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地域における若者支援のための体制整備モデル事業
第3章 中央企画委員会委員による総括
  5.津富委員からの示唆  

5 津富委員からの示唆

『地域における若者支援のあり方について』


平成20年度の事業を終え、来年度には、青少年総合対策推進法案の提出を控える現在、今後の若者支援施策について、気になる点を指摘したい。

支援の対象となる、若者の多くは、自宅からまったく外出しないという意味での「ひきこもり」ではない。しかし、働いていないので、お金もなく、免許もなく、車もない。地方は、都会と比べれば一般に人の住まい方はまばらで、交通機関も不便である。その結果、相談窓口を設けても、「足」のない、若者はそこへ通うことができない。

私の住む静岡県で言えば、大きなまち(静岡、浜松、沼津など)に電車でアクセスのある地域は限られる。アクセスがあっても、都会と比べて、乗車距離が長いから、交通費もバカにならない(通常は、バスで最寄り駅に出るのが先なので、いっそう交通費がかかる)。

最近の若者は、行動範囲を狭める傾向が強まっているから、それなりに「元気な」時期でさえ、大きなまちに出てきたことがない者も多い。こうした若者にとって、「調子が悪い」時期になって、初めて、大きなまちに出て、相談機関を訪ねるというハードルは高い。

このように考えていると、本モデル事業は、それなりの配慮を払わないと、地方には適用できないことに気付く。結論から言えば、若者の支援資源は、若者の身近になければならない。こうした支援資源は、主要都市にしか存在しない相談機関(例えば、地域若者サポートステーション)の職員ではない。

若者の身近にいる、一般市民である。これが、本モデル事業の本来の意味での、「地域」における若者支援である。もちろん、地域は、都会にも存在する。だからよく考えれば、市民による若者支援は、地方特有の隘路(相談機関へのアクセスの困難)に応えるものではなく、むしろ、地方から地方へ、あるいは、地方から都会へと提案される、若者支援のベーシックモデルである。

それは、なぜか。なぜなら、若者の自立とは、「社会生活」の獲得であるからである。相談職員と人間関係を形成しても、それは、普通の意味での社会関係の形成ではない。職業訓練機関に通ってスキルを身につけても、それは、日常的な職業生活の獲得ではない。生活の場である地域で遊び、地域で働き、地域で家族を形成していくことが若者の自立である。その意味で、若者を支えるのは市民、すなわち、地域である。つまり、若者支援においては、「若者を支える地域づくり」が主題となる。

さて、「若者を支える地域づくり」に、本事業はどのように貢献できるだろうか。本事業の中核は、地方企画委員会である。一部を除いて、そのメンバーはいわゆる関係機関(行政機関)が構成員となっており、一般市民ではない。

つまり、地方企画委員会の役割は、若者支援に向けての市民(地域)の活性化と組織化であろう。人のつながりである、コミュニティを、若者支援というゴールに向けて、どのように方向づけ、デザインし、動員するか、これが「地域企画委員会」の仕事になる。地方企画委員会には、さまざまな関係機関が参加しており、それぞれが、地域との風を通す、通気孔を持っている。この通気孔を開放し、機関の間や市民と行政の間にある壁に穴を開けて、お互いの空気を通わせる仕掛けを作るのが、地方企画委員会の仕事なのである。市民は孤立していては力とならない。市民を結いあわせることによって力、つまり、「地域」となる。別の言い方をすれば、メンバーは結い合わされることによって、真のネットワーク(チーム)となる。

そもそも、当初から、ユースアドバイザーとは、相当な専門性を持つ、ネットワークコーディネータとして想定されてきた。おそらく、そこで想定されていたのは、関係機関を結い合わせる専門性であろう。しかし、一歩進んで言うならば、ユースアドバイザーに要求されるのは、地域を結い合わせる「地域づくり」の専門性である。関係機関は、その専門性によって、若者を支える市民を支える、土台としてのアンブレラとして機能するわけだ。

青少年総合対策推進法案では、青少年総合相談センターが地域住民の相談に応じるとされているが、ユースアドバイザーが拠点とするであろう、青少年総合相談センターのより重要な機能は、直接的な相談の提供ではなく、自らが担当する地域を「つくりかえる」ことなのである。

さらに分かりやすくいえば、若者支援のねらいは、若者の主体化であり、その若者を支える市民の主体化であり、その主体化の契機を作り出すのが、地方企画委員会なのである。

さて、最後に、一番重要だと思うことを書こう。それは、支援の費用対効果である。支援は費用がかからず、効果がなければならない。残念なことに、若者自立塾であろうと、地域若者サポートステーションであろうと、わが国の若者支援は、無作為割付実験などから得られたエビデンスに基づかずに、提案され実施されてきた。そこにある仮説は、やらないよりやったほうが効果がある(つまり、若者が自立する)というものであるが、この仮説はかつて検証されたことがない。こうした介入の対象である若者は、何の介入も受けなくても、同等の「自立率」を達成したかもしれない。

一例を挙げよう。わが国の若者支援においては、対象者の多くのメンタルヘルスが良好でないことは知られている。精神障害者の就労支援では、いわゆる伴走型の支援手法であるIPS(Individual Placement and Support)について、北米で圧倒的なエビデンス(たとえば、Bond, Drake, and Becker (2008))が積み上げられ、わが国の追試でも好ましい結果が得られている。私の知るところでは、この手法が、いわゆる困難層の就労支援としては、もっとも明瞭なエビデンスを持っているので、若者支援の基本手法と考えられてもよい。

しかし、本事業の展開において、伴走型支援を支える仕組みづくり(伴走者の養成と組織化)が意図的に念頭に置かれているようには思われない。残念なことである。

若者支援において重要なのは、いくら良心的な努力であったとしても、単に「何かをすること」ではなく、「若者の自立を促進する何かをすること」である。この観点を欠いた若者支援は、資源の濫用であるばかりでなく、若者たち、そして、私たちの社会の未来の濫用である。


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