青少年問題審議会第二部会議事録

青少年問題審議会第二部会(第6回)議事録

平成11年4月9日(金)
15:00〜17:00
中央合同庁舎4号館共用第3特別会議室

 ただいまから、青少年問題審議会第二部会を開催いたします。
 初めに、今後の当面の日程につきまして、次回の4月28日の部会で総会に報告する文書を固めた上で、5月31日の審議会総会において部会報告を行うという日程を念頭に置いて御審議をいただきたいと思います。
 前回の審議会総会におきまして、部会報告や答申のイメージについて検討が行われました。部会報告は基本的に中間まとめの分野別に提案事項を整理することとするが、答申は両部会報告をそのまま綴じ合わせたようなものではなくて、両部会の提言内容を総合的観点から構成し直す必要があるという方向で議論が行われました。ここで、部会報告は答申づくりのための素材であって、中間まとめの各分野別に具体的な提言内容を整理するものであるという位置づけを確認しておきたいと思います。部会報告の性格について何か御意見ございますでしょうか。
 それでは、このような部会報告の位置づけを前提として、本日はもう少し構成を細かく書いた部会報告骨子案という資料をたたき台として部会報告のイメージを明確にしていきたいと思います。まず配布資料について事務局から簡単に御説明願います。
(事務局から配布資料について説明)
 それでは、この資料に沿って検討してまいりたいと思います。何か御意見ございますか。
 この中で即実行しなければいけないようなこととか、長期的展望で実行することとか、時間的な割り振りをもう少し議論して提言する方が実行が伴うと思うのですが。
 提言の先見性と提言の実現可能性の関係をどう考えるかという問題ですが、私の意見としては、今回の答申では先見性を大切にし、実現可能性には余りこだわらない方がよいのではないかと考えています。近い将来の実現可能性よりも、本来どうあるべきかに重点を置いた提言をした方が社会に与える影響が大きいと思うからです。これまで委員の皆さんから、また国民からも多くの提言が寄せられました。すぐに実現できそうなものもいろいろありますが、実現可能性の高い提言というのは既に大なり小なり手がつけられているように思われます。
 他方、当審議会では戦後50年の社会の在り方を問題にしてきました。50年かかって出てきた問題を是正するには50年かかっても仕方がないという御意見もありました。規範意識やしつけの議論では、いけないことはいけないとはっきり言うことの大切さが強調されました。当審議会もいけないことはいけないとはっきり言うべきではないでしょうか。
 例えば、もしたばこの自動販売機はよくないと考えながら、「完全廃止は難しそうだし、自主規制で午後11時から午前5時まで稼動停止となっているのだからまあいいではないか」と考えるとしたら、自分の子どもにたばこを吸うのは家の中だけにして外では吸わないでほしいと言う母親をとがめることはできないのではないかと思います。国内航空で全便禁煙にする航空会社が出てくるということを20年前に何人の人が予想したでしょうか。実現するまで何年かかるにしても、たばこの自動販売機はなくすべきだと考えるならば、今それをはっきり言うべきではないか。これが実現可能性よりも先見性を重視した提言にしたらどうかという私の意見の一例です。
 この先見性と実現可能性の関係について御意見はいかがでしょうか。
 おっしゃるとおり先見性を重視することは私も大事だと思います。当面何をなすべきかというのがあればそれは当然アピールをすべきだと思いますが、部会の報告なり答申の文面の中で、すぐさま実行できたり実現可能性が高いものではないけれども、これは是非とも必要だというような表現は、広く世に問うためには必要ではないかと考えます。
 では今の二人の意見も頭に置きながら、具体的方策提言の重点をどこに絞るかという話に入っていきたいと思います。
 先見性と実現可能性が矛盾するという発想がおかしいと思うわけです。矛盾しないという発想の下で両者を考えていくべきであり、二者択一的でこちらを取ったらこちらは考えなくていいという発想は論理的でもないし、現実的でもないだろう。やはり先見性にしても、こういう状況があれば可能になるのだろうという見通しは立てているわけです。我々の例で言うと相当ラディカルな教育論を出すことがあるのですが、そのときに実現可能性など考えないで出しているわけではないのです。例えば、校則のない学校などを提案すると、最初はばかではないかと言われるけれども、それを実験的に受け入れてくれる学校が幾つか出てきて、だんだん校則がなくても心の中にモラルがあるのだから、結局はうまくいくではないかというような状況になったりします。ですから、二者択一で考えるということは論理的ではないかもしれないと思いますので、その辺も考えていただければと思うのです。
