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子ども・若者育成支援推進点検・評価会議
第2部会(第6回)議事要旨

1.日時:平成24年12月13日(木)13:30~15:30

2.場所:合同庁舎第4号館4階 共用第4特別会議室

3.出席者:

(構成員(敬称略))
明石 要一、川邉 譲、古賀 正義、佐藤 大吾、丹羽 洋一、原田 謙介、広田 照幸、宮本 みち子

(ヒアリング(敬称略))
NPO法人エデュケーショナルフューチャーセンター代表理事 長尾 彰
NPO法人エデュケーショナルフューチャーセンター副代表理事 中川 綾
静岡県立大学教授 津富 宏

(事務局)
伊奈川子ども若者・子育て施策総合推進室長、梅澤参事官(青少年企画・支援担当)

【概要】

1.「Facebookを活用した子ども・若者からの試行的意見聴取」の結果について

  • 長尾 彰 ファシリテーター(NPO法人エデュケーショナルフューチャーセンター代表理事)
  • 中川 綾 ファシリテーター(NPO法人エデュケーショナルフューチャーセンター副代表理事)

初めに試行結果について、事務局より説明が行われた(資料1-1~1-4)。

テーマは「子ども・若者の社会参加の促進~社会への参画・就労をサポートするために何をなすべきか~」に設定。参加者は47名。内閣府で実施している青少年意見募集事業でユース特命報告員として登録されている15~29歳の若者のうち、参加を希望した者。参加者のうち、実際に発言をした者は21名。ファシリテーター役として長尾氏、中川氏、アドバイザー役としてNPO法人育て上げネット理事長の工藤啓氏に御協力をいただいた。

実施の方法と流れについて、まずFacebook上でクローズドな環境のグループを作成し、グループの存在や参加者、投稿内容はメンバーのみわかるような形でプライバシーの設定を行った。

流れについては、ファシリテーターの方のコメントに従いながら、最初に論点出し、次に論点・問題・課題が発生する理由を出し合い、最後にそれを解決するためにはどうしていくべきかを話し合う、という流れで意見交換を行った。

また、参加者の自発的な意見提出の促進を図るべく、本試行と同じ時期に開催した内閣府主催の講演会や当部会の傍聴を参加者にも呼びかけ、参加者同士が顔見知りになる機会を提供した。

議論の流れを、日を追って整理すると、最初に参加者の自己紹介、問題や課題だと思っていることの論点出しが行われた後、その問題が発生する理由、課題についての議論が行われた。

テーマによっては参加者の自発的な議論が生まれた。参加者同士が関連するコメントをお互いに行うことで、単なるパブリックコメントとは違って議論に深みが出たという局面もあった。他方、ファシリテーターからの発言、アドバイザーからの発言がないとなかなか議論が進まないという局面も多かった。

アドバイザーやファシリテーターからの発言、データの提示等が出された際に議論が生まれたところ、生まれなかったところが見られた。発言やデータの提示が、参加者にとってわかりやすい場合、流れとして議論が生まれる傾向にあったと思われる。他方、示唆に富んだ発言などの場合、受け手にさまざまな意味で受けとられるためか、議論が展開しない局面もあった。

全体的に見て、ファシリテーター、アドバイザーによる介入、発言がないとなかなか議論が進まなかった印象である。
参加者には、試行終了後にアンケート調査を行った。回答者は26名であった。結果については、「全体」、自己紹介以外にコメントもした人と割と積極的に発言をした人を「投稿した」、自己紹介だけ発言した人や発言が全くなかった人は「投稿せず」という3区分に分けて集計した。

実施期間に関しては、全体的にもっと長いほうが良いという意見が大半を占めた。また、議論を終えての感想は、Facebookで議論を行うことやファシリテーター、アドバイザーの役割とその発言内容などに関して、肯定的な評価が多かった。

他の参加者の意見を見て自分の考えに迷いが生じたり、自信がなくなったかという質問に対して、過半数は「あまりそう思わない」、「まったくそう思わない」と回答。他方、「全体」で2~3割弱、「投稿せず」で4割弱、自分の考えに迷いが生じた、自信がなくなった、という回答をしており、Facebookで逆に意見が言いづらかったという感想も少なくなかった。参加の登録をしたがコメントをしなかった人に対して、その理由を尋ねたところ、「忙しかったから」が半数以上。そのほか、既に議論が始まっていたので入りにくかった、圧倒されてしまった、Facebookのコメント欄が非常に見づらかったなどが意見としてあった。

今までのいわゆるパブリックコメントのような、片方の方向、一方向での意見提出と比べてよかった点、悪かった点について、よかった点の主な意見としては、即時性・双方向性がある、リアルタイムでいろんな意見を見ながら自分の意見を考えることができる、フィードバックがとても早かった、気軽に参加できる、あいた時間に言いたい意見に特化してコメントができて手軽だ、という意見があった。

