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第7回議事次第
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参考1
これまでの議論の整理
I 検討会の目標
○ 検討内容、提言の性格等
検討会の目的は、若者の自立をめぐる様々な側面からの包括的な対応策を検討することとすべきである。
提言は一般論に終始せず、具体的な政策につながる指摘をすべきである。
提言は、政治や行政に向けたものであると同時に、世間一般に対し訴えかけるものとすべきではないか。
○ 対象とすべき若者
検討の対象は若者全体であるが、具体的な指摘をする際には若者の中でもターゲットを明確にする必要があるのではないか。特に、特定のリスクを抱えた若者への支援は、若者の自立支援の中で当然に重要な柱となるのではないか。
問題を抱えた若者の存在の背景には社会的格差等の問題があり、その改善には産業政策などの果たす役割も大きいので、こうした層にターゲットを絞っても効果が薄いのではないか。
様々なリスクを抱える若者を増加させないことが重要であるという考え方に立てば、施策の対象は若者全般ということになるのではないか。
時間軸で見て、短期的には弱い立場にある若者への支援を最重要課題としながらも、中長期的には若者全体を対象とするという考え方が適当ではないか。
問題を抱える若者の一つにニートがあるが、失業者とは異なり、ニートには就労面等の政策的な支援が届いていない。この層に政策の焦点を当てることが必要ではないか。
II 若者の自立をめぐる課題
II−1 「自立」についての考え方
○ 自立の概念
我が国においては伝統的に個人の自立が社会的目標とされておらず、その概念が明確ではないので、日本型の自立の概念やモデルを提示する必要があるのではないか。
自立の概念を整理する際には、シチズンシップなどの考え方を踏まえる必要があるのではないか。
自立しているかどうかは個人個人について判断すべき問題である。自立とは、個人にとって家庭生活や労働、社会参加のバランスのとれた状態が何であるのかによるのではないか。自立は若者のみの問題ではなく、大人の問題でもある。
目標とする自立は、就業による経済的自立に限られないものである。また、職業を持っている人が必ずしも自立しているとは限らないのではないか。
自分の力で食べていくことができない場合、自立しているとは言えないのではないか。
提言では、自立の概念を若者にも受け入れられやすい表現で説明する必要があるのではないか(例:「自由な存在」「何かを支える存在」)。
○ 自立の目的、動機付け
若者の自立に価値を認め、社会的な目標としていくことが重要ではないか。また、若者自身が自立を目標とするよう動機付けを行うことが必要ではないか。
若者の自立を支援する目的として、若者の世代を世代として自立させ、また税源を確保し社会保障制度を維持するという「社会のため」という視点があるのではないか。一方、もっと一般的な目的として、若者自身が元気になるのが望ましいという視点もあるのではないか。
自立の目的を考える前提として、目指すべき社会像の検討が必要である。その際、自立した個人が互いに支え合い、社会をよくしていくという「共生」の概念がキーワードとなり得るのではないか。
II−2 問題状況、背景、原因(特にいわゆるニート、ひきこもりの問題について)
若者の問題について、身近で自立していない若者に悩みを抱える親などが多い一方で、社会一般の認識は低いのではないか。また、社会の若者に対する見方は否定的な方向に一元化しているのではないか(例:「若者はダメだ」「最近の若者にはコミュニケーション能力がない」)。
自立のために必要な基礎的能力として、他者とコミュニケーションをとる能力があるが、最近は地域社会における他者との出会いの機会の減少などにより、若者にこの能力が不足しているのではないか。
最近の若者の間では、対人評価の軸がコミュニケーション能力の高低という軸に単純化しており、特に思春期以降の若者には、コミュニケーション能力の不足からダメージを受けたり、コミュニケーションの輪から外れることへの過剰な恐怖感を感じたりする者が多いのではないか。この背景には、社会全体がコミュニケーション能力を重視しすぎているということもあるのではないか。
