栄典制度の在り方に関する懇談会第6回議事録

日時

平成13年7月16日(月) 10:00~11:50

場所

内閣総理大臣官邸大客間

議事次第

  1. 開会
  2. 「栄典制度の在り方に関する論点の整理」に対する意見募集等の結果について
  3. 意見交換
  4. 閉会

議事内容

吉川座長  それでは、定刻になりましたので、ただいまから第6回目の「栄典制度の在り方に関する懇談会」を開催させていただきます。御多忙のところお集まりいただきましてありがとうございます。
本日は柳谷委員が所用のため御欠席との連絡をいただいております。
議事に入る前に、今回初めて御出席をいただきます松下内閣府副大臣を御紹介させていただきます。一言ごあいさつをお願いいたします。

松下内閣府副大臣  おはようございます。御紹介いただきました副大臣の松下忠洋と申します。
鹿児島県の薩摩半島の出身でございまして、小渕恵三先生の弟子として育ってまいりました。どうぞよろしくお願いいたします。
今日は、栄典制度に関する論点整理についての意見募集等の結果の報告が行われることになっていると伺っております。既に新聞等でもアンケート調査の結果の公表が行われておりますけれども、どうぞよろしく御審議をお願いいたします。どうもありがとうございました。

吉川座長  どうもありがとうございました。それでは、議事に入ります。
本日の会議では、前回の会議で取りまとめました栄典制度の在り方に関する論点整理に対する意見募集の結果と、内閣府政府広報室を通じて行いました有識者アンケート調査の結果とを併せてまず事務局から報告していただきます。その後、これらの結果も踏まえまして、最終報告に向けて更に議論を進めさせていただきます。
まず賞勲局長から説明をお願いします。

内閣府賞勲局長  それでは、資料1、2のとおり意見募集の結果とアンケート調査の結果をまとめておりますので、ご覧いただきたいと思います。
まず、資料1でございます。資料1は、論点整理を公表いたしました後に、一般からの御意見を賞勲局で直接募集したものをまとめたものでございます。期間は、5月22日に論点整理を発表してから6月22日までの1か月間でございました。その結果、提出された意見の総数は、項目では119 件、人数では個人で68人、団体で3でございました。団体からの意見は、都道府県からのものが2件、自衛隊の関係団体からのものが1件でございます。提出方法別では、電子メールが34件、ファックスが28件、郵送が57件でございました。その下の年齢層を見ていただきますと、高年齢層が割と多うございまして、やはりメールよりは郵送が多かったところでございます。 なお、この数には匿名のもの9人、陳情・問合せに関するもの5人は入れてございません。

2ページをご覧いただきたいと思います。まず「I 栄典の意義」についてでございます。これにつきましては、天皇に対する尊敬、あるいは日本文化の一つとして、また外国との国際儀礼という面からも存続する必要があるという御意見や、道徳観があいまいになっている現在では、公共心とか公共性というものについての価値判断の基準を具体的に示すという意味があるので、基準を明確にした上で存続すべきであるという御意見等が出ております。
これに対しまして、栄典の意義について消極的な意見も寄せられております。これは、全部で5人おられました。全体で見ますと、数字としては割と少なかったかと思っております。主な反対の論拠でございますが、ポスト自体が名誉である者に対して、屋上屋を架して栄誉を与える制度は必要がないということや、巨額の借金で国民に痛みを強いるような時期であるので国費を節約するために廃止した方が良いというようなこと、国家の方針に同調する人ばかりが受章しており、人間にランクを付け差別意識を植え付けているという問題があるので止めよというようなことがございます。

3ページにまいりまして、「II 叙勲制度の基本」についてでございます。
「1(1)等級の必要性」につきましては、国家・公共に対する功績の大きさを評価するとすれば、その大きさの違いに応じた等級は当然必要であるという御意見や、オリンピックや運動会の競技にも順位が付いているというようなことからすると当然あってしかるべきというような御意見が来ている一方で、人間に等級を付けるべきではない、功績の上下を評価することはできないというような御意見もございました。等級の必要性につきましては、等級を付けない方が良いという御意見が少し多うございました。
「(2)等級の数、表示方法について」でございますが、等級の数については、大綬章、中綬章、小綬章の3等級ぐらいにしてはどうかというような御意見や、諸外国にならって5等級あるいは六等までの運用として、下に厚くしてほしいというような御意見が来ております。なお、若干でございますが、簡素化は必要ないという御意見も来ておりました。

4ページにまいりまして、等級の表示方法につきましては、数字を使って表示するのはいかにも露骨であるため名称表示にすべきであるという御意見が来ている一方で、数字を使わないで表示することは栄典制度を更に分かりにくくしかねないという御意見も来ておりました。
「2(1)功績の質の違いについて」は、公務員は公的立場から任務を行う者であるため、民間人とは叙勲のレベルを別にするか、あるいは異なる勲章を授与すべきだというような御意見がございました。
「(2)政治家、公務員の扱いについて」は、公金から給料をもらっているので、勤務時間内の働きを評価しての叙勲は疑問であるという御意見や、一定の地位に一定の期間在職しただけで叙勲の対象とされるのではなく、実質的な功労を評価するべきであるというような御意見が来ております。
「(3)警察官、自衛官等に対する叙勲の在り方について」でございますが、国民の生命財産を守るために、身命を賭して任務にまい進する特別の任務を有している者に対して、国家がしてあげられることは名誉を与えることだけであるというような御意見や、身命を賭して奉仕する特殊な職務であるため、他の一般の公務員等とは別の叙勲とし、早めの叙勲や随時の受章機会を設けるべきだというような御意見がございます。また、現行よりも等級を上げるべきであるという御意見もございます。更に、平時においてPKO等の海外での危険な業務に従事して顕著な功績があった者、あるいは国内での災害派遣や危険物の処理等で評価に値する者に対して受章の機会を設けるべきだという御意見も来ておりました。
「3 男女別の勲章について」でございますが、これにつきましては、概ね「栄典制度は性に中立であるべき」であるという御意見でございますが、宝冠章については「皇室用」、「外交用」として存続することが望ましいという御意見も来ております。
「4 その他」でございますが、国家・公共への貢献と民間の経済活動やボランティア活動とを同一の勲章で比較評価することには無理があるため、立法、国家行政、地方自治などの分野ごとの功労に対する勲章にしてはどうかという御意見がございます。それから、倒産した大企業とのトップ等の勲章は返還されていないというようなことから、そういうものも含めた没収要件を定めた規定が必要なのではないかというような御意見もございました。

「III 叙勲制度の運用」にまいりまして、まず「1 叙勲の対象について」でございますが、阪神大震災で活躍された方などボランティアに努力された方に対して授与すべきだという御意見が来ております。
「2 受章者数について」は、我が国より人口の少ないヨーロッパにおいても我が国より受章者数が多いことから増やす方が良いという御意見や、積み残されている対象者を処理するために増やすべきだという御意見がございますが、一方で、既に多過ぎて名誉としての価値が低下しているという御意見もございました。
「3 受章者の年齢、時期について」は、70歳以上、危険業務55歳以上という現在の原則は適当であるという御意見が一番多くございましたが、60歳を超えたらすぐに出し、受章後のもうひと頑張りを期待することとしてはどうかという御意見もございました。また、科学、医学等の分野で貢献している立派な若年層にも目を向けるべきで、功績があったらタイムリーに出すというようなことを考えるべきだという御意見もございました。
「4 候補者の推薦・選考手続・審査の在り方について」は、一般国民から候補者を公募してはどうかという御提言や、NPO等による推薦方式を考えるべきだという御意見、選考に当たって有識者からなる選考委員会を開催して行うべきだというような御意見がございます。更に、懇談会でもいろいろ御意見が出ましたが、多分野で活躍されて総合的に見ると非常に功績の高い人もいるので、漏れのない公正なシステムを考えてほしいという御意見が出ております。
「5 功績評価の基準(尺度)について」は、ポストや在職期間による画一的な勲等を決めるのではなく、功績に応じた評価をしてほしいというような御意見が来ております。
「6 官民格差について」の「(1)数の比率」については、民間から来た意見と公務員から来た意見とでかなりばらついたようでございます。民間人をもっと多く対象としてほしいという御意見がある一方で、民間人は自分で儲けているので対象者を減らして良いという御意見もあり、また、政治家や公務員については受章対象者の数をできるだけ減らすべきだという御意見があるなどかなりまちまちでございます。
「(2)上位勲等における官民格差」については、一等から三等まで政治家、高級公務員が多数を占めているが、今後は人目につきにくい分野の功労者を増やすべきだという御意見が来ております。
「(3)同一分野における官民格差」については、やはりあるとして、国立学校と私立学校の教官の問題等を指摘した御意見が来ておりました。
「7 勲等バランスについて」は、懇談会における2つの議論、つまり、地方分権という観点からすると、もう少し地方に対する貢献というものを評価すべきではないかという議論と、全国団体の役員の方が地方団体の役員よりも勲等が高い、あるいは大企業の方が中小企業よりは勲等が高いというのは見直しを考えても良いのではないかという議論は、大変説得的であるとする御意見がございます。