 これから具体案をつくっていく過程で、実現可能性は無視していいとは思いませんけれども、そういう実現可能性というものをどの程度重く見るかによって、難しいことは言わないでおこうということになるか、難しいけれども言おうということにするのか、その辺の分かれ目だと思います。それでは、具体的に順々に検討していきたいと思います。
 「全体を通ずる基本的な問題認識」のところで、やはり戦後50年の中の共通的な問題として日本社会全体の同質化があり、それを大きく転換し、多様性や異質を認めていく文化をどう形成していくかというところが、特に青少年にかかわる問題の中でかなり大きいのではないかという気がしまして、何かその辺のキーワードが欲しいなと思います。施策を打っていく上で、やはり違いを認めていくかいかないかというところがベースにあるかないかによって変わってくるのかなという気がします。
 次に「大人も異年齢の青少年も参加しやすい活動の場づくり」と、「地域住民の積極的参加等による社会環境の改善」について、抽象的なレベルでどのような方向性を言うべきか。また、具体的な方策の提案として、どのような事項を選び、特にどの提案を強調するのか等について御発言をお願いいたします。
 地域社会というものをどう考えるかということは大事だと思うのですけれども、一昨日私愛知県の一地域に行ったのですが、地元の特産物だけではなく、お隣りの岐阜県の生産物や長野県の生産物が集められて、しかも周りに地図が書いてあってどこのものだということが非常に明確に分かる形で売られている。こういうことが新しい地域づくりではないかなという気がするのです。今まではどうも地域づくりというと、その市町村だけで完結してしまっている。その連帯感というか、その地方による地域づくりという広がりを持った地域づくりを考えていくような方向で答申を出した方がいいのかなと思います。
 第一部会の方でも特に学校のところなどで、『開かれた』学校に該当しない意見があるのではないかというような話が出ましたが、それは『開かれた』に余りこだわらないで、いい提言があれば取り上げたらいいのではないかということになっているのです。地域社会についても『開かれた』と違う観点からのものでも言っていただいていいと思うのです。そこで、『開かれた』地域社会とは直接関係ありませんが、青少年に有害な行為を処罰する法律を整備するという提案をしたらどうかということを申し上げたので、それについて補足説明をさせていただきたいと思います。
 成人向けであっても性犯罪を肯定するようなポルノビデオは禁止すべきではないかと思います。また、禁止しないまでも、未成年者には見せるべきではないと考えるならば、見せた大人を法に基づいて厳しく罰することができるようにすべきだと思います。
 ほかにも戦後50年の間、自由を尊重するという考え方に基づいて野放しになっている青少年に有害なことがいろいろあると思いますので、それをこの際幅広く見直したらどうかというのが、青少年に有害な行為を処罰する法律を整備するという意見なのですが、この点についても皆様の御意見を伺いたいと思います。
 性的なものに対する青少年の影響ということを考えたときには、ある程度の規制により厳しく対処するというのは、私も賛成です。青少年問題審議会としてそれをどんな形で実現していったらいいのかはまだ分かりませんが。
 もう一つは、薬物の問題もこれからは相当厳しくなってくると思います。現実問題として暴力団がいれば、薬物が青少年に必ず流れる機会があると思います。青少年に対する教育、意識の啓蒙というものがもう少ししっかりとなされていかなければいけないという気はします。先見性ということを考えたときには、これはかなり重大な問題になってくるのではないかと思います。
(事務局)基本的には刑法犯で処罰できるものは処罰されています。それ以外の青少年に悪い影響が及ぶであろう部分に関して、都道府県の条例では、わいせつ物や、有害玩具、バタフライナイフといったものを条例の中で規制しているという状況ですので、新たな法体系をつくるとなると、まさに大きい問題提起になるわけです。そこは逆の面からみると、営業の自由などとの兼ね合いになってきます。ビデオや出版でも民間の団体があって、そういう団体に加盟しているところは自主規制をやっているわけですけれども、ただ、アダルト物の関係ですと、そういう自主規制団体にも入らないようなところが水面下で活動しお金を儲けているという話で、現場においてはそういう業者とのイタチごっこをやっているようなところがあります。
