-
障害者施策 サイトマップ
-

-

(PDF形式:35KB)別ウインドウで開きます

ルビあり (PDF形式:71KB)別ウインドウで開きます

第25回障がい者制度改革推進会議(2010年11月15日)
議事要録


議事 障害者基本法の改正について


(「障害」「障害者」の定義について)

  • (東室長よりこれまでの議論の整理)現行基本法は生活上の制限の原因を身体障害、知的障害、精神障害に求めており医学モデルである。これを社会モデルの視点からどう書き換えるかが問題点の出発点だ。社会的不利が何によって生じるかが医学モデルか社会モデルかの分岐になる。基本法の定義が個別関係法の定義を包括する関係にあるべきだ。ただし、差別禁止法における障害には過去の障害や将来発生するかもしれない障害、もしくは周りから障害があると見なされている状態も差別を受けるおそれがあるので含まれる場合もある。次に現行基本法と同じく、「障害」と「障害者」を分ける方法がある。今一つは、障害と障害者を別のものとして規定する方法がある。
    次に定義で使う言葉についてだが、定義はそれに該当するものとしないものを峻別する機能があるので、言葉は明確であることが求められる。次に、法律は社会に周知された言葉を使う方がわかりやすい。さらに「継続的」「相当な」といった客観的に一義的に決まらない言葉は避けたほうがよい。
    次に定義の仕方と範囲については、まず「障害とは〜である」と単独の言葉で規定するのがパターン1だ。例えば「障害とは心身機能の損傷である」という場合で、分かりやすいがこれだけですべての障害を吸収できるのかが問題になる。
    複数の要件で規定するのがパターン2だ。例えば「障害とは心身機能に損傷があり、社会的障壁との相互作用により諸生活上の制限を受ける状態である」と、2つの要件が「かつ」で結ばれる場合、定義は狭くなり機能障害があっても障害にならない。米国ではADA上の障害が「かつ」で狭く規定されていたため、裁判を起こそうとしても機能障害だけでは障害と認定されず、訴えの利益がないとする事例が多く発生した。このため、2008年にADAが改正されている。
    最後にパターン3として、2つの要件を「または」で結ぶ場合は「障害とは、機能障害、活動制限、または参加制約の総称」というように、定義の範囲は広くなる。ただ、機能障害がないが参加制約があれば障害者といえるのかという問題がある。参加制約は人種差別や女性差別の分野でもあり、障害分野に限らない。
    障害者を定義するのだから人を決める表現になるが、社会モデルの視点でいうと障害はその人の中ではなく外にあるとされる。すると外部の制約が障害者を意味するというように、分かりにくくなる。
  • (イエローカード)資料にある「一方的因果構造」の意味が分からない。
  • (東室長)難しい言葉を使い申し訳ない。障害者が社会的に大変な目に遭う原因を、身体障害、精神障害、知的障害という個々人の内部的な問題に一方的に求めている構造になっているということだ。
  • (藤井議長代理)知的障害のある人が就職できないという場合、企業の方が断るというように本人の外側に多くの問題があるのだが、本人の中に一方的に問題があるとイメージさせることという意味だ。
  • (発言)見なされた障害や過去の障害などを差別禁止法に書き込むのは適切だ。基本法に全部書くと混乱するので、このような特殊な場合は個別法で規定するのがよい。基本法の障害の定義は「身体的又は精神的な機能障害(構造障害を含む)、およびその機能障害と社会におけるさまざまな障壁との相互作用により生じた、日常生活又は社会生活における相当な制限」などとしてはどうか。
  • (発言)基本法の中に障害者差別禁止法の種をまくという意味で、障害に基づく差別の定義を入れるべきではないか。
