
(司会) 皆様、こんにちは。お待たせいたしました。本日はご参加いただきまして、まことにありがとうございます。ただいまから共生社会地域フォーラムを始めさせていただきます。本フォーラムは障害を理由とする差別の禁止に関する法制の制定に向けて、障害者政策委員会差別禁止部会でまとめられた意見に基づき、幅広い国民の意見を聞き、当該法制の制定に生かすことを目的としています。フォーラムの模様は後ほどホームページに議事概要のような形で掲載させていただく予定です。あらかじめご了承くださいませ。
なお、その際にはご発言者の方のお名前などは公表いたしませんので、あらかじめご案内させていただきます。
ここで本日のプログラムをご案内させていただきます。初めに、本フォーラムの主催であります内閣府の障害者制度改革担当室長、東俊裕よりご挨拶をさせていただき、その後、障害を理由とする差別の禁止に関する法制についての差別禁止部会の意見と題して1時間の基調講演を行います。約20分間の休憩を挟みまして、14時30分より指定発言、フロアからの質疑応答を行い、フォーラムの終了時間は16時を予定しております。どうぞ最後までのお付き合いをいただきますよう、よろしくお願いいたします。
それでは初めに、本フォーラム主催、内閣府障害者制度改革担当室長、東俊裕よりご挨拶を申し上げます。
(東) どうもこんにちは。ただいま、ご紹介を預かりました内閣府の障害者制度改革担当室の東と申します。
ご存じのように2006年12月に、障害者の権利条約が国連で採択されました。この条約をどう批准するかというのは、世界各国にとって大きな課題である訳です。日本政府は2009年12月にこの条約批准を念頭に、国内法を整備していくための制度改革の仕組みを閣議決定しました。
そこで、障がい者制度改革推進本部の下に、障がい者制度改革推進会議を設けて議論してまいりました。2010年6月には推進会議で第一次意見をまとめ、それを受けて政府では3つの柱を立てて改革を進めていくべきという閣議決定をしました。
その大きな柱の1つは、ご存じように障害者基本法の改正、2つ目が総合福祉法の制定と、3番目が差別禁止法の制定といったことになります。
障害者基本法は既に改正され、障害者自立支援法は障害者総合支援法になりました。その間の経緯は皆さん、よくご存じのことと思います。
それで、3番目の課題である差別禁止法に関しましては、2010年11月から差別禁止部会を立ち上げて議論をしてまいりました。途中で障害者基本法が改正されたため、障がい者制度改革推進会議の下での差別禁止部会から、障害者政策委員会の下での差別禁止部会という形に変わっておりますけれども、通算すると25回、1回4時間の議論を積み重ねて、今年の9月14日にこの「『障害を理由とする差別の禁止に関する法制』についての差別禁止部会の意見」がまとまりました。
今日お手元には意見そのものは、ちょっと分厚いので、配布はしておりませんが、簡単なまとめを配布させていただいております。
この意見自体は、色々な方に参加していただいて、それぞれの立場を反映しております。また、都合の良いところだけまとめたという訳ではなく、体系的に、論理的にもきちっと成り立つような形で書いてあると思っています。
しかし、差別禁止についての議論というのは、これまで、そもそも何が差別なのか、分かりにくいところからスタートせざるを得ませんでした。ですので、部会意見についても読んだだけでは分かりにくいところもあるかもしれませんので、内閣府としましては、地域でのフォーラムを開き、皆様方の意見を拝聴したいという思いからこのような会を催す事になりました。
今日は本当にお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。
この私の挨拶の後に、副部会長をしていただきました弁護士の竹下先生に基調講演を1時間ほどいただいて、その後、皆さんから指定発言ならびに会場発言をいただきたいと思っております。
以上の次第ですので、今日はよろしくお願いします。どうもありがとうございます。
(司会) 内閣府障害者制度改革担当室長、東俊裕よりご挨拶申し上げました。
続きまして、基調講演「『障害を理由とする差別の禁止に関する法制』についての差別禁止部会の意見」と題し、障害者政策委員会差別禁止部会副部会長 竹下義樹様よりご講演いただきます。拍手でお迎えくださいませ。
(竹下) 皆さん、こんにちは。今、東室長から簡単な、本当に端折った形での経過説明がありました。
差別ということが1人の人間をだめにする。差別ということが1人の人間の時には命まで奪うということを私たちは、是非今日、共通認識にしたいと思うんです。
僕は中学3年生の時に失明したんですけれども、多少志を持ちまして、大学に進んで弁護士になりたいということで、司法試験を目指したんですね。昭和46年の話です。その当時、日本では点字の司法試験は認められていなかったのです。弁護士になるための試験である司法試験を、法律で定めたものがちゃんとあります。司法試験法という法律があります。その法律の中に欠格条項というのがあります。ところが、その欠格条項の中には、視覚障害者を排除する規定はなかったんです。法律で排除していないにも関わらず、現実には全盲の青年は弁護士になる道を閉ざされていた訳です。
法務省に交渉しました。法務大臣には会えませんでしたが、司法試験を所管している責任者は法務大臣官房人事課課長、こういう人が責任者なんですね、この方にお会いしました。何べんも何べんも話し合いをしました。その結果として、法務省が出した答えはどういう答えであったか。これが今日のテーマです。
何と言ったのか。「司法試験では盲人は排除しておりません。したがって、あなたが司法試験を受けたいというならば拒否はしません」と、こう言うんです。事件、解決したように見えるでしょ。
しかし、「点字は用意しません」と、言うのです。わかります?この答え。
彼らはそれを差別ではないと、言うのです。目の見えない私たちは、印刷された活字の印刷文字のことを墨字って言うんですね。多分、明治時代に点字が伝わってきた時に、その当時は筆で文字を書いていたから、普通の活字のことを墨字と言って、それに対して、点が浮き出て、指で読む文字を点字と名付けたんでしょうね。私の話ではどうしても墨字という言葉が出てくるので、その意味をご理解いただきたいと思います。
つまり、墨字、普通に印刷された文字のペーパーは用意しますので、それで受験してくださいと、こう言うんです。これが差別とは認めてもらえなかったんです。昭和46年から48年にかけての話です。
どう思います?皆さん。そのままで推移していれば、私は今日ここに立つことはなかったでしょう。日本に全盲の弁護士は未だ誕生していないと思います。
運動が続き、国会にまで陳情し、様々な訴えを続けた結果、点字での受験が認められました。すなわち、法務省は司法試験を点字で準備してくれることになりました。
今は当たり前だと誰でも思うでしょう。でも、当たり前であることが現実にならない、これが私たちが暮らしている日本の社会なんですね。
当たり前って何でしょうね。点字を準備することは多少のお金はかかるでしょう。余計なお金といって良いです。技術的には全く問題はない。余計なお金として、多分数十万円はかかるかもしれません。何百万円はかかりません。技術的にもお金の上でも問題はないのに、それが実現するまでには3年から4年という月日がかかったんですね。
この日本の成り立ちを私の1つの経験から理解すれば、やはり障害のある人が自分の夢を実現させるためには、社会が、国が、障害の特性というものを理解して、その障害の特性に応じた配慮をする、援助をする、これが今日のテーマであります。何の難しい話でもない、ということになる訳です。でも、これが難しいんです。
あえて、その続きで言いますと、点字で司法試験を受けることができるようになりましたが、指で点字をなぞって読むというのは、目で文字を追いかけるのに比べると、読むスピードがはるかに遅いです。何倍もかかります。
司法試験というものを合格するためには、限られた時間で問題を解く能力を身に着けるということが要求されます。でも、その与えられた時間内に問題を解く能力、これは大事な能力です。しかし、目が見えないために、与えられた3時間では90題の問題を解けない。それは能力が劣るということになるのでしょうか。
私の場合には、5年ほどの運動を続けた結果、1.5倍の時間延長が認められました。すなわち、3時間で90問を解く司法試験の第1段階目の短答式試験、短く答えることを短答式試験と言いますが、90問の試験に対して3時間の時間が1.5倍、すなわち4時間半に延長されました。これを皆さんはどう思いますか。
優遇しているということになりますか。或いは、目が見えないから、目の見える人よりも時間がかかるので、能力が劣っているということになりますか。
これが合理的配慮というものを考える時に、なかなか悩ましい問題なんですね。でも、今、皆さん、ここにお越しの方だったら、多分、それは別に優遇していることでもない、能力が劣っているという証でもない、目が見えないために点字という触覚で、指で文字を読むために必要な時間が保障されただけだ、ということは理解してもらえると思うんですよね。これが今日のテーマの、いわば答えなんですね。
最初から答えを言ってしまうと私の講演は終わってしまうんですけれども、与えられた時間、しゃべらないと、後で室長に怒られますので、これから話を組み立てます。
私が属している日本弁護士連合会、略して日弁連というのですけれども、日弁連という組織の中で、12年前に、日本にも障害者差別禁止法を作ろうやないか、という声が上がりました。人権擁護大会という大会で、障害者差別禁止法を日本にも作れ、という宣言をしました。
その当時は、弁護士も関心がなかった。一般の市民は何のこっちゃわからん。障害者の中でもほとんど関心がなかった。あえて恥を覚悟で言うならば、そのテーマを持ち出した時に、当時の日弁連の会長は何と言ったか。はっきり言います。「そんなつまらんテーマを大会でやるんですか」と、はっきり言いましたからね。
今そんなことを日弁連の会長が発言した途端、多分、会長を首になると思いますよ。それだけ世の中、10年たつと変わってきたんですけれどもね。
今から10年前に僕は視覚障害者の団体を中心に、アジアの国々に向かって障害者差別禁止法を実現しようと、アジア地区の会議を主催しました。それを主催する時に、日本国内の関係者の呼びかけを僕はやっていた訳ですが、ほとんどの人から、「日本でもまだ実現していないのに、日本よりも遅れているアジアで、そんな差別禁止法というのは早過ぎるん違うか」、そういう声を出す人がいっぱいいました。皆さん、それをどう思いますか。
確かに、福祉、もっと言えば基本的人権というものの捉え方、そういうものは日本よりも東南アジア、アフリカ、そういう所はまだ、残念ながら遅れていると言わざるを得ません。
先日もカンボジアに行ってきました。カンボジアでは福祉というものは形としてはありますが、障害者が学校に行くことすら稀であります。働くということにおいて言えば、働ける障害者は一握り、ほとんどの障害者は、いわば、物もらい、道端で人様にお金を恵んでもらう、未だにこれが当たり前の姿です。
しかし、だからといって、カンボジアに障害者差別禁止法は早過ぎると僕は思いません。そういう現実だからこそ、差別禁止法がいるのだと思うのです。
先日、内閣府が5年ぶりだと思いますが、6年ぶりかな、5年ぶりか6年ぶりに、世論調査をやりました。そうすると、5年前よりも人々の意識としては、日本に障害者差別は残っていると思うという人が多いのです。89%、ほとんど9割の人が日本にまだ障害者差別は残っている、こう認識しているんですよ。そういうことを認識してくれるだけ、まだ健全かなと思わんでもないんです。
その内閣府の調査でもう1つおもしろい数字があります。何か。日本の政策は障害者の差別をなくするのに、解消するのに、どれだけ良い制度を実施してきたか、という質問があるのです。或いは、国がやってきた政策によって障害者の権利は保障されてきたか、という質問があったのです。
その答えが、なかなか健全な答えなのです。余り進んでいない。余り効果が上がっていない、というふうに答えた人が5年前よりも増えているのです。約5割程の人がそう思っているのです。
国民はよく見ているなと、率直に思いましたね。
この内閣府の調査であらわれた人々の意識というものが日本において障害者差別禁止法が1日も早く実現させなければならないという背景だと思います。これを法律の世界では難しい言葉で、立法事実というんですね。すなわち、法律を必要とする事実、法律の実現を望んでいる背景、これが存在するということの証だろうと思うんですね。
でも、差別というのは言葉としては誰でもがだめだ、あかんというのは共通しているけれども、いざ、何を禁止して、何を我慢しろ、やむを得ない、というかというのは難しいんですよ。例えば、今、手話通訳をしてくださっています。10年前か、20年前かは、国であろうが、民間団体であろうが、講演会を開催した時に手話通訳を配置するというのはごくごく稀でした。主催者はいつも、もっともらしい言い訳をするんですね。「聴覚障害者のための手話通訳の配置を必要だということは分かってはいるんですが、そこまでは配慮が行き届きませんでした」と、こう言うんです。
