栄典制度の在り方に関する懇談会第3回議事録

日時

平成13年1月15日(月)  9:55~12:00

場所

内閣総理大臣官邸大客間

議事次第

  1. 開会
  2. 各界からの意見聴取
    • 小池 唯夫  前日本新聞協会会長、前毎日新聞社社長
    • 岩男 寿美子  武蔵工業大学教授
    • 矢口 洪一  元最高裁判所長官
    • 高木 清文  青梅市立第一中学校長、全日本中学校長会会長
    • 大西 隆  大西衣料株式会社代表取締役会長、
              日本商工会議所中小企業委員会委員長、
              大阪商工会議所副会頭
                                             (敬称略)
  3. 閉会

議事内容

吉川座長  それでは、まだ時間が少し早いのですけれども、おそろいですので、始めたいと思います。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
第3回目の「栄典制度の在り方に関する懇談会」です。御多忙のところお集まりいただきまして、ありがとうございます。
本日の出席ですが、工藤座長代理、平山委員、藤森委員、柳谷委員は所用のため欠席と伺っております。
議事に入ります前に、この度新しく内閣府が発足いたしました。これに伴いまして、政府側から新たに御出席いただいております方々を最初に御紹介させていただきたいと思います。
坂井内閣府副大臣でございます。
西川内閣府大臣政務官でございます。 一言ずつごあいさつをお願いします。

坂井内閣府副大臣  皆さんおはようございます。ただいま御紹介いただきました内閣府副大臣に今回就任いたしました坂井でございます。よろしくお願いします。
私、古川官房副長官の高校の後輩で、九州の佐賀の方の出身なのですが、政治か何かやっていますと、地元でいろいろ恩師のお祝いの会とか、いろいろな人たちの会があります。そういうときにこういうのがあるとみんなで喜びますから、良いなと思う反面、地方で余り有名でない人でも、適正にみんなで喜ぶような社会をつくったらなという感じがします。個人的には本当は国だけではなくて、地方の県などでも、県市町村などでもそういう基本的な考え方が国民全部で共有して、地方でもそういうような表彰とかが適正に行われていくと良いなといつも思っています。今、森内閣でも教育改革がメインになっていますけれども、人に感謝する、みんなで喜びを共にするという風潮をつくっていくことが重要だと思っていますから、今日はこの懇談会、是非出席させていただいて、こうして皆さん方の英知を今後ともお願い致したいと思って伺ったわけであります。
私、ほかの担当もしているものですから、今日はこの後、経済財政諮問会議などの打合わせなどの会議もありますし、あとは西川政務官がこの分野について非常に見識もあり、また、意欲も持っていらっしゃいますから、今後とも政務官ともども、一生懸命皆さん方の御意見を拝聴しながらがんばっていきたいと思います。よろしくお願いします。

吉川座長  坂井副大臣ありがとうございました。
それでは、西川内閣府大臣政務官お願いします。

西川内閣府大臣政務官  このたび内閣府大臣政務官を拝命いたしました西川公也でございます。
初めて会議に出席させていただきますけれども、国民の期待と言いますか、本当に栄典制度に対する期待は非常に大きいものがございまして、新しい世紀にふさわしい制度を検討するというのは大切なことであろうと思います。私も一緒になって検討させていただきますように、よろしくお願いを申し上げてごあいさつにさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

(報道関係者退室)

吉川座長  どうもありがとうございました。
これより議事に入りますが、本日の議事次第ですが、お手元にありますように、5名の方々から順次御意見をお伺いするということになっております。
進め方ですが、お1人ずつ始めに10分くらい御意見を述べていただきまして、その後、10分程度質疑応答という形で進めたいと思います。
それでは、Iさん、よろしくお願いいたします。

 それでは、意見を述べさせていただきます。こういう機会を与えていただきまして、大変光栄でございます。

戦後、一時停止されておりました生存者叙勲でございますが、池田内閣の下で、昭和38年7月に閣議決定されて、39年の春から、この生存者叙勲が再開されたわけでありますが、当時私は毎日新聞の政治部記者として官邸クラブに所属しておりまして、この取材に当たって一面トップで記事を書いた記憶がございます。そういう意味で非常に生存者叙勲、栄典制度については関心を持って見てまいりました。
あれから37年経つわけでありますが、その当時も国会で生存者叙勲の再開についていろいろ議論がありました。国会でも賛否両論あったと思いますが、一部の野党の反対がありましたが、37年経って国民の間にこの栄典制度は定着したと思っております。
特に我が国の栄典制度は明治の太政官布告以来、125 年経つわけですけれども、その歴史と伝統があり、日本の文化を守る意味からも、私は存続すべきであると考えます。
また、国民からも大方の支持を得ておりますし、地方へ行けば行くほど栄典制度に対して期待が高まっているという面もありますし、現代的な意義も失われていないと考えます。
今いろいろ議論になっております官と民の格差の問題でありますが、我が国の叙勲制度は明治以来国家に対する功労という考え方から、官がどうしても中心、民に薄いという面があることも事実だと思います。私が会長をやっているときも、賞勲局から発表される分厚い叙勲の名簿が来るわけであります。どなたかに祝電を打たなければいけないということで見るわけでありますが、特に勲一等から勲三等、上位叙勲者を見ると、政治家がずらっと並んでいる。また高級官僚、法務、検察と言いますか、裁判官、検察官、それから国立大学の教授、こういう人が上位叙勲者では大半を占めている。民間の方ももちろんいるわけですけれども、全国版の新聞の記事になるということで特に目立つわけです。もちろん、警察官であるとか消防、小中学校の先生とか、いることはいるのですけれども、六等、七等、八等とかいう中でそういう人たちが多いわけですから、そういう人を除けばそうバランスが偏っているというわけでもないわけですが、特に上位叙勲者にそういう点が目立つという点で、官中心ではないかという批判があるのではないかと思います。
そういう意味で、もう少し民を増やすということも、今回の見直しの1つのポイントになった方が良いのではないかと考えます。
どうしても明治以来、国家に対する功労ということでありますから、そういう官中心的なものにならざるを得ないという面はもちろんあると思いますけれども、こういう時代の変遷を考えますと、国際社会に対する貢献であるとか、社会福祉と言いますか、社会的な貢献、あるいは経済発展に多大な貢献をした人、特に経国済民というくらいに経済の発展は国の重要な役目ではありますから、経済の発展に寄与した人、社会的貢献、あるいは国際的な貢献した人を評価すべきであります。また、今、地方分権が言われておりますが、地域における発展に尽くした人、こういう人を積極的に評価すべきであると考えます。
特に政治家について、慣行的に当選回数何回、それからまた、大臣何年やったという内規に従っていくと、旭一とか瑞一とかはどうしても政治家が多いわけです。
こういう制度ですから、当然内規に従って、余り恣意的にならない基準を設けるということは当然必要だと思いますけれども、この辺も政治家偏重という面があるのではないかという感じがいたします。
今、選挙でも政治家に対する批判の目が非常に厳しくなっているわけです。ただ、長く政治家をやった。あるいは大臣をやった。政治家としてどういう業績があったのかという面も、なかなかこういう基準の中に入れるのは難しいわけですけれども、そういう点について選挙民の厳しい目があるという点も頭に置きながら、この物差し、内規をどうするかということも非常に難しい問題でありますけれども、考える必要があるのではないかと考えます。
それから、等級の必要性、数、表示の方法等もこのままで良いのかという議論がありますが、叙勲を行う以上は、功労の度合いによって格付けはあっても良いのではないか。皆同じ等級というのでは、これもまた何のための叙勲かということにもなりかねないと思いますし、その辺格付けはあっても良いという感じはいたします。
今、自民党の栄典制度検討プロジェクト・チームの中でも、勲一等、二等、三等という数字で等級を付けるのはどうかという議論もありますし、財界の一部にもそういう議論があるようです。
自民党の栄典制度の検討プロジェクト・チームの改革案、これは旭日大綬章とか中綬章とか小綬章とかだけで良いのではないかという改革案を出されているようでありますが、これなども改革の1つの案ではないかという感じがいたします。
また、今八等級あるわけでありますが、これももうちょっと大括りしてまとめても良いのではないかという感じがいたします。
叙勲は大変名誉なことだということで、特に地方などでは五等、六等などでも、親類縁者、あるいは地域の人たちを招いて祝う会なども頻繁にやられております。そういう意味で私は、褒めてやることは、国家に、あるいは公のために役に立ったということで皆喜んでおるわけでありますから、数は減らす必要はないのですけれども、1割か2割くらい増やしても良いですから、そういう統合、あるいは等級の整理ということも必要ではないかというふうに感じます。
また、運用の問題で年齢が現在の70歳以上、また褒章については55歳、原則としてそういう基準があるようでありますけれども、この点については、私は長年の功労ということでありますから、ある程度そういう年齢も必要であろうと思います。
もちろん、例外はあっても良いわけでありますから、今の原則はそのままで良いのではないかいう感じがしております。
それから、褒章についてでございますが、これは私は大いに活用すべきであると思っております。黄綬褒章は業務精励、紫綬褒章は学術文化とか、藍綬が公共の利益、紺綬褒章が私財の寄付、いわゆる篤志家、これは余り適用されていないようでありますが、紅綬褒章が人命救助、それから緑綬とかいろいろありますが、特に私はここで意見として申し上げたいのでありますが、この緑綬褒章、この基準の表現が非常に古いのです。どういう人を対象にするか。孝子、親孝行。順孫、節婦、今、節婦などというのは余り使われていないと思うのですけれども、それから義僕とか、古くさいかびの生えたようなのが基準になっておりまして、徳行卓絶者ということになっております。
こういう時代で、17歳の親殺しとか、大変すさんだ世相でありますから、こういう緑綬褒章などをもっと見直して、例えばきんさん、ぎんさんのような、その地域で模範的な家庭とか、いろいろ時代に合った内規を考えて、緑綬褒章などはもっともっと活用すべきであると思います。これは昭和27年からずっと対象者がないようですけれども、この古びた対象では、そういうことになると思いますが、新しい時代に沿った活用の仕方を考えていただいたらどうかと思います。
それからもう1点、紺綬褒章、私財の寄付、篤志家を対象にしているようでありますが、私は多額納税者も加えるべきだと思います。憲法の中に納税の義務があるわけですが、今はもう非常に税金、特に高額所得者は多額の税金を納めているわけですが、戦前は多額納税者に対しては、特別に選挙権があったわけです。今は税金を納めるだけでそういう恩典はほとんどない。これなども多額納税することによって、国の財政、また地方財政にも寄与しているわけでございますから、この点も私は大いに積極的にこの褒章の中で取り入れるということが大事だと思います。
もちろん、脱税とか追徴、それから修正申告で納めざるを得なかったというのは当然除外しても結構でありますが、そういう点を是非考慮していただきたいと思います。

