
(司会) ただいまより、共生社会地域フォーラムを開会いたします。
本日はご参加いただきましてまことにありがとうございます。
本フォーラムは、障害を理由とする差別の禁止に関する法制の制定などに向けて、障害者政策委員会差別禁止部会でまとめられた意見に基づき幅広い国民の意見を聞き、当該法制の制定に生かすことを目的としています。フォーラムの模様は後ほどホームページに議事録として掲載させていただく予定です。なお、その際には、ご発言者の方のお名前などは公表いたしませんので、あらかじめご了承ください。
ここで、本日のプログラムをご案内させていただきます。
初めに、本フォーラムの主催であります内閣府の障害者制度改革担当室長、東俊裕よりご挨拶をさせていただき、その後「障害を理由とする差別の禁止に関する法制についての差別禁止部会の意見」と題して1時間の基調講演を行い、20分間の休憩を挟みまして、14時30分より指定発言、フロアからの質疑応答を予定しております。フォーラムの終了時間は16時を予定しております。どうぞ最後までおつき合いいただきますようよろしくお願い申し上げます。
それでは、初めに、本フォーラム主催、内閣府障害者制度改革担当室長、東俊裕よりご挨拶申し上げます。
(東) 皆さんこんにちは。今日は栃木に立ち寄らせていただきました。栃木の皆さんのお話を聞いたら、今日はいろんなところで催しがあっており、重なっているとのことでした。そういうなかに集まっていただき、本当にありがとうございます。
ご存じのように、障害者の権利条約が2006年12月、第61回国連総会で採択されました。日本政府は2007年秋にこの条約の批准への思いを込めて署名をしています。しかし、批准には至っていないので、まだこの条約に加盟してはいないという状況です。
条約を批准する場合に問題になるのは、国内法と条約の間に格差があるのか、違いがあるのか、違いがあるならば、それを直した上で条約を批准するということが求められるわけです。
これまでいくつかの人権条約が批准されていますが、このたびの障害者の権利条約の批准に関しては、これまでのやり方を変えようということになりました。まずは、障害者の皆さんに集まっていただいて、どういった点にどういう問題があるのか、ピックアップしてもらって、政府としては、提示された問題点について障害者の制度を改革し、そのうえで批准するということになったわけです。
そこで、2010年1月からは障害者や家族が半数を超える障がい者制度改革推進会議を開いて、今年の3月まで合計38回、1回4時間ほど、議論してまいりました。この推進会議の議長をしていただいたのが栃木県の身体障害者の団体の会長である小川さんです。小川さんには権利条約の制定のときからもそうでしたけども、本当にいろんな形でお世話になりました。
今日のフォーラムで皆様方にご意見を伺う差別禁止に関しましては、制度改革の大きな柱の一つとされていますので、推進会議の下に差別禁止部会を設けて議論して参りましたが、障害者基本法も制度改革の一環として改正され、推進会議自体が障害者政策委員会に引き継がれることになりました。そこで、差別禁止部会も、政策委員会に引き継がれ、今年の9月14日まで議論を重ねたうえで、差別禁止法についての部会の意見をまとめていただいた次第です。
ところが、この差別禁止法というのは、皆さんもよくおわかりだと思いますけども、日本の法制度の中にはこれまでなかったものです。そういう法律を権利条約を批准するに当たって日本の中につくり上げていくにためには、障害のある人たちがこの差別禁止法というものをどう考えるのか、または一般社会の人々がどう考えるのか、こういったことについて議論を広めていかなければなりません。そういうことの一つとして、全国で6カ所、地域フォーラムを開くことになりましたので、ここにもお邪魔させていただくということになりました。
今日は基調講演という形で、ここにおられますけども、差別禁止部会の副部会長をしていただきました伊東委員、それと、後で質疑応答をさせていただきますけども、部会の委員であった大野委員にも出ていただきます。そういう形で、これから4時ぐらいまで、よろしくお願いしします。
今日は本当にありがとうございます。
(司会) 内閣府障害者制度改革担当室長、東俊裕よりご挨拶申し上げました。
続きまして、基調講演「障害を理由とする差別の禁止に関する法制についての差別禁止部会の意見」と題し、障害者政策委員会差別禁止部会副部会長、伊東弘泰様よりご講演いただきます。
伊東弘泰様、よろしくお願いいたします。
(伊東) 皆さんこんにちは。ただいまご紹介いただきました伊東でございます。
今、東担当室長からいろいろご説明がありましたけれども、この差別禁止法という新しい法律をつくるというのは、ここにおられる皆さんの多くの方々も日本で差別禁止法を何とかつくりたい、何とかできないものかと願っていた方がたくさんおられると思います。それが今ようやく2009年から正式に日本の政府の一つのプロジェクトとして動き出して約2年たって、ここに至って皆さんにご報告ができるような段階になったということを、私はいろんな意味で大変感慨深いものを多く感じております。
しかし、これは障害のある方々の世界での話でございまして、多くの日本の社会で障害者の差別、そして差別禁止、一体何だろうかと、多分これからいろいろなところで、既にマスコミにもいろいろ出てきておりますけれども、そういうことを知った一般の方々、一般といっていいのかどうかわかりませんけど、多くの国民は意外に思うのに相違いないと思います。
そういう中でこの差別禁止法を成立させるということは大変な課題、大変な障害がさらにあると思います。今日はそういうことを皆さん一緒にお考えいただきながら、私が単に報告ということではなくて、皆さん一緒にこの差別禁止法を日本の社会につくり上げ、そして、施行できるように一緒に頑張っていただきたいということをまずお願いしたいと思います。
私は、昭和17年2月の生まれでございまして、あと3カ月もすると、私は71になります。ちょうど私の生まれたころは太平洋戦争のさなかでありまして、そして、その後の子供時代から社会に出てきたときにも、日本の社会というのは非常に貧しいところから次第に回復してきた時期であります。
私は物心ついたころより障害が自分にあるということを自覚し、何かショックを受けるとか、そういうこともなく、当たり前のように障害と私自身の人生というのがありました。
私は1歳のときにポリオになりました。そのとき私の父は満州に徴兵されていて、そして、父は帰るまで、私が障害を受けたということを知らなかったわけであります。私はずっと自分の人生、障害を一緒に抱えながらやってきたわけです。
私はポリオで右足がほぼ100%使えませんし、あるいは呼吸器も多少やられましたし、後年になってから気がつきましたら、やっぱり左足にも障害が残っているというのもわかりました。ですから、子供のときからいつも友達とは遊べない、仲間外れに自然になって、そして、戦争中、戦争後も母の実家に疎開をしていたときも、いつも私はほとんど1人で遊んでいるという生活でありました。
私自身も自分が何か差別を受けてきたという思いがそのころはずっと長いことありませんでした。私は、自分にはほかの子供たち、友達と同じようには遊べない、一緒に何かやることはできない、私は障害があるから別なのだという、そういう意識でいましたから、あまり差別だとか区別だとか、そんなような意識はなかったんです。
私が最初に、、差別らしい差別を受けたという実感を持ったのは、小学校に上がるときでした。千葉の農村地帯の母の実家の小学校に、まだ父がシベリアに抑留されていたことから、母と2人暮らしで母の実家に行ったときに、小学校の入学の時期になって、学校に母に連れられて訪ねていったことを今でも覚えています。そのときに学校の多分校長だと思いますけども、学校に来なくていいんだということを母に話をしていたのを思い出します。
つまり、日本には就学免除というのがあって、教育をさせるのは親の義務でありますけれども、学校に来なくていいと、そういう話だったと思います。それが、たまたまその後、小学校に上がる前に父がシベリアから帰ってきて、そして、父の実家の東京に移ることになって、そこでは難なく小学校に入ることができました。つまり、危うく私は学校に行く機会を失うところだったのです。
ある学校では来なくていいと言われ、ある学校では何の問題にもされずに学校に行くことができた、こういう日本の社会であったということを私は後から思い知らされました。
そして、それは今でも日本には明確な基準がないために、ある場所で、あるタイミングで、社会で普通に生活していくチャンスを失ったり、得られたりという明確な基準がない状態で、障害があるという理由で人々はチャンスを失い、権利を失っていくという、そういう状態が実はあるのです。
私は危うく入学拒否に遭いそうになりながらも、それから中学に行き、高校に行くわけでありますが、友達は結構よくサポートしてくれて、その友達の応援で、私は子供時代を過ごしていくことができました。
しかし、遠足に行けないのは当たり前、体育の授業はいつも見学、運動会のときにももちろん何も参加できないというような状況で来たことは、私のやはり子供時代の人生にとって、ある意味では辛いことでありました。
今、私は、私どものNPOで障害のある人のツアーをたくさんおこなっております。中途障害で、脳卒中などで障害を持った高齢者の方々が旅行に行けるようにということで、日帰りから海外まで、年に30回、40回、ボランティアの人たちと一緒にやっておりますが、これは、私が子供時代に障害が理由で遠足にも行けなかった、その悲しさがばねになって、障害を受けた高齢者でも旅行に行けるようにしたいという一つの思いに変わっているわけであります。
私は都立の高校に入るときに、幸い学科試験に通りました。入学の手続のときに、私は学校で別室に呼ばれまして、先生から体のことを大変細かく聞かれました。私は障害があるから当然だろうなと思っておりました。その学校を卒業してから、私は恩師から大変なことを聞きました。私は、入学のときに職員会議で一時入学させないということの結論が出ていたということでありました。それは、決して悪い先生じゃなかったのですが体育の先生が体育の実技ができない者に単位をやるわけにいかないから、入学はさせられないという非常に保守的な意見が職員会議で発言されたために、そのような結論に出かかるところまで行ったそうです。
ところが、ある一人の先生が、学校の教育というのはそういうものではないと、1つの科目に参加できないからといって教育の機会を奪ってはいけないということをとうとうと思いを込めて演説をされたそうです。そして、その先生の発言の結果、私は職員会議で先生方が賛成されて、入学ができたということを卒業してから聞きました。
その先生はちょうど私らと同じ世代のご長男がおられて、そのご長男が障害者だったということを知りました。そのときも私は一人の先生の思いのこもった話で、職員、何十人かがいる先生方の心を変えることができたわけです。私はそこでまた救われました。しかし、その先生がいなかったら、私はどうなっていたかと思いますと、多分入学できなかっただろうと思います。
私はその都立高校で3年間学んで、その間にもいろんなことがありました。その後、私は最大の経験を、自分の人生を変えるような経験をすることになりました。私は大学に入る前に一度就職にチャレンジしました。しかし、私は全ての会社から就職拒否に遭いました。それは、試験の前に学校から書類が送られるときに、学校から会社に問い合わせをすると、障害者は採用しませんという返事でした。先生からも、君、就職のチャンスはないよと言われました。私自身も先生方にお任せしておくわけにいかないので、自分で10円玉をたくさん用意して学校の赤電話からかけまくりましたけど、100社を超える会社から断られました。実際にはあるご縁があって、ある証券会社で試しに受けさせてもらって採用されたのですけれども、私は試験の前に面接もなしに100社以上の会社から書類を送り返されてきたのです。それは私にとって屈辱とも思えるような社会の矛盾に出会った、一番大きな出会いでありました。
