平成25年度青少年問題調査研究会(第4回)講演録

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日時:平成25年12月5日(木)14:00~15:30
場所:中央合同庁舎4号館 共用108会議室
講師:東京大学大学院博士課程在籍/有限会社ゼント執行役 古市 憲寿 氏
テーマ:「起業の社会学」

内閣府子ども若者・子育て施策総合推進室 青少年企画担当


  • 司会 それでは、時間となりましたので「平成25年度第4回青少年問題調査研究会」を始めさせていただきます。
    本日は、東京大学大学院博士課程に御在籍で、テレビなどでも御活躍されております、古市憲寿様をお招きしております。
    はじめに、古市様より御講演いただいた後、質疑応答の時間を設けております。
    本日のテーマは「起業の社会学」です。それでは、古市様、よろしくお願いいたします。
  • 古市氏 初めまして、古市と申します。今日はよろしくお願いいたします。
    今、御紹介いただいたんですけれども、簡単に自己紹介をしながらということで、今、28歳で、大学院に所属しながら、友人と会社をやったりもしています。
    2011年に『絶望の国の幸福な若者たち』という本を出してから、若者に詳しいと、いろんな人たちが勘違いしてくれるようになって、こういう場に呼ばれることが増えました。
    その翌年に『僕たちの前途』という起業家や働き方についての本を出し、今年の夏に『誰も戦争を教えくれなかった』という、戦争博物館に関する本を出しました。
    今日のテーマは自由だということだったので、迷ったんですけれども、青少年問題調査研究会ということなので、趣旨として一番近くて、今の私の活動範囲に近い「起業家」というテーマで、お話したいと思っています。
    ざっくり今日の内容を初めに先取りしてお伝えしておくと、初めに起業家というものは珍しいものではなかった、日本において一般的であったということを触れた後で、憧れだったサラリーマンと書いてありますけれども、日本における働き方の歴史みたいものを振り返られればいいと思っています。
    早速、本題に入ります。
    ドラえもんという漫画の第1話の話をしたいと思います。ドラえもんという漫画ですが、連載は1970年に小学館の雑誌の1月号、なので、12月発売の号に掲載された、1960年代の最後の号に第一話が掲載されています。
    そのときの第1話が、ここのスライドにあるとおりのものなんですけれども、皆さん御存じのように、ドラえもんという21世紀からやってきたロボットが、当時生きていたのび太君という少年を救いに来る。
    そこで、のび太君という少年に、こんなだらだら生活をしていたら、未来はこうなってしまうと、未来のアルバムを見せるんです。未来のアルバムはすごく面白いんです。
    どう面白いかというと、1970年目線でののび太の未来が描かれているんですけれども、のび太が大学入試に失敗してしまう。そして、就職ができなくて、自分で会社を始めるということが、未来の予想として書いてあるんです。結局、会社は潰れてしまうんですけれども、ここで就職できなくて、自分で会社を始めると、さらっと書いてあります。これは今の感覚からすると、非常に興味深いことだと思います。
    つまり、就職できなくてとか、大学生の就活が厳しい状況にあるとか、若年失業率が高いという話は、今でもよく聞く話ではあるんですけれども、日本において、就職できなくて、自分で会社を始めるという事例については、特に最近の日本では注目されていないと思います。なので、1970年代の感覚として、就職できなかった人が、自分で会社を始めるということが、さらっと漫画の1フレーズに登場することが、すごく面白いと思ったんです。つまり当時の感覚では、起業というものが、そこまで特別なことではなかったということの象徴だと思います。
    1970年代という時代は、高度成長期がちょうど終わりかけて、1969年にアポロが月へ行って、経済成長率が12.8%ぐらいを記録して、ちょうど日本の高度成長期のピークとも言える時代ですけれども、その時代に日本では大企業がたくさんできて、設備増強をして、人員を増やして、サラリーマンといって、会社に雇われて働く人が当時ふえ始めた時代でした。
    一方、日本は農業国でもありましたので、自営業者もまだまだ多かった。都市部であっても、自分で会社をするという人がすごく多かった時代です。自分でビジネスをするということが、当時はそこまで特別ではなかったと思うんです。
    同時期に小説家の村上春樹さんもこんなことを言っています。「金はないけれども、就職もしたくないという人間にも、アイデア次第で何とか自分で商売を始めることができる時代だった」と。
    実際、村上さんも1974年に東京にジャズ喫茶をオープンしています。開店費用は500万でしたけれども、銀行からの借金とかではなくて、自分たちの範囲内、親からの借金などで工面できたということです。
    また、村上さんは、1987年になって、こんなふうに振り返っています。「1970年代当時というのは、お金がなくて、就職もしたくない若者にとって、自分で事業を起こすことができた。でも、それ以降、土地や建設費が急増して、自分で事業を起こしにくくなった時代が来た」と。
    確かに統計を見てもそうだと思います。これは国勢調査から見た雇われない生き方、つまり自営業者と自営プラス家族と雇用者の割合を、ざっくりグラフにしただけのものですけれども、見てわかるように、自営業者はどんどん減っています。
    自営業者プラス家族は、自営でお店をやっているような、夫婦みたいなものが想定されますけれども、そういう自営業者というものはどんどん減っていますが、1970年ぐらいには、そこまで珍しい存在ではなかった。当然ここには農業従事者も入っています。
    一方、雇用者というものが、右肩上がりで増えています。
    なので、日本というのが、1970年代当時の40年ぐらい前は、自営業者というもの、起業家というものは、そこまで珍しくなかったということを、ここで再確認しておきたいと思います。
    一方で、こういう話をすると、最近、こういう本が話題になっていることが、思い浮かぶと思います。ここ数年で「自由に働こう」とか、「インディペンデントに生きよう」という生き方が、言説としてブームになっています。例えば自由に働きたいといか、フリーで働くとか、ノマドワーカーとか、会社に縛られないで働くとか、起業したいとか、そうやって会社という組織に所属せずに、自分の力で、自分でお金を稼いで働く。何なら会社を起こして起業する。そういうことが、この数年で、ある一部の若者関心を引くぐらいには話題になっていると思います。
    実際、例えば統計などを見てみましても、20代の3割ぐらいは、将来独立してお店を起こしたいかと聞くと、イエスと答えます。有名人になりたいかと聞くと、イエスと答える。だから、決してマジョリティーではありません。ある一部、決して少なくはない人たちの欲望として、自分で会社を起こしたいとか、フリーに働きたいという欲望が今でもあると思います。ただ、それは全体で見ると、すごく一部なんです。
    これは年齢に限定しないで、単純に就業構造基本調査の数字を図に置きかえただけのものですけれども、会社を起こして、かつ起業家である人は、日本全体でたかだか146万人しかいません。法人登記をしない自営業者という形であっても、たかだか368万人しかいません。
    このうち、20代に限ってみると、この数字はものすごく少なくなります。法人登記をしている起業家で、かつ20代の人口は、たしか1万人ぐらいだったと思います。つまり働く20代のうち、起業家、自営業者と法人登記をしている会社役員を含めても、たかだか0.2%、0.3%ぐらいにしかなりません。
    一方で、自由に働きたいという欲望がありながらも、実際に起業をしている若い人だとか、自営業者はすごく少ないというギャップがあります。
