第3節 出生の動向の特徴
(晩婚化、晩産化の進展)
わが国の出生の動向について厚生労働省「人口動態統計」から、その特徴を説明しつつ、出生数の減少や合計特殊出生率の低下を招いている出生動向の変化を指摘してみよう。
日本人の平均初婚年齢は、2003(平成15)年で、夫が29.4歳、妻が27.6歳と、以前と比べて高くなっている。初婚年齢が上昇することは、「晩婚化」と呼ばれている。1975(昭和50)年には、夫が27.0歳、妻が24.7歳であったので、約30年間に、夫は2.4歳、妻は2.9歳、初婚年齢が高くなっている。
晩婚化の傾向は最近になって、さらに速度が速まっている。たとえば、妻の平均初婚年齢をみると、1977(昭和52)年には25.0歳であったのが、1992(平成4)年には26.0歳と、1.0歳上昇するのに15年かかったのに対して、2000(平成12)年に27.0歳になるまでには8年間しかかからず、晩婚化の速度が速くなっている。6
日本人の平均初婚年齢は、2003(平成15)年で、夫が29.4歳、妻が27.6歳と、以前と比べて高くなっている。初婚年齢が上昇することは、「晩婚化」と呼ばれている。1975(昭和50)年には、夫が27.0歳、妻が24.7歳であったので、約30年間に、夫は2.4歳、妻は2.9歳、初婚年齢が高くなっている。
晩婚化の傾向は最近になって、さらに速度が速まっている。たとえば、妻の平均初婚年齢をみると、1977(昭和52)年には25.0歳であったのが、1992(平成4)年には26.0歳と、1.0歳上昇するのに15年かかったのに対して、2000(平成12)年に27.0歳になるまでには8年間しかかからず、晩婚化の速度が速くなっている。6
6 西欧諸国でも平均初婚年齢は、以前と比較をして高くなっている。スウェーデン(2000年)の場合、夫32歳、妻30歳、イギリス(1999年)では、夫29歳、妻27歳、ドイツ(1999年)では、夫30歳、妻27歳、スイス(2000年)では夫30歳、妻28歳など。
母の平均出生時年齢をみると、1975年には第1子が25.7歳、第2子が28.0歳であったのに対して、2003年では第1子が28.6歳、第2子が30.7歳と、30年近くの間に出生のタイミングとして、子ども1人分程度遅れている(以下、出生時年齢が高くなることを「晩産化」という)。
母の平均出生時年齢をみると、1975年には第1子が25.7歳、第2子が28.0歳であったのに対して、2003年では第1子が28.6歳、第2子が30.7歳と、30年近くの間に出生のタイミングとして、子ども1人分程度遅れている(以下、出生時年齢が高くなることを「晩産化」という)。
第1‐1‐7図 平均初婚年齢と母の平均出生時年齢の推移

第1子の出生に関して、母の年齢階級別に構成割合をみると、1975年には、20~24歳で41.4%、25~29歳で48.5%、30~34歳で6.7%であったものが、2003年では、20~24歳は18.1%と大きく減少する一方で、30~34歳では28.9%へと増加している。この結果、1975年には第1子を生んだ母親は約9割が20歳代であったのが、2003年では約6割が20歳代、約3割が30歳代となっている。このように、晩産化の傾向が顕著となっている。
第1‐1‐8図 母親の年齢別にみた第1子の出生数割合

年齢階級別の出生率の推移をみると、1960年代から80年代前半まで、25~29歳の出生率が最も高く、ついで20~24歳までの年齢層であった。80年代前半から、30~34歳の母の出生率が高まり、2000(平成12)年頃には、25~29歳の出生率とほぼ等しくなっている。しかし、以前と比べると、出生数の多い25~29歳の出生率の低下が著しいため、全体の出生率は低下し、少子化傾向を招いている。なお、35~39歳の出生率は90年代以降微増の傾向にある。
第1‐1‐9図 女子(母親)の年齢階級別出生率

(出生コーホート別にみた出生動向の相違)
合計特殊出生率には、その年の女性の年齢別出生率に着目する場合(「期間合計特殊出生率」)のほかに、ある世代に属する女性の年齢別出生率に着目する場合(「コーホート合計特殊出生率」)がある。一般に合計特殊出生率として使われているのは、「期間合計特殊出生率」であるが、これは、年次によって変化する「その年の瞬間値」のようなものである。これに対して「コーホート合計特殊出生率」は、出生コーホート(ある時期に出生した人を1つの集団としてとらえたものをいい、出生年で区分した「世代」と同じもの)における出生率を示している。なお、本書では、合計特殊出生率という場合、「期間合計特殊出生率」を用いる。