反対に、悪かった点については、リアルタイムであるためにかえって意見が出しづらい、少しの間議論に参加できなくなると、その間に議論が一気に進んでしまい、自分の意見が言いづらかった、Facebookは匿名性がないため、逆に他の参加者の存在を気にしてしまう、他の人の目を気にして、差し障りのない意見しか言えない、少数派の意見が言いにくくなる、という意見があった。

その他として、2週間という時間は時間的に厳しい、グループの中ではお互いのメンバーの名前や写真がわかるため、私生活を知られてしまうのが怖いといった意見もあった。

今後もFacebookを活用した意見聴取をやってみたいかという質問に対して、多くの人が参加したいと回答した。

また、今回の意見聴取の試行結果をどういうふうに活用してほしいかという質問については、今後も試行を続けて、Facebookも意見聴取のツールの1つにしてほしい、今回、こういう取り組みをしたことを周知して、興味を持つ若者をふやしてほしい、今回の議論の内容とか試行した内容についてフィードバックをしてほしい、今回議論したことも若者の大切な声の一部であるので、国政運営の参考にしてほしい、といった意見があった。

今後の改善点などの提案については、設定したテーマについて、より工夫が必要であるという意見、議論に枠組みがないと自由な発想ができて幅が出てよいが、抽象的になってしまう部分があるという意見、もう少しテーマを絞ってもらえると議論がしやすいという意見、提出されない意見を拾い上げる工夫が必要、例えばリアルな意見交換の場と並行してFacebookを使うとか、個別にも意見を聞くべきといった意見があった。その他、Facebookのコメント欄について見づらいという意見があり、その見づらさに対して、まとめるなり何かしらの工夫をしてほしいという意見があった。

これらの議論の流れやアンケートの結果を踏まえて考察を行った。

Facebookによる意見聴取の肯定面としては、他の参加者の意見が見える、ファシリテーターが誘導や触発をしてくれるので考えを整理して伝えることができる、リアルタイムなので、さまざまな人の意見を見たり、それを参考にしたりすることができる、空いた時間に関心のある部分について気軽に参加できる、双方向性が強くて、短期間で活発に意見交換ができる、といったことが挙げられる。

他方で、匿名性のなさといったFacebookの良い面が、同時に否定面につながることもある。リアルタイムで議論が進んでしまうので、タイムリーに参加できないとなかなか意見が表明しづらくなる、他の参加者の目を意識してしまうので、かえって意見表明をしづらい、少数派の意見が出にくくなる可能性がある、忙しい参加者はなかなか多数のコメントに目を通したり、自分の考えをまとめたりするための時間を持つことが難しい、議論が進むとその議論に乗りづらくなることがある、コメントの画面が見づらい、個人情報が知られてしまう、といった否定面も挙げられた。

Facebookを活用して、こうした意見聴取をする場合の留意事項は次のとおり。

  • 1点目に、実施する期間は、参加者は仕事、学業、家事など、忙しい中で参加しようとしているので、必要な時間が十分にとれるような期間を設定する必要があるということ。
  • 2点目に、テーマ設定については、わかりやすくて議論のしやすいテーマを立てること、サブテーマなりを設定することが必要ということ。
  • 3点目に、Facebookでなかなか意見を出しづらいという参加者もいたので、意見聴取と同時並行で、例えば事務局にメールで直接声を届けるような仕組みをつくる、対面での意見交換の場を設けるといったいろいろな間口をつくるということも有用であること。
  • 4点目に、ファシリテーターなどが適切な介入、触発をしないと議論が展開されないことから参加者にわかりやすいコメントを出すなど、コメントの仕方というのがポイントになるということ。
  • また、参加者が忙しい中でも議論の状況を把握できるように、例えば事務局がタイミングを見計らって、これまでの意見をまとめて提示するといった工夫が必要である。
  • 5点目、運営する際に、事務局は24時間常にFacebookに張り付いていないといけないのかという懸念もあるが、例えば深夜に問い合わせがあった場合にも、翌朝速やかに対応するということであれば、滞らせることなく、議論を回していけると考えられる。

