第4章1
4 欧米諸国におけるワーク・ライフ・バランスへの取組
4.1 米国におけるワーク・ライフ・バランスへの取組
4.1.1 はじめに
米国におけるワーク・ライフ・バランスの取組は、政府の福祉政策ないし労働政策としてではなく、民間における自発的な企業努力として進められてきた。米国は基本的に、個人の生活や私的な領域への政府の介入を好まない社会であり、ワーク・ライフ・バランスの問題もまさに、仕事と生活のバランスを図りたい労働者と、そのような労働者を雇用して営利活動を行う民間企業の、私的領域における問題だったのである。また、主要先進諸国の中で唯一米国では合計特殊出生率が2を超えており(注釈1)、わが国のように少子化対策という経済社会問題の文脈からワーク・ライフ・バランスを議論する契機がないということも、ワーク・ライフ・バランスが専ら民間で取り組まれてきたことの一つの背景ではあろう(注釈2)。
こうした特徴をもつ米国のワーク・ライフ・バランスの取組は、社会と政府の関係性を異にするわが国にとっても、実は示唆的であると思われる。わが国でも、ワーク・ライフ・バランス施策を推進していくには、民間企業が積極的に取り組むことが不可欠である。そのためには、政府介入も少子化問題もない米国でなぜ民間企業が自発的にワーク・ライフ・バランスに取り組んでいったのか、そこにあった筈の企業経営上の理由は何であったのかを知ることが、極めて有効と考えられるのである。
以下では、米国においてワーク・ライフ・バランスが取り組まれてきた経緯と、実際のワーク・ライフ・バランス施策の状況を概観する。
4.1.2 米国におけるワーク・ライフ・バランス取組の経緯
(1)発端となったワーキング・マザー雇用策 ‐ 「ワーク・ファミリー・バランス」(注釈3)
米国企業が今日のワーク・ライフ・バランスにつながる取組を始めたのは1980年代後半であり、他の諸国と比べ早かったとされる。最先進国である米国においては当時、高くなった生活水準の維持に必要な収入を得るために子育て中の女性の職場進出が進み、一方で、急速な技術革新がもたらした産業構造の変化に対応するため企業は優秀な人材を求めていた。
ここに労働者(ワーキング・マザー)側と企業側のニーズが一致し、企業は、子育て中だが優秀な女性を雇用できるような施策を行うようになった。すなわち、ワーキング・マザーが仕事と家庭責任とを両立することを支援する施策である。こうした施策は、その意図するところを反映して「ワーク・ファミリー・バランス」と呼ばれた。その内容は専ら「保育支援」であり、より具体的には「保育に関する情報の提供」が中心であった。
(2)施策対象者の普遍化 ‐ 「ワーク・ファミリー」から「ワーク・ライフ」へ
このような専らワーキング・マザーを対象とした「ワーク・ファミリー・バランス」施策は、その後、独身の従業員、子どものいない従業員、そして男性従業員から、施策の対象を拡大・普遍化してほしいという圧力に直面する。
これを受けて企業側は、従来の保育支援のみならず、介護支援、従業員の私的な悩みに対処するカウンセリング、従業員の心身の健康に寄与するフィットネスセンター、生涯学習などの支援などの施策を整備し、ワーキング・マザー以外の従業員も広く利用できるようなものとした。そして呼称も、ワーキング・マザーの仕事と家庭責任との両立を意味する「ワーク・ファミリー・バランス」から、従業員一般の仕事と私生活との両立を意味する「ワーク・ライフ・バランス」に変えられた。
(3)施策利用の停滞、ワーク・ライフ・バランスの後退
こうして1990年代中頃までにワーク・ライフ・バランスの施策メニューは一通り出揃ったが、一方、実際の利用は必ずしも進んでいないことが明らかになってきた。その理由は、従業員がワーク・ライフ・バランス施策を、仕事と私生活との両立に困難を抱えている従業員に対する「福祉的」な取組であると受け取り、それを利用すると会社に負担をかけるので心情的に使いにくいと考えたことにあった。また企業の側も、同じくワーク・ライフ・バランス施策を従業員に対する「福祉的」施策と捉えていたため、そのような「コスト」はできれば圧縮したいと考えた。
つまり、「ワーク・ライフ・バランス施策は困っている従業員をただ助けるものであり、会社にとっては負担でしかない」という捉え方が従業員の側にも会社の側にもあったため、従業員の利用は停滞し、会社側の取組も後退していったのである。
(4)ワーク・ライフ・バランスの改革 ‐ 「仕事の再設計」という発想の導入
このように停滞・後退していたワーク・ライフ・バランス施策に新たな方向性を示したのが、1993年から3年間行われたフォード財団の研究であった。これが革新的であったのは、ワーク・ライフ・バランス施策そのものを論じるのではなく、ワーク・ライフ・バランスが可能となるような「仕事のやり方」を考える必要性を論じた点にある。仕事を再設計して生産性を上げれば、会社が掲げる業務目標を達成しながら、従業員にも私生活を充実させるだけの時間の余裕をもたらすことができる。そこでは会社と従業員がWIN-WINの関係となるので、施策の利用や推進を妨げる要素はなくなる。そして、こうした取組によりワーク・ライフ・バランス施策は、会社側がコストを負担して従業員に提供する「福祉的」施策ではなく、会社が業績を伸ばすための経営戦略の一部となるのである。
