前節では,青少年の生活の中で友人関係が大きな位置を占めていること,多くの国で学校と職場がその友人関係が育まれる2つの主要な基盤になっていること,とくに日本でその傾向が強いことなどを確認した。学校と職場が,家族と並んで,近代以降の社会生活を構造化してきた中核的な制度であり,青少年が生活の大半を過ごす空間であることからすれば,それは当然のことである。しかし,もう一方で,その制度的空間のありようも,その役割・機能や意義も,社会によって多様であり,また,時代と共に変化している。そこで,本節と次節では,この2つの制度に関わる青少年の意識を検討しよう。
表1−23は,「学校に通うこと」(学校教育)の意義(Q14)について,無制限多肢選択法で聞いた結果である。国別に,上位3項目の数値に網掛けをしてある。この結果より,次の諸傾向を確認することができる。
(1)肯定反応率(当該項目を選んだ者の割合)は,国によってかなりの違いがあり,スウェーデンとアメリカで総じて高い。(2)項目別では,肯定反応率が相対的に高い項目(網掛け部分の多い項目)は,「一般的・基礎的知識の獲得」(4か国),「専門的知識の獲得」,「学歴・資格の獲得」,「友人との友情を育む」(以上3か国),「自分の才能を伸ばす」(2か国)である。逆に,(3)「自由な時間を楽しむ」と「先生の人柄や生き方から学ぶ」に対する肯定反応率は総じて低く,網掛けはどの国でもない。また,「職業的技能の獲得」も,アメリカとスウェーデンでは5割前後になっているが,他の3か国では2割〜3割でしかない。 表示はしないが,この結果は,前回までの調査結果と比べて大きな変動はない。ただし,「自由な時間を楽しむ」は,前々回(1993年)調査までは,これら5か国すべてで第3位に入っていた(93年調査:スウェーデン61.7%,アメリカ56.1%,日本47.8%,ドイツ39.1%,韓国27.1%)。これは,一つには,経済不況で就職状況が各国で厳しくなったことや,情報/コミュニケーション・メディアの革新や経済のグローバル化が進むなかで,職場で求められる知識・技能や資格に変化が生じたことを反映していると考えられる。 図1−21は,それら諸項目の関連(学校教育の意義に関する評価の構造)とそこでの各国の評価の傾向を視覚的に検討するために,これまでと同様,コレスポンデンス分析を行った結果を図示したものである。
次元1は,「先生の人柄や生き方から学ぶ」という人生志向か「自分の才能を伸ばす」という自己実現志向かという次元であると考えられる。他方,次元2は,「一般的・基礎的知識の獲得」か「学歴・資格の獲得」や「友情を育む」かという次元のようにもみえるが,後述するように,回答者の学歴レベル(初等・中等教育を重視するか高等教育を重視するか)に対応した次元と考えられる。
この図にも示されているように,韓国と日本では「友情を育む」と「学歴・資格の獲得」という側面がかなり高く評価されているのに対して,ドイツでは「一般的・基礎的知識の獲得」と「自分の才能を伸ばす」という側面が,スウェーデンでは「自分の才能を伸ばす」という側面が相対的に高く評価されている。他方,アメリカでは,肯定反応率(表1−23)は「一般的・基礎的知識の獲得」等が高いものの,他の4か国に比べて「先生の人柄や生き方から学ぶ」や「自由な時間を楽しむ」という側面の評価もかなり高い。
以上の分析は,学歴段階を問わず,すべての調査対象者の評価に基づくものである。したがって,回答に際して念頭に置いたであろう教育段階もまちまちであると考えられる。そこで,どの段階の教育を念頭に置いて回答したかを区別する次善の策として,表1−24a及び表1−24bに示したように,初等・中等教育修了者(以下,中等教育修了者と表記)と高等教育在学中及び同修了者(以下,高等教育在学者と表記)とに分けて,学校教育の意義についての評価を国別に比較検討しよう。なお,表中,各国の上位3項目に網かけ,その他の40%以上の項目には下線を施してある。
図1−22a〜図1−22bは,表1−24a及び表1−24bに基づき,一般的・基礎的知識の獲得と専門的知識の獲得のどちらがより重視されているかを,それぞれ中等教育修了者の場合と高等教育在学者の場合について示したものである。この図と表1−24a及び表1−24bより明らかなように,中等教育修了者の場合,どの国でも専門的知識よりも一般的・基礎的知識の獲得を重視する傾向があるが,欧米諸国の方が日本や韓国より,その両方をより重視する傾向がある。国別の差もかなり顕著で,専門的知識では,ドイツとスウェーデンは37%〜38%であるのに対して,韓国と日本では約17%でしかなく,約20ポイントの開きがある。一般的・基礎的知識でも,最高のアメリカは約8割であるが,最低の韓国では5割強,日本では約6割となっている。他方,高等教育在学者の場合,専門的知識は,最高のアメリカが67.0%,最低のドイツが54.1%で,その差は13ポイントしかないが,一般的・基礎的知識では,最高のアメリカが80.6%,最低の韓国は32.4%でしかなく,48ポイントもの開きがある。