私はその後、大学に行き、卒業するときには、もはや自分で就職をするのではなくて、何としても障害のある人に対する社会の差別というものを変えなければ、これからもたくさん出てくるであろう障害のある人たちの人生を全くむなしいものにしてしまう、こういう社会をいつまでも続けているようでは私は忍びないと、私の母や父の思いもあり、そのことに非常に私は奮い立つことになりました。
私は大学の4年の夏から準備をして、障害のある人たちも仕事ができるのだということを社会に証明するために会社をつくることになりました。昭和41年の3月に卒業して、4月に今のNPO、日本アビリティーズ協会という障害当事者による一つの組織をつくりまして、そして、保障よりも働くチャンスを、ということをスローガンにして、東京の大田区という町工場の多いところでその運動を始めました。
2カ月後に小さな印刷会社をつくりました。障害者6人で始まったのですけども、なぜ印刷会社かというと、今、新宿の早稲田の近くに戸山ランライズという、障害者のいろいろな社会福祉の会があると、そこでよく開催されますが、そこに国立の身体障害者の更生相談所がありました。当時はそこに全国からいろんな障害の方々が集められて治療を受け、職業訓練を受けて社会に出ていったのです。そのときの代表的な職業訓練は、印鑑彫り、それからガリ版印刷、それと、時計の修理でした。そして、印鑑とか時計の修理は結構仕事になったのですけども、印刷の仕事というのはやっぱりなかなか大変で、まず、紙が重たい、納期に追われて夜遅くまで仕事をやるということで、就職ができてもすぐにやめてしまうということで、就職できない人がたくさんいました
私は印刷の仕事を何も知らなかったのですが、たまたま印刷会社の方が応援してくださるとなって印刷会社をつくりました。私も学生時代におじの会社の再建を手伝ったりしたので、多少金があったのですが、10人の方に10万円ずつ出資していただいて、私は50万円出して、150万円の小さな会社をつくったのです。金がないから機械は月賦で買いました。だけど、10カ月たたないうちに金が底をついて、経営は非常に厳しかったです。お客さんもだれもいません。そこの更生相談所の訓練を受けた方々も印刷の技術は拙劣たるもので、何を教わってきたのか、何を教えていたのかと思うような程度のことでありました。しかし、中にはすばらしい活動を後にされるような方もおられて、東室長と同じように車椅子で弁護士になった村田稔さんという、その方もそこの出身でした。
そういう始まりでありましたが、もうずっと厳しい、いつ倒産してもおかしくないような状態が続きましたが、最後の最後まで踏ん張っていると不思議に道は開けるもので、何とか倒産しないで46年間、今まで持ち続けてくることができました。
私は、5年たって何とか株主の皆さんにも配当ができるようになったころに、たまたま労働大臣になられた原健三郎さんという淡路島出身の方に出会うことができました。私が翻訳した本を原大臣が「この夏薦める3冊の本」という推薦を週刊文春に書いてくださったのです。すぐ私は手紙を出し、同じ大学の出身ということもあって、すぐお会いくださいました。私は5年間の営業成績を全部つくって、そして、障害者雇用対策の新しい法律についての提案書を持って大臣のところへ行きました。
大臣は、ありがたいことに非常に歓迎してくださり、20分という約束が2時間になり、若い管理職や局長クラスの方を呼び集めてくださって、その2時間の最後に障害者雇用対策の見直しをという大臣指示を出してくださったのです。それが4年たって、今施行されている障害者雇用促進法という法律をつくるところにつながりました。
当時は企業は1.3%以上の障害者を雇用するということだったのですが、実はこの法律をつくるときにも経営団体は反対しました。そして、労働団体も反対しました。その結果、できたのが、1.3%雇用未達の場合には、今現在1人につき5万円の納付金というのを払えばいいということになったのです。そういう妥協的な案ができたために、現在でも企業の50%、約半数が雇用率を達成していない状態になりました。もしそれがなければ、今の障害者の雇用は少なくとも今の2倍にはなっているはずです。しかし、その法律ができたおかげで障害者雇用の法的な根拠、そして、そういう義務というものが日本の社会で本格的に動き出すことになったのです。
最初に申し上げたように、この差別禁止法も最初はなかなか期待するようには動かないと思います。しかし皆さん、ここで差別禁止法ができれば、着実に障害のある方の社会での位置づけ、差別というものは、改善していくはずです。ですから、私どもはいろいろな社会の反応に対しても、一歩一歩ここで我々の基盤をつくり上げていかなければならないときなのです
今、私どものNPO、そして、私が46年前につくったアビリティーズ・ケアネットという会社、大変申しわけありませんが、あえて申し上げれば、障害者による障害者のための会社は、こういう会社が、障害者ばかり働いている会社が大きく発展するのは間違いだと私は最初から思っておりました。ですから、今はできるだけ普通の会社になろうということで、一時は障害者の雇用率が80%、社員の80%が障害者という時代もありましたけれども、今は10%程度まで下がっておりますが、全体で約900名の人が働くところまでまいりました。ですから、どこにどういう障害の人が働いているかは余り意識しない、ごく普通の会社として、しかし、重度の障害者が働ける、そういう会社になることができました。
私どもでは、障害のある人も原則的には同じ給料です。障害があるからといって、障害を理由に給与を差別するということはありません。その人の能力、成果、それで給与を決めるという方針を現在も貫いておりますし、仕事の面では大変厳しい競争の中で、それぞれが能力を伸ばすということをおこなっているわけです。
日本の社会では差別禁止法の中でも大きなテーマとなる雇用就労という部分でいえば、約60万人の障害のある人が働いていると言われておりますが、そのうちの20万人の人は、一般企業に勤められないで作業所や小規模の授産施設で働いていて、月に1万2,000円程度の金額しかいただけないという、残念なことにそういう社会にまだとどまっているのです。これは、私は決して障害者の職業能力が低いということで考えてはいけないことだと思います。働くチャンスがないのです。働く場がないのであれば、あるいはその仕事に耐えられるような教育を受けて、医療を受けていれば、できる人はたくさんいるんです。しかし、そのチャンスも支援もないために、一回しかない人生を、青春の時代を無駄にしている人がたくさんいるということを私どもは意識しなければなりません。そのためにも差別禁止法を実現しなければならないのです。
さて、差別禁止法といっても、障害のある方でさえも、差別されている実感を持っていない方も多いと思います。福祉の制度が弱い、足りない、しかし、差別されているとは、そういう思いを持っている方は少ないと思います。つまり、福祉は不十分だけど、別に差別されていない、みんな周りはよく協力してくださっているというふうに思っておられると思います。
そして、憲法にも基本的人権、憲法から正しく抜いてきたのですけども、14条には、全て国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地、出身、家柄や出身により、政治的、経済的または社会的関係において差別されないと、憲法は国民との間でこの約束を明確にしているわけです。しかし、どうでしょうか。雇用の現場では差別されています。教育の現場でも普通校になかなか受け入れられないという状況があります。あるいは、差別禁止法の大きな課題であります政治的参加、政治の参加においても、いまだに投票に行けない方、投票場があっても投票のできない方がいるという政治的な差別は存在しています。
15条にありますように、公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利であります。この3項にありますように、公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障するとなっております。しかし、障害のある人が議員に当選することはできても、例えば言語の障害のある人が自分の意見を、発言しようにも代理人ではだめ、パソコンではだめというようなことで、障害のある人が正しくその権利を行使する場面というのは、実態としては存在しておりません。
26条には、全て国民は法律の定めるところにより、その能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する、2項に、全て国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする。私が先ほど自分の例で申し上げたように、学校に行きたくても、就学免除があるから来なくてよいといわれ、障害があるがゆえに学校に行けない、そういうことが現実に今でも存在しているのです。教育の権利、義務、保障されていないのです。
27条、全て国民は勤労の権利を有し、義務を負う。勤労の権利も守られていないのです。憲法は国家と国民に対するいわば契約書です。これが日本の社会では実現していないということであります。
一方で、障害者基本法を確認してみたいと思います。
これは憲法の11条の基本的人権の享有を妨げられないということで、この憲法が国民に保障する基本的人権は、犯すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与えられる。ここに集約されるように、このことも達成されていないわけであります。
障害者基本法というのは、初めは昭和45年に出されております。そして、最近では、平成23年7月の末に基本法の改正が行われました。その前は平成17年であります。
基本的に私はこの23年の改正というのは非常に意味があると思っております。なぜかといいますと、右側のそれ以前の平成17年の場合には、目的のところに、この法律は障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し基本的理念を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進し、もって障害者の福祉を増進することを目的とする。つまり、福祉の理念なのです
これが23年の改正では、根本的に違ったところがあります。これは先ほども基本的人権と、いわゆる人権を意識して、この基本法が改正されています。読みますと、この法律は、全ての国民が障害の有無にかかわらず、ひとしく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、全ての国民が障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本原則を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進することを目的とする、回りくどい言い方ですけれども、それ以前の基本法は福祉、援助なのです。それが国民として、人権として、国家、地方公共団体が施策を講じなければならないということになった。私は、2009年の政権交代以降、新しい道が障害者福祉の分野でも開けてきたということを皆さんにも感じていただきたいのです。
このように若干、根本的なところは変わってきましたがで、それ以前の段階で差別を受けたということで、障害当事者あるいは団体がかなりいろいろな訴訟を起こしておられます。そして、各地で起きてきた訴訟が、裁判ではほとんど負けています。障害者基本法でも保障されているにもかかわらず、裁判でなぜ負けるのか。これについて、いくつか例を挙げてみたいと思います。
