-
交通安全対策 サイトマップ
-

交通安全対策トップ普及啓発国際シンポジウム > 報告書

-

キックオフ・ミーティング

セッションII

【交通参加者と交通安全教育】

司会西山 啓(広島大学名誉教授)
報告(1)ハンス・ペタソン(スウェーデン道路交通研究所上級研究員)
『ヒューマンエラーと交通安全』
報告(2)デイビッド・ライナム(イギリス交通研究所主任研究員)
『教育、取締り、制御―道路利用者の行動管理』
パネリスト内山伊知郎(同志社大学助教授)
小川 和久(広島国際大学助教授)

○西山 こちらにスウェーデンとイギリスから素敵なゲストをお招きしております。実は大変個人的なことで恐縮ですけれども、私はスウェーデンの道路交通研究所、ベーグ・オック・トラフィック・インスティテュート、VTIと言いますが、そこに研究で行っておったことがあります。それから、イギリスのほうの道路交通研究所、TRLにも行っておりました。そういうことで、かつて私が交通安全のことで勉強したインスティトュートからお2人の先生をお迎えしたということは、私にとっても大変うれしいことだと思っております。これから両先生を含めて、内山先生、小川先生とともに、2時間10分の長丁場でございますが、ひとつ乗り切りたいと思っております。よろしくご支援をいただきたいと思います。
 それでは最初に、ペタソン先生からお話をいただくことにいたします。

○ペタソン
<はじめに>
 皆様、こんにちは。まず、この機会をおかりいたしまして、このキックオフ・ミーティングにご招待いただきましたことを心からお礼を申し上げたいと思います。世界一安全な道路交通の実現を目指し、成功されることを心からお祈り申し上げます。
 個人がかかわる交通事故、そして交通安全についてお話をしたいと思いますが、個々の道路利用者に焦点を当て、その特性について考えてみたいと思います。非常に強力な、いわゆるトップダウンの考え方に対する補完的な、非常に重要な視点、切り口になると思いますし、また、道路利用者を理解するということは、私たちが交通事情を改善するための新しい手段を模索するにも役に立つと思います。道路利用者の行動というものが交通安全の鍵となるわけですが、やはり事故には人的なミス、あるいはヒューマンエラーというものが何らかの形でかかわっているというのがほとんどの場合言えると思います。道路利用者というのが一番道路交通システムにおいての弱点であり、一方、人間というのは非常に大きな適応機能というものを持っていますので、なぜ道路交通システムというのが最終的には安全であるかを考える際、やはり人間の適応能力というものを考えなければいけません。もしも人間が運転者として適応できなければ、信号が壊れただけで道路は大混乱になってしまうでしょう。原則として私たちは道路利用者の行動を制御する三つの手法というものを持っています。道路利用者を峻別し、選択していくということ。また、道路利用者を教育し、さらに、システムの技術的な部分を調整して道路利用者の能力に合わせていくという方法もあります。

<道路利用者の選別>
 まず、将来的に事故にかかわる可能性があると考えられる道路の利用者、あるいは運転者を選別し、運転をしないようにするというのは、やはり人によっては事故を起こしやすい性格を持っているという考え方に立脚しています。しかし、こういった一般に普及している利用には二つの問題があります。つまり、道路利用者を最初から選択していくということは現実性があまりないと言えます。まず、いろいろな経験、あるいはリスクの違いというものを調整してしまいますと、実は運転者間で事故を起こすリスクにはほとんどばらつきがありません。また、こういった選択に用いるテストの制度、これは十分なものではありません。その制度が不完全でありますので、こういった選択から効果を得るためには、やはり多くの人たちが運転をしないようにするという状況が出てきてしまいまして、これは一般には受け入れられない手法ということになります。また、近代社会において乗用車を利用するというのは非常に大きな重要性を持っておりますので、やはりどういった人たちに運転免許を発行するかということを限定するということは人権の侵害にも等しい状況をもたらしてしまいます。したがって、スウェーデンでは今日、少なくとも重罪あるいは重大交通違反の前歴、あるいは体の身体障害の一部、こういった問題を抱えている人に運転免許の発行を行わないという形で防止をしているにすぎません。

<交通安全教育>
 こういった選択という手段に対して、教育というのはおそらく今まで交通安全を改善するために過小評価されている。しかしながら、一番重要な要因ではないかと思います。今まで過小評価されていた理由というのは、道路利用者の教育の実態的な効果というものを測定することが困難であったからです。やはりこういった教育の効果を評価する手法、あるいは教育手法自体というものがまだ十分とは言えません。しかしながら、道路利用者の行動というものを左右する際に、人間の行動に対する教育・研修を行っていくということが、効果がないとは到底言えないわけです。また、世界中において若い世代の車の運転における事故発生のリスクが非常に高いということは、運転教習に携わるものとしては大きな問題意識となっています。また、この数年間の状況の進展の中で、運転教習あるいは運転者の教育に関していくつかの点が安全性を向上するために考慮に入れられるようになりました。こういった私の属しております研究所の同僚に聞きますと、やはり道路利用者教育においては重要な要素を含んでいかなければいけないという意見がまとまっています。ヨーロッパにおいては、こういった考え方が現実に普及している国もありますし、ヨーロッパの交通教育の状況、運転者教育の状況の中では最近こういった特徴が見られるようです。

<能力に合わせたシステムの調整>
 人の能力にシステムを適応させていく、調整していくということについて少しお話をしたいと思いますけれども、やはり人の行動を左右するということを考える場合、教育学的な手法というものがまず頭に浮かんでくると思います。そして、一般国民に対するいろいろなメッセージの発信、あるいはコミュニケーションを通じて人々の態度、考え方、行動というものを変革させようという試みがあるわけですけれども、やはり人間の行動を左右する重要な要素というものをもう一つ見過ごしているような気がいたします。つまり、人間の行動の前提条件として物理的な周囲の環境というものが存在します。例えば、買うものが何もなければ、あるいはお金を使う対象がなければ、どんなに広告宣伝の活動が展開されても消費者行動というのは起こりません。例えば、環状交差路、ロータリー式の交差路というものは、道路利用者の行動を監視するのに一番効率的な状況であると言えるかもしれません。これは道路環境の物理的な前提条件のデザイン上、ロータリー式の交差路が一番モニタリングしやすいということなのかもしれません。あるいは信号がある、あるいはこういった立体式の交差点よりも一番安全であると言われておりますが、デンマークの研究者、エリック・ラスムセンは、このテクニカルシステムのオペレーターの行動をあらわすモデルというものを提示しています。これは技術的な前提条件に対して一般的なモデルですから、運転者がどういうふうに対応するか、行動をとるかということをあらわすことができます。そして、人的なエラーについて少し私たちが理解を深めるためにもこのモデルを使うことが有用です。

<三つのレベルのコントロール>
 三つのレベルのコントロールがありまして、知識ベース、つまり、ナレッジベース。規則ベース、ルールベース。そしてスキルベースの制御というものがありますが、ナレッジベースの制御というものは、これは道路利用者がほとんど、あるいは全く経験のない状況に直面したときに使われます。こういった状況下においては、やはりその新しい状況の条件についての情報を収集し、どういった行動をとるべきかまず仮説を運転者は打ち立てなければいけないわけです。ですから、この種の制御というものは、言ってみれば問題解決手法をとるということであり、やはり試行錯誤を経て最終的な行動に対する決断が得られます。ナレッジベースの制御というのは時間がかかり、注意を集中しなければいけません。したがって、積極的に頻繁に道路を利用している車の運転手が、戦術的に車を運転するに当たってこの制御方式を使うというのは現実的ではありません。少なくとも車を運転するドライバーというのは、車を運転する前に交通の状況について、あるいは道路について、ある一定の知識を持っているということが期待されています。したがって、こういった問題解決状況に道路で車を運転しながら直面するということがまずないということを私たちは前提としているわけです。
 しかしながら、例えば旅行の計画を立てる、どういった車を買うか、あるいは旅行の条件などに関して重要な決定をする場合には、こういった解決策あるいは制御の方法というものがあるでしょう。状況に慣れれば慣れるほど、少ない情報でどういった行動をとったらいいかが、判断できるようになります。そして、状況を把握した上で詳細を即座に分析し、どういった状況に、どういった行動をとったらいいか規則を既に持っているわけです。つまり、自分の行動について、規則をベースにして制御することができます。ここで必要なことは、唯一新しい状況がどういう状況であるか認識し、限定的な行動に関する規則の中から、その場で選択すべき行動内容というものを選ぶ。短時間にそれほど注意を集中しなくてもこういった決断に至ることができます。このような制御方式というものは、やはり道路利用者の行動の戦術的な作業をコントロールするために適切なものです。例えば、実際に車を運転するときにどれぐらいの速度で車を運転するか、前の車を追い越すかどうか、あるいは重要な情報をどこから収集し、どこを見て運転しなければいけないか、こういった判断をする際にこういった制御メカニズムを用います。道路利用者の教育で重要な部分は、道路利用者が安全で効率的な行動規則を創出するために教育が役に立つということです。やはり行動規則を策定する際に知的な作業ということになるわけですが、スキル育成よりも知的な作業になれ親しむということが重要であり、運転教習をそれほど短い時間で完了してしまうべきではないという理論にも通じるわけです。スウェーデンでは、若い人たちが車の運転になれるように親と一緒に同乗して、16歳から訓練を始めることができるようになっています。しかし、正式な運転免許を取得する年齢というのはまだ18歳になっていますが、スウェーデンでは16歳から親が同乗していれば車の運転になれることができるようになっています。
 そして、ラスムセンの3番目の制御のレベルというのはスキルベースの制御です。これは選んだルールの実行ということになります。これは短時間で行われ、特に注意が必要なわけではありません。スキルベースの制御行動というのは自動的で、ほとんど無意識のレベルで行われます。例えば、この行動というのは、このレベルで行われる制御、例えば車の操作などがこれに当たります。もちろん運転者が教育を受けて車を十分に操作できるように、スキルベースで無意識でもちゃんと操作できるようにすることが非常に重要ですが、これはルールベースの制御、つまり、教育がまだまだ必要と考えられるこのルールベースの制御に比べれば、スキルベースの制御というのは特に大きな問題はないと思います。
 このエリック・ラスムセンのモデルから考えられる結論というのは、この交通システム、道路システムの技術的な部分で標準化が必要だということです。つまり、システムの技術部分、この設計をするときに道路利用者が簡単に状況を判断しやすいものにする。そして適切な行動規範、行動ルールを選ぶことができるようにしてやるということです。

