栄典制度の在り方に関する懇談会第2回議事録
日時
平成12年11月21日(火) 14:00~16:00
場所
内閣総理大臣官邸大客間
議事次第
- 開会
- 内閣官房長官あいさつ
- 意見交換
- 閉会
議事内容
吉川座長 それでは定刻でございますので、ただいまから第2回目の栄典制度の在り方に関する懇談会を開催させていただきます。委員の皆様、お忙しいところお集まりをいただきまして大変ありがとうございます。
政府側からは福田内閣官房長官に御出席をいただいておりますので、まず会議の開催に当たりまして内閣官房長官からごあいさつをお願いいたします。
福田内閣官房長官 私、去る10月27日に内閣官房長官を拝命いたしました福田康夫でございます。委員の皆様方に一言ごあいさつを申し上げたいと思って参ったわけでございます。また、私、この後すぐ失礼をしなければいけないということで大変恐縮でございますけれども、お許しをいただきたいと思う次第でございます。
去る10月5日の第1回会合の冒頭、総理からも申し上げましたとおり、我が国の栄典制度は長い歴史と伝統を持ち、そしてまた既に広く国民の間に定着しているところでございますけれども、私といたしましても、その在り方につきましては、21世紀を迎えるに当たり、国民各界各層の御意見も踏まえ、社会経済の変化に対応したものとすることが必要であると、このように考えております。
吉川座長をはじめ、委員の皆様方には、幅広い視点から、忌憚のない活発な御議論を行って頂き、21世紀にふさわしい栄典制度の在り方について有益な御意見を賜れれば大変幸せであると、このように思っております。
政府といたしましては、先般、衆・参の委員会における私のあいさつでも述べましたけれども、委員の皆様方の御議論も踏まえ、適切に対応してまいりたいと、このように考えております。御多忙のところ大変恐縮でございますけれども、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
(報道陣退室)
総理府次長 官房長官、ありがとうございました。
福田内閣官房長官 それでは大変申し訳ないのですけれども、ここで失礼させていただきます。それでは、どうぞよろしくお願いいたします。
(福田内閣官房長官退室)
吉川座長 それではこれから議事に入りますが、○○先生からお話をいただければと思います。
私は結論を先に言うようですが、この栄典制度というのは是非継続していただきたいと思っております。というのは、私どものところなどは特に田舎といいますか、地方では一つの大きな国民の励みになっているということを申し上げておきたいと思います。そこの市町村から叙勲の栄誉に浴する人が出ますと、御本人はもちろんですけれども周りが非常に我が事のように喜んでお喜びを申し上げるというのが昔からありますし、そういう意味では地方でこつこつと地味な仕事に携っている方々の大きな励みになっているのではないかと思っております。また、125 年という大きな歴史もありますし、そういう点ではやはり継続してほしい。
ただ、世の中が随分変わりました。その社会の変容にこの制度そのものが本当にフィットしているのかどうかというのは、一部については問題点もないわけではないのかなと思っております。大きなひずみはないにしても、社会の変容に合わせた方法論が今、私は問われているのではないかと思います。そういう意味では、この懇談会の設置というのは私は非常に時宜を得たものであると思っておりますし、総理の御英断に敬意を表したいと思っております。
ではどんな問題点かといいますと、これは前回の議事録を読ませていただくと、ほとんど私が考えている内容はあの中に入っているわけですが2、3申し上げてみたいと思います。官民格差の是正というのはいろいろな方々からよく言われております。しかし、今度の資料を読ませていただきますと、警察官だとか、刑務官だとかいろいろな方々、そういう方々は当然公務員であります。公の立場であります。そういう方々も含めて官民の比率が2対1になっていると理解をしていますが、もしそういう方々を除けば私はこの公と民の格差というのはそんなに極端な格差はないのではないかと思っております。また、今日の資料を事前に送付していただいて読ませていただきましたけれども、そういう意味では民の方が少し増えつつある。女性も増えつつある。少しそういう修正といいますか、是正の意向が入っているように考えております。
2番目に、私は叙勲の場合は特にそうでありますが、基準というものがあると思いますが、この基準については私はやはり世界が変わったということを踏まえて見直す必要があるのかなと思っております。従来から私は保健医療福祉の現場しか知りませんけれども、基準がどうも年功序列に偏るきらいがないのか。それよりも、私は社会に対する貢献度というのを是非重要視していただきたいと思っております。病院長を例に取りますと、ベッド数だけで病院長の叙勲の場合の等級は決まってしまう。今の世の中は非常に変わっておりまして、一般病床といいますか、治療をする病床のほかにケアをする病床が増えてきつつありまして転換をする病院もたくさんあります。そういう点を含めますと、この介護保険施設というものを併設をしている病院はたくさん増えてきておりますので、是非ひとつそういう基準の見直しというものがこの際必要なのかなと。例を今一つだけ取りましたけれども、そういうふうな感じがしております。いずれにしろ、その地域に必要なものを提供した、そういう貢献度というものはやはり重視されるべきではないかと思います。従来も人目につきにくいとか危険な職務とかでいろいろ頑張った方々が叙勲の栄誉に浴す。これは今後も続けていただきたい。
もう一つは推薦母体の見直しといいますか、これが縦割りになっておる現状を再検討する必要があるのではないか。今度省庁再編成になりますし、同じ省の中でも取り扱う局によって違うという現状があります。厚生省で言いますと健政局(健康政策局)、保健局(保健医療局)、老健局(老人保健福祉局)等々たくさんありますけれども、これはどうも推薦する自分の局の状況だけで等級が決まってしまうきらいがないか。そういう危険性がもしあるとすれば、今、保健医療福祉の連携ということがよく言われておりますので、少しそういうものを横断する推薦の仕方というものを考える必要があるのかなと思っております。等級等につきましても、諸外国に比べると少し細かになり過ぎているきらいもないわけではない。
最後に申し上げておきたいのは、従来の制度と、かといって従来ずっとこの栄典制度は続いてきたわけですから、これとの整合性は必要だろうなと思っております。ここで全く別のものをガラッとつくるという急激な変革は、私は好ましくないのではないかと思っております。
以上、私の誠に私見でありますけれども、幾つか述べさせていただきました。これについて、前回既にいろいろな委員の先生方が発言しておられますので、似たような点もあると思います。以上でございます。
吉川座長 どうもありがとうございました。それではこれから議事に入るわけでありますが、資料の1に本日の検討事項というような名前で幾つか項目が挙がっております。1枚ページをめくっていただきますと、これは前回の資料で「各方面における指摘事項の整理」として御説明し、またいろいろ御意見をいただいたのですが、この事項のうちこの網にかけてある部分をリストとして挙げたのが資料の1であります。これらの事項について今日はできたら議論をしたらどうかと思っているのですが、最初はもう少し委員のお一人お一人の意見を伺いたいと思いますので、また順番に大体ここに出ているような事項についてのお考えを一通り伺うということで、その後でフリーディスカッションをするという順序でやらせていただきたいと思いますので、御発表の心の準備を前もってしていただければとお願いするわけであります。
それでは、その御意見を伺う前に議論の参考という意味になりましょうか、配布しております資料について賞勲局長から説明をお願いいたします。
賞勲局長 それでは、お配りしている資料の資料の2から御説明をしたいと思います。まず官民の格差と言われておりますので、その関係の資料をつくっております。資料の2でございますが、今年、12年の秋、先日の11月3日に発令した分でございますが、この叙勲の内訳をグラフにしてみたものでございます。ちょっとごらんいただきますと、国の一般行政職が全体の12%でございます。この公務員という場合、公務員歴を主体としていた方、その後民間に移った方もいらっしゃるわけですが、そういう公務員を基準として持っている方については公と分類しておりますので御承知おきいただきたいと思います。この一般の行政職12%、そのうちには試験研究機関の研究員とか現場の方々も入れますが、こういう方が3%含まれておりますので、いわゆる私どものような役人と言われる者は9%というふうに御理解いただきたいと思います。それから地方公務員が5%、判事・検事が2%、大学教授等の教育職が3%、小中高の教職関係の方が9%、医療・福祉の関係3%、警察官、自衛官、海上保安官等の関係が18%、郵便、三公社の関係で7%となっています。それから選挙で選ばれる方々、国会議員とか地方の首長さん等でございますが、この方々が9%。これを除きました民間の方が32%という状況でございます。公務員の中の小中学校の校長さん、教頭さん、それから医療・福祉の関係者、警察官等、これだけで公務員の中の約半分を占めております。
それから、次の資料3をごらんいただきたいのでございますが、これは分野別に官民の構成比を取ってみたものでございます。白い棒グラフが公務員でございまして、黒が民間、灰色が公選職でございます。同一の分野で公務員と民間と両方ある分野がございますが、大学の教授等につきましては公務員が民間を上回っておりますし、小中学校等につきましては公立が多いということからいきまして公務員が圧倒的、医療・福祉につきましては民間の方が公務員を超えております。それから、消防につきましてはいわゆる消防士、消防員よりも消防団の関係の方が倍以上いらっしゃるという関係に相なっております。
それから資料の4をごらんいただきたいと思いますが、官民の格差を言われるときに同一の職種で公務員の方が高いというようなことをよく言われております。特に大学教授についてよく言われておりますので、国公立大学と私立大学の教授の勲等の分布について分析しておりますが、実は賞勲局におきましても前々からそういう御指摘があったことに伴いまして5、6年前から国公立の大学の教授の格付けにつきまして若干抑制ぎみに、私立の大学につきまして若干格上げぎみに運用してきた結果がここに出ております。5年前のところで国立大学の方を見ていただきますと学長の瑞1、これは大体旧帝大の方々が中心でございますが、この色の黒い方が分布の多いところを示しておりまして、旭2、それから瑞2、旭3というところが主体であった。学部長につきましても、旭2もいらっしゃいますが瑞2が主体、それから旭3がそれに次ぐということでございます。教授経験のみという方でも、長さで瑞2までいった方が結構いらっしゃって、旭3が主体、瑞3がこれに次ぐという状況でございました。これを多少運用を見直しまして、学部長等の経歴のない教授につきましては原則として旭3で止める。それで、長さがかなり長い方で学会の会長などをしながら、またかなり学問功績があるという方につきましてはその年数で瑞2まで認める方も若干入っておりますが、かなり少なくなって今、分布からいきますと比率からいきますと低くて一応白抜きになっております。それから、学長につきましても学校の大きさによりまして若干抑制をしたということもありまして、主体が瑞2の方にずれまして旭2がそれに次いでいるということで、旭2が主であったところが逆転をいたしております。
