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平成24年度青少年問題調査研究会
第1回 講演録

日時:平成24年8月31日(金)18:30~20:30
場所:中央合同庁舎4号館 共用220会議室
講師:中央大学文学部教授 山田 昌弘 氏
テーマ:「現在を生きる若者たちの現状~若者の育成支援施策の課題は何か」

内閣府子ども若者・子育て施策総合推進室


  • 司会 それでは、時間となりましたので、平成24年度第1回「青少年問題調査研究会」を始めさせていただきます。
    本日は、中央大学文学部教授の山田昌弘先生をお招きしております。
    まず最初に、山田先生より、約1時間半の御講演をいただいた後、質疑応答の時間を30分ほど予定しております。
    それでは、早速ですが、御講演をお願いしたいと思います。
    題目は、「現在を生きる若者たちの現状~若者の育成支援施策の課題は何か」です。
    それでは、山田先生、よろしくお願いします。
  • 山田氏 こんばんは。ただいま御紹介にあずかりました、中央大学の山田昌弘でございます。今日は若者事情ということで話してほしいと言われていますので、それで話そうと思っております。
    もう私は10年どころではないですね。1957年生まれで54歳で、今年55歳になるのです。今日、たまたま午後時間が開いたので、ブリヂストン美術館にドビュッシー展というのを見に行ったのですけれども、ドビュッシーは55歳で亡くなっているのです。ちなみに音楽家だったらベートーベンも50代で亡くなっているし、夏目漱石も50幾つかですね。結構生きたなと活躍している人であっても60歳前に亡くなっている有名人は結構多いわけです。ここまで長寿になったというのは、やはりここ20~30年の話で、それが逆に言えばいろいろなところに影響を及ぼしているかもしれないなと思っています。
    余り紹介は申しませんでしたが、知らない人も多いかと思いますが、私は家族社会学者でありまして、家族の問題をずっと研究しまして、大学では家族のことを教えているのですけれども、50年前はどういう家族だったというので、若い人はもちろん知らないし見たこともないと思いますが、小津安二郎の映画を見せてこうだったのだよというのを言っているわけです。特に御存じのように私は結婚問題等も専門ですので、当時の結婚はどうだったというのも見せているのです。
    『晩春』という映画が1949年の映画でありました。もう亡くなった笠智衆がお父さん役、原節子が演じる、お母さんが亡くなった27歳の一人娘がいて、とにかくなかなか結婚しない。今だったら平均初婚年齢29歳の時代に別に27歳で結婚しないのは遅いとは誰も言いませんけれども、当時の平均初婚年齢は23歳ですから、当時の若者の女性のうち大体23歳前に半分以上が結婚しているから平均初婚年齢が23歳になるわけですね。その計算はわかりますね。そのときに27歳といったら、当時の映画ですから差別語のオンパレードですね。「行き遅れ」とか平気で飛び交いますからね。お父さんが好きで、お父さんを1人で置いておくのは嫌だからなかなか結婚しない娘を、笠智衆役の大学教授であるお父さんがすごく説得するわけです。説得の中で、お父さんも57だ、もう先は長くはない、だからお前も早く結婚して自立しなければいけないのだぞと説得するシーンが出てくるわけです。
    私、54なわけです。うちにも一応成人した娘がいるのです。うちの娘に、もうお父さんは50半ばだ、いつ死ぬかわからない、早く自立しろとか結婚しろと言ったって、はぁとかへぇとか多分言わないと思います。うちの娘はかわいそうで小さいころから、お父さん、パラサイトシングルという言葉をつくったから、私はできないから自立しなければいけないのだと思いながら育ったらしく、どうなるかわからないですけれども。
    多分50~60年前は、成人するぐらいだと親が弱ってきて、頑張らなければ実際に親が亡くなってしまう、父親が亡くなってしまう可能性が高かった時代ですから、とにかく早く自立して早く結婚しなければだめだというような圧力が働いたのでしょうね。つまり、頑張らざるを得ない環境があったのでしょうね。
    長寿化が良いことか悪いことかわからないのですけれども、若者の定義もどんどん伸びてきて、若者、青年と言ったら幾つぐらいですかといって調査するのですけれども、昔は25歳とか30歳とか言っていたのが、もう今だんだん定義が伸びていきまして、結婚調査などでは35歳になってきましたし、大学の研究費の若手奨励枠というのも昔は34歳までだったのが今は39歳まで若手枠で応募できるみたいなことが行われるようにどんどん若者の時期が伸長してくるわけです。ただ、単なる伸長であればいいのですけれども、そうなのかなと思うのが最近の状況でございます。
    御存じの方もいるかもしれませんけれども、2004年に『希望格差社会』というのを出版しまして、びっくりしました。新聞の記者が私のところに取材に来て、山田先生に会いたかったのですとかと言われて、ありがとう、どうしてと言ったら、高校時代に『希望格差社会』を読みましてと。高校時代に『希望格差社会』を読んだ人がもう新聞記者になって取材に来るようになったのだ。もう私は年を感じてしまいましたが、本当は私みたいな人が第一線でこういう議論をするということ自体が本当はおかしいなと思うのです。
    最近は社会学者である古市君が頑張っているみたいですけれども、でも、まだまだ私の役割があるようなのですが、2004年に『希望格差社会』という本を上梓しまして、これが結構話題になったわけです。そのときに言ったのは、あるカナダの社会心理学者の言葉ですけれども、希望というのは努力が報われると感じるときに生じ、努力が無駄になると思えば絶望が生じる。今までは、とにかく努力すればそれが何らかの形で報われると来ていたのが、2004年時点ですけれども、どうも今の若者の状況を見ていると、努力したら報われるような立場にいる人と、努力してもしようがないなと思える層に分解し始めているのではないか。それが当時のフリーター等が増えている状況を指し示していたわけです。
    当時のフリーター、夢を目指してと言われていた最初のフリーターですけれども、2004年ぐらいの時点だと、正社員になれなくて、幾ら非常勤の仕事を頑張っても余り将来の見込みがないと考える人たちが増えてきているという状況を見て、これは若者の間にどう見ても格差が生じているのではないかということで希望格差社会と名付けさせていただいたのです。
    それからもう8年たってしまったのですけれども、少なくとも私が見る限りにおいては、その格差が解消されたとはとても思えない状況にあります。『希望格差社会』で1997~1998年のアジア金融危機のときに自殺率がふえたという話をまくらに持ってきて、ただ、そこで自殺が増えたのは、リストラされた中高年のおやじだったわけです。つまり、今まで努力していってそのままゴールすると思われたのが、突如リストラされたり会社が倒産してしまったりして絶望に陥ってしまうというので50代の男性の自殺率が急増したというのが当時の状況でした。それから8年たってどうなったか。私は自殺者のデータというのは社会を表す重要なデータだと思っています。例えば30年前は、日本の高齢女性の自殺率は世界最高だったわけです。諸外国では男性の自殺率の方が圧倒的に高いけれども、日本では女性の自殺者が比較的高い上に高齢女性の自殺率が世界一高かったのです。それが30年たって激減しましたね。なぜかというと、要介護になったり働けなくなって、子どもに迷惑をかけたくないと思って自殺する高齢女性が減ったわけです。年金とか介護保険が整備されることによって、家族に迷惑をかけなくても生活できる状態の人が増えてきたので、高齢女性の自殺率は30年の間で驚くほど激減しました。これは日本の介護保険なり年金なり、高齢者に対する政策が実を結んだ成果だと思っております。そのかわり97~98年に増えたのは、リストラされた等の中高年の男性が増えたわけですけれども、今、減ってきています。今、心配なのは、若年女性と若年から30代男性の自殺率が増えてきていることなのです。もともとそれほど高くなかった若年女性の自殺率がじわじわ上がってきている。ここ5年、10年です。そして、それほど高くなかった30代、40代男性の自殺率がじわじわ上がり始めていて、だんだん50代の自殺率をしのぎ始めている。2004~2012年、8年かけて、絶望する人が若年層に移ってきているのではないか。もちろん相対的に言えば幸せを感じている人が多いのかもしれないけれども、結構その裏にいろいろな問題を抱え込んでいる人が増えている。どれぐらい増えているかというのははっきりとは言えませんけれども、少なくとも、格差が伴う中で増えてきていると思っております。
