〜平成20年度入賞作品〜
【中学生部門】 ◆佳作
祖父母に伝えたいこと
吹奏楽部の私の最後の大会を、祖父母が見に来てくれた。今までは、「車いすでは人の迷惑になるから」と遠慮していた祖母が、「聴きに行きたい」と言って来てくれたのだ。人前に出る事など出来なくなっていた祖父も、「俺も聴きたい」と言ってくれた。私は、初めて祖父母に演奏を聴いてもらえるという思いから、緊張よりもうれしい気持ちが強かった。
私は生まれた時から、車いすに乗っている祖母しか知らない。私が生まれるずっと前に病気で倒れ、体が不自由になってしまった。祖父は、祖母の介護に努めていたが、長年の疲れからうつ病になってしまった。小さい時からそんな祖父母を見てきた私は、それが当たり前で、「障害者」だと感じることもなかった。私が小さい頃は、祖父母にいっぱい遊んでもらった。祖父には、よく外で遊んでもらった。土いじりをしたり、花を摘んだり、冬には雪ですべり台を作ってもらったりもした。祖母とは、輪投げをしたり、風船でバレーボールをして遊んだ。祖母は片方の手で器用に折り紙を折って、私に作り方を教えてくれたりもした。しかし、そんな祖母が、「孫に何もしてやれない」と自分を責めて涙を流す姿を見た時は、ショックだった。その時以来、子供ながらに祖母のために何かしてやりたい、楽しませてあげたいと思うようになった。それからというもの、絵を描いてプレゼントしたり、栗や柿の実を拾ってきて祖母に見せてあげたりした。その度に祖母は泣いて喜んでいた。
今、この会場に祖父母が来ている。そう思うだけで、元気が出てくるのを感じた。
「上手だったよ。聴けてよかった」
大会が終わった後、祖母がそう言ってくれた。
「すごいなぁ、びっくりした」
と祖父も喜んでくれた。そんな二人を見て私もうれしくなり、一緒に笑っていた。
その日の夜に、母が大会の会場に着いた時の話をしてくれた。最初は、祖母を車いすではなく、席に座らせて聴かせるつもりだったらしい。客席には、階段を上がって二階から入るので、車いすでは入れなかったのだ。その時、係の人が来て声をかけてくれたそうだ。その人は、車いすのまま会場に入れるように非常口を開けて、中へ入れてくれたのだった。私は、いくら仕事とはいえ、有り難い事だなと思った。ただじろじろ見る人はいても、何か手をかしてくれる人は少ないからだ。でもそれは、なぜなんだろう。
私が小学生の時、同級生にダウン症の女の子がいた。同じ教室で勉強することはなく、特に関わることもなかった。私が学童保育に行き始めたのがきっかけで、彼女と関わるようになった。学童保育での彼女は、男子からからかわれ、馬鹿にされていた。それでも、またすぐに笑顔が戻り、とても明るかった。家に帰ってからその事を母に話すと、母は
「障害だって、その子の個性だよね。ばあちゃんも同じだよ。」
と言った。その言葉が今も忘れられない。皆がこんな風に考える事が出来れば、偏見なんて無くなるんだろうと思った。
何かをしてあげる事も大切だけど、一方的なものにならず、一緒に関わる事が大切だと思った。「障害者」だから何も出来ないのではない。私は祖父母に励まされ、勇気づけられてきた。「孫に何もしてやれない」と言った祖母に、「そんな事ない」と今は言える。
あなたがいたから、優しい気持ちになれた。
あなたがいたから、頑張れた事だってたくさんある。
そんな祖父母に今、「ありがとう」と伝えたい。