大変なんですが、ところが、今日は私は話もしなければいけませんので時間管理が非常におろそかになりがちで、その際には是非どなたからでも、お前しゃべり過ぎるなというふうに合図をしてください。
ということで、第1コーナーの報告10分程度と先ほど申し上げた、その中身に入っていきたいと思います。お手元の資料1をごらんください。
この「はじめに」というところで準備中としております。推進会議と当部会における検討の経緯、差別禁止法に関する世界的状況、日本における立法事実の存在、本法の必要性、基本的性格などという、まさに今、申し上げた理念的なもの、基本的な考え方を述べるという、この意見書全体の性格の更に根幹をなす部分でございますが、なおこの点につきましては準備中ということで本日お披露目には至っておりません。お許しください。
ということで、実質の第一は理念でございます。以下のことをここではかいつまんで申し上げますと、述べております。障害のある人の完全参加と平等に大きな制約をもたらす社会的障壁としての差別の解消が重要である。社会的障壁という概念を我々としてもとるべきであるという考え方でございます。
この法は国民を差別者と被差別者に切り分け、差別者に法的制裁を加えるといったものではない。共生社会の実現のための共通のルールを明示するものであるという、国民を二分化し、一方に制裁を加えるものではないということを特にここで確認をしようとしております。
更に、差別の解消が多様性を重視し、活力ある社会の実現に寄与するんだという、この点も力説したいところであります。つまり、差別の解消ということで何か社会的に余分な負担やコストが発生するのではないかといったネガティブな、しかし、広く広まった懸念や偏見があるかと思います。そうではないんだ。むしろ多様性を重視し個人の活力を引き出すということが、社会全体にとっても有用であることを強調したいということであります。
「第2、目的」の中では、以下のことを本法の目的として述べております。
まず、国民に行為準則、平たく言えば何が差別で何が許されるかという判断の物差しを提供するということであります。今しがた申し上げました差別解消というのが、社会にとって新たな負担を生むのではないかという漠然たる懸念があるわけでございます。そうした普通の方が抱く懸念、これが言わば最大の難敵でありますから、丁寧に説明をしていく必要があります。
そこで、この差別禁止法の目的として、どういうふうに振る舞っていただければ差別には該当しない、どういうことをされると差別になりますよというわかりやすい、言わばマニュアル的なものを提供する役割があろうと思います。
目的の第2のポイントとしまして、差別を受けた際の救済の仕組み、司法での解決のための法規範を定めるという、言わばプロ向きの判断基準を提供。これも当然に、これはあくまで差別禁止法というのは最終的には司法的解決に委ねられておりますから、当然のこととして司法的解決のための法規範の定立というのも、この法律の課題としております。
目的の3点目としまして、救済、差別の防止、啓発、相談体制等に関する国等の責務を定める。つまりピンポイントの権利義務関係、具体的事象としての差別、その司法的救済という、言わば法学部や法科大学院の教室事例のような事柄だけをこの法律がカバーしようとしているわけではありません。むしろ、そのように一々言挙げをし、裁判を最終的に起こしてということでは、障害者の側も大変大きな負担を負うことになります。そうではなくて、差別をあらかじめ防止し、啓発し、あるいは軽微な差別に対して気軽に相談でき、事柄を未然に回避していく。こういう体制を設けていくことについて国等の責務を定めていくという点も、当然に必要と考えております。
総じて、この目的の最後のポイントとしまして、共生社会の実現に資するということは繰り返し強調されるべきだろうと思います。つまり、決してこの差別禁止法は国民を差別する者とされる者に二分するものではない。ともに生き、ともに住む、ともに暮らすという、そのための手法ということであります。
「第3、障害の定義」におきましては、以下のことを述べております。かいつまんで2つのポイントに集約させていただきますと、第1が障害者権利条約と障害者基本法における障害の定義について検討を加えております。
2点目としまして、本法は国民の行為準則として機能することが、先ほども申し上げましたように求められています。そこで障害の意味について、明確で予見可能性が担保されたものでなければならないと考えます。
また、諸外国の立法例等でも性や人種といった個人の属性による差別を禁止していることから、本法では機能障害(インペアメント)を障害と定義することが妥当であると考えます。
大分端折っておるので、今のような要約ではよくわからんということがおありと思いますが、とりあえず原案の概要といたしまして、理念、目的、障害の定義という、このお手元資料1の1~3ページの3つの章立てそれぞれについて、要点を私なりに述べさせていただきました。
以上が原案の今の3点に関する概要です。
それでは、質疑及び議論に移らせていただきます。時間は約50分を予定しております。なお、三役でつくりました意見でございますので、勿論、私以外、両副部会長がお答えになるというのも当然でございますし、場合によって事実にわたる部分について東室長に確認を仰ぐこともあろうかと思います。その点、あらかじめお許しください。
では、どなたからでもどうぞ。
○川内委員 川内です。ちょっと教えていただきたいんですが、理念の2で「本法が相手方を単に法的に非難し制裁を加えようとするものではないこと」とあって、この「単に」というのがすごく気になっているんですが、もともとこれは今までの御説明で、法的に非難し制裁を加えるようなものではないと説明されてきたと私は理解していて、ということは「単に」という言葉がつくと、法的に非難し制裁を加えるものというのがまずあって、さらに何かがあるというふうに2つ以上のものがある場合に「単に~ではない」と言うと思うんです。ですから、これは単純に「単に」をなくして「法的に非難し制裁を加えようとするものではない」ということを言えばいいと思うんです。それがなぜ「単に」がつくのかというのが1つ。
もう一つは、そのページの一番下「第2、目的」の一番下に「何が差別に当たるのか、何が許されるのか」と書いてありますが、この「何が許されるのか」というのがすごく気になっていて、読み方によると、ぎりぎりここまではいいよというふうな感じにとれてしまうので、何が差別に当たるのかの判断の物差しを提供するというふうに言ってしまえばいいのではないかと思います。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
これは私がこの三役を代表しまして勝手にお答えしていいのか、あるいはここで三役協議ということになるとまたちょっと進行上も御迷惑と思いますが、まず1点目の「単に」という「第1、理念」の2番目の「本法が相手方を単に」というニュアンスなんですが、これは今、川内委員おっしゃっていただきましたように、先ほど来、説明をしてまいりました国民を二分化するものではないんだということを下手な表現で書かんとしておるということで、ただ、この「単に」というものを除けてしまいますと「相手方を法的に非難し制裁を加えようとするものではない」というのは、しかし最終的には司法的判断では違法だという意味で、法的な評価を下す。
そして、損害賠償等の形での制裁と呼べるかどうかわかりませんが、不利益な結論を差別側に課していくことになりますので「単に」を除けてしまうと実態にそぐわなくなるということで、表現上、少し稚拙なのはよく承知しておるんですけれども、今にわかに修正案が思い浮かばないということでございます。
もう一点の一番このページの下の「何が許されるのか」。これは確かに誤解を招きやすい表現ということで、先ほど行為準則ということで何が差別に当たるのかということをわかりやすく物差しを提供すると申し上げたわけですが、その際に何が許されるのかということを言わば反対の側から書いてしまったということで、これは消してしまっても意味は変わらないと思いますので、両副部会長御異論なければ私はこの場で今「何が許されるのか」という部分を消去させていただきたいと思います。どうもありがとうございました。よろしいですかね。
それでは、西村委員からお手が挙がっていましたので、お願いします。
○西村委員 ありがとうございます。西村です。質問が2点、意見が1点。
まず質問ですけれども、2ページ目の救済の仕組みに関しまして、3行目に「解決する仕組みの創設と」と書かれております。救済機関につきましてはこの間さまざまな議論があったと思いますが、具体的な仕組みを明記をするのかということが1点目の質問です。
2点目の質問は、その下の国等の責務というものがあります。この国等につきましては国、地方公共団体、事業者、個人、国民などという範囲が出てくると思いますが、それと国等の責務と書かれていますが、これもこの間、議論があったと思います。この国等の範囲、更には責務というものの内容についても具体的な中身まで踏み込んだ形で、この骨格の中に盛り込むのかということが、2つ目の質問です。
意見ですけれども、部会長の御説明につきましてはおおむね支持する立場からの発言ですが、2ページ目の一番下から2行目「まず、本法はあらゆる事由を理由とする差別を禁止しようとするものではなく」という書かれ方がありますが、私はこれを最初に読んだときに、差別を読み違えしまして、これは障害者に係るあらゆる差別を禁止する法律のはずではないのかとかいう疑問を抱きました。何人かの委員とお話をしましたところ、これは個人のそれぞれの属性、男であるとか女であるとか、出身地あるいは人種といったことも含めた差別を禁止するものではなく、障害を理由としたものになるのではと話をしました。
これは全体を通じてなんですけれども、わかりにくい表現があります。明確に何を言っているのかを、ここも含めて、誤解を招かない書き方をしていただきたいと思います。
あと一点ありますがほかの部分とも関わるので、状況を見て発言をさせていただきたいと思います。
とりあえず以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
私ばかりお答えで恐縮ですけれども、御質問を2点いただきましたうちの1点目ですが、2ページ「2、救済の仕組み」のところで「簡易迅速に問題を解決する仕組みの創設」と書いているが、具体的に提言する用意があるのかという、本当にできるのかということだろうと思います。
どこまで書き込むかはともかく、というのは条文の形でお示しするというのは先ほどいろいろと言い訳をしましたように、今回必ずしも得策ではないというか、また、細かいいろんな意見が分かれて、条文ができた後の解釈論の闘いのようになってしまいますので、条文化というよりも、あくまで基本的なコンセプトの部分を出したいということを先ほども申し上げたつもりでございます。
という観点からしますと、問題を解決する仕組みについて、一定の在り様を示すということであれば可能と考えています。ですから、それはまたお知恵を借りながら進めてまいりたいというのが御質問の1点目に対する回答でございます。
2点目でございます。「国等の責務」というところ。国等というのはどこまでの範囲か。また、責務というのは具体的に何か。それらをきちんと明確に織り込む用意があるのかという御指摘と思います。つまり、国等の責務と言うだけでは立法化に当たってしかるべき部署というか、どちらか法制局的なところにこういう書きぶりで済ますのか、もう少し詳しくか、何か丸投げをしておるような印象がある。もう少し、まさに差別禁止部会では直接に私人間の差別にある意味介入する法律をつくろうという提言をする以上、それ以前に率先垂範して国自身あるいは自治体、更に事業所等も一定の責務を果たしていく、あるいは啓発をしていくという、こういう未然に防ぐ予防的な体制づくりという点で、この国等の責務というところはもっと詳しく書かれてしかるべきだという、こういう御質問というよりは、これはお叱りというふうに思いました。
もっと詳しくできるように改めてまいりたい。今すぐ、ではこういうものはどうですかとは申せませんが、自治体の条例案等を見ながら、本日ではなく7月27日の金曜日、次に予定しております総論第2回という、そこで国等の責務というところを先ほど東室長の方から次回以降の進行予定の御報告がありましたが、そちらで具体的に何かお出しできれば、また西村委員、ほかの委員の方々からこういう具体案で書き込んだらどうかという御提案もいただければと思っております。
それから、意見であるということで3点目におっしゃいました、この2ページの一番下の2行目「あらゆる事由を理由とする差別を禁止」という、一読して驚いた。確かに私も今、悪文というかわかりにくいなと。全体にわかりにくいとおっしゃいましたので、わかりやすいコンセプトを明示するという公約には真っ向から反している難解な文章。わかりやすくしたつもりでこの程度なので、皆さん方のお知恵を借りるしかないんですが、例えばこういうふうな修文ではいかがでしょうか。
「本法はあらゆる事由を理由とする」という部分ですが「本法は個人のあらゆる属性を理由とする差別を禁止しようとするものではなく」と書けば、先ほどおっしゃったものをそのまま使っているわけですが、特に障害ということに絞っている。他の属性、つまり人種とか性というものは除いているというのがわかるにはわかると思います。ただ「あらゆる属性」という言い方が決して日常用語ではないですね。ということで、西村委員の今の御指摘を受けまして、私個人としては今のような修文の用意はある。ただ、これも三役等で聞きまして、もっと明快な別の表現が出てまいれば、そちらに持っていきたいと思います。どうもありがとうございました。
では、川島委員。
○川島委員 ありがとうございます。
お示しされた第1、第2と第4の上までなんですけれども、内容的には私は特に大きな異論はございません。
細かい部分で「第1、理念」の1の第1行目に「相互に人格と個性を尊重し合い」とあるんですが、個性という言葉も使っていいかどうかというのも多少議論があるかと思うんですけれども、ここに相互に人格と尊厳と自律という言葉、自律は自己決定の意味での律する方の自律なんですが「相互に人格と尊厳と自律を尊重し合いながら共生する社会」というものが1つあり得るかなと。これが1点目です。
2点目は「第1、理念」の2の2行目に、ここも同じで「個人の尊厳を認め合う社会の実現」というところで、ここも「個人の尊厳と人格と自律を認め合う社会の実現」と、もし同じにするならということです。1つのあり得る提案ということです。
次に「第2、目的」につきまして、1の2行目に「無理解や偏見により差別的な行為に出てしまう」とあるんですけれども、ここに無理解や偏見やステレオタイプという言葉、偏見とステレオタイプは意味が異なりますので、ステレオタイプというのを入れたらいかがでしょうか。実はこの言葉は例えば5ページ目の下から8行目のところに「思い込みやステレオタイプ」という言葉が使われておりますので、ここでは既にステレオタイプと使われているので、こちらの目的の方でもステレオタイプと使っていいのかなと思いました。
最後なんですけれども、3ページ目3の障害の限界事例のところなんですが、ここで論じられているのは障害を「機能障害」と理解した上で機能障害の範囲をどうするかという問題と、医学的には機能障害ではない問題についてどう考えるかと、2つ場合分けして書かれていますけれども、これは網羅的に当然具体例を挙げる必要はないとは思うんですが、1つ典型的な具体例を挙げていただければと思うのが、アメリカではインペアメントという概念の中にfacial disfigurement というのが明確に入っておりますので、つまり機能障害の中には容貌の損傷が明確にアメリカでは制定法上入っておりますので、これを1つ入れていただければと思いました。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
2点目で御指摘になった部分をもう一度教えていただけますか。個人の尊厳等のところで修文を御提案されたと思いますけれども。
○川島委員 個人の尊厳と人格と自律の3つの言葉です。
○棟居部会長 ありがとうございます。