それから、私立の大学につきましては若干高目に誘導したということもありまして、5年前でいきますと学長が旭3が主流で瑞2、瑞3がそれに次いでおったということでございます。学部長につきましても旭3、瑞3がかなりいたということでございますが、これにつきまして現在では学長につきましては瑞2、旭3、これはほぼ同数ぐらい分布をしておるということで、若干旭3から瑞2にずれている。それから、学部長につきましても瑞3の学部長が少なくなりまして大体旭3の方にずれております。それから、学問内容のある方につきましてはできるだけ2等の方へ持っていくというような形をとっております。それから、教授につきましても多少上の方にずれまして、旭3が極めて少なかったのが旭3が増えてまいりまして旭4の方が減ってきているということがあります。まだ、これで見ますと国公立の方が高いかなという感じがいたしますが、5年前に比べると大分バランスがとれてきているということが言えるかと思います。
それから、資料の5をごらんいただきたいと思います。これは、一定の地域内で勲等のバランスに問題があるのではないかという御指摘もありますのでちょっと分類をしてみたものでございます。これも今年の秋の実態の表でございますが、これは市町村内の団体活動しかない方々を原則として取り上げております。町村長さんにつきましては、在職年数の長さによりまして旭6から旭4までばらつきますが、瑞4、旭5という方が多いという状況にございます。小中学校の先生方につきましては、校長さんにつきましては瑞5が多いのですが、長さによって旭5までいかれる方もいらっしゃる。それから、町立の施設でいきますと町立病院というのがございますが、現在病院長につきましては病床数で格付けをしている関係で、これも瑞5から瑞4までばらつくということがございます。そのほか消防団でいきますと、町村単位の消防団だけでやっておりますと旭6が主体で瑞5がいる。それから商工会議所あるいは商工会でいきますと、瑞5が主体で旭6もいらっしゃる。医師会につきましては、お医者さんは少し高目に運用している関係もありますが、ほかの団体に比べるとちょっと上回りまして旭5が主になると思います。それから、特定郵便局長さんは大体瑞5であるということ。それから、地域の農協の組合長さん、漁業の組合長さん、大体町村単位だけですと旭6ということになります。保護司さんにつきましては、これは瑞5だけで旭6は出ておりませんが、法務省の推薦方針が瑞5以上を推薦するということで旭6の方は推薦されてこない関係で瑞5だけが出ております。民生・児童委員につきましても町村単位の方だけでありますと大体旭6ということになります。
全体のバランスから見るとそんなにおかしいようには見えませんが、例えば町村長の長さんによりましては瑞5の方がおられて、そこの小中学校の校長さんが旭5というようなことがあったり、病院をお持ちの市町村でありますと病院長さんが瑞4になったりというようなことが起こり得るということがあります。それから、一部で指摘を受けておりますが、特定郵便局は一つの町村の中にも複数あることがありますが、それが皆、瑞5であるというのはちょっと高いのではないかというような御指摘も出ているところでございます。
それから、資料の6でございます。これは勲章の名前の付け方等の参考といたしましてイギリス、フランス、ドイツの勲章の名称を邦訳をしてみたのでございます。イギリスはいろいろな勲章がありますが、民間の方に主として出ております最優秀英帝国勲章、これは5等級でございます。それからフランスのレジョンドヌール、メリット、これらも5階級でございますか、大体騎士団の階級ということで、レジョンドヌールでいきますとシュバリエは騎士、それから指揮官、大士官と訳しておりますがグラン・オフィシエ、それから大十字章という格好の名前になっておりまして、日本のような123という数字は付かないという形でございます。
ドイツにつきましてはどちらかといいますと大十字章、これは大綬が3通りありまして、中綬章が2通り、それから小綬章が2通りと綬のないものが1つと、ちょっと形も変わっておりますが、大綬章、小綬章、星章付きというよう勲章の形を参考にして付けた名前かと思われます。こういうような例がございます。
それから資料の7は今年の秋の勲章、先ほど分析した以外の特徴を簡単に挙げております。アンダーラインを引いたところで特徴を3つ挙げておりますが、今年の秋の叙勲につきまして特に人目につきにくい分野、あるいは危険や労苦の多い環境において業務に専念した方を特に留意をしたということで、41%この分野に出ております。これは過去最高の割合でございます。それから民間の候補者の発掘に努めまして、昨年の秋と比べまして1年間で受章者数は140人ほど増えました。それから、官の方が若干減りまして、比率からいきますと官対民が約1%ずれたということになります。それから女性も特に留意した結果、ここ10年来200名台を推移しておりましたが、今年は321名と300名台を超えたということでございます。特に男女共同参画社会の推進に尽くされた方々を中心に5名ほど新たに入れたというところが特徴でございます。
それから、参考というのが配ってあるかと思います。横長の表でございますが、これはうちでつくった資料ではございませんで与党の叙勲制度の見直しに関するプロジェクトチームの中で配られた資料でございますが、自民党の案と、それから公明党の案を対比してつくっておられますので御参考にお配りしております。公明党の方はプロジェクトチームの事務局長の私案という形になっておりますが、自民党の方では勲等の簡素化ということと、受章者は少し増やすように、それから官民の格差については数を1対1にするようにというような御指摘が出ておりますが、公明党の方では勲章は廃止して褒章だけにするか、あるいは勲章につきましても等級を廃止して単勲等のものを5種類くらいにしたらどうか。それから、公務員、政治家については原則として対象としないということ。それから、公務員を外す関係のようでございますが、対象人員は年間5,000名で良いのではないか。それからもう一点は、対象は60歳以上で良いのではないか。また、場合によっては若い人に出しても良いのではないかというような御指摘が出ております。これについて今、与党の中で御議論がなされている状況でございますので、参考までにお配りいたしました。以上でございます。
吉川座長 ありがとうございました。お話はまたこれから伺いますが、何か資料についての御質問はございませんか。
それでは、先ほどお願いしましたように最初は御意見を次々と、御主張になりたい点だけでも結構でございますので御意見を伺うということで、一巡してからフリーディスカッションとさせていただきます。
せっかく心の準備をしていましたのでちょっとだけお話ししたいのですけれども、今の御説明とちょっと外れる件でのお話ですが、以前いただいた方からお話を聞いたのですけれども、国土庁の関係でいただいた方なのですが、以前にはこちらからもいただいたということで両方からいただいたときに、国土庁の場合は旅費が出たというお話で、こちらは旅費が出ないということで、伝達式だということでいただきにあがるという形なので旅費は出なかったのだと思うのです。あとは人数的にも多いということで旅費は出ないのだと思うのですけれども、全然そういうものに詳しくない私としてみれば、旅費が出ないというのがちょっと不思議かなというのがあったのです。その辺、大変人数も今回ですと叙勲で4,632人ということで大勢の方にあげられるというか、そういうのは非常に良いのですが、個人的な負担がすごく大きいということをお聞きしました。ですから、せっかく功績があってこういうふうに認められての受章ですので、北海道から沖縄まで全国をあれしますと旅費も大変なのでしょうけれども、その点は何とかできないものかなということをすごく感じました。
あとは推薦の基準なのだと思うのですけれども、職業としてそれなりの優遇されているといいますか、給与なりそれなりの優遇されている処遇を受けている方と、あとは商工会の会頭の方はそういう給料をいただいていないということもお聞きしたのですけれども、そういったもらっている方、もらっていない方の基準といいますか、選ばれる段階でそういう分け方といいますか、何かそういうものがあるのかどうかというのはお聞きしたいなと思って参りました。
賞勲局長 今のお話は、給料をもらっている者が対象になるかならないか、ボランティアでやっている方がということですか。
はい。そういう方の基準みたいなものですね。
賞勲局長 必ずしもボランティアでなければ出ないということでもないのですけれども、例えば業界団体等の役員をしておられる方でそれを生業としている方ですとボランティアの方より若干低目に査定するということはあろうかと思います。例えば、経済界でいきますと個人の会社の経営そのもの、これは私益だろうということになりますが、業界団体とか経済団体で自分の仕事以外のこともおやりになっている。そういう方が主体として推薦されてくることは間違いないのですけれども、業としてやっている者が全部だめということではございません。例えば伝統芸術の保存とか、卓越技能のような方で推薦されてくる方がいらっしゃるわけですが、それはその人の業そのもので褒めたりしておりますので、そういう無給有給だけで差を付けているわけではございませんので、個別に中身を見ないとよくわかりませんが。
わかりました。以上、まずそんなところでまた後でと思います。
前回で大体基本的な御意見というのは出ているように思うのです。ですから、何か特別な問題で問題提起があったときに意見を言うことにしまして、前回より突出した意見はなく、大体委員の先生方でこの総意というのでしょうか、原則的な問題としては前回で出ているような気がいたします。
最初に、今ちょうだいした資料で拝見しましても官民構成比ということの中で警察、自衛官、海上保安官、警務官、消防等、いわば治安とか防衛とかというようなものに従事している公務員が非常に多いということで、官の中の31%がこういう人たちで占める。これ自体がすべて危険、目につかないというふうな分類に該当するかどうか、それはちょっと私にはわかりません。このほかにもあるのかもしれませんが、そういう危険で人目につかないようなものとかが今回の叙勲の見直しの中でもある程度焦点になってくるところがあると思うのですが、これは私は官とか民とか言わず共通のような仕事であり、社会、公共に対する貢献というものと私は同質ではないかと思うのです。こういうものの大部分が公の仕事であることは言うまでもありませんが、それを官の中に入れて、官は民の2倍だとかというふうな議論は余り公正ではないのではないか。その辺のところは官も民もなく、やはり人目につかないところがきちんとやっている。これを見てやらなくてはいけないのではないのだろうか。そういう視点を私は強調したいと思います。