次にファシリテーターの両名から、説明が行われた(資料1-5)。

  • 長尾氏
    今回、ファシリテーターとして、参加している人たちが話しやすい雰囲気をつくったり、論点整理をするという役割をした。私の報告では、特にFacebookという道具を使って、こういった取組をする際にという視点で説明する。
    私も中川も文部科学省で現在取組が進んでいる「熟議カケアイ」というインターネットを使って国民の声を拾い、それを政策に反映させるという仕組みのファシリテーターをしている。
    機能面として、「熟議カケアイ」のwebサイトでは、まとめエリアというものがあるが、Facebookにはその機能がついていない。だから、誰が、どんな話していて、それが今どこまでどのように進んだのかという、今どういう状態にあるのかというまとめがわからなくなる。その点が、今回の取組でFacebookの基本的な欠点ではないかと感じている。
    また、今後、もし同様の取組をする際にファシリテーターとして3点ほど指摘したい。
    1つ目、事前に明確な議論設計をしておくこと。期間も含めて何についての話をするか、誰に話をしてもらうか。参加者のタイプは違っても構わないので、議論をするレベルがそろう工夫をすることも必要。
    2点目が、Facebookの特徴である実名性も生かすということを前提に、このFacebookでの議論、話し合われた内容が今後の政策などにどう反映されるかということを始まる前に参加者に伝えておくという工夫もあっていいのではと考える。
    3点目、この議論そのものの目的を事前に明確にしておくことも必要。何のためにこの取組をするのか。情報共有のためか、あるいは国民からアイデアを出してもらうのか、アイデアの発案のためにやるのか、アイデアの中から意見を収束するためなのか、何かの意思決定をするためにやるのかという目的を明確にしておくこと。
  • 中川氏
    意見が欲しいのか、または議論をすることが重要なのかという点で変わってくると思うが、議論を中心にということであれば、もう少し参加者同士が顔見知りになることが良いだろう。
    地方在住の参加者もいるので内閣府で会うことは難しいが、Skypeといった無料のツールもあるので、交流が持てるような機会があると、議論はもう少し活発化されたのではと思う。
    パブリックコメントとしてアイデアがほしいということであれば、別枠でアイデアだけを安心して出せる場所というのがあるとよい。
    Facebookは、最後に投稿された発言が画面上では上のほうに来てしまい、それまでの時系列がばらばらになってしまうというところがあるので議論の流れをみるのが難しい。
    参加者の中でファシリテーター役になりたいという方があらわれた場合は、積極的に仕切ってもらい、それが過度に偏った場合に介入するというぐらいのやりとりのほうがよいのではないか。

続いて、アドバイザー役のNPO法人の育て上げネットの工藤理事長の資料を事務局から紹介した(資料1-6)。

説明後、以下の質疑応答が行われた。

  • 丹羽委員
    2週間という期間であっても参加者の中からファシリテーター役になりたい人があらわれたというのが、1つ良かった点だと思う。この取組に継続性を持たせ、次回の議論にも残る希望のある方はそのまま残ってもらい、次年度に新たな参加希望者入ってくることによって、自然とファシリテーターになる人が現れる可能性もあるし、議論する人の数もふえていき、その場が非常によい場になっていくのではないかと思う。
    もっと参加人数を増やしていきたいということであれば、ユース特命報告員以外でも常にホームページで参加を受け付けるようなページを設けて、常にここに入ってきて議論をするという常設性があってもいいのではないか。
  • 明石委員
    非常に面白い試みで、継続をお願いしたい。アンケート結果で気になったのは、こういうことを友達に勧めますかという質問に肯定的回答が少ないということである。これは私の推測だが、自分はやりたいと思っているのに、友達に勧めないのは、Facebookの画面が読みづらいからではないか。読みにくさの対策として、より簡潔に述べるようなルールを設定して、それができるようになれば、議論のキャッチボールになるのではないか。
  • 丹羽委員
    プラットフォームと呼ばれるものとして、Twitter、LINE、Facebookといろいろ選択肢があるが、国の事業であり、意見の聴取であるということを考えると、やはりセキュリティという問題は非常に大きい。この点について、Facebookは安心できる。
  • 中川氏
    パソコンを開いて落ち着いてやるという使い方とiPhoneなどで気楽にやるという使い分けをうまくできるかどうかというのが議論に反映されるのではないかと思った。
  • 長尾氏
    それらのプラットフォームは、議論に適しているもの、参加者同士で諮るようにするもの、単に発散するためのもの、収束をさせるためのものと、それぞれに特徴がある。その点で言えば、Facebookは情報がストックされ、データも添付することができ、一度コメントを書いておくとずっと残っている特性がある。一方で、TwitterやLINEは書いたものがどんどん流れていくものなので、あの話はどうなったのか後から見直すことが不便な特性だという整理ができるのではないか。気軽な感じでああだこうだおしゃべりしたり、発散する場にはTwitterやLINEが向いていると思う。きちんと情報として残す、話し合った内容が政策に生かされるのだということに関心を持ってもらうためには、ストックするのに有利なFacebookが有効なのではないか。
  • 原田委員
    2週間の議論の流れを見ていても、ある程度盛り上がってきたなというところで議論終了だった。次回やるときはもっと長くして、半年であるとか、思い切ってやってみるというのはどうか。それと同時に、期間中に新たに参加者を増やすのもよいのではないか。
  • 佐藤委員
    そもそも若者とか子どもであるため、議論する力というのがまだ未熟なのだろうと思う。議論する力をリアルな場で身につけないと、Facebook上なら積極的にしゃべれるかと言われればそうはならないと思う。
    そもそも人の言った意見に自分の意見を重ねて議論を積み重ねていくとか、参加者がそういう発想を持っているのかというところは、今回の成果を見て判断するのだと思う。そこのそもそものところをどうケアするかというのは、学校教育ともかかわってくると思うが、重要な話ではないか。
    また私はプロセスに最も重要な部分が隠れていると思う。流されていった意見とか、勇気を持って話をしたのかそれとも適当に言っただけなのかというのも、本試行を評価するに当たって、本当に突き詰めて考えるのなら分析しないといけない。
    LINEが流行っているが、基本的には用途が違う。1対1で話すときにはLINEを使い、Facebookは誰にも見られないで友達とだけ話す、または1対nで話すというときに使うのだろうと思う。それがTwitterになると、さらに誰が見るかわからないという状態で不特定多数に対するつぶやきということになる。それぞれ用途が違うから、今回Facebookを使ったというのは、それはそれでよいのではないかと思う。
    議論をどこに持っていくのかという点で、ファシリテーターがどこまで意識をして、どういう影響力をそこで果たしたのかというのも、この結果に大きな影響を与えたのだろうなと思う。長尾氏が議論をここにもっていきたいと思った、ある種ファシリテーターではなくてナビゲーターの役割だったら違った結果になったかもしれない。
  • 佐藤委員
    最初は、自己紹介から始めて、おかしいと思うことを言ってみようみたいな、ハードルの低いところからスタートして、この場所で何をしゃべっても怒られないという雰囲気を作ることが大事。
    勇気のいりそうな意見、物議をかもしそうな意見も踏み込んでしゃべってくれるようになるのは、多分セカンドステップ、サードステップの話だろうと思う。最初は文句が出ないような自己紹介、そこからまず始めるというのが緩やかな導入としてはいいのだろう。

