栄典制度の在り方に関する懇談会第5回議事録

日時

平成13年5月22日(火)14:00~16:00

場所

内閣総理大臣官邸大客間

議事次第

  1. 開会
  2. 「栄典制度の在り方に関する論点の整理」(案)について
  3. 今後の議論の進め方等について
  4. 閉会

議事内容

吉川座長  それでは、定刻になりましたので、ただいまから第5回の「栄典制度の在り方に関する懇談会」を開催いたします。本日は御多忙のところお集まりいただきましてありがとうございます。
本日の出席の状況でございますけれども、小林委員が海外出張中のため御欠席であり、また、御厨委員には出席の御予定をいただいておりましたが、緊急の用のため急遽御欠席ということでございます。
本日は、新内閣の発足に伴いまして、小泉内閣総理大臣、福田内閣官房長官、松下内閣府副大臣にも御出席をいただく予定でありましたけれども、参議院予算委員会に御出席のため御欠席ということでございます。政府側からは、新たに阪上内閣府大臣政務官に御出席をいただいておりますので、御紹介させていただきます。
阪上政務官から一言ごあいさつの方、よろしくお願いいたします。

阪上内閣府大臣政務官  どうも皆さんこんにちは。この度、内閣府の大臣政務官を拝命いたしました阪上善秀でございます。よろしくお願いをいたします。
吉川座長を始め、委員の皆様には、御多忙中にもかかわらず、熱心に議論をいただいてまいりましたことに心から厚く感謝、御礼を申し上げる次第でございます。
私としましても、栄典制度は明治以来、長い歴史と伝統に輝き、既に広く国民の間に定着いたしておりますが、21世紀を迎え、社会経済の変化に対応していかなければならないと認識をいたしております。
私ども自民党の中でも、勲一、勲二とか数字を付けるのはどうか、あるいはまた、8等級でなしに5段階にするとか、そしてまた、警察、消防、自衛隊の体を張って人のために働いていただく方をもう少し厚遇してもいいのではないか等々の議論も出ておることも確かでございますが、吉川座長を始め、委員の皆様方には引き続き幅広い視野から十分に御議論を尽くしていただきまして、21世紀の我が国にふさわしい栄典制度の在り方について有益な御意見を賜わりたいと思っておるところでございます。私といたしましても、担当政務官として、今後の会合にできるだけ出席をさせていただきまして、皆さん方の忌憚のない活発な御議論を是非ともよろしくお願いいたしたいと思います。
今日は、どうもありがとうございました。

吉川座長  阪上政務官ありがとうございました。
それでは議事に入ります。
本日の会議では、論点の整理の取りまとめを行うということになっておりまして、それを取りまとめた後で、今後の議論の進め方等について御議論をいただくという予定になっております。 まず、お手元に資料1として「栄典制度の在り方に関する論点の整理(案)」をお配りしてあります。この「論点の整理(案)」は、論点毎に現状と懇談会におけるこれまでの主な議論を整理したものとなっておりまして、本日はまず、この「論点の整理(案)」について御議論をいただいた上で、この形での取りまとめを行いたいと考えております。
それから、本日、もし取りまとめができましたらば、会議の終了後直ちに公表しようという予定になっておりまして、これについて資料2の要領に従って国民から意見募集を行うというスケジュールが準備されております。
また、参考資料が配られておりますが、これは内閣府の政府広報室を通じまして有識者アンケート調査を行うというものです。
それでは、まず、資料1、2と参考資料について、賞勲局長から説明をお願いします。

内閣府賞勲局長  それでは、今日の配布資料について御説明を申し上げます。

まず、資料1でございます。これは「栄典制度の在り方に関する論点の整理(案)」ということで、1ページめくっていただきますと目次がございますが、この形で公表しようと考えております。中身は「はじめに」、それから「論点の整理」といたしまして「栄典の意義」「叙勲制度の基本」「叙勲制度の運用」「褒章」「文化勲章」「叙勲、褒章と関連する制度」「法制面の問題その他」という各項目につきまして、論点を整理いたしております。その後ろに「参考資料」を付けており、一番末尾には「意見提出様式」を付けてございます。これを1セットとして公表いたしまして、一般の意見を求めようということであります。
1枚おめくりいただきまして「はじめに」を御覧いただきたいと思います。この「はじめに」におきましては、この懇談会で栄典制度の在り方の検討を始めた経緯を書いてございます。
それから、下から4分の1ほどのところに、「懇談会は、平成12年10月の第1回の会合以来各界関係者からのヒアリングを含め5回の会合を開き議論を重ねてきたが、この度、これまでの議論を基に『論点の整理』を行うとともに、これを公表して広く意見を求めることとした」と書いてございます。ここにまとめました議論の整理でございますが、この懇談会で出た意見とヒアリングで出た意見の主なものにつきましては、ほぼそのまま取り入れております。重複した意見につきましては、まとめたということがございます。また、言い回し等について、平仄を合わせたりして整理はしておりますが、大部分の意見は入っていると思っております。
「本『論点の整理』は論点毎に現状と当懇談会における議論を整理したものである」ということでございます。最近ちょっと新聞記事などに何々を盛り込むことにしたというようなことが書かれておりますが、盛り込む、盛り込まないということで取捨選択したものではなくて、主な議論は全部両論併記も含めまして入っているという理解でございます。

それでは「論点の整理」の方に入りますが、まず、「I 栄典の意義」でございます。ここにつきましては、「現状」といたしまして、栄典の授与は憲法に定める天皇陛下の国事行為の1つであるということ、それから、栄典とは国家や社会に対して貢献した方を表彰する制度であること、そして、これは各国に共通して存在しているということを書いてございます。私どもの行った調査によりますと、98か国から回答をいただきまして、91か国に勲章制度があったということも付記してございます。
こういう説明をした上で、次のページでございますが、「懇談会における主な議論」として各項目に分けて記述してございます。
まず「(1)歴史と伝統、文化」のところでは、「我が国の栄典制度は長い歴史と伝統があり、日本の文化の一つとなっている」と書いてございます。それから、2項目目でございますが、当初は、「栄典がどういう意味で文化なのかを再認識する必要があるのではないか」と書いてあったものと思います。これにつきまして、若干表現が否定的に取れるというような御指摘がございましたので、「栄典制度の持つ文化的意味を明確にし、社会の共通の理解としておく必要があるのではないか」というふうに書き換えてございます。
「(2)国家・社会への功労に対する国の評価・報い・栄誉」というところでは、栄典は金銭で評価されないような功労を評価するものだというようなことを書いてございます。
「(3)各国共通の制度、外交儀礼」というところにつきましては、国家というものにはそれぞれ功績があった者を表彰する制度があるということ、それから、栄典制度には国際交際儀礼というような面もあるということを書いてございます。
「(4)社会への価値判断の提示」というところでは、栄典制度は、功労のあった方を表彰することによりまして、社会に価値判断を提示している面があるというようなことを書いてございます。
「(5)栄誉の体系として国家に必須、天皇と国民のつながり」というところでは、栄誉の体系というものは国家があれば必ず存在するものであるというようなこと、そして、栄典の授与は天皇陛下と国民を直接つなぐものであって、非常に重要な意味を持つものであるから、この制度は今後も維持していくべきものであるというような御意見を書いてございます。
「(6)制度の定着、国民の支持・期待・励み」というところでございますが、栄典制度は広く国民に定着している、また、国民からも支持があるし、栄典に対する期待もあるというようなことを書いてございます。一方で、3つ目の○でございますが、50歳以下の年齢層の方につきましては、余り明確に意識をしていないのではないかというような御指摘がございました。ただし、そういう若い方々がパブリック・マインドを育むためには、システムを見直した上で制度を維持していく必要があるという御指摘でございました。

次のページにまいりますが「II 叙勲制度の基本」の中の「1 等級について」でございます。「現状」で、現在我が国の勲章には、旭日、宝冠、瑞宝の3種類があって、各々8等級があるということ、それから、その上に大勲位菊花章頸飾、菊花大綬章、桐花大綬章があるということを書き、さらに、外国の制度を参考に挙げており、イギリス、フランスでは各々5等級、ドイツでは8等級、イタリアでは5等級というような制度があるということを記述した上で、続いて主な議論を整理しております。
「(1) 等級の必要性について」におきましては、叙勲は、人を評価するものではなく、功績の大きさを評価するものであるということ、そして、功績の大きさの違いに応じた等級は必要であるという御指摘を書いております。それから、「功績の大きさに違いがある以上、単一級というのは無理ではないか」ということを書いてございます。これにつきましては、功績の大きさがいろいろ違うのに、みんな同じ等級というのでは、何のための叙勲かというようなことが出てくるのではないかというような御指摘をいただいております。それから、文化勲章は単一級でありますが、これは極めて限られた少数の方々に対する最高の勲章だからできるのであって、多数の一般の方々を対象とする勲章の場合はある程度の等級が必要ではないかという御議論が出ておりました。
「(2) 等級の数、表示方法について」は、現在の等級はやや煩雑であって、もう少し簡素化してもよいのではないかというようなこと、それから六、七、八等級辺りはまとめて、全部で6等級ぐらいでよろしいのではないかというような御指摘がございました。一方で、等級をくくり過ぎると逆に不公平が出るのではないかという御意見や、等級の簡素化を図る場合であっても、特に下位等級は切り捨ててはいけない、今まで対象になっていた人を切り捨ててはいけないという御指摘もございました。また、外国との比較も大事だということの御指摘がございました。さらに、「一」、「二」という数字は、使わない方がいいのではないかという御指摘がございました。これと並行した話でございますが、固有的な名称表示にしてはどうかという御指摘もございました。