このように「仕事の再設計」が着目された背景としては、また、1990年代初期の不況時に企業が断行したリストラと、一方で進んだ技術進歩によって、従業員1人あたりの負荷が増え、ストレスの増加やモラルの低下が大きな問題となっていたこともあったとされる。
フォード財団の研究は、「仕事の再設計」というトレーニング・プログラムを生んだ。それは、チーム、個人、管理職、経営トップが一丸となって次の3段階を実行することにより、既成概念や古い仕事のやり方を見直して業績を上げ、かつ従業員のワーク・ライフ・バランスを実現しようというものである。
- 仕事と理想的な従業員像についての既存の価値観・規範を見直す。
- 習慣的な仕事のやり方を見直す。
- 仕事の効率と効果を向上させ、同時に仕事と私生活の共存をサポートするための変革を行う。
(5)ワーク・ライフ・バランスに関する政府のキャンペーン(注釈4)
以上のように、米国におけるワーク・ライフ・バランスの取組は、1980年代後半より民間において自発的に行われてきたが、2003年、米国では政府(議会)によるアクションがとられた。同年9月に上院が全会一致で、仕事と家庭生活の摩擦(conflict between work and family life)を減らすことは国の優先課題(national priority)の一つであり、毎年10月を「全国仕事家庭月間」(National Work and Family Month)と定めるべきことを決議したのである(注釈5)。決議は、次の11項目の認識に依拠していた。
- 仕事の質の向上と職場の支援は、労働生産性、仕事への満足度、雇用主への忠誠心、そして優秀な人材の維持をもたらす鍵である。
- 仕事と家庭の調和策と欠勤率の低下との間には、明らかな関係がある。
- 働き過ぎの労働者ほど、失敗が多く、経営者や同僚に不満や怒りを感じ、新しい仕事を探す傾向が強い。
- 働き過ぎの労働者は、配偶者や子ども、友人との関係がうまくいかず、悲観的になり、健康的でなく、ストレスが多いと感じる傾向が強い。
- 85%の労働者が、仕事以外に、毎日の差し迫った家庭責任を有している。
- 46%の労働者が、少なくとも半日は一緒に生活をする18歳以下の子どもをもつ親である。
- 仕事の柔軟性が増せば、働く親はより子どもとの関係を強めることができ、親との関係が強まれば、子どもの言葉や算数の理解向上、行動の改善、学習の持続性の向上、ドロップアウトする確率の低下が達成される。
- 親の仕事の柔軟性が不足していると、子どもの診察に同行できず、十分な初期治療を受けることができなくなり、ひいては子どもの健康に悪影響を与える。
- 国民のおよそ4人に1人(4,500万人を超える米国民)が、昨年、家族や友人の看護の世話をしている。
- 働く親のほとんどは、自分の家族と過ごす時間をもっとほしいと思っている。
- ベビーブーマーが引退年齢に差し掛かりつつあり、ますます多くの国民が親の介護の必要性に迫られている状況にある。
この決議を受け、同年に「ナショナル・ワーク・ライフ・イニシアティブ」(National Work-Life Initiative: NWLI)も始められた。NWLIは、仕事と生活の問題は組織と個人の双方の成功にとって重要であることを、人々に気付かせ、企業に注目させようとする全国的な教育キャンペーンである。その実施は、ワーク・ライフ・バランス推進同盟(Alliance for Work/Life Progress: AWLP)、『フォーチュン』誌、及び全米ビジネス協会(American Business Collaboration: ABC)の構成企業が担っている。
このように、近年になってワーク・ライフ・バランスの推進に米国政府が乗り出してきたのは、それが単なる企業と労働者の間の私的な雇用関係における問題にとどまらず、上記の決議にあるように、国の労働生産性、国民の家庭の安寧、子どもの教育や健康、高齢者などの介護といった国家社会的な問題に関わるものであるという認識が高まったからであろう。また、町田・横田(2005時6分8)が言うように、全ての企業が自発的にワーク・ライフ・バランス施策に取り組んでいるわけではないということの反映とも思われる。
4.1.3 米国におけるワーク・ライフ・バランス取組の状況
以上のように発展してきた米国のワーク・ライフ・バランス施策は、パク(2002)によれば、図表4‐1のように整理分類される(注釈6)。
図表4‐1 米国におけるワーク・ライフ・バランス施策のバリエーション
分野 | 施策 |
---|---|
フレックスワーク | (1)フレックスワーク |
家庭のためのサポート | (2)保育サポート (3)介護サポート (4)養子縁組サポート (5)転勤サポート |