    リスクを取らない若者たち。特に2000年以降、いろいろな意味で若者が保守化している。保守化とは何かというと、革新意識を持たずリスクを取らなくなったと言いますけれども、日本だと保守・革新と言うと政治的なことでイデオロギー的なものにつきますけれども、いわゆる本来の保守と革新の定義というのは、保守というのは、今ある制度というものを変わらないと思ってその中で頑張ろうというのが基本的な保守の立場ですね。制度はとにかく変えない、今ある制度、慣習、システムというのはそのままで、そこで何とかやっていこうというのが保守。革新というのは、今ある制度というものを変えていこうというのが革新。つまり、例えば同じ生きにくさを感じていたとしても、保守的態度を持つ人たちは、今の制度の中で一番自分でいい道を探そうというのが保守的な人々。革新というのは、今の制度自体が今の息苦しさをつくっているのだから、その制度を変えなければいけないという態度です。
    どうも2000年までは革新意識が勝っていたような傾向があるのですけれども、もっと正確には多分2000年半ばぐらいですか、2003~2004年ぐらいのところから、どうもいろいろな数字が反転し始めたと思っています。この傾向が一時的な傾向なのか、継続的な傾向なのかわかりませんけれども、反転しています。
    後でいろいろな調査がありますけれども、図表で出せなかったのが恋人保有率と性体験率ですね。この前、日本性教育協会が行った、学生生徒の性行動調査の結果が公表されました。私は公表される前から知り合いを通じて結果を聞かされていたのですけれども、本当なのかと思ったのが、前回調査の結果と比べて大学生の性体験率が4分の3になった。この調査は6年ごとにやっていて、去年調査をやりました。2005年、2011年、大体は6年ごとにずっと続いている調査ですけれども、大学生の性体験率が2005年に男女ともほぼ60%だったのですけれども、2011年に女性45%、男性47~48%ぐらいまでに一気に低下して、これは大体1990年代前半の学生の性体験率とほぼ一緒になりました。つまり、年を取るごとにだんだんと右肩上がりで性行動に活発だったのが、どうも2005年~2011年の間に急減してしまった。
    周りの学生を見ていても、おとなしくなっているのです。彼女を欲しくないのかと言ったら、面倒くさいとか、面倒くさい以上のものがあるだろうかというのを言うのです。メイドカフェに行った方が楽とかという人も確かにいました。1,000円出せばアイドルのAKB48と握手できるのですからね。
    性行動が不活発化している上に、あらゆる行動が不活発化しているわけです。もちろん、キス経験率とかデート体験率もこの6年の間に低下しました。特に高校生の低下が著しいのです。去年あたりに厚生労働省で調査した時も、男女交際に関心のない中高生の男性が増えているという調査がありました。まだ中高生、大学生といったら経済的要因でもないような、そこが何なのかなと言ったら、全般的に何か新しいことを試みてやろうというエネルギーが低下していると思われるデータがたくさん出てきているのです。
    そういうことを言うと社会学の研究者から、山田は若者をばかにしているのか、と同じおじさんから叩かれるのです。だって、データでそうなっているではないかと言うしかないのです。では、何と言えばいいのですかと言ったら、そうさせられているのだ、とか言われますね。
    よく言われるように、海外旅行に行く学生が減って、多分質的にも変化しています。『地球の歩き方』という雑誌があって、実は私も30周年記念の研究会に出て、『地球の歩き方』という海外旅行雑誌をつくった人のお話を聞いてきたのですけれども、今もう若い人に個人旅行は売れませんねというのです。若い人はみんなパック旅行。なぜかというと、せっかく高いお金を払って見たいところを見られなかったらもったいないでしょうという人が多い。あと、中にはこういう人もいました。個人旅行を申し込んだのだけれども、親が1人で危ないところへ行ってはだめだと言ったという取り消しが多いという話も聞きました。統計的に多いかどうかわかりませんけれども、パック旅行だったら親が良いと言うみたいな形で行く人が増えたらしい。では『地球の歩き方』はだれが買っているか。私も買いますけれども、なんと私の世代です。つまり、私も大学院生のときにバックパックを担いで『地球の歩き方』を持って、大学院生だったということもあるのですけれども、今日はどこに泊まろう、明日はどこに泊まろうという旅を私の時代はしたのです。私が大学の先生になって1990年前半ぐらいには、私のゼミ生の中にもそういう学生はいっぱいいました。シベリア鉄道に行ってみたとか、紛争中のイスラエルに行ってイスラエル人とけんかしてきたという女性もいましたし、ホールドアップして身ぐるみはがされたという人もいたのですけれども。最近海外旅行といったら、パック旅行でグアムに行きましたとかというのが質的にも違ってきたような気がします。
    それも、数で言えばどうも2000年ぐらいがピークで、2000年から下がり始めている。もちろん、若者の数が少なくなったというのもあるのですけれども、それ以上に下がっている上に、質も変化している。
    留学生もそうですね。これもよく言われるのですけれども、海外に1年も留学すると就職活動に響くと言っている人も多いですね。だから1年生のときに留学させる大学も増えてきたというわけですし、さらに、多分数以上に質的な問題も大きくなっているのだと思います。お医者さんでクリニックをやっている友達と若者の話をすると、最近医学の世界もそうなのだよという話で、医者で留学する若い人も少なくなったというのです。彼も若いころ1年、アメリカに留学したことがあるのですけれども、最近そういう日本人の若手の医者で留学する人がめっきり減ってきて、もう中国人、韓国人ばかりだという話もありました。ハーバード大ではほとんど日本人留学生がいなくなって、韓国人、中国人に占められている。オックスフォードにアジア学科というのがあるのですけれども、そこでもアジア学科なのにもかかわらず日本人で応募してくるのは年に1人しかいないというような体たらくと嘆いていました。そのように留学者数もマクロ的に言えば減っています。
    仕事に関しても、安定志向が強まっているというのはいろいろなデータで確かめられるのですけれども、日本能率協会の調査だと思いますが、ずっと働きたいというのが大体今から10年前、2000年前後を底にして急上昇しています。生産性本部の調査でも、転職したいとか起業、エンタープライズしたいというような新入社員の数は減っています。ずっとこの会社で定年まで働きたいという新入社員の数が上昇しています。ほぼここ10年ぐらいの間でじりじり増えているという状況です。
    次に、専業主婦志向の復活というものがかなり強いものがあります。これは97年ピークですけれども、大体2000年を境にして、若い女性の専業主婦志向が反転して上昇してきました。内閣府等の調査でも、例えば男は仕事、女は家事に賛成か反対かという調査においても、反対が一番多いのは40代で、逆に20代の女性は賛成が増えていく。男性は逆です。男性は逆に、男は仕事、女は家事に反対というのが若い人ほど増えるわけです。また、国立社会保障・人口問題研究所の未婚者調査においても、男性で専業主婦を欲しいという人はとうとう10%を切りました。30年前には、未婚男性では、女性は専業主婦がいいというのが一番多かったわけですけれども、とうとう10%を切りました。では女性はというと、多少は減りましたけれども、まだ20%を保っています。ここ10年の間でほぼ横ばいです。
    つまり、いわゆるフェミニズム的な意識、社会の中で活躍してどんどん男社会を変えていってやろうという人が、どうも年配者、中高年の方にむしろ多く、若い人は、専業主婦になれるものだったらなって楽したい、というような人が増えてきたわけです。なれるかなれないかは別です。私が婚活時代等で何度も何度も指摘しているように、専業主婦を養えるような男性の数というのは、はっきり言って激減しているわけです。
