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平成24年度青少年問題調査研究会
第5回 講演録

日時:平成25年3月13日(金)16:00~18:00
場所:中央合同庁舎4号館 共用419会議室
講師:非営利団体TEDIC 代表 門馬 優 氏
スタッフ 星 友莉恵 氏
テーマ:「学生たちによる被災地の子どもの学習支援等の展開」

内閣府子ども若者・子育て施策総合推進室


  • 司会 本日は非営利団体として被災地での教育活動を行っている団体、TEDICで代表をされております門馬優様と、現地スタッフとして活動されている星友莉恵様をお招きしております。
    まず、大体約1時間半くらい御講演をいただいた後、質問の時間をとっていただければと思います。
    早速ですが、御講演のほうをよろしくお願いします。テーマは学生たちによる被災地の子どもの学習支援等の展開です。
  • 門馬氏 今、御紹介に預かりましたTEDIC代表の門馬と申します。今日はよろしくお願いします。
    テーマが、学生たちによる被災地での学習支援活動ということで、何を話そうかと、内閣府さんと御相談をさせていただきまして、何で学習支援活動を今、私がやっているのかというところを立ち上げ期のところから順番に話をということだったので、震災当時に戻りながら話をさせていただきたいと思います。今日は僕だけで話をするのもと思ったので、地元の石巻市の大学生スタッフを連れてきました。震災のときの話等々も話をしてもらえたらと思っていますので、今日はよろしくお願いします。
    まず自己紹介をさせていただきます。出身は宮城県石巻市になります。正確に言うと生まれた地域が石巻市の湊という地域になりまして、名前のごとく海のすぐ目の前で生まれました。今回の震災でかなり被害のあったところになります。
    大学は早稲田大学の大学院で教職研究科を今月で卒業するのですが、震災当時は同じ早稲田の法学部のほうに在籍をしておりました。大学院に進学をする直前に震災があったということになります。
    職歴ですが、実は学部の時からNPO法人の職員として働いておりまして、学生ですけれども、半分社会人のような形でいろいろな営業とかをやっておりました。やっていたことは首都圏の学校さん向けにキャリア教育のプログラムを開発しているというのが1つ。もう一つが大学のほうで中退予防という観点からですが、初年次教育のプログラムの開発をさせていただいておりました。大体年間で100校近くの学校とお付き合いをさせていただいておりました。
    そして、2011年5月からTEDICという団体を立ち上げて、現在は代表をしております。ちなみに中学校、高校の地理、歴史、公民の教員免許を持っている、教員を目指していた人間でございます。
    職歴のほうの切れ目にあるのですが、ちょうど2011年2月と5月の間にまさにあったのが東日本大震災かと思います。2011年3月11日ですね。東日本大震災が発生しました。このときからいろいろと話をさかのぼっていきたいなと思うのですが、まずこちらの写真をごらんいただけたらと思います。
    右下の日付に着目していただければと思います。2011年1月2日の写真になります。震災の2カ月前に石巻市の実家のほうで撮影をした家族写真になります。次に、これが直後に撮った写真ではないのですが、3カ月後の2011年4月には、このような形になりました。まさに同じ場所ですね。同じ場所がこのような形になってしまいました。さっきいたところは、いわゆる居間のような場所ですけれども、そこに家具であったりとかが流れてきて、この家はちなみに全壊判定ということで、2階の天井のところまで完全に波が来てしまっているのですが、本当に2~3カ月くらい前まで楽しそうにピースをしていて、写真を撮って、正月をしていたところ、3カ月後にまさかこうなってしまうとか思わなくて、現地に初めて行ってときにすごく声を失ってしまいました。
    先ほどの職歴にもありましたが、もともとNPO法人のほうで職員をしておりましたので、その関係もあり、日本財団さんの緊急派遣ということで3月下旬に私は石巻市のほうに入りました。当時はこういう状況ですね。道なんですけれども、瓦礫が積み重なっていて、マスクがないと息ができない状況で、手袋をしながら、長靴を履きながらみたいな状況です。
    本当に慣れ親しんだ町のほうに僕は派遣をされたのですけれども、建物が流れ着いていて、何がどこかがよくわからないんです。目印がない。交差点にあるはずの建物がない、看板もない。道路の真ん中になぜか一軒家があるみたいな、そんな状況でまず緊急派遣の現地に行きました。写真をお見せしますとこんな感じです。ここは石巻市の北上町というところです。余り報道されていないのですが、15メートルの津波が来たところになります。
    大川小学校がすごく取り上げられているかと思いますが、大川小学校と同じように校舎が丸ごと飲み込まれた学校が北上にありまして、吉浜小学校と言うのですが、この写真だと見にくいのですけれども、ここですね。ここに鉄骨だけというか骨だけ残っているのが吉浜小学校で、体育館ごと全部飲み込まれてしまったり、そんな地域があったりしました。
    そんな被災地の自分の地元なり、石巻市を緊急派遣ということで回っていて、僕が何をしていたかというと、大きく3つのことをやっていました。1つ目が、まず避難所の運営です。おじいちゃん、おばあちゃんが非常に多い地域でしたので、組織的に、かつボランティアを受け入れながらマネジメントをできる人材がいないということで、まず避難所全体の運営でした。物資であったりとか、ボランティアさんであったりとか、救護班であったりとか、そういう全体のマネジメントをやっていました。
    もう一つが震災当時あったことですけれども、僕などは3日間くらい何も食事を食べなくても、寝なくても、薬を飲まなくても特に命に別状はなく過ごしていくことができるのですが、当時あったのは、ある特定の薬がないと一日でも命が危ないであったりとか、あとは耳が聞こえないゆえに避難警報のサイレンが聞こえなくて、どうしたらいいのか、わたわたしているお子さんであったりとか、あとは小さい子どももそうですし、外国籍の方等々ですね。震災のときにある意味、何も問題がなかったらいいですけれども、特にかなり危険な状況に追い詰められてしまう。いわゆるスペシャルニーズを持った人たちを専門機関とつなぐ。そういう方に説明を避難所の中でして、その方を専門機関につなぐ活動をしていました。これが2つ目です。
    3つ目が図書館のほうでキッズルームの立ち上げをやりました。おじいちゃん、おばあちゃんが非常に多いので生活リズムが避難所の中でもばらばらですね。朝は4時に起きます。夜は8時、9時には寝てしまうというリズムの中で、子どもとどうしてもリズムが合ってこない。なかなか子どもの居場所がないですし、やはり実際にあったのは、夜泣きをしている赤ちゃんに対して、あんな子どもはさっさと捨てちまえみたいな怒声が避難所の中に飛び交ったりとか、そういうことがあったりしたわけです。小学校が避難所だったのですけれども、そこの2階にキッズルームということで子どもだけが使える場所を設置しました。
    この3つですね。避難所の運営、スペシャルニーズのマッチング、キッズルームの運営。この3つを私自身は主にやっておりました。避難所のほうに、この中で実際に行かれた方はどれくらいいらっしゃいますか。多分ほとんどの方が実際に避難所のほうに足を運ばれているわけではないかなと思ったので、避難所の様子を写真で紹介させていただけたらと思います。
    こちらは本部機能です。ここが全体のトップになって、意思決定を行っていく本部になります。最初にボランティアさんであったりとか、あとは行政の方であったりとか、あとはいわゆる義援金を持ってきましたとか、この物資を届けてくださいみたいな、いわゆる一般の方ですね。例えば、1回あったのが、大阪からキャベツ1トンを積んできましたという。1トンも食えませんよ、みたいなことがあったのですが、そういうやり取りをしながら調整をしていくという本部機能です。