    若い人に限らず、経年変化で見てみても、起業率は下がる一方です。起業率をどういうふうにとるかということも難しい話なんですけれども、いくつかのインデックスを見てみても、起業率は下がっています。これは単純に設立登記数なんですけれども、減少傾向にあります。決して増えてはいません。
    一方で「起業家」は、最近、注目を集めていると思います。例えば内閣府が出しているレポートなどでも、「イノベーション」という言葉がつくようなレポートには、大抵「起業家」という言葉がセットになっています。産業構造のダイナミックな進化を生み出して、イノベーションの先導役を担う起業家であるとか、経済活性化の源泉になるという物言いは、特にバブル崩壊以降、1994~1995年ぐらいから、政府系のレポート、経済界系のレポートですごく増えています。
    実際、スモールビジネスに対する応援みたいなことも、どんどん増えつつあります。政府も仕組みという形で、起業がしやすい仕組みをこの20年間でいろいろ導入してきたと思います。
    例えばストックオプション制度が導入されたり、2003年に特例で、2006年に新会社法が施行される形で、一円起業が解禁されて、最低資本金がなくても、誰でも簡単に、法人登記だけで起業できるようになりました。法人登記がすごくなった、会社が起こしやすくなった、つまり、起業というものがしやすい仕組みが整ってきたということです。
    ただ、それでもなお、日本は起業が活発な国とは言えません。国際的な起業調査でGEMというものがあるんですけれども、それを見てみても、日本の起業の活発さのランキングは、大抵最下位です。特に先進国で最下位という数字は、毎年のように見ることができます。
    実際この20年間、起業家というものがメディアでもあおられて、政府系のレポートでも起業家という言葉の使用回数が増えて、新聞でもたくさん使われてという時代がありました。いわゆる、ベンチャーブームという時代です。
    例えば90年代後半から2000年代前半という時代は、第三次ベンチャーブームという形で、これからはベンチャーが増えるとか、起業家が増えるということが、すごく盛んに言われました。特に経営学者の一部の方たちは、すごい盛り上がっていて、第三次の創業の波、つまり明治期と戦後すぐに匹敵するような、創業の波が来ているようなことを盛んに盛り立てたりしていました。
    実際にそれを裏づけるように、いろんなブームというか、技術革新に見えるようなものがたくさんありました。95年にウィンドウズ95が発売されて、2000年くらいにかけてブロードバンド網が整備されて、ITが世間の人々に一般的になっていった。ホームページをつくりますとか、ITでシステムをつくりましょうとか、そういった形で、実際にITバブルのようなものは起こりました。
    アメリカのシリコンバレーに対比される形で、渋谷にIT起業家が集まり、そこで渋谷ビットバレーと呼ばれるような、IT起業家同士のネットワークみたいなものがつくられたりしたこともありました。
    堀江貴文さんのライブドアという会社が世間の注目を集めて、特に2005~2006年頃、起業家の代名詞のような形で、すごく盛り上がったりもしました。
    最近でもベンチャーに関する話題は事欠かないというか、ソフトバンクやサイバーエージェントなど、IT企業を盛りはやすような言説も当然存在したりしています。
    ただ、こうやって世間が、ベンチャーであるとか、ITなどをすごく盛り立てる一方で、実際の起業数は増えていません。起業率もそこまで増えているとは言えないと思います。同時に起業志向というものも、増えてはいません。
    今後の転職について聞いている項目が、就業構造基本調査にありますけれども、そこを見てみても、新しく会社を起こそうとか、新しく仕事を始めようという形で、起業家を志向する人は減少傾向にあります。特に若年層が起業していないということがあると思います。
    先ほどもちょっと述べましたけれども、実際に自営業者になった人の割合もどんどん減っています。2000年代に設立された企業のうち、29歳以下の起業家は物すごく少ない。
    逆に、昔の若者は、よりたくさん起業していたということが言えると思います。
    右下の図はちょっと見にくいんですけれども、中小企業庁の昔のレポートから引っ張ってきたものなんですが、昭和29年とか、昭和30年代、昔は29歳以下であるとか、若者と呼べるような層がすごく起業していた。けれども、それがどんどん減っているということがわかると思います。起業というものは、若者のものから、高齢者のものになっているということが、経年のグラフを見ればわかると思います。
    ここで1つのジレンマというか、問題が出てくるわけです。少なくとも法人は昔より設立しやすくなった。資金調達も情報収集も容易になった。会社の起こし方は、インターネットで、グーグルで調べればすぐにわかります。自分で書類をちゃんと集めてもいいし、どこかの税理士にお願いしても、たかだか10万とか20万あれば、会社は簡単に起こせるようになりました。
    しかも、昔であれば、会社を起こすということは、飲食店であるとか、何らかの初期投資が必要なビジネスが多かった。でも、今であれば、そうではなくて、初期投資が限りなくゼロに近い、ITなどのビジネスもどんどん増えてきているはずです。特にアプリ1つつくるというのは、大学生でもできることで、実際に接した事例では、大学のときにアプリをつくって、それがすごく売れて、それを仕事にしましたという事例も、ぽつぽつ聞かれるぐらいには増えてきた。でも、全体では起業率というものは増えているとは言えない。
    こういうときに、起業の議論はどうしても精神論に陥りがちになります。最近の人は覇気がないからとか、日本人にはベンチャースピリットが足りないからとか、起業というのはアメリカの文化であるとか、どうしてもこういった問題を最後は精神論で片付けようとしてしまいがちになります。
    いくつか理由があって、特に日本では起業家というものを真面目に研究するものがあまりありませんでした。これはアメリカとの対比でもそうなんですけれども、そもそも存在としてあまり多くもない。かつ起業家というものは、かつてはすごい後進的な存在、消えるべき存在として研究者にもみなされていました。つまり中小企業というものは弱者であって、大企業こそが、これからの日本経済を担う。つまり中小企業であるとか、起業家という存在は、消えゆくべき、古き悪しき前近代的なものとしてみなされていたわけです。だから、前近代的なものである起業家というものを研究することは、そもそもあまりなかった。
    それに加えて、起業家研究は経営学という分野で行われるものが多かったのです。その研究というものも、どうしてもジャンルが偏りがちで、町工場であるとか、中高年者であるとか、質問者の対象がすごく偏りがちな研究が多かった。
    あと、特に日本の経営学というのは、諸外国とは大分違う歴史をたどっていて、町工場のおじさんなどと仲良くなって、そこで聞いたことをジャーナリスティックに書くというのが、1つのトレンドになってしまったという歴史があります。なので、計量的にどう調べるとかではなくて、結局企業を質的に調査して、その会社がどうだったかみたいな研究がすごく多いんです。結果として、うまくいっている会社ばかりに目を向けて、うまくいっている起業家というのは、情熱があるとか、そういう精神論に偏った議論がすごくされやすい状況にありました。
    一方で、だからこそ、社会学みたいな、経営学ではないような分野から、そうではない視点で、起業家というものをちゃんと見る必要があるのではないかというのが、私の問題意識です。
    ざっくり言うと、社会学というのは、心理学と対比すればわかりやすいんですけれども、個人の行動とか心理そのものよりも、その人が置かれた環境や社会、つまりその人が選べなかったものではなくて、その人の外側にある変えることが可能なもの、その人が置かれた環境であるとか、社会、外部環境によって、どの人が、どうあり得たのかということに注目する学問です。