2.政策決定過程への参画に対する若者の意識(平成24年度「若者の考え方についての調査」より)

初めに調査結果について、事務局より説明が行われた(資料2)。

本調査については、財団法人日本青少年研究所が2008年に行った調査との参考比較を行った。
単純に比較すると、参考として示した同研究所の意識調査に比べ、今回のインターネット調査の回答者は全体的に参画意識が高い結果となったが、米国、中国、韓国と比較すると低い傾向が見てとれる。
ニート、ひきこもり、不登校、高校中退といった、いわゆる社会生活を営む上で困難を有する子ども・若者を社会としてどう支えるべきかという質問に対する結果と子ども・若者が対象となる政策や制度について、「子ども・若者の意見を聞くようにすべき」と回答した人との関係について集計した。
具体的には、困難を有する子ども・若者を支えるのは、本人や家族と答えた人、国や地方公共団体と答えた人、市民からの寄付や民間資金が集まるような仕組みもつくること挙げている人、それぞれについて、社会参画の意識を見た。「資金が集まる仕組みを作る」については、単なる自助、公助だけではない共助みたいな考え方をしている人であり、そういった回答をしている人は、より参画意識が高いという傾向があるのではないかと思われる。
自己認識と参画意識との関係については、「自分自身に満足しているか」、「長所があるか」、「意欲的に取り組む姿勢」の3つに対して、肯定的な回答をしている人ほど、参画意識あるいは政策、社会に対する自らの影響力に肯定的な傾向があるという傾向が見られる。
自分が40歳になっているときどう思うかということについて、「幸せになっている」と答えた人とそうではない人とを比較した。40歳時点で幸せになっていると思うという人ほど、参画意識なり社会、政策に対する影響力に肯定的な傾向があるという結果が出た。
総合して考察をすると、社会参画を進める、あるいは政治決定過程への参画を進めるために、そこに直結していくような教育やプログラムの実践、あるいは議論の仕方等について学ぶことも当然重要ではあるが、一方で、例えば自己肯定観を育む、あるいは将来への明るい見通しを持たせるということも考慮していく、あるいは有用だと考えることも必要ではないかと考えられる。

3.有識者ヒアリングと意見交換(若者の社会参加の必要性について)

  • 津富 宏(静岡県立大学国際関係学部教授)

初めに津富教授から説明が行われた(資料3)。

今日はFacebookといったネット上の話も議題に出たが、私自身は社会参加というのは最終的には身近なところへの参加だと思っている。ところで、大半の人は信用できますかという質問に対して、「はい」と答える人の割合は、これは所得格差が大きい国ではとても小さく、所得格差が小さい国では「はい」と答える割合が高い。両方の指標において、よい位置をキープしているのは、スウェーデンを始めとする北欧諸国である。
そのスウェーデンの話をする前に、今、日本の現状を確認すると、日本は急速に平等な社会から不平等な社会に移っている。単に格差が大きくなっているということだけではなくて、社会のさまざまな問題の悪化とともに、社会の変質が起きているというのが今の日本だろう。
こういう変質、とりわけ若者の弱体化は、ヨーロッパで先に起きた。ヨーロッパの若者政策は、この変質を受けて、社会的包摂に関する議論と能動的市民性、ソーシャルインクルージョンとアクティブシチズンシップがセットになって出てきたというのが特徴で、この点を踏まえることが、若者の社会参加の必要性を理解する上で、非常に重要である。
要するに国民、国家を前提にすると国民統合のために何ができるのか、私たちの国はどうなってしまうのかという、非常に危機感を持った中で出てきたのが、若者の社会参加をさらに強調することであった。逆に言えば、手を打たずに社会の力量に任せておけば社会的排除がどんどん進んでしまうという危機意識がそこにはあったのだと思う。