  • (東室長より論点の提起)1番目は障害を機能障害と定義するか、それとも機能障害に加えて社会モデルの考え方を反映させるかだ。前者の場合は障害者を社会モデルで定義するが、権利条約等国際的傾向からみて障害の定義がどうかという問題ある。また後者の場合、「障害を理由とする差別」という表現の意味が「『日常生活又は社会生活に制限を受けていること』を理由とする差別」となり同義反復になるという問題がある。さらに従来の法律では障害は機能障害としているが、基本法においてのみ社会モデルで規定することの影響も議論するべきだ。
    ポイントの2番目は、障害定義の例示をどの程度書くかという点だ。現行法は「身体障害、知的障害又は精神障害」となっている。感覚的な機能障害を付け加えるべきとの意見があるが、従来は身体障害に含まれていたこととの整合性をどう考えるかということだ。また、身体障害ではなくて身体的障害とするべき、身体障害と精神障害の2つの例示に限るべきなどの意見がある。制度の谷間をなくす観点から包括的な定義とすべきとの意見と、一定の例示は必要との意見をどうするのか。
    ポイント3は「継続的」「相当な」という文言について、「継続的」は短期間で治る傷病などは省く、「相当な」は極めて軽微なものは省くために使っている。「継続的」に「周期的」「断続的」に生じる場合が含まれるのかなどがポイントになる。
    ポイント4は「社会における様々な障壁との相互作用」という規定ぶり案の「障壁」や「相互作用」の意味する内容や、より適切な表現を議論する必要がある。
  • (発言)障害と障害者の定義を分け、後者は「前項の障害を有する者を意味する」と単純な構造にしてはどうか。障害はICFを踏まえて「この法律において障害とは、身体的又は精神的な機能障害(構造障害を含む)、およびその機能障害と社会生活におけるさまざまな障壁との相互作用により生じた、継続的又は断続的な日常生活又は社会生活における制限を意味する」とするのが適当だ。
    室長提起の4つの論点について。ポイント1の同義反復になるということについては、機能障害を理由とした差別があり、これを理由にした次の差別があり得るので、差別の理由となる障害は機能障害だけでは不十分だ。権利条約は、目が見えない、手足が麻痺していることが障害だというこれまでの理解の仕方を乗り越えて、機能障害と障害を区別するという新しい考え方を提起している。ポイント4について、「障壁」「相互作用」の意味合いを一般的な形で描くのは難しい。
  • (発言)「障害とは身体的、精神的、知的、感情的状態が疾病、損傷その他の事情に伴い、そのときどきの社会的環境との関係において、日常生活又は人々との社会関係(態度を含む)に相当な制限を受ける程度の状態をいう」と定義してはどうか。この「制限」には自分の身体機能などに基づくものも、社会からの制限も含む。総合福祉法などの給付法では障害者を厳密に確定すべきだが、基本法では「相当な制限を受ける程度の状態」などが適切ではないか。インペアメントを機能障害と訳す場合があるが、これが疾病を含むのかが不明確なので、「疾病、損傷その他事情に伴い」とすれば難病なども含まれる。
  • (発言)権利条約が障害については深入りせず障害者を定義した点は押さえておく必要がある。次に、「参加の障害」や「活動の制約」といった社会モデル的な制約は障害者だけの問題ではなく、高齢者、疾病者、お子さんにも起こる。従って、障害を定義するのは、疾病や老齢問題とは別であることを明確にする意味がある。障害を機能障害とすると同義反復になるので「機能損傷」としてはどうか。そして、それと老齢、疾病を切り分ける縛りが「相当な制限」や「長期にわたる制限」などの文言になる。
  • (発言)味覚障害のある人が料理の学校に入ることを拒まれ料理の仕事ができないというようなケースは障害のために差別を受けたと言えるのか。また色弱、色盲の方が美術学校あるいは医学部に入ることを拒まれ、デザインの仕事につくこと、または医者になることを拒まれた場合、基本法の障害定義の対象なのかどうか。