第1の点、第2の点、いずれも私個人はそのような修文は全くやぶさかではないというか、反対する理由もないと思っています。
ただ、この自律という言葉はかなり取扱いに注意をするということはございますね。決してこの差別禁止法は、この法律自体はいわゆる福祉立法ではないと思いますけれども、他方でこれまでの福祉施策を勿論、否定するものでは全くないわけです。そして、なお当面は差別禁止法ができた暁にあっても、福祉的施策はなお必要な、そういうある種の格差は残るだろうという認識も我々は持っているわけであります。
そういう意味で今ここである意味、理念に忠実に自律という言葉を使い切ることが多少この経過的な福祉と差別禁止という2つの考えの両輪でしばらくいかなければいけない。少なくとも。その間にあって自律という言葉が先走らないかなという不安がないわけではありません。その点も含め検討させていただくということでよろしいでしょうか。
○竹下副部会長 今の点は検討するということで結論はいいんですけれども、少し私が気になるのは、尊厳と人格というのはほぼ同義語ではないですか。すなわち人格というのはまさに尊厳が確保されるからというのと、人格が確保されるというのと、中身においてどれだけ違いがあるのか、あるいはニュアンス的なものだけなのかよくわかりません。私はこの従来の人格と個性というのは意味が違うからいいのかなと思っていたんですけれども、個性をやめてあえて人格とほぼ同義と思われる尊厳にするというのは、どういうニュアンスを考えておられるのか、若干補足をいただきたいのが1点目。
2番目に、自律という言葉には私は非常に抵抗が率直に言ってあるんです。例えば自律というのはどの字を当てるのか。2つ考えられますね。それから、自律という概念を英語にするときにも意味が全く違う単語を当てることがあると聞いているんですけれども、そういう意味合いも含めて概念の上で特定しなくてもよいのか。
更に言えば、差別禁止法に自律という語が理念、目的に入ってくるというのは、言わば法の体系としてそれでいいのかということが気になるので、少し検討する上で補足があればお聞きしたいというのが1点。
もう一点は、名称というよりも書きぶりの問題かもしれませんが、障害者基本法を見ていただいたらわかるかと思うんですけれども、今回、施行された障害者基本法や今度出てきた障害者総合支援法の理念規定のところで、常に使われている1つのフレームというのは個性の尊重というのと人格というのが出てきているんですけれども、そういう意味では個々のバランス等の関係も私はあるのかなと思っているのですが、それについてもし御意見があれば教えていただきたい。
以上です。
○棟居部会長 川島委員、もしピンポイントで今の竹下副部会長の御発言にお答えいただけるなら、お願いします。その後、山本委員ということでお願いします。
○川島委員 尊厳と人格の関係は非常に難しいので、これは今、答えられません。
次に、自律については先ほど私は「自立」ではなくて「自律」、つまりautonomy の方です。これはself determination、自己決定と同義で国連の障害者権利条約で使われています。
なぜこの言葉が必要かというのは、最近で言うと中津川事件というのが岐阜県でありましたけれども、あれは、誤解をおそれずにやや極端にいえば、機会の平等が実現するのだったら議員の自律(選択)を尊重しなくてもいいという判決なんです。つまり議員が代読発言を求めているのにもかかわらず、パソコンを使用すれば機会は平等なんだから、個人の自律というものをあまり考慮に入れないで、機会だけ保障されれば、つまり音が外部に表示されればそれで済む。そこには個人の自律というものが考慮されていない。
そういう意味で個人の自律というもの、つまり当事者は合理的配慮を要求するときに、当事者の自己決定というものが尊重されなければ、合理的配慮というのは簡単にパターナリスティック的な劣等処遇にもハラスメントにもなり得る。そういう意味で当事者の自己決定という意味で自律というのが必要ではないかというのが1つです。
○棟居部会長 確認ですが、今、川島委員がおっしゃった「きかい」というのは「機会」ではなくて「機械」という意味ですね。
○川島委員 いえ、機会の平等です。チャンスの平等というのは、つまり音を外に表出するという機会(チャンス)は平等にしているけれども、その過程で当事者の意見を全く無視して、あなたはパソコンを使いなさいという、つまりパソコンを使いたくもないのに強制させられて、それでも機会が平等だという論理を用いることが争われたのが中津川事件のひとつの側面なので、そういう意味で自己決定が必要だなと思いました。
○棟居部会長 ありがとうございました。
では、山本委員、お願いします。
○山本委員 もとの原案で「相互に人格と個性を尊重し」という場合は、「人格」というものが人に共通した一般的・客観的なものを指すのに対して、「個性」というのはそれぞれの人のパーソナリティ、違いを重視するものとして使われているのではないかと思います。
それに対して、もし「個性」を削除して「人格」とそのほか挙げられたものにしますと、「人格」の意味がもとと同じなのか、それとも個々の人の違いを含めたものとしても使われているのかということが問題になってくるように思います。
したがって、「人格」の意味は人によって理解の仕方が変わるかもしれませんけれども、少なくとももとの案で「個性」で指していたものが落ちるのか落ちないのかという点をよく考えた上で、言葉を選ぶ必要があるように思いました。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。そこまで考えて言葉を使っていませんでした。
今、山本委員がおっしゃったのは、人格という言葉は民法上の行為能力とか、そういう当事者になり得るという抽象的だけれども、社会生活上不可欠の可能性を示した言葉であって、個性というのはむしろ日常用語に近い、その人の具体的な在り様。こういう全然違う意味だということですか。違いますか。
○山本委員 補足ですが、私が申し上げた「人格」というのは、今、棟居部会長が言われた意味での人格ではありません。これは釈迦に説法のようなところがありますが、憲法学で言うと佐藤幸治先生などがおっしゃった人格的自律というような物の考え方にしたがって、人格というものについて客観的な価値が内在するものと想定して、それを表す言葉として「人格」という言葉が使われていると受け止められる可能性があって、それと「個性」が対比されているのではないか思ったということです。
○棟居部会長 ありがとうございました。
憲法用語でいいんだということでしたら、相互に人格的自律と個性とかいう置き換えも可能ということですかね。
ほかにもたくさん項目がありますけれども、よろしいですか。では川島委員、どうぞ。
○川島委員 済みません、先ほど竹下副部会長の質問に対して答えていなかったのが、なぜ個性というものを取った方かいいかというので、障害個性論というのは前からあるわけなんです。それでこの文を見ると、「障害の有無によって分け隔てられることになく、相互に人格と個性を尊重し」と言ったときに、障害は個性なんだから尊重すべきだみたいな議論というのは当然あり得るわけで、障害は果たして個性なんだろうかというのは長年議論があるわけです。そういうような文脈でこれが独り歩きする可能性もあり得るのではないかという、警戒もあって意見を述べました。
○棟居部会長 ありがとうございました。今のは全く気が付いていませんでした。貴重な御指摘ありがとうございました。
松井委員、大谷委員の順番でお願いします。
○松井委員 ありがとうございます。松井です。
3ページの上から7~8行目にかけて「誰しもが観念し得る一定の明確性が確保され、一般の予見可能性が担保されなければならない」と書いてありますけれども、厚労省の研究会で今、議論している中では、例えば一般の予見可能性を担保するためには、手帳の所持が必要というニュアンスの発言があります。御承知のように精神障害の方々の中では、手帳を持っている方は極めてごく一部で、大半は持っていない。すると、そういうふうに持っていない人については一般の予見可能性が担保されないということになるので、法の対象になるのは難しいのではないかという議論がございますが、ここで言われている一般の予見可能性というのは、そういうことではないというふうに理解してよろしいんでしょうか。その点、確認させていただければと思います。
○棟居部会長 非常に難しい、しかし実務的で重要な御質問を承ったと思います。
勿論、先ほど来申し上げていますように、今お示しをしていますこの部会三役原案なるものは、あくまでわかりやすく立法が必要だということを各方面に説いていく、こういう理念的なものをわかりやすくというキャッチフレーズというか、姿勢の下でお示ししておるものでございます。という意味で一定の明確性、予見可能性というのは日常的に余り混乱なくという程度の意味合いで、手帳がという技術的なことまでは意識していませんでした。
しかし、確かに精神障害のある方については例えば在宅での投票を認めるか認めないか。認めていないことへの国家賠償請求訴訟で、最高裁も身体障害と精神障害をかなりはっきりと分けているように記憶をしています。そして、その際の最高裁の理由づけは、精神障害の場合には状況が刻々と変化をする。例えば自宅で寝たきりであるといった方の固定的な身体障害とは全く違うんだということで、立法者が郵便投票を認めるといった一律の救済措置をとっていなくても違法ではないという、こういう結論の出し方です。
ですから、結局実務的には手帳を持っている、持っていないといった形式的な判断基準がどうしても必要になるのかなと。特に精神障害の方の場合にはそうした不安定さというか、症状が固定しないということが果たしてそうなのかはともかく、判例で言われてしまっていますので、ちょっと悩ましいところで考えてみたいと思います。どうもありがとうございました。
では、今の点につきまして伊東副部会長、お願いします。
○伊東副部会長 たしかに身体障害者手帳により障害者であることの判断をすることは、わかりやすいことではありますが、手帳で判断することを前提にすることがいいことなのか。手帳は、症状が固定化してからでないと障害やその程度が認定されない、また手帳を受けていない、受けたくないという人もいます。精神障害の人の多くはそうした証明など持っていない。手帳で判断するのではなく、別の判断基準を考えなければならない。
○棟居部会長 今の点はまた三役で詰めてみたいと思います。どうもありがとうございました。
お待たせしました。大谷委員、お願いします。
○大谷委員 遅刻してしまったものですから、既に説明されているとしたらごめんなさい。
この理念規定の位置づけなんですけれども「本法において理念規定を設けるに当たっては、以下の視点が重要である」ということで、3点にわたって提起するという形で提案されているんですが、今日の私の認識は、差別禁止法を設けるに当たって、総則をどのような形でという第1回目の議論だろうと思っているんです。
そこで、まず理念規定を設けるかどうか。この総則において障害者基本法もしくは自立の方にもあったと思いますけれども、理念規定を明文で設けるかどうかということはすごく重要なことだと思うんですが、それを前提にして理念規定を3点にある種絞り込む。非常に大きいものですから、差別の禁止と共生社会の実現と本当に完全参加と平等という大雑把に言うと、大きくとらえて3つが理念であるという形になるんですけれども、正直申し上げて、この理念規定でしたら法の前文的な書きぶりなんです。
この前文的なものをイメージした形での理念の提起なのか、それとも本文に本法における理念とはこれこれであると、障害者権利条約も何点か非常に重要な理念を提起しておりますから、あのイメージなのかどうかの位置づけがどのような位置づけだったのかなということをお聞きしたいと思います。説明されていたらごめんなさい。
○棟居部会長 ありがとうございました。大谷委員が来られる前だったと思うんですけれども、本日お示しをしていますこの部会三役原案なるもののスタンスについて、かなりるるお話をしておりまして、条文の提示ではないということです。つまり、条文の前段階ですらありません。
そうではなくて、条文をつくり上げるという作業に時間をかけると条文というのはまた解釈を生みます。そして、法律が制定された後に散々裁判所で闘わされるような解釈論を条文をつくろうという場でやってしまって、複雑になり過ぎるということで、むしろわかりやすさ、世間や国会議員の先生方に真剣に取り組んでいただき、受け入れていただくようなコンセプトを練っていく。提言というのはそういう格好で行いたいということで今、お出しをしておりますのも条文の背後にあるべき考え方について章立てを設けてお話をさせていただいているということで、ですから今、大谷委員が御指摘になりました一番最初「第1、理念」のところの「本法において理念規定を設けるに当たっては、以下の視点が重要である」というのは、決してこの3点を理念規定にそのまま持ってくるということではなくて、理念規定の更に向こうにある大きな、つまり前文の前文のようなことを書いているということですから、これは極めて大くくりの文学的で、その意味では先ほど人格や個性についてもいろいろ御指摘、御質問ありましたが、そういう詳細な法的な吟味には堪えられないかもしれないですが、あえてこの法律がなぜ必要なのかを無関心な方にこちらを向いてもらうために、こういう文章を出しているということでございます。
ですから、直接に条文に云々ということではないということで、まずお断りしたいんですが、事務局から補足があればお願いします。
○東室長 内容の問題ではないんですが、前文にすべきか理念にすべきかという形で大谷先生が言われましたけれども、実務的に言いますと閣法で前文が付いているのはほんのわずかしかありません。なかなか現実的には難しいということなんです。それがどうしてそうなのかと言うと、法律に書く以上、それは本文にできるだけ入れ込む。それが法律の本則だろう。前文は何の法的効力はないわけですから、そういった意味で理念であっても本則なんです。だから基本的なスタンスとしては、やはり大事な思いは少なくとも理念以下の規定に入れるといったことが、事務局的にはいいのではなかろうかというふうには思っているわけです。
ただ、「はじめに」の部分がある意味で前文的な部分に当たるのかなという割振りでございます。
以上です。
○棟居部会長 太田委員、お願いします。
○太田委員 ただいまお示しいただいた三役案につきましては、今まで私たちが求めてきた内容がほぼ取り入れられており、すなわち共生社会を目指すということを目的として、差別者と被差別者を分けるというのではなく、ともに生きるという社会を目指していくんだという基本的な理念が盛り込まれ、かつ、差別や偏見というものに障害者が日々直面する中で、救済の仕組みが必要だということに言及をされておられ、障害の定義についてもインペアメントと社会的障壁の相互作用であるという、権利条約の考え方が取り入れられていることについて、また、差別禁止法ができて、一方の方たちに多くの負担を強いることはないんだと、そんなことではないんだということが示されていることにおいて、まずは基本的な考え方として支持を表明したい。この線でもしコンセンサスが得られれば、大枠について議論を進めていっていただきたいという思いでいます。
あと、質問となりますが、先ほど来、松井委員と棟居部会長と伊東副部会長のやりとりの中で、3ページの第3パラグラフの「一般の予見可能性が担保されなければならない」というくだりは、理念としてはそうですが、一体何を具体的におっしゃりたかったのかということの再度確認と、何をイメージされているのかということに対して、再度確認をしたいということが1点と、山本委員がおっしゃられた憲法学上の人格論と大谷委員がおっしゃられた個性は、どう概念的に違うのかということをお伺いしたいということと、大谷委員の発言に関しては、JDFとしては差別禁止法という法律は画期的な法律であるという立場から、前文、障害者差別禁止法がなぜ必要になったかということを権利条約と重ね合せながら、前文的なことが是非必要だという認識に立っていますが、今、部会長や東室長がおっしゃられたように「はじめに」が出てからの議論になるのだと思っていますが、基本的には前文が必要という立場に立ちます。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