 では、そこでどういう形の法的規制を考えるかというと、刑法を改正し、わいせつ物のところの規定をもっと厳しくするのか、あるいは都道府県の条例レベルでやっている青少年の有害環境規制を法的レベルまで上げるという話にするのかですが、ただ、新たに法律を導入しようとする場合、既にある法体系との整理をどうしていくかという点は、かなり国民的な議論を呼ぶような話になってきます。仮に条例などの共通部分だけを法律に引き上げるとなると、逆に現場の規制が緩和されるというか、甘くなる可能性もあるとかいろいろあります。問題認識として青少年のためにもっと規制を強化すべきではないかという発想はあるとは思うのですけれども、それを本当に既存の法体系の中でどういうふうに入れていくのかというのはかなり難しい問題だと思います。
 私が言っているのは、青少年にとって好ましくない有害な行為について、大人はいいが子どもにはだめということをはっきりさせるような法体系が必要ではないかという話なのです。
 だから、全般的にもう一度見直して、青少年にとって悪い環境がこんなにあるということを整理し、条例任せにしないでそれについてきちんと取り締まるような法律を作成すべきだと思います。こういう問題は地域によって違っていいわけないのですから、日本全体として一本の法律でやったらどうかというのが提案の趣旨です。ほかに地域社会との関係で何か意見はございますか。
 わいせつ物に限らず有害で反社会的なものの規制というのは、昨今のインターネットの状況等を見ますと、流通規制だけではこの時代非常に難しいと思います。結局それに代わるものというのは、基本的にトータルな物差しをつくって、何か規制をかけるというやり方しか実効性がないのではないかと思います。だからそういうことを答申で言うことは必要なのではないかと思うのです。
 もう一つ、地域社会の連携の問題は、結局何が大きな問題になってくるかというと、責任主体というものがどこに置かれるのかということです。新しくできたネットワークの関係がいろいろな格好で複雑にネットワークに組まれていくということになると、親と学校、警察、官庁、民間ボランティアというような主体の間の権利関係や義務関係等、仮に何か摩擦が起きたときに非常に面倒な問題が生じるのだと思うのです。今まで未開拓な分野なので、責任主体がどこにあり、どのようにしたらいいのかきちっと言えるとは思えないのですけれども、抽象的でもいいから何か普通のルールというか、一種の責任の住み分けみたいなもののイメージをうたっておく必要があるのではないかと思うのです。
 続いて、企業関係のことについて御意見をお願いします。
 例えば、スポーツというのはどれだけ企業が貢献しているかがすごく分かりやすいのですが、やはりもう一つこの中に日本の文化に対しても、企業の皆さんから支援していただいた方がいいと思うのです。いろいろな問題が今出てきているのは、日本人が明治まで持ってきた文化がなくなってきてしまったからで、そういうところから恥じる文化もみんな消えていってしまう。スポーツも大切ですけれども、文化というものもこの中に少しは加えてほしいと思います。
 これだけ環境問題が厳しくなってきて、むしろそういうものをきちんとしていない会社は受け入れないという全く逆の受けとめられ方がされるようになったのはそんなに前からではなくて、ここ数年の中で急速にそういう認識が高まってきているわけです。青少年の問題も環境問題の一つとしたら、それに対し、企業が責任をもってどう貢献できているかといった尺度を持っていく必要があるのかなという感じがしています。例えば、環境アセスメントの問題というのは、一つ工場をつくるときに必ず条例との関係等の厳しい規制があって、それをきちんと満たさなければ工場はつくれない。そういう意味で言えば、考え方はそんなに大きく違うわけがないので、新しい環境問題として企業なども青少年問題を組み込んでいくということは可能ではないのかという気がします。
 環境は確かに大事な問題なのですが、諮問の趣旨が問題行動といいますか、非行対策について諮問を受けているという関係がありますので、そこと結びつく話にしないとほかのところとの折り合いが悪いのではないかと思います。
 企業が青少年のために何をするのかというときに、戦後、経済活動だけが主目的になってほかを考えてこなかったことのツケが今回ってきているわけで、企業が青少年に誇れることをどれだけしているかということを各企業が考えることが大事だと思います。企業がその点についてどう考えていくかということも出せればいいと思っています。