<三つのレベルのヒューマンエラー>
 では、ヒューマンエラーはどうでしょうか。自分の行動を適切に制御できないということはどういうことでしょうか。イギリスの心理学者ジェームス・リーズンがラスムセンの理論に一部基づいた人間のエラーのモデルをつくりました。リーズンのこの人間のエラーの定義というのは、「ある人が自分の意図した行動を実現できなかったとき」と言っています。ラスムセンに照らして考えますと、三つの種類のエラーが考えられます。先ほど言いました三つのレベルの行動制御に基づいた三つのエラーの種類。これは不注意、過失、つまりスキルベースのエラー。次にルールベースのミス。そしてナレッジベースのミスとなります。
 例えば、道路利用者が適切な行動ルールを選ぶことができたとしましょう。しかし、それでもルールに応じた行動をとることができなかった場合、つまり、その根拠として気持ちをそぐような、不注意になるようなものというのは道路上にたくさん存在します。ですから、スキルベースのエラーが発生する場合がある。例えばこういった事例を考えてみましょう。実際に発生した事故の事例です。これを次の図で説明します。タンクローリーの運転手が事故を起こしました。彼はこの状況をよく知っています。この交差点は平日ならこの2年間、もう何回も通っている場所です。ですから右手後方から車が来る。そして右折するときに右手にスペースを残しておかないと、自分の車が大きいので右の車にぶつかってしまうという問題は認識しています。ですから、このタンクローリーのドライバーがこの行動ルールということをこのように考えています。まず右を見て、後ろから、つまり右手後方から車が来ないことを確認する。そして右折の方向指示器をつける。そして左側を見て直進車、同じ方向に走ってくる車がいないことを確認する。そして最終的にもう一度右側を見て問題がなければ右折を開始するというのが行動ルールとなるわけです。でも、この事故で何が間違っていたのでしょうか。左側に直進車を目にしました。タンクローリーのドライバーは急いでいて、荷物を相手先で、相手先の従業員が昼食休憩に入ってしまう前に荷物をおろしたい。そこで慌てて、この左から直進して車が交差点に入る前に右折を完了したいと思ったわけです。そして最後に右側をチェックするのを忘れてしまいました。このような不注意のミス、これは人間の性格上どうしても防げません。私たちに柔軟性があるがゆえに存在する代償とも言えます。こういったタイプのエラーを減らそうとしても教育ではなかなかうまくいきません。ここでお勧めできるのは、やはりこの交通環境を設計する上で、道路上で選択できる選択の幅を狭くするとか、不注意が起こらないようなものにするということです。道路利用者とは関係なく、交差点の右折・左折を自動的にすることができればこういった問題はありませんが、ここの場合、やはりパッシブ・セーフティ、シートベルトなどが非常に重要になります。予防策が、けがを防止するということが重要になってくるわけです。今回のこの論文の主題ではありませんけれども、やはり効果的な交通安全戦略の必要な側面になると思います。
 ヒューマンエラーのもう一つ全く違う種類を見てみましょう。リーズンはこれをルールベースのミスと言っています。この場合、道路利用者はルールどおりに行動することができています。ただ、問題はそのルールを行動したからといって行動の目的につながらなかったという場合です。つまり、間違ったルールを選んでしまっていたということなのです。
 この事例を見ていただきましょう。これも、もう一つ事故の事例です。この図に示されております。実際に発生した事故の事例です。さて、Bという車が駐車場から出てこようとしています。今、一時停止しています。店の前に止まっている車です。この駐車場と道路、これを分けているのは地面に書いてある白い線だけです。Bの車の運転者は道路に入りたい、そこで左側の方向指示器をつけています。後ろのAの車がこの左手に向かって、南のほうに向かって走ってきています。この二つの車がAから見て道路の左側で衝突してしまったという事例です。Aの車がBの車を認識しました。Bの車の左側のライトがついているということを確認しています。そこでAの運転者が、車Bがこの道路に合流したいのだなと、自分と同じ方向に入りたいのだなと思うわけです。反対の対向車がないことを確認して左側に入り出していきます。そしてBを合流させてやって、自分がそのBを追い越そうとしたわけです。しかしながら、ここに誤解がありました。Aの運転者というのは、Bの運転者の意図を誤解してしまったのです。Bの運転者は反対方向、右側の方向に行きたかったわけです。つまり、Aの走っていた方向とは違う反対の方向にBは入りたかったわけです。つまり、この状況を解釈する上で二つその解釈が可能です。ドライバーのA、これが間違った解釈を選んでしまったとことになります。これがルールベースのミス、典型的なミスです。
 このタイプのエラーがシステムの設計側の課題となります。人間は言葉で伝え合います。しかし、交通環境では言葉を使うことはできません。ですから相手の車の行動を解釈することしかできないわけです。そこでやはり大切なのはこのシステムの技術的な設計です。つまり、その設計をするときに誤解のリスクを最低限にするような設計をするということです。今お話をした事故の事例では解決法は簡単です。この駐車場と道路の間にフェンスをつくって分ける。そうすることによって駐車場から道路に入ろうとする車が直角にしか進入できないようにしておくということです。
 最後に、このリーズンによりますと、ナレッジベースのミスの解説もありまして、道路利用者はどんな選択肢を選んだらいいのかわからない場合としています。道路利用者の教育というのは、こういったタイプのエラーがほとんど起こらないようなものにしておかなくてはなりません。つまり、道路利用者の戦術、あるいは運転面の行動の判断ミスが起こらないようにするということです。ところが道路利用者の行動から言うと、戦略的なところでこのタイプのミスがよく起こります。例えば先ほどのタンクローリーの右折ですが、ナレッジベースの深刻なミスが起こっています。思い出してください。タンクローリーの運転者はこの状況はよく知っていました。1日、平日であれば何回もこの交差点を通るわけです。この交通の計画をもっと意識的にすることによって、例えばこういったタイプのタンクローリー専用の安全な道路を運転手が選ぶようないくつかの選択できる道路を用意するということが重要です。ヒューマンエラーは道路ユーザーの観点から見ていくと、自分が意図した行動を実現できなかったことということになるわけです。しかし、道路利用者が交通違反、交通規則に違反したときもヒューマンエラーと言うことができます。もちろんこれは全く違う種類のエラーですけれども、社会の目から見れば、当然その事故の確率をふやしてしまうことになりますし、その事故の結果としての負傷率も上がってしまうことになりますからエラーには間違いありません。ですから、この二つの種類のエラーがある。つまり、不注意から来る人間のエラーと、それから交通違反という意味でのエラー。これは道路交通システムの設計者と道路利用者の責任分担に行き着く問題です。設計者側から見ると、この道路利用者が交通規則を違反しない限りは死傷者が出ないようにしなければならない。重傷者が出ないようにしなければならないということです。ですから、このシステムを設計するときに、ただ単に重大事故を減らすということだけではなくて、人間のミスの確率を減らすということも重要になります。そうすることによって事故発生の確率も減らすことができます。

<まとめ>
 交通安全のための仕事というのは、これまで道路利用者の行動の戦術的、あるいは運用面が中心に考えられてきましたが、やはり安全のこれからの潜在性としては、これまでおろそかにされてきた戦略的な部分が存在すると思います。その中でも最も重要なのは、うまく交通安全を確保するためには幅広い対策をとっていくことです。道路利用者は質の高い教育、トレーニングを受ける。そして、システムの技術的な部分も人間の性格に合うようなタイプのものにし、ヒューマンエラーの確率を最低限にする。それと同時に事故発生がしたとしても、その重傷度を少なくするという努力が必要だと思います。
 ありがとうございました。

○西山 それでは、デイビッド・ライナム先生に講演をお願いいたします。

○ライナム
<はじめに>
 皆様こんにちは。私のほうからも、今日ご招待いただきまして、ヨーロッパの経験についてご紹介できますこと、そして皆様と日本の経験について交流できますことをうれしく思っております。
 今までいろいろな発表が行われましたが、その中で人為的なミスが安全性を減ずる上でどんな役割を果たしているのか。そして道路の設計と車両の設計を総合的にとらえたシステムアプローチは、今やこういった道路の死傷者、交通事故死傷者を減らす上での最善の方策であるとみなされているということが出てきたかと思います。
 私のほうからは道路の利用者の行動に直接かかわるようなその管理方法、今申し上げたようなシステム的なアプローチの中で、あるいはそれとともに何ができるかお話をしたいと思います。車の安全性ということに関していろいろな国際的な措置はとられていますが、一方で道路の設計ということになりますと、これは国が違っても共通性がかなり見られます。安全にかかわる行動の影響、この部分が恐らく国と国との間での交流、共有が難しいかと思いますが、しかし、我々自身が交換し得るような教訓という面ではいろいろと学び得る余地はあると思います。危険な行動というのは従来から事故の三大要因の一つとしてみなされてきました。すなわち車の側のトラブル、そして道路側の環境とともに三大要因の一つでありました。一般にドライバーの役割、すなわちドライバーの行動というのが大きな要因となっていると考えられておりました。そういった意味で危険な行動、安全さを欠く行動というのは、すなわち事故につながるような行動として定義されてきました。