  • (発言)これは、基本法というよりは差別禁止法の議論だろう。いずれの例も心身機能の障害を理由にして入学を断ったことになるわけで、不利益になったことには間違いない。料理学校で味覚障害の人に合理的配慮が提供できるにもかかわらずそれを採用せず入学拒否となった、色弱を補いデザイナーになる可能性があるにもかかわらず教育的な工夫等をしない場合は差別だ。しかし、どんなに工夫をしても合理的配慮がない、教育機関として十分な効果を提供できない場合は差別とは言えない。
  • (発言)「かつ」ではなく「または」として範囲を広げた方が味覚障害者や視覚障害者等、一般的に軽度言われている障害者は救済される。
  • (東室長)機能障害はあるが社会的制限はない場合も障害、障害者に当たるか。
  • (発言)当たる。機能障害はあるが、周りの環境がよいために日常生活、社会生活上の支障がない人も障害者だ。
  • (東室長)障害の定義で参加制約や制限とあるが、制限は個人に属するのではなく外部にあるものだ。これを「前項の障害を有する者を意味する」として障害者に持ち込むとどう理解すればよいか。
  • (発言)障害を個人の属性としての機能障害と環境との相互作用による困難や支障ととらえるのだから、内部なのか外なのかと問われるとどちらでもないということになる。制限という言葉が外からのものという印象を与えるならば、支障や困難と表現した方がよいかもしれない。
  • (発言)今の議論は理解しにくい。何故なら一つには、障害には複雑な要素があるため、その全部を定義に盛り込もうとすると分かりにくくなるということ。定義である限りはごくシンプルに「心身の損傷」がよいのではないか。二点目には、基本法での障害、障害者の定義と、差別禁止法の定義を混同してはいけない。とりわけ、今、支援を必要とする障害者を定義するのに、過去又は将来の差別の対象となる人を含むのは無理がある。三点目には、「身体障害、知的障害又は精神障害、その他心身の損傷」という場合、「その他」は前の3つの例示に相当するものを含むことになるが、そうだとすると例示の意味をより丁寧に議論する必要がある。例えば、感覚障害を例示に入れるべきとの意見を採用する場合には、感覚障害の意味を明確にすると同時に、それに即した支援を明らかにする必要がある。
  • (発言)障害をインペアメントとして障害者の定義に社会モデルの観点を入れるという考え方もあるが、医学モデルから社会モデルに変えるという障害者権利条約の理念からいうと障害の定義自体に社会モデル的な観点を反映した方がよい。私たちに浸み込んでいる医学モデルの障害のとらえ方を変えなければいけない。その場合、障害の定義に差別的な内容が含まれるため、例えば「障害を理由とする差別」というと同義反復になるという問題がでてくるが、これは差別禁止法の段階で工夫できないか。次に例示を書くかどうかについては、身体障害、知的障害、精神障害に加えて、発達障害、感覚障害なども入れる方が谷間を少しでも埋める方向に貢献するのではないか。
  • (発言)障害の定義の例示について、現行法は発達障害や高次脳機能障害、難病等が含まれていないなど制度の谷間がある。制限列挙するといくつ挙げればよいのかという話になるので、包括的で谷間を生まないようにするべきだ。次に「継続的」という書き方も気になる。精神障害や難病のある人で調子の良い時は働くが状態が悪くなると働けない場合には就職差別で解雇される。この場合、障害は継続して一定の状態にあるわけではないので障害と認定されないのではないか。
  • (発言)障害者の定義としては各種の支援を必要とする者としてはどうか。
  • (発言)障害をもつ人はそれによって支援や配慮を必要とする人のことだ。障害はこれとは別に定義する必要がある。その際、社会モデルを残した形でシンプルに、含みを持たせた表現がよい。
  • (藤井議長代理)心身障害者対策基本法から障害者基本法に移る過程で1990〜93年頃に激しい議論があった。「心身」の「心」は知的障害を指し精神障害は含まれないという国会答弁があり、これに対し障害団体が猛然と抗議した。それで「心身」という言葉を省き「障害者」と表記することになった。また「対策」は物的な扱いを連想させるので、これも省くことになった。こうした過去の経過も踏まえるべきだろう。