吉川座長  どうもありがとうございました。それでは、御質問等ございましたらどうぞ。

 伺っていて、大変ごもっともだと思ったのですが、例えば経済、社会に対する貢献というときに、大変失礼なのですけれども、取り分けマスコミとか報道各社というのは、これは政治も報道し経済も報道するメディアなのですけれども、メディア産業についてはどういうふうにお考えでございますか。

 これは人によっていろいろ考え方がありまして、例えば勲一等とか二等とか、あるいは三等、そういう声が掛かっても、その人の考え方によって辞退される例もかなりあります。これはもう個人個人の考え方であろうかと思います。また、喜んでいただく人もありますし、これはケース・バイ・ケースだと思います。

 特にその中での暗黙の了解とかはないわけですか。

 それは別にありません。

 1つだけ、年齢について、原則は今のままで良いのではないかというお話がありましたが、もちろん、例外は認めないということではないと思うし、原則、70歳と55歳というのは高過ぎるとお思いになりませんか。実際に官民は別にして、どちらかというと年齢の部分だと官の分野では、結構民に比べると若く登用されて、余り物理的な時間が70歳まで経つよりは、思い切って50歳と60歳にするとか、ちょっと70歳と55歳というのは、感じからすると、やや高過ぎるかなと個人的には思っているのですが。

 もうちょっと若くても良いと思いますけれども、ただ、今、会社の社長なども、大分若くなっていますね。そういう意味で70歳はちょっと高いかなという感じはします。ただ、現職でがんばっている人もいますからね。政治家なども、余り早くもらってしまうと、もう一丁上がりだというので、もらいたがらない人もいるわけです。これも個人的なものですね。
経済界の人で、危篤状態なのが、叙勲の対象になったと言ったら治った人がいたりするそうです。今はだんだん高齢化しているから、70歳と言っても今はみんな元気なのです。昔は70歳と言うと古希だと言われるけれども、今は元気ですね。私が70歳くらいで良いのではないかというのは、私の周りを見ると、70歳と言ってもゴルフをやったりしてがんばっていますから、そう高齢に感じないところもありますが、その点、70歳前後でも良いし、余り50歳とか何とかだと、もらう方も何か面映ゆい面もあるのではないかと思います。

 叙勲だともう上がりということでしょうか。

 今まではね。特に政界などはそういう感じがありますね。外国などはそうでもないですけれどもね。

 叙勲というのはもともとそうだったのですかね。もう終わった方に差し上げると。

 長年の功労と言うから、どうしてもそういう面があると思います。

 生存者叙勲を始めたときはそうですね。今までされてなかった方に一挙にということでされて、ある一定程度のところで評価するというのですから。

 ですから、若いころに非常に大きな仕事をしても、それはまたちょっと違うのですね。

 ちょっとよろしゅうございますか。今、先生おっしゃったのは、私ももっともだと思いますし、要するに、栄典制度というのは地方では非常に必要なというか、励みになっているという点では存続させるべきだと思います。しかし、選考基準などの見直しをしたらどうだろうというのが今のお話の御趣旨なのかと承りました。
その中で官民格差の問題をおっしゃいました。これは、数は確かに多いのですが、ちょっとお触れになりましたように、警察官とか自衛隊とか、ああいう職種の方々、これは当然公務員ですから、民にいらっしゃるはずがないですね。そういう数を除けば、そんなにひどくバランスは崩れない。数の上では良いと思うのですが、質と言いますか、中身のことで今いろいろおっしゃったというふうに理解をしたのですが、そういう理解でよろしゅうございますか。
例えば官の方が等級が高くて、民の方が低いとか。あるいは国の方が高くて、地方の方が低いとか、そういう格差を少し見直したらどうかと、こういうふうにとらえてよろしゅうございますか。

 はい。

 それに関して、選考の話でございますけれども、物差しが必要だというふうにおっしゃって、私も何か褒めると言ったときには、やはり物差しでちょっと差をつけなくてはいけないだろうと思うのですけれども、その物差しが難しいのでございます。どうしても経験年数とか、先ほど政治家でも、そのほかでも、年数をたくさんやっていることではなくて、その年数の中で何をやったかが問題だとおっしゃったのですが、そこら辺のところ、物差しづくりの何か御助言はないでしょうか。

 こういう栄典制度、何か物差しがないと、だれかから陳情されたとか、どこかから圧力が掛かって、今でも現実にあると伺っています。二等を何とか一等にしてくれとか、三等では、同じ民放の社長なのに、あれは二等で、何で俺は三等なのだと、これはあるのです。それはやはりある程度内規がないと、社長を何年やったとか、新聞の場合は発行部数がどうだとか、ある程度そういうものがないと恣意的になって、だれかに頼んで政治家の実力者に頼めば等級が1つくらい上がるとか、今でも瑞宝章が旭日になったりすることが多少あると聞いています。ただ推薦があって、基準なしに決めるということになると、そういう逆な弊害が出てくると思うのです。これは難しいと思うのです。ただ、だれが見ても、あれだけ政界において貢献したというのがはっきりしていれば、私は特別な扱いというものも、全部情報を公開した上で、こういう例外があってこういうふうにしたのだということでやれば、当然そういう点もはっきりさせる必要があるのではないかと思います。

 情報公開ですね。それと、だれが評価するかというところが非常に問題かなと思っているのです。

 地域ごとの推薦委員会みたいに、目こぼしがないように、その地域で本当にだれからも尊敬されているような良い家族であるとか、地域の模範になるようなボランティアをやっているとか、それも理由を明らかにした上で叙勲をするということも必要ではないかと思います。

 私も1つお願いしたいのですけれども、褒章の種類のことなのですけれども、私たちからするとすごくわかりにくいのです。この章はこういう人がもらうのだという、名前そのものが、何とか章をもらいましたと言っても、どういうことでもらったのかというのがつながらないので、もっとわかりやすい言葉の褒章にしてもらいたいなと思っているのですが、その辺いかがですか。

 先ほど申し上げましたけれども、緑綬褒章などは、私は見てびっくりしたのです。義僕などというのはどういう人なのか。ヤクザではないかと。この辺のところ、お役所というのは何となしに前にやっていたらからそのとおりにやるというのが多いわけですけれども、良い機会で、こういう栄典制度を見直すということでございますので、そういう気づいたことをどんどん今回改めていったら良いのではないかと思います。今はちょっと色分けが多過ぎるような感じがします。「綬」という言葉も難し過ぎますね。節婦などと言っても、今は節婦はいない。私は緑綬褒章などというのは今こそ活用すべきだと思います。それから、位階勲等の位階も、これも申し上げませんでしたけれども、これも1,400 年も続いているわけで、正一位とか、これも伝統文化ではあるから、私は別に廃止しろとは言いませんけれども、今、余り活用されているのかどうか。財界人のお葬式などに行くと、ちゃんと勲章と位階がありますけれども、今、必要なのかという感じがします。爵位制度もなくなっているし、華族制度もなくなっているので、この辺も皆さんの御意見を聞いた上でどうするかという問題もあろうかと思います。