<政策上の三つの分野:シートベルトの着用、飲酒運転、スピード違反>
 さて、我々が今、確立したモデル、これは今日何度か出てきましたが、その中ではもっと明確な問いかけがなされています。つまり、行動が果たして我々が提案しているシステムの枠の中にきちんと入るのか、それともシステム外のものなのかという問いかけです。もしシステムの枠外の問題であるとすれば、それは二つの大まかな理由があるからと言えます。すなわち、一つには知識、あるいは技能が十分でないためにシステムの要求にこたえることができなかった。あるいはシステムの側のルールが意図的に無視されたと、故意にこれに従わなかったということです。右側のほうに二つ小さな円があるその部分を指しています。ペタソンさんのほうから既にこういった円の役割については話がありました。
 そこで、私のほうから政策を策定し、それによってこういった状況が発生するのをできるだけ抑えようと。特に上の円にかかわるような政策を策定する上での問題について論じたいと思います。もう一つ重要なのは、すなわち適当と思われる行動と、その対象となっている安全システムに合った行動と、その枠外にあるような行動の間の境界はどこかということです。というのも、この点もまた政策立案者にとっては重要な検討事項となります。安全なシステムというとき、これはすなわち必ずしも無事故というわけではないのですが、しかし、そのシステムの目標とするところが事故の発生件数を少なくしようと。そして適切と思われるレベルまでこれを減らそうと思われているものを指します。
 さて、安全システムの原則に関して、もう既にヴェーグマンさんからも説明がありました、よりよい道路側の設計に関して説明がありましたが、そこで出発点として、まず車に乗っている人たちがシートベルトを締めているということを前提としています。それから飲酒運転でないということ。そして三つ目としては、システムの依拠しているところの設計速度内で運転しているということを前提としています。技能とか知識がないということは、よりよい教育を通じて対処すべきであると考えることもできるかもしれません。そして、故意に不適切な行動をとるということに関しては取締りの対象となり得ます。そして、システムルールというのは一度定義されれば、これが正常と言われる行動の根拠となり得ると考えられますが、しかし現実はもっと複雑です。つまり、一般市民の態度というのは、こういった行動に大きな影響力を持っています。したがいまして、同時に重要なのは、では何がこういった道路システムの安全性にかかわる態度とか、あるいは期待に影響を与えるものなのか、これを理解することです。つまり、ある態度がシステムルールの枠外に踏み出すとき、教育と取締りの双方が必要になることもありましょう。そしてシステムのルールもまた再定義する必要が出てくるかもしれません。
 そこで、まず初めに次の点を検討したいと思います。つまり、政策上最も共通に対象となるような三つの行動の分野です。つまり、シートベルトと飲酒運転とスピード違反です。いろいろな国々で政策がとられておりますが、通常、かなりの共通点を持っています。つまり、教育と取締りとをあわせた形で行っています。そして、その全体的な成功に対して強く影響を与えるのが国の風土、文化です。しかしながら、実際の政策の運用ということでは多くの共通点が見られます。私はペーパーの中で、特にスウェーデン、イギリス、オランダの例を引き合いに出しておりますが、これは「サンフラワー・プロジェクト」の対象ともなっております。先ほどのセッションでヴェーグマンさんのほうからご紹介があったかと思います。しかし、私のほうからは、特にここでは具体的な点に触れるよりも、また、個々の国の詳細な具体的な違いについて触れるよりも、政策の一般的な特徴について論じてみたいと思います。行動を対象とした政策の重要な側面として、タイミングがあります。すなわち、ある問題にかかわる一般市民の態度の状態がどうなっているかということにかかわっています。
 スウェーデンやオランダにおきましては、フロントシートのシートベルト着用の規制というのはイギリスよりも早く導入されました。その結果としては、徐々にその使用率は上がっていき、だんだん高くなりました。しかし、オランダではまだ80%台で苦戦しています。一方、イギリスはこれとは対照的に導入は遅れました。すなわち、もう既に世論のほうでは「シートベルト賛成」という方向に向かっていた。しかも、ほとんどの車にシートベルトが装着されていた結果、シートベルトの使用率は急速にふえていきまして、今でもその高いレベル、水準が維持されています。これとは対照的に後部の座席のシートベルトの着用率はイギリスでは徐々に上がっていきました。小さい子から大人までさまざまなグループにおいて徐々に上がっていきました。しかし、特に目立った変化というのはありませんでした。その結果として、その着用率というのはやはりまだ緩やかな上昇にすぎません。イギリス、オランダにおいてはまだまだ改善の余地があります。もっとシートベルトの使用率を高めていかなければなりません。特に後部座席において言えます。日本でも同様だと思います。ここから言えることは何かといえば、すなわち、もし人々の態度を変えたいと思えば、明確ではっきりとした形で政策上の転換を打ち出すことです。
 このタイミングに関して、またちょっと違った問題ですが、飲酒運転に関しての広報活動が挙げられます。いろいろな国々でこのようなキャンペーンが行われていますが、ここで問題は、このメッセージを策定するタイミングと、そして市民の態度を変えていくということのタイミングの問題です。ということから、市民によって段階ごとにこのメッセージが受けられるようにしなければなりません。それをここで示しています。
 まず第一点、飲酒運転は危険である。これはかなり広く簡単に受け入れてもらえます。つまり、ここでは対象となっているのは自分ではなく、こういった飲酒運転をするほかの人たちが問題だからです。次に、あなたがお酒を飲むことがよくないのだという、そのメッセージというのはなかなか受け入れてもらえない。しかし、これが受け入れてもらえれば、次の段階としては、私は自分の飲酒運転の習慣を変える準備ができているというメッセージです。さらにフォローアップの広報といたしまして、その結果、もしそれをしなかったらどうなるかということを訴えていかなければなりません。つまり、自分が飲酒運転の習慣を変えないことで車に同乗している家族や友人を危機にさらしているということ、さらには自分自身が運転免許を剥奪され、さらには仕事を失いかねないという、こういうメッセージです。どのような政策であれ、こういった形での態度を変えることを対象とした出発点というのは、すなわち危機にある、危険な状態にある一般市民の意識を改善するということ、これを理解することです。
 これはいろんな形でメッセージを伝えることができますが、しかし、ここではかなり違ったアプローチが見られます。ここでは三つの例を示しておりますが、これは後部座席のシートベルト着用に関してです。イギリスでの広告としては、車の後ろにゾウがいるというものでした。これは、すなわち後部座席の乗客に関しては、この前の座席のシートベルトを着用している人たちと比べてとても大きなエネルギーがかかりやすい。その結果、事故が起きるのだということでした。北アイルランドでは、特にこういった広告がよく知られておりました。二つ目は、疲労に関してです。そこで、ここでの広報キャンペーンではこのような道路標識に見せかけたものを示しました。「ジョンは睡眠中気持ちよく死にました。でも、それは道路上において、時速70マイルで走っていたときでした」というものです。そして三つ目、これはスピード違反に関連したものです。ここでは都市部におけるスピード違反というのがしばしばイギリスで対象となっていますが、ここでのメッセージとしては、つまり、都市部において誰かがほんのちょっとスピード違反をして、ある距離を余計に移動した。その結果、子供がはねられてしまったというものです。
 しかし、こういった例の背景にはしっかりとした科学的なデータがなければなりません。例えば、飲酒運転によって能力がどの程度減ずるかについてのリスク曲線は、アメリカで何年も前に研究され、確立され、最近同じような研究が行われました。そして同じようなリスク曲線はいろいろな国においても見られています。国によってこれをどういった形で国内法の制定に結びつけるかということについては見解が分かれています。一つには、この飲酒運転の程度によってその最終的な結果が違うからであり、それはただ単にその限度の設定によるだけでなく、どの程度まで取締りを行うか。そして、どのような罰則が実際に法廷で科せられるかということによって変わってきます。
 そして、これにさらに影響を与えるのが飲酒運転の法規制に関しての一般市民の態度です。やはりここでもサンフラワーの比較をご紹介いたしますが、血中のアルコール濃度の見解に関しては、イギリスよりもスウェーデン、オランダのほうが低くなっています。そしてまた取締りもこの2カ国では厳しくなっています。しかしながら、イギリスにおいては一度有罪となれば、その罰則はほかの2カ国よりも厳しいものになっています。イギリスではまだまだほかの2カ国よりは高くなっていますが、ここから言えることは、すなわち、ある程度飲酒運転の態度というのをいろいろなアプローチによって減らすことができるのだということです。
 最近いくつかの国において研究が行われましたが、やはりそこでも同じようなリスク曲線がスピード違反についても見られるということが示されています。このリスク曲線というのは、すなわち、普通ほとんどのほかのドライバーよりも速い速度で運転しているドライバーにかかるリスクです。つまり、20〜25%は平均速度を超えて走っていると、リスクは6倍から7倍になるということが示されています。さらに言えば、このスピード違反の程度が大体平均速度20〜25%上回っているような場合、そこでの付加的なリスクというのは、飲酒運転の限度を超えて運転している場合と同じぐらいだと。つまり、飲酒運転とスピード違反のリスクが同じぐらいだということはあまり国民には理解されていません。
 もう一つ別の研究において、このスピード違反をしているドライバーというのは、また、そこでかかわるリスクというのは道路のタイプや質によっても違ってくるということです。すなわち道路の整備条件が悪ければリスクも高くなります。ですから、国の状況というのは、その国の道路網の状況、整備状況とも関連しています。ですから、イギリスですと、一般にこういった事故削減をスピード違反という側面から行おうと思えば、都市部におけるスピード違反を厳しく取り締まることで、より多くの効果が得られています。しかしながら一方で、事故死者数を減らすには地方の道路、農村部の道路における取締りを厳しくするということが求められています。そのほうが、効果が大きいということです。一般市民の意識を高める政策と取締りの政策、どちらにとってもこの情報は重要です。というのも、ほとんどの国においてはまだまだスピード違反に関しての態度がなかなか変わっていませんが、ここではどうもこのスピード違反に関して、その財源になっているところに関して誤解が生じがちであります。しかし、このスピード違反のシステムというのがいかに効果を生むかということに関して、それを示すような研究も行われていますが、市民に対しては辛抱強くそのメリットをきちんと訴えていかなければなりません。スピード違反にかかわる政策に関して、これをより広く受け入れてもらうためには、その結果、いかに安全性が改善されるのかということ。これを移動モビリティと、それから環境面でのメリットとを加えて論じていくことが必要です。先ほどのセッションにおきまして質問が出てきました。つまり、実際に速度をどこまで遅くすることができるのかというようなことが論じられていました。ここで示している曲線ですが、そのもとになっているのは総費用です。そして、安全性を増すためにかかる費用と、そしてモビリティが低くなることによる費用を比べています。この二つの費用に関して曲線は横ばいです。つまり、トレードオフであるということです。しかし、かなりのところまで行けば、あとはもうコストは上がっていきます。しかし、少なくともその最適な条件を生み出すことはできます。ですから、ここで、ほかの交通手段にかかわる政策が出てくるわけであり、そして交通経済全体をバランスという形からとらえる必要があります。つまり、相反する利益についていかにバランスをとっていくかということです。イギリスにおける評価の手続というのは、こういったことをもとに今、速度制限について見直しを行っています。
 もう一つ取締りに関しての重要な側面でありますが、これは長期的にいかにこういった法規制を遵守させるかということにかかっています。しばしばこれは処罰とともに再教育という形で行われています。場合によっては処罰にかかわるものとして再教育が行われています。特に、飲酒運転においてはこれが一般的に見られており、また、国によっては一般的な運転、規則違反全般に関して適用されています。こういった種類の政策に関しても明確な便益というのが考えられますが、どの程度までこの政策を導入するかということはその対象によって違ってきます。つまり、ごく一部の違反の常習者なのか、それとももっと一般的な形でより多くの道路使用者を対象として行うのかということによって違ってきます。
 このスライドで示しておりますのは二つの傾向です。下のほうはドライバーの中でユーザーとなった、そして再教育のコースに参加しなかった者です。上の曲線はこの再教育のコースに参加した者です。しばしば言われることですが、この違反常習者に対して免許を剥奪することが最終的な解決策になるのではないか。場合によっては、再教育で駄目だったらそれしかないのではないかと言われていますが、しかし、さらなる問題を生む可能性があります。つまり、この曲線にありますように、下のほうの曲線のドライバーは有罪となった。そして免許が剥奪されたにもかかわらず、それにもかかわらず同じような比率で違反を続けているのです。ということから、もし教育によって達成できることに限界があるのであれば、それでは直接コントロールすることによる役割というのはどういうことが考えられるのでしょうか。

