平成14年9月26日(木)16:00〜18:00
永田町合同庁舎総合規制改革会議大会議室
八代主査、鈴木委員、福井専門委員
宮川室長 他
中城室長 他
略 (下記議事次第参照)
構造改革特区に関する意見交換
桜井秀也
武田隆男
西澤寛俊
日野頌三
鮫島健
山本章夫
森澤重雄
松岡公明
山田豊
(1)桜井常任理事から資料に基づき説明
○ 総合規制改革会議中間とりまとめ、第5章「規制改革特区の実現に向けて」の、規制の選定基準のところで、「生命・身体・健康、公序良俗、消費者保護等に関する規制であるという理由によって対象外とすべきではなく・・・・」というところを読み、唖然として絶句した。
○ 経済活性化のために規制緩和を行うということは理解できるが、生命・身体・健康を犠牲にしても経済活性化を図るという考え方については、我々は容認できず断固として反対していく方針である。
○ 国民の生命・健康を回復、維持、増進するために、医療には様々な規制がある訳で、経済活性化のために実験的なことをするのは許されないことだと考える。
○ 我が国の医療は、極めて安く質の高いものである。株式会社参入、混合診療の容認、外国人医師による医療行為の容認などは日本の医療の根幹を揺るがすものとして、賛成できない。
○ 先端医療特区については、医療の発展に資するということで、一見よいように思うが、そこで混合診療の問題や外国人医師の問題、医療の安全について誰が責任を持つのかという問題が解決されないのであれば容認すべきではない。
○ 本当に安全でよいものであれば全国一律でやればよい、というのが我々のスタンスである。
○ 最近、中国のやせ薬が大きな問題になっている。昭和46年通知により、錠剤、カプセルは薬品ということで薬事法の規制が掛かっていたが、2年前の薬事法改正により昭和46年通知が廃止され、カプセルの食品が認められることになった。やせ薬の件は安易な規制緩和が大変な健康被害をもたらした例であると考える。
○ 繰り返しになるが、命や健康を犠牲にして金儲けをしようということは我々は断固として賛成できないことである。
(2)意見交換
(八代)まず、始めに誤解を解いておきたい。我々は生命・身体・健康を犠牲にしても経済活性化を図るということはけして考えておらず、中間とりまとめのどこにもそのようなことは書いていない。経済活性化は、消費者・患者の利益を高めるという形でなければ実現しないものである。
改革自体は賛成であるが、医療の分野だけは反対、つまり総論賛成、各論反対ということはどの分野でも常にあることである。
「犠牲」ということを言われたが、現在の医療はベストであって、そこからのいかなる改革も犠牲を伴うというご認識か。我々は医療に改革の余地は沢山あると考えており、現に全国の医師からも医療制度改革の提案がある。その場合に全国一律でなく、地域の特性を踏まえ特定の地域で新しい試みをすることが何故そんなにいけないことなのか。
外国人医師についても何故無条件に悪いと考えられるのか。国際化の時代、良い医師であれば日本人であろうが外国人であろうがお願いしたいという考え方が何故いけないのか。
中国のやせ薬については、これは厚生労働省が認可したものではなく、闇で入ってきたものである。
(桜井)やせ薬は規制が緩和されたから入ってきてしまったのである。本来薬事法違反ならばすぐに捕まえられたものであるが、食品だったから捕まえられなかったのである。
(八代)錠剤の形をしているからいけないとおっしゃったが、錠剤がダメなら粉の形で入ってくるかもしれない。錠剤を認めたからこのようなことが起きたというのはあまりに論理が飛躍していると思う。
(桜井)国民の生命、身体、健康を守るというのは、外交、防衛も同じで当たり前のことであり、外交、防衛について外すなら、生命・身体・健康に関することも外さないことはおかしなこと。
(八代)外交、防衛については国の専権であり、本来地方自治にはなじまないという別の理由で外したものである。
(桜井)生命・健康を守るのは憲法で保障されており国の問題である。外交、防衛と並びでないといけない。我々は外交、防衛よりもむしろ生命・健康の方が大事だと考えている。国民がいなくなったら外交も防衛もない。国民を無視して外交も防衛もない。外交、防衛が例外ならば、生命・身体・健康に関わることも例外である。
(八代)生命・身体・健康が重要であればこそ、それを改善することが必要。
(桜井)それならこのような変な外交、防衛の方を改善するべき。
それから総論賛成、各論反対ということではない。各論のうちの一部が反対だと言っているのであって総論がどうという話ではないので間違わないで欲しい。
また、改革が不要だとは言っておらず、日本医師会でも改革案を出している。一番問題なのは日本の医療費を抑制し過ぎたことである。国民医療費はドイツ、フランス並に、現在でも40〜45兆円はかけるべきだと思っている。厚生労働省が平成7年に出した予想では平成13年度の医療費は38兆円であり、それが31兆円ということは7兆円も抑制していることになる。それによって色々な問題が起きているのである。
(八代)それは経済成長率の見通しの違いである。
(桜井)それだけではない。年金の問題との関係を考えても成長率の見通しの失敗だけではなく行政の失政である。