次のページにまいりますが、官と民の叙勲の在り方についてでございます。「現状」といたしましては、我が国の勲章制度は戦前、軍人・官吏を中心に運用されておりましたが、昭和39年の生存者叙勲の再開に当たりまして、各界各層のあらゆる方々を対象とすることになったということを書いてございます。
懇談会における主な議論といたしましては、「官と民とでは功績の質が違うのではないか」という御指摘がございました。官の場合にはある程度明確に評価ができるけれども、民の場合には明確な物差しがないのではないかということでございました。これと並行して、官と民と叙勲の在り方を分けてもいいのではないかという御指摘がございました。それから、官と民の功績の質について、形式的には違うけれども、「パブリック」への貢献という同じ視点で評価することが重要であるという御指摘もございました。その関係でございますが、「官」と「民」あるいは「公」とか「公共」というものについて明確な定義を置く必要があるという御指摘がございました。
「(2)政治家、公務員の扱いについて」は、叙勲の対象につきまして、人を褒めるのに最初から除外事項を設けるのはおかしいという御指摘がございました。官であれ民であれ、公共のために尽くした方についてはきちんと評価をすべきであるという御指摘でございました。

次のページで、警察官、自衛官に対する叙勲について触れております。これにつきましては、著しく危険性の高い業務に精励した者について、現在は春秋叙勲の中で叙勲を行っておりますが、候補者数が極めて多い一方、春秋叙勲の中では数の制限があるということで、受章者の平均年齢が次第に高くなってきているという現状を書いてございます。
懇談会における議論でございますが、警察官、自衛官等は身命を賭して奉仕することを本務とする特殊な職務でございますので、これは一般の公務員、民間人とは類型を異にすることから別の叙勲としてはどうかという御指摘がございました。また、こういう危険な職務に携わった方々については早めに叙勲するようにしてはどうかという御指摘や、春秋2回ということではなく随時受章してもいいのではないかという御指摘もございました。

「3 男女別の勲章について」でございますが、現在は旭日章と宝冠章は同格の勲章といたしまして、旭日章を男性に、宝冠章は女性に授与しております。宝冠章は、明治21年に、当時のヨーロッパの制度を参考といたしまして女性に対する勲章をつくったということでございますが、私どもが調べたところによりますと、現在では、世界的にみても、同じ功績に対して男性と女性に別の勲章を出しているという制度はございませんでした。このことを「現状」として書いてございます。なお、私どもの調べたところでは、特に開発途上国で女性がたくさん子どもを産んだときに女性に差し上げる勲章というものがあるようでございますが、同じ功績を挙げたときに、女性と男性に別々のものを差し上げるという例はないようでございました。
懇談会における議論といたしましては「栄典制度は、性に中立であるべきである」という御指摘がございました。

次のページにまいりますが、「III 叙勲制度の運用」の面でございます。
まず、「1 叙勲の対象について」でございますが、懇談会の主な議論といたしましては、国際社会に貢献した人、社会福祉など社会的な貢献をした人、経済発展に貢献した人など、時代の変遷に応じた、そういう人を積極的に取り上げていくべきであるというこということでございました。それから、新規創業でありますとか、ベンチャー企業のような方々も評価すべきではないかという御指摘がございました。
受章者の数でございますが、現在は春と秋それぞれ約4,500人を対象としておりますが、これにつきましては、昭和45年からだんだん増えてまいりまして、現在の数字になっております。また、ヨーロッパの例を書いてございます。イギリスが年間約1万2千人、フランスが年間約1万1千人、ドイツが年間約6~7千人、イタリアが年間約1万4千人というような数字でございます。これを人口で見ますと、日本の人口の方がかなり多いため、受章者数からいきますと、割とヨーロッパも多いなという感じがいたします。
懇談会における議論でございますが、特に地方では叙勲は名誉なことで大変喜ばれていることから少し増やしていいのではないか、また、民間の受章者等を増やすために増やしていいのではないかという御意見がございました。

次のページでございます。受章の年齢や時期でございますが、現在原則70歳以上、ただし特に危険性の高い職務、精神的・肉体的に苦労の多い職務などにつきましては55歳以上という仕切りになっております。
これにつきましては、70歳以上、危険業務従事者等55歳以上という原則はおおむね妥当ではないかという御意見がございましたが、一方、70歳にこだわらず、元気なうちに受章できるように少し下げるか、あるいは功績のあったときに年齢にこだわらず出してはどうかという御指摘もございました。また、叙勲が最終的に固まった功績に対する評価なのか、それとも受章を機会にその後更に励みにしてもらうべきものなのか、どちらにねらいがあるのかが大事な問題であるというような御指摘がございました。これについてはまた御議論いただく必要があると思います。

次のページの「4 候補者の推薦・選考手続、審査の在り方について」でございます。現在主務官庁を通じて賞勲局に推薦があり、そこで審査をいたしておりますが、今後もそのシステムがいいのではないかという御指摘がございました。一方、制度全体の問題については、有識者の会議や民間の意見を取り入れたらいいのではないかという御指摘がございました。ただし、個別具体の審査につきましては国の機関が行い、最終的な決定は政府の責任で行うべきであるという御指摘でざいました。
また、各省庁の所管分野ごとに個別に見ますと余り評価されないけれども、全体で見ると非常に大きな功績のある方がいるということで、こういう多分野で活躍された方を漏れなく拾い上げるようなシステムを考える必要があるという御指摘がございました。同じような御指摘でございますが、いろいろな分野の功績があるときに総合的に評価されるようにすべきであるというものがございました。それから、これも同じような御指摘かと思いますが、縦割りの領域を超えた貢献というものを総合的に評価しなければいけないということがございます。

次のページにまいりますが、基準の面でございます。現在は昭和39年に閣議決定されました叙勲基準で功績の評価を行っておりますが、これは非常に抽象的な表現になっております。
これについての御議論でございますが、叙勲の基準について年功序列的になってはいないか、ポストや在職年数のほか、実績をもっと重視すべきであるという御指摘が出ております。一方では、評価が恣意的にならないようにポストや在職年数などで何らかの目安を決める必要があるという御指摘もございました。また、特に民間の基準が難しいという御指摘が出ております。
17ページをご覧いただきたいと思います。官民の格差の問題でございます。ここでは、「現状」に官民の数の統計表を載せてございます。
数の問題につきましては、歴史からみて官がある程度多いのはやむを得ないということがあるけれども、ある程度是正していく必要があるだろうという御意見がございました。一方で、官民の比率をあらかじめ1対1と、こういう比率を定めるような考え方はおかしいであろうという御指摘がございました。

次のページにまいりまして、上位勲等における官民の比率という点でございますが、特に二等、三等で大学の先生、判事、検事等が多いということにより、一等から三等までの上位勲等者で見ますと、民間が少ないという御指摘がございました。この分野に少し民間を増やすというのが、今後の見直しのポイントではないかという御指摘がございました。
19ページで、勲等のバランスでございますが、地方分権という観点からすると、もう少し地方に対する貢献を評価すべきではないかという御指摘、それから、全国団体の役員の方が地方団体よりも高い、あるいは大企業の方が中小企業よりも上というのは、もう古い考えではないかという御指摘がございました。

次のページにまいりますと、叙勲と褒章の関係でございますが、懇談会の御指摘といたしましては、叙勲は国家公共に対する功労の集積で判断しており、褒章は善行を褒めるものであるので、その関係をよく整理する必要があるということがございました。特に、褒章につきましては、優れた事績を表彰するものであるから、事績があった都度表彰するようにしてはどうかというような御指摘もございました。それから、栄典制度は勲章と褒章と2つセットになって存在するので、それを一緒に検討すべきであるという御指摘がございました。