吉川座長  よろしいですか。大変ありがとうございました。今後もひとつよろしくお願いします。それでは続きまして、IIさん、お願いいたします。

 私が頼まれましたのは、3つの立場から御意見を申し上げることです。1つは、女性に関すること。2番目は、学会に籍を、特に私学に籍を置く者として。3番目には、国家公安委員として長年警察に関わってきたという、こういう3つの立場から御意見を申し上げたいと思います。

まず、最初に栄典制度の在り方をお考えいただくに当たって、全般的なことを1、2申し上げたいと思います。考えてみますと、既に日本の人口は戦後生まれが過半数を占めておりますし、叙勲の対象者があと15年もいたしますと、戦後生まれになるわけでございます。
つまり、今日の対象者とは、栄典制度の中の勲章についての考え方というものも相当変わるのではないか。いろいろここでの御意見も拝読させていただきましたけれども、今回の改正というものが考え方や価値観の変化が非常に激しい時代に、期間としてどこまでを視野に入れておくのかということが1つ私疑問になった点でございます。
そういうことから言いますと、やはり40、50代の方の御意見も是非お聞きいただいた方がよろしいのではないかというふうに思いました。

それから、4月から情報公開法が施行されるわけでございますけれども、これを契機として、今後一層情報公開が求められると予想されます。選考の基準及び経費に関しましても、情報公開を視野に入れておく必要があるのではないかと考えます。

まず、女性についてですけれども、女性の問題は大きく2つの問題点があるように思います。
1つは、受章者に女性が少ないということだと思います。この点に関しましては、男女共同参画社会基本法の中に積極的改善措置というものが盛り込まれておりますけれども、私は栄典制度というものは、性に中立であるべきであって、例えば女性だからと言ってプラスに差別をしても、マイナスに差別をしてもいけないと思っております。
例えば文化勲章とか、芥川賞その他の文学賞でも、続けて女性が受賞したりするわけでございますから、特に数が少ないという点については、何かをする必要はないとは思いますけれども、しかし、通常叙勲への推薦を含めて、その意思決定に関わるのは、関係者はほぼ全員男性なのです。そのために女性を見落とすというようなことも、ないわけではないのではないかと思いますので、積極的に対象とするような意識を持っていただくということが必要ではないかと考えております。
2番目の点は、1番目の点とも関係してまいりますけれども、この栄典制度というものが男女平等、あるいは女性の社会進出や貢献というものが考えられない時代につくられたという、そういう制度でありますから、多くの女性たちは、男尊女卑の色彩が濃いととらえているようですけれども、宝冠章があるというように、制度そのものが性に中立的ではないということがあります。
私はこの点につきましては、民間の賞は、例えばベストメン賞とか、エイボン女性年度賞といった形で、女性だけ、男性だけというようなものがあっても一向に差し支えないと思いますけれども、国が税金を使って出すものは、性に中立的であるべきだと考えます。
また、既に女性の衆議院議長とか知事が出ているわけで、今後女性が一層社会的に活躍をし、また、将来は総理大臣になることも当然考えられると思います。ですから、菊花章の対象になることも決してないわけではないと思います。その場合に1つの問題は、皇后陛下の勲章との関係で問題はないのだろうか。そういうことから考えますと、私は宝冠章というのは、大変きれいな章だと思いますけれども、あれは女性の皇族のみに限るというようにしてしまって、特に一般の女性を対象とするものとしては廃止をしてしまうと。更に言いますと、天皇が女性の場合に、これは現在の法律が改正されるという前提ですけれども、菊花章頸飾というもの、あれは女性で良いものかなのかどうか私にはよくわからないのですけれども、その辺も含めて今回考えておかれた方が良いのではないかと思います。

学者についてですけれども、学者は論文であるとか、著書であるとか、その他、評価される機会が多いわけで、勲章に対するこだわりというのは、私は比較的弱いのではないかと思っております。私の個人的な感情の投影の部分が入るかと思いますけれども、主たる問題は、国公立と私学との格差の問題だと思います。次代の日本人を育成するという、これは公共に資する仕事というふうに理解してよろしいと思いますけれども、その7割を私学が担っております。また、教育研究に加えて私学の場合には経営とか、それから教育環境なども税金で賄われている大学に比べればずっと劣悪であることが多いわけです。そういうことから言いますと、苦労とか努力とかということから言えば、格差があるとすれば、私は逆の格差でなければいけない。むしろ私学関係者により努力に報いるというか、苦労に報いるという、そういうことが反映されるべきではないか。別に格差がある必要があるとは思いませんけれども、あるとすれば現行の逆ではないか。
また、学長とか学部長とか、そういった恐らく叙勲審査に際して細かい区別というか、計算をなさっているようですけれども、これは組織内の問題でありまして、国家・公共に対する貢献とは余り関係がないと思いますので、ちょっとこれは違和感を持ちます。

最後に警察の問題なのですけれども、警察の場合には叙勲は、国家または公共に対して功労のある者を広く対象とするという、昭和38年の閣議決定を踏まえて、警察職員として半生、大体35年以上ということだと思いますけれども、治安維持という、非常に危険性の高い業務に半生を捧げた者に対しては、等しく叙勲の機会を与える方針ということでずっと運用してきたわけです。しかし、問題がございまして、警察官の増員というのが必要に応じて図られてきている。定年が延長されて資格対象者が増え、寿命が延びるものですから、生存者叙勲の対象者というのが急増しているわけです。
70歳以上の警察の叙勲対象候補者と言いますか潜在対象者が、所属長経験者以上つまり警察署長以上であった方々(一類)が4,840名、その他の方々(二類)が2万1,147名おります。昨年の秋の受章者の平均年齢を見ますと、一類で77.9歳、二類が75.4歳というふうになっております。
これを一応一類は78歳以上、二類は75歳以上と考えても、それぞれ一類で78歳以上がまだ591名おりますし、二類で75歳以上が5,331名いるわけです。大体退職後20年くらい経って、あるいはそれ以上経っていただくということで、年齢が非常に高いのです。このままでいきますと、ますます高くなるということなのです。
私はこれからの社会というのは、警察関係者に限らず、元気な高齢者にはそれなりに働いていただかなければいけないわけで、そういうことを考えますと、過去の功労をたたえるというこれまでの考え方に加えて、叙勲を励みとしてもうひとがんばりしていただくという意味が加わるのではないかと思っております。そいうことを考えますと、できるだけ70歳に近づけることが望ましいと思います。そうしますと、そのために少なくとも一定期間大幅な増員と言いますか、枠の拡大が必要になります。確かに高齢者叙勲、これは警察の人で高齢者叙勲を受けた人はいないのですけれども、88歳以上ということでありますけれども、高齢者叙勲という名称を変えて、例えば77歳というふうに変えるというのも1つのアイデアかと思います。ただ、警察関係者に聞いてみますと、春秋の叙勲の時期にみんなと一緒にもらうことに意義があると。それがなくなってしまうと非常に意味が変わってくるようなのです。

それから、今日死亡叙勲というのがございますけれども、実際にはこれは聞いてみましても、葬儀には間に合わないのです。そうしますと、御本人は亡くなっているし、それから葬儀に間に合えば皆さんに見ていただくというか、御遺族の気持ちが休まるということもあるかと思いますけれども、それにも間に合わないのであれば、私は個人的には廃止をしてしまう。なぜかと申しますと、審査票というのを警察の方で出すわけですけれども、これがワープロではいけなくて、鉛筆書きで出すという、理由はよくわかりませんが、そういうことになっておりまして、これが相当な事務量になります。毎週の定例の国家公安委員会でも進達の決裁をいたします。それだけでも数が相当でございます。
仕事を合理化しなければいけないというときに、これは廃止した方が良いのではないかと思っております。
先ほど申し上げたように、等しく叙勲の機会を与えるという、一定の条件以上ですけれども、その結果、御承知のように、下位に警察官が、ほかのある職業の方々より非常に多くなると。私は全員でなくて、もっと上位の勲章を、本当に功績があった方だけにあげるのではどうだろうかと思ったのですけれども、どうも私の考えは間違っているようでございまして、警察が少なくとも今のところでは、非常に階級意識が強くて、現役のときには階級で区別をされるような社会に生き、辞めた後は、今度は勲章なのです。勲章をいつ、だれが、どういう段階でもらうかということを皆さん大変よく御存じで、大変な関心をお持ちでございますので、これをやめるわけにはどうもいかないようである。
同期の間で差が付いたりしますと、率直に申しますと、抗議が来たりするわけですけれども、そのときに理由が御本人にも、それから推薦をした警察庁の方にも、つまり現役にもわからないのです。ですから、だれにでもわかる、みんなが納得をするような単純な基準を、しかもオープンに私はすべきだと思います。

