平成26年度青少年問題調査研究会(第3回)講演録

(PDF形式:368KB)PDFを別ウィンドウで開きます

日時:
平成26年9月18日(木)16:00~18:00
場所:
中央合同庁舎第4号館6階 共用620会議室
講師:
島根県邑南町役場商工観光課主任(兼・一般社団法人邑南町観光協会常務理事) 寺本 英仁 氏
「耕すシェフ」研修生 南原 悦子 氏
テーマ:
外国人の子供・若者支援セミナー~現場の若手実務家に聞く~

内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付青少年企画担当


  • 司会 それでは、定刻になりましたので、ただいまから平成26年度第3回「青少年問題調査研究会」を開催いたします。

    皆様、御多用中のところ、御出席いただきまして、ありがとうございます。

    今回は「『地方創生』に取り組む若者セミナー~“おおなん”で働く女子に聞く~」と題しまして、目下の政府の重要な課題である地方創生の担い手である若者の取り組みについて、現場での取り組み、実践等をお伺いすべく、島根県邑南町役場商工観光課主任、そして、一般社団法人邑南町観光協会の常務理事であられます寺本様、第4期地域おこし協力隊「耕すシェフ」研修生の南原様のお二人様を講師としてお招きいたしました。

    2名の講師の方には、それぞれの取り組みのお話をお伺いして、それから若干休憩等を挟んでから、会場の皆様と意見交換等を行いたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

    それでは、島根県邑南町役場商工観光課主任、寺本様にお話をお伺いしたいと思います。

    どうぞよろしくお願いします。

  • 寺本氏 皆様、こんにちは。島根県邑南町から来ました寺本といいます。今日は長い時間お話を聞いていただけるということで、よろしくお願いいたします。

    では、座ってお話をさせていただきます。

    まず、今日、島根の方から出てきました。島根から東京まで、広島空港を使うのですけれども、邑南町から空港まで1時間半、飛行機で来ました。

    今日は、うちに「耕すシェフ」というのが今、6名いるのですけれども、神奈川から来た男の子が、1週間ぐらい風邪をひいたということで、実は私、昨日1日しか邑南町にいなくて、その前が東京で、富山で、大阪でとずっと出ていたのです。1週間前に風邪をひいたとその男の子が言って、それからずっと旅に出ていて、昨日帰ったら、まだ夜9時ぐらいですか、家が近いので、住宅に電気がついていたので寄ってみたのです。寄ってみたら、まだごほごほやっているのです。お前えらいんかと私は聞いたのです。そうしたら、そんなに偉くはありません、成績は普通でしたと。ごめんごめん「えらい」というのはしんどいかということを言っているんだよと言ったら、そうなんですかみたいな。

    基本的には「はい」としか言わないのです。ですから、しんどいんかと言ったら、はい。しんどくないんかと言ったら、はい。どちらなんや、はいという具合ですね。大変なので、よくわからないので救急車を呼んで病院に行こうということで、地元の邑智病院に一緒に行って、今朝4時ぐらいまでばたばたしていまして、今朝来たという感じで、ちょっと寝不足ぎみなのですけれども、そんな感じで「耕すシェフ」6名いるのですけれども、毎日何かハプニングといいますか、トラブルもありながら、若い都会の彼らと楽しく過ごさせていただいている毎日です。

    今日はタイトルが「創造的過疎時代の到来」ということでお話をさせていただきます。

    今日、2人で80分お時間をいただいているので、私の方は大体1時間ぐらいで、彼女の方が20分ぐらいということで、話を進めさせていただきたいと思います。

    まず「創造的過疎」。私はこれは新しい言葉ではないかなと思うのですけれども、過疎という言葉は結構皆さん、耳なれているのではないかなと思います。

    この過疎という言葉は、実は島根県から生まれている言葉なのです。島根県匹見町が限界集落といいますか、集落がなくなるということで、40年前ぐらいに国会で言われてから、過疎という言葉を盛んに言われるようになってきました。

    それから、島根県はずっと40年間、私は43歳になるのですが、私が生まれたころからずっと過疎の町、過疎の町ということで、人口が減っていって、年寄りばかり残って、若者が少なくなっていく、どうするんだという問題に自治体が取り組んでいるという実績があります。非常に過疎に対しては先進的なのかなと思っていますが、これから、ここの上に「創造的」とつけたのは、過疎は、田舎は終わってきているのではないか。これからは「創造的過疎」ということが非常に田舎はあるのではないかと思います。

    次のページなのですけれども「創造的過疎」とはどういうことなのかといいますと、やはり地域固有の資源を最大限生かして、次の世代につなげていくことが「創造的過疎」ではないのかなと思っています。

    それから、若者や子供に魅力ある町とはというと、自分たちが誇りを持たないといけないと思います。私は43歳と先ほど言いましたけれども、大学は東京だったのです。そのとき、うちのおふくろは、よく小中学校のときに、私が勉強しないので、お母さんがうちのおじいちゃんを指さすのです。勉強せんかったら、おじいちゃんみたいに農業をせえへんといけんようになるよと、勉強して、大学行って、サラリーマンになりなさいということをうちの親は言っていたのです。

    田舎に帰っているのですけれども、ずっとこの40年間過疎と言われていて、過疎の町におってもしようがないから外に出なさい、外に出なさいということを、私たちの時代は言われていたのですけれども、今からは、そういう時代ではなくて、田舎であることに住んでいる人間が誇りを持っていかないと、なかなか難しいのではないのかなと思います。そうしていかないと、次の人たちは自信を持てないのではないかなと思います。

    実は、私は商工観光の係長なのですけれども、観光協会では常務理事という格好でやっているのですが、今、観光協会、商工観光とは全然関係ない、若手1~2年目の職員の人事研修担当もしているのです。役場は何でもするのですね。

    昨年の1~2年目の若手に、町民にアンケートをとらせたのです。そうすると、これは内閣府さんでやられている調査と一緒の内容でつくったのですけれども、内閣府の満足度は全国平均64.1%が生活に満足されている。邑南町は84.1%ということで、非常に、田舎だから大変だとか、口ぐせのように町の人は言っているのですけれども、実は結構誇りを持っているのです。子育ての充実とか、学校教育の充実、高齢者・障害者福祉の充実とか、こういったように、口では田舎はもうだめだとか言いながら、実はいいよと思っています。

    それから、これなどは今、日本創生会議のレポートで、増田レポートとかと書いてあって、女性が日本全体で少なくなっていく、全国的にはマイナス36.3%。邑南町はひどいよと、将来30年後には58.4%の20歳から39歳の女性がいなくなると言われています。

    ただ、本当にそうかいなと私たちも思って、見てみると、2010年から2014年の過去4年間を見てみますと、20歳から39歳の女性が814人いまして、101.7%と増えているのです。

    それから、将来はどうなるのかというと、若干若い人は減っているのですけれども、20歳から39歳の平成21年から26年を予測してみましても、人口がそんなに減ってはいない、増えているということで、今月号の『世界』という雑誌に、町に取材がやってきたので、私が書いているのですが、実は私たちはすごく衝撃的だと思っています。

    うちの町、邑南町を皆さん、御存じですか。御存じの方は手を挙げて。結構知っておられます。ありがとうございます。

    ここに書いてあるのですけれども、この赤いところが邑南町ですね。島根県は縦に長いのですが、ちょうど真ん中に位置しています。島根県はすごく長くて、県庁所在地の松江が一番端っこにあって、一番端っこの山口県境の津和野まで大体車で4時間ぐらいかかるのです。ちょうど真ん中なので大体2時間。県域は広島が近いです。広島市内からは大体50分ぐらいで高速道路をおりてすぐに邑南町がありますので、本当に広島県境の町です。

    盆地の地形で、標高は平均300mから900mぐらいのところで、面積は419.22平方メートルと、東京都23区ぐらいの広さがあるかと思います。

    人口は、2町1村が平成16年合併して、ちょうど今年で10年になりますけれども、1万1,959人と、大体1万2,000人切っているようなところです。

    これは私がすごく好きな風景なので、ぜひ邑南町に来ていただいたらここを見ていただきたいのですけれども、於保地盆地という盆地があって、日本のスイスと私は勝手に言っているのですが、これはただの盆地ではなくて、山は全部古墳なのです。あと、これ全部かんな、鉄を中世から切り崩してつくった町なのです。人工的に人々が手を入れ続けた盆地というところで、非常に見た感じがすごく美しいですね。今朝なども、私は朝早く出たので、雲海がぐっと出て、非常に幻想的な風景です。