褒章の活用の問題につきましては、大いに活用すべきであるという御指摘がございましたが、「徳行」というものについてはいろいろ考え方が時代によっても違うということで、慎重な検討が要るだろうという御指摘がございました。
22ページにまいりますと、文化勲章の関係でございますが、文化勲章につきましては、若干お年を取ってから受章ということが多いのではないかという御指摘がございました。功績があった場合にその都度何度でも出すようにしてはどうかというような御指摘も出ておりました。
周辺の問題として位階、国民栄誉賞等でございますが、国民栄誉賞につきましては、国民に親しみのある分野で前人未踏の業績に対して総理が機動的、弾力的に表彰するというようなことから創設されたものでありますので、これは国家公共に対する功労の集積を評価する勲章と同一にするのはおかしいのではないかという御指摘がございます。また、功績には質がいろいろ違うものがあるので、多様な褒め方があってしかるべきであるという御指摘が出ておりました。

次のページで、法制面の問題にちょっと触れてございます。これににつきましては、2つの御指摘がございます。1つは、栄典の授与は国民の権利義務に係るものではないので、必ずしも法律によらなくてもよいのではないかという御指摘。もう1つは、やはり公平・公正に運用されるためにも、制度をきちんと法制化して、法的根拠を明確にするべきであるという御指摘でございます。
過去の受章者との関係につきましても、過去との整合性を余り重視し過ぎてもまずいのではないかという御指摘と、整合性を取るべきだという両方の御指摘が出ております。
最後の26ページでございますが、女性の受賞者について優遇措置を講ずるべきかという点につきましては、男女を問わず同じ功績に対して同じ評価をすることが男女平等ということであり、特に女性を優遇することはないという御指摘がありました。ただ、女性の候補者を見落とすことがないように積極的に対象とする意識を持つことが大事であるという御指摘もいただいております。
「4 その他」では、勲章を着用する機会がないという従来からの御指摘が再び出ております。

以上が「論点の整理(案)」の概略でございます。一番最後のページに「論点の整理」に対する意見を提出する様式がございますが、これは資料2の方でもう一度御説明いたします。
本日、この「論点の整理」について御了解いただきましたら公表させていただく予定でございますが、それと同時に資料2の「『栄典制度の在り方に関する論点の整理』に対する意見募集(案)」のとおり意見募集を行う予定でございまして、募集期間といたしましては、明日から1か月間、6月22日までと考えております。 意見の提出方法といたしましては、内閣府賞勲局のホームページに「論点の整理」全文を掲載する予定でございまして、そちらに意見を受け付けるコーナーを設けまして、電子メールにより受け付けることを可能にしております。また、ファックスあるいは郵送でも受け付けるということでございます。様式といたしましては、次のページに書いてございますが、「論点の整理」の項目毎に出していただきたいと考えております。なお、住所氏名等を明確にしない匿名のものについては除外させていただきたいと考えております。
以上が一般の方からの意見募集でございますが、もう一点参考資料といたしまして、「栄典制度の在り方に関する有識者アンケート調査」というものの案文を付けてございます。これは、一般の方々から御意見をいただくのと同時に、有識者を各分野から3,000人選び、その方々に「論点の整理」と調査表を送りまして栄典制度に関する御意見をいただきたいと考えておるものでございます。
問は14問作ってございます。まず、最初に導入部分といたしまして、栄典に関する知識を聞くものがございます。春秋叙勲を行っているのを知っているか、いないか。あるいは、褒章というものを知っているか、いないか。それから、文化勲章を知っているか、いないか。位階というものを知っているか、いないか。こういうことから入ってまいります。

次のページで「栄典の意義」について聞いております。これは、「『栄典制度の在り方に関する懇談会』においては次のような意義が挙げられておりますが、この中からあなたのお考えに近いものを幾つでもお選びください」という形で選んでいただこうというものでございます。例示されたもの以外の意義があるということであればそれも書いていただき、また、「その他」という選択肢を設け、例えば栄典に対して否定的な意見があるとすればここに書いていただくということを考えております。
なお、この調査はあくまでも懇談会の「論点の整理」を基にしたアンケートということでありますので、白紙から栄典制度というものが要るか、要らないかというようなことを聞いている形ではなく、「論点の整理」を土台として聞いているという形を取っております。
3ページが問3でございますが、叙勲の対象として現在あらゆる分野を取り上げていることになっておりますが、地域社会の発展に尽くした人に対する叙勲を増やすとか、こういうところを重点的に増やしていったらどうかというような御意見をいただこうというものでございます。これも「その他」の選択肢を設けており、全く別の意見も受け付けられるということでございます。
4ページの問4では受章者数、受章年齢について聞いております。数については現在おおむね年間9,000人 ということですが、これについてどういう御意見かについて、民間を増やした方がいいとか、このような形でお伺いすることにしております。それから、問5では受章年齢につきまして、功績が固まったところで表彰するということから70歳が適当である、あるいは、受章後の活躍も期待するということからもう少し下げてもいいのではないかというようなこと等を選択肢としております。
5ページの問6では、男女別の勲章について聞いております。これについては、現行のままでいいのか、あるいは男女共通にすべきかというようなことを選択肢としております。問7では、警察官など危険業務に従事する方につきまして、現在数が限られるのでだんだん受章年齢が高くなっているという現実を書いた上で、どういう形で行うのがいいかというようなことを聞いております。
6ページの問8では、功績評価について、どういうものの評価を高めたらいいかということにつきまして伺っております。
7ページの問9でございますが、現在の分野別構成を提示しておりまして、どういうところの割合を増やすべきかということを聞いてございます。
8ページの問10では、等級区分につきまして、外国では5等級なり8等級であるというようなことを御紹介した上で、現在の区分のままでいいのか、「一」「二」という数字は分かりやすいからいいのか、それとも使わない方がいいのか、あるいは民間の分野については等級を付けるのはふさわしくないので単一の等級にした方がいいのでないかというような選択肢を入れてございます。
9ページの問11は褒章の関係でございます。幅広く活用した方がいいとか、こういうものを新たに取り入れた方がいいというようなことを選択肢として入れておりますが、公明党の御指摘等も踏まえまして、民間の分野については勲章よりも褒章の方がいいのではないかという選択肢も入れております。
10ページは文化勲章の関係。それから位階の関係。問14は自由記述でございますが、考えたことを何でも書いていただこうということでございます。
以上のとおり計14問考えております。こういう形でアンケート調査を取りたいと考えております。
なお、このアンケート調査につきましては、政府広報室経由の世論調査の一環でございますので、調査の適正を図る関係から事前に調査表が漏れないようにという注意がございますので、この参考資料につきましては、委員限りということにしていただきたいと思います。

以上でございます。

吉川座長  ありがとうございました。局長から説明がありましたように、「論点の整理(案)」は、両論併記の部分があるなど、この懇談会で出された意見及びヒアリングで出された意見をできるだけ列挙し、それに現状の説明を加えたという構成になっています。何か御意見がございましたらどうぞ。

 「論点の整理(案)」を拝見しまして、大変よくまとめられたと思います。いろんな議論がありましたし、相反する議論もありましたので、これらの議論を、栄典制度を将来に向かって建設的に改めるところは改め強化していくという、この懇談会の目的に合った形の答申にまとめたいというのがみんなの願いです。そのための「論点の整理(案)」は、大変よくまとめていただいており、特にここはこうだということを申し上げる部分はございません。
第1回の会合で申し上げたのですけれども、自分の人生の全部ないし大部分というものを、私益追求はせずに公のために捧げて生涯を送ったという人に対して、国家がその労を認め、報い、勲章という形で評価し、それを本人のみならず家族一同も心から喜ぶという、そういうものがやはり叙勲制度の原点であると思います。私は、これは日本だけでなく、叙勲制度はどこでも基本的にはそういう考えに立っているものであると認識していることを申し上げたつもりです。その点は、「はじめに」の3節目に大変きちんと整理されて書かれており、この趣旨がきちんと生かされた形で取りまとめていただいたと思います。その上で、社会情勢が変化しているため、今までどおりでいいということはないだろうということがあり、例えば、「官」と言うけれども、現在では「民」の中にも国際貢献も含めたいろんな分野で活躍している方々がおり、あるいは官と民との中間的な肩書きの方々が頑張って公的な活動をしている。これらの方々が推薦から漏れているとすれば、そこはきちっと救えるようにする。それから、女性の進出の問題等、改めるところは積極的に勇気を持って改めるべきであるが、それによって叙勲制度の原点までもがおかしくなることはよろしくないのではないかという趣旨を申し上げたつもりでございます。
第1回会合であえてもう一つ申し上げたのは官民格差についてでした。それはそれでいろいろ改める要素を持っているわけですけれども、同時に、今の一種の官僚バッシングというようなものに短絡されて、官が少しでも減る方がいいとか、民を増やせば増やすほど成功だというような議論に流れてしまう。それが叙勲制度改革の1つの成果だというふうなことになると、これはやはり本末転倒ではないかということを申し上げました。この点につきましても、民を増やすということであれば数を増やすということではあるけれども、それによって本来今までいただいている、今後もいただくに値する官の方が見捨てられることがあってはならないというようなことがきちんと書いてあります。
これらの点も含めて、私としては、この「論点の整理(案)」は、全体としては大変いい取りまとめではないかというふうに思います。