その主催者は、「私は差別をしています」とは、言わないんです。これが何を禁止し、何を配慮すべきか、ということが、直ちに誰もが共通したものとして理解することにはならない、という難しさなんです。時代によっても違うということかもしれません。
そうであればあるほど、今の日本で、今の時代にふさわしい、誰でもが共通に理解できる、そういう基準を作らないとだめだということが見えてくる訳です。単に配慮が行き届かなかったということで言い逃れするということは、もう止めようやないか。
現実には準備できる。お金も多少は余計な金だという人もいるかもしれんけれども、それはやむを得ないお金として、誰でもが納得できる、その範囲内で配慮をすることを義務づけることを法律で規定しようやないか。
それをみんなの認識、意識、理解として共通にすれば、社会は変わっていくやないか。障害者もいちいち嫌な思いせんで済むやないか。竹下のようにでかい声でずうずうしいやつは配慮してもらえるけれども、気の弱い、声の小さい人は我慢している、そんな社会はもうやめようやないか。そのためには法律が必要なんですね。
例えば、障害者を雇用している事業主さんから見ても、自分が配慮しなければならない、準備しなければならない、一言で言えば差別をしてはならない、ということは頭では分かっていても、どこまで自分はせんといかんのか。もっと厳しい言い方をすれば、どこまで準備しないと世間から非難されるのか、ということを十分に分かっていただくことが必要ですよね。
そういうふうに社会生活の中でも、雇用という場面においても、やはり1つの物の考え方、基準となる、言わば、1つの指標、つまりメルクマール、そういうものがやはりないと、だめですよね。全てにおいてメルクマールを示すことができないとすれば、じゃあ、1つの考え方として、共通になる、そういう規定が必要ですよね。
例えば、合理的配慮というのは何なんだと。それは、今すぐ実現ができて、技術的にも問題はなくて、多少のお金がかかるけれども、それは負担が重過ぎる、過度の負担とまでは言えなくて、それを配慮しなかったら、その人が今、自分が求めている夢や、今、自分が働きたいという職場から排除されてしまう、追い出されてしまう、そういうことにならないという物の考え方を示せば、合理的配慮という全ての場面でメルクマールが示されていなくても理解が共通になっていく訳ですよね。
そのために、この障害者差別禁止法を日本に作ろうということで、差別禁止部会において25回だったと思いますが、100時間にわたって論議を重ねてきた訳です。論議を重ねる中で難しい問題に一杯ぶつかりました。例えば、障害者差別禁止というけれども、障害者って何なの。そんなこと、今さら言わんでも、皆分かってるやないかと思いますか。いや、そうでもないんですよ。例えば、身体障害者福祉法という法律があります。知的障害者福祉法という法律があります。精神障害者保健福祉法という法律があります。それぞれの法律には要件が定められているのです。変な話ですけどね。
その要件に当てはまらないと、日本では身体障害者、知的障害者、精神障害者としては認めてもらえないんです。変な話でしょう。
現に私のところにもいっぱい相談があるんですよ。今から5、6年前だったと思いますが、警察官の奥さんが交通事故で片眼を破裂させてしまうというか、破裂させられてしまいました。片眼摘出です。その奥さんは苦しみました。48歳でした、その当時。本当に苦しみました。「もう外に出るのも嫌だ」と言いました。
でも、彼女は気丈に、「よし、私も…」よしとは言わんかったかもしれないけれど、「私ももう一遍障害者として生きていこう」と、こう思い直すのです。役所へ行ったんです。「障害者としてこれから生きていこうと思うので、手帳をください」と言ったんです。役所はどう言ったか。「あなたの残りの目の視力は1.2まで見えますので、身体障害者、視力障害者とは言えません」とこう言った。だから役所に追い返された訳です。
その奥さん、また苦しんでね、私のところに来た訳です。「なんで私は片眼を失ったのに、障害者って言ってもらえないんですか。嫌な思いいっぱいする、差別もいっぱい受ける。人から指も指される。でも、障害者と呼んでもらえないんですよ。」
僕は石川県の能登半島の輪島という所の生まれなんですが、そこからも相談が来ました。どういう相談だったか。「儂の息子は、東京のある大学を今年卒業する。でも、体に障害があるために就職できない。」障害があるので、障害者の雇用を担当している、ハローワーク、職安の窓口へ行ったんです。だけども、「あなたは障害者雇用促進法という法律の適用を受けることができません。だから・・・この窓口ではあなたの職業斡旋はできません。」と追い返されたんです。私は残念ながら、その人の相談を聞いても、的確なアドバイスはできなかったです。千葉県の障害者雇用促進センターというところを紹介しましたけれども、うまくいきませんでした。
そうしてみると、障害者差別禁止法で問題とする障害者の定義というのはなかなか難しいと分かってもらえると思うんですね。
次に、差別って何なの、もう一遍考えてみたいと思います。
日本では今まで、差別というのを別の言葉で言いかえる時は、不利益取扱いをイコール差別と呼んできました。でも、それだけでは差別を言いあらわすというか、全てを表現し切ることにはならんのです。
先ほど私の司法試験の例を申し上げた。墨字の活字で書いた試験問題が僕の目の前に提示されます。「あなたを差別していません」と法務省は言ったのです。「不利益には取扱っておりません」こう言うんです。その理屈は正しいかどうか、ちょっと横へ置きまして、でも、そういう理屈ないし屁理屈は通用するんです。
してみれば、不利益取扱いという言い方だけでは差別というものを言い尽くすことができない、ということがわかると思うのです。その時に点字受験、これを合理的配慮と呼ぶか、呼ばんか、その言い方は横へ置くとしても、少なくとも目の見えない人には活字で書かれた問題を音声、または点字で置き換えないことには、自分が試験に挑戦できない、そのためのプラスの配慮が必要だということは明確ですよね。
だからこそ、今は差別と呼ぶ時には、「均等扱いと合理的配慮の提供義務、或いは合理的配慮の不提供は違法だよ」ということの大きな柱建てが必要になる訳です。
他にもいろんな問題があるんですよ。地方自治体には障害者を雇用するための別枠雇用制度というのがあります。一般の地方公務員試験とは別に、面接を中心とした簡単なペーパー試験もありますけれども、競争試験とは別のやり方で、別枠の障害者雇用制度というものを全国の都道府県のほとんどのところがやっています。
でも、その中に、何と書いてあるか。自分で通勤をして、役所まで来れること、単独で役所まで出勤できること、活字文字を読み書き、処理できること、って書いてあったんです。障害者の雇用制度であるにも関わらず、言葉では障害者を差別していないという形をとりながら、ものすごい差別をしていることに、皆さん、気づくでしょう。
おまえは目が見えないからだめだ、おまえは知的障害があるからだめだ、こういうわかりやすい差別だけだったら良いんですけれども、表現としては障害者を差別していない、というポーズをとりながら、中身をよく見ると、実は、活字文字の読み書きできない盲人を排除しているんですよ。
重度の障害があって、車いす等々で単独では通勤できない人を排除、この場合の排除というのは排斥するほうね、排斥しているんですよ。
馬鹿げていると思いませんか。障害者のための別枠採用制度という制度を作っておきながら、そういう制度の中で障害者をさらに差別する。なんと悲しい現実かということです。
だから、何を差別とするかというのはそんなに簡単には見えてこないということも相当議論になりました。だけども、とりあえずはこの我が国では不均等待遇、要するに、平等に扱わないということと、合理的配慮を行わないということを差別のまず柱に置こうということを決めた訳ですね。
そういうふうに、差別禁止法を作ろうということの掛け声としては、ほぼ全国で大きな声となり、国民の理解も得られるところまで来ていると思うんですけれども、いざ、具体的に法律で定めようとすると、いろんな問題点が出てくる。共通認識にしなければならない課題がいっぱいある、ということは分かっていただけたと思うんです。
さあ、そこで、次の段階に来る訳です。「不均等扱いはだめだ」或いは「合理的配慮の不提供、合理的配慮をしないことはだめだ」ということは言えても、さらに具体的な場面毎で、それをどう表現できるのか。学校では、仕事の場面では、地域での生活では、交通機関では、或いは選挙では、裁判を受ける時は、或いは、いろんな情報を得たい時は、テレビを見ている時は、その場面毎で今申し上げた差別というものをどうやってなくしていくか、何を差別として禁止するかということが場面ごとで考えられるようにしておかないとだめなんですよね。イメージができない訳ですよね。
しかも、法律の話になりますが、抽象的な、という言い方をするんですが、漠然とした「一般的に障害者差別はだめだよ」と、いう規定だけを設けていたのでは、或いは、「不均等待遇はだめですよ」とか、「合理的配慮を提供しないのは違法ですよ」とかいう規定を設けただけでは、いざ、雇用という場面、教育という場面、或いは情報という場面では、それをどう位置づけて、どういう内容がこの情報という場面、教育という場面、雇用という場面で中身が理解できるものに具体化されていくか、というところまでちゃんと規定されていないと、実は裁判でも役に立たないんです。
日本の裁判所では、今までも障害者の差別をやめろ、障害者を差別、現に差別された事件では、その差別に対して損害賠償を請求するぞ、或いは建物の改善を求めるぞ、という裁判をいっぱいやってきました。
その度に裁判所は、一般的な、抽象的な規定だけでは相手方、差別をした側を法律で縛ることはできませんと、答えを出すのです。そういうふうにして裁判で負けた障害者は数知れません。
例えば、私が今から20年ほど前に担当した聴覚障害者が児童扶養手当を受けられなかったのは、その手当を聴覚障害者に十分に知らせなかった、周知徹底をしなかった国やその自治体が悪いんだ、という裁判をしました。その裁判で、地方裁判所では私たちの主張が認められて勝ったのです。ところが、大阪の高等裁判所ではひっくり返されました。ひっくり返されて、何と言われたか。
国が悪いんだということを主張する根拠がありませんと、言われたんです。児童扶養手当に関する情報提供では、情報を得られない人に配慮するべきだと抽象的に言えたとしても、それを国や相手方に義務づける法律の規定がありませんと、大阪高等裁判所はひっくり返したのです。聴覚障害者の請求を却下したのです。
余計な話ですけど、その却下した裁判長は僕に研修所で法律を教えてくれた人なんですよ。私は冗談まじりで首絞めようかなと思いましたけどね、本当に。それが日本の裁判所なんです。裁判所の壁を破るためにも、具体的な場面毎の規定を私たちは準備することが必要なのです。
さて、具体的な場面と言うけれども、全ての場面ごとに規定するということには無理があるかもしれません。でも、代表的というか、典型的というか、柱となる、そういう場面での規定はどうしても設けたいということで、私たちは議論を進めていきました。
その結果、今日、皆さんにもごくごく要約したもの、項目だけのものになっておりますが、配られているかと思うのですけれども。10個程の場面で、障害者が差別を受けないために、障害者が障害がない人と平等に社会に参加していくための規定を設けることが議論され、まとめることができました。
その幾つかについて皆さんと少しだけ考える時間を持ちたいと思います。
皆さんには、自分の生活の場面を思い出して欲しいです。例えば、まだ学校を行っている人は教育を受ける場面で、働いている人は自分の労働という場面で、或いは、スポーツを楽しんでいる人は自分の参加するスポーツにおいて、或いは趣味で将棋であろうが、囲碁であろうが、そういう文化的活動に参加しようと思っている人にとって、自分が今、求めているもの、自分が要求したいものがすぐに実現する状況がありますでしょうか。
まず、私たちが問題にした場面の1つ目は、私が気になることを先に言ってごめんなさいね、情報をトップにしゃべらせてください。僕が何故、情報をトップでしゃべるのか。実は、情報というのは、人間が生きていくための、いわば最も大事な、食べ物に次いで大事と言っても言い過ぎじゃないほど、大事なものなんですね。
情報が足りないと、命を失いますよ。情報が足りないと夢は実現しません。情報が十分に与えられないと、正しい判断はできません。何をするにも情報なんです。
教育においても、働く場面においても、日々の生活において、例えば、スーパーに買い物に行って、何を買おうかな、何を売っているか、これ、情報ですよ。
リンゴが1個いくらか、これは情報です。このリンゴがおいしそうか、これもある意味で情報でしょうね。昔は青リンゴというのがありましたが、今どきは珍しいらしいですが、ちゃんと熟れた赤いリンゴか、形の良いリンゴか、触ればわかるというけど、色はわかりませんしね、私のような場合は。