基本的な考えとして御支持をいただいたということで、大変心強く思っています。その意味で大きな枠組みとしては、ここに書いておりますような考え方で進めていいのではないかという御支持をちょうだいしたということの上で、3点にわたる御質問あるいは御意見ということであったかと思います。
先ほどの松井委員の御発言、御質問等とも絡むんだがということで、この予見可能性ということについて具体的に何をイメージしているかという御質問であったかと思います。この点につきまして正直に申しますと、例えば裁判をやってみなければわからない。それもケース・バイ・ケースあるいは主張がうまい下手、あるいは裁判官の考え方で結論が分かれてくる。こういう現状ではやはり不明確と言わざるを得ないということで、行為準則としての明確性をこの法律によって実現していこう。その意味での予見可能性でございます。
ですから差別とは何ぞやという定義、そして例えば間接差別といったものはどうなるのか、関連差別はどうなのか。あるいは合理的配慮というのはそれを果たさない場合に差別ということになるのか。こうしたこの場では散々議論してきて、我々には言わば当たり前になっておる、そういう考えについて世間の方にわかりやすく示していくというのが、ここで予見可能性という言葉を使った背景にございます。ですから、障害者手帳なのかとか、そういう実務的には大事だけれども、形式的な要件は念頭になかったというのが正直なところです。これは勿論詰めなければいけないと思っています。
以上が御質問の第1点で、2点について先ほどの山本委員あるいは川島委員が御指摘の、相互に人格と個性を尊重し合いながらという、この1ページ目のこの部分の表記でございます。そして、個性を尊重ということが川島委員の御指摘にもありましたように、障害が個性であるというおそらく賛否を分かつというか、極めて議論を誘発する、その意味ではこうした文書で余り取り込むにはやや熟していない表現と誤解される可能性があるので、個性という言葉の使い方については慎重であるべきだという御指摘もちょうだいしたところです。
山本委員は別の観点から人格的自律と、その人格的自律を行使した上での個性の発展といいますか、人格の自由な発展の結果としての個人の具体的な在り様についておっしゃったというふうに思います。これは私が山本委員と共通に尊敬する佐藤幸治先生の私なりの勝手な解釈で、違うんだということであれば休憩時間に御指摘をください。
今のような人格や個性という言葉遣いについて、概念的にどう違うのかという太田委員の御質問は、あるいは個性という言葉が、人格という言葉や人格的自律という言葉に吸収されるのであれば、あえて個性という言葉を使わなくてもいいだろう。障害個性論と誤解されない形で、ポジティブな意味で個性という言葉を使われるのであれば、注意深くそういう表記をすればいいと、こういうふうに私は。
○太田委員 人格と個性とは定義でどう違うのでしょうか。
○棟居部会長 どう違うかということについて、まず最初に表現の責任者として私が申し上げますと、人格的自律とか人格とかいうのは1人ずつが何人であれ持っておるものであります。そして、これはある意味でその人がそれをどう使って自分の人生をデザインしていくかというのは、各人の努力とか場合によっては運とか、少なくとも本人に委ねられている。
個性というのは生まれつきにそうした、何をしたい、何が得意であるといった個性もありますが、私がここで意識した個性は今まで積み上げてきたものといった、その人の具体的な在り様です。つまり、文章を書くのがうまいんだという、そういう能力をフルに発揮して、作家になれば、それがその人の個性です。そういう文章を書いて自分の人生を構築したいという、それは人格的自律の1つの表れです。
ですから、人格とか人格的自律というのが言わば箱のようなもので、人間ならだれでも初めから持っている。個性というのはそれに自分でどういう中身を入れていくかという、ですから赤ん坊には個性はないという意味で個性という言葉を使っています。ただ、そこがわかりにくいとか、あるいはそれはお前の勝手な言葉遣いであるとか誤解を招くと。特に個性という表現については注意が必要だということであれば、個性という表現を除く形で書き直したいと思います。いずれにせよ、これは理念ですから伝わなければ意味がございません。どうも御指摘ありがとうございました。
それから、太田委員が3点目に御意見されましたのは、前文はやはり必要である。これは特に画期的な法律であるということ、また、権利条約を踏まえたものであるという成り立ちからも、前文が必要だという御主張だったと思います。私もそのような形で書いていければと思っていますが、これは他の法律とのバランスの問題、例えば私がすぐ思いつく前文を含んだ法律は、教育基本法といったものです。差別禁止法はもっと技術的なものだというふうに位置づけられますと、よかれ悪しかれ前文は要らないという側で扱われてしまいます。
ほぼ第1コーナーで予定しておりました時間が既に過ぎております。残り時間もほとんどありませんが、伊藤委員、お願いします。
○伊藤委員 時間のない中、2点意見を言わせていただきたいと思います。
1点目は「第1、理念」の2のところに「差別者・被差別者という形で国民を切り分けてこれを固定化するものであってはならず・・・共生社会の実現に向けて共通のルールとして機能することが重要である」とあります。この点に関連して、この差別禁止法が差別、被差別者を生み出さないという予防的な機能を持つという位置づけを打ち出すことができないものかというように考えました。共生社会の実現に向けてのルールとして機能することが重要という意味では、関連する考え方だと私は考えます。
もう一点ですが、3月の中間的な整理では総論の「1、差別禁止法の必要性、有用性」の<10>には、「差別禁止法の制定には、人権侵害、差別の反社会性を国家意思として表明するという積極的意義がある」と書かれています。この点を法律の理念なり目的として表すのは難しいのかもしれません。勿論、他の差別禁止法制での書きぶりなどとの関連があることは承知していますが、この差別というのが反社会的なものであるということを何らかの形で表すことはできないものかというのが2点目です。
全体については、私はこのような内容でよろしいと思っております。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
私のレスポンスも手短にしますけれども、今おっしゃった2点はおそらく同じことをおっしゃっている。つまり、この原案だと国家も含めて差別側とか、一方の当事者という、つまり法的な権利義務というのがベースにある。紛争になった後の権利義務関係、当事者の対立、それをもう少し未然に予防しましょうという程度の事前の予防的なニュアンスしか出ていない。しかし、国家をもっと前面に押し出して、国家意思として差別禁止を表明するというインパクトが要るのではないかというふうに、予防性と国家自身による差別禁止というメッセージ性を強くということでよろしいですか。
○伊藤委員 1点目の共生社会に向けての予防機能というのは、そこに国家意思を直接関連づけるまですべきかどうかというのは議論があるかもしれませんが、この共生社会の実現に向けての共通のルールとして差別禁止法を考えるんだということであれば、それはもうこの世の中、日本からは差別する人も差別される人もなくしていくんだと、未然防止という機能を持たせていきたいんだということを表せないかという意味であります。
○棟居部会長 1番のところで社会的障壁をなくすということを言っていますけれども、普通はこういう表記になろうと思いますが、伊藤委員の考え方だとそれを反映すれば、むしろ社会的障壁をつくらせない。社会的障壁自身を当然にあるものとみなすこと自体が既に後手に回っているので、もっと踏み込んで障壁自体をあらかじめ防いでいくという書きぶりになりますかね。ちょっと考えてみたいと思いますけれども、この社会的障壁云々については手あかがついているというか、いろんなところで使われている表現ですので、いじくりにくいかもわかりません。
では、山本委員、どうぞ。
○山本委員 ごく簡単に確認だけさせてください。
「第1、理念」の1と3で「完全参加」という言葉が出てきます。「参加」というのは何かへの参加というのが本来の意味だと思いますが、こういう形で「完全参加」と言われる場合には、社会生活への参加という意味で理解されていると見てよろしいのでしょうか。
○棟居部会長 おっしゃるとおりです。つまり、完全参加という余り普段使わない表現は、機会を実質的に平等に享受するという意味合いです。
西村委員よろしいですか。では、時間を過ぎておりますので第1コーナーはここで終了させていただきまして、本来の予定時刻は3時10分まででしたが、今もう20分になってしまっております。これから15分間の休憩で15時35分再開とさせていただきます。

(休憩)

○棟居部会長 再開します。第2コーナーは60分弱を予定しております。内容は「第4、差別の定義」の「1、禁止されるべき差別の形態」「2、不均等待遇」についてでございます。
最初に私から10分程度で報告をさせていただきます。今、申しました第2コーナーで扱うべきは、このお手元の資料1の3ページの下の「第4、差別の定義」の「1、禁止されるべき差別の形態」「2、不均等待遇」ということで、不均等待遇は5ページの下の方から始まりまして、7ページの上の方までという、かなり広い範囲で、内容も非常に濃いということで、これまた時間がタイトなんですが、私が自分が報告者であるというのをいいことに、余り調子に乗ってしゃべり過ぎないように、時間を節約して御発言の時間が十分残る格好で進めていきたいと思います。
ということで、まず10分程度で抑えたいと思いますが、私の方から御報告申し上げます。
「第4、差別の定義」の「1、禁止されるべき差別の形態」でございます。先ほど申しましたように3ページの下からということになります。ここでは以下のことを述べております。障害者権利条約等を踏まえ、合理的配慮の不提供を含む、あらゆる形態の差別を禁止するべきと規定することが適当である。その際、どのような行為が禁止され、または許容されるのか。この許容ということについては、先ほどよけいではないかといった御指摘があったことと同じかもわかりません。ですから、どのような行為が禁止されるのかということについてと言い直しますが、わかりやすく判断できるように、判断基準をわかりやすくすることが必要であるというのが第1点であります。
2点目としまして、当部会では諸外国の立法例等から、これは協力員の先生方にも随分お世話になりましたが、多数の立法例と比較検討してまいりました。それら立法例等から差別の類型として直接差別、間接差別、関連差別、合理的配慮の不提供について検討を行ってまいったことについても、これは重要な経緯でございますので、ここで述べております。
3点目としまして、間接差別について中立的な規則の適用により障害者が排除されるという類型として理解をしておるわけですが、これは同時に障害に関連する事由による差別としても構成できるのではないかということから、間接差別という極めて難解な、難しい概念については、関連差別という類型に含めてしまう、統合するという考えをあえてここで打ち出しています。
このような整理は決して従来、この部会で合意を見ておるということではなかろうと思います。整理をしてシンプルにしていくという方向性は、皆さん方で4類型を2類型にまとめるという議論をした際に合意があったと思いますが、間接差別というものを正面には掲げずに、関連差別というものの中に取り込むというのは、シンプルにするための1つの提案として受け止めてください。ですから勿論、異論はあろうかと思いますし、この後の時間を使いまして議論させていただきたいと思います。
直接差別と関連差別という、今、関連差別に間接差別を吸収と言いましたが、更に直接差別と関連差別という二本立ても、実は不均等待遇として一本化できるのではないか。最初から1個だと言えばいいのにと思われたかもしれませんが、従来の議論の流れで申しますと、幾つもの類型を議論してまいったわけでありますけれども、結局、シンプルにすべきであるという要請を優先する観点から、今回あえてこのように直接差別と間接差別の不均等待遇という形で、ひとくくりにすることを御提案申し上げる次第でございます。
なぜかと言うと、障害を直接に理由とする直接差別と、障害に関連する事由を理由とする関連差別、この区別も実際には困難な場合が多いということから、不毛な概念論争に陥るのを避ける意味でも、不均等待遇として一本化するのがよいと考える次第でございます。
そして合理的配慮の不提供という、これは非常に大きな1つの概念であり、結局、不均等待遇と合理的配慮の不提供という、この2つの類型でもってあらゆる差別をカバーしていく。そして、そのような差別を禁止していくべきだと考えるということでございます。
以上が差別の定義1に関するコメントでございました。
「2、不均等待遇」の部分では、次のようなことを述べております。
第1としまして、障害または障害に関連した事由を理由とする差別は、障害や障害者への思い込みやステレオタイプから異なる取扱いをすることなので、相手方が正当化するだけの事由がある例外を除いて、禁止されなければならない。
2点目といたしまして、同様に過去にあった障害や将来発生する障害、誤認された、つまり勘違いされた障害を理由に、障害のない人に不均等な取扱いをすることや、家族等の関係者に障害を理由として不均等な取扱いをすることも、障害を理由とした差別に含まれるものとして禁止されるべきであること。この家族等の関係者というのは関連差別として議論してまいった事柄ですが、先ほど言いましたようにすべてひっくるめて不均等待遇の中に含めようというわけであります。
3点目としまして、積極的に相手に害を加える意図がなくても、行為者が障害または障害に関連する事由を理由として、異なる取扱いを行っていることを認識し、また、認識していれば不均等待遇に当たる。つまり、不均等待遇という差別を一切合財大くくりの不均等待遇という1本の概念でまとめようというわけですが、それは決して積極的に害を与える意図を要件とするものではない。そうではなくて障害または障害に関連する事由を理由として、異なる取扱いを行っているんだということさえ認識しておれば、その人は不均等待遇を障害者に対して行っている、あるいは障害者に関連する人に対して行っているという認識であります。
4点目としまして、障害または障害に関連する事由を理由とする異なる取扱いが正当な目的の下でやむを得ず行われた場合は、是認される。しかし、その場合の立証責任は行為者の側が負うべきである。つまり、あくまで例外的な場面として正当な目的の下でやむを得ず行われるという場合もあり得るが、その場合の立証責任は異なる取り扱いをする側に立証責任があるんだということです。
次の点としまして、積極的差別是正措置、いわゆるアファーマティブ・アクションなどと呼ばれるものですが、障害者への各種の優遇措置といったものが現にございますけれども、ないわけではありませんが、これらが本法に基づいて禁止される差別ということにはおよそ当たらないということは、当然のこととして確認をしたいということであります。
以上が原案の今の箇所の概要であります。
それでは、質疑及び議論に入りたいと思います。時間につきまして16時30分辺りまで、ですから45分ほどを予定しております。どうぞ御自由にお願いします。
では、当然に言及すべきと思いますので、せっかく委員の方から浅倉先生、池原先生、大谷先生の3名連記で、障害者差別禁止法要綱(案)というものをお出しいただいているんですけれども、ここでは今日お示しをしております三役のとりまとめ案のような一くくりにしていくということではないですね。類型としてはどのような考え方をとられていますでしょうか。これは池原先生にコメントいただければありがたいんですが、あるいは浅倉先生。どうされますか。
○池原委員 3名で出している案の1ページ目の4のところに障害に基づく差別の定義というものがありますが、ここでは全部で4つの差別類型があることは意識しているわけですけれども、条項上はひとまとめにしてあって、かなりくどい感じはしますけれども、一応検討材料として提示しているのは4(1)で「障害に基づいて、又は障害に関連して、直接又は間接に、区別、排除、制限若しくは不利益な取扱いをすること」というのが差別になる。ですので、直接差別も間接差別も関連差別も1つの条項に含めるという理解です。
