沖縄を代表する特産品“沖縄黒糖”

サーターアンダギー、ちんすこう、タンナファクルー、ありとあらゆる琉球伝統菓子に欠かせないのが、黒糖です。沖縄にさんさんと降り注ぐ日光を受け、土地の恵みを吸い上げたサトウキビから作られた黒糖は、その風味やコクから、お菓子や飲料の原料として使用されるだけでなく、固形のまま食べて口の中に広がる甘さを直接味わうなど、楽しみ方のバリエーションは盛りだくさん。ミネラル分などを多く含んでおり、健康食品としても注目を高めています。

今回は、黒糖の歴史を紐解いていきながら、その魅力や今後の市場戦略などを紹介していきます。

①起源や歴史

沖縄と黒糖の歴史

沖縄と黒糖の関係は約400年前、日本は江戸時代、沖縄は琉球国だった時代に遡ります。1623年に、今では「琉球の五偉人」の一人に数えられる、第二尚氏王統琉球王国の士族・儀間真常が中国(当時は清)に遣いを送り、砂糖の製造方法を学ばせたのがはじまりとされています。

その後、沖縄ではサトウキビは基幹作物として栽培が続けられ、現在、沖縄県の耕地面積の約半分を占めています。そのうちの大半は上白糖などの原料(粗糖)となるため、黒糖になるのは5~6%ほどと希少です。というのも、沖縄黒糖は沖縄県でも小規模離島である8島(多良間、波照間、西表、与那国、小浜、伊江、伊平屋、粟国)でしか生産されておりません。裏を返せば、生産している数少ない島から県内外に黒糖の味とその文化を発信し続けていることになります。

この8島で製造され、サトウキビの搾り汁を煮詰めてそのまま固めたものを「沖縄黒糖(純黒糖)」といいます。一方で、黒糖に粗糖や糖みつなどを混合した「加工黒糖」、黒糖を使用せず粗糖や糖みつを混合した「加工糖」があります。これらの製品や海外産黒糖との差別化を図るために、沖縄県黒砂糖協同組合などの関連団体では「沖縄黒糖」を登録商標としており、ブランド力を高めています。

製糖時期は例年12月頃~翌3月頃です。この時期は県外からも出稼ぎの人々が訪れるなど、島の農業や製糖業が一番活気づく時期でもあります。

②今

8島の個性あふれる黒糖

「与那国島の黒糖はしっとりとした食感でビターな感じですよね。粟国島の黒糖は口の中でほどけるような軽さが特徴です。多良間島のは…」と各島の黒糖の説明を始めるとついつい止まらなくなるのは、沖縄県黒砂糖協同組合の宇良勇次長です。「食感や味が全然違うんですよ」と、島々の土壌や、そこに適したサトウキビの品種の違いなどから、それぞれの魅力があるといいます。

8島の黒糖を目の前に並べる宇良次長。筆者も食べさせてもらいましたが、なるほど、確かに全然違うことがすぐに分かります。その日の気分で「今日はこの島の黒糖にしよう」と選ぶのも楽しそうです。

「離島のみなさんの誇りにもつながっているんですよ。『自分たちの島にはこれがある』というように」と宇良次長は笑顔で話します。

なぜ黒糖は8島だけで生産されるのか

沖縄県の製糖工場は沖縄本島や宮古島などにあり、そこでは分蜜糖(白糖など)を生産しています。ではなぜ沖縄黒糖は8島だけで生産されることになったのでしょうか。それはすなわち、その島の「規模」にありました。

分蜜糖の安定供給は国民にとって必需品であるとの考え方から、国は製糖業や甘味資源作物(サトウキビやてん菜など)を守るため、海外からの砂糖の輸入に調整金を課して、国内の生産者に交付金として還元してきました。

このような背景から沖縄県内でも砂糖の生産は分蜜糖が中心になっていきましたが、国の交付を受けるためには一定以上の生産量などが条件として課せられていました。そのため、交付条件に満たなかった小規模8離島では引き続き黒糖生産が続けられていて、島の黒糖関連産業は沖縄振興の一環として支援されることとなりました。

小規模離島で黒糖生産がなされていることは、産業振興の他にも大切な役割があります。それは「その島に人々が安心してい続けられる」という点です。

サトウキビや黒糖の生産が地域に根付く産業であるということは、離島部の定住人口の維持にも役立っています。多くの離島部や山間部では、高校進学と共に地域を出て、地元に仕事がないためにUターンせずそのまま都市部で生活を続けるというケースが多いです。そんな中で、黒糖の存在には大きな意味があります。

「島に製糖工場があることで、サトウキビ生産が加工業や運送業にも波及しています。産業はサトウキビが起点になっているのです。島に黒糖があるからこそ、島民の生活の糧となり、子どもたちを生み育てることができるのです」(宇良次長)