もちろん、私は弁護士という仕事をしている訳ですが、情報というものが十分に与えられなかったら、日々の仕事は一切成り立ちません。道を歩いている時も全部情報なんです。足元に段差があるという情報を、目の見える人は目でつかんでいるだけなのです。目の見えない人はガイドさんに教えてもらうか、白杖で段差を確かめるという情報の入手の仕方をしている訳です。
すなわち、白杖というのは、目の見えない人、盲人に情報を与えてくれているんですよ。コンクリをコンコンコンと叩いているのは、あれは遊んでいるのではないんですね、コンコンコンと叩きながら、場面の状態を見ているんです。平らか、段差があるか、泥のところか、コンクリのところか、階段のところへ来たか、全部、白杖を通じて情報を得ているんですよ。
人間が生きていく時に情報がないということは、実は、今、文化というどころか、それこそ前近代というか、縄文時代でも情報がなかったら人間は死ぬんですよ。例えば、津波が来るという情報を早く得られるか、得られないか、考えてみてください。川が氾濫した、という情報があるかないかで命が奪われるか、助かるか、違うのがわかるでしょう。全部情報ですよ。
この情報というものをどのような場面で、どのような形で保障していくのか。コミュニケーションという言葉が書かれていますけれども、コミュニケーションという言葉の語源を僕はある本で読んで納得しました。コミュニケーションというのは意思疎通と普通は訳されます。
お互いに意思疎通を図るということは、もう少し考えてみるとよくわかるんです。コミュニケートというのが原語、元の単語らしいんですね。コミュニケーションの元の単語はコミュニケート、その意味はお互いの理解を共通にする、お互いが1つの情報を共有する、というふうに辞書に書いてあります。
なるほど、だからこそ意思疎通なんだとわかる訳ですね。結局、コミュニケーションといえども、情報の問題だ、というのがこれで皆さん、分かってもらえたと思うんですよね。
そういうふうに、いかに情報というものが私たちの日常生活も、人間としての成長も、政治的判断においては当然のこととして、これほど重要なものはない、ということは分かっていただけると思うのです。
これを一番最初に僕はどうしても言いたかったんですね。次に、当然にしゃべりたいのは、働くという場面です。働くという場面について、皆さんは当然、差別がない状態で働ける環境を作って欲しいと思っていると思うのです。でも、何を求めれば、何を実現すれば、働くという場面での人間の平等は実現されるのでしょうか。
なんといっても、その人の持っている能力が、十分に発揮される条件を作るということだと私は思います。知的障害があろうとも、或いは、目が見えない、耳が聞こえない、車いす使用者、どんな障害を持っていても、その人間として持っている能力というものを引き出すということが、ここではテーマだと私は思うんですね。その1人の人間が持っている能力を引き出すためにこそ、障害者差別禁止法が必要なんです。
具体的に見てみますと、まず、機会が与えられない。機会、つまりチャンスが与えられなければならないんですね。どんなに頭がよくて、どんなに職業訓練を受けて、どんなに知識が豊富であっても、チャンスを与えられなければ、どうしようもありません。まず、チャンスを与えること。
おまえは目が見えないから、ということで、入口で締め出さない。まずは受け止める、受け入れることは、全てここから始まるのです。受け入れて初めて、次のことが見えてくるのです。何が見えてくるか。どういう設備や、どういう調整が必要か、ということがやっと見えてくるのです。
もちろん、一般的な意味で、事前に準備できることはありますよ。例えば、バリアフリーという言葉がある。ユニバーサルデザインという言葉がある。そういう言葉で共通認識に立てる、誰でもが障壁、壁となるものがない状態で建物に近づける、仕事にたどり着ける、こういう環境は当然前提として、基礎として考えていくという1つの捉え方があります。
でも、実際の1人1人の障害者の特性、特徴に応じて、さらに見直していかないとだめなんですね。例えば、目が見えないから点字が誰でも読めるということにはならないのです。例えば、司法試験という世界で、最近合格している若い全盲の弁護士は、点字も使うけれども、パソコンとテープを使って勉強したり試験を受けてきています。すなわち、音声と点字との併用ですよね。それによって、合理的に時間の配分をし、問題を的確に捉え、或いは理解する、そういうことをやっている人たちがいっぱいいるんですね。逆に僕はそれは無理です。
何故か。パソコンをちゃんと使えないのです。私はそういう意味では古い人間なんですね。なんとなく鶴田浩二みたいですけれども。そんなくだらん洒落言うても知らん人が多いですけれども。
だから、1人1人の障害者に合わせた配慮というものが必要なのです。そのための調整というものをどういう段取りで、どういう基準で、誰が、或いはどういうシステムで、決めていくのか、ということが雇用の場面では問われるんですね。
時間の関係で全部はしゃべりませんので、あと2つほどで終わります。
次に、商品という欄があります。何章か、今、点字でめくりながらしゃべっておるんですが、商品。さっきスーパーの話をしました。商品というのは、日常、私たちは常に買い物に行き、或いは、家で日常生活の便宜を図るために必要です。第3節でした。商品、役務。役務は時間の関係で、飛ばします。
商品と不動産だけしゃべります。例えば、商品でいえば、牛乳パックと、醤油もそうかな、特に最近ちょっとがっかりしたのは焼酎、紙パックに入った焼酎があるんですね。私は焼酎は全部ビンに入っていると思っていたら、パックに入っているんですね。嫁さんがそれを買ってきた時、私は一瞬がっかりしましたけどね。でも、嫁さんに怒られました。「これ、安物と違う」って言われましたけれども。なんとなくパックだと安物だと思ってしまうのです。
目の見えない人間は、牛乳か焼酎かは区別がつかないはずです。でも、ちょっと工夫すれば区別がつきますよね。ここ10年、20年は缶ビールを買うと、点字でお酒と書いてあるんですね。つらいんですね。ワンカップと区別をどうしようかと。そんなものは形でわかれと、言われるんですが。日本酒もお酒、ビールもお酒と点字で打ってあります。でも、少なくともジュースと間違えることはなくなりました。
そういう配慮というのは、今、当たり前のようにされるようになってきたけれども、そんな難しいことではない、というのがわかりますわね。
でも、不動産。もっと深刻です。目が見えないために下宿できない人は沢山いて、私はそのような人をたくさん知っています。私も大学に入った時に下宿を探そうとして、3軒か4軒、断られました。理由は、「あんたは目が見えないから、危ない。うちで怪我されたら困る」。2つ目は、「うちはみんな自炊してもろてる。コンロを使う」、ガスコンロのことです、「目の見えない人が火を使うということは怖くてやめて欲しい」。3つ目は、もっと残酷ですよ。「目の見えない人を受け入れたことがない」という理由。理由になっているような、無いような。そういうふうにして言われて、3軒か4軒、断られました。
そんな経験を持っている障害者はたくさんいると思います。公共の建物、第1節にあるけど、公共の建物のバリアフリーだとか、アクセスという言葉は誰もが使えるように、それを設備として整えることが日本中で常識になりつつあります。だけども、民間の施設はそうはいきません。
まだまだ段差もあるし、点字ブロックのないところもあるし、便所もなかなか行けない。先ほどもトイレへ行く時に障害者用のトイレを嫁さんが見つけられなかったんです。男性用のトイレの前で、「あなた1人で行きなさい」って言われ、私はトイレの中でウロウロしながら行きましたけれども。やはり、障害者が十分に建物を使いやすいという条件はまだ整っていません。
建物を利用する、賃借をするという時に、障害者に対する差別というものが現実に日本には存在している訳ですから、それをどう克服していくのか、ということがいつも問われていると思ってください。
最後に、法律を作ったところで、日本で障害者に対する差別がなくなるとは僕は思いません。そんなものではないです。私はこの間、日弁連の調査で、或いは、個人的にも外国に行く機会が何度かあって、進んでいる国、と言いますか、日本よりは大きく発展していると言われている、障害者の暮らしやすいと言われている国に何度も行きました。
行きましたが、僕は、がっかりすることのほうが多かったです。アメリカは世界で最初に障害者差別禁止法ができた国です。ADAという法律が世界で最初にできました。行ってきました。イギリスにも障害者差別禁止法ができました。DDAという法律ができたので、やはり勉強に行きました。フランスにも2005年になってからできました。それも見学に行ってきました。
そういう制度ができることによって、社会も、或いは制度も、行政も、民間の団体、企業も、自分たちの責任が増えてきた、或いは自分たちが考えなければならない事柄がきちんと示されたという認識は持っているという意味では、日本とは全然違うなと思いました。
しかし、一番感動したのは、イギリスで、そういう法律を作ることも大事だけれども、現に起こってきた差別を解決することの重要性ということについて学ばせてもらうことができました。私が訪れた組織は、障害者の差別だけを調査し、解決する機関、そういう委員会を訪問しました。15人の委員がいました。事務局は別です。事務をつかさどる公務員は別です。審査する、検討する委員が15人いました。そのうち、10人か11人は障害者です。チェアマン、議長は車いすの障害者でした。
そういう委員会が設置されています。略すると、DRCという組織です。その組織に行った時に、僕は2つのことを学んできました。1つは今申し上げた差別が問題になった時に、それを審査し、調査し、検討する委員会の半分以上どころか、3分の2の委員さんが障害者自身であるということを私は感動をもって学びました。羨ましいと思いました。
皆さん、覚えているでしょう。この間、障害者自立支援法は憲法違反だ、といった裁判が起こる中で、全国から起こった言葉として、「私たちのことを私たち抜きで決めないで、私たちのことは私たちに決めさせてください」こういうスローガン(掛け声)が日本中に広がったでしょう。それのいわば見本みたいなものですよね。イギリスのDRCという委員会はね。日本語訳するならば、障害者権利委員会という委員会だと思いますけれどもね。
2つ目に感動したこと。それは、差別が起こると、その委員会がお金まで出して、弁護士まで斡旋して、裁判を応援するのです。そんなものが日本にありますか?僕は感動したというよりか、こんなことが日本に持ち込めるやろか、と思いましたね。でも持ち込みたいと、思いました。
ただ、その時点でおもしろいことをおっしゃったのは、「この制度を未だ発動したことはありませんと」と言うのです。「何でですか」と言ったら、「差別の問題が生じた時に、私たちの委員会が調査をするぞと言ったら全部解決してしまうんです」と、こう仰るんです。
あ、なるほどなと、これは実際そうなんです。お隣の韓国にも国家人権委員会というものができて、そこで障害者差別を取り上げて、調査をしたり救済決定をしたりしています。その委員会に話を聞きに行った時でも、調査を行うだけで8割、9割が解決しているんです。そういう決定とか救済命令とか、そういうものを出さないまでに、出すまでに、ちゃんと解決していくんです。
ああ、これは我々は学ぶべきだなと思いました。この解決のためのシステムというものをきちっと作っていかないと、私たちのこの差別禁止法の制定という究極の目的は実現しないのです。
普通私は早口でしゃべるのですが、今日、手話の方にゆっくりしゃべるという約束をしたおかげで、いつものペースとは違うしゃべり方をしたので、しゃべりたいことを1つ2つカットすることになりました。今日、私が皆さんに伝えたかったことは、ほぼ、これで尽きていると言っても良いと思います。
最後に、あと数分で私自身の自慢話をさせてください。それは何かと言いますと、人の意識というものはどうやれば変わるか、ということをもう1度しゃべりたいのです。
僕はスキーと登山をやっているんです。スキーと登山。そして、ゲレンデで滑るスキーは余りやらないのです。どういう所へ行くか。林間を走ったり、滑ったり、或いは、板を担いでどんどん上がって、例えば、白馬乗鞍というところがあるんですけれども、2500~2600メーターの山まで板を担いで上がるんです。ロープウェイが行っているのは1800か2000メーター近くまでなので、それより上は700~800メーターほどは板を担いで頂上まで登るのです。
そこで、みんなでまず、缶ビール飲んでから、これは余計なことなんですけどね。それから板を履いて滑り出すのです。そんなスキーをいっぱいやってきました。
最後は、モンブランという4803メーターのヨーロッパの最高峰があるのですが、それの途中のちっちゃい山でコスミックという、3650メーターに小屋があります。そのコスミックの小屋に1泊とまって、翌日早朝にそこから滑り降りてきました。これは氷河スキー、すなわち、氷河の上に雪はかぶっている訳ですが、クレバスがいっぱい待ち受けている、クレバスに落ちれば、私は2度とこの世には出てこない。5000年後にアイスマンとして死体が出てくるだけです。