あとは(3)は合理的配慮を行わないことが差別になるとしていて、これは(1)~(4)あるのは例外的な許容要件についても言及しているので、その直接差別、間接差別、関連差別の(1)に関しては(2)で不利益取扱い等が正当な目的があって、その目的を達成するために必要やむを得ない場合は差別にはならない。
(4)の合理的配慮についての例外規定で、業務の本質を損なったり、過度の負担になるような場合には、合理的配慮を行わなかったからと言って差別になるわけではないという書きぶりにしてあるということです。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
私はぱっと見て誤解というか誤読をしておりましたが、直接、間接といった表現で直接差別、間接差別といった類型をお立てになっているわけではない。あくまで不均等取扱い等という形で一本化をされているということで、ただ、ここでお書きになっている「障害に基づいて、又は障害に関連して、直接又は間接に」というところで、不均等取扱い等の中にいわゆる直接差別だけではなく間接差別、関連差別といったものが入るんだという注釈的な規定をされているということですね。どうもありがとうございました。
川島委員、どうぞ。
○川島委員 ありがとうございます。
本日こちらの三役の原案を中心にということなんですけれども、せっかく3名の委員の案が出ましたので一言だけコメントなんですが、今、読んでいただいた4(1)で「障害に基づいて、又は障害に関連して、直接又は間接に」とございますけれども「障害に関連して、間接に」というのも入ってくると、これは何差別なのだろうか、若干言葉が重なっているのではないか、というところを感じました。これはとりあえずの感想で、こちらの三役の案につきまして誤字脱字がありますので、細かいですけれども、それだけ言った方がよければ。
まず5ページ4)の下から2行目で「理由する差別類型」とありますので、これは「理由とする」ということだと思います。
6ページ下から2行目「障害は障害に関する事由を」とあるんですけれども、これは「障害または障害に関連する事由」だと思います。
この2か所です。
あと、実質的な部分につきまして1点だけ。5ページに「思い込みやステレオタイプ」という言葉が下から8行目にありまして、6ページ2)過去の障害等の中にも「思い込みやステレオタイプ」という言葉がございます。これはこれで思い込みという言葉というのは確かにそうあるんですけれども、これは理念のところで当初の案では「無理解と偏見」という言葉がございました。この「無理解と偏見」という言葉と「思い込みやステレオタイプ」という言葉をあえて使い分けているのか、それとも大体同じ意味で使って、表現ぶりを無意識に変えられたのか、結局、差別の背景にある偏見とかステレオタイプとか無知、無理解みたいなものが差別という行為を発生させている背景にあるんだ、というのと同じような趣旨でしたら、言葉を統一してもいいのかなというのがコメントです。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。貴重な御指摘ありがとうございました。
まず誤植についてはおわびのしようもございません。大変不注意でした。
それから、冒頭1ページ目の無理解や偏見という、先ほどステレオタイプという言葉を入れたらどうかという御提案を川島委員からいただいたと思いますけれども、原案段階での無理解や偏見という言葉。これと6ページ目の思い込みやステレオタイプといった表現。これが違うのか一緒なのか。勿論ほぼ一緒ということなんですが、この言わば主観的なこちらのニュアンスづけとしましては、無理解や偏見により差別的な行為に出てしまうというアクションとして、つまり積極的に差別するというときのモチベーションとして無理解や偏見というものが背後にある。そういうニュアンスをこの無理解や偏見という部分では盛り込みたかったということでありまして、これに対して5ページの下の方、思い込みやステレオタイプ、また、6ページの思い込みやステレオタイプというのは、もう少し静態的にというか、アクションという動きのある中での話ではなくて、不均等取扱いというのがどうして出てきたんでしょうねと言うと、思い込みやステレオタイプが背景にありますという、そういう意味でのニュアンス上の差がないわけではない。ただ、そういうことにこだわる余り、違うことを不統一なままに混ぜているような誤解をされるようでしたら、統一した方がいいと今、反省をしています。
それと、思い込みやステレオタイプに基づくという、このステレオタイプに基づくという表現が余りこなれていないかなと。ステレオタイプ的な偏見と言った方が日本語としては正確に伝わるかなと。その点も含めて修文させていただきたいと思います。これも三役で協議できませんので、宿題とさせてください。
いかがでしょうか。西村委員、どうぞ。
○西村委員 ありがとうございます。西村です。
今、提起していただきました内容につきましては、支持する立場から発言したいと思います。とりわけ差別の定義につきましては、さまざまな議論等々がある中の経過を載せるということにつきましては、文章表現等については修文等が必要かもしれませんけれども、基本的には支持したいと思います。
そして(5)にありますように、不均等待遇と合理的配慮としてのまとめについてもいいと思ってますが、ただ、1つ補強していただきたい点がございます。それは、この間の議論の中でもあったと思いますが、障害者が生活の中で受けてきた差別的な体験等々というのは、直接、間接、関連等々さまざまな要因が絡み合った中で起きていることですから、障害者が受けてきている差別が単に直接あるいは間接ということだけで振り分けられない関連的なものである中で生じていることを、載せた方がいいと思います。具体的な差別事例等々がこの後、載ると思いますので、そのことも含めたものが必要と思います。
ただ、この用語の使い方がどうなのかなと思うのが1つあります。これも先ほど来言われていますように、一般の方たちがわかりやすいということで考えた場合に、不均等待遇というのは非常にわかりやすいと思うのですが、6ページの上から2つ目の枠のところで「異なる取扱い」と記されています。この異なる取扱いの内容というここだけを見ますと、不均等待遇と思います。
一方「異なる取扱い」ということでは、7ページ5)積極的是正措置等や合理的配慮も一般的に見ると、異なる取扱いになると思います。ですから、異なる取扱いイコール不利益という理解には、必ずしもつながりにくいと思います。
もう一点、正当化事由のところですが、下から4行目の後ろに書いています「当該取扱いが客観的に見て、正当な目的の下に行われたものであり」という記載があるんですけれども、この客観的あるいは客観性という物差しがある意味で、差別禁止法の必要性にもなっていると思ってます。ですから、単純に客観的にという言い方がいいのか、それとも別の形での言い方を添えた方がいいのかということにつきましても、この法律が定める背景と実効性と、そして理解を深めるという点から検討することが必要であると思います。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
最初の御指摘、つまり直接差別、間接差別、関連差別、これが絡み合った差別というものに障害者はしばしば直面をしてきた。決して分けられるものではないんだ。それをどこかに書けないかということであったと思います。
これは条文を提示するという作業ではないとあらかじめお断りしましたが、この浅倉先生、池原先生、大谷先生、3人による要綱案を使わせていただくと「障害に基づいて、又は障害に関連して、直接又は間接に区別、排除、制限若しくは不利益な取扱い(以下、「不均等取扱い等」という)をすること」とありますが、ここで例えば仮に直接、間接あるいは関連といった言葉を並べることで、そのサブカテゴリというか不均等取扱いの下に相互に無関係な幾つかの類型があるというふうに誤解をされると、それは困るよと。むしろ複合的だよという御指摘ですね。これは条文をつくる作業は当面予定しておりませんので、何か書きぶりの中で今、御指摘の点が盛り込めないかを一般的には検討しますけれども、社会的障壁というものがこういう直接差別、間接差別、関連差別等がつくり上げる社会的障壁という、何かそういうことかなと思ったりします。
では、東室長、お願いします。
○東室長 言葉だけが先行してしまっているような感もあるんです。何か実態として関連差別とか直接差別とか、そういうものが別々にあって、それが複合的に絡み合って発生しているというふうに思われるかもしれませんけれども、実態は逆だと思うんです。1つの事実があって、それをどう評価するかという点で混乱をしているというだけなんです。だから、西村委員の言い方とは本当は逆でなければならないと思っているんです。
差別は事案としては1つなんです。ただ、その側面をどう評価するかでいろんな評価の仕方があって、それを別々のものとして考えれば複雑に絡み合っているということになる。だから障害者が受けている差別が絡み合った差別ということではなくて、それをどう法律に落とすかというところに評価の仕方、概念のつくり方がいろいろ混乱して、逆に実態が非常に複雑に見えるということなんだろうと思うんです。そこはちょっと考えの方向性が違うのではないかと私的には思っているわけですけれども、それはいかがですか。
○西村委員 必ずしも違うとは思っていません。というのは、一番大事なことは障害者がどういう差別を受けてきているのか。例えば私どもが先日出させていただいた資料では、障害者が採用試験を受けるときに、点字試験を用意しない、用意をしている、活字印刷物に対応できる人という言い方をされたりしている。手話通訳に関して言うと、そうした配慮がなされないことによって集団討論から排除されているということで、結論から言えばその障害があるがために、障害のない人が当たり前に参加をしている機会や待遇が受けられないということで、それをどう解消していこうかということが中心的な課題であると思っていますので、そういった意味では目的については変わってはいないと思っています。
○東室長 その点はそうなんです。実態は1つだというのは、例えば点字を用意していないという実態はそんなに複雑ではなくて単純なんです。用意していないんです。ただ、それをどう言葉でそれが差別になるんだというときに、関連差別とか間接差別とか、言わば概念の方が迷っているわけです。だから関連差別という差別実態というのがあって、ほかにまた違う類型があって、結合して実際には差別が起こっているということではないんだろうと思うんです。
だから、何か絡み合っているというよりも、それぞれ実際に差別される形というのは違うんですけれども、そこが同じだと言っているわけではないんです。しかし、それをどう法的に表現するかという側の問題があるだろうといっているわけです。
○棟居部会長 まだ質問2点ほど、あるいは御意見が残っていまして、それにコメントさせていただきます。それと遠藤オブザーバーにお願いして、その後、太田委員という順番でよろしいでしょうか。
西村委員の先ほどの御発言の2点目は「異なる取扱い」という表記についてでありました。確かにこの文章も未熟でございます。「差別か否かが問題となる異なる取扱い」といった形容詞をつければ多少明確化するかもしれませんが、こちらでまた検討させていただきたいと思います。
それから、客観的にという6ページの下から4行目についても、今すぐに三役でましな案が見つかりませんので、御指摘の点を踏まえて検討したいと思います。
ということで、太田委員は今のやりとりについて関連でおっしゃるということですか。
○太田委員 若干、関連があります。
○棟居部会長 では、太田委員、どうぞ。
○太田委員 今、積極的差別について触れられたんですが、実を申し上げて、JDFとしてこうだということはまだ一本にまとまってはいないんですけれども、言えることは、例えば特別支援学校や障害者施設とか、あるいは雇用就労の場において一般的な代替措置的なシステムによって、それらをあたかも保障しているかのような制度があります。それは、そういうことを言っているわけではないですね。それは積極的差別是正措置ではないというふうに解釈していいでしょうか。それは、そういうことを言っているわけではないですね。
○棟居部会長 ありがとうございます。代替措置がとられて、本来の措置になっていない。そういう場合も含めて積極的是正措置に入れるのはおかしいという御指摘でしょうか。
○太田委員 異なる取扱いを受けている場合もあるということについて、それは含まれませんよね。
○棟居部会長 異なる取扱いという文言が、このままでは誤解を生むという御指摘は。
○太田委員 そうではなくて、特別支援学校や施設とか、別な取扱いを受けているという場合があるんです。
○棟居部会長 ごめんなさい。ちょっと誤解をしておりました。アファーマティブ・アクション、積極的差別是正措置に特別支援学校のようなものが入るという見方があることは、私は全く想像だにしていませんでした。それは実態を勿論踏まえる必要がありますけれども、ここにおられるいろんな実態を御存知の方からの御報告を聞いていても、積極的差別是正措置とその種の施策との同一視というのは、私個人の念頭には全くありません。それをどう書くかについては三役で、あるいはどのように表現できるかについて相談させていただく。場合によっては太田委員の方で、この部分はこう修文すべきだといったことを個別に御提案いただければ検討しますけれども、今も横で竹下副部会長が少し違うのではないかということをおっしゃっているように、なかなかすぐ答えは出ません。ごめんなさい。
太田委員ありがとうございました。
大変お待たせしました。遠藤オブザーバー、お願いします。
○遠藤オブザーバー ありがとうございます。経団連の遠藤と申します。
まず3ページ目の後段に書いていただいておりますように「障害を理由とする差別に関して、私人間を含む社会における行為準則を示すことを目的とするものであり」等々書いてあって「どのような行為が禁止されるのか、どのような行為が求められるのか、どのような行為は許容されるのか、ができるだけ分かり易い形で」と書いてあります。まさにそのとおりでありますので、その方向で是非進めていただきたく思っているところでございます。
6ページ目に入らせてください。主観的要素の部分で、なお書き以下のところですけれども、どういう意図でこういう書き方にしているのかを教えてくださいというのが、質問の1点目です。
質問の2点目です。過去の障害等の部分ですけれども、これまでの議論の中で、あるいは海外の事例等も含めていろいろ検討し、御紹介いただいている中で、こういう書き方になっていることは理解しています。仮に、この方向で今後立法化されるということをイメージしたときに、過去に存在した障害あるいは御家族に障害を持たれた方がいるのかどうなのかといった事情についての予見可能性はどうなるのか、どういう形で企業現場は判断することになるのかが、私はずっと頭の中に残っています。どういう形で現実問題として対応できるのかというところを教えてください。
以上であります。
○棟居部会長 ありがとうございました。非常に現実的で、しかし難しいことをお聞きしていただいたと思います。
わかりやすくということをほめていただきましたが、そう標榜しながらわかりにくい点が多々あるということであったかと思います。誠におっしゃるとおりであります。
まずおっしゃいました6ページの主観的要素という3)の「なお、障害以外にも異なる取扱いを行った理由が存在する場合」というのは、別の理由も加味されて、障害を理由に差別。しかし、それとは別の理由も例えば実家が金持ちでないとか、そういう障害とは異なる理由が相まって不利益な取扱いがなされたという場合。不均等な取扱いがなされたという場合。その場合、どちらの理由が主たる理由なんだろうかということを検討し、障害が第1番の理由、主たる理由でなければ、ここに言う障害者差別、障害に基づく差別に当たらないかというと、そんなことありません。