    そういう中で、過疎と言われながら40年間でどれだけ人口が減っているかといいますと、マイナス33.3%と、1970年、私が生まれる1年前から2010年で33.3%。高齢化率、65歳以上ですけれども、40.6%と非常に高いです。10人いたら4人が65歳。東京とはえらい違いですねと思っています。

    これも皆さん、内閣府の方なので御存じだと思いますけれども、2010年から2040年に実際東京がどうなるのかこれが一番問題にされているのかなと思いますけれども、一番下のところ、高齢者が将来激増してくるのではないかと言われています。

    では、邑南町の人口はどうなのかといいますと、65歳以上の方は40%と言っていますけれども、どんどん着実に減っていっているのです。2040年代になると29%高齢者が減っていきます。東京は将来54%増えていく中で、邑南町は29%高齢者も減っていく。

    これは、恐らく邑南町だけではなくて、多分、中山間地域、今まで過疎と言われていた地域は高齢者はもう減り始めています。

    これはどうすればいいのかなというところで考えていくのは、私たちも生産年齢人口、19歳から64歳の働く人間を地方に移してほしいのです。そうすることによって、東京も、高齢者は今の高齢者ではないですから、私たちぐらいの年齢が30年後に高齢者になるわけです。今の私たちを今の段階のうちに地方に、私よりも若い人もですけれども、どんどん移してほしいというのが私たちの願いなのです。

    国も今、多分、東京に一極集中している人口を分散させたいということで、田舎が思っていることと国が思っていることは結構マッチしているのかなと思います。

    田舎がいいぞというところを今から少しお話をさせてもらうのですけれども、まず、女性はこれからやはり田舎が輝ける場所になってくるのではないかと思うデータがあるのですが、合計特殊出生率というところがあるのですが、島根を見ていただければ、青丸にある、沖縄の次に出生率が高いです。沖縄が1.72とナンバーワンなのですが、島根も1.5をちょっと下回っている。今はもうちょっと増えていると思います。東京は、逆に言うと、1.0と、大体女性が一生のうちに1人しか生まない。邑南町を見ていただくと突出しているのです。2.65ということで、大体3人ぐらい。私も3人子供がいるのですけれども、大体家庭に3人子供がいるのが多いです。

    これはどういうことかといいますと、私も一番下の4歳の娘がいるのですけれども、一生懸命うちの嫁が、田舎ですけれどもピアノを習わせたり、学習塾に行かせたいとか、勉強させてうちの嫁さんが何をしたいかというと、東京に行って音楽とか美術とか勉強させたいとやるのですが、東京に行って、せっかく私もお金を出して、投資をして娘を学校に出したとしても、結婚すると仕事は多分45%以下しかしないのです。どんなに田舎の女の子を学費をつけて出しても、結婚するとなかなか東京で活躍ができないというところが、このデータで見るとあるのではないか。

    逆に、島根は20歳から39歳の仕事をされる率が大体6割ぐらいなのです。これはどういうことかというと、確かに旦那さんの収入が少ないから、2人働かないといけないということもあるかもしれませんけれども、それとは別に、まず、親と同居するということで、家族で子供が見られる。または地域ぐるみで子供を見るというようになってくるのです。

    ちょっと冒頭で「耕すシェフ」の男の子、神奈川から来た男の子が入院したと言いましたが、私がついていくと、うちのおふくろが、私がさっと車で出ると、多分そこの家に行ったのだろうと感づいて、うちのおふくろも病院について行くのです。そうすると、隣のおばちゃんもついて行くのです。うちの職員もついていって、職員のお母さんもついて行って、病院に7~8人いるのです。大丈夫か大丈夫かと、やかんを持ってきたり、タオルを持ってきたり、入院しているやつもいい迷惑なのですが、結構病院がお祭り状態になっているのですね。

    そういう感じで、1人が何か病気をすると、よその子供が病気をしても知らないよではなくて、地域全体で心配をしていくという風習がまだ田舎は残っているのです。そういうところから、非常に子育てがやりやすい。鬱陶しいと言う人もいるのですけれども、そういう人は若い人で少ないですね。

    では、先ほど言ったように、首都圏は若い女性を地方へ分散させようと、地方は若い人をすごく欲しい欲しいと言っています。

    これは非常に今、いいタイミングだなと思うのですけれども、ただ、今、ここにも書いてあるのですが、うちも日本一の子育て村構想と、A級グルメの構想とは別に子育て村構想というのをやっていまして、例えば保育料が第2子以降無料にしているのです。それから、医療費は中学まで無料。産婦人科医、麻酔医もいますよというのをやっているのです。産婦人科医がいるのはなかなか珍しいと言われるのですけれども、そういうことをもう10年前ぐらいから、子育て村構想というのをやっていて、保育料の第2子以降無料化とか、全国でも結構最初にやり始めたのです。そうすると、今の状態になってくると、全自治体がこれをやっているのです。今、うちの邑南町役場が第2子以降無料とかと自慢しても、各自治体はみんなやっているよと言われるのです。

    これはどういうことかといいますと、自治体もディスカウントショップみたいな感じになっているのです。家電量販店でカメラはここの値段が安いからこちらがいいとかという感じで、こちらのほうが条件がいいからこちらに住もうみたいな感じになってきているのです。

    私は今「耕すシェフ」というか、総務省の地域おこし協力隊の仕事をしているので、地域おこし協力隊の視察がめちゃくちゃ全国から来ていただいているのですけれども、最初に自治体の皆さんが聞かれるのは、条件のことを聞かれます。報償費は100万と決まっているので、活動費の中から、家賃はどうされていますか、自動車は補助されていますか。うちは何もやっていないですね。自動車も自分のところのを生かしているし、家賃も全然補助がない。報償費の中からやっているのだけれども、よその町はどうもそれをつり上げていく、条件をよくしていくからうちの町に住んでくださいよと言っているのです。逆に、それが最後にここにあるように、本当に魅力ある地方になってくるのかというと、私はそうではないのではないかと思うのです。

    うちの魅力とは何なのかと言うと、オンリーワン、1点突破主義ということで、A級グルメと言ってやっているのです。

    A級グルメは今、全国的にも注目をいただいているのですけれども、最初からここまで行きついたわけではなくて、いろいろな経緯があったのです。10年前の合併のときに、10年前ぐらいは一村一品運動というのが流行っていまして、各町村で1つの特産品をつくっていこうという動きがあったのです。それにちょっと乗り遅れたのです。隣町はエゴマとか、その隣の町はイノシシとか隣の市はノドグロどんちっちとかとやり始めて、一品を売り始めたのです。うちは合併してすぐ見ると、キャビアがあったり、石見和牛があったり、自然放牧の牛乳があったり、酒蔵が3社町に残っているのです。これは20代、30代の子はみんなやっているのです。

    何を特産品にしていいのか全く行政の中でも民間の中でもまとまりがつかなかったのです。一村一品運動に乗り遅れています。

    乗り遅れてよかったなと思うのが、よその自治体を見ていると、一村一品運動は生産者が競争するのです。例えばエゴマをつくっていると、あいつのエゴマがいいとか、俺のエゴマがいいとか、あいつのエゴマは自治体がコンテストに出してひいきしているとか、そういう話になってしまうので、1個のものを強制的に町がつくれというのはよくないなと思っていたのです。

    よくないなと言いながらやっているうちに、B級グルメというのがばっと出てきましたね。B級グルメで町おこしとやって、うちも何かB級グルメをつくろうかという話になったのです。

    考えていたのですけれども、B級グルメをつくろうかと考えていると、どんどん乗り遅れていくのですね。一村一品運動と同じではないか、お前たち役場の人間は何をしているんだ、早くまとめろと。まとめたいのだけれどもまとめさせてくれない生産者もいるのですけれどもね。

    そういうところで、では、反対にA級グルメと名乗ろうかということで、Bの反対でAと、簡単に行政が決めてしまったのです。そうすると、住民の方から猛反発だったのです。40%が高齢者です。私たちは毎日そんな高級品は食っていない、役場は何を言っているんだみたいな、毎日キャビアを食っているみたいな感じに思われたのでしょうね。住民から非常に受けが悪かったです。受けが悪いと議会にむちゃくちゃたたかれるので、だんだん自分らも理論武装をしてくるようになって、勉強し始めるのです。勉強し始めたときに、どういうことを勉強したかといいますと、B級グルメの弱点を見つめていくことが大事だろうということで、いろいろな専門家を呼んで、B級グルメの弱点を見つけ始めたのです。弱点は小麦の文化だろうと。どうして小麦文化なのかといいますと、B級グルメはたこ焼きとかラーメンとか焼きそばをつくっているでしょう、これは小麦文化ですよと、小麦は輸入が9割で自給率は12%しかないのですよ。特に、小麦をやっているのは十勝しかない。だから、B級グルメをやっていいのは十勝しかないのだみたいなことを私たちは言い始めて、言ったらよその自治体に怒られたのです。ちょっとトーンダウンしたりとかしていますけれども、結局、B級グルメは商業とか観光業が盛んな地域は焼きそばとかをやっても結構盛り上がるのですが、うちなどは本当に稲作地域なのです。来てもらうと、ほとんど田畑なのです。こういうところでB級グルメをやると、農業者は必ず泣くのです。