前回もいろいろな意見が出ました。その後いろいろ考えてみたのですが、1つは、官と民という機械的な分け方ですね。これはやはりおかしいのだろうと思います。やはり教育職で国公立の校長先生とか、それから警察官、自衛官といったような方々と、それから普通のいわゆる一般公務員とは多分同じように考えてはいけないのであって、その辺のカテゴリーを少し分けるということをやった方が良いのではないか。そうでありませんと、大体マスコミの報道というのは叙勲自体が年中行事化しておりますので、春秋2回大体新聞報道とか形も決まっていまして、高級勲章の方が先に出て、それ以下の勲章はその地方版に出る。そこまで全部一緒になっていて、それで大体勲章については主として新聞は批判的にとらえますので、そうすると同じようなところで議論をして、多分役所の方がいろいろ説明をしても、それが余り通らないのではないかという気がしますので、その辺のところはカテゴライゼーションを少し変えるということを考えられたらいかがかということが1つであります。
同時に、受章の年齢に関して言いますと、今は70歳でありますけれども、例えば警察官とか自衛官とか消防もそうだと思いますが、生命に関わるような職業に携った方というようなものについては70歳まで待つ必要は実はなくて、今でも55歳ぐらいで受章できるといいますけれども、そういう意味でもっと早目に受章をする。それから、春秋2回ということでなしにこういう方に関しては随時受章のチャンスを設けるということを少し考えてはいかがかということが第2点です。
それから第3点で叙勲の対象でありますけれども、これもとにかくもらえる方というのに対して除外事項をつけるのは変でありまして、例えば政治家がだめだとか、官吏がだめだとかというのはその理由がないわけですね。人を褒めるときに最初に除外事項をつけるというのは非常に間違いだと私は思いますので、もらいたくない人は別にもらいたくないと言えば良いし、申請しなければ良いわけですから、そこはそういうふうに考えてすべての方を対象にし、しかしその中で今、言ったような余りにかちっと今までは70歳で春秋2回というふうになっているものを多少幅を持たせていくということが必要だろうと思います。
それからもう一点だけ言いますが、ここに等級の必要性というのが書いてありますけれども、私はやはり文化勲章方式のものというのは文化勲章だからできるのであって、普通の勲章の場合、単一で同じというのはやはりちょっと違うのだろう。大量のある程度の数を出します場合にやはり松竹梅といいますか、ある程度の等級の必要性というのは私はあると思いますし、それが今、煩瑣であることは事実ですからそれを非常に簡素化することは大賛成でありますが、やはり国に対する貢献ということで言えば当然ある意味で内容的な差というのはあると思いますので、それを考えてというふうに思っております。とりとめもありませんが、以上です。
私はこの前ちょっと長めにしゃべってしまったので、今日は特にないのですが、あとの各論の方かもしれませんけれども、質問みたいなことを1つだけ、せっかく順番が回ってきたから伺いたいと思います。
例の等級の問題、それから数を少し減らすかどうかというのは、実際に賞勲局で毎年いろいろ御苦労を願って最終決定をみて実施されているわけですが、その御経験があればちょっと伺いたい。1つは、例えば3等をもらえるかと思っていたら4等になったことで非常に失望したという方も時々うわさで聞きますし、周りを見渡したりいろいろ期待していたところよりもちょっと低かったとかというのは人情ですからあり得ることだと思います。もちろん、それならばもらわないという方もあるそうですから、それも一つの対応だし、結果的にはちょっとがっかりしたけれども喜んでいただくという方が圧倒的ではないかと思うので、そのどちらになったかというのは、いつも御苦労のあるところだと思うのです。もう一つ、これは今後特に公務員に関して抑制を少しかける、1割ぐらい減らしてはというような案も少しあるというお話との関連で言いますと、一生公務員で尽くした方の中で今までだったらもらえた方が今度の抑制の結果として外れる方がもし出た場合、その辺をどう認識したら良いか。全体の格差の2対1を1対1にするとか、全体の数がもう限られていて民に出すためには官を削らなくては出てこないとかというような議論が時々あり、その結果として少しずつそうなっていることは、それ自体は私は意味のあることとは思っておりますが、現実に例えば比較的目立たないといいますか、地味な仕事に一生を過ごした方が一定のときに退かれる。満年齢に達したというときに、今までだったらいただけたかもしれない方が、全体の抑制の影響として、いただけなくなったという人がもし出ると、その個人にとっては大変残念なことというか、あるいは奥さんなり家族にとってもやはり残念なことになるのではないかというようなこともちょっと考えてしまうのです。
私はこの前の発言の中でも、官民格差とかパーセントとかという話についてちょっと私の意見を申し上げましたが、官民と分けて考えること自体にいろいろな定義の仕方によって考え直すことがありますけれども、仮に官民と分けた場合、官のパーセントをそう大量に減らせないにしても、少しずつ比率を変えていくということをやる結果として、かつ総数がそれほど増えないというか、予算の関係もございましょうから、そういうときに結局官で今までだったらいただける方で、いただけないという人が、数はそう多くないにしても出てきた場合、これについてどう考えるのかということはどこかで一度認識しておく必要があるのではないか。
それが国の方針だとかということでそうなるのならば、それはあきらめていただくと言えばそれまでかもしれませんが、私はそれは賛成ではなくて、この前の私の発言でもちょっと触れたのですけれども、民で今まで目立たないとか、推薦ができないとかいろいろな理由でいただけなかった方が、今後は推薦の仕方を考えるとか、あるいはいろいろな見直しによっていただけるようになることは大変結構なことでございますが、その反射として、いただいて良い方、したがって今までいただいていた方がいただけなくなるという状態が実際に起こるということは、私はよほど慎重であってほしいなという気がいたします。
こういう制度を持ち、公のために尽くした人には国家がそれなりの評価をし、労に報いる。それを家族の人も本当に光栄に思うというのが叙勲制度の原点にあるとすれば、民をもっと増やすということの余り、今私の申し上げたことが起こることはやはりあってはならないのではないか。
質問とちょっと言いかけたのは、この一両年そういう方向で少し官側を抑制するというような方針を立てられた結果として、何かそんなことが既にお耳に入っているか、現実にそういうことが起こったかどうか。あればちょっと参考までに伺いたいと思って質問という言い方をしてしまったのです。
賞勲局長 民間の推薦を増やしていただいたことは確かなのですが、実態としては通常4,500名出ていたところ今回は4,600名を超えているということは、従来の4,500名の枠を少し超えて実行上、数を増やしたというところにありまして、民間が若干増えたと申し上げましたけれども、その分は4,500名の枠を飛び越えたというところで出ております。
それで、実態といたしまして例えば小中学校の校長さんでいきますと、本来ですともらえる方々の中の4,500名の枠に入る関係で、かなり一部の方しか実際には春秋叙勲では出ていないという実績がありまして、もらえなかった方は実際には高齢者叙勲に回っている。小中学校の校長さんは非常に数が多いものですから、そういう実態があります。それから、一般の公務員につきましても従来からすべての人が出ているわけではなくて、ある程度セレクトされて出てきているというところがあります。それで、春秋で出ていなかった方は高齢者に回ったり、88歳で出るわけですけれども、そちらの方に回っている方も結構いらっしゃいます。
それで、問題はむしろ自民党のおっしゃるように等級を簡素化したときに今、公務員でいきますと例えば7等まで運用しておりますが、その下の方の等級を削った場合、全部評価を上げて、例えば6等なり5等なりに持ち上げていくのか。その等級を切り捨ててしまうのか。そのときにむしろ切り捨てられる人が出てくる可能性が出てくる。そこがあります。そこをどういうふうに等級を簡素化するときに収めるかというところが非常に頭の痛いところになるかと思います。現在の数を増やしている分につきましては、何らかの格好でいずれにせよ公務員については対象になろうかと思っておりますが。
ただし、88歳まで生きていなければということはありますね。
賞勲局長 あるいは、場所によりましては年の上の人から出していくというところがありますので、例えば国立大の先生につきましては今76歳くらいに年齢が上がってきている状況がありますが、徐々に年が上がっていっているというところもあります。
質問ではないのですけれども、今日の議題の幾つか挙がっている中で、この前も話題にちょっとなりましたが、等級の必要性、等級の数、等級の表示方法というのがございますが、これはどうでしょうか。何かたたき台みたいなものが出されると議論がしやすいのですけれども、どうだと言われても抽象的にこれでしょうというのはなかなか私どもの方から出しにくいような感じもするのですが、何かそういうことはお考えなのでしょうか。
賞勲局長 役所の方からこういうものを考えていますというのはなかなか示しにくいものがあるのですけれども。
たたき台ぐらいはどうですか。というのは、なかなか難しいのだと思います。私から、ではこれはどうでしょうかと言うのはね。
賞勲局長 そういうこともありまして外国の例をお示ししたりしたわけなのですが、例えば名前の付け方についていきますと123というのが余りにも序列を表し過ぎているというようなことで、勲章の形を名前にできないかというような話があろうかと思います。実は我が国の勲章につきましても、例えば外国人にお渡しするときにファースト、セカンドというのは非常に評判が悪いというお話が昔あったことがございまして、外国にお出しするときに勲記自体は勲1等何々章を授与すると書いてあるのですが、翻訳だけは形を名称にいたしまして、例えば勲1等瑞宝章などはグランドコードン・オーダー・オブ・ザ・セクリート・トレジャーというように外国と同じにグランドコードンにしているとか、そういうようなことをやったことがあります。したがって、それと同じように日本国内におきましても勲章の形などを名前にすることが不可能ではないと思います。ただ、これが現在の太政官布告でいきますと、勲等に叙してそれに何々章を授与するという格好になっておりますので、現在の規定からいくとかなりの大変革になるだろうという感じはいたしております。