    ここが湊小学校ですけれども、ボランティアセンターです。さっきのキャベツの1トンの下りではないですけれども、とにかくいろいろな人が来るんです。本部は大混乱で、中には住民さんも、例えば自分の息子を探したり、失業保険はどうしたらいいのかという話でどんどん来るので、その対応に追われて、ボランティアのマネジメントは外に機能として置いていました。これがボランティアセンターです。
    写真が悪いですけれども、これが物資庫です。
    部屋割りがこう決まっていまして、この避難所は町名と番地とか、それごとに決まっていて、僕の祖父母とか家族がいたのが港2丁目なので2-1ですね。ここにいました。いろいろ決まっていて、体調不良、3-1と書いてあるのですけれども、感染症であったりインフルエンザであったりとか、その辺が広まってしまうとかなり危険な状況なので、とにかく体調を崩した人は隔離をする。別の部屋で安静にさせておくということでこういう部屋があったりしました。こういう部屋割りがあったりしました。
    あとは体育館の中ですね。みんなで炊き出しを食べているときの写真です。
    2階の写真ですが、これは窓ですけれども、緑色のテープがバッテンにされているんです。もちろんガラスは割れているので、ビニールシートが張られていて、そこがテープでバッテンにされて補強されているんですけれども、ちなみにこれは何のために補強を、わざわざバッテンにしてまでしていると思いますか。風を防ぐだけであれば、バッテンにする必要は全くないんですけれども、どうしてこういう工夫をされていると思いますか。
    これは実は当時あったのですけれども、飛び降り自殺を防ぐためにテープで、窓を突き破れないようにしているんですね。4月の頭に2回目の大きい余震がありました。震度6強ですね。あのときにまた大津波警報が出たんですけれども、その日を境に、もうこんなところで生きていられないというので、夜になると、じいちゃん、ばあちゃんが自分で飛び降りて死のうとするんです。そういうのを何とか、いやいやいやとか言いながら、お孫さんとかが引き止めているんですが、ちょっと目を離してしまうとそういうことが起きてしまうので、ガムテープ張りにして、そういうのを防ぐためのテープを張っていました。
    プールはこんな感じです。車が思いっきり中に入ってきたりしています。
    校庭はこんな感じです。校庭を上から撮った写真ですけれども、向こう側が海ですが、手前には希望の湯という白いテントがあるのですが、これは新潟県の中越の方々が、自分たちが被災したときにやったので、今度は恩返しということで建ててくれた仮設のお風呂になります。自衛隊車両があってという感じです。多分5月の写真だと思います。
    これが4月21日です。石巻市で初めて学校が始まった日の始業式の写真になります。港地区には2つの小学校がありましたが、ここが避難所になっている湊小学校。もう一つが湊第二小学校というのがあったのですが、第二小学校のほうが完全に飲み込まれてしまったので、湊小での合同の始業式となりました。
    以上が避難所の状況で、さっき話した3つのことをずっと活動していたわけです。
    2つ目のスペシャルニーズを探すということで、湊小学校に僕はいたのですが、ずっといたわけではなくて、ほかの避難所のアセスメントにも回っていたんです。そのときに幾つか出会ったケースを紹介したいなと思います。それがこの写真です。黒いのが僕ですけれども、これはある避難所ですが、手前で子どもたちがオセロをしているなと思っていたら、よく見ると普通オセロを遊んでいれば、こんなことにはならないではないですよね。色が。何をやっているのと聞いたら、ちょっと見ていてと子どもたちが言うわけです。ゲームをやるのを見ていたら、何をしたかというと、白いやつと黒いやつを2人でがしゃんとぶつけ合って、ばしゃばしゃばしゃとやって、生き残った数が多いほうが勝ちと言っていたんです。そのゲームの名前は何て言うのと聞いたら、これは津波ゲームだよと言っていました。この写真の僕はすごく笑っているんですけれども、それを聞いた瞬間に、それがいいことなのか、悪いことなのか、自分で抱えている感情を外に出していることが、その当時はいいことだったのかもしれないですけれども、僕にとってはすごく衝撃な体験で、それだけこの子たちにとって、あの津波というのは、もちろん大きいことだとわかるんですけれども、子どもの声で聞くとすごくショックがあって、そんなケースに出会うこともありました。
    この女の子は石巻市の雄勝という地区にいた女の子ですが、震災でお父さんとおねえちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんを亡くしているという女の子でした。もともとずっとサッカーをやっていた子だったので、一緒にボールでも蹴ろうとか言いながら、ボールを一緒に避難所のほうで蹴っていたんですけれども、この子から聞いた話もかなり壮絶で、震災のときは海が盛り上がって、朝になって引いていったので、何とか食べるものはないかというので、海からシャケとか上がってくるわけです。それが下りてぴちぴちやっているので、手で捕まえて食べていたという話をしていて、僕は後から入った人間なので、そのときのことは知らないですけれども、サッカーボールを蹴りながら笑顔で語るわけです。何だこれはというか、異常な状況だなと感じました。
    この写真が5月という話をしたんですけれども、3月から入った派遣の期間も5月でいよいよ終わりということになってきました。ちょうどゴールデンウィークが1つの境だったので、ゴールデンウィークに節目というか、子どもたちにとっても震災の後の初めての休日というか、休日といってもほとんど家にいるんですけれども、ゴールデンウィークと名前のつくものだったので、何かしようという話になり、教育委員会のほうから石巻市で被災した子どもたち向けのキャンプをやってくれという話をもらい、キャンプをやりました。そのときの写真がこれになります。ここにいる子たちは全員、自宅が全壊している子どもたちで、避難所で普段は生活しているんですけれども、キャンプをやるよということで集まってもらいました。
    このキャンプを5月のゴールデンウィークに1泊2日でやったんですけれども、その1泊2日でキャンプをやったときに、ある女の子のことがすごく気になったんです。その子は何をしていたかというと、悪いところが目に付いたわけではなくて、すごく元気なんです。にこにこ笑いながら、この子は高校3年生だったんですけれども、下級生をばんばん仕切って、バーベキューとかも、次はにんじんを焼くよ、焼けたから食べなとか、片付けをやるから、たわしを持ってきて、ばりばりと仕切ってやっているんです。 この子はすごいなと思って、「何でおまえはそんなにリーダーシップを発揮して頑張れるの」という話を聞いたら、実はその子というのは震災孤児の女の子でした。よくよく話を聞いていくと、震災の直後は何も考えられないほど真っ白な状況で、何も話せなくて、家も流されていますし、家族もいないということで、当時付き合っていた彼氏の家に引き取られて、一緒に生活をしていたと。だんだん泣くのに疲れてくるというくらい泣いていたときに、彼氏のお父さんにこんなことを言われたと。どんなことを言われたかというと、「なあ、おまえがいつまでもそうやってめそめそ泣いていたら、どこで見ているかもしれないお父さんとお母さんが悲しむやろ。だから、おまえはせっかくこうやって生き残って命があるんだから、お父さんやお母さんが悲しまないように、おまえは今、残された命をしっかり笑顔で生きなきゃいけないだろう」という話を彼氏のお父さんに言われたそうです。