等級はもっと大括りにして、それから数字は使わないでいただきたいというのが、叙勲の伝達式に春、秋、出席をしてまいりまして感じることです。御本人はそれほど感じていらっしゃらないかもしれないけれども、私はあれを見ると大変胸が痛むと言いますか、配偶者もそこにいらっしゃるのに、勲等順に並んだりして、私は居心地の悪い、申し訳ない思いがいたします。
過去の受章者との整合性云々という御意見が強いようにも思いましたけれども、私はむしろ大幅な改革をこのたびして、新しい制度でこうなったのだと言えば、それはみんな納得をするものだと思うのです。ですから、過去との整合性を重視するよりも、今後うまく機能する制度を是非お作りいただきたいというふうに思います。
なお、勲七等の運用が廃止された場合を考えてみますと、12年の春には旭七で95名警察関係者がおりましたけれども、これがなくなることによって、瑞六に上がるわけですけれども、そうしますと、瑞六で計算をすると、62名になって、旭七の65.3%しか該当者にならないと、ますます積み残しが増えるという状況があります。また、こういうふうに七等がなくなったらなくなったで、皆さん納得はなさるので、その辺を含めて改革をしていただければと思っております。

吉川座長  それでは、御質問、御意見をどうぞ。

 警察のお話を伺っていて、非常に実感があったのですが、今おっしゃったように、過去の功労ではなくて、叙勲を早めにもうひと働きという、そういうことで言いますと、ちょっとわからないのは、にもかかわらず、警察の中に強い警察一家意識があるとしますと、それ(叙勲年齢)を下げると、ますます基準は非常にはっきりしておかないと良くないということになりますね。もうひと働きするわけですから。

 そうです。

 そのもうひと働きというのは、地元ないし地域への貢献ということになりますか、警察の場合には。

 御承知かもしれませんが、OB、OGを活用して、空交番をなくすということで、大幅に採用しておりますので、これも1つの活躍で、ほかにいろいろな形の活躍があると思いますけれども。

 わかりました。

 警察の方については大変よくわかりました。結局、警察官の場合、ほとんどの人が叙勲の対象になっているのでございますか。

 警部補以上で、大体35年、ほかに表彰を受けると2年プラスとか細かいことがございますけれども、基本的にはそのくらいと思っていただければと思います。

 そうすると、35年以上の人で警部補以上はほとんど対象者になるということでございますね。

 はい。ですから、それ以前に辞められた方、あるいは何らかの形で警部補にもならなかった方は、今の積み残しの対象に数えておりません。

 そこはどうお考えになりますか。

 私はある程度の勤続年数を要件とすることは当然だと思います。ただ、これからいろいろな新しい事象が出てくるものですから、今までのトレーニングでは賄えないため、どうしても中途採用その他が増えてまいります。そこら辺は新たな対応が必要かと考えます。

 私もちょっと経験があるのですけれども、この頃のように、ハイテク犯罪というのが増えてきますと、中途の採用が非常に増えざるを得ないようでございます。そういう場合に、その35年の枠に入らないと、この方たちはある意味では、現実に非常に高い対応を求められ、ある意味でその後の人生をやったとしても、対象にならないのかと思って、そうなのですね。

 今のままですとそういうことになりますね。

 わかりました。それから、女性の叙勲については、大変整理をしていただいたという感じがしました。ありがとうございました。

 結論なのですけれども、宝冠章はやめた方が良いというお考えですね。

 そうです。ただ、せっかくきれいな勲章でございますから、皇族の方には渡しても良いのではないですか。

 学会とか学者、学長とか学部長とか、ああいうポストを基準の中に入れるというのはいかがなものか。それよりは、学会とかいろいろなところでの業績とかを評価したらどうか。こういう御意見でしょうか。

 そうでございます。

 そうすると、単なるペーパーの数だとか、学会の発表だとか、そんなことに偏っていく可能性はございませんか。

 それはないと思います。普通の学者だったら、ペーパーとかは、何年も学者をやれば必ずあるわけですから。

 数だけでいきますと、質という問題があります。今、先生がおっしゃった学長、学部長をなくすとすれば、それに代わる物差しが考えられるのかどうか。もし御意見があればと思います。

 例えば新しい学説を発表するとか、新しい発明とか、その他いろいろあると思いますけれども。

 ノーベル賞委員会がいろいろ御検討なさるような、ああいう視野でやったらどうかと、こういうことでございますか。

 はい。

 今、警察の対象は警部補以上ですか。

 これは実は巡査部長で、最後まで巡査部長でいく人というのはいるわけです。ところが、辞めるときに、御苦労様で警部補にするわけです。ですから、もっと早く上がる人、つまり一類の署長などになる人は、早く自分で試験を受けてなるのですけれども、ならない人というのはいっぱいいるわけです。

 私は30年くらい前に警察に出向していまして、北海道警察にいまして、防犯少年課長をやっていたことがございますが、試験制度ですので、巡査とか巡査部長、そこでなかなか上に上がらないので巡査長という制度をつくったのです。その人たちが地域社会の中で、お巡りさんとか、派出所とかで大変良い仕事をしておられる。その人たちがみんな抜けるということになるとどうなのか、そう思ったのですが、最後のところで調整してあるわけですね。

 そうなのです。そうすると、対象者が大幅に増えるのです。ただ、警察の場合、今おっしゃっていただいてうれしかったのですけれども、僻地などの駐在所などで苦労している人に、私は是非あげていただきたい。

 むしろそういう制度ではないかというふうに思いました。

 警部補になられたら、そういう対象になり得ると。

 そうですね。そういう人たちは所属長にはならないものですから、一類にはいかないので、二類がたくさんいるというのは実はそういうことでございます。

 確かに駐在所をずっと回っていらっしゃる方々がいらっしゃいますね。本当に大変だと思う。

 そうですね。今朝も寒い中に立って交通整理をしている人を見たりしましたが、凶悪な事件の、みんながいやがるところの後始末、その他みんな警察がしなければいけないものですから、御批判いろいろあるのは分かっておりますけれども、そういう人には是非にと思います。

 そうですね。本当に社会貢献をしているわけですね。

 それを励みにがんばっているところがあるものですから。

 一番初めにおっしゃった栄典制度、名称その他は別にして、対象者が、だんだん戦後生まれが増えていって、実際100%そうなるのももうすぐだと。これは1つには、それにふさわしい形とか内容ということだと思いますが、これは私の偏見もあるのですが、戦後世代の1つの特徴というのは、特に私は都市において顕著だと思うのですが、一般的に斜に構えて、こういう制度そのものについて批判的という否定的というか、もうどうでも良いやという感じの人が結構多いので、そういう人たちの比率は分からないけれども、40代、50代というのはかなり都市に多いのではないという気がしているのです。それを越すとまた違うかもしれないのですけれども、先生は基本的には制度は残すべきだというお考えですか。

 基本的には残すべきだと思います。ただ、残すとしても、少しずつ距離があるというか、関心が非常に世代によって違うのです。この人たちが年を取って今の高齢者と同じように関心を持つかというと、私は多分そうではないように思うのです。警察のような特殊な一家意識で、みんながどこでだれが何を、いつどうしたというのが非常によくわかるような組織の場合には、かなり強く残ると思います。警察官は勲章を頂くと本当に喜び感激するようです。

 あえて言いますと、今、中央と地方、ギャップがあるではないかと言われました。しかし、今のような感じで、これも私の勉強不足でありますけれども、感じから言うと、こういうものに対する評価とかアプリシエーション(評価)、それは地方の方が大きいというときには、一時的には逆に都市には断る人が多くなってきても良いと。むしろ地方が増えても良いではないかと、そのくらい割り切っても良いということでしょうか。

