趣旨と歴史

事業の趣旨

内閣府の青年国際交流事業は、世界各国の青年との交流を通じて、相互の理解と友好を促進するとともに、国際的視野を広めて、国際協調の精神を養い、次代を担うにふさわしい青年を育成することを目的としています。

各事業において、我が国及び諸外国の参加青年は、世界的視野に立った共通課題の意見交換、自国の文化の紹介などの各種交流活動や、産業・文化・教育施設の視察、ホームステイなどの活動を行い、友好、親善を深めます。

各事業に参加した日本青年たちは、日本青年国際交流機構(IYEO)を組織し、海外で得た貴重な体験をいかし、地域社会、あるいは職域などにおいて社会貢献や国際協力等の促進のための諸活動を行っています。

歴史と沿革

■ 内閣府の行う青年の国際交流事業は、昭和34年度に、当時皇太子殿下(現 上皇陛下)の御成婚を記念して時の岸信介内閣総理大臣の直々の発議により「青年海外派遣」事業が開始されたことが発端となり開始されました。

(写真:第1回派遣団に団旗を授与する岸総理大臣(1959年))

■ 昭和37年度(1962年度)には「外国青年招へい」事業が開始されました。

■ さらに、昭和42年度(1967年度)には明治百年記念事業の一つである「青年の船」事業が開始されました。「青年海外派遣」事業と「青年の船」事業はいずれも当時、日本の若い青年が自力で海外に行くことが非常に困難であった時代に、政府が実施主体となって日本青年を海外に派遣するという、正に日本国中の青年に大きな夢と希望を与えた事業でした。

(写真:第1回青年の船出港式(1968年))

■ その後、日本とアセアン(東南アジア諸国連合)5か国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)との共同声明に基づいて、昭和49年度(1974年度)に「東南アジア青年の船」事業が発足しました。さらに、昭和60年度(1985年度)からはブルネイ、平成8年度(1996年度)からは、ベトナム、平成10年度(1998年度)からはラオス・ミャンマーが、そして平成12年度(2000年度)からはカンボジアが新たに加わりました。これは各国の青年が乗船し、各国で寄港地活動を行うもので、アセアン10か国のいずれの国においても、この事業に参加することは非常に名誉なことであるとされており、各国政府もこの事業を高く評価しています。

(写真:田中総理大臣主催歓迎パーティー(1974年))

■ さらに、昭和54年度(1979年度)には日中平和友好条約の締結を記念して「日本・中国青年親善交流」事業が、昭和62年度(1987年度)には日韓国交正常化20周年を踏まえて「日本・韓国青年親善交流」事業がそれぞれ開始されました。この二つの事業は、二国間の相互交流事業であることが特徴であり、派遣・招へいに係る経費も二国で分担しています。

(写真:三原総理府総務長官を表敬する中国青年代表(1979年))

■ 昨今の我が国の国際的役割の増大、社会の各分野における国際化の進展は著しく、内閣府の青年の国際交流事業においても時代の変化に対応した事業内容の改善が求められるようになりました。このため、まず、昭和63年度(1988年度)に「青年の船」事業を「世界青年の船」事業に発展的に改組しました。これは従来日本青年の派遣という色合いが強かった事業内容を改め、外国青年と日本青年との交流を主とし、活動内容も討論等を取り入れて高度化したものです。

(写真:パナマ運河を渡った第1回航海(1989年))

■ さらに、平成6年度(1994年度)には、皇太子殿下の御成婚を記念して「国際青年育成交流」事業を実施しました。これは従前の「青年海外派遣」事業及び「外国青年招へい」事業を発展的に改組したもので、拠点に滞在しての共同体験交流を中心とした密度の濃い国際交流活動を通して国際感覚の優れた青年を育成しようとするものです。

(写真:第1回派遣団(タンザニア)(1994年))

■ 平成14年度(2002年度)からは、社会活動の中核を担う青年リーダーの育成を目的として、「青年社会活動コアリーダー育成プログラム」が開始されました。

(写真:第1回青年社会活動コアリーダー育成プログラムの参加青年(2002年))

■ 平成15年度(2003年度)からは、国際青年育成交流事業(外国青年招へい)の一環として、招へいした外国青年と、国際的な問題に関心の深い日本青年とが率直な意見交換を行う「討議セッション」が開始されました。