    その言葉をきっかけにその子は、自分が残ったこの命を120パーセントではないですけれども、最大限に生かしながら生きていこうということで、1つ決めたことがあると言いました。それが、人の前にいるときは絶対に笑顔でい続ける。元気にい続けるということなんだそうです。その話を聞いたときに、僕は教員を目指していたんですけれども、何て強いんだと思いました。さっきまでの子たちもみんなそうですけれども、自分がもしこの場所にいたとしたら、そんな笑顔で生きようとか、強く生きようとか思えないだろうなと思って、そんな状況の中でもこの子たちは笑って前を向いて、何とか一歩を踏み出そうとしているというこの事実に触れたときに、僕はすごく衝撃を受けました。自分は先生というのを目指していたときに、生徒に何か教えようという気持ちにすごくなるんですけれども、生徒に何か教えるではなくて、生徒から何かを学ぶという強烈な体験がそこであり、その子といることで僕はすごく学んだものがあったというか、得るものがあったなとそのときに思ったんです。
    もう少しその子と話をしていると、その子のことはゴールデンウィークのときに本当にすごいなと思ったんですけれども、まだ震災から1カ月半ですね。自分がこういう経験をしているからこそ伝えられることが絶対にある。だから、自分は看護師になって、傷ついた人たちのために働きたいということをその子は言ってくれました。専門学校に行きたいというんですけれども、「じゃあ、専門に行けばいいじゃん、応援するよ。」という話をしたら、勉強ができず、成績も悪いんですと。さっきも言ったんですけれども、僕に対してすごく学びになるなと思ったのと同時に、その子が困っていることがやはり勉強だった。自分は教員を目指している人間として、勉強ということだけであれば、何とか力になれることがもしかしたらあるのではないか。僕は彼女みたいな子たちと接することですごく学ぶものがある。それは別に言葉にできるものとか、何か数字で見えるという話ではないですけれども、一緒にいることで僕が教員になるキャリアの中で、すごく生きてくるものだろうと思ったので、「じゃあ、俺が勉強を教えてあげるよ」と言って、勉強を教え始めました。それがTEDICのある意味のスタートです。5月の半ば頃の出来事になります。
    その子に勉強を教え始めたんですけれども、同じような子どもたちは避難所のどこにでもいて、当時はお母さんたちの声ですごく多かったのが、学校が再開したけれども、教材はないし、でも、今年は受験だけど、もう見送るしかないかなとか、仙石線という電車が流されてしまって復旧しなかったので、仙台の私立を受けられない。石巻市には私立高校がない。受験は一発勝負だ、どうしようという声が上がったりとか、そもそもただでさえこの子たちは勉強できないのに、2カ月も学校に行かなかったらどうなってしまうんだろうみたいな声があったりとか、そういう声がすごく多かったので、どの避難所にもいるだろうということで避難所を回りました。
    避難所を回るときに、僕一人で回るわけにはいかないので、当時は大学院に在籍していたので、ゴールデンウィーク明けに一旦大学院に戻って、そこの大学院のメンバーに声をかけました。教職大学院のメンバーなのでみんな教員を目指しているのです。だったら勉強を教えることができるのではないかという話をして、みんなを集めて石巻に戻りました。週末に石巻に戻って、避難所を回って、こういう勉強を教えることが何とかできますので、もし力になることがあれば言ってくださいと、いろいろな避難所を回って、チラシを配って、本部の人に話をして、みたいな活動をずっとやってきました。 それで集まった各避難所の生徒たちを対象に、僕も含めて、うちの大学院の学生が毎週末に石巻のほうに出張して、避難所のほうで勉強を教えるという活動をスタートしました。当時の写真を何枚か持ってきたんですけれども、これは学校で教えているように見えるのですが、津波線が入っていて避難所になっていて、避難所は学校なので黒板はあるし何とか机もあるというので、無理やり机を引っ張ってきて、この辺とか泥で汚れてしまっているんですけれども、それはみんなで掃除をして、これは分数の割り算、掛け算をやっていたときの写真ですね。
    あとは小学生に漢字を教えている写真です。ここは七ヶ浜町という石巻市ではない別の地域ですけれども、そこの地域で子どもたちに教えている写真です。ここは避難所に学習できるようなスペースを設けることができなかったので、流れてしまった民家の掃除をして、そこで勉強を教えるということもやりました。
    ここはすごくきれいなところですけれども、別のNPOさんが支援に入っていて、そのNPOさんが拠点にされているところをお借りして、そこで子どもたちに勉強を教えてという活動をしました。ゴールデンウィーク明けからなので、この活動を大学院のメンバーと8月までやりました。8月までという期限を決めたのはなぜかというと、1つは避難所の閉鎖が見えてくるのが恐らくその時期だろうということで、そこを1つのめどにしていました。いろいろな思いがあったんですけれども、今後も続けるべきだという声もあったりとか、いろいろな声もあったんですが、子どもたちにかかわっていく活動の中で、かつ、お金がない。みんなボランティアという状況の中で、今後もずっとずっと続けていきますよということを安易に言ってしまうことに対する責任は取れるのかというところがすごくありました。
    一旦8月をめどにやろうよという話をしたんですけれども、そんな話をしていたら、8月の最終授業ではなかったと思いますが、あるときのこの写真のまさにこの彼ですね。この子は中学3年生ですけれども、この子がぽつりとこんなことを言ったんです。どんなことを言ったかというと、「震災が来て、僕は救われたと思っているんだよ」という言葉を発したわけです。一瞬、耳を疑って、何を言っているんだおまえは、と思ったんですけれども、どうして彼はこんなことを言ったと思いますか。
    実は、彼は中学3年生という話をしたんですけれども、震災の直前にお父さんがリストラに遭っています。もう少し言うと、アルコール依存症になったお父さんがお母さんに暴力を振るうようになり、彼自身も実は中学1年生のときからずっと不登校の状況で、自分の弟が不登校で、お母さん、お父さんはめちゃくちゃでという状況を見ていたおねえちゃんが家出をして帰ってこない。そんな家庭に津波が来たと。津波が来て何が起きたかというと、避難所に行くと強制的に、体育館は壁とかないので、いろいろな人の目に触れるわけです。それと同時にボランティアさんがたくさん入ってきてくださっているので、自分から助けて、何とかして、お父さんとお母さんが大変なの、おねえちゃんが帰ってこないという声を上げなくても、ボランティアさんが向こうから声をかけてくれる。何か困っていることはありませんかという一声であったりとか、お父さんは最近元気がなさそうですけれども、大丈夫ですか、お母さんは大丈夫ですとか、そういう声かけを自然としてくれる人が周りにできた。それによって自分のつらい気持ちであったり、本当は勉強したいという気持ちだったり、いろいろな気持ちを打ち明けることができて、人とつながることができた。いろいろなものを震災で失って、この子の家は全壊なんですけれども、家も全部流されているし、本当に大切なもの、卒業アルバムか、いろいろなものを失っているんですけれども、それでもという状況から自分は脱することができて、だからすごく幸せなんだ、だから救われたと思っているんだという話をしてくれました。
    すごくショックでした。震災が来ないと救われない子どもがいる社会ってどうなのと、まず真っ先に思いました。彼はこう続けて言ってくれたんです。不登校状態にはあったんですけれども、自分はすごく救われている、恵まれているほうだと思うと。たまたま大きい大震災があったからこそ、いろいろな人の注目が集まり、いろいろ人が駆けつけてくれて、いろいろな人に気にかけてもらえて、自分の助けてと言えない声を拾ってもらうことができた。でも、実は同じような子たちは日本全国どこにでもたくさんいて、その子たちはこういう大きい機会がないからこそ、なかなか日の目が当たらなくて、だから自分はたまたまこういう機会があったからこそ幸せなんだ。だから、ほかの地域のそうやって同じように困っている子どもたちを何とかできるように、日本の教育を何とか変えなければいけないというので、その子は大学に行きたいと言って高校受験をして、今は高校1年生ですね。次に高校2年生になるんですけれども、通信制の仙台の高校に通っています。
