基調講演「高齢社会フォーラム・イン東京」

「シニアが主役 地域創生 -出かける、出会う、何かできる-」

樋口 恵子
高齢社会をよくする女性の会 理事長

樋口 恵子氏の写真

 皆様、おはようございます。

 昨年もここで話をさせていただきましたけれども、毎年この内閣府によるフォーラムが日本中の高齢者の1年の活動の集積というような様相を呈してまいりまして、今年もまた全国津々浦々からおいでくださいました皆様方と経験を交流し合える、これ、まさに今日が1つの出会いでございまして、この私のサブタイトル「出かける、出会う、何かできる」、これを映画やテレビの画面のほうではなく、高齢者の3D主義と呼びます。誰が呼んでいるのでもない、私がただ言っているだけの話でございます。

 何はともあれ、高齢者にとっても、若い人にとっても、引きこもりぐらい悪いことはございません。人間は社会的動物であり、どこかへ出かけ、誰かと出会う、そこで社会的人間関係が結ばれることを通して何かできるのでありまして、「出かける、出会う、何かできる」という3D主義をますます広げていきたいと思っております。

基調講演の写真

 さて、朝からお暑うございます。何か年々暑くなっているんじゃないですか、日本。これと同じように年々高齢化は進み、そして、あえて言えば日本全体をじりじりと焼き尽くすかどうかは別として、この高齢化の度合いを深めております。私たちがその危機を認識しつつ、それに対する対応をしていく。

 昨日ちょっとうれしいニュースがございましたね。平均寿命がまた延びておりました。昨年、ようやく80歳の大台を超えてくれた――今日も男性のほうが多いようでありますが、男性諸兄が1年間不摂生のあげく、せっかくの80歳超えを台なしにしたらどうしようと思っておりましたら、その心配は杞憂に終わりまして、80.5と、四捨五入すれば81に届くところまで参りました。皆さん、おめでとうと同時に、皆さんの、言ってみれば御節制と御活動に心から敬意を表するものでございます。

 人間、様々な選択ができますが、生まれるときと場所は絶対に選ぶことができません。幸か不幸かというか、幸いにも、幸いにもと思いますけれども、私たちは戦争が終わって平和が訪れた中で物心つき、あるいは生まれ、そして戦後70年、ここにいらっしゃるほとんど全ての方々は、言ってみれば戦争を知らない大人たちとして70年を生きてきたわけでございます。

○平和の時代

 私のような当年83歳になります年齢にとりましては、13歳までは平和を知らない子供たち世代でありました。平和の中に育つということ、自分の未来を描くということ、私らは女でしたからそれほど深刻ではありませんでしたけれども、敗戦当時、私と同級生の中学1年生だった少年たちで自覚ある者は、俺の人生は20歳で終わりかなと言っていたことが思い出されます。皆様御存じの山形が生んだ有名な作家、藤沢周平氏は昭和2年生まれでございます。ですから、敗戦を迎えたとき、また私よりもさらに大人に近い18歳、次の徴兵検査で戦場に引き出されるという年齢でありました。

 彼の随筆の中に、終戦になったとき、もう他人に預けてしまって自分のものでなかった命が急に戻ってきて、これからの命はおまえの自由に使ってよろしいと言われた感じで、さてどうしていいか、しばらく戸惑ったというエピソードが大変強烈に身にしみる記念日に近いこの頃でございます。私たち、平和のあかしとして、この人生90年、100年をしっかりと守り続け、今戦後70年を迎えております。自由裁量に、自分で選び取った人生が描ける、命の主人公であるということがつくづく平和の代名詞だと、私などの世代は思っております。

○長寿を紡ぐ基盤づくり

 しかし、人間それぞれに生まれてきた時代に課せられた歴史からの宿題がございます。我々の宿題はこの平和のあかしである長寿と、長寿をつくり出す基盤である一定の豊かさ、社会保障の発達――これは、私は日本政府にも、国民にも大変な貢献で、世界一の長寿に結びつく医療保険をつくり、年金保険をつくり、不況のど真ん中で介護保険までつくり、その土台は今大変揺らいでおりますけれども、やはり日本人の健康を支え、長寿を支えた、何といっても平和と一定の豊かさ、それを築いた世代が私たちでございます。

○高齢社会対策大綱

 しかし、その結果であるこの世界一の長寿がもたらす様々な問題点、これは社会全体を人生65年型から人生90年型へ変えようという政府の閣議決定で定められましたのが2012年版の高齢社会対策大綱でございます。この本日の大会の協力者である、私が堀田力先生とともに代表を務める高連協、高齢社会NGO連携協議会は、そのような高齢者が90歳、100歳まで役立てるような社会システムをつくり直すようにという提言を申し上げまして、この高齢社会対策大綱の中にも含められております。

 とにかく親たちがつくり、先祖がつくった人生の標準はせいぜい50年から65ぐらいまででございました。今や政府の決める高齢者の就労の年限も、まだばらつきは多少ありますようですが、大企業におきましても、65歳まで就労可能なように高年齢者雇用安定法も年々改善を加えております。あとは私たちの覚悟、そして、我々が本当に覚悟して、もちろん政府にも要望し、人生90年、100年働き続け、活躍できるような社会のシステムを文字どおり変更していくことではないかと思っております。そういう経験の交流が本日の目的でございます。