次に、「IV 褒章」の関係でございます。人命救助に関する紅綬褒章についてはもっと数を増やすべきだという御意見や、道徳の乱れや自由の履き違いが多い現在では緑綬褒章を増やしてほしいという御意見、紫綬褒章を増やして、良い発明など功績があったらその都度すぐ出してほしいという御意見がございました。紺綬褒章について高額納税者を含めてはどうかという御意見もございましたが、これについては国民的コンセンサスを得られないと考えられるという御意見も来ておりました。

10ページの「V 文化勲章」及び「VI 叙勲、褒章と関連する制度」でございますが、この辺りは意見の数もちょっと少のうございました。文化勲章については、年齢に関係なく、重要な発明、発見をするなど功績のあった者にすぐに出してほしいという御意見が来ております。また、国民栄誉賞につきましては、スポーツ選手のみに与えている感があり、偏っている印象があるという御意見がございました。

「Ⅶ 法制面の問題その他」につきましては、法的根拠を明確にすべきであり、国民に栄典に意義を浸透させるためにじっくりと取り組んでも良いのではないかという御意見が来ておりました。過去の受章者との関係につきましては、ある程度配慮する必要があるけれども、重視し過ぎると改革が不可能になってしまうという御指摘が来ております。このほか、勲章を着用する機会が少ないので、略章をもっと広く利用することも検討すべきであるという御意見もございました。
意見募集に寄せられた御意見はこのようなところでございます。普段、懇談会の議事録などをインターネットで公開すると割とアクセスがあるのですけれども、それにしては今回の意見の数は少なかったかと思っております。これは、論点整理で出された意見にそれ程違和感がなかったか、あるいは積極的に意見を出すほどの関心がなかったかということかと思います。
次に資料2でございます。これは栄典制度の在り方に関しまして、有識者に対するアンケート調査を行ったものでございます。
まず、1ページの「調査対象」のところを見ていただきたいと思います。有識者を全部で3,000 人選んでおりますが、大きな分野といたしまして、「学識者」600人、「マスコミ関係者・自由業者」400人、「企業経営者」600人、「地方自治体の首長・議会議長」400人、国・地方の「公務員」400人、「各種団体役員」600人という内訳でございます。調査票は5月25日に郵送し、6月15日締切りということで実施をいたしております。回収率は71.4%で、2,142 人から回収しております。分野別の回収率が出ておりますが、「マスコミ関係者・自由業者」、「企業経営者」が若干低かったかなと思われます。
続きまして、結果の概要でございます。
まず「1 栄典に関する知識」で、勲章や褒章、位階について知っているかいないかを聞いております。初めに問1(1)の叙勲の関係でございますが、99.6%が知っていると答えており、認知としては十分でございます。次に(2)の褒章でございますが、これも99%が知っているという答えでございます。(3)の文化勲章についても99.6%の認知率でございます。これに対しまして、(4)の位階・叙位については87.5%の方が知っているということで、各種団体役員や公務員では九十数%となっておりますが、学識者では78.6%となっており、この辺りが割と知っていないという感じでございました。

次に10ページの「2 栄典の意義について」でございますが、この選択肢は論点整理に出ている意見を中心に作っております。下の表を見ていただきますと、一番回答の多かったのは2で、「国や社会に対する永年の功労など金銭では評価されない功労を評価」するところに意味があるということで、79.1%が選んでおります。次いで4の「『公共心』や『公共性』というものを国民に提示するという意味で意義がある」が48%となっております。また、8として自由記入欄を設けており、そこの回答が5.7 %となっておりますが、その中に栄典制度は必要がないという回答をされた方が45人いらっしゃいました。比率にしますと2%ちょっとでございます。

12ページの「3 叙勲の対象について」でございますが、叙勲の対象についてどう考えるかということを複数回答で聞いております。一番多かったのは6でございまして、へき地の医師・看護婦・助産婦等々の人目につきにくい分野で活躍した方に対する叙勲を増やして欲しいというのが57.2%となっております。次いで1の「地域社会の発展に尽くした人に対する叙勲を増やす」が52.5%でございました。そのほか、「教育や芸術文化、科学技術の発展に尽くした人」、「保護司や民生・児童委員などボランティアで公共の業務に尽くした人」などが多くなっております。どちらかと言うと、ボランティア的な活動をした人や人目につかずこつこつと業務に尽くした方に対する叙勲を増やしてほしいという御意見が強かったと思います。

14ページは「4 受章者の数」でございます。この結果の見方は新聞の報道でもちょっと分かれております。単純にパーセントを見ますと、6の「増やす必要はない」が36.6%で一番多いのですが、1から5は何らかの理由で「増やした方が良い」という御意見であり、これを全部合計しますと56.2%となり過半数を占めるため、受章者数については増やした方が良いという調査結果であるということを書いている新聞もございます。民間の受章者を増やした方が良いとか、あるいは人目につきにくい分野の受章者を増やした方が良いとする回答の割合は結果に出ておりますが、これらを合計しますと、「増やす必要はない」という回答の割合を超えるということでございます。

17ページは「5 勲章の受章年齢について」でございます。下の表を見ていただきますと、一番多いのは1の「功績がある程度固まった時期をとらえて表彰するという考え方から、現行どおり70歳ぐらいとするのが適当である」の35%でございます。これに対しまして、受章を励みに更なる活躍を期待する意味でもう少し下げた方が良いとする2と、若い人でも功績があれば受章できるようにし、その後更に功績を上げれば更に上位の勲章を受章できるようにするという4を併せますと50%を超えますので、叙勲年齢を下げるべきとする回答が過半数を占めたと見出しに引かれた新聞もございました。

18ページの「6 男女別の勲章について」は、67.7%の方が「栄典制度は性に中立であるべきであり、男女に共通の勲章とすべきである」という回答でいらっしゃいます。

20ページは「7 警察官など危険業務従事者に対する叙勲について」でございます。ここでは、4の「危険性の高い業務に従事して殉職した人や、民間人で犯人逮捕や災害救助等に協力中に危難に遭った人の功績をもっと高く評価した方が良い」に対する回答が最も高くなっております。次いで2の「警察官等の職務は他の分野の功労とは性質が異なり、春秋叙勲の枠の中では受章者の数に限りがあるため、春秋叙勲とは別に行う叙勲とした方が良い」が38.9%でございました。この2つが多かったと思われます。

22ページは「8 功績評価について」でございます。一番多かったのは6のへき地の医師・看護婦・助産婦等々に対する評価を高めるというものでございます。問3の対象者数についてもこの辺りを増やせという回答が多くなっておりましたが、やはり人目につきにくい分野で業務に尽くした人に対する評価を高めよという御意見が強いということでございます。2番目が1の「地域社会の発展に尽くした人に対する評価」、3番目が7の保護司や民生・児童委員等々となっており、問3の結果と大体パラレルになっております。

24ページは「9 受章者の分野別構成について」でございますが、70.8%の方が民間の分野を増やした方が良いという回答でございます。これは、人目につきにくい分野を増やすとか、ボランティアを増やすということとリンクしているものと思いますが、そういう意味でここを増やしてほしいという御意見が圧倒的でございます。

26ページは「10 等級区分について」でございますが、2の「現在の等級区分をもう少し簡素化しても良い」という御意見が一番多く、次いで5の「民間の分野については、等級を付けるのはふさわしくないので、単一級の勲章とするのが良い」の28.6%でございました。数字を使うことについては3と4に挙げてございます。これを見ますと、4の「等級の違いを表示する方法として『一』『二』・・・という数字は使わないようにする方が良い」が20.2%でございまして、3の「数字は分かりやすく、現在のままで良い」が11%ほどでございましたので、2対1ぐらいで数字を使わない方が良いという回答が多いというところでございます。

28ページは「11 褒章について」でございます。これを見ますと、2の人命救助の紅綬褒章をもっと幅広く活用した方が良いというのが一番多くなっております。次いで6の「善行を褒めるものであるから、年齢にこだわらず善行のあった都度機動的に授与した方が良い」、3番目に3の「ボランティア等に取り組んだ人を対象に加えた方が良い」が挙がっております。なお、7として民間の分野については勲章よりも褒章の方が良いという選択肢を入れておきましたところ、これも23%ほどの方が選んでおられます。

30ページは「12 文化勲章について」でございますが、もっと若く授与されるようにすべきだという回答が6割でございます。

32ページは「13 位階について」でございますが、2の「国や社会に功績のある人が死亡した際に、生涯の功績を称え追悼の意を表するものとして意味がある」が37.3%である一方、3の「死亡した際に贈られているが、その活用の在り方について検討が必要である」が43.3%となっており、これが一番多くございました。なお、4の「その他」の自由記入欄は12.5%となっておりますが、ここではかなりの割合の方が廃止して良いのではないかという御意見であったというふうに理解しております。