    その彼の言葉が表していることは、まさにそのとおりだろうと思っていて、もちろん人数の多かれ少なかれ、そういうものはあると思うんです。ただ、日本というところを見たときにも、すごく恵まれていて学校制度を整っていますが、どうしてもドロップアウトをしていくような子どもたちもいて、そういう子どもたちのためにも、震災支援の活動で学習支援活動をしてはいるんですが、同じような機能を震災に限らず、そういった困っている、なかなか声を発することができない子どもたちのもとに赴いて、支援活動をしていくことが大切なのではないかということをすごく思っています。
    本当は8月でやめるつもりの活動だったんですけれども、この彼の言葉を聞いたときに、今後も何とか続けていく道を模索していこう。まずは被災地、石巻市の子どもたちに何とか手を差し伸べていって、それがゆくゆくは形になっていった段階で、全国で同じように学生がアクションを起こしていく。そういう活動につながっていけばいいなということで、活動を続けることに決意をしたわけです。
    ここまでがTEDICという活動をなぜ立ち上げたのかというところから、何で続けているのかという話でした。
    続けていくことを決意した後にいろいろな問題がたくさんあるんです。まず、お金の問題がありますし、お金の問題を解消するためには、当時は東京からずっと行っていたので、そこの交通費をとりあえず減らさなければいけないという話になりました。かつ、移動がどうしても負担なので、高速バス、夜行バスでずっと行っていたので、いつエコノミークラス症候群になってもおかしくないので、現地の人たちを巻き込んでいかないといけないねということで、いろいろな知り合いに当たっていきました。
    一番最初が石巻専修大学さんです。石巻専修大学に行って、いろいろなことをしたんですけれども、授業にもぐり込んで一緒に学生のふりをし、グループワークを一緒にして、ふたを開けてみたら大学の違う人だったみたいな。それで一緒に御飯を食べに行こうよみたいな話をして、完全に怪しい宗教ですけれども、そういうことをしながら仲間を集めていって、最初に参加をしてくれたのがここにいる星さんになります。ここから僕の話も続くのですが、時間も時間で30分くらい話をしたので、星さんからいろいろ話を聞く時間にしてみたいなと思います。
  • 星氏 初めまして、こんにちは。石巻専修大学理工学部基礎理学科3年の星友莉恵と言います。よろしくお願いいたします。
  • 門馬氏 全然、学部から何を勉強しているかはわからなかったので、何を目指しているか、どういうことを勉強しているかを教えてもらっていいですか。
  • 星氏 私は今、理科の中高の教員になるための教職課程を履修しています。専攻は生物系のほうで、現在、大学3年生です。
  • 門馬氏 いろいろな話を聞きたいんですけれども、こちらの星さんは震災の当時、彼女は石巻市に住んでいた人間なので、震災のときも石巻にいたんですね。そのときの話を聞かせてもらっていいですか。
  • 星氏 私は地震が来たそのときは、大学1年生の春休みだったんですね。その日はちょうど休みで何も予定がなかったので家にいて、妹が近くの高校に通っていたので、車で迎えに行って、帰ってくるところだったんです。そこで帰ってくる橋の上を通過しているときに震災に遭いました。あのときはものすごく揺れて、橋の上で車がバウンドするくらい揺れていたので、本当に怖い思いをしながら、そのまま家に帰ったんですけれども、私の家結構内陸のほうだったので、門馬さんが今、御紹介したような津波の被害とかはなかったんですけれども、家のほうに帰ると揺れがすごかったので、自宅のほうの瓦とかもすごくはがれ落ちていたり、壁にひびが入っていたりという状況になっていて、そこからなかなか大変な震災の生活が始まったんですね。
  • 門馬氏 ちなみにお友達とか親戚の方とかというのは大丈夫だったんですか。
  • 星氏 私の場合、友達は海沿いに住んでいる人がいなかったので、親戚の方もそこまでひどい被害には遭っていなかったのですが、親戚のある女性の話で、その日、その女性は仕事場で被災して、そのまま家に帰れなくなって、家が津波に襲われてしまったんですね。家にいた生後1週間か2週間の子どもだったのですが、家にいたはずのその子の行方がしばらくの間わかっていなかったということがあって、結局、数日後に自衛隊の方によって発見されたとか、そういうことがありました。
  • 門馬氏 震災の後はいろいろ大変だったと思うんですけれども、今、彼女はうちの団体の中で最前線で子どもたちの学習支援に当たってくれているわけなんですね。うちに参加しようと思ったきっかけとか理由とか、そういうのを教えてもらっていいですか。
  • 星氏 私の場合は、TEDICさんは震災後の5月から活動を開始していたんですけれども、私の参加したのは翌年の4月から参加していますその参加の経緯といいますと、移動手段に車が使えたので、それを生かして復興に関するボランティア、瓦れき撤去などなどをしてみたいなと思って、最初の時期3月、4月、大学が春休みの間はそれには参加していたんです。復興にかかわりたいという気持ちがすごく強かったので。それで大学が始まってから、その行っていたボランティアなどもぱったりやめてしまっていて、それから1年の間は何かしたいなという気持ちだけ中にはくすぶっていたんですけれども、どうもそれを実行に移すきっかけというものがなかったといいますか、自分一人で行動を一歩起こすというのがどうしてもできなかったんですね。
    それでふいに友達と話をしていたら、その友達から門馬さんのことを紹介していただいて、そうしたら教職課程を履修している人たちがしている学習ボランティアというのを聞いて、それも石巻で、そこで被災地支援として子どもに勉強を教えようと、私はそのときTEDICへの参加を決めました。
  • 門馬氏 印象に残っている生徒とかいますか。たくさんいると思うんですけれども、元気な子どもたちが。
  • 星氏 そうですね。とっても元気な子たちがいるんですが、私が参加した4月からTEDICの活動をしていて、とある中学校の男子生徒たちを教えていたんですけれども、その子たちがもうすごく元気いっぱいな子たちと言えば聞こえはいいんですけれども、しっちゃかめっちゃかというか、自由奔放な生徒たちだったのです。
  • 門馬氏 ちょっとだけ補足をすると、本当にしっちゃかめっちゃかなんですけれども、震災までは落ち着いていたんですが、震災の後に学校が再開して戻ってきたときに一気に荒れが噴出したというか、10人組の問題行動をする子たちがつらなっているみたいなグループがあって、そういう子たちを見ていたという話です。
  • 星氏 情報としては事前にそういう子たちを教えることになると聞いてはいたんですけれども、会ってみて、教える側に対しての若干の威圧感みたいなものを私も感じて、それも一番最初にTEDICに参加したときの授業だったので、そのときにこの子たちがする私のカテゴライズによっては、もうかかわり方がすごく難しくなっていくのではないかという不安をすごく感じました。教師ではないし、教える側として前に立つというか、一緒に教えることになったので、それでその子たちとうまくやっていきたいけれども、どうだろうと思った子たちですね。ちなみに1年間教えました。
  • 門馬氏 生徒と震災の話とかすることはありましたか。
