栄典制度の在り方に関する懇談会(第2回)議事要旨
1. 日時
平成12年11月21日(火) 14:00~16:00
2. 場所
総理大臣官邸大客間
3. 議事
- (1) 開会
- (2) 内閣官房長官あいさつ
- (3) 意見交換
- (4) 閉会
4. 出席者
吉川弘之座長、工藤敦夫座長代理、今井延子委員、金平輝子委員、小林陽太郎委員、平山郁夫委員、藤森昭一委員、御厨貴委員、柳谷謙介委員、山口昇委員
(政府側)
福田内閣官房長官、古川内閣官房副長官、中原総理府総括政務次官、安藤総理府次長、佐藤総理府賞勲局長、勝野総理府審議官、福下総理府賞勲局総務課長
5. 会議の模様
- (1) 福田内閣官房長官からのあいさつが行われた。
- (2) 佐藤賞勲局長から参考資料について説明が行われた。
- (3) 各委員により意見交換が行われた。
主な意見の概要- 栄典制度は是非継続していただきたい。地方では一つの大きな国民の励みになっている。ただ、社会の変容にこの制度がフィットしているか、問題点もないわけではなく、社会の変容に合わせた方法論が今問われているのではないか。
- 官民格差についてよく言われているが、警察官、刑務官等も含めて官民の比率が2対1になっており、もしそういう方々を除けば、そんなに極端な格差はないのではないか。
- 叙勲の基準については、年功序列に偏っているきらいはないか。社会や地域に対する貢献度を重要視していただきたいと思う。
- 栄典制度は、従来ずっと続いてきたわけだから、これとの整合性は必要であり、急激な変革は好ましくないのではないか。
- (受章者に)旅費が出ないようだが、個人的な負担が非常に大きいので、何とかできないものかと感じる。
- 官民構成比の中で、警察、自衛官等いわば治安、防衛に従事している公務員が官の中の31%を占める。こういう仕事の大部分が公の仕事であることは言うまでもないが、それを官の中に入れて、官は民の2倍だとかというふうな議論は余り公正ではないのではないか。こういう危険で人目につきにくい仕事は、官とか民とか言わず共通の仕事であり、社会、公共に対する貢献ということでは同質ではないか。
- 官と民という機械的な分け方は、やはりおかしいのだろうと思う。国公立の校長先生とか、警察官、自衛官といったような方々と、いわゆる一般公務員とは同じように考えてはいけないのであって、その辺のカテゴリーを少し分けるということをやった方が良いのではないか。
- 受章の年齢に関しては、生命に関わるような職業に携った方については70歳まで待つ必要はなくて、もっと早目に受章をする。それから、春秋2回ということでなく、随時受章のチャンスを設けるということを考えてはいかがか。
- 叙勲の対象について、除外事項をつけるというのは変であって、例えば政治家がだめだとか、官吏がだめだとかというのはその理由がない。人を褒めるときに最初に除外事項をつけるというのは間違いだと思う。
- 等級の必要性に関して、文化勲章方式のものというのは、文化勲章だからできるのであって、普通の勲章の場合、単一で同じというのは違うのだろう。ある程度の数を出す場合には、ある程度の等級の必要性はあると思う。それが今、煩瑣であることは事実なので、簡素化することは賛成である。国に対する貢献ということで言えば、内容的な差というのはあると思う。
- 官民の比率を変える場合、頂いて良い方、すなわち、今までなら頂いていたような方が、頂けなくなることには慎重であってほしい。公のために尽くした人には国家がそれなりの評価をし、労に報いる、それを家族の人も光栄に思うということが叙勲制度の原点にあるとすれば、そういうことはあってはならないのではないか。
- 等級の問題については、基本的には従来の制度との整合性を図らなければならず、これをガラッと変えて全く別なものをつくるというのは、定着した栄典制度というものを混乱させることにもつながりかねないので、好ましいことではないと思う。
- 等級を簡素化するとすれば、切り捨てにだけは絶対してはならない。地方では特に、栄典制度はかなり国民の励みになっていることを理解していただきたい。
- 警察官、自衛官等は、公の中で3割を占めている。この分野というのは非常に大きいわけだから、統計を出すときに、何か方法論を考えられないか。
- 等級の必要性、等級の数についてだが、貢献の程度には差があるし、そういう意味で一本化するのは無理だろう。しかし、現在の等級が多過ぎるということについては理解できる。ただ、そのとき幾つが良いのか、あるいは、その名前をどうするのか。何かよりどころがないと、なかなか議論が収斂しないのではという感じがする。
- 官と民についても、あらかじめ比率を決めるということはおかしいと思う。
- 栄典制度そのものは、一般的な国民の意識として、お国のためになったとか、パブリックなお役に立ったということについてのレコグニッション(承認)がある。それは、国によってされるということは今までもあって、それなりの意義もあるし、これからも制度として存続をさせるべきだというふうに結論としては思っている。
- 伝統的に(栄典を)名誉だというふうに思う感覚は依然として広く残っていて、これを古いということで排除する必要はないと思う。
- 官が順位をつけるということについては、人に順位をつけているのではなく、功績の順位をつけているのだから、つけ方がどうかということはあるかも知れないが、あってもおかしくないと思う。
- 全国の方が地方よりも高い、大企業の方が中小企業よりは高い、経済団体の長の方が個別の企業の長よりは高いというような考え方はそろそろ改める必要があるのではないか。その辺が実態以上に喧伝されて、栄典制度の在り方について、やや偏った評価を与えていることにつながっているのではないか。
- 官民の比率については、どちらかと言えば民の方が多くてもおかしくないと思う。当面は50:50よりも官が多くならないようにということは、一つの目安として考えても良いのではないかという気がする。