これは今、東室長のもとで内閣府の担当室で政策企画調査官をしている金さんが、今から9年ほど前に私どものNPOの会報に寄せてくださったところから抜粋してきたものです。神奈川県で起きた、授業中に擁護学校の生徒が溺死したという事件があります。担任の教諭、体育の教諭によってマンツーマンで訓練を受けていたのですけれども、水を飲んで死んでしまった。そして、損害賠償の請求が7,150万円の請求が起こされました。ところが、罰金は20万円の命令が出たのです、両親は納得せずに民事訴訟を起こしました。慰謝料と葬祭費として、支払いを命じましたが、逸失利益として算定したのは、障害者の平均年収からでありました。逸失利益の算定について、不当な差別をしているという事例です。この大きな差は何か。もちろん請求と結果は差があるのは普通だと思いますが、最終的には総額で出たのは平均年収、地域作業所で働いている障害のある人の年収を基準として、総額で約120万円という算定をしている。出たのは120万円であったということです。つまり、この子は障害があるから、将来も稼得能力は、つまり稼ぐ力がないから、120万円と算定した。もうここにその子の将来展望について裁判所が非常に低い評価をして、明らかに障害のある人、ない人との差をここで裁判所が明確にしたわけです。
これは事例の2ですけれども、心身障害児の通所施設の体罰事件、実際に東京であった話でありますが、通所施設で職員から鼻血が出るほどの往復ビンタなどの体罰があったと、自閉症の子供です。そして、運動会の練習日、保母の体罰を認めたが、それ以外の日常的な体罰については認められず、Bさんの慰謝料はわずか3万円という結果だったということです。
この背景には、強制的な訓練をベースとする古いタイプの行動療法はよいものであるという、そういう認識を裁判官が持ったと、裁判官の勉強不足による判断から行われたということで、障害が一体何か、どういうことなのか、あるいは障害に対する対応はどうすべきかということが非常に間違った誤解のもとに、こういうような判断が出されたということです。これは明らかに障害のある人とない人に対する大きな偏見と間違った対応で、裁判結果は実質的にほとんど効果がなかったような結果だったということであります
これはJRの列車に乗ろうとした方が、車椅子対応のトイレがなかったために、行こうとしたところに行けなかったということで、言ってみれば、切符を買っても行けなかったということで、しかし、これについても、車椅子対応のトイレをつけるかつけないかは、これはJRサイドの判断と対応だということで、結局これは敗訴になりました。ですから、この根拠が何だったのかはわかりませんが、憲法と照らしてみれば、当然憲法どおりにはなっていないし、配慮されるということにもなっていないし、あるいは切符を買うというのは、一つの契約行為だと思いますが、それでもそこに行けなかったということで、こういうようなことが当たり前に差別としては捉えられていない社会が今に至るまで続いているわけです。
このように裁判でも勝てない、それはなぜかというと、日本弁護士連合会の方も一緒に私どもに協力いただいて運動展開している中であっても、憲法や障害者基本法が裁判の判断の根拠になる規範性を持っていないためだと、だから、憲法や基本法に書かれていても、それは、裁判として勝つための判断材料になる根拠にはならないということが大きな今の問題なのです。理念法だからだめだということで、このことについては東先生から後でまたコメントをいただければありがたいですが、今までの法律では、差別はなくならないということなのです。
こういう日本の社会の中で、一方で差別禁止法という世界の潮流が1990年代から大きくうねりを見せてきました。この差別禁止法が最初にできたのは、90年にアメリカでADAという法律でありまして、92年にこれが施行されます。これは、我々、皆さんもご存じのとおり、障害者運動にとっては大きないい意味でのショックでありました。いろいろな方々が日本でも差別禁止法をつくろうということで、大きく動いてきたわけであります。
海外では、特に2000年に今のヨーロッパ連合が27カ国当時ありましたが、同様にインクルーシブな社会構築ということで、特に雇用の面での加盟国全体での法制化が行われまして、同時に雇用の分野以外の面でも差別を禁止する立法を各国がつくって、今、EU加盟の一つの条件になっているぐらいであります。
日本ではどうだったかと言いますと、90年代に大きな障害者運動のうねりの中で、差別禁止法についての関心が高まりましたけれども、それは日本では無理なのだという残念な思いに我々も一時的になりました。
そして、2001年の9月に国連は日本政府に勧告いたしました。国連の委員会が日本政府に対して障害者に関連するあらゆる種類の差別を禁止する法律を制定するようにという勧告を受けました。しかし、残念ながら日本政府は実効効果のある差別禁止法制の取り組みはいたしませんでした。これは多くの国民、ほとんどの国民、マスコミを通してもほとんど紹介されることなく、これは知ることがなく途切れていきました。
ところが、日本弁護士連合会の皆さんが、ちょうどこの2001年の、勧告を受けた直後の11月に奈良県で、第44回の人権擁護大会で日本でも障害のある人に対する差別禁止法律法をつくることを目指す議論をしてくださったのです。これは大きなインパクトがありました。そして、条文の事例までつくられました。ちょうど私ども障害者団体もこの2001年の12月に障害者の日に差別禁止法をつくる運動体、差別禁止法をつくる全国ネットワークというのを今現在17団体で組織しておりますが、それをつくることになりました。また、例えばDPI日本委員会などもこの運動にずっと取り組んできましたけれども、2001年ころから大きく色々な団体が全国的に活動をまた再開するようになったのです。ちょうど12年前の話になります。
そして、さらに大きなきっかけは、千葉県で堂本さんという知事が、2006年から国に先んじて障害者差別を話し合いで解決することを標榜して「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」というのを議会で決めました。当時、国が差別禁止法に消極的であったわけでありますが、知事がリーダーシップを発揮して強力に取り組んで、国内初の差別禁止条例が千葉県で誕生しました。そして、2007年7月に施行されました。その影響を受けてか、今、北海道を初め、熊本などいろいろなところで国に先んじて条例ができているわけであります。
さらに、国連は、先ほど東室長からお話がありましたように、障害者権利条約というものを国連の総会で採択したわけであります。これが2006年の12月でありました。この障害者権利条約については、日本でも当初、政府は非常に消極的といいましょうか、日本の考え方と合わないところが幾つかあったようでしたが、最終的には2007年の9月に、当時、高村外務大臣が国連に行って署名をされたということであります。
障害者の差別禁止法についてはアメリカから始まりましたけれども、この障害者権利条約は、国連が世界全体共通の課題として、そして、共生社会をつくる、障害を理由に差別されないという、そういう社会を実現しようということで始まったことであります。この権利条約を日本も実際に署名をしましたけれども、まだ批准をしていない国でありまして、もう既に批准している国が聞くところによると100カ国ぐらいあると聞いておりますが、日本ではまだ批准をしていない状況にあります。その批准をして世界水準並の障害者の権利を認める社会をつくる前提として、さまざまな国内法を整備するために差別禁止法をまず根幹として制定することが大きな課題なのであります。この差別禁止法ができなければ、中身のない表面的な権利条約の批准ということになりかねない、きわどいところに今あるというわけであります。
差別禁止法理念は3点ありまして、差別禁止法をつくるということは、差別の解消に向けた取組みが重要になります。差別を解消していこうという思いを明確にすることであります。完全参加と平等の実現のために差別を解消しよう。それから、2番目は、差別の解消といっても、相手方を一方的に非難し制裁を加える、罰則を加えるということではなくて、共生社会、つまり共に生きる社会の実現のために共通のルールを機能させることであります。
共通のルール、例えば私の個人的な例で申し上げましたけれども、入学の拒否、就学免除、学校に来なくていいよと、これがその子のためになるのだと一方では考えています。しかし、一方ではそうではなくて、学校に行けるということが一番望まれていることなのですと。子供というのは、障害のある子供も同じように教育を受けられるということを確保する、そういう共通のルールというものを確立していく。無理して学校に来なくていい、無理して働かなくていいというような、一方で思いやりと思っているかもしれない。しかし、そうではなくて、いろいろあっても同じように教育を受けたい、働きたいという、それが社会の共通のルールにしようという、そういうルールを機能させるということであります。
それから、3番目は、差別を解消することは障害者だけではなくて、今や日本も少子・高齢化社会で、既に高齢化が23%を超えています。そして、65歳以上の6人のうちの1人は介護を要する人になっています。この人たちを当たり前に人間らしい生活ができる、そういう社会にしなければなりません。つまり、差別禁止法をつくるということは、子供時代から障害を受けた人だけではなくて、高齢化すれば、大抵の人が虚弱化していって、今までの生活がうまくできなくなる、それをできるようにするという、そういう新しい社会への取組みなのだということを社会全体が認識して、意識して、それに向かって行動すると、そういう新しい時代の理念を固めようということなのです。
この差別禁止法の目的は、大きく分けると4つあります。1つは判断基準、つまり何をもって差別とするのか、差別に当たらないためには何をしなければならないのか、こういう共通のルールの基準をつくり上げる。
2番目は、法的に差別から守る、法律として差別から保護することを目的として、話し合いによって社会の理念をつくり上げていこうと、そして、しかもそれは問題があれば、そこで食い違いがあれば、迅速に、そしてできるだけスムーズに話し合いができる、そういうような解決の方法を確立しようということです。
それから、差別を起こさないためにお互いに社会を啓発し、相談体制をつくり上げる。
そして、4番目は、先ほど申し上げたことと共通する共生社会、どんな状況の人でもともに生きていかれる完全参加と平等の共生社会を実現していこうということであります。
そのために、今日は詳しく申し上げる時間がありませんけれども、この差別禁止部会ではいろんな議論がありました。いろいろなことを明らかにしていかなければなりません。たとえば、この意見書の中では、障害というのは一体どういうことなのかと、障害の定義ということが大きな議論の課題でありました。障害というのは一体どういうことなのか。
次に、2番目は差別、一体差別というのはどういうことなのか、何をもって差別とするのかということを長い時間をかけて議論をいたしました。
3番目は、差別をなくすために合理的な配慮、何らかの配慮をしなければいけない。その合理的な配慮というのは一体どういうことなのか。そして、合理的な配慮がされないと、これも差別だということが、つまり何らかの差別があるけれども、差別をなくすために、別の何らかの対策、対応を提供することをしなければ、これもまた差別であること。
それから、何でもかんでも対応ができるというものではない。例えば、お店によっては、あるいは会社によってはとてもできない、会社が潰れるぐらいのお金がかかる、それでもやるということではなくて、過度な負担については、それはまた別の配慮をしよう。だから、過度の負担について、いったい過度の負担というのはどういうことなのかということも考えなければいけない。