○クールシェアとウォームシェア

 昨年も、私は1つの事例から話を始めてまいりました。今年も1つの事例をお話し申し上げたいと思います。去年お話し申し上げたのは、やっぱり暑さの盛りでございましたし、地域全体が 、一人一人が全員参加で地域でできることをしなくてはというので世田谷区の例を取り上げたかと思います。

 地域の商店街も、もちろん公共施設も、ときには1軒のお店を、空き店舗をそれぞれ使って、そのとき100か所を超えておりましたから、「今年はもっと増えましたよ」なんて言われましたけれども、クールシェアといいまして、お年寄り、子供連れ、この2つを中心に――でも、誰でもいいんだそうです、街角の便利なところにあります。何のおもてなしもありませんが、冷水機だけはあります。そこでちょっと腰をおろし、休んでいっていい、どなたでもおいでと。

 冬になりますと、これをウォームシェアと変えまして、ちょっと体を温めて腰をおろして休んでいく、そういう箇所が世田谷区の中にはたくさん増えているそうであります。ウォームシェアとなりますと、もう森進一の世界、「遠慮は要らないから温まっていきなよ」というのが、言ってみれば都会の中にたくさんできたようなものであります。

 この頃、私は全国を歩いていてとても目につきますのは、もちろん行政も一緒になっている。この世田谷区の主導は保健所がイニシアチブをとっております。しかし、商工会も入れば、個人も入ればという形で広がっているので、行政が絡んでいるけれども、実は民間の人が本当に個人の資格で参加してくれる。あるいは、業界の人が街角の調剤薬局、そこらではまさにみんな置いてあるわけですけれども、そういう政府が音頭を取るまでもなく――もちろん、どこかで音頭を取ってくれているからでありましょうが、地域の中で公助と言うけれども、自助、公助、共助、それから、御商売の方が入ってきていて、商助、様々な参加が目立つという話をいたしました。

 今日はもうちょっと働くことに焦点を絞った事例をまず1つ、紹介したいと思います。内閣府関係の方はさすがきちんとお目が行き届いておりまして、平成25年版の高齢社会白書に事例として報告されておりますから、御記憶の方もあると思います。ただ、私、この6月に北九州へ呼ばれて行ってまいりまして、県庁の担当者の方と直にお話をする機会があり、資料などを送っていただいて、ふーん、なるほど、これはと。

○70歳現役社会の実現を目指して

 ほかにやっていらっしゃる県もありましたら、どうぞ御一緒にと申し上げたいと思うんですけれども、県を挙げて、この言葉がなかなかいいんですよ、「『70歳現役社会』の実現を目指して」というので、70歳現役社会づくり協議会というものを設けて推進を始めております。これは県を挙げてでございますので、今日の資料には入っておりません。これは私の資料です、済みません。興味のある方は、福岡県の方はとてもこの催しに自信を持ち、御自慢のようでございますから、どうぞ担当部局におっしゃって取り寄せていただきたいと思います。

 実はまだ始まったばかりなのです。だから、平成24年が初年度です。平成25年版の、だから1年後の高齢社会白書に好事例として載っておりますから、よっぽど目立ったんだと思いますが、いいことは色々な機会に始めてほしいと思います。

 70歳と申しますのは、今日、先ほど審議官から日本の急激な高齢化について色々お話があったと思いますけれども、今日本の政策でほぼ行き届いているのが65歳まで働ける社会ですね。これは急激に早く70歳にしないと、本当にもちません。これは、人口推計を見れば当たり前なことであります。ものを考える国は早いなと思ったんですけれども、これは去年もちょっとお話ししたと思いますが、去年の1、2年前に私、スウェーデンへ行ってまいりました。

○スウェーデンの事例

 スウェーデンという国は高齢化先進国でございますから、色々学ぶところはあったのですけれども、まだ始まったばかりというから、その後をフォローしていないんですが、スウェーデンでは今70歳まで働ける仕組みを模索しつつあると。ただ、スウェーデンの場合は専門が間違ったかなとか、あるいはこの世界でこのままやるべきかと迷う人、50ぐらいでいっぱいいますね。だから、50ぐらいで1つの線を引いて、そして、おそらく奨学金か、そういうものを出すのでしょう、50ぐらいで勉強し直して、その間が1年か、2年か、その間のサポートをうんとして、次なる新しい仕事を展開して、それからは70まで働いてもらうと。50歳でやり直して、スタートが仮に55歳だったとしても、そういう人は70歳まで働いてもらうということを原則とすると、それから15年の新たなキャリアが積み重なるわけであります。もちろん、年金とかそういうものは通算するのでありましょう。日本と並んで平均寿命ベスト5の中に入るスウェーデンがこのようなことを考え始めた。

○欧米のボランティア理念

 特にヨーロッパ社会というのは、定年年齢とか年金年齢に対する考え方が、日本とはちょっと文化が違います。逆に言えば、アメリカはまたちょっと違いますけれども、西洋はヨーロッパ、北欧など含めて、年金年齢になった人は働いてはいけないというぐらいの強い観念があるようでございます。実は、そういうことをおっしゃる学者の方がおりまして、それがいいんだと。だから、ボランティア活動は、スウェーデンの専門家にこの間も言われましたが、スウェーデンでボランティア活動をするのは高齢者だけで、若い人はほとんどしていないし、仕事と家庭と、それをしっかりワーク・ライフ・バランスをとるので、それでいいのですと。