    お笑いのネタにされましたけれども、7~8年前の調査ですけれども、都会の女性は6割が年収600万以上でないとだめと言っているのだけれども、年収600万の未婚男性はわずか2~3%しかいない。ネタになるぐらい無理な話なのです。無理なのだけれども、これは後の話にも関わりますけれども、なりたいという人は後を絶たない。収入の高い男性をつかまえる以外に私の人生を変える、よくする手段はないという女性が増えているということの裏返しなのです。別に意識というのは、社会学者ですから、社会が意識をつくるわけであって、こう思え、こう思うなと言って決められるものではないですから、なりたいという願望自体は変えられないですけれども。
    よく少子化問題の関係で話す話なのですけれども、私は5年前に学芸大から中央大に移りましたが、学芸大にいた時に持っていたあるゼミ生の話です。将来何になりたいかというと、学芸大というのは比較的職業意識の高い女性が来るので、先生になりたいとか、公務員とか、東京に出て来たかったのだけれども学芸大でないと許してくれなかったという女性が多くて、かつ、山田ゼミというのはそういう女性を数多く受け入れてきたのですけれども、びっくりしたのは、私は専業主婦になりたいですとゼミの最初のときに答えたのが初めていまして。私の授業を聞いているのかいと。私は男女共同参画の委員でもあり、女性は活躍しなければいけないぞと主張しているだろう。かつ、専業主婦は危ないと言っているだろう、なれないし。学生の最初の講義のときにはこう言って脅すわけです。大体今の若者は未婚確率が25%、離婚確率が3分の1ですから、お前らのうちで結婚して離婚しないで済むのは2人に1人だぞ。4人いたら、うち1人は一生結婚しないし、4人いたら、そのうち1人は必ず離婚するのだぞと言ったら、ええっとか言うわけです。さらに、今、男性の収入が減っているから、夫の収入だけで家を買って子どもを大学まで入れさせるのは10分の1だぞ、10人に1人しかいないのだぞと言っているわけです。
    専業主婦になりたいという女子学生になぜか聞いたら、私は山田先生の授業に全部出て、全部Aをもらった、だから山田先生のゼミを取っているというのです。では、なぜ分からないのだと言ったら、私はその10人に1人を見つける自信があると言うわけです。笑いごとでなくて、今の若者の基本的な部分がそこにあるわけです。つまり、社会を共働きしやすい制度に変えようとか、10人に1人しかそうだったら、共働きをしやすい制度に変えようとか、もっと子どもを育てやすい社会にしようとか、授業料を減らさなければいけないとか、そういうふうに行かずに、では10人に1人に減ってしまったのだったらそちらを探す方がいい。つまり、社会のシステムやそういうのを変えずに、自分だけはそちらの内側に入れるはずだ、自分だけは入ると考える。経済学者の人に言わせれば、それはすごく合理的だねと言われるわけです。確かに、制度、社会を変えるまで待ったり、自分たちで変えるようなエネルギーを注ぐよりは、今の中で年収600万以上の男性をつかまえるような努力をした方が、短期的、個人的には合理的かもしれないですけれども、社会全体でそれが合理的かどうかと言ったらまた別の問題なのです。
    しかし、そういう女性に限って、そういう男性を見つけてくるのです。はっきり言って、これが世の常なわけです。そういう人が収入が高い男性をかっさらうから、おとなしくて彼の登場を待っているという人は永久に結婚できない仕組みになっているので婚活時代と書いたのです。それもまた収入が高い男性を見つけるマニュアルに変わってしまって、今日の朝日新聞にも記事が出ていましたね、まるで私が婚活を広めて、それがもとで病気になる、婚活鬱になる人が増ええているみたいな記事だったので、損な役割だなと思いつつやっているのです。どうも専業主婦志向が増えているらしい。中央大に来ても同じでした。中央大で専業主婦になりたいという女性が結構多かったです。今もまだ多いです。幾ら言っても聞きません。データを示しても、宝くじだって当たる人がいますから買うなと言えませんね。宝くじを買って当たりっこないよと言いますけれども、年収が高い男性に当たる可能性はなきにしもあらずですからね。でも、当たるのは10人に1人ですから、9人はどうなのかなとか心配するのが私の立場です。
    90年ごろと今とどう変わったかというと、1990年ごろと2010年ごろの若者にとっての現実と意識が多分180度反転してしまったような気がします。90年はバブルですから、特にバブルのころはそうですけれども、寝ていても正社員になれたわけです。今の若者に言うと、昔のことだからもううらやましいとも思わないというのです。就職活動に行くと、お金をもらえたのだよと言うとみんなびっくりします。落ちることもまずなかったですし、行くと交通費と言って何万円もくれて、すぐ接待が始まって、特に学芸大の人でも企業就職の人は相当いい思いをしたという話は聞きました。
    つまり、楽に正社員になれたということは、逆に言えば女性は寝ていても正社員と結婚できたのです。だって、周りは収入が安定した正社員の男性ばかりなわけですから、少なくとも正社員と結婚できるなどというのは当たり前すぎて、話題にもならなかったわけです。今、調査すると、結婚相手に求める条件は相手の職業の安定になってしまうわけです。リスクを取る、ルートを踏み外す、自由な生き方を望むということが称揚され、私の知り合いとか学生の中にもバックパックを担いでどこかに行ってしまったとか、1~2年後には帰ってきましたけれども、就職を1年遅らせても構わないとか、当時のフリーターという言葉ができたのもこのころですけれども、当時のフリーターというのは、音楽であろうが、演劇であろうが、そういう道に突き進んで、今はバイトをするというのがフリーターの基本的な姿だったわけです。そういう意識が持てたのは、1~2年遅れてもみんなどうせ正社員になろうと思えばなれる、女性も結婚を遅らせて自分の好きな道に進んだって、見合いでもすればすぐに正社員と結婚できるのだからという意識のもとで、従来の生き方から外れた生き方というのはできるように意識の中では思っていたわけです。当時でも当然、大多数の人は普通に就職したり、正社員と結婚したわけですけれども、中にはそういう人たちも、つまり意識の上ではいつか起業してやろうとか、転職するとか、海外にも出て活躍してやるみたいな人が多かったわけです。
    しかし2010年、20年たった今は、現実が逆になりました。正社員になれないし、正社員になったからといって収入が増えるわけでもないし、どこかで落ちこぼれるかもしれない。女性は一流企業、三高どころか、正社員と結婚できるかどうかということさえも難しいという状況になりました。だから意識として逆に安定したいという願望、正社員の妻になりたいという願望が逆に反転して膨らんできているというのが、私の解釈です。
    もちろん、1990年ごろと2010年ごろは、学生の性体験率は一緒ぐらいなのですけれども、前の世代はもっともっとおとなしくて、私ぐらいの世代は、付き合ったら結婚しなければいけないと思っているから、つまり、今から30年前ぐらいは、まだまだ性関係を持ったら結婚しなければいけないという意識が強く、性的関係が学生でも抑制されていたわけです。それが90年ごろから、付き合っている相手と結婚しなくてもいいという人が増えれば性体験率は上がるわけです。当時は男性も女性も、付き合っても結婚しなくてもどうせ次が見つかるはずだと思っていたわけです。だから、性体験率の低下というのが指し示しているものは、付き合って性的関係を持つのだったら結婚相手として確保しなければいけないという意識が女性側に強まり、あと男性側も性的関係を持ったらつかまってしまうという意識が強まっているような気がします。
    ここ20年、バブル崩壊からアジア金融危機、リーマンショックという中で、雇用環境は変わったのだけれども、雇用慣行はどうも変わっていないというのが身に染みて若者に認識されていたような気もします。つまり、若者全員が正社員になれないし、この前、文部科学省の調査で言いましたけれども、大卒の中でも2割ぐらいの人はいわゆる安定した職に就けない。これは当たり前ですけれども、大卒が就けないのですから、高卒、専門学校卒の人はもっと状況はひどいわけです。