この結果は,特に日本と韓国の学校教育の特徴を反映しているようで,興味深い。すなわち,日本と韓国の場合,中等教育では専門的知識の獲得はほとんど評価・期待されていないが,それは,中等教育が進学準備教育・受験準備教育という側面が重視されているからだと考えられる。他方,高等教育では,専門教育への期待度は欧米と大差ないが,一般的・基礎的知識については,大学教育において一般教育(教養課程)が重視されてきたにもかかわらず,学生の評価は欧米に比べてかなり低い水準にある。
図1−23a〜図1−23bは,図1−22a〜図1−22bと同様に,職業的技能の獲得と学歴・資格の獲得のどちらが重視されているかについて示したものである。この図より明らかなように,中等教育修了者の場合も高等教育在学者の場合も,国によって大きな違いがみられるが,以下の諸傾向を確認することができる。(1)職業的技能については,アメリカとスウェーデンが,中等教育修了者,高等教育在学者とも,5割前後〜6割強で,もっとも高い。それに対して,韓国と日本は,中等教育修了者の場合1割〜2割でしかないが,高等教育在学者の場合35%前後となっている。他方,ドイツの場合,中等教育修了者の場合30.5%であるが,高等教育在学者の場合16.8%でしかない。これは,ドイツの場合,中等教育では徒弟制(アプレンティスシップ)が大きなウェートを占めていることを反映したものと考えられる。(2)学歴・資格については,どの国でも,高等教育在学者の方が中等教育修了者よりかなり高い評価をしているが,ドイツ以外の4か国では,中等教育修了者も3割〜5割が重要だと考えている。ドイツで,中等教育修了者の割合が小さいのは,徒弟制やマイスター制などにより,職業的技能や専門的知識が雇用市場・企業において重視されているからだと考えられる。(3)高等教育在学者の場合,スウェーデンがややイレギュラーではあるが,一般的な傾向としては,学歴・資格を評価する者の割合が多いほど,職業的技能の獲得を評価する割合も多いという相関関係がある。
図1−24a〜図1−24bは,これまでと同様に,「自由な時間を楽しむ」と「友情を育む」のどちらが重視されているかを示したものである。この2つの側面の評価も,国によってかなり異なっているが,特に中等教育修了者の場合,その違いが顕著である。(1)「友情を育む」については,中等教育修了者の場合,日本とスウェーデンが65%前後でもっとも高く,次いで韓国が54.3%,アメリカが45.9%となっているが,ドイツは32.1%でしかない。ドイツでこの割合が小さいのは,中等教育を徒弟制によって受けている場合,学習・職業訓練の場が多様な職場に分散しているからだと考えられる。(2)高等教育在学者の場合,韓国がやや異なるが,中等教育修了者の場合とほぼ類似の傾向がみられる。すなわち,スウェーデンと日本がもっとも高くて,それぞれ62.7%と56.7%,次いでアメリカが48.1%であるのに対して,ドイツと韓国はそれぞれ44.6%,40.7%となっている。(3)「自由な時間を楽しむ」については,中等教育修了者では,アメリカと日本が約3割でもっとも高く,ドイツが2割弱でそれに続き,スウェーデンと韓国がもっとも低く,約1割となっている。他方,高等教育在学者の場合,アメリカが3割強でもっとも高く,次いで日本,ドイツ,スウェーデンが2割台半ば,そして,韓国がもっとも低く,14.3%となっている。韓国では,「自由な時間を楽しむ」については,中等教育修了者,高等教育在学者とも1割台で,5か国中でもっとも低く,また,「友情を育む」についても,高等教育在学者では,5か国中でもっとも低くなっているが,これは急速な経済発展とそれに伴う学歴社会の進展・受験競争の激化などを反映したものと考えられる。
学校教育の在り方やその意義は,国ごとにそれぞれ特徴があり,一般化することは容易でもなければ,必ずしも妥当なことではないが,アメリカと日本で「自由な時間を楽しむ」の割合が相対的に大きいという結果は,これらの社会における青少年の置かれている状況について,次の2点で示唆的である。