 だから、ボランティア活動で金をもらうなんていうことは、日本の有償ボランティアみたいな考え方も成り立ち得ないと言われました。私はやっぱり、そこら辺は文化の違いで、そうかなと。その先生、偉いですから、私、口答えできなかったんですけれども、やっぱりスウェーデンも、日本も、みんな含めて、史上始まって以来の人生100年という長寿に、おそらく100年前の人は予想しなかった長寿に今向き合っている。

 だから、文化も変わって当然ではないだろうか。スウェーデンも含めて、もちろん日本を先頭に。そういう人生100年生きるという社会に対応して、社会制度、システムということを含めた文化を変えていく。

 そういえば、ダーウィンが言いました。1番強いものが生き残ったわけではない。1番大きなものが生き残ったわけではない。環境の変化に対応して、よりよく自己変革できたものが生き残ったのだ。まさに私たちは今、世界の特に先進国を中心に広がる高齢化という波の中で、そこで一体1番よく対応できる国民は誰だろう、どこだろうということを実は先進諸国の中で競い合っている、もう1つ競争が今そこにあると思います。これは平和な競争でございます。大いに競争に参加して、私たちの技を競おうではありませんか。

○老いても働きたいということ

 その点で申し上げますと、私は日本人の働くことを美徳として、一方で働くことを苦役とする文化、定年がハッピーリタイアメントでわっと喜ぶ、これも1つの考え方で、私は尊重すべき考え方かもしれないけれども、一方で、幾つになっても、年齢に応じてスタイルを変えながら社会に参加し、働き、若いころほどの収入ではなくても、ささやかな収入を得て、そのことをもってまた自分で自立した喜びなどを味わう、こういう文化もとてもいいと思うのです。

 むしろ人生100年型にふさわしい文化は、この日本人の65を過ぎても働きたいという人が多く、70までは働きたいという人が圧倒的多数である、この文化を大事にしようではありませんか。という意味で見ると、70歳という数字を掲げて、福岡県が県を挙げて取り組んでいることは特筆すべきだと思います。

○福岡県の高齢社会対策

 そして、組織の仕方も大変民主的であります。もちろん福岡県の経団連、福岡県の連合といった労組も入っており、もちろん行政は入っていますし、そして県の様々な団体、社協のような福祉団体も入っていれば、それから、例えば私の母体である高齢社会をよくする女性の会北九州というところが、子育てサービスや高齢者への給食サービスをして30年あまりの歴史がございますが、そういうところも含めた全県下27団体のたくさんの団体が、まず参画しております。

 ですから、その協議会をつくってやっておりますことは、大体4つです。再就職、派遣、簡易な就労、これは厚労省の労働部門でやっているシルバー人材センターとほぼ重なります。そして、自分で起業する。そして、もう1つ、必ずしも大きな収入につながらなくても、NPO活動とかボランティア活動、こうした窓口に専門家を置きまして、本気で取り組んでいる証拠に県の中を4つのブロックに分けまして、そこに窓口担当者を置き、一方では、県内企業に高齢者をもっと雇用せよと。雇用というわけにいかなかったら、何か高齢者の活躍の場をつくってくれということを県内の事業所に説き歩くと。

 そして、県内の事業所に、じゃ、例えば70歳の人を雇うときにはどんな問題があって、社会保険の面などではどういうことがあって、あるいは70歳の人は60歳の人に比べると、身体的特性では健康上にこういう問題があるかもしれないから、だとしたら使う器具にはこういう工夫があったらよかろうとか、健康診断はこんな感覚でやったらよかろうと。

 これ、本当に職場に大量に70歳の人が残って働いている状況というのは、風景からいっても、健康管理や年金制度などの管理からいっても、実は我々、初めて取り組むことなんですね。ですから、もちろん、学者、研究者、先行事例というのもございますから、そういう情報を集めては企業の中に講演して歩く、講習して歩く、企業を啓発する。と同時に、社員も40代ぐらいのときから、自分の人生はここの定年で60か65で終わるのではなくて、人生の定年はまたずっと先なんだと。そのずっと先のあるところまで働いていこうと思ったら、こういうことに心がけなさいよという社員向けの講習も行ったりしております。

 とにかくまだ3年しか実績がありません。3年の中で何ができたかといいますと、とにかく登録してもらわなきゃいけません。登録者が5,800人になりました。それから、進路決定者が既に2,000人を数えております。これがたった2年間の実績でございますから、今おそらくもう一歩も二歩も進んでいると思います。

○高齢者の就職事例―資格を生かす

 例えば就職事例でいいますと、建設人材不足に対応して、73歳の男性、やっぱり資格を持っているということは強いですね、色々な事例を見ても。この人は、こういう資格があるということを私、初めて知ったんですけれども、1級土木施工管理技士というのがあるんですって。その資格を生かして、73歳ですよ、土木工事監督として活躍しているそうです。この方は再就職です。この1級土木施工管理技士というのは資格保持者が少なく、中小企業の人材確保に貢献しているそうです。皆様方がお持ちの様々な資格、技能、身につけた様々な腕を、技を生かす機会は70過ぎてからだって十分あるわけであります。

 大型車の免許程度の資格でも、人柄によっては大歓迎されております。介護老人保健施設で送迎業務に従事していらっしゃるこの方も、正規職員であります。69歳、男性は、何といっても趣味にガーデニングの腕がございまして、送迎のみですと時間が余っちゃって、労務管理はどうしているのか、ほかのところはよくわかりませんけれども、何といったって車の運転ができる、入居者のお年寄りに優しくできるということだけでなく、ガーデニングというもう1つの付加価値があるおかげで、老健施設なんか大抵、特にエントランスの辺なんかきれいに庭をつくっていますね。余暇にその時間をつくりまして、そして、ガーデニングの腕前を生かして庭園管理も担当し、親しみやすい人柄と庭園の出来ばえは入所者にも高い評価を受けている。