それから、勲等が現在8等級なのですが、これは瑞宝章の写真なのですけれども見ていただきますと、例えば1等から6等までは勲章の形として大体そろっている。ところが、7等、8等になりますと非常に簡単なものになりまして、ここら辺が同じ勲章と言えるかどうかということからいきますと、6等までだと今のままでそんなに違和感のない勲章としていただいていただけるというような感じはありますが、今の勲章はそれほど大変革をせずにやるとなると、そこら辺がひとつ考えられる境目かというのがあります。
官民格差の問題で、警察官、自衛官は当然公務員ですから、これをこの中に入れてしまいますとこの全体に占める18%で、しかも公の中で3割を占めている。この分野というのは非常に大きいわけですから、統計をお出しになるときにここは少し何か方法論をお考えになったらいかがなものか。国民の目には、ただ官と民の違いとしてしか映っていませんので、こういう実情を少し踏まえた統計の出し方が考えられないものかなというのが、先ほど言いましたが第1点です。
第2点は基準の見直しで、私は病院長を例に取りましたけれども、例えば歯科医師の問題もそうでありまして、今もそうだと思うのですが、学校医の場合に複数の校医をしていないと何かもらえないように私は聞いたのですが、今は学校が統廃合しまして中央化しつつあります。そうすると、1つの学校の校医ということになりつつあるようなのですが、こういう点も基準として少し再検討していただけば医療の社会ではありがたいと考えております。
それから、今の等級の問題なのですが、基本的には従来の制度との整合性を図らないといけませんけれども、これをガラッと全く別なものをつくるというのは、私はやはり定着した栄典制度というものを混乱させることにもつながりかねないので、それは私は好ましいことではないと思いますが、見直し自体を今、局長もお話になられましたが、外国の人にやるときに瑞の2とか、瑞の1とかで通るかというとなかなか理解が得られない。この点も含めながら、簡素化するとすればどういう方法論が良いのか。先ほども出ましたが、切り捨てにだけは絶対してはならないと思います。地方では特にこの栄典制度というのは国民の励みになっておりますので、その点もひとつ御理解いただきたい。財界の方で辞退される方はいらっしゃいますけれども、辞退なさるのは御自由であったとしても、地方ではかなり励みになっているというのを御理解いただきたいと思っております。以上です。
私は前回も申し上げましたし、もう既に今回も皆さんが発言されているところで大体尽きているのですけれども、2、3だけ申し上げますと、先ほど等級の必要性なり等級の数のところがございましたが、これは当然貢献の程度には差がありますし、そういう意味で一本化するのは無理だろう。しかし、現在の等級は余りにも多過ぎるということについては、それは理解できます。ただ、そのとき幾つが良いのか。あるいは、その名前をどうするのか。これは先ほども何かたたき台という話がございましたけれども、何かよりどころというか、一つの議論の前提がないとなかなか難しい。例えば、さっき外国の勲章のお話もございましたが、5つが良いのか、8つが良いのかといったところから、その名前は123でなければ大中小なのかとか、いろいろなお話があるだろうと思いまして、なかなかそこはそれだけの議論をしていたのでは議論が収斂しないのではないかなという感じがいたしました。
それからもう一つは、さっき官民格差というお話が大分出ましたけれども、私も官と民であらかじめその比率を決めるというふうなことはおかしいし、さっきの警察、消防のような方を含めて官であるという評価をするのもまた危険な職務、人目につかない職務というふうな分類と、それ以外というのは一つの分かれ目なのかもしれませんが、そういう意味で分類の話というのは確かにそのとおりだと思います。それで、一方では大学で国公立と私立、あるいは病院での国公立と私立、こういったところに差があるのはなかなか説明がまた難しいのかなという気もいたしました。そういう意味では、官民格差と一口に言っているところに意味がいろいろあるのかなという気がいたします。
それから、受章者あるいは叙勲の対象ということでは、目立たない分野の発掘というのは当然必要なのだろうと思いますが、受章者の数というのは大体現状ぐらいで良いのかなと。特に女性を意識するというふうなことではなくて、女性の活躍の分野は非常に広がってきているので、今後はそうでなくても当然受章者の数は増えてくるだろうと思います。そういう意味でさっきの官と民もそうですし、女性もそうですけれども、あらかじめこうであるべきだ、あるいはこういう枠であるべきだというのを決めていくのは、国家社会に対する貢献とかという大きな旗印がありながら非常に妙な結果になるのではないか。そんなところでございます。
私は現代におけるというような感じは必ずしもありませんが、栄典制度そのものは中身は別にして、私は一般的な国民の意識として平たい意味でお国のためになったとか、パブリックなお役に立ったということについてのレコグニッション(承認)がある。しかもそれは国によってされるということは私は今までもあって、それはそれなりの意義もあるし、これからもそれは制度として存続をさせるべきだというふうに結論としては思っております。
それから、私どもこういったことについて、特に今回のこういう検討が始まってからだけではありませんで、今まで春秋あるごとにいろいろなコメントが出るわけですけれども、率直に言って東京を中心に、あるいは経済団体でありますとか、比較的身近な規模の大きな企業の経営者とかという辺りで話が出ることは耳にしておりますが、例えば地方等でこういったものについてどういう受け取り方をされているのかということはそんなに実際には耳に入っていないわけですけれども、しかし実際にいろいろな団体の長等がコメントされておりますが、2つ重要なことがあって、私は地方だから、都会だからということはないにしても、やはり伝統的にこういったものを個人的にもそうだし、それから私の家でしたら○○家としてこういうものが、表現は古いですけれども、名誉だというふうに思うような感覚というのは依然として広く残っていて、そのことを古いとかどうだとかとむげに排除する必要はさらさらないと思っています。
それから、最終的にはこういったものは個人の考えとして受けるか受けないか、これはもちろん残るわけで、断ったから良い、受けたから悪い。残念ながら最近は断るのは潔し、受けるのは何だという変なレベルの在り方をしていますけれども、これもおかしなことだと思っています。もう少し素直に受けるものは受ける。逆に言えば、一部の人たちは素直に受けるにしては制度上の問題があるからおかしいのだという意見もあるわけで、これはこれできちんと耳を傾けなくてはいけないと思いますが、そこに出てくる幾つかの問題点というのは、これも良いか悪いかは別にして、1つはやはり官が人々の順位を付けるというのはどういうことかと。これはしかし、第1回の議事録も拝見をしたらどなたかがおっしゃっていましたけれども、別に人の順位を付けているのではなくて業績その他の順位を付けているのだから、その付け方がどうかということはあるかもしれないけれども、それはあってもおかしくないのではないか。そのとおりだと思います。
ただ、かなり1から6まであって、いろいろその中も分かれているということなどが余りにも歴然とし過ぎているということもあるかもしれませんし、先日ちょっと局長ともお話をして、ある意味では非常に常識的かもしれませんけれども、何となく叙勲の順位というものが大きなことは良いことだと、単純に言いますとそういう考え方がベースにあって、全国は地方よりも高い位、大企業の方が中小企業よりは高い位、経済団体の長の方が個別の企業の長よりは高い位、これはそれなりの常識でしょうけれども、ここは私は個人的にはかなり抜本的に少し考え方を改める必要があるのではないかという気がします。余り規模の大小だとか、全国区だとか地方区で、自動的にどこどこの団体の長をやったら最低これはもらえるというような種類の話というのはそろそろ変えていかないとおかしいのではないかと思っていますし、どちらかというとその辺が実態以上に喧伝されて、だからおかしいからこんなものはもらわないのだと、そういう人の方がはるかに潔し、男らしいとか、何となくそういう物の見方というのが現在の栄典制度の在り方についてやや偏った評価を与えることにつながっているのではないか。
しかし、それが全部真実ではないにしても、一部はそれなりにそういう見方を与えることはあるわけですから、その元になっている1から6までの問題とか、さっき申し上げた一口で言えば大きいことは良いことだ、あるいは大きいことは高いことだという、そこは少し抜本的に考え方を変える必要があるのではないかと思います。
それから官民、今のお話は一部しか伺っておりませんが、私は枠を決めることがどうかということはあるのですが、目安としては少なくとも50:50でも良いのじゃないかという気もしますが、これもあえて言えばパブリックサーバントがパブリックの仕事をするのは当たり前ではないかと。ですから、どちらかと言えばパブリックな面の評価というのであれば、数としてはどちらかと言えば民の方が多くてもちっともおかしくない。何を官と言い、何を民と言うかは確かに問題が残りますけれども、ノーマルな分布から言えば少なくとも民が6で官が4でも、民が7で官が3でもちっともおかしくないのではないかという感じはしていますが、当面は50:50よりも官が多くならないというようなことは一つの目安として考えられていって良いのではないかという気がいたします。それで、海外の制度などについての資料もいただいて、実際にはアメリカなどは何もないと言っていてもアメリカにもありますし、欧州は歴史もあるのでそういうものもあって、私もみんな勲章をもらったり、あるいは何級ともらった人に一々聞いているわけではありませんけれども、割に素直に皆さんそういうものは受け取って、中にはイギリスでも労働党の人が断るとかということはあるかもしれませんけれども、それは多分歴史の問題と、そういうことが不自然ではないそれなりにフェアだと思われるような形での日ごろの習性なり、あるいはそれにふさわしいPR活動が行われているのだなというふうに思います。
そんなことでとりとめもないことを申し上げましたけれども、私はやはりこの栄典制度そのものというのは、いろいろな意味でこれから改めてパブリックサービスというものの在り方が問われてきていますし、本当の意味でパブリックに貢献するということが社会的に見ても意味のあることだということを広く認識をさせるという点からも、良い形に栄典制度が見直しをされて、結果的に単に存続するというだけではなくて、やはり発展的に続いていくということが非常に重要なことだと思っております。以上です。
さて、前回、今回にわたりまして御意見をいただいたわけですけれども、大体流れとして委員の方々のお考えの対立点は余りないような気がするのですが、しかしまだクリアではないところが幾つかあるように私はお話を伺っていて思うのです。