    また、同時に、世間で言われていることと現実、言説と現実のギャップに注目する学問でもあります。つまり起業家というものを、一個人のパーソナリティーとか、情熱などに注目する形ではなくて、いかに起業家という存在を見ることができるかというのが、私の問題意識になります。
    例えば、起業率が低いことの背景には、どんな社会構造が隠されているだろうかということが、1つの研究課題になるわけです。
    ここで、関連して、1つ、新しい視点を導入しておきたいんですけれども、そもそも人はどうして起業するのかという問題があります。日本で聞いてみたら、お金がほしいからとか、名声がほしいからとか、雇われたくないからとか、最近では、社会を変えたいからとか、世の中をよくしたいからみたいな形で、そういう理由が多く立ちあらわれたりすると思います。
    でも、実際、世界的に見てみると、起業の最もありふれた理由というのは、仕事がないからとお金がないからなんです。
    実際、最も起業が盛んな国は発展途上国です。ボリビアとか、ガーナとか、ペルーとか、南米や東南アジアの国々に起業が盛んな国が多い。
    この理由はすごい簡単で、こういった国では、雇用機会がほとんどなくて、自分でビジネスを営んだり、自分で会社を起こしたりするしか、仕事する方法がないからです。そういう発展途上国にあっては、会社に勤めて安定雇用が保障されることは、一部のエリートだけに許された特権です。これは、40年前、50年前の日本の状況とすごい似ていると思います。
    そういう視点で考えてみると、アメリカというのは、必ずしも起業家の数が多い国ではないんです。先ほど出した国際起業調査を見てみると、アメリカの起業率は必ずしも高いわけではない。
    アメリカでも、いまだに主流の起業というものは、必要に迫られて生計を得るために行うような起業です。移民がクリーニング屋を始めるとか、商店を始めるであるとか、雇われることのない人が、結局、自分の生計のために起業することが多いんです。
    フェイスブックやグーグルといったハイテクベンチャーばかりが注目されますけれども、実際に多いのは、建設業や製造業という分野での起業なんです。
    その文脈でいいますと、日本も戦前は起業家大国でした。自営業者が当たり前の社会でした。これは日本が特殊なのではなくて、どこの国も近代化の過程でたどるようなルートの1つです。
    明治初期には、近代産業が勃興しつつあり、製鉄所などでは、数百万人の雇用ぐらいは確保できました。
    一方で、そうでない人もたくさんいた。特に江戸時代後期もそうでしたけれども、農家ではどうしても全部の子どもたちを抱え切ることができない。末っ子たちは農村を離れなくてはいけない。それで日雇い労働者であるとか、人力車とか、馬車を引くであるとか、土木作業員、運輸業とか大工のような建設業に就く男の子が多くいました。お屋敷に住み込みで働いたり、料理店や飲食店の女給みたいな形で、何らかの商売をする人たちが多かったのです。つまり、これはちゃんとした形で企業に雇われるのではなくて、言わばフリーランスに近い形で、いくつかの仕事を掛け持ちでやらざるを得なかった人が多かったわけです。
    その頃のサラリーマンというのは、すごい憧れの職業でした。日本でサラリーマンという言葉が一般的になり、何となくみんなが使うようになったのは、第一次世界大戦後と言われていますけれども、そのときの戦時景気で、サラリーマン、ホワイトカラーという存在が登場し始めた。でも、それはあくまでも本当に一部の人でした。
    1930年の国勢調査によれば、ホワイトカラーと呼べるような人は、せいぜい就業人口の10%以下でした。
    当時、サラリーマンというのは、憧れの職業だったわけです。社畜なんてばかにするようなことが、20年ぐらい前は流行ったりしましたけれども、社会保障も整備されていない時代に、安定雇用、つまり今年いっぱいのことが想像できる、来年や再来年のことが想像できる、大体給料がわかって、昇給のタイミングがわかって、人生がプランニングできる安定雇用は、すごく憧れの存在でした。
    同時に、その頃の東京というのは、自営業者が多いところでした。当然、地方部、農業地帯では、農民という形での自営業者が多かったんですけれども、東京でも自営業者がすごく多かったわけです。
    今から約80年前、1930年の時点で、東京においても就業者の実に3分の2が自営業者だったという統計があります。ここでもいわゆるお店を経営していた人は少数で、実際は露天商であるとか、仲介人であるとか、自分で設備投資をしなくてもできるような、初期投資が少ないようなビジネスに従事する人が多かったわけです。
    サラリーマンであっても、当時は副業や内職は当たり前でした。当時のサラリーマン雑誌などを見てみると、投資術であるとか、財テクであるとか、奥さんの副業という特集がが、当たり前のように何回も組まれていました。
    1970年代までは、先ほどドラえもんの話がありましたけれども、仕方なく起業をせざるを得ない人がたくさんいたわけです。
    先ほど昭和30年代は若者の起業が多かったと言いましたけれども、それは簡単な理由で、給料だけでは生活できないから起業をしたというのが、起業した動機の上位に挙がっていました。当時の中小企業の年功カーブは、今と違って30代までだったんです。つまり生産性が一番高い30代が給料のピークだった。それを過ぎたらどんどん給料が下がっていく。つまり、そこで自分で仕事を始めないと、暮らしていくことができない。ブルーカラーを中心に、必要に迫られた起業がたくさんあったわけです。
    ここまでのことをまとめると、家族全員が複数の仕事を持つというのが、50年前ぐらいまでの日本では典型的な労働の姿だったわけです。つまりフリーランスというものが、少しも珍しくはなくて、かといって、それは憧れでもなくて、当たり前のように複数の職業を持ち、フリーランス的に働くことが、一昔前の日本にあったということを確認しておきたいと思います。
    さて、戦後の日本というのは、2つの成功ルートがあった国でした。特に1970年代ぐらいまでのことです。1つは、サラリーマンとして出世をする主ルート。もう一つは、ブルーカラーとして雇われた後、独立や、のれん分けなどをしてもらって、自営業者という一国一城の主になるという副ルート。この2つのルートがあった時代です。
    それは、努力すれば何とかなると多くの人が思えた社会と言い換えてもいいと思います。勉強ができる人は、いい学校、いい会社に行き、いい人生を送る。勉強ができない人は、腕一本で自分の専門性を高めて、将来の独立を目標にする。2つの成功ルートが、大ざっぱに開かれてきた社会だと考える研究者がいます。
    しかし、副ルートというものは、次第にどんどん閉ざされていきます。先ほども村上さんが述べていたように、高度成長期の後は、開業資金もどんどん高くなり、土地が高騰し、自営業者になることがどんどん難しくなっていった。
    自営業者として独立するはずだった人は、どこへ行ったかというと、統計を見てみると、非正規労働者は増加してきたものの、正規で働く人は、昔から見て減っていないことがわかっています。かつてだったら自営業者になっていただろうという人たちは、フリーターに流れていることが、いくつかの研究で示唆されているのです。
    結果的に雇われ店長であるとか、名ばかり管理職であるとか、自営業者と雇用者の悪いどころ取りをさせられた人たちが増加しているというのが、この10年、20年で起こっていることだと思います。
    起業というものがどんどん減ってきたということを、今述べましたけれども、起業がなかなかできなくなった途端に、憧れになるものなんです。自由に働きたい、フリーランスで働きたい、会社に縛られないで働きたいという働き方は、戦後の日本の社会の見果てぬ夢と言ってもいいと思います。
    1970年代、大企業で働くことが一般的になった時代には、既に脱サラブームが起こっています。当時、法基準とか、消費者の要求もそこまで厳しくなくて、脱サラと言えば、屋台のような時代がありました。とにもかくにも、脱サラというものが流行語になり、会社を離れて働くことがブームになった。