    よく私、農水省とかに呼ばれて意見を言うときがあるのですけれども、農商工連携とか6次産業化というところで、うちと同じような田舎町で、米文化のところなのにたこ焼きをつくったりするところがあるのです。そうすると、農業者に余りメリットがないのです。

    だから、やはりA級グルメは稲作文化でしょうと、小麦文化ではなくて稲作文化だというところでやっていこうということを言い始めたのです。

    これを言い始めて、議会の皆さんとか、町の皆さんも納得をしてきてくれたのですけれども、1つ、A級グルメを中心とするビジョンをつくっていこうということで、農商工連携ビジョンというのをつくったのです。農商工連携ビジョンをつくったときに、数値目標を必ず置こうということで、3つの数値目標を置きました。

    これは、食と農に関する5名の起業家を5年間でつくろうと。それから、定住人口200名の確保。観光入り込み客100万人の確保ということで、3つの目標をつくろうということになりました。

    この農商工連携ビジョンの1つは、やはり地産地消を目指していこうと、滞留時間を増やしていこうと。当時、A級グルメをやる平成16年ごろ、これだけのいいものが結構あったのです。これを、人口が少なくなってくるから、外貨を獲得していこうということで、外に物を売りに行こうということで、東京とかシンガポールに私たちも行き始めたのです。すると、これはちょっと難しいなということに2つ気づいたことがあるのです。

    1つは、邑南町のような1万人の町で、東京のような首都圏に販路を持つと、ロット数が間に合わないのです。多分、東京とかで売り出しているのは県単位でやっていかないと、自治体とかでやっていっても、うちのように1万人規模の生産者が頑張ってやってもなかなか難しいということに気づきました。

    それと、もう一つは、キャビアとかもPRしていくと売れていくようになってくるのです。売れてくるようになると、田舎の生産者が、最初は東京なんかに行ってもなと言っていたのですけれども、だんだん東京で評価されてくると、やはり東京だね、邑南町とか近隣の広島では売りたくない、東京とか海外にお酒も持っていきたいねと言い始めるのです。そうすると、それだけでも量が少ないのに、どんどん外に持っていくと、邑南町でいいものが出回らなくなってくるのです。

    私が東京のビッグサイトで生産者を集めてフェアをやるのですけれども、フェアをやったときに、何をやっているのかなというと、私はバイヤーとして生産者とつないでいるだけなのです。そういったときに、行政が本当に求めているものは何なのかというと、邑南町に観光に来てもらいたい、住んでもらいたいということが1つの考え方なのに、何か違うような動きになっているなと感じたのです。

    それで、交流時間、滞在時間を延ばしていくことが、邑南町の町や地域の活性化になるし、産業の振興、雇用の創出、起業家の育成になっていくのだなと思いました。

    それで、この3つの目標をやって、3年が過ぎているのですけれども、5名の起業家が、結果的には今、24名町に起業家が出ています。定住人口が200名なのですけれども、128名。100万人の観光客が80万人だったところが今、91.5万人ということで、A級グルメということを打ち出して、お客さんが来てくれています。

    5年間で5名起業と言っていたのが、3年間で24名というのはうそだろうみたいに思うのではないですか。実は、ここはちょっとみそなのですけれども「創造的過疎」というタイトルをつけたのですが、私のイメージは、先ほど言ったように、月曜日から金曜日まで働いて、土日休むというのが私の固定観念だったのです。だから5名の起業家といったのですが、起業した人を募集してみたらぼんぼん来るのです。来た人の中を見ると、農家民泊とか農家レストランとか、そういう方が非常に多いのです。農家民泊とか農家レストランはいつやっているのと言ったら、レストランは土日やっている、私も起業しましたと言うのです。民泊も、お客さんが来るときだけやっています。うちは県で特区をとっているのでやりましたとか、あとは農業をやっていますという60代のおばちゃんたちが非常に多いですね。だから、それが専業ではない。

    もっとすごいのは、彼女みたいに若い女の子たちが移住してきて、レストランを開き始めたり、民泊をやったりするのですけれども、レストランだけでは食えないのですね。だから、冬はスキー場に行ったり、農業をやったり、福祉の仕事をしたりしてやっているのです。

    私から見ても、うちのおふくろに言わせても、めちゃめちゃ苦労しているねと言うのです。レストランやりながら、福祉の仕事もやりながら、農業もやりながら、大変だねみたいな感じに私は思って、本人に聞いてみると、それがすごく幸せだと言うのですね。そうなの、どうして。俺だったら月に1回ぐらい家族と外食行きたいし、年に1回ぐらいは、島根ですから、東京ディズニーランドとか、家族旅行みたいなことをしたりするのが僕の幸せの概念なんだけれどもなと思ったんだけれども、彼女たちはそういうことは全然いいというのです。それよりも自分の好きな田舎でやりたい農業をやって、自分のつくった野菜を料理で出して食べてもらうことがすごくうれしいとか、神楽という郷土芸能があるのですけれども、それをやりたいとか、それをやるために仕事はやっているみたいな。

    だから、人の幸福の価値観はちょっと違ってきているなと。そういうことは、多分、田舎だから起こっているわけではなくて、全国的に今、若い人のニーズになってきているのかなと思うのです。

    そういう中で、都会でそういうことができるのかというと、なかなか難しいのではないかなと。逆に、地方だったら耕作放棄地と知恵を持った高齢者がいますので、いろんなことが地域資源に変わって、若い人たちがクリエーティブな発想で仕事ができるのかなと思います。

    これだけインターネット環境も十分充実していますから、デザイナーの方とかも結構移住してきているのです。いろんなデザインをやって、農業をやって、2つで食っていくんだみたいな方もいますし、いろんな起業のスタイルがあるんだなというのが、都会よりもクリエーティブにできるのではないかなと思っています。

    そういう中で、私がA級グルメをやり始めたときに、16年に合併してからずっとやっているわけですけれども、まず最初に、産直市ができています。ここで、3億の農産物の売り上げができたわけです。それまではJAに系統出荷だったのだけれども、農家の方が自分で値段を決めて、自分で所得を得る喜びを知ったのがこのときだったのかなと思うのですが、それまでは、65歳以上のおじいちゃん、おばあちゃんは何をしていたかというと、野菜づくりをやめていたのです。農協に出してもしようがないしみたいな形で。だけれども、自分の商品を気軽に出せる産直市ができてからは、結構野菜を出すようになった。

    それまで何をやっていたかというと、野菜づくりをやめてゲートボールをやっていたのです。役場の職員はゲートボールの審判とかに土日は駆り出されていて、私なども免許を取りに行かされて、ゲートボールのことがわからないなんて役場職員ではないという感じだったのだけれども、今は役場職員でゲートボールを知っている人はいないです。お年寄りの方もゲートボールをやっている人はいない。みんな野菜をつくっていますね。あれば産直市に出していこうと。今は産直市は島根県で一番の売り上げですね。3億売っています。

    そのおじいちゃん、おばあちゃんが野菜をつくってくれて、当然、店員が要るので、店員は20名若い子が働きます。最初は私が担当だったので、私とパートのおばちゃん2人ぐらいでやっていました。今は20名の若い方が働いています。

    この若い方もそんなに給料は高くないのです。何が楽しいかというと、仕事が終わった後の神楽が楽しいとか、スキーが楽しいとか、あと、農業をやって、自分もおじいちゃん、おばあちゃんから習って産直市に出して、自分で値段を決めるのが楽しいとか、友達同士で古民家を借りてレストランを休みの日にやるとか、結構楽しそうにやっているので、いろんな楽しみ方があるのだなと思いました。

    もう一つ、産直市をやると、値段が安いものは結構売れるのですけれども、うちのこのキャビアとか石見和牛とか高いものは全然売れないのです。どうしたかというと、その当時、ネットショップをやってみようということで、自治体では全国で初めてインターネットショップを開設したのです。開設したというのは、役場にパソコンがあって、私がただ注文を受け付けていただけなのですけれども、開設したのです。

