栄典制度の在り方に関する懇談会第4回議事要旨

1. 日時

平成13年3月19日(月) 10:00~12:00

2. 場所

総理大臣官邸大客間

3. 議事

  1. (1) 開会
  2. (2) 意見交換
  3. (3) 閉会

4. 出席者

吉川弘之座長、今井延子委員、金平輝子委員、小林陽太郎委員、平山郁夫委員、藤森昭一委員、御厨貴委員、山口昇委員

(政府側)
古川内閣官房副長官、西川内閣府大臣政務官、佐藤内閣府賞勲局長、福下内閣府賞勲局総務課長

5. 会議の模様

  1. (1) 吉川座長から、次回の5月の会議では、第4回会議までの議論を踏まえて論点を整理することとし、これを「論点の整理」という形で公表する旨の説明がなされ、了承された。
  2. (2) 佐藤賞勲局長から配布資料に基づき前回までの主な議論、褒章制度の概要等について説明が行われた。
  3. (3) 前回までの主な議論の整理に沿って、各委員により意見交換が行われた。
    主な意見の概要
    1. 官と民
      • 官と民の功績の質については、テクニカルには違うけれども、パブリックということについて評価をする場合には、本質的には同じ物差しで同じ視点でみるということが重要なことなのではないか。
      • 企業の経営者が企業を経営するのは基本的には営利のためにやるわけであるが、その反面例えば雇用の創出だとか、国民生活の向上に資するということはある。しかし、そういうものと官の功績というものにはやはり違いがあるのではないか。同じとは言えないのではないか。
      • 社会が豊かになるという大きな目的があって、その中の役割分担として、社会的な仕組みをつくっているのが公務員であり、何か新しい知恵を出すのが研究者であり、具体的にその富というものをつくる場面にいるのが企業であると考えると、豊かになるためにやっているという意味では同じような気がする。
      • 公共の精神という理念から言えば、官と民とでは(功績の質というかどうかは別として)成り立ちは違うだろう。官と民の制度設計というのは当然違うわけであるから、勲章の質というか、考え方というのは違ってきて当然だと思う。
      • 栄典制度というのは、勲章と褒章と2つ合わさったものと考えて議論すべきだと思う。褒章は原則として官には適用がなく、その中で藍綬褒章は商工業の振興に尽くした方を対象にするなど専ら民のための制度として運用されている。制度を立てた基本理念から言えば、勲章は国家・公共への功績への報いであり、褒章は善行を表彰するという考え方でやっているわけであるから、その考え方を整理し、両方のゾーンをはっきりさせた上で勲章を議論しないと混乱がつきまとうのではないか。
      • 勲章と褒章という2つの栄典制度の中で官民のバランスをどうとっていくのか。一方の褒章が民とすれば、もう一方の勲章の方はどうなのかという問題も併せて考えておく必要があるのではないか。
      • 介護サービスなど、以前であれば公がやっていたことを今は民の企業が担うようになってきているが、やっているサービスは同じである。さらに、NPOなど利益を上げるということが目的でない民間というものもパブリックとして今後評価していく必要があるのではないか。
      • かつて公がやっていたものが今民に行っているものもある。民のやっていることで評価されるものも増えてきており、民というものに対する評価を高めることは必要だと思う。「公共」というものをどう考えるか、それが勲章というものの制度を考える上で外してはならないのではないかと思う。
      • 官民の比率というのは、警察官とか自衛官とかいう方々を除けば大体バランスが取れていると思うが、中身になるとやや官というか公優先の傾向は否めないのかなという感じがする。
        今、民の方々がいろいろな分野で活躍しており、高齢者問題、介護保険といった分野には民の方々がかなり進出してきている。民の方々が担っている役割はだんだん大きくなってきており、そういう中身を評価する方法を考えていただきたい。
      • 公というのはおおむね官の分野であるというふうに見られていたのが、そうではなくなってきている。国民一人ひとりがパブリックの分野に関与していくようにしなければならない。そういう意味で、「公」、「公共」というものの定義、考え方をきちんとしなければいけないのではないか。