    1980年代は、スモールビジネスという言葉がブームになりました。この頃はちょうど大企業、その中でも鉄鋼業であるとか、製造業の時代ではなくて、これからは情報産業の時代だと世の中で喧伝されました。アイデア1つでビジネスができる時代だということが、盛んにもてはやされました。塾運営だとか、弁当配達とか、通訳派遣業とか、いくつかの会社が今でも残っていますけれども、そういった形で、製造業ではない形でのスモールビジネスというブームが、当時、言葉として広まりました。
    この時代にフリーターという言葉も生まれています。今でこそフリーターという言葉は、ネガティブな意味ばかりになってしまいましたけれども、当時はリクルートがすごくポジティブな意味で、フリーターという言葉を流行らせようとしてつくりました。当時もフリーアルバイターであるとか、プータローであるとか、正規の仕事に就かないで、フリーで働くという言葉は何となくあったんですけれども、それをフリーターという形で再定義したのが、リクルートという会社です。
    1987年に『フリーター』という映画がつくられ、会社に雇われないで、自分の意思で仕事を選んで、自分で仕事を組み立てて、人生のキャリアプランを組み立てていくような若者たちが、1つの憧れとして描かれようとしていました。
    でも、実際に起こったことは逆のことです。先ほどの一番初めの統計を思い出していただいてもいいんですけれども、70年代、80年代という時代の中で、雇用者、つまり雇われて働く人は増えて、起業家は決して増えていない。自営業者も減っていた時代でした。つまり自営業者がどんどん減って、起業家も別に増えていない中で、定期的に憧れとして、脱サラとか、スモールビジネスということが、すごくもてはやされるわけです。
    フリーターという言葉が、80年代末にある程度の流行語にはなったけれども、当時はバブル景気のさなかで、いい大学に入った人たちは、結局いい会社に入っていくというルートがまだ存在した時代でした。
    サラリーマンと専業主婦という生き方が、標準になっていたというのが、この過去40年間の時代でした。つまり起業とか、スモールビジネスなどがすごいもてはやされる一方で、1970年代ぐらいに定着した、サラリーマンと専業主婦という生き方が、さも日本の標準のように次第になっていきました。
    1979年に自民党が発表した文章で、日本人の典型的な人生の一例として、取り上げられているような生き方をご紹介しようと思います。「大学を卒業して、企業に入って、結婚して家庭を持って、子どもをつくって、退職後は年金を受け取って、老後の生活を送り、75歳で生涯を終える。」そういう生き方が、1970年代、さも日本の当たり前かのようになっていったわけです。
    いまだに一部の政治家の人は勘違いしていて、なぜかと思うんですけれども、サラリーマンのパパとか、専業主婦のママというモデルは、たかだか40年前に成立したものにすぎません。
    40年前に成立したというと、新しいことのつもりで私は言っているですけれども、20歳の大学生などに言うと、十分古いものに思えるらしくて、そんな昔からあったんだと思われてしまって、どう説明したらいいか、実は最近困っています。
    どちらにせよ、私たちが一般的に思うような日本での働き方というのは、せいぜい40年ぐらいの歴史なんです。例えば今ここにいらっしゃる男性の方は、スーツにネクタイをされている方が多いんですけれども、そもそもサラリーマンという会社に雇われて働く人が、スーツにネクタイをするようになったのも、せいぜい1960年代後半ぐらいのことと言われています。
    最近はクールビズで、ようやく変わってきましたけれども、夏でも上着を着て、ネクタイをするというのは、1960年代半ばぐらいに定着した日本の風習の1つです。それまでは大都市のオフィスビルとはいえ、冷暖房がありませんでした。60年代半ばに、ようやく電力供給が安定して、停電もなくなり、冷房がどこのオフィスビルにも入り、そこで空調が安定したから、夏でも男性はスーツにネクタイをしなければいけないという、新しい規範が生まれたようなんです。だから、今は当たり前と思ってしまうことも、実は40年前とか、それぐらいに成立したものにすぎないと考えたほうがいいんだと思います。
    そして、サラリーマンという生き方が当たり前になって、一方で今はどこにも起業家がいない時代だと思うんです。
    いくつかの調査を見てみましても、起業家や企業経営者の親の職業には、自営業者が多いんです。身近なロールモデルとして、会社に雇われないで働くこと、自営業者が多いということが、1つの起業家になれるかどうかのイメージになっているようです。
    しかし、実際、今の日本では、8割ぐらいの人は雇われて働いているわけです。そのため起業家というものが、少しも身近なものとして定着してないんだと思います。
    身近に具体的な起業家がいない一方で、メディアでは、堀江貴文さんであるとか、上場であるとか、すごく偏った起業のイメージばかりが蔓延しているように思います。起業というものは、ものすごく大それたことであって、自分で小さいお店を持つということは、起業として認識されない。つまり両方に偏ったもの、全く起業というイメージがないか、もしくは起業といえば堀江さんという、とても偏った起業のイメージ、起業に対する具体的なモデルがない中で、今、そういうイメージがすごい広がっている状況があるんだと思います。
    起業というものは、どうしてもリスクがあることだと思います。一方で雇われて働くことはあまりリスクが伴わない。日本では雇用の流動化が限定的だと言われています。つまりそういう社会では、1つの会社に勤め続けることが得です。会社からたとえ無理を言われても、理不尽なことがあっても、1つの会社に勤めたほうが得という社会ならば、まだまだ起業するメリットは感じにくいと思います。
    特に日本では学校経由の就職、つまり高校が生徒たちをちゃんと会社にあっせんするですとか、もしくは大学生だったら、新卒一括採用という仕組みがある以上、若者にとって、起業というのは、あまりにもリスクが高いことだと思います。だんだん壊れつつあるとはいえ、学校機関と労働市場はある程度制度化されたパイプがそこにあって、そこからこぼれてしまったらベンジが難しい。そんな中で、企業に勤め直すということは、なかなか難しい状況があるわけです。学校を出たら会社に入るという、先ほど言った主ルートというものが、あまりにも一般的になってしまったがゆえに、起業というものがリスクとして立ちあらわれてきてしまうんだと思います。
    日本の会社はある種、国家に似ていると思います。いまどき1つの企業に一生勤めることが、統計上はだんだんそうではなくなっているとはいえ、ある種の規範もしくは前提となっています。そういう社会では、会社の命令に従って、死なない程度に長時間労働することが、社員にとって最も合理的な判断となります。つまりそこの会社に一生勤めて、給料が上がっていって、自分の身の安全が保障されるのであれば、その中で長時間労働をしてでも、会社に評価されたほうが合理的となってしまう。
    出世競争上も有利だし、残業代も増える。しかも、会社を辞めてしまえば、生活保障も失ってしまう。さまざまな生活保障、社会保障が、会社に附属していることが多い日本という国では、ちょっと無理をしてでも、その会社に所属することが合理的です。
    この国で企業に勤めることは、まるで企業という国家の戦士になるようなものだと思います。文字どおり、企業戦士という言葉が日本では一時期流行ったりもしましたけれども、企業が自分の会社で働いてくれた人たちに対して、さまざまな福利厚生を提供する。退役後、リタイア後も年金という形で面倒を見る。だから、企業に勤めることが当たり前になってしまった、そうみんなが思っている社会では、それから抜け出すことが難しいと思います。
    そこで起業するというのは、イコール独立国家をつくるぐらい大変なことだと思います。