でも、憎まれっ子何とかというやつでちゃんと生きて帰ってくるんですね。こういう登山であるとか、私、ヒマラヤにも2度行きました、こういうスキーであるとか登山を目の見えない僕ができるようになったのは何故でしょうか。竹下が偉いんでも、竹下が勇敢でも何でもないのです。2つです。
1つは、固定観念というものをなくせるかどうかなんです。2つ目、サポーターが的確なサポートをできるかどうか、この2つに尽きているんです。
目が見えないから危ないではなくて、目が見えないからどうすれば岩登りができるか。目が見えない竹下をどうすれば林間スキーや氷河スキーをさせることができるか。危ないからできない、危ないから止めとけ、目が見えなかったらできひんやろう、という固定観念で物を考えていたら世の中は変わっていきません。
大事なのは、古い考えを克服するということを私たちはこれからどうやって、やっていくのか。これが差別禁止法で問われていると思います。
そして、どうすれば1人の人間の夢が、1人の人間の人生を意味あるものにしていけるか。自己実現というものをどうやって、全ての人に保障するか、そのための援助、サポートをどうすれば良いのか、この2つを実現することが差別禁止法の、僕は究極の目的だろうと思っています。
この法律が来年、日本で実現すれば、直ちにとは言わんけれども、その法律が間違いなく、力となって、私たちの社会、日本が大きく変わっていく、障害者が住みやすい国になるということは、1億2000万人の全ての人が住みやすい国になっていく、僕は大きな第一歩だと思って、間違いないと思います。
是非、そういう大きな思いを持って、この差別禁止法が来年実現するように、頑張りたいと思いますので、皆さんの様々な意見も、是非お寄せいただきたいと思います。
どうもご清聴ありがとうございました。
(司会) 竹下様、ありがとうございました。皆様、大きな拍手をお送りください。
これよりは休憩とさせていただきます。プログラムの再開は14時30分、20分間の休憩をとらせていただきます。お時間までにお席にお戻りいただきますようにお願いいたします。
また、本日はアンケートのご協力をお願いしております。皆様の貴重なご意見を賜りたいと存じますので、よろしくお願いいたします。点字のアンケートも用意しておりますので、スタッフにお声がけくださいませ。ご記入いただきましたアンケートは休憩中及び閉会後に受付にて回収させていただきます。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。
[休憩]
(司会) お待たせいたしました。それではプログラムを再開いたします。
始めに登壇者の紹介をいたします。障害者政策委員会差別禁止部会副部会長 竹下義樹様。障害者政策委員会差別禁止部会委員 川島聡様。内閣府障害者制度改革担当室長 東俊裕でございます。
今回は限られた時間の中で様々な方面からご意見を頂戴する趣旨から、あらかじめご発言いただく方を指定発言という形でお願いしております。どうぞ今回の差別禁止部会の意見について忌憚のないご意見を賜りたいと存じます。
それでは始めにご意見を頂戴する方のお名前をご紹介させていただきますので、その場で講演をお聞きになられた感想やご意見をいただければと思います。
まずは、指定発言者Aさん、お願いいたします。
(指定発言者A) こんにちは。発言をできる機会をいただきましてありがとうございます。
滋賀県で障害団体Aの事務局員をさせていただいていますAと申します。よろしくお願いいたします。
滋賀県の東近江地域では、サングループ事件であったり、福祉施設における傷害事件等が数々起こりました。このような事件を2度と起こさないという目的のために自立支援協議会、うちの圏域ではサービス調整会議と言っているのですけれども、その中で検討を行いまして、平成15年に行政・民間当事者が一体となるネットワークを設立をしました。権利侵害の未然防止活動です。
どのような活動をしているかと言いますと、登録していただいています事業所に訪問させていただきまして、利用者さんにお声を聞かさせてもらったり、相談や要望等を受け、それについて検討を行った後、事業者さんと一緒にどのようにすれば解決できるかという話し合いをするという活動をさせていただいています。
この活動の中で様々な声が聞こえてくるのですけれども、その中で2つほど紹介させていただければと思っています。
1つ目は、給料が安いというような相談が上がってきています。作業所であったりとか、いろんなところで頑張って一生懸命仕事をしているんやけれども、給料が少ない。けれども、一般企業で雇ってもらえるかと言うと、そうはいかないという声が聞こえてきます。
作業所での給料は、大体、月数千円から数万円程度で、1日、一生懸命頑張って仕事をしても、一般の企業の給料に比べたら明らかに少ない額であるという状況になっています。仕事につきましても、一生懸命、ほんまに1日中頑張ってはるというような状況を見ているのですけれども、それでも、とてもじゃないけれども生活できるような額にはなっていないのです。障害者雇用であっても、一般の採用の方に比べても明らかに給料が少ないという現状があります。
他には、住む場所がないという相談もありました。相談の内容としましては、親元から離れて生活したいと思っているんですけれども、ホームも満杯であるということですし、一人暮らしするにも収入がなくて生活がとてもできないという相談でした。
障害のある方の生活の場としましては、福祉サービスの中で、グループホーム、ケアホームや施設入所というようなサービス利用をされる方がおられますけれども、どこでも、基本的に集団での生活になってしまうということです。また、一人暮らしをしようと思っても、年金と作業所の工賃ではとても、家賃等を払い、生活していくというのは困難であるという状況になっています。
例えば、生活支援を受けるとなったとしても、社会資源の量が足りないということで、私は今話をしている事務局とは別に、相談支援の方もさせていただいているのですけれども、相談を受けて、このような生活支援を受けたいとなっても、なかなか事業所、特にホームヘルパーは一杯になってしまっていて、希望の通りに全然組めないという状況にもなっています。
国や行政もお金がないということを理由に、生きるための福祉サービスですら、自分で決めることができないという仕組みになっています。憲法では住む場所の自由というのがあるんですけれども、とても住む場所を選べるような社会にはなっていません。
他にも、家族の保護が当たり前というような考え方であったり、重度の障害者に至りましては、福祉施設ですら、なかなか行き場所が見つからないというような形になっています。
障害者ということで権利を主張することすら、特別な事を行っているように、捉えられてしまうという現状があるのかなと感じています。だから、障害のある人も、障害があることを隠して就労につこうとしたり、いわゆるクローズという言い方をするのですけれども、生活をしたりされている方がたくさんおられますし、そもそも、隠したくなる意識ということは、やっぱりそうしないとなかなか生きにくい社会になっているという証拠ではないのかなと感じています。健常者と障害者という言葉からも、障害のある人は特別な存在であるというような認識がやはりあるのかなと感じています。
でも、世の中の人は差別をしていないと思われている人も多いのかなと思います。しかし、実際に、グループホームを建てましょうと、言うことになった場合に地元の理解を得なければならないということがあったりするのが、今の日本の社会の現状なのかなと感じています。この理解を得なければならないというところに、社会の障害についての無理解が、差別の根底としてあるのではないのかなと思っています。
やはり、障害者だからということではなくて、差別禁止法の中では社会の中に理解の輪が広がるような内容になって欲しいなと感じています。
(司会) ありがとうございます。これに関して登壇者の方からコメントをいただけますでしょうか。
(東) ありがとうございました。今おっしゃった現実というのは、福祉サービスの貧困と言いますか、サービスの問題が前提にある訳ですけれども、障害者をどう見るかという部分では、差別禁止の問題と共通している部分が多いかなと思います。
差別に関する色々な事例を聞いてみましても、わざとというか、差別したいという意思をもって差別するという、そういう事案というのは少ないのだろうと思います。
しかし、だからといって、差別事案が少ないかというと、そうではなくて、条例の制定過程の中で、多くの差別事例が挙がっております。それも、わざとという状況ではないにも関わらず、差別事例は相変わらず途切れもなく生まれている訳です。
それは、何故なのかということなんですけれども、今言われたように、障害のある人とない人は違う、やはり特別な存在であるとか、無力な存在であるとか、そういう目で障害者を見ていることがあります。それが、無知、無理解のベースになっていて、よかれと思っていても、結果的には差別をしてしまっているといった場合もあるわけです。
先ほど、竹下先生のお話にもありましたけれども、差別禁止法の究極的な目的というのは、障害の有無を問わず、等しい、同じ人間として生きていく、そういった社会を作るというところにある訳です。
差別禁止法自体は、人の心の中に直接的に介入して、相手の心を縛るというものではありません。しかし、究極の目標はやはり、人々の心のバリアをなくして、差別禁止法がいらないようは社会を作ることだと思っています。
障害者にとっての4つの障壁ということが言われてきましたが、心の障壁の問題は、竹下先生の話の中でも非常に大きな問題だと思います。
そういう意味で、法律により何が差別であるかを明らかにすることが、人々の無知、無理解、偏見をなくすうえで、非常に重要であることを改めて感じたところです。
ありがとうございました。
(司会) 指定発言者Aさん、ご意見ありがとうございました。
それでは続きまして、指定発言者Bさん、よろしくお願いいたします。
(指定発言者B) 今日、共生社会地域フォーラムの指定発言の場でお話させていただくことを大変光栄に思っております。一般企業を代表して、少し私の経験から感じたことをお話させて願えればなと思っています。
私、不動産という仕事を23年ほど営んでいます。社員が30名ぐらいの中小企業の経営者をさせていただいています。現在、私どもでは障害をもたれた方のみならず、高齢者の方、母子家庭の方、それから社会では落ちこぼれと言われる若者が働くことを通じて仲間やお客様や地域社会に少しでもお役にたちたいという思いで、土地や建物の斡旋から、住まいづくりのアドバイスに至るまでの事業をさせていただいています。
私は、中小企業家同友会という会がある訳なのですが、その経営者団体に現在に至るまでに18年ほどお世話になって、経営者になった駆け出しのころに、経営のイロハもわからない若造経営者のころに、経営って何だということを経営の礎から教えていただいたように思っています。今日はそのご縁でお招きいただいたと思っています。
今日に至るまでの私の中小企業経営者の歩みというか、本日の趣旨に沿うよう経営の経験を少しお話させていただければなと思っています。私はちょうどバブル真っ盛りの23年前、1億総不動産屋と言われたような時代に、今の会社を、ちょうど勤めていた会社の親会社が倒産をしてしまいまして、赤字の会社を引き継ぐ形で、ちょうど23年前に社長になりました。当時、不動産のことはおろか、経営のケの字も知らないまま、実は社長になってしまったんですね。
経営というのは売上を上げたり利益を上げたり、実はお金を稼ぐ手段ぐらいにしか当時、考えていませんでした。ですから、お客さんはもとより、働く社員との間で、日夜いろんなトラブルが連続して起こってきた訳です。そんな中で、経営者が勉強するという会にお誘いをいただいて入りました。そこで、経営者の役割とか、責任って何だっていうことを教えていただきました。実は、経営者になった時、経営の意味を知らなかったんですね。
経済というのは、お金儲けとかお金を回すぐらいにしか考えてなかったんです。学ぶ中で、実は、経済というのは経世済民、世を治め、民を救うという、こういう語源があるということを教えられました。まさに、今日のフォーラムの理念にある共生社会の実現というべく、誰もの幸せが見える社会づくりが、経済という言葉の根源だということを、それが私の経営者の仕事だということを教わりました。
一方、企業では利益を上げるために、リストラといって、社員の首を切る、解雇をしたり、行き過ぎた生産性、効率の追求で、一部の働く人たちにとっては、本当にうつ病になったり、時に自殺まで追い込むような、体や命の綱渡りというか、サバイバルのような状況の中で働いているのではないかなと思っています。
何のために経営をするということが理解できるようになってから、やっぱり経営というのは社会や人のためにやるということだろうなと、お金のためではないんだろうなということをすごく感じるようになりました。
経営は本当に多くの人々を幸せにする営みであることを知らないまま、もっと言うと、多くの経営者の人たちが、そういったことすら学ぶ機会がないまま、実際、経営のリーダーをやってきている訳です。それでは、社会というのが良くなる訳ないな、ということを非常に痛感しています。
そして行きついたところ、何年もかけて学びの中で行きついたところが、誰もが共に働ける、誰もが共に暮らせる、当たり前の地域社会を実現することなんだなと、気づきました。