○「一人一芸シニア」

 私、この頃つくづく思うんですけれども、これからの時代は一人一芸というのはとても大事だと思いますけれども、何か芸にも副芸というのがあったほうがいいですね。今特にヘルパーさんたち、介護者の人手不足が言われていますけれども、今もまだ介護保険の理念は多業種連携です。ここに看護師さんがいる、ここに介護福祉士さんがいる、ここにOTがいる、ここにPTがいる、ここに介護装具の専門家がいるというふうに、多業種連携でやっていこうということで、これが私は介護保険のDNAだと思っています。

 多業種の人が、今まで医療はお医者さん、介護は福祉士と分かれていたのを、これからますます密接に医療と介護を連携して、そしてお互いにコミュニケーションをとり合う、これは介護保険制度のDNAですから基本ではありますけれども、これから高齢者は増えるけれども、人口は減っていき、おそらく地域の自治体も、今度の参議院の合区じゃないけれども、少しずつまたどういう形をとるかわからないけれども、近隣の地域と一緒になっていくよりほかはない。

 あるいは、狭い地域の中でやっていくとなりますと、多業種連携ではなかなかやれません。一人多業種、つまり、これも賛成されるかどうかわかりませんけれども、一人で看護師さんの初歩的な知識を介護士さんも持つことによって、もう少しできる仕事の幅を広げようなどという提案も一部には出ているようであります。私は、おそらくこれからの全体としての人口減少社会、特に介護する若い世代の減少する社会においては、一人一芸。一人一芸というのは連携するからいいけれども、連携しなかったらどうなるかといったら、一人天下のタコつぼになります。この一人天下のタコつぼ型では、決して介護とか、人の命を守ることはできないのであります。

 おそらくこれからは一人何芸かの、今の運転手さんではないけれども、運転もできれば高齢者に優しくできる、その上、園芸までできちゃう。なかなかこうはいかないでありましょうけれども、それは長い人生の中で培っておいた趣味とか、喜びとか、そういうことが必ずどこかで花開く場が、逆に言えばたくさんあるというふうにお考えいただいてよろしいのではないかと思います。

○子育てマイスター認定制度

 これは、我が高齢社会のグループ会員の人でありますが、福岡県独自に子育てマイスターというのがございます。マイスターというと偉そうですけれども、実質的には今の基本的な子育てに対する知識と技術を約1週間の研修で身につけてもらいます。たった1週間とお笑いになりますけれども、多くの女性たちは子育て、孫育ての経験値というものを非常に大きく持っております。問題は、それを今の時代にどう合わせていくかということだけでありますから、1週間の研修で十分のようであります。

 この1週間の研修を受けて子育てマイスターという認定を受けた人が、こちらは75歳の女性でございます。県の子育てマイスター認定研修で最新の保育知識を習得し、放課後児童クラブの指導員として採用。この辺も、これから高齢者にうんと進出していただきたいところであります。私、ただいまと言いましょうか、先週の末にハワイで行われました世代間交流国際会議というところから戻ってきたばかりでございます。アメリカのGU、ジェネレーションズ・ユナイテッド、世代間連合と訳したらよろしいでしょうか、そして、日本の私ども高齢社会NGO連携協議会、日本のJANCA、2つの団体、ほかにもっと団体はありますけれども、一緒になりまして世代間交流について論議したわけでございます。

○世代間交流

 実は、私たち高連協におきましては、世代間交流というのは高齢者にとって最も大事な活動の柱の1つではないかということを前々から提言しているのであります。先ほどから御紹介申し上げました2012年に改定された高齢社会政策大綱の中にも世代間交流はあちこちに散りばめてございます。また、同じ年に、これは文科省で人生後半における生涯学習のあり方検討委員会というのができまして、そこで人生後半の――昔の言葉で言えば社会教育、今の言葉で言えば生涯学習の中に世代間交流という柱をしっかりと定めるべきだと。

 もちろん、人生後半の生涯教育が大切だと言ったのは、世代間交流だけではございません。実はここにいらっしゃる方は、この会にお集まりの方は大変インテリといいましょうか、専門職をお持ちになった方が多くて、多くの方が学士号か、ときには修士、博士号を持っている方もあるかもしれないし、今言いましたような幾つかの技術、技能をお持ちの方もいっぱいあると思うんです。

 しかし、日進月歩する科学技術などは会社でいや応なく、そこの席にいる限りは勉強させられますから日進月歩していくんですけれども、意外や意外、社会常識というのは昔のままだったりするんですね。私はある新聞で人生案内というのを担当させていただいておりますけれども、この人、勉強していなかったんだからしようがないわねと、加害者にちょっと同情しちゃうときもあります。

○女性の権利とDV防止法

 それは例えばこういうことです。母親に暴言を吐き続け、ときには具体的な暴力も使う父親に娘さんは腹を立て切っているんです。どうすればこのおやじを征伐できるか、そういう御相談なんですね。お母様はまた昔の方で、どちらも70代後半です。昔の方で、私さえ我慢すれば、毎日暴れるわけじゃなしと言って黙っている。しかし、若い娘さん、お嫁さんから見ると、これは耐えがたい。何とかこのおやじ、静かにさせなくちゃと思っている。