 私はそうだと思います。

吉川座長  さて、時間になりましたが、どうもありがとうございました。続きまして、IIIさん、よろしくお願いいたします。

 私、結論としては、今の栄典の制度というものは、そのまま続けていって良いのではないか、むしろいただくべきではないかという気がいたしております。
この種のものは、議論をすればいろいろな理屈が出てくると思いますけれども、理屈だけの問題ではございませんし、およそ社会、人の集まるところ、あるいはそれが大きくなって国家というものの国民という立場であるところ、そういったところには、それぞれの社会、国に対する貢献というものがあるわけでございます。各人が誠実に生きていくということが、それ自体で社会、国家に対する貢献であるということもできるとも思いますけれども、にもかかわらず、広い立場で全体をながめてみますと、特に役に立った方、あるいはそこまではいかない方、いろいろな程度が出てまいります。そういった特段に功績のあった方を全体的に評価して、何らかの形で表彰するということは、どこの組織でもあることでございます。私、裁判所に長くおりましたけれども、裁判所でも、地方裁判所の中でもよくできた人を表彰する。それが今度は近畿とか関東とかいうふうにブロックになりましたら、ブロックで表彰する。最後は全体として、最高裁判所で表彰するということがございます。それを更に詰めていけば、国家が全体を表彰するということになるわけで、それが勲章の制度だと思います。
勲章の制度の中でも、いわゆる勲章と褒章とがあるようでございますが、勲章はどちからというと、そういう全体的な評価をなさるものだと思っております。褒章は、特に個々の行為と言いますか、そういったものを取り上げておられるように思います。勲章だって、発生史からではございましょうけれども、特段の善行のあったものは勲章をもらうという点から見れば、個々の行為を取り上げるということもございますから、一概に全体の評価だけだとは申しませんけれども、勲章というものと褒章というものがあって、今のやり方をなさっている限りにおいて、私は極めて結構なことだし、ありがたいことだと思っております。
この勲章という制度は、若いうちはそこまでは考えないで、しゃにむに仕事をするということがあるのでございまして、これを長年やったらどのような勲章をもらえるかなどと考えながら若いうちに仕事をするということは、実際はございません。辞めるのが近くなってきて、辞めてから静かに振り返ってみて、表彰していただけるならば、こんなにうれしいことはないわけでございます。
よく、どこで切ったら不平が出るとか、出ないとか、いうことを申しますけれども、人間というものはあるものをいただければ、もうちょっと大きいのが欲しいな、もうちょっと良いのが欲しいというのは幾らもありますが、それを一々取り上げることはないので、できるだけ公平な見地から広く選考なさっていただいて、今できる限りの公平なやり方なのだというところでお決めいただくならば、それで良いのではないか。不平を言うべき性質のものではないのだと私は思っております。
勲章の制度をどういうふうに今後お決めいただいた方が良いのか。今のままの太政官布告とかいろいろなことで読み直しをしてやっていって良いのか、改めて現代の法律でお決めいただいた方が良いのか、ということになりますと、理屈ではそれは法律できちんとお決めいただくことに越したことはございません。ただ、この制度から見ますと、良いとか悪いとか、そんなのは反対だ。絶対反対だとまで言ってまで法律に変えないといけないかどうかということになると、そんなものでもないのかなという気がいたします。
法律を長年やっておりまして、そんないいかげんなことを申し上げるのは非常におかしいかもしれませんが、正直なところは、これで運用できるならば、それも結構だと。しかし、皆さんで決めよう、新しい法律できちんと決めようとおっしゃるなら、もちろん結構だと思いますが、余り細かなことまでお決めいただくのは、制度の本質的なものから見てどうかという感じはいたします。
一般的な問題といたしましては、そんなことでございますが、1、2、何か総論的な意見を述べろということでございましたら、申し上げたいと思いますのは、1つは、現在の勲章の種類でございます。文化勲章は単一勲章でございますから、これは別にいたしますと、菊花章と旭日章と瑞宝章と宝冠章とがあるわけでございますが、気になりますのは宝冠章でございます。性別の勲章というのは、理屈には合わないような気がいたします。菊花章については、とやかく申し上げるつもりはもちろんございません。立派な勲章でございます。あとは旭日章と瑞宝章、それぞれの役割を持たせておられるようなので、その2本に集約された方が良いのではないだろうかという感じがいたします。
ただ、現実の問題としましては、この勲章文化と言いますか、これまでの日本の勲章の在り方から見ますと、宝冠章というのはとても良い勲章なのです。新年の会のときに宮中で皇后陛下、妃殿下方がお付けになっておるのを何度か拝見しました。とても女性に向いた勲章でございまして、理屈は別として、ああいう勲章もまた良いなというように思う。そのせめぎ合いがどこにあるのか、これは委員方が十分御検討いただいて、私としては、女性だけの勲章というものは、ある意味では女性を尊重することでもあると同時に、ある意味では何かトラブルを起こしかねない面がございますので、できるだけ男女の性別によるというものはもうやめた方が良いのではないかと感じております。

それから、旭日章と瑞宝章のお取り扱いの差というものは、結構なことでございます。それに関連いたしまして、今、文化勲章を除きますと、八階級でございますが、数字が付いておりますが、それはやめた方が良いと思います。数字というものは、はっきりしてしまいますので。
では、どうすれば良いかということでございますが、私はかねて勲章というものは世界共通のものだと思っております。わかりやすく言えば、大綬章、中綬章、小綬章ということで区別がある。綬の幅による区別でございます。そうして、現在行われておりますように、勲二等というのが綬がございませんので、結局、小綬章の一番上が勲四等でございます。あと五、六、七、八とございますが、その辺は大中小くらいで四等までいって、あと五等、六等というのは、例えば旭日章で双光旭日章、単光旭日章という名前が付いております。その前に勲五等双光旭日章、勲六等単光旭日章。その勲等を外してしまえば、6階級くらいで運用していただいて、その場合に七、八をおもらいになっておった方には、もう差し上げないという意味ではなくて、六のところに集約してお出しいただくようにお取り計らいをいただくことはできないだろうか。結局、それは下に厚くするということになるのではないかという気がいたします。決して上を削って下にしろとか、下は切れという意味ではございません。勲章の階級として減らしていった方が良いのではないでしょうか、そうしていただけたら良いと思います。

文化勲章は単一勲章でございまして、一般の勲章と成立の歴史も違いますので、今ここで文化勲章がどうこうということを申し上げる何はございませんが、余りにも限られた範囲、大体最近では年5人の運用でございまして、そんなので良いのかという感じもしますし、その辺のところは分かりませんので、特段の御意見を申し上げるつもりはございません。それは否定的な意味ではございません。
自民党の委員会が何かお示しになったような社会功労章とかいったものを単一勲章として、特段に社会に功労のあったような人に、数を5人というわけではないのでしょうが、わずかな数、毎年贈ることはどうだろうかという案が出ておると承知いたしておりますが、これは選ぶのがとても大変ではないかという気がしますので、うまく選べれば良いのですけれども、さて、どの範囲で、どういうふうに選んで良いか。文化勲章でございますと、歴史的なものもございまして、文化功労者は非常に限定されてきておりますし、皆さんも余り御異論がなく集約されておりますので、その中から事実上お選びになっているとすれば、何とか集約できるのですが、急に何十名程度のことで単一勲章として集約するということは非常に無理なことではないかと私は思っております。

それから、叙勲のための意見を集約するに当たって、民間の方を委員会等に入れていかなければいけないのではないかというような意見が出ておりますが、私、事務的に少し見過ぎかもしれませんけれども、現在の所管官庁からずっと上がってくる方式というものは、原則として、維持していただいて良いのではないかと。というよりも、むしろそういう形の事務を取るのが結局において合理的ではないかという感じを持っております。
ただ、これまでと違いまして、もう少し情報公開をしていただきまして、割に気楽にと言うと語弊がございますが、気楽にいろいろな団体、極端に言えば、個人でも良いかと思いますが、常時選考の下部機構に対する推薦ということを広くお認めいただいたら良いのではないか。こういう人がおるからどうですかというところでは、どなたがおっしゃってくださっても良いのだろうと思います。ただ、それをまとめていくということになれば、今の組織というものが基本になって、その中にいろいろな純粋の民間の意見を入れろとか何とかというようなことは、実際口で言うのは簡単ですが、そう簡単にできることではない。むしろ公平という意味からいっても、今の組織から上げてきて、主務官庁を通じて賞勲局に来る、内閣に来る。そこで全体を考慮して、叙勲者をお決めになるというシステムは、私は今でも正当に機能しておりますし、今後もそのシステムをお取りいただいた方が良いのではないかと思っております。
叙勲年齢の70歳はまあまあ適当なのではないかと思いますし、身体に危険のあるようなお仕事をなさっておるような方が、現在55歳ですね。それは50歳くらいでも良いのではないかという気がいたしますけれども、余命の長さから見れば55歳、それを特に変える必要はないのではないかと思います。
官民格差の問題でございますけれども、今のシステムは歴史的なものがございますので、現在、官民の格差がある程度あるというのは、そうかと思います。もっとも、警察官とか消防、自衛隊等は官なものですから、この二類という人たちを除きますと、そんなに格差はないと思うのです。これまでの勲章というものが、本来国の仕事をしておる人間に与えるものであるという歴史的なものから見て、官にある程度厚かったことは間違いございませんが、今後そういうものはなくなると思います。