    日本の企業では、総合職で働く場合、職業選択の自由とか、居住の自由はあまりありません。つまり上司の命令1つで職務が変わり、転勤を命じられてしまう。しかも、それがOKだということになっている。私みたいに、いわゆる企業に勤めていない人間から見ると、それはすごく非人間的だと思ってしまうんです。
    自分で決めたことではなくて、上司、会社が決めたことで、住む場所も変わってしまう、職務内容も変わってしまうということが起こっていることが、今の日本の会社であると思うんですけれども、そういう中で、起業するというのは、とても大変だと思います。
    その中で、スピンアウトをして、ある種植民地型に、企業の派生として、サブシステムとして何らかの会社を起こすということは、でき得ると思います。そうではなくて、起業するということは、独立国家を建設するぐらい難しいことなのではないかと見えます。
    よく起業の数が少ないと言うと、リスクを恐れるなとか、ベンチャースピリットが足りないという話になりやすいんですけれども、特に若者の話をすると、20代とか、30代の若い起業家で、そこそこ軌道に乗った人に話を聞くと、起業は後からというケースがすごく多いんです。趣味が仕事になって、個人では引き受けきれないぐらいの仕事量になって、後から法人化する。初めから何が何でも起業家になりたくて、成功したという事例は、そこまで多くないと思います。学生や主婦が片手間に起業をするようなことも増えたりしています。例えば学生時代に起業をして、それをネタに就活するという事例も、最近ではすごく増えています。
    先ほど申したように、学生時代にアプリでそこそこうまくいって、仕事を起こしても、それがどこまで続くかどうかわからない。だったら就活をしよう、大企業に入ろうといって、就職していくような人がいます。最近では、トップ大学のエリート層が結構目立ったりします。
    日本は起業を支援する環境というものが、整っていないわけではないんですけれども、すごく微妙な状況にあると思います。個人投資家の割合が少ない国でありますし、ベンチャーキャピタルの投資額も欧米には遠く及ばず、減少傾向にある。もちろんベンチャーキャピタル側の言い分から言わせれば、投資したいんだけれども、投資するようなベンチャーがいないと、彼らは言います。確かにそういう状況もあると思います。
    起業というものは、結局ほとんどがリスクなわけです。3年目、5年目、10年目で残っている企業は多くはないわけです。生存率が少ない中で、ある種、起業というのはどうしてもリスクなわけですけれども、その中で、うまくいく企業が多くないという、ベンチャーキャピタル側の言い分もわかることはわかります。
    一方で、起業率が低いというのは、日本の豊かさの象徴でもあると思います。
    例えば今の日本で、もはや食べていくためにビジネスをする必要はほとんどありません。露天商にならなくてもいいし、物乞いのようなことをしなくても、何らかの仕事はある。
    特に若年層に限っていうと、多くの若者たちは、豊かな親から自立できずにいます。若年未婚者のうち、7~8割ぐらいが親と同居しているというデータがあります。つまり親からも自立できないのに、起業という会社からの自立は、そう簡単にできるわけがないと思うんです。
    親と同居する若年未婚者というのは、別に日本限定ではなくて、最近ではどこの国でも増えています。もともと南ヨーロッパ、スペインやイタリアは、親との同居率がすごい高い国なんですけれども、最近ではそれに加えて、イギリスとか、アメリカとか、南ヨーロッパ以外の国でも、親と同居している若年層がすごく増えています。それは単純にどこの国でも若年労働の状況が厳しくて、若年失業率が上がって、親と同居せざるを得ないという状況があるんですけれども、親からも独立できない中で、起業するということは、すごい難しくなっているということが1つあります。
    それは日本が豊かで幸福な国であるからとも言いかえられるんですけれども、つまりかつての50年前、60年前の日本のように、自分で仕事をしなくても、何らかのアルバイトなりはあるし、親と同居していれば、そこそこ暮らしていけるという形で、ベンチャースピリットがないと言われれば、多分そのとおりなんですが、ベンチャースピリットを持ちにくい社会的な構造がそこにはあるんだと思います。
    ある20代の起業家の方が、本の中で言っている言葉なんですけれども、その言葉が重いんです。「逃げたくても、自分には逃げ場がありません。他人の責任にしてでも、経営者失格であっても、人間失格であっても、その会社を存続させなければなりません。」。起業はやはりいくつかのリスクが必要なわけです。
    会社を急成長させたい、そうだとしたら、たくさん社員を雇ったり、設備増強をするために借金をしなければいけないとか、いくつかのリスクを背負わなければいけないタイミングが多いと思います。でも、そこは軽々しくはできない。
    いまだにいますけれども、新橋のすぐそばの駅前で、昼間でもうとうとしているサラリーマンとか、なぜか昼間なのに映画館にやたらいるおじさんとか、そうした意味でも雇われて働くよりも、起業はリスクがあって、比べると重いことだと思います。
    つまり雇われて働くことは、雇われないで働くことよりも、総じて楽なわけです。雇われて働いている限り、仕事は会社が選んでくれます。仕事のリズムも会社が管理してくれます。保険とか、年金とか、納税など、そういう面も代行してくれる仕組みがあります。 ヨーロッパより安いとはいえ、700円台ぐらいの最低賃金があり、生きていくためならば、頑張って起業するよりも、コンビニでバイトをしたほうが、楽だし効率もいいという状況があるわけです。
    特に起業の初期段階でありがちなのは、会社を起こしてみた、実際に仕事をしたつもりでいる、頑張った、営業などもとってきて、何とか仕事が回り始めた気がしている。でも、実際に収益を社員たちの労働時間で割ってみると、コンビニよりも安かったということは、大学生の起業などで起こりがちです。生活していく面においても、会社勤めと比べ相対的に不安定な起業をすることが難しい状況があると思います。
    先進国で、そもそも雇われることが当たり前、雇われることが難しくない国で、起業率を高めることはすごく難しいことだと思います。
    しかし、その中で起業率を上げている国がいくつかあります。最近、注目されているのは、ノルウェーとか、フィンランドのケースです。北ヨーロッパ諸国の起業率、特にフィンランド、ノルウェーは、最近、起業率が上がっている国として注目されています。
    世界最高レベルの税金を課しているノルウェーという国で、起業活動が盛んというのは、一見すると矛盾する話です。
    ただ、ある起業家がインタビューでこう答えています。税は一生を通じての投資だと考えています。福祉制度が整っているために、個人で教育費や医療費、退職後の生活のことを考えなくていい。つまりリスクを負いやすい、自分で仕事をして失敗しても、社会にセキュリティーネットがある。起業家になるためのハードルが低いという考え方があるわけです。
    フィンランドでも、ヘルシンキ・スプリングと呼ばれるような、起業ブームがこの数年起きています。特に労働者の教育水準が高くて、シリコンバレーと比べると、雇用コストや医療費は安かったりする。政府も起業を積極的に支援するといったことがブームの理由だというのは、現在の研究者の意見なんですけれども、フィンランドのように、高福祉、高負担の国家で起業率が高まっている。
    これはフィンランドやノルウェーだけのことではありません。最近、若年層の起業を推薦するために、何らかの社会保障を整備するというのは、ある種のブームのように、ヨーロッパで起こっていたことです。例えばイギリスなどでも、失業した若者を起業させようみたいなNPOであるとか、社会起業が注目を浴びています。どんどん雇用がなくなっていく中で、若年層の失業率が高まっている。若年層の失業率を減らすためには、どうしたらいいかというと、1つは大企業がもっと雇えばいいという話なんですけれども、そうではなくて、自分たちで会社を起こしてもらって、その中で、自分たちで雇用し合ってもらおうという動きが、イギリスではこの10年間ぐらい注目を集めてきました。