 ですから、私は今、全国に2001年にDV防止法、つまり家庭内における虐待を防止する法律ができまして、今のところ申告罪でありますが、つい最近強姦が申告罪から一般の、被害者が言わなくても、そこに犯罪行為があったら犯罪とみなされるというふうに変わる動きがございますから、私は家庭内暴力もやがてそうなる日が来ると思います。

 少なくとも、これは内閣府さんのやはり所管事項でありますけれども、毎年11月に「女性に対する暴力をなくす運動」を実施し、全国に家庭内暴力を防止するための事務所もつくられ、相談窓口もつくられている。でも、今70代半ばの人が結婚したのがいつだったのかというと、昭和40年から50年なんですね。そうすると、そのころ家庭内暴力防止なんていう気もなかったです、まだ。

 国際婦人年の昭和50年になって、やっと言われ始めたころです。しかも、法律ができたのは、またそれからぐっと21世紀に入ってからなんです。そうすると、もちろん、地域や階層にもよりますけれども、生まれたころは亭主が女房に手を上げることは、褒めたことではないけれども罪悪とまで思われていなかった。例えば強い女房がいて頭が上らない亭主がいたりすると、あの民主的なサザエさんの漫画の中でさえ、そういうかかあ天下の亭主に向けては、周りの男たちは、たまには女房をがんとやってやれなんてけしかける風景が見られたのが、昭和30年、40年の日本の風景でありました。

○介護保険法と雇用安定法

 ところが、時代は変わって、昭和50年に国際婦人年、そして昭和60年には女子差別撤廃条約。そして、これに基づいて、セクハラも、家庭内暴力も禁止の方向がぐっと強まりまして、21世紀に入っていわゆるDV法、家族に対する虐待防止法、禁止、そもそもがよくないことであると言われ、そして、度が過ぎれば犯罪になり得るということが決まったのは、この人が60になったころなんです、15年前ですからね。ですから、そういうことを学ぶ機会がなくてずっと来ちゃった、この男の人。なかなか会社で経理課長か何かの席に入っている人をつかまえて、会社ではDVの講習をやってくれませんよ。

 とすると、私たちが今65を過ぎてから本当に大事になる法律、第1番には介護保険法です。 70を過ぎると本当に大事になる法律。後期高齢者医療制度とか、もちろん雇用の仕方に関しては、先ほど申し上げました高年齢者に対する雇用安定法というのも時々刻々変わってまいります。

 私はやはり、人生90年、100年になったからには、できれば40歳ぐらいで、遅くも50歳ぐらいで、うんと遅くても定年になったら、人生2度目の義務教育として、このような世の中の変化の情報を高齢に向かう人々に提供する義務が――義務教育というのは学ぶ義務ではありません、提供する義務が国にあるのではないかと。

 そう考えて、実はこの検討委員会に、私どもの共同代表である堀田力先生も、私もその委員会に加わらせていただいて、その中で高齢者が活躍できるような、再就職できるような技能のリフレッシュと同時に、今福岡県がやっているような様々な高齢者の活躍の場を見つけるための――県を挙げてと福岡は言っていらっしゃいますけれども、国を挙げての支援。その中には、世代間交流の大切さを申し上げていたところでございます。

○地域と高齢者

 この次に申し上げたいことは、まさに今日の全体のテーマでございます。高齢者と地域、世代間交流でも少し触れたかと思いますけれども、地域と高齢者ということであります。高齢者、高齢化の現場はどこかと言ったら、実は地域なんです。1つ1つの企業体、団体の中身を見ておりますと、例えば老人クラブは昔から老人の集団ですし、職場はこの頃少し変わってきたとはいうものの、基本的に60歳から65歳、今ようやく風景が少し変わりつつありますが、まずは60歳までの人々の集団であります。学校はそれぞれの年齢集団でありますし、じゃ、一体この人生100年、世代でいえば4世代の人がどこで出会えるかといったら、高齢化の現場は地域以外にないのです。実は職場を含めて、もっと高齢化の現場を増やしていこうというのが私たちの運動の趣旨ではありますけれども、基本的にどこに4世代が集うているかという、最終の受け皿と言いましょうか、最終の場は地域です。子供と高齢者はその意味で似ております。

 子供はあまり遠くへ行くことができません。生まれついたその土地でほとんど多くの人は公共の教育機関に通います。東京で見ていると、私立というのも多いですけれども、その私立だって東京都内にほとんどございますし、親の家で育ち、義務教育期間、高等学校までぐらいはその地域で育ちます。大学になりますと、これは専門もございますし、全国各地へここから人々の大移動が始まります。そして、就労いたしますと転勤ということを伴って、特に今や就労人口の8割がサラリーマン、雇用労働者という社会においては、大移動の時期を定年までサラリーマンは過ごすわけであります。

 最近は国外で働く人々も、家族を含め70万人と言われ、1つの政令指定都市ぐらいございます。働き盛りの時期にとりまして、学び盛りの人にとりまして、地球は学びの場であり、働きの場であり、必ずしも日本の1つところに定着するわけではありません。そのことをどう考えるかというのは色々あるでしょうけれども、基本的に日本はそのような働き方をし、そのような稼ぎ方をして今の繁栄を築いてきたわけであります。