    正社員と結婚しようと思ってもなかなかできないという環境が、男性正社員の数が減れば結婚できる女性の数も減りますからね。それはもうニューエコノミー、グローバル化とかサービス化とかIT化とかオートメーション化とかの必然的帰結として、不安定な雇用というのは必ず存在して、これは別に日本だけではなくて、あらゆる先進国や新興国でも起きていることです。仕事は二極化します。普通の事務的な仕事はなくなって、高度な仕事と単純、繰り返し労働に分かれていきます。さらに、サービス業が増えれば、当然のことながらピークオフがありますから、たくさん人が押し寄せるときとほとんど人が来ないときで同じ人を雇ったりはいきませんので、ピークオフを乗り切るために非正社員、テンポラリーな人が必要になるというのも今の経済状況では通る。しかし、世界的にそうなのですけれども、日本は結局雇用慣行がほとんど変わっていない。変わっていないということは、正社員になったら安泰だ、そして正社員の妻になったら安泰だという構造は実はほとんど変わっていない。
    先ほど離婚が増えたと言いましたけれども、離婚が増えているのは両極です。つまり、すごく高収入な男性が浮気するか、余りにも収入が低いのでこんな人と結婚するのだったら別れた方がましだというような低所得層の夫婦が増えているから。逆に言えば、普通の正社員で主婦で子どもを持っているという人たちの離婚率は、驚くほど今でも低いです。日本では一方的な離婚は無理なので特にです。では、なぜ離婚が増えたのかというと、日本でも低所得層が増えているのです。新卒一括採用から漏れて非正規社員になったら、単に収入だけではなくて社会保障的にも不利だし、また再チャレンジができないという意味でも一生不利なのです。つまり、正社員と非正規社員の壁、ギャップが余りにも大きいということは温存されたままです。
    これもよく言うのですけれども、もともと非正規社員というのは主婦と学生と自営業とアルバイトをモデルに構築されたものです。つまり、非正規雇用者というのは、非正規雇用者を経済的に養ってくれる何か、夫か自営業か親か、それがあることを前提に、ピークオフ、テンポラリーなジョブのためにつくられた職ですので、そもそも保護はないのです。よく言われるように、失業しやすい非正規社員ほど失業保険がもらいにくく、ほとんど失業の恐れがない正社員のほうが失業手当が厚いというのは、まさにそういう構造を示していますね。非正規社員だってどうせ夫が養っているのだろう、親が養っているのだろうというところで雇用慣行は変わらないわけです。
    だけれども、これが未婚者の正規雇用がいかに少なくなって無職が多くなって、その中間が非正規雇用ですので、国立社会保障・人口問題研究所のデータから取ったものですけれども、1992年が適齢期の人の正規雇用のピークです。90%が正社員だったのです。つまり、フリーターという言葉がもてはやされて称揚されたときには、ほとんど結婚していない男性は正社員として処遇されていたわけです。逆に90年代から未婚者の正社員率はどんどん落ち込み、無職率もどんどん高くなっているわけです。
    女性の時代だ、女性の時代だと言って、逆ですね。男女雇用機会均等法ができて以降、右肩下がりで女性の正社員率が低下している。これは何だという感じですね。別に女性だけが低下したわけではないですね。昔は一般職の正社員がありましたから、未婚女性も一般職の正社員としてボーナスもあったし、有給休暇もあったわけです。だから海外旅行に行けたわけです。非正規社員の人は海外旅行、休むと給料に響くし、印象が悪くなるから、逆に契約社員とか派遣社員ほど休暇を取って海外旅行ができにくいわけです。正社員は首切られないことが分かっているので、有給もたっぷり取ってヨーロッパやアジアへ買い物に行く。
    後で言いますけれども、私は海外で結婚している日本人女性の調査をここ数年やるようになったのですけれども、私の共同研究者の担当がトルコ、タイで、私の担当が香港、シンガポール。20年前は日本人の若い旅行客であふれていたらしいのですが、今、香港でブランド物を買いあさっているのは中国人です。ペニンシュラホテルで相手にしているのは99%中国人です。本当にびっくりするぐらいです。日本の銀座を歩いていても中国人が多くなっていると思います。
    でも、90年代は私がパラサイトシングルと言ったような人たちがいて、学生に昔話をするような時代になってしまいましたけれども、私とか君らのお父さん、お母さんというのは、学校が終わった、大学が終わったら、さあ、今日はディスコだと言ってディスコに出かけて踊ったのだよと言ったら、先生は踊ったのですか、みんな踊っていたからねと言うのですけれども、今はといったら、それは学校が終わったらバイトに決まっているではないですかと、遊ぶことはと言ったら、サークルの部室で飲んだりするぐらいですねみたいな話になってしまっている。君たち楽しいのかと言ったら、楽しいですと言うから別にいいでしょうけれどもね。むしろ中高年の昔を知っている人から言えば、冬になればスキーバスが山のように連ね、私も行きました。滑れないのに行くのでしょう。学生に今の若い人は信じられないでしょうと言っているのです。ほとんど滑れないのにアフタースキーでしゃべったり遊んだりしながら、ちょっと楽しんでそれでよかったのです、みたいな話をするとびっくりします。長野県の加藤副知事さんは私の知り合いで、何とか若者をスキーに取り戻すにはどうしたらいいかと聞かれるのですけれども、好きな人は多少いますけれども、行って何か面白いことがあるのですかと言われて、そうだよねと言うのです。それも90年ぐらいのあだ花だったのでしょうね。
    希望を持てる社会というのは、社会心理学的にどういう社会かというと、結局、努力が報われるということが期待できるかどうかということにかかっていると考えています。前近代社会は非常に停滞した社会でした。では、努力してもしようがないかというとそうでもない。停滞したというのは、親の職業を変えられないし、結婚も親から決められるし、何も自由がない。では、なぜ努力したかというと、来世ですね。今やっている努力というのは来世で必ず報われる。イスラム教は特にそうですね。イスラム教はとにかく天国に行けてしまうわけですから、天国のイメージも、すごい明確な形でイスラム教の教祖等は語るわけです。水があって、花が咲いている。砂漠の世界ですから、それだけで天国なのでしょうけれども、そういうところに死んだら行けるとなると、今の社会を努力して死んだ後にという意識が生まれる。ヒンドゥー教とかだったら次に生まれ変わるとき、仏教だったら極楽に行けますといったわけですけれども、宗教の影響力が落ちていると、現世で報われなければいけないです。
    つまり、勉強したらその結果がいい学校への入学という形で報われ、いい学校に行ったらそれがいいところに就職できて報われ、女性の場合だったら、いい学校に行ったらいい職に就いている人と結婚できるだろうという意味で報われというふうに、その報われることが保障されていたのが日本の高度成長期であり、欧米での戦後から1990年ぐらいまでのときは、それを信じることができたわけです。将来は今よりも発展していることは当然だったわけです。つまり、普通に努力してやっていれば、必ず将来は親以上の、今以上の生活が送れるに違いないと思ってみんな努力しているわけです。
    それが損なわれる条件は何かというと、努力しても報われている人は既得権と言えるわけですけれども、そうしたら社会が停滞するわけです。「<1>努力しなくても報われる人」がいると、努力してもしようがないではないかと思いますし、さらに「<2>努力しても報われない人」というのがいると、絶望に陥る人が出てきてしまうわけです。だから、一生懸命会社で努力して定年まで勤められると思ったのにいきなりリストラされてしまったら、私の努力は何なのだったと思って絶望に陥ってしまうわけです。
    近代社会は別にそれだけではなくて、近代社会における政府の役割というのは、常に社会から<1>と<2>をなくすことを目指すわけです。<1>を主眼にするか<2>を主眼にするかというのは、今アメリカ大統領選で揺れていますけれども、<1>をなくすべきだと考えがちなのは共和党の人たちです。努力しなくても生活している人がいるのはけしからぬ。貧乏で幾ら一生懸命働いても貧乏から抜け出せなくて、病気も治せない人がいる、そうすると社会が荒廃するというのが、いわゆるアメリカの民主党系の人たちの考え方で、多分アメリカというのは<1>と<2>の対立軸というのははっきりしているので、共和党政権になったら<1>を削り、民主党政権になったら<2>をなくすようにするという形で社会は進歩してきたのだと思うのです。