 いつも問題になることとして、非行をやった青少年が、仮釈放されてきても働く場所がないのです。ささいなことですが、企業自体が働く場をそういう人々に提供することは非常に重要なのです。また、兵庫県では「トライやるウィーク」という取組があり、中学2年生が1週間企業に入って仕事をするというような事例も出て来ているわけです。そういうような部分も企業の協力が得られれば随分違うのではないかという気がします。
 環境のことを考えない企業は今はだめだという風潮が出たことによって、随分企業はいろいろな努力をされるようになったのだろうと思いますし、今では、環境を保全することがあたかも当然のごとく、企業の中で議論されるようになりました。
 それと同じように、企業が地域社会の一員としてどのように地域のことに関与するかというのも、今では各企業が競ってそういう努力をされているという傾向があるのです。ですから、次代を担う青少年を育むのに、企業がごくごく普通の活動の中で何をなすべきかということについて経営者団体を名宛人にして、是非それをお考えいただきたいというか、それができないと企業もだめになってしまうのではないかというようなアピールをすることはまずできると思います。
 本当に青少年問題というのは非常に深刻な問題が起こっていて、是非企業も地域の一員としてもっと関与しましょうという風潮をつくっていくというのも、余り具体的ではないのですけれども、意味があるのではないかと思います。
 アメリカでは、ある自動車会社は例えば1日50台の生産能力があるところ、環境問題に配慮し35台ぐらいでやめるということがあります。ですから日本の方も、そういうような数字を使ってでも企業が皆さんに説明できるように持っていくことがよろしいのではないかと思います。
 結局地域社会の問題も、企業の問題も、学校の問題もそうなのですが、自分の持ち場をしっかりやってさえいればいいというのではなくて、シチズンシップと言いますか、結局自分たちも社会を構成している一員だという意識が大切です。なおかつ自然人であれ、法人であれ、学校という存在であれ、やはり地域の一員、もっと言うと国の一員だという意識が非常に希薄になっていることによって、何をやっても難しくなっているというのが今の状況ではないかと思うのです。
 地域社会の話に戻って恐縮ですが、いかにいろいろなコミュニティの場をつくっても、そこに出てくる者が結局シチズンシップというか市民意識を持っていないと、場は開放したけれども、そこでエゴイズムとエゴイズムがぶつかり合って権利調整をしなければならない。そういうようなものを幾らつくっても余り実効性がないというか、この審議会で戦後50年問題をもう一回俎上に乗せてやっていこうということの解決にならないような気がするのです。
 ですから、キーワードの一つとしては、「我が持ち場持ち場を守っていく」ということです。企業は社業を通じて社会に貢献することが企業の社会的責任の第一ですが、それだけではなくもう一段階意識や志を高く持ちましょうということが大事だと思います。これは非常に抽象的な話ですが、地域住民というか一人一人の国民に対しても結局同じことが言えると思います。法的な規制でどういうようなことをやってもかいくぐって何かやる人は当然出てくるわけですが、もう少し一人一人に自覚があれば、近くでアダルトビデオがたくさん陳列されている店ができても、やはり子どもたちにはいい状況ではないという話が起こってくることによって、法的規制をかいくぐろうとしてもうまくいかないといった事例は全国で見られるわけです。
 ここに挙げられている提言は、企業にかかわる広告であったり、従業員に対する配慮であったり、地域社会での企業施設の開放など、言ってみれば企業本来の活動の附帯部分に対するものだと思うのですけれども、例えば物をつくるといった本来の企業活動に関して、今の子どもの消費心理をいたずらに刺激して、例えば、はやりのスポーツシューズが非常に高値がついて、それを強盗して取ってしまう事件が起きたり、あるいはブランド物が欲しくて女の子が売春するといったことがみられます。これは企業が意図的にやっているとは思えないのですが、自分の企業活動に当たって、子どもの消費意識というものに対する配慮をどこかで持っていれば、かなりブレーキのかかる部分があるのではないかと思うのです。そういうことも一言どこかで触れておいた方がいいのではないかと思います。
 次に、「『開かれた』情報メディアに向けた取組の推進」について御意見を伺いたいと思います。
 民放各社が共同しての番組づくりというのでは、『親の目子の目』は民放各社の共同制作です。今ある『親の目子の目』を主体として、それだけではなくてもっといろいろな分野に多様化して番組をつくってくれたらいいなと思います。