それから、男女差も問題にすることはないと思います。私どもの方でも、裁判官が判事・判事補が2,000人おります。女性の裁判官が少ないとか、女性の所長が少ないとか、高裁長官が少ないということがよく言われますが、それは女性だからしないのではなくて、いわゆるインフラがないのですから、今後はむしろ女性の方が多くなることもありうるかもしれない。そんなことがございますので、余り男女の問題はお考えいただくことはない。今後はどんどん女性の叙勲者が増えてくるのではないかと思います。
問題は、あとで一言申し上げたいのですが、そういったものをなくすときに、男を切って女を増やすとか、官を切って民を増やすというやり方ではなくて、もし、どうしてもやりたければ、勲章の数を増やして、それを民に当てるという形で平等を期していただきたいという感じがいたします。ということは、現在、春秋各4,500人というのを基準にしておられるようですが、何も4,500人でなくても、5,000人でも6,000人でも良いのではないかと思います。率直な意見を申し上げれば、倍にしていただければ、大抵の問題は現在解決するのではないかと思います。ですけれども、今度は逆に、今、急に倍にされても、もらう人がいないのではないかという理屈も出てくる可能性もありますので、決してそんなことまでは申しませんけれども、2割、3割の数の増加というものをしていただいて、その数でもって問題点の調整をしていただくということが好ましいと思います。
なぜそんなことを申し上げるのかと申しますと、私どもの裁判官、検察官、弁護士は、個人的色彩の非常に強い職業でございます。そういう意味では、御厨先生などのように、大学の先生も同様だと思います。叙勲の発表になりますと、裁判官、検察官の名前がものすごくたくさん新聞に出る。大学の先生もかなりたくさん載っておる。失礼な言い方ですが、それはしようがないのではないか。組織でやっておりませんので。その分、裁判所にしましても、検察庁にしましても、刑務官とかの下の方は別として、ちょうど中間層が、俗な言葉で言えば割を食うという形になる。自衛隊で言いますと、どこかにもそういう御意見がございましたけれども、三尉以下は良い。一佐以上は良い。結局、二佐と二尉の間のところがなかなかもらえないという中間層の問題、それは司法にもございます。私はできることならもう少し数を増やしていただいて、そういう人間も恩恵にあずかれるようにしていただければ非常にありがたいのではないかと思います。
もう一つ、弁護士でございますけれども、弁護士というのは、本来は無冠の大夫であることが誇りでありますけれども、現在、弁護士会の役員等をやった方たち、それから司法研修所の教官をした人たちには、その名目でもって叙勲が行われ、今、司法制度改革審議会が行われておりますけれども、弁護士さんの公的活動というものの分野が非常に広がっていくだろう。広げざるを得ないわけで、公的な責任を持たせるということです。そうすると、その意味での叙勲の問題が起こってまいります。数の点でございますけれども、その人たちの叙勲の妨げにならないような数というものを、少し広げて確保していただきたい。戦後合計三十万弱の叙勲があったようでございますが、考えてみますれば、昭和30年から三十万弱でございますから、少し増やしていただいても良いのではないだろうかというのが私の感触でございます。

吉川座長  ありがとうございました。それでは御質問ございますか。

 1点だけ、今伺っていて、いわゆる中間層が割を食うという問題ですね。これは裁判所も1つのヒエラルキー(階級組織)ですけれども、個人であると同時に組織の人間です。そうすると、割を食った中間にある方について、やはり相当程度御不満があると。

 それはあの人がもらったのに私がもらえないというような意味で、自分も欲しいということは率直にございます。そこまで言うべきどうかはわかりませんけれども、一緒に仕事をした私どもから見ますと、その人たちにもあげたいな。あげたらどんなに喜ぶだろうという感じでございます。

 わかりました。

吉川座長  貴重な御意見ありがとうございました。それでは、引き続きまして、IVさんから御意見をいただきたいと思います。早速ですが、よろしくお願いいたします。

 まず、基本的な考え方からでございますが、21世紀を迎えまして、これからの時代、特に国民に求められる資質として、非常に重要なものは、公私ということを考えますと、公の精神と言いましょうか、共に生きるものへの幸福をも視野に入れた精神、資質を培うことが必要なのではないかと考えます。
いろいろ国で進められている諸改革を見ましても、これからは国際社会への貢献、あるいは社会への貢献、そういうものが非常に重視されている中で、特にこの資質が必要なのではないかと考えます。言い換えますならば、社会的な責任の遂行と言うのでしょうか、自分が社会にとってどういう意味があるのかということを考えられるということが必要なのではないかと思っております。
歴史的な変遷の中で、近年は私の方にそれぞれ国民の意識が傾いていたのではないかなとことも踏まえて、そのようなことを考えるわけです。
したがいまして、そういうような資質を国民に浸透させるためにも、国家社会、あるいは公共への貢献を相応に評価するということは非常に意義のあることであると考えます。その人なりの国家社会、公共への努力の結果としての功績に報いるという意味です。

もう一点は、栄典制度、表彰、勲章というか、そういうものにつきましては、ある種の社会の価値判断の反映であるというとらえ方もできるのではないかと思います。そういったような意味で現行の栄典制度につきましては、維持し、継続していくべきであるというのが基本的な考え方でございます。
その中で非常に歴史と伝統のあるこの制度であるわけですけれども、いろいろ社会の変化というのでしょうか、時代の変化、そういうものに即応して見直すべき点があるとするならば、それらを見直していくということも非常に意味のあることではないかと考えます。例えば、どういう視点かと申しますと、国の諸改革の大きな流れの1つの柱になっております地方分権の理念といったようなものも踏まえていくことも一方では必要ではないかと考えております。

以下、具体的なことにつきまして、考えを述べさせていただきたいと思います。
まず第一点は官民格差ということでございますが、この点につきましては、国家、あるいは公共社会への貢献を功績として評価するということが本制度の趣旨であると私は考えておるわけですが、そういう趣旨からすれば、官民の比率を同じにするとか、あるいは揃えるとか、どうこうするということを問題にするということは、趣旨にそぐわないのではないかと考えます。功績がそれなりに認められれば、あるいは等しければ、同等に扱うということが、健全な本制度を維持していくためには必要なのではないかと考えております。
ただ、先ほど申し上げましたように、地方分権の理念の流れを踏まえて、地方に対する貢献というものも評価していくという方向も、よりこの中に取り入れていく方向も検討されることも必要なのではないかと考えております。
それから、等級の簡素化ということでございますが、現行の等級につきましては、それぞれの等級につきましては、相応の意義と価値が付与されてきているわけでございますが、旭日章から瑞宝章等まで見まして、中が八階級というのでしょうか、そうなっているということについて、やや煩瑣であると言うか、細分化されているきらいがあるのではないかと考えております。特に教育関係という視点から申し上げますと、瑞宝章に該当するのでしょうか。この辺についても見直しをしていただいて、例えば勲四等、あるいは勲五等を一体化するというか、ひとつにしていくということも検討の1つに挙げていただければと考えております。
特に義務教育と高等学校との差の是正というか、そういうものもその中で図られるのではないかと考えております。
ただ、これは余り大きく括るということになりますと、何というか、公平性を欠くとか、切り捨てになるとかという心配もございますので、その辺、幾つぐらいに括ったら良いかということについては、現在、私は具体的な案というか、考えを持っておりませんが、許容できる範囲の中で簡素化を図るということも検討の1つに挙げていただければと思います。
それから、名称につきましても、国民への理解というのでしょうか、そういうことからしますと、一つひとつの勲章の名称がわかりにくい、理解されにくいと言いますか、そういうきらいがあるのではないかということで、名称の検討も併せて、国民の理解と納得という面から検討していただければありがたいと考えております。
それから、4点目につきましては、選考基準の運用等につきまして、現在の事務手続のシステムにつきまして、選考基準の運用等については、中立機関が取り扱うということも検討してみる必要があるのではないかということを考えます。選考基準の透明性の確保、あるいは事務手続の簡素化、あるいは迅速性と言いますか、そういうような観点からそのようなことを考えるわけでございます。
現在では各市町村から都道府県、そして各関係省庁というような経由をして選考と言いますか、実際の手続が行われているというのが現行のシステムではないかと思いますが、例えば外部機関を設立して、そこに選考の手続等は直接各都道府県なり市町村からそちらの方に手続をする。そして、必要に応じて関係省庁と協議をするというシステムにすることによって、例えば叙勲の1つとして、死亡叙勲というのがありますが、そういうものについても、手続や処理等、さっき申し上げました迅速性が確保され、あるいは受章の効果というのでしょうか、そういうものについても確保されるのではないかなということを考えるわけであります。
その他といたしまして、この栄典制度そのものにつきましては、国家的な1つの権威あるものとして行われるわけでございますが、国民への理解というのでしょうか、栄典制度の在り方、つまり勲章の種類、内容、選考手続等のシステム等も含めて、何らかの国民へのより広い理解を得るための手立てを考えていくことも必要なのではないかと思います。蛇足になりますが、私、今日栄典制度のヒアリングに行くのだという話を同僚にしたわけですが、栄典制度というのは何ですかというふうに聞かれたこともございます。いわゆる栄典制度そのものも、もう少し国民への理解という点で浸透させていくことが、よりこの制度を健全なものとして広く定着させていく1つの方途になるのではないかということを考えるわけでございます。
概略、以上でございます。失礼しました。

吉川座長  ありがとうございました。何か御質問、御意見どうぞ。

 等級の簡素化のところでございますが、先ほど義務教育と高校教育の差の是正ということで、瑞宝章、勲四、勲五、これの一体化ということをおっしゃったわけですが、現行では、確かに高等学校の校長の方が、義務教育の小中学校の校長より高く出ているわけです。それを義務教育の言わばレベルアップと申しますか、そういう観点からすると合わせていった方が良いと。したがって、勲章も同じレベルにした方が良いという、そういうお話になるのでしょうか。

 現在では、非常に多様な教育課題が低年齢化しているということもありますし、職務の同一性というか、そういうような観点からしても、差をなくすというのではなくて、一体化していくという方向が妥当なのではないかなと考えるわけです。

  同時にもう一つあるのですが、一体化ということよりは、教育という観点からいきますと、義務教育の小中学校から大学まで含めて、少なくとも初中等教育であるか高等教育かということに、そこで差があること自体はおかしいと考えてよろしいのでしょうか。