つまり、実家にお金がないというのが1点、障害があるというのが2点、合せて不利益な扱いをしておれば、これは障害者差別だというつもりでなお書き以下を書いております。複数の理由がある場合に順位づけをしたり、そのパーセンテージを云々するということではなくて、障害が理由で差別が行われていれば、その他の付加的な理由があるかないかに関わらずに、ここで言う差別ととらえるという、ある意味の言い訳を封じていこうという観点から、主観的と言うときに人の心の内面はそもそもわかりませんので、こういうことを書いておるんですが、書きぶりがよろしくないというのも今の御指摘でそのとおりと思いますが、考え方の上でのあれでしょうか。やはり主たる理由として別の理由が来ておる場合には、この法律でカバーするのはちょっと行き過ぎではないかという御懸念もございますでしょうか。
○遠藤オブザーバー まず素直にこれを読んだときに、複合要素がある場合の取扱いを意識しているというのは感じ取っていました。その上で、「必ずしも障害が主たる理由であることまでは必要とならない」というところまで書いてしまうと、かなり薄い段階のものであったとしても、多少なりともそこが絡んでいたとすれば、この法律でカバーしていくことになり、私はどうかなと思ったものですので。
○棟居部会長 わかりました。いずれにせよ、十分にこちらで議論して詰めたことではございません。ですから、今の御指摘も踏まえて再度この点も練り直したいと思います。どうもありがとうございました。
○竹下副部会長 もし表現に問題があれば訂正したいと思うんですが、現実に最もわかりやすい私の友人の例で言いますと、学者ですけれども、在日朝鮮人で全盲の友人がいるんです。この方の就職をめぐっては、彼は非常に長い間、就職できませんでした。彼は論文審査ではいつも通るんですけれども、在日であることが理由なのか、障害があることが理由なのかはわかりませんが、なかなか就職できませんでした。では区別をして議論できるかと言えば、当該学者というか研究者は1人を対象としているわけですから、彼の人格というか属性を、障害というものと在日ということを分けて考えることは不可能なわけです。そうすると、そこには障害を理由とするにしても異なる取扱いがされている場合には、やはり差別禁止法で対応せざるを得ないのではないか、あるいはすべきではないかというのが、ここの部分の趣旨だと御理解いただければと思います。
○棟居部会長 補充説明ありがとうございました。
それでは、遠藤オブザーバーから寄せられた最後の点に関してでございます。これは過去の障害ということを6ページ2)で掲げているけれども、それだとこの意見書で一番の売りというか、標榜しようとしているわかりやすさ、その基準としての明確さというものにはつながらないのではないか。つまり、過去の障害等について差別側といいますか、相手方に予見可能性をどのようにすれば明示できるのかという、非常に難しい質問をされたと見ます。
この点、私が今、お答えをして、かえって議論がふくらむようだと。
○東室長 この問題は次の3)主観的要素と関連してくるわけです。過去に障害があるかどうかを全く知らずに、予見できずに何か違う取扱いをしたという場合には、そもそも主観的要素を欠くことになりますから、差別に当たらないという関係になります。それは将来発生するであろう障害についても同じなわけです。
むしろ、逆にそういうことを知っていて違う取扱いをしたような場合に、原告側がそれを立証するのがとても大変という問題がありますけれども、行為者側については知らなければ差別になりませんので、そんなに問題はないかという感じがします。これまでの議論の流れで言えば、結論的にはそういう形になるのではなかろうかということです。
○棟居部会長 検討は継続させていただきます。どうも御指摘ありがとうございました。
同時にお三方お手が挙がって、川内委員も0.1秒遅れてお手をお挙げになっているという、これは競馬とかだったら大混乱になるような、今、非常に失礼な言い方をしましたが、ただ、私の見る限りでは恐らく池原委員がほんの少しだけ早かったと思います。どうぞお願いします。
○池原委員 ありがとうございます。
間接差別と関連差別についての4の記述というか、類型化をどうしていくかということについてですけれども、結論的には一本化した形で規定するのがいいだろうと思っていて、我々3委員の案もそういう線で書いているわけですが、今回、三役の方から出されている見解だと、要は関連差別が規定されていれば間接差別はそれでカバーできるので、間接差別については類型として挙げなくてもいいのではないかという前提だと思うんです。
私も大体そうなのではないかと思うんですけれども、ただ、例えば訴訟などでの要件事実的に考えると、間接差別というのは結果的に不利益だとか排除が発生していればいいという考え方だと思うので、多分、原告の主張すべきことは一定の中立的な規定が存在している。その規定を適用すると障害者である私は排除されている。この2つを証明すればいいのではないかと思うんです。
関連差別というのは関連性がもう一つ要件になるので、関連性があるということを主張立証しなければいけなくなって、ある意味では主張すべき事項が1個増えることになるのではないかという気がするんですけれども、どうなんでしょうか。
もう一つは、主観的な要素にも関係するんですが、関連差別の場合、関連性があるということについて認識または認識し得べきことが必要なのかというというのがよくわからなくて、できれば間接差別は残っていてもいいのではないかという気がするんですけれども、言ってみれば関連性要件というのが場合によると将来的に裁判所で結構厳密な要件とされてしまうと、関連性をかなりきっちり証明しないと関連差別が立証できないことになりはしないかというのは、ちょっと懸念されるところだなと思うんです。
○棟居部会長 ありがとうございました。
結局一本に持っていくというところで、かなり解釈というか裁判所に下駄を預けているようなところがあって、その意味では下駄を預けるときに関連差別ということで、間接差別よりもよけいな立証上のお荷物をおまけで付けた上で下駄を預けるというつもりは一切ないわけです。ですから、結局のところは一本化ということですから、今の御懸念はよくも悪くも多分当たっていないと思います。
ただ、間接差別を関連差別に結局、帰着するというのは理屈の上ではある種の冒険というか、1つのえいやという思い切りがあるのは紛れもない事実。ただ、わかりやすさとか基準の明確性、しかも行為規範として差別者とされる側の方々に、こうすると差別になりますよというものを示していくという、この部会の最後のとりまとめのスタンスからしますと、間接差別という概念は極めてインビジブルというか、見えないわけです。ですから、これを裁判所が差別と認定してくれれば万々歳ということで、巧妙に別の一見中立、客観的な理由を持ってきてというのは、女性差別の現場でも繰り返しなされているわけで、先ほどテキサス大学の先生の長い闘いだと言われたという話を紹介しましたけれども、まさに間接差別の事案なんかはそういうことにずっとなっていくのではないか。
池原先生の御懸念に対して、一応ディフェンドというか自己弁明をしたつもりですけれども、その自己弁明よりも別のやりとりが更に発展性があるのではないかということですね。では、川島委員、どうぞ。
○川島委員 ありがとうございます。川島です。
池原先生がおっしゃる懸念なんですけれども、間接差別と言っても、障害のある人がいて、何らかの中立的な基準があって、それだけ証明すればいいというふうにはならないと思います。結局、障害のある人にとって何らかの関連性がない限り、それを証明しない限り、単に中立的なルールなりがあって不利益を被ったから、それで証明責任を果たしたというふうに、そこまで簡単なことにはならないと思っております。
○池原委員 私が言ったのは、そういうふうに単純化しているのではなくて、規定があって、その規定の結果として自分が排除されているという結果が発生している。その2つは言わなければいけないと思うんです。だから、その結果としてという言葉の中に関連性と似たファクターが実際には間接差別の証明のときにも入ってくるんですけれども、そこが完全に多分関連差別だと、関連性というのは1個の独立した要件になるので、当然関連性があることをきっちり証明しなければいけないんだろうと思うんです。そこが結果として排除される効果が生じたという事実の証明の仕方と、ある規定が障害と関連をしているということの証明が完全に同じものなのか違うのかというのは、ちょっとよくわからないんです。
それで間接差別と一応ほかの国では置かれているものを勇敢に捨ててしまっていいのだろうかというのが、ちょっと気になっているところなんです。
○棟居部会長 では一言だけ川島委員、そしてその後、山本委員お願いします。先ほど浅倉委員、伊藤委員、川内委員が手をお挙げになっていますので、それぞれお一言ずつということでこの第2コーナーを終わりたいと思うんですけれども、今の順番で川島委員、どうぞ。
○川島委員 ありがとうございます。川島です。
1点だけ、なぜイギリスとかで間接差別というものが使われていないかというと、証明が非常に難しいからです。つまり同じような障害のある人が集団としてそのルールによって排除されていることを証明しなければいけない。比較対象者の要件が必要となります。それは非常に面倒だし証明しにくい。これに対し、関連差別というのは証明責任が楽だということがいわれます。関連差別では、比較対象者を特定する必要はなくて、自分が排除されていることを証明すればいいというようなところで、池原先生がおっしゃられるような懸念は逆に間接差別の方が証明は大変だというのが、私はイギリスでの経験だと理解しております。
○棟居部会長 ありがとうございました。
山本委員、どうぞ。
○山本委員 ほかの点についても発言させていただきたいと考えていたのですが、とりあえずこの点だけについて発言させていただきます。
関連差別と言うときに、例えば目の見えない障害者と盲導犬、あるいは歩くことが難しい障害者と車いすというのは、この意味での関連性は客観的に判定もしやすいですし、すぐにイメージできるのではないかと思います。
関連差別を間接差別も含めて広い意味で理解していくというのは、考え方としてはありうると思うのですけれども、どこまで広がるのかがわからなくなってくるのではないかと思います。したがって、仮に両者を統合して書くにしても、ここで言う「障害に関連する」の意味はこういう意味であるということを、法律の中で書かざるを得なくなるだろうと思います。そうしないと、使えなくなってしまう可能性もあります。
そのときに、池原委員がおっしゃるように、中立的な基準を適用しているように見えて、結果的にそれは一定の障害者を排除する効果を持つということも「障害に関連する」差別にあたるというような基準ないし定義を置かざるを得なくなるだろうと思います。その意味では、形の上では両者の類型を統合してはいるけれども、わかりやすい明確なルールにするという観点からは、このような定め方にならざるを得ないのではないかと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
では、山本委員はこの3委員の要綱案にお書きになっているような「障害に基づいて、又は障害に関連して、直接又は間接に」という、この程度の書きぶりというのは最低限要求される。もっとですか。
○山本委員 「間接に」というのが何を指すのかがおそらく紛糾することになるだろうと思います。したがって、その意味がここで既に明らかになっているのであれば、そのことがわかるように、誤解の余地が少なくなるような基準として書く方が、どのような類型分けをするかということよりもはるかに重要ではないかと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
誤解を防ぐという意味で乱暴な一本化をあえてしようとすると、逆に誤解を残していくだけではないかという非常に重い御指摘をいただいたと。これは我々で議論をし、更に皆さんのお知恵を借りたいと思います。
ここで私の頭の中ではどなたがリザーブをされていたか、かなりぐちゃぐちゃになっているんですが、松井委員がお手をお挙げになっていますね。最後にお願いするということで、浅倉委員、伊藤委員、川内委員の順番でお願いできますか。
○浅倉委員 ありがとうございます。簡単に2点だけ申し上げます。
私たちの要綱案では「障害に基づく差別」という言い方をしています。それは「理由として」というのと「基づく」のどちらを使おうか検討した結果「基づく」の方がいいのではないかと考えましたので、その辺りをもう一度、この三役の方の意見の中で統一していただければと思います。
いずれにせよ、例えば「事由故に」という言い方が6ページ3)には出てまいります。一方、5ページ4)ですと上から10行目ぐらいのところに「事由を理由にする場合」として、「理由にする」という表記も出てまいります。最終的に条文化に結び付きやすい文章ですので、そこを少し注意して統一していただければと思います。
もう一つは既に西村委員から出ていることですが、「不均等取扱い」というのと「不均等待遇」とがいろいろと出てまいります。不均等待遇の定義については、5ページのちょうど真ん中辺り「仮に『不均等待遇』と呼ぶ」が非常に明確なのですが、その前に、例えば4ページの直接差別とか関連差別の類型のところでは、括弧の中で「不均等な取扱い」とあり、6ページ2)も「不均等取扱い」という言葉が出てきますので、なるべくこれも統一していただければと思います。
もう一つ、前回のコーナーだったのですが、行為準則という言葉はどの程度、日本語として受け入れられているのかなという気がいたします。部会長は先ほど発言の中では行為規範というお言葉を使っていたと思うんですが、法規範と行為規範ですとかなり私たちは明確に理解できます。一方、行為準則というのはどうなのかなと思いました。以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。今の御指摘の点を含めて用語の統一を図っていきたいと思います。その点、不用意がいろいろあり大変失礼いたしました。
続きまして、伊藤委員、お願いします。
○伊藤委員 伊藤です。1点、質問をさせていただきたいと思います。既に御説明があったとしたら申し訳ありません。
6ページ3)主観的要素と4)正当化事由の関連について教えていただきたいのですが、差別を受けていると認識している側の認識で足りるという主観的要素と、正当化事由として差別的な取扱いをする場合の客観性ですとか、やむを得ない場合ということの、どちらが優先されるのでしょうか。何か法律を考える上での一般ルールがあるのか、もう一度教えていただければと思います。
○棟居部会長 今の点については、私の素朴な理解では、まず主観的要素というのは成立に関する要件で、これがつまり満たされて、異なる取扱いを行っているということの認識がありさえすれば、基本的に差別になりますよと。
しかし、正当化というのはそこから引き算していく話で、ただしということで当該取扱いが客観的、この客観的という表現自体にも先ほど練り直せという御注文がありましたが「正当な目的の下に行われたものであり、かつ、当該取扱いがやむを得ない場合においては」というのは、例外的に正当化できる場合には、ただし、全体としては差別ではないことになるという、こういう順番ということで素朴にここでは書いておるところです。訴訟の場でどう反映するかという技術論まで、この三役レベルで踏まえているわけではありません。
もし伊藤委員よろしければ、次に川内委員ということで、そしてその後、松井委員で締めていただくという流れで。
○川内委員 教えていただきたいんですが、浅倉、池原、大谷案では1ページ目の下から10行目ぐらいに「不均等取扱い等」という言葉の定義をしていて、そこには不利益な取扱いということが書いてあるんです。これは障害のある方に対して不利益な扱いがあった場合だというのはわかるんですが、こちらの三役の案の5ページ4)の一番最後に「不均等待遇」と呼ぶという定義があって、ここには「障害又は障害に関連した事由」を理由とする差別類型というふうに書いてあるんです。この差別類型というのがよくわからないんですが、差別類型と言ったときに、これは障害のある方に対しての不利益な扱いのみを指すのか、逆差別と呼ばれているような優遇と周りからとられるようなものも指すのかというのがよくわからないんです。