 ですから、私は1つのところにずっと住んで、先祖代々の例えば農業なら農業を守って、そして、そこでまた子供に伝え、世々代々、子々孫々、1つの仕事で社会に貢献していこうという家族には心から敬意を払いますし、今TPPの真っ最中でありますが、なるべくそうした方々にあまり不利にならないようにと心から祈っています。

 ただし、一方で見ると、その稼ぎだけで日本はやっていけなかったし、これからもやっていけないであろうということも事実であります。子々孫々その地域に住みつく人は、できれば家業を子供に継いでもらいたい。もう一人いる娘には、地域で専門職を身につけて、例えば役場に勤めてほしい、保育士の資格を持って市立の保育所に勤めてほしい、周辺の診療所に看護師として勤めてほしい。婿も嫁もそのような人であってほしい。本当に成功しちゃう人がいるんですよ。子供さんたち3組、全部地域に安定した職業を持って、これで自分の老後は安心だと言っている人が本当にいるんです。

 そういう方の幸運を心から杯を上げて祝いたいと思うと同時に、ちょっと待ってくださいよと。皆様がもらっているお給料も含めて、こうした日本の豊かさを含めて、実は今、老いた親を日本に2人置きながら、時差が反対の場所で、今私たちが眠っている時間も孜々として働いて外貨を稼いでいる人々が、家族を含めて70万人もいる。そして、海外を除いて日本中を転勤、縦横に走りめぐりながら、その土地、その土地で働いて、何たって今個人所得税を一番払っているのはサラリーマンであります。

○ヤングケアラー、孫ケアラー

 日本の予算の、税収の最大の収入源であるサラリーマンとして税金を払っている。特に、中高所得のサラリーマン、皆様方がそうであり、そうだったのです。この人たちの所得がなかったら、地域における様々な施策もなかなか行いがたかったであろう。あるいは、こんな例もあります。両親が海外へ行って、むしろ孫息子はおばあちゃんに面倒を見てもらうつもりで、もうじき大学進学が迫っているから、おばあちゃんのうちに、東京に残ったわけです。まだまだお若いおばあちゃまが実は重篤な病気で倒れちゃった。そうすると、海外の親はそう急に帰れません。というわけで、進学期を控えた、あるいは人によりましては、まさに就活の時期真っ盛りの中にある孫息子、孫娘たちが、ほかに誰もしようがないので、ヤングケアラーという言葉をこの頃NHKのニュースなどでも聞くようになりました。

 もう子供の層が二人っ子で2人しかいません。しかも、全国、全世界へ飛びますから、今みたいな経緯で、場合によっては祖父母が倒れたその介護を孫息子、孫娘、これから就職、これから進学、生涯の技能をこれから身につけるという若い人たちが、ここで世の中ら撤退させられている。ヤングケアラー、孫ケアラー。イギリスなどにおきましては、このヤングケアラー、孫ケアラーの未来を失わせないようにということが、介護者支援の1つの大きな柱になりつつあるということであります。

 日本もまだ数は少ないけれども、今までは子供たちが5、6人いたから、1人、2人、子供が先に逝っちゃったりしても、子供という続柄の中で何とか介護がやりくりできたんです。ところが、我々世代から子供は2人しかいませんから、1人に事故があったり、1人海外に行っちゃったりすると、子供の世代ではやりくりがつかないので、子供という薄い人口の層をすぐ突き抜けて孫へ来ちゃうんです。孫は少ない子供、少子化の中にやっと進学、就職の時期まで育ってきたのに、これからのこの人生100年を棒に振って、祖父母の介護に当たらねばならない。緊急に支援が来ないと、やっぱり中年になってからの1年、2年のブランクはそれほど大きくありませんけれども、進学時期、就職時期の1年、2年のブランクというのは日本では、特に就職時期のブランクは致命的になることが多いです。

○若者の非婚問題

 ですから、私たちは仮に家族というものが周りにいたとしても、私たちは既に大家族時代と私は申し上げておりますけれども、介護を担う子供の数が減って、もうこれからはみんなそうです。昭和一桁から二桁生まれから、自分が生む子供の数が2に近づき、そして2を割るようになりました。しかも、その人たちは――ここら辺の理由はもう少し学者の分析に任せたいと思うのですけれども、二人っ子になっちゃった今50歳ぐらいからの人がなぜか結婚しないのです。これなんか、きちんと分析してくれる人がいたら、何か学術の賞をもらってもいいと思いますよ。本当に少なくなっちゃって、何と今50歳通過時の日本人の未婚率、未婚率というと、上野千鶴子さんに叱られるので、だから、非婚率と言わねばなりませんが、非婚率ないし独身率は、男20%、女11%です。何と、今50を通過する日本人の男5人に1人、女9人に1人が独身のままここを通過していくのであります。私たち高齢者は、もちろん私たちが働いてこの豊かさをつくり、そして世界に誇る長寿社会をつくり上げた、そのことは胸を張っていいのでありますし、私は日本の人口が増えなきゃなんていう考え方にはいささか疑問を持っております。

○人口減少の課題

 今、確かに減っていくことは寂しいことでありますけれども、例えば戦前の日本は、九千数百万しかおりませんでした。戦後処理が終わったときの日本の人口はちょうど7,800万であります。昭和22年の日本人の人口は7,800万です。それが1億3,000万近い時期まで、ある時期に膨れ上がりました。これは、基本的には長寿のせいだし、ベビーブームの時期などに子供さんがたくさん生まれたということもございます。これは、日本人の、日本社会の適正人口が一体1億でいいのか、8,000万がいいのか、それでも多いよというのか、ここら辺は学者も諸説紛々でございまして、私ごときが、これが適当であろうなどという数字を言う立場では全くございません。ただし、減っていくのは寂しいことだけれども、増えなきゃいけないだろうか。今日、ここ、内閣府主催だったな。あまり政府の悪口を言っちゃいけないんですけれども、でも、この程度の意見なら許されるでありましょう。