それから、5番目は不均等待遇。障害または障害に関連する事由を理由として区別したり、配慮したり、あるいは制限したりする。例えば、あなたは障害があるから、これはあなたには無理だと、できないと、障害があるからお店に入ることを断る、これは非常に直接的な障害、差別です。でも、障害があると言わないで、車椅子に乗っているから、車椅子ではほかの人に何か迷惑がかかるかもしれないから、店に来てもらっては困る、ここを利用してもらっては困る、これはまた別の少し違う差別である。そういうようないろいろな障害の場面を想定して、一つ一つ考え方の整理をするということをこの部会では行ってきました。
そして、これらのようなさまざまな差別もいろいろな場面とかいろいろなサービスによって具体的に出されるものが違ってきます。そこで、いろんな分野のことを配慮して、基本的な考え方を差別禁止部会では議論して意見書に求めました。例えば公共施設、例えばここは特に県の関係の施設だと思いますが、レストランとかホテルなども、これは公共施設ではなくて公共的施設、誰もが出入りする施設である、こういうところの場面、あるいは皆さん、パソコンが一般的になりましたけど、情報やコミュニケーションに関する場面では一体どうなのか、あるいは商品やさまざまなサービス、不動産、よくあるのは、障害があるから部屋を貸さない、障害があると、何が起きるかわからないから貸さないというような不動産の関係の問題。あるいは医療の面、障害者だからコミュニケーションが十分できないからといって十分説明をしないで医療を提供してしまうような医療機関もざらにあります。それから、先ほど申し上げた教育の場面、そして、大きい雇用の分野、それから国家資格、障害があると、こういう仕事にはつけない、国家試験も受けさせないという欠格条項がまだかなり生きています。あるいは家族間の問題、障害者にとっては、家族は必ずしも障害のある人の代表、かわりの立場ではありません。あるいは政治参加というような場面も選挙権の問題もあります。あるいは司法手続、裁判所あるいは警察というところでも、いろいろなまた違う面があります。
そして、この差別禁止法では、紛争が起きたときにどのように解決するかという手順も基本的な考え方を入れてあります。紛争をできるだけ速やかに、できるだけ早くスムーズに解決しなければいけません。この紛争解決の仕組みというのが非常に大事であります。
もう時間が参りましたので、これで終わらせていただきますけれども、私は仕事の関係で海外によく参ります。
92年からアメリカのADAが動き出しましたが、例えばニューヨークに行って、ものすごく土地の高いところで、何でも物価が非常に高いのですけれども、一等地にすばらしいレストランがある。1階のレストランの1階に車椅子用のトイレがあるところが非常に多くなりました。
私はいろんなところに行って試しに聞くのです。ADAができて、物入りで、いろいろこういうところに設備はお金がかかって大変ですかとわざと聞くのですが、そうすると、多分本音だと思いますけど、いや、そうじゃないと言うのです。こういうホテルのレストランとか普通のレストランでも、こういうふうにしてレストランにお店をつくった結果、高齢者のお客さんが大変増えましたと言うのです。つまり、高齢者一人で来る人もいるのでしょうけど、高齢者がいることによって、その仲間も家族も一緒に来ると話しされるのですから、そういうことをきかっけにして高齢者向きの日本食までありますよとか、日本食が健康にいいというので、ステーキハウスにもちょっとデザートにお寿司を出すというような、そんな店もあるということもわかりました。
差別禁止法ができると、いろいろな会社がいろんな配慮をしなきゃいけないから大変だという話を本音で語られる方がいました。これは、日本の場合です。でも、そうではないのです。今までの鉄道もバスも高齢者や障害者が利用することを前提にしていなかったから、健常者だけの利用で考えていました。その結果、お客さんがどんどん減っているのです。そうじゃなくて、高齢者も障害のある人も行きたいところに行ける、生活をエンジョイできるような、そういう場面をつくれば、必ずそのお店は栄える。ビジネスは栄えていくはずです。また、それをしなければ、日本の経済もどんどん落ち込んでいくに違いないです。鉄道やバスはタクシーにとられていきます。そういう時代に入っているのだと、これが、そのことを意識して共生社会をつくるために差別禁止法というのは、経済活性化のためにも非常に重要な法律になるはずだと私は信じております
そして、皆さん、この差別禁止法をつくるにあたっては、よい法律だからといってスムーズにいくと思いません。これからが大変なのです。今までのことを変えなきゃいけないということは、行政も民間も大きな決心と行動を起こさなければいけないのです。それを嫌がる人たちは必ずいます。だけど、これからも生まれてくる障害のある子供たちのために、今こそ、今こそ社会を変えて、一回しかない人生を障害のあるまま不自由な生活をしながら命を終わっていくような日本にしておいてはいけないと思います。どうか皆さん、その思いを持って一緒に法律をつくるために協力をしてください。これで私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。
(司会) 伊東弘泰様、ありがとうございました。
これより休憩とさせていただきます。プログラムの再開は14時30分を予定しております。お時間までにお席にお戻りいただきますようお願いいたします。
本日ご来場いただきました皆様には、アンケートのご協力をいただきたいと存じます。皆様の貴重なご意見を承りたく存じますので、アンケートにご記入の上、休憩中または閉会後にスタッフにお渡しください。皆様のご協力を心よりお願い申し上げます。
(休憩)
(司会) それでは、プログラムを再開いたします。
初めに、登壇者をご紹介いたします。
障害者政策委員会差別禁止部会副部会長、伊東弘泰様。
障害者政策委員会差別禁止部会委員、大野更紗様。
内閣府障害者制度改革担当室長、東俊裕。
今回は限られた時間の中でさまざまな方面からご意見をちょうだいする趣旨から、あらかじめご発言をいただく方を指定発言という形でお願いしております。どうぞ今回の差別禁止部会の意見について忌憚のないご意見を承りたいと存じます。
それでは、初めに、お名前をご紹介させていただきますので、その場で講演などをお聞きになられた感想やご意見をいただければと存じます。
では、指定発言者Aさん、お願いいたします。
(指定発言者A) ただいまご紹介いただきました宇都宮市のAと申します。発言者のトップで大変僣越ではございますが、文章にかえて発言させていただきます。
私は進行性筋ジストロフィーのため、14年前から車椅子生活を余儀なくされていますが、長年住みなれた地域において、在宅にて生活しております。
病気の進行につれて徐々に四肢が不自由になり、今では何一つとして一人でできることはありません。日常はヘルパーさん、訪問看護師さん、ボランティアさん、友人など多くの方々やいろいろな福祉機器に支えられて生活しております。
随分と不自由な毎日になりましたが、決して不幸な毎日ではありません。これからも以前からの思いのとおり、ごく普通に、当たり前に、加えて優しく、楽しく生きようと思っております。
しかしながら、体に障害を負ってからというものは、現実的にごく普通に当たり前に生きるということへの大変さや厳しさを痛感することしきりです。それは障害のない人を中心につくられた今の社会の仕組みの中で、さまざまな障害のある人が日常生活や社会生活を送るには、多くの分野の多くの場面において、余りにも多くのバリアや制約に直面するからです。
例えば買い物や食事、劇場、趣味の達成、レジャー、研修等さまざまな用件で一歩外へ出ようとすると、そこには段差がないかとか、エレベーターはあるかしらとか、車椅子トイレ、車椅子駐車場はあるのか、それから、交通機関はうまく利用できるだろうかなどなど心配があり、結局は事前に調べたりして、バリアのないところを選ばざるを得ません。また、希望する地域の幼稚園や学校などに上がりたくても、そこにもバリアがあってなかなか入れなかったり、障害者の施設から自立へなどと促されても、雇用先もままならず、たとえ雇用されても、待遇に差があったり、退職を余儀なくされたり、さらには自立生活を送るのに必要な社会の環境も十分に整備されておりません。
これらの差別的だと思われる事例はほんの一例に過ぎません。一人一人、障害の差別や程度は全部違いますが、それぞれ負う障害により、誰もが日常的にこのような差別的なことや制約に直面しております。
また、社会の多くの人々の意識の中には、障害への理解不足や偏見が根強くはびこっております。私は、この理解不足や偏見こそが差別を生む大きな一因になっているものと考えます。
障害のある人をかわいそうな人、気の毒な人、おまけに性格までがいじけているとか、ひがんでいるとか、陰湿だなどと思われております。こんな言葉を聞くとムカッときたりもしますが、こんな心ない意識には遠慮したり小さくなって生きることなく、人々にもっと障害について知ってもらうため、私たち障害者みずからもさまざまな場面で人々との接点を見つけたり、積極的に交流の場などに参加をしたりして理解を深めてもらう努力をする必要があると考えております。
資料によりますと、今、整備に向けて検討されている差別禁止法は、国のバリアフリー施策や障害者総合支援法では支援し切れない部分の事項が盛り込まれ、広い分野の多くの場面において差別が想定されるような事項を禁止する規定がされるようです。障害のある人、ない人の分け隔てされるようなことなく、相互の人格と個性を尊重し合いながらともに生きる社会が実現されるよう、差別禁止法の制定されることを切望する次第でございます。
以上です。
(司会) Aさん、ありがとうございます。
それでは、これに関して登壇者の方々よりコメントをいただけますでしょうか。
(伊東) 伊東です。Aさん、どうもありがとうございました。
今、Aさんからすばらしいお話、そして、その中に大変、差別禁止法を実現するために大事な幾つかのお言葉をいただきました。障害についての理解不足と偏見という、それに満ちあふれたそういう今の社会を変えていかなければいけません。障害のある人は気の毒な人、できない人だという、そういう誤解がいっぱいあって、それを障害というのは一体どういうことなのかということを知ってもらうためにAさんご自身が、Aさんの言葉で言えば接点を見つける、あるいは交流に参加する、そういうことで一生懸命努力を続ける。そして、お互いに個性を尊重するという言葉がありました。
やはり従来の固定観念から離れて、障害があるということは、それが一時的にしろ、長期的にしろ、誰もが同じそういうリスクがあるんだということ、そして、そういうリスクを負ったときにも、誰もが社会で一人の人間としてなおも質的に高い人生を確保するべきなんだということを共通の理念として確立していくこと、それがやはり差別禁止法の狙いでもあり、そして、障害があるからといって、それで気の毒な人というような社会にならない社会をつくろうという、そういうことが大変大事なわけであります。まさにAさんはそのことをご自分の生活、姿勢をもって実践されておられるというのは大変すばらしいと思います。
私は、障害があるからといって実際はこうなのだよと、こういうすばらしいことがいろいろあるのだということを障害のある方々からもみずからを、私も自分をさらけ出してつき合うほうなんですけど、それをやっていくことによって社会全体が変わっていくある意味では自分を一つの例にして世の中を変えるような、そういう活動をみんなでやっていったらば、多分変わると思います。Aさん、これからもぜひひとつ検討してください。
ありがとうございました。
(司会) Aさんでした。ありがとうございました。
続きまして、2人目の指定発言者としてBさんお願いしておりましたが、本日ご欠席となりました。原稿をいただいておりますので、代読者Zさんより代読していただきます。お願いいたします。
(代読者Z) Bさん、娘さんが遷延性意識障害で24時間介護が必要ということで、それが家族同士で介護している関係で非常に疲れて、本日体調が悪いということで、かわりましてZが代読いたします。