 叙位、叙勲など栄典そのものが日本では文化の1つであって、日本の文化の質を考えると、奈良、平安、鎌倉、室町時代と文化の面ではずっと継続性があると思うのです。そういう上に立った栄典制度であるということです。そして、先ほどの御発言にもありましたように、初期の栄誉制度はこれをたがえず、時代に即応したように、例えば、最近危険を冒して人命を救助したり国を守ったりするいろいろな事例が出てきていますが、そういう面はどう評価するのか、この点につきましては、褒章制度を活用するとか、いろいろプラス改良があると思いますが、私は、この取りまとめは、根本的な面について趣旨が大変よく出ていると思います。疑問点のところには、反対意見も併記してこう考えられるということも書いておりますし、その点も勘案して私は大いに賛成でございます。
文化の継続性について更に言えば、例えば、驚くべきことに、伊勢神宮の遷宮は61回続いているのです。20年ごとの遷宮ですから、61回ということは、これまで千2百何十年続いてきたということになります。その精神は農耕文化の象徴である高床の蔵をつくる精神であって、デザインも、使っている用具も61回前のものと全く同じなのです。建築力学、構造等のすべてが発達しているのですけれども、近代化された電気農具を使ったりかんなを使ったりといったことは絶対にしないで、1,200年前の天平時代のやりかんなをそのまま使い、この精神を忘れないのです。これが文化の1つの質を示していると思うのです。また、最も古い法隆寺の場合は、1,300 年経っているのですけれども、解体修理しながら外来の文化を徹底的に保存しているのです。これを補修しながら、どんな些細な部品でもできるだけ残し、補強しながら伝えていく。これは当時の仏教伝来の文化であります。
それで、伊勢神宮の場合は、材木やその他は新しいのですけれども精神を忘れない、これらを2つ足してちょうど日本の文化の継続性なのですけれども、法隆寺の場合は、古い工法なのですけれども、徹底して近代的ないろいろな文化財保護の研究を駆使しているという面があると思います。勲章についてもそういう気持ちを忘れないで、足りないところを時代に即応して補強するということについて、私も全体的に賛成です。

 私は、皆様の考えとすごく違うというわけではないのですが、栄典制度について考える尺度というのが年代によって多少違っていると思うので、国民から意見募集したときに、若い人の意見がどれだけ寄せられるかというのが大変心配なところです。ある年代の方からの意見に偏ってしまうという方向になるのではないかという思いがあります。若い人の意見をもっと取り入れる方法が何かないだろうかなと思っております。
私といたしましては、今まで参加させていただいて考えを整理したときに、やはりここにきて栄典制度の在り方を検討するのなら本当に抜本的な改革をする必要がある時期なのではないかと思いつつも、過去との整合性とか、あまり変わったことをするとどうのこうのという意見が多過ぎて、改革といっても具体的にどうするとか、説得力のある話し方ができないものですから、前回も黙っていたのです。ですが、どうも現在の制度を変えること自体に抵抗があるような感じを受けるのです。ここで思い切って抜本的な見直しをするのだという、そういうところをもう少し出せないかと思っております。
ですから、「論点の整理(案)」には、皆さんの御意見のうち賛成意見、反対意見を含めいろいろ載っているので、この表現の仕方でいいのですが、もう少し若い世代の人たちの意見が取り入れられる方法とか、本当にここで栄典制度の在り方を変えていくのだという意欲と言いますか、そういう時期なのだということを表現するようなものがもうちょっと欲しいと思っております。

 今の御意見につきまして申し上げると、我々は若い時には、永久に若いまま生きると思っているのです。ですから、年を取ったら栄典をもらうなんていうことには全然興味がなかったわけです。意見を言えといっても、若いから、栄典をもらえるとかということは夢にも思いませんし、では直接関係があるかと言えば、偉いなとは思っても身近に感じることもできません。こういうことを考えるのは、やはり年を取った証拠なのですね。若い人に意見を出せといっても、やはりこういうことはあると思うのですね。ですから、全くそんなものいらないとか、何とか建設的な意見を出そうとかいうことは、やはり高い年齢にならないとなかなか親身になって考えられないのだと思います。
私は、フランスでレジョンドヌールとアカデミーの外国人会員に推薦されて、レジョンドヌールのときは、直接シラク大統領からいただいたのです。また、アカデミーの会員のときには、推戴式をやりますが、みんなナポレオン時代の格好をして来るのです。帽子をかぶってサーベルをつりまして、ルイ16世時代からの服を着ているのです。フランス革命を起こした国が何でこんなことをするのかと思いました。席順を見ると、プリンセス・ナポレオンと書いてあり、それが一番のメインゲストになって着席していました。これが文化だなと思いましたけれども、ヨーロッパは、なるほど革命を起こして新しいことをやりながら、そういうセレモニーみたいなものを非常に大事にしているのです。入場するときにはサーベルを抜いてトンネルにしまして、太鼓をたたいて、どっと入ってくるのです。これも文化で、一朝一夕にはできないものですが、200年ぐらいの歴史であり、我が国の方がまだ長いわけです。
つまり、建設的で破壊的なものが新しいのか、それともきちっとしたものを守っていく勇気があるのか、いずれかだと思うのです。伊勢神宮の話では、今では電気かんながあったりのこがあったりして、近代的な建築家では、そういうものを使ってやった方がいいとか言う人もいますが、それをしないで手づくりなのです。あえて素朴な、いろんなところで発掘されている弥生時代の農耕稲作の初期のつくり方をやっているわけです。もし、それを一度壊してしまうと、全然分からなくなるのです。栄典についても、時代に即応した画期的なことをどんどん考えながらも、何もかも全部守れと言うのではありませんが、この精神だけはやはり欲しいなと思います。

 私も若い頃、学生時代に、おじいさんは勲章をおもらいになったとか、父がいただいたとか言われても別に何とも思っていなかったので、まして、自分がいつどうなるかということは考えも及ばなかったのです。そういうものだと思います。先ほどの委員の御発言は、その世代に属する方の気持ちを率直に語っておられるので、それに異論を唱えるつもりは全くないのですけれども、私は、むしろ逆に考えておりまして、先ほどの有識者アンケートも含めてこれから寄せられる意見には、何でも反対といいますか、これでは生ぬるいとか、こうしたら成功だとか、これでは不十分だというような意見の方が出てくるのではないかと思います。これはだめだということの方が割合にはやって、現状にはメリットがあるというような意見は、保守的というか、改革に抵抗するものと見られがちな世の中ではないかと思うのです。いいものは残し、改めるものは改めるという両面があるので、その辺りは調和を図り、その接点と言うのでしょうか、それは最終的にお決めになる最高責任者の方の判断になるのですけれども、我々の仕事は、この会議に参加した人間の感じる、なるべくバランスの取れた公平な意見を、場合によっては両論、三論併記でもいいから提供することではないかと思います。そういう意味で、私は「論点の整理(案)」はよくまとめられていると申し上げたわけです。

内閣府賞勲局長  若い人の意見が出るだろうかというお話がありました。「論点の整理」はインターネットのホームページで公表いたしますけれども、インターネットを使って御意見が来るのは、若い人の方がかなり多いと思います。そういう意味では、手紙やファックスやインターネットを使いますと、かなり年代の幅の広い層から意見が挙がってくるとは思います。御指摘のあったような御意見がたくさん出てくるとちょっと怖いという意識はあるのですが、こういう手順も必要と思いますので、御理解いただきたいと思います。