    2000年から始まる小泉改革というのをどう評価するかということなのです。もう今の学生は小泉さんの記憶がほとんどないので、授業をしにくくなってしまってすごく困っているのです。アジア金融危機のときに山一や拓銀が倒産して大変だったのですよと言っても、今の学生は本当に中学生ぐらいのときですからほとんど印象、経験がないので、今の学生は小泉さんは何だったの、ホリエモンって聞いたことがあるかとか、そんな時代なのですけれども、中高年の人は覚えていると思いますが、多分小泉政権というのは、つまり、既得権を打破、自民党をぶっ壊すと言ったように、郵政や道路に象徴されるように、努力しなくてお金がどんどん入ってくるようなところがある、それはけしからぬというので人気があったわけです。さらにホリエモンみたいなのが出てきて、正式なルートに乗らなくてこれだけ活躍できる人がいる、そういう起業とかフリーランス、どんどんこれからそういう時代になるのだという夢をばらまいたわけです。しかし、何が残ったかといったら、どうも既得権が打破されたのではなくて細らせただけではないかという気がします。公共事業も削ったのですけれども、削っただけで細っただけ。正社員の既得権がなくなったのではなくて正社員の数が少なくなっただけ。公務員改革もそうですけれども、公務員の数を絞ったってしようがないではないか。特に若い人がなれない形で絞ってもしようがない。つまり、既得権の中に入れない人を増大させて、構造的に出現している努力しても報われない人を放置してきたのではないかというのが私の見立てです。
    となると、ルートから外れた若者にとって踏んだり蹴ったりなわけです。10年ぐらい前、割とイケイケだった時代に思ったように就職できなかった学生に対して、今の政府が言っているようなことを言うわけです。中小企業だってあるよ、努力すればこれからどんどん実力主義の世の中が来るのだから、中小企業に行ってしっかり技術なりそういうのを磨いて能力を発揮すれば、もう大企業の人などを追い越してしまうような人間になるよと言って励ましたときに返ってきた言葉が、「本当に実力が評価される世の中が来るのですか。やはり大きいところに入社しないと結局損するのではないですか」。彼は正しかったということなのです。
    それを聞いて以来、私は学生にリスクを取れと言わなくなりました。公務員試験をどんどん勉強しなさい、就職試験、面接のやり方をみてやろうかみたいに私は就職ゼミになって人気が出てしまったみたいな感じになりました。山田先生のゼミは卒論やゼミ出席よりも就職を優先してくれるからというので人気になってしまいましたけれども、嫌な人気ですね。でも、それが現実ですね。日航のような大会社だって倒産するのだよと言ったときに返された言葉はこれなのです。「先生、日航に入ってれば政府が救ってくれるのでしょう。中小企業に入って倒産したら政府は何もしてくれないのでしょう。」あなたは正しい。
    東京電力だってそうですね。中にいる人は2~3割減で大変だと思うかもしれませんけれども、外にいる人にとっては、2~3割減で済んでいるのだ、東電だからと学生は思うのです。あんなことをしてあんなふうになってしまっても、ちゃんと定年まで勤められて給料2~3割減で済むのだと、余り学生は実感がないですからね。
    結局、システムの内側に入れば生活は保障されるけれども、外に出れば見捨てられるということが、若い人にとってここ10年の間にどうやらはっきりしてきたらしい。そうすると、保守化と下流化の同時進行が起きていると思っています。既得権の中に入る競争にエネルギーを注ぐということなのです。安定した企業や地方公務員がすごく人気で、先ほど言ったように新入社員は終身雇用で起業しない。未婚女性にとっては、正社員男性ととりあえず結婚しておくことが最も自分の生活を安定させる一番いい方法になっているのです。結婚しても離婚するかもしれないと言うかもしれませんけれども、結婚しないで1人でいるほうがもっと不安定なのです。そういう意味で、公務員同士とかは、どちらも安定しているという意味で最強の組み合わせなわけです。
    結局、リスクを取ったら損、新しいライフスタイルを取ったら損、寄らば大樹の陰のほうがどうも評価されるらしい。これもいろいろな調査から、特に生産性本部や能率協会の調査からも、とにかく既得権の中に入ったら、上の言うことを聞いて、定年までと言う社員が増えているらしいのですけれども、ただ、さすがに企業はそれではもたなくなっているので、グローバル化とか英語必須とかになっているので、多少グローバル企業は変化している兆しが見えてきたかなとは思っています。この傾向が続けばいいなとは思っているのですけれども、いわゆる安定した大きな企業ほど変わらないですね。女性差別的慣行もほとんど変わらない。
    銀行、商社、余りグローバル化していない大手メーカーというところは、ほとんど雇用慣行、慣習を変えていません。女性の採用も非常に少ないというような状況は続いています。だから、そこに入ろうと必死にエネルギーを注いで、私のプリントの後で見ていただくように、どうも大学は高校とほとんど同じになっていると思っていて、高校の勉強が大事というよりも、高校卒業というのは大学入学の資格になっていて、高校の授業内容が大学入試に出るから勉強しているのであって、では私は何だ、私はきっと高校の家庭科教師や音楽教師と似たようなものだと思ったわけです。つまり、単位を取らないと卒業できないから受験できませんけれども、それを一生懸命やったところで就職に役立つわけではないわけですから、私はもちろん、将来の人間形成に役立つと思って授業をしていますけれども、直接的に役立たないものは今の若者は余りやりませんから、すぐ何に役に立つわけですかと聞くわけです。中央大は担任制を取りますから、私は1年生に質問とかと言って、就職に有利なサークルは何ですかと聞かれたときには、さすがに仰天しました。趣味で決めれば、したいから決めるのでしょう、就職に有利か有利でないかであなたは決めるのかと言ったら、大変だと聞いていますので、そうかもしれないけれども、それで決めるのかというわけで、どうも大学というのは高校みたいなもので、私は家庭科の先生みたいなものだと。面白ければ聞くけれども、面白くなければ単位だけ取るというような感じになりつつある。
    一方で、中に入れなかった人たちです。もちろん、これが大部分になることはないのです。まだまだ正社員になれないとか、フリーターとか、そういう形で滞留している人というのは、3分の1とか4分の1ぐらいの層になっていると思います。そういう人たちは、夢の世界に逃げているのだと私は思っているのですが、今のところ未婚者の多くは親に生活を支えてもらっていますので、夢をとりあえず追い求める。私がフリーター、100人ぐらいの未婚の非正規雇用者をインタビューしたときは、男性の大部分はいわゆる夢追い型ですね。ロックシンガー、中ぐらいにちょっと売れている人というのが最も行き場を失っているわけです。だから、これもいろいろなところで言うのですけれども、超一流になってしまえば何をやっても、自由な生き方をしても大丈夫なのですけれども、それほど才能がないなと分かれば早めに違う道を進むのですけれども、ちょっとできるぐらいの人たちの行き場がないわけです。話を聞くと、これぐらいのコンサート会場ならば、月に1回コンサートをするとファンがいっぱいになる。でも、それでは絶対に食えないのです。となると、結局親と同居しながらアルバイトして練習して、月1回バンドしたら、キャーキャー言うファンが何十人か集まるというような生活をずっと繰り返している。それも親の家に住んでいるから可能であることですね。10年後どうするのですかと聞いたら、ロックバンドで売れていたらそれで食っていたいとかと言うのですけれども、では売れなかったらと聞いてしまったら、死ぬとか答えられてしまって。彼は6~7年前にインタビューをしたのですけれども、30だったのですけれどもね。
    どうしても野球の選手になりたいといって、バッティングセンターで昼練習して、夜はバイトして、入団テストがあると聞くと受けに行って全部落ちまくって20代半ばになっているという人の話も聞きましたけれども、ではどうすると言えばいいのでしょうかということなのです。