差別禁止法というのが障害のある方に対しての不利益な扱いのみを禁止するものなのか、例えば合理的配慮なんかの交渉を労働者と企業が行った場合に、何らかの労働者からの圧力が強くて、外部から見ると明らかに優遇だと思われるようなことが行われたとした場合に、そういう優遇に対しても差別を禁止するものなのか、そこのところを教えていただきたいです。
○棟居部会長 これはどこまでこの表現で明らかにできておるかということを、今ここでこう書いているというふうにすぐには言えませんが、言うまでもなく優遇は含まないという前提で書いています。というのは、これはあくまで障害者差別を禁止するということですから、優遇云々となると逆差別ということですね。ターゲットは障害者ではないということになりますので、優遇云々という局面は念頭に置いていません。
ですから両サイドから、つまり障害者に対して合理的配慮、どこまで必要だ。それに対して行き過ぎると今度は合理的配慮を課された側がある種の逆差別を受けたことになるというと、数学的に1つのピンポイントの正解を出さなければいけないということになって、合理的配慮というものがものすごく緻密な何か方程式を踏まえないと出てこないことになります。常にある一点以外はすべてが差別になるということで大きなリスクを負うことになって、制度が動かないと思うんです。私個人としてはそういう印象です。ですから、その点も踏まえまして今、川内委員が御指摘になった点については、先ほど申し上げたように考えております。
ということで、もしよろしければ山本委員に。松井委員は最後ということでお願いしています。紅白ではありませんけれども、松井委員は最後で。
○川島委員 さっきの浅倉先生のご発言内容にです。
○棟居部会長 川島委員は浅倉委員に対する質問をしたいという御趣旨ですか。失礼ですけれども、今回ベースにしていますのは、議論をしていただく対象は部会三役原案ですが、それとも結び付くやりとりということでよろしいですか。では、その限りでお願いします。もう時間が大分過ぎていますので、よろしくお願いします。
○川島委員 ありがとうございます。
先ほど「基づく」と「理由とする」というので、「基づく」にこの部会三役案を統一した方がいいとおっしゃられたんですけれども、その理由が示されていなかったので教えていただければと思います。
○棟居部会長 では、浅倉委員、お願いします。
○浅倉委員 「理由とする」と言いますと、かなり厳密な関連性というか、厳密な障害という根拠を示さなければいけないのではないかと思います。また、表現的には「~の事由を理由とする」という言い方になると、ダブって表現されているのではないかと思います。その2つです。したがって「障害に基づく」と言ってしまえば、それ「のみを理由とする」という意味が少し排除されて、障害に基づいて差別というものが発生しているということさえ示せばいいのではないかと思います。
○棟居部会長 お願いします。
○池原委員 もう一つは語感の問題ですけれども「理由とする」と言うと、かなり人間の意思的な作用というか、主観的な何かを理由づけたというファクターが入りそうな感じがして、「基づく」であると言わば物理的、客観的にというか、関係性があればいいということになるのかなという、かなりそこら辺は感覚の問題です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
では、山本委員、どうぞ。
○山本委員 2点申し上げたいと思います。
まず一点目は、要件として「不均等な取扱い」というようにするという点については、これでよろしいのではないかと思います。といいますのは、これによってほかの人については一定の取扱いをしているけれども、障害者についてはそれをしないということが示されると考えられますので、私は適当ではないかと思います。
ただ、これは前の部会で申し上げたことですけれども、例えば結婚するだとか、養子縁組をするだとか、そのような問題、あるいは友人間の私的なサークル活動や読書サークル、趣味の会といったものについて、同じようにこの差別禁止法がそのまま適用されるのかと言うと、私は、それは望ましくないと思います。そうしたいわゆる私的な「親密圏」と言われているものに関する事柄は、おそらく排除されるべきではないかと思いますが、それがこの提案のどこで排除されることになっているのかということを確認しておきたいと思います。
もう一点は、6ページ目の主観的要素ですけれども、これも前に部会のときにも申し上げましたが、2つ問題があると思います。
1つは、民法の一般ルールですと、損害賠償について「主観的要件」として、故意・過失が要件とされますが、例えば差止めに当たるものをする場合には、客観的な違法性があれば足りる、あるいは権利侵害があれば足りると考えられています。そうしますと、ここで書かれているように、主観的要件が入ってきますと、今の民法の一般ルールとの関係をどうとらえるかということが問題となります。
もう一点は、この法律の趣旨が平等取扱いにあるとするならば、主観に関わりなく、不平等な取扱いが行われているのであれば、それを是正しなければならないということが出てきてもおかしくないと思います。しかし、主観的要素がなお問題になるとすると、平等取扱いが勿論基礎にはあるのかもしれないけれども、障害者の「人格」を害するようなことが行われている場合に、それを保護しなければならないという趣旨がそこに含められていると見る余地が出てくるだろうと思います。
その意味で、この主観的要素という要件をなぜ、どのような意味で取り上げるのかという点を明らかにする必要があると思います。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。親密圏云々といいますか、サークルとか結婚とか養子とか、そういう極めてパーソナルな事柄については、この法律の射程外であるという点についてはどこかで書いたんですけれども、今すぐに発見できないでおります。それだけ余り前面に押し出す形で書いていない。合理的配慮のところに書いておると思うので、次のコーナーで触れたいと思います。
主観的要件については室長に、テクニカルな点で私がまた変なことを言うと怒られますので、お願いします。
○東室長 主観的要素の議論は違った方向での議論があり得るかと思うんです。
1つはどういう方向での議論かと言うと、これまで差別という問題については、わざと差別する。害がなければ差別にならないだろうといった議論に対して、そういう悪意とか害というのは必ずしも必要ないんだということをはっきりさせるという意味で、こういう形で書いているというところです。
あと一つは、先ほどおっしゃいましたように平等とか差止めの要件になる客観違法というものがあれば、必ずしも故意、過失がなくてもいいのではないかということは、そのとおりだと思いますけれども、共生社会をつくっていくというプロセスにあって、一定の相手方の認識がない場合も、そこまで求めるということが共生社会をつくる上でいいのかということがあるのではなかろうかと思うんです。
やはり全く分からないことについて過失もないといった場合にまで平等を要求するといったことが、理論の問題ではなくて政策的にどうなのかとか、そういう社会をつくっていくプロセスでまず一定の合意をつくった上で、みんながほとんど理解したところであれば、そこまで持っていくとか、そういう過程が要るのではなかろうかとか、そこら辺の議論があり得るかなと思うんですが。
○棟居部会長 山本委員、どうぞ。
○山本委員 そのようなお考えは勿論あると思いますし、それならそれでそのことを前面に出していただければと思いますが、他方で、先ほど最初に確認したのですけれども、「完全参加」が社会生活への参加だとしますと、周りの人に認識がなければ社会生活への完全参加ができなくなるというのはどうなのかという問題が出てくるだろうと思います。しかし、それとは別の考え方はあり得るという点は了解しています。
○東室長 それと1点、実際上の話は、これは本当に単発的な形で終わるという事案よりも、どうして障害者にはこういうことができないのか、拒否するのかという形で、恐らくすぐ交渉が始まるんです。そうしたら相手方は障害があるのかとその時点でわかるわけです。ですから、実際上はそんなにわからなかったと。一番最初の出会い頭的なところは当然わからない部分が多いですよ。ですけれども、やはりそこから先の交渉の中で当然わかってくるので、そんなに実際上、不都合は起こり得ないのではないかということもあるのではないかと思います。
○棟居部会長 済みません、先ほど出てまいりませんでしたが、合理的配慮について触れておる8ページの3)の下の方に、今、山本委員が御指摘の親密圏についての記述に相当するとこちらでは考えているものを書いております。ただ、合理的配慮の中で書くよりも、もっと手前のところで書くべきではないかということでしたら、別の場所がふさわしいかもしれないという点も含めて検討させていただきます。
ということで、松井委員、お待たせいたしました。お願いします。ただ、時間が大幅に超過しておりますので、よろしくお願いします。
○松井委員 これは観念的な話なんですけれども、積極的差別是正措置は言うならばここに書かれているようにあくまで暫定措置というか、本来ならばそういう積極的差別是正措置がなくてもすむような社会を目指すということと思われます。そういう意味で、そういう社会に向けて具体的な取組みをするというような積極的な考え方があっていいのではないか。だから当面はそういう必要性が認められるということですけれども、往々にして当面がパーマネントになりかねないので、そういう意味ではそういう措置がなくても、そのような社会づくりに向けて具体的な取組みをするというような考え方が望ましいのではないかということを申し上げたいということで、発言させていただきました。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
では大谷委員、コンパクトにお願いします。
○大谷委員 関連で、最初太田委員が言ってくださって、後で協議というか検討していただけるかなということだったので、今、一生懸命文章を考えていたので発言を控えていたんですけれども、積極的差別是正措置のところは中間とりまとめでどこで議論したかなというふうに読み返しましたら、やはり雇用のところなんです。雇用率に関しては積極的差別是正策の一環として認めざるを得ないだろうということで、当面それは置いておくというような形で位置づけて、そこで議論をしたという経緯があるんです。
ただし、雇用率のところでもその意見が出たかどうかわかりませんが、特例子会社等をやって、そこに障害者を集めて雇用率達成ということも現に出てきてしまっているということもありますから、私は一般論として積極的差別是正措置は否定はしませんけれども、運用等においては先ほど言った基本理念に反することがないようにとか、何か注意規定を置かないと、是正措置でこれが優遇なんだから、あてがいぶちでこれでいいだろうみたいな形の優遇措置がまかり通りかねない。要するに理念がそこまで浸透していない段階では非常に危険になってしまうおそれもあるので、書きぶりに関しては若干注意していただきたい。もしくは提案させていただきたいと思いました。ちょっと補足で長くなってごめんなさい。
○棟居部会長 ありがとうございます。積極的差別是正措置が独り歩きをする、逆にエクスキューズに使われると、それ自体が社会的障壁になるという、これは極めてパラドキシカルなことになるわけです。ですから、全体にこの提言でもう少し運動論的というのか、まさに提言として技術的な立法につなげるというだけではなくて、もう少し社会に向けて提案をしていくというスタンスがより色濃く出た方がいいかもしれません。その点は反省しています。
ということで、恐れ入りますがここで切らせていただきまして、既に時刻は16時52分ということでございますので、ここから休憩時間15分は譲れない権利であるという理解の下に、17時07分に再開ということで、その分、合理的配慮については私の説明も含めて、全体に圧縮された時間の中でコンパクトにさせていただきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。

(休憩)

○棟居部会長 そろそろ始めます。再開します。
第3コーナーは60分を予定しておったんですが、御案内のようなことですので、40分程度しかございませんけれども「第4、差別の定義」の「3、合理的配慮の不提供」について、最初に私からごく手短に報告をさせていただきます。
「第4、差別の定義」の3をごらんください。合理的配慮の不提供という7ページの3のところであります。そこではおおむね以下のことを述べております。
障害者権利条約における合理的配慮の定義を踏まえ、本法でも社会的障壁により障害者の実質的な権利行使が妨げられている場合は、障害者からの求めに応じて必要かつ適当な調整を行わないことを差別とすることが妥当であるという、合理的配慮の不提供について掲げております。
2点目としまして、障害のない人に提供されるもろもろのサービスや機会は、障害者にも利用可能な形で利用されるべきであるという考え方から、合理的配慮という作為義務が相手方に課せられるという点を確認しております。
3点目としまして、合理的配慮をしないことが差別となる分野は、障害のない人への何らかのサービス、役務提供、機会や権利が与えられている分野であり、全く私的な領域等の場合は合理的配慮は義務づけられない。ここで先ほど山本委員から御指摘のあった親密圏の取扱いを、合理的配慮という文脈の中でそれなりに取り込んでおります。
更に合理的配慮の内容として、基準、手順の変更、物理的形状の変更、補助器具・サービスの提供のような措置といったものが考えられようと思います。合理的配慮は過度の負担が生じる場合には義務づけられない。過度の負担かどうかは合理的配慮の提供に係るコストと業務に支障がある、またはサービスの本質が損なわれるかどうかによって判断される。合理的配慮が義務づけられない場合の立証責任は、相手方、差別をする側にあるという点を述べております。
更に合理的配慮及び過度の負担は個別性が強い概念でありますから、法律上の規定に加えて国が障害者や事業者、国民の理解の下でガイドラインを作成するべきであるという、先ほど来、出てまいっておる基準としての明確性、行為準則という言葉遣いについても御発言がございましたが、そうした明確性という観点から、国民の理解の下でガイドラインを国が作成すべきであるという考えを述べております。
合理的配慮の内容は、障害者と求められた者が協議して確定することが望ましい。障害者と例えばサービス提供事業者の側で協議をして確定をすることが望ましいわけであります。ただ、どうしても合意できない場合、調停等行政機関による解決や、最終的には司法の場での判断となるという考え方で書いております。
更に合理的配慮の実効性を担保するため、障害者からの求めがない場合でもあらかじめ何らかの措置を講じる事前的改善措置については、当面は重要な政策課題と位置づけるにとどめ、本法の直接の対象とはしないという点について、この三役の原案段階ではそのような考えを打ち出しております。
以上がこの合理的配慮に関する原案の概要であります。それでは、どなたからでも御自由にどうぞ。
○川島委員 ありがとうございます。川島です。
まず誤字脱字について1点だけなんですけれども、8ページ3)の合理的配慮が求められる範囲の上から8行目「差別と認めれる限り」は「認められる限り」になると思います。
今度は内容面なんですが、今の誤字の2個下の「したがって」というところなんですけれども、一読して意味がわかりづらいなというのは率直に思いました。これはこれ以上内容に踏み込まないで、次に9ページなんですが、9ページの上から9行目のところで「まず、経済的・財政的なコストの面では」というお話が入ってくるんですけれども「相手方の性格、業務の内容、業務の規模、業務の公共性、不特定性、事業規模から見た負担の割合」とあるんですが、この業務の規模と事業規模から見た負担の割合というところの、極めて内容的に似ているような気もしたんですけれども、ということが1つです。
最後に10ページ目にある事前的改善措置との関係なんですが、これは確かにここに書かれているとおり、なかなか難しい問題があります。そして、私がその事前的改善措置というのが必要だという理由は、1つ現行のバリアフリー化施策とか、そういうものと違って、これは最終的に司法的救済が得られるというところまで事前的改善措置というのは想定していたんですけれども、ただ、これは現時点では難しいだろうということに対して、私は現時点で反対いたしません。