私たち経営者は仕事を作りだして、人を雇って、人を育てて、実際に経営をやっているんです。私どものようなちっぽけな会社が世の中の大半を占めて、そこで多くの人たちが働いています。この多くの中小企業が、実は地域の暮らしを支えているのではないのかなと思っています。そんなことを知ってから、自分の会社や仕事に非常に使命感を覚えて、経営者としての志が非常に高くなってきたように思っています。
それまでは障害者の方たちと関わる機会もありませんでした。しかし、障害者を雇用されている経営者のお話を聞く機会がありまして、今まで仕事ができるとか、できないとかで、社員を見下してきた自分自身が愚かな経営者として、人を育てることができない、人の多様性を理解することができない、自分が至らないんだなということを非常に感じさせられました。そして、今では、弱い人たちが働きやすい会社は、誰にとっても働きやすい会社なんだなと、現に多様な人たちが多様な役割を果たして、共に支え合っていく企業づくり、そういうものをしっかり目指さなきゃいけないんだなと思いました。
私どもの会社には、毎月1,000人近くのお客様がご来社されるのですが、お客様にお出しするお菓子は近くの作業所の人たちが1つずつ手作りをしてくれるクッキーです。会社で使う名刺や、チラシづくり、アパートのお掃除も、そういったものも、今では障害者の方にやっていただいている訳ですね。そんな形で障害者の方たちと関わりを通じて、本当に障害があるなしにかかわらず、1人1人の社員が今、一生懸命輝いて仕事をしてくれるような会社になれてきたのかなと思っています。
私どもの会社に就職活動に来るのは、就職活動で50社以上から不採用通知をもらったような社員、35歳まで引きこもりだった社員、そんな社員がみんなで支え合って、仕事を通じてお客様のために一生懸命役に立とうと思って頑張ってくれています。そんな中で1人1人が実際、日増しに成長しているのではないかなと思っています。
そんな社員に囲まれて、一番成長してきたのが経営者の私だったような気がしています。昨年は、お客様を幸せにする会社だからこそ、仲間の幸せを祝おうとことになりました。結婚式を挙げていない社員がいまして、子どもに見せる奥様のウェディングドレス姿を写真で残してあげたいなということで、会社の中で手作りの披露宴をやったんですね。そしたら、そのご両親の方が、「こんな良い会社で働けて良かったな」と、「本当にうちの息子は幸せだわ」と言って、涙を流していただいたんです。そんなことが今でも忘れられません。
時間ですので、少し悔しい思いとお願いをちょっとしたいなと思っています。
以前、私どもの会社にお越しいただいた地方行政の、それも雇用担当の職員の方のお話なのですが、こう言われるんですね。「お宅ぐらいの規模の会社だったら、法定雇用率から見て、障害者の雇用の必要ありませんよ」と、仰られるんですよ。確かにそうですよね。100人ぐらいにならなかったら雇用しなくて良いよって法律には書いてある訳です。
「そんなことぐらい知ってますよ」って、言い返そうと思ったんですが、止めてしまったんですね。確かに、障害者の方を初めて採用するに当たって、事務所が2階にありますので、上がったり下がったりするために階段に手すりをつけたりとか、そういう費用をかけた訳なのですが、そんな階段の手すりでさえ、本当に誰にとっても、あったらありがたいということを気づかされました。疲れて帰ってきた営業マンの体を支えてくれる、大変役に立つものなんだなということを知った訳です。
話を戻しますけれども、多くの中小企業が障害者の方たちの働く場を提供したり、障害者の雇用のすばらしさを知ることで、会社も地域も本当にもっと元気になるのではないかなと思っています。
多くの人たちはそんなきっかけを知らないだけなのではないかなと私は思っています。
行政職員の方が、「法律は最低のルールなんですよと、もっと多くの方たちが働ける場ができると良いですよね」って言ってくれるような、そんな機会がいるのではないかなと思っています。
法律は最低限のルールであって、その上で、社会の役に立つ素晴らしさを多くの人たちに知っていただくような取り組みがいるのではないかなと思っています。社会の大半を担っている、特に中小企業にです。そして、中小企業の経営者のリーダーの人たちに、障害者に関わる様々な取り組みへの思いを、私はあれこれ禁止という法令や制度でなくて、理念憲章というのでしょうか、志を高く掲げられるようなものがあっても良いのではないかなと思っています。
少し長くなりましたが、これで終わります。ありがとうございます。
(司会) ありがとうございます。これに関しまして登壇者の方からコメントをいただけますでしょうか。お願いいたします。
(川島) ありがとうございます。川島です。
今のお話をお聞きしておりまして、至極もっともだなと思いました。そして、差別禁止法の位置づけというものが、よりはっきり分かったように思いました。
というのは、差別禁止法の理念というのがありまして、今回、部会意見では、完全参加と平等や共生社会、この他、多様性、人間の違い・差異の尊重といったものが理念として掲げられているのです。
この理念に関して、今、指定発言者Bさんがお話ししてくださった、理念憲章という言葉がありましたけれども、差別禁止法に掲げられている理念というのは、大変崇高なもので、これを目指していくべきだというところについては、特に異論はないと思うのですね。
それをどうやって実現していこうか、というところで、ポジティブに、つまり、肯定的、積極的に、前向きに目指していくのだというのが指定発言者Bさんのお考えだと思いまして、まさにそれが社会にとって素晴らしい事だと思います。
他方で、それをネガティブに、つまり消極的に、この言い方が妥当かはちょっとわかりませんが、若干後ろ向きかもしれないのですけれども、絶対これはまずいだろうというところをしっかり法制度で支えていくというのが差別禁止法だと思うのですね。
差別禁止法だけ、とりあえず法律に書いてあるから守れば、もうそれで良いじゃないか、というようなことでは、当然理念は実現できない。けれども、同時にそれさえも守られていないという実態、数多くの現実がある訳です。
ですので、指定発言者Bさんのおっしゃられているようなポジティブなアプローチと、あと、差別禁止法のような最低限やっちゃいけないというところをルール化して、ものさしとして、今回規定するというのは、相互に矛盾するというよりは、むしろ両者が相まって、この理念により近づいていくのではないかなと思っております。
どうもありがとうございました。
(司会) 指定発言者Bさん、ありがとうございました。
続きまして、指定発言者Cさん、お願いいたします。
(指定発言者C) 私の名前はCです。市立M中学校の2年生です。今から私が書いた作文を発表させていただこうと思います。この作文は県の中学生広場、「私の思い2012」で発表したものです。少しでも多くの人に弟のことを理解してもらいたい、そして障害がある人にとっても、ない人にとっても、暮らしやすいやさしい社会になって欲しいと願って発表しました。皆さん、どうぞ聞いてください。
私の大切な弟。
皆さんはダウン症という言葉を知っていますか。また、ダウン症の人を見かけたことがありますか。
私には弟が2人います。すぐ下の小学校6年生の弟はダウン症で、生まれた時から障害があります。ダウン症とは染色体異常の1つで、弟は21番目の染色体が普通より1本多い21トリソミーです。ダウン症は、薬を飲むことや注射を打つこと、また、手術をすることで治るものでも、インフルエンザなどのように近くにいる人に移る感染症でもありません。
ダウン症の弟には、普通の人とは違うところがいくつかあります。まず、上手く話すことができません。本人は一生懸命伝えようとしているけれど、なかなか伝わりません。私や家族は普段一緒に生活しているので、弟の話していることが理解できるけれど、初めて話をする人は弟の言っていることが聞き取りにくいかもしれません。
それから、弟は知的な能力の発達がとてもゆっくりで、物事を覚えるのにすごく時間がかかります。小学校では先生と簡単なところからゆっくり勉強しています。
さらに、体の色々なところが悪いです。生まれた時には、心臓に穴が空いていて、それをふさぐ手術をしたし、私が小学6年生の時にも停留精巣の手術をしなければなりませんでした。目は遠視、乱視に加えて白内障の症状があり、耳は難聴で聞こえにくいので、補聴器をつけています。原因はよくわかりませんが髪の毛がたくさん抜けてしまう円形脱毛症でもあります。他にも、動作がゆっくりとしていたり、気持ちの切り替えが難しかったりします。
外で弟と一緒に歩いていると少し変わった格好をしている弟に驚いたり、戸惑う人がいます。しばらく弟のことをじっと見てくる人もいます。最近は全然気になりませんが、弟のことを不思議な目で見られることが、私は余り好きではありませんでした。
私が小学3年生の時、弟は小学校に入学してきました。その時、「どんな障害なの」「耳につけているのは何」など、同い年の友達だけではなく、下級生にも上級生にも色々なことを聞かれました。弟のことを説明すると、みんなしっかり理解してくれて、弟にもとても優しく接してくれたので、本当にうれしかったです。
私は弟についてしっかり説明することで、周囲に分かってもらうことが大切なのだと、その時感じました。
皆さんは弟のように障害がある人を見て、少し戸惑ったり、不思議に思ったりしたことがありませんか。きっと誰でも1度くらいはそのような経験があると思います。疑問に思ったりすることは決して悪いことではないと私は思います。ですが、しっかり障害のことを理解して向き合い、見守ってあげて欲しいです。
弟には良いところがたくさんあります。人のことが好きで、優しく、乱暴なことはしません。ピアノを弾くことが大好きで、いつも楽しく弾いています。何でも一生懸命頑張ります。弟は障害があっても、私や家族にとって、大切な存在です。
そんな弟ですが、きっとこの先、障害のことで困ることがたくさんあると思います。皆さんには、弟に限らず、困っている人がいたら、自分に何かできることはないか、考えて欲しいです。私自身も大切な弟をこれからもしっかりサポートしていきたい、これが私の思いです。
ご清聴、ありがとうございました。
(司会) ありがとうございます。これに関しましてコメントをいただけますでしょうか。
(竹下) じゃあ、私、竹下が。どうもありがとうございました。非常に素晴らしい作文ですし、非常に素晴らしい弟に対するお姉さんとしての愛情が伝わってきました。
ダウン症の弟さんのことを通して、障害というものを社会に理解してもらう、非常に良い作文だと思いました。
私の思いとして3つだけ申し上げると、今おっしゃったように、知らないことをそのままにしておくと偏見が広がる。そして、変な目で見続ける。でも、そのことにきっちりと疑問を投げかけて、それに答えるというやりとりをすることによって、理解をして、その理解が広がった時に、障害者に対する見方が変わる。このことを非常に実践しているということを感じました。
2つ目には、この弟さんの良いところを一生懸命にちゃんと強調していただいた。すなわち、人間というのは必ず弱点も欠点もあれば、弱点も欠点も一緒やね、利点もある訳ですね。個性というのはそれだからこそ、1人1人が違う訳ですよね。
その中でダウン症の弟さんの苦手なところは苦手なところとしてちゃんと受け止めて、得意なところ、それから、弟さんの持っている優しさを十分に伝えることが大事だ、ということを言っていただくことが素晴らしいと思いました。これが2点目です。
そしてもう1つは、これからの先の話ですよね。この弟さんが将来、さらに次の段階で勉強をしていく時に、弟さんの発達に応じた学習、これをどうやってちゃんと保障していくのか。すなわち、日本の社会全体が僕は間違っていると思うんですが、1つの基準なり枠でもって教育というものを決めてしまっている。だから、中学3年の段階でこの数学のドリルが解けなかったら、おまえはだめだ、こういうレッテルを貼る。そうではなくて、1人1人の人間の発達というものをきちっと受け止めることが教育の本質だと思うのですけれども、そういう意味では、これから先も、この弟さんの発達の仕方に応じた、そういう学習、さらには、時には職業訓練がこれから実現していくことが必要だなと、そのためにもこの社会が差別禁止法を作って、そういう弟さんのような人たちが大事にされる社会になっていけば良いなと思いました。
ありがとうございました。
(司会) ありがとうございました。指定発言者Cさん、ありがとうございました。
続きまして、指定発言者Dさん、よろしくお願いいたします。
(指定発言者D) 会社KのDといいます。私は余り経験がありませんので、こういう場所で発言ができるかどうか、すごい不安だったんです。ひょっとすると、まだ経験もないので間違っていることを言うかもわかりませんが、ご容赦お願いしたいなと思います。
会社Kは、皆さんご存じのポテトチップを作っている会社の子会社で、重度障害者を多数雇用する事業所でもあり、特例子会社でもあります。