それからタバコ課税について、アメリカのニューヨークでは税収も増え、吸う人も減っており大変よいこと。日本でもやれることである。経済成長率とは関係ない。
地域でやれることが安全であるならば全国でできる訳であって、その地域でしかできないというものがあるのであれば、それは議論したい。
それから外国人医師については話す方がおかしいのであって、国の主権であって国が免許を与えているものである。外国人でも日本の国家試験を受けて免許を取ってもらえばよい。日本の資格をもっていない人が医療やってよいということであれば資格制度の意味がない。日本人でも医師の資格をもっていなくてもやってよいということになるので、混乱の極地である。そういうことを言ってもらっては困る。
(鈴木)「犠牲にして」ということをおっしゃったが、それはつまり「医の世界は聖域であって、医者の倫理である」ということであって、よって「医の分野には触れるな」ということを言いたいのだと思うが、そういう感情的な議論はやめて頂きたい。昭和22年以来、医の世界というのは変わっていないということを痛感している。混合診療にしろ株式会社問題にしろ、なぜそれらがだめなのか返答がない。株式会社については、あらゆる病院、診療所が株式会社にならなければいけないとは決して言っていない。近代的なマネジメントをしたい人がいたら、良いようにしてはどうかということを言っているまで。
30兆円については、医師会の努力は皆無とは言わないが、単にお金がないというだけの話。3割負担が4割、5割となったらどうするのか。そうなったら国民皆保険に値しないものであり、そういう問題を抱えている。それは医療の非効率があまりにもまかり通っているということである。例えば、レセプトについても紙でなければいけないし、医療機関、保健者の直接審査も13年度中にできるようにすることになっているにも関わらずまだできていない。医の保守性、独善性というところに根拠がある。ご努力をなされているというのは自分達の考え方であって実際のものではないと考える。
「犠牲にして」というふうに読むものではない。もっと普通に読んで頂きたい。
(桜井)昭和22年以来変わっていないとおっしゃるが、それこそ感情的な発言で、変わっていないなどということはなく色々変わっている。昭和22年は国民の平均寿命も50歳代であったが、それがこれだけ長くなっている。医療の仕組み、内容も大きく変わってきた訳で、変わっていないというのはとんでもない話。
株式会社問題についても医師会が答えていないというのも心外である。我々は国民皆保険という一種の社会保障制度を前提として議論している。株式会社については全くの自由競争、市場原理に基づく価格競争の社会でなければ意味がないことである。我々は社会保障としての医療について、医療の質の競争をしようというのである。これは社会保障としての医療なので、しようがないことである。マネジメントが悪いということは真摯に受け止めるが、それは医療法人のあり方の問題であり、これも医療費の問題である。会社ではあらゆる分野にマネージャーを置いているが、医療ではそのようなマネジメントをする人に費用が与えられていない。そういうことを改革していきたいと考えている。それにはお金が掛かるのであって、お金が無いということはない。非効率というが、かけたお金に対して得られた結果を考えれば、日本の医療ほど効率的なものはない。アメリカなど倍もお金をかけているが、平均寿命は日本と差が出てきている。レセプトが紙で行われているという非効率な面はあるが、機械を入れれば効率的にできるとしても、それには相当の費用がかかる。実際に一番安いお金で世界一の寿命と乳幼児死亡率を達成できたのだから、効率的だと思っている。
(福井)外国人医師による医療行為が認められないということについて、具体的にどういう支障がありうるのか、具体的に想定できる弊害を教えて欲しい。
(桜井)日本においては、医師でない人が医療をしてもよいということであれば、それはメチャクチャになってしまうのではないか。
(福井)そういう医師にかかると患者の身体や生命に支障があるということか。
(桜井)そうであるから医師法において、医師でなければ医療をしてはいけないということなっているのではないか。日本人でも医師でない人が医療をしてもよいということになるので、それでは何のための国家資格かということになる。
(福井)例えば、日本人が海外で外国人医師にかかることはどうか。
(桜井)それは仕方ないのではないか。現にかかっている。
(福井)それでは日本人が外国で外国人医師にかかるのはよいが、日本人が日本国内で外国人医師にかかるのはダメといことか。
(桜井)その国に入ったらその国の規則に従うのは当たり前ではないか。
(福井)日本人医師では不十分で、外国人医師が高度な技術をもっていたとして、日本人がそういう外国人医師にかかりたいと思った場合、わざわざ外国にいかなくても日本で治療を受けることを禁止しなくてもよいのではないか。
(桜井)やはり直接手を下すことはいけないのではないか。日本の医療が遅れているとは思わないし、それは日本人が学べばよいこと。
(福井)患者が選択しても患者にそのような治療は受けさせるなということか。