この順序でいきますと、資料1の一番上の意義というのは最後にあれするとして、例えば官と民ということを取り上げてみると、こういう統計を見ると改めて見れば決してそんなにアンバランスではない。しかも、本来パブリックへの貢献というのですから、官と民というようなことで分けるのもおかしいとか、そういうさまざまな意見があるのですが、実際に世の中で官と民の差があるのではないかという批判が出ているのは一体なぜなのか。それをある意味で理解してもらわないと、依然として中身は良いのだ良いのだと言っているだけでは余り討論にならないので、なぜそういうものが出てきてしまったかということはかなり的確に理解できていると考えて良いのでしょうか。若干マスコミの取り上げ方とかいろいろありましたけれども、それだけではなくてやはりもう少し根深いような気もするのですが、それはどこにあるのでしょうか。そういうことで、例えば目立つ上位は官が多いとか、そういうこともあるのかもしれないのですね。ですから、そういうことも絡めて見ないと、数だけの問題ではないのかなという気もします。そういったことから考えて、官民は良いのだけれども、しかし等級を変えろというふうな話に変わってくるのか。その辺はもう少しお考えを伺わせていただけるとありがたいと思います。
これはいろいろあると思うのですが、歴史的な経緯はもちろんありますね。それからもう一つは、官民というものを扱うといったときにその功績の見方、功労の見方というものに共通性がないのではないのでしょうか。官の場合は比較的担当した職務の内容とか、それからそれに勤務した年限とかというもので比較的明確にそれは把握できますが、民と言った場合にこれに匹敵するような明確な物差しがないのではないか。したがって、この問題は運用上、その物差しをどうするかということによっておのずから民の方からすくい上げられると良いますか、取り上げられる人の数がどのように増えていくか、変化するかということだと思うのです。
それで、もう一つの角度から言いますと、栄典といった場合には勲章と、それから褒章とございますね。褒章と勲章というものはどういうふうに考え方を整理していくか。例えば、褒章を見れば官はほとんどいないですね。紫綬褒章はおりますけれども、そのほかはないのです。それで、この前いただいた資料を見ましても、やはり褒章というのは善行を褒めるというようなものであって、勲章の場合には要するに国家公共に対する功労の集積みたいなもので判断するというようなところから言いますと、おのずからそこに褒章と勲章との扱いに我々はもう少し目を向けて見る必要があるのではないかと思います。
そういう点で官と民と同じ尺度で公平に評価、判定できるという職種が官民であるわけですね。それで研究者とか大学とか病院、これは公立であっても私立であっても容易に判定できますね。しかし、職務上、民の方の会社の経営と同じようなものが官であるかとなると、これは同じ社会貢献をしていてもなかなか査定が難しいというのでしょうか。ですから、公平にどういうふうにこれを評価するかという、そういうものが新しくつくらないと、栄典の場合、今までの尺度でこれは官がほとんど対象だと思いますから、そういう見直しの尺度の方法を導入しないとなかなか難しいのではないでしょうか。それで、経済界でも自分の経営ではなく大きな団体の方の公職で、会社に関係なく公共に尽くされたという、これが大きな目安になっているわけですね。だけど、必ずしも団体だけではなく、良い仕事をすれば社会貢献は会社経営でもあるわけですね。こういうものを団体ではなく個々であっても評価できるという、これが今までないですね。みんな大きく団体を評価していますから。
その辺を何とかもうちょっとはっきりしないと、どうしても釈然としないものが世の中に残ってしまいますよね。
相当な力で功績があるのだけれども、階級は低いジャンルに挙げられるという場合がありますから。
そうですね。それで、それは企業の中におられて非常に大きな業績を挙げて、しかもその企業はある種の公共的な貢献が非常に大きかったということはもちろんあるのですけれども。
規模は小さくても質的に非常に、特にITなんかこれから出てきますね。小さい規模で人員から何から小さいのですけれども、非常に国際的に大きな仕事をすると。
しかし、実はその人が仕事を終えて、公共的な仕事をした分だけで勲章をもらうと小さくなってしまうのですね。ですから、まるっきり逆にその企業の仕事が小さく見えてしまう。そういう直観的に言って非常に難しいところがいっぱいあるのですね。お2人の委員の御指摘はそこにあるのだと思うのですが、民の尺度というものをもうちょっときちんとするというところにもう一つ問題があるような気がします。
賞勲局長 今いろいろお話が出ましたが、例えば民間企業の経営者をどういうふうに評価するかということが一つございますが、1つはその会社自体が経済界でどういう位置を占めているかということ、その業自体、業全体がどういう位置を占めているか。その会社がその業界の中でどういう位置を占めているか。そんなところをひとつ尺度として考えたりはいたしております。
例えば会社の評価として資本金、従業員、売上高というのは一つありますが、全部それで評価しているわけではなくて、精密機械をつくっていてほかの企業でどうしても使わなければならぬようなものというのは、そういう分野だけはまた別に高く評価したり、昔でいきますと日本の国を興すために輸出を促進しなければいけないときには輸出の貢献の大きいところを特に高く評価したり、そういうことはやったりしておりましたし、経済情勢において特に評価しなければならぬところを高く優遇するというようなことはやっているのです。それからまた、経営に当たっている個人がいろいろな審議会でいろいろ御功績があり、御協力いただいている。そういう御努力はまた別に評価してそれに上積みしたりというようなことはやりますし、特に国際的な企業の方でありますとその国との友好親善に非常に役に立っているというふうな話があれば、これはまたプラスアルファーするというようなことで見たりはするのですけれども、そこら辺にはっきりした物差しがあるかと言われると、それはぴたりというのがなかなかないということでございます。
なかなか年限とか立場というものの判定はどうカウントするか、難しいところでしょうね。
可能性がありますか、そういううまい評価手法ができるかどうか。
多分どういう尺度というか、物差しをつくってもいろいろ異論が出るのだと思います。特に民の場合には余り人気投票になってはいけませんけれども、やはりある程度尺度をつくって、間尺に合わないならばそれは少し変えなければいけませんが、むしろそれを使ってどういう人たちが決めるのかというところに少し民間が入るとか、第三者が入るとか、しかもその人たちも固定化しないでとか、それは一つのルールとして、そこが固定化していると偏ってしまうのではないかといろいろありますけれども、そういうことをひとつ入れることによって尺度そのものもアップツーデートされるし、一方それを使ってやる人たちも固定化しない。それで嫌だと言えば、これはパーフェクトはなかなか期し難いですから、ある程度そういうような工夫をしていく。
それで一方で、これはさっき申し上げたかどうか、官がこういうことをやるのはおかしいのではないかという意見も民間にはあるのです。私は個人的にはそれは非常に重要なパブリックサービスであって、極論を言えば官がやるのがおかしいというのではなくて、官がやるそういうパブリックサービスがおかしければ官のやり方がおかしいので、別に官という人がやっているのではなくていろいろな人がやっているわけですから、サービスとしてはパブリックサービスとしてそういうものは非常に重要な部分だと思います。それを民間だけでやったら、さっき申し上げたことをやってもむしろなぜ彼にそんな資格があるのだとかどうだとかという議論はまた出てくるわけで、ある程度民は入った方が良いと思いますけれども、基本的にはパブリックサービスとしてやっていくのだということは私は変える必要はないのじゃないかと思っています。
今のお話は、全部民でやるということはちょっとあり得ないので、やはり選定をするのはもともとパブリックサービスの仕事なんだけれども、民の意見を反映したり、その尺度そのものはダイナミックに時代に応じて民を自ら見ている、民の中にいる人の尺度と言いますか、提案できるような仕組みというのは。
賞勲局長 生存者叙勲を再開するに当たりましてもいろいろな方の意見を反映できるようにというようなことで、例えば栄典の有識者会議というのがあったりするのですけれども、そこら辺は個別の審査自体を例えば4,500名、4,600名を審査いただくなどというのはできないと思いますが、今おっしゃったような物差しをどうするかというようなことを御議論いただくのはかなりできると思います。物差しの方も余り変わり過ぎるとまずいので、ある程度の期間は固定できなければいけないだろうと思いますけれども、そういうものをいろいろ御相談するシステムはつくれると思います。というのは、過去に3回、例えば栄典法案が合意されましたけれども、いずれもそういう審議会をつくるというようなことが必ず入っていましたし、そういうようなシステムは今後も必要だろうと思います。
推薦方法とか選び方などというのは公開されているのですか。それは公開すべきものではないのですか。
賞勲局長 今回、余り例えば基準が公開されて、これがあったらもう表彰されるのだという権利というふうにはならないのだと思います。日本国民全体の中で表彰されるのが人数からいきますと年間に1万とか2万のオーダーですから、全部が対象になっているわけではないので、そのうちだれがセレクトしていくかというのはまた難しいところではあろうかと思います。
決定するまでは公開しませんよね。これは難しいですね。
尺度そのものをどこまであれですね。疑問が起きる、その疑問を解消するためにはある程度情報公開が要ると思いますが、例えば尺度の厳密な、実際におれが該当しているかどうかなどというところまで公開するのは確かにおかしいですね。しかし、性格的にどういうものが選ばれているというところはやはりある程度わかった方が良いですね。
賞勲局長 例えば今、叙勲基準というのが閣議決定で出ておりますけれども、非常に抽象的になっていますが、どこまである程度イメージのわくようなものが出せるかということになろうかと思います。
我々のいただいた資料の中に、やや抽象的だけれども基準があって、それによって対象になるであろうという人たちの名称がリストアップされたものがありますよ。名称というか、例えば警察官、消防だとか、ああいうのは我々はもらっているんだけれども、あれは公表されているんですか。
賞勲局長 完全に表に出ているのは、昭和38年の生存者叙勲再開の直前に閣議決定している叙勲基準というものだと思います。
叙勲基準で、あれは抽象的な文章でしょう。だけど、その文章によって選べる叙勲の対象たり得べきものとして名前が挙がっているものがありましょう。あれは公開されているのですか。