 共同でつくった番組は、放送各社が同じものを放送するのですか。
 キー局以外でも時間帯さえ設けられれば、制作するよりもずっと安く放送できるはずです。
 青少年を含めて、メディアというのは社会に最も影響力があると思うのです。いったん報道されると、誤っていたとしてもいつの間にか世の中に広まってしまうわけです。それがなかなか是正されないということを感じることがたくさんあります。
 同じように青少年にかかわって、いったん有害だとか余りふさわしくないというような情報がどんどん流されていくと、それを消すことはなかなかできないと思うのです。そういったものに対してモニタリングを行うというのが提言の中で挙げられておりますが、自主的な組織としていろいろな各界各層の人がメディアというものをモニタリングするというような仕組みができないものかと思います。
 オンブズマンの制度みたいなものですか。
 各局でモニターはやっているのですが、ただそれをどう取り上げるかの問題だと思うのです。
 局が委嘱をするというような形ではなくて、もう少し第三者機関的に行うものはあるのですか。
 民放連はやっているのではないですか。
 とにかくNPO等によるそういったチェックの仕組みができないかなという感じがしますけれども。これもまた政府がやる話でもないし、できるかどうかは別として、広くそのようなものをつくって自主規制の実効性が上がるようにする仕組みづくりを提言したらどうかと思います。
 衛星放送等の中にもポルノ等有害なものもあるのでしょうか。
 ございます。有料ですが。
(事務局)衛星通信の放送で相当数のチャンネルが用意されていますが、アダルト専門で放送しているところが幾つかありまして、これは有料で個別に契約を結びます。契約を結ぶ際は、自主規制によりアダルト専門のチャンネルは年齢確認をしているということと、受像機の中に親の方が子どもに見られないような仕組みを入れているということです。
 ただ、同じような形態のCS放送の中に、ごく普通のチャンネルで放送するために自主規制団体に入っていないにもかかわらず、夜になるとビデオ倫理協会が18禁と指定したアダルト物を時々放送するようなこともあるようです。ビデオ倫理協会が18禁に指定したということは、有害環境の条例でそのまま子どもたちに見せてはいけないと位置づけている県もありまして、ある意味で条例の趣旨が没却されるということになります。その点は郵政省でも問題であると認識がありまして、先般総務庁が担当している非行対策の関係省庁連絡会議で郵政省にもその辺の指導の徹底についてお願いをしています。
 そういうことで、ある程度自主規制はやっていて契約の段階で子どもたちに見せないような仕組みにはなっていますが、やはり尻抜けの部分というのは幾つかあって、今後なかなか難しい面はあるという状況のようです。
 お酒のテレビコマーシャルを禁止するという提案についても、今はまだあるのは当然というようにみんな思っていますけれども、20年もすれば常識になるのではないかと思うのです。
 私はアルコール依存症にも関心がありまして、結局あれは子どもの問題だけではなくて非常に大きな社会問題です。日本人は酔っ払いに寛容なところがあり、余り厳しく言わないようですが、アルコール依存症の父親がいると大体奥様が暴力を振るわれたり、子どもが虐待されたり、家庭が崩壊してその家庭の子どもの非行とか問題行動に結びついていると思うのです。大体酒などというのは飲みたい人はどんなに飲むなと言っても飲むのですから、テレビで大いに宣伝して飲め飲めと言う必要は全然ないと思うのですが。
 続いて、「『開かれた』関係機関に向けた連携」についていかがでしょうか。
 やはり大人の無関心がすべての根源だと思います。特に20〜40歳ぐらいまでの大人が家庭に対する関心をもっと持つように、何らかの形で国民的な広がりになるようもっと運動をお願いしたいと思っています。
 青少年育成国民会議では一昨年ぐらいから、「大人が変われば子どもも変わる」というキャンペーンを総務庁などの援助を受けて強力にやっていて、今年度もそのキャンペーンを中心にやるという形で運動方針を出しています。
 実際に歩いてみると大人が少しずつ変わってきています。そして子どもたちも変わり始めています。今までの子どもたちは、例えば何か質問しても分からないという言葉で逃げたのです。私はそういうときに、「それではお前は生きていけない」と怒るのですが、今の子どもたちは少しでも「何か考えてみよう、答えてみよう」という方向に変わってきました。それはやはり「大人が変われば子どももかわる」という言葉が浸透し始めているのではないかと思います。
