訪問の枠組み

北方領土への訪問について

北方領土が依然としてロシアの不法な占拠の下に置かれている現在の状況下で、日本国民がロシアの発給する査証(ビザ)を所得して北方四島に入域することは、ロシアの北方領土に対する管轄権を前提とした行為、または、ロシアの管轄権に服した行為に当たり、日本の法的立場を害するおそれがあります。
このため政府は閣議了解により、北方領土問題の解決までの間、日本国民による北方領土訪問について自粛を求めています。

北方領土訪問に関する枠組み

政府は、ロシアの不法占拠の下での北方領土訪問について自粛を求めていますが、特例的に日露両国間で設定された以下の枠組みによる、訪問、交流等が行われています。

(1)北方四島交流(「ビザなし交流」)

日本国民と北方四島在住ロシア人との相互訪問

平成3年10月の日ソ外相間の往復書簡により、領土問題解決までの間、相互理解の増進を図り、北方領土問題解決に寄与することを目的として、旅券・査証なしで日本国民と四島在住のロシア人との間の相互訪問の枠組みが作られました。これに伴い、平成3年10月29日付けで「我が国国民の北方領土への訪問について」が閣議了解され、訪問が開始されました。

平成4年4月からは、北方四島との間で相互訪問が始まり、ホームビジット、文化交流会、意見交換会等を通じて、相互の理解と友好を深め、ロシア人住民の北方領土問題に対する理解を促すとともに、日本に対する信頼感の醸成が図られています。この事業の対象者は、北方領土に居住していた者、その子供及び孫並びにその配偶者、北方領土返還要求運動関係者、報道関係者、訪問の目的に資する活動を行う学術、文化、社会等の各分野の専門家等となっています。

(2)北方墓参

元島民及びその家族による墓参のための訪問

先祖のお墓参りをしたいとの親族の切なる願いに沿い、人道的見地からこれが実現するようソ連側と強く折衝を行い、その結果、昭和39年に初めて実現しました。昭和46年から昭和48年までの間は、ソ連側の同意が得られず中断していましたが、昭和49年に、日ソ首脳会談で田中総理が強く要請したことから再開され、翌50年も実施されました。

ところが、昭和51年の実施にあたり、ソ連側は従来簡単な身分証明書で渡航していた慣行を変更し、旅券の携行とビザの取得を要求してきました。このような要求は、北方領土を法的にソ連領と認めさせようとするものであり、日本側から強く再考を求めましたが同意が得られず、以後昭和60年まで実施できない状況にありました。

しかし、昭和61年1月、8年ぶりに再開された日ソ外相間定期協議において、ソ連側から人道的見地からこの問題をしかるべく注意をもって検討していく旨の発言があり、また同年5月の日ソ外相間定期協議においても、ソ連側は、墓参にかかわる諸問題を外交チャンネルで検討することを念頭に置き、肯定的に対応する用意がある旨を表明しました。これを受けて事務レベルでの折衝が進められ、7月2日に日ソ間において墓参に関する口上書が交換された結果、従来の身分証明書による渡航方式で北方墓参が再開されることとなり、以降、毎年実施されています。

また、平成28年12月の日露首脳会談において、元島民が高齢となっていることを考慮し、人道的見地から訪問手続きを改善することで一致したことを受けて、平成29年度より航空機を用いた特別墓参を実施しています。航空機での移動が可能となったことにより、所要時間が大幅に短縮され(国後島まで約2時間、択捉島まで約6時間短縮)、元島民の身体的負担軽減が図られています。

(3)自由訪問

元島民及びその家族によるふるさとへの訪問

平成10年11月、モスクワでの日露首脳会談の結果署名された「モスクワ宣言」において、元島民及びその家族である日本国民による北方四島への最大限簡易化された、いわゆる自由訪問の実施について合意されたことを受け、その後、日露双方で実施の詳細について協議し、平成11年9月2日付け双方の口上書により、新たに自由訪問の枠組みが設定されました。

これに伴い、同年9月10日付けで「我が国国民の北方領土への訪問について」が閣議了解され、訪問が開始されました。

目 的  人道的見地、領土問題解決のための環境整備の一環
対象者  元島民並びにその配偶者及び子

※平成20年4月に行われた日露外相会談の結果を受けて、元島民の子の配偶者、孫及び孫の配偶者、複数の医師、看護師の同行が可能となりました。

実施方法
  1. 数次訪問用の身分証明書及び挿入紙等で団体により旅券及び査証なしで実施
  2. 出入域手続箇所の複数化(四島交流では一か所)
  3. 四島交流ではロシア住民が居住していないことから訪問していなかった歯舞群島訪問の実施