    やった最初の平成17年は300万円の売り上げしかなかったですけれども、今では3,000万ぐらいに売り上げが上がっている。平成22年ですね。今、民間のクリエーターの方が継続してやってくれていますが、これは高いものが結構売れるようになって、若い人たちもインターネットショップもやれるようになってきたと思います。

    ただ、問題は解決されなくて、このネットショップで売れるのが、石見和牛しか売れなかったのです。9割が牛肉だったのです。ほかのものは全然売れなかったのです。今もそういう傾向なのですが、それはそれでよかったと思います。3,000万の売り上げで300円のしょうゆが売れると大変なことになってしまうのです。牛肉だと1個1万円ですから年間3,000個出せばいいので、発送作業とかは非常に少ない人数でできるので、単価の高いもののほうがネットショップは向いているなと。

    それと、道の駅でやるから余り在庫を抱えなくても、生産者の方が道の駅に納品するときに、注文があると持ってきてくれるのですね。田舎でネットショップをやるのだったら、道の駅とかそういうところでやったほうが、ものが集まりやすいのでいいかなと思います。

    次に、ただ、生産者はキャビアとか牛乳とか、非常にこだわったいいものをつくっている人が多いので、こういったものを何とか売ってほしいということで、何とかならないかという会議をしたのです。

    そのときに、生産者の方が、有名人にお墨つきをもらったら売れるのではないかみたいな意見が出ます。そうすると、みんなそれに乗ったのです。それはいいと。邑南町出身のタレントはいるかというと、いなかったのですね。どうすればいいんだと、役場に頼もうと、役場には僕しかいないではないですかという話で、おまえ何とかなるだろうと、田舎は、役場は何でもできると思ってしまうのです。

    私は全然タレントの方を知らなかったので、役場の前の本屋さんに行って、タレント名鑑というのがありますね。そのタレント名鑑を買って、一個一個電話をし始めたのです。そうすると、3日間ずっと電話しているので、上司が、おまえちょっと休んだほうがいいと気を使ってくれるのですけれども、何とかやらないとということで、電話をしまくったところ、平野レミさんのマネージャーさんが、話を聞いてくれるということで、東京に行ってお願いしました。それで町長にお願いしまして、予算を出してもらえまして、1回だけだぞということで「Oh!セレクション」田舎の逸品というイベントをやったのです。邑南町以外の全国の田舎の逸品を平野レミさんらが認定ということをやりますと、認定制度がいろいろな報道に取り上げられて、特産品が売れてくるようになったのです。

    これでよかったよかったと、私も肩の荷がおりたなというところだったのですけれども、やはり問題は出てくるのです。どういう問題が出てくるかというと、売れ過ぎると、先ほどのこの話に戻りますけれども、町内に還元しなくなってくるのです。みんな東京にものを出したいと。田舎で売ってもだめだから東京の消費者だねと、高く買ってくれるところがいいねと生産者はみんなそう言うのです。だから、田舎で道の駅には出さないとか、インターネットはまだやるけれども地元では出さない、広島にも持っていかないというと、邑南町で食べるところがないではないかということを言われて、やはり先ほどと同じような問題になってくるのです。

    どうすれば一番いいのかなというところで、では、レストランをつくったほうがいいのではないかと。レストランをつくったほうがいいのではないのと言う前に、邑南町はその当時37店舗飲食店があったのです。飲食店を見ているときに、地元のものを使っている飲食店がほとんどなかったのです。野菜すら、道の駅がありながら、近所のスーパーで買っているのです。近所のスーパーを見ると、福岡のものとかいろいろあって、うちにもあるじゃんと言うけれども、ちゃんとスーパーの野菜がいいと言うのです。そうなのかなと私は思ったのですけれども、そういうのが10年前は平気であったのです。

    では、石見和牛を使ってくださいと言うと、石見和牛も腐ったら大変だからレトルトの肉のハンバーグとかのほうがいいんだよ、これは3年間保存できるからみたいな。そういうのが地方では当たり前なのですね。

    町長が議会で言ったのです。残念ながら邑南町に外から観光客を呼び込もうと、幾らいいものがあったって、食べる店がないということを議会の一般質問で答えたのです。その答えで私が呼ばれて、きみはいろいろ物販やって東京に行っているので、東京に何しに行っているのだと。行け行けと言っているから、頑張れと言われたから行っていたのですけれども、何しにおまえは行っているのかと。だから、東京に行って外貨を獲得しようと思っているのですよと話をしたら、おまえの考え方は違う、やはりこの考え方だろう。地域にお金が落ちないとだめだ、明日からレストランをつくる担当になれということで、レストラン担当になったのですね。

    レストランはどうやってつくるのか、レストランのイロハもわからないのですね。わからないのですけれども、とりあえずやれと言われたら、まだ若かったので、はいと言いまして、やることにしたのです。

    最初、1年ぐらいでできるかなと思ったのですけれども、できるまでに3年かかったのです。どうして3年かかるとかというと、行政は補助金を出して建物をつくるのは簡単なのですけれども、人材を、来てもらおうと思うと、非常に難しいのです。

    どういうことかというと、レストランだとシェフが要るのです。邑南町を見渡しても、田舎にシェフはいないのです。なので、まず、シェフが要るだろうということがわかったのです。わかって探したのだけれども、6年前、なかなか地方に行きたいというシェフはいなかったです。いろいろなところに行きました。ほとんど全国の、東京都内のいろいろなレストランに行ったし、地方の名だたるレストランにいろいろ話を聞いてみるのですが、誰も相手をしてくれないのです。邑南町も知らないし、そんなところにレストランあったっけみたいな話にされるのです。

    レストランはシェフだけではないのですね。よく調べてみると、パティシエというスイーツをつくる人とか、ソムリエという食事に合ったワインを出す人とか、結構専門家が要るのですね。私は料理をつくる人だけでできるのだろうと思っていたのですけれども、そうではないですね。結構人材が要るのです。私は建物をつくるのはなれていたのですが、人材に来てもらうのは行政はなかなか得意ではないですね。

    どうしようかと3年かかっていたのですけれども、何とか、私も結構いろいろなおしゃべりをしますので、東京に来て、いろいろな方に声をかけて、来てもらったのです。来てもらったシェフの人間、パティシエの人間、ソムリエの人間がそろうのです。そろうのですけれども、レストランがないから、私と一緒に役場で事務しないといけないのです。事務をすると、シェフの人はまずやられますね。今まで料理をやっていたのに、この請求書とか、下働きみたいなことをやっているので、いつレストランができるのですかと言うのですね。なかなかごまかしがきかなくなってくるので、たまにガス抜きで東京にレストランを借りてきて、1カ月に1回ぐらい邑南町のフェアみたいなことをやるのです。それをやりながら、私も店舗を探していたのです。なかなか空き店舗というのが、いっぱいあいているのだけれども、すぐできるという店舗がなかったのです。

    最悪、あるとき、東京から来たシェフが、もう自分も料理ができないなら帰りますと言うのです。私はちょっとやばいなと思って、役場の前に、私がいつも昼飯を食べに行くレストランがあるので、そこのおじさんに、おじさんのレストランは大体俺ともう一人ぐらいしかいつも来ていないだろう、こんなところやめたほうがいいのではないのと言ったのです。そうしたら、おじさんが、寺本君が言うならわかったと、貸してやろうと、私も喜んでシェフに、おまえ東京に帰らなくてもいいぞ、あそこでできるから、やろうと言ったときに、そういううわさは田舎だからすぐ流れてしまうのです。

    そうすると、今の酒蔵を使ったajikuraというところがあるのですね。香木の森公園というハーブの公園があるのですけれども、その公園で、まず、サクランボをつくっているのですが、サクランボを売る産直市をしていたのですが、サクランボは6月から7月ですから、誰が考えてもお客さんが1カ月しか来ないのですよ。1億もかけて酒蔵を移転してきてつくったのですが、お客さんが来ないのですね。来ないので、ここも空き店舗になると。役場の前でやるのだったら、こちらのほうが全然雰囲気がいいから、どうだと私に言ってきたのです。私はもう役場の前の店舗と約束しているから、そちらでやらないといけないなと思って、なるべくならシェフに知られたくなかったのです。でも、そういううわさってすぐシェフにまたわかるので、シェフはこちらでやりたいと言うのですよ。しようがないので、一気に2店舗一緒に4年前にオープンをして、やりました。

