p1 資料9   「障害のある女性への差別の課題」   一般社団法人 日本難病・疾病団体協議会(JPA)   森 幸子   障害者差別解消法の見直しの検討にあたって ・難病については、まだ対象となっていることの周知も充分でないところがあり、制度の活用や相談にすら挙ってこないことが課題である。難病も対象となっていることをわかりやすく示していただきたい。 ・難病を抱える女性ならではの課題も多い。障害のある女性が差別によって悩むことのないよう障害者差別解消法に盛り込まれるよう求める。 ・これらが障害者基本法の改正へと繋がっていくことを願っている。   日本の患者会の歴史とJPAの活動 日本の患者会の歴史は、結核やハンセン病患者の療養所から生まれたと言われている。 それは、「生きたい、治りたい」という患者の素朴な願いが療養所の中から声があがり、療養環境の改善や、すでにアメリカで開発されていた特効薬を使った治療などを求めた患者運動が患者会へと組織化されていった。その後当時の難病であった先天性の心臓病、筋ジストロフイー、リウマチなどの患者会が発足し、やがてベーチェット病や、スモンなどの患者会が誕生していった。やがてスモン(SMON)は国による研究班によって薬害であることが判明した。その頃から続々と「難病」の患者団体が結成され、「原因の究明と治療法の早期発見」の要望が全国的に高まった。国会での論議を経て1972年に国の「難病対策要綱」が作られた。現在、患者団体は、主に難病や慢性疾患の疾病別患者会や都道府県など各地域で結成された連絡協議会など様々な患者会(患者団体)が存在している。日本難病・疾病団体協議会(JPA)は、これらの団体が加盟して構成している日本を代表する難病・慢性疾患の患者団体の連合体で、患者・家族が抱える問題を集約し、難病施策や障害者施策が患者の視点を取り入れたものとなるよう「難病患者、障害者、高齢者が安心して暮らせる共生社会の実現」を目指して活動を続けている。   難病法施行 日本で難病対策が始まってから、50年近くが経過した。かつては、不治の病、奇病などと言われ、恐れられてきた難病も、ようやく研究も進みはじめ、医療の大きな進歩もみられるようになった。しかしまだ完治することはなく、主に現れる症状を抑えるといった対症療法などの治療を受け続けており、根本的な治療には至っておらず、様々な障害を抱えて生きている。 p2 2011年9月に開催された厚生労働省厚生科学審議会疾病対策部会第13回難病対策委員会から難病の法制化に向けての討議が始まった。2011年12月「今後の難病対策の検討にあたって中間的な整理」で基本的な認識とまとめられ、2013年1月の委員会でも「難病対策の改革についての提言」にも、「希少・難治性疾患は遺伝子レベルの変異が一因であることが少なくなく、人類の多様性の中で、一定の割合で発生することが必然であり、その確率は低いものの国民の誰にでも発症する可能性があることから、希少・難治性疾患の患者・家族をわが国の社会が包含し支援していくことが、これからの成熟したわが国の社会にとってふさわしいことを基本的な認識」とした。 2015年1月1日、「難病の患者に対する医療等に関する法律」(難病法)が施行され、総合的な支援制度として各地域での難病対策も新たな体制が示された。難病法の理念(難病法第二条)は、「難病の克服を目指し、難病の患者がその社会参加の機会が確保されること及び地域社会において尊厳を保持しつつ他の人と共生することを妨げられないことを旨として、難病の特性に応じて、社会福祉その他の関連施策との有機的な連携に配慮しつつ、総合的に行われなければならないものとすること」と定めている。   難病患者の生きにくさ ・治療法が確立されておらず、長期に亘り重い症状に苦しむ。 ・専門医が少なく、早期発見早期治療が難しい。遠方への通院が大変。医療の質も不均一。 ・医療費等の高額な負担が長期に亘り続き、将来への不安も大きい。 ・難病ということに対する(難病ならではの)誤解や偏見がある。 ・希な疾病で周囲に理解されず、患者・家族は地域でも孤立しがち。 ・症状の変動があるなど、福祉サービスの支援対象となりにくい。必要な支援制度がない。 ・相談出来るところが限られており、また疾病の難しさや複雑さ等により状態を言葉で表しにくい。 ・学校の受け入れが難しい。就職先が決まりにくい。仕事を続けることが難しい。 ・社会参加しにくい。 具体的に寄せられる相談 ・田舎の小さい町に住んでいるので、役所も病院も知人がたくさんいる。指定難病であるが、病気のことを知られたくないので、役所での医療費助成の申請・更新手続きが心理的に負担。病院は、近所の人がいない県外まで越境通院している。 ・「合併症や感染症の心配」「症状を配慮しながらの治療の困難」を盾に、診療所、歯科医療や他科で必要な対話や双方の環境調整なく受診拒否にあう例が見られる。 例えば、慢性痛の患者も、「じっとしていると痛みが出る」と言うと治療を渋られるとか、 そんなんだったら余所へ行って等と言われる。