(「住宅」について)

  • (「住宅」について事務局より提案)総則で「地域において生活する権利」を加えることに対応して、現行の17条「住宅の確保」に「地域社会における」を挿入している。
  • (発言)公団住宅や市営住宅に入るときにも難しい手続が必要で、また家賃が高く住めないところもある。どこで誰と住むかを自分で選んで決めるときに、家賃などの分かりやすい情報が必要だ。生活ができるように家賃は収入に見合ったものにする必要がある。申込用紙などは難しい言葉で、ふりがなもないので分からない。
  • (発言)グループホーム、ケアホームの設置に当たっての住民同意は法令に根拠規定がなく行政指導で提出が求められたが、人権問題だということで大阪府が1999年度に問題提起し、国はこれを撤廃している。これは運動の力によるところと、大阪府が基本方針(案)の中で、「長い間、障害者等は『保護』される対象と捉えられてきており、地域から隔離された生活を余儀なくされ、地域社会の中で共に自立した生活者であるという考え方が希薄であった」という認識をしていたことによる。更に精神科病院での劣悪な処遇や社会的入院が精神障害者に対する人権侵害であると、既に10年前に1つの地方自治体として指摘をしている。以上のことを踏まえつつ、住宅で権利条約19条から「特定の生活様式を強いられることなく、どこで誰と住むかについての選択が可能になるように」という文言を入れてはどうか。また住宅の確保や整備については公営住宅でバリアフリー住宅をつくるというレベルで、民間の賃貸住宅のバリアフリー施策や公的保証人制度、居住サポート等、多様な住まい方支援について等、差別されることなく入居できるような施策につながる規定が必要だ。
  • (藤井議長代理)ハードとしての住宅だけではなく、そこで生活するにふさわしい要素を醸し出すような書きぶりにできないかということだ。誰とどこで生活するかを選択できるようにする観点から、「地域における安定した生活」を加えている。
  • (事務局)条文の構造上は民間住宅や住まい方支援などを含めた住宅政策全体を広く読み込めるようになっているが、表現上不十分であれば、検討したい。
  • (発言)現行障害者基本法においては、障害者のための住宅の確保や整備はハードに重点があるのではないか。住生活基本法という法律でハード面だけではなく住生活を進めるための施策が既に確定していることから、せめて「住生活の支援」という言葉は入るべきではないか。
  • (発言)自治体でも障害者に住宅を確保するための支援は住宅の確保だけではなく、居住の継続に必要なホームヘルプなども含めて既に取組んでいる。
  • (発言)ホームレスへの支援で住宅確保については、契約の際の保証人あっせんが必要だ。これを弁護士や福祉事務所などが連携して取組んでいるが、障害者や高齢者からもあっせんの強い要求がある。

(「文化・スポーツ」について)