(桜井)患者の選択によって変な治療を受けて失敗している例も過去にある。
(福井)アメリカの国家試験を通った医師とまがいものの医師が同じということか。
(桜井)同じとは言わないが、日本の法律からすれば同じと言わざるをえない。
(鈴木)例えば、麻酔医が足りないということが言われているが、麻酔を行える人の範囲を拡大するということは考えられないか。資格制度について柔軟に考えられないか。でたらめな人にやらせろと言う訳はないのであって、アメリカで資格を持った人にやらせることについて、国家の主権の話を持ち出してまで反対することか。
(桜井)それはごく一部の例外的な話だと思う。基本論を言っている。それは特区の話ではない。それは地方で責任を持てる話ではなく、国が責任を持つ話である。麻酔についても医師で麻酔をする人を増やせばよい訳で、医師以外で麻酔をできるようにすることではない。
(八代)本日の議論はこの辺までとして、今後とも意見交換など宜しくお願いしたい。
(1)西澤副会長から資料に基づき説明
(2)意見交換
(八代)経済活性化について、これが消費者利益の向上につながるものでなければならないのは自明であり、患者を騙して一時的な利益を得るような医療機関は当然立ち行かなくなり、かえって大きな損失を被るのは他の産業と同じ。儲け主義の考え方に基づく医療特区には反対であるというお考えについては理解するが、医療の質の向上を目的とする特区についてはどのようなお考えなのか、お尋ねしたい。現在、出されている特区構想については、我々が考え出したものではなく、現に病院を立派に経営されておられる方々が、医療の質の向上という観点から、真摯にお考えになった上で提案されたものである。医療については患者の生命に関わるものであり、実験には馴染まないという考え方についてであるが、例えば、新薬や新たな手術が開発された場合、これらを一切禁止すれば、救われたであろう患者の生命が犠牲にされる場合もありうる。だからこそ、医療の世界においては常にベストプラクティスを求めて、様々なトライアル・アンド・エラーを積み重ねておられるのは事実であろう。
現に混合診療の問題、資金の調達方法の問題についても神学論争をしているだけではなく、後者については、現に多くの病院が銀行による貸し渋りにより資金調達に苦慮しておられるわけであり、そうしたときに別の形態の資金の調達手段を求めるということが、何故に医療の質の低下を必然的に招くものであると断定できるのか。医療のシステムがトライアル・アンド・エラーに基づくものであるという考え方に御賛同頂けるのかどうか、もし仮に御賛同頂けるのであれば、医療の質の向上に寄与しうるものとして、特区の構想についても、そのための手法の一つとして考えられるのではないか。
(西澤)トライアル・アンド・エラーという考え方については当然だと考える。ただし、そのことが経済活性化を目的とした特区に直ちに結びつくものではない。経済活性化は当然のことながら「消費者第一」であることを前提としているとの御指摘であるが、中間とりまとめを拝見させて頂いた際には、そのような趣旨は読み取れなかった。よって、問題は、これを見た自治体の関係者等にとって、そうした点が読み取れるのか、ということ。私の場合は、読み取れないと考えている。理念・目的に経済活性化ありきという条件の下では、医療を取り上げるようなことは、ちょっと出来ないのではないか。おっしゃるような御趣旨であれば、その部分をもっと分かりやすくさせるとともに、経済活性化とは別の医療の質向上という理念があっても良いのではないか。
(八代) 説明不足であると言われるのであれば、それまでなのかもしれないが、我が国は基本的には市場社会であり、市場社会というのは選択を前提とした社会であり、そこが社会主義経済とは異なる点である。市場社会における経済活性化と言った場合、患者や消費者の利益にならなければ、当然、経済活性化にはならないということは自明の理。このため、経済の活性化が医療の質の向上と本質的に矛盾する、即ち医療が経済の外側にあるという捕え方をすることの方が、むしろおかしいのではないか。病院というのは立派な経済活動をし、人々のために尽くしているわけであり、何故、経済というものをそのように悪い意味に捉えられるのか。何か誤解があるのではないか。
(西澤)悪いとは言っていない。経済の活性化のみが目的であってはならないということであり、医療の質の向上に資するという趣旨が明瞭になり、バランスの取れた内容になれば、コメントの内容は変わってくる。今回のコメントはあくまでも先般の「中間とりまとめ」に対する意見なので、仮に新たなものが出されるのであれば、それに対する意見というものを別途お出ししたい。
(鈴木)特区については、規制改革の試行ではなく、その先行的実施であると考えている。医療分野においては相当古いシステムがそのまま残っていることから、昨年、相当踏み込んだ内容の提言をさせて頂き、閣議決定されるに至っているが、厚生労働省における進捗状況はいささか遅いというケースもあるのが実情である。そういうものを速やかに進めていきたいというのが特区の趣旨であると御理解頂きたい。しかしながら、そうではなく、足並みを揃えてやった方がよいとおっしゃるのであれば、昨年の答申の内容をどう評価されているのか、つまり全国的な規制改革であれば、答申どおりで差し支えないという趣旨か、そうではなく、この部分についてはだめだという趣旨か。