一つは,青年期は,人生における重大な決定(職業選択など)や特定の社会的責任(職業人としての責任=稼得労働)を猶予された,いわゆるモラトリアム期であるといわれてきたが,モラトリアムには,現時充足的なモラトリアムと職業準備的なモラトリアムという二つの側面があり,前者は高学歴社会・高度消費社会で一般化する傾向にあるのに対して,後者はキャッチ・アップ型の経済発展を遂げている社会でみられる傾向があるということである。「自由な時間を楽しむ」の割合がアメリカと日本で相対的に大きく,韓国で非常に小さいという結果は,この見方と整合的であるが,韓国でこの割合が小さいのは,この20年ほどのキャッチ・アップ型の急速な経済発展と高学歴化の進展を背景にして,受験競争・学歴取得競争が激化してきたからだと考えられる。
もう一つは,日本やアメリカのように,学校教育が教養的側面や包括性を重視する傾向にあり,大学でもキャンパス・ライフが重視される傾向にある社会と,ドイツやスウェーデンのように,どちらかというと専門教育や職業準備教育的側面を重視する傾向にある社会の違いである。ドイツとスウェーデンで「自由な時間を楽しむ」の割合がそれほど大きくないのは,学校教育のこうした傾向によると考えられる。すなわち,ドイツの場合,先述のように中等教育段階から徒弟制により職場で学習・職業訓練を受ける青少年が相当数いるからであり,スウェーデンの場合,就職の時期(年齢)が比較的早く,高等教育も一度就職した後に大学等に入学する者が多いからである。
次に,青年たちは,大学卒業者はどういう側面で評価されると考えているかについてみてみよう。調査では,「大学を卒業した人は,主にどんな点から評価されると思いますか」という質問に対して,「わからない」を含む5つの選択肢から一つを選んでもらった。表1−25は,その結果である(網かけは各国の1位項目)。
表より明らかなように,大学卒業という学歴のどういう側面が重要だと考えられているかという点でも,国によってかなり大きな違いがある。日本では「どのような分野を学んだか」がもっとも重要で45.7%,韓国では「一流大学を出ているかどうか」がもっとも重要で54.4%,ドイツでは「どのような成績を修めたか」がもっとも重要で45.7%となっているのに対して,アメリカとスウェーデンでは,評価はかなり分かれている。アメリカの場合,「大学を出ているかどうか」がもっとも多く32.7%になっているが,「成績」と「専門分野」も2割強となっている。スウェーデンでは,「成績」がもっとも多く36.3%になっているが,「専門分野」も24.0%となっている。
この結果に意外だという印象を持つ読者も少なくないかもしれないが,そこには,社会一般の学歴主義規範や雇用市場・企業組織の人事慣行が反映していることは想像に難くない。しかし,それだけでなく,高等教育の拡大の度合いや大学教育の在り方も影響を及ぼしていると考えられる。図1−25aと図1−25bは,それぞれ日本とアメリカについて経年変化を示したものである。図からも明らかなように,日本の場合,93年調査の結果がややイレギュラーになってはいるが,趨勢としては,「専門分野」がもっとも多く,かつ増加傾向にあり,「成績」と「大学を出ているかどうか」は90年代以降少し増加し10%台になっており,「一流大学を出ているかどうか」は減少傾向にある。他方,アメリカの場合,「専門分野」と「一流大学を出ているかどうか」はそれぞれ20%強と15%前後の水準で推移しているのに対して,80年代後半以降,「大学を出ているかどうか」が増加してもっとも多くなり,成績は24.9%にまで減少してきた。
紙幅の都合で図表は省略するが,スウェーデンの場合,アメリカとは逆に,「大学を出ているかどうか」が減少し,「成績」と「専門分野」がやや増加して今回調査のような結果になっている。他方,ドイツと韓国の場合,各選択肢それぞれ少しは変化しているが,基本的にはドイツでは成績が45%前後の水準で,また,韓国では「一流大学を出ているかどうか」が5割前後の水準で推移している。
韓国はこの二十数年急速に経済発展と高学歴化が進み,学歴主義と受験競争の激化が問題化しているが,「一流大学を出ているかどうか」の割合が多いのはそのためだと考えられる。ドイツの場合,「成績」の割合が多いのは,アビトーア(大学入学資格試験)合格者は原則としてどの大学・学部にも入学でき(実際には医学部などはアビトーア合格者なら誰でも入学できるというわけではない),また,学期ないし学年ごとに原則として大学を移動することも可能である(実際には必ずしも多数が移動しているというわけではない)というシステムになっているからだと考えられる。スウェーデンの場合,「成績」と「専門分野」の割合が多くなってきたのは,高卒後一旦就職してから,5年後以降に有給教育休暇制度を利用して大学に入学するものが増えてきたからだと考えられる。アメリカの場合,「大学を出ているかどうか」の割合が増えてきたのは,コミュニティ・カレッジ等から4年制大学への転入学が容易であり,4年制大学修了者が増加するにつれて,雇用市場において非大卒者が差別される傾向が強まってきたからだと考えられる。それに対して,日本の場合,上記のような結果になっているのは,アメリカ型に近づきつつあるが,それに加えて,理系か文系かの違いが大学入学に際しても,また,就職に際しても重視される傾向が強いからだと考えられる。