  • (「文化・スポーツ」について事務局より提案)現行の規定から「障害者の文化的意欲を満たし、若しくは障害者に文化的意欲を起こさせ」「積極的に」を削除し、代わって「障害者が必要な支援を受けながら、文化の享受又はスポーツ若しくはレクリエーションの活動ができるようにするため」と表記した。
  • (発言)文化、スポーツ、レクリエーションの3つを並列に並べ「文化の享受やスポーツ及びレクリエーションの活動ができるようにするため」と表記してはどうか。
  • (発言)スポーツ、文化、レクリエーションは人間の尊厳や自己実現にかかわるもので基本的人権の1つだから、これに参加し享受する権利があるという宣言が必要だ。その上で、インクルーシブな条件や環境が見えてくるような書きぶりが必要だ。
  • (発言)この分野は障害者が主体性を持って参加することが大切だ。特に憲法の理念に即して文化活動をするための環境整備を、障害者自らが主体性を持って担う形をつくる必要がある。障害者が障害者を支援することも含むような書きぶりを求めたい。
  • (藤井議長代理)障害者権利条約第30条第2項の読み上げ。「締約国は障害者が自己の利益のためのみでなく、社会を豊かにするためにも自己の創造的、芸術的及び知的な潜在能力を開発し、及び活用する機会を有することを可能とするための適当な措置をとる。」
  • (発言)権利条約30条の文化的な生活への参加の権利を明確にすることに賛成だ。「文化の享受」は受け身的なので「文化への貢献」など主体的な面を明示するべきだ。「余暇」は時間というニュアンスが生じるので、「レジャー」とするべきだ。
  • (発言)フランスやオランダでは、障害のある人を含むすべての労働者に賃金の8%が休暇手当として5月に支払われ、これで5週間の夏休みを楽しんでいる。日本では休暇を取れないのが実態で、障害のある人も余暇を楽しめるよう、表記するべきだ。
  • (発言)文化・スポーツには「必要な支援を受けながら」とあるが、住宅にはない。必要な支援を受けることは重要なので総論で確認するか、各論なら全部に書くべきだ。
  • (発言)「必要な支援を受けながら」は重要だが、文化に関してはこの文言は評価できない。障害のある人の中には芸術性や創造性について支援を必要とするというよりは、既に持っている人がいる。また「文化を享受する」は受け身的なので、積極的に芸術活動に参加している方がいることを踏まえた書きぶりにするべきだ。
  • (発言)基本法では障害者をサービスの客体から権利の主体に置き換えることが大きなテーマだ。住宅や文化・スポーツでもまず権利を押さえ、それを受けてやるべきことを規定するべきだ。
  • (事務局)総論事項ではないかという指摘については全体の整理をしたい。施策の内容として設備、施設といったところに偏っているのではないかという御指摘をいただいたが、現行法が既存の施策の基本的な方法を記述する構造であり、これをベースとしているため分野ごとの理念にさかのぼって作業をしていない。総則として基本的な考え方をまとめ、各則ではそれぞれの施策の方向を書くという構造が現在の各基本法のスタンダードなので、それにのっとって作業を進めた。今後、指摘をどう表現することが可能なのか考えていきたい。
  • (発言)現行法を抜本改正するのだから基本的視点が最初から違う。「客体から主体へ」というなら、書き方の構造自体を変えないといけない。今の案は言葉の使い方が受け身で、このまま作業が進むと「主体」にならない。
  • (発言)基本法の中では国と地方公共団体に何らかの条件整備を講じる責務を求める構造になっている。従って、障害者が主体的に参画するという理念に立つとしても、条文によっては主語が「国や地方公共団体」となるから違和感が生ずる。理念を明確にし、そのために国及び地方公共団体が何をすべきかを明らかにする必要がある。
  • (発言)文化・スポーツの1項で視覚障害者の権利性を規定し、2項でこの理念を踏まえ国及び公共団体は何をすべきかを書けば、権利・義務と責任体制が明確になる。主語は「国または公共団体」でも構わない。相談等の条項で「国及び地方公共団体は」の後に「権利・利益の保護等のために」とあるが保護ではなくて保障とするべきだ。
  • (発言)障害者であろうとなかろうと基本的人権の保障は憲法に規定された国及び地方公共団体の責務だ。条件整備と書くと主体性を損なうように受け止められる。
  • (発言)基本法の場合は基本的な考え方や理念を、どこが主体かを考えながら表現する必要がある。筆の起こし方は革新的な形でやるべきだ。
  • (発言)理念で権利性について触れた上で、各論では国や地方公共団体の支援や条件整備の責務を明記しなければいけない。既に取組んでいる施策は所与のこととして、よりよいものにする必要がある。障害者の権利を保障するための基本法である。

(「相談等」について)