    そういう人たちがパチンコやゲーセンにはまるというのもよく分かります。私は日本社会の若者も含めてですけれども、安定を支えているのはパチンコだと思っています。なぜかというと、パチンコは努力が報われるように見えるわけです。地方にインタビューに行って休日に何をしているのかといったら、大概若い男性で非正規雇用者はパチンコと答えるのです。私は学生時代にちょっとやったくらいで最近やらないですけれども、努力は報われてしまうわけです。早く行ってうまくなればいっぱい玉が出ることもある。トータルでは負けますけれども、努力が報われて意識が昂揚することができる。ゲーセンもあるところではコミュニティができていて、非正規雇用とか学生とかが来るわけです。つまり、普段の生活では仕事をしても全く昇進しない人が、ゲーセンだと努力をすれば高い点数という形で報われて、そしてこれだけやったというと、ワッとすごいとかという声も出てくるわけです。現実世界の努力が報われないので、夢の世界で努力が報われるというような物語に浸るという人が増えてきていると思っています。別にパチンコが悪いとかゲーセンが悪いとか、ネットゲームが悪いとかということではないのです。
    女性はというと、今となれば婚活と括られますけれども、非正規の女性は収入が高い男性と結婚する以外に自分の将来が開ける道はないと信じています。今更正社員として就職活動しても見合った正社員になれるわけでもなし、いろいろな差別も受けてきたし、派遣やそういう仕事にいつなるかわからないし、今の私がこの生活から脱出できるのは収入の高い男性と結婚する以外に道はないと思っている人がいる。そういう道がまだ選択肢としてあるからいいというのか、あきらめきれないからまずいと思うのか、両方あります。女性でいうと、スターの追っかけが多かったです。非正規雇用者で、アルバイトのお金を握りしめてスターの追っかけをやって、女性の場合はあこがれている自分に満足するので、追っかけてちょっとでも振り向いてくれると、私に振り向いてくれたといって満足して、お金がなくなると実家に帰ってバイトしてという人を何人もインタビューしました。それが宝塚だったり、ロックバンドだったり、韓流は中高年の女性が多いですけれども、ありました。
    だから、基本的には親に支えてもらいながら夢の世界で、自分の努力と自分の存在を承認してもらえるというような世界をバーチャルの中で作っていく。もちろん、それがプラスになれば、社会活動とかそういうところに行く人もいます。仕事することや結婚することで努力が報われるというところから排除されて社会活動とかに行く人ももちろんいないわけではないです。
    あと男性は、所有しないと承認という満足が得られないのです。これは最近のアイドルオタク研究の中で明らかになったのですけれども、なぜAKB48が流行ったか。握手権を売ったからですね。つまり、男性というのは、アイドルであろうが何であろうが、自分のものにしたという感覚がないと満足できないわけです。となると、1,000円で握手権を売って握手するということは、握手している数秒間、自分のものになったということですね。それが満足なことなわけです。だから、メイドカフェに何度も通い詰めて同じ人を指名して相手にしてもらうのも、そのお金で、最近ポイント制がどうこうという話もあるのですけれども、特定のメイドさんににっこり笑ってもらう瞬間のために行くのです。男性の承認的満足というのは所有に基づいていますので、AKB48の商売は、多分天才ですね。このように女性ファンのスターモデルと男性モデルのスターモデルは全然違う。テレビに出ているAKB48の人を1,000円出せば、数秒間自分のものにできるわけです。隣にいる何々ちゃんを口説いて握手するまでにどれぐらいの時間とどれぐらいのお金を使わなければいけないとなると、ではテレビに出ている人と1,000円出して握手しようという方に行きたくなる気持ちも分からないでもないと言ったら変な話ですけれども、それはそういうモデルになってしまったのです。ひざ枕耳かきも似たようなものですね。どうも下流化している世界ができつつある。親が亡くなったらどうなるか、何の見通しもないということが見えている。
    私が調査するように、優秀な人材、特に女性は海外に行って帰ってこないというので、パラサイトシングルは、数としては減っていますけれども率としては増えています。海外で国際結婚するのは圧倒的に日本人女性で、それはなぜかというと、日本人女性が大量に外に出ていくわけです。私は来週またシンガポールに行ってシンガポール人と結婚している日本人女性の調査に行くのですけれども、今回は3人、看護婦さんなのです。今日もお医者さんに聞きましたけれども、日本の医師免許や看護師免許があれば、シンガポールでできるのです。そこまでオープンなわけです。英語と日本語の准看護婦が今不足しているというのは、駐在員の奥さん、子どもは英語ができませんので、現地の病院にかかれないので、日本人看護婦さんが応対する病院が今結構儲かっていて流行っているみたいで、どこで見つけたのですかと言ったら、前にインタビューした人は、ネットで見つけました、と。だから、日本で介護士、看護師の危機だと思っているのです。看護師、介護士をオープンにしないという政府の方針が、医師もオープンにしないという方針ですけれども、日本の経済力が落ちてきたときに英語ができる看護婦さんやお医者さんが海外に流出、そちらに行った方がずっといい収入が得られる。もうシンガポールは日本よりも一人当たりGDPが高くなってしまいましたから、シンガポールや香港で結婚しているお宅にお邪魔するのですけれども、年功序列、終身雇用ではないのですので、若いエリートの人は日本の若い男性の倍ぐらいの給料を取っているわけです。もちろん、看護婦さんとか女性の人もそれぐらい取っているわけです。共働きで3万円のメイドを雇って生活して共働き環境も整っている。優秀で外国語ができる人は海外に出て行った方がよほど幸せな生活ができる。税金負担もないし、保険料負担もないし、みたいな話になってくるので、相当危機だと思っているのです。
    民主党政権も脱ダムとか事業仕分けとか言っていた。つまり、努力しなくても報われる人をなくすと言っていたのですけれども、最近どうも復活してきたような気もします。もはや全員が終身雇用、正社員、ここの方針が転換できないのだろうかということなのです。つまり、終身雇用の正社員ではない人が増えているといったときに、今のグローバル化した経済状況で無理して全員を正社員にすることはできるのだろうか。先ほども言ったように、新しい経済というのは流動的な労働力が必要ですし、新しい事業に挑戦することが必要なのに、そこを削いでいるのではないか。正社員になれば安全、そうでなければ不安定という構造自体変えないと若者の意識はなかなか変わってこないというのは、日本は新卒一括採用ですから、新卒のときに漏れてしまったらもうおしまいという意識が強くて、実際にそういう現実ですので、それぐらいのことをしないと無理なのではないかと思っています。
    結局は、雇用構造を家族も社会保障も余り変わっていない、つまり、内側に入ったら安定を保障しますよ、外側に出たら苦労しても見捨てられますという構造は変わらない。そういう中で、内側に入れる若者がどんどん減っていっている。その制度の内側からこぼれる人がどんどん増えていっている。そのときにこぼれる人を全部内側に入れて解決しようということが無理なのではないかと思います。だから、制度の内側に入ったらオーケー、内側からこぼれたら放っておかれるという構造自体を本当は変えていかないと若者の意識は変わらない。変わらないというのは、内側に入るために努力をするけれども、外側へ出てしまった人はもう夢に浸るしかないという構造を変えるしかないと思っております。
    以上です。これで私の話は終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

【以下、講演後の質疑応答】

  • 質問者<1> 質問させていただきます。山田先生は最後に、内側に入る、みんなを終身雇用で養っていくのは無理だとおっしゃいましたが、ではどのような社会システムへの転換がよいのかということを、お話を聞きながら私なりに考えていました。例えばアメリカのように、同一賃金、同一労働なのに、スキルがある人はどの会社に行ってもある程度優遇される、2~3年腰を据えたらさらに給料のいい方にというのも1つあると思うのですが、先生のお話を聞いていてそれが浮かんだのです。それがいい社会かどうかは同時に疑問を持っていて、先生はどのようにお考えか伺いたいと思います。
  • 山田氏 半分は肯定するのですけれども、それはなぜかというと、アメリカというのは、能力がある方がフリーになりやすいのです。能力があってもう既に実績がある人はどんどん移っていく。しかし、アメリカでも高卒の人とかそういう人は、同じところで働き続ける傾向は、少なくとも昔は強かったわけです。工場労働者とか。