(西澤)本日は、四病院団体としては、特区に係る中間とりまとめに対する意見表明の場であることから、特区以外の個々の事案についてコメントできない。
(鈴木)一言で言えば、医療分野における改革については、地域を限定して先行的にやるのではなく、全国一律で行うべきものである、という趣旨か。
(西澤)そうではない。先刻も申し上げたように、あくまで経済活性化を理念・目的とした特区というものに対して意見を述べている。我々は改革を進めている。医療の質の向上を目的とした改革であれば、どんどん進めていくべきであると考えている。従って、そうした目的に沿った提案がなされた場合には、議論した上で別の答えを用意できるのではないか、と考える。
(八代)具体的な提案を御覧になればお分かり頂けると思うが、医療の規制については現場の医師の方が最も困っておられるのが実情。現行の保険診療体制でベストの治療をしたいのに、保険で決まっている治療しか出来ずに苦慮しておられる。厚生労働省の規制も極めて画一的で、高度先進医療は300床以上の病院でないと不可能であるのが実情。300床もなくても20床程度の病院であっても、特定の高度先進医療に特化したような病院があってもよいのではないか。例えば、内視鏡を中心とした手術であれば20床や30床程度の病院でも対応可能であると聞いている。急がない手術であるので、全国から患者が集められる。特定の高度先進医療に特化した病院を技術の集積のある地区にいくつか設けて、全国から、場合によっては東南アジアから患者を集めるということが今の我が国の画一的な制度の下では認められていない。米国では相当前から使用されている手術法や薬というものが、我が国においては未だに認められない。そうした様々な規制があるからこそ、こうした特区に対して多くの病院や医師の方が手を挙げてきているわけである。これらの構想は明らかに医療の質を高めるための提案であると理解している。
(西澤)これまで、我々には意見交換の場が与えられていなかった。与えられていたのは中間とりまとめのみ。内容については内部で十分検討させて頂いたが、その中には医療の質の向上という趣旨は全く読み取れなかった。従って、こうした趣旨が読み取れるような形にして頂ければ、今のようなお答えに対して、改めて返事をさせて頂きたい。
(1)全国農業会議所山田事務局長から、この問題について、現在組織で討議しており、まだ組織決定されていない旨断った上で、資料に基づき説明
(2)全国農業協同組合中央会森澤部長から、資料の内容については、JAグループとしては、来週中に意見集約し、確認を取っていく予定である旨前置きした上で、資料に基づき説明
(3)意見交換
(八代)まず、ご理解いただきたいことは、構造改革特区の考え方、それ以前の規制改革の考え方は、あくまでも日本農業のために行うということが最重点で、その点は理解されたい。今、日本の農業はご承知のようにいろいろな問題があり、土地利用型農業が徐々に崩壊しつつある。これは、農業のために必要な土地が切り売りされ、それによって、大規模な土地を集約して高い生産性を上げるような専業農家が、なかなか土地を集められないという問題を抱えている。
株式会社が入るか、入らないに関わらず今の農地の無秩序な状態というのは改善しなければならない。そのために農水省もいろいろな努力をされていると思う。
例えば、株式会社の参入に関してだけ、農地の投機的な転売のご懸念を言われたわけだが、そういうことに関わらず、むしろ一般的に農地に使うべき土地と転用できる土地を明確に区別して、農地に使うべき土地と認定されたものについては、厳格な転用規制を課す。それによって、仮に株式会社が参入したとしても、投機的な農地所有はできないという状況にするということについて、賛成か反対かのご意見を、まず、いただきたい。そうであれば、後の議論もだいぶ楽になると思われる。
第二に、農家の方が安定した収入を得るということは当然なことであるが、そのためには、今のような零細農家のままでは、とてもそんなことはできないのであって、これは農水省も苦労されていると思う。もっと大規模農家にしなければ、安定した経営は得られない。サラリーマン並の所得と安定性と言われたが、それは、農家サラリーマンであっても良いのではないか。同じ生産性であれば、全部が自営業でやっている方が、サラリーマンとして賃金しかもらえないよりも所得は増えるかも知れないが、生産性を上げれば、別に、賃金としてもらっている方が、零細農家よりはるかに多くの所得を得るということは当然可能ではないだろうか。配当しなければならないというが、今の農家でも、農機具を買ったり、農地を買うためには資金調達が必要なわけでそのために金利を払っているわけで、金利を払うか配当を払うかということはある意味で資金調達手段が直接金融か間接金融かの違いに過ぎない。いずれにしても必要なコストであろうかと思う。
そういう意味で、別に株式会社と株式会社でない専業農家とのいわば所得の違いというのは基本的に、同じ生産性であれば、無いと思う。