  • (「相談等」について事務局より提案)現行の20条の規定に関して、推進会議の議論を踏まえ「障害者の必要に応じて」という文言の挿入をした。
  • (発言)「権利利益の保護」とあるが、障害者福祉を抜本的に見直すならば「保護」ではなくて「保障」とするべきだ。ドイツ社会法典を参考にし、障害者が自己実現を図る権利を実現するための相談業務とする観点から書く必要がある。
  • (発言)相談業務というと障害者は相談を受ける人という意味合いで使われることが多いが、現実にはピアカウンセリング等が実施されているので、障害者によるカウンセリングについても討議が必要だ。
  • (発言)相談事業や文化、レクリエーションの分野では国、自治体だけではなく民間が担っている部分が大きい。民間への義務づけは難しいという説明を前回受けたが、やはり事業者の責任は書くべきだ。特に医療機関での相談や企業内の相談機能は当事者にとって重要だ。
  • (発言)「権利・利益の保護」という表現は「権利・利益の保障」ではだめなのか。「障害者の必要に応じて」は「障害の特性に応じて」としてはどうか。
  • (事務局)「保護」は守るということの法律用語だ。「保障」は保護し、権利等の侵害に対して権利の保全をする、それを侵害から回復することを含む概念だ。今は「相談等」で現行通り「保護等」のままでよいのかどうかを議論していただいている。「必要に応じて」も「障害の特性に応じて」という表現も含めて検討していきたい。
  • (発言)支援付きの自己決定や自己決定のプロセスに対する支援の重要性について触れるべきだ。権利条約でも使われている「エンパワーメント」という言葉を、ピアカウンセリングの重要性という観点から入れられないか。最後に、タイトルを「相談等」ではなく「相談や権利擁護等」にできないか。
  • (発言)成年後見制度について、被後見人は財産が動かせない等法的無能力になる問題があるので、これを削除し「自己決定の支援」とするべきだ。国及び地方公共団体が行う相談以外に、自己決定を支援する人について取り上げるべきだ。
  • (発言)雇用、福祉、年金等の窓口を一本化するワンストップステーションというニュアンスを入れられないか。
  • (発言)「保護」という表現は削除するべきだ。以前、被成年後見人が選挙権を剥奪される点を指摘したが、これは保護と捕えられていることが問題なのではないか。
  • (発言)「相談等」という条文に相談と権利を盛り込むと無理がある。日常的な相談に関しては「相談等」で触れ、住まい方支援のようなより重要な要素は「自己決定」「権利の保障」などの項目を設けて整理してはどうか。

(特別支援教育の在り方に関する特別委員会での検討状況について)