例えばスウェーデンなどは、多くの難民の受け入れによって移民比率が20%に達しようとしており、明らかに肌の色や宗教が違う人々の子どもたちが自分たちの国の次代を担う国民になってもらえるのかというところも問題としてはあっただろうと推測できる。しかし、当然ながら仕事になかなかつけないという問題は、移民の子どもたちだけに限る問題ではなくて、若者全体の問題、若者全体が市民になってもらえるのかということが根本的な問題意識にあったのだろう。

ヨーテボリはスウェーデンの第2の都市であるが、町自体はなかなか景気が良いとは言えないほうである。団地には大量に移民の方々が住んでいる。同じ団地に住むお年寄りの方にとっては、非行をすることもある移民の子どもたちは恐怖の存在であった。そこで団地を運営している入居者組合は、この問題を解決するためにユースワーカー、すなわち、若者たちを動かす専門職を雇った。
ユースワーカーは、夏休みに、意味の中高生を集めて勉強会と遊びを組織した。その締めくくりに、団地の中心にあった緑地帯の再開発をどうするかについて、移民の若者たちに話し合ってもらった。若者たちは、フットサルコートなど自分たちのための機能を盛り込んだ案をつくった。
そこで、ユースワーカーは、君たちだけが緑地帯を利用するのかと問いかけた。若者たちは、ベンチや、高齢者が犬の散歩をしている光景をイメージして、犬の散歩のためのドックランを盛り込んだ。
そもそも移民の子たちは、こういう意見交換できる場といった、そういうオープンな場になかなか顔を出さず、自分たちのような移民が多い棟だけに閉じこもっているような状況であった。
つまり、このプロジェクトの狙いは、意味の若者自体に、公園をつくってもらうことで、パブリックなスペース、公共空間に彼らを引き出すことであった。入居者組合は、最終的にはお金を集めて彼らの描いた図面どおりにこの公園をつくってしまった。
スウェーデンと日本とは違うなということを強く思った事例である。

今度はイギリスでの事例を紹介したい。私は、日本で、少年院を出た若者、今は、20代、30代の社会人と一緒に団体を1つ立ち上げた。海外で同じようなことをやっている団体がないのかということでイギリスのUSER VOICEという団体を訪問した。ここでいうユーザーとは、刑事司法制度の利用者、つまり、犯罪者のことである。犯罪者や刑期を終えた元犯罪者の声を、サービス提供者を介さず、つまり現場の刑務官等を通さずに、直接、政策決定者、行政官や国会議員に届けるという活動をしている団体である。そのプロジェクトのひとつは、元犯罪者のファシリテーターが入って全国各地で非行少年に議論させ、その中でリーダーを選ばせて、そのリーダーをロンドンに集めて、そこで高官あるいは議員と一緒に30~40人でワークショップをやるというものである。つまり、直接、若者が政策決定者に意見を伝えるという機会をつくるプロジェクトである。

話は北欧に戻るが、北欧では、ユニバーサルサービスが根本にある。要するに、誰をも落ちこぼしてはいけないという考えが強い。若者は、その一部でしかない。例えば、デンマークでは、高齢者福祉、育児、教育、医療などのあらゆる公共サービスについて、それを享受するユーザーの地方自治体の政策決定及び実施過程への直接参加である、ユーザー・デモクラシーが促進されている。これは、若者に限定されたものではない。
このように、若者の社会参画というものが進んでいる国では、そもそも若者だけでなく、全ての市民の参加が背景に存在している。

スウェーデンの青少年は日本と同様、公共交通機関を使って通学する。大人だと車だけれども、高校生はバスと電車、あるいは自転車を使う。スウェーデンのヨンショーピンでは、そういう中高生に公共交通か駅のあり方について意見を言ってもらった。これも典型的なユーザー・デモクラシーである。単なる消費者として、サービスや商品を供給している人たちに対して意見や要望を言うというのではなくて、自分たちが統治する側に回っていく経験をしてもらうというのがユーザー・デモクラシーの特徴である。

スウェーデンで、カールシュタッドという、地方都市を訪問したのだが、ここにはユースカウンシルという若者議会がある。その背後にある考え方が非常に興味深かった。その考え方とは、カールシュタッドでは、若者だけではなくて全ての市民の声も聞くという理念である。
各地方都市の人口が減っている中、カールシュタッドに住んでもらうために、カールシュタッドでは、全ての市民の声を聴き、それをきちんと町に反映させているという理念に立っているというのである。つまり、あなたがもしこの町に住んだなら、きっと、この町をあなたの町と思えると訴えて、他の都市と競争している。市民のオーナーシップを高めるという点で、市が競争しているともいえる。
この理念に立つと、若者は、成人に比べると選挙の投票ができないなど、市民参加のチャンネルが限定されている。だから、カールシュタッドでは若者議会をやっているというのである。
この若者議会では、若者の声を政治家や行政職員に伝えるということをまず行っている。そもそも若者議会のオフィス自体が、市の庁舎の中にあり、若者議員が自由に市の庁舎の中を動きながら人に話しかけることができる環境にある。
また、若者議会は、市議会の小委員会が出している文書にコメントできるという権限を持っており、若者としての意見をつけることができる。そのように、非常に日常的な関係を結びながら市の行政にかかわっていることが伺えた。
また、単に行政や政治にかかわるというだけではなくて、実践活動も行われており、若者議会で意見が通れば、学校でのクラブ活動のように好きなことができる。
さらに、市から予算がつくことで、市の行政に反映されていくということもある。その1つの例として、芸術・文化活動を中心にしたカルチャーセンターをつくってもらったということがある。これは、フォーカスグループで意見を集めて市に言ったら実現したそうで、若者議会が達成した、非常に誇らしい制度の1つとのことだった。