特区ではなく、全国的にやればよいということだが、なかなか今まで全国的にやって農業改革は進まなかった。農業というのは非常に地域特性が強いもので、全国一律でやるより特定の地域で、その地域に沿った制度を作ることがその地域の農民の方にとって望ましい場合も多いのではないか。だからこそ、構造改革特区の要望では農業が最も多く出ており、それだけ多様性が強いものではないか。全国一律でやればよいというが、製造業はそれでもいいかも知れないが、農業こそ、まさに地域ごとにお互いに合意を形成して、何が一番農業にとっていい物かをそれぞれの地域で考え、改革していくということがそれほどいけないことか。
市民農園についても、全国一律でやればよいというが、現に、こういうアイデアは昔から言われてきたのに、いっこうに進まない。例えば、市民農園のニーズというものは大都市近郊の方が、たぶん北海道や東北より多いと思う。そういう地域を中心に、どうすれば、地域の農地利用の秩序を混乱させないような形で市民農園ができるかと、試行錯誤でやっていかなければならないのであり、それを地域のJAだとか農業委員会などが努力して全国画一でない制度を作るということがそんなにいけないことか。
全国一律でやってきたことが、なかなかうまく考えていけない部分と、それに関連して、地域特性の強い農業についてはこういう特区というものを活用してみるということが、ある意味で、農業の発展に望ましいのではないかと考えている。
(奥谷)話のなかで、消費者という部分のところが全く欠如している。日本の食料自給率の低さは、先進国の中でもかなり低いわけで、生産そのものの制約がかなり大きいということと生産とその商品のマッチングがいっていないということが起因していると思う。生産そのものの制約というのは、やはり今の、農地法というか、耕作者主義という、実際に耕作者でなくては土地を保有できないというところにあるわけで、その結果、農業生産法人以外の民間企業というか、株式会社等が入りにくいというのが現実。株式会社が参入すると農業全体が危ういという考えは、これは消費者にとってプラスになるかどうかの観点がきちっとあれば、むしろもっと、安全で安いお米や野菜などが入ってくれば消費者にとって大変ハッピーなことである。
それと農協の在り方が問題。農協は独禁法の適用除外になっている。農協は非営利事業以外の企業的経営の幅広い事業を行い、新食糧法上の自主流通法人の指定対象になっているなどの既得権益を持ち、保護されている。そういうアンフェアな部分を守りきりながら、これからも農業を続けていくというのは、先行き農業の将来性を考えても、かなり難しい状況ではないか。特区においてどうのこうのという問題ではなく、特区をはずした場合の日本全体のこれからの問題であると思う。そこの考えは如何か。
(山田)この規制改革会議のとりまとめの中でも、転用を厳しくすれば作る人は誰でもよいではないかという整理があったと思う。確かに理屈ではそうだと思う、問題は現実的な制度としてそれが担保しうるかどうかということ。議論の中には永久農地論などもあるわけだが、これは相当厳しい私権制限になると思われ、今の憲法29条から見てどういう手当てができるのか必要なのかということもあり、日本のようにこれだけ都市と農村あるいは農地、土地をめぐる競合がある国の中で、長期にわたって固定をするという、ヨーロッパなどのように100年、150年前の農村の姿がそのまま残っているというものがあるが、そういう制度ができるかどうかというところが問題ではないか。もしそれができるなら、それはひとつの議論だと思うが、非常に困難だと思っている。
(八代)その問題は、株式会社が入る入らないにかかわらず、重要なこと。その問題はまさに私権制限とおっしゃったが、今の農地というのは膨大な補助金とか税制上の優遇措置を受けている。それを受けた上で、農地が転用されて巨大な利益を得られることを防ぐというのは、私権の制限ではないのではないか。少なくとも得た補助金とか税制の優遇措置などを返したうえで、市場価格で売るならば、ひとつのコモンセンスだと思うが。私権制限以前の今の転用というのは無秩序な形で行われている。株式会社にかかわらず、そこはどっちにしても改革の余地があるのではないかと思う。
(山田)今の農村の現実を見ていくと、例えば、かつての高度成長期に見られた傾向だが、農地が買い占められて、その後遊休化して、使いようがない、農地性もだんだん失われるということで、別の開発につながっていくというような実態が現にある。そこが、止められないというか、制度として担保しきれないということがある。株式会社の問題について言えば、誰でもが自由に持てる、あるいは転売できるという制度について歯止めがかけられないということがあると思っている。従って、前回の農地法改正のところがぎりぎりのところではないか。