 私もこの「論点の整理(案)」を読ませていただいて、今までずっとやってきたことを、また我々の意見を賛否両論含めながらよくまとめていただいたと思います。この「論点の整理(案)」というボールを国民に投げていく段階になっているのだと思います。
2つの点を申し上げます。1つは、若い人と、ある程度のお年を取られた方との間の意識の違いというのは確かにあるだろうということです。そこで、意見がどれぐらい集まってくるかによるのでしょうけれども、ボールがかなりたくさん投げ返ってきた場合には、年代によるデータ処理をなさってみたらいかがかと思います。同じ問に対する20代の方と60代の方の受け止め方は、先ほどの御意見にもありましたとおり少し異なるのではないかと思います。それを同じ土俵の上で比べるのではなく、年代別のデータの処理というものが必要なのではないかと思います。可能であればそのことをお願いをしておきたいです。
それからもう1点、何よりも大事なことは、先ほども御意見が出ましたように、もう栄典制度なんてやめてしまえという、こういう乱暴な意見についてです。いつも思うのですが、破壊作業は簡単なのです。しかし、1回破壊されると、建設するのには、大変な時間と労力が掛かります。表現が適切でないかもしれませんが、無責任な破壊作業につながらないように、我々でそういう点はやはりガードするべきではないかと思います。栄典には非常に意義があるということを、ほとんどすべての委員の皆様方がおっしゃいましたし、私もそう思っています。特に我々のような地方の者にとっては、栄典は非常に大きな励みになっています。
また、案にも書いてありますように、陛下と我々国民をつなぐ大きなパイプだろうと思いますので、是非こういう制度そのものは続けていただきたいと思います。そういう意義というものを我々は重く受け止めておくべきだと思います。
ただ、方法論、各論については、この「論点の整理(案)」に書いてありますように、評価の基準、物差しだとか、官と民の違いだとか、いろいろな面が議論されました。これらの点に関して、今後、基準、物差しをいろいろ変更なさる、あるいは見直していく中で、運用面を是非お考えいただきたい。それが、やはり国民の皆様方の合意を得る最も適切な方法ではないかと思っております。単なる年功序列ポストだけではなくて、社会貢献度というものを、基準、物差しの中に是非入れていただきたい。社会貢献度は、官にも民にもあると思いますので、そういうようなファクターも勘案していただければありがたいと思っております。そういうことによって国民の皆様方の合意が得られるのではないかと考えています。

 私は、今回この懇談会ができて整理をしていることについて、大変重く感じています。というのは、この制度はずいぶん古いものですし、位階などに至ってはもっとずっと昔からの制度であるということもございまして、今回ここでいろいろと検討すれば、次になかなか変えられるものではないと思います。そこで、参考人のどなたかの言葉の中にあったと思いますけれども、これからはやはり若い人たちがだんだん出ていくわけですから、そういうところも見越しながら、私たちはこの制度の見直しというものを私たちはやっているのだという姿勢はきちんと出していきたいと思います。
そういう意味では、過去との整合性の問題というのは、いろいろ矛盾するのです。今までのことがあるからいけないというのでは、何のために見直しをしているのか分からないということにもなりかねないわけでございますから、私は、やはりこれはとても難しいところだというふうに思っております。「論点の整理(案)」の25ページの整合性のところは苦心の表現になっていると思います。これについては私も意見を申し上げまして、こういうふうにおまとめ下さったことで、私はこれでみんなに問うていきたいと思っております。
先ほど申しましたように、この制度は早々軽々と変えられるものではないので、やはりこの際きちんと考えたという姿勢だけは、最終報告でも座長の方でお取りまとめの中に是非入れていただきたいなと思います。しかし、大事にしてきたものを簡単に全部変えればそれでいいというものでもないので、今回の「論点の整理(案)」のような表現でやむを得ないかなと思っております。
25ページにも「今後うまく機能する制度とすることが重要である」と書かれておりますけれども、今後を見通しながらどうするかというのは、皆さんの御意見が出てきたところで、それはここら辺ではないかということを我々がもう1回まとめていくのではないかなというふうに私は思っております。
もう1つは、今回のこの「論点の整理(案)」は、私も大変よくまとめていただいたと思っています。ただ、この見直しに当たって検討すべき事項というものを、とにかく漏らさないようにという形で全項目について挙げてきましたので、確かにどの項目についてもそれぞれ触れたと思いますけれども、我々がどうしようとしているのかというところはまだ見えないわけです。それは御意見をいただいてからの第2段階の問題であるということかもしれません。けれども、そこら辺に皆さんからの不満も出てくるかもしれませんし、議論の一つずつは分かったけれども、懇談会は結局どうしたいのか、そういうふうな意見が出てくる可能性はあると思っております。
従いまして、我々はいろいろな項目について議論しましたが、一方でウェート付けをしておりませんから、これはまとめの段階に入ってですけれども、どこまでどうするのか、もう1回我々が試されるときがあるかなというふうに思っています。
あと1つ、褒章についても、私はやはり叙勲と同様に大変意義のあるものだというふうに思っています。褒章がそれぞれの分野をカバーしながら、国民の範になり、評価がされるというふうなことを考えますと、私は、褒章は功績の大きさというよりも、範囲とか分野というふうな形で、何か質を表すものではないかと思います。これをとても大事にしたいなと思っておりますけれども、例えば徳行を褒める緑綬褒章というものがこれまであまりないですけれど、これをもう少し増やしていったらどうかということも、意見に出ていたかと思います。やはり何を徳行とするかというふうなことは、大変難しい問題だろうと思っています。21ページの「懇談会における主な議論」にも書いてありますように、時代によって変わるものと変わらないものといろいろあるのではないかと思います。このような点についても今後意見をいただくことになりますが、褒章というものを大事にしながらも、時の政府とは言いませんけれども、時代によって変わるようなものを褒章制度の中に持ち込むというのは、やはり適当ではないということだけ申し上げておきたいと思っております。

 今のお話に関連しますが、私も若いときに勲章という制度があることはもちろん知っていましたけれども、それをもらうために何かやろうとか、それについてどうこうしようと思うことは全くなかったのです。ですから、今の若い人たちに関心がないということではなくて、昔から若い人は関心がなかったと思うのです。若い人たちにこれを理解させるという必要はあるかと思いますけれども、そのことにそんなに大きな期待は持てないのではないかとも思います。むしろ、先ほどの御意見にもありましたように、当時我々が考えていたのと同じような、非常に否定的な、あるいはシニカルな意見が出てくるというようなことも考えられるわけです。ただ、これはできるだけ、今度は広く国民の皆様方の意見を聞くというわけですから、是非若い人たちの意見も聞いていただきたいと思います。このように、若い人の意見というのは大体私どもの想定できるようなものでございます。しかし、私は、それをそんなに重要な要素とは必ずしも考えないのです。やはり、大勢の人の意見を聞いてということでありますから、是非聞かなければならないと思います。
それから、先ほどからお話がありますように、この「論点の整理(案)」の取りまとめに当たっては、やはりよくまとめられたと思います。ここには、両論併記、三論併記もありますが、それはそれでいいと思うのです。先ほどの御意見では、抜本的な改正の視点がないということも少し言われましたけれども、その御意見はこれまでの懇談会における議論にあまり出ていなかったのではないでしょうか。だから、ここにはまとめようがないのではないかと思います。今のような御意見があるとすれば、むしろ今日までの4回の会議の中で、これはこうだとか、これは全然なってないというような御議論があって、それが「論点の整理(案)」に書かれていたとすれば、これから意見を聞いたときに、有識者なりあるいは一般国民から、それはそうだ、そのとおりだというような意見も出るでしょう。この点については、意見を聞いた後、また我々で議論しなければいけませんね。だから、そこにまた期待を持たなければいけませんが、今のこの「論点の整理(案)」については私はやむを得ないのではないかなと思っています。
もう1つ、褒章と勲章の関係をきちんと整理しないと、問題は正確に理解されないのではないかということを申し上げました。やはり、勲章、褒章は目的、性格が違うわけですし、対象も違うわけです。ですから、そういうことの中で考えると、私は、国の栄典については、この2つをどのように位置付けて運用するかということをしっかり考えなければならないと思います。現在は、勲章と褒章との限界が必ずしも明確でない部分があります。特に、勲章は国家・公共に対する貢献ということを言っていますが、褒章の中でも藍綬褒章には公衆の利益を興すということが書いてあります。したがって、これは見ようによっては非常によく似たものです。現に、生存者の叙勲が停止されていた期間には、私の聞いたところでは、藍綬褒章が勲章を補うものとして運用されたという事実があるらしいのです。その後遺症が今も残っている。したがって、勲章で処置するところを褒章で、あるいは褒章で処置するところを勲章でというふうに、そこの概念がどうも混交している面があるように思うのです。ですから、これから問題を整理して、意見を聞いて進めていく上では、やはりその点について頭をはっきりと整理して対応していかなければならないと思っております。いずれにしても、個人の善行を表彰する制度と、国家・公共への貢献と言うものをたたえる、あるいはこれに報いるというような制度との違いは、やはり大きなことでありますので、その点は見落としてはならないというふうに思っています。
いずれにしましても、今日指摘されておりますこの制度の問題というのは、官民、男女、あるいは中央・地方と、それぞれに質の違った功績というものを、いかに公平、公正に判断するか、その基準をどのように考えて、どのように運用するか、そこにかかっているような気がいたします。
したがって、これから一般の方々、あるいは有識者の方々の意見をよく承って、それに対応して、更に我々が研究をしていくということが必要ではないかと思っております。

