補章 少子化の国際比較 

人口転換理論

 18世紀以降の欧米諸国では、経済発展により死亡率が低下し、19世紀後半からは出生率も低下し始め、1930年代には出生率、死亡率ともに低い社会が実現した。このようなプロセスを説明する理論として「人口転換理論」が登場した。現在では、様々な研究や議論があるが、伝統的に説明されている理論を簡単にまとめると、人口増加のペースは、経済社会の発展に伴い、「多産多死」(高出生・高死亡)から「多産少死」(高出生・低死亡)を経て、やがて「少産少死」(低出生・低死亡)に至るというものである。その背景をまとめると次のようになる。
 まず、工業化が始まる前の伝統的農業社会では、飢饉、疫病、戦争等のために死亡率が高い状態にある。その一方で、農業が主体である社会であるために、労働力確保の観点から高い出生率が維持されている。このほかに、宗教や社会制度などによって高出生率が維持されることもある。その結果、近代化前の社会では死亡率と出生率が高く(多産多死)、大きな変動を保ちつつ、平均的には人口増加率は低い状態にある。
 次に、工業化・都市化が進むと、人口増加の状況は変化する。所得水準の上昇、医学や公衆衛生の発達により、乳児死亡率などが低下することで、社会全体の死亡率が低下する。しかし、出生率は依然として高水準にある。その結果、高い出生率と低い死亡率の社会(多産少死)が実現し、人口は増加する。
 その後、出生率も死亡率に追いつくように低下し、出生率、死亡率ともに低い社会(少産少死)が実現する。その背景として、出生数を減らしても家族・社会の存続が可能となること、子供の養育コストの増大、結婚・出産に対する価値観の変化、避妊など出生抑制技術の普及などを考えることができる。
 わが国では、明治維新以前が多産多死、明治から昭和30年代半ばまでが多産少死、昭和30年代半ば以降が少産少死の段階であると考えられている。アジア、アフリカなどの地域では、第2次大戦後に死亡率が急速に低下した一方で、出生率が高い水準で推移しつづけてきた。しかし、国による違いはあるものの20世紀の末までに出生率低下が始まり、「少産少死」の段階に入りはじめたところもある。
 「少産少死」の段階になると人口動態は安定するものと考えられていたが、最初に「少産少死」に達した欧米諸国では、人口置き換え水準よりも低くなるという一層の出生率低下がみられる。これは、「第二の人口転換」という言葉で呼ばれ、近年注目されている。この現象は、効果的な避妊法の普及、晩婚・晩産化の進展などがもたらしたものであるが、その背景には、結婚や家庭に対する個人や夫婦の価値観の変化があるとされている。わが国も、こうした「第二の人口転換」に至っている状況にある。

 
第1−補−7図 人口転換モデル

第1−補−7図 人口転換モデル

 第3節 先進国の出生率の動向

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