(鈴木)聞いていて、おかしいなと思った点は、株式会社は株を転売する、転売をするから、それが農地の転売につながるというが、ここのロジックがよくわからない。株式という形で所有はされているが、所有と経営というのは基本的に分離されて運営されている。仕事をする人たちというのは、必ずしもお金を出した人たちとは別の人たちである。株が売られるから、農地も売られるというその論理はちょっと飛躍していると思う。株式会社が農業をやるというのは、ビジネスをしているわけで、それは農産品をビジネスとしているから入ってくるという人たちが大部分だと思う。そういう人たちが入ってきたときに、例えば、水利だとか灌漑だとかという問題で農家と必ず、いさかいをおこすとか、協力しないということを頭から決めてかかられるが、自分のほうの水も困るわけで、そういう点について協力し合うのはお互い様、当たり前のことでないか。株式会社というと何か必ずずる賢いことをやるという考えがあるのではないか。農振地域の農地を大きくまとめておいて、売ってしまうということが、意図的だとは言わないが、仮にそういうことが心配ならば、株式会社よりもむしろ今の農家の方、特に担い手のいなくなった農家の方が危険がむしろ大きいのではないか。そこのところももう少しわかりやすくしていただきたい。これは完全な参入規制。いわゆる地縁で結ばれた耕作者による運命共同体的なことをおっしゃるが、それはもう現在の日本ではいうべきことではなく、むしろいろいろな人たちが入りあって、それぞれ良いところを競い合うということが重要ではないか。農業の方の説明はよくわからない。
(森澤)逆によくわからないのは、昨年農地法が改正され株式会社形態の生産法人もできるようになった。現にいくつかできてきているわけで、これについては一定の条件というか、経営者が半分は農業に従事するなどとあるが、そういった形で、株式会社形態で入ってこれますよと、道ができた。今般議論となっているのは、一般の株式会社だが、株式会社自身、私どもから見ると資本と利益がでないとゴーイングコンサーンができないので、できないとなったときに、その地域に入った会社の農地がどうなるのか、当然遊休化ということが非常に懸念される。現場の意見を聞いても、ものすごく強いものがある。
(松岡)今言ったのは、介護保険の時と同じケースではないかと思う。落下傘で降りて、ここは商売にならないからといって、出てしまう。福祉というのはきわめて地域密着型のサービスなのに、企業は落下傘で降りていって、儲からない、では撤退だとなってしまう。そういう懸念を現場の生産者は持っている。
(八代)福祉の場合も、現に、企業が撤退した後は、他の民間の介護ビジネスがその後を十分埋めて、今は介護サービス市場全体として広がっている。何もひとつの企業に依存する必要はまったくないわけで、それは農業でも同じではないだろうか、別の株式会社が埋めればよいし、別の専業農家が埋めてもよいのではないか。農業生産法人というのを多分聞いたことがない方がおられるかもしれないので、説明させていただくと、株式会社が農業生産法人という形で始めて参画することが認められた。ただ、1社あたり1/10の資本金、株式会社全体であわせて1/4の資本金しか出資できない。これは、とても株式会社形態とは呼べない。また、取締役会の半分が、常時、農耕・耕作に従事していなくてはならない。これだとアグリビジネスではとても成り立たない。農家の方が小さな合資会社を作る、あるいは株式会社をという、そういう形態には向いていると思うが、これはとても株式会社の参入とはいえないというのがわれわれの認識。だからこそ、もっと大々的な改革が必要。
(福井)そもそもよくわからないのだが、株式会社に農業を認めると、具体的にどのような支障があるのか。
(山田)株式会社に農業を認めないといっているわけではない。今でも、農地を使わない農業や畜産や高度な施設園芸など、これらは株式会社形態が入っているわけで、全体として農業で株式会社を否定しているわけではない。問題は、農地の問題だと思う。土地利用型農業の問題なのだと思う。そこが、土地利用型農業の特性と、株式会社一般が農地を自由に持てるということにすることによって大きな懸念あるいは問題が生まれる、この問題について払拭ができるかどうかである。
(福井)具体的にどういうことが起こるということになるのか。
(山田)地域に根ざした家族経営なり、地域に根ざした法人が永々と農地を守ってきている、そこに農村の文化が生まれてきているということがあるのだと思うが、儲かるか儲からないかということで株式会社が入ってくる、儲からなければいつでも引き揚げていく、それが農地を持っているとその後はいったいどうなっていくのかという問題がある。
(福井)それは、株式会社が農地を持つと耕作放棄が起きるということか。
(山田)そうである。その農地が将来どういう形で展開していくのかということについて歯止めがかからないということ。
(福井)そこがよくわからない。なぜ株式会社が持つと、将来の歯止めがかからなかったり、耕作放棄が起き、個人農業なら起こらないというのか。
(山田)今の農地制度は、耕作者主義で、耕作をする人が新たに権利を持つことが望ましいとされて農政が組まれている。それを変えて誰でも農地を自由に持てるという制度の道を開くかどうかというところが問題。
(福井)耕作者主義だと、なぜ農地の荒廃がおこらなくて、株式会社だとなぜ、その蓋然性が高いのかという点については、具体的にどういう推論のロジックがあるのか。
(山田)農地を誰でもが自由に持てる、農地を自由に転売ができるということになれば、制度としてきちんとやれるかどうかの問題。
