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【体験談2 覚せい剤乱用者の母親】

子ども?といっても、今年で31歳になる立派な?大人です。
私は5年半前に、息子がクスリを使用しているのを知り、気が動転し、警察の手から逃れるために、息子の苗字を変え、そして住んでいる町を2人で出ました。苗字を変えたのは、私たちの生活のため…。そして世間の目から逃れるため…。何よりも、法を犯した子だからでした。それでも、いずれきっと、何かの罰はある。そう思いながらも変えました。住んでいる町を出たのは、時を待とう。時が経ったら、警察に捕まることもないかもしれない。そんな思いからでした。
町を出てから、私と一緒にいられたのは、8日間でした。クスリが切れ始めたら、狂って、狂って…。女の私では、どうにも押さえが利かなくなり、それでも何とかしなければと奔走しましたが、「何処に?」「誰に?」と相談することも出来ず、ただ泣くしかありませんでした。息子はと言えば、泣いている私に目をくれることもなく、「金をくれ!」「金を出せ!」それのみで、知らない町で毎日パチンコ、ゲーム三昧でした。この人だったら、ここだったら相談できるかもしれないなどと思って行ってみても、いざとなると“覚せい剤”という言葉を口にすることが出来ず、「何しに来たんだろうこの人?」というような目で見られました。そして、どうすることも出来なくなり、日に日に狂っていく息子を目の当たりにし、主人と2人、自らの手であれほど嫌だった警察に我が子を売ることにしました。警察に連れて行かれた挙句、精神病院への入院でした。

当時は、本当に狂ってしまいたかった…。今考えれば、私も十分狂っていたのかもしれません。この時は、本当に辛く、苦しい時期でした。どうにもならなくなったとき、自分を責め、息子を責め、主人を責め続け、心も体もボロボロになり、いっそ一家で死んでしまおう…。いやいや、息子だけ死んでもらおうかと思ったものでした。人間、ここまで卑屈になれるものなのですね…。
やがて、息子はダルクへ。
私と主人は家族会へ行きました。
ダルクに入寮させたからと言って、息子が落ち着いたわけではなく、1ヶ月経ったとき、ダルクから逃げ帰ってきたときの話です。
「家に入れてくれ。」
「入れることは出来ない。」
1時間、これの繰り返しをして、そして息子が、
「ガソリンを撒いて家に火をつけてやる!」
と言って、ガソリン20Lを撒き始めました。本人が本当に火をつけるならそれでもいい。実はもうすべて終わりにしたかった。息子も私たちも、すべてこの世から消えてしまいたい。これが本音でした…。それでもまだ、どこかに理性が少なからずともあったのか、近所周りに迷惑がかかってしまう。そう思って、主人が車のキーと携帯だけを持って、外に出ました。
主人はクスリで完全に狂ってしまった息子を車に乗せ、ダルクに戻すまで24時間もあちらこちらと連れ添い続けました。
疲れ果て、最後には埠頭で、「頼むから死んでくれないか? 1人では逝けないだろうから、俺も一緒に逝ってやるよ。」などというやりとりがあり、本人も納得してダルクに戻りました。
あれから5年経って、息子はダルクでスタッフをやっています。学校講演などで、やはり主人とのやり取りが頭の中にあるらしく、埠頭へ連れて行かれたときの話などをしているらしいです。自分もクスリを使った人間ですから、「使うな」とは言えず、啓発の意味でも、たった1人家族の中にクスリを使った者がいると一家がバラバラになってしまうということを、身をもって体験した者として話をしているようです。

“クスリやめますか?それとも人間やめますか?”
というスローガンを見ても、私たちには、関係のない話だと思っていましたし、息子には誰にも負けないぐらいの愛情をかけて育ててきたつもりでしたが、気がつけば、いつの間にか人間をやめていました。普通の子でいて欲しかった。健康な、元気な子でいて欲しかった。
現在、日本には300万人を超える薬物依存症者がいると言われています。その状況の中で、今私が出来ることといえば、「クスリを使わないで欲しい。使わないで下さい」と啓発すること。そして、「一家がバラバラにならないで欲しい。いつも温かい家庭であって欲しい。みんなが大好きな家族であって欲しい」と願い、「出来れば私たちのように辛く、苦しい思いをする家庭をつくらないで下さい」と、祈る気持ちで自分の恥をさらしながら啓発に努めて行きたいと思っています。
そして、もし既に薬物に依存してしまったのなら、治ることはないけれど、回復は出来ます。再発のある病気ではありますが、現状、再発することもなく働いている人はたくさんいます。息子も少しずつですが、確実に回復に向かって歩いています。いつ再発するかなど、先走って考えても仕方のないことなので、今は考えていません。
一度はクスリのためにバラバラになった家族ですが、回復に向かって歩き出した息子を見守りながら、私たち夫婦は、自分たちの生活を地に足をしっかりつけて生きて行きたいと思い、今再び、2人で歩き始めています。

厚生労働省資料「ご家族の薬物問題でお困りの方へ」より

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