賞勲局長 叙勲基準の中でいきますと大きく3つの分野がありまして、1つは国、公共団体の公務に従事した者というのがあります。それ以外の方々、民間ですけれども、分野が列記してありますが、大体民間の分野を全部網羅しているという格好になっていますので、そういう意味からいくとどういう方でも対象になり得る。公務に従事したか、あるいはそれ以外の分野で活躍した方、それから勲等につきましては功績のある方が6等、著しい功績のある方が4等、特に著しい方が2等という大ざっぱな書き方でございます。それから3項目目が、例えば殉職でありますとか、そういうような方についてはまた別途出るという形で書いてありますけれども、世の中に出ているのはそれだけだと思います。
こういうの(叙勲対象分野例)は出ていませんか。
賞勲局長 そこまで細かいのは出ていません。それは対象分野ですね。これは、例示として挙げている形でございます。
そういう職種とか、いろいろ推薦するような母体みたいなものがあれば良いと思う。
民はいろいろなケースがあるのでしょうけれども、割に工業界とか、それからその担当行政所管官庁を通じて、例えば会社によっては通産もそうだし、郵政もそうだしということでどこをメインでやるかとか、それはいろいろありますね。
さっき諸外国の例がいろいろありましたけれども、今の推薦の仕方というか、決定に至る一つの手続きですね。ほかの国でその辺はどうなっているのか。私の認識では、例えばイギリスなどは女王の権限というか、それをサポートする英国政府のその掌にある人が虚心坦懐、公正無比に判定するというのが割に確立しているのではないか。それがパブリック・サービスとして行われているのではないかと思うのです。
ほかの国がどうか私は知りませんし、わかっていればいずれ資料として拝見できれば参考になると思います。推薦の仕方とか、こういう人が埋もれているけれどもどこでも拾われていないではないかということを指摘するとか、官民を問わずなるべく漏れないように拾い上げるようなシステムが、今やや不十分ならば、それを更に整備することは必要かもしれませんが、やはり、判定して決定するのは国の業務じゃないか、パブリック・サービスの業務ではないだろうかという気は、私はいたします。つまり、だれにどういう勲章を与えるかについて、地方の有力者にお願いすれば良いとか、政治家に頼めば良いとか、そういうようなことになっていくと乱用につながるので、推薦とか何とかでいろいろ意見がもっと入ることは賛成ですけれども、最終的に決めるのはやはり国家というか、政府というか、その任務でなくてはならないと私は思います。
これは当然な話ですね。
今の時点で可能性としては、特に民について問題があるということだと思うので、その民の尺度のいわゆる時代の変遷とともにアップツーデートするような仕組みというものを入れられるかどうかというのが現実的な一つの指摘点になるのでしょうかね。それは現実にどういうふうにして良いかということはまだわかりませんけれども、それはかなり民にとっては意味のあることですね。
このパーセンテージを相当引き上げるためには、公平に官の評価に対して同じような民の推薦の仕方というのでしょうか、業績評価、これが官ではわからない場合、民の方からでも推薦して、判定するのは国の仕事であるということですね。そういう上げ方ではないのでしょうか。
そうですね。叙勲と褒章で、褒章の方は私も全部調べてはいませんけれども、感じからすると余り地方区、全国区という差はない。だけど、叙勲は明らかに、特に民なんか見ているともう最初から決まっているというか、それを言ってはいけませんけれども、これはやはり考えなければいけないところかもしれませんね。一方でむしろ地方にいろいろな形でこれから新しく光を当てていこうなどというときに、やはり民の部分で中央財界の主たるポストになるとか、そういう話というのはもうそろそろ逆差別してはいけないと私は思います。
ですから、資本金とか売上げというものがそのファクターになり得るのか。単純に考えれば、資本金が大きいところというのは人間が多いですから、社長になるのは勝ち抜いてきたとかという意味にとれるのだけれども、企業の意味というのは必ずしもそういうものではありませんね。資本金が大きいというのは余り働かなくても社長になれるということかもしれないし、それはよくわかりませんがいろいろな意味がありますから。
最近は資本金が大きいと利益率が低くなりますから、国際水準から言うと非常に評価は低いですね。
そういう違う時代に応じた考え方というのはあろうかと思いますので、それは検討の余地があるということでしょうかね。
民のお話が出ていますが、特に民の場合で私が考えているのは、先ほど推薦母体のお話が出ておりましたが、官の方の推薦母体というのは割にはっきりするのかと思うのですが、民の場合はいろいろな業績が各分野にわたるということもあるのではないか。例えば、企業の方であってもその企業の御自分の社業とまた別個にいろいろな文化的な、国と国との交流とか、そういうふうなことに御貢献になるとか、そういうふうになっていったときに御功績が推薦母体に当てはまるところならばそこで業績評価がすぐできると思うのですけれども、これがいろいろな分野にわたっているときに、ある一つの推薦母体が自分のメインのところは評価ができるけれども、それ以外の御功績に対してどういう評価が的確にできるのかなという思いがしています。そういう意味では、一つのところに秀でた方というのは非常に功績調書も書きやすいし、推薦母体も評価ができるけれども、多方面にわたるような方の場合に低くなってしまうのか。そこはまた、だれがするのか。これは少し疑問を持っておりまして、これからの社会だと特に垣根がなくなるということがいろいろな分野で言われるわけですから、その垣根がなくなったところでの御功績をどう評価するか。また、繰り返しになりましたけれども、だれがするかということを少し考える必要があると思いました。
賞勲局長 確かに多方面の功績をお持ちの方が非常に多いのですが、今、推薦の仕方は各省経由で推薦が挙がってくるというのが大前提なのですが、そこで推薦してくるところが全分野についての履歴書といいますか、功績調書を出してくるという前提になっています。それで、私どもが見るときにそこの業績だけを見るのではなくて、全般を見て総合的に評価するということに努めているわけなのですが、例えば表彰歴などを見ますと、通産省から推薦がきても厚生省の表彰を受けているとか、いろいろな表彰を受けておられる方がいらっしゃいます。そうすると、そういうところの何か業績があるのではないかということでそこをまた見る。それで、必要に応じてその関係の省庁からの推薦をいただくというようなことをして、できるだけ総合的に見るようにということでやっております。
その総合性というところは賞勲局が役割を持っていらっしゃると考えてよろしいわけですか。
賞勲局長 その辺のところを書き忘れてくると本当に困ることもあり得るわけですが、我々もそういう表彰歴や何かからできるだけ関係のあるところは探した上で見るようにはしているつもりでございます。
ただ、おっしゃるように多方面にわたってといっても1か所ずつ見ると余り大きな功績がないという方になると、推薦順位が低くなってしまって出てこないというのがあり得るのです。その辺は我々もちょっと困ったものだと。総合的に見るとかなりの人なのだけれども、1か所ずつ見るとずっと下の方だという方があり得るものですから。
具体的な例は出しませんけれども、そういうことはやはりあり得るなと思ったのです。ですから、それを総合的に見るチェック機能があるということならば私の発言は全く杞憂なのですけれども、貧しい経験ですが、ある推薦母体が明らかにそのことを評価に入れなかったことがあって、ちょっと低いのではないかと言われたら、後で、いやあそこの領域でこういうあれがありましたよというのがあったのです。事例はその1つしかないのですけれども、そのときに私がそのことを強く思いまして、その方自身は、私はこれもありますなんておっしゃる方でもなかったし、淡々としていらっしゃったのですけれども、横で見ていて後でわかってそこの推薦母体はちょっと慌てていらっしゃいましたが、そのままいきました。だけど、こういうことが、特にこれまでの社会ではなくて、これからの社会にはあり得るかなと思ったので、民の場合、特に推薦母体とその推薦の基準と総合化というところをだれがするかという問題については考える必要があると思います。
要するに、総合性というのは一体何なのかですね。足し算なのか、最大値を取るのかとか、いろいろあるのだけれども、それは定量的ではないと思いますが、どうですか。いろいろな分野でいろいろな業績があると、それで評価が上がってくるものなのかどうか。
賞勲局長 やはり幅の広い方の方が評価は高くつきます。
幅という概念はあるのですね。
賞勲局長 例えば、1つの都道府県内の団体をいろいろやっておられる方でも、商工会議所で推薦を受けましても、福祉の分野にも顔を出しておられるし、公安委員会の委員長をやっていたり、いろいろな分野で活躍しているという方になりますと、単独で見ると例えば5等格のものが幾つかという話になりましても、全部総合評価して例えば3等ということもあり得るし、それはあり得るんですが、ただそれをちゃんと全部網羅して書いていただかないとこちらが見られないということがあるんです。
それは推薦の仕方の問題ということですね。
私も現役時代に若干推薦に関わったことがありますが、なかなか本人は言い出さないのですね。言い出す人は例外であって、むしろ周りが、あなたはこういう面もやったのではないかとか、いろいろな審議会に出て取りまとめをやったのではないかとか、その他ボランティア的なこととか、周りの方は気が付くけれども、御本人はそんなことは自ら言い出さないということがある。これは賞勲局で既になさっていると思いますけれども、やはり推薦を求めるとき、受け取られたときに、その点をよくチェックされているとは思いますが、なかなか本人が言わないという部分については、ある程度の補強を考えても良いのではないかという気は実感としてはいたします。
大体いろいろな問題点が出てきたのですが、今日はもう少し等級について御意見を伺っておいて、今の日本の等級はいずれにしても多いと言われているのですが、等級を付けるのが良いかどうかという問題と、付けるとすればどういうような、外国より日本は多そうですね。その点についてひとつ御意見を今日は伺っておいた方が良いかなと思います。
私は、功績である以上、等級といいますか、グレードの付くのは当然だと思います。ただ、それが多過ぎるかどうかというのはもう一つの問題ですね。それで、外国の制度がそのまま良いとは必ずしも思いませんけれども、8階級というのはやはり多いのだろうと思うのです。特に最後の7とか8とか、あの辺にいくともう区別がなかなか難しいぐらいになっている。ですから、さっきちょっと出ましたけれども、これを切り捨てるということになるといろいろ問題があると思いますし、それからまとめるくくりが大きくなればまたこれは不公平が出ると思うのですが、そういうバランスの中で考えればやはり7、8とか、6とか、この辺のところは何かまとめても良いのではないか。例えば、従来8であるものが仮に6に上がったにしてもそんなに不公平なあれはないように思います。だから、許容できる範囲で私は簡素化というものがあっても良いのではないか。それから、1等とか2等というものは可能ならば固有的な名詞にして、勲章の形態等によって呼んでも良いのではないかと、こんなふうに思います。