日本で似たような事例を挙げると、遊佐町の少年議会や、京都でやっているシチズンシップ共育企画のユースACT、埼玉の岩槻高校でやっている「社会参加学習」などがある。いずれも、地域への参加活動である。北欧も全て、その地域なり身近なところへの参加活動から社会参加が始まっている。

参加とは何であろうか。「EUROPEAN COMMISSION WHITE PAPER A NEW IMPETUS FOR EUROPEAN YOUTH」(Brussels,21,11,2001)には、「ensuring young people are consulted and more involved in the decisions which concern them and, in general, the life of their communities.」とあり、単に本人の生活にかかわることだけではなくて、その町の生活全般にわたって若者がかかわっていくこと、その意思決定にかかわっていくことだということが書かれている。
先ほどの、ヨンショーピンの駅プロジェクトもその例であるし、カールシュタッドでも若者に関することだけが、若者が参加範囲であるとは考えていない。カールシュタッドでは、市職員が、若者が意見を言いたければ、若者に関する施設であろうとなかろうと、どこにどんな公共施設を建てるというようなこと全てについて、意見を出してもらって構わないと言っていた。
しばしば日本では、例えば、今日のような会議があるときに、若者の代表として、若者一人が席に座って、時々しゃべるだけという「参加」を意味することがあるが、本質的にはそういうものではないと思う。

今後、あらゆる場面において若者の参加の促進が行われなければいけないし、あらゆる形態で行われなければならないと思っている。また、場の整備、ミーティングプレイス、多様な場、あるいは公共空間を整備していく必要がある。今、日本で試みられている模擬選挙や子ども議会では不十分で、もっとさまざまなアクセスができる、開かれた場をつくっていく必要があると考えている。例えば、移民の若者とかが、普通に生活していて、模擬選挙や子ども議会に参加してくるわけではない。たとえば、USER VOICEは意図的に非行少年のためのチャンネルを設けたわけだが、そのような活動が必要だということである。そのためには、まさにユースワークが重要である。「NO DEMOCRACY WITHOUT PARTICIPATION」。参加なくして民主主義なしということである。

補足として、法政大学の児美川孝一郎教授の御意見について紹介する。
児美川先生の主張は、日本の若者はヨーロッパの若者以上にディスエンパワーされているという認識が手前にないといけないということである。現代の若者にただ意見を言ってくださいと言っても、なかなか話しださない。それはヨーロッパの若者以上に日本の若者が社会的な意思決定から排除されているがために話し出せないという部分があるということだろう。「日本の将来は?」にとても不安だという若者が多い。あるいはあなたの将来はどうなりそうですかという問いについては「だめだろう」という若者が中国やアメリカよりずっと多い。
一方で「現在の生活に満足していますか?」というと、満足しているという若者たちがとても多い。何に満足しているのか、それは明らかに社会には満足していない、社会というものにあえて目を向けないことによって、社会不参加をある意味意図的に選ぶことによって今の日本の若者たちは何とか生き抜いているのだろうと、児美川先生は推測している。
児美川先生は、若者はいまでも「主体化」しているのだという。その主体化というのは、生き残り競争を勝ち抜いて社畜の世界にしがみつくという方向で自己コントロールするか、あるいは、今、ここの充実を大切にするという方向で自己納得するかということである。この生き方は自分で選んだものなのだと。これらの主体化のあり方において、若者が社会というものを意識していない、という指摘は非常に重要な視点であると思う。
児美川先生の提言は、まず小さな社会を若者に感じさせてほしいということ。非常に無力化された日本の若者たちに対しては、小さな社会を感じることを踏まえた社会参加の支援があるべきだと思っている。