      • かつての三公社が既に民になり、医療・福祉、大学教育などは官も民もやっている。仕事そのものは公共的なものであり、仕事の公共性という意味では官民に共通のもの。官とか民とかいうことではなく、仕事自身の公共性というものを見て判断するということではないか。
      • 官の方は、国民的な合意に基づく一つの枠組みを持った行政機関であり、そういう枠組み、構造の中で国民の要請に対する義務として仕事をするもの。それはどんな社会にも必ず必要なもの。民の方は、いつでも仕事を辞めても良いし、別の仕事に就くことができるという意味で自分の判断、行動原理で行動できるというもの。官には義務がかかっているから高い位が与えられるというよりは、社会への功績というものが民に増えてきたので民を上げるということではないか。
    2. 受章年齢
      • 一般的に現在の70歳以上、危険な職務に従事している方々が55歳以上という原則論は適当だと思う。
      • 叙勲は「上がり」というものなのか、これをバネにますますがんばってくださいというものなのか。どういうところにねらいがあるのかが(受章年齢を考える上で)大事な問題だと思う。
      • 60歳を過ぎると大変個人差が大きいので、70歳というのが一つの妥当な線かなと思う。
      • 受章年齢はどちらかというと少し下げた方が良いのではないかと思う。理由の一つは、まだ元気なうちに受章できた方が良いということ、もう一つは、海外では若いときから受章しているということ。
      • これからの新しい業界ではむしろ若い方の方がパブリックのポジションに就くチャンスが出てくる。これからの日本の社会を支えていくような新しい経済とか技術とかいう分野については60歳ぐらいから対象としても早過ぎることもないと思う。
    3. 警察官、自衛官等に対する叙勲の在り方
      • 警察官など危険な業務に従事する方々については別枠が設けられないか。これらの方々については、せっかく原則55歳からとなっているのに、春秋叙勲の全体の枠の中で考えるとどうしても受章年齢が上がり、また、これらの方々は官以外にはないわけであるので、これらの方々を含めて「官が民の2倍」という声が出てくる。これらの方々については春秋叙勲にこだわることなく、何か別の特別枠を設けて叙勲することを考えてはどうか。
    4. 候補者の推薦・選考手続、審査の在り方
      • 制度全体の問題は審議会とか有識者の会議とか民間の意見を取り入れたら良いのではないか。しかし、実際の審査についてはまさに中立なパブリックなサービスとしてやらなければいけないのではないか。
      • 最終審査をより適正、公平なものとするためには推薦のプロセスをよく考える必要があるのではないか。最終的にはいろいろな功績の総合評価ということであり、推薦機関が自分のところしか見ないで推薦をしてきたら欠落が出るので、功績の総合評価というものを適正ならしめるためにはそこを十分に見ていただくよう、推薦のプロセスを十分に整理してほしい。
      • 現行のシステム、組織から推薦して主務官庁から賞勲局に上げていくという流れというのは、基本的にはそれで良いのだろう。それをどのように総合的に評価、審査をしていくかという仕組みについて今一度考えてみる点があるのかもしれない。同じ主務官庁においても個人の功績がいくつかの部局にまたがっている場合には、それぞれの功績が正しく評価されるよう部局間の連携が図られる仕組みが考えられないか。
    5. 情報公開
      • 4月1日からの情報公開で、賞勲制度はどこまで触れるのか議論した方が良いと思う。
      • 栄典制度が情報公開になじむのかどうかということがあるが、どのような基準で、どのような人たちが選ぶのかということについて、なるべくオープンにした方が良いのではないか。
      • 審査基準などは一番知りたいところで公開した方が良いと思うが、しかしなかなか難しいだろうと思う。審査基準とは何かと言うと、結局何が公共に対する功労かということを示すものであるが、(何が公共に対する功労かということについては)解釈や価値観の違いもあるので、そういうものが公開になればそれだけでも大変な議論が巻き起こるということが予想される。しかし、どういう基準で選んでいるのかということについて、抽象的なものになるかもしれないが、それも公開しないというわけにはいかないのではないかと思う。
    6. 女性専用勲章