確かに多過ぎるというよりは、きっと細か過ぎるのでしょうね。だから、細か過ぎるところを少し大くくりにするのは私も賛成なのです。しかも、123というのはいかにもあれですから、そこは変えた方が良いと思います。
ただ、今5、6くらいまでとおっしゃいましたから5ぐらいなのか、そこはわかりませんけれども、とにかくそこを少しまとめるという言い方をすると変ですがあれして、皆さんがしかし気持ちよくもらえるようなスタイルは残しておかぬといかぬでしょうという感じがいたします。だから、基本的にそういう意味では減らす方に賛成ですし、単独は無理でしょうね。1つでというのは無理ですから、それはやはり当然だと思います。
いかがでしょうか。特にこれ以上細かくせよというような御意見はないでしょうね。
今の旭、瑞というふうに同じ等級でもあるのですが、あれが一般の国民には何でだろうと、非常に単純な疑問なのです。それならば、例えば1から8まで旭、瑞があるならば、1から16までとか、その方がわかりやすいのではないかという声を昔、私は聞いたことがあります。そのとき私は勲章とは全く関係ないところにおりましたので、ああそうかなという思いで聞いていましたけれども、今度こういう見直しということになりますと、わかりやすい表現法がやはり必要なのかなという感じがあります。
しかし、さっき言いましたように今までこの栄典制度というのはずっと続いてきた経緯がありますので、そういう過去の経緯、歴史との整合性はやはり図られるべきだろう。全く違うものをつくるのではなくて、整合性を保ちながらの修正といいますか、そういうものが国民にはわかりやすいのかなと。今度もし等級を数字でなくて名称でお考えになるならば、わかりやすいものの方が私は国民の皆さんの納得が得られるのではないかなという感じがしております。
それから、確かに今の十何種類というのは少し細か過ぎるのかなという感じはしますが、今日の資料を見てみますとやはり旭、瑞、それなりの役割を今まで持っていらっしゃるような感じがしますね。こういう点との整合性をどうしていくのか。突然、平成何年度からぽんと新しいものに変わったときにどうなのか。こんな点もやはり頭に置いておく必要があるのかなと。
それから、話がちょっと戻りますが、先ほどの推薦と民の場合の尺度の話なのですが、例えば、病院と保健センターが一緒になって周りにいろいろな老健施設その他の保健医療福祉の総合施設をつくり上げておりますが、同じような機能を持った民があるのです。最近はむしろ公よりも民の方がたくさんそういうものをつくっている。特に今度の介護保険が機になりまして、地域の住民の方にとっては非常に喜ばれているのです。それで、民は民なりの手法とか知恵を出していらっしゃいます。そういうものが今の叙勲の基準にはほとんどありませんから、それをどうするのか。病院は病院のベッド数だけで、そして福祉施設は福祉施設だけのあれがありますけれども、保健医療福祉の世界は今や統合される時代になりつつありますので、先ほどの官民の格差、民をもう少し拾い上げる、そういう尺度という話が出ましたけれども、そういうことからも何か考えておく必要があるのかなという感じがしております。
そして、推薦方法についても総合的にと局長はおっしゃいましたが、そのとおりだと私も思います。一つの切り口だけで見ますと、やはりどうしても低い等級に押さえられてしまって不利になる方が出てこられるのではないか。今、言いました保健医療福祉を横断した施設を持ってサービスを提供していらっしゃる方は、そこの地域社会には非常に貢献していらっしゃると私は思いますので、そういう民の方が少しでも拾い上げられるような仕組み、尺度あるいは推薦方法で是非お考えいただけばありがたいなと思っています。
前回も問題になりましたが、こういう賞というのは必ずある種の何をもってよしとするのか。公共心というような立場、公共性という立場から何が良いのかという一種のメッセージを出してしまうことになりますね。ですから、そういう意味で現在のこの叙勲制度なるものが我々が日本に持つべき公共心、公共性という方向に対してきちんとしたメッセージを出しているかという観点からの全体的な検討というのは、本当は基本になければいけないんですね。
それをきちんとしないと、若い世代というのは完全にそっぽを向くと思うのです。だから、やはり今、言った等級は必要だという説明をきちんとして、そうした上でわかりやすい名前を付けて、若い人にも勲章の意味とか、栄典ということをやる意味とかということをきちんと説明していかないといけないと思うのです。今の段階ですと、私の教えている大学等々でこういう話をしても、ほとんどみんな興味を持たない。私のところに今キャリアの学生さん、キャリアの公務員の方が来ていますけれども、彼らに聞いてみてもそれは随分遠い話だと。それから、役所のそのセッションにいったらなかなか面倒臭いし大変だとか、そういう話は出るのですけれども、それは仕事であればやりますよみたいな感覚ですから、そういうことではなくてもう少し意味のある。つまり、若い人にとって意味があるというふうな説明の仕方の工夫が要るのだろうと思います。
これが時代に即応したポリシーというのですかね、等級制度はそのままに存続させても良いですから、公務員、国のためにやっている、これも長年の伝統で栄典制度しかるべきですけれども、今度は新しい民とか、その解釈にそういう奉仕するというか、大きく社会に何か貢献していくということをポイントに、あるいは企業で、あるいは医療で、教育面で、いろいろな社会活動でこれを評価するということが一つあれば若い人は理解できるのではないでしょうか。
しかし、若い人は生死の問題と同じで時間的に縁遠いですから。しかし、みんなそんなの問題ではないとか、要らないと言っても、ある年齢がくるとみんな欲しくなるというのは人間的な正直な面がありますよね。はるか彼方の70歳のことを今20代の人に言っても、それはぴんときませんよね。ですから、ある意味では褒章でたとえ若くても立派な行為をやったら、そういう点で国民栄誉賞とか、総理大臣顕彰があるわけですよね。これはオリンピックで活躍したり、いろいろな貢献をやれば年齢に関係なく褒章制度を出す。しかし、こういう栄典でも余り知られないような世界、社会で貢献しているのにも推薦していくという精神だけうたっておけば違うと思います。
そうですね。ある意味で民の方は非常に難しいのだけれども、等級の話ですね。今のお話に関連して言うと、官の方は割合と付けやすいという話があるのですが、付けやすいということはある意味ではスタンダードな標準的な尺度があるということですね。そうしたときに、現実には例えば一般職、行政職の人は極めて少ないというのが1つありますね。それで良いのか。それから政治の世界の人が非常に上で、政治というのは偉くなりやすいのかどうか知りませんが、勲1等というのはやはり政治家が多いですね。それから、警察官などで本当に命をかけている人というのは数は多いのだけれども、例えば勲1等にはなれないとか、そういう決め方にも問題があるのではないですか。例えば、官ならば官というのを挙げたときに、そこに何かエクスプリシッド(明白)に政治家は偉いのだぞ、警察官はそうではないのだぞというようなものが暗黙のうちにあって、それはメッセージとして意味があって良いのかもしれないのだけれども、そこのところが本当に良いのかどうか。これは、やはり我々として考えなければいけないと思います。
さっき御質問のあったどのぐらいの段階がふさわしいのか、私もどのぐらいかということはわかりませんが、少なくともグレードのあることは当然あってしかるべきだろうと思いますが、感じから言うとさっき申し上げましたが、一応6から7、8は1つだって良いのではないかという感じがするのです。それから、むしろ2から5が優れた者で、今の1に相当するというのはよほどのことがなければ出ない。だから、とにかく1から6で区分けするのは私はやはりやめた方が良いと思います。
それで、今おっしゃったことについては、これはやはり一般の人はそう思うのですが、おっしゃるように本当はそうではないかもしれないけれども、印象からすれば何か政治家とかありますね。別に固有名詞を挙げる必要はないし、えっ、この人がなどとみんな思う人もいるのですけれども、もっと重要なことは、この人たちのポストで決まるのか。あるいは、何年やったら自動的に決まるのか。本当はこの人たちの成果を評価するのは私たちではないかとみんな思っているわけですね。なぜ私たちはこの人たちの評価に全然加わらないのだと。ですから、それは非常に抜本的な矛盾だと思いますね。政治家の評価というのは国民がするのではないかと。これはポピュラーボートになってはいけないから、やはり基本的にはそこはちゃんと公平なパブリックサービスとして、されなければいけないのだけれども、そこに民の意見が全然入らない。何かポストで自動的に決まってしまうということになってしまうと、それは良いのだと。これは70歳で過去のこととして御苦労様でしたという評価なのだからどうでも良いのではないかと。
どうでも良いのではないかと言っては困るわけで、やはり自分たちのものとしてみんなある程度斜に構えないで、よそを向かないものにするためには、今の状況というのは実際に個々に受けておられる方についてはふさわしい方が大部分なのだけれども、やはりそうではない、おかしいなというのもある。これは民もそういうのがありますけれども。
難しいですね。確かに政治家というのは選挙民に選ばれてはいるのだけれども、その選挙民の選んだ積算量というのが今は章の位になるような感じですが、選挙民の選択ということと、この公的なパブリックな国民の立場で賞を与えるというのは同じかどうかというところがまだ詰められていないと思うのです。それである程度説明していく必要がやはりあるわけで、説明してそれでよければ皆さんそれで納得するわけなのだけれども、今は何となくそこに理解し難いものがあるという印象を与えていますね。これは説明が不足しているような気がします。
この懇談会では栄典制度というものはやはり残していくというか、何らかの形で存続した方が良いと、前回のときにそういうふうにオーソライズして座長がお話しくださったと思います。新聞でもそういうふうに拝見しました。だけど、等級はやはり残すということももう大体そういう方向になったのでございますか。
そこはまだですね。
表現は別にして、等級というかグレードですね。
グレードです。ごめんなさい。そのことについてもよろしゅうございますか。私自身は個人レベルでございますけれども、基本的には人に等級、特にナンバー等級というのは付けるべきでないと個人的には思います。ただ、その功績の評価という以上は何らかのグレードと申しますか、それはあるだろう。とても良いよというのと、まあまあ良いよと、これはどうしても評価である以上レベルは出るだろう。ですから、そのレベルをどういうふうに表現するかという問題については、私は等級を付けるべきでないという意見にもかかわらず、やむを得ないだろうという考え方を持っております。ですから、どうしても何かそういうものを付けるならばなるべく大くくりが良いというふうに思います。