従業員23名の小さな会社なんですけど、そのうち13名は障害者が仕事をされています。13名の障害者の方のうち、10名が知的障害の方で、3名が身体障害の方ということになります。3名の身体障害者のうち、2名が肢体不自由で、1名が視覚障害を持っておられる方です。
この取り組みを始めたのが2006年からですから、まだ6年8カ月ぐらいです。会社Kという法人に変えたのが2010年からですので、2年ぐらいになります。
障害者の方と一緒に仕事を何年か取り組んできまして、そこで感じることを話させていただきます。障害を持っておられても、潜在能力というのをすごく持っておられて、その潜在能力の高さにびっくりするような、そんな毎日を過ごしています。
ただ、その潜在能力をどのように発揮してもらうかとか、その潜在能力を引き出すためにはやっぱり配慮が必要で、先ほども講演で色々話を聞かせてもらって、まだまだ甘いなと、私の取り組みはまだまだだなと感じましたが、やっぱりそれ相応の配慮が必要だなという気がします。
一番の配慮は、仕事そのものよりも生活の配慮が重要性で、生活が乱れると仕事ができなくなるという側面が大きくあります。企業ですから生活のところまではなかなか入れませんので、生活支援者の方と連携をしながら、暮らしを支えていってもらうということをしています。
今回、職場、雇用という立場から言うと、実際にやってみて、やっぱり障害者雇用というのが特別なものであってはならないなというのをすごく感じています。うまく言えないんですが、特別なこと、障害者を雇うからこれをしないとだめとかいう世の中では、なかなか取り組みにくいのではないかと思います。そういう意味では仕組みや法律で障害者を採るのではなく、先ほどの講演でもありましたように、バリアフリーのように、工場を建築するのだったら、最初からバリアフリーでないとだめとかいう、そういう法律にしてもらえるとありがたいなと思います。
一方で、やっぱり企業である以上は、品質とか効率とか追及します。結局はそのために必要な能力を持っているかどうかというところがポイントになってきまして、その能力を最初から持っているのか、そういう潜在能力を引き出すことによって、その能力が発揮できる可能性があるのかということを、企業とすると見る訳です。
ただ、そういう能力を引き出すために、先ほどもチャンスの場とかいうのがありましたが、いろんな仕事をやってもらったり、色々やり方を変えたり教えたりとかいうことを一生懸命、私なりに配慮をしながら、するんですけれども。
最終的にその結果どれだけの能力が発揮できるかというところにおいては、障害者も健常者も一緒で、工場の工程に入った時に、その工程の要求能力を満たすことができるかどうかという、そういう評価になってしまいます。
ただ、教育とかで言うと、先ほどの例でも、テストの例であったんですが、検査員の認定をやったりする時に、テストをするんですけれども、知的障害者の方の中には、テスト用紙だけ配って、さあやりなさいと言っても、なかなかできない方も中にはおられます。人によっては個別対応になりますが、問題を読み上げて、こういうことを聞いているんだよ、というところまでは配慮はするんですね。丸かバツかというのはその人の能力です。正解、不正解については一切配慮しないという、私なりの考えでやっております。
最初にも言いましたけれども、決して特別なことではなくて、普通に企業が従業員を育てるという観点なのです。企業が成長するなんていうことはあり得なくて、企業が成長するためには従業員1人1人の能力が上がる、その結果、企業の能力が上がると考えています。平等にチャンスを与えていって、色々な仕事をやってもらいたいなと思っています。今回のことで法律がきちんと整備されて、1人でも多くの方が差別のない働き、暮らしが送れるようになれば良いなと思いました。以上です。
(司会) ありがとうございます。これに関しましてコメントいただけますでしょうか。
(東) はい。では、東のほうから少しコメントさせていただきます。
アメリカでは、障害者に対する差別禁止法は、ADAと呼ばれていますけれども、これができる時に、日本の障害者の中では、能力主義を前提とする差別禁止法で重度の障害者が救われるのかという、そういった議論がありました。特に雇用の分野では働くということで、労働能力というものが求められるから、重度の障害者はそもそも働く力はないと見なされれば、そこで差別禁止と言われても、ほとんど役に立たないじゃないかという、そういう議論があった訳です。
今回の部会の意見の中でも、議論の中でも、その労働能力をどう考えるか、ということについては、かなり色々な意見が出た訳ですけれども、今おっしゃっていただいたご意見は本質的なお話だと思っています。労働能力は必要なんだけれども、一人一人が有する潜在的な労働能力をどう引き出すかという面では障害者も障害のない人も別に変わりないと思います。引き出すのは、企業の役割であり、例えば、溶接する時は治具というものをあてがってやりますよね。それはやはり人間が物をきちっと位置を合わせながら、同時に溶接するなんていう能力がなかなかないから、そういう機械で補ってもらって、良い物を作っていくという、そういうやり方をやるのと同じです。
そして、そのことは、合理的配慮の考え方そのものなんです。合理的配慮というのは何も、障害者だけに対するものじゃなくて、本来は障害がない人にだって一定のいろんな支援をしている訳ですね。
今言った溶接の際の治具にしたって同じですけれども、障害者というだけで労働能力がないと考え、潜在的な労働能力を引き出すための必要な配慮もしないというような考えは、変えて貰わないと困るわけです。そういう意味で指定発言者Dさんがおっしゃったことは、差別禁止法で言うところの合理的配慮といったものと本質的に近い考え方を示されていると思うんですね。
労働場面で差別禁止法がどれだけ働くのか、機能するのかといったことについて、一面不安もある訳ですけれども、励ましの言葉をいただいたと思っています。
なお、最初にご発言をいただいた、指定発言者Aさんのご発言の中にありましたように、福祉的就労、特にB型の場合、やはり工賃が非常に低い。こういう問題について差別禁止法がどれだけ機能できるのかといったあたりは、なかなか難しい問題があります。
これについて、部会意見では、労働者性が実態として認められる部分については、雇用における差別禁止が適用されていくけれども、やはり労働者性がないところでは無理ではないかという意見も出されている訳ですね。
ですので、賃金の問題について、差別禁止法があるから、賃金が自動的にアップしていくといったことはつながりません。しかしながら、働く機会という面で、他の人と同じように、それができるように合理的配慮を提供していくといったあたりは、差別禁止法が機能する大きな場面ではなかろうかと思っております。
どうもありがとうございました。
(司会) 指定発言者Dさん、ありがとうございました。
続きまして、指定発言者Eさん、お願いいたします。
(指定発言者E) 最後に質問するのは難しいですね。既にいろんな要素が答えられてしまっているので。
私は事業所Pという、就労継続支援A型の事業所の利用者で、同時に社会福祉法人の代表者であるという不思議な立場にいる者です。今日はそのことが述べたい訳ではなくて、2つ、僕の思いをお伝えしたいなと思います。
1つは、私自身は今60歳なんですけれども、高校を出てから障害者のずっと差別や就労の運動をずっと続けてきた訳です。その中で差別というのは、こうして法的整備とかそういうものが大きな要素としてはあるんですけれども、自らが闘い取るものだと、若いころから生きてきたつもりでいます。
しかし、先日、ある駅でエレベーターを待っていましたら、僕を含めて3台の車いすがエレベーターの順番を待っていたんです。しかし、この我々を飛び越して、先にエレベーターに割り込んで、お乗りになる方がおられまして、私、優しくですよ、優しく、「おばちゃん、俺ら待っているんやで」と、ちょっと巻き舌っぽく言ってしまったんです。
そしたら、逆ギレされまして、「この生意気な障害者が」と言われました。ずっと闘い続けてきた人間としては、これくらいのことではというふうに思ったんですが、本当に最近、涙もろいのか、何故か、エレベーターを降りる頃には涙がボロボロ出てきたんです。
ここ40数年、障害者の差別と闘ってきたにも関わらず、こういったおばちゃん1人で泣いてしまった。我々に向けられた「我儘言うな、生意気言うな」ということを、今まではなかなか直接聞くことはなかったですが、ある駅のエレベーターの中でそれを聞きまして、世の中が本当に差別をなくそうと、障害者を受け入れようと、共生社会を作ろうと本当に思っているのだろうかということに関しては、すごく楽観的になれません。
もちろん、法律ができる過程においては、そんな楽観的におつくりになっているというふうには思いませんけれども、今一度、その合理的配慮の不提供が差別だということを、私、この後、10年、20年ぐらい生きると思うんですが、自分のテーマとして、これを社会に言い続けていけるだろうかという若干の不安があるんです。
だから、この合理的配慮の不提供は差別だという新しい概念は本当に画期的で、これが本当に社会に浸透したら本当に素晴らしいことだと思うのですが、少し暗く考えれば、これが本当に市民権を得るのだろうかという思いがあります。
それと、就労に関して、少し意見がある訳なのですけれども、先ほど来、福祉的就労におけるコメントもありました。
ただ、私は18歳で名古屋に出まして、就職活動をしたんですけれども、何度も何度も断られた訳なんですね。それも、その面接の後、即、断られたのではなくて、わざわざ名古屋に出て行って試験を受けて、返事を家に帰って待つ訳なんですが、先に決まった方がおられた、というふうに説明なさるんです。再度、名古屋に出て掲示板を見ますと、その会社はまだ求人を続けている訳なんですね。
その時私は若かったものですから電話をかけて、「先に決まったというけれども、まだ求人してるやないか」と、言いましたら、その人事の方は、「あなたに配慮をして、あなたが傷つかないように、そう言ったまでです」と、おっしゃったんですよ。我々は本当に今までそういう配慮とか、就労の場面でも、決して平等な関係の中にはなかったと思う訳なのです。
だから、ご説明いただきましたけれども、福祉就労も含めて、一般で働く我々障害当事者がどのように合理的な配慮等を勝ち取っていけるのか、若干の不安がある訳なのです。
以上、2点、合理的配慮全般にわたる不安と、特に雇用面での就労面での合理的配慮の課題について、若干コメントをいただければと思います。
(司会) ありがとうございます。これに関しましてコメントをお願いいたします。
(川島) ありがとうございます。川島です。
今、指定発言者Eさんのお話の中で、「我儘」という、エレベーターとの関係で、お話がございました。これは、理論的に言えば、実は合理的配慮というのは恩恵とかではなくて、今日では正義の話であると言われていることと関係すると思われます。これは学問的な話かもしれないのですけれども、単純な話になります。
この社会がどうやってできてきたかといいますと、多様な人間のうちのごく一部の人に適した社会を作ってきた訳でして、それ以外の人たちのニーズというのは全然顧みられないで、作られてきたのです。
そうなりますと、社会を作っていく段階で、ニーズを満たされていない人というのは、不利益を負わされてきたのですね。つまりずっと歴史的に被害をこうむってきたと考えるのです。ですから、今までさんざん被害をこうむってきた、つまりずっとマイナスの立場に置かれてきた人たちが、今まで有利に扱われてきた人たちと同じチャンスを得るために、同じ社会参加の機会を得るために、配慮を要求するというのは、我儘ではなくて当然のことでして、ある意味では歴史的にみた損害賠償或いは損失補償なのですね。
今まで社会は、いわゆる健常者と言われている人、非障害者と言われている人たちを基準に作られてきました。それこそ社会は、障害者という一部の人を犠牲にする形で、健常者に有利に作られてきたのですから、障害者に配慮をするというのは、これは我儘ではなくて、長い歴史という縦軸の関係において、社会が障害者に対して損失を補償するというか、或いは損害を賠償するというふうに理解できるのです。これが差別禁止法における合理的配慮の規範的な基礎の一端です。学問的で恐縮なのですけれども。
ということになりますので、合理的配慮を要求するというのは、当然、正義に支えられ当たり前に認められる権利であって、全くこれは相手方に我儘を言っているという訳じゃなくて、健常者中心社会の被害者或いは犠牲者として当然の権利なのだと、歴史的な匡正的正義の観点から考えるとそういうふうに合理的配慮を正当化することができます。
ただ、なかなかこのような理解というのは、そして差別禁止法ができなければ、当然、普通の人にとってみたらなんでこんなことをするのか、わからないということはあると思います。ですから、差別禁止法ができると同時に、そのような説明も同時にして、一般の人たちに、何故合理的配慮というのが正義の問題として当然やらなくちゃいけない問題なのかということを、同時に理解してもらう必要があるというのが1点だと思います。
もう1つは、合理的配慮でなかなか難しいのが、合理的配慮を要求する場合に、またさっきと同じなのですけど、我儘と思われたりとか、合理的配慮の中身はどうするのか、というような議論があります。