健康のためのサポート | (6)従業員援助プログラム(EAP) (7)ヘルス&ウェルネス (8)フレキシブル保険制度 (9)休暇制度 |
その他のサポート | (10)教育サポート (11)コンビニエンス・サービス |
(資料)パク(2002: 92-125)をもとにみずほ情報総研作成。
(1)フレックスワーク
フレックスワークは時間や場所について柔軟な働き方のことで、米国のワーク・ライフ・バランス施策の中核である。パクによれば、フレックスワークは、図表4‐2の六つのバリエーションに分けられる。
図表4‐2 フレックスワークのバリエーション
名称 | 内容 | 導入率1 | 導入率2 |
---|---|---|---|
フレックスタイム | 1日の労働時間を、特定の時間帯(コアタイム)を含むことを条件に、自由に設定できる制度。 | 58% | 99% |
裁量労働制 | 1日の労働時間を、まったく自由に設定できる制度。 | ― | 70% |
集中労働日 (compressed workweek) |
週あたりの労働時間を、平日に均等に消化するのでなく、限られた日に長く働くことで休日を増やすという働き方。 | 31% | 89% |
時短勤務(短時間勤務) | 1日の労働時間を、一定期間のみ、基準より短縮する制度。 | ― | ― |
ジョブ・シェアリング | 一つの仕事を2人で担当する制度。 | ― | 72% |
テレコミュート (テレワーク) |
情報技術を活用して自宅やサテライトオフィスで勤務するという働き方。 | 37% | 87% |
フレックスタイムは、わが国でもかなり普及している制度であるが、パク氏へのインタビューによれば、わが国のフレックスタイム利用者は勤務時間を後にずらす(朝遅く出勤して夜遅くまで働く)ことが多いのに対し、米国ではほとんどの利用者が前にずらす(朝早く出勤して夕方早くに帰る)という。
集中労働日(直訳的に「短縮労働週」とも呼ばれる)は、わが国ではあまり馴染みのない制度であるが、米国では、月曜から木曜までの労働時間を少しずつ延ばして金曜を半日(午前中)勤務にするというパターンが多い。
時短勤務(短時間勤務)は、わが国と同じく米国でも、子どもが幼い間などに限定して適用される。ただ、子どもが夏休みの期間も利用できるというのは、わが国ではほとんどみられないケースである。
ジョブ・シェアリングは、大陸欧州でみられるワーク・シェアリングとは異なるものである。後者は、雇用を確保するために労働者が仕事を「分かち合う」という色彩が濃いのに対し、前者は、一つの職務を共有する2人が互いに能力を補完し合って高いパフォーマンスを示そうという戦略的なものである。なお、日本女子大学の大沢教授へのインタビューによれば、住居や教育にお金がかかる米国では、夫婦がともにパートで働くというオランダ型のワーク・シェアリングは受け容れられないだろうとのことであった。
テレコミュート(テレワーク)は、「オルタナティブ・ワークプレイス」(alternative workplace)イニシアティブとも呼ばれる。2.3.3でみた日本IBMの「オンデマンド・ワークスタイル」もテレワークであるが、米国でもこの分野の最先端企業はIBM、そしてAT&Tやアメリカン・エクスプレスである。今日、テレワーカーないし在宅勤務者は、全米で3,000~4,000万人いるとみられる(注釈7)。
(2)家庭のためのサポート
これに分類されるのは、前掲の(2)保育サポート、(3)介護サポート、(4)養子縁組サポート、(5)転勤サポートである。
保育サポートや介護サポートといえば、わが国では育児・介護休業制度が連想されるが、米国では保育や介護に関する情報提供が主である(注釈8) 。その他、税金控除手続きの支援や事業所内保育施設の設置といった施策もみられる。
養子縁組は、米国では日常的な制度で、そのサポートとは、養子縁組にかかる費用の一部負担や、情報提供、セミナー開催、法律面での助言サービスなどである。
転勤サポートは、従業員の転勤に伴ってその家族が転居・転職せざるを得ない場合、その職探しや保育所・学校探しを支援するといった取組である。
(3)健康のためのサポート
これに分類されるのは、前掲の(6)従業員援助プログラム(employee assistance program: EAP)、(7)ヘルス&ウェルネス、(8)フレキシブル保険制度、(9)休暇制度である。
EAPは企業内カウンセリング制度であり主に心の健康維持を、ヘルス&ウェルネスは健康診断や運動施設などによって主に身体の健康維持を、それぞれ図るものである。米国では特に、従業員の心の健康が大きな問題になっており、ワーク・ライフ・バランス施策の重要な対象の一つになっているとされる。
フレキシブル保険制度とは、会社が多種多様な保険を用意し、従業員が各自のニーズに合わせて選択できる制度である。
休暇制度については、休暇理由を特に問わないという条件緩和や、育児や介護のための長期休暇(無給)の付与といった充実が図られている。