  • 星氏 生徒と直接その話をしたことは全くないです。でも、家族の話や普段の遊んでいることの話ということから、その話に入っていく。あちらから出してくれるということでは、話したことはありました。
  • 門馬氏 何かそういう話で話せることはありますか。
  • 星氏 小学生の子ですけれども、遊んでいた遊びのことについて話題が挙がったので話していたら、楽しく話していたんですね。最後の締めくくりというか、最後にぼそっと、「でも、震災で遊んでたところは流されちゃった」と言われたときは、ちょっと心が痛むというか、そういう思いでした。
  • 門馬氏 また話を聞きたいと思います。ありがとうございます。
    彼女にいろいろ話をしてもらったんですけれども、彼女みたいな人を巻き込むために、授業にもぐり込んだりとかいろいろやっていたんですけれども、それによって宮城県内の学生が徐々に集まってきて、去年の4月から宮城県内の主に石巻市の地元の大学生さんと一緒に活動をしていくという状況になります。
    ここからですけれども、資料のほうに話を移したいと思っています。宮城県内の学生を巻き込んだことによって一気に地元の中でできることが増えましたし、あとは同じようなケースで、僕たちのほうから声をかけなくても、別の被災地のエリアから活動をしたいという声が上がるようになってきました。
    TEDICの現在までの実施エリアで、大体このような地区をやっていました。北は気仙沼、南は福島県のいわきのほうまで活動をさせていただいていました。オレンジ色になっているところが初期であったり、あとは期間限定という形で夏休みだけこちらから学習支援を派遣するという形でさせていただいたところです。赤になっているところが全部で6カ所あるのですが、そちらのほうが現在、私たちのほうで学習支援活動をさせていただいている地区になります。
    生徒数は全部で申込者数で言うと、約100人になります。仮設住宅の集会場もしくは公民館等々で個別の学習支援をしています。僕たちは学習支援ボランティアのことを生徒と寄り添う関係というところをすごく大事にして、生徒から学ぶスタンスで大事にしたいという思いから、あえて距離の近いチューターという言い方をしているんですが、それは延べでいうと今まで約60人いるような状況になっています。
    この生徒100人の大体の内訳ですが、中学生が8割くらいです。小学生が1割、高校生が1割で、圧倒的に中学生が多いです。中学校の中でも中学校2年生の後半くらいから進路を心配し始めて参加するようになったという子が多くて、今年も20人以上の卒業生を出すことになるのかなと思っています。
    いわき地区ですけれども、もともと僕は石巻の人間で宮城県だけでやっていたのですが、過去にかかわってくれたチューターの中に、地元が福島県いわき市という学生がいまして、その学生たちがせっかくこういう活動をやるのであれば、自分たちの地元でも、いわきもかなりの被害を受けているし、放射性のすごく難しい問題があって、避難世帯がいわき市に来ていたりするのですが、そういう子たちのために力になりたいということで、かかわったチューターの卒業生が自分たちで独立して実施をしているのが、いわき地区の2カ所になります。こちらは生徒数が全部で20人くらいという状況になっています。強制避難世帯の話をしたのですが、実は来年度から東京都のほうでもTEDICの活動を実施することに最近決まりました。江東区の東雲のほうに強制避難の住宅があるのですが、そちらの子どもたちを対象に学習支援活動をさせていただきます。
    話が前後してしまったのですが、この制度のほとんどは交通手段がなかったり、もともと勉強ができない子たちがそれを補うために、今までは学校の補習であったりとか、塾とか予備校に通って何とか助かっていたんだけれども、経済的な事情で塾や予備校に行けないとか、交通費がなくて行けなかったり、あとはスクールバス登校を余儀なくされている生徒がかなりの数がいるので、スクールバスの時間に合うような放課後は帰らなければ行けない。学校に残ることができないという事情の中から、TEDICという仮設住宅のほうに通ってきてくれているような形になっています。
    いわきでなくて東京都のほうの実施で決まったのは、どちらかというと経済的な事情というよりも、どちらかというと社会的な要因といいますか、実際に聞いたのは、東京の子たちと一緒に勉強するのが怖いというのをすごく聞きます。それは東京のほうが進む進度が早いからついていけるかが不安だという話もありますし、現にいじめられたという子がいます。それは多分、東京の子たちもどうかかわっていいのかわからないのだろうなという中からの齟齬なのだろうなとは思うのですが、そういう声の中から、安心して、大熊の子たちを見ているんですけれども、大熊の地元の子たちの中だけで学べるような時間がちょっとでもあったらいいということで、東京都でも実施をさせていただくことになりました。
    今、現状をやっている学習支援のことを僕たちはアウトリーチ型学習支援という言い方をしています。アウトリーチという言い方をあえてつけて、社会福祉の用語をあえて持ってきているのは、先ほど話をした、助けてという声を上げられない子どもたちに何とか僕たちが援助をしていきたいという思いから、アウトリーチ型学習支援という名前をつけています。特徴としては3つです。
    1つは、一人一人の学習課題に応じた指導が可能というところなのかなと思っています。石巻市の沿岸部は全国の学力調査の点数とかでいいますと、お隣の仙台市と比べて平均点で10点近く点数が低かったりというような、もともと学力的に困難な地域であることには間違いないです。軽度発達障害の子たちが実は多かったりとか、小学校とか中学校段階でつまづきを抱えていて、それを高学年になっても引きずっている子たちがかなり多いです。そういう子たちに合わせて、学び方もさまざまに提供しながら、例えば、椅子に座って机に向かって学ぶ形だけでなくて、実際に運動をしながら、その中で学びをしていくという学習スタイルを提示しながら、個別の学習をするのが可能ですよというのを売りにしています。
    もう一つは、経済的困難に関係なく、無償の支援を今はさせていただいています。
    3つ目が、これはすごくうちの特徴だと思いますけれども、交通手段がなくても参加可能ということで、僕たちが出張していきます。現状できているのが毎週土曜日に石巻地区は、こちらの赤になっている4カ所を1日で回るという形をとっています。車に乗って、朝、事務所で荷物や教材を積み込んで、朝9時から夜9時までで4カ所回るという活動をしています。それによって遠くの仮設住宅に立地することができていて、なかなか足のない子たちも参加できているということがあるのかなと思っています。
    参加しているボランティアですけれども、子どもにかかわる支援活動になってくるので、ボランティアであろうとプロであろうと、やはり子どもにかかわることに対しての責任はあるだろうと。そして、子どもの進路に直接影響を与えてくるような、子どもの生き方に影響を与えてくるようなかかわり方になってくるので、その点について、しっかりとした研修を提供しています。発達障害、コーチング、ユニバーサルデザインという話もそうですけれども、TEDICの活動スタイルが個別の学習支援ということで、チューター1人につき、生徒2人とか3人とかでわからないところを教えていくというローテーションで、島が4島とかが仮設住宅の集会所の中にあるという形です。そのスタイルに合わせた研修をしてもらっているというような形になります。これを受けて現場に出て、現場で出た実践データ、自分の感覚を自分に戻っていくというようなことをしています。子どもたちにとっての場という意識はしていますけれども、それ以上に継続的にかかわっていく上でボランティアさんが参加してよかったと思ってもらえる、そういう仕組みづくりをひとつ考えていかないと、なかなか今後、被災地に何とかしようよという気持ちだけでは続かないところがあるかなと思っているもので、そういう思いもありつつ、この研修は特に力を入れていきたいと思っています。