アンケート調査の結果は以上でございますが、廃止論が割と少なかったかなと思っております。栄典制度全体で見ますと、2%ぐらいが廃止して良いという御意見でございました。また、先ほどの意見募集でも、廃止して良いという御意見は5人でしたので、割合は大体7%前後かと思います。そのぐらいの比率でしか廃止論が来なかったということで、私どもとしてはちょっと安心をしたところでございます。

以上でございます。

吉川座長  ありがとうございました。意見募集と有識者アンケート調査の両者の結果について御説明をいただいたわけですが、いずれもこの懇談会で議論した論点に関する意見を聞いたということですけれども、委員の皆さんそれぞれお感じになると言うか、結果の全体的な流れを把握されたのではないかと思いますが、そのようなことを含めて、この結果をどういうふうに解釈するかというような点について御意見をいただければと思います。

 意見募集についてですが、前回の懇談会でも若い人の意識ということについていろいろ議論があったように記憶しておりますが、結果を見ると、19歳以下の人は別として、20代から30代ぐらいの人たちの意見も想定されたとおり多くないのですが、これらの意見の中で特別な意見や特徴的な意見は何かありましたでしょうか。

内閣府賞勲局長  特に年齢階層別に集計しておりませんでしたので、はっきりしたところはございませんけれども、若い人の方にシビアな見方をしている方がやはり多かったかと思います。

 関連してですけれども、アンケート調査には「その他」の選択肢に何%というものがいくつかあって、局長の御説明の中で御紹介いただいたものもありますが、その中でちょっと変わった意見などがあれば教えていただきたいと思います。

内閣府賞勲局長  まず、先ほどの意見調査の結果についてのお話しでございますが、年齢の低い方にはやはり意義を認めない方が多かったという感じでございます。意義を認めないとされた方が5人おられた中で、50歳代が1人入っておりますが、後は年齢不明あるいは年齢の若い方ということでございます。
それから、アンケート調査の方で、「その他」の欄に挙がってきた意見は自由記入でございまして、項目の集計がなかなかうまくいかなかったのですが、制度を廃止すべきという意見を出されたところを中心にとりあえず集計し、先ほど御説明しましたように45人がそう書かれたということだけ確認したところです。

 調査結果には懇談会でお話が出ていた内容に対しての意見がまとめてあるわけですから、逆にここに出なかった意見にどのようなものがあるのかなということに興味があります。

内閣府賞勲局長  全部ではございませんけれども、目立ったものについて紹介いたしますと、例えば栄典制度の意義について、非難されるべき所為を罰する刑罰の反対に褒められるべき所為を褒める栄典があるというふうにその存在が理解できるのではないか、また、平等主義が過度に行き渡った現代の日本社会においては栄典制度の意義は大きいのではないかというような御意見がございます。
それから、栄典制度をもっと国民にアピールし、特に若年層に対して、国家や社会に貢献することが大切であるという意識の高揚を図ることが重要であり、義務教育で採り上げたり地域社会に住む受章者をマスコミがもっと取り上げたりすることが必要だという御意見が来ております。
更に、社会の変化を見越して長く続けられるような栄典制度にすることが重要であり、特に受章者数については、対象分野ごとに固定することは避け、実質的な功績に応じた運用を行うことができるようにすべきではないかというような御意見も来ております。

 意見募集の「III 7 勲等バランスについて」には、国・地方間の見直しが必要ではないかという意見が寄せられていますが、アンケート調査の方にはこれに対応するものは特に無いのですか。

内閣府賞勲局長  アンケート調査では、項目を絞った関係からその質問は入れてございません。アンケート調査では、功績評価においてどういうところを評価すべきかというような質問を挙げたのですけれども、中央・地方の関係は項目から抜けておりました。

 アンケート調査や意見募集の意見を見ますと、大体最大公約数と言うのでしょうか、比率から言えば、本質的には温存しようということを前提に、不公平感を無くすとか、現代に応じたバランスを取ってほしいとかいうことが全体の意見に反映されているように思います。公平感というのは、ある場所で年限を務めるとこうだという、ある決まりがあるわけですね。その中で差を設けると言ってもなかなか難しい問題です。その点、同じ評価を認める場合でも、抜群に良い場合はほかの栄典の制度を考えてダブってもいいから別な面で褒章の対象とするなどといった栄典の個人的な評価と、全体評価とがちょっと混同しているような感じがしますね。不公平感はそこにあるのではないでしょうか。

吉川座長  「全体」というのはどういう意味でしょうか。

 全体というのは、評価は、ある期間どこの公務員なり大学なりといった地位に応じていますね。このルールが無くなり質の評価に転換すると個人評価になるわけですね。この場合、同じ教授であってもかなり質的に多様性があると思うのです。これを一々細かく尺度ではかると、これはもうむちゃくちゃになりますから、特にある地位で抜群な功績を挙げた場合は、別の個人的評価というものがあればと思うのです。これは、地方でいろいろなさっていても個人の評価が高いという場合、ルールのほかに得られるということがありますね。そういうことが混同されているのではないでしょうか。あるルールの中で等級は簡素化しろと、8等級を5等級にしろと言いながら、今度は能力をもうちょっと評価しろとか言うのは、そういう評価に対する、みんな同一ではないよという不公平感だと思うのです。その同一の場合と順位評価というものを分けて、時代に即応するためには、別に今までの制度を生かすような褒章がありますね。これを質の高いようなところへ持っていって、あるいは受章年齢を下げるなどして、特殊な個人的な評価を認めるところですくい上げるようにすると、一般論としての地位や期間、年齢などの最大公約数を外れて評価できると思います。それが個人個人の意見の中に混ざっているのではないでしょうか。それが新しい時代の即応だと思います。今、栄典制度を考えてほしいというのは、そういう不足な側面を、みんな均一化している面を何とか再評価して下さいという意見が洩れているように思います。

 今の御意見は、少し簡素化するなどといったこととは別にして、その枠外で評価してはどうかということでしょうか。調査結果に出ている批判的な意見には、一つには、先ほどの等級バランスの問題も含めて、基本的にはパブリックなポストに自動的にリンクしていて、そういうポストになおかつ叙勲を行うというのは屋上屋ではないかという意見があり、それからもう一つには、やはりポストはポストであって実際の功績というのは違うのだから、余りポストに自動的に付くようなところは廃止をして、むしろ実質本位で評価をし、叙勲をしてはどうかという意見との両方が出ている。その後者の方がなかなか難しいことは難しいのですけれども。実際にはかなり明らかに、ほかの世界は別にして経済界などでも、あるポストに就けば叙勲は大体決まったなという話があり、逆に言えば、そのためにいろいろやるというのは実際にあるわけではないのですけれども、本来から言えばそういうことではないので、できればその中でも中央と地方の格差ですとか、あるいは大企業と中小企業の格差なども無くした方が良い。一番最後は私の意見ですけれども。そうではない方、つまり何かポストに自動的に付いているというようなところを、むしろ直していかなければいけないのではないかという意見が出ているように思いますが、個人差は、今までのある程度の枠組みの外でやったらどうかということをおっしゃっているのでしょうか。

 その期間とポストのルールが崩れると、栄典制度が崩れるわけです。やはり、ある何年間かある地位にいてきちっと勤め上げたということも一つの功績であるということも栄典制度です。

 実質に関係なしに、とにかく勤め上げたらそれはそれで評価しようということでしょうか。

 勤めるということはその地位に沿うことですね。これを崩すと個人評価になってめちゃくちゃになりますから、それはそれで置いておいて、抜群に何か功績があった場合は、また違う評価をする。例えば研究面などでは、大学の教授で勤めれば勲三等ぐらいで評価されるのが、顕著な場合はノーベル賞だとか文化勲章までいきますね。これは叙勲とダブって出てきます。そういう方は最高の評価まで引っ張り上げられますが、一般のルールでいくと教授のポストの評価になるわけです。こういうのが研究、芸術面では出てくると思いますね。

 質が抜群に良い人というのはやはり今でも目につきますし、割と評価しやすいのですが、問題は恐らく、この叙勲制度の中で評価するときに、抜群ではないけれどもやはりある程度以上は評価すべきものであるというときに、それをどう評価するかということが難しいということですね。功績が本当にずば抜けている人はすぐに決まりますから、これは問題がないわけです。そうでないところをどういうふうに評価するかということを入れておきませんと、非常に難しいのだろうと思います。
それから、調査結果について先ほど委員がおっしゃったことには非常に賛成で、私も印象的に言えば、とにかく叙勲の制度は残したい、残すけれども、これを積極的に残したいというのではなくて、何となくあった方が良いと、そのあった方が良いという中では、より公平で、より平等であるべきであるということを言っていると思います。
ところが、叙勲制度というのは基本的に人を選抜し、そしてそれを、一等、二等、三等を無くすかどうかは別にして、やはりある種の上下のヒエラルヒーに入れなければいけない。入れなければいけないのだけれども、より裾野は広く、より人目につかない分野に広げてという、この議論とどういうふうにうまく合わせていくかということだろうと思うのです。だから、基本的には、多分その辺りのところに、先ほど委員がおっしゃったように現代性みたいな議論を入れて、どういうふうに収まるところに収めるかということではないでしょうか。