 現実には褒章をお受けになる基準に達している方がたくさんいらっしゃる一方で、褒章と叙勲制度というものが少し入りこみ過ぎているということのために、推薦母体となるところには、言いにくいでしょうけれども、いろいろな意見が寄せられて、それを裁くために大変苦労しているという実情があると思います。
先ほど、我々がどんな考え方を持っているかという整理を今回はしていないということを申し上げましたが、この点についても、我々はまだその段階まで来ておりませんでしたので、実際には次の段階できちんとすべきではないかと思っております。

 選出の際の公平性は、今までですと、年齢は何十歳以上とか、どのぐらい勤めているとか、数値で推し測ってきたわけです。自分の置かれた地位や年限、その結果などは数値ではっきり出てきますから、これにより中央・地方、あるいはいろいろな立場による等級というものがおのずと決まりますが、そういうものの質がとんちんかんではないかという指摘はありました。このような電圧が違うものを変圧するような操作というのは複雑になりますので、それはそれでおいて、例えば、地方の小さい学校で非常に成果を挙げた教員ですとか、あるいは病院の規模は小さいけれども成果を挙げた場合には、職能という専門分野の表彰で十分カバーできると思うのです。
叙勲の場合でしたら四等より上は行けませんけれども、褒章制度をうまく活用すれば、これがカウントされれば三等、二等ぐらいには十分評価されます。叙勲ではないのですけれども、褒章の評価を明確にしておけば、福祉や防衛の問題などいろいろなことが公平に選別できるのではないでしょうか。それがあいまいなものですから不公平感があるように思います。
その褒章と叙勲についてしっかり明記しておく必要がある。そうでなければ、なぜ一等、二等なのかというあいまいな比較の問題について、いろいろ疑念点を持つ人がいるのではないでしょうか。特に中央と地方の格差の問題や、あるいは危険を冒して業務を行っているような立場の人についてですね。
それと、年齢を少し引き下げて功績を認めるというふうなことも必要ではないかということは、やはり広い理解を得るのではないのでしょうか。

 この「論点の整理(案)」は非常によくまとまっているという感じがいたしました。ただ、先ほどからの議論にもございますが、この「論点の整理」を一般に公開して意見を求めたときに、勲章に関する意見はかなり出てくると思うのですけれども、褒章あるいは位階といったようなものに対しての意見というのはそれほど多くはないのではないかと思います。特に、勲章の等級を数字で表すのはどうかとか、官民格差がどうかとか、そういった議論はかなり戻ってくることは期待できましても、褒章なり位階なりについてはあまり期待できません。そういう意味では、むしろこの場で、褒章なり位階なりの議論をしなければいけないのではないかというふうに感じております。
褒章を大いに活用すべきだという意見がこれまで出ているのですけれども、一般には勲章に関心が集まって、褒章にはそれほど関心が集まらない。どちらかと言うと評価も低い。したがって、褒章に対する関心を高め、評価を高める方法みたいなもの、あるいは勲章と褒章の役割をいかに変えてといくかという方法みたいなもの、更に、総合的な評価やあるいは業績の評価とどう違うのかというようなことについての議論はこれからしなければいけないのかなという気がします。
これに関係して、いわゆる栄典制度の範囲外とされている国民栄誉賞や内閣総理大臣顕彰との関係も、それは別だというだけでは済まない。特に、国民栄誉賞は、国民に親しみのある分野で前人未踏の業績に対して表彰するものなどと言ったときに、そんなものなのだろうかという気もしますが、これらの問題についても、これは今後の議論なのかもしれませんけれども、意見募集を踏まえて、その先を考えておかなければいけないのかという気がいたしました。

 褒章について質問があります。例えば、大学の先生でいろいろ発見、発明をなさって、それが非常に高度であれば文化勲章まで行く場合もありますが、その手前で紫綬褒章を受賞される場合の年齢についてはどの程度の目安を置いているのですか。
叙勲の場合は70歳で勲三等などとなりますけれど、紫綬褒章の場合はこれと重ねて受賞される先生もおられますよね。

内閣府賞勲局長  紫綬褒章につきましては50歳以上を目途にしております。勲章よりもある程度若いうちにお出ししており、更に文化功労者になられる方もいらっしゃいます。

 紫綬褒章のほうがかなり評価が高いですね。小さな文化勲章ですね。

内閣府賞勲局長  紫綬褒章については大体現職で受賞されていると思います。

 褒章のグレードがアップするようなイメージに持っていくとよろしいのでしょうね。

 褒章については、章によっても扱いが少し違うのです。要するに、全般的に言えば褒章は公務員を対象にしないというわけです。その例外といいますのが紫綬褒章でございます。この場合の例外というのは、大学の先生が研究の結果として何かを発明されるとか、そういう功績があった場合には、年齢の若いときにまず紫綬褒章を出され、それから、叙勲の年齢に達したときに今度は勲章を与える。こういうふうに、褒章を勲章の下位の扱いにしているのです。そこに一つの問題と思うところが私はあります。
もう1つ、褒章の中の問題として、細い話になりますけれども、例えば業務に精励した者に出される黄綬褒章がありますが、中小企業の経営者がこの対象に入っていますね。一方で、大手企業の経営者は藍綬褒章の対象に入っているわけです。そこで評価を変えているのです。前者には、自分の職業に精励したということで黄綬褒章を出す。後者には、公衆の利益を増したということで藍綬褒章を出す。やむを得ずそういう運用をしたということもあるかと思いますが、このように、褒章の中でもちょっと違う扱いになっています。それで、公衆の利益ということになりますと、勲章と非常に似ているというような混乱があり得るため、そういうようなところを頭の中で整理しないといけないと思います。

内閣府賞勲局長  ちょっと補足させていただきます。今のお話にございましたように、中小企業に黄綬褒章をお出しし、大手企業に藍綬褒章をお出しするというのがございますが、これは推薦する役所によって若干異なっているところがございまして、例えば金融機関ですと、大手には藍綬褒章を出し、信用金庫などの小さいところには黄綬褒章を出したりすることがございます。また、国土交通省では、大手には藍綬褒章を出して、中小の建設会社には黄綬褒章に出したりしています。
本来の目的からいうと、黄綬褒章は自分で技術を持って仕事をしている人たちを対象としていると思うのです。むしろ、このような経営者の方は、黄綬褒章が本来予定する対象ではないのではないかと思っているのですが、各省と推薦の基準などをすり合わせますと、そういうふうになっているところがかなりあります。
それから、藍綬褒章については、地方議会議員が現在対象となっています。これは、生存者叙勲を停止したときに、本来叙勲をもらえるはずであった地方議会議員を表彰するために藍綬褒章を使ったという経緯があるようなのですが、この方々は同じ功績で2回もらえることになるのです。そういうところをちょっと整理しなければならないということは、我々の念頭にもあるのですが、どうやって各省横並びでうまく整理できるかというのがなかなか難しいところなのです。

 オリンピックのマラソンで高橋尚子さんが国民栄誉賞をもらわれましたよね。

内閣府賞勲局長  オリンピックで金メダルを取りますと、勲章の種類で賜杯というものがあるのですが、二等相当の賜杯をお渡ししております。それから、オリンピックの入賞者については内閣総理大臣の表彰をお渡ししております。なお、高橋さんにつきましては、陸上で金メダルを取ったのが初めてということでありまして、国民栄誉賞を出したという経緯があります。それに対して、田村亮子さんには内閣総理大臣顕彰をお渡ししたということがありまして、これがどういう関係になるかがまた難しいところではあります。

 スポーツでも音楽でも、若い人が何かみんなを元気づけるようなことをしたときに出してあげると、みんな関心を持つのではないでしょうか。年を取ってくたびれてからもらうのではなく、現役バリバリのときに受賞する制度として、かつ、功績のあったときに間髪入れず出すということになると、皆さんの元気もまた違ってくるのではないでしょうか。

 JRのホームに酔っぱらって落ちた人を救うために2人の方が亡くなりましたが、あのような方々はそれこそ自分の命を投げ打ってという感じがいたしますから、勲章を授与されるに値するのではないかと思います。

内閣府賞勲局長  あの方々には木杯をお出ししました。杯は、要するに勲等を付けるのにふさわしくない方にお出ししております。民間の方が災害救助等に協力して亡くなったりしたときに、今までも木杯をお出ししていたものですから、今回もそれをお出しいたしました。

 木杯というのは、どういう位置付けのものですか。

内閣府賞勲局長  例えば、五等、六等に相当するような勲章をあげるような場合で、勲等がふさわしくないような場合には、菊の紋章の入った杯をお渡ししております。なお、勲等の上の方が銀杯で、下の方が木杯となってございます。