    運営の体制としては、このような形になってきます。例えば石巻地区で考えますと、事務局とかはもちろんいるんですけれども、全体の教えるチューターをマネジメントしていくようなコーディネーターという学生のリーダーが1人います。その学生のリーダーにチューターが何人かついて1チームになります。その1チームが1つの集会所に出張して、チューター1人につき2人とか1人という生徒に対して学習支援をしていくというスタイルをとっています。
    このチューターに対してはプロボノという言い方をしていますが、専門家の方々にある意味無償でかかわっていただきながら研修をしていく。これだけだとプロボノの部分以外は、いわゆる学習支援活動と一緒ですが、もう一つはソーシャルワーカーであったりとか、カウンセラーであったり、ケースワーカーの方とも連携をしています。その理由は、先ほど荒れが噴出したという話があったのですが、ほかにも震災の後に金縛りによく遭うようになったという話や一気に無気力になって授業中にずっと突っ伏しているとか、TEDICに来ると普通だとか、いろいろなケースがあります。かなり子どもたちの心の面でいろいろなものが見えてきています。そういうことがあったときに、僕たちは学習支援をしている団体なので、社会福祉的な領域の専門家ともつながっていくことによって、生徒たちを包括的に支援をしていくところをある程度、意識をしています。金縛りの例とかもそうですけれども、そういう生徒がいたときにはソーシャルワーカーでカウンセラーの方と相談をして、重大で個別のカウンセリングが必要だとか、医療チームにつながなければならないという話になれば、そこでマッチングをすることもバックアップ体制として動いています。
    教えているところの現場の話ですが、お金の回り方ですね。かなりお金の部分が苦しい活動ではあります。先ほどから申し上げているように生徒の経済事情がかなりよくないので、なかなかとることができない中で、寄附や助成金をいただいている状況になっています。ただ、助成金も今後、赤い羽根さんは2015年末で終わると宣言をされていますし、徐々に減っていく中で寄附金をいかに集めていくのかというのが、今の課題です。
    今できていることと言えば、会員というものと同窓会という、この2つが寄附として僕たちを支えてくれています。会員というのは僕たちの活動に共感をしてくれて、被災地の子どものためであればということでお金を出してくださる民間の方であったりとか、企業さんであったりがこの会員に入っています。一般の個人の方もたくさんいらっしゃいます。
    この下の同窓会というのは何かといいますと、チューターの卒業生が同窓会に加入をしてもらっています。同窓会に加入をしてもらって、同窓会費という形でTEDICの団体にお金を寄附していただくということをやっています。チューターのほうはみんな学生で、かつ学校現場に、もしくは今後教育に携わっていくものが非常に多くて、今も北海道、東京、千葉、三重、広島、アメリカで卒業生が先生をやっているのですけれども、徐々に社会人になっていった卒業した人たちが同窓会に入っていて、それによって寄附がさらに回るようになるという、ボランティアにかかわってくる人がふえればふえるほど、寄附として集まってくるという仕組みを今は立ち上げて頑張っているところになります。とは言えという部分はもちろんたくさんあるのですけれども、そのあたりは今後、しっかり解決をして、やっていかなければならないと思っている状況です。
    今まで生徒100人近くの申し込みの中で学習支援活動をずっと続けてきたという話をしていたのですが、その中で見えてきた課題があります。その1つに挙げられるのが、子どもたちが家庭で学習する場所がないということです。特に仮設住宅の子たちに関して言えば、家でみかん箱で勉強をしていたりとか、一人部屋がないので部屋にある机で勉強しようとするんだけれども、思春期の子どもたちからすると、親にある意味、見張られるというか、見られている状況の中で勉強をするのは非常にプレッシャーになっていて、1問を間違うと、何であんたはそんなのもできないのと言われるたびに勉強する気が失せたりとか、そういう状況があって、なかなか十分に勉強するところがない。学校の放課後を使うかといったらスクールバスの関係で早く帰らないといけないという事情があったりとかして、そこの確保が困難という状況がわかりました。
    TEDICは仮設住宅に出張することで、そういう部分を何とか補ってこようかと思っていたのですけれども、人に限りがある活動なので、教えるということを全ての子に広げるためには、まだまだスタッフが必要です。何とか学習時間であったり、場所を確保してあげたいという思いから、先週にプレオープンをして、今週から本格的に始めたのですが、学習スペースをオープンすることにしました。石巻市の市役所がある建物の1階にオープンをします。場所としては石巻駅前の本当に真ん中です。スクールバスであったり、通学用のバスが集まってくるターミナルのような場所にこのようなスペースをオープンします。放課後の下校時に利用ができます。
    今、「いしのまキッチン」という地元のお母さんたちがカフェレストランみたいものを開かれているスペースがあるのですが、そこの夕方時間帯が活用されていないということだったので、その時間帯を活用して、その時間はまさに放課後のゴールデンタイムなので、その時間に活用できるようにということでオープンをさせてもらうことにしました。ここでオープンすることの意味は、ここに1人、2人スタッフがいて、安全的なところは管理するのですが、基本的には自習ができる場所、安心して、ここだったら勉強していいよという場所として開放します。
    もう一つは、石巻市には大学が1つしかなくて、当人が隣にいるのになかなか話すのは難しいのですが、高校生に教えられる人がなかなかいない。物理であるとか数学II、数学Bであったりとか、日本史、世界史となったときに教えられる人がなかなかいないので、そういうところを何とか補うために、このスペースにパソコンを並べて、関東の学生もしくは仙台市の学生とインターネットでつなぐことでライブ授業をやろうと思っています。いろいろな予備校さんがやっているDVDの録画教材を見るという形ではなくて、自分がわからないところをダイレクトに相談して、そこだったらこうやって考えたらいいよというような、個に徹底したやり取りをしながらの支援ができたらいいなと思っています。
    もう一つは進路情報ですね。石巻市にいるだけではなかなか得られない進路の相談などもこの中でできていけたらいいなと思っています。平日の放課後、今までできなかった、土曜日の夕方ではなくて、放課後にオープンすることを新たにやっていきます。
    という活動を新たに始めて、次に3年目ですね。思いとしては、被災地だけではなくてというところがやはりあります。まずは被災地だというところももちろんあるんですけれども、学校現場で学校の先生方はすごく頑張っていらっしゃるなと感じます。石巻市にいても、一人の生徒でも取りこぼさないように授業を工夫されていたりとか、何とか一人一人に対する時間をつくろうと熱心にされているのをすごく感じます。
    ただ、一方でさっきの連携しているカウンセラーの方の話を聞くと、ある精神科の病院では1カ月に10人近く、学校の先生が診療に来る。もう疲れたといって診療に来ていらっしゃるような状況があるそうです。特に被災地ということももちろんあると思いますが、先生方だけで全ての子どもの人生を支えていくというのは、当たり前のことですけれども、限界があるなとすごく感じています。そうではなくて、子ども自身を学校に丸投げするわけではなくて、僕たちみたいな市民団体であったり、NPOやNGOであったりと、学校と家庭とうまく連携をしていく。それで全体として、みんなにつながっていって、生徒を支えていくネットみたいなものをうまくつくれていけたらいいなというのを、被災地で活動していきながら強く感じています。