(4)その他のサポート
前掲の(10)教育サポートは、社内での学習機会の提供、また社外での学習に要する費用の補助などの取組である。わが国では、教育への支援をワーク・ライフ・バランス施策の一つとみることは一般的でないが、米国的な考えでは、学習によって自己研鑽に努めることは、仕事と調和させるべき「私的生活」の重要な一要素なのである。ワーク・ライフ・バランスというと仕事と「育児」「介護」との調和ばかりがイメージされがちなわが国にとって、こうした米国の幅広いワーク・ライフ・バランスの考え方から学ぶべきところは多いといえる。
(11)のコンビニエンス・サービスは、事業所内の売店、ATM、クリーニング店の設置といったものから、多忙な従業員の私的雑用を代行する「コンシェルジュ・サービス」 (注釈9)までを指す。もっとも、パク氏はインタビューで、コンシェルジュ・サービスは贅沢な施策であり、費用対効果の観点からワーク・ライフ・バランス施策を整理・取捨選択する必要がある場合はまず廃止されやすいと語った。
4.1.4 おわりに
米国におけるワーク・ライフ・バランスの取組が世界に先駆けて1980年代後半に始まったことは、米国経済が同様にいち早く「産業資本主義」から「ポスト産業資本主義」に移行していったことと重ね合わせると、また興味深い(注釈10)。
産業資本主義とは、産業革命によってもたらされた機械制工場における労働生産性の高さと、農村から都市に供給される過剰労働力の低賃金との差異を、利潤の源泉とする仕組みであった。これに対し、農村の過剰人口が枯渇して工場労働者の賃金が上昇したことによって現れたポスト産業資本主義は、その別名が「知識化社会」であることからも分かるように、人間の知恵によって他社商品との差異を絶えず作り出すことで利潤を生み出す仕組みである。
米国における産業資本主義からポスト産業資本主義への移行は、1970年代初頭に始まり、1990年代に入って一段落したとされる。つまり、米国のワーク・ライフ・バランス施策は、ポスト産業資本主義への移行期の終わりに登場したのである。そしてそれは、人間の独創性や創意工夫によって利潤を生み出さなければならない新たな時代に整合的な要素をもっているのではないかと考えられる。
わが国は、欧米よりもずっと遅く、1980年代まで産業資本主義的な繁栄を続けられたのであるが、その後、ポスト産業資本主義への移行に苦しみ、経済的に低迷し続けてきた。ようやく明かりの見えてきた経済を本格的に立て直し、安定成長の軌道に乗せるには、人間の知恵だけが利潤を生むポスト産業資本主義に適合した働き方に変えていく必要があろう。その観点からも、いち早くポスト産業資本主義への移行を果たした米国におけるワーク・ライフ・バランスの取組からは、学ぶところが多いと思われる。
(注釈1)2003年で2.04。1977年の1.77を底に回復している。一方のわが国は2004年の1.29が史上最低値である。国立社会保障・人口問題研究所の少子化情報ホームページを参照。
(注釈2)町田・横田(2005)「ワーク・ライフ・バランス先進国の現状」60頁。
(注釈3)以下(4)まではパク『会社人間が会社をつぶす』(2002)65-87頁による。
(注釈4)決議文は米国議会図書館サイトのTHOMASシステム(http://thomas.loc.gov)で検索。他に厚生労働省(2004)「米国におけるワーク・ライフ・バランスへの取組について」、町田・横田(2005)「ワーク・ライフ・バランス先進国の現状」66-67頁による。
(注釈5)Senate Resolution 210. 決議の正式名称は、Resolution expressing the sense of the Senate that supporting a balance between work and personal life is in the best interest of national worker productivity, and that the President should issue a proclamation designating October of 2003 as `National Work and Family Month'.
(注釈6)以下の整理はパク(2002)『会社人間が会社をつぶす』 92-125頁による。
(注釈7)Apgar(1998)「The Alternative Workplace: Changing Where and How People Work」。
(注釈8)米国の法定育児休業制度は年間12週の無給休業に過ぎず、これも比較的最近に法定化された制度である。
(注釈9)「コンシェルジュ」は、ホテルで宿泊客のために劇場の切符や旅行の手配をするサービス係のこと。
(注釈10)産業資本主義、ポスト産業資本主義に関する以下の考察は、岩井(2003)『会社はこれからどうなるのか』による。ワーク・ライフ・バランス施策とポスト産業資本主義については、5.でも後述する。