 関連して、仮に公務員が勤務時間外に人を救った場合にはどうなるのですか。

内閣府賞勲局長  公務員の場合、例えば警察官であったとすれば、殉職扱いになるかならないかで、お出しするものが違ってきます。

 一般の公務員が勤務の帰りがけに遭遇してしまった場合などはどうでしょうか。

内閣府賞勲局長  例えば、私たちが救助したといたしますと、それまでの勤務年数を評価して勲章が出るか、あるいは一般に非常にいい印象を与えたということで多少それよりプラスするかという話になってきます。したがって、若い人ですと至らないときもあり得る。よって、そういうときにどうするかというのがまた議論になってきます。やはり杯になるかもしれません。

 JRの事故は、褒章の系統で言うと、「人命救助」ですので、「救助」できなかったですけれども紅綬褒章を出すということにはならないでしょうか。

内閣府賞勲局長  その議論は確かにあるのですが、これまでは、相手を救わないと紅綬褒章を出していないということがございます。なお、紅綬褒章の場合でも、本人がお亡くなりになっており、遺族追賞になるものですから、そうするとやはり杯になるということになります。

 ちょっと役所的な解釈になるような気がするのですけれども

内閣府賞勲局長  その点はちょっと改めようかと思っているのですが、従来、救おうとした相手方が亡くなったときに出した例がないのです。今回は、そういうことで勲章の系統の杯ということになりました。

 救助にならなかったという意味ですか。

内閣府賞勲局長  文言解釈の問題と思いますが、褒章条例に「人命を救助したる者」と書いてございます。今回の場合、そういう御努力をなさったことに対しての表彰ということで、勲章の系統の杯ということにいたしました。

 勲章の方が上だという理由で出したわけではないのですね。

内閣府賞勲局長  はい。

 若い人は、勲一等とか二等とかいうことよりは、身近なことに興味があるのです。ですから、福祉や人命救助など、若くてもできることに対して何らかの授与を考えているというようなことになれば、応じてくると思います。
若い人が正直に反応すれば、勲一等、二等は70歳過ぎないともらえないから、30年後には意見を言うとしても今は考えられないと言うか、あるいは関係がないから無責任にやめろと言うか、そのどちらかでしょうね。 それらが射程距離にあれば意見を持つと思います。

 オリンピックの話の関係で、パラリンピックに出て金メダルを幾つか取られた女性の方いらっしゃいましたが、この方には何を授与されたのでしょうか。

内閣府賞勲局長  オリンピックと同じで、やはり二等相当の銀杯を差し上げています。

 以前にお話ししたかもしれませんが、現在、国際協力のために、JICAの青年協力隊を始めとして、NGOの一員として海外に出ておられる方が随分いて、仮に期間は短くても、それはまさに国際協力という形のパブリックという意味での大きな役割や責任を果たしていると言えます。一番辛いのは、元気よく赴任した二十歳代の青年協力隊員が、アフリカの奥地などで、こちらの責任ではない巻き込まれ的な事故で、あるいは突然の病気で亡くなってしまうことです。それが一番辛い出来事で、しかも数は決して少なくないのです。こういう統計を取るのは失礼ですけれども、やはり何人か、時には10人ぐらいになる年もあれば、今年はなくてよかったというような年もありますけれども、こういう方々に、病気やけがして帰ったというような人等を含めますと、限りなくゼロにする努力は払っていても、残念ながら完全にゼロにはならないというのが現実でございますし、今後も多分そうではないかと思います。
そういう方々に対して、国としての表彰である栄典を与えるかということは、いつも当事者と当局との間で議論があるのですが、なかなか難しいのです。現地でどんなことをやったかというのは、本人しか行かないところで起こるものですから、なかなか証明するのが難しく、相手国に言ってもなかなか説得力のあるきちんとした文章が出てこないことがあり、ついついそこまで至らないで、JICAとして、あるいはその関係者でつくる協力隊を育てる会とか何かが、手厚く御遺族等に意を表するということで終わってしまうのです。私は以前に、中南米などに行っている日系人の1世、2世が現地で社会に非常に貢献した場合に、日本の国籍を持っている場合と向こうの国籍を持っている場合とによって扱いが違うということにちょっと触れたことがあったと思います。日本国内ですと、一定の書類を出させて審査されるというのは公平を期すためにも必要ですけれども、海外の特に途上国等での活躍も、これは最近の新しい傾向ですから過去の先例はあまりないのですが、これからはむしろ増えるだろうと思うのです。そういう方々及びその関係者への国家としての評価ということを、今後のいろいろな議論の中で、当然深めていただいていいのではないかという気がいたします。若い人についての議論が出たことと関連して、感じることを申し上げました。

 カンボジアで中田さんが亡くなりましたよね。あの時は何か出たのでしょうか。

内閣府賞勲局長  木杯だったかと思います。

 ボランティア活動に伴い、海外協力隊などのいろいろなところでこれから大いにあり得ることですね。このような国際貢献というところで、年齢に関係なく考えることはできないものでしょうか。

内閣府賞勲局長  難しいのは、外国での活動が、日本の社会や国家に貢献したのかどうかということでございまして、従来は、外国での活動は、その国に対しての貢献ではないかと考えられていたと思います。日本国政府から派遣されている人については、公務ですから、その点は問題ありません。JICAで派遣するのもその中に入ると思います。しかしながら、完全にNGOで、ボランティアとして行っていると、それは何なのだろうということがあります。その国に対していろいろ仕事をしてあげているかもしれませんけれども、これが日本の評価を高めるという効果は確かにあるのだと思うのですが、そこをどう評価するかというのが問題であって、今までは多分余り評価していなかったと思うのです。

 これまではまさに今おっしゃった議論であったと思います。ある日系人が、ブラジルの大変小さな町でですが、50年間、絵を描いたか教えたかして、大変なすばらしい文化活動をされ、その地域では知らない人はいないという活躍をしていらっしゃいましたが、このような場合に勲章の話が出ても、そういうのはその国が出せばいいのだというのが、多分今までの日本政府の姿勢だったと思うのです。それを出すと歯止めがなくなるとか、いろんなことがあるとは思いますのでそれは一理あると思います。しかしながら、私は今度の議論の中で、叙勲制度の中に国際協力の面を入れるといいましょうか、「論点の整理(案)」の「はじめに」にも国際関係の文言が入っているように、向こうから日本に来た人に対して勲章を与えるという面のほかに、やはりこちらから行った人が向こうの国で大変喜ばれて評価されたことに対して、あれはあっちの国で役立ったのだから日本政府はそれを顕彰する立場にはないという考え方を、緩和するなり考え直すなりしてもいいのではないだろうかと思います。
日本のために役立ったかどうかというのは、何をもって評価するかによりますけれども、現在は、日本人は非常に拝金主義で、世界中を股にかけてお金ばかり稼ぎまくって、自分たちだけいい暮らしをしているというようなことが、間違いなく世界で言われている時代ですから、このような日本人がいたということは、日本の信用、国際的な信頼を向上させ、日本の国益にものすごく貢献しているので、これはやはり日本のために役立ったと言っていいのではないでしょうか。その辺りについては、いろいろな議論がありますから、御議論の対象にしていただきたいと思います。

 フランスでずっと活躍された日本人の画家について、やはり同じ問題が出て、日本国内でしたら文化勲章が認められたであろうということで、随分推薦して、最後にはとうとう文化勲章が出されたということがありました。これには相当いろいろな意見がありました。

吉川座長  あの方は日本に帰られましたからね。帰られなかったためにもらえなかった方もいらっしゃいますね。

 学者などでもいらっしゃいますね。

内閣府賞勲局長  その他に、フランスでずっと活躍された画家の方で、亡くなったときに瑞宝章か何かの推薦になった方がいらっしゃったような気がするのですが、やはり日本の評価を高めた者ならいいだろうということでした。

 そこに行きっぱなしではなかなか難しいですね。

内閣府賞勲局長  関連しまして、国際機関にずっと勤めている方ですと、日本に直接の功績が余りないということで、従来は対象にならなかったのですが、最近変わってきまして、現在では例えば世界保健機構や世界海事機関にずっといらした方なども対象にするようにしております。その辺りはだんだん態度を変えつつあるところでございます。

 赤十字でも、現在、若い看護婦さんが世界各地に出ているのです。この方たちは各地に行っても、そこの国のために働いているわけではないのです。敵対する者であろうと誰であろうと、誰でも救うというのが赤十字なものですから、相手の国に貢献するということもあると思うけれども、それはそのためにやっているわけではなく、また、日本のためにというわけでもないですね。国籍が分からない難民などのためにやるというようなことになる。一方で、幸い先ほどのお話のような事故は今日までないのですけれども、しかしいつ起こるかわからない。
現に、赤十字の旗というのは、万国共通の保護の標識ですけれども、今日ではあの旗が立っているために狙われるということがありまして、チェチェンでも国際赤十字の看護婦6名が夜に虐殺されたりしまして、非常に危なくなっているものですから、私どももそんなことを起こるのは望みませんけれども、しかし制度としては何か考えておかなければいけないというふうには思います。