    資料のほうに保護者の方からの手紙をいただいたので、そちらを御紹介できたらと思っています。ことしの3月9日に卒業された生徒の保護者さんですけれども、1年くらい前にいただいた手紙です。ただの学習支援活動なのかもしれないですけれども、学習を教えるところ以上に、人とのかかわりではないですが、そういうところの大切さというか、新しいつながりを学校以外のところでもつくっていくことで子どもを見守っていく。子どもが安心して生きていけるというか、そういう場所をつくっていくことがすごく大切なのだなと日々生徒であったりとか、保護者の方の声から学ばせていただいている次第です。
    この子は避難所で初めて会ったときは表情が全くなくて、顔の筋肉が硬直しているというか、全く動かなくて大丈夫みたいな、何を考えているのかがわからないという状況だったのですけれども、ここに数学の成績が5になったとありますが、もとは2で、2から5になって、おねえちゃんを亡くしていたり、いろいろなショックもあったのですが、何とか立ち直って、つい先日、3月9日に卒業式に行かせていただいたときには、あのときには全く表情のなかった女の子が大泣きをしながら卒業している様子を見て、この2年間はすごく本当に長い闘いだったんだなと感じるとともに、心の部分ですね。本当に人を動かすのは心であって、そこが全てなんだなということを学ばせていただきました。
    最後になりますが、2年間の支援活動を続けていて、さっきの震災が来て救われたという子どもが出ないようにではないですけれども、一人でもそういう子どもたちがいなくなるように、何とか活動を続けていけたらいいなと思っています。
    まずは石巻市、そして、今、拠点で始まっている福島県いわき市ですね。いわき市のほうはまた別の問題も抱えてはいますが、何とかこういう活動を続けていくことができたらいいなと思っています。たくさんの助成金や寄附をいただいているからこそ、ただ石巻市で終わる活動だけではなくて、そのお金を東北に集まっているからこそ、ほかに動いていかないお金はもちろんかなりの額があるかと思っているので、そういう人たちに還元できるようなものを石巻市のほうでつくっていかなければいけないと。そういう責任を持ちながら活動をしています。
    僕たちのほうからの話としてはここまでで一旦終わらせていただきたいなと思います。本日は貴重な機会をいただきまして、ありがとうございました。(拍手)

質疑応答

  • 質問者1 資料の中で2ページ目の上に「被災した児童・生徒に特化した、無償の支援」と書かれていて、これは条件としては被災されたお子さんということを条件にされて、無償で学習支援をされていると思いますが、一方でもともと学習塾とか家庭教師とか、要はそういうことをもともと生業にしていた方々がいたと思いますが、無償で皆さんが活動している中で、もともとそういう有償でやっている学習塾の経営者とどんなふうに折り合いをつけながら、活動をしているのかなと。あるいはどんな苦労があったのかなというのを聞かせてもらえれば。
  • 門馬氏 率直に申し上げますと、非常に難しい問題です。塾の方や予備校の方から、うちの商売を邪魔するのかというような電話がかかってきたりというのはかなりありました。そのたびに一人一人の生徒の今の状況だったりを御説明させていただいて、何とか御理解は得るような形にはしてはいるのですが、それを繰り返すだけではなかなか難しいということで、こちらのほうで条件をしっかり外に対して出さなければいけないなと思っていました。
    幾つか条件をホームページで提示させていただいているのですけれども、例えば、全壊をしていますとか、両親のうちの片方がという話であったりとか、幾つかの状況を出させていただいて、その中で満たしている生徒がうちの来ているのでという説明をして一応の理解を得てもらっています。
    もう一つは、この形が今後できてくると非常に心強いなと思っているのですが、石巻市本体ではないですが、河南地区の河南住民自治協議会という住民さんの自治協議会みたいなものを石巻市のほうがバックアップしながら立ち上げられていて、そちらのほうが生徒募集をしてくださっていて、行政の方がある程度、所得などいろいろな状況を勘案して、生徒の募集に制限をかけてくださっているんですね。うちのほうとしては、石巻市さんのほうで条件として合っている生徒をうちのほうで見ていますと、説明ができるようにはなっているのかなという気がします。ただ、その条件が単純に所得等で割り切れるものではないと思っているので、そこは非常にブラックボックスになっているところがすごく難しいなと思っています。
  • 質問者2 まずお伺いする1つ目は、チューターとして携わってもらう学生さんたちに一定の参加するメリットを感じてもらうために、研修に力を入れられているということで、いろいろな専門家、スクールカウンセラー、現職教員などに協力してもらっているということですが、そのような人たちをどのように確保したか。さらにフェーズダウンすれば、どういう人に当たろうとか、どういうふうに頼む人を見つけて、実際にどういうふうに頼んで協力してもらうようになったかというあたりをお聞かせ願えればと思います。
  • 門馬氏 まず、どういう方にお願いをしようかとなったときに、一番最初は自分の大学院の教授の先生方に相談をして、こういう支援活動をやるに当たって必要な要素となるのは何なのかというのを一緒に整理してもらって、アンガーマネジメントであればこういう先生方にお願いをしたらいいだろうとか、一緒にリストアップをしてもらったというのが一つです。その先生方を伝って会ったりとか、あとはうちの母親がもともと石巻市で教員をやっていたんです。そのつながりの中で専門家の方々、スクールカウンセラーの方々を紹介してもらって、つながっているという経緯です。
    余談ですけれども、当時はお金が集まらなくて、お金をどうやって集めるかということを考えた末に、宮城県出身の方で、かつ東京で経営をされている方たちにひたすらアポイントをとって、アタックをしていったということがあります。あとは大学のOB、OGですね。
  • 質問者2 今お伺いした中で、教員の方とかで頼む人がリストアップされて、それを順次ひたすらアタック、趣旨を説明して、とにかくよろしくお願いしますという感じだったのでしょうか。
  • 門馬氏 まさにそんな感じです。足が勝負といったところでした。
  • 質問者2 宮城県出身在京の経営者の方々に資金提供なりをお願いしたということですけれども、結構集まったのですか。
  • 門馬氏 初年度の収入の半分は個人もしくは民間からの寄附です。その個人様の中にはそうした社長さん方が含まれています。
  • 質問者3 今日、お話をいただいた中で運営体制のところで、教育支援ということでチューターさんがかかわっているのですが、カウンセラーやケースワーカーやソーシャルワーカーの方がかかわるのはすごく大事で、震災で心の傷を受けた子どもたちに対して専門家の対応が必要な領域も多々あるだろうと思うので、ここがすごく重要な部分ではないかと思いました。
    お聞きしたいのは、プロボノという研修講師の方がチューターさんに対して、チューターさんのメリットがあるようにというお話だったのですけれども、どういったことを教えておられるのかという点を教えていただきたいと思います。
  • 門馬氏 内容はいろいろあるんですけれども、一番伝えてくださいというか、そこを軸にして研修を組み立ててくださいという話をしているのは、僕たちの決めつけが生徒を苦しめることになるよという話を一番にしています。
    この子はこういう子だから、この子はこれがいいに決まっているとか、この子の幸せはこれだというのをこちらで決め付けることほど、その子を傷つけることはないよという話をしています。自分の経験で、強いることほど恐ろしいことはないという話はまずしています。