説明後、以下の質疑応答が行われた。

  • 古賀委員 ファシリテーターになる人たちをどう養成したり、どうこの場に組み込んでいくのかというのが1つのキーポイントではないのかなと思う。昔コネクションズに行ったときに、移民の子弟に対するファシリテーターは、移民の成功モデルの人をはめていくということをしないと、価値的な部分で共振しないし、困難がわからない人が行ってもなかなか共感が得られないし、話したいと思う子どもが出てこないと言われた。ファシリテーターにどういう人をセレクトするのか、あるいは今回のお話だと、まちづくりとかといったようなテーマに合わせてどんな働きかけ方を工夫しているのか、教えていただきたい。
  • 津富教授
    1つ例で言うと、フィンランドでは、日本人の方が移民関係のワーカーをやっていた。USER VOICEでは全員が元当事者である。そういうストーリーを持った人、つまり当事者だった人が問題解決の担い手になるということは非常に重要だと思っている。
  • 古賀委員
    今のことに関連して、日本でそういう当事者性を帯びた人が入っていくときに、受けとめる側が容易に受けとめるかということが気になるところである。異質なものが入ってこられる条件がなかなか日本の場合、難しいようにも思う。その辺、何か工夫というのはあるか。
  • 津富教授
    私が思っている日本社会は、徐々に異質なものに対して開かれつつあると思う。これも1つの例にすぎないが、先日、ビッグイシューの編集長にお話をうかがった。ホームレスの方が街角に立って雑誌を売るということ自体がかつてはなかったことだと思う。それに対して排斥するのではなく、積極的に固定客になって買い求める人もいる。ホームレスの方とお客さんが出会うという場をビッグイシューが用意したから、そういうことが実現できたわけで、そのおかげで、みんなのミーティングプレイスができているということになる。
    私が非常に期待しているのは、障害者分野である。障害者分野ではこういった会議に障害者の当事者が入っているのは御存じのとおりである。障害者分野では、ピアの支援について、日本でも運動が起きている。時間はかかるかもしれないが、当事者性を帯びた人たちが問題解決者になるということは、私自身期待しているし、その方向への変化をみんなが担うしかないのかなと思っている。
  • 長尾氏
    ファシリテーターとしての視点で一つ。オランダ、フィンランド、スウェーデンあるいはイギリスにも最近フューチャーセンターという場所を各省庁の中につくりましょうという動きがある。ファシリテーターが常駐し、多様な人たちがそこには集まって、そこで起きている問題をみんなで話し合う場所を設けておきましょうという取組がこの10年ぐらいで進んできている。
     そういった場所を率先してつくっていくということも大きな手立ての1つかなということを感じた。
  • 中川氏
    石巻市で今活動をしているが、既に小学校にフューチャーセンター機能を持った施設を空き教室を使用して設置している。先ほどの異質なものをどう受け入れるかという点については、学校に限っていえば、ポイントは先生方がどの程度、外のものを受け入れていけるか、学びを外から得られるかということだと思った。震災があったということもあって、地域または外部とのつながりを学校の中に気軽に持てる場所があるということで、保護者の方も含めて、少しずつ意識が変わってきていると感じている。
  • 広田部会長代理
    日本で例えば実際に若者が何か仕組みをつくろうとしても、行政縦割りで、予算とか意思決定はもうある形で動いているので、結局、若者が参画するといっても、社会教育系のところで模擬的に体験するという話になってしまって、議会の小委員会の文書に全部コメントできるとか、施設のデザインに実際に関与できるところまでなかなかいかないのが現状である。スウェーデンでは、なぜこれができてしまうのかということについて、何かご存知であれば。
  • 津富教授
    若者の参加以前に、先ほど言った市民参加自体が前提にされているといったように、どこか前提が違うのだと思う。 例えばカールシュタッドの隣町のクリステンハム市に行ったが、そこは一般市民がどの議員に対しても質問ができて、6カ月以内に議員は答えなければいけないという制度がある。市議会議員が全ての学校を回ってミニ集会みたいなものを持ったりするという活動もしていた。こういうことをすることでどんどん市民の関心を高めることが非常に大事だということである。 その町の市議会議員と話をしたが、もとは幼稚園の先生だったそうで、幼稚園児に対しても参加は大事という意識で接するそうだ。お散歩でどこに行くというときに、子どもに意見を聞くということから参加は始まるというお話をうかがった。
  • 宮本部会長
    若者の参画に関しては、地方分権を進めるということ、教育についてはほぼ進んでいて、スウェーデンは小さい国での地方分権なので、日本でいうと県単位でいかにして地方分権化するかというぐらいの規模である。だから、行政の縦割りを崩すというのが参画とはまた別の形で動いているわけであるが、5万人とか10万人規模の中でいかに行政の縦割りを排して横につなげつつ、人をトータルに見ながら行政サービスをやっていくのかというような議論になると思う。
  • 広田部会長代理
    意思決定とか財政の決定とかというルールもずっと地方や地域のほうで動かせるということなのだろうが、こういうところで議論していてよく思うのは、結果的に若者の参加やディスカッションが何も実を結ばないようなことがずっと永遠と続いていくのだとすると、それは若者から言うと模擬体験というかシミュレーションでずっと終わってしまうので、そこの仕組みや仕掛けという点で長期的にどうなっていくのか、どうしていくのかということを考えないといけないのではないかと思う。