 インテークシステムについては、病院の総合外来みたいなイメージという話が出ましたが、もう少し分かりやすい言葉に置き換えられるなら置き換えた方がいいのではないかと思います。
 連携の話も何十年も前から繰り返し繰り返し言われていることですけれども、なかなか決め手となるものはないですね。
 これから特に行政の情報化が進んで基盤が整い、コーディネーターが必要になるというときに、高齢化社会の進展を踏まえ、定年後の者に広く窓を開いていったらどうかという気がします。
 インテークシステムをつくってどれだけ地域の人たちが利用するかというところが一番肝心なところではないかと思います。インテークシステムなり何なりで自分がまず話したら、その人が相談に乗ってくれるわけではなくて、それを振り分けられてどこかに行くということになると、果たしてどれだけ一般市民がそこに行って相談しようという気持ちになるかというと、非常に難しいだろうという気はします。だれでもそれは恥ずかしいことではないのだと、大変なことをみんな抱えているのだと、相談に行くのは当たり前だという空気をつくれるものか。つくれないのであればなかなかこれは利用されていかないのだろうと思いますし、そのあたりが非常に心配というか考えなければならない問題として残る気がします。
 今おっしゃったようなことは、最初システムをつくったときというのはなかなか相談されないのですけれども、例えば、国立教育会館がいじめの緊急相談というものをつくって3〜4年になるわけですが、最初のうちはほとんど来ないのが、今では電話代が国立教育会館で払い切れないというくらい来ているわけです。また、足を運んでくる人もいるわけです。だからそういう形で、全部希望する人が漏れなく来るという状況はないにしても、そういう仕組みができれば、行こうかなという人々はいるだろうということは言えるのではないでしょうか。
 だから「国民的な広がりをもった取組の推進」が意外と大事なことになってくるのではないかなという気がするのです。でもこういう相談システムができて、最初は戸惑っていても、国民的な広がりをもった取組が推進されればどんどん活用されるようになるのではないかと思います。
 一通り御覧いただきましたけれども、全体を通してお気づきになった点がございましたら御意見をお願いします。
 部会報告骨子案の見出しがいわゆる包括的で具体的な見出しになっていないので、むしろ論理的には矛盾しても魅力的な見出しをつけた方がいいかなと思います。例えば、「 顔の見える関係」づくりというのは何をやるのだろうということになってしまうのですが、だからここで「コーディネーターづくり」とか、何かそういう具体的なものを入れた方がよいのではないでしょうか。国民的広がりをもった取組にしても、青少年育成の理念等を含めた法の制定とか、何かそういう見出し面で具体性のある魅力的なものを入れる方が言いたいことは伝わるのではないかと思います。
 最後の答申のときはそういうようにする必要は確かにあると思います。最終答申への材料の提供ということになっていますので、材料を整理してあればいいかと思ったのですが。
 部会報告ですからそうですね。
 先ほどから企業や地域社会のところに出ていたのですが、私も環境問題というのは今、与えられている課題の中で直接的には関係がないのですけれども、これから21世紀に向けては非常に重要な問題ではないかという気がしますので、何らかの形で取り入れた方がいいという感じを持っています。
 やはり若い人たちに環境問題の意識を持ってもらうことが大事だと思います。
 学校が毎月一回ぐらい学校の周辺の掃除を子どもにさせたらいいと思うのです。それをやっていると捨ててはいけないという気が起こるのではないかと思うのですが、このごろ余りそういうことをしませんね。そういうことで自分の住んでいる周りのごみをきれいに片づけると同時に、公徳心というものを養えるので非常にいいのではないかと思うのです。
 それも結構やっております。保護者も先生も子どもも一緒に参加して地域のごみ拾いをやるのですけれども、そこで保護者の方が、「あの子は何もやらない、うちの子はきちんとやっている」という保護者同士の問題が起こり、「あの子はやらないで遊んでいるのだからあんたもやらなくていいよ」と保護者の方が言ってしまうのです。そういう大人の側の論理が子どもにルール違反をさせてしまうというところがあると思うのです。実際にやっているのだけれどもなかなか進まないというのは、そこら辺にあるのかなという気がします。