出生コーホートの平均出生児数のデータがそろっている「1953(昭和28)年から57(昭和32)年生まれ」の出生コーホートまでのデータを基に、出生コーホートごとにみた出生行動の相違を比較してみよう。
第1‐1‐10表 出生コーホート別妻の出生児数割合及び平均出生児数
出生コーホートの平均出生児数のデータがそろっている「1953(昭和28)年から57(昭和32)年生まれ」の出生コーホートまでのデータを基に、出生コーホートごとにみた出生行動の相違を比較してみよう。
第1‐1‐10表 出生コーホート別妻の出生児数割合及び平均出生児数
出生コーホート | 調査年次 | 調査時年齢 | 出生児数割合(%) | 平均出生児数(人) | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
無子 | 1人 | 2人 | 3人 | 4人以上 | ||||
1890(明治23)年以前 | 1950(昭和25) | 60歳以上 | 11.8 | 6.8 | 6.6 | 8.0 | 66.8 | 4.96 |
1891(24)~1895(28) | 1950(25) | 55~59 | 10.1 | 7.3 | 6.8 | 7.6 | 68.1 | 5.07 |
1896(29)~1900(33) | 1950(25) | 50~54 | 9.4 | 7.6 | 6.9 | 8.3 | 67.9 | 5.03 |
1901(34)~1905(38) | 1950(25) | 45~49 | 8.6 | 7.5 | 7.4 | 9.0 | 67.4 | 4.99 |
1911(44)~1915(大正4) | 1960(35) | 45~49 | 7.1 | 7.9 | 9.4 | 13.8 | 61.8 | 4.18 |
1921(10)~1925(14) | 1970(45) | 45~49 | 6.9 | 9.2 | 24.5 | 29.7 | 29.6 | 2.77 |
1928(昭和3)~1932(7) | 1977(52) | 45~49 | 3.6 | 11.0 | 47.0 | 29.0 | 9.4 | 2.33 |
1933(8)~1937(12) | 1982(57) | 45~49 | 3.6 | 10.8 | 54.2 | 25.7 | 5.7 | 2.21 |
1938(13)~1942(17) | 1987(62) | 45~49 | 3.6 | 10.3 | 55.0 | 25.5 | 5.5 | 2.22 |
1943(18)~1947(22) | 1992(平成4) | 45~49 | 3.8 | 8.9 | 57.0 | 23.9 | 5.0 | 2.18 |
1948(23)~1952(27) | 1997(9) | 45~49 | 3.2 | 12.1 | 55.5 | 24.0 | 3.5 | 2.13 |
1953(28)~1957(32) | 2002(14) | 45~50 | 4.1 | 9.1 | 52.9 | 28.4 | 4.0 | 2.20 |
資料:1970(昭和45)年以前は総務省統計局「国勢調査」、1977(昭和52)年以降は国立社会保障・人口問題研究所「出産力調査」及び「出生動向基本調査」による。 |
出生コーホート別の妻の出生児数割合及び平均出生児数をみると、興味深い点がうかがえる。「1911(明治44)年から15(大正4)年生まれ」以前の世代においては、平均出生児数は4人から5人という多産の状況である。子どもが1人のみ、あるいは2人か3人という状態も少なく、妻の6割から7割は、4人以上の子どもを産んでいた。その一方で、全く子どもがいない妻も平均して1割はいて、これは、その後の世代よりも割合が高い。
一方、「1921(大正10)年から25(大正14)年生まれ」の世代では、平均出生児数は2.77人、「1928(昭和3)年から32(昭和7)年生まれ」では、2.33人と減少傾向となった。1928年以降の世代では、平均出生児数は2人台前半、そのうち約5割は子ども2人、約3割は子ども3人、という構成で、「1953(昭和28)年から57(昭和32)年生まれ」の世代まで、大きな変化がなく推移していることがわかる。この世代の実際の出産時期は1980年代と推測されることから、「子どもは2人または3人」という考え方が、戦後から80年代まで一般化していたといえる。7
7 「出生動向基本調査」(国立社会保障・人口問題研究所)によれば、現在でも、理想子ども数を結婚10年未満の夫婦に尋ねると、子どもは2人または3人と答える人が全体の約9割を占めている。
期間合計特殊出生率とコーホート合計特殊出生率