    その中で、いろいろな制度が整備されたという経緯があるわけです。同じような文脈で、ノルウェーとかフィンランドも考えたりしていて、起業というものを、雇用創出の手段であると考える。起業を直接的に推奨する一方で、社会保障、つまり彼らが失敗しても大丈夫なように、起業を間接的に応援するような施策が、北ヨーロッパとか、イギリスでは起こりつつあります。
    先ほども言いましたように、日本もこの20年間ぐらいで、起業を整備するような仕組みを整えてきたわけです。制度は整ったけれども、意識が追いつかないということが、どうしても起こってしまうと思います。
    日本でよくあるパターンとして、例えば産児育児休暇制度が挙げられます。日本は子どもが産みにくい国と言われますと、育児休暇制度が批判の対象になることもあるんですけれども、諸外国と比べてみて、日本の育児休暇制度はこの10~15年間ぐらいで、寛大な制度になったと思います。休業前の給付金だとか、会社からの給与なども、ある程度の額が支給されたりします。世界的に見れば、悪くない制度なはずなのに、取得者はそこまで多くならない。そこで、理由を聞いてみると、会社の中で、何となく取りにくい雰囲気であったりという声があったりするんです。このように、制度は整ったけれども意識が追いつかないというのは、日本ではよくあるパターンです。
    実際、起業というものも、この15年、20年ぐらいですごく仕組みは整備されたんだけれども、意識がなかなか追いつかないというパターンの1つだと思います。

    それでもなお、政策としてできることがあるとすれば、ちょっと前に出したフィンランドとかノルウェーの政策は、参考になる例の1つだと思います。ある程度のバッファーをそこでつくる。起業というリスクをちょっとでも簡便なものにするということは、でき得ることだと思います。
    駆け足でいろんな角度からしゃべってきてしまったんですけれども、今日の話をまとめながら、いくつかの論点を加えたいと思います。
    今日、初めは、起業家というものは、昔はそこまで珍しくなかったという話をしました。それは、いい話でも、悪い話でもなくて、昔は起業をせざるを得ない人が一定層いたという話を初めにしました。
    サラリーマンというものは、憧れであり、それがどんどん日本の中で一般的な雇用形態になっていったという話をしました。
    アメリカは起業大国と言われるけれども、そんなことはなくて、多くは自営業者、しかも、必要に迫られてする自営業者だというお話をしました。アメリカというと、ベンチャースピリットをみんなが持っていて、情熱、パッションがあるような国だから、起業家の数が多いと言われるけれども、結局は必要に迫られてする自営業者であって、フェィスブックなどは例外であるという話をしました。
    翻って、それを日本に置きかえて言うならば、リスクを恐れるなと言われても、結局日本の起業率が低いというのは、ある種日本の豊かさの象徴であるという話をしました。
    つまり起業をしなくても、何となく暮らしていけてしまう。
    でも、逆にそういう国で、起業率を高める方策があるかというと、1つの参考事例として、高福祉国家のフィンランドとかノルウェーがやっていることが、参考になるのではないかという話をしました。
    あと、最近、日本では、エコシステムが確立できていないということを問題視する議論が多いように思います。その辺は先ほどの身近に起業家がいないという話とも関係してくるんですけれども、起業率を高めようとか、起業家を増やそうといっても、結局身近に起業家がいない。
    起業家は孤独な存在でもあるんです。つまり自分で仕事をしようとすると、相談相手がいなかったりする。その中で、相談相手、つまりカジュアルに自分のビジネス方針であるとか、そういうことを相談できる相手を探さなければいけない。そういう仕組み自体、コミュニティーみたいなものがないから、孤立してしまう。
    結局どういう企業が成功しているかというと、いい大学の起業サークルに入っていたり、エリート中高一貫校に入って、周りに起業家という存在が当たり前にいて、もともと同窓会サークルという形でネットワークがあって、それを十分に活用できるような人が成功している。だから、エコシステムというものが、既存のネットワークにならない以上、起業家というのは、お金もなくて、自分のアイデア1つで成功することができると言われますけれども、全くそうではなくて、逆のことが起こっているというのが、今、日本ではあると思います。
    いくつかの論点を混ぜながら述べてきてしまいましたけれども、今日準備してきた話はこれぐらいです。ひとまずここまでです。ありがとうございました。(拍手)

質疑応答

  • 質問者<1> 1つは、技術的な話で、スライドのグラフの見方なんですけれども、これは中小企業庁が平成8年につくった調査だと思うんですが、これはそのときに残っていた企業ということなんですか。それとも昔のデータにさかのぼって、29年前とか、30年とか、そういうところで、実際に起業した創業者の年齢をとった数字なのか。この時点で調査したものだったら、なくなった企業とか、創業者が亡くなってしまっていないわけです。そのことがあるので、これだけで昔のほうが、若い人がやっていたということを言えるのかというのが、まず1つです。これは技術的な問題です。
    もう一つ、今回の話は非常におもしろかったんですけれども、いくつかスライドの中で、サザエさんの話が載っていました。先ほどは話されませんでしたけれども、実際に女性が働いているのか、働いていないのか、どういう役割をしていたかという話は、非常に重要な話だと思います。これはもう研究されているのかもしれないんですけれども、ある意味で働くということを分析にするに当たっても、男のほうばかり見ているという話ではなくて、女性のほうも、裏から見るということだけなのかもしれませんけれども、そういうものをやってみたほうがいいと思います。これは感想でございます。
  • 古市氏 ありがとうございます。初めの中小企業活動実態調査なんですけれども、これは『中小企業白書』からの引用の引用なんです。もとの調査を見てみたくて、中小企業庁に問い合わせたところ、この調査はもうないと言うんです。だから、逆にきょうは文句を言いたかったんですけれども、せっかくとった調査のはずなのに、もう廃棄処分していると言うんです。だから、現物はその当時に配ったところにしかないので、中小企業庁は保管していないということなんです。引用の仕方から見ると、さかのぼったようにも見えるんですけれども、それはどちらかわかりませんでした。
    ただ、実際、ほかの調査を見てみても、この調査ほどあからさまなデータではないかもしれないですけれども、起業家、創業者の年齢は、昔のほうが若かったということは言えると思います。これほどわかりやすいデータにはならないかもしれないんですけれども、言えると思います。なので、これはわからないということが1つです。
    もう一つの女性という問題は、確かにすごい大きいと思います。実際、女性起業家が注目されたのは、80年代後半からです。その頃、ニュービジネスブームがありまして、先ほどもちょっと出ましたけれども、80年代、それまでの製造業などではなくて、アイデア1つで労働のあっせんだとか、通訳という形で起業することができるようになった。その頃から、女性起業家というものがぽつぽつ出始めました。
    一方で、女性起業家というものは、特異な存在にとどまったと思います。政府の会議などを見ても、女性起業家として呼ばれる人は、いつも偏ったメンバーであることが、それを象徴していると思うんですけれども、結局一部の有能な人が女性起業家として生まれた。
    ただ、この20年で変わったのは、女性が副業として始めるような起業というものが、ぽつぽつと増えてきたりしています。それは株式会社だけではなくて、NPOなども含めての話なんですけれども、つまり夫の収入があって、ある程度安定しているからこそ、その中で自己実現であるとか、ちょっと家計の足しになるという形で始めるような、女性ならではの起業という流れも、今日はお話しませんでしたけれども、確かにあると思います。