20代後半に多い就業後のひきこもりの原因には、人間関係に自信をなくしたケースが多く、このため再就職が難しくなり、問題の解決が図りにくいということがある。この背景には、対人関係を修復する力がついていないということがあるのではないか。
若者が自分の将来のビジョンを持っていないということが現在の問題状況を生んでいる原因の一つにあるのではないか。
正社員か非正社員かという厳しい現実や、学校における価値観と企業における価値観のギャップを前にしてひきこもるケースがあるのではないか。
近年、若者は仕事についても人間関係についても忍耐力が低下しており、これは若者が仕事を辞めてしまう原因の一つとなっているのではないか。
ひきこもりという言葉が蔓延し、そういう生活の選択肢を増やしてしまったということも原因の一つにあるのではないか。
我が国社会の経済的成熟によりニートが家庭にひきこもる余裕ができたという考え方もあるが、ニートのいる家庭は長期的には困窮し経済的な余裕はないという見方もあるのではないか。
欧米では若者が教育を受けず仕事もしない状態に放っておかれてはならないという社会的合意があるため、仕事をしていない若者には必ず行政の働きかけがあり失業者としてカウントされている。一方、我が国ではそのような考え方がないため、仕事のない若者が家庭にまかされてしまうという問題状況がある。
ニートのうちには、家庭の貧困や崩壊、地域の産業衰退等、意欲の問題以外の原因により生じた者もあるのではないか。
ニートなどの若者の中には、体験の不足から製造業や農業など様々な職業に対する自分自身の興味に気付いていない者が多いのではないか。
III 今後の取組
III−1 取組の方向性
国の最重要課題として若者問題を位置付ける必要がある。
若者の自立のためには、単なる就業への取組のみならず、社会保障政策や家族政策なども含めた、社会全体による幅広く息の長い取組が必要である。
現在の我が国社会には若者に対し否定的な雰囲気がみられるが、これと目指すべき共生社会との隔たりは大きく、行政を超えた取組が必要な面もあるのではないか。
最近の若者には、体験の不足から、自分の向き、不向きが分からず、知ろうともせず、自分の生き方を自分の力で選択できない者が増えているのではないか。このような若者にどう選択能力をつけさせ、個人としての力をつけるかが課題ではないか。
選択の自由が認められた社会では、失敗は自分の責任で取るという考え方も身につけさせる必要がある。
最近の欧米諸国の若者のための施策は、カウンセリングや個人ごとのライフプラニングなど個人を対象とした手法へとシフトしており、参考とすべきである。
我が国社会の中で、次世代を育成するのが誰の役割であるかについてコンセンサスをつくり出す必要がある。特に、教育は単なる個人的投資ではなく、国、地方自治体、NPO等が更なる役割を果たすべきであるということへの理解が必要である。
若者の自立支援方策を打ち出す際には、「若者は支援を必要とする者である」というレッテルを貼ったり、「若者が失業して困るから」というネガティブな考え方によったりすべきではない。「若者が社会の役に立つから」というポジティブな考え方を打ち出し、若者のやる気を引き出すべきである。
検討はニートなど対象を明確にして進めるべきであるが、提言として打ち出す際には、広く一般の人にも当事者意識を与え、若者を巻き込む方法によるべきである。
III−2 特に問題を抱える若者への対応
失業者とニートの境界線は曖昧であるため、両者を含んだ対策を考えるべきではないか。また、両者を別に考えると、現在のマスコミの取り上げ方のように、ニートの問題が「働く意欲がない者」という心の問題に収斂されてしまい、経済的格差の問題など他の重要な問題が見落とされる恐れがあるのではないか。
意欲の問題はニートの問題を考える際に避けては通れないのではないか。また、仮に失業者とニートが一体的に考えられるとしても、その対策は別に考える必要があるのではないか。
失業者やニートへの対策を考える際には、両者を含め世代のすべての若者を対象とした政策を考えることになるため、両者を一体として捉えるかどうかは現実的には問題とならないのではないか。
ニートの問題の根本的な解決には、幼少期の頃からの中長期的な対策が重要であり、雇用対策など現状への一時的な対策とは分けて考えるべきである。
ニートに対する社会的関心を高め、明確に施策の対象とすることは必要であるが、同時に、言葉が差別を生みかねないことへの配慮も必要である。
ニートには社会性にいわば穴のあり、就労能力自体はあっても組織で働くことができない者が多いため、どう社会性を身につけさせるかが課題である。