      • 栄典制度は性に中立であってほしいと思う。宝冠章がたいへん美しいものであって、女性の服装とマッチするとかいうことは理由にならないと思う。ただ皇族のみに限ってはどうかという意見については意見を保留したい。
      • この懇談会は皇族の話をする場ではない。
    7. 等級論
      • どの分野でも勲一等の可能性があるのかどうかを検討してみることはどうだろうか。例えば警察官を例にとると、目に見える位(階級)というものと独立に叙勲を行うということがあり得るのかどうか。また、それが良いことなのかどうか。
      • 企業経営の面から言うと、老舗という言葉があるように、全国区ではないが何代にもわたって地方のパブリックに貢献している経営者がおり、そういう人たちの中から勲一等をもらう方があってもおかしくないのではないか。
      • 小学校の先生も大学の先生も先生であることには変わりはないが、組織の単位の秩序というものがあり、それを情緒的に外して全て勲一等までオープンにしろというのは根本的に解釈が違うのではないか。功績の質の違いでうまくかみ合わせないと、無差別にオープンでやれとなると、こういう栄典制度そのものが崩壊してしまうのではないか。もし特別に立派な人がいれば、個人的な教育者としての別の顕彰の仕方というものがあるのではないか。
      • 栄典制度というのは、基本的には同じ価値観を共有するというところからスタートし、あまり特殊な分野をたくさんつくり過ぎない方が良いと思う。そこで公共性とは何かということをきちんと詰めて、その上で叙勲と褒章その他の補完的な制度との関連性をきちんと位置付け、まず叙勲があってその他の制度がどのように関わっているのかということを整理した方が良いのではないか。
      • 突き抜け方式というのは理念的、情緒的には考えても良いと思うが、突き抜けだけをやるというのはやや情緒的で、賞の秩序というものに大きく抵触することとなり、制度そのものを変えることにつながるのではないか。
      • 突き抜け方式を検討しても良いと思うが、それが良いというのにはまだ早いと思う。
      • ある職業が勲一等にいかないというのは何か違和感があり、感覚的に言うとやはり突き抜ける方が良いような気がするが、そうすると等級をなくしたらどうかという議論に発展してくる。突き抜けるということと等級をなくすということとは相互関係にあって、どちらの道を選択するのかという気がする。
      • 官と民という大きな区分けと警察官、自衛官、それから民間といった職業の位置付け、違い、区別という問題が出てくる。そういう職の構造が社会に対してどう貢献しているのかというのをもう一回見直し、整理することが必要になるのではないか。
  4. (4) 意見交換の後、吉川座長により本日の議論の整理があった。
    • 「官」と「民」というものについて、現代的な定義をする必要がある。またこれは褒章とかその他の賞との関連においても定義する必要がある。
    • 官の仕事が民の方へ移っているという過渡期にあって、一つは官から民へ移ってきた新しい「民」という部分に対して推薦も含めた一つの対象として意識的に光を当てていく必要があるのではないか。もう一つは、いろいろな分野の軽重というものが社会的に変わってきており、もう一回見直すことが必要であろう。
    • 職業によって等級がリンクしているように見えるということについて、一度きちんと議論しておかなければならない。
    • 年齢については、一つは新しい分野は若い人がやっているのだから若い人がある程度早い時期に選ばれる可能性の問題。もう一つは、警察官のように危険な業務に従事している方々は55歳からという原則は守った方が良いということ。
    • 業績の評価について、従来の縦割りの構造の中での功績、貢献ではなく、時代の変化に対応して縦割りの領域を超えた貢献というものを総合的に評価するように変えていかなければならないのではないか。
    • 情報公開については、具体的にどこまで公開するかは別の話であるが、制度としては公開する方向でその可能性を探るということか。
    • 女性専用の勲章の問題については、勲章は性に中立であるべきということ。
  5. (5) 5回目の会合は、平成13年5月22日に開催することを予定。次回の会合においては、第4回目までの議論を基に論点を整理するとともに、これを公表して国民の意見を募集することとされた。

[文責:内閣府賞勲局総務課]

(注)本議事要旨の内容については、今後変更の可能性があります。