 減っていくのは寂しいことだけれども、日本の国力発展のために人口がこうあらねばならぬというのではなくて、何で日本が、特別出生率が低いかを考える。それは本当なんです。だから、私は責任を感じていますよ。我々の子供たちがみんな結婚しないで、子供をつくらないんだもの。これはやっぱり、消費者関係だって製造物責任者法というのがあるんですから、やっぱり私たちがそういう雰囲気をつくったのではないか。結婚が楽しいと思わせない。

 それから、何よりも、女が働きながら仕事を続けていく道をヨーロッパなどに比べて格段とつくらなかった。仕事をとるか、子供を生むか、2つに1つを選ばされてきたんです。安定した仕事も欲しいと思って生まなかったり、2人生むつもりを1人にしたり。私なんかそうですよ、2人生むつもりを1人にしたりという具合で、まさに3世代ぐらい日本はやってきた。でも、本当は子供を持ちたいと思っている、結婚もしたいと思っている。そして、お父さんが手伝ってくれる家庭ほど、つまり、まだお父さんになっていませんね、共働きの家庭で家事をよく手伝ってくれる夫を持つ妻ほど子供を持ちたいと願っているんです。

○女性活躍促進法

 昔の男、我々の夫たちは、なーに、女房なんか不平顔をしても、子供を生ませてやって、子供をあてがっておきゃ安心しているんだよなどと、我々世代の夫たちはけしからぬことにこういうことを言っておりました。時代は変わってきているんです。一人一人が自己実現、男のあなたが年をとっても自己実現したいと思っているとしたら、35の息子の嫁も子供も欲しいけれども、やっぱり私自身として生きる、自分を生かせる職場も欲しい、活動の場も欲しいと願っているんです。

 そういう施策を日本は長いこと怠って、おくればせながらでありますけれども、今の国会に女性活躍推進法案などが出される気配がございますので、それは結構なことだと思うと同時に、これから次の世代、もうちょっと日本の人口を保つために生んでほしいんじゃなくて、あなた方が、若い男が、若い女が、あなた方自身の人生をより豊かにするために、子供を持ったほうがよいともし思うなら、私たちは総力を挙げてお手伝いしますよというのが、我々高齢者の役目だろうと思います。

○世代間交流-地域での教育

 もちろん、政府もそれを感じておりまして、世代間交流に関して文科省も、厚労省も、そして家づくりという点におきまして国交省も、みんな世代間交流を一生懸命やり始めております。これはとてもすばらしいことで、サービス付き高齢者住宅の中に、子育て中の方に限って入れる市営住宅を組み込むような、ハードの面ではこのような動きもございます。また、文科省では、放課後、同じ学校で教室をつくっていること、&匀ロ後につくるというのと、土曜日が休みになって少し空いていますね。ですから、土曜日に習熟度の遅れている、あるいは自分で希望する子供を教えるとか、そういう取組を推進しています。

基調講演の写真

 放課後と、土曜日と、もう1つはナイトスクール、そこで教える人は教育委員会か何かが一定の面接をするんでしょうけれども、さっき言った75歳の人はまさにこれに採用したんですね。放課後児童クラブの指導員として、元先生とか、資格を持っている人とか、若い方ももちろん採用されているんです。お兄さん、お姉さんに教わるというのはいいことですから、4年制大学以上、大学院の学生さんとか、そういう方々を採用して、これ、お金をくれます。

 学習指導のほうだと、時給2,200円くれます。それから、もうちょっとそばについていて、字引の引き方とか何とか、そういうことを教えてあげる、もうちょっと軽い意味での見守り指導員には1,400円くれます。

これは、全国に教育委員会が少なくとも40%の施行を目指してやっております。たしか去年の秋に総理大臣も、東京都内の葛飾のある中学校のナイトスクールを視察しております。女性ももちろんでありますが、男性のある種の資格や技能を持つ方にとっては、とてもよい世代間交流であるなと思っているうちに、本当に時間が参りました。

 こうして、今私たちは大介護時代を大ファミレス社会で迎えようとしております。大ファミレス社会というのは、ファミリーレストランではありません。RとLが違いまして、ファミリーレス、家族が少なくなる社会を迎えております。つまり、今50代の人々がやがて年をとりますと、全人口の3割は一度も結婚しなかった、結婚しなければ子ができない。子レス、孫レス、兄弟も結婚しなきゃ、めいレス、おいレス、いとこレス。くまなく探しても、4親等以内の親族がいないという人もかなり多くなってくるに違いありません。

どうしたらいいか。もう次の世代でそうなるのですから、私たちが見本をつくっていく。そもそも、もう見本をつくるべき時期なのです。今年の最近出たばかりの高齢社会白書によると、ひとり暮らしと老夫婦とを合わせて56.7%ですから、約65歳以上の人でどういう世帯に住んでいるかというと、60%がひとり暮らしか老夫婦なんです。こういう世界に私たちは住んでいるんです。