    要は、このレストランには、シェフとソムリエとパティシエとパートの何人かしかいなかったので、2店舗経営するのは非常に難しいですね。そのときたまたま総務省にいい制度がありまして、総務省の地域おこし協力隊という制度があったので、ここで、単なるレストランをするのではなくて、やはり邑南町の食材を、農業から料理まで一括して勉強してもらうようなシステムをつくっていこうということで、総務省の地域おこし協力隊を活用して「耕すシェフ」の研修制度というのを考えたのです。

    そうしたら、最初、とても邑南町には似つかわないというと失礼ですが、かわいい若い女の子がわっと来たのです。来て、仕事をやったのです。結構シェフも厳しいですから、なかなか仕事が続かないのですね。結構やめる子も多かったり、違うことをやっている子も多かったです。なかなか料理の世界は、私が描いているような美しい世界ではないなと思っていたのです。

    今では、ちょっと考えを変えて、東京の料理学校と協定をしまして、そこから若い人を送り込んでもらうようにしたのですけれども、今の若い人で、調理師学校に行ったらみんなシェフを目指しているのだろうと思ったら、ほとんどの方が、先生が言うには、違いますよ、みんな第1希望は、調理師学校の人気の職業は給食センターなんですよと。だから、イタリアンとかフレンチなんて余り人気ないですよと言うのですね。そうなんだ。だから、500人ぐらいいると、本気でイタリアンとかフレンチをやろうと思うのは10%ぐらいらしいですね。そのうち地方でそういうのをやってみたいと思う人はほとんどいないみたいなのです。

    だから、やはり魅力をつくらないといけないのですね。東京には多分いっぱいいいレストランがある。東京のほうがいいレストランがありますね。どうしてかというと、地方は、私もそうだったのですけれども、いい食材をつくったら、農産物をつくったら、必ず東京に持っていこうとするのです。だから、食材がいいのが集まるのは、都会になっているから、魅力あるシェフはみんな都会で仕事をしたくなるのですね。

    それはちょっとおかしいなと思っていたら、やはりおかしいのですよ。ヨーロッパは違うのですね。ヨーロッパは三ツ星レストランは基本的には、最近はいろいろな町にもできていますが、地方にあるらしいのです。三ツ星レストランというのは地方の片田舎にあって、それを食べたいからといって、観光客が来る。シェフはその食材を求めて地方に行くとなっているのに、日本はいいものができたらどんどん都会に送っていくから、自分たちの魅力ある食材、魅力ある資源をどんどん都市に送っていくから、わざわざ都会の方が地方に来る理由がなくなっていくのです。

    そういうことを考えると、やはりこのレストランは魅力あるレストランにしていこうと思ってやったのは、イタリアの商工会議所というのがあるのです。そこで、イタリアの郷土料理がちゃんとできるお店というものの審査を受けたのです。そうすると、認定店が50店舗あるのですけれども、9割が東京なのです。

    このように、魅力づくりをしていくと、料理学校の子供たちが、500人の中の全員が行きたいというわけではないのですけれども、料理を本気でやりたいといって、地方に行ってもいいよという子は結構やってもいいよとなってくるのです。ただ、みんなが魅力ある町をつくっていたら、若者がみんなわっと行くということは幻想の世界であって、レアな世界ではあるけれども、ちゃんと魅力づくりをすると、それに応えてくれる首都圏の若い方は結構いるのではないかなと思います。

    最後に、今、若者が何を行政というか、地域に求めているのかということなのですけれども、やはりまちづくりに対する方向性が明確であるということが大事なのではないかなと思います。

    それから、地域資源を生かしたオンリーワンの創造的な産業振興。

    ここが一番大事なところだと思うのですけれども、自分の活躍の場があるのかというところなのです。東京、大都市圏では何百万分の1の1人なのです。でも、邑南町に行ったら、とりあえず1万人の中の1人なのです。だから、活躍の場は絶対都会よりもあるわけです。ただ、それは先ほど言ったように、地方が魅力をつくっていかないと、なかなか何でもいいよというわけではないと思うのです。

    それと、徹底したアフターフォロー。やはり、冒頭に、今日入院した子がいましてと言っていましたね。彼女たちは頑張ってやっているのですけれども、メンタリティーは、ひとりで来ていますから、非常にさびしい思いをしたり、つらい思いをしたりするのです。そういったときに、アフターフォローをしないかと。ただ、べたべたおまえどうなんだとかとやっていても嫌なので、距離感がすごく大事になってくるのですね。

    ずっと私なども、この仕事を、役場に入ってもう10年以上やっていますけれども、若い子と触れ合うときに見ているのです。見ているけれども見ぬふりをしているのです。何か体調を崩したり、メンタル的に落ち込んでいるときはしっかり対応してあげるのだけれども、それ以外は余りかかわらないということはないのですが、接触しないほうがいいのかなと私は思っています。

    多分彼女は今日ここに来るまで私とここで現場で会って、現場でお別れみたいな感じの接し方なのです。余りべたべた、おまえ俺がおらんとだめだろうみたいなことをすると、結構若い子は嫌がるし、でも、構ってほしい部分もあるのですね。その辺の部分が結構難しいところがあるのですけれども、田舎はそういうところが非常にアフターフォローができているのかなと思います。

    あと、協力隊が今、17名、2011年から受け入れて、定住する方は14名います。研修中は10名で、残った方が4名。町外に出た方は3名しかいないのです。でも、そのうち2人は県内です。本当に自分の町に帰った子は1人しかいないのです。こういう形で、実はディープに住んでみると非常にいいところだと思っていると思います。

    どういうところがいいのかを最後にまとめてみますと、A級というのはグルメだけではないですね。誇りがあるわけです。町が非常に好きとか嫌いとかなかなか、奥さんと一緒ですよ。おまえのことが好きだとか毎日言えなくなるとわからなくなってきて、うちの女房なんてという言葉になると思うのです。うちの田舎なんてとなるのです。だけれども、結構自分の町はいいところだと思っているのです。先ほど86.4%が満足していると。どういうことがいいことかなと思うことは、みんなが好きだということがあると思います。

    もう一つ、ajikuraというのが外の観光客向けの発信であるならば、うちのA級、誇りを取り戻してもらうために、今年の7月に保育園を改修して、食の学校という学校をつくったのです。何をしているかというと、郷土料理をもう一回みんなで勉強しようということと、若いシェフをつくっていこう、世界に誇れるシェフをつくっていこうということの2つをやっています。

    郷土料理を見直していこうと言っているのですけれども、東日本と西日本はすごく差があるのです。どういう差があるかというと、田舎だと素材はいいと先ほど言いましたね。料理も郷土料理はすごいのがあるかというと、実はそうでもないのです。どうしてそうでもないのかというと、私もおばあちゃんに聞いた話なのですが、戦争が終わったときに、疎開がありまして、すごく農産物が高く売れる時代があって、ほかの人が買う。お金が豊かになった時代があったのですね。そのときに、何を一番田舎の人は買ったかといったら、砂糖を買ったのです。砂糖がすごくぜいたく品だったらしいですね。

    結構市販のうま味調味料が大好きなのですね。今の60歳、うちの70歳の母ちゃんが大好きなのです。有機野菜をつくった、どうだとやっても、みんな調味料とかを振るんです。おいしいだろう、味が一定しているとかと言うのですけれども、うちのしょうゆ屋も嘆いているのです。おまえ、東京のほうの醸造学科を出てわかるだろう。アミノ酸を使ったらあかんだろうと。でも、これがないと田舎の人が買ってくれないのですよ、蔵元さんと。地域に愛されるためにはアミノ酸が必要なんですよと。えっと思うのですけれども、そういう間違った食文化というのが、特に西日本は戦後できてきているのです。

    今の80代、90代のおばあちゃんはちゃんと昔の文化を持っているのです。こういったものを今の60代とか70代の方に伝えていかないと、本当の邑南町の食文化が失われていくのです。そういったことをこの学校でもう一回掘り起こしていこうということ。

    やはりajikuraというところでレストランをやっていて、田舎でもちゃんとしたレストランができるのだという中で、1つは、今、外のいろんな人材がajikuraをやってくれているのですけれども地元の子で世界に通用するシェフをつくっていこうということで、世界料理オリンピックで金メダルをとった黒越というシェフに校長になっていただいて、毎週1回授業を子供たちにやっています。

    先週は、高校生のスイーツ甲子園というのがテレビ東京の番組であったのですけれども、全国580校の応募があって、うちの高校生が8校の中に残って、残念ながら優勝できなかったのですが、参加したりとか、いろんな、せっかく食材がいいのだから、その食を使っていい職人をつくっていこうという取り組みもやっています。