③現在

健康食品としての黒糖

黒糖は、サトウキビの汁を精製せずに煮詰めているため、栄養素がそのまま閉じ込められています。上白糖と比べた場合、100g当たりでナトリウムが上白糖1mgに対し黒糖27mg、カリウムが上白糖2mgに対し黒糖1100mg、カルシウムが上白糖1mgに対し240mgと、その差は歴然です。

宇良次長は「人々の生活が健康志向で『砂糖は控えるべきもの』というトレンドがありますが、家庭で使う調味料を黒糖に切り替えていくという流れもあります。脳の疲労を回復させる効果もあるので受験生にも最適です。カリウムは塩分の排出や熱中症対策にも効果があります」と、その効果を強調します。

このように、健康食品としての一面もある黒糖ですが、これまで以上に沖縄黒糖の強みをアピールしなければならない局面にもなってきました。それは、黒糖が今、増産傾向にあり、新たな消費先を模索しなければならないということです。と同時に、販路拡大が新たなミッションとして加わったことは、沖縄黒糖を広く発信していく好機とも捉えることができます。

味の違いを強みに

2012-13年期から2015-16年期にかけて黒糖の生産量は軒並み7000t台だったものの、台風の少なさなどからサトウキビの豊作が続き、2016-17年期からは3年連続で9000tを超えていて、増え続ける在庫をどう市場に展開させるのか、関係者は知恵を出し合っています。2021年6月時点では、過去最多となる約1万6000t、約36億円相当の在庫を抱えています。

沖縄黒糖の販路拡大プロジェクトに参画する、ブルームーンパートナーズ株式会社の仲座健二さんは「甘味や苦みなど、島ごとに違う特性こそが強みです」と語ります。「味や食感が違うからこそ、それぞれの特性を生かした商品開発が可能です。例えば、あるお菓子メーカーは『必ずこの島の黒糖を使っています』というようにこだわりを持って黒糖を活用しています」と仲座さんが語るように、今や「沖縄黒糖」というくくりにとらわれず「この島の黒糖」というブランド力を発揮している局面に来ています。

「栄養価も高く原料としても評価されている黒糖には今後、ものすごく可能性があります。このことを全国のみなさんにも知ってもらえたら」と期待を寄せています。

8島のサトウキビで作るラム

そんな8島の沖縄黒糖を原料として、高付加価値で新しい活用法が注目を集めています。瑞穂酒造株式会社(那覇市)がリーダー企業を務め、沖縄のさとうきびや黒糖でラムを造り、ラム文化を創造するプロジェクト「ONERUM(ワンラム)」です。このプロジェクトは「さとうきびで沖縄にさらなる熱気を。」という想いのもと、産学官の各分野が連携して2020年11月に発足しました。

8島の黒糖を使ってそれぞれのラムを製造することで、各島の風土や生産方法の違いから生まれる個性を引き出しました。2021年7月に伊平屋島産黒糖を使用した「IHEYA ISLAND RUM」を皮切りに、2023年2月までに8島全てのシリーズを限定発売する予定です。

ONERUMプロジェクトが発足した背景には、クラフトラムの市場は世界的にも年間5%台で市場が拡大すると予測されていることや、外国産ラムに対抗できるような「圧倒的に美味しい国産ラム」の需要が高まったことがありました。それと同時に、先述したような黒糖の在庫過多に加え、平成の約30年間で砂糖の需要が28%も減少しているといわれていることや、さとうきび農家の高齢化や人材不足も課題として横たわっていました。

瑞穂酒造製造部商品開発室の仲里彬室長は「例えば、波照間島は人口500人にも満たない小さな島ですが、黒糖を年間約2000tも作っています。その島の黒糖は、地域のブランドになり得ます」とした上で「ラムを製造するには、500mlに対して黒糖400g~500gが必要です。1日で500gの黒糖を食べるのは難しいですが、500mlのラムにすると数人で1本楽しむことができます」と、黒糖消費にも貢献しながら、これまでの黒糖とは違った“顔”を提示します。

2023年は、沖縄に製糖技術が伝わって400年の節目とされています。その年には、8島の沖縄黒糖をブレンドしたラムを、広く流通・販売する予定です。仲里室長は「ラムをきっかけにして、世界中の皆様に沖縄のことや文化を知ってもらえたら」と話しています。

黒糖を文化として絶やさないために

毎年製糖の時期になると、工場から島中に漂う甘い香り。沖縄にはそんな“匂いの風物詩”があります。サトウキビを絞った後の残渣は、そのまま畑の肥料として活用されるなど、エコロジーな農業として今の今まで続いてきました。

沖縄県黒砂糖協同組合の宇良次長は「黒糖産業は沖縄がこれまで400年という歴史の中で、先祖代々受け継がれてきた産業です。当然、絶やすわけにはいきません。とにかく黒糖の産業や文化を未来に向けて継続していくのが私たちの使命だと思っています」と、その味だけでなく文化と産業からも黒糖の未来を思い描いています。