栃木県遷延性意識障害団体RのBです。このたびは本フォーラムでの指定発言の機会をいただき、誠にありがとうございます。
しかるに大変残念なことですが、医療機関はもちろんのこと、福祉行政に携わっておられる関係の方々におかれまして、遷延性意識障害の実情をご存じの方が極めて少ないことです。その原因は種々考えられますが、まさに遷延性意識障害なる名称から来る一般社会への認識の誤謬から来ているのではないかと思われます。昔は、植物人間、「植物症」と呼ばれ、30年前のいわゆる交通戦争と謳われた時代にマスコミを通じて大々的にこの呼び名が流れ、一般大衆に浸透し、逆に世間からの同情を受けたことは否めません。
しかし、このような症状の患者が増え、いち早く1972年に日本脳神経外科学会が「植物症」は、本フォーラムの議題でもある差別用語だとして、遷延性意識障害に変えられた経緯があります。この変換は患者にとって大変ありがたい名称に違いありませんが、一面、この名称に左右され、実際の患者の症状と異なる症状が多く、例えば意識障害と言うイメージから、患者には専門の脳外科医でさえ意識がないと誤解され、あってはならない「脳死」と混同し、「尊厳死」を提唱する医師が後を絶ちません。差別を回避されたのが回り回ってよりひどい差別に発展してきている現状があります。
私の子どもを含め、今の遷延性意識障害の患者は、意識はあるが、自分で意志を他人に伝えられないコミュニケーション障害と称すべきでしょう。このことがまさに昨年海外で遷延性植物症(PVC)を改め、無応答覚醒症(仮称で正式名として未公認、英文名はUWS:Unresposive Wakefulness Syndrome)に変更すべきとの医学論文が発表され、全国遷延性意識障害者団体が中心になり、日本の医学学会に提案しようとの動きに繋がっております。
今回のこのフォーラムに当たり、次のことを力説したいと思います。
多くの遷延性意識障害者は主に外傷傷害、交通事故、スポーツ事故、労災等による脳血管障害、病気がもとで起こる脳梗塞、脳出血からの原因によるもの、さらに溺水事故等による低酸素脳症があります。このように原因は明確ですが、治療法は確立したものがありません。
ただ、遷延性意識障害は、一般に事故、病気等で、救急救命で最先端の医療技術により一命をとりとめた後の後遺症として位置づけされており、本来、医療の範囲は、患者がもとの状態、もとの生活、もとの社会生活に復帰するところまで含むべきところ、日本の医療体制、医療技術はこの一命をとりとめたところで終焉してしまっており、後遺症に対する身体機能の回復に必要な身体リハビリ、嚥下リハビリを含み、適切なリハビリ等の指導はもとより、病院紹介すらない状態で、全て患者の家族の判断にゆだねられています。そればかりか、「何をやっても治らない、一生寝たきりだ、どの病院にも入れてくれない」との悲観的で屈辱的な無慈悲としか思えない言い方で、患者はもとより患者家族を翻弄し患者家族に大きな動揺とショックを与えているのが現状です。
これを今回、差別禁止部会でまとめられた第4節第1「初めに」の文にうたわれている、「そもそも医療分野は役務の提供の一つであるが、国民の生命と健康にかかわるものであるので、医師等の高い専門性を有する者だけに独占をゆだねられた分野である」との文言に照し合わせると矛盾を感じざるを得ません。この文章から推測されることは、医者を人命にかかわる役務であるがゆえに非常に特別扱いしている気がします。医者を余りにも神格化し、医者のやることは全て正しく、全ての医療差別は、受ける側の能力、許容量に問題があり、医師は間違ったことを決してしないということを暗に含んでいるようです。まさに長期日本に根づいた典型的医学モデルの弊害と言えましよう。医者も人間、間違いもあり、したがって、まだ確立していない医療分野も多いはず。そのことを無視し、自分達の知識と経験に頼り過ぎ、自分がベストだと思い込んでいる医師が多いと感じられます。完全に確立された治療法がないのはやむを得ないとしても、この遷延性意識障害に関する限り、医療従事者の対応に疑問を持つところが多いのです。
次に、差別された具体例として幾つか挙げてみます。
先ず、遷延性意識障害患者は、ほとんどが気管切開、胃瘻造設状態で手間がかかり、厄介がられています。症状が慢性化すると診療報酬が安くなるため、病院経営が成り立たないという理由で受入れを拒否され、病院のたらい回しが始まります。
2番目、病院内では、意識障害患者は効果ないとリハビリテーションを拒否する病院がある。
3番目、医師による不本意な誠実性のない発言(一生寝たきりで治らないよなど)による家族の落胆は想像を絶するものがあります。家族会の会員の患者では、絶対治らないと言われながら、全快に近く回復した例も多くあります。
4番目、遷延性意識障害患者は全国で五、六万人と言われていますが、いまだ国の正式な実態調査はありません。
5番目、遷延性意識障害はALS神経難病と同じ重度障害部類に入るにもかかわらず、いまだ難病、特定疾患等の指定区分がありません。
6番目、治療が完全でないにも拘わらず、治療途中で頻繁に転院を迫られる。多い場合には11回、平均6~7回も転院させられている。
7番目、患者が物を言えないことをよいことに医療ミスを認めようとしない。家族会員の子女が吸引による出血で応急措置で一命を取り留めたものの、専門の耳鼻科に転院させず、自分達だけで治療を続け、最終的に死亡に至った例があります。
8番目、遷延性意識障害を「脳死」と同等扱いする医師がいます。
9番目、遷延性意識障害患者は、2カ月以上回復しない場合は、尊厳死の範疇に入れるべく法制化が進めている団体があります。
10番目、遷延性意識障害患者は重度の感染症を起こしやすく、手術を繰り返すと、決まって病院は命を助けるのが本命にもかかわらず、必ず尊厳死を提唱されます。
11番目、やっと転院が決まっても、先方の病院から、患者が意識障害の場合、「心肺停止となったら心肺蘇生をしないという条件なら受け入れる」という返事が返ってきたので、こちらからお断りした例もあります。
12番目、遷延性意識障害患者は物が言えぬため、医師の診断は最新の診断計機に頼らざるを得ませんが、悪くなる前の患者の兆候を的確にキャッチし、悪化を防ぐ予防医療が優先されるべきところ、それが一番詳しい家族の訴えを真剣に聞こうとする医師が少ない。
13番目、市町村の障害福祉サービスの一環としての訪問入浴では、遷延性意識障害患者の場合、家族からの要求が多いため、往々にして嫌われ、あげくの果てにサービスを拒否されることがあります。
14番目、在宅療養での開業医の訪問診療もまた遷延性意識障害患者は経費が掛かり過ぎ採算が合わないという理由で断られることがあります。特に人工呼吸器をつけている場合は断られることが多いようです。
15番目、在宅療養中のデイサービス施設も、気管切開、胃瘻造設患者は看護師不足との理由で受入れを拒否されている実情があります。
16番目、市町村の障害福祉関係部署で遷延性意識障害を承知している職員が非常に少なく、サービスを受けるのに一苦労しています。
このように差別と思われる事例がたくさんあり、家族の負担、心労は計り知れません。新しい法律、制度が改善されることにより、本人と家族が安心、安全に、安定した生活が送れることを期待しています。
以上です。
(司会) 以上、Bさんからのご意見をZさんより代読いただきました。
これに関しまして、登壇者の方よりコメントをいただけますでしょうか。
(東) 担当室の東です。Bさん、Zさん、代読ありがとうございました。
Bさんから、まず、遷延性意識障害という障害を、障害のある仲間たちも余り知っていない。ましてや、一般の人はほとんど正しい知識、理解、そういうものを持たれていないという現状に置かれており、そういう状況の中で、実際どんなことがあるのか、かなり詳しくおっしゃっていただきました。真摯に学ばなきゃいけないと、思いました。
ところで、差別禁止部会の意見書では、個別分野として10の分野を取り上げて、そこにおける差別の実態を詳しく書いております。
その中で医療の分野も取り上げてありますが、その医療の取り上げ方について、Bさんからご心配の声が上がっております。そのご心配はそのとおりだと思うのですが、むしろそういうご心配をもとに、医療の分野が独自に設けられたと思います。
もう少し詳しく申しますと、医療というのは一つの役務提供です。大きく言えばサービスの提供の一つなのです。例えば、行政のサービスなんかも一つの役務のサービスです。そういう中で、なぜ医療というものをそのほかの役務提供と区別して、医療を特出ししたのか、その理屈というものが部会意見では書いてあります。ほかの役務サービスでは、医療法のように正当な理由なくして拒否はしてはならないとかといった法律上の規制というのは、あまりみかけません。しかし、医療はそういう規制があります。それに加えて、医療は専門的な知識なくして、単に契約で自由に誰でもがやれるというような性質のものじゃないわけです。そこは皆さん共通の理解だと思います。誰でも資格もなしに自由に医療ができるものとして、その医療が適正に行われるかどうかは、自由競争に任せるというやり方では、問題が起こるということで、資格を有する専門家しか医療を行えないということで、お医者さんに医療が独占されているわけです。そういう意味では、逆に責任は重いわけです。責任が重いからこそ、サービス一般じゃなくて医療における差別禁止という形で法律自体も対応しなきゃならないというのが部会意見のスタンスです。
ですから、Bさんが心配されているところではありますが、むしろBさんの心配に応えるために、こういう言葉を使って医療の分野をきちっと書いているということであります。そこはご理解していただければなというふうに思っているところです。
その上で、医療は、Bさんが言っておられるように、やはりお医者さんがすることだという、ある意味、一般的には信頼感がある分野ではありますが、障害者に対する対応はどうなのかという観点から見ると、かなりの問題が実態としていろいろ上げられております。ですから、そういう実態も真摯に踏まえて、障害があるからといって医療サービスを提供しないとか、合理的配慮を怠るといったことがないように、差別禁止法の中で医療の分野として必要な規定を設けていく必要があるというのが部会の意見ということになります。
以上です。どうもありがとうございました。
(司会) Bさん、Zさん、ありがとうございました。
続きまして、栃木県立U高等学校、Cさん、お願いいたします。
(指定発言者C) こんにちは。ただいまご紹介に上がりましたU高等学校のCです。障害に対する知識は少ないのですが、差別禁止法に関して発言させていただきます。
私は、障害を理由とする差別を禁止する法律を制定することに賛成いたします。
私は栃木県立U高等学校総合家庭科の2年生です。家庭科に関する専門学科で、普通科目に加えて衣食住、保育、福祉に関して専門的に学んでいます。例えば、私は授業の一環で、今年の6月に学校のすぐ近くにある特別支援学校を訪れて、スポーツレクリエーションの交流をしました。小学校のとき以来、障害のある方と接していなかったので、高校生になって特別支援学校との交流があることを知って、とても不安になりました。
交流当日はフライングディスクとユニホックを実施しました。交流してみると、皆さんとても気さくに私たちに話しかけてくださいました。いつの間にか時間を忘れてゲームを一緒に楽しみ、無意識のうちにハイタッチなどをして楽しさを共有していました。私たちは、楽しいときには笑ったり、悲しいときには落ち込んだりと、持ち合わせている感情は同じだということに気づき、差別する必要はないと思いました。