 そうですね。一般の教授も研究面で顕著な場合は若くても紫綬褒章をもらっていますね。それで、紫綬褒章をもらって年齢が来ると勲何等が来る、それで更に何かあると、もう一つ栄誉を受けるという場合もあります。しかしながら、並みよりちょっといいという人はこうはいかないのですが、そういう場合が多いのですね。研究やその他すべてを小刻みに評価できるかと言ったら、これはとてもできる問題ではないですから、地位や期間で枠組みの中で評価するということでしょうね。

 アンケート調査の結果あるいは意見募集に国民から寄せられた声について局長からいろいろ説明がありましたが見てみますと、結局、我々がこの懇談会でずっと議論してきた内容とほぼ全体的には変わっていないと言いますか、大きな流れは同じだということが言えるのではないかなという感じがしております。意義についてもほとんどの方がちゃんと分かっていらっしゃいますし、また功績の評価についても、懇談会でも議論してきましたが、今までのように単なる年功序列やポストにこだわらずに、社会貢献度というようなものあるいはその人の功績、国家・社会に対する功労を少し評価したらどうだろうということです。功績の評価の中で、特にうれしかったのは、人目につきにくい分野で一生懸命頑張った人の数を増やしても良いのではないかという意見が寄せられていることですが、こういう点もこの懇談会で議論いたしました。私は、この懇談会で我々が議論したことと今回の調査の結果はほとんど同じだったのではないかなと、そういう点では我々の議論は誤っていなかったと思いますし、また国民の多くの共感を呼ぶこともできるのではないかなと考えております。
そうしますと、今からどうするのか。叙勲の功績の評価について、いろいろ御意見が出ていましたように、評価の方法をどうしていくのか、基準をどうしていくのか、また運用をどうしていくのか。こういうところが、今から本当に細かい各論の中で詰めていくべき問題点なのかなという感じがしておりますが、現在の基準を、やはり何らかの形で少し改正をしていく必要はあるだろう。それがこの調査の結果からも伺われる。
もう一つは、褒章をもっと活用すべきという意見がかなりあります。これは私も同感でありまして、この懇談会でもそういう意見が出まして、確かに評価しにくい方々に褒章をもっと活用していくのはどうだろうかという感じがしております。そういう点も含めて、栄典制度の運用をどうしていくのか。新しいタイプの制度に向けて、しかし、何もかもがらっと引っくり返すのではなくて、やはり今までの制度の在り方との整合性を図りながら、改めるところは改めていくと、そういう姿勢が必要ではないかなと思います。

 大体御意見が出ておりますので、同じことも申し上げるかも知れません。
一つは、やはりこの懇談会での審議又は我々が論点整理で出したものの内容については、今回の結果を見て、そこのところがちょっと考えが及ばなかった、要するに欠落していたという部分は、ほとんどなかったというふうに思ってよろしいかと思います。
もう一つは、地位に対する評価ではなくて、本来個人を社会貢献又は国への貢献という形で評価するということについては、いろいろなプロセスがあり、いろいろな表現はありますけれども、ここは皆さんもうよく分かっていらっしゃる。ただ、個人の評価が難しいのであって、それをそもそも公平に、そして本人もさることながら、本人以外の人たちが大変リーズナブルだと考える評価というふうなものはやはり難しいけれども、そこにこそこの制度の意義があるではないかという気もいたしました。
3点目ですけれども、私たちの論点整理よりも、警察官、自衛隊の方たちに対して別制度にしてもいいのではないかというふうな意見が強く出ているような気がするのですけれども、実際はどうかちょっと分かりません。先ほどの局長の意見募集についての御説明では、団体によるものが何件かあったということでしたか。

内閣府賞勲局長  団体は3件でございます。県が2つと、自衛隊の関係団体が1つ。

 自衛隊の関係団体があったということですが、大変多かったのですか。そうであれば、当然そういう話も出てきたのかなと思いますけれども。

内閣府賞勲局長  団体として意見がまとまって1つ出てきているということでございます。

 別枠にしろというような御意見だったのでしょうか。

内閣府賞勲局長  例えば、制服組の勲等を少し高く評価しろというようなお話とか、中間階層が出ていない、中抜けをやめてくれというようなお話です。

 もう御説明いただいたものでございますね。そうですか。団体は団体として1つの意見としてカウントされているから、それで数が多くなるということはないわけですね。

 私が感じていることは、ほぼ同じことなのですけれども、従来のこの懇談会の場での議論が、今回のアンケート調査なり意見なりによって大きく違うことはないということです。ただ、総論はここでおおむねいけると思うのですけれども、これを具体的に制度に仕組んでいく、あるいは従来の制度を改めていく、そこのところになると非常に難しい問題があるのかなと思います。これから先の問題として、例えば、評価基準と言われれば確かに分かるのですけれども、評価基準をここで明示すべきであると言っても、どういう基準を作って、どういうふうに明らかにしていくのか、この辺りは非常に難しいものがあるのではないかなというふうなことを思います。難しいからと避けて通れる問題ではないのかも知れませんが、そういうことを感じました。
それと、前回も申し上げたのですけれども、褒章との組合せというものが御議論で出ているのですが、要するに、抜きん出ている、少なくとも一般よりは高く評価されるという人たちに対しては、勲章のような国家社会への貢献という大上段に振りかぶったものではなくても、そういう褒章というものが良いのではないかというふうな感じがいたしました。むしろ、褒章の仕組みを変えていく、少なくとも片仮名や古いものではなくて、新しいものに変えていくということがあってもいいのかなという感じがしております。
もう一つ、褒章条例のように言葉でぴしゃっと基準が書いてあると、前回の懇談会でも出ましたけれども、人命救助できないと褒章が出ないということがある。ああいうのはちょっと言葉にこだわり過ぎている、逆に言うと、言葉でそういうものを表してしまったために逆に出せなくなっているというような、そういう問題はある。そこで、先ほどの明示の話と、運用の弾力性と言いますか、そういうものとがどういうふうに今後絡んでいくべきなのか、その辺りが私の中でもやもやとしているところです。

 一般論としての表彰から少し抜きん出ているという場合どうするか、これも教育、あるいは研究、文化という分野の場合には、個々の研究に対してももし良い場合は学会なり研究機関なりいろいろなところから栄誉を受けていますね。そういう関係をどういうふうに評価するのか。情緒的にこれはよくやって人より優れているという評価ではなく、実績として積み重なっていますから、それが国家的表彰とどんな関係にあるのかが非常に難しいところ。抜群になるといろいろな面で出てきますけれども、これが今度一般になって、先ほどの警察官とか自衛官のような人命や国家の安全ということに関した場合に、若くてもいろいろ功績をあげた場合は、決まった評価ではなしに、褒章的な面でその行動に対して評価するというように、やはり即応して表彰しなければいけないと思います。時間が経って大分忘れたころ、年齢に達してというのではない制度、これを表彰制度の中に入れるのかどうかですね。士気にも関しますので、自衛官や警察官などの命懸けの行動ということに対しての世論というのは、そういうところにあるのではないでしょうか。これは考慮する必要があるように思いますね。

内閣府賞勲局長  功績の評価についての参考その他をちょっと申し上げたいと思います。
賞勲局では昔から、例えば公務員を評価するときに功績の大きさをどう評価するのかなどについていろいろ考え方がございます。単発に抜群の功績が上がったものは別として、長年勤めた人をどう評価するかということについては、従来は、やはり位と長さを掛け合わすと一定の面積が出てきて、それが大きい方がやはり国に対する貢献が大きかったのだという考え方でして、いわゆる階級と在職年数との積で評価するというところがあるということでございます。
昔の勲章で考えますと、まず瑞宝章があり、旭日章があり、それから軍人ですと金鵄勲章があったわけですが、それらの使い分けというのが昔の資料に残っておりますけれども、まずは年功というものを瑞宝章で評価する、それから功績があると旭日章を受章する、それから「殊勲」と書いてありますけれどもかなり大きな功績があったときに金鵄勲章を出すというのが、一応の使い分けのような形になっております。
先ほどおっしゃられた、抜群ではないけれども長くほどほどにやった方については、公務員ですと多分瑞宝章で終わる。その中である程度功績が上がると旭日章をもらえる。特に軍人さんで抜群の功績を上げた方ですと金鵄勲章が出ると、こういう形になっておったかと思います。
それから、先ほどの褒章の関係でございますけれども、確かに良い発明などをされると紫綬褒章が出るのですけれども、これもやはり原則50歳以上になっておるものですから、良い発明をされても大分陳腐化されてから出る。この頃の発明の回転の早い時期になりますと、良い発明をされても50歳になる頃には、もうその後に2代、3代と良い発明が出ているということもあり得るので、これは意見の中にも出てまいりましたが、機動的に出す方が良いのだろうということで、年齢制限は取り払った方が良いのかなと我々も思っております。
それから、先ほどPKOに参加したとき何か表彰の機会がないだろうかという意見がありましたが、実は、懇談会の場では今まで御説明をしておりませんが、賞勲局の仕事の中には叙勲、褒章のほかに記章というのがございます。何かに参加するともらえるというものでございますが、例えばPKOに参加した場合に記章を作るとか、あるいは国際緊急援助隊で行かれたときに記章を作るいうことがあり得るかなという気もいたします。今まで御説明しておりませんで申し訳ございませんが、褒章で出すか、それともそういう記章というものを使えるか、そういう点が一つあるかなと思っております。