ただし、一言付け加えたいのは、今後この論点については検討していくとか、この場ではとりあえず事前的改善措置というのは本法の対象とはしないとしたけれども、今後、見直し規定の際にはもう一回法律の実施状況を見て、事前的改善義務というものは、今後もう一回検討するに値する重要な論点であることは間違いない、これはイギリスの方ですごく重視されている以上、日本でも検討するに値する、というぐらい書いていただけますと、ありがたいと存じます。
最後に、今回の三役原案全体につきまして、私は基本的に大変素晴らしいなと思っていることを述べて終わります。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。特に具体的な御質問ということではなかったと思いますので、いずれも貴重な御意見として承り、特に最後の点は何か表現上で盛り込めないか検討してみたいと思います。いわゆる役人答弁風で恐縮ですが、文字どおり前向きに検討します。
野沢委員、どうぞ。
○野沢委員 飛び飛びでしか出席できなくて、議論についていけるかどうか若干不安なんですが、合理的配慮に関して言うと、発達障害とか知的障害の方々に対する合理的配慮はなかなかまだ議論が深まっていなくて、これは知的や発達障害の家族の立場である私の責任なんですけれども、この8ページの内容のところの例を見ても、一番上はそうなんですが、ほかは余り発達障害の方の記述がちょっと薄いなという感じがしていて、最近一般企業の中でも知的障害、発達障害、精神障害の方々の働く数が相当増えてきているんです。これから法定雇用率が1.8から2.0になるということで、基本的には知的や精神の人たちを雇わなければ達成できないというところがかなり出てきます。そこが非常に中心的課題になっていくだろうと私は思っています。
そのときに最近言われているのは、かなりいい企業で、私は特例子会社は結構いいなと思っているんですけれども、それは置いておいて、かなりいい企業と言われているところでもなかなか定着しないんです。それは何でなのかと言われたときに、職場で指導するというか、職場の側に発達障害の方の特性の理解が足りないということが大きいのではないかと思われます。例えばちょっと考えただけでも彼らのコミュニケーション特性の理解に基づいた指導、環境整備、人間関係の調整だとか、福祉施設なんかでよくありますが、パーテーションをちょっと仕切るだけで、感覚過敏を持った方が多いですので、非常にいい労働環境が提供できるだとか、あるいは混乱してパニックを起こす人も多いので、そういうときにさっと一時避難できるようなスペースの確保だとか、これはかなり最近ですけれども、いい事業者なんかではそういうものを取り入れたりなんかしているんです。
これは多分こういう合理的配慮を是非していただきたい、進めていただたい。そうするとかなり定着できるのではないかと思うので、これからガイドライン等をつくるときに、こういったものが当然含まれるような書きぶりを是非していただきたいなと思います。
それと、私はこういうふうに思っているのですが、間違っているかどうか教えていただきたいんですけれども、こういう合理的配慮がないままに厳しい感情的な指導をして、あるいは怒鳴るとか厳しい指導をして、ストレスをためてうつ状態になったりひきこもりになったりする。それはむしろ精神的虐待と言えるのではないかと言われていて、私自身もそう思っているんですが、それが間違っているのかどうなのか教えていただきたい。
もう一つ、先ほどのところで聞き忘れてしまったのであれですが、6ページの過去の障害等のところにある「家族等の障害関係者に対して不均等な取扱い」というのは、家族にとってはとてもこういうものを盛り込んでいただいたことはありがたいことだと思って、多分相当いろんな人が、いろんな思いをしていると思うんですけれども、具体的にはどんなことが想定されているのか、1つ2つで結構なので教えていただければと思います。
○棟居部会長 どうも貴重な御指摘ありがとうございました。あるいは御質問については私の答えられる範囲でお答えをしたいと思います。
まずガイドラインで知的障害、発達障害等についてもわかる書きぶりにすべきであるというのは、そのようにさせていただきたいと思います。
精神的虐待に該当するのではないか。つまり単に怒鳴りつけるばかりで合理的配慮がないという、よく実際には行われているんでしょうけれども、精神的虐待ではないかというのは差別と一応虐待を区別して議論しておると思うんですが、室長ちょっとフォローしていただけますか。
○東室長 そのとおりだと思います。勿論、虐待は現在虐待防止法がありますけれども、あれの要件はかなり厳しい要件でありますので、あれに当たらない場合は問題はないかというと、例えばいじめとかいうことには当たると思うんです。ですから、虐待防止法にない部分でひどい取扱いをどうするか。それをここの差別禁止法の中でハラスメントの1つとして書くかという問題になるかなと思っています。
○棟居部会長 ありがとうございました。
それから、最後に野沢委員が6ページの「家族等の障害関係者に対して不均等な取扱いをすることも、本法において『障害を理由』とする差別として禁止される」という、ここはこちら側として直接にこの部分で意識をしておったのは、いわゆる先ほどの結局は1つの不均等取扱いというジャンルに全部入れるんだという整理をしましたが、その前段としての関連差別というところで、子どもが障害児だから早く帰らなければいけないとか、そういう場合に対して働くお母さんに対する差別的な取扱いも、これも障害を理由とする差別なんだ、不均等取扱いなんだという理解で主観的には書いております。もう少し広がりのある話かもしれませんが、とりあえず主観的にはそういうことでした。
○野沢委員 この辺りは家族なんか相当注目しているところだと思うので、1つだけあれなんですが、最近、発達障害は親のしつけが悪くて起きるなんていうことが言われて、条例が提出されようとしたり、法律をつくろうとされたりしているんですけれども、こういうものは不均等な取扱いの中に入るのか。それによって、だからすぐに親がこういうふうにしなさいみたいなものがなくても、条例とか法律の中にそういう発達障害は親の責任で起きるのであるから、その親の子育てをこうしなさいみたいな条例がつくられる、法律がつくられる。それはどうなでしょうか。
○棟居部会長 今の点について私個人の意見になりますけれども、まず差別禁止法の大前提として、障害というものをありのままに受け入れる。障害者あるいは障害のある方をありのままに受け入れるというのがあるはずで、するとどういう原因で、だれの責任で障害を負うに至ったかという詮索というのは、初めからしないという前提で話が進んでおるはずなんだと思います。ですから親の責任云々というのは、すべてを障害を何かけがや病気と同じように考えて、ある種の加害行為があったからそうなったんだと。そして、それを勿論、民事責任が問われるような場合は別ですけれども、親の責任論というような茫漠としたトータルに親子関係、家族関係にマイナスのレッテルを貼っていくような、そういう考え方というのはそもそも科学的な裏付けがあるのかなとか、そこいらから私の今の認識では理解しがたいところです。
いずれにせよ、この部分の記述についてはそうした条例の動き等について全く意識せずに書いております。以上ですが、では大谷委員、どうぞ。
○大谷委員 次のこと言っていいんですか。
○棟居部会長 私個人としてはどんどん進めたいので、どうぞお願いします。
○大谷委員 質問を含めて言わせてください。
7ページの合理的配慮の不提供の第2段落なんですけれども、障害者の場合等々で説明されていますが「平等な権利を享有し、行使することは困難であり、権利の制限の原因を除去するため」ということで、権利の実現を阻害するといった観点で説明されているように思うんです。意識されているのかどうかはわかりませんが、私は権利だけではなくて待遇とか取扱いとか、そういうある種、明確な権利性まで至っていない不均等取扱いも含めて、それに対して合理的配慮が必要ではないかと思っております。
私たち3名の案では、そこをあえて意識して3名意見の方で「平等に権利を行使し、又は均等の機会や待遇を保障するために」という言い方をあえてさせていただいているのは、権利だけではなくて取扱い、待遇等も含めたことに関して等しく取り扱われなければいけない。そのための実現要素であるということを意識したものにさせていただいておりますので、これと言っていることが同じなのかどうかを確認させていただきたいと思います。
もう一点、合理的配慮が協議して具体的な内容が確定されるものであるということは、私たちも同感しておりますし、各分野で労働、雇用、教育においても、そのような検討がされているというふうに思います。
ここでの提言が、最後の10ページ「調停など合意形成をベースとした行政機関による解決の仕組みや最終的には司法の場における判断」、「最終的には司法の場における判断」というのは、これは差別か否かという最終的な決定は裁判で決定されることになろうというのは、これは異論ないところだと思いますけれども「合意形成をベースにした行政機関による解決の仕組み」ということは私も異論ないんですが、ただ、一般的にこれだけだとどこでそれがされるのか。差別における、差別と絡む非常に重要な要素ですので、合意形成は求めるにしても、やはりそこにふさわしいところでされるべきだと思っております。
それで本日私たちが提案した内容とすると、それも踏まえて今日あえて第三章の合理的配慮の調整及び紛争解決機関として、こういうところでそれはやってもらいたいというものを提案させていただいています。
具体的に言うと、どこになるのか、いわゆる人権救済機関が設けられるのかどうかがなかなかわからないところで、紛争解決機関としても障害者基本法に設けられた障害者政策委員会などが調整していくべきだという案を第三章において提案させていただいています。これはやはり調停を合意形成をベースにした行政機関というふうに、ただそれだけを言い切っていると、文科省などで用意している教育委員会においてこれを決めていくということで、内部的に決めていくということで、第三者が関与し得なくなるということがありますので、そこはやはり私たちの提案としては、もう少し突っ込んだ提案をさせていただきたいなと思っております。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
最後、行政機関では第三者性が担保されないというのは誠に御指摘のとおりで、しかし、我々の理解しておったところは、3委員の先生のお示しいただいた考えとそんなに離れていないと思いますので、これは使わせていただきたいというか、取り入れさせていただきたいと思っております。
救済については次回に予定していますので、またそこでもう少しこちらの修文したものをお示しできるかなと思います。
先ほどの権利性のところで、少し権利という言葉にこだわり過ぎて狭くなっていないか。3委員の先生方は不均等な待遇とか、もう少し事実に即した書きぶりをされていて、こちらの方が実効性があるのではないかという御指摘で、誠にそのとおりと思います。今日お出ししておる原案で権利という言葉に拘泥しましたのは、その前に権利条約を引用しておることから、それに言わば引きずられた結果でありまして、日本で実効性を持たす意味では権利という言葉に縛られるべきではないのではないかと反省しています。
以上です。ほか御質問、御意見。西村委員、お願いします。
○西村委員 ありがとうございます。西村です。意見といいますか、希望といいますか、3点ほどございます。
1つは7ページの合理的配慮の不提供に関する1)と2)の記載です。最初に全体的にわかりにくいところがあると発言させていただきましたが、特にこの部分で1)の「これは」からのわかりやすく言えばという内容等々、それから2)3行目の「これは、障害のない人には」という、ここの記載につきましては率直に申し上げまして、一般の方が読んだときにほとんどわからないのではないかという印象を持ってます。
したがいまして、この部分の書きぶりにつきまして委員の方からの案も出ておりますけれども、もう少し簡潔にわかりやすい形でまとめていただく必要があると思ってます。
質問になるのかもしれないですけれども、9ページ7)合理的配慮の実現に向けたプロセスの中でいろいろ書かれてまして、その内容につきましてはいいんですけれども、たしかその合理的配慮の提供に関しましては、締約国が何らかの措置を講じるような文言が権利条約にあったと。障害者雇用の分野につきましては例えば職場介助者とか、ワークアシスタントとか、さまざまなそういった障害者雇用促進法による支援策というものが公的にありまして、この合理的配慮の実現に向けたプロセスの中で、そうした公的な制度の位置づけなどを検討する、もしくは何らかの形で入れ込むことが必要であると思ってますので、そこら辺についての考え方を示していただきたいと思います。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。わかりにくい部分はわかりやすくという点はお応えしていきたいと思います。
それから、今、最後に御指摘のありました公的制度をどう合理的配慮と関連づけるか、位置づけるのかという点に関しましては、これは先ほど今日のペーパーですと一番最後の事前的改善措置という点について、直接の対象としないという形でとりあえず整理をさせていただいているんですけれども、先ほど川島委員もその点についてもう少し前向きのことを書くべきであるとおっしゃったと思いますが、今の西村委員の御質問は事前的改善措置といったものについては意識されていないですか。
○西村委員 障害者雇用につきましては、この間の議論でも出てました障害者雇用分科会での議論も進められていますけれども、その中でもやはり現行の制度の中でどこまでこういった対応ができるのかという議論も行われたと聞いてます。
そうしましたら、これは事前的改善措置といいますか、障害者が働く上で必要なさまざまな環境を整えるために、これは積極的差別是正措置に入るかもしれませんけれども、助成金だとか人的支援というメニューが整えられていて、そういう中で障害者雇用を促進していくという面がございますので、そこら辺との兼ね合いを考えたときに、障害者が必要とする合理的配慮については、予算措置も含めた制度政策的な仕組みの中で検討することも必要であると思います。
とりわけ教育分野に関しましても、通学とか介助とかが大きな負担になっている実態もありますので、そうした状況からこの部分についても考える必要があるということです。
○棟居部会長 今の点につきまして、東室長から補助をお願いします。
○東室長 権利条約では差別禁止そのものに関する規定と、そういう差別が起こらないようにするために国がどうすべきかという、2つの視点で書いてあるわけです。
差別禁止法は、差別禁止の部分を実定法化するということでありまして、必ずしも施策を実行するための法律、施策法ではないので、極端に言えば施策は別の分野で書いてくれといったことになると思うんです。
しかし、そうは言ってもやはり差別を解消する、防止するないしは合理的配慮が求められる人に対する国の支援みたいなことも、国の施策の問題として書くとすれば、先ほどの国の施策の中身に何を入れ込むかという議論なんです。ですから、この部分でそのことを書くというのは難しいですけれども、国等の責務の中で一定雇用に特化したような形は無理かもしれませんが、全般的なものとして書くかどうかという議論をいただければいいのではないかと思っているところです。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
では、引き続き松井委員、お願いします。
○松井委員 松井です。ありがとうございます。
今、西村さんの方から出た意見とも重なるんですけれども、確かに合理的配慮をしやすいようにするためには、そういう財政的な支援があることが望ましいかわかりませんが、そういう財政的な支援がないとやらないということではないと思います。特に予算絡みのことになると、予算でやれる範囲に限定されてしまいかねません。現実に今の厚労省の研究会の議論の中ではそういう方向性も見られるので、そこは金のあるなしにかかわらず、きちんと対応すべきところは対応するということの共通理解は必要ではないかと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
