北方領土問題

北海道の北東洋上に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島及び択捉(えとろふ)島の北方領土は、日本人によって開拓され、日本人が住み続けた島々です。これら北方四島は、1945年(昭和20年) 8月の第二次世界大戦終了直後、ソ連軍により不法に占拠され、日本人の住めない島々になってしまいました。
北方四島は、歴史的にみても、一度も外国の領土になったことがない我が国固有の領土であり、また、国際的諸取決めからみても、我が国に帰属すべき領土であることは疑う余地がありません。
北方領土問題とは、先の大戦後、75年以上が経過した今もなおロシアの不法占拠の下に置かれている我が国固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題です。
内閣府は、歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の北方四島早期返還の実現を目指して、外交交渉を支える国民世論の結集と高揚のための広報・啓発の充実、政府と民間が一体となった返還要求運動の全国的な発展・強化を図るとともに、北方四島との交流の推進など、北方領土問題解決のための諸施策を推進しています。

北方領土問題に関する基本的な考え方

(1) 我が国の対露外交の基本方針

日露関係の最大の懸案は平和条約締結問題である。我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することが対露外交の基本方針である。

(2) 北方領土問題についての政府の基本的立場

(イ)

歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島からなる北方四島は、いまだかつて一度も外国の領土となったことがない我が国固有の領土である。我が国としては、我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという一貫した基本方針の下、粘り強い交渉を継続する。

(ロ)

1993年の東京宣言以降、日露間においては、「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という共通の交渉指針を繰り返し確認している。
同宣言は、北方領土問題を、(1)歴史的・法的事実に立脚し、(2)両国の間で合意の上作成された諸文書、及び(3)「法と正義の原則」を基礎として解決するという明確な交渉の指針を示している。

(ハ)

北方領土問題の解決に当たって、我が国としては、(1)北方四島に対する我が国の主権が確認されることを条件として、実際の返還の時期、態様については、柔軟に対応する、(2)北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益及び希望は、北方領土返還後も十分に尊重していく、こととしている。

返還要求の根拠

(1) 歴史的事実

  1. 北方領土にはかつて外国人が定住した事実がなく、また外国の支配下にあったこともなく、18世紀末からは江戸幕府の直轄地として日本人の手によって開拓された。
  2. この事実を踏まえて、1855年(安政元年)に締結された日魯通好条約においては、日露国境を択捉島と得撫(うるっぷ)島との間に設定することとした。
  3. 日露国境の再編をした1875年(明治8年)の樺太千島交換条約では、樺太の一部に対する権利を譲り渡し、得撫(うるっぷ)から占守(しゅむしゅ)に至る18の島(千島列島=クリルアイランズ)の領土権を取得した。

(2) 国際法上の根拠

  1. 連合国は、第二次大戦の処理方針として領土不拡大の原則を度々宣言しており、ポツダム宣言にもこの原則は引き継がれている。この原則に照らすならば、我が国固有の領土である北方領土の放棄を求められる筋合いはなく、またそのような法的効果を持つ国際的取決めも存在しない。
  2. サンフランシスコ平和条約で我が国は千島列島に対する領土権を放棄しているが、我が国固有の領土である北方領土はこの千島列島には含まれていない。このことについては、樺太千島交換条約の用語例があるばかりでなく、米国政府も公式に明らかにしている(1956年9月7日付け対日覚書)。

(注)ソ連が北方領土の領有を主張する最も有力な根拠としていたヤルタ協定は、米英ソ三国間の秘密協定であり、我が国が拘束されるいわれはなく、また同協定が領土移転の法的効果を持つものでないことは、当事国である米国政府も公式に明らかにしている(上記覚書)。