私は将来保育士や幼稚園教諭などの子どもたちとかかわる仕事につきたいと思っています。現在の幼児教育では、障害のあるお子さんも、ないお子さんも一緒のクラスに入って同じ教育をするようになってきています。もし自分が障害のあるお子さんを受け持つことになるとしたら、正直戸惑いを隠せないことがたくさんあると思います。どのようにその子と接すればよいのか、どのようにしたらほかの子と同じように接することができるかなど、多くの不安が思い浮かびます。例えば障害のあるお子さんばかりに気を配ってしまい、ほかの子の指導をすることがおろそかになってしまう場合もあるかもしれません。また、差別禁止部会の意見の中で、障害者への差別の例として挙げられていましたが、遠足のときに障害のあるお子さんだけ保護者に同伴してもらうことが必要だと考えるかもしれません。この例では、保護者が同伴しないことで、先生に過度な負担が生じる場合もあるのではないでしょうか。障害の程度など、場合によっては差別の例外とすることも必要だと思います。
このように差別に該当するかどうかの線引きはとても難しいと思いますが、障害を理由とする差別を禁止する法律を制定する際には、何が差別に当たるのか慎重に議論して、具体的な基準を明確に示すことが必要だと思います。基準を示すことができれば、障害ということを理解できない幼い子どもたちにも、より具体的な事例を通して差別という社会のルールがあることを教えられると思います。このように差別に対する不安を少しでもなくすためにこの法律を制定することで、社会全体で障害のある方への差別をなくそうとする雰囲気や共通の認識ができると思います。
世界でも多くの障害者に対する法律があることは誰もがご存じだと思います。しかし、日本には自立支援法などはあるものの、差別禁止法はありません。障害者に対する設備も少なく、駅にエレベーターが設置されていない場合も少なくありません。時に、目の不自由な方と一緒にバスに乗車することがあります。しかし、私はまだ声をかけたり、手を差し伸べたりすることができていません。このように日本は設備や対策が不十分分な上に、助けを求めている方にみずから優しく手を差し伸べることができていないのが現状だと思います。
障害者が住みやすい国と日本がなるために、この法律はなくてはならないものになるでしょう。しかし、罰則をつける法律ではないと思います。法律があることによって自発的に行動に移すことができ、自然と助け合えることが重要なことだと思います。この法律が障害を個性の一つとして考えるきっかけとなり、日本の社会全体で障害に対する考え方が少しずつでも変化していけばよいと思います。これらのことにより、私は障害を理由とする差別を禁止する法律案に基本的に賛成いたします。
ありがとうございました。
(司会) Cさん、ありがとうございました。
では、登壇者の方よりコメントをいただけますでしょうか。
(大野) こんにちは。大野更紗と申します。
Cさんのすばらしい文章を書いていただきどうもありがとうございました。私は普段は作家として仕事もしておりますので、日本社会の若い高校2年生の方がこういうことを書いてくださること自体に、素直に嬉しさを感じます。
わたし自身が高校生だったころのことを思い返すと、障害を持つ方々と接点の少ない「健常者」でした。福島県の郡山市の高校に通っていました。県内ではいわゆる進学校でした。そのときに、障害の問題とか、障害者の人たちがどういう地域生活をしているのかということを考える機会というのはほとんどありませんでした。想像するどころか、思いをはせることすらなかったんです。東京にいると多少事情は違うんですけれども、特に福島県のような地方におりますと、大きな施設はありました、通所や入所がほとんどです。重度の心身障害者の方とか知的障害の方というのは実際にはいらっしゃったはずなんですけれども、郡山市内の街中で、自分が高校に通っていて、障害を持っている人を見かける機会というのが、高校3年間でほぼ一回もなかった。だから、日本の人口に対する障害者の方たちの比率を考えたとき、街中でその人たちを見かけるということが高校3年間で一度もなかったというのは、おかしなことですよね。大学進学のために東京に出てきてからも、それでもやはり、障害のことをわがこととして考える機会はありませんでした。自分が実際に難病を発症して、障害を抱えながら生きるようになって初めて当事者の方々に私自身が出会うようになってきたわけです。Cさんのお話に戻りますけれども、Cさんも高校生になって特別支援学校との交流をなさったと、それで初めていわゆる重度の障害を持っている方たちとお話しになって、たくさんのことをここに書かれていらっしゃるわけですよね。たとえば、将来保育士や養護教諭を目指していらっしゃる、そういう実際に教育現場に入ったときに、まさにこの差別禁止法が制定されて施行された後に社会でどういうことが起きていくかということは重要なことだと思いますけども、どのようにしたらほかの子と同じように接することができるのかすごく不安に思うとか、それから、遠足のときには障害のあるお子さんだけ保護者の人に同伴してもらうことが必要なんじゃないかと自分は考えてしまうかもしれないとか、大事なことをたくさんお話されたと思います。まさしくそこが、この法律が実際に施行されてから、日本社会の特にこれからの社会をつくっていく人たちが担うチャレンジなのだろうなと、私は若い世代としては思っているし、実際にそういうチャレンジをしていきたいなというふうに思っている中で、Cさんの今日のご意見を、同じ新しい社会をつくっていく心強い仲間がいるなと思いながらお聞きしておりました。もし現場の保育とかにかかわられるようになったら、ぜひチャレンジをしていただければいいなと思っています。
今日、前半のほうで伊東さんの話もあったのですけども、やはり実際その現場の人たちが動くことが本当に非常に重要だと思うし、特に教育の現場に立たれる方たちは、建前ではなく実践が求められます。今日は高校生の率直な、すばらしい意見をどうもありがとうございました。
(司会) Cさん、ありがとうございました。
続きまして、Dさん、お願いいたします。
(指定発言者D) 私は栃木県の障害施設・事業協会という、いわゆる福祉サービスを提供する事業者の団体にかかわっております。そういう中で、今回のこのお話を聞いて、まず、私たちは今までのここ数十年という間、例えば福祉サービスの事業所を立ち上げるというときに、例えば地元の人たちからさまざまな要求をされたり、あるいは利用する人たちのことで差別的なことを受けたり、それを解消するためにどれだけ多くの時間を費やしてきたかというふうなことが思い浮かばれます。
今現在も例えばケアホーム、グループホーム等を設置する場合でも、例えば工事が始まったときに、近所の人は何ができるのというときに一生懸命説明すればするほど、また別の方が来て、そういうものをやるのであれば前もって説明してほしいとか、あるいは一筆確約書を書いてくれとか、迷惑をかけないというふうにしてくれとか、そういうふうなことを言われながら、ずっとこれまで事業を続けてきたというふうなことで考えると、今回の差別禁止法の制定というのは遅いぐらいで、もっと早く制定してほしかったなというふうに思っておりますですから、今回の内容に関しては、おおむね私は賛成をしております。できるだけ早く制定してほしいというふうに願っている者です。
ただ、その中で何点かだけ危惧していることがあります。まず1点は、先ほどの話にもありましたが、差別を解消するための方法、そういったものを具体的な部分を考えなければならないのじゃないかなというふうに思いますというのは、差別禁止法ができても、差別をなくしていこうというのは、やはり市民それぞれの個人の意識や地域社会の意識改革というものが必要になってくるのかなというふうに思います。
そういう面では、やはり先ほど来いろんな人の話の中にも含まれていましたが、小学校の高学年、中学校、高校とか、あるいは人にかかわるような仕事をやる大学、例えば教育なり保育なり、あるいは司法関係もそうでしょうし、また、公務員になるためのこともそうでしょうし、あるいは医学的なものもそうでしょうし、看護もそうでしょうし、そういった中で、いわゆる福祉的な教育を位置づけるべきだというふうに私は思います。そういったものがない限り、やはり個人の力量や、それだけに頼るものになってしまうのではないかなというふうに考えています。
ある国では、警察大学に社会福祉の授業がありまして、それをちゃんと単位をとらなきゃいけないというふうになっているようなことも聞いたことがあります。ですから、そのような部分が必要であろうと。ですから、警察学校あるいは消防学校、そういったところの中にそういったものが必要であろうというふうに思います。
あともう一点は、今回地域主権一括法が実施されていく中で、いわゆる地域のことは地域で、あるいは市町村のことは市町村で考えてやっていきましょうというふうなものが施行されております。その中で、地域のことは地域でというふうに当然、それは大きな考え方では、私は賛成なのですが、しかし、そこに住んだがゆえに不幸になってしまうというふうな人も結果的には出るおそれがあるというふうに思いますですから、市町村任せということが本当に差別をなくするというふうなことにつながるのかなというふうになると、その辺でも何らかの監視をするというのは大げさな話ですけども、そこを評価していく機関が必要であろうというふうに思います。
そういったことがこの差別禁止法が施行されていく中で、やはり第2段として何らかの手法をとるというふうなことがなければ、いいものができたなというだけで、みんなで眺めるものになってしまうのではないかなと、もっと我々、あるいは障害のある人たち、あるいはこれからその家族を持つ人たち、そういった人たちにとって、そのことが何らかのプラスになるような法律であってほしいというふうに願っております。
そういうふうなことで、虐待防止法ができて、今回これが制定される方向になっているわけですけども、今現在も結局は差別があるというふうに考えると、人間はもともと差別をする、本能的にそういったことがあるのではないかというふうに私は感じざるを得ないです。だとすると、学校教育、大学教育、そういったところで福祉に関して学ぶというふうなことは絶対条件であろうというふうに思います。
最後に一つつけ加えれば、最近福祉関係の大学や専門学校、短大等に進学する人が非常に少なくなって、専門学校はかなり閉鎖され、そして、福祉系の学科を持っている大学は、今、人が定員割れをするというふうな状況になっているわけですけども、これも間接的な差別だというふうに私は捉えています。つまり、日本国民の生活を安定させるためにどうしても必要なものだというふうに思うわけですから、そこに従事したくないということは、やがてその人たちは高齢者にならないのか、あるいは障害のある人を家族に持つことが絶対ないというふうなことが言えるのかというと、そうではないと思うのです。というふうに考えると、やはり今の学校教育のあり方というのは非常に問題があるというふうに私は感じておりますので、ぜひその辺を今回の仕組みの中に入れられれば一番いいわけですが、もし無理であったとすれば、その辺を次の段階で何らかの仕組みというものが制度の中に入るようにぜひお願いしたいなというふうに思っております。
以上です。
(司会) Dさん、ありがとうございます。
(東) どうもありがとうございました。Dさんのご意見については、私のほうから少しコメントさせていただきます。
グループホームとかケアホームをつくるときに、地域の反対が多いといったことは、全国あちこちで聞く話であります。それに対して、本来であれば、誰がどこに住もうと、隣の人の許可は要らないはずです。居住・移転の自由ということで、憲法でも認められています。なぜ障害者だけが住まう場をつくるときにほかの地域の人の許可が必要なのかと、これ自体差別じゃないのか、そういった意見もあります。
にもかかわらず、こういった反対の背景というものを考えるときに、先ほどおっしゃったように人々の意識に目を向けない限り、こういった差別というのはモグラたたきのような形で個別的に対処しても、全体的にはなくならない。おっしゃるとおりだと思います。
ですから、この差別をどうして解消していくのか。恐らく、差別禁止法をつくったからといって、それで差別がなくなるといった即効性を持ったものではない。ですから、差別が発生した場合に、どういった形で具体的に解決していくのかという解決の仕組みとともに、根本的にどうしたらなくしていけるのか、解消していけるのかという基礎的な考え方というものが大事になると思います。