ニート対策の基本は、本人が自分で働いて生きていけるようにすることができることではないか。まず失業者にランクアップして社会的に認識し、さらにフリーターから就業へというルートをたどらせることが必要である。
ニートに農業等の体験就労等を積ませる仕組みを考えられないか。
英国では、個々の若者の状態をパーソナル・アドバイザーが頻繁に確認しているが、我が国でもこのような仕組みにより若者の状態を十分に把握する必要があるのではないか。
高校中退者等、就職をせず学校を離れた若者に対する継続的なフォローが必要ではないか。
若者の自立のためには、本人が経済的に厳しい状況に直面するなど、自立に本気で取り組むきっかけが必要という面もあるのではないか。
ニートに期待される社会参加がどのようなものであるかを考えることが必要である。英国では社会参加の方法に幅を持たせ、とにかく若者をアクティブな状態に置くことを重視しており、これが参考になるのではないか。また、社会参加の方法は就労だけではなく、例えば地域でのボランティア活動などの居場所を与える取組も必要である。
ニートなどの若者が社会参加の場所を見つけるきっかけを与える、いわば「ウィークタイズ・クリエーター」の役割を果たす人をつくり出すべきである。
ニート、ひきこもりの対策においては、支援者を支えたり、支援者同士の連携を促進したりするなど、「支援」を支援することが必要である。これは特に、支援者側の「バーンアウト」を防ぐために重要である。
思春期は不安定な時期であるため、この時期の若者のひきこもり対策においては、介入やその程度を段階的に考え、柔軟性を持たせることが必要である。また、ひきこもり対策の方法には様々な議論があるが、ニートやその他の若者と同様就労支援を打ち出すことが必要である。
ひきこもりの支援においては、関係者がネットワークをつくり、必要な情報を共有することが重要である。
III−3 若者全般への取組
○ 包括的な若者政策
青少年施策の進んだ欧州の国の中には、1990年代に青年担当大臣を置き、役割や権限を持たせたという例もあるので、これらの各国の制度も参考とすべきではないか。
省庁横断的な取組により、(1)若者が自立した生活を達成できること、(2)社会における若者の影響力を強化すること、(3)社会の資源としての若者の力を生かすことを大目標として取組を推進することが必要ではないか。
スウェーデンでは、地域社会の崩壊や、若者の無関心といったデモクラシーの危機に対応するため、若者を社会の中核に入れていこうという取組を進めてきた。スウェーデンにおいて「売るためでなく(Not for Sale)」が青少年政策の金字塔とされているように、我が国でも包括的な青少年政策に向けた第一歩として、何らかの社会的なコンセンサスを作ることが必要ではないか。また、包括的な青少年政策の土台づくりには、子どもから大人まで巻き込むことが重要ではないか。
スウェーデンでは、国のレベルで新しい若者像に基づく施策をつくり、それに沿って地域の自治体レベルでプログラムをつくっているが、このような重層構造を我が国においてどのようにつくるかが課題ではないか。
○ 親・家庭
青少年の自立には親の在り方が重要な影響を与えるが、親の子どもの自立に対する考え方は様々である。自立支援のためには、親世代への対応も考え、親向けの支援策等も入れ込む必要がある。
若者の自立支援施策と家族政策は隣接している。欧米の家族政策の経験に学ぶこともたくさんあるのではないか。
青少年の自立には幼少期の育ち方が重要な影響を与えると考えられ、特に家族の中で小、中学校の頃から自分のことを自分でさせることが重要ではないか。
現在の若者は自分の将来を選択するような際の判断能力は低いが、その背景には、親が子どもの進路を決め、レールを敷いていることがあるのではないか。これに対し、「自立社会」の典型であるスウェーデンでは、親が子どもの意思決定や自主性を尊重しており、参考とすべきではないか。
ひきこもり等の問題を抱えている子どもには、家族環境が大きな影響を与えているのではないか。安定した家庭では子どもの精神も安定しており、そして家庭の安定のためには、若い家庭への支援などの取組が必要ではないか。
子どもの価値観を育む場所である家族の在り方が変化し、少子化や親の高学歴化により過保護・過干渉の親が増える一方、全て子どもまかせの不干渉・放任の親も増加しており、二極化しているのではないか。