 初等教育と高等教育とでですか。

 非常に厳然たる差があるかどうかわかりませんが、私はそう思うのですけれども。それから、実質は差があって、本当から言うと、かなり一般的な言い方をすれば、もちろん、これは21世紀に入って、教育の全面において非常に重要ではありますけれども、しかしあえて非常に基本的なところから言えば、これはむしろ高等教育よりは初中等教育できちんとする方がはるかに大切だと。仮にそうなったら、国と社会の大きなニーズはそちらにあるわけだから、本当はそちらの方が、ある時代は高く評価されてしかるべきだと。もっともだれがそういうふうに決めるのかという問題はもちろんありますけれども、ややそこに近い考え方をお持ちだと思ってよろしゅうございますか。

 現行では給与、小中学校と高等学校と違う形になっておりますけれども、私の個人的な考え方としては、同じであっても良いのではないかなと思っております。

 もう一つ、官民格差についてここでおっしゃっている、比率を問題にすることは趣旨にそぐわないと、さっきおっしゃったことの意味が、これはどういうことですか。官は官、民は民、それぞれ公に尽くす部分があるのだから、比率が先にありきではなくて、実態に応じてやれば良いと、そういうことをおっしゃっているのですか。

 はい。

 選考に当たっては外部機関が取り扱うということをおっしゃいましたけれども、外部機関というのは、具体的にはどういうふうな機関をつくれば良いと思いますか。

 具体的に選考基準というのがございますね。その選考基準に、推薦として上がってきたものを、それを見て具体的に割り振ること、そういうことだとか、それから推薦の事務手続をそこで扱うということを内容としては考えています。現在はそういう形にはなっていないのではないかなと思うのですが、そうすることによって、よりこの制度そのものが客観性というか透明性というか、そういうものが一般の国民からして、保たれるのではないかということを私は考えておるのです。

 それは国レベルでの外部機関という意味でしょうか。それとも都道府県レベルですか。

 国レベルでの外部機関を考えております。

 死亡叙勲のことですけれども、確かに手続が何段階もございまして、遅いと。したがって、受章の効果が保たれないということですけれども、それならばない方が良いということになるのでしょうか。やはり死亡叙勲は手続の迅速化が図られるならばあった方が良いと。

 あった方が良いと考えています。

吉川座長  それでは、時間になりました。貴重な御意見ありがとうございました。最後になりましたが、Vさんから御意見をお伺いいたします。早速でございますが、よろしくお願いします。

 中小企業の経営をいたしております立場から、栄典制度の在り方等につきまして、意見を申し述べさせていただきたいと思います。

申し上げるまでもございませんが、この栄典制度は国への功績があった方を国が顕彰するということでございまして、受章者は自分の功績が国から評価された。また、受章者に選ばれたということを素直に受け止めまして、大変喜んでいるというのが中小企業の経営者の受章者の実態でございます。
また、商工会議所や中小企業団体の役員としまして、無償かつ相当の労力と時間を割いて地域経済、社会の発展、地域住民の福祉向上などに高い志を持って活動している人々の大きな励みになっているということも、まずもって申し上げておきたいと思います。その上で現状に対しまして、認識、問題点、その在り方についてお話しを申し上げたいと思います。

まず第1のポイントでございますが、所属団体の在職年数を叙勲の基礎とすることは、非常に弊害が多いということが実態として表れてきております。
現在、在職年数を推薦基準の第一としておりますので、栄典制度本来の目的であります社会のために真に貢献した人を顕彰する制度とはなっておりません。
具体的に申しますと、商工会議所役員の場合は、20年以上の役員歴、会議所の役員歴と申しますのは、議員というよりも、常議員でございますので、20年以上常議員をやっているという役員歴、それから会頭歴が5年、副会頭歴7年以上を要件としております。
また、中小企業団体の場合ですと、20年以上の役員歴と10年以上の会長または理事長歴を要件としておりまして、こういうことがありますために、限られた役員が長期間にわたってその職に就くということから、役員の新陳代謝が進まないということが起こりますし、また、人事の硬直化、団体の活力の低下、後継者育成等について、弊害が出てきているケースが出てきております。
一方で商工会議所の会頭や、団体の会長、理事長職は大変激務でございますで、自分の仕事にまで影響が出まして、商工会議所や組合の設立時のように、長く会頭とか会長、または理事長等の職を行う人がだんだんといなくなってきておりまして、対象者が少なくなりつつあるということ。
そのような弊害がありますので、在職年数にとらわれた栄典評価ではなくて、社会に貢献した実績を評価基準とした見直しを行っていただきたいと考える次第でございます。
また、商工会議所の場合は、会頭歴5年以上、副会頭歴7年以上という要件がございますが、会議所の役員任期は1期3年でございまして、ですから、必ずしも実態に合っていないと考えます。是非とも会頭歴3年以上、1期ということで考えていただきまして、副会頭歴も2期、6年以上ということで、任期の倍数に短縮をしていただければと存じておる次第でございます。
また、中小企業団体につきましても、10年以上となっております会長または理事長歴をできるだけ短縮していただきたいということと、現在は推薦の要件になっていない副会長、または副理事長歴につきまして、2分の1を会長または理事長の歴に換算していただきたい。つまり、会長というのは組合で1人しかいないわけですが、副会長、副理事長というのは数名おりまして、その中から大体会長、理事長が選ばれるというのか普通になっておりますので、この副会長、副理事長を6年やればそれを半分にして、3年を理事長、または会長歴に加えていただき、通算していただければと考えている次第でございます。

第2のポイントとしまして、官尊民卑の傾向が強いということでございます。官民格差が大きいと一般的にも言われておりますし、我々もそのように感じているわけでございますが、社会公共のために働くことが仕事であります地方の公務員の勲等が高くて、ビジネスのみならず、その地域の商工業の振興や、地域住民の福祉向上に奉仕している商工会議所の会頭、副会頭等の勲等が低いことについて疑問に思っている次第でございます。選挙で選ばれました地方自治体の首長の場合は別としまして、長年にわたって地域社会に貢献してきた会頭、副会頭の勲等よりも、選挙で選ばれたわけではない副知事とか出納長などの自治体の幹部の勲等の方が明らかに高いのは、その地域社会の人たちも不自然に思うほど官民のバランスがとれていないと思っている次第でございます。
また、受章者の数の問題でございますが、官民格差が大きいと思います。これは栄典制度本来の目的である社会のために真に貢献した人という顕彰の趣旨にかんがみますれば、官民の比率が6対4、平成11年の秋は7対3でありましたが、その辺のところの数の問題で疑問に思う次第でございます。官民の比率の6対4の6の中に、教育職、または警察官、自衛官、海上保安官、刑務官、消防士等の多くの人々を授与しなければならないという御事情は十分理解しているのですが、これらの人々は本来社会公共のために身命を賭して奉仕することが本務でございますから、他の公務員を民間人と同じカテゴリーで叙勲をせずに、別枠を設けて顕彰すべきではないかと思っている次第でございます。

第3のポイントでございますけれども、大手、中堅企業と中小企業団体の格差が大きいということでございます。
大手、中堅企業の経営者は団体役員歴、審議会委員歴は必要としておりますけれども、自分の事業でございます生業の資本金、及び販売額に応じまして、三等以上の格付けが可能となっております。しかし、中小企業の団体役員の評価につきましては、大手、中堅企業の団体役員と比較しまして、勲等の評価が低いと思います。例えば、商工会や中小企業団体中央会は業種にとらわれずに広く中小企業全般の指導機関としまして重要な団体でありますのに対しまして、勲等の評価が低いと思われます。
現在、我が国の経済が、長期的に景気が停滞しておりますが、仕事をやめる廃業率と始める開業率が、廃業率の方が開業率を上回るという不況の状態で、我が国の経済の新生を図るために、国の産業のダイナミズムの源泉でございます中小企業の活性化が不可欠でございまして、政府におかれましては、中小企業政策の理念を大きく転換をしまして、意欲ある中小企業の新規創造や、ハイテク、ベンチャー企業の育成発展に向けて、具体的な施策を強力に推進しているのが現状でございます。それらのことから、国家栄典制度につきましても、こうした国策に沿いまして、新規創業や、経営革新、ベンチャー企業の創設などに果敢にチャレンジし、多様な雇用の場を供給するとともに、我が国経済の発展に貢献する人々の励みになるような制度も必要ではないかと存じます。
例えば新たに創業したり、企業を大きく発展させた人の功績を顕彰するために、企業の成長度、例えば資本金がどのように増えたかとか、または生産とか販売の額がどのように増加したとか、増加率とか変化度というものを評価基準とするような制度を設けていただけないものかと存じている次第でございます。

第4のポイントでございますけれども、都市と地方の格差が大きいということでございます。同程度の貢献度でございましても、都市と地方では勲等に格差があるということは疑問に思います。例えば商工会議所の場合ですと、人口20万人以上の都市にある会議所と、20万人未満にある会議所では、人口規模だけで勲等に格差があるのが現状でございまして、このために人口20万未満の都市にある会議所の会頭は、どんなに立派な社会貢献をしましても、その貢献にふさわしい勲等に叙せられることが難しいという実態がございます。