それから、これから価値観がますます多様化するわけですから、私は価値観が変わったから今年はこれでいくとか、来年はこれでいくとか、価値観の多様化に非常に対応するなどというふうな言葉を軽々に使ってしまうと何が何だかわからない制度になってしまうので、ここら辺は価値観の多様化と言いながら、そしてそれに対応ということを言いながら、しかしある程度存続可能な制度にしていかなくてはならないだろうなと考えております。こうすれば良いという提案をまだ持っておりませんけれども、ちょっとそのことを考えます。
ですから、大くくりにしたときに私は絶対よいものから始めたら良いと思うのですけれども、絶対良いものというのは、ほとんどないというぐらいのものをつくっておいても良いのかなと思っておりまして、政治家の方で1等というのがざっと出てしまうとそれ以上なくなってしまうわけなので、これで全部なのかなというふうに大変疑問を持つので、絶対というのはそんなものはないのだというぐらいのものが一つあって、それからいろいろな大くくりの何か表現で評価をするということならばみんなの納得が少しは得やすいかなというふうに思いました。
今のお話と大体同じなのですけれども、先ほどから聞いていて皆さんの御意見はもっともなのですが、我々の立場からしてまず先ほども出ましたようにわかりやすくなければだめだということと、その意味ですね。先ほども、もらった章の名前で意味がわかるようなものが良いなということも感じますし、あとは今までのやり方ですと例えば市の段階でこれをもらって、次に県でこれをもらって、次に国というふうにだんだん上がっていって、今度は国の何とかというふうに大体わかるというような、そういうものが現状だと思いますので、そういった決まったコースでいく人もあるかと思いますけれども、やはり選ぶ段階の人で違ってくると思うのですが、決まったコースではなくていろいろな視点で見られる人をどんどん入れて、それは民間になるかとも思うのですけれども、そういったいろいろな視野で、先ほど総合的なという言葉が出ていましたが、本当にそこら辺を強調して選んでいただきたいなと思います。
あとは、民間の数で先ほどお話がありましたけれども、数よりもやはり中身だと思いますので、余り数にこだわらず、内容的にこういうものだという理解が得られる内容であれば数はそんなに考えなくて良いのではないかなと思います。
確かに今のお話はちょっと違う角度で言うと、どなたかが多様化の時代とおっしゃいましたね。多様性ということで言うと、パブリックサービスだって確かに、いろいろなサービスがあるわけですね。実際に政治の世界にのってばんばん選挙民に選ばれて大サービスするというパブリックサービスもあれば、全然見えないような、今の言葉で言えばNGOのような働きをしながら奉仕活動をして大サービスをするとか、それが一つのスケールで比べられるのかという問題があるわけですね。恐らくそういうふうに考えていくといろいろなカテゴリーがあるわけで、もちろん官の制度に乗っていっても良いわけです。あるいは学問でやって公共というものについて大きなサービスとか、いろいろなやり方がある。
それをリニアスケールに今、乗せているわけなのですけれども、そのリニアスケールという考え方が良いのか。あるいは、ある程度グレードなのだけれども、その中に質みたいなものが入ってくるようなグレードというのが要るのかどうか。そういうことも少し考えて、ある意味では外国の賞などにはそういうものはありますね。グレードではあるのだけれども、それはある程度質の違いを表している。単なるスケール、量的なものではないというか、どういうコースでサービスしたものがこのカテゴリーに入ってしまうとか、そういうのもありますよね。それは褒章ではおおむねそうなのだけれども、勲章でもそんなものがある場合もあって、その辺をどういうふうにするか。しかし、逆に余りわかりにくくしてはいけないわけで、わかりやすく、かつもらった御本人が理解できるという、難しい問題がありますね。
参考のために聞くのですが、海外だと日本で言うような官民格差ではないけれども、そういうものはありますか。
フランスだったら、兵隊さんの位ですよね。将軍、指揮官、将校、佐官、尉官、下士官と、これは勲1等、2等もみんなそうですね。かつてはそういう兵隊さんの位ですから。
例えば英国ならば英国でやはり幾つかに分かれていますね。最高位ならば最高位で、官民も両方とっているケースもあるということなのか。そうは言いながら、実際には最高位というのはプライムミニスターであったり、実際にはどうなんですか。
賞勲局長 実際に受章されている方の実態はちょっとわからないので、調べてみます。
余りそういうことを向こうで議論されているのを聞いたことがないからあれなのかもしれないけれども、どうなのですかね。
賞勲局長 フランスなどはやはり公務員が多いというような話は聞きますけれども、それで特に問題になっているとか、そういう話は聞いておりません。ただ、あそこは大体5等をもらってからだんだん上がっていくという関係なので、最高の方がどのぐらいいらっしゃるか。たしか定員があったと思うのですが、どういう方がなっているかはちょっと調べてみます。
アカデミーフランセーズなどは定員なのです。私もフランセーズアカデミーの外国人会員なのですけれども、20名というのが決まっております。それで、亡くなったらだれかが推薦して全員OKでないとだめなのです。会員が一人でも異論をとなえるとだめになるのです。
そういうのは全然違いますよね。コオプテーションというのですか、会員自身が自分で選んでいくというのはですね。これはそうではないから非常に難しいですね。
これは地位というのですか、ルールから言えば地位で総理大臣とか、大臣とか、学長でも東大総長とか、禄高というのでしょうか、それがはっきりしていますから、これは抽象的な研究でどうだという場合、なかなか比較が上の方にいくと難しいですよね。やはりトップにいた人でないと評価し難い。
やはり公私、官民、いろいろな功績というものを勲等勲章の中でだけ解決しようと思ったらなかなかうまくいかぬと私は思うのです。やはり褒章とか、その他の賞がありますね。国民栄誉賞もあり、あるいは総理顕彰もあり、あるいは公務員については人事院総裁賞とか、その周辺にいろいろな制度があって、それらをここの議論ではそういうものまで別にあれすることはありませんけれども、少なくとも褒章と勲等勲章というものは一体のものとして考えて運用していくようにしないと、私はなかなか対応できないのではないかと思います。もちろんそうは言ってもそれは例えば民における功績の評価の方法をできるだけ客観的にしていくという努力は当然しなければいかぬと思います。
そうすると、今の後半の議論は調べるべきことというか、全体としてやはり余り多くしない。少し少ないような圧縮したような例でたたき台を事務局につくっていただきまして、それは簡単なもので良いと思うのですが。
7、8はまとめて。
そうですね。そうしたときに一体、次の変わった翌年にどういう現象が起きるのかぐらいのフィージビリティスタディ(可能性の検討)とか、どういう問題点があるのか。圧縮したときに何が起こるのかというのはやはり問題点を指摘していただきたいと思います。
去年の8等と今度の6等で同じ立場が変わったとなると、これはまたあれですから。
それともう一つ、話の途中で私も申し上げたのだけれども、例えばパブリックサービスでももちろん民間もあるのですが、官の中でも政治、行政、現業みたいなものがあって、なぜそういうランキングになっているのかですね。全体的にずれがあるというか、平均値に違いがある。それは一体何が原因でそうなっているのかというのを簡単な説明可能な尺度というのですかね、そういうものでお示しいただくと、そういうところを是正すべきかどうかなどという話もありますね。それは最終的に出てくる、だれが選ばれたかということはみんな見えてしまうわけですけれども、そういった問題もちょっと検討してみる。そんなことで、尺度論をもう少し次回やるということですね。
民間についてはこういう尺度をダイナミックに、時代が変わるわけですから、常時見直すような民間からのインプットが取れるような仕組みとして今どういうことを行っているかということと、これから可能なものがあればどうなのか。そんなことを少し次回にやや具体的に詰めていってみたらと思います。
民間の閣僚級をどういうバランスでカウントするのかですね。立場は違いますけれども、そういう公平な評価というのが必要でしょうね。
吉川座長 それで、ちょっと時間がなくなってまいりましたので御相談ですけれども、この次の会合でヒアリングをやろうということをたしかこの前、予定していたのですが、今日のお話もありますのでできるだけ幅広くいろいろな分野の人の意見を聞いたらどうかということで、今、考えられているのは例えばマスコミとか、あるいは評論家というのが一つの分野かどうかわかりませんが、司法の方とか、あるいは教育の現場の人、それから民間では特に中小企業の経営者と、そういう分野の人から話を聞くのが良いかなという気がするのです。もうどこかで意見が出てしまったような話ではなくて発掘するという意味で、今まで余り聞いたことのないような方々から聞くというのが大事だと思うのですが、特にそういう形でこういう分野で聞いたらどうかという御提案があれば、今のところ考えているのはマスコミ、評論、司法、教師ですね、教育の現場、それから中小企業の経営者という方々です。そんなところで少し計画してみてよろしいでしょうか。ヒアリングは次回のワンチャンスなのですが、そんなところで伺ってみて、その後また議論を続けようというふうにしたいと思います。
それで、次回は1月15日の10時から12時まで、それから第4回目が3月19日の10時から12時までとなっておりますのでよろしくお願いします。
さて、今日のまとめというのは私も余りよくできないのだけれども、よろしいですか。官民問題についてはやはりもう少し内容を見なければいけないし、官民問題はそれほど本質的な問題はないのだけれども、外から見ると何か官民の問題が見えてしまうのは一体なぜかということで、そういった意味で理解いただくためにしなければならないこととして1つは特に民間の場合の選出の尺度と推薦というか、決定の尺度ですね。それが問題になってくる。これを何とかしていこう。それから、官の方でも特に官が強いと見られる原因として官の中の構造の問題があるので、これをもう少し詳細に検討してみよう。こんなことで、表れてきたものをどういうふうに説明するか。その制度自身をどこまでいじれるかということはもう少し先の話になるのですが、現在見えていることの理由をもう少し突っ込んで議論してみようということで次回少し議論したいと、こんなことでよろしいですか。何か事務局からございますか。
それでは、どうもありがとうございました。またよろしくお願いいたします。
(以上)