(福井)転用制限は、今でもあるわけで、株式会社にもかければ同じことになる。株式会社であるという組織の形状自身から導かれる何か難点があるのか。
(山田)転用制限があっても、一時期、企業が農地を買い占めた経緯がある。転用制限があってもそのまま荒廃をさせているというのはずいぶん見受けられる。
(福井)会社が保有している土地が耕作放棄されて、個人の所有する土地は耕作放棄されていないということを証明できるのか。
(山田)投機的な農地取得を制度で抑えられるかどうかが問題だと思う。
(福井)個人農家は投機をしないで、株式会社は投機するとか、あるいは株式会社は利益を追求するが、個人農家は利益を追求しないは言い得るのか。
(山田)地縁的な、そこに足場を置いているかどうかが土地利用型農業のあり方として重要なのではないか。
(松岡)新たな農業基本法の制定にともない、平成9年から10年当時に、株式会社の参入を認めるかどうかの議論をした、ぎりぎりの決着点が農業生産法人という今の制度。株式会社一般ではなく、農業生産法人としたのは、農業者と同様の性格を持たせ、そういった、株式会社参入に対する現場の懸念を払拭するための規定。附則で5年間様子を見てみようということになっていた。
(福井)株式会社は営利追及で、耕作放棄とか荒廃が起きるかもしれない、それは転用制限や耕作義務を課すことで回避できるかもしれない。個人農家にも同じことを課すべきでないかという議論が一方である。もうひとつは株式会社が営利追求というが、個人農家だって農業で生計を立てており、土地を利用して農業にするのか宅地転用にするのかということを考え、生計を立てるために営利を追求する活動は行われているわけで、株式会社だから特殊な営利追求行為があるとは一概に言えない。
(山田)今でも有限会社や農業生産法人の株式会社を認めていて、一般の株式会社を認めていない差は何かといえば、それは株式会社が無制限に株が売買され、経営権がどんどん移っていくことが自由で、誰でも自由に農地を持てる点。例えば、東京にいて、北海道の土地でも持てるという制度になるのではないか、そのことは農地の基本的な性格をゆがめるのではないか。したがって、株の譲渡制限であるとか、その企業のその地域における責任がはたしうる制限というものを加えているのだと思う。
(鈴木)それはちょっと論理の飛躍がある。農業生産法人を株式会社で、しかも大規模な株式会社が入って、大きな規模でスケールメリットを追求するというところに本当の意味があると思う。そういうものを認めたら、誰でも何でも自由に持てるというのは、飛躍がありすぎる。農業をやる株式会社としては、要するに大規模農業をやっていく力を持った株式会社をイメージしており、日本の農業をそういった人たちに託さなくて大丈夫か、今の農業をやる人は、高齢化し、耕作放棄もずいぶんでてくるということを心配している。
(福井)農業政策の目的を何に求めるかに関わると思うが、株の転売などに弊害があるという考えは、実際に耕作していない人が支配するというのが大前提にあると思う。農政の目的が、農業従事者の生活保障であれば別だが、農業生産力を高めて、農業の力を増すことにより、基本的には日本の消費者や国民を守っていこうというものと理解している。そう考えると、いくらオーナーや株主が代わったとしても、農業で稼げるということは、農業が収益性が高くて魅力ある産業だということの証明になる。有能な人材が移ってきて、有能なマネージメントをすれば農業生産力も上がり、食料の安全保障も達成されるという好循環になる。このひとつの有力な手段が株式会社化。耕す人しかオーナーになれないというのは、別の目標が混入しているのでないか。
(松岡)いままでの規制緩和論でも、机上では理路整然と語られるが、現状の日本の農業は、土地の集積をしようとする時に、農家の私有財産が認められている今、農業経営が赤字でも、先祖代々の土地を守らなくてはならないと思っている。担い手の方に農地集積をしようといっても、元気なうちはやりたい、守らなくてはいけないということでできない部分もある。地域の合意形成の下で、現場の農政担当者やJAグループが責任をもってやっている。
(福井)株式会社になったら、農業生産力が落ちるに違いないと言うが、違うのではないか。
(山田)株式会社が土地利用型で農業に参入して、日本の農業がバラ色になるように聞こえるが本当にそういうことか。株式会社が農業に参入して、労働者を雇って農業をやって、賃金を払って、そういう農業が成り立ち、日本の農業の担い手になっていくという展望が本当に描けるか。もしそうならば、基本法の議論をし直さなければならないという基本的な問題である。
(福井)少なくともプラスの方向になるだろうと思っているから提案しているが、証明することはできない。まだ、サンプルがないし、未来のことを見てきたみたいに証明することはできない。だからこそ、特区なのである。全国一本でやって、懸念が本当に該当したら日本の農業は荒廃してしまうかもしれない、ということもあるからこそ、地域を限ってうまくいくものかどうか社会実験しようということで特区が出てきている。
