戦前の姿
行政等
明治維新以降、地方行政制度が施行され、いろいろな変遷を経て終戦時には、歯舞群島は北海道根室半島に本村を有していた歯舞村(昭和34年根室市に編入、合併されたため現在は根室市)の離島であり、色丹島には色丹村、国後島には泊(とまり)村および留夜別(るやべつ)村、択捉島には留別(るべつ)村、紗那(しゃな)村および蘂取(しべとろ)村が置かれていました。昭和20年8月15日現在における人口は、四島全体で3,124世帯、1万7,291人です。
また、終戦時、39校の国民学校などにおいて、約3,000人の児童が就学していました。
産業
北方海域は、千島寒流と対馬暖流が交錯しているため豊富な水産資源に恵まれ、古くから世界三大漁場の一つに数えられてきました。
主な水産物は、昆布、さけ、ます、たら、すけそうだら、たらばがに、なまこなどです。このほか、国後島、択捉島では、林業(針葉樹類)、魚類のふ化事業(さけ、ます)、鉱業(硫黄、金、銀)が、国後島では、畜産業(馬)などが戦前に行われていました。
北方領土元居住者数
島名 | 昭和20年8月15日現在 | 令和6年3月31日現在 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
世帯数(単位:世帯) | 人口(単位:人) | 元居住者 | 新元居住者 | 小計 | 2世 | 3世 | 4世 | 計 | ||
歯舞群島 | 水晶島 | 154 | 986 | 293 | 12 | 305 | 995 | 700 | 32 | 2,032 |
勇留島 | 79 | 501 | 138 | 2 | 140 | 479 | 373 | 14 | 1,006 | |
秋勇留島 | 14 | 88 | 29 | 1 | 30 | 98 | 77 | 2 | 207 | |
志発島 | 374 | 2,249 | 714 | 19 | 733 | 2,229 | 1,690 | 35 | 4,687 | |
多楽島 | 231 | 1,457 | 447 | 13 | 460 | 1,261 | 893 | 28 | 2,642 | |
小計 | 852 | 5,281 | 1,621 | 47 | 1,668 | 5,062 | 3,733 | 111 | 10,574 | |
色丹島 | 206 | 1,038 | 280 | 16 | 296 | 959 | 810 | 11 | 2,076 | |
国後島 | 1,327 | 7,364 | 2,120 | 133 | 2,253 | 7,104 | 5,917 | 156 | 15,430 | |
択捉島 | 739 | 3,608 | 1,114 | 114 | 1,228 | 3,236 | 2,267 | 25 | 6,756 | |
計 | 3,124 | 17,291 | 5,135 | 310 | 5,445 | 16,361 | 12,727 | 303 | 34,836 | |
平均年齢 | - | - | 88.5 | 77.4 | 87.9 | 60.6 | 38.1 | 22.3 | - |
(公社)千島歯舞諸島居住者連盟調べによる。
注1:「元居住者」とは、昭和20年8月15日現在において6月以上北方地域に生活の本拠を有していた者をいう。
注2:「新元居住者」とは注1に掲げる者の子であって、昭和20年8月15日以前6月未満の期間内に北方地域で出生し、かつ引き続き同日まで北方地域にいた者及び昭和20年8月15日後に北方地域で出生した者をいう。
戦前の風景
-
色丹島斜古丹(しゃこたん)湾の漁船
-
色丹島マタコタン港付近のタラ漁場
-
色丹島の漁民
-
国後島 山林軌道
-
大日本恵登呂府の標柱
-
択捉島 有萌の捕鯨場
-
択捉島 紗那(しゃな)市街地