以上は,あくまでも一つの推論にすぎないが,いずれにしても,大卒の社会的価値,その評価は,国によってさまざまであり,その背景・基盤も多様かつ複雑であり,しかも,どの国の在り方が好ましいかは一概にいえるものではない。教育改革・入試改革などを進める場合,その多様性と複雑さを踏まえて適切な改革を進めていくことが重要である。
次に,社会的成功の条件についてみてみよう。表1−26は,「社会に出て成功するのに重要なものはなんだと思いますか」という質問に,5つの選択肢を用意し,2つまで選んでもらった結果を国別に示したものである。なお,表中の丸数字は,各国における上位3項目の順位を示す。
この表より明らかなように,韓国で順位は逆転しているが,1位と2位は才能と努力である。『メリトクラシー(The Rise of Meritocracy,
1870-2033)』(1958年)というSF的な本を書いて,その造語を広めたイギリスの教育社会学者マイケル・ヤングは,メリットを能力と努力の合成物と定義し,イギリスで国民教育制度が整備された1870年からメリトクラシーが台頭し,2033年のイギリス社会がメリットによって社会的地位が決まる社会になっていると論じたが,この結果は,これら5か国すべてでメリトクラシーの時代が到来していることを示している。
表1−26でもう一つ興味深いのは,第3位の項目である。アメリカ,ドイツ,スウェーデンでは,3割強から5割が学歴をあげており,韓国でも学歴が24.7%で,わずかの差で第3位になっているのに対して,日本では「運やチャンス」が40.1%で第3位になっていることである。この日本の特異性が何に由来するのか即断はできないが,政治家やアイドル・タレントをはじめ著名人といわれる人たちの存在が目立つ社会であることや,就職に際して学業成績などが必ずしも重視されないことや,企業での仕事や上司との巡り合わせなどが重要だと感じられているからかもしれない。いずれにしても,世界的な趨勢としては,能力や努力が重要だと感じられるメリトクラシーの時代になっているといえるが,国によってそれぞれ特徴があることも確かである。
そこで,諸項目と国別の特徴を確認するために,これまでと同様の方法で,コレスポンデンス分析を行った。図1−26は,その結果である。次元1は,社会の制度的構造に埋め込まれ,そこに基盤を持つ個人の〈制度的な属性的要因(institutionalized ascriptive factor)〉―身分・家柄・親の地位といった属性的要因(ascribed factor)と学歴という学校卒業以降は変更が難しいという意味での〈獲得的な属性的要因(achieved ascriptive factor)〉―か,運やチャンスという〈不確定な状況依存的要因(contingent factor)〉かという次元,次元2は,身分・家柄・親の地位といった〈属性的な階層要因(ascribed status factor)〉か,学歴のような〈獲得的な地位要因・資格要因(achieved status factor/achieved eligibility factor)〉かという次元のようである(〈 〉内の語句は筆者による)。この図からも明らかなように,韓国の特徴は,身分・家柄・親の地位が重視されていると感じられている点にあり,アメリカでは学歴が重視されているという点に特徴があり,そして日本の特徴は運やチャンスが重視されているという点に特徴がある。
学校教育に関して,最後に,学校生活の満足度がどのように変化してきたのかをみておこう。表1−27と図1−27は,「学校生活に満足していますか」という質問(4段階評定法)に,「満足」及び「やや満足」と答えた者の割合の経年変化を示したものである。
この図と表より明らかなように,80年代までは国による差はかなり大きかったが,90年代以降,「満足」の割合は,アメリカとスウェーデンで減少し,日本では増加し,その差は縮まる傾向にあり,今回の調査では,アメリカは52.1%でかなり高く,韓国は24.5%でかなり低いものの,スウェーデン,ドイツ,日本の3か国は36.0〜39.7%で,大きな差はみられない。「満足」と「やや満足」の合計でも,経年変化には同様の傾向がみられ,今回調査の結果では,韓国が7割弱でやや低いものの,日本を含めて残りの4か国はいずれも8割前後になっている。