    こういった学校もつくって、A級グルメを普及していきます。

    こういった中で、人口が、合併したとき、社会動態19歳から64歳がマイナス70人ぐらい減っていた中で、いろいろなことをやっていきますと、がちゃがちゃやっていると、プラス20人増ている。来年が勝負、今年が勝負だと思うのですけれども、結局沈没船の中で水をかき出して一生懸命やっている町と、そのまま沈没ですねみたいな町では、多分、すごい差が出てくると思うのです。だから、一生懸命水をかき出していくほうが非常にいいのかなと思います。

    最後に、宣伝になるのですけれども、9月10日にさだまさしさんが「第二楽章」というアルバムを2年ぶりに出されたのですけれども、合併10周年ということでうちのイメージソングをつくってくれとお願いに行ったのです。そうしたら、黒越シェフと高校の同級生だということが判明しまして、よし、邑南町と縁もゆかりもないけれどもつくってやろうと、食材が豊かな地域で、邑南町に若者たちが帰ってくる歌をつくってあげようということで、「さくらほろほろ」というのが「第二楽章」の第3曲目に入っていますので、もしよかったらぜひ聞いていただければと思います。

    ということで、若者は田舎だからいい暮らしができるのではなくて、魅力ある町を自分たちもつくっていかなければいけないんだというところで、私のほうは、この話を終わらせていただいて、南原さんのほうに引き続き、実際邑南町で4月から来ていただいて、どんな生活、都市がどうだったのか、田舎がどうだったのかということをお話をしていただければと思います。ありがとうございました。

  • 司会 寺本様、ありがとうございました。

    それでは、次に、第4期地域おこし協力隊「耕すシェフ」研修生南原さんにお話をお伺いしたいと存じます。どうぞよろしくお願いします。

  • 南原氏 初めまして。「耕すシェフ」4期生の南原悦子です。よろしくお願いします。

    「耕すシェフ」の活動を今から報告するのですけれども、まずは私のプロフィール紹介からしていきたいと思います。

    私は、広島生まれの広島育ちで、父が邑南町の出身で、邑南町は父の実家なので何度か来たことがあるのですが、先に両親が定年をして、邑南町へUターンをしたので、私はその後を追ってきた形になりました。

    私は食べること、料理することが大好きで、見た目のとおり、食べるのが大好きな感じなんですけれども、それと同じぐらいつくることが好きで、中学生ぐらいのころから、両親が共働きだったので、家でつくることが多くて、それを親が食べてくれたり、友達に食べてもらって、喜んでくれて、それをおいしいと言ってくれるのがすごくうれしかったです。

    料理人を夢見て専門学校から飲食店の道へ行ったのですが、高校生のころに、将来何をしたらいいか考えたときに、料理をするのが好きだし、もっといろんな料理がつくれるようになりたいなと思って、大阪の専門学校に行ったのですが、1年間でしたが、毎日いろいろと学び、楽しいときを過ごしました。それから、広島に戻って、飲食店で働きます。

    「都会で暮らす私」。都会というか広島なのですけれども、広島での生活は、やはり料理人になったからには自分の店を出したいなと思うようになって、店を出すのだったら、やはり広島に生まれて育ったので、広島で出したいなと思っていたんですが、現実は、夕方から早朝までの夜間勤務で、休みが少ない。休みは友達と遊んでストレス発散をするのですけれども、その分浪費が激しくなって、疲れるし、考える余裕もないし、家は寝るだけの場所という感じになっていました。

    忙しさに振り回されて、自分の店を持ちたいと思う気持ちとは裏腹に体はぼろぼろになって、お肌もぼろぼろになって、悪循環になって、楽しむ料理とは程遠く、日々をこなすだけで精いっぱいになっていっていました。

    先に両親が田舎にUターンをしたときに、親からは、あなたもこっちに来てお店を開いたら。私たちも一緒に手伝うよと言ってくれて、お父さんが「耕すシェフ」のことを知っていて、その募集中だからやってみなよという話をいただいて、すごく心配してくれて言ってくれたのがきっかけで、広島のときの生活を見直して、やはり楽しんでいないなと思って、本当にこれでいいんだろうかと思うようになっていって、田舎で暮らす両親のことを見てみたら、すごく楽しそうだし、すごく充実した生活を送っていてうらやましいなという思いもあって、そう決断することにしました。

    「夢の実現に向けて」。自分の店を出したい。そのためにはと考えたときに、みんなが集まれる店、人の輪をつくりたい。出店地域になれたい、根づきたい。「自分の時間」「考える時間」が欲しい。人として「豊かな自分」でいたい。やはり夢だけではなく現実も考えるようになりました。

    邑南町は、先ほども話にあったのですけれども、観光客がたくさん来てくれていたり、研修制度をとってくれて、役場の方たちもすごく親身になってくれて、町の人もすごくあったかくて、夢を現実にしたいという気持ちがより強くなりました。

    「耕すシェフ」の募集で、田舎で本格的な料理が学べて、経営まで学べるなんてすごくいいなと思って、ここだったら私の夢のお店を出すことにすごく近づくのではないかなと思って、応募させていただいたのですけれども、邑南町に来てみて、楽しいなと今は思っていますが、最初は友達もいないし、知り合いもいないし、両親だけですごくさみしかったんですけれども、住んでいくにつれて、役場の人たちもよくしてくれるし、町の人がすごく気にかけてくれて、ちゃんと食べているかとか、かわいがってくれて、そういうことがあって、今はすごく楽しいなと思えるようになりました。

    昔は苦手だった野菜が食べられるようになったり、つくり手さんを見ることができるし、「人」を感じることができる。家族と一緒にいることができる。自分の時間があって「考えられる」。やっていることが夢の実現につながる。

    邑南町の野菜は本当においしくて、野菜が余り好きでなかったのですけれども、邑南町に行ってからはイチゴのように甘いトマトがあったり、生で食べられるトウモロコシがあったり、素材をそのまま感じられることがすごく感動して、それをつくっている人たちもすぐに会いに行けて、どういう気持ちでつくっているのか話を聞けるのも、すごくいいなと思いました。料理人をしていると、つくっている人を見られるというのはすごくいいことだなと、重要なことなんだなと思えるようになって、生産者さんとの会話の中で、こういう野菜をつくりたいとか、こういう野菜をつくってほしいという話ができるのも、すごくいいなと思えるようになりました。

    研修生が住める女子寮があるので、そちらに今はいるのですけれども、寮にいると、自分のやりたいこととかすごく考えられる時間がもっと増えて、同じ時間を広島で過ごすのと、邑南町で過ごすのでは、余裕がすごくできて、将来何をしたいかとか、そういう話をできる人も多いので、すごくいいなと、夢の実現につながることができるのかなと思いました。

    今、ajikuraで料理を担当しているのですけれども、地元の食材を使って、先ほど言っていたA級グルメの。地産地消を学んでいます。今は料理長にいろいろ教えていただきながら、食材をどう使ったらおいしくつくれるかとか、食材一つ一つもつくり手さんが違うと味も違ったりするので、それをどう生かすかというのを料理長に教えてもらいながら、すごく楽しくやっております。

    先ほども言ったのですけれども、生産者さんとのつながりがすごくいいなと思って、将来、自分の店を出したいので、そのためにも今のうちに生産者さんと仲よくいろんな話をして、うまくやっていけたらなと思っています。

    私の目標は、研修終了後の3年後と半年で出せたらいいなと思っています。お店は両親が私にやりたいと、お母さんはパンをつくりたいからパンを担当すると言ってくれて、お父さんは何もできないので、いるだけになると思うのですけれども、草刈りが得意なのでそうやってもらったりとかして、家族でお店が開けたらいいなと、今、夢に向かって奮闘中です。

    最後になるんですが、ぜひ、自然とチャンスがあふれる邑南町にお越しください。

    御清聴ありがとうございました。(拍手)

【質疑応答等】

  • 質問者① どうも、貴重なお話ありがとうございました。

    「耕すシェフ」の研修制度なのですけれども、内容はこちらのパンフレットを見ると、農業の関係から実際の調理の話まで幅広く3年間で学ぶということなのですが、どんな内容をどんなボリュームでやるのかというのを教えてもらえますでしょうか。

  • 寺本氏 まず「耕すシェフ」なのですけれども、名前が「耕す」というところで、農業というところのイメージがすごくあるのですが、最初につけたコンセプトでいうと、文化を耕すとか、町を耕すという意味合いの「耕すシェフ」というところでやっています。