 医療などでもありますね。人道的な国際的なボランティアで危険を冒してアフガニスタンとか、アフリカとか、大変なところへ行って医療活動に当たっている。医療活動だけではなく、海外協力隊なども時々命を落としたりする場合もあるという、こういうことも考慮してあげないといけないと思います。

 今回募集された意見あるいは有識者の見解は、我々が想像していなかったようなものではなくて、大体私どもが議論もし、相談もしたものであって、その意味ではよく了解ができるというふうに思います。
問題になっておりますのは、先ほどのお話にも出ましたように、やはり各面における格差というものを何とか是正するという議論がベースにあると思いますが、功績でありますから、それを評価する基準と運用が非常に基本的に大事なものだと思います。ただ、功績の評価でありますから、妥当ということはあり得ても平等ということはあり得ないと私は思うのです。ですから、格差解消という議論の中に平等にしろということがあるならば、これはちょっと賞勲制度、叙勲制度が成り立たないように思うのです。それではいかにして公正に評価をするか。功績というものは、性質がそれぞれ違うものでありますから、単一の基準で簡単に評価を適正に行うということはなかなかできないと思いますから、先ほど局長が言われたように、長い間の判例というか実例を非常に大きな要素として考えなければならないというふうに私は思います。
そこで、そういうことを通して、同じ功績であるならば、官民を問わず公正にと申しますか、同じ評価をして、同じような叙勲を与えるということが要請されてくるでありましょうけれども、ただ、その場合でも、先ほどから御議論がありますように、やはりその性質に応じて与えるべき叙勲と言いますか措置をどのようにするかということを選ばなければならないわけでありますから、何でも勲等、勲章というふうな議論をすることは大変混乱を生むことになる。こういう意味で、私は、褒章制度というものを並行的に適正に運用していかなければならないと思います。 また、更に言えば、栄典制度ではありませんけれども、総理顕彰であるとか、国民栄誉賞であるとかいうもののそれぞれがそれぞれの評価に応じて動くようになっておりまして、これらが総体として栄誉を称えるためにワークしているのではないかと思います。
したがって、国民栄誉賞の対象になったような人を勲等勲章の中に入れろとか、それでなければおかしいというような議論があり得ますけれども、そういう議論をしたら、やはり勲章制度あるいは栄典制度は成り立たなくなってしまう。やはり国民栄誉賞というのは人気投票でありまして、規定を見ていただければ分かりますけれども、国民になじみの深い分野において、非常に国民の賞賛を博するような行為をした人ということでありますから、表彰された人たちを見てもそういうサイドで選ばれているわけで、これをただちに勲章の方に持ってくるということにはなり得ないと思うのです。 したがいまして、やはり格差というものを是正していくということは非常に大事だと思いますけれども、基本的にはそのための基準を非常に現実的な配慮の下にいろいろ運用していくほかないのではないかと私は思います。機械的に平等ということはあり得ないし、誰の目から見てもこれは間違いなく公正だということもなかなか期し得ない。現実的な判断の中で積み重ねてきたものが割合大きくものをいうのではないかなと思います。
ただ、これは別の議論でありますけれども、今までにも強調されたところで、人目につかない分野とか、あるいは国民の生命財産というようなものに直接関わる警察、自衛隊、消防というようなものはもうちょっと別に考えてしかるべきではないか。あるいはまた、国のためというわけではなく、公共のためというわけでもありませんけれども、人道的な業務、あるいは国際協力、国際支援というようなものに従事した人に対する措置をどうするかについても考えるべきではないかと思います。

吉川座長  いろいろ御意見があったのですけれども、問題をここで整理してみたいと思います。ややプラグマティックな見方になるのですけれども、問題は2つあるような気がするのですね。1つは、やはりパブリックポストにリンクせざるを得ないというところです。これは、本来は地位ではなく個人評価なのだけれども、これをするための道具として、いわゆるポストというものを使わざるを得ない、これは認めよう。
しかし、問題は、パブリックポストそのものが、我々が今まで議論した中では、社会的な変化が起こっているので、このパブリックポストとリンクすることは認めた上で、リンクの中身を変えていくということをここで少し考えなければいけない。そのときに、今までに出てきたのは、大きな社会の流れとしては、例えば官から民へ、それから中央から地方へというのもあるかも知れませんね。あるいはドメスティックなものから国際的なものへ、更には横並びから競争へというのは入るかどうか分かりませんが、そういったいろいろな社会的な変化というのがぐっと起こってきているので、それが一般の人にとって分かりやすいような形に、リンクにおいても変わっているということ。ポストのリンクにおいても変わる。要するにポストそのものの評価が社会の変化から変わっていった。これが第1点ですね。
もう一つ、今日、盛んに御議論が出ているのは、そのリンクしない部分をどうするかというのであって、これはまたちょっと2つに分かれているような気がするんですが、リンクしないものは外へ出すという御意見と、リンクしないものを中に入れることによって、リンクしない人でも、実はリンクしている人と同じような価値があるんだということを、同じ叙勲の中で見せるという御意見。このどっちを取るかというのが、やはりあるだろう。
それと、人目につかない分野というのをそこですくい出してきて、例えば余りないけれども看護婦さんが例えば勲三等にきたとか、こういうようになって、実はリンクだけで考えているのではないのだ、リンクは便宜的に使っているのだということの証明として、リンク以外のものが散見されるような結果になれば、これはリンクそのものが問題であり、便宜的に使っているということの証明というか、そういうインフルエンスを持ち得るのではないかと思います。その辺り、もう少し考えなければいけないことはいっぱいあるような気がするのですけれども、詰めていけばなんとなくできるような気がするのです。
例えば、目に見えなければいけないとすれば、私の関係の深いところでは、社会の変化によってどういうふうに変わってきたのかという一番大きいものには、例えば国立大学の教授のウェートが過ぎているということがあるのです。これを1ランクぐらい下げてしまっても良いのではないかと思うのです。なぜかと言うと、大学教授の数は増えましたし、昔は国立大学の教授というのは、定年のときに弟子が感謝して感謝祭を開いたり、募金か何かをしてお金を寄付するなんてこともしたのですが、最近は逆になりまして、お礼してもらいたいよと言う学生が多いとか、社会的な変化が明らかに起こっているわけです。それを賞勲制度としてどういうふうに受け止めるのか。私は国立大学を下げるというのは一つの形だと思う。ほかの分野はよく知りませんけれども、我々の周辺で言えば、教授に対する社会的な見方は非常に変わってきているわけです。ですから、そういった意味でも下げてみる。
同じような意味で、民間は儲けているに過ぎないと言われているのが、民間というのは実は富を生み出す唯一の装置であり、やはり全体として見ればものすごく多くの富をつくり出すことに貢献しているわけですから、そのことを真摯に考えた人を表彰しなければいけなくなってくるとか、そういう形で、単なる官民ということではなくて個別に見ていくと、結果的にそうなっているというようにしないとおかしいと思うのです。そういうことで、次回以降の話になるのですけれども、やはり目に見える変化があった方が良いというのが一つです。しかも、それは説明可能な変化というふうにしないと、何のためにこの議論をしたのかということになりそうな気がするのですけれどもどうでしょうか。