<運転者の行動管理:直接的コントロール>
 これまで三つの分野についてお話をしてまいりましたが、それらはそれぞれに直接ドライバーの行動をコントロールするためのテクノロジーが存在しています。例えば、車線逸脱防止、衝突回避、視界改善といったテクノロジーが自動車メーカーによって提唱されてきています。もちろんものによってはまだまだ機能的に改善が必要であり、実際の運転状況に合わせていく必要はありますが、さらに普及率を上げるに当たっては自動化された車両、ハイウェーシステムとの統合が必要でありましょうし、それから、例えば衛星システムのようなものが共通のアーキテクチャー上で構築されていくということも必要になります。進捗は見られます。最近、ECのほうで「安全インテリジェント車両に関する情報交換政策」という文書を発表しています。しかしながら、総死傷者数の減少にこれが寄与していくにはまだまだ時間がかかりそうです。既にお話があったように、最大の可能性があるのはスピードコントロールシステムです。自発速度制御に関する実験がスウェーデン、オランダ、イギリスで行われておりますが、どうやら実現性がありそうです。さらにパイロットに参加したドライバーの受けもよかったようです。しかしながら、一般大衆の間にはまだ懸念があります。実現性ということもそうですし、それから強制的にコントロールされるということに関する道義的な懸念です。そういう意味では、こうした見方を変えるにはまだまだ10年ほどはかかりそうです。
 このスライドに示しておる二つ目の例でありますが、これはスウェーデンで行われている「アルコール・インターロック」と呼ばれるシステムの実験です。基本的にはプロの運転者向けのものなのですが、しかし、スウェーデンにおける実験ではアルコール依存型のドライバーに対して用いられておりまして、このインターロックを用いることにより飲酒運転の行動を変えるのに役に立つということが言われております。これまでのところよい結果が出ています。
 さて、どのようなシステムであれ、運転という作業に直接かかわるものに関しては二つの懸念があります。第一に、運転者の注意をそらすもの。つまり、それをやってしまうと安全性が損なわれてしまう場合です。ドライバーサイドがまだまだアクションをとらなくてはいけないのに注意をそらせてしまってはいけないという考え方です。例えば、住宅街では徐行運転をします。弱者がいるからです。しかし、徐行運転だけでは不十分なはずです。つまり、もし何かがあったときには素早い反応をやはりドライバーはとれなくてはならないからです。
 二つ目の懸念は、機械からの情報が直接ドライバーの処理している情報と葛藤がある場合です。新しいテクノロジーの効果をうまく管理しなくてはいけないということを如実に示しているのが携帯電話です。国によっては現在、手で持つ形の携帯電話を禁止する立法化や、あるいはドライバーに対する勧告を出したりしています。イギリスでも間もなくそうなりますが、このように手に持つものであれば、車のドライバーによるコントロールに当然介入してしまいます。スピーカーフォンなどの手を使わないものに関してはまだその影響ははっきりしておりませんが、しかし、同乗者との会話やラジオを聞くなど、普通、車の中で行うこととほとんど変わらないと言う人もいます。シミュレーターを使った研究が何件か実は行われています。最近、TRLが行った調査によりますと、電話の会話による運転能力の減少というのは、実はどのような側面なのかということにもよりますが、アルコールによるものよりも大きい場合があるということです。ちなみに、電話をしている間にはドライバーのサイドでも減速傾向があるということも勘定に入れてもそうだそうです。コントロールされた対象者、それからシミュレーター上ですけれども、アルコールを飲んだドライバー、それからフリーフォン使った、スピーカーフォンを使ったドライバーが比べられたという調査でした。

<道路利用者との対話:コントロールシステムと行動のバランス>
 さて、これまでは実はシステムの想定しているものの外にある行動によって死傷者を削減しようというお話をしてきたわけでありますけれども、もう一つの問題は、システムが想定している行動が一般大衆のとる行動と一致しているかどうかということです。これは世間一般のリスクの認知にも依存いたしますし、もう一つは、その認知に対して、それ以外の目的が葛藤してしまわないかということにもよります。シートベルト着用と飲酒運転というのは安全な運転システムの行動と一貫性のとれるものでありますけれども、飲酒運転に関していえば、飲酒行動そのものを管理することによってのみ達成されるものであり、これは国によってはまだ伝統的な生活様式に反する場合があります。青少年は大体飲酒運転の危険性について随分と強い意見を持っているわけなのですが、しかし、生活の中で飲酒の習慣がついてくることによってそれも変わってきます。そういう意味では、そうした行動を管理するためのヘルプが世代ごとに必要なのです。ということで継続的な飲酒運転反対のための広報活動が必要です。
 イギリスにおける数字を見ていただいております。80年代初頭から90年代初頭までは下がってまいりましたが、そのあとは横ばいになっています。スピード違反に関してはこのような変化、すなわち個人的な行動の管理ということの変化は成人の円熟したドライバーの間にも見られません。ということで、慎重であるとか、行動であるとかを変えるための広報活動をステップ・バイ・ステップで行っていく必要があります。それによって行動パターンを安全な運転システムと合わせていくのです。
 また、この変革を実現するためのコントロールの程度も、ほかの問題を生みかねません。外部からのコントロールを適用するということになりますと、道路利用者の安全に対する期待度が上がってしまうのです。そして、そればかりではなく、そのレベルの安全を維持するための自分の行動の責任に対する考え方も変わります。ということで、コントロールシステムというのは、いかなるものであれ実際の運転の操作そのものに上手に組み込まれていかなくてはいけないわけです。ドライバーがやはりリスク回避には責任を持っているというあたりの考え方を阻害するようなものであってはいけないということです。また、こうした外部のコントロールを持ち込むということは、システムのマネージャーに対しても影響を持ちます。イギリスにおいては公共の輸送システムに対する、例えば鉄道に対する安全性の期待というのが、実は個人の行動に依存しているシステムに対する期待よりも高くなっています。これらをマスコミであるとか、あるいは政治家が口にいたしますと、あるシステムによって回避することのできた死傷者数に関するデータがゆがめられて伝えられることにもなりかねません。都市部であれ、地方部であれ、さまざまな道路利用者団体との対話が大変重要です。
 一つは「デュマス・プロジェクト」というのが今、ヨーロッパにはあります。これは都市安全管理にかかわる対話のプログラムです。それからもう一つ、先ほど午後のセッションでも話が出ておりました「ヨーロッパロード・アセスメント・プログラム」というユーロラップというプログラムがあります。さらにほかの要因が道路利用者の行動に影響を及ぼしており、これによって死傷者のターゲットに対する進捗度が影響される場合もあります。イギリスにおいては死亡事故の減少が重傷事故の減少よりも遅いというふうに言われているのですけれども、これは報告のレベルが変わったからだというふうにも言われておりますが、どうやらそうではないらしい。実は運転行動の水準そのものが下がってきているのかもしれないのです。また、自損事故がふえています。また、ヒット・アンド・ランというひき逃げの、すなわち報告されない事故もふえています。この一つの背景にあるのは、モバイルオフィスとしての自動車の利用がふえていることだとも考えられています。また、原動機付自転車の利用ということもその背景にあるのではないかと言われています。これはどういうことかというと、実は車両寸法の格差によって大きな車両と小さな車両との衝突事故がふえると、けがの程度がひどくなるからです。それ以外の市場のメカニズムによって変わってくることもありますので、安全戦略というのはそれらについても配慮していかねばなりません。

<まとめ>
 まとめに入りますが、死傷者を削減するというターゲットに関するお話をしてみたいと思います。これもヴェーグマンさんがお話の中で使っていらっしゃったスライドです。さまざまな可能性のある政策というのがあるわけです。これらの実施に当たっては、複数のものが効果的に使えるようでなくてはなりません。特定の安全問題、それから各国における文化や姿勢の問題を取り込んだものでなくてはならないということです。複数の政策が現在の死傷者ターゲット、死傷者数の低減に寄与しております。スウェーデン、イギリス、オランダにおいては一般的な類似点、それから、これらの政策がどんな機能を持つかということに関する期待度の違いも見られます。イギリスでは車両の改善に頼っているようです。スウェーデン、オランダの場合には、もっと道路のエンジニアリング、工学に頼っているようです。スピードコントロールに頼るところが大きいのは共通しています。また、行動に対するフォーカスも同様です。オランダにおいては、特に取締りと新人ドライバー向け、イギリスにおいては、子供の安全性とスピード違反に焦点が当てられています。イギリスにおいては、日本もそうだと思いますが、死亡事故のほとんどが歩行者です。そこで、システムアプローチとしては、どのような施設が歩行者向けには必要なのかということを安全な道路システムの中で考えなければなりません。また、原付二輪の場合、一体どれだけの自由を与えるべきなのかということが安全な道路システムの中では重要な考慮点になります。どれだけの自由を与えるのか、そしてどれだけ守るのかという配慮です。
 ということで、日本に対する課題でありますが、それは日本の安全な道路システムにおいて、どのような行動が適切であるのかということをまずはっきりさせることであろうと思います。そして、これまでお話をしたさまざまなツールを組み合わせる形のプログラム、あるいは政策を策定することによって、日本における安全問題に最も適切なものをつくり上げていくことだろうと思います。ご清聴ありがとうございました。