    それを中心にいろいろな話をしているんですが、教え方であったり、学び方もその子一人一人に合わせてとか。ユニバーサルデザインという話をしたのですが、そういうところを強く打ち出しながら、どうやって生徒たちとその子にとっての最適な学習環境をつくることができるのかという、主に視点の獲得を研修では重きを置いてやっています。
    もちろんカウンセラーの方からは、この部分は素人が見る部分ではない。医療行為になってくるようなところがあるから、カウンセリングであってもやってはいけないとか、そこのデッドラインを引いてありますが、どちらかというと生徒をどう見ていくのかという研修がメーンになってきます。
  • 質問者3 ありがとうございます。先ほど言われていた、子どもさんが震災後に津波の遊びをされていたと。あれはいわゆる心的外傷後のPTSDの再体験というか、心の傷をもう一度繰り返して再体験する行動ですけれども、そうしながら傷を癒していく過程のうちの一つなので、そういったことはどんどんやることがむしろ回復につながっていくという論理だと思いますので、これは私からのコメントです。
  • 質問者4 星さんにお伺いしたいのですけれども、先ほど一番最初に担当された生徒さんたちが問題行動を繰り返していたグループだったということで、そういったお子さんたちとそれなりに一緒に勉強を進めていくためには、一定の関係性を築くのが非常に重要だろうと思いますが、その点で工夫したこととか、あとは実際にどういうふうにして何とかこういう状況になったとか、そういう辺りをお聞かせいただければと思います。
  • 星氏 その子たちは学校で先生に対して信用がない、先生なんて信用しない、そんな状態だというのを軽く事前に聞いていたのもあって、でも、私たちは先生を確かに目指す者ではいるんですけれども、ぎりぎり先生ではないというのもあって、そういうところから、この子たちに接する姿勢が柔らかくというか、普通の教師としての目線ではなく、教師とはまた別の立場から教えるというスタンスで、私の場合は多分接していたんですね。
    そうしていくと、子どもたちも緊張を解きたいのか、あちらも結構体当たりな感じで接してくるので、こちらも結構体当たりで行くんですけれども、それが功を奏してか、会話もしつつの勉強ができるという状態にどんどんなっていけました。今日は何も持ってきていないという子も何人かいたりしたので、そういうときのモチベーションアップというのもチューターとして話をしつつ、何が今日はあったかとか、何で元気ないのみたいな感じで、そこは友達視点になれるというのが、ある意味で教師でない私たちたちの特権だったのかなというのはあります。それが距離を近づけるという意味ですごく大きかったのではないかと思っています。
  • 質問者5 学校が再開したけれども、子どもたちの統制がとれなくなってしまったりするケースというはあるのでしょうか。
  • 門馬氏 ケース会議で中学校の校長先生とお話をしたときに、私自身が聞いた話ではないですが、石巻市内の校長会で去年の夏休み明けだったと思いますが、今の小学校6年生、次に中学1年生になる学年が、各小学校で結構荒れが出始めているという話は校長会で話があったというのは聞きました。実際にカウンセラーの方とかと組んでいるという話があったのですが、そのチームは僕たちの活動とは別に仮設だったり、学校に支援に入っているのですが、それで今週はこの中学校が結構やばいぞという荒れてる情報は頻繁に入ってくるなという感覚はあります。
  • 質問者6 学習支援で勉強さえ教えていればいいみたいにも読めなくはないのですが、学校の先生にしても何にしても、実際に違いますね。さっきのお話でもあったのですが、例えば、組織の中でソーシャルワーカーやカウンセラーやケースワーカーがいらして、さらにチューターの方々も教えるだけではないというような御経験で、先ほど門馬さんのお話もいろいろありましたが、1つは専門家の方々が具体的にどういうかかわりをしていたのか教えていただければと思います。
  • 門馬氏 専門家の方とのかかわりですが、どちらかというと、こちらから授業をしていて、もしくはかかわっていて、何か気になった時点ですぐに相談をするという、ある意味相談役のような形でかかわってもらっています。何回かは実際に相談を挙げたケースもあります。1年前の話ですけれども、高校生の女の子が仮設住宅で夜に寝ていると、助けてという声が聞こえてくるとか、うなされている子がいて、ちょっと心配なんですという相談を挙げたりというケースもあります。その中で実際にカウンセラーの方であったり、ソーシャルワーカーの方がケースとして取り上げて動いたという事例は、僕たちの中には今のところはありません。
  • 質問者7 先ほども途中でお話があったように、被災して生き残った子どもたち、あるいは大人もそうだと思いますが、すごく背負っているものが重かったり大きかったりする中で、懸命に生きていたり生活をしていたり方が多数おられると思います。それはそれでもしかしたら、凡庸に生きているよりもいい人生が送れるかもしれないと思う反面、逆に頑張り過ぎて途中でつぶれてしまうとか、反動が起きてしまうということが想像されるんですが、そういう状況に陥りつつあるのか、そういう状況がちはほらあるのか。むしろそこまでは行っていないなとか、踏みとどまっているのか。その辺はどんな感じなのでしょうか。
  • 星氏 私はここ1年間、生徒を見てきていますが、見ている限りでは、本当に普段すごく明るく接してくれていて、勉強するときも楽しくしてくれているし、それはこちらとしてはありがたいことではあるのですが、みんな恐らく傷をどこかには抱えている状態で勉強をしていたようにかんじています。しかし、そこを表してくるようなことではないので、私たちが勉強を教えて、過ごして、その子たちの心にそこまでどうしても干渉してあげたいというとおかしいのですが、その部分にどうしても触れてはいけないと思っているところはあるんです。
    私が見ている限りでは普段勉強をすごく頑張っている子たちばかりだったので、その姿勢を支えていくのが私にできることなのではないかと思って、私はずっと支援をしていました。
  • 門馬氏 多分ですけれども、今年の3月が1つの境目になるだろうというのは現地でずっと言われていて、こと石巻市で話せばですけれども、福島は事情が違うと思いますが、住民さんたちの中でも大分張り詰めているというか、何とか頑張ろうよという雰囲気ができてきたりとかももちろんあって、もう疲れたという方もいらっしゃるかもしれないし、それでも俺らがやらないというところもあると思いますが、1つのターニングポイントになるのがことしの3月末だと思っています。
    それはなぜかというと、この3月末でいわゆる大手のボランティア団体さんが一斉に撤退するんです。石巻市内であれば、それこそ、じいちゃん、ばあちゃんでも、横文字であってもあの団体は聞いたことがあるぞ、みたいな大きな団体がどんどん撤退をしていくんです。そうなったときに、果たして私たちだけで生きていけるのかと、そこで初めて襲われる不安というか、プレッシャーが多分があると思います。仮設の支援をされている団体さんが特に多く撤退されるのですが、そこがなくなったときに仮設住宅が静かになって、寂しくなった孤独みたいなところが徐々に出てくるのかなという気がします。
    復興住宅が今、建ち始めていて、そこへの入居がこのまま進んでいくにつれて、そういう寂しさとか孤独感で、またコミュニティが崩れていくというのがフェーズとしてあると思うので、その時点で折れてしまう人たちが徐々に出てくるのかなという気は何となくしています。
  • 司会 そろそろ時間ですので、ここまでとさせていただきたいと思います。以上をもちまして、青少年問題調査研究会を終了いたします。門馬様、星様、どうもありがとうございました。(拍手)

以上

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