本文で述べたように、合計特殊出生率は、用いるデータにより2つの種類がある。これを具体的にまとめると以下のようになる。
A 期間合計特殊出生率:ある期間(通常1年間)の出生状況に着目したもので、その期間における各年代(15~49歳)の女性の出生率を合計したもの。女性の年齢構成の違いを除いた出生率として、年次比較、国際比較、地域比較に用いられている。
B コーホート合計特殊出生率:ある世代の出生状況に着目したもので、同一年生まれ(コーホート)の女性の出生率を過去(若いとき)から積み上げたもの。
期間合計特殊出生率は、毎年変動する。丙午の年(1966(昭和41)年)のように、極めて特異な出生行動が行われると、前後の年とは異なる特別な数値になることがある。これに対して、コーホート合計特殊出生率は、安定した数値となるが、その世代が一定の年齢(50歳)にならないと確定しない。そこで、簡便な数値として、毎年算定が可能なAの期間合計特殊出生率が、「合計特殊出生率」として一般に用いられている。
理論的には、各年齢の出生率が、世代(コーホート)に関係なく同じであれば、この2つの合計特殊出生率は同じ値になる。しかし、晩婚化や晩産化といった出生に関係する行動が変化している状況では、各世代の結婚や出産の行動に違いが生じ、各年齢の出生率が世代により異なるため、すべての世代の出生率を合計している期間合計特殊出生率は、コーホート合計特殊出生率の値から乖離することになる。
たとえば、2003(平成15)年の合計特殊出生率は1.29と過去最低となったが、これは、期間合計特殊出生率の値である。コーホート合計特殊出生率をみると、1.29よりも高い数値が見られる。2003年における35~39歳(1964(昭和39)年~1968(昭和43)年生まれ)のそれまでの出生率の合計では約1.55となっている。
A 期間合計特殊出生率:ある期間(通常1年間)の出生状況に着目したもので、その期間における各年代(15~49歳)の女性の出生率を合計したもの。女性の年齢構成の違いを除いた出生率として、年次比較、国際比較、地域比較に用いられている。
B コーホート合計特殊出生率:ある世代の出生状況に着目したもので、同一年生まれ(コーホート)の女性の出生率を過去(若いとき)から積み上げたもの。
期間合計特殊出生率は、毎年変動する。丙午の年(1966(昭和41)年)のように、極めて特異な出生行動が行われると、前後の年とは異なる特別な数値になることがある。これに対して、コーホート合計特殊出生率は、安定した数値となるが、その世代が一定の年齢(50歳)にならないと確定しない。そこで、簡便な数値として、毎年算定が可能なAの期間合計特殊出生率が、「合計特殊出生率」として一般に用いられている。
理論的には、各年齢の出生率が、世代(コーホート)に関係なく同じであれば、この2つの合計特殊出生率は同じ値になる。しかし、晩婚化や晩産化といった出生に関係する行動が変化している状況では、各世代の結婚や出産の行動に違いが生じ、各年齢の出生率が世代により異なるため、すべての世代の出生率を合計している期間合計特殊出生率は、コーホート合計特殊出生率の値から乖離することになる。
たとえば、2003(平成15)年の合計特殊出生率は1.29と過去最低となったが、これは、期間合計特殊出生率の値である。コーホート合計特殊出生率をみると、1.29よりも高い数値が見られる。2003年における35~39歳(1964(昭和39)年~1968(昭和43)年生まれ)のそれまでの出生率の合計では約1.55となっている。

(第1次ベビーブーム終焉の背景)
出生コーホート別の平均出生児数の推移をみると、「1928(昭和3)年から32(昭和7)年」出生コーホートが分岐点となっていると考えられる。この世代は、出産年齢から推測すると、第1次ベビーブーム期直後の母親世代であり、第1次ベビーブーム期に4.00を超えた合計特殊出生率が、短期間に2.00に近い水準に急減した状況と平仄(ひょうそく)があっている。また、第1次ベビーブーム期に出産年齢のピークに該当していたと推測される「1921(大正10)年から25(大正14)年生まれ」世代の平均出生児数も2.86人と、第1次ベビーブーム期の合計特殊出生率の水準(4.00を超える水準)よりも低い。こうしたことから、第1次ベビーブームは、第2次世界大戦中の出産可能な世代による「出産先送り現象」が、戦後になって一挙に実際の出産行動になったものということができる。
第1次ベビーブーム期の1949(昭和24)年からわずか8年後の1957(昭和32)年には、出生数が270万人から157万人、合計特殊出生率では4.32から2.04へと急減した。人口学的には、わが国の出生力の大転換がこの時期になされたのである。
