各「国民の祝日」について

(参考情報)祝日法制定の経緯

国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号。以下「祝日法」という。)は、昭和23年7月、第2回国会において制定された法律です。

祝日法の制定前は、年間計11の祝祭日が勅令により休日とされていました。昭和22年5月に日本国憲法が施行されると、当時の内閣は、祝祭日も新憲法の精神に基づいて再検討することが適当と考え、同年12月、政令によってこれを改め、翌月(昭和23年1月)から施行する案を国会に示しました。これに対し、国会側から、祝祭日は国民の関心事であり、また、国民の生活・感情と密接なつながりがあるため、国会において決めることが適当との意見が表明されたことから、政府は、政令で定める方針を撤回し、国会が立法に当たることとなりました。

国会では、衆参両院の文化委員会において審議が行われました。当時の議事録では、成案を得るまでに、衆議院では「委員会十二回、打合会九回、参議院文化委員会との合同打合会四回」、参議院では「委員会、打合会、懇談会、合同打合会等四十回」の審議が重ねられたとされています。衆参の文化委員会が、それぞれの立場から別々に祝日を選定し、その結果を持ち寄り、更にそれぞれの委員会及び合同打合せ等を重ねることによって法案の作成が進められました。この間、政府においても、国会の了解を得て、新聞及びラジオ放送により広く国民一般の意見を求めるとともに、世論調査を実施し、その結果を国会に報告するなどしました。

祝日法は、このような半年以上に及ぶ国会での審議を経て、昭和23年7月5日に成立し、同年7月20日に公布・施行されました。

祝日法の制定時に「国民の祝日」とされたのは、元日(1月1日)、成人の日(1月15日)、春分の日(春分日)、天皇誕生日(4月29日)、憲法記念日(5月3日)、こどもの日(5月5日)、秋分の日(秋分日)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)でした。この九つの日を選定したことについて、衆議院の小川半次文化委員長は、法案の提案理由説明の中で、「新憲法の趣旨に副(そ)うべきこと」及び「国民大衆をあげて容易に納得し、参加し得べきもの」の二つを基準としたと説明しています

なお、その後、祝日法は主に議員立法による改正が重ねられ、七つの「国民の祝日」が順次追加されるなどした結果、今日では、計16日の「国民の祝日」が定められています。


  1. 昭和2年勅令第25号。この勅令では、皇室の祭典の行われる日である「祭日」のうち、元始祭(1月3日)、春季皇霊祭(春分日)、神武天皇祭(4月3日)、秋季皇霊祭(秋分日)、神嘗祭(10月17日)、新嘗祭(11月23日)、大正天皇祭(12月25日)を、また、国及び国民一般の恒例の祝い日である「祝日」のうち、新年宴会(1月5日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)を休日とする旨が定められていました。本勅令は、「日本国憲法施行の際に現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する法律」(昭和22年法律第72号)により、昭和22年12月31日かぎりで効力を失ったと考えられ、祝日法の施行に伴い、同法の附則第2項によって廃止されました。
  2. 祝祭日に関する世論調査(内閣府大臣官房政府広報室)別ウィンドウで開きます(昭和23年1月)
  3. 第2回国会衆議院本会議 第78号 昭和23年7月4日。なお、参議院文化委員会においては、1新憲法の精神にのっとること、2国民全体につながりのあるものを選び、部分的のものは除くこと、3世論を尊重すること、4国際関係を慎重に考慮すること、5しきたりを重んずること、6文化的に意義のあるものをとりあげること、7できるだけ季節と配分とに注意すること、8秩序のない選択は避け、一連のつながりを持たせること、9単なる休日と区別し、国民に意義のある日として、広い意味の社会教育に役立たせること(それには式典、行事、食べ物、服装などのことも考えに入れること)、10祝祭日の数は初めから限定しないが、あまり多くしないことが選定基準であったとされています(祝祭日の改正に関する調査報告書(昭和23年7月3日参議院文化委員会))。