その上で、意識改革ということで学校教育のことを指摘していただきました。おっしゃるとおりで、部会意見では、一般国民に対する啓発という形でしか書いておりませんけども、特に第1章の国等の責務の中で、教育とか啓発とかそういった問題については触れてあるところであります。
警察大学などのお話もいただきましたけども、例えば司法へのアクセスの問題のところでは、やはり警察官の障害者に対する待遇といいますか、接遇といいますか、そういうことで実際いろんな問題も起きているわけです。ですから、単なる啓発というよりも、そういう理解が本当に緊急的にも必要な分野などいっぱいあるわけです。ですから、一般的な学校教育の問題と、それと、そういったように直接障害者とかかわりのある、そういう仕事をされる人たちへの研修といいますか、そういうことは特に要求されるというふうに思いますし、部会でもそういう立場で書いてあります。
それと、学校教育の中に福祉教育ということを取り入れるということも一つ非常に重要なことでありますし、差別禁止法ができれば、何が差別なのかということも含めて教育していただくといったことも大事だと思います。
それとともに、一般教育においては、先ほどDさんもお話しになり、大野さんも言われたと思いますけども、今の教育では普通の学校に障害児が原則としていないのです。そうすると、自然に友達という形で障害を理解するという環境がないことになります。そこは非常に大きな問題だろうと思います。これは教育における差別とは何かというところでも議論されているところなのですが、部会としては、基本的には障害のある人もない人も同じ場所で学ぶということをベースにお互いの理解というものが生まれていく、単に福祉教育という形で抽象的な教育をしても、そこには一定の限界があるのだろうというのが、部会での議論の前提になっていると思います。
それとあと一つ、地域主権の問題があります。市町村における解決の仕組みがこれに関連します。部会では特に解決の仕組みの中で、まず、相談調整といった機能を市町村が担うべきだという提案をしております。しかし、おっしゃるように、地域主権一括法のもとでは、国がこれを義務づけるというのはなかなか難しいことになるわけです。しかしながら、部会としてはそういう提言をしているわけです。そこで、それを具体的に法律にするときには、それが義務づけになるのか、努力義務になるのか、書けないのかといった形で問題となるでしょう。
しかし、地域主権も人権保障、ナショナルミニマムといったものを否定しているわけではありません。やはり最低限のことはどこでもやらなければなりません。問題は、何が最低限かを国が決めるのか、地方自治体が決めるのかということです。これは国が決めるべきだというのがこれまでの話だったわけですけども、地方自治体の判断を認めるのが地域主権なのです。
だから、どちらにしても、最終的には、それがナショナルミニマムを担保しているのかどうかということを誰が判断するのか、基本的にはこれは有権者であり、そこに住む人です。しかし、なかなかそれは難しいからということで、例えば障害者基本法では障害者政策委員会というものがつくられて、そこが障害者施策の実施状況を監視するという仕組みを設けているわけです。
そういうものが都道府県にもできるわけですので、都道府県がやっている政策がナショナルミニマムを担保しているのかどうなのか、特に差別禁止の関係で言えば、そういう施策によってちゃんと差別がなくなるようにしているのかどうか。さきほどのグループホーム、ケアホームのような事例もそうですけども、そういったところで監視していくという仕組みを地方自治体自体が持つということが大事になってくるのかなというふうに思います。
どうもありがとうございました。
(司会) Dさん、ありがとうございました。
ここからは本日ご参加いただいている皆様からのご意見をいただきたいと思います。
ここからの進行は、内閣府障害者制度改革担当室長、東俊裕より進めさせていただきます。
(東) ということで、今日は予定が4時までになっております。ですので、あの時計を見ますとあと29分あります。どのくらい発言していただけるか、ちょっとまずお手を挙げていただけませんでしょうか。3人、ほかの方いらっしゃいませんか。だんだん後から手が挙がってきましたが、時間の関係がありますので、できれば最初に何人ぐらい発言いただけるか確定しておきたいと思います。それでは、4人の方にお願いします。まず、Dさんの後ろの方から1人3分ぐらいで、よろしくお願いします。
(フロアよりEさん) 私、網膜色素変性症で視覚に障害を持つ者です。私のほうはサラリーマンを普通にやっているのであれなのですけども、差別禁止法の中に直接的な差別の部分と、あと間接的差別の部分、これは比較的わかりやすいところだと思うんですけども、合理的な配慮という部分がものすごくグレーな部分が多くて、例えば今日ここに入ってきて、通路が暗いんです。あれ、私たちにとって非常に歩きづらいんです。それも配慮という意味では、私たちから言わせると欠けているなという気はするのですけれども、でも、今の世の中の節電の話からすると、余り電気を使うのはもったいないだろうということで、合理的配慮の範囲というの、これはここでぴたっと決められるものではないと思いますけれども、やはり皆さんでコンセンサスをとっておりながらやっていくような方法をぜひとも構築してほしいなということと、あと、今までのお話の中が、健常者の人たちが私たちに対してどういうふうに対応するかみたいな部分が非常に多いんですけれども、実際に障害を持っている方が、もういいやって諦めちゃっていて、なかなか意見が出てこないというのも非常に多いんじゃないかなということで、ぜひとも障害を持っている方にこういった基本法というものがきちんと制定されて、その中にはこういう内容があって、合理的な配慮についてはちゃんと要求できるということもぜひとも理解をしてもらって、それを訴えるような仕組みがあって、そういったことで少しでも変えていけるような仕組みもぜひともつくっていただければなと思いまして意見を述べさせていただきました。ありがとうございます。
(東) ありがとうございました。
では、その後ろの方、続けてお願いしたいと思います。
(フロアよりFさん) 障害団体SのFと申します。
先ほど東先生のほうから地域でやるのがいいのだという話があって、全くそのとおりだと思うんですけども、私どもの精神障害のほうでも、かつては県のほうでいろいろとやっていただいていたわけですけども、地域でやるのがいいということで、今、地域のほうに全部丸投げされているわけです。ところが、地域には人材もいないわけです。保健婦とかがほとんどいない状況です。結局できないのです。予算ももちろん地域のほうには回ってきていない。地域でやるのがいい、地域でやってくれといっても、何もなしで、からてんぼうではできませんよね。やはりその辺のところをきちっと予算をつけていただかないとだめですよね。
今、国のほうでも法案が通らないので、昨日あたりもニュースで、盛んにあちこちで言っていましたけども、まず、議論としてはわかるんですけども、からてんぼうで何かやれといっても無理な話なんです。その辺のところもきちんとやっていただきたいなというふうに思います。よろしくお願いします。
(東) ありがとうございました。
では、この真ん中の列の前の方、ちょっと今、マイクを持ってまいりますので。
(フロアよりGさん) こんにちは。今日は3人の方から中心にお話をいただきまして、本当にいい内容をたくさん伺えたと感じています。
その中で、1点伺いたいことがあります。それは、私たち今日参加しております聴覚障害者なのですが、情報が非常にほかの方よりも少ないという現状があります。聞こえる方々に比べて私たちが得られる情報量が少ないです。その少ない情報量に対して数々の問題が生まれています。
たとえて言うと、例えば会社で、学校を卒業して社会人になります。会社に入ったときに、聞こえないということで仕事を差別されてしまう、聞こえる人と聞こえない人を比べたときに、聞こえない人に対しての期待度というのが低いというのを非常に感じています。少しずつ配慮されていくというような状況がたくさんあるのだということを聞いています。ですから、そういった職場での差別というものを法律の中にきちんと盛り込んでいただきたいと思います。やはりこれ以上、我慢を強いられることというのは難しいと思います。
それぞれの会社、例えば市役所などで聞こえない人のために情報をよりよくきちっと補填するためにも、会社や会社の中などでほかの障害の人に対してもサポートされているものを、やはり聞こえない私たちにとっても情報をサポートするという内容のことを法律に盛り込んでいただきたいと思います。それが福祉の向上につながると思います。
まだまだ格差があるということ、情報がないということが、私たち聞こえない人にとって、同じように働いているのに、聞こえる人たちから言われのないことを言われて、情報がないためにいろいろな誤解の上で批判をされてしまうこともあるのです。ですから、何に注意していいかもわからない。それによって仕事上、自分がうまくいかないことができてしまう。ですから、そういった差別を受けている人がいるのだということをやはり禁止法の中できちっと盛り込んでいただきたいなと考えていますいかがでしょうか。
(東) ありがとうございました。
では、最後の方。
(フロアよりHさん) こんにちは。私、障害者就業・生活支援センターの支援員をしておりますHと申します。
先ほど伊東先生のほうから雇用促進法制定のときにご尽力されたというお話を聞きまして、それで、差別禁止法をつくるに当たって、雇用の現場でも本当に障害を持っていることによって不当な差別を受けているというのは、私も現場に入って実感しております。
私も障害を持っている当事者の一人でもあるのですけれども、私が実際にごく最近ですけども、経験したことをちょっとお話ししたいんですけども、特別支援学校のほうに就職された方がいらっしゃるんですけども、そこの学校では知的障害の生徒さんが中心なんですけども、そこに雇用していただいた方が発達障害の方で、ちょっと発達障害に関してのそこの現場での理解度がすごく少なくて、いろいろとこちらで支援者側としてこういった仕事でしたらできますけれども、こういった仕事を与えていただけませんかとかいろいろ提案しているんですけども実際に法定雇用率、今1.8%、来年4月から2%、そういう法律ができていても、実際は半数の会社が守れていないというところもありますので、つくったからこれでおしまいではなくて、本当にそういった実際に守っていただけるような法律にしていただきたいと思っております。
ありがとうございました。
(東) どうもありがとうございました。
それでは、まず、伊東副部会長のほうからそれぞれコメントをいただければありがたいなと思いますけど。
(伊東) 伊東です。それぞれ分担しなきゃいけないと思うのですけど、今の最後にお話のあったいわゆる障害のある人の職業的能力の課題について言いますと、私は全面、差別禁止法によって大きくこれを変えることは非常に難しいと思うのです。私は根本的に障害のある人の適性職業能力を適正に判定したり、教育をしたりという、そういうもっと障害サイドのプロ的な取り組みというのが日本は非常に立ち遅れていると考えているんです。
例えば、私どもの職場ではもともと身体障害の人が中心だったのですけども、あるときからご縁があって知的障害の人を受け入れて、その人は高等部を卒業して私どもに来たときには一から十までようやく数えられたと、そういうレベルの人でしたそれ以上は無理だというふうに学校でも言っておられたんです。
ところが、私どもの仕事の現場でいろいろやって、かなりいろいろな根気を要しましたけれども、実態として今彼は20年以上働いておりますが、通常の職業成果までは至っておりませんが、例えば今はパソコンも使ってEメールもやりますし、そして、パートの人の管理をやって、在庫管理をやっているということで、もうはるかに能力がアップしています。彼の場合には、通常レベルで期待する普通障害のない人が入社してどうかというと、大体85%ぐらいの職業成果を発揮していると思うのです