ただし、第1次ベビーブーム期以降の出生数と人工妊娠中絶件数の推移をみると、出生数は、1953(昭和28)年以降、第2次ベビーブーム期を除けば年間200万人以下となり、合計特殊出生率は2.00前後で推移するようになったが、仮に出生数に人工妊娠中絶件数を加えた数値をみると、1970年代半ばまで1950年代と同じような水準を維持していた。
人工妊娠中絶件数は、1950年代半ばには毎年100万件を超え、その年の出生数に対する割合は60%台の高率であった。60年代以降、件数は徐々に減少し、70年代以降は70万件台から50万件台となり、90年代後半からは、30万件台で、出生数の約20%台後半の数値で現在に至っている。また、避妊については、毎日新聞社人口問題調査会によると、1950(昭和25)年には、「避妊を一度も実行していない」人の割合が64%であり、「現在実行している」または「前に実行したことがある」人の割合は29%であったが、1960年代以降では前者は約2割に減少し、後者が約8割となって、現在に至っている。
このように出生率低下の背景には、人工妊娠中絶による結果としての人口抑制と、避妊の普及の事実がうかがえる。
第1次ベビーブーム期の1949(昭和24)年からわずか8年後の1957(昭和32)年には、出生数が270万人から157万人、合計特殊出生率では4.32から2.04へと急減した。人口学的には、わが国の出生力の大転換がこの時期になされたのである。
ただし、第1次ベビーブーム期以降の出生数と人工妊娠中絶件数の推移をみると、出生数は、1953(昭和28)年以降、第2次ベビーブーム期を除けば年間200万人以下となり、合計特殊出生率は2.00前後で推移するようになったが、仮に出生数に人工妊娠中絶件数を加えた数値をみると、1970年代半ばまで1950年代と同じような水準を維持していた。
人工妊娠中絶件数は、1950年代半ばには毎年100万件を超え、その年の出生数に対する割合は60%台の高率であった。60年代以降、件数は徐々に減少し、70年代以降は70万件台から50万件台となり、90年代後半からは、30万件台で、出生数の約20%台後半の数値で現在に至っている。また、避妊については、毎日新聞社人口問題調査会によると、1950(昭和25)年には、「避妊を一度も実行していない」人の割合が64%であり、「現在実行している」または「前に実行したことがある」人の割合は29%であったが、1960年代以降では前者は約2割に減少し、後者が約8割となって、現在に至っている。
このように出生率低下の背景には、人工妊娠中絶による結果としての人口抑制と、避妊の普及の事実がうかがえる。
第1‐1‐11図 出生数、人工妊娠中絶件数の推移

(安定していた出生児数)
国立社会保障・人口問題研究所の「出生動向基本調査」によれば、ほぼ子どもを生み終えた結婚持続期間15~19年の夫婦の平均出生子ども数(完結出生児数)は、戦後大きく低下した後、1972(昭和47)年調査(1950年代半ばに結婚した世代)において2.2人となり、以後30年間ほぼこの水準で安定して推移している。最新の第12回調査(2002(平成14)年)でも、結婚持続期間が15~19年(1980年代半ばに結婚した世代)の夫婦の完結出生児数は2.23人と、同様の水準を維持している。
したがって、この間の合計特殊出生率の低下は、もっぱら初婚年齢の上昇や未婚化の進展によるものであり、すでに結婚した夫婦が一生の間に生む子どもの数には変化がなかったことがわかる。
したがって、この間の合計特殊出生率の低下は、もっぱら初婚年齢の上昇や未婚化の進展によるものであり、すでに結婚した夫婦が一生の間に生む子どもの数には変化がなかったことがわかる。
(1990年代以降の出生動向の特徴)
しかしながら、1990(平成2)年前後に結婚した夫婦から、出生数の低下傾向がみられるようになった。妻の年齢別に夫婦の平均出生子ども数の推移をみると、1990年前後に、20歳代後半から30歳代前半で最初に低下がみられ、その低下は30歳代後半へ広がりながら、現在に至っている。さらに、2000(平成12)年前後でも、30歳以上で低下が続いている。
こうした状況から考えると、妻の生まれ世代別にみて、1960年代生まれの世代が20歳代の終わりに達した頃から、夫婦の出生力(夫婦の完結出生児数)が低下してきた傾向がうかがえる。
こうした状況から考えると、妻の生まれ世代別にみて、1960年代生まれの世代が20歳代の終わりに達した頃から、夫婦の出生力(夫婦の完結出生児数)が低下してきた傾向がうかがえる。
第1‐1‐12図 妻の年齢別にみた平均出生児数の推移