    つまり、上、下と言ってはいけないですけれども、上が流動化して適材適所で能力を発揮しやすくし、逆に中から下は同じところで安定した労働をし続けるというのは、少なくとも10年ぐらい前までのアメリカの姿だったわけです。日本においては、それが逆だと思っているわけです。いろいろなところにチャレンジしてほしい有能な人というのが1つの会社に閉じ込められて、私もそうですけれども、中高年の人が上で居座る中で縮こまってコツコツやっているのに、本当は安定したところでスキルを蓄積してほしい学歴が低い人たちが流動化しスキルが蓄積できずにいる。この構造が変わらないからと思っているわけです。上の方も移動しやすく、移動しても不利にならないような形にする。逆に、格差をなくすということは、非正規とかそういう人たちを安定した生活のもとでスキルを蓄積させるようにするという方策が望ましいなと思っています。
    だから、イギリスの、日本の否定的未来を出版したタイムズというところで講演会をやったときに、彼らも赴任したばかりでよく知らなかったらしいのですけれども、日本の新聞社とか雑誌のシステムというのはこうだと言ったら、びっくりしてしまったわけです。なぜかというと、イギリスとかアメリカでは、フリーの人は収入が高いというのです。つまり、いろいろなところで自分で記事を書ける人は、取材して自分で記事を売ってフリーにやっている。そういうフリーの人の方が給料は高く、同じ会社でずっととどめ置かれている人は収入が低くはないですけれども、そんなに高くはない。つまり、正社員は給料が低く、フリーの人は給料が高くて当たり前だろう。日本はと言ったら、逆ですよ。ずっと来た人は1,500万とか2,000万ぐらいの収入ですけれども、フリーのライターの人などは年収200万、300万がざらですよと言ったら、イギリスの人は驚いていました。だから、そういうマスコミ業界もそうですけれども、本当に日本の構造は変な構造をして、とにかく新卒のときに大手の出版社でも新聞社でも入ってしまえば、文章が下手であろうが何であろうが一生高給が保障されるのに、フリーで文章を書いてやっていくという人はその下働きで給料がふえない、これはまずいだろうと思いました。
    大学の先生も一緒です。アメリカのシステムは御存じのように、大学を変わらなければ給料が上がらないわけです。年功序列ではないので、すぐに首になるというのはうそですけれども、給料は変わらないわけです。給料を上げるためには業績を上げて、別の大学から誘われて、別の大学から誘われているぞ、残ってやってもいいから給料を上げろといって交渉するというのがアメリカの普通な姿なわけです。強い人はフリーで流動してやっていく。でも、そこそこ業績が上がらないという人は、同じ大学でこつこつ教育的業務に従事するけれども、ずっと給料が低い。
    つまり、安定した人は給料が低くて、不安定な人は給料が高いという構造に変えるだけでかなり違った社会が見えてくると思うのです。日本は安定したほうが給料は高く、不安定な人は給料が低いので、では安定して中に入ってしまえばいいのだという人は増えますね。でも、それが日本経済自体の活性化にとって、良いか悪いかといったら、私は悪いと思います。昔は少なくとも男性だったら正社員でずっといられたからこそ活性化が保たれたのだと思いますけれども、今は中に入ること、そして中に入ったら落ちないことだけを念頭に置く人が増えているので、日本製造業は大丈夫ですかというぐらいの状況に陥っているのはその理由だと思います。
    大学の先生だから勝手なことは言えますけれどもね。現実の会社の人から言わせれば、そんなの夢物語だと言われますけれどもね。
  • 質問者<2> 先生のお考えでは、社会に出てから収入300万円以下、あとはワーキングプアだとかで生活が困難な層に入ってしまった人に対しては、個人の努力ではどのようにして生活レベルを上げていくようにしたらいいとお考えでしょうか。
  • 山田氏 そういうモデルが今ないですね。結局、政府の方で考えることは、では正社員にすればいいということなのですけれども、そういう人ほど入りにくいですからなかなか難しいですね。もちろん、正社員にするという努力もそうですけれども、非正規社員のままスキルを付けるようなシステム、インセンティブを付けていくということが必要だと思います。
    地方でマックのバイトをしている男性に会ったときに、準社員制度というのがあって、準社員になれれば多少は給料が上がるからお嫁さんを持てるかなというような20代男性をインタビューしたことはありますけれども、そういう制度があるおかげで希望になっているのです。少し努力すればちょっとでも良くなるというような、システムの外にいる人たちにも作れば少しは良くなると思うのです。
  • 質問者<3> 今日は本当にありがとうございました。こちらの配付資料にも書いてあるのですけれども、アイデンティティという言葉に興味を持っていまして、どこにアイデンティティを持つかということを言ってしまうと、例えば職業倫理感というのも多分アイデンティティにつながってくると思いますし、ここにも書いてありますように、何かを買うことによって、私はこのアーティストが好きだから、それは私のアイデンティティというのもあると思うのです。そういうことを考えていくと、生きていく上でアイデンティティというのはゴールだとすれば、どこにゴールを設定するのかというのが、かなりあいまいになっているような気がしますし、ゴールではない場合もあるし、そのアイデンティティをめぐったところをお伺いしたいのです。
  • 山田氏 一方で生活があり、一方でアイデンティティ、承認とも言いますけれども、自分が周りから承認されているということを意識することが安定して生きる基だと思っているのです。20年前までは、男性にとっては仕事、女性にとっては結婚というものが安定したアイデンティティとしてあったわけです。ここにも書きましたけれども、それが失われたときに非正規雇用者が仕事をアイデンティティにできるかといったら、なかなかできないわけですね。
    仕事でもリアルな家族でもないところでのアイデンティティというものが少なくとも一時的に求められていますね。ある人たちはコミュニティ活動にいるときとか趣味の活動にいるときに一番アイデンティティを感じている人というのが結構いますので、その中でもいい方向に誘導できればいいなと思っています。
    例えば私は「新婚さんいらっしゃい!」を実益と兼ねて見ているのですけれども、そこに非正規社員の夫婦が出てきて、どこで知り合ったのですかといったら、コスプレと言うのです。つまり、コスプレする自分がアイデンティティであって、仕事はアイデンティティではないのです。結婚しているからお互いがアイデンティティになっているのだと思うのですけれども、収入が少なくても2人の非正規雇用の収入を合わせればとりあえずは生活できる。乏しい収入の中から2人でコスプレしてコスプレパーティに行くことが自分の生きがいなのだ、そこで知り合って結婚してうまく行っている。そういう生活もあると思います。それが安定して一生続くという前提のもとですけれどもね。そういう人でも子どもが生まれて何とか暮らせるようになれば、子どももコスプレさせて子どももコスプレがアイデンティティになってくるという社会になるのかもしれないとは思っています。
    だから、アイデンティティのためには必ず他人もしくはグループが必要で、今までは会社と結婚というのがグループだったわけですけれども、それから弾き出される人たちをどうアイデンティティを確保するかというのが個人的にも社会的にも大きな問題になってくると思います。
  • 質問者<4> 今の学生に求めることは何でしょうか。
  • 山田氏 私個人としては、ちゃんと就職して稼げる人間になって私の年金を払ってくれよと言っています。
    本当はリスクを取って、いろいろなところにチャレンジしてくれと言いたいのですけれども、それで路頭に迷っても困ります。海外があるよとも言っていますけれどもね。面白い人生を歩んでくれたら楽しいなというのと、とにかく安定した仕事に就いて、私の年金を払ってくれなければというのと、私も立場によって言うことは分裂します。すみません、そんな感じでいかがでしょう。
  • 質問者<5> 今の方の質問と関係があって、リスクを取る年齢、先ほどバンドマンの例を出されたと思うのですが、デビューして6~7年たつと30なのですけれども、大丈夫かなとおっしゃっていましたね。リスクを許容できる年齢があると思うのです。例えば定職はこれぐらいまでは割としやすい、もしくはリスクを取ってフリーになって頑張って芽が出なくても、何らかの経歴があれば転職がまだできると言ってくれる企業はいまだにありますから、何歳ぐらいまでがリスク許容年齢かとか、大体この年ぐらいまでにこのぐらいの経験をしておいたほうがいいのではないかとか、リスクを減らすというのはリスクの許容範囲を物差しとして先生のような方が示してあげると、それならそこまで頑張ってみようかな、みたいな限定的なリスクの取り方あると思うのです。それについて何かアドバイスがあれば。