  • (文部科学省特別支援教育課長より資料に基づき検討状況の報告)
  • (発言)権利条約を受け入れるとしつつ、就学先決定の仕組みは市町村教育委員会が決定するということで従来と変わっていない。「専門的知識を有する人」とあるが、これは本人の自己決定権や選択権を奪おうとする流れの現れではないか。視覚障害者の場合、点訳の有無によって統合教育を拒否されたり受け入れたりする現実がある。
  • (発言)OECD諸国の中でも日本の教育予算は最低だ。これをOECDの平均並みにすることが重要だ。インクルーシブ教育に向け、障害のある人がどれだけ社会参加できるかが問われており、初めから学校で共に学べば目的は達成される。アメリカもイギリスも普通学校、普通学級で教育を受けることが原則であり、これを明確にうたうべきだ。地域の事情により環境整備が困難な場合も、バリアフリーやインクルーシブなシステムを実施しないのは差別だ。合理的配慮について、ADAでは過度の負担を伴う場合の例外規定は民間のサービスではあてはまるが、公的なシステムでは連邦法の予算の制約があるためリハビリテーション法の504条項が機能し、バリアフリーが義務づけられている。「環境整備が進まないままインクルージョンを進めることは、結果として教育のダンピングを招く」との意見があるが。現在、特別支援学校の子どもにかかっている予算は1人当たり850万で、普通学校や特別支援学級の子どもは80〜90万だ。インクルーシブ教育によって予算が特別支援学校から普通学級に回れば、ダンピングではなく、より高い支援が普通学校、普通学級で受けられることになる。
  • (発言)多様な学びの場を用意するとの結論は納得できない。インクルーシブ教育システムは学びの場を統合することで、形式的に場を一緒にすることではない。「統合した上で多様な支援を」ならよいが、「多様な学びの場」は違う。教育条件が改善されない中で共に学ぶことにすると形式的な平等になってしまうとの意見があるが、これは「今はお金がないから何も支援できない」ことを前提としている。居住地校に副次的な学籍を置くという意見があるが、まず学籍を地域の学校に置き副次的な学籍を特別支援学校に置くべきだ。交流教育は十分には取組まれておらず、1年に1回それも間接交流のみ等、インクルーシブ教育システムとは言えないのが現状だ。最後に、「就学先決定を総合的に判断する」という仕組みは1978年に文科省が発表した通達に書かれている。そして2002年に地域の学校に受入れ態勢があるならば特別支援学校に行くべき子どもを地域の学校に措置できるという認定就学を入れたときに通達を変えた。それらと今回の特特委の委員長試案とはほとんど同じなので、権利性のある就学基準にするためにはどうすべきかを議論するべきだ。
  • (発言)韓国でも2007年に障害者差別禁止法ができてインクルーシブ教育が原則となり、学校ではアメリカ同様の条件整備が義務になっている。推進会議では学ぶ場を形式的に一緒にするというような議論をしているのではなく、原則は地域の学校とした上で当該学校が必要な合理的配慮や支援を講ずるべきだと言っている。また、推進会議では特別支援学校を廃止するという意見は出ておらず、本人・保護者が希望する場合は特別支援学校を選べるようにするべきだ。東大阪市では障害の有無にかかわらず地域の小学校、中学校に通学するという就学通知を出した上で、本人・保護者が希望する場合は12月までに申し出れば特別支援学校も選べる仕組みになっている。
  • (発言)国連の人権高等弁務官事務所が4月に障害者権利条約のモニタリングに関する資料を出しており、今からこれらを念頭に置いて批准のための障害児教育の見直しを行うべきだ。現在の就学先決定の仕組みは、権利条約のモニタリングの観点からも問題がある。
  • (東室長)general education systemについて文科省が外務省に問い合わせ、これを教育制度一般と訳し特別支援学校等の教育も含まれるとの回答を得ているが、これは一般教育制度と訳すべきだ。
  • (発言)「学校や教育委員会に自分の子どもを受け入れてくれる姿勢が見られないと、保護者は心を開いて就学相談をすることができない」という趣旨が書かれているが、もう一歩踏み込んで障害のある子どもを地域で受け入れることを原則にして就学相談・就学先決定に臨むべきであることを明確にしてほしい。

(その他)

  • (発言)「わかりやすい第1次意見」ができ上がり、地域フォーラムで使っていただいている。まだまだ合理的配慮が足りない部分があるので、今後取組む場合は気をつけたい。
  • (発言)「わかりやすい第1次意見」は知的障害のある方たちのアクセシビリティや合理的配慮のために作ったが、誰にとっても分かりやすいものになった。今日は作り方の反省をしたが、委員が実際に会い意見を出し合って作った過程が大事だったという意見があった。
  • (発言)滋賀フォーラムの報告。300人以上が参加し、活発な議論がされた。分厚い要望書を受け取ってきた。「わかりやすい第1次意見」を使って説明した。
  • (発言)岡山フォーラムの報告。約300名の参加。視覚障害、知的障害、精神障害などからたくさんの課題をいただいた。JDFの岡山版を作ろうという声もあった。
  • (発言)埼玉フォーラムの報告。48もの団体が実行委員会に参集した。難病、高次脳障害等の方からいろんな意見があった。手話言語法制定の動き、障害のあるさいたま市民の権利条例策定に向けての動きなどが紹介された。
  • (発言)障害のある女性に関する各則の検討をお願いしたい。

[以上]

▲ このページの上へ

-