大切なのは、アメリカのほうで言われているのは、合理的配慮というものが定められた重要な意義とは、配慮を要求する側と、配慮を提供する側が、話し合う場ができることにあるのだということです。つまり、差別禁止法というものができることによって、例えば労働の場面では、障害のある労働者が気兼ねなく使用者に対してこういう配慮が必要なのですと言いやすくなる。今まで色々な心理的なバリアとかがあって言いづらかったものが、差別禁止法があるおかげで、話しやすくなる。
そしたら、差別禁止法上の義務として、相手側はそのテーブルにまず乗らなくちゃいけない。当然、企業は経営が大切ですから、もちろん、過剰な負担のあるような配慮はできないので、今できる範囲で配慮をすることになるのですが、ここで何が大切かというと、法律上の義務として、その話し合いの場に、配慮のことをテーブルに乗っけられるというところが、差別禁止法の重要な意義だということです。
つまり、共生社会というのはお互いがコミュニケーションをとることによって初めて成り立つので、その法的な道具として差別禁止法があるというのが、アメリカで言われている考えをヒントにすることで得られる知見です。
以上で答えとさせていただきます。
(司会) 指定発言者Eさん、ありがとうございました。
ここからは本日ご参加いただいています皆様からのご意見を伺いたいと思います。進行は内閣府障害者制度改革担当室長東俊裕より進めさせていただきます。お願いいたします。
(東) まだ時間がございますので、指定発言いただいた方の他にも自由に発言いただいて、ご意見いただければなと思っています。
どなたか、前の方。他にどなたかいらっしゃいませんか。右の方ですね。他には、真ん中の方。4人ですが、他にいらっしゃいますか。5人ですね。
一応5人の方に、あ、6人いらっしゃいますね。1人5分話されるとそれだけで30分過ぎますので、こちらからも少しコメントをできればしたいと思いますので、1人2分半ぐらいでよろしくお願いできませんでしょうか。
では一番最初にお手を挙げられた、左の方、前の方、お願いいたします。お名前をお願いできますでしょうか。
(会場発言F) 障害団体Sという地元滋賀県の障害を持つ当事者、父母、関係者で作っている団体の会長をしておりますFと申します。よろしくお願いします。
実は私、このフォーラムに参加をさせていただいて、本当によかったなと心から思っています。実はですね、差別禁止法ができるという動きがわかった時点で、私は1つ、すごく心配なことをずっと感じていました。
果たして差別というものに法的な枠をかけることで、無くなるんやろうか。いや、それどころやない。あの人らは法に守られる人やから、あの人やらに何か変なことしたら、怖いこと言われるで、罰せられるんちゃう?って、障害のない人たちが思いはじめるのではないかなと心配していました。この間、障害のある人もない人も一緒に頑張りましょう、ノーマライゼーションですよと、社会を作ってきた我々からすると、そんなことになったらえらいことやなと、また逆戻りしてしまうんではないかなという心配を正直、持っていました。しかし、今日、ここに来て、本当によかったなと思うのは、そういう側面だけではないということを強く感じました。とりわけ、就労の場面です。
私は実は実力も能力も何にもないんですが、非常に運が良い男でしてね。地元のテレビ局で10年ほどリポーターをやっておりましたし、一般企業でも6年ほど勤めておりました。障害者としてはそういった意味では、幸せな、と言いますかね、恵まれた人生を送ってきたというふうに思っています。
しかし、それは、運やったんです、僕のね。運ですから、先ほど、川島さんからお話がありましたように、職場で躓くと、苦情を言われへんのですね。だから、すぐ首になったりしながら来た訳です。この法ができると、やっとそういうことが言える。そういうことが言えるっていうのはどういうことかというと、我々障害がある人間というのは、決して実力がない訳でも何でもなくて、その実力を発揮する、持っている力を発揮する、スタートラインにすら立てていない、とりわけ就労の場面で、です。
そのことが、この法律ができることによって、たくさんの企業の方からお話をいただいたので、僕はこれからこういうところに取り組まれるのは良いなと思うのです。この法律が、そういった障害のある人たちが自らの持っている力を発揮するスタートラインにきちっと立てると、それを合理的配慮とでも言うんでしょうか、障害のある人もない人も、同じスタートラインに立って、さあ、あなたの実力を発揮するのはここからですよ、という、良い機会に、この法律がなれたら良いなと思います。
指定発言者Eさんと十数年ぶりにお会いしましたが、指定発言者Eさんより私は若干若いので、これからも頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。
(東) ありがとうございました。次に今度は右の前の方、お願いできますか。お名前からお願いします。
(会場発言G) NPO法人でもある障害団体SのGです。この団体とは別に、中学生時代の時から、障害者運動に関わってきているので、今は全国の役員もしています。そういった立場からちょっと質問というか、意見というか、言わせていただきます。
さっきも言ったように、若い時から、差別と向き合って、いろんな差別、受けながら、いろんな差別と闘いながら生きてきた訳です。障害者はかわいそうというところを、そもそもは、差別の始まり思っているんです。なんでか、言うたら、障害者になりたいと、いう思いはほとんど持っていなくて、障害者が健常者になりたいというのが普通なんですね。当たり前なんですね。だから、かわいそうと思ってしまうんですよね。
けど、かわいそうと思うのは差別があるから余計に思う訳ですよね。それで、何が言いたいかというと、自分の頭の中でもまとまってないんですが、出生前診断ですけど、出生の時の選別ですね、これは、どのように差別禁止法の中では盛り込まれるのか。
あと、昨日もね、まさに昨日、電車に乗るのに、駅まで行く途中に、「変な人」と、小学生から言われました。ああ、久しぶりに聞いた言葉だなと思ったんです。この教育の問題ね、これがすごく社会を変えるという意味では、これからの大人という意味で大きなことだと思うんです。
他の県の差別禁止条例には、教育のことも書いてあるんですが、養護学校ではなく、普通学校にいっていることが障害者差別だ、みたいなことを言われたということを聞いたことがあるのです。そういう逆の発想というか、そういう捉え方をしてしまう人たちがいないのか。そういうような法律だと、まずいなと思う訳です。文部科学省が一番頑なだと聞いているんですけど、別学体制についても、伺いたいと思います。以上です。
(東) ありがとうございました。一応、皆さんのお話を聞かせていただいた上で、それぞれコメントしたいと思います。
次、真ん中の方ですね、マイクを用意していただけますか。
(会場発言H) 精神薬の副作用で、うまいこと口が回らないですけど、しっかり聞いてください。Hと申します。精神の分野では、精神科特例というのがあります。
(東) 済みませんがお名前をもう1度おっしゃっていただけませんか。
(会場発言H) Hです。精神科特例というのは、一般病院に比べて、患者数に対して医者は3分の1で良い、看護師は3分の2で良いという、1960年代からずっと続いているんです。これは明らかに、差別だと思います。恐らく、憲法何条かわからんけれども、憲法にも違反していると思います。
これをなくすにはどうしたら良いか、お答えをお願いします。
もう1つ、たくさんの人が長い期間かけて結論を出した、総合支援法案の骨格提言というのが政府によってことごとく無視されました。仮に差別禁止法の内容が提案された時、同じような運命にあるのではないかと、心配しています。以上です。
(東) ありがとうございます。それでは、真ん中の列の方、お願いできますか。
(会場発言I) 私は精神障害の子どもを持つ家族で、Iと申します。
私の思いをちょっと伝えたいと思うんです。残念ながら私は、障害者に対する差別というものが、どんなものか残念ながら、というか恥ずかしながらわかりません。ただ、こういうのが差別であろうな、というイメージは持っています。
しかし、実際の差別というのは、障害を持つ人が差別を受けたことは、その人でないとわからんと思うのです。先ほどの講演でもおっしゃいましたように、差別というものを当事者の声からしっかり、時間をかけて聞いて欲しいなと思います。そして、なおかつ、精神障害とか知的障害は、なかなか自分の思いがうまく伝えられませんので、そういったところも手間暇かけて、じっくり聞いて、そして、この法律に反映して欲しいなと思います。
そしてもう1つは、この立派な法律ができた暁には、国民全員に知らしめるということが必要やと思います。せっかくできても誰も知らんなら意味がない。もちろん今、虐待防止法も10月からできて、チラシとかそんなんができて、いろんな説明があります。
僕が思うのは、やっぱり首縄をつけてでも国民に教えなあかんと思うんですけれども、現実はそんなことできませんので、これはやっぱり、学校教育で教える、これは是対やって欲しいと思うんです。それをこの法律に入るかどうか、わかりませんけれども、やっぱり学校で教えるということが一番大切じゃないかなと思います。それによって、これはなんで差別や、それはこういう障害があるから、これが差別になるんやと、そして、それに対しての配慮、先ほどからの合理的配慮はこういうことなんやということを、是非学校で教えて欲しいなと思います。そういうことを実現して欲しいなと思います。以上です。
(東) ありがとうございます。それでは、次に、前の女性の方、お願いしたいんですが。
(会場発言J) 障害団体SのJと申します。
他の障害団体のメンバーと一緒に、2、3日前に、電車、バスに関する研修を行いました。1年ぐらいずっともめてたんですが、障害を持つ当事者が研修することで、最初は運転手さんたちは怖い顔をしてたのに終わったころにはニコニコして、「これからいつでも乗ってください」という感じで和解できました。
だから、本当に世の中の障害のない人たちは、余りにも障害のある人たちのことを知らな過ぎて、どうして良いかわからなくて、うっかり近づくと怪我させたらあかんとか、そんなふうに、悪くじゃなくて、良いふうには考えているんですが、怖くてどうしようもなくて手が出ないということもあると思うのが、1つです。
それはやっぱり、学校教育が大きく関係してくると思います。私自身、まだ、養護学校のないころに育ってますので、周りの子どもたちの動きは、大人の動きを見て、全ての生活の知識とか知恵を身に着けたもので、障害者本人が動けなくても、そこにいるだけで十分生きていく力は得られると思うんです。そういうことも、ちゃんと差別禁止法の中に入れていただきたいと思います。
もう1つは、3カ月ほど前になりますが、何年か後にある駅が建て替えられるのですが、今はエレベーターがありません。ある日、15分前に駅に行って、切符買って、目的地の駅を言ったら、いきなり「物理的に無理です」と、言われました。前後に何の言葉もなく、いきなり、「物理的に無理です」と、言われたんです。
私、エレベーターのないことも知ってますし、昇降機を置いていることも知ってます。でも、私は、昇降機に乗るとすごく怖くて、緊張がすごくきつくなって、2、3日、動きにくくなるんです。15分もあるから、その辺のお客さんと駅員さんに手伝ってもらったら、十分いけると思って、早めに行ったんです。
でも、いきなり「物理的に無理です」と、言われて、「なんで、ですか。物理的ってどういう意味ですか」って何回も聞いたんですが、「物理的に無理です」を繰り返すばっかりでした。ものすごく、きつく言ったんですが。今でも忘れませんが、Kという駅員ですが、「Kさんですね」と、言ったら堂々と胸を張って「はい、Kです」と、言われたんです。
で、何が言いたいかと言いますと、昇降機を置いておくということは、合理的配慮になりますよね。でもそれを拒否した場合は、どちらが悪いのか。もし、法律ができた場合、どちらが悪くなるのかなって思います。昇降機があるということを知っていて駅に行った私もいるので、その件に関しては、駅長なり鉄道会社には苦情は言えなかったんですが、そういうことってどうなんでしょうか。
(東) ありがとうございます。紛争の解決、どうするかっていうお話もありましたね。
最後に、真ん中の列の、中段の方、お願いします。
(会場発言L) それでは一言、時間のこともございますので、簡単に申し上げたいと思います。私は県の、滋賀県の精神障害者家族会の者でございまして、Lと申します。今日は東先生、竹下先生、川島先生、大変有意義なお話を聞かせていただきまして、私も大変勉強させていただきました。
長年、精神障害者の家族会の活動をやってきたものでございまして、先ほど発言された方と同じような立場でやっておる者でございます。まず、私どもは、家族会運動というか、活動として毎年知事、或いは支部は市長、町長に要望活動をやってきております。障害者のために制度を見直して欲しいとか、或いは、補助金を上げてくださいとか、施設を作ってくださいという要望を毎年、繰り返してきました。