親の在り方と若者の自立の問題については、その親子の中だけの因果関係としてではなく、社会的問題として捉える必要があるのではないか。
親は乳幼児期のみならず子どもが中高生となるまできちんと向き合うことが重要である。この問題にも、子育て支援の充実や、家庭や職場における男女の役割の見直しなど、社会的問題として取り組む必要がある。
自立支援機関を保証者とした貸付制度の導入など、若者の自立のための経済的支援策が必要ではないか。
高学歴化等に伴う若者の離家年齢の上昇は先進国に共通して見られるが、例えばスウェーデンでは社会的格差が小さく、また住宅などの公的サポートが手厚いため決定的にドロップアウトする若者が少ない。一方で、英国では移行期の長期化に親の意識が追いつかず、また公的サポートが少ないため若者のホームレスといった問題を抱えてきた。
○ 学校教育
最近の中高生の中退や不登校の率は依然として高く、またフリーターなど安易な進路選択をする者も増えているが、彼らに目的意識や希望を持たせることが重要である。
若者に様々な実体験を積ませ、自分の能力に対する感覚を持たせるためには、中学校くらいの段階からある程度長期の体験活動等を行うことが必要である。この点で「14歳の体験」の機会は重要である。
子どもに学ぶ喜びや意義を十分に見出させるためにも、学校と社会とのつながりの中で体験を積ませることが重要である。そのためには、校外での体験学習を夏期休暇の時期に行ったり、もっと柔軟に単位取得を認めたりする工夫が必要ではないか。
現代のような流動的で不確定な社会では個人の人間性が威力を発揮する。学校を社会に開かれたものとし、体験活動など「社会参画」を促進し、知識として学んだことを人間性に変えていく教育を行うことが重要ではないか。
シチズンシップについての検討を深め、学校において市民性教育を導入すべきである。
若者の中には、学習意欲や就労意欲が高くても、人間関係を築く能力等が弱いため持続できない場合もあるため、これらの者を義務教育段階や大学等において個人ベースで継続的にサポートする体制が必要ではないか。その際には、人間関係を築く能力等の見極めも必要ではないか。
高校卒業段階で権利義務の行使ができるような現実的な能力を身に付けさせることが必要ではないか。
学校において、コミュニケーション能力など社会に適応するための能力を育成する教育内容の充実が必要である。
スウェーデンにおいては、学校が地域に対し開かれており、例えば学校に生徒オンブズマンや市の職員、議員などが出入りするなどしているが、このような学校の在り方は参考になるのではないか。
○ 就業
最近ではフリーターの増加等を捉え若者の就労の不安定化が指摘されることが多いが、逆に単に安定を求めればよいというものでもないのではないか。
親の職業に対する価値観が画一的であることなどから、若者が多様性のある職業観を持てなくなっているのではないか。就労についても含め、若者が既存の選択肢にとらわれずに自分でチャンスを切り開いていくような発想や夢を持つことが重要である。
職業により求められる労働者の人物像や能力については、サラリーマンと個人事業主、農業者等では異なるが、現実にはサラリーマン(大企業の正社員)という労働者のモデルが一般化されすぎているのではないか。
仕事と学習を柔軟に組み合わせられるようにするため、高等教育においてキャリア教育のためのバウチャー制度を導入してはどうか。また、バウチャーの行使はキャリア相談と組み合わせるべきである。
近年企業が人材を育成するという姿勢を弱め、キャリア形成が個人のものとされてきているため、新たに若者の就業に対する社会的サポートが必要となっている。しかしながら、これまで新規学卒採用による仕組がうまく機能していたことから、失業が若者の側の問題とされる傾向にあり、問題である。
雇用者の中でも非正社員型の人材をもっと正当に評価する仕組が必要ではないか。また、フリーターについても課税されるようになるため、今後悪いイメージが変化する可能性もあるのではないか。
労働者のキャリア開発について、特に非正社員型の労働者は、企業がキャリア開発を行うことを期待できないので、将来の計画や希望を念頭に置きつつ、自分自身で意識的にキャリア形成の努力をしていく必要がある。
人生設計におけるキャリアプラン、ライフプランの相談対応が必要ではないか。
学校教育においてもっと生徒個人を見ていくべきという話と、企業において個人ベースでキャリア形成を図っていくべきという話は、密接に関係するのではないか。