○地域社会の「縁」から「援」へ

 もちろん、政府もそれを感じておりまして、世代間交流に関して文科省も、厚労省も、そして家づくりという点におきまして国交省も、みんな世代間交流を一生懸命やり始めております。これはとてもすばらしいことで、サービス付き高齢者住宅の中に、子育て中の方に限って入れる市営住宅を組み込むような、ハードの面ではこのような動きもございます。また、文科省では、放課後、同じ学校で教室をつくっていること、&匀ロ後につくるというのと、土曜日が休みになって少し空いていますね。ですから、土曜日に習熟度の遅れている、あるいは自分で希望する子供を教えるとか、そういう取組を推進しています。

今、あちこちの団地で、都営住宅、市営住宅で、地域の中で助け合おうと。血縁だけで支えられる人は、それはそれで大事にしてほしいんですけれども、それだけで支えられない人のほうが、あえて言えば多数派になろうとしている。日本社会は糸へんの「縁」、血縁、家族縁、親族縁がないと支えない社会であったけれども、これからは地域ということを1つの手がかりに、地域の縁ですね。地域のご縁、地域で支援する。縁という字を手へんのサポートの「援」に置きかえてください。地域で支援し合う、そういう関係をつくっていかなければとしみじみ思うことでございます。人生100年の中には、子もあり、孫もありと、恵まれても様々な事情で遠く離れて住む人々もおります。人生100年社会の最後のとりでは何だろうと思うと、今から築いていくのですけれども、地域を中心として、地域において女子供、年寄りが主役となって、その地域の人の縁をつくり、支え合っていく。何よりも高齢者は我が身の健康を守り、そして健康を増進していく。昨日のテレビのお話でも、平均寿命が延びたということだけでなく、大体70代の方でいうと、少し前の年寄りよりは10歳体力が若返っているそうでございます。おめでたいことであり、ますますそのような、言ってみれば健康保持は地域社会を挙げて取り組む必要があると思っております。

そして、今、地域創生と高齢社会ということで、高齢者が元気なうちに移住するというような試みもあり、それはそれで本人の選択であり、居所の自由の選択というのは憲法に保障されているのですから、新しい土地へ行って、新しい生活を築こうというのは、これは1つの選択として尊重されてよいと思います。しかし、誰にでもでき、逆に言えば、生きている年寄りとしてしなければならないのは、今ある地域において一人一人がささやかながらもお役に立つ、誰かを助ける。こういうのを「微助っ人」と言うんだそうでありますが、「微」「わずか」と書きます。下は助っ人。一人一人の高齢者が大きなことはできなくても、非力であっても――つまり力は強くない、非力であっても、しかし無力でない。ゼロではない。わずかながら助けることができる。高齢者みんな、全員微助っ人となり合って人々を支え合うことを通して、人生100年の伝統も伝えることができるのではないでしょうか。

○次世代への橋渡し

 世代間交流の話をハワイでしながらつくづく思いました。血縁、血縁と儒教文化の中で、これは江戸時代以来強調された文化ですから、そう大昔の話ではないと言っていいと思います。おそらく江戸時代以前から伝わっているであろう日本昔話、誰もが聞いて育った日本昔話はみんなこういうフレーズで始まります。昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがありました。

今でもテレビの委員会などを見ていますと、そこに集まる人はほとんどがまだ男性でありますが、日本昔話は誠に男女平等におじいさんとおばあさんがありました。老爺と老婆を両方とも登場させております。そして、その物語のほとんどは老夫婦による子育ての物語なのであります。血縁のない子供の子育ての物語であります。桃太郎は川から流されてきた桃の中から生まれました。

じいさん、ばあさんのDNAなど1つも入っていない。かぐや姫は、ある日、何だか知らないけれども、おじいさんが――これも平等ですよ、おばあさんが桃を拾って帰ってくると、おじいさんは竹の中から女の子を拾って帰ってくる。

 これは、ときに擬人化されて、姫でも、彦でもなく、小雀であったり、犬であったり、タヌキに殺されるのは何だっけ、というような、小動物にも例えられます。そうした血縁のない子供をじいさん、ばあさんたちは心からいとおしみ、慈しみ、そして立派に成人させると、必ずしもまだこの子供らが、おじい様、おばあ様、お世話になりました。今日これから畑仕事をかわり、竹取りをかわり、お世話いたしますなんて言わないんですよ。

昔から若い者というのは、どいつも、こいつも、そろいもそろって。ただし、育てられた恩義は忘れていませんけれども。そうして育てられ、救われたことに恩義を感じて、あなたのおそばにべたっとなんて言わないのです。大昔から、若い者は自分の未来を目指して、自分の空へ羽ばたいていった。じいさん、ばあさんはそれを決して嫌がらず、桃太郎のじいさん、ばあさんも喜んできび団子をつくる。だから、桃太郎のほうも喜んで旅立つことができた。「とめてくれるな、おっかさん」などと言わずに自分の道を進むことができた。

そして、志を遂げて、もちろん若い者たちは恩義を忘れているわけではありません。むつきのときから育てられたじじばばの思いは、本当に心から感謝しておりますから、かぐや姫は月の世界から仕送りを欠かさず、桃太郎も時折は帰ってじじばばを慰めたのであります。この日本の物語に見る血縁のない世代が、祖父母と孫の世代が交流し、育まれ、立派に成人し、そのことを忘れずという日本の昔話にある伝統こそ、今こそ我が21世紀、2015年の日本の地に移し植えつつ、新たな超高齢社会の伝統を日本から発信しようではありませんか。

ご清聴ありがとうございました。