 私が非常に尊敬している経営者の一人に、一生懸命掃除をされる方がいます。全国に「掃除に学ぶ会」というものができ、中小企業の経営者の方であるとか、青少年の健全育成にかかわっておられるような方々が一生懸命参加されているのです。その経営者のように掃除を一生懸命やるということも、それがいずれは社員教育になり、あるいは地域の中でいろいろないい活動の根っこになる。何か地域ぐるみの活動みたいなものをやっていくということが、場をつくることと同様に必要なことだと思いました。
 青少年健全育成にしても、行動的な若い人たちに参加してもらい、そういう人たちが動き回って刺激を受けてほしいと思います。
 連携強化のコーディネーターは、例えば具体的にどういうところに居るというイメージなのですかね。つまり、それが分からないと、自分のところの子どもが問題行動を起こしてどこかに相談したいといったときに、どこに行けばいいのか、居場所によって大分イメージが違うと思うのです。市役所なのか、学校なのか、個人のアパート的なところなのか、何かそこら辺のイメージをもう少し固められないかなという気がするのです。
 つくるのであれば全国の市区町村に置かないとだめだと思います。私のところの例で言いますと、青少年愛護センターというのがありまして、そこで子どもに非常に好かれている元小学校の校長先生に、常勤にほぼ近い形で相談員として仕事をしてもらっています。公民館の一室の目立たないところに部屋を置いているが、たくさんの方が相談に来られるようです。全国の市区町村にそういう仕組みをつくって、どこに行けばいいのか決めていかないとだめだと思います。やはり自分の学校の中では、なかなか親御さんも本人も「心の教室」に出入りすると問題がありそうだと思われてしまうので行けないですね。なかなか難しいと思います。
 やはり地域に点在するだけではなかなか力にならないのではないかと思います。ですからネットワークの中で、いかにプラスの情報をこれから意識的に増やしていき、いい事例をいろいろな形でネットワークを通じて取れる状況をつくるか。コーディネーターになる人たちが限られた地域の中の情報とか、自分の経験とか、そういう狭い範囲ではなくて、もっといろいろなところから情報を取り込めるような環境をつくっていく必要があると思います。
 子どもたちとの対話集会で一番問題になるのは、予算がないことです。ただ教育委員会任せではなくて、地域の企業であるとか、行政の方でもう少し手助けしていただけると随分変わってくるのではないかと思います。
 先ほどの環境の話に戻りますが、昨日もテレビでごみの問題をやっていて、自分の会社でつくった製品に対してリサイクルまで責任を持つようになるということは、企業の役割として非常に重大になってくると思います。青少年に対しても、例えば、学校側で町のごみ拾い、空缶拾いをみんなで協力し合ってボランティアでやったとしても多分その場で終わってしまうのは、「みんながそれをやっているのだから、自分がそれを一生懸命拾って歩くことはないではないか」というような世の中全般の風潮があるためだと思います。企業の役割は重要であり、企業があんなにやっているのだったら自分たちだってごみを捨てたくはないし、汚したくはないし、みんなもきっとそうだろうというような思いが強くなっていくと思いますので、そういうことをする企業を非常に私たちは高く買うということを声を上げて言うことは、青少年のためにいいのではないかという気はします。
 それぞれの企業が、個性を持った生き方をすることが大事であり、ごく当たり前の採用試験というのはやめた方がいいのではないかと思います。
 一つ気になっていることとして、お金万能の世の中になっているのがよくないのだということが中間まとめでも言われているわけです。子どもの非行の理由にも「お金が欲しかった」というのが非常に多いという話がありましたし、お金万能というか、何でも経済第一主義を改めるためのアイデアというのは何かないですか。これは今まで一つも出ていないのです。今の環境のごみを減らす問題とも絡んでくると思うのですが、いわゆる大量生産、大量消費という生活態度を改めなくてはいけないと思います。
 やはり爆発的に売って、すぐ消費してしまうというのは、マスコミがかなり煽っているのではないですか。そこら辺はマスコミにも責任があると思いますけれども。
 一番のジレンマは、みんなが倹約すると景気が悪くなる。景気をよくするためにもっとみんなお金を使いましょうと、一方でやっているのだからどうも困ったものだと思うのです。
 大体よろしいでしょうか。それでは今日の御意見も参考にして整理の上、文章化して次回の部会で議論したいと思います。
 本日は、どうもありがとうございました。これをもちまして閉会といたします。



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