    実際、どういうことをやっているか。レストランの隣にハーブ園があり、ハーブ園も観光協会がやっていまして、そこには240種類のハーブがあって、全国でも一番種類が多いのですが、料理にはそういうものを結構使うので、そういう栽培をやったりします。

    もう一つは、有機農業ですね。レストランで使う野菜ですね。そういったものをつくっていますけれども、実際、今、彼女たちが、私がコンセプトをつくったときに、農業か料理が勉強できればと思ってやったのですけれども、実際、料理をやっていると、なかなか農業は難しいので、「耕すシェフ」の中で専属でアグリ女子という女の子が1人おりまして、その子が基本的には中心に維持管理をやりながら、彼女たちが栽培とかは手伝っていくという形で農業はやっています。

  • 質問者① では、基本的には料理を中心に、専門学校で学んだりとか、そこで実際にシェフから実地でOJTで学びつつ、実際に農家の方たちも近くにおられるので意見が聞けて、非常に食材についての知識も深まるし、知識も都会の学校で学ぶより学びやすい環境ができているという理解でいいのでしょうか。
  • 寺本氏 そうなのですけれども、面接のときに、どちらがやりたいのかというのを聞くんですよ。農業をやりたいと言うと、農業のほうに7割とか8割行かせる。結局専門学校の子が多いので、現状としては1人が農業のほうをやりたいと言っていますが、あとの5人はみんな料理のほうをやりたいと言っている。ただ、基本的には農業のほうもやってもらおうということなので、3割ぐらいは農業という形で、比重をちょっと分けています。
  • 質問者① わかりました。どうもありがとうございます。
  • 質問者② お忙しい中、ありがとうございました。

    寺本さんにお聞きしたいのですけれども、調理専門学校の協定による優秀人材とかは、具体的にはどんな協定が結ばれていて、年間に説明会か何か実施するとか、具体的なイベントがあったりとか、もしあれば教えていただければ。

  • 寺本氏 地域おこし協力隊は総務省さんの事業で「耕すシェフ」をやっているのですけれども、地域おこし協力隊は、安倍総理が1,000人を3,000人にふやすとか、島根に来られたとき私たちも聞いて、おおと思っていたのですが、実は、実情的に言いますと、いっとき、めちゃめちゃ来ていたのですが、東京が景気がよくなったりとかして、余り来なくなってきたり、地域おこしをしようという人が一巡してしまったのではないかなと言われているのです。定住提案を東京でやるのをみんな出ているのですが、ほとんど閑散というか、来ていないような状況なのです。

    そういった状況の中で、うちは、そういう状況だから、人が来ないから、専門学校と協定しようと言ったわけではないのですけれども、今、ちょっとお話もしたように、料理をやるって、農業と料理はめちゃめちゃハードなのです。やるとみんな、軽い気持ちで地域おこしと来ると、朝も早いですし、夜も遅いし、みんなやめてしまうのです。なので、料理学校とということです。

    料理学校でどういうプログラムでやるかといいますと、まず、4月にオリエンテーリングということで、渋谷に大きな体育館か何かに生徒全員を集めてもらって、こういう話をするのです。それで、興味をもった方が、10月の最後の週、料理学校から大体8人ぐらい、先生と一緒に1週間ぐらい邑南町に来て、勉強してもらうのです。その後、試験をして、次の年から採用していくという流れでやっているので、募集はことしも、東京だけではなくて広島の料理学校ともやっているのですけれども、こちらの方はもうオリエンテーリングが終わって、実習も終わって、今年は5名希望者があって、来週の9月26日に試験をする。東京の方はちょっと遅いという感じで、段階的にやっているのです。人材は結構安定的に来ています。

  • 質問者② ありがとうございます。

    採用されたときに、町から専門学校に特にお金をお支払いされてはないのですか。

  • 寺本氏 全くないです。

    採用のポイントは、まず、定住するのか、起業するのか、ということです。

  • 質問者② ありがとうございます。
  • 質問者③ 1つお伺いしたいのですが、次世代に対して非常に開かれた町といいますか、青少年も小中学生、高校生がいると思うのですが、誇りを持ったり、愛着心を地域にというのは従来から言われていることなのですけれども、このテーマとはずれると思うのですが、地方創生の中で子供も有力な資源だと思うのです。対象としての資源ではなくて、子供自身が地域の資源ですから、今、構想の中でいろいろなさっていると思うのですけれども、そういったことに対して子供がまちづくりに参加するといいますか、そういうことの具体的な活動あるいは課題について、ちょっとお考えを聞きたいと思います。
  • 寺本氏 基本的に、子供を増やしていかないと人口は減っていきますので、子供はすごこく大事だし、増やした子供を都会に出してしまうと、増やしてもみんなが東京に行ってしまうと意味がないので、地域に残ってもらうことをどこかでやっていかないと。

    ただ、洗脳して、逆に、都会に行ったら怖いおじさんがおるからだめだみたいな話をして、小さいころに植えつけたら出ないようになるかもしれませんが、余りいい人間になっていかないです。一回は都会に行ってもブーメランのように帰ってきてくれるような教育をしていかなければいけないというところは、非常に大事だと思うのです。

    うちは公民館が地区に全部ありまして、全部町の職員を置いているのです。地域学校という学校をつくって、地域のよさを常に職員が、いろいろなことをやりながら全力で、例えば食とか郷土芸能とかをずっとやっていて、今日はうちの子供なんかも宿泊合宿とかに行って、家から離れて地域の公民館に泊まって勉強したりとかして、小さいころにそういう経験をするのは、地元に触れるというのは都会の子よりも格段に多いと思います。ただ、勉強はほとんどしていないですね。

  • 質問者③ 南原さんのように広島から帰ってくるルートもあるし、都会に出ても、今、言うようにUターンをする子供がいれば、むしろそこでキープをできれば都会に出なくてもその地域にとどまって、地域の一員としてかかわりたいという、さまざまなルートがあると思うのです。

    その辺を育てるためには、現にいる小中学生が今、公民館でいろいろされていますけれども、参画型、もう少し自分が地域にいろいろ参画できるような活動の具体的なものがあれば、もっと都会でなくても地域にとどまる次世代の子供があらわれるのではないかなと、これはある意味では期待ですけれども、その辺について、今後どのように展開されるのかを期待しております。

  • 質問者④ まず、寺本さんにお伺いさせていただきたいのですが、レジュメを拝見すると、海外からも認定されている邑南町の取り組み、すごく驚嘆いたしました。

    ある意味、どういう魅力ある地域づくりをしていくかということは、青少年の健全育成をしていくという観点とか、あるいは困難を抱えている若者を支援していくという観点でも、いずれにせよ地域に定着してということだと、魅力ある地域ビジョンをつくっていくことは、本当に両名にとって大事なことだなと思いました。

    今後の展望というか、いわゆる企業秘密的なところもあるかもしれませんけれども、差し支えない範囲で、今後またどのようなビジョンをお持ちなのかなということとか、あるいはまた、国の行政機関の職員もおりますので、国に対する御意見とか御要望なども、今、政府の重要課題と位置付けられていますので、忌憚のない御意見をお聞かせいただければと思います。いかがでしょうか。

  • 寺本氏 先ほど先生も言われたように、子供の教育はすごく大事になってくるのだと思うのです。

    邑南町は高校まであるのですけれども、私のころは、「将来邑南町に帰りたい人」といって、私も含めて多分誰も手を挙げなかった。今、私は結構高校に呼んでもらって授業とかでも話をするのですが、必ず聞くと、90%の人がこの町に帰りたいと手を挙げる。どうして帰れないのかというと、仕事がないというのです。仕事がないといって、私は役場がありますから、仕事がないわけではないのです。求人は1.1倍、1.2とか1.3を超えているぐらい仕事はあるのです。何の仕事があるかというと、一番多いのは福祉ですね。それから、土木。災害もありましたし。そういった仕事は非常にあるのです。

    仕事がないというのはうそなんですね。あるんです。そういう仕事を選ばないという部分があるのです。ただ、今日も言ったように、なぜ飲食店をやらせているのかという話、南原さんも、多分3年プラス半年で起業とあるけれども、いろいろな起業家が町内にいるから私はずっとつき合って見ているのですが、結構うまくいかないのです。1万人の町ですよ。飲食店。ajikuraは結構メディアとかで注目されてお客さんが来ているけれども、ほかの起業した飲食店でうまくいけるかといったら、そうでもないのです。

    では、実際、経営状態を見て、言っていないけれども、結構みんな生きがいを持ってやっているのです。それはどういうことかというと、先ほど言ったように、意外に営業日数が少ないのです。土曜、日曜とか、金土日とかでやっているのです。それでこだわりのものをつくっているのです。ほかのときに働きに出たりとかするのですね。

    結局いいものをつくろう、真面目にいいことをやろうと思うと、ずっとできない。短期間集中とかやっていかないと。では、そこで収入が出るかというと、ほかでも収入を得ていかないといけないとなってくる。先ほど言ったように、いろんなスタイルで、多種多様な稼ぎ方、暮らし方をつくっていかないといけないのかなと思うのです。福祉をやっていても、福祉は嫌いだけれども、何かほかに楽しいことはないのかと聞くと、神楽が楽しいですと言えたら、神楽と福祉とかでどうなのとか、いろんな創造的な仕事を私たちがつくっていかないと、いつまでたっても都会のほうが魅力的だなどということになってくるので、そこら辺のところを改善していくことが非常に大事なのかなと思います。

  • 質問者④ ありがとうございました。南原さんのほうにお伺いしたいと思います。

    都会のほうでは得られないやりがいをお感じになっておられるようで、それが率直に伝わってきて、本当にいいなと思いました。

    私も2年前まで広島市内で勤務をしていて、広島市内に住んでいて、確かに都会で生活をするということのよさもあるけれども、しんどさというか大変さもあるということで、実感を持ってお伺いできました。

    あと、将来のお店の夢のお話があったと思うのですが、もし具体的なビジョンとか展望みたいなものがあったら、補足的にお話をお伺いできればと思うのですけれども、よろしくお願いしたいと思います。

  • 南原氏 店は、今まで洋食が多かったのと、今もイタリアンなので、洋食をやりたいなというのはあるのですけれども、みんな地域の人たちが集まって話をできるような場をつくりたいと思っていて、ajikuraはちょっとかしこまった感じの料理とかになるのですが、私が出したいな思っているのは、みんなが集まって、しゃべって、笑って、いろんな話をできるようなお店ができたらなと思っています。
  • 質問者③ ちょっと今のに関連してよろしいですか。

    ajikuraのお店、私はよくシェフなんかといろいろなところに行って、かなり舌の肥えている人たちが行くのは、どういう村とか町は関係ないのです。そういうお店がそこにあるかないかということがあると、すごく観光の1つの資源として、そこへ年間行く人が随分多くなると思うのですよ。地域の人たちにとってのサロンも1つの目的ですけれども、もう一つ収入を上げたり何かをする場合は、もう少し広島からも、あるいはもっと言えば他県からも来るようなものは、また町の品格ということもないでしょうが、それをレベルアップしていくということもあると思うので、その辺をちょっと、将来の調理長さんから夢を語っていただきたいと思っています。

  • 南原氏 町民さんだけでなく、広島からも、県外からも来てほしいなという思いはすごくあります。なので、今も生産者と仲よくさせてもらっているので、邑南町の野菜を使ったり、米を使ったり、それで邑南町に遊びに来てもらって、御飯を食べるところがあって、こういう野菜があるとか、本当に野菜がおいしいので、それをわかっていただけるようなお店にしたいなというのがすごくあります。
  • 質問者③ ありがとうございました。
  • 質問者④ ちょっと事情がわからないので失礼な聞き方になってしまうかもしれないのですが、今日のお話は東京でお話しされているからかもしれないのですけれども、県外から人に来てもらってという感じのお話に聞こえたのですが、地元の若い人は、お役所が県外の人だけ応援しているように思わないのかなと思ったりして、例えば私の活動している地域でいうと、地域おこしみたいなものがあったりして、中山間地域に住むという制度があるのですよというのがあって、地元の子が利用しようとすると、地元の人はだめなんですよと言われて、市内の人はだめなんですよみたいに言われて、そうなんだとなって、外から来た人だけ応援するみたいなところを感じて、うちの学生などはがっかりしたりとかするのです。

    かわいい女の子が来たりすると確かにそういうことがあると思うのですが、そういう意味で、地元の人のための機会が対等に用意されていると地元の方が感じておられるのかなとか、あるいは、実際問題、仕事の量がある程度一定のところだと、県外から人が来られると、自分たちの仕事は大丈夫かなということが上がってきたりとか、もちろん、行政としてマクロで人口動態を見て、もっと人が来てほしいなということだと思うのですが、これだけ生活満足度が高ければ、これでいいのではないかみたいなところもあると思うし、そんなことが実際ないのかなと思ったのが1点目です。

    1点目に関連しておくと、例えば県外の人といっても、南原さんみたいに実はゆかりがある人柄多くて、そんなに問題ないですよということも違うかなと1点目については思っています。

    2点目は、私はもともとニートとひきこもりの支援をずっとやっているのですけれども、有名なデータで、とある町だと稼働年齢層の10人に1人がおうちにいるということで、大量の人が地域では実は外に出てきていなくておうちの中にいるということが知られているのですが、邑南町の場合、具体的な数がどうということはわからないのですが、私活動していて、相当な人が実はおうちの中にいるのではないかと思っているのです。

    そういう方々に対してこういう動きというのは、どんなインパクトを与えていくのかなと、インパクトを与えようとしてこういう構想があるよとか、こういう筋道を考えているよということがあれば、教えていただきたい。

    この2点です。

  • 寺本氏 まず、地元の人はどんな反応なのかですけれども、協力隊に関していうと、ちょっといいよねというのは確かにあるかなと思います。
  • 質問者④ 特に若い同世代の人のリアクションが知りたい。
  • 寺本氏 ただ、町民気質なのかもしれないのですけれども、とにかく人が来るとうれしいみたいな。とにかく誰か来ちゃうんだったらめちゃくちゃうれしいみたいな。うちのおふくろなんか舞い上がりますよ。若いだけでいいみたいな。
  • 質問者④ 年上の方は大部分がそうだなと。
  • 寺本氏 若い子もですね。何かすごくそれがよその町、よその県とは違いますね。

    確かに子育ての無料とか、そういうものも充実しているので、地元の人も結構恩恵はあるし、町営住宅も結構つくっているので、それなりに満足されていて、問題点は若い人がいないというのが、すごく地域のみんながさみしい。若い人も高齢者も含めて、若い人にもっと来てほしいというのがあるので、Iターンされるとすごく地域にウエルカムという感じはあるので、よく文句が出ないですねとか、視察が来られるとよくそれは言われますね。住民の方がすごくそういう気質なのかな。

    それともう一つは、今のひきこもりというところで、私も福祉の方をしたことがないのでわからないのですけれども、邑南町はやはり仕事がなかったのです。農業が産業の町で、昭和40年代に何か雇用づくりをしようということで、企業誘致という概念をせずに福祉の町ということで、福祉の事業所を県からいろいろ誘致して、県立の養護学校とか老人ホームとか、知的障害者の施設とかを誘致したのです。四ツ葉の里という障害者施設があるのですけれども、それは大体1家に1人はそこの職員がおると言われていて、役場も直営で持っていまして、私も最初に役場に入ったときは、知的障害者施設の支援員を1年~2年やっていて、うちの園にも心の悩みを持たれた方、障害を持たれた方、結構重複して障害がありますので、そういった方たちも家に遊びに来たりとかして、泊まったりしているのですよ。結構それを普通にやっていて、お祭りなんかも一緒にやったりするので、そういった土壌がもうあるので、ひきこもっている人は余りおらないと思うのです。結局そういう方を常に一緒に、かなり意識が高い町民性というか、職員が結構家におるので、それは余りないような感じ。実際にデータを持っていないからわからないのですが。

  • 質問者④ ありがとうございます。

    ちょっと余談ですけれども、誰かと、誰が地の人か地の人じゃないかという話になったときに、江戸時代から住んでいるかどうかで人をわけていて、昭和の初期に入ってきた人もかなり肩身が狭く生きているのですね。それがわかったので、私などは大変気をつけなくてはという感じが。でも、住みやすいは住みやすいのですけれども、みんなそう思っているということは自分のところで気づいたので、ちょっと違うかもしれませんね。

  • 寺本氏 うちの家は8人家族なのですけれども、朝飯を食っているときに、隣の人とか知らない人が朝御飯を食っているのですよ。
  • 質問者④ 知らないということは、地元の人ではないかもということ。
  • 寺本氏 泊まりに来たりとかした人が来て食べているのです。誰だろうかと思ったりとか、夜もどんちゃん騒ぎをやって、病院に行った話をしたかもしれないけれども、入院するといったら何か持っていかなくてはいけないと、近所の人たちが来たりとか、結構おもしろいというか、よその町、県の人から見ると、邑南町っておもしろいところですよね、と。
  • 質問者④ ありがとうございます。わかりました。