 人道的な面での貢献ということですね。

 私は以前に、ひたすら公のため、公益のため、別な言葉で言えば、国家のため、社会のため、民族のため、あるいは人類のため、世界のためになるようなこと、私益の追及をせずに、一生それを生きがいとし、誇りとした人、それを国家が評価していくことについて述べました。人類ということになると、まさに今のお話で、赤十字などはその一番いい例だろうと思います。人類愛というのが適当な言葉かどうか分かりませんけれども、これからの日本は国際社会で信用されなければ生きていけないわけですから、そこは少し考えを変えていいのではないかと思っているのです。

吉川座長  その点も時代の変化なのでしょうね。国家が対立しているのではなくて、すべての国家が協力して解決しなければならないものが出てきた時代であるとすれば、従来に比べてそういう人類貢献のようなものが大きく浮上してくる。ここでいろいろ議論している、時代の変化に応じた尺度の変化ということに入ると思いますね。

 そういう意味では大きな改革点ですね。プラスになろうかと思います。

吉川座長  さて、おおむね各委員の御意見は集約していると思うのですが、基本的にこの「論点の整理」はこのままでよろしいでしょうか。これは一体何を意味するのか、どういう意図がこの懇談会にあるのか見えないという御意見もありましたけれども、この「論点の整理」の理解でよろしいですね。
栄典制度の存在の本質的な重要性について完全な理解、合意を得たということは、反対の余地もないということです。しかし、一方、社会の変化への対応という点があり、様々な変化というものが多分要請されるでありましょう。先ほどの国際的な視点もそうですし、それからいわゆる「公」という意味がいろいろ変わってきていることもそうです。それは十分変化し得るということは認めました。ただし、それが具体的にどういう尺度の変化になるかということについては、必ずしも詰めていない段階であるということでよろしいわけですね。まだ具体性は必ずしもないということだと思います。
したがって、この「論点の整理」のメッセージは何かというような問われ方をしたときには、インプリシットなものであり、手直しはあるとしても、「現在の制度について本質的変更というのは不要なのだ」ということに近いメッセージ、一般国民に対する問いかけを持っているような気がするのですが、それでよろしいでしょうか。等級の数を変えるとか、そういうことは考えられるわけですが、この制度が持っている本質はもう変更しないというメッセージをみんな受け取ってしまうだろうということです。したがって、逆に言えば、そういうものに対する反発、反論というのが出てくる可能性が十分あるわけで、特に若者が「要らない」という反論をするときには、「論点の整理」が「要る」というメッセージを潜在的に持っているからだと思うのです。それに対して、我々としてどうするかという問題があるけれども、たくさん御議論いただいたように、若者が興味を持つのは、恐らく単発的な徳行に対する褒章とか叙勲ということだと思うのです。叙勲の方はやや積分的であり、単発的なものも必要だけれども、積分も大事なのだということを、若者に対する強いメッセージとして我々が出さなければいけないという面もあるのだと思います。
したがって、制度をガードしたいというお話もございましたが、そういう反論に対してはガードする責任というのがあるのだと思うのですけれども、しかし少なくともこの時点では、不要というような意見も甘んじて一回受けてみようということですね。言い訳などはあえて排除しないのだけれども。

 栄典制度は日本の文化である。これは守らなければならないという初期の精神をみんなどんどん壊していきましたが、周りが壊れている中で、栄典については、国家、社会に対する、更に人類に対する貢献を評価するという面できちんと初期の精神は守っていくということ、時代に応じていろいろな制度は導入するけれども、本質は守るということですね。

吉川座長  そうですね。したがって、今回はこれでいいのですが、ある意味では、最終報告には若者をも説得できるような説明というのが必要なのかもしれないですね。この懇談会としてこれから十分検討して、多分反論したすべての人が説得されるような、強力な説明というものを我々としては出すぐらいの覚悟を持っていた方がよろしいのかなという気がします。

 新聞の批評などでも、要らないなんていうのもありましたね。

吉川座長  それは幾らでもあるのです。実は、それは非常に考えが浅いのだと私は思っているのです。やはり、栄典とは、現代人が褒めるだけではなくて、歴史が褒めるものであるというか、国家とはそういうものであるし、その国家の内容が何であっても、どの国家にもそういうものがあるはずですね。ですから、そういうものを捨てたら大変だということを説明する責任があり、逆に言えば、今の日本にやや問題があるとすれば、そういう意識が欠落しつつあるところにあるわけです。こういうものに対して意見をもらい、それに対して更にはっきりしたメッセージを出していくというのは、非常に重要な仕事だと思うのです。

 その初期の精神を文化として守るのだということ、継続するのだということに対する意見を聞いて、年代別でどういう反応が起こるか、そのデータを見た上でもう一回検討する必要がありますね。

吉川座長  そうですね。そのときには、かなり細部にわたって、現在の社会の変化というものを十分に吸収した、部分的な変更というようなことで再提案するということになるのでしょうか。あまり予測しても仕方がないですけれども。

 同じ論評でも、やめた方がいいというのと続けた方がいいというのとありますから、いろいろあってしかるべきで、結果を見ないと分かりませんね。

吉川座長  それでは、「論点の整理」はこのまま公表してよろしいというふうにお認めいただくことにします。

内閣府賞勲局長  今後の進め方についてでございますが、意見募集とアンケート調査の結果をまとめた上で7月の会議に報告をしたいと思っております。先ほど御指摘もありましたので、一応、年齢階層別等で推計をしてみたいと考えております。それを御覧いただいた上で、更に御意見をいただき、それからまとめのたたき台をつくった上で、9月にもう一回御議論いただいて、最終的に10月にお取りまとめいただこうというのが当初の予定でございます。実際に意見をいただいた上で御議論いただいたときに、それでまとまるかどうかは分かりませんけれども。

 最終報告でございますけれども、我々はこういう理由でこの制度をこういう形にすべきだということを総理に返していくということまではいいですけれども、その方向だけをここで出して、あとの作業は政府がなさるわけですね。

内閣府賞勲局長  懇談会で御意見を出していただいたら、今度はそれを受けて政府としてどうするかを決めるわけです。

 政府がお決めになるわけだけれども、懇談会として、例えば等級について、等級はもっと少なくすべきであるというところで収めるのか、5階級にするとか6階級にするとかというところまで言うのかについてはどうでしょうか。

内閣府賞勲局長  そこは、御意見のまとまり次第とも思われますが、委員の皆様がよろしいということであれば、5階級にしたらいいという御意見でも構いません。

吉川座長  それはここで決めるのでしょうね。

 9月に「最終報告案の検討」とありますが、最終報告案というのは、9月の会議の前に我々が目を通して、それで9月の場に来るという御予定ですか。

内閣府賞勲局長  できるだけ事前にお配りした上で、懇談会の場で御議論いただきたいと思います。

 懇談会の場で直す余地があるということですね。

内閣府賞勲局長  はい。簡単に1回でまとまるとは思っておりません。

 先ほどから伺っていると、社会の変化への対応という点について、実際に、新たな事例やいろいろな叙勲の申請があるたびに、今までと違ってこれはこう考えるべきだというふうな修正を加えながら、そのときそのときの御判断をしていらっしゃると、柔軟に運用されていると私は思いましたが、そういうことは国民には理解されているのですか。進達なさる方が、あえて大げさに言いますけれども、政府の基準の変更ということがあったことをどこまで知らされているのかということについて、教えていただきたいと思います。

 内閣府賞勲局長 例えば、今回の春の叙勲ですと、七等の評価だったものを六等に格上げをしましたけれども、これほど大きな話ですと審査の方針としてこうやりましたということを言いますが、例えば先ほど出てきました国際機関の方を対象として取り上げるかどうかということになりますと、新しい分野の話ですということで事前に相談が来るのですが、出すか出さないかを議論して、やはり日本に対する功績だとして出すことになったとしても、個別の人の話なものですから、説明は対外的には一切いたしません。
ただ、慣れている人が見ますと、新しい分野だなと思うこともあるだろうと思います。これは、民間の、例えば業界団体などでも同じですけれども、新しくこういうところを出したいというような話が来れば、対象とするかどうかを検討した上で、どのぐらいに位置づけるかを考えるということです。

 個別の検討をなさるわけですね。

内閣府賞勲局長  はい。例えば、ホームヘルパーが大幅に増えたのは確か昭和55、56年の話であったと思うのですが、それを対象にしたのが今から2年か3年ぐらい前でありまして、褒章などを運用するようにしたという経緯がございます。
したがって、常々見直しの相談が来ればやっているのですけれども、特に改めてこういう分野を新しく対象としたというようなことは、余り大きな声で言ったことはございません。
次回でございますが7月16日の午前中、その次は9月5日ということで予定させていただきたいと思います。

吉川座長  それでは、どうもありがとうございました。

(以上)