    女性起業家というのは、どうしても存在としても少ないので、注目されにくいんですけれども、逆にこれからの雇用の仕組みを考えると、女性起業家に対しての注目度が高まってもいいと思います。
    女性と若者は存在がすごく似ていると思います。つまり男性がつくり上げてきた日本の企業社会というもので、どうしてもマージナルな存在にならざるを得ない人という共通点があります。その中で、女性や若者がどう起業するかというのは、すごい似ていると思います。先ほど大学生の起業の話をしましたけれども、大学生がするような起業と女性がする起業はとても似ているのです。つまり何らかの生活基盤が旦那なり親なりにあって、その中で、副業的に起業するということができ得る。そういう女性起業家という存在を、今日のお話では十分にできなかったと思います。
  • 質問者<2> 高福祉国家の方が起業率が高いというところは、着想としておもしろいと思って、考えてみたんですけれども、本当にそうかということがあります。そうかもしれないんですけれども。
    1つ考えると、日本の1970年頃が起業率が高かったんだとすると、時系列でみると、1975年ごろの社会保障と今の社会保障の水準は、比べものにならないぐらい当時はまだ水準が低かったんです。だから、そういうふうに見ると、社会保障水準が低いほうが、起業率が高いという事実もあるのではないかというのが1点です。
    それはそれとして、国際比較で見ると、高福祉国家のほうが起業率が高いかもしれないんですけれども、そのときに、どういうリスクに対して保障があれば、起業マインドが高まるのか。例えば年金とか、医療とか、雇用保険とか、いろいろあると思うんですけれども、リスクを恐れるなと言われるときに、一番保障してほしいリスクはどういうリスクだとお考えなのか、この辺を伺いたいと思います。
  • 古市氏 ありがとうございます。まず、高福祉国家の話なんですけれども、当然先進国型の起業と途上国型の起業があると思います。日本が70年代に多かったというのは、途上国型の起業だと思います。先ほど南米とか、東南アジアで起業率が多いという話をしましたけれども、いわゆる途上国型の社会保障がない中で、自分で会社を起こさざるを得ない形での起業が多かった。
    一方で、北ヨーロッパの事例というのは、そうではなくて、先進国型の起業といいますか、社会保障がある程度完備されて、ある程度成熟した社会になった中で、起業率が高い事例として、この北欧を挙げました。
    確かにソーシャルセキュリティーと起業率には、相関関係があるというデータもあるんですけれども、これも結局、国の仕組みなどに大分依存してしまうんです。例えば同じ北欧でもデンマークはそこまで起業率が高い国ではありません。なので、結局、国ごとに見ていかなければいけないという話なんですけれども、大ざっぱにいえば、先進国の中では、高福祉国家で起業率が高いという事例が注目されていて、その事例を挙げました。
    あと、どんなリスクに対応する社会保障があればという話なんですけれども、リスクは見えない、わからないからリスクなんだと思います。具体的にこれが恐いとか、これが何とかなればということが、あらかじめわかっていたら、それはリスクとして認識されないと思います。会社が失敗したときに、具体的にこういうものがあればというのは、経験しないと本当の意味ではわからないと思います。経験しないがゆえに、何となく漠然としていて恐いとか、わからないからこそ、ぼんやりとしたリスクと認識されてしまうと思います。そこはおっしゃるとおり、すごい難しい話で、何となく安心だと思えるとか、何となく失敗しても大丈夫だと思えるようなものは、いわゆる社会の雰囲気だとか、そういう曖昧なものに依存するんだと思います。もちろん要素分解していけば、一つ一つの制度を整備していくという話になると思うんですけれども、具体的にこうだということは、実は言い切れないのではないかと思います。
    反対にあらかじめどんなリスクがあり得て、どんなことが起こり得るということが、先天的にわかっていれば、起業がもっとやりやすくなるのかもしれません。例えば会社を起こします、ビジネスを始めますというところまでは、情報もたくさん流通していますし、それを支援する制度もたくさんあります。それは国もたくさんしています。政策金融公庫なども支援を含めてやっています。
    一方で、失敗した場合はどうしますかとか、実際にそれがうまくいかなかった場合どうしますかという情報は、あまりで出回っていないように思います。その中で、大失敗した事例ばかりが懸念されたりする。だから、そのギャップを情報という形で埋めていくことはできるのではないかと思います。
  • 質問者<3> 2つほど教えていただきたいと思います。
    日本人は必要に迫られて起業する方は少ないというお話があって、自ら起業したいと思うは、年齢的にどのぐらいかということが1つです。
    仮に若い年齢層のときに起業したいと思うのであれば、先ほど最後にあったエスカレーター式でどんどん上がっていくときに、周りに起業したいという人たちがいっぱいいるのであれば、そういう状況であれば、成功しやすいという話があって、それは都市では起こりやすいことだと思います。イメージしないと、起業というのはできないと思うんですけれども、地方において起業するというのは、どういったときに生まれるのか。地方で、もし起業したい人を増やそうとすると、どういったアイデアがあるのかということを教えていただければと思います。
  • 古市氏 ありがとうございます。まず年齢なんですけれども、若いほうが起業志向ということはありません。実際に起業率が高いのは中高年です。ということは、起業志向に対して、若い人が殊さら高いというわけではないです。
    一方で、若者が全く起業したくないかというと、そうではなくて、3割ぐらいは起業志向があったりする。結局ギャップがあるわけです。起業したいけれども、できない。
    起業したい人は3割ぐらいいるけれども、起業率は0.2%とか0.3%なわけですから、そこにギャップがあるわけです。それをどう見るかという話だと思います。
    地方でもいろんな試みが始まっています。例えばエリアで、起業しやすいように起業家を呼び込むような環境を整備したりということが、徳島であるとか、最近では沖縄でも起こったりしています。そこもいかにコミュニティーをつくるかという話なんです。起業しやすいという制度だけではなくて、何も考えていないような人であっても、周りから助けられて、仕事を順調に進められるぐらいの人的なサポートがあったりするエリアを、沖縄などはつくろうとしています。そもそも仕事は人がいないと成立し得ませんし、いくらITの時代だからといって、周りに人がいない、お客さんもいない中では、仕組みはなかなか成立しないと思います。だから、いかにそういうコミュニティーをつくっていくかという話だと思います。
    確かに大都市のほうがビジネスチャンスは多いですけれども、日本は地方都市であっても、数十万人が住んでいたりする。都道府県レベルで見たら、100万人とか、200万人が住んでいたりします。先ほど出したフィンランドとかノルウェーの人口は、ぜいぜい500万人とか、1,000万人以下の国ばかりですから、経済圏などで見てみたら、日本の地方は、ヨーロッパの小国ぐらいの経済規模と人的集積はあるわけです。その中で、起業するということは、そこまで難しいことではないと思います。
  • 質問者<4> 日本では、サラリーマンとして雇われて働くことが、リスクが少なく合理的なので、起業が少ない。ノルウェーとかフィンランドなどでは、先進国型の起業ということだったんですけれども、そういったところでは、必要に迫られた起業ではないと思いますので、先進国はどういったモチベーションで起業をしているかとか、そういったことを御存じであれば、教えていただきたいということが1点です。