若者の側も、組織になじまない者や他者とコミュニケーションが取れない者が増えるなど、問題を抱えている。一方で、現在の個の時代においては、能力の違いを持つ個人個人のよいところを社会とどう結びつけるかも重要ではないか。
仕事には様々なものがあり、子どもにとっての向き不向きもあるので、個人の能力をよく見極めてマッチングすることが重要ではないか。
若者のコミュニケーションの困難が問題となっており、コミュニケーションの基本的なスキルを体験する場を提供するようなコミュニケーションビジネスを育成することも必要ではないか。
政府の「若者自立・挑戦プラン」などの施策を進める上では国民的な理解の普及が重要である。また、将来「若者対策疲れ」でゼロになってしまうことのないよう注意する必要がある。
雇用限定的な機能を持つジョブ・カフェを、若年者のキャリア形成支援の場へと発展的に拡大してはどうか。
○ 地域社会
地域で若者の自立の力を育成するためには、自立支援のためのネットワークなどコミュニティーが協力するための仕組みをどうつくるか、これらを支える資金をどう確保するか、年齢に応じてどう育成するかといった課題がある。
自立支援に当たっては、政策サイドと現場サイドとが両輪となって継続的に取り組んでいくことが必要ではないか。例えば、自立支援をテーマとするホームページをつくり現場に情報提供を行ったり、現場にヒトや権限を移譲したりする取組みが有効ではないか。
地域におけるワークショップの開催などは、若者に他者と触れ合う機会を与え、地域社会の中で人間関係を再発達させる場となり、若者のコミュニケーション能力の発達に資する。
「14歳の体験」は、地域の中でコミュニケーション能力を育成する場として重要である。今後更にNPO法人や地域の人材等を活用していくことができるのではないか。
地域におけるプログラムの担い手としてNPOの役割を重視していく必要がある。特に、自立支援を行うNPOへの金銭的支援や寄付優遇税制が必要である。
青少年の自立に向けた活動の場として、子どもが自分の責任で自由に遊べる場を整備したり、若者がまちづくり等の施策へ参加するための拠点を整備したりすることが必要である。
我が国では戦後の都市化に伴い他者との関わりが弱まっているが、社会にとっては皆がお互いに適度な「おせっかい」を焼くことも重要で、これも自立のキーワードになるのではないか。
IV 若者の社会への参画
若者の自立をめぐる様々な問題は、いずれも若者の社会への「参加」ということにつながっているのではないか。
子どもの成長と自立のためには、自我形成期に様々な大人とふれ合い、コミュニティーのセンスを学んでいくことが重要である。さらに、我が国の将来や青少年の育成の在り方について長期的に考えれば、学校や地域社会において民主主義をどう体験させていくのかが極めて重要である。この点において、我が国は欧米諸国に比べ非常に立ち遅れているのではないか。
「売るためでなく」では、若者が受け身のまま成長することに対して強い危機感が指摘されているが、我が国ではこのような問題に対する認識が遅れているのではないか。こうした問題の所在について社会的コンセンサスを形成していくために、若者の現状や実態をきちんと認識する必要があるのではないか。
青少年政策の最大の危機は、大人の無理解にあるのではないか。大人が大人自身の在り方を問い直し、若者の声に耳を傾けるようにするためのきっかけが必要ではないか。
政府の政策・方針や各種機関の意思決定過程に若者の参加を促進することが重要である。
社会に参画するということは、自由意志を前提とする一方で、義務を伴うものである。若者に社会と関わる動機があっても、その責任がすべて自己責任に帰結するような社会であるとすれば、彼らは躊躇するのではないか。この点、ボランティア活動のように、競争ではなくみんなで支え合えるという活動には、若者は取り組みやすいのではないか。
若者のボランティア活動は、彼らの自己実現に向けたエネルギーを社会貢献へとつなげるものと言え、社会的自立への助走となり得るものである。
ボランティアを始めとする青少年の社会参加について、我が国と欧米諸国とを比較すると、社会参加の現状や背景となる社会状況が大きく異なるため、これらの諸国における取組を参考としつつ、我が国では社会の仕組みづくりから始める必要があるのではないか。
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