私は、今の障害者の授産施設とかそういうところも、障害者の職業が十分仕事がないとか、職業能力が上がらないのになかなか手当も払えないとかってよく皆さんおっしゃいますけれども、本当に成果を発揮するような取組みがプロフェッショナルなレベルで行われているかどうかについて、むしろそういう障害者サイドにサービスを提供している側に非常に反省するところがあるのではないかというふうに私は見ているのです。
私どもの社では、今は身体障害だけじゃなくて知的障害も発達障害の人もおりますけれども、トレーニングの仕方によって非常に伸びるのです。それを従来の普通の職業訓練だとかそういうようなやり方をとっているがために成長しないという、むしろサービスを提供している側に私は大いに問題があるなと感じます。だから、もうからないから払えないと言っているけれど、そんな仕事をしていたらもうかるわけないでしょうと思うようなことをやっているところがあります。それがそもそも間違いなのです。だから、それを社会のせいにして障害者の仕事が与えられないと言うのはやめて、もっと本当に利潤の上がる仕事を、利潤の上がる方法で展開するような取り組み、そういう指導を国がする必要があります。
さきほど申し上げたように、障害者はハンコ彫りと時計の修理とガリ版ぐらいやっていればいいといいうことで、私どもも印刷から始めましたけれども、これは印刷の仕事は将来性がないなということで、障害者の雇用促進法ができる見通しがついたので、障害者の自立のための機器の開発を始めました。印刷と別に私一人で始めたのです。昭和47年から始めたのですけども、今約40年たって、福祉用具の業務についている人は、40年たって今は400人働いています。つまり、事業発展というのは、障害者の能力というレベルではなくて、ビジネスのレベルで考えるような、そういうフレームを社会の中につくっていかなきゃいけないと思うのです。
だから、はっきり言えば何でも障害者の能力のせいにしないでくれと、障害のせいにしないでくれと、私からはそういう思いがこの世界のプロの方々、福祉関係の方に申し上げたいところであります。
それから、聴覚障害の方の情報が少ないということです。これは、私が非常に期待していますのは、実は聴覚に障害のある方だけではなくて、今、市役所なども高齢者に福祉のサービスをいくらつくってもそれを伝える方法がないと言うのです。だから利用されないと。必要な人がいるのに利用されない。つまり、高齢者に情報が伝わらなくなっているのです。若い人は携帯やパソコンでいつもやりとりしている。それに取り残されている人はいっぱいいます。
アメリカでは、例えばADAができて以来、ホテルに聴覚障害の人が泊まりますと、夜中に例えば火災など緊急事態が発生したときにバイブレーターで自動で知らせる機械が貸し出されます。投票所に行って投票ができなくても、自分の家から投票ができる、そういうような情報がちゃんと用意されるようになった。あるいは目の見えない方に音声でもってパソコンを使えるように、音声で使えるソフトを無料で使えるようなものがどんどん出されている。つまり、その分野に社会で不足しているものがあれば、これからはそういうものが商業ベースで開発される時代になってくるのです。
ですから、私は多分機器の開発というのはかなり早く海外からも入ってくるし、日本でも開発される。今、例えば車椅子の開発などものすごく進んでいるわけです。二輪で車輪が二つしかないのに、ちゃんと水平で走れるような車椅子さえももう開発に入っているということです。そこにチャンスがあれば、つまりそれが商業ベースになれば、買う人がいれば、それはどんどん普及する時代になってくるということで、必要なものをもらうとかではなくて、そういうように新しい時代が改めて新しい産業が起こってくるという、そういう期待も持ってぜひ取り組んでいきたいと思います。必要なものは必ず世の中に出てくると、そういう時代にお互いにしていけたらと思います。
私からはこれだけでよろしいでしょうか。
(大野) 時間も押しておりますので、自分が印象に残ったご発言からの抽出で大変恐縮です。
先ほど聴覚障害の方の情報保障のお話がありましたけれども、私は父と母が福島県に住んでいて、それから、親戚の多くが沿岸部に住んでいました。3・11の災害のときは、健常者の人であっても非常に大変な状況であったわけです。そのときに痛感したことは、平時のときにできていないことが、緊急時にできるはずはないんだということです。
これは宮城県の沿岸部のある聴覚障害者の方の事例ですが、大きな地震が来たことはわかった。けれども、音声で津波が来ますという警報が流れるわけです。津波警報が、ろう者の方には聴こえない。ほかの人たちは一斉に車で逃げているんだけれども、その人だけは地震の後に家の中の物が散乱していますので、ずっと片づけをしていたわけです。その聴覚障害者のお兄さんが、弟はきっと津波が来ることはわからないであろうということに気づいて、ほかの人が車で避難している方向とはお兄さんは逆方向に車を走らせて、その方を連れ出して一命をとりとめて、そういった証言を残されています。これが地方の情報保障の実情であるということを、その方のお話をうかがって私自身もそのときにあらためて再認識させられました。
この差別禁止法は災害時や緊急、つまり基本的人権にかかわるところで情報をどのように保障するか、それを国や自治体等の責務にしなければならないという強いメッセージ性は非常にある法律だと思います。私は、東日本大震災という大きな惨禍を経た日本社会にとって、非常に必要なものなのではないかなというふうに思います。
それから、人材とか財政の問題も少し出ましたけれども、私自身が部会の議論に、短い4カ月間という期間でしたが、参加して思ったことがあります。これは私自身の中でもそうですけども、障害や差別という概念、それから差別をどうやって未然に防ぐ、あるいは今起こっている問題を解決していくかということは、この法律ができて解決するのではなく、差別禁止法の制定は日本社会にとって初めの一歩であるいうことです。差別禁止法は未完の大典であって、これを託された社会が実際にどのように社会的な障壁と向き合っていくのか。超高齢社会を迎える日本社会の課題と立ち向かっていくのかというのは、それはやはり社会の側に託されていると思います。
差別を禁止する法律、というと非常に硬いイメージを持ちますけど、私は実際この法文の案、原案をつくる作業に参加してみて、これは可能性の大典だと、社会の可能性を拡げていくことが合理的配慮なのだなあと思いながら作業に参加させていただきました。それを今日ここでお話ししたいなと思っていました。
(東) ありがとうございます。
それでは、最後に、私のほうからもコメントさせていただきます。 まず、色素変性症のEさんのほうからのお話だったのですが、例えばこの室内が暗いということで、特に階段などをおりられるときに危ないわけですが、それは別に色素変性症の方だけじゃなく、車椅子でも、段差に気がつかないと危ないですよね。問題は、危ないと思った人が言わないと周囲の人はわからないという点ですよね。そうすると、困ったことは何でもかんでもその人が言わないといけないのかということになります。要するに周りの人たちは無頓着であっていい、大変だと思う人が権利を主張しなきゃいけないということにもなります。本当はそこが教育で、みんなが最初からわかってくれたら一番いいわけです。でも、鶏が先か、卵が先かみたいな議論になってしまい、現実的にはやっぱり痛い思いをする人、足を踏まれた人、その人が痛いことを痛いと言うことが最初に求められることになるのかなと思います。合理的配慮は、「障害者の求めに応じて」という形になっています。だから、その主張を待って初めて、相手方が実施に向けていろいろな問題点を検討するというふうな流れになっていくと思います。
また、例えば夜の静かなバーみたいなところで明るくして欲しいと要求しても、バーとしては、あまり明るくしすぎるとお店の本質が欠けてしまうということで、それは過剰な負担だとかという、そんな議論が出てくるかもしれません。それとか、映画館で映写しているときに会場を明るくするというのも一つ問題で、そういうふうに限界事例という問題はあるかもしれませんけども、まずは、合理的配慮を求めることについて、この法律でちゃんと言えるようにすることが第一歩だということです。
これまでは、お頼みでしかなかった。済みません、申しわけないけど、こうしていただけませんでしょうかと、社会じゃなくて、障害者の側に問題があるから、障害者はお頼みするしかなかったわけです。しかし、そういう考え方ではなく、合理的配慮は社会の側が提供すべきものという考え方に法律を変えましょうということです。
それと、先ほどHさんですか、発達障害の人を雇ってくれたんだけど、理解が少なくて、適切な仕事を与えて貰えないというふうにおっしゃいました。やはり雇う側は、雇った人の能力を適正に判断して、適材適所、ちゃんとしたところに配置しなきゃいかんという、これは合理的配慮の一環でもあると思うんです。だから、発達障害者であることをわかって雇っておきながら、適切な仕事を提供しないのは、合理的配慮にかかわる問題だという感じがいたします。
それから、Fさんから、地域社会での生活ということで、何でも地域に振られても、そこに社会的資源がない、予算もないのに、そうなると、結局何のサービスもないことになるというお話をいただきました。それが日本の現状だとも思います。
ただ、考えていただきたいのは、これまで障害者は、制度政策によって自分の人生が決められてきたといっても過言ではないわけです。そういう状況にありますので、制度政策が社会から分離的な政策であった場合に、障害者は地域から離されてしまうわけです。だから、そういう政策に対して、今はできるだけ地域ベースでの政策に変えようとしているわけです。しかし、そこにきちっとした福祉的予算というものが伴ってないという現実があって、問題になっているわけです。
それから、差別の禁止と福祉サービスというのは車の両輪でなければならないという位置づけが部会の議論の前提だと思っています。差別禁止法だけで全てが解決できるというわけでもない。しかし、総合支援法などの障害福祉サービスを提供する法律では、支援を得ることができたとしても、社会の差別をなくすことはできないわけで、結局のところ、両方とも必要というわけです。 このほか、いろいろ述べたいことも残っていますが、時間がきてしまいました。
今日はほかのいろんな行事と重なっている中でこの会場に来ていただいて本当にありがとうございました。もっと、意見をここで言いたいという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、一応時間となりましたので、今日はここでお開きとさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。
(司会) 以上をもちまして、本日の全てのプログラムを終了とさせていただきます。ご発言いただいた方々、貴重なご意見をありがとうございました。
まだまだ言い足りないことが多いかと存じますが、ご意見、ご感想は本日のアンケートや内閣府で現在実施されているパブリックコメントでも受け付けられておりますので、そちらのほうへよろしくお願いいたします。
長時間にわたり最後までおつき合いいただき、まことにありがとうございました。
本日ご来場いただきました皆様には、アンケートへのご協力をいただきたいと存じます。皆様の貴重なご意見を承りたく存じますので、アンケートにご記入の上、スタッフにお渡しください。皆様のご協力を心よりお願い申し上げます。
本日はお忙しい中、最後までおつき合いいただきましてまことにありがとうございました。お忘れ物のないようにお気をつけてお帰りください。ご来場まことにありがとうございました。
[了]