○西山 ありがとうございました。それでは、日本側のスピーカーの方に発言をいただきます。最初に内山先生、よろしくお願いします。

○内山 パワーポイントを使わせていただきますので、こちらの席でコメントさせていただきます。まず、ペタソン先生とライナム先生、本当にすばらしい、興味深い、そして啓蒙されるご講演ありがとうございました。大変役に立つ内容でした。また、あまりにもたくさんの内容を含んでおりますので、コメントする機会をいただきましたけれども、本当にほんの少し、三点だけまずコメントをさせていただきたいと思います。
 まず、ペタソン先生のお話ですが、ペタソン先生のお話の中に三つのレベルを分ける必要があるということで、スキルのレベル、そしてルールのレベルというような概念をお使いになっておられます。私はこの考え方は大変啓蒙される有意義な考え方であると思います。
 私は、心理学の立場でドライバーの心理を、さらに日本のここしばらくの間の社会の変化、そしてドライバーの意識の変化とあわせた形で少し意見を述べさせていただきたいと思います。第一点は、ペタソン先生がおっしゃられるスキルについての問題です。スキルはすごく不注意かどうかという単純な問題という形で取り扱われておられますけれども、心理学の中ではこの分野でもかなり膨らみがあると私は思います。ペタソン先生は、例えば焦りが不注意を起こしたと。すなわち早く休みたいと思ったために右折行動を急いで車を巻き込んだというようなご説明をいただきましたけれども、その焦りというのは単にスキルの問題を超えまして、これは人間の感情という問題に入っていると思うのです。したがいまして、スキルを私たちがコントロールすることは、イコール感情をコントロールすることであるというようにペタソン先生のお話を受けとめました。ですから、セルフ・レギュレーション、あるいはエモーションのレギュレーションをドライバーに教育することによって、ペタソン先生がスキルは教育が難しいとおっしゃられましたけれども、ひょっとするとそれをすることができるのではないかというような気が私はしております。
 EQという言葉が一昔前にはやりました。これはエモーショナル・コーシエントと言いまして、IQと対応させて考えられる概念です。IQというのは知識の問題なのですが、EQというのは情動をいかにコントロールするかという能力の問題なのです。そのEQの能力が高い人は社会の中で適合的に生きていけるということをおっしゃっている方がみえまして、これはアメリカでの話だったわけなのですけれども、それが日本でも随分ブームになったことがありました。ですから、私は感情をコントロールする技法を取り入れることによってスキルを、すなわちうっかりさせるということに対する制御をかなりのレベルでできるのではないかと感じております。
 また第二点ですが、先生方がおっしゃられております、結局規則を守るかどうかという問題だと思うのです。日本において、私、JAFすなわちジャパン・オートモビル・フィダレーションの協力を1995年に得まして調査を行ったものがありますので、それを簡単に紹介させていただきたいと思います。そのときには755名のドライバーの方にアンケートを配っております。
 今日、ここでご紹介をさせていただきたいのは二つです。一点は、交通法規違反を否定する態度。すなわち交通法規をどのぐらい守ろうとするかという態度についての結果です。これは三段階で評定したものです。これは後にライナム先生へのコメントで説明させていただきます。それからもう一つは交通モラルの問題です。これは多少込み入っておりますが、AさんとBさんという二つのケースをつくりまして、Aさんは制限速度を30キロオーバーして走っていました。そして事故に遭ったのですが、けがはなかったというような状況。Bさんは制限速度を守って運転しておりましたが、事故に遭って重傷者が3名出てしまったという状況。このAさんとBさんのどちらがより悪いかという質問紙を、アンケートしているわけです。それも五段階評定で答えを求めているわけなのですが、ここで大事なのは、このAさんを悪いとするか、Bさんを悪いとするかによって、その法律を守ることが大事なのか、あるいは事故を起こした結果が大事なのかという点を比較していることです。ここに示しました図は、横軸が1965年、1985年、1995年のデータです。縦軸は結果、要するに事故に遭ったけれども、ダメージがあったかどうかということを重視する態度を得点にしたものです。点数が高いほど事故の結果を重視しておりまして、点数が低いほど法律を重視しているというふうに言えると思います。1965年から85年、95年といくに従いまして事故の結果を重視する態度が日本では強くなってきております。そして、法律を守ったという、そのインテンション、すなわち意図は軽視されてきているという傾向が見られますので、どのように私たちは社会にうまくPRして、何というのでしょうか、背景となっているこの法律を守ろうとする態度を変えていけるのかということを、もしアドバイスをいただけましたらと思います。
 それからもう一つは、ライナム先生のご発表に対しますコメントでございます。ライナム先生は、交通法規の中で、イギリスで大切なものを三つ挙げておられました。一つはスピードです。スピード違反、そしてあとドリンキングとシートベルトでした。これは日本におきます重点的な政策と少しだけずれておりました。日本では「スリーS」という言葉を使って交通安全対策を進めておりますが、そのスリーSは、シグナル、信号のS。それからスピードのS、それからドリンキングはジャパニーズ酒のSAKEですから、そのS。その三つのSを重点的に、取締りをしてきたと思います。シートベルトにつきましては法制化されたのが非常に新しく、まだ最近ですので、その取締りはつい最近になってからなんです。
 この図を御覧いただきますと、これは左側から無免許運転を否定する態度。そして次が信号無視を否定する態度。次がスピード違反を否定する態度。次が飲酒運転を否定する態度。次は駐車違反を否定する態度。そして一番右がシートベルトを着用しないことを否定する態度というように違反に対する態度の結果なのですけれども、「絶対にいけない」と言った人のパーセントを縦軸にとっております。無免許運転については、ほぼ100%近い人が「絶対にいけないことである」というふうに答えております。また、信号無視についても「実際にはいけない」という方が大変多くなっております。ただ、スピード違反を見てまいりますと、左の薄いブルーが1965年、真ん中の濃いブルーが1985年、右のグリーンが1995年の結果をあらわしており、スピードに対する許容度はどんどん高くなってきております。一方、飲酒運転に対する許容度は1965年に低かったのですが、85年、95年は高くなってきております。これは飲酒運転に対して法令化して厳しく取り締まりを始めたのが1960年代であったと。その後の社会に対する教育の普及によってこのように成果が上げられているのだと思います。
 シートベルトの結果が1995年しかありませんのは、これは法令化されておりませんでしたので、1985年の段階では調査にも含んでいなかったというような日本の現状からです。このデータは次に2005年にとっていきたいと思っているのですけれども、私は、シートベルトの意識が1995年に56%と低かったのがどこまで上がるのかというところに現在関心を持っております。
 スピードにつきましては、恐らく車の性能がよくなったり、道路の性能がよくなったりしていることがありますので、その効果が働きまして、スピードを許容するという現象になってあらわれているのかもしれません。このように文化によって、また、時代によって、そして日本の中でも地域によってこの傾向が変わってきているというようなデータを私ども得ているわけなのですけれども、これからの教育は、先生のご指摘にありましたように、日本の実情に合った、そしてさらに日本の中の地域に合った教育システムをつくりまして進めていかなければいけないと思うわけなのです。ここで、やはりスリーSからフォーSに日本の対策も変えていかなければいけない。Sが一つふえてまた、たまたまSだったのでちょうどいいのかなと思うのですが、そのような方法に変えていくべきだと思うのです。
 一つ先生にお教えいただきたいのは、イギリスで信号についての意識が低かったのはどのような事情によったのかということです。あわせて教えていただけますと大変参考になると思いますので、ぜひよろしくお願いいたします。以上でございます。

○西山 内山先生にすぐ返事をいただこうかと尋ねたら、後でいいと言われますので、一応順序に従いまして、小川先生に発言をしていただき、後でまとめて両先生からいろいろとご意見をいただこうと、こういうことにします。では、小川先生、お願いします。