 産業分野の功績評価とか、今おっしゃった大学などの功績の評価というのは、本当にある意味では驚くべきことに、基準が圧倒的に量的なのです。大きいことと期間と。別に質が無視されているわけではないのでしょうけれども、また質の判断が難しいからということもあるのでしょうけれども、例えば幼稚園長であれば、規模、従事年数。金融保険業であれば、資金量、預金量、契約高。最近のことを考えたら、このようなことは全く関係ないなど、この辺り何か具体的に見直しをするとかしていかなければなりません。全体としては、皆さんがおっしゃったように今度のアンケート調査その他には、叙勲制度を是として、しかし是とする以上はやはり見直しが必要だという意見ははっきり出ているわけですから。例えば、産業分野を例とした功績評価における特に著しい功労というのは、全国規模の大しかないと思います。そうではないものもあると思うのですが、こういうところは経済分野ばかりではなくて、教育の分野でも、やはり全国が常に地方より上、大は中より上。これはやはりどこかできちんと見直しをしないといけない。確かに今までの例はありますけれども、むしろ、やはり難しいところを受けて、その評価の難しいのをこういうやり方でやっていくのだということぐらいは今度出していかないといけない。もちろんそれで100%公正が期せるとは思いません。しかし、やはりそういう新しいものを受けてやっていくと、ポストにリンクをする部分にもかなり質的なものを入れられるのではないかという気がいたしますね。
ですから、良い悪いは別にして、お断りになる方は別にして受けられる方にとって、そうは言いながらも何となく叙勲の方がウェートが高いと言うか、重いと言うか、そういう中で、褒章などいろいろなものを総合したときにどうかというようなことはどこにも出てきませんから、きめの細かい配慮は必要だと思いますけれども、できれば叙勲の方で、このポストとのリンクに質的な評価をもう少し入れていくということを、せっかく見直しをする以上はやるべきではないかというように思います。

吉川座長  もう一つ付け加えておきたいのは、抜本的に考えたら全部壊れてしまうと思うのです。やはり、現在までやってきたことが正しかったのだと。しかし、一部手直しという、そういう論理でいくしかないと思います。

 現在では全国とか大とかというような話になっていますね。産業界の中でも何々会長というのがあって、最初何々会ができたときは文字通りのリーダーが会長になったのかも知れませんが、それをだんだんしていくと持ち回りになってくる。よくよく聞いてみると、本当かどうかは分かりませんが、全国版の会長という職になると叙勲が一格か二格上がるから、会長が今まで2年なり3年やっていたのが今度は1年ごとに交替してたくさん出てくる。高齢化社会になってくると該当者が増えてきますから、そうすると会長が増えてくるというように。要するに大とか全国とかということだけで議論していきますと、このように今度はその叙勲制度に実態が逆に引きずられていくようになる。あるいは引きずられていきつつあるというような社会的な状況が少し出てきていると思います。したがって、なかなか難しいけれども、本当にそこを見直して何かを入れないとやはりおかしな話になってくる。

 先ほどのお話にもありましたが、国立大学の数が増えて、今度独立行政法人制度が導入され、恐らく将来相当統廃合されてくると思いますけれども、それこそ大学の質から言えばピンからキリまであるわけですね。同じ教授でも随分ピンからキリまでありますが、これを一律にやるのかどうか。ランク付けすると、また差別だということにもつながりますし、難しい問題がありますけれども、国公私立の別についても、やはりそういう質の方でいく時代には、もう枠が外れてくると思うのです。やはり時代に即応して、各分野で是正できるのは、ある程度抜本的な精神や制度は生かしながら、対象の質というものをどう評価するかというところまで踏み込めるかどうかですね。

 いろいろな分野の既存の評価の基準を見直していくということは、大変必要なことだと思いますね。ただその場合に、それでは過去において、例えば経済界で中央で全国的な規模の仕事をしているものと地方的なレベルでしているものとが違うと、要するに評価を変えているということがどういう点で間違っているのか、どういうふうに変えれば良いのか。その辺りを実質的な功績によって決めようということになると、実質的な決め方というのは大変難しいのではないかと私は思いますが、そうかといって、今のままで良いとは思いませんけれども、そこの議論は相当しないとなかなか難しいところではないかと思います。

吉川座長  先ほどおっしゃった微調整しかできないと思うのです。ただ、企業規模をどう考えるかといったときに、やはり今までは圧倒的に大きさですよね。それを変えるというわけにいかないのかな。例えば、大であろうと中であろうとそれは関係なしというふうにしたら、これはおかしいでしょうね。別の尺度がいるのでしょうか。

 今、一時的なものか知れませんけれども、かつては明らかに大きいことが良いことだとされ、それから確かに日本の企業がいろいろな分野で世界的な市場へ出ていって期待をされることもあり、例えばほかの大きなところにチャレンジして大きく伸ばして、雇用に貢献をして、もちろんそれでやっていたわけで、これはこれでこれからも規模はもちろんある程度大切になりますが、あえて二つ言えば、一つは当たり前のことですが、やはり効率よく経営をするということが一番社会に貢献をすることであって、非常に大切な人材も含めてただたくさん人を抱えて効率の悪い仕事をするというのは、本当はちっともお役に立っていない。今では最も否定されるべきであり、それは過渡期だとしても、いずれはやはりそういうところにいかなければいけない。それから、やはり企業の場合は技術その他を含めて本当に独自な技術とか、独自なカルチャーとか、そういうもので冠たるポジションをつくっていく。こうなると地方に非常に良い企業がたくさんあるのですね。しかも、それは結構全日本的に知られている名前である。社会の企業に対する評価というものが、大きいから良いのだという時代はとっくに過ぎていますし、しかも、全国規模の経済団体をまとめている方なども、むしろそういう点からまとめるということについてやはり非常に重視をしている。企業倫理の問題などももちろんそういうところに入りますけれども、大分そこが変わってきていると私は思いますし、その辺りを評価に入れていかないといけないと思います。

吉川座長  それをどうやって入れるかですよね。

 自主的に経済界がやるのでしょうか。

吉川座長  新しい企業をつくるなどというのも非常に大きな要因になっていますよね。

 確かに価値の評価というのは変わってきているのでしょうね。

吉川座長  やるとすれば、やはり各分野でやるのでしょうか。

 各分野で再評価するということはある程度必要だと思いますね。賞勲局全部やりなさいと言っても難しいでしょうから。

内閣府賞勲局長  そこまではちょっと見通せませんけれども、やはり推薦省庁と相談しながら、各々の分野で序列みたいなものをある程度付けていただかないといけない。こういうものが上だとか、ある程度相談しながら。

吉川座長  全体のバランスもありますからね。

 各分野でルールを決めて、それでいけない機関も出てくるのは確かですね。これは専門家でないと分からないですね。

 ある程度身内から批判されるのを覚悟しても、経済界は経済界でしかるべきメンバーを選ぶべきです。今までですと、やはり恨まれるのは嫌ですから、何々省が選んだとか逃げられるのかも知れませんが、もうそういう時代ではないですね。

吉川座長  経済界では中小企業の経営者で有名な方がいらっしゃいますよね。今ではベンチャーの雄みたいになって引っぱりだこなんですよね。ああいう人こそ、やはり今の時代的に言えば評価されるべきでしょう。

 質が変わっているのですね。

吉川座長  そうですね。そういう人がやはり社会的にはむしろ評価されるようになってきているわけですから、叙勲制度もそっちに動かなければおかしいということですね。

 先ほどから出ておりますけれども、人目につきにくい分野などは、こういう分野についてのアンケート調査でも、意見募集の御意見でも、あるいは座長のお話の中でも変えていく分野の中に入っている領域だろうと思いますし、委員の方の反対もないのですけれども、今お話に出ているような基準となると、誠に難しいなというふうに思います。しかし、そこを何とか、やはりこういう分野にも日を当てるということが、この栄典制度そのものを本当に社会に身近なものとして根付かせていくことになるかも知れません。私は、賞勲局だけではなくて、本当に民間の知恵も含めて、こういう分野をどうすればいいかということを考えていくべきだと思います。
今はどちらかと言えば、民間の企業でない分野は、つまりほとんど官製のボランティアなのでございますが、保護司であるとか、民生委員であるとか、これはボランティアにカテゴライズされているかも知れませんけれども、やはり官製ボランティアですから、先ほど局長がおっしゃったように、地位と面積でいう地位がやはりないわけです。保護司なら保護司で一律ですけれども。そうすると年数ですね。これははっきりしているのですけれども、民間の全くこの官製も付かないボランティアになってくると、それさえ非常に難しくなってくるので、やはりこれは知恵を出すより仕方がないかなと、先ほどから考えているのです。

内閣府賞勲局長  純粋なボランティアの方は、なかなか活動の記録が残っていないということがありまして、それから先ほど言われた人目につきにくい分野につきましては、本当に人目に付きにくいので、どういう方がいらっしゃるのかもよく分からないということもありまして、これをどういうところを経由して推薦してもらうのかがなかなか難しいかと思います。

 特に、今のボランティアと我々も接触して思いますのは、表彰してもらおうとか、勲章をもらおうなんてことを露ほども思っていませんよね。

吉川座長  中途半端なやり方かも知れませんが、最近はNGOが認知されてきていますので、少しネットワークを張って、そこで拾ってもらうなどすれば、ちょっと違う情報が入ってくると思います。