(山田)資本力で規模を拡大しようとしている農家と競合するということは困るので、そうではない地域に限定し、しかも株式会社の参入が土地を持つことが目的でないということであるならば、貸借に限定する必要がある。特区そのものは地方自治体が責任を持つということなので、市町村等が中に入って責任を持って貸し借りで行うということなら、一つの実験としてあり得るのではないか。全面否定しているわけではない。農地が目的で入ってくるということを払拭できるということでなければならない。一旦損なうと元に戻せないことから、土地の問題は慎重に扱うべきだと思う。
(福井)ポイントは、株式会社が仮に農業経営したとしても、農業が荒廃しないようにするための手立てだと思う。ひとつには賃貸というのもあるかもしれない。そこの手立てを講じて、もっと生産力が高まる余地があるとしたら、それは実験に値すると思う。そこはそんなに違うことを言っているとは思わないが。
(山田)これは将来、一般化していく話ではないという前提で、今回の特区について提案をしており、そこは基本的に違う。
(松岡)サンプルがないから実験だというが、農業生産法人はフリーな株式会社ではないから、サンプルではないというかもしれないが、平成9年から10年に株式会社の参入について議論して、懸念が払拭されないから株式の譲渡制限つきでギリギリ決着したものを、検証もなしに、平成13年の改正ではだめで、特区でサンプルを作らなければならないとするのはあまりにも拙速すぎないかというのが、われわれの組織からの意見。
(八代)長い間議論してやっと、あの改正が出来た。そちらから見れば画期的な改正だろうがこちらにしてみれば小さな改正。それをもっとスピードアップしなければならない。そのためにまさに特区が必要。
個人の農家の土地への愛着が、大規模農家に土地が集まらない原因だというが、われわれは別の説明を持っている。今、まさに零細農家が土地をもっていることが極めて大きな利益になるというインセンティブがある。長く持てばそれだけ転用可能性が高くなる。
一方で農地を守るという意見がありながら、他方で私権の制限ができないから転用規制を厳しくできないというのは矛盾しているのではないか。どちらかにしなければいけないと考えている。それも含めて特区でやってみようというのがこちらの考え方であり、ご理解をいただければと思う。
(福井)恒久化すべきでないというが、やってみてから考えても遅くはない。農家の所得も、農業関係者の所得も非常に増して、しかも農業生産力も高まるかもしれない。それを今から決め付ける必要はかならずしもない。いろいろな可能性を試してみるに値すると思う。
(松岡)そこは、意見は平行である。
(八代)いまなぜ、大規模農家への集約が進まないと考えられるののか、株式会社にかかわらず。
(松岡)平成4年からの新政策で、育成すべき担い手農家について、認定農業者制度を作り、認定農業者に農地集約し、ゆくゆくは法人にして育てようとしている。現在、認定農業者制度があるが、16万で頭打ちになっている。また、農地の出し手と受け手のアンバランスからうまく行っていない。条件のいいところは集積できるが悪いところはできない。もうひとつは、米価が下がり、農水省が将来の担い手だといっていた農家が、先に経営的にダウン。そういうのが実態であり、農水省の描いたプランどおりに行っていない。
(山田) 今が農地集積のチャンスであるとは思う。そういう状況は熟してきていると思う。良い悪いは別にして、長年にわたる米の生産調整が構造改革の困難性を作ってきたことは事実。
(松岡)農業法人で望ましい形態で育っているところは、専業農家と兼業農家の共生。
自分だけ大きくなったところは土地の集積が集まらなくて、規模の拡大が図れないというのが地域の実態。単なる規制緩和論だけではない、農村の実態は。
(八代)農地の転用規制が甘いから、農地の集約度が進まないと繰り返し言っている。
(松岡)転用規制がどうだこうだではなく、地域の合意形成があって、土地の集約もあって大規模農家が育っているというのが実態。地域を無視した大規模経営というのはほとんどありえない。そういう実態もぜひご理解いただきたい。
株式会社が仮に参入されるとしても、地域密着型のスタンスを常にもっていないと失敗する。
(八代)それはそうだと思う。しかし、そのために経営者の半分が常に農作業に従事していなければならないというのは疑問。
(森澤)最後に、奥谷委員の指摘に答えるが、消費者の視点がないということについては、我々としても最重要課題として取り組んでいる。生産履歴をつける運動を展開している。独禁法については誤解が多い。農協が独禁法の適用除外ではあるが、不公正な取引方法については対象になる。他の中小の協同組合についても適用除外はあり、その中に農協もある。農協が大きいから独禁法を除外しろという論調があるような気もする。別のところで検討されると思うが、そこはきちんとした理解をいただきたいと思う。
(八代)協同組合だから除外されているということは理解している。大きさは関係ないというのは異論があるが。
(山田) 転用規制の問題については、われわれが緩いものを求めているように聞こえるが、それはまったく違う。むしろ、農地が蚕食されてきているのは農業側でなく、都市側から起こってきている問題であり、そこは誤解のないようにしてもらいたい。
以上