- 本当の意味でパブリックに貢献することが、社会的に見ても意味のあることだということを広く認識させるという点からも、良い形に栄典制度が見直しをされて、発展的に続いていくということが重要なことだと思っている。
- 官と民について、統計を改めて見ると、そんなにアンバランスではない。しかも、本来パブリックへの貢献というのだから、官と民というようなことで分けるのもおかしいとか、さまざまな意見があるが、世の中で、官と民の差があるのではないかという批判が出ているのはなぜなのか。例えば、目立つ上位は官が多いとか、そういうことも含めて見ないと、数だけの問題ではないという気もする。
- 官民の功績の見方に共通性がないのではないか。官の場合は、職務の内容とか勤務した年限とかで比較的明確に把握できるが、民の場合、明確な物差しがないのではないか。したがって、この問題は運用上、その物差しをどうするかによって、民の方から取り上げられる人の数がどのように変化するかということだと思う。
- 栄典には、勲章と褒章があるが、これをどのような考え方で整理していくか。例えば、褒章を見れば官はほとんどいない。褒章は善行を褒めるものであり、勲章の場合は、国家公共に対する功労の集積で判断するというところから言うと、勲章と褒章との扱いにもう少し目を向けてみる必要があるのではないか。
- 民の尺度をもう少しきちんとするというところにひとつの問題があるような気がする。
- どういう尺度、物差しをつくってもいろいろ異論が出るのだと思う。特に民の場合には、人気投票になってはいけないけれども、やはりある程度、尺度をつくって、間尺に合わないならばそれは少し変えなければならない。それを使ってどういう人たちが決めるのかというところに少し民間が入るとか、第三者が入るとか、しかもその人たちも固定化しないというような工夫をしてはどうか。
- 選定そのものはもともとパブリックサービスの仕事であるが、民の意見を反映したり、提案したりできるような仕組みは考えられないか。
- 推薦の仕方について、なるべく漏れのないように拾い上げるシステムが不十分であればそれを更に整備することは必要かもしれないが、判定して決定するのは国の業務ではないか。最終的に決めるのは国家というか、政府の任務でなくてはならないと思う。
- 今の時点では、特に民について問題があるということだと思う。民の尺度を時代の変遷とともにアップツーデートなものにする仕組みを入れられるかどうか。
- 民の場合、いろいろな業績が各分野にわたっているときに、ある一つの推薦母体が、自分のメインのところは評価できるけれども、それ以外の功績に対して評価が的確にできるのか、という思いがする。これからの社会は垣根が低くなるということがいろいろな分野で言われるわけだから、各分野にわたる功績をどう評価するか、誰が評価するかということを考える必要があると思う。
- 功績の評価である以上、グレードの付くのは当然だが、それが多過ぎるかどうかというのは一つの問題。8階級というのはやはり多いのだろうと思う。しかし、切り捨てることになるといろいろ問題があるし、まとめるくくりが大きくなれば不公平が出ると思う。7、8とか6とか、この辺はまとめても良いのではないか。許容できる範囲で簡素化というものがあっても良いのではないか。一等とか二等というのも可能ならば固有的な名詞にしても良いのではないか。
- 細か過ぎるところを少し大くくりにするのは賛成であるが、単一級というのは無理だと思う。
- 栄典制度というのはずっと続いてきた経緯があるので、過去の経緯、歴史との整合性は図られるべきであろう。全く違うものをつくるのではなく、整合性を保ちながらの修正というか、そういうものの方が国民にはわかりやすいと思う。等級を数字でなく名称で考えるのならば、わかりやすいものが国民の納得が得られるのではないかという感じがしている。
- 叙勲制度なるものが、我々が日本に持つべき公共心、公共性という方向に対して、きちんとしたメッセージを出しているかという観点からの全体的な検討が、基本になければいけない。
- 等級は必要だという説明をきちんとして、そのうえで分かりやすい名前をつけ、若い人にも勲章の意味とか、栄典をやる意味というものをきちんと説明していかないといけないと思う。若い人にとって意味があるという説明の仕方の工夫が要ると思う。
- 少なくともグレードは当然あってしかるべきだろうと思うが、一応6から7、8は1つで良いのではないかという感じがする
- 功績の評価という以上は何らかのグレードはあるだろうと思うが、なるべく大くくりが良いと思う。
- もらった章の名前で意味がわかるような分かりやすいものが良いと思う。
- いろいろな視野で総合的に選んでいただきたい。
- 民間の数について、数よりも中身だと思う。あまり数にこだわらず、内容的に理解が得られるものであれば、数のことはそんなに考えなくても良いのではないかと思う。
- いろいろなカテゴリーがあるわけで、それが一つのスケールで比べられるのかという問題がある。単なるスケール、量的なものではなく、その中に質みたいなものが入ってくるようなグレードというのが要るのかどうか。その辺をどういうふうにするか。しかし、逆にわかりにくくしてはいけないわけで、わかりやすく、かつもらった本人が理解できるようにするという難しい問題がある。
- 公私、官民、いろいろな功績というものを勲等勲章の中でだけ解決しようと思ったらなかなかうまくいかないと思う。褒章、国民栄誉賞、総理顕彰等その周辺にいろいろな制度があり、少なくとも、勲等勲章と褒章は一体のものとして考えて運用していくようにしないと、なかなか対応できないのではないかと思う。
- (4) 第3回目の会合は、平成13年1月15日に開催することを予定。次回の会合においては、各界からのヒアリングを行うが、ヒアリングの対象者については、今後、調整の上、決定することとされた。
[文責:内閣府賞勲局総務課]
(注)本議事要旨の内容については、今後変更の可能性があります。