○小川 ライナム先生、それからペタソン先生、本当に大きな課題、そして重要な課題を私たちに提供していただきまして、非常に私も興味深く話をお伺いさせていただきました。また同時に、私自身心理学者でありますので心理学の立場から、この大きな問題にどうアプローチするのかを考えることが多かったというふうに思います。
 まず最初に、ペタソン先生に二つほどご質問というか、申し上げたいことがございます。先ほどラスムセン博士のモデルを使われて、ヒューマンエラーをご説明されておられます。非常に有益な解釈の仕方だと思いますし、私たちがヒューマンエラーのどの点に対策を取り組むべきなのかということで非常に示唆があったように思います。ただ、一点、ちょっと気になったのですが、私の理解している限りですけれども、恐らくこのモデルは産業場面での事故防止の問題を扱ったモデルではないか。すなわち作業条件、限られた作業条件の中で作業者が作業する。その中で事故防止の問題をどこに置いていくかということを示唆した問題ではないかと思います。これを運転に当てはめていったときにどういう問題が出てくるかといいますと、これはフィンランドの研究者でありますネイテネン先生、それからスマラ先生がおっしゃっているように、運転課題というのは、セルフ・ペースド課題であるというふうに言われています。要するに自分が好きなときに運転し、自分が好きな速度で走り、そして自分が行きたいところへ行くと、自分で課題を設定して自分で行動すると、そういうセルフ・ペースドの課題であるということです。そうしますと、ドライバーの動機づけ、モチベーションという問題がものすごく大きいのではないかというふうに感じます。そのモチベーションという問題をこのモデルの中にどのように含めて考えていったらいいのだろうか。若い人は特にそうですけれども、友人と楽しくドライブを楽しむわけですから、どうしても仲間とはやし立てながら運転して、そのカーブを80キロぐらいで曲がってやろうか、やってやろうという形で無理な運転をしてしまい、そして事故を起こす。そういう運転に対する喜び、快楽を求める運転の仕方で、スピードに何らかの楽しみを求め、快楽を求めていくような運転の仕方、そういう動機がある限りなかなか事故を防ぐというのは難しいと思います。この動機に対してどういうふうに私たちはアプローチしていったらいいのかということを感じた次第です。
 それから二点目ですけれども、スキルベースドと、ルールベースドという問題がございましたが、ルールベースドの話だと、私が理解した限りにおいては状況をいかに解釈していくのか。危険な状況を的確に認知していくプロセスが私たちドライバーに必要ではないかということのように理解しました。おそらく、これを教育に対応させて申し上げるならば、いわゆる危険予測の教育として扱われるべき内容かなというふうに感じました。そういう教育を私たちは、今後とも重点的に進めていくことかな思いましたが、一方でスキルベース、またはアクション・スリップといったエラーについても、私たちは何らかの教育的手法によって、そのエラーの発生率を減らす手法はないのか、そういう新しい教育手法の開発を進めていく必要があるのではないかというふうに感じた次第です。
 先ほどのタンクローリー車の例でありましたけれども、急いでいたがゆえに確認を忘れてしまう。この辺は内山先生と話が絡んでくるのですけれども、急いでいる状態、焦っている状態、非常にエモーショナルな部分、この部分について何らかの対処の仕方がないかなと思います。私が集めたデータによると、いろんな場面を設定しまして、どれだけ焦る気持ちになるのか、また、いらいらする気持ちになるのかということを年齢別に分析していきますと、圧倒的に若い人は年配の方に比べて焦りやすいです。年配の方に比べると、やはり焦ってしまう傾向、いらいらしてしまう傾向が強いようです。ということは、何らかの経験の効果があるのかなと思います。その経験の中でさまざまなことを学習し、いらいらする心、焦る心を何らかの形でコントロールするようなことを学習していっているのかなというふうに感じます。もし学習の効果があるとするならば、そこに教育の可能性があるのではないかなというふうに私は感じている次第です。
 今、企業の方と一緒にセルフコントロールスキル、またセルフエバレーションスキルの向上を図るような教育プログラムというものを開発しているのですけれども、例えば焦っているとき、遅刻しそうでいらいらしているときにどんな対処の仕方があるのかなということを考えると、電話一本入れて、「すみません。ちょっと予期していない渋滞に引っかかってしまいまして若干時間がおくれます」と、こういうように電話を一本入れるだけで若干気持ちというのは落ちつきます。そのときに携帯電話を使うという問題もあるのですけれども、落ちついてしまうわけですね。そんなことを考えると、これはストレスコーピングの問題ではないかというふうに思います。ストレス対処法についての学習を何らかの教育で深めることによって心が落ちつくことにつながると。それで先ほどのような確認エラーを、100%減らすことはできないですけれども、発生率を若干低減させることは可能ではないかなと思います。そういうストレス対処を何らかの教育手法によって学ぶことはできないのかと思います。
 私の案ですけれども、遅刻の言いわけ集を考えたらどうでしょうか。例えば、突然家族の者が熱を出したと。「すみません、急に家族の者が熱を出して、ちょっと出かけるのがおくれました」と。いかにも本当らしく言うのですけれども、ただ、これは1回使うと2回目は使えないわけで、2回目はまた別の方を病気にしなくちゃいけない。だから何人も家族の方が病気になってしまうのですけれども、何が言いたいかと申しますと、対処のいろんなネタをつくっておこうと。言いわけの数をふやせばふやすほど対処の仕方にもいろいろバリエーションが出てきます。一つだけじゃなくて、いろんな言いわけの数をふやしてはどうかということになります。これは何を言おうとしているかと申しますと、ストレスコーピングのリソースをふやす。ということです。一つだけじゃなくていくつかも対処の仕方があるわけですから、いろんな対処の仕方を学んでいくことによって若干いらいらする心を落ちつかせることが可能ではないかと、そんな何か教育法を考えていきたいなというふうに思っている次第です。
 それから、ライナム先生の話についてスライドを使ってコメントさせていただきます。ライナム先生のほうから最後に私たちに大きな問題を投げかけられました。日本でどういう行動にターゲットを絞っていったらいいのかと、コントロールするターゲットを絞ったらいいのかというご提案でした。先ほどからお話を聞いている限りにおいては、恐らく重傷事故、死亡事故の問題が大きくクローズアップされていたと思います。したがいまして、アルコールの問題、それからスピードの問題というのは非常に大きい。それからシートベルトという話につながっていくと思いますけれども、私は、少し観点を変えていきたいと思います。事故類型として見た場合のターゲットとして考えていきたいと思います。
 これは、昨年日本の事故統計のデータですけれども、これはもう皆さん専門の方々ばかりですのでよくご存じだと思いますが、日本の状況ですが、追突事故と出会い頭事故があまりにも多すぎます。この二つを足しますと56%を超える。半分を超えてしまう数になります。極端ですが、この追突事故と出会い頭事故をなくすことができたら事故総数を半分に減らすことが可能ではないかというふうに感じています。これは本当に理想ですけれども、こういうふうに発生比率の高い事故タイプに焦点を置いて、その事故がなぜ発生するのか。その事故と関連する交通行動に注目し、その交通行動をコントロールしていくことによってこの事故類型が減っていくことにつながる。発生頻度の大きいものに対して対処することによって、非常にその対策の効果が上がるのではないかなというふうに感じました。
 それで以前、高速道路、これは大阪の吹田市で観察したデータですけれども、今年の3月に観察をしに行きました。中国自動車道吹田インターから豊中のほうでございますが、そこでのタイムヘッドウェイを測定してみました。この位置に陸橋の上からカメラでもってハイウェイのヘッドウェイを観察しました。その分布図、タイムヘッドウェイの分布図を出してみますと、これは走行レーンです。普通の走行車線のほうです。そちらのほうのタイムヘッドウェイでございますが、ほとんど2秒を切っています。安全ラインは、タイムヘッドウェイは2秒、完全に安全なタイムヘッドウェイは3秒と言われていますので、2秒を大半の車が切っていると。ピークは1.5秒ということになります。非常に狭い空間で走っていると。最近は、日本でも車間距離を詰めた大型トラックが高速道路で追突して大きな事故を起こすということがメディアでかなり盛んに取り上げられております。実態はやはりこういう状況でございます。これはもう何年も前からずっと言われ続けているのですけれども、この問題にどういうふうに対処していったらいいのか明確な答えはまだ出されていないのではないかというふうに思います。これは走行車線ですけれども、追い越し車線を見ますと、もっと距離が縮まっておりまして、ピークは1秒しかない。こういう短い車間距離を一つのターゲットとするというのも一つの事故対策としてあり得るのかなと思います。
 では、こういう問題にどういうふうに対処していったらいいのかというのは、これはまた次の課題で難しい問題ではありますけれども、私はただ実態調査をするためにこれをやったわけではなくて、これを教育に使おうと。これを教材として使いたい、この分布図を教材として使うということでこのデータを集めました。すなわち、これは企業の方と一緒に協力しながらプログラム開発しているのですが、実際こういうデータで示すことによって、ああ、こんなに短い車間距離で私たちは走っていたのだねという自覚ができます。これは心理学で言うならば、客観的に自己評価ができるようになると。普通のドライバーはそんなに短い距離で走っているとあまり感じていないわけです。実際こういうデータを示されると、ああ、こんなに短い距離で走っていたのかということになりますので、よりその人の認識を客観的な方向に導くことが可能だと、こういうふうに自己評価に訴えるような教育ということを私は、これからずっとやっていきたいと思います。そのためにこういうデータを使った次第です。
 こういう形で、日本は今後どこにターゲットを絞っていくのかということで一つ提案させていただきました。ありがとうございました。

○西山 小川先生、ありがとうございました。それでは、先ほど内山先生からもコメントがございましたので、ライナム先生と、それからペタソン先生、それぞれに発言に対するご意見を賜りたいと思いますが、よろしゅうございますか。どうぞ。

○ペタソン ありがとうございます。三点について申し上げたいと思います。まず、いかに日本において、この違反状況というのを認容するようになってきてしまっているか、受け入れてしまっているかということ、これは実はほかでも問題となっています。これといって、それに対する対策としては取締り強化ということしかないと思います。もう一つは、教育をいかに活用して、スキルや技能に基づく事故の確率を減らすかということに関して全くご指摘のとおりだと思いました。例えば、ストレスとか感情とかそういったものが、特にこういったタイプのエラーの確率に関しては大きな影響を与えるということでした。道路使用者の条件、状態というのがこの手のエラーの起こる確率に対する影響ということでは大変大きいと言えます。ストレスとか感情ということに関して言えば、飲酒、それから疲労、これによってもまたこの手のエラーの確率は上がります。最初にいい事例として、どういった便益が実現できるのかということ。交通安全を個人の観点からボトムアップという形で、トップダウンだけでなく個人の視点から見た便益ということを実際に示すことができるのではないかということでありました。そして最後に、モデル、そしてモチベーションの理論ということに関しては全くご指摘のとおりだと思います。このモデルでは確かにモチベーションの部分というのは対応できていません。しかし、それほどこれは問題ではないと思います。つまり、戦術的及びその運用上の行動ということに関していえば、もちろんここではリスクを甘受するというようなこと、これもまた交通安全に関連しては重要なモチベーションでありますが、むしろこの戦術とか、また運用上の行動ということが大変重要になってくると思います。道路利用者というのは主として自分が状況をコントロールできているのだと感じがちです。つまり、リスクということはあまり自分では言いません。でも、戦術面ということになれば、道路利用者の行動に関する戦術ということに関してはリスクを受け入れる、リスクを取るということが大変重要になってきます。ですから重要なのはやはりモチベーションという側面をこういったモデルの中に取り込んでいくことだと思います。それによって戦略的な形で知識ベースのレベルにおける行動に結びつけていくべきだと思います。以上です。