松井委員もおられましたが、テキサス大学のスコッチ先生のお話でも、合理的配慮について実はそんなにコストはかからないという、その点はよく誤解をされているんだが、そんなにはコストはかからないというお話もありましたね。
では、山本委員、どうぞ。
○山本委員 山本です。書かれていることの趣旨を確認させていただきたいという質問です。ここまで出てきたことと重なっていますが、その点は御容赦ください。
7~8ページの部分です。1)で障害者権利条約における定義があって、最後に、社会的障壁により障害者の実質的な権利行使が妨げられている場合において、合理的配慮の提供を差別として位置づけるのが妥当であるということなのですが、次の2)で、これをわかりやすく伝えようという御趣旨だったのではないかと思いますが、3行目から、日常生活や社会生活を支えるサービス、社会的インフラなどで、それがないと社会生活が営めないほど生活に深く関わりを持っているようなものを挙げておられます。
次の8ページの3)「合理的配慮が求められる範囲」でも、積極的な作為が求められる分野は障害のない人へ何らかのサービス、役務提供、機会や権利の付与がなされている分野であると書かれています。
これは、合理的配慮の不提供を差別として位置づけるとして、その射程をどこまでのものとするか、そしてその要件をどのような形で定めていくかという点と関わっていると思います。それを7ページの障害者権利条約のところに書かれているような社会的障壁によって障害者の実質的な権利行使が妨げられているという形で一般的に定めていくのか、それとも先ほどのような社会生活を支えるサービスや社会的インフラに関わるものという形で定めていくのか、この書き方を見ていますとどちらかよくわかりませんでしたので、お考えになっていることを確認させていただければと思います。
○棟居部会長 概念的には社会的障壁というものがそこにあるというのは、先ほどの言い方ですと偏見とか、あるいはステレオタイプ的な物の見方というのが集積して社会的障壁というものをなしているわけであります。ですから、これは不作為のようでありながら、実はある邪魔をしているというか、何かよけいな作為が既にあるんです。つまり、ここには車いすの方は入れませんというときには、あるいはそういう構造物になっているときには、これは何もしていないようだけれども、実はよけいな作為を既にしている。
ですから、しばしば合理的配慮というのは積極的な作為を相手方に義務づけて、民民の関係、私人間の関係で今まで存在しなかった新たな作為請求権、作為義務を発生させる、極めて日本の法体系においては違和感のある制度であるという、こういう懸念とか拒絶反応というものがあると思います。
ですから、合理的配慮という制度については説得的に、これはかなりこの全体の提言の中でも重視をして、実際に制度の上でも1つの目玉になりますので、丁寧にわかりやすく説明をする必要があるというときに、1つは権利条約に言わば応援を仰いで社会的障壁という考え。これは不作為と作為と私はどちらとも判然としない、そういうことを障壁という言葉で表していると、私の勝手な解釈が入っているかもしれませんが、そういうふうに思い、ここに挙げました。
同時に実際に合理的配慮がどのように求められるかという、この場面をある程度クリアーにすることで、それなら今までの社会生活上、当然にやってきた事柄を制度的に整理していくだけなんだなというふうに安心をしてもらうという点でも、わかりやすさが必要になるわけです。
権利条約上、この社会的障壁に当たるんですよ、つまり無意識のうちに足を踏んでいるんですよという以前の西村委員の表現と思いますけれども、そういうことを言わば自覚してもらうというのが社会的障壁論であり、同時にそんなに突拍子もないことを言っているわけではないんだなという意味でのわかりやすさを追求したのが、2)の相手方に積極的な作為義務云々というところのサービスや機会の提供。利用可能な形で提供してくださいと言っているだけで、そもそもサービス業者でサービスを提供しているんだから、何もなかったところに新たに作為義務が発生しているわけではない。サービスの内容を相手に合せて工夫してほしいと言っているだけなんだという、つまり、わかりやすさにいろんなレベルでのわかりやすさを追求した結果、こういういろんなことを書いているということでございます。
そして3)の最後には、これも安心材料というか、親密圏的なパーソナルな関係においては、そもそもこれは適用対象になりませんということも述べているということで、さまざまな無理解から来る拒絶反応を取り除きたいということでいろいろ書いている。これはまさにまだ執筆途上の書きぶりだとは思います。川島委員、どうぞ。
○川島委員 ありがとうございます。
2点だけ、まず1つは言葉のまた細かいところなんですけれども、8ページの上から3行目で「何らかのサービス、役務提供」とあるんですが、サービスという言葉と役務提供という言葉、どちらかでもいいかなという問題です。
それと、この内容面に入りまして、若干合理的配慮と積極的差別是正措置を区別するメルクマールというのが、さっと一般の人にわかりやすくするというのが必要だと思っていまして、基本的に合理的配慮というのは個別性、事後性というのが1つのポイントになります。個別性というのは、障害者個々人のニーズにテイラード、ぴったり即したような配慮を、過重な負担がない限り、相手方が提供するという意味です。
事後的というのは、障害当事者が要求してから、具体的な措置を実際に講ずる義務が相手側に発生するという意味で、つまり障害者が何も要求していない段階でなんらかの合理的配慮を実際に行う義務は発生しないという意味では事後的だという意味です。個別性、事後性とよく言いますけれども、他方で積極的差別是正措置というのは障害のある人々を集団としてとらえて、そういう人たちに対して歴史的に積み重ねられてきた集団としての不利な立場を是正するという意味で、「個別的」に対する言葉として「集団的」とか「一般的」という言葉を使って、更に特定の障害のある人が要求してからではなくて、特定の障害がある人が要求する前から施策としてボランタリーもしくは義務的に過去のそうした集団に対する不利益を是正するために、積極的に措置をとるという意味で事前的な側面があるという形で、「個別的・事後的」と、「集団的・事前的」という分類ができると思います。
その上で、個別具体的な合理的配慮に対しては司法的救済が担保され、他方で積極的差別是正措置は逆差別という主張もあるけれども、そういうものには当たりませんよということを権利条約にも書いてありますが、そういう整理をすると結構はっきりするかなと思いました。
以上です。
○棟居部会長 御指摘、御提案ありがとうございました。私個人は誠にごもっともと思います。工夫したいと思います。
遠藤オブザーバー、どうぞ。
○遠藤オブザーバー 幾つか質問をさせてください。
まず7ページ目の合理的配慮の不提供の1)の最後の段落です。「本法においても」ということで3~4行にわたって書かれている中の1つの用語についてお尋ねをします。「障害者から求めに応じて」については、実務的にはそのとおりだと思うのですが、次のようなケースについて教えてください。
当然、障害者の方からの「求め」を受けられる場合もありますけれども、当該障害者自身からの「求め」が得られないような場合もあると思います。そういった場合はどういうふうに考えるのかというのが1点目です。
2つ目として、今後の議論に委ねられるのかもしれませんが、例えば障害者の「求め」が100あったとして、それを80しか実現しなかった。その場合は差別になってしまうのか。この関連で言うと、例えば10人の障害者の方々がいくつも要請をされて、その中でトータル80%しか実現しなかったという場合も、やはり同じように差別になってしまうのかどうなのか。
3つ目といたしましては、これは正当化事由のところで、過度の負担の議論はずっとしてきたと思います。具体的にどうするのかということも幾つかの事例とともにあったと思います。
この文面を見ると「経済的・財政的なコストの他に業務遂行に及ぼす影響等を考慮する必要がある」と結んで、次に「経済的・財政的なコストの面では」とまた書き始めています。このパラグラフの中で経済的・財政的なコストの面だけを書いているのかと思いきや、途中から「一方で」と書いて「障害者が直面している事柄の重要性、配慮の不可欠性、非代替性、配慮がないことによって被る不利益の性格や重大性が判断の要素として考慮されることになるであろう」という整理がされています。こういう理解がされていると、私自身は思っていないというのが意見であります。
そもそもこの全体の流れからすると、整理の仕方自体に問題がまずあるのではないかということもあるかと思います。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
まず第一点の求めという部分ですが、本人の注文に応じられないけれども、別の形で障害者にサービスが提供できるとか、そういう場合に合理的配慮になるかというと、私は本人が求めるというのはあくまで本人が言挙げをする、手を挙げるという話であって、内容まで過度に特定をするところまで合理的という言葉で配慮を義務づけられるものではないと個人としては思います。
ですから、まさに客観的に合理的な配慮ということであれば足りるということではないかと思います。障害者本人がこれがいい、あれがいいという、そういう個人の注文に拘束されない場面もあるのではないかなということなんですけれども、これは非常に個別の話ですね。個別に合理的配慮とは何ぞやということかと思います。今のは個人の意見で三役でそういう議論をしたわけではありません。
それから、100のうち80しか実現しない場合ということですが、それも含めて合理的配慮というものに、先ほど最後に御指摘の経済的・財政的なコストというような、100のうち80というのはコスト面の制約からそうなる場合もあるだろうし、時間の制約からそうなる場合もある。その他いろいろな理由でしょうけれども、80までしか合理的配慮を尽くせなかったというときに、これは当然に正当化事由というのが存在すると言えるのではないかということが問題になるケースだろうと思います。
勿論、障害者の中で、この障害者には合理的配慮をし、この人にはしないという新たな差別がなされたら、これは全く別次元の話になるかと思いますが、申し訳ございません。多分うまくお答えできていないと思いますけれども、今の御質問に対する私個人の感想は以上のようであります。
最後に経済的・財政的なコストの面ではと書きながら、本来これだけでファイナルアンサーというか、まさに正当化事由になるはずのものであるところ、よけいないろんなファクターがここに、つまり質のファクターが同時に経済的・財政的なコストの内容をなすかのごとき書きぶりで書かれている。この整理はおかしいのではないかという御指摘で、これも三役で検討して正確を期したいと思います。
山本委員、どうぞ。
○山本委員 今の最後の9ページの経済的、財政的なコスト面についてですけれども、考え方は2つあると思います。ここでは過度の負担が一応の要件ですので、何をもって「過度」と言うかが問題だと思います。
「過度」と言う場合の1つの考え方は、相手方、多くは事業者になると思いますが、相手方にとって自分の有している能力や経済的な力と比較して、これにかかるコストが多過ぎるかどうかというように考えるというものです。遠藤オブザーバーの御指摘は、このような考え方からすると、相手方のみが基準になるのではないかということだと思います。
これに対して、もう1つの考え方として、障害者側の必要性と比較して、事業者側ないし相手方にかかる負担が過大だという場合に、これをもって過度の負担と言うという考え方もあると思います。
そして、ここで書かれているのは、私はこちらの考え方でできているのではないかと思います。ですので、どちらが適当なのかということをもう一度三役でお考えの上、原案を示していただけたらと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
引馬協力員、お願いします。
○引馬専門協力員 山本先生の今の御指摘の点について、EU内でもかなり議論があるようです。今の2つの側面について、合理性の判断のときに、順序としてまず1番に考えなければいけないのは配慮の必要性と適正の問題である。2番目に、もう一方の、その配慮が過度な負担か否かが検討されて、全体の合理性が判断されるということです。2番目だけになったり、2番目が主になってしまっては、問題があるのではないかという議論があります。
○棟居部会長 貴重な御指摘ありがとうございました。
伊東副部会長、どうぞ。
○伊東副部会長 これについて三役で相談したわけではないですが、先ほど、部会長からのお話で、80%の人ができている、あるいは、事象について、80%程度できている、ということで、合理的配慮が成立する、とみなすのではなく、事案によってだいぶ変わってくると思う。
例として、選挙で投票できない人が現にいる。何らかの対応をして、80%の人が投票可能になった、からそれで良しとすることはできない。国民の権利として、参政権を確保できないという状況は改善されていない事実、状況があり、80%の人が救済されたからそれで良いというわけにはならない。事案により異なるので今後の課題と考えます。
○棟居部会長 ありがとうございました。
もう時間が尽きておりますので、論点を多々出していただきました。非常に大きな宿題をいただいた。これが数回続くというのは大変なことだなと思っておりますが、しかし、遠慮なさらずにどんどん御提言、この文章はこう変えた方がいいのではないかという従来の議論の延長上あるいはその枠の中での技術的な改善提案であれば非常にありがたいので、お願いをいたします。
それでは、以上で第3コーナーを終わらせていただきます。本日の議事はこれで終了しました。最後に東室長から御報告をお願いします。
○東室長 どうも御苦労様でした。
冒頭にも申しましたけれども、今回が障がい者制度改革推進会議の下での最後の部会となります。今後は7月23日に開催される第1回障害者政策委員会において、差別禁止部会の設置が正式に決まりましたら、政策委員会の下での部会としてこれらの検討を継続していくといったことになります。
今後の部会の日程と検討のスケジュールは冒頭にお伝えしたとおりでありますが、なお、昨日メールでお知らせしましたけれども、次回7月27日の会場は千代田区平河町の都道府県会館であります。間違いのないようにお願いします。しかも時間も若干変更しております。いつもは午後2時からでありますが、次回は1時からです。13時から17時までとなっておりますので、会場、時間ともに間違いのないようにお願いをしたいと思っています。
第1回の政策委員会において部会の設置が決まり次第、改めて27日以降の会議の開催通知は送りたいと思っています。
報告としては以上です。どうもありがとうございました。
○棟居部会長 ありがとうございました。
なお、松井委員は今日までということで、本当にありがとうございました。もし一言メッセージございましたらいただけますでしょうか。
○松井委員 松井です。今、部会長から話がありましたように、私は今日かぎりということになります。最後のところの議論に参加できないのは残念ですが、この部会で検討されている差別禁止法が、きちんとしたレベルのものとしてできることを期待しています。
当然、それを踏まえて日本も障害者権利条約の批准ということになると思いますので、差別禁止法の制定で、そういう筋道をつけていただけるという意味で皆さんの御活躍を期待させていただきます。外部からも勿論、応援させていただきますので、よろしくお願いいたします。(拍手)
○棟居部会長 ありがとうございました。
それでは、これにて終了いたします。この後、記者会見において私どもで対応させていただきます。本日はお忙しい中、お集まりいただき誠にありがとうございました。

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