  • 津富教授
    1つ言えるのは、スウェーデンの場合はそうだが、若者議会には予算がついているので、その予算を使って何かしようという話になっていく。そういうことをささやかでもいいのでやるとよい。日本でいえば遊佐町の少年議会は予算をもっている。そんな大した額でなくてもよい。予算を付けることが、若者自身の決定をしなければとか、責任を持たなければとかという気持ちを引き出していくと思う。
  • 明石委員
    ユースカウンシル(若者議会)の40名の方は、日本で言えば中高校生にあたると思うが、彼らは日本で言えば生徒会役員をやった経験のある子たちなのか、そういう学校組織とは違ったところで鍛えられてきた子なのか。
    また、任期は1年となっている。日本の場合は、中学校、高校で生徒会の役員のなり手がいなくて、非常に困っている。教師たちがファシリテートできていない。それでなかなか元気がないという現状がある。スウェーデンでは、相当多くの方が立候補しているが、それはなぜか。スウェーデンの学校教育の力なのか、市民のシチズンシップの高まりなのか、家庭の力なのかということを教えていただきたい。
  • 津富教授
    たしか200人ぐらいが立候補していたと記憶している。生徒会関係者もいれば、そうでない若者もいる。若者議会は、実践活動が面白い、お金を持ってまちづくりができるという点が魅力なのだろうと思う。
    また、例えばルンドという町では、この町をフェアトレード市にすると、若者議会の若者たちが宣言して、町中のコーヒーショップのコーヒーを全部フェアトレードコーヒーに変えていくという運動をやっている。「○○祭り」とかと言って、町の中でイベントも仕掛けることもできる。一種の学園祭の実行委員というものに近いと思うが、それを行政や議員、その町を動かしている方と相談しながらできるというのは魅力的なのではないか。
    日本と違って、部活が忙しい、受験が忙しい、といったことが基本的になく、特に音楽とかスポーツに熱中している子でない限りは、こういう活動が余暇活動として魅力的になってくるのだろうと思う。
  • 明石委員
    日本の場合はガールスカウト、ボーイスカウト、子ども会といった青少年団体がある。学校教育とは違った社会教育的な視点で、募金活動をするとかまちづくりに参画するといった活動をしている。スウェーデンの場合は、青少年団体の経験者というのはいるのか。
  • 津富教授
    重なっている可能性はあると思う。向こうにも青少年団体はたくさんある。ただ、実際には確認しないとわからない。
  • 原田委員
    今まさに政治とか選挙に対して労力を割こうということにはなかなかならない若者が多いと実感している。そういう若い人の状況を見たときに、若者が集まる場所、行政の中に場所をつくったとしても、そこに若い人をどうやって参画させていかれるかというのがすごく難しい。教育していくしかないと言われればそれまでだが、それ以外の施策、こうやれたほうが若い人がより参画しやすいのだというのがあれば教えていただきたい。
  • 津富教授
    仕掛ける人が何か戦略を持って仕掛けていけば、必ずできることだと思っている。ただ、そのためには、予算だとか、どういう面白味があるのかということを用意していることが大事ではあると思う。
    もう少し大きな話をすれば、そういう仕掛けをする人材を育てるということは必要だろう。
    犯罪学の話から、日本とスウェーデンのヨーテボリとの違いについて紹介したい。例えば市民の人と町歩きをして、ここは危険だよねということを発見して、ここに街灯をつけましょうというような活動がある。このとき日本とヨーテボリで、一番違うのは、ヨーテボリではコミュニティワーカーが地域に入って、その地域に住んでいる人たちの多様性を確保して町歩きのチームをつくるということである。男性も女性も障害者も高齢者もホワイトカラーの人もブルーワーカーの人も誘って、多様なチームをつくる。要するに知らない人同士がミーティングするということである。私もそれに参加させてもらったが、歩いているとやることがないからしゃべるしかない、そうすると全く関係ない人と仲良くなれる。そういうことが仕掛けなのだと思う。その仕掛けづくりをコミュニティワーカーという、行政が雇った人がやっているということが重要なのだと思う。
  • 宮本部会長
    コミュニティワーカー、若者の場合だとユースワーカーが重要なコーディネーターでありファシリテーターの役割をしている。そういう人材が豊富でない限りはなかなか参画というのは進まないという印象がある。
    また、どうやって参画を続けていくかということで、成功体験をさせることが非常に重要だろうと思う。予算の使い道について自分たちで企画し、働きかけ、そしてこういうふうに良くなったという、成功体験を作る。だから、集まって話をするというだけではなく、具体的に動いて何かを勝ち取っていくということも重要なのではないか。
  • 津富教授
    日本でファシリテーションと言うと、どこか場所を設けてそこで人が集まって、それに対してワークショップをやるという意識が強すぎるように感じる。
    私自身は、地域をつくっていくのはむしろ人材だと思っている。
    運動とか活動とかコミュニティの組織化みたいなものを仕掛ける。そのときに、もちろんワークショップの実務を含めてであるが、ただワークショップをするだけではなく、地域でどのように生活を共にするとか、あるいは行政とどのようにやりとりするかとか、そういったこと全てを一体化した、地域人材の養成講座のようなものをつくっていくことが大事だろうと思っている。

以上