○西山 それではお願いします。

○ライナム まず、内山先生が最初のところでおっしゃったことで、必ずしも私のプレゼンテーションの中では直接焦点を当てていることではなかったのですが、イギリスの経験でこれに関連した大変興味深い点があると思いました。つまり、ある事故の結果というのが人々の見解とかモラルを決めていく上で重要かどうかということです。この点に関しての議論というのは、イギリスでは少なくともこの10年ずっと行われてきました。特に、いかにしてこういった違反行為に対して、例えば危険な運転行為、あるいは不注意な運転にかかわる危険についての我々の懸念との関連でずっと論じられてきました。90年代ごろこの問題についての検討が行われ、オルソップ先生もまたその検討を行ったグループの一員であったのですが、そこで目標としたところは、この状況に関して、いかにしてその違反行為、特に不注意な、向こう見ずな運転と呼ばれているもの。これは特に警察も取締りに手をやいていたものでありました。しかし、ここで言う、まず向こう見ずな運転というのはどういうことを意味するのかということもあったのですが、ともあれこの検討の結果、政府におきましては法制面での整備ということを考えました。そして文言が変わりまして、もっと直接的な形でその行動を表現することになりました。
 一つにはその結果との関連で、そしてもう一つは、どの程度までその行動が危険とみなされるか否かということによって、表現を変えました。検討チームのほうでも何とかこれはデータに基づいた決定なのだということを強調しようとしたのです。ある特定の違反行為が確かにリスクを付加することにつながるのだということは、科学ベースだということを強調しようとしてきました。当時、全般的な違反行為に加えて、さらに死につながるような危険運転によってより大きなリスクが付加された。その場合にはより厳しい罰則が追加されるということになりました。数年前さらに90年から2000年までの間の状況についての見直しが行われ、まだまだこの問題は未解決のままで残っているわけであります。つまり、確かにこの死亡事故に関してはある程度効果はあったけれども、しかし、その結果としてどの程度まで死亡事故に結びつくのか、あるいは重傷度がどの程度までひどいものになるのか、これを確率という形で差別化することが難しいということになりました。ということから、結局この帰結、結果ということに関しては重傷度とも関連づけたいということになりました。ただ、それは定義が大変難しいわけです。つまり、重傷とは何を指すのか、この定義が問題です。にもかかわらず現在、今こういった検討、議論が行われています。そして、そこではその結果に対して何を強調するかということに関しては、被害者のグループがかなり声高にその意見を訴えまして、この問題、事故の結果に関して、もっと注意すべきだ、注目すべきだということを訴えたのです。
 さて、私のプレゼンテーションにもっと直接的な形で関連している点、内山先生がおっしゃったことですが、例えば信号無視というのは問題としてみなされるべきか否かということをおっしゃいました。そして小川先生のほうは、この出会い頭の衝突事故というのが日本でどの程度広く見られるのか、発生しているのかということについての説明がありました。各国において明らかに主な事故というのがまず対象とするべきであり、そうなりますと、事故の状況はどうであったのか、そして、それに合った政策を策定していくことが必要となります。信号違反というのはそれだけを取り上げれば、イギリスにおきましてはそれほど事故との関連では深刻な問題ではありません。問題としては認識されておりますけれども、これに関しての解決策として、なぜこれがイギリスではそれほど大きな問題とみなれていないのかということに関していくつかとられた措置があります。
 一つには、いわゆるロータリーです。つまり、四差路の交差点において、最初にこの出会い頭の衝突が大変起こりやすいところで、ここでは高速で通過するのではなく、ロータリーで低速運転をし、これによりまして直接右折することで起こる衝突事故を防ぐために、低速によって合流を行うということだったわけです。このロータリーというやり方に関して、最初はイギリスの独占的なものであったのですが、この10年、15年の間にスウェーデン、オランダ、フランスも含めて急速に広まってきました。すべての事例において、かなりこれによって事故の件数が減っています。したがいまして、信号がない場合、あるいは信号が変わり、あるいは四差路における優先交通のかわりにロータリーがとられるようになってきました。実際こういった国においては、このロータリーの設計経験というのが、場合によってはイギリスよりももっと進んでおりまして、イギリスのほうがむしろほかの国から学ぶというような状況になっています。
 二つ目に、なぜ信号違反がイギリスにおいて問題ではないのかという理由ですが、もちろん四差路における信号というのは存在しているわけです。しかし、赤信号のカメラというのが使われています。スピードカメラというのを先ほどお話をしたのですが、これはまた別のカメラで、こちらのほうは赤信号を無視して走っている車の姿をとらえるものです。これはドライバーに対して事前に知らされているのでドライバー側でも違反をしなくなるわけです。これによって信号無視が少なくなっているという考え方ができます。
 もう一点、小川先生がおっしゃられた要因なのですが、いわゆる追突事故、これも日本においては非常に多いというお話でしたが、イギリスにおいてはそうでもありません。やはり理由があります。道路網のタイプと、それから交通量のタイプによって違います。通常のモーターウェーを見てみますと、基本的には小川先生がおっしゃられたような分布と一緒です。つまり、車両間隔というのが1秒だったりするわけです。モーターウェーの統計数字を見てみますと、追突事故というのも、例えばモーターウェーであれば50%といった高い数字を示すことがあります。しかし、モーターウェーを離れて、もっと低速の道路を見てみますと、その率は下がります。また、道路網であるとか、イギリスにおける道路網の構造そのものがそれほど車間距離を詰めないようになっているというふうに考えることもできるでしょう。また、ローコストの対策が2種類ほどあります。モーターウェーの場合にはシェブロンウォーニングサインというのが使われています。これは標識なのですが、ドライバーに対してとるべき車間距離を示しているものです。つまり、二つのシェブロンが存在していて、これだけの距離を前の車とは置きなさいというふうに示しているわけです。それから車両アクチューイキドサインといって、ドライバーに対して車間距離が短すぎますよという信号を出すものもあります。これもやはりコストは低く実現でき、直接車間距離をとらないドライバーに対して働きかけることができます。とはいうものの、やはり私たちとしても、このように高速道路における車間距離が短いということに関しては関心がありますので、最近の調査の中で何らかの対策はないかということが考えられてきています。この研究の一部では個別の自動車間の車間距離がマルチレーンの場合にはかりやすくなるような装置の利用です。この装置そのものは、かなり情報収集が複雑になります。なぜなら、実際に車両間の間隔に関して車間距離を守らなかった場合に有罪にするという一体範囲をどこに決めるかといった定義が必要になりますし、あるいは2〜3秒の車両間隔をとっていたドライバーが、たまたま後ろから追い越されて、その際に前の車との間隔が短くなってしまったという場合もあり得るわけで、そこで装置が車間距離をはかったらターゲットとしては、本来は自分の行動の責任ではないのに違反にされてしまう可能性もあるわけです。ということで、このような状況の画像を得るに当たっては、かなり複雑な装置が必要となってしまいます。そういう意味では、こうした装置の利用というのが実際に制度に組み込まれることはないかと思いますけれども、しかし、リスクの高い道路においてはこのような代替策も検討されるべきだと思います。

○西山 ありがとうございました。時間も余すところわずかとなりましたが、司会として一番気になりますことは、発言の方々がどういうことを言っておられるかということに注意すること、それから時計の針に注意すること。さらにフロアにおられる方の疲労度でございます。そういうことで、今度はフロアの方々から少し発言をしていただいたらいいのではないかと、こう思っておりますけれども、今までいろいろとディスカッションされた問題というのは、主に成人のドライバーを中心に話が進みました。それから、それをマネージする技術者とか行政官、これがどうあるべきかということでありますが、それも大事ではございますが、このセッションIIのテーマというのは、交通参加者、それから交通安全教育ということがメインテーマになっておる以上、交通参加者といいますと、幼児から高齢者までかなり広い年齢にわたっておるわけであります。そして、その安全教育もそのように広く行われねばならないということになりますので、ここで幼児や高齢者の安全に対して、どのようなことが大事であろうかということをフロアの方から少し発言をしていただきまして、それでペタソン先生とライナム先生にお答えいただいたらどうかと思います。
 ご存じのようにスウェーデンでは、ステナ・サンデルスさんという心理学者が『子供はなぜ事故に遭うか』ということの本を書かれました。ご存じのとおりです。そして幼児の交通安全教育は非常に熱心な国であります。イギリスにおきましても、グリーンクロスコードというのがあったり、ストップ・ルック・リッスンと言いまして、止まる・見るだけでなく耳を働かせてよく聞くというタフティクラブの呼びかけ、これは幼児の交通安全戦略であります。そこで、そちらのほうのことも少し聞きたいと思いますが、フロアのほうからそういう活動をなさった方も来ておられるようでありますので、ひとつご発言をいただきたいと思いますが、交通安全母の会でいろいろとお仕事をしておられる結城さん、いかがですか。お願いします。

○結城 突然のご指名で、大変いろいろな勉強になるお話を伺わせていただいていたのですが、今、西山先生がおっしゃいますように、私どもは、これからおそらく運転するであろう子供たちがどういうふうに、その社会に向けて育っていったらいいのか、そういうことに対してのお話がちょっと、今日は聞かせていただけなかったように思いますので、先生方からイギリスにおいても幼児教育というか、そういうものに対してどういうカリキュラムで、そして何歳ぐらいからそういうことをしていったらいいのかとか、いろいろそういうようなもっと具体的なお話が伺えたらなと、そんなふうに思っております。こんなことでよろしいでしょうか。

○西山 ありがとうございました。それでは、ほかに関連したものはございませんか、どなたか。教育関係の方も見えておるのではないかと思いますが、事故を半減するというのが10年先の我が国の大目標でありますが、10年たったときには、その事故半減を維持していくのは今の児童生徒ではないか。そうすると次代を育てる人の教育というのは非常に重要になると思います。そういう意味で、ひとつ教育関係の方からどうぞ。

○大野 札幌市で交通安全の担当をしております大野と申します。札幌市では小学生、それから幼児を対象にそういった交通安全教室というものを出前でやっておりまして、今おっしゃられたような部分を含めて、札幌市では「止まる」「見る」「聞く」「待つ」という四つを指針に交通安全教室を進めております。児童については正直言ってかなり理解度が高くて、安全に対する意識というのは非常に高いと思うのですが、これが実際、だんだん大人になっていくに従って、中学生、高校生になるに従って、我々大人の悪い部分を見て、だんだん守らなくてもいいのだというような思想が生まれてきてしまうのではないかなと。社会全体の教育的な部分にもなってくるのかと思うのですが、大人がちょっとお手本を示せない状況では、子供がどんなに正しいことを覚えてもなかなか身についていかないのではないかなということを、今、心配をしているのですが、その辺、法体系そのものもちょっと実情に合わせたほうがいいのか、実情が法律に合うようにしたほうがいいのか、そういった部分をちょっと心配しているのですが。