ちょっとした配慮、環境調整(クッションを持ち込む、こまめに休憩取らせてもらう、椅子の角度を調整してもらうなど)で、治療可能となることもあるような例でも、合理的配慮を求めるまでに至らず断られている。 p3 ・難病や慢性疾患の子ども達の入園拒否、修学旅行への親の付き添い義務なども、「症状に配慮した教育の困難」を盾に、具体的な環境調整を怠った状態で、他の児童生徒と同じ教育活動が保障されない。 ・腹痛や下痢でトイレに行くことが多いが、学校や職場ではなかなか行きにくい。我慢したり下痢止めを使うなど、外出時は気を遣う。 ・患者会に入会したいが、親戚から「親戚に難病の人がいるとわかるとウチの子の縁談に影響すると困る」などと言われ反対された。 ・症状が悪化するまでは、痛みや疲労感などで辛くても血液検査等の数値には表れないため、周囲に体調の悪さを客観的に伝えるのが難しい。「大げさ」「心配しすぎ」と言われたり、反対に重病だと思われすぎたりすることがある。 ・職場でも近所でも、難病であることをいうことが出来ず、有事の時にどのように周囲に協力を求めたらよいか悩んでいる。   障害(難病)のある女性への差別の課題 女性の場合、特に問題となることが多いのが結婚や妊娠・出産に関することである。日本では、家系や血のつながりなどを重視する人も未だ多く、障害があると、その原因を女性に向けられることが多く、発症によって離婚や破談となることもあり、その影響は兄弟姉妹にまで及ぶことすらある。 疾病によっては、安全に妊娠出産に臨むため適応する状況とならないと難しいこともある。不妊や避妊への理解も進んでおらず、辛い思いをする場合があり、その非難は多くは女性に向けられる。   具体的に寄せられている相談 ・子どもを持つことへの期待が大きく、親や周囲から、まだかと追い込まれる。ストレスとなり、体調管理がますます難しくなっている。 ・食事制限が必要となり、病院で栄養指導を受けることになった。「普段食事を作っている人」が説明を受けるのだが、妻(または母親)が作るのが当たり前の雰囲気。作った食事が健康を左右するので、1日3食気が抜けず、外泊も気軽にできない。 ・職場に病状を伝えているが、外見ではわからないので理解されにくい。手のしびれと痛みがあるためお茶出しするのが難しく、お茶をこぼしたりお盆を落としそうになる。他に女性職員がいない時に来客があると、お茶出しを頼まれてしまう。お客さんの手前、仕方なく対応するが、とても辛い。 ・(診療時ではなく)意見交換の場で、自身も子どもも同じ難病であることを医師に話したら、「それはアンタのせいだ」と言われた。 ・患児(10代)の食事に問題があったため、主治医が付き添いの母親に「ご飯炊くのくらい簡単でしょ」とアドバイスした。母親はそれができない自分を責めてしまった。 ・自分が病気だったために子どもにも遺伝した。そのことで責められるのがイヤで、夫の両 p4 親や親族には病気のことを隠していた。義両親が存命中は患者会にも参加できなかった。親や親族には病気のことを隠していた。義両親が存命中は患者会にも参加できなかった。 ・患児が寝たきり(気管切開・胃瘻)のため、母親が24時間付きっ切りで対応している。レスパイトや在宅ケア等を(十分とは言えないが)活用することもあるが、親が求めるレベルでケアしてもらうことは難しく安心して利用できる状況ではない。(オムツ交換の頻度・交換時の清拭・患児の変化が気づかれにくい等) ・嫁は働き手として根強く考えられている地域がある。自分にも、これまでに身についた価値観があり、我慢は美徳、家事や育児は母親の役目、謙虚であることは良いこと、他人に迷惑をかけないようにしよう、働かざるもの食うべからず …などなど、このような考え方が、差別を生んだり自己責任論につながったりするのかもしれない。 ・親の世話をさせられる「ヤングケアラー」と呼ばれる子供たちがいる。女の子に押し付けられるケースが多いのではないか?遺伝病の家系や精神疾患の家族には、しばしばみられるケースである。病気のことを周囲に隠したくて医療機関にかからず、隠れるようにひっそり と生活しているため、なかなか気づかれにくい。特に強いられなくても、空気を読んでこの状況に陥るので、介護者として便利づかいされることに文句も言わずチクリもしない対価も求めない。 男子なら外に出て経済的支援を求められるが、女子は家に引き留められる。長じては社会に馴染めず、人間関係を築きにくく、ゆえに仕事に就きにくくなる。という悪循環に。遺伝という重荷を背負っているため、結婚することも出来ない。「家族がケアするのは当たり前です」。そんな言葉を信じて生きている。アメリカの同じ疾患の家族に「自分の人生を生きないのか?」と不思議がられた。それでも自分はヤングケアラーではないと言い募る、元ヤングケアラーたちは少なくない。 一人の患者、一家族の力は弱く、何の解決策も持っていない。患者・家族が抱える重荷は周囲の人たちの理解によって、軽くなる部分も含んでいる。さらに必要な支援が行き届くことで障害が解消されることもある。 理想で終わることなく、実現可能な法律や制度に育つことにより、誰もが安心し、さらに希望をももって生きることが出来る社会となることを願っている。