 人目につかないという項目を設けて、これを何らかの方法で顕彰するとしても、掘り起こすことが必要ですね。

 最初からこういうところで数をどんどん出していくということではなくて、一人でも二人でも項目が出されて、そしてそこのところで認めていく。それが大方の方に、先ほどみたいになるほどと納得されてくれば、おのずとそこに一つのチャックができてくると言うことでしょうか。

 勲章をもらおうなんていう打算的な行為ではなく、見えないところで純粋にやっている人がいますね。これは、NGOなどいろいろな機関がありますので、全く一人でやるということはできないでしょうから分かると思います。根を張れば出てくると思います。

 今おっしゃったように、余りもらおうなどと思っている人がいないので、推薦母体になるところが果たしてあるかどうか分かりませんけれども、それでもこれからいろいろな分野で、そういう報いを求めないで、しかも長いこと社会の一つの分野を受け持つと言いますか、そういうところで働く人たちに対して世の中が評価していくということを、是非私たちの社会の問題として考えたいというふうに思います。

 一挙に勲章という議論になると、私はちょっといろいろと問題があると思うのです。ですから、例えば栄典制度の中で言えば褒章ですね。それから、その外で言えば総理顕彰とか、あるいは先ほど局長が言われた記章というものですね。こういうものであれば、ボランティアを自発的にやっている方々も受けやすいのではないかなという感じがいたしました。

吉川座長  よろしいのではないでしょうか。その辺りで議論しなければいけないと思うのは、褒章とか記章というのは、例えば非常にある功績があったときにすぐに出すという性質のものですよね。それでずっと70歳まで生きて、ふっと振り返るとその人の一生が見える。そのときに褒章などをもらっている人がまた叙勲されるということがあっても良いのではないでしょうか。両者は全然独立のもののような気がするのですけれども。

 現に褒章をもらって勲章を受けている人はいっぱいいるわけです。典型的な例は、大学の先生は大体紫綬褒章か何かをもらってから何年か経つと勲章だというわけですから、その慣行は私は余り適当なものだとは思いませんが、これらは違うものですから、両方もらって結構だと思います。

吉川座長  逆に、NGOでも70歳まで一生やるという人は、多分時代的にいってそういないと思うのです。しかし、今後増えていくという意味では、褒章等でどんどん対応して、そして、やはり積算したときに叙勲の対象になるという、そういうことを含んだ制度としておくのが良いのではないかと思います。

 栄典制度の中でも取り分け検討している叙勲というものは、やはりどんなに頑張ってみても、社会の動きから一歩、二歩は遅れると思うのですよ。これはしょうがない。要するに、評価する時点については、今を今で評価すると褒章となってしまいます。勲章というのは、ある程度の歴史的な時間の経緯を見るということにやはり意味がありますから、そうするとそこは遅れてもしょうがないだろう。それから網羅性というのも、やはり徹底したら恐らくパンクしますからできない。だから、ある程度芽を出すという意味で、やはり今回はこういう点に重点を置くと、例えば先ほどからお話に出ている経済分野でしたら、最近のベンチャー企業であるとか、あるいは地方に根差している企業であるとか、そこに重点化する。それと同時に、今までももちろんやってきたわけですけれども、自衛官や警察官についての配慮をするとか、そういう重点目標を幾つか挙げて、それをある段階で見直していくということだと思います。

 今のボランティアの問題ですが、私も地域におりまして、本当にボランティア活動を10年も一生懸命やっていらっしゃる方がやはりいらっしゃるのです。本当に名もない方なのですが。そして、うちでは福祉バンクと言いまして、ボランティア活動されたのを点数にする時間貯蓄制の仕組みをつくったのです。それで見ますと、こんなにボランティア活動をされたのだなという方が、本当に頭の下がるような方がいらっしゃいました。ほかにそういう方を表彰してあげる制度もないものですから、うちの町の場合には基金がありまして、保健・福祉活動に非常に顕著な功績があった方を表彰するようにしていますが、そういう方々が全国にたくさんいらっしゃると思うのです。そういうそれこそ名も知らない方々について、やはり最適なのは、先ほどおっしゃった褒章制度でまずきちっとしてやる。更に、そのような名もない方々が、あるいはその後、団体の長などになられれば、別の分野でいろいろなことをおやりになるだろう。そうすると、先ほどのお話にもありましたように、褒章と叙勲がダブってもいいのではないかなと思いますし、それはもうケース・バイ・ケースで考えていけばいいのだろうと思います。
いろいろ御意見をお伺いしていて、この栄典制度について、各委員の皆様又は国民に対するこれらの調査を踏まえても、総論的には一応コンセンサスを得て方向付けが決まったと思うのです。ただ、各論では、基準や物差しをどうしていくのかなど、今いろいろ議論が出ている問題だろうと思います。
そうすると、各論の場合には、候補者の推薦は各省庁から賞勲局へ上がってくるのでしょうから、この省庁の方の物差しに、それぞれ大きな違いはないにしても、やはり少し温度差があるのではないかなと思うのです。そこのところはやはり賞勲局において、こういう基準と言いますか大きな根っこのところをおつくりいただいて、そして省庁へ出していただく。そして、先ほども御意見が出ましたように、ポストが社会的な功績とどうリンクしているのかということも、チェック項目として賞勲局からあらかじめ出していただければ、各省庁、局はそれをやるだろうと思います。
それから、今回の調査にも、幾つかの業績がある場合にそれを総合的に評価してほしいという意見がやはり出ていますが、私もそう思います。保健・医療・福祉は昔はばらばらでしたから、それぞれの分野で推薦をしていました。厚生省という一つの省の中にありながら、各局ごとに推薦をしていましたから、それを今度はやはり省庁で一括してやるようにと、これは厚生省も労働省と一緒になりましたし、そういう意味では、いろいろなお医者さんの中には企業の健康管理をして労働面でも功績があった方がいらっしゃいますし、そういう面が今まで別々だったのが、今度は一緒にして評価される。そういうのも賞勲局の方で何か根っこの方をおつくりいただいて各省庁の方へお示しいただければ、各省庁はそれに準じて、局ごとには出るかも知れませんが、それを省庁でまとめていただくというやり方がやはり必要なのではないかなと思うのです。
それから、ちょっと教えていただきたいのですが、この次の9月にはおおよそまとめをしようということなのでしょうか。その場合に、何かたたき台みたいなものを事務局の方でお考えいただけるのでしょうか。

内閣府賞勲局長  基本的には、次回ある程度のたたき台と言いますか、完全に文章化できるかどうか分かりませんので、項目になるかも知れませんが、そういうものを座長と御相談の上で用意をいたしまして、先生方に事前にお諮りをして御議論をいただこうと思います。

吉川座長  先ほどのお話で、具体的には省庁を通じて上がってくるわけですね。今のような考えをどうやって省庁の基準に影響させるわけですか。

内閣府賞勲局長  今のお話にまとめてお答えをいたします。
まず一つはボランティアの関係ですが、例えば施設で理髪の奉仕をされるようなボランティアが結構ありまして、これは褒章で結構上がってきたりいたします。これは、同じ施設にずっとおられたりしますと、そこの施設から、何年間にわたり来ていただいたという証明が来て、それで都道府県から上がってきたりする例がありますので、そういう例えば施設などとリンクできればうまく上がってくるかも知れないということがあります。確かに今でも実績はあります。
それから、賞勲局の審査と各省の推薦の目安が若干食い違っているときもありまして、うちの方でこのぐらいだったらこういうものを出しますというのをある程度各省も知っているわけですけれども、推薦してくる方の仕切りが高いときがあり得るのです。セレクトするために、わざわざ少し重めにしていたりするところがありまして、そこら辺りは余りきつくしないでというようなことはやっております。
もう一つは、確かにおっしゃられたように、分野ごとにそういう仕切りがありますから、その仕切りを超えたか、超えないかは各部局で判断する。そして、どこか一つ超えていれば、今度は賞勲局の方に来たときには全部総合的に評価いたしますので、例えば厚生省の功績以外に文部省の関係があるとか、法務省の人権擁護の関係があるとか、そういうものは全部うちでまとめて見ることにはしております。そのときに、こういう功績があるのではないかということで担当の省庁から推薦書を出してもらうなど、そこにどういう評価があったかを見るというようなことをやったりして、できるだけ総合的にするようにはしております。しかしながら、実は最初に仕切りを超えるときに、どこも推薦基準を超えられないという方がいらっしゃるのです。ただし、総合的に見るとかなり大きな人ではないかということがあるものですから、漏れのないようなシステムにしてくれという御意見も出ていますし、懇談会の場でも何回か出たかと思います。ですから、そこを何か考えなければいけないなというのが一つの大きな問題かなと思っております。