けれども、これからは、私どもは社会に目を向けないといけません。障害者はこれからは、地域社会で生きる時代だ、地域社会が1つのこの合い言葉、テーマになってますね。だから、この地域社会というものを見た時に、我々が要望しているものが本当に、社会に制度化されてきているのかと思います。
精神障害者だけでなくて、他の障害者も含めて、本当に生活しやすい、生きていきやすい、そういう社会に本当になっているのかと、そこを我々は評価の視点に置きかえていく必要があると思います。社会が変れば、障害者をもっと生きやすく、そして生きがいを持っていく社会ができる。だから、社会に目を向けて、社会を変えて、社会が変わったか、この滋賀県と社会が変わったか、どうかということをこれから私どもは目標にして、運動を進めていきたいと思います。以上です。
(東) どうもありがとうございました。今、6人の方にご意見いただいた訳ですけれども。どういう形にしましょうかね。まず、竹下先生のほうから、この点について答えたいなと思われる点からで結構ですのでお願いします。
(竹下) 網羅的にはちゃんと言えないので、自分の頭とメモに残ったもので、少し、コメントというよりも私の感想を述べたいと思うのです。
僕は同情が差別の始まりだということは、本当に鋭い指摘だと思うんです。そうなんですね。同情というのは、常に目線を自分を有利に、というか、或いは、自分と比較して、というんでしょうかね、自分より下の人間を作ろうというのは同情なんですよね。
ですから、これはどんな差別にも共通する部分だと思うんですね。これはやっぱり人間の非常に弱い部分として、これを克服するというのは、障害者差別という1つの方法として、みんながこれを身に着けなければならないと率直に思います。
それから、やっぱり、差別禁止法を作った時もそうですし、それから、障害者に対する理解という時には、みんなに知らせていかないかんという話があったけど、もう100%その通りなんですね。
先ほど、中学2年生の方が、自分の弟のことをしゃべってくれた時に、僕は、ここに答えがあると思うんですね。すなわち、知らないままでいったら、やっぱり差別、偏見が生まれる訳です。で、まさに、自分たちの隣に障害のある人がいる、共に学ぶ、共に生活する、共に行動するという中で理解が広がる訳ですね。或いは、疑問も溶けていく訳ですよね。
言葉や、紙に書いた物で理解することも時には可能かもしれんけれども、最も重要なのは、交流することによって理解するということが僕は本質だろうと思うんですね。それがノーマライゼーションの中身そのものだろうとも思う訳です。そこに答えがあるのかなと思いました。
それから、昇降機とエレベーターのことで、僕は、なるほどなと思ったんですね。僕が聞き取り方で、間違っていたらごめんなさい。昇降機が怖いというのは、僕は乗ったことないけど、怖いんだろうなと思います。階段にね、昇降機じゃなくて、座ったままで椅子がずっと降りていくものに乗せてもろうて、「これ便利ですよ」と、言われて、全然便利じゃなくて、僕、正直言って怖かったです。
それは高齢者のために作った施設なんだけれども。僕は、その昇降機があればエレベーターはいらんでしょうという発想ではなくて、昇降機でも安心して上り下りができる人、エレベーターでないとできない人が当然いる訳であって、昇降機があるから、エレベーターはつけないというのは間違いだと思います。それから、もう1つそこで大事なのは、日本の社会で間違ってるなと思うのは、車いすの方が乗りたかったら、前もって申込みせいとか、或いは、リフト付きバスを用意していると言っても、よう調べてみたら、1時間に1本しか来ないとか、2時間に1本しか来ないことがあります。これで社会参加が実現したというのは、僕は非常に見せかけの嫌なものを感じるんですね。
普通、僕なんか短気ですからね、15分待っても来なかったらイライラするんですよね。それを「2時間待て」、というのは、それは明らかに差別だと僕は思うんです。それを口にするということ自体ができる社会にならんといかんなと、こう思います。
それから、もう1つだけ。精神障害者の方の、精神科特例の問題。僕はこれは明らかに間違っていると、言い続けている1人です。これをどうやったらなくすのかというのは、もう運動は始まっていると思うし、この間の障害者政策委員会の中でも、障がい者制度改革推進会議の議論の中でも、常にこのことは取り上げてきました。
この解決の2つの方向があって、1つは、もう精神科病棟やめようやないか、という問題です。もう一つは、長期収容につながる無駄な強制入院はやめて、地域で受けられる、そういう環境づくりをやっていこうやないかということが、言われてきました。そのことを実は、障害者自立支援法から総合福祉法へという時にも、議論されていたんですけれども、今後どれだけ施設から、或いは強制入院から施設へ、ということが進むかが、僕は差別禁止法の制定の中でも問われるのかなと思っています。
以上です。
(東) ありがとうございました。先生、最後に、差別禁止法がどうなるのかというご質問について答えていただきたいのですが、それは最後で良いですね。
その前に、川島委員のほうから、何かコメントされたい点があればお願いします。
(川島) 全体に関わって1つ、もう1度確認したいなと思いましたのは、差別の背景には、無知・無理解、偏見、固定観念というようなものがあるというのは、これは広く、本日も共有できた部分だと思います。
その時に、その無知・無理解、偏見、固定観念をなくすためには教育が重要だろうというところも、広く合意できていると思いますし、差別禁止法自体を効果的なものにするためには、これもまた教育が必要であるということも、大切なところだと思います。
そして、この差別禁止法の目標というのが共生社会実現ということです。共生社会というのは今日のキーワードでもあります。コミュニケーションという、いわゆる人と人との意思伝達、対話、それによって相互に理解を深めることによって、共生社会というものが実現していくものだとしたら、まさしく、合理的配慮というのが、たんに一方が他方に何かをしてあげるというものではなくて、対話をする場を設けるということが合理的配慮にとって大変重要なことだと思います。
つまり、例えば雇用関係の場では、障害のある労働者が使用者に対して配慮を要求する際に、話し合いのテーブルに一緒につくことによって、偏見、固定観念、無知・無理解というものがなくなる契機になり、さらに、その方の能力を最大限発揮できるような配慮が提供できるという訳です。
ただ単に何かを障害者にしてあげるという発想では、その方の能力は発揮できませんし、偏見だって強化されてしまいます。
それで、バスの乗車、電車の乗車に関しましても、やはり対話をするという姿勢が欠けていて、単に配慮をしてやるというのであったら、それは到底、共生社会の実現には結びつきません。つまり、差別禁止法の目標というのが、まさしく共生社会の実現だとするのであれば、まさにそうであるのですが、そのためには、相互交流というものが合理的配慮を考える上で必須になるというところを、最後に確認したいと思いました。
ありがとうございます。
(東) ありがとうございます。
私のほうから若干、述べさせていただきたいところは、まず、会場発言Gさんからありましたけれども、生まれる時の選別の問題について、この部会の意見には何か書いてあるのかということですが、端的に結論だけ言わせていただくと、書いてありません。もちろん妊娠、出産、家族形成に関わる部分は書いております。
しかし、簡単に言えば、障害を理由とした堕胎、この問題をどう考えるかということですよね。世界的にはいろんな検査とか、技術が進んでいて、このごろも色々話題になっていると思います。そのことについては、女性の生む権利の面と、それと、こういった障害という観点から見た問題の両面から、議論がきちっとすり合わせることが難しいという状況があります。権利条約でもそうでしたけれども、なかなか正面から取り上げづらい問題だということで、書かれていないというのが現実です。
ただ、これは、書いてないから問題がないという訳では決してなくて、これからどうするのかということは、もっと幅広い形で議論が必要ではないかと思われる点です。
それと、分離教育のことが会場発言Jさんのほうから出ました。また、先ほど、中学生の方がご発言、作文発表していただき、小学校3年の時、同じ地域の小学校に障害のある弟さんが入学されてからのお話をいただきました。
様々な点で、教育のあり方が大きな問題となっております。部会意見では、教育については基本的にはインクルーシブ教育、権利条約が示す教育の方向で書かれてあります。ちょっと違うのは、親とか本人が望んだ場合ですが、そうでない場合には、やっぱり本人、保護者の意思に反して、特別な就学形態を決定するというのは、それは差別だろうといった形で書いてあるということをご理解ください。
他にも、まだ述べるべき点があったのかなと思いますけれども。時間がありますので、これくらいにしたいと思います。
部会意見が9月14日にまとまりました。政府としては、来年の通常国会に出せるように法案を準備するということが閣議決定で決まっております。この地域フォーラムもその一環として行っているところなのです。
今後の見通しについては、竹下先生、総合福祉部会の経験も踏まえて、どうなのか、お話いただければなと思います。
(竹下) 竹下です。
今日、色々な話や意見、非常に良い質問をたくさん出していただき、ありがとうございました。我々は議論はしたけれども、まだ議論し尽くせてない部分いっぱいあります。特に出生差別の問題は議論はしました。しかし、ここには書き込めていないのが現実です。そういう意味ではまだまだ課題があるんですけれども。
課題はあるけれども、現時点の到達点としてのこの意見書は、どうしても私たちは法律の形にしたいと思っています。でも、甘くはないと思っています。
何故ならば、私は障害者自立支援法意見訴訟の全国の弁護団長をやっていました。それで、弁護団長として、署名までしました。長妻厚労大臣と並んで署名をして、自立支援法を廃止する、そして、新しい総合福祉法を作る、こういう約束、これ、基本合意書と言いますけれども、そこまでやって、そして、内閣府では骨格提言までまとめた。でも、現実に改正されたのは総合支援法という名前はともかくも、中身は従来の自立支援法に、ほんのわずか、変更しただけ。これでお茶を濁された。
僕はなんでそうなったのかということをあちこちで問われました。時間がないので、いっぱい言いたいのだけど、1つだけ言えば、我々に甘さがあったかなと。
どういう甘さか。ここまで政権与党も、或いは、行政も、ちゃんと口にしてきたんだから、もうできるだろうという安心感、このことが甘さとして僕は反省しました。
今回も差別禁止法が、そんなに我々の意見書が、100%法律に生かされるというほど、僕は単純には捉えていません。
しかし、2つだけ、ここで理解してください。絶対に、日本に差別禁止法、今回、作らなかったら、また30年、僕は実現しないと思います。確かに、どこまで私たちのまとめた意見書が法律の形になるかは、不安です。その不安を小さくしていくためには、障害者団体や国民の声をどれだけ強くするかです。あえて言います、国会の先生方も、国の官僚の方々も、この意見書を無視したら、自分たちの政治家としての、官僚としての、責任を果たせないと思わせるまでの運動をやり切れるかどうか、この半年間で、これが生命線かなとひとつは思っています。
もう1つは、これは負け犬で決して言うんじゃないですよ。どんなにでき上がったものが出来が悪かろうとも、私は絶対に実現はさせないかんと思っている。例えば、イギリスのDDAという差別禁止法を作った時に、提案した時の野党の労働党なんです。その時にサッチャー政権は反対したんです。でも、世論を含めて、受け入れざるを得なくて、時の与党のサッチャーが出来の悪いDDAを作ったんです。
それを今度はブレア政権ができた時に手直しをして、我々の見本になるような差別禁止法になったんですね。そういう意味では、一歩前進をしていくことが、我々は運動として絶対忘れてはいかんな、ということを感じています。
ともあれ、この意見書が法律の形になるまで、私は副部会長としてもそうですし、弁護士としてもそうですし、障害者としても、絶対に監視の目を緩めたら、出来の悪いものが出てくるということを頭において、実現まで、頑張り続けんといけんな、ということが、答えになってないけど、今の私の言える言葉です。以上です。
(東) ありがとうございました。
もっともっと皆さんのご意見も聞きたいと思いますし、こちらのコメントもしたいと思うところなのですが、残念ながら、もう時間を過ぎてしまいました。
今日は本当にありがとうございました。皆様のご意見は政府のほうに伝えていきたいと思っております。本当にありがとうございました。どうも、これで失礼いたします。
(司会) ありがとうございました。
以上をもちまして、本日の全てのプログラムを終了させていただきます。ご発言いただいた方々、貴重なご意見をありがとうございました。まだまだ言い足りないことが多いかと思いますが、ご意見、ご感想は本日のアンケートや内閣府で現在実施されていますパブリックコメントでも受け付けておりますので、そちらへよろしくお願いいたします。
長時間にわたり最後までお付き合いいただきまして、まことにありがとうございました。
[了]