○西山 ありがとうございました。それでは、ペタソン先生、それからライナム先生、スウェーデンとイギリスとどちらがお先でもよろしゅうございますが、ご意見をいただきたいと思います。

○ライナム はい、ありがとうございます。今、お二方がおっしゃったことは、やはりイギリスの政策に重要なかかわりを持っています。まず、何歳ぐらいから子供たちを教育していくべきか。特に、道路横断に当たっての幼児教育、これはこの10年ぐらいイギリスでもいろいろな意見が出ていましたが、現在歩行者の訓練、これを大体6歳ぐらいから始めるべきだという考えに定着してまいりました。つまり、学校に入るころ、特に教育をしなければいけないという重要性が認識されているわけですが、いったん子供たちが就学期に入って道路を自分一人で横断するようになる際にはどうやって横断したらいいかちゃんと一人でわからなければいけないと言う人たちと、まだ6歳では早すぎると。理論的な幼児教育のモデル、あるいは児童の教育モデルとしては6歳ではなく7歳、8歳、つまり、交通事情に関してもう少し理解力が進んだ年齢で教育を始めるほうが効果的だと言う人たちもいます。止まって、見て、聞いて、待つという以外に、道を渡る際、安全なところを探さなければいけないという問題がイギリスにあります。グリーンクロスロードというものをイギリスで当初設定したときに、やはりこの車の間断ない流れの中で車の流れが遮断されて、そして渡るところというものを前は比較的探しやすかったわけですけれども、交通量がふえるにつれて子供たちが周囲の環境に適応し、道路上どこを渡ったら安全かということを教えるのはかなり難しい作業になってまいりました。「カーブクラフト」というパッケージが、現在実行されるようになりました。これは実は実習形態をとっていまして、学校あるいは自主的なボランティアの方たちが実際に子供たちと道路わきに行って、子供たちが実際にどういったことを目にして、どういったところに注意をして、どういう情報をもとに判断をすべきかという実地訓練を行っています。これはかなり早い年齢から始めています。では、これが実際、子供たちが大きくなるにつれて行動として維持されるのかということなのですが、子供が8歳、9歳ぐらいになれば、こういった技術が身について責任感も出てきます。こういったスキルを育成し、それをちゃんと子供たちが実行できるようになります。
 学校が小学校から中学に進む、イギリスの場合は10歳、11歳ぐらいですけれども、その段階で、もっと小さな子供たちに対して年上の子供たちがお手伝いをして、10歳、11歳ぐらいの子供たちの勉強にもなりますし、自分たちがお手本となって、もっと小さな子供たちが交通安全を勉強する。先生としてもっと勉強する。スキルを育成する。単に交通安全を自分が一方的に受け身で教育を受ければいいということではなく、先生として年上の子供たちにはプログラムに参加してもらっています。11歳、12歳ぐらい、だんだん思春期を迎えると、そういった態度が実は先ほどご指摘のあったように交通規則を守る。今までこういったことが正しい行動だというふうにわかっていても、それぞれ自分なりの考え方、自分の行動体系というものが出てきて、自分の思ったとおりに行動するというような変化が出てきます。イギリスでは1990年まで子供の交通事故が大体8歳ぐらいをピークに、それから12歳ぐらいの子供たちをピークに二つ発生しました。8歳の子供が事故に遭うという危険な状況というのは、今は解消していますが、12歳、13ぐらいの子供が一番交通事故の犠牲になりやすいという状況はまだ続いています。というのは、これぐらいの年齢になると交通量の多い道路も頻繁に利用するようになるし、あるいはこういったティーンエージャーの子供たちの態度が問題で事故が起こるわけです。彼らの行動を左右するファクターが何であるか、それを解明し、やはりイギリスにおいてはティーンエージャーになりますと、非常に多くの仲間たちと行動をするようになる。仲間たちと話をして楽しんでいると、やはり道路を横断する際に不注意になりがちであるという状況が一つ問題であると指摘されています。それから非常に単純なこの交通安全の授業で習ったこと以外に、いろいろと子供たちは感受性が強くなって、それぞれの自分の個人の身を守るためには、もっと効果的な授業内容に変えていかなければいけないというような意見もあります。
 イギリスにおいて、交通安全以外に、こういった思春期の子供たちの行動についての社会問題が認識されるようになってまいりました。やはり大きくなるにつれていろいろな興味が広がっていく。そのために社会において責任ある行動というものをどうやってこういったティーンエージャーにとらせたらいいのか。現在イギリスでも大きな問題となっていますが、やはりご指摘のあったように大人たちの行動を見て、明らかに大人たちというのは必ずしも一番道路の端に立って、まず待って、耳を澄ませて聞いて、よく見た上で渡るというようなことは滅多に大人はしないわけですから、大人のしている行動を見て、大人もしていないのだから自分たちもやらなくていいというような考えを持つようになってくるわけです。
 したがって、私たちが努力をしなければいけないもう一つのことは、何らかの定義化されたプロセス、確立されたプロセスというものを提供して、子供たちが大きくなってきてもさまざまな交通安全以外にも行動というものを責任を持って、自分個人の身を守るためにも引き続き維持していかなければいけないということを周知徹底する必要があると思っています。

○西山 では、ペタソン先生、どうぞ。

○ペタソン まず、この道路行政の教育というのは私の専門分野ではないのですけれども、もちろんその安全関係を研究している人間として教育についての意見は持っております。一つ言えるのは、この道路利用の教育、これはスウェーデンではあまり十分に行われてきませんでした。特にこの5年から10年ぐらいおろそかにされていたと思います。しかし、今後状況が改善されるであろう道路利用の教育を、若い段階のときに行おうという議論があります。私が先ほど申し上げましたように、非常に大切なのは教育手法を開発するだけではなく、やはり質の高い評価法、教育がどれだけ効果を上げたか、それを評価できる方法を持つということだと思います。そうすると、この教育がうまくいった、いかなかったということがわかる。でなければ、当然この教育にも投資がかかります。お金がかかりますので、その導入が進まないことになります。これがやはり大切だと思います。
 また、道路利用者の行動、これは一つの人間の行動であって、教育だけで変えることはできないかもしれませんが、一つ、スウェーデンで議論に上がっているのは、これは非常に興味深い考え方だと思います。もちろん、これは実は実践するにはお金がかかるのですけれども、運転者教育を一般の学校に導入できないかということなのです。もちろん経費がかなりかかります。しかし、これができればかなり効果・効率が上がるのではないかと思います。

○西山 ありがとうございました。まだまだいろいろとご意見を拝聴したいところでございますが、6時閉会という至上命令をいただいておりますので、簡単に司会としてまとめをさせていただきたいと思います。
 多くを申しませんが、交通安全を図るためにいろいろなものが問題になると言われておりますが、きょうのお話をいろいろ伺っておりますと、まずは教育、これは大事だと思います。それからコントロール、それから規制というようなこの三つがいろいろと大きなファクターになっておるのではないかと、こういうふうに言われております。これを三角形にたとえるとこうなります(図1)。
 それからまた別の見方からしますと、ビークル(車)とかドライバーとかロード(道路)とか、こういったものがまたいずれもがバランスがとれていなければならないのではないと、こういうことになります(図2)。したがって、バランスのとれた正三角形の形で示すことは非常に有効だと思うのですけれども、場合によっては片方だけが非常に突出いたしまして、片方が小さくなると、こういう不安定な形になることもある(図3)。また、三角形そのものが小さくなった場合もあります。道路と車とドライバーの問題で考えると、これは1955年、昭和30年ごろの日本の姿はこんなちっぽけなものだったろうと思います(図4)。それがだんだんと大きくなってきて、今はかなりの大きさの三角になっておりますが(図5)、果たして現在それらがうまくバランスがとれているのだろうかという点は、交通のことについていろいろと関心を持つ者としては心を痛めているところではないかと思います。
 ところが、その三角形でございますけれども、こういう平面の三角形ですとこの様に置いてもすぐ倒れるわけです(三角形の板を示してやって見せる)。とても一本立ちできない。ではどうしたらよいか。やや形而上学的な話になりますが、お許しいただきたいの。こういう三角形が、例えばドライバーと道路と規制の問題とか、教育と環境とか三角形を集めて正四面体を作るわけです(図6、図7)。これで少しおさまりがよくなる。
 つまりこういうことになります。どんなに投げ転がしてもちゃんと立っているではありませんか(組立てた正四面体を転がして見せる)。私はディスカッションの最中にまとめの手法としてこれを内職でつくったのでございますが、こういう形です(聴衆に向けて実物を示す)。こうすれば安定がよろしいわけです。
 ところが残念なことに底に当たる部分がないのです。ここへ何を入れようかということでありますが、私は今日の分科会をいろいろと見て、聞き、考えた結果、最後に残るのは洋の東西を問わず人間愛、ヒューマニズムというものではないかと思うのです。それが基底にありませんと、いかにエンジニアリングがよくても、車がよくても、道がよくても、必ず破綻が起きる。人間愛、ヒューマニズム、の三角形をここへはめ込めますと、何とかさまになる。こういうことになる(笑)。こういうものの考え方は如何なものであろうか。これならひっくり返そうにもひっくり返らないのです。。こうなれば強い。
 キックオフ・ミーティングというのは、ご存じのようにサッカーとかラグビーで初めにボールをポンと蹴ることでもあります。この正四面体は蹴飛ばしてもどこでも立つ。ということは、交通安全対策というのは、こういうようにバランスがとれて、いついかなる場合でもうまく機能しなければならないものということではないだろうかと思います。また、今回の大テーマ「安全な道路交通の実現を目指すキックオフ・ミーティング」のセッションは、I・II・IIIと三つありましたが、その三つのセッションもそれぞれが三角形としてそのの責任を果たされたわけです。
 そして最後に、この会を有効にやっていただけましたのは内閣府、それから国際交通安全学会の方々の熱意と努力です。それがここの底の部分に入ると、これまた立派な正四面体が出来上がる!素晴らしいことですね。いいですね、この正四面体。だから、この正四面体を今回のシンボルマークにしたいということで、私の発言を終わります。ありがとうございました。


目次 |  前ページ |  次ページ

▲ このページの上へ

-

交通安全対策トップ普及啓発国際シンポジウム > 報告書