吉川座長  かなりいろいろな御意見の集約を見たような気がいたします。具体的に基準をどうするかという大問題が残っているわけですけれども、リンクしているということは認めた上で、基準というものを時代に応じて手直ししていくということはやろうという合意は一応できたような気がします。
後は、リンクしていない人の扱いについて、リンクしない人が上がってくるということはあり得ないのでしょうか。これらの人をどういうふうにするかということですね。

 例えば、国際貢献などでユネスコ運動がありますね。NGOではユネスコ協会連盟というのがあって、私はユネスコの国内委員会の委員長と、ユネスコ協会連盟の副会長とをやっているわけですので、官民両方見ているわけですね。それで、民間の方では288の各都道府県の組織がある。これが一斉に、識字運動の寺子屋運動をしたり、アフリカや中南米あるいはアジアのベトナムに小学校を造ったり、教科書を持って行ったりというのを盛んにやっているのです。本当に熱心に、小さな単位で200人ぐらいの会員でバザーを開いてはお金をつくったり、あるいはいろいろなものを仕入れて売っては学校を造ったり、長いことやっている人がいるのです。これなどは、やはり日の当たらないところでこつこつ仕事をしながら、半分はどこにいなくなったと思ったらガタルマーラへ行ったとか、みんなで手分けしてやっているのです。
こういうものは、勲章や褒章を受けようなどということはさらさらないのですけれども、長年やっている人などがふと褒章を受章するとびっくりすると思うのです。こういうのを、今は所轄の官庁は文部科学省の国際局でしょうか、そういうところへきちっと採り上げて一つケースをつくればと思います。全国組織ですから、各都道府県にあるのです。町にまでありますね。鎌倉などの会員250人は、海岸でごみを拾ったり、夏になるとだれも何もしないのを、それぞれのグループに分かれてごみ拾いをしたりしている。何時何分に集まってごみを回収しますとかよく出ていますけれども、そういう運動を国内でもやっています。

内閣府賞勲局長  実は、今でも毎回春秋勲章、褒章のときに、新規分野でこういうのを出せないだろうかという相談が必ず各省から上がってくるのです。ですから、今まで出したこともないような分野でありましても、今後こういうのを出したいというようなものがあると大体上がってきますので、それはその分野の役所との御相談ということが一つあると思います。
それから、肩書きが無くてもこの人はものすごく功績があるということになりますと、本当に個人の功績で見てくれというようなことで推薦されてくるものもあり得るのです。例えば、一つの分野で何かやっておられ、団体としては今後そのまま認めるようなものではないけれども、この人だけは立派だというようなことで上がってくることがあります。推薦省庁が本当に推薦するかどうかにかかると思いますけれども。

 組織のない医療活動や、福祉やこれから介護の問題などいろいろありますね。そういう民間活動が知らない部分で支えているというのは確かにありますね。

内閣府賞勲局長  最近の例ですと、新しく南アフリカで環境の保全のために一生懸命努力したような人について、これを出してくれということで相談に来られたりしたこともありまして、こちらも出したものもありますので、これはという人がいましたら御相談いただいてもよろしいかと思います。直接こちらで御相談を受けることもあるのですが。

 そういうものを掘り起こして、見えない分野というところへ一つ項目をつくっておいていただくと良いですね。

吉川座長  そうですね。掘り起こしという言葉だけではなくて、具体的にどういうふうに掘り起こすのかというところなのです。それを例えば各省に義務付けるとか、その辺りを少し強制的にやらないといけないのかもしれません。ただ待っているだけではなくて。

 やはり、新しい分野とか、隠れた分野ということになれば、「私が」なんて言う人はいないでしょうから、そうするとだれかがだれかを推薦しなければいけない。しかし、まさか賞勲局に持っていくなんて考え付かない人もいるわけですから、やはりそういう場合に一つの道筋があるということをこの制度の中に入れておくことで、開かれた制度にしておくということも大事かも知れませんね。

 組織的には、最後はユネスコなどの場合は文部科学省へということですね。

 ボランティアをやり出すと、先ほどもおっしゃったけれども、数もたくさんになると思うのです。ですから、それをみんな表彰するのかということですけれども、私はやはり、自分のことしか考えない時代に、他人のためにという考え方を世の中に広めていくということもこの褒章制度の意義であるとすれば、やはり頂点だけかも知れませんし、たまたま見付かった人だけかも知れませんけれども、そういう分野の方が表彰されていくツールがあるのだということが大事なことかなと先ほどから考えておりました。ただ、それを各省庁に、こんな場合にはこうしなさいと言っても大変でしょうから、それを探す努力と、それから推薦した場合につなぐ努力というもの、またそういう場所が見えるということが必要だと思います。

吉川座長  一般的にどういうふうにすればよろしいでしょうか。各省庁と賞勲局には大きなパイプがあるのですから、各省庁まで上がってくれば賞勲局に届くわけですね。各省庁がカバーできないものがもしあるとしても。

 各分野で、例えば厚生と医療は昔の厚生省ですが、そういう医療や治安、それから保護司さんなどは法務省の管轄で、全国組織がありますし、いろいろな意味でボランティアとしても組織でやっていますね。その中で特に熱心に個人的に中心になって働くような人がいると、そのグループは非常に盛んになりますね。本当のボランティアで、手弁当で一銭ももらわないでどうして生活しているのかと思うぐらいに動き回っている人もいますね。

内閣府賞勲局長  この分野で本当に活躍されている、この人は本当に立派だという人がいれば、その人だけにでも出れば大分励みにはなると思いますけれども、そういう人をどうやって拾うかということが、なかなか確かに難しいことは難しいですね。NGOなどの団体がどこかに相談に来てくれたりすれば、まだ分かるのですけれども。

吉川座長  そうすると、2番目の問題、つまり掘り起こす箇所については、抜本的に掘り起こせるという方法もなかなかないわけですけれども、とにかくその努力をやはり各省なり担当の人がするということ。それから、全くそうではなくて、他薦と言うか、例えばこういう人はどうかなどと直接賞勲局へ来るというのは今でもあるのですか。

内閣府賞勲局長  こういう特異な方がいらっしゃるけれども何とかならないものかなという御相談などはありまして、私どもも経歴や活動の中身を見て、この役所から出られるのではないですかとか、いろいろアドバイスをしたり、役所と相談をしたりすることはございます。

 一生懸命環境を守っているとか、地方でいろいろな講義したり、工夫して汚染から守ったり、いろいろやっている人がいますね。

 私が見ているところでは、ボランティアを非常に一生懸命にやっている方には、余りそういう形で表彰されたりすることを予定もしていませんし、好まない人たちが多いのですが、褒章制度の運用では団体を表彰できるわけですから、むしろそういう人たちが中心になっている団体を褒章の対象にすることから、この問題についての人々の意識を変えていくことができるのではないかと思います。個人個人でやりますと出にくいと思いますが、団体でやれば乗りやすいと言いますか。

 いつまで続くか分かりませんしね。本当のボランティアですから、終わりと言ったら終わりですが、グループならだれかが引き継いで、組織的にやりますから、一項目立てていれば、いろいろな情報が出てくるのではないでしょうか。

吉川座長  もちろんグループを叙勲するわけにはいかないわけだから、グループを通じてということは大変なことですよね。

 褒章そのものはグループにもあるのですね。

吉川座長  なるほど、これは一つ考えておけばよろしいですね。しかし、もらいたくないような人に本当は叙勲したいわけですし、しかももらいたくない人も喜んでもらってくれるような叙勲制度でありたいというのが本当のところですよね。それには時間が掛かると思いますが。
それでは、今日いろいろな御議論が出まして、具体的な話まではいけなかったのですけれども、これを参考にして次回ということにしたいと思います。
それでは、次回以降の進め方をどういうふうにするか、局長から説明をいただけますか。

内閣府賞勲局長  今までの御議論を踏まえまして、制度をどうするかというものが一つと、それからそれに向けての意見書をどうまとめるかというものの二段階あろうかと思っております。座長と御相談をしながらある程度の案を用意いたしまして、次回が9月でございますけれども、それまでに委員の皆様方のところに御相談にお伺いできればと思っております。それを踏まえて9月に御議論をいただきまして、そこで出た御意見を基に意見書の文案をまとめていきたいと考えておりますが、できれば10月、ちょっと時間が短いので場合によると11月にずれ込むかも知れませんけれども、この辺りでできればまとめていただきたいと考えております。そういうことで、今日までの御意見を基に、一応意見書のスケルトンか、あるいはもう少し詳しいものになるかも知れませんが、御用意いたしたいと思います。
もう一つ、実際の運用の方をどうするかというのも並行して、案を考えながら御相談をしたいと思っております。

吉川座長  よろしいでしょうか。あと2回ほどということですが、今お話がありましたように、次回は、できるだけ原案と言いますか、最終文に近いものを当方でまとめて、それを前もってお配りしますので、御意見をまとめていただいて、9月5日の10時から12時までということでよろしくお願いいたしたいと思います。
それではどうもありがとうございました。

(以上)