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(1) 1989年児童法

背景

 英国の児童保護制度の歴史は19世紀後半の2つの法律に遡ることができる。すなわち、1857年の「授産学校法(Industrial School Act)」と1889年の「児童虐待防止及び保護法(Prevention of Cruelty to, and Protection of, Children Act)」である。産業革命によって大規模な社会の変動が起き、「家庭生活と家庭秩序の崩壊が進行し、一方では伝統的といわれた子どもの道徳的・宗教的教育が失われ、親による子の放置・虐待が問題となってきた時期であるとともに、他方では、そうした放置に誘発される子どもの浮浪・非行・犯罪が大きな問題として社会的に関心を引くようになった時期でもある<注6>。」その後、「子どもと親、家族と国家、親と国家、子どもと国家」という関係性において意識的な議論が繰り返され、幾度にもわたる法改正が繰り返されてきた。
 そのような中で、これまでで最も総合的と言われる1989年児童法(Children Act 1989)の制定に大きな影響を与えたのは、1987年に起きた「クリーブランド事件」と呼ばれる、多数の少女が僅かな期間のうちに同じクリーブラント州内で性的虐待を受け、地方当局のソーシャルワーカーに保護された事件であった。この事件を通じて、家族から子どもを強制的に引き離した小児科医やソーシャルワーカーらに、分離措置が適切だったかなどの批判が向けられた。当時有効であった1969年児童少年法は、地方当局のソーシャルワーカーが専門的な知見<注7>で裁量し、児童ケアサービスを提供することを至上とした、いわば「福祉国家」的アプローチを採用していた。しかし1970年代から、公的機関が関わっていても虐待等により子どもが死亡してしまう事件が相次いで起きており、クリーブランド事件をきっかけに、「国家が家族にどこまで介入できるか」という問題が、改めて問われることとなったのである。

内容と特徴

 1989年児童法は、以下の12部で構成されており、その特徴は、1)公法と私法の総合、2)「子どもの福祉」の原則、3)親責任の3点に整理できる<注8>

<1989年児童法の構成>
第1部 序
第2部 家族手続きにおける子に関する諸命令
第3部 子と家族のための地方当局の支援
第4部 ケア及びスーパーヴィジョン
第5部 子の保護
第6部 コミュニティ・ホーム
第7部 民間ホーム及び民間組織
第8部 登録児童ホーム
第9部 里子の私的な手配
第10部 チャイルド・マインディング及び幼児のためのデイ・ケア
第11部 国務大臣の指導監督機能と責任
第12部 雑則及び一般的規定

1) 公法と私法の統合

 公法とは公的な機関の権限や義務、責任について規定したものであり、私法とは「個々人の関係の調整や統治に関して規定したもの<注9>」である。統合された法律が扱っていた内容として、前者は国や地方当局、その他の関係機関の子どもの福祉に関する業務等についての規定であり、後者は親や他の保護者による子どもの監護養育責任などについてである。1989年児童法の成立にあわせて、55以上の法律の一部または全部が廃止されたという<注10>。従来の法律を大規模に見直した立法作業であったことの証である。

2) 「子どもの福祉」の原則

 1989年児童法は、子どもの養育または子どもの財産の管理に関して、裁判所等が判断を下す際の最も重要な判断基準が「子どもの福祉(welfare of the child)」にあることを明確に示した。また、それを実行に移す際には、福祉機関(ソーシャルワーカー)の専門的な裁量に基づくのではなく、法やガイドラインに拠るという、「リーガリズム志向」も特徴のひとつに数えられる<注11>

3) 親責任

 「親責任(parental responsibility)」とは、1989年児童法により新たに導入された概念であり、「法により子の親が子及び子の財産に関して有するすべての権利、義務、権能、責任及び権威を意味する」と規定されている<注12>。親責任の強調は、「子どもの福祉」に寄与することが明確に示されない限り福祉機関による命令の発給をできるだけ避けるという原則(no order principle)や、子ども養育に直接福祉機関が関わるよりも、家族への支援等を通じ、家族の下での養育を優先させるという原則(non-intervention)と関係している。それはまた、「経済領域で市場がキーポイントとされたのと同じように、社会領域では家族がキーポイントとされ<注13>」たサッチャーリズムに基づいたものとも言える。


<注6> 秋元美世『児童青少年保護をめぐる法と政策〜イギリスの史的展開を踏まえて〜』中央法規出版、2004年、p. 13より。
<注7> 秋元美世(東洋大学社会学部教授)は、特別な注意を要する事案(ハードケース)と、普通に接していれば良い一般的な問題の見極めが非常に大切で、専門家の知見が求められるところであると述べている(2008年12月25日、インタビューより)。
<注8> 網野武博「英国における子どもの福祉制度と『1989年児童法』」、英国保健省編前掲書、pp.167-172による。ただし、続けて述べている内容は、必ずしも網野氏の説のみによるものではない。
<注9> 網野武博前掲書、p.169
<注10> 樫原朗「イギリスにおける家族政策と社会保障」『社会科学』66号、同志社大学、pp.173-225
<注11> 秋元美世前掲書より。
<注12> 第3条1項
<注13> 秋元美世前掲書、p.217

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