    もう一つ、必要に迫られて起業をしてきましたというのが、これまで日本であったというお話で、そうだとすると、必要に迫られなければ、そもそも起業がなくても世の中が成り立つとすれば、起業はどんどん出てくるのか。そもそも良いか、悪いかというところについて、どういうふうに古市さんはお考えか教えていただけないでしょうか。
  • 古市氏 わかりました。ありがとうございます。モチベーションなんですけれども、これは北ヨーロッパだけではなくて、特に先進国で起業家に対して調査をすれば、大体トップに挙がってくるのは、自分で自分のボスになりたかったというのが、上位に挙がってくる理由なんです。つまり誰かに雇われるのではなくて、自分で仕事を管理して、自分でマネジメントしたい。だから、お金もうけではなくて、大抵は自分で自分を采配したいというのが、起業のモチベーションとして、起業家に調査をすると多く挙がってくる理由です。モチベーションという意味では、日本も同じような雰囲気というか、空気があることになります。
    起業率を別に上げなくてもいいのではないかというのは、おっしゃるとおりだと思います。無理やり起業率を上げても、いいことはないと思います。起業なんかしなくても、そこそこみんなが社会的に文化的に暮らしていけるんだったら、起業は必要ないと思います。一方で、これからの10年、20年のスパンで考えていくと、より福祉としての起業みたいなものが必要になっていくと思います。
    起業というのは、これから2つのルートで考えなければいけなくて、1つは、イノベーションであるとか、経済の起爆剤になるような起業は、これからも求められていくとは思います。
    一方で、途上国型の起業といいますか、雇われないで働く、つまり大企業では働きにくいとか、働きたくないとか、そういう人たちが、より簡便に企業を起こす、仕事をやっていく手段としての起業はもっと増えてもいいと思います。
    2つの意味での起業というものは、これからもあっていいと思うんですけれども、政策的に起業率を上げなければいけないというのは、本末転倒な気がするんです。そうではなくて、逆に社会生活として、いかに文化的な生活を送れるかという中のルートの1つとして、起業はあっていいと思います。
    今、大学生とか、20代の目線に立つと、職業選択のルートはすごい極端な気がするんです。大学を卒業して、大企業に入って働くか、もしくはフリーターになってしまうか。そうではなくて、真ん中があってもいいということは、個人的に思います。
  • 質問者<5> 今日は、ユニークな視点のお話、ありがとうございました。
    私がお聞きしたかったのは、古市先生が起業についてどういう役割を求めていらっしゃるかということで、今の御質問の中に出てきた部分ではあるんですけれども、私の中でイノベーションとか、次の未来をつくるとか、経済をつくるという視点しかなかったので、福祉としての起業ということでおもしろかったです。
    一方で、企業内起業という話があると思います。これまで日本の中でも、大きな企業というのは、業態を変えながら、次の新しい領域をつくってきて、企業の中で人材が動きながら、イノベーションをしてきているということも、実際にあるのではないかと思うときに、企業内起業をどう活性化するかとか、そういうものと、今、おっしゃっている起業との補完関係とか、この辺りで何かお考えがあればお聞きしたいです。
  • 古市氏 ありがとうございます。まさに日本の起業率がそこまで高くない理由は、企業内起業の存在だと思います。大企業がある種いろんな業種を抱えていて、その中で、新しい部署をつくることが、事実上の起業であったりしてきたわけです。企業内起業は、日本の中での目に見えない起業なんだと思います。
    ただ、体力があったり、リスクを冒せる企業が、だんだん少なくなってきていることが、1つあり得ると思います。最近では、企業内起業ではなくて、企業はあまり責任を負わないけれども、業務提供するぐらいの形で、スピンアウトする起業が若干増えていると思います。
    私が知っている例だと、出版社はそういう業界に近くて、例えば講談社からスピンアウトした星海社という出版社があります。星海社という出版社は、講談社から独立した会社ではあります。一方で、販売網とか流通網は、講談社と同じルートを使います。そこにいる社員というのは、もともと講談社などにいた人たちが、社員として働いています。おもしろいと思ったのは、失敗したら、講談社に帰ってきてもいいと言って、彼らを独立させているんです。もちろん失敗した場合、本当に帰ってこられるかはわからないですけれども、そういった形で、何らかの保障をする形で、でも、ある種独立の会社としてスピンアウトさせている。そういう事例がいくつかあると思います。
    起業はイノベーションであり、そういうものの源泉である一方で、もっと中間があってもいいと思うんです。本当にハイテクベンチャー、本当にイノベイティブな企業は、そんなにたくさん起こり得ないし、逆にいえば、政策的につくりようがないと思います。
    例えばスティーブ・ジョブズであるとか、ザッカーバーグであるとか、ああいう天才は教育ではつくれない。逆に教育などの仕組みでつくり得るものというのは、そうではない真ん中の存在だと思います。つまりそこまでの天才ではないかもしれないけれども、ただ単に社会福祉の受給者になるような存在ではなくて、自分で稼げる分ぐらいは、自分で仕事をつくれるような存在というものは、ある程度教育などでバックアップできる領域だと思います。そういうところをもうちょっとつくっていくというか、起業家教育なども、そこまで目を向けるとか、広げるという視点があってもいいのではないかと思います。
  • 質問者<6> マクロの視点から見ると、起業というのは、雇用を創出したり、それを通じて経済成長につながっていくとか、そういう意味で、起業のルートというのは、先ほど古市先生もおっしゃっていたように、ルートとしてつくられていくのは重要だと思っています。
    起業をする人がつくるということに関すると、子どもが若いときから、学生のときからという意味で、そういう人材をつくるような育成とか、教育が重要になってくると思っていて、先ほどのお話の中でも、制度は整ったけれども、意識が追いつかないというところで、教育というのが1つ重要だと思いました。
    教育の視点というところで、こういう教育があれば、もっと起業を目指すような人材が育成されていくとか、育っていくのではないかという御意見があれば、教えていただきたいと思います。
    あと、アメリカとか、北欧諸国でも構わないんですけれども、教育というところで、起業家を生むような特徴的なものがなされていたり、御存じのことがあれば、教えていただきたいと思います。
  • 古市氏 起業家教育というと、どうしても精神論になりがちだと思うんですけれども、そうではなくて、具体的な仕組みを教えるような教育が、大学でも、高校でももっとあってもいいと思います。つまり会社をつくる仕組みであるとか、もっと言えば、雇われるほうの目線でも、労働基準法であるとか、社会で働いていくこと、生きていくことに対する教育は、今、高校などの段階では、教わる機会がないと思います。単純にテクニカルな話で、会社を起こすには一体どうしたらいいのか、資本金とは何なのか、法人登記とは何なのか、法人とは何なのかみたいな、そういう基本的なことを教えるだけでも、選択肢の1つして、起業は身近になると思います。
    例えばアメリカなどでは、絵本の段階で、会社を起こすみたいな絵本が普通にあったりします。起業家教育という名目で、当然そういうことが行われたりしています。
    日本でも、最近、高校とか、中学校であった職業体験みたいな形で、職業を身近に感じさせるような教育が増えてきましたけれども、同じような感覚で、起業家というものをもっと身近にするような、ベンチャースピリットどうこうという話ではなくて、単純にこういう仕組みで、こういうふうになれば、起業家になれますということを教えるだけでも、大分変わるのではないかと思います。
  • 司会 ありがとうございました。それでは時間となりましたので、以上をもちまして「青少年問題調査研究会」を終了致します。
    古市様、本日は誠にありがとうございました。(拍手)

以上