第5のポイントでございますけれども、勲等が細分化し過ぎているということでございます。人の一生や社会貢献に対しまして、一等から八等まで細分化した勲等を付けるということが適切かどうかという疑問があります。もう少し大括りにした方が良いのではないかと感じている次第でございます。

以上、中小企業を経営する立場から、国家栄典制度の問題点につきまして、所感の一端を述べさせていただきました。皆様におかれましては、どうか私ども中小企業の経営者に配慮した国家栄典制度の見直しにつきまして、なにとぞ御高配を賜りますようお願い申し上げたいと思います。
以上でございます。

吉川座長  ありがとうございました。何か御質問ございますか。

 最初のところですが、所属団体の在職年数を叙勲の基礎とすることは弊害が多いという御主張でございますね。ですから、在職年数を全く問題にしないというのではなくて、要するに、ここでの御主張は、会頭や副会頭歴の年限が、先ほどおっしゃったように、もともと1期3年、2期6年というのと合わないので、短縮をして、それはそれとして、一種在職年数としては認めるということでございますね。つまり、今のが余りに変だから、直そうということでございますね。

 一番我々のところで大きい問題になっておりますのが、常議員を20年やっていなければならない。中小企業の団体ですと、理事を20年やっていなければいけないということが、非常にこれは大変難しい問題でございまして、70歳で叙勲の対象になりますと、50歳のときに理事とか常議員になっていなければならないということ、これは到底考えられないことでございますので、この期間を何とか短縮していただきたい。

 わかりました。

 Vさんのおっしゃったこと、全くおっしゃるとおりだと思いますが、いずれにしろ、国公立対私立とか、男性と女性は別にして、中央対地方とか、大企業とか中小企業、そこでもう差が付いているのですね。ですから、これそのものがおかしいのではないかと、おっしゃるとおりだと思います。
今日のところに限って、ある程度その成果は、少なくともそれぞれのポジションに選ばれるプロセスなどが公平で、理事長とか会頭とか、なおかつその期間にそれだけのことをちゃんとしておられるかどうかということについての組織そのもののガバナンス(支配)がちゃんとしているということを前提にすれば、長く務めた人は、もともとそういう資格があって、それだけやったと。言ってみれば代用特性でいろいろ実質評価するというのは非常に難しいので、しようがないから期間でやろうということになっているのだと私は思うのですけれども、それの弊害が非常に出てきている。
弊害が出てきているのは、組織組織が、ガバナンスが機能していないから、本来辞めなければいけない人が依然として居座っているとか、ならなきゃいけないのがなっていないとか、本当はそこが変わっていかないと、そういうところがきちんとしていれば、多分今の制度でもそれなりに機能すると思うのですが、なおかつやった上で、最初におっしゃっていらっしゃるような社会に真に貢献した実績を評価基準とすると、これは本当に非常に重要なところだと思いますが、具体的に例えばこういうことをしたらどうかというアイデアはお持ちですか。

 在任期間中にその方が行ったいろんな革新的な仕事というものは、列記するわけでございますが、そこら辺りの内容の評価をしていただければという感じでございます。

 一応推薦には書いてあるのですね。

 それよりも、期間とか何とかということの方が重要視されますので。

 官民格差の問題でございますけれども、先ほどその比率が6対4、この6の中に教育職とか警察官、刑務官が入っているから別枠にしたらいかがかということですね。これはあくまで官民格差が大きいという意味が、この官の中にこういう方達が入っているから、官民格差を大きくしているように見えるので、別にした方が良いということでしょうか。それとも、もう少し叙勲の制度と全く別個の何か叙勲制度をつくった方が良いということですか。

 そういう考え方でございます。そういう方が6の方に入っているから非常に多く見えるのでありまして。

 そういう意味なのですね。

 そういう意味でございます。別にそういう方を。

 この方達を叙勲するということにも、御不満でもないし。

 不満も何もございません。それは当然その方が国のために務められたわけでございますから。

 官民といつも言われるではないかと。

 全体として、官の方にその方たちが入っているから官民比率が大きな問題になり過ぎるのではないか。

 制度として別枠の制度をつくれと。

 できればそうお願いしたいところでございます。

 最初の問題に戻るのですが、会頭歴とか会長歴の短縮の問題、ただ単に短縮するというのではなくて、先生おっしゃいましたように、本当に社会のために貢献された方。この2つはやはり同時進行できちっと表章の基準の中で見ていく、こういうふうに理解をしてよろしゅうございますか。今まで在職年数だけにとらわれ過ぎていたのを、そっちを少し短縮しながら、社会貢献度をもう少し重視をすると理解してよろしゅうございますか。

 はい。それと、先ほどちょっと申しました地方自治体に在職しまして、その方が県の副知事とか出納長とかになりますと、三等とか何とかいう勲章がちょうだいできるわけでございますが、商工会議所の会頭を見ますと、いろいろな県の審議会の委員長とかをやっておられて、だれが見ても、この人とこの人の格差というのはおかしいとはっきり言えるという、その官と民との差がございます。

 地方公務員とお書きになったのは、都道府県レベルというふうに理解して良いのですか。

 そうでございます。

吉川座長  よろしいでしょうか。それでは、どうもありがとうございました。残り時間が少なくなりましたが、事務局から何かありましたらお願いします。

賞勲局長  前回の懇談会以後、若干与党の方で動きがございました。お手元の方に資料として、「与党栄典制度に関するP・T申し合わせ」という紙が配られております。P・Tというのはプロジェクト・チームの略でございますが、与党3党で自民党案をたたき台としていろいろ検討しておられまして、昨年12月22日に与党3党で申し合わせをなさいました。中身をちょっと見ていただきますと、まず第1としては「栄典法の制定をめざす。」。現在太政官布告とか勅令でできておるわけでございますが、これを法律の制定を目指すということが第1点です。
第2点といたしまして、「勲章については、数字による表示(勲〇等)を廃止するとともに、大幅に簡素化する。」。
自民党の方では旭日、瑞宝、五階級くらいということですが、公明党の方は、本来は勲等なしと言っておられるので、大幅に簡素化するということの中身は必ずしも一致しているわけではありません。
3番といたしまして、「対象者については、官民格差、男女格差の是正を図るとともに、自己を犠牲にして社会貢献をなした者等に配慮する。なお、栄典が世代交替を阻害しないよう配慮する。」という項目が入ってございます。
4番目で、政治家、公選職全体を対象としておりますが、「受章対象とすることの是非について両論があり、見解の一致がみられなかった。」。これは公明党が政治家は対象とする必要がないと申しておるのに対して、自民党の方では、やはり特定の分野を排除するのは問題ということで言っておられることの影響でございます。
「選考基準は栄典法令で定める。」、これは公明党の方が基準をできるだけ法律に書けというお話をしておられることに対しまして、何らか明らかにできれば良いだろうという主張との兼ね合いでこうなっておるわけでございますが、この5項目を申し合わせとして出されました。
この与党の方の動きといたしましては、これを政府の方、私どもの方にこういうことで踏まえてやってくれという御指摘をいただいておりまして、懇談会での検討等を見ながら、しばらく様子を見るという話を聞いておりますが、懇談会の方でどういう方向が出され、政府がどういう見解を出すかというところを見た上で再開したいということでございます。
さらに1点、先日読売新聞の1面に、勲等の簡素化の先取りという記事が出ましたのですが、これは本来叙勲基準で言いますと、民間の方につきましては、六等以上を運用することになっておりますが、人目につきにくい分野を出すために七等の運用を一部しておったものですから、そこを少し評価をかさ上げしようということが中心になっておりまして、従来七等に評価されていた方のかなりの部分を六等に上げてあげようというところから始まっている話でございまして、ここでは勲等の簡素化を先取りしたわけではございません。

吉川座長  よろしいでしょうか。何かありますか。

 そうすると、私どもには今御説明ありましたけれども、今後、次の叙勲の発表のときに、何らか政府の方からコメントがあるのでしょうか。要するに、これだけ透明性とかいろいろ言われていますけれども、今まであったではないの、今度ないではないの、この懇談会が途中だけれども、何か言ったのかというふうなことになりませんか。

賞勲局長  極端なことを申しますと、審査するときの審査方針に近いものでございますので、これは公表するときには、こういう観点で評価したものだということは明確に申し上げたいと思っております。

吉川座長  この制度は良いものだということなのだけれども、難しい問題も出てきたような気がするのです。例えば小学校と大学のどちらを選ぶかという話は考え出すと大変難しい、勲章制度を超えた問題がいっぱいあると思うのですが、これはいずれ御議論いただくことにいたします。

次回第4回目の会合ですが、これは3月19日月曜日午前10時から12時までということになっております。
第5回も5月22日午後2時から4時ということになっておりますので、これもよろしくお願いいたしたいと思います。今日はいつものように記者に対するブリーフィングがございますので、とりまとめの上御報告したいと思います。

それでは、今日はありがとうございました。

(以上)