  • 山田氏 私は仕事に関しては、年齢は関係ないと思っているのです。ただ、生物学的に家族、子どもを育てるということになるとまた別問題なわけです。
    私の友だち、高校の同級生ですけれども、40半ばになって銀行を辞めて、法科大学院に入って司法試験に通って、50になって弁護士になったという人もリスクを取ったのですけれども、よく家族は反対しなかったね、その方は専業主婦と高校生の子どもがいたのですけれども、もし失敗したら家族一家路頭に迷うわけですね。逆に、それだけ必死になったから大丈夫だったのか、自信があったのか分かりませんけれども、そういう意味で、仕事に関しては、いつ転身しようが何しようが、ある程度そこそこになるとできるような社会だったら望ましいと思っているのです。つまり、会社、企業がせめて新卒一括採用の半分ぐらいでも中途で採るような社会になれば、いつまでもリスクを取れるような気がします。
    制度が変わるまで待てということであれば、せめて30ぐらいまでに安定したキャリアをつける見通しを付けておく必要はあるとは思っています。ただ、家族のことを考えると、いつ何時というのも言えませんので、そことの兼ね合いは大きいと思います。
  • 質問者<6> 私は転職活動したことがあって、未経験を募集している会社もかなり多くあるのですが、大体年齢制限があって、新卒から30歳までとか、学歴や経歴は関係ないけれども、やはり32歳までとか、28歳までとか、やはり30歳というのは転職活動でかなり企業の雇用としては強いボーダーになっているのかなという印象があるのです。
  • 山田氏 それは能力の問題ではなくて、日本の男性の序列意識ですね。つまり、年上の人に命令したくない、年下の人から命令されたくないというような序列意識がすごく強いので、公務員は年次によって完全に序列意識の中で生きていますので、企業はもうちょっと緩いですけれども、そこはやはり大きいと思います。
    とにかく男性の嫉妬ほど困ったものはないというやつで、多分日本は嫉妬をかわしたり、嫉妬心というものをコントロールするためにエネルギーを注がなければいけないために、グローバル化に乗り遅れているのではないかと思います。
    アメリカは年齢を聞いてはいけないし、聞かないし、年上、年下、男性、女性、少なくとも表向きは関係なく仕事をしなければいけないことになっているのでいるのですけれども、日本は年功主義というのでしょうか、それが今のグローバル化の中でなかなか合わない、うまく企業が活性化できない理由かなとも思っていて、それが30歳までという年齢的な能力を考慮してということではないと思っています。ただ、この文化を変えるのが一番難しいのですので、それはなかなか大変かなと思います。
  • 質問者<7> 本日は貴重なお話ありがとうございました。
    今、経済的な困窮者と社会的孤立にある方々をそういう状態から脱却させるという生活支援戦略を策定するという部署で働いておりまして、その中の1つで大事なテーマで、子ども・若者の貧困問題に取り組むということをやっています。
    先ほど非正規の問題もお話をいただいたのですけれども、その中で100人の非正規の方にアンケートして、夢を持って過ごしていくというところがあって、ただ、夢がかなわなかった場合に、そういう方々の生活がシステムのうちに入りづらくなってくる。そういうところを非常に我々としても、制度の中に入るということではないのですけれども、それでも安心して生活ができるような制度を目指しているのです。
    前提として今の形がありまして、先生の資料の一番最後のページに、雇用構造の大胆な改革が必要というところがございまして、その3つ目に新卒で正社員にならなくても安心して暮らせて再チャレンジできる環境といったものがございまして、ここについてもう少し詳しくお聞きしたいな思いまして、何か国内あるいは国外でも大丈夫なのですけれども、何か先生の知見、好事例などありましたらお伺いできればと思います。
  • 山田氏 私はオランダに1回、取材、調査に行きましたけれども、オランダモデルができればいいと思うのです。つまり、正社員、いわゆる短時間正社員と正社員の区別しかなく、派遣はありますけれども待遇は全く一緒というような形になるのが最も理想でしょうけれどもね。オランダでは暴動が起きて初めて気づいて変わったとかという話なので、落ちるところまで落ちないとその改革は多分できないでしょうねと思っています。
    あとはベーシックインカム的なものなのです。私も総務省の消費実態調査のデータをいじっていて気づいたのは、沖縄で出生率が高い理由というのは、非正規の男性が結婚しているのです。つまり、できちゃった結婚率が最高で離婚率も高いのですけれども、結婚している夫婦を調べたら、本土はすべからく男性はほとんど正社員なわけです。非正規社員は結婚しないで滞留していますけれども、沖縄だけが唯一の例外で、結婚している夫婦の中で夫が非正規社員の率が沖縄だけが突出して高かったわけですね。
    意識の問題なのか、別に本土に行くと、夫が非正規社員ですと言うと、人数が少ないからすごく格好が悪いのかもしれない。でも、沖縄ぐらいまで増えてしまうと、当たり前になってしまうと、それで子どもを育てても別に恥ずかしくないというような意識になれば、そして子ども手当が十分であれば、それで結構結婚して子どもを育てながら楽しく暮らせるのではないかと思うのですけれども、本土は非正規社員と結婚するなどとんでもないというような女性、文化がすごく強いので、女性に責任があるとかそういうわけではないのですけれども、実際にまともな生活ができないのですけれども、そういう手もあるかなと思います。
    つまり、逆に言えば、欧米はパラサイトシングルではないので、非正規雇用であろうが何であろうが、1人で暮らすよりも2人で暮らしたほうが生活はできますから、2人で暮らして子どもが生まれて、ヨーロッパでは主に手当、アメリカだと夫婦の乏しい収入であわせて子どもが生まれていますけれども、日本とか韓国とか台湾だと親のもとで暮らしてしまっていますので、そういう人たちが親のもとでますますひきこもって滞留していきますね。パラサイトシングルという言葉を使ったのはもう15年前なのですけれども、これほど反映されないものはないと思っているのです。低い収入の人が増えているというときに、親と同居している低い収入の人とひとり暮らしをしている低い収入の人では、もう立場も状況も全く違うというのだけれども、なかなかその差が問題にならないということが逆に問題だと思っているのです。
    今、対象にしているのはどちらなのでしょうか。親と同居している低収入者なのか、ひとり暮らしの低収入者なのかというと。
  • 質問者<7> 今のところは幅広く。
  • 山田氏 両方いるわけですね。親と同居している低収入者が問題になるのは親が亡くなったときなので、もうそうなってくると中年になっていますので、今、パラサイト中年が増えているというので、私はパラサイトシングルのその後という本を書こうと思っているのですけれども、なかなか忙しくて書けないのですが、私がパラサイトシングルの調査をしたころの20代の人や30代、40代になって親と同居したまま非正規になるという人が増えてきているので、そちらもどうにかしなければいけないし、ひとり暮らしで困っている人たちもどうにかしなければいけないし、できちゃった結婚で暮らしている人たちもどうにかしなければいけない。
    トルストイの有名なものがありますね。幸せな家族はみんな同じだけれども、不幸な家族というのは人それぞれだ。つまり、制度の内側に入っている人というのは、日本は本当に恐ろしく似ているのです。でも、制度から外れてしまった人というのはすごくばらばらに存在している上に、若い人だったら親と同居していたり、できちゃった結婚していたり、ひとり暮らしをしていたり、母子家庭だったりするので、同じ若い人でもすごく状況が違うので、そこをどういう